股・戯れ言


BBS

なんだったんだ?オギナワ6days コザディニスタ!

俺の日記に時系列はない!
というわけで現在は9月25日で、ここ最近展開している沖縄記録は9月13〜18日のものなのだけれど、今から書くのは9月23日のことです。ややこしい。
その9月23日に前回の日記にも書いた倉地久美夫さんのライブを見たのです。いやーなんたるナイスタイミング。
倉地氏は福岡県在住なので滅多に東京ではライブをやらんのです。
前回の日記を書いた際に久々に倉地氏のHPを覗いたら9月23日に秋葉原でライブって書いてあるんだものな。これはいかねばならん。つうわけでローカル列車やSLを乗り継いで(お彼岸だったので墓参りに行っていた)ライブに行きましたよ。

結論から言うと、この倉地氏ライブ、今年見たライブの中で2位ですよ。
1位はやはり細野さんなのだけど、細野さんがライブやらなかったら1位だったな。それくらいズギャンと衝撃なライブでした。

前回見たのは2年前で、その時は「三上寛が劇画ならば倉地久美夫はエンピツ画のような細さだ。すごく繊細な絵を書く感じ。」と思ったのだけど、今回見てみると、実はいろんな色を駆使しているかのようにカラフルでトリッキーで幻想的、そして声はよく通る。色鉛筆というよりクレヨンのようだ。声色を使い分けたり、へたくそギターを人力サンプリングのように弾いたり。でもそれらすべては言葉のための演出なのが、彼が詩人たるゆえんなんだろう。
最後の「スーパーちとせ」という曲なんか、名前だけ聞くと北海道あたりの特急っぽいが「僕は福岡の田舎に住んでおりまして、近所のスーパーマーケットの名前なんです」と言っていた。スーパーマーケットの曲なのに心の奥がじんじんした。スーパーマーケットの曲をすんなりと受け入れさせたのは、クラッシュと倉地氏だけだ。(クラッシュは別にスーパーじゃなくてもかまわなかったんだろうが)
こんな人他にはいない。100年後に大評価されたりすんのかな。



そしてまたもや沖縄滞在記。
これを早く書かないと次の日記を書くことができないのです。

3日目
今回の長丁場滞在は、気ままなぶらり旅つーかぶらり日常生活をしに行ったようなもんなのです。
だから特に予定は決めず。黙ってりゃずっと那覇にいたかもしれません。それでも十分楽しい。
しかし、私も沖縄訪問は3回目。初回時に薦められながらも、「イラクから帰還した米兵が多いんでひとりで行くのはキケン!」という情報を聞きつけて行くのを断念せざるをえなかったコザに足を伸ばしてみました。
今回唯一の観光かもしれんな。
ちなみに私のコザに関して持っていた前情報は「日本じゃない、って感じ」という一点のみ。具体的にどこにあるのかも、コザが一体どういう字を書くかも不明。地図もなんも持たずに出かけると言う無謀ぶり。毎度の事ながら「なんとかなるだろう」という腹づもりでした。毎回なんとかなっていないことなどすっかり忘れていた。

とりあえず旭橋のバスターミナルに行ってどのバスに乗ればいいかと物色していたら、知らないおじさんに「あんた、どこ行くね?」と呼び止められる。(なんかこういう呼びとめ多いな、沖縄)
「コザに行こうかと思ってて」と告げると
「コザなんて今はなんにもないさー。若い人は皆北谷のアメリカンヴイレッジよ。」と言われる。
実はコザと北谷がどのような位置関係にあるのかもわかってなかったのだけど、確か北谷もアメリカっぽいとこだというのは覚えていたので勝手にコザと北谷は隣町なんだと判断し「ああ、別に北谷でもかまわないんですよ」と答えた。
そしたら「あんたー、ボーイフレンドいないの?北谷はボーイフレンドを作りに行くところさー」
なんだそりゃ。北谷ってナンパスポットなのか?さっぱりわからねぇ。
「いやーそういうのはどうでもいいンすわ」とあしらったら「今日は天気がいいさねー、海キレイさー。タマグスクに海覗きに行くといいさーおじさんが連れて行くさー」とわけのわからないことを言い出したんで丁重にお断りをする。
海はどうでもいいのだ。じいさんと一緒に行動するつもりはない。
そもそも今にも降り出してきそうなグズついた天気だっつうの。あほか。
つうわけで気を取り直してコザを目指すことに。初心貫徹。
そういえば沖縄で初めてバスに乗るのだった。沖縄は鉄道がないから(ゆいレールは鉄道とは言いがたい)、バスが鉄道のようなもの。車窓を見ることができると思うとワクワクする。

大渋滞の那覇を抜けると、左手側の車窓はすべて基地。
米軍基地ってこんなにデカかったのか。知らなかった。よく聞く話だけど、ほんとに片側全部外国なんだな。しかも大きさがアメリカンサイズ。肥満の国。肉食エリア。以前、仕事で横須賀に立ち寄った時、USネイビー基地が我が物顔でドーンと構えていたのを見て「こえー!」「おっかねー!」(主に角刈り外人に対して)と萎縮したもんだが、沖縄は横須賀どころじゃない。横須賀の100倍くらい「こえー!」「おっかねー!」だ。
こんな肉食文化と泡盛のんだくれ文化が違和感なく同居しているのだから沖縄は寛容な土地だなとも感心するけれど、でもやっぱり基地はないほうがいいよ。おっかないから。バスの上空も軍用機がバサバサ飛んでいた。他の土地じゃあまり見られない光景だ。それも結構低空飛行なのがやっぱりおっかないです。

そんな基地づくしな光景ばかりを見ていると眠くなってしまうのだけれど、停留所の地名がやはり聞き慣れないので耳を奪われっぱなし。片側基地地獄を通り越すと、バスは坂道をぐんぐん登っていく。今度は民家が多くなってくる。
長年強風や豪雨と戦い続けたためなんだろうか、沖縄の民家って武骨だなと思う。むき出しのコンクリート3階建て、というのをよく見かけるけど一体何年前に建てられたのか皆目不明。一目で「あ、ものすごい老朽化」とわかる。まるでアジアのどこかに来たようだ、と思わされるのもこの建物たちのおかげではあるんだが、もうちょっとなんとかせねばなるまい。地震があったら一発で倒れそうだ。
現実は美ら島じゃないところも多い。
で、これまたうとうとしていたら(2時間バス乗りっぱなしじゃ仕方がない)バスの外は激しい雨。
スコールだ。外を歩くのしんどそうだなーと憂鬱な気持ちで空を見上げると、遠くのほうは晴れていた。ああ、これがカタブイってやつなのか。改めて南国に来てるんだと実感する。


とここで気づいたのだけど、コザってどこで降りればいいんだろう。


バスの前面にどこを経由してどこに辿り着くかは書いてあるのだけど、実際にコザという停留所はあるんだろうか?コザの中心街はどこなんだろうか?そもそもコザってのは町なのか?市ではないよな確か。コザ独立国という言葉を聞いた事があったが、コザって通称のような気もするしなぁ・・・などと思いを巡らしているうちに、ちょっと繁華している地域を通り過ぎる。
もしやここがコザだったんではないのか。
一抹の不安。
でも「次はコザ」というアナウンスも流れてこないしなぁ、あ、でもほとんどの人がこのあたりで乗降車してるではないか。不安募る募る。しかし自分を信じることが大事。動揺するな、俺。コザはきっとこの先にあるのだから!
「間違ってるかも」という不安で何度も途中下車をしようとしたが、じっと耐えているうちにやっと運転席横の電光掲示板に
「次はコ   ザ」の文字が!
コザキターーーーーー (゜∀゜)ーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!
満を持して降りるのです。



「立ち並ぶアメリカンな店の数々」
「行き交う外国人の多さに、まるでアメリカに来たかのような気分になれる」
という、日本にいながらアメリカの大学!ばりの評判ばかりを耳にしていたのに
目の前に広がるのは

・いかにもニッポンな靴屋
・店の正面に立たない限り見分けがつかない、「やぎ汁」と書かれた食堂
・「今、店主は留守にしております」と書かれた紙の貼ってあるリサイクルショップ
・部活帰りの高校生

ザッツ日本!全然アメリカンじゃねー!

いや、表通りにいるからこんな日本な光景しか目に付かないのだ、と必死に思って路地裏に入るとどの店も閉まっているわ坂道キツいわおじいやおばあしか見かけないわという体たらく。私が向かっている場所が間違ってるんだ!と必死に思って歩けば歩くほどコザ停留所は遠ざかり、店すらもなくなってきた。
「自分を信じてはいけない」
今までだって何度もこんな間違いしてきたじゃないか。なぜ学習しない?自問。もちろん答えは明確すぎるんだが。
これはもう引き返すしかないんではないのか、と途方に暮れかけていたところ前方にパトカーを発見。
そのパトカーのぴったり後に止まっているのは、「ミニタリーポリス」と書かれた車だった。
おお、MPだ!
やっぱりコザはアメリカ!
心の中では手を叩くが、実際にはガイル少佐のようなMPが怖いのでそ知らぬふりをして通りかかってみる。
黒人米兵2人と沖縄のおじさんおばさん二人が沖縄県警とMPの取調べを受けていた。床屋の前だったのだけど、米兵がなんかやったっぽかった。やっぱりこえーよ。そりゃひとりで来てはいけない土地だよ。
もし4月1日にコザに独りで来ていて、こんなMPとか呼ばれるような事態になっていたら・・・いや、MP呼ぶ以前にアイ・センド・S・O・S・トゥ・ワールドって送っても届かないのかもしれないし。
頭の中でポリスを歌いながら通り過ぎる。怖いとかいいながら暢気なもんだ。
途中からクラッシュの「ポリスとコソ泥」に切り替えていた。黒人米兵がコソ泥だったとは到底思えないが。

引き続き中心街求めて引き返すわけなんだが、十字路に差し掛かったのでこれはこの道を曲がればいいんではないのかと適当に歩き出してまた失敗。
コザからどんどん遠ざかっていくばかり。
もう、歩き回っている時からわかっていたのだ。バスで通り過ぎた、あのちょっと繁華しているところがコザの中心街だったんだと。
しかしそこすらどうやって戻るのか不明。もしこの時、「どうやってきたのか、忘れられるかな」と細野さんが問いかければ私は自信200%で答えられた、「はい、忘れてしまいました」と。
いや、忘れている場合ではない。なんとか那覇行きのバスの出ているバス停まで戻るしかない!
というわけで「おそらくこっちのほう」にあるんだろうと路地裏に入り込み、「おそらくあっちのほう」に行けば辿り着けるんだろうとくねくねと突き進む。アバウト無間地獄。いつだってそんな感じで乗り切れてこれた、今日だってきっと乗り切れるだろう。やっぱり私の座右の銘は「私は今まで何度も失敗してきた。これからも繰り返していくんだろう」(byルー・バーロウ)なのだ。
そんな風にくねくね進んでいくと、ドアを開けっ放しにした民家の前を通りかかる機会も少なくなかったんだが、皆決まって不思議そうに見てくる。ここいらの人ではないからな。
そしてそんな民家とともに並んでいるのはほぼ廃屋と化しているコンクリート剥き出しのビル。バスから見たモノが身近に感じられるのは不思議な光景だ。沖縄であっても、街中であっても過疎化は深刻だ。現実は全然美しいものじゃない。荒んでいたり、朽ち果てていたりもする。でもここは、そんな具合も含めて、まるで30年くらい前で時が止まっているようなのだ。
実はこの日は、ほんの少しだけ那覇の新都心にも行ってみたのだけど、つまらないのなんのその。本当の沖縄はきっとこういうところに行かなければわかるまい。ありきたり過ぎて、通り過ぎてしまいそうなところ。でもなくなってしまうとなんだか切なくなるようなところ。私はそういうところがいとおしくてたまらない。
沖縄だけじゃなくて、日本のどこに行ったって田んぼの真ん中をぐずぐず歩いたり、山間の、民家と民家の間にある細い坂道を下ったり、シャッター閉まりっぱなしの商店街を通り抜けたりしないとおもしろくないと思うのです。
すなわち「どこに行っても歩きっぱなし」ということなんだけど。
永遠の「踏み出せば、その一足が道となり、 その一足が道となる。迷わず行けよ、行けばわかるさ」気質。

ほとんどの店が開いていない商店街を抜けると、バスが通っていた大通りに戻ることが出来たのでその道を歩いて戻っていく。
こいつがしんどかった。ものすごい坂道なんです。まさに心臓破りの坂!
しかも未だカタブイ中。雨ザーザー。
そして当方はゴム草履なのであった。劣悪環境。
当然ながら他に歩いている人はいないので渋滞した車道から投げかけられる視線がやや痛い。「なぜこんな雨の中を・・・?」と思われてたんだろう。私だって知らないさ!
しかしこれまた道脇の建物や看板なんかを眺めながら歩いていたのでなんとか乗り切る。
極真カラテはどこに行っても見る看板だなー。
なかでも一番興味を惹かれたのが、一見ただの老朽化したビルだと思っていたのが映画館だったこと。
外から見たところ、単館系映画のポスターが貼ってあったのでへーこんなところにも単館系映画館があるんだなと思っていたんだけど、あとから知ったが実はその映画館「コザ琉映」は歴史ある成人映画上映館だった。成人映画って感じはみじんも感じられなかったぞ。これはおもしろいのでもう一度コザを訪れることがあるなら立ち寄ってみたい。

そんな感じに歩いて歩いて上って上って、やっとのことで
ちょっと繁華しているところキターーーーーー (゜∀゜)ーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!
コザではなくゴヤというところであった。
・・・。そりゃーわからんよ。
確かに外人率は高い。が、基本的には先ほど歩いたあたりとなんら違いはない。
きっとこのあたりの裏道に入れば、「日本にいながらアメリカにいるような気分」に浸ることが出来たんだと思う。


もう十分歩いた。
これ以上は必要ないかな、と思った。


すぐ後に来た那覇行きのバスに乗って戻った。
宜野湾に沈む夕日が真っ赤で、その時ようやく時間の感覚を思い出したような気がする。
国道58号線はやっぱり渋滞していた。




そしてまだまだ沖縄編続く


余談
後日、テレビを見ていて「あーコザ独立国ってことはてるりん館があったのか」ということを思い出す。
リサーチ不足。行けばよかった。
まあ、そのへんは次回のお楽しみにとっておこう。成人映画館も潜入したいしな!
あと北谷とコザは全然隣町じゃありませんでした。知らなかった。今日は九州・沖縄地図でも買って帰ろうかな。
2005年09月25日(日)

なんだったんだ?オギナワ6days 2日目

ヘッドマスター・リチュアル症候群!
ヘッドマスター・リチュアル症候群!
ヘッドマスター・リチュアル症候群!

「家に帰りたい、こんなところにいたくはない」
と継続的に思ってしまう病気のことです。勝手に名づけたんだけど。スミス聴きすぎで。
まさに、ここ最近の、会社に来てから帰るまでの私でございます。
今もそのフレーズに囚われっぱなしだ。単にフジロックとか東北出張から帰ってきた後の無気力感がずっと続いているだけ、沖縄から戻ったら治るんだろうと思っていたのですが、そうでもないようです。


隣のジジィが心底ウゼェわ。


私は潔癖症ではないけれど、最低限の清潔基準はなんとかしていただきたい。とりあえずズボンに両手を入れてその手で受話器や人のボールペン触るのやめれ。
汚ぇよ。

気を取り直して沖縄記。
そんなじじいを見ながらこれ書いてると、衝動的に会社辞めたくなるな。



2日目
晴れ渡る空、澄み切った空、一点の曇りもない空、などなどの表現が過不足無しに当てはまるほどの快晴。
これは日焼けやばいだろ、と思うとついつい日焼け止めを塗りすぎて顔が真っ白になる。
南国でこの顔の白さはないんではないのか、これじゃ病人だ、と苦笑いでホテルを後にしたのだが、心配は無用であった。
ちょっと歩くだけで汗が吹き出て、その汗で日焼け止めが流されてた。9月中旬とはいえまだまだ真夏なんだな。

午前中は海を見て、町を歩いて、路地裏に腰掛けていろんなことを考えていた気がする。よく覚えていない。覚えていないくらいがちょうどいい。

だが午後になるとさすがに暑くてたまらんので翌日から最終日まで泊まる宿に移動。場所がいまいちわからなくてうろうろとこれまた歩き回る。歩き回るのはいいのだけれど、いかんせん荷物が重いのでだんだんしんどくなるのだ。持ち手のところがどんどん肩に食い込んでくる。
重い。暑い。もう限界。
と思ってる矢先に滞在先発見。荷物から解放されると、横になったりごろごろしたりしていたんだがいっちょ映画でも見に行くかーと重い腰を上げて出発。

暑さの中足を引きずりながら桜坂に向かって歩いていたら、うちなーの青年がモゾモゾしながら「あ、あの、ちょっといいですか?」と声をかけてきた。いつもならそのまま通り過ぎるところだが、沖縄に来て気がでかくなっているのでその場でだらだらと話をすることに。うちなーんちゅじゃなかったら話してなかったであろう。うちなーんちゅはオドオドしているのがおもしろい(みやらさん曰く「気が小さいから」)。
話しているうちに「僕・・・バイクなんで首里城に・・・でも行きま・・・せんっか?」とこれまたオドオドと言われた。なぜずっとオドオドなのに声かけたりしてんだ、すげーな。私だったら自信なかったら声かけたりとかできんけどな!
「何言ってンだバカ」と蹴散らすのもアリだったのだけど、そういや私って首里城行ったことないんだよなーと思い、しかももうこれ以上歩くのもしんどかったので、これは渡りに舟。連れてってもらいました。
が、ここで問題。

俺、バイクに乗ったことがないのだよ。

バイクとは無縁の人生を送ってきたもので。
バイクの後ろの席なんてハナっから問題外。
「特攻の拓」は好きだったんだけどなー紡木たくみたいな少女漫画的恋愛したことないしなー

そんなわけで「バイクの後ってどうやって乗るの?」などというとんちんかんな質問をして、普通にまたがればいいとのことなんでよっこいせと乗ったとこで出発。
乗った瞬間から風が一気に吹いてきて気持ちいい。
バイクって案外いいものなのですね。知らなかった。
特に渋滞に次ぐ渋滞の那覇市内はバイクがぴったりだ。坂道も多いからな。
そりゃチャリンコの人を見かけない土地なわけだよ。
すっかり「ひゃー」だの「おおー」だの感嘆してしまった。バイクイイ!俺も乗りたい!(すぐ感化される)
バイクで坂道を登っていくと自然に眼下に那覇の町が広がっていく。こいつは気分がいいな。沖縄って高低差が大きいのだね。

感心をしているうちに首里城到着。
しかし、バイクは首里城前では止まらず、スルーしていきやがった。
なんだそりゃ。
「横にもっと見晴らしいいとこあるさ」というわけで小高い丘のようなところをわっせわっせと登ったら
なんという絶景!
高い建物がないから空が大きくて素晴らしい。大きな空の下に町が密集してて、その向こう側に海が広がっていると言う、島ならではの光景がそこにはあったのだった。
町を見下ろしていて気づいたけれど、沖縄の墓は大きいよなー人が住んでいるところのすぐそばになんのためらいもなくあるよなー。あまりにも堂々とした佇まいなので内地で見る墓地のようなうすら寂しい、というか肝が冷える場所と言う感じが全然しない。
ふわーっと見ていた後は談話をしていたのだけど、
「ナンパってどれくらいの成功率なのか?」
「ナンパのコツってどんなもんなのか?」
「なんでわざわざ地元から2,30分もかけて那覇まで来てナンパをしに行くのか?」
などの質問を繰り返し(オドオドしてるのでどんなもんなのか余計知りたくなる)、
挙句の果てにはフェチ話に発展し
「私が今まで聞いた中で一番理解しがたかったフェチ箇所は『鼻の穴』」
と言ったら完全にひいちゃってました。
すまなかったな。まあ、私はおもしろかったからいーや。

すぐ近くに瑞泉酒造があったので見学をしたかったが、うちなー青年は酒がまったく呑めないというので行かず。なんだよー。てか、うちなーんちゅは皆酒豪なんだと思っておりました。そうでもないのか。


その後那覇市街に戻って、当初の予定通り映画を見に行こうと思ったんだがちょうどどの映画も見られない時間になっていた。
しかし落胆することなかれ。
映画館の上にレコ屋ハケーン。タワレコしか行った事なかったからこいつはありがたかった!さっそく入って物色。アナログがいっぱいあるのだけれど、アナログはなー持って帰ることが出来ないからなー。
どうしようか・・・と悩んでいた時に、ふと見ると倉地久美夫の「うわさのバッファロー」を発見。おーこれこれ。一気にアナログ買わなくていーやという気持ちになったのでレジに持っていったら、店長さんが「あれ?こんなのあったの?」と呟きながら棚に戻っていく。
何がなんだかわからぬまま店長の帰りを待つと、
「これ、最近リマスター盤が出たんですよ。旧盤もウチに置いてあったんだ、知らなかった」
といってリマスターされたほうの「うわさのバッファロー」を持ってきてくださった。へええ、リマスターされてたのか、知らなんだ。
再発盤は2500円で、旧盤のほうは2800円。「こっちのほうが300円くらい安いですけど」と再発盤をすすめてもらったが、選んだのは旧盤のほうでした。
だってそれは廃盤になってしまうのだからな。
「倉地久美夫、いいですよねぇ」「私ライブ見たことがあるんですよ」なんて会話を交わすことができるのも、こういうレコ屋の特典だなあ。
スタンプカードを作っていただいた。また来よう。


そんなこんなのうちに時はだらだらと過ぎ去り、気がつけば夜。
夜になれば飲みに行くのはこの町の暗黙の了解か。というわけで本日も飲みに出かけて、またもや前回飲んだ方々に再会できて光栄でございました。
しかし水曜なのに観覧車は満席ときたよ。すばらしいね。県警の人が横で飲んでたので補導歴アリなわたくしはヒヤヒヤしましたよ。おもしろかったけど。
そいで久々に那覇の酒屋の社長さんにも会ったのでまたもやおもしろい店に連れて行ってもらった。
今回一番ビックリだったのは、社長さんに「男だけじゃ入れないという店があって、気になってたんだけど入れなかった。ので、行こう」と言われて連れられて行ったところが

ホストクラブ

でした。
沖縄にもホストクラブがあったのかよ!
私も社長さんもポカーン。何がなんだかようわからん。
まず、沖縄なのにスタッフが全員関西人。ここは一体どこなんだ。ミナミか?キタか?
わずかに一名、顔を見れば一発でわかるうちなー男子がいたけれど。
そして関西人な彼らの源氏名がこれまた「信長」や「秀吉」ばかりときた。
ノブナガにヒデヨシって、なんだか名古屋の放送局みたいな源氏名だなあオイとその場に居た誰にも理解不能なツッコミを思わずしてしまった。
しかも信長って人は「僕、信長のモノマネできるんです」と言って、誰も見たことのない想像上の信長のモノマネをしていた。
よく覚えてないが「わしゃー天下の信長よ、ホッホッホ」みたいな感じ。
・・・・・
ああ、こういうのがホストクラブ芸なのか。
間髪入れずに「まあ、誰も実際の織田信長に会った事ないから似てるかわからないね!」
とあしらってしまった。ホストクラブの常連であれば「似てる〜っ!じゃあドンペリ入れちゃう〜っ!そのかわり同伴!同伴!」というノリのよさを発揮するんだろうけど。

もうずいぶん飲んでいたし話し疲れたし時間も4時を回っていたしという具合だったのでそろそろ店を出ようかと思ったところ、そんな時間なのにホステスらしき女性が入店してきたのにはたまげた。すぐにソファーで女性を囲むようにヒデヨシやノブナガが座っていたけれど。三英傑を従えるホステスの夜はこれからなんだろう。たぶんすぐに日が昇るけど。

店を出て社長に「私、そういやホストクラブ初めてきたよ」と告げたら
「僕もさー。ホストクラブだとは思わなかった」
と言っていた。
お互いぐったりしてた。真っ白な灰のように燃え尽きていた。
ホストクラブは疲れる。あれに癒されるって、相当タフな女性でない限りムリだろう。
と、なると沖縄の女性はタフだから、もしかしたらホストクラブは需要があるのかもしれない。
後日みやらさんに話したら「いいとこに目をつけた商売だ!沖縄の女性はホストクラブ必要!気が小さい沖縄男より関西の男のほうがいいだろうしね!」と言っていた。

関西商人は目の付け所が鋭いんだなと思った。



全然観光は皆無なまま沖縄滞在記はつづく
2005年09月21日(水)

なんだったんだ?オギナワ6days 1日目

先日、ハイドパークフェスティバルで細野さんを拝みました。っていうのは先日書いた通りなわけなのです。

その日は運悪く、大雨どころではなくて、集中豪雨。シャワーなのかと思いましたよ。。バッドドリームシャワー。カッパを上下かぶってひたすら耐える。耐える。耐える。靴なんか履いてたらすぐに靴下までぐじゃぐじゃになって、これは靴を履いている意味なんて皆無だな!
なんなら脱いでしまえばいい。裸足で水溜りや濁流になってる排水溝に流れる雨水の中に入っていった。水溜りはちょっとした池と化しており、リュックや敷布などの荷物がプカプカ浮いている。
岸辺のアルバムのようだ。
が、そんなのを救出する余裕などない。雨に打たれながらじっと座るのみ。ああ、遠くでムーンライダースやってるなぁ・・・雨の音でなんも聞こえないけど。鈴木慶一の白髪頭が見えるだけだけど。
このままだと滝に打たれた修行僧のようだよ、悟りを開いてしまうよ。
細野さんどころじゃないよ。
にしても寒い・・・


と言う具合だったのですが、細野さんのライブ時には雨がやんだのでした。
細野マジック!オーケストラ!


「ろっか・ばい・まい・べいびぃ」は朦朧とした中、ゆったりと始まったのでなんだか夢の中で聴いているような心地だった。ここはいつなのか、何処なのか。さっきまで雨が降っていたのは現実なのか。いや、雨が上がったというのが妄想なのか。目の前にいるのは本物なのか。聴いてる私が偽者なのか。
そういう境界線が全部ぼんやりするようなよくわからない感覚。
二曲目の「僕はちょっと」もそんな感覚のまま耳にじんわりと入ってきた。
ひなたぼっこでもしていきませんか、という語りかけに体が痺れて
散歩がてらにあるきませんか、という語りかけに脳が痺れて
ここらへんに住みつきませんか、という語りかけの時には目頭が痺れて
涙が出てた。
雨はもう止んでるんだった。すべて現実なんだ。
なんかもう、いてもたってもいられない気持ちに駆られる。じっと立ってるのすらもどかしい。でも歌を聴きたくて聴きたくて、この場から動けそうにもない。
それは多分、30年前の細野さんがうらやましくてしょうがなかったからだ。
「夏なんです」「恋は桃色」に詰まった30年前の日々。
30年前の細野さんはあんまり私と年が変わらなかったはずのにな、なんなんだ私の何もしていないぶりは。
ここがどこだかどうでもいいことさ、と思える場所すらないじゃないか。
ああ、悔しい。心底悔しい。
そして小坂忠を呼んで「ありがとう」を歌う今の細野さんもうらやましくて、素敵で、ちくしょーめ、くやしいなーと思わされた。
なんかしなくっちゃ。こうしてる場合じゃないな。
帰り道、「ああ、こんなところにいる場合じゃない!」というのを何度繰り返したことか。同行した友人が手を余してた。
再び大雨に見舞われて電車止まってその場に居ざるをえなかったが。



というわけで
9月13日の午後8時、近所で開催のイアン・マッケイLIVEを見に行かずにANA便最終で沖縄に行きました。



前日に準備をしておけばよかったのだが、前日は接待(苦痛以外の何物でもない)だったので何も出来ず。定時で退社して走って家に帰り、一気に準備して家を飛び出す。
沖縄行きの最終便は、サラリーマンで埋め尽くされていた。隣の席のサラリーマンのイビキが煩くて頭をガーンっと殴ってやりたい衝動に何度も駆られる。ヘッドホンをすることで事なきを得たが、一難さってまた一難。

このオッサン・・・
足臭いよ!
死ぬほど臭いよ!

以前、ブリトニー・スピアーズが足が臭くて飛行機内で嫌がられたというニュースがあったけども(ここ参照→http://abcdane.net/blog/archives/200412/brit_kusafeet.html)
私も訴えたらスチュワーデスがどうにかしてくれたんでしょうか。それくらい臭かった。有毒だった。
気分転換に読もうと思った本が、本来読むはずだった本じゃなかった(慌てて荷物を詰めたので、本カバーの下まで確認しなかった)ことだけでもがっかりだったのに!くそ。しょうがないのでふて寝。



寝ている間に飛行機は那覇についていた。着陸寸前に気がついたので、夜の空港のキレイさだけは堪能できたのだった。
まっすぐな道に等間隔で光るライト。ライトの間に浮き上がった道に飛行機がズサーっと降りていく。
2000マイル飛び越えてまたまた来てしまいました。

南国の空気がもあーんと・・・なんて浸っている時間はなく、駆け足で空港の外まで出てすぐタクシー乗り場へ。
なぜならば!9月13日火曜日は!
ここ2ヶ月の私の支えであり、最後まで「夏休みは沖縄行くか、それとも・・・」
と私を迷わせた愛媛県は松山が舞台のドラマ「がんばっていきまっしょい」の最終回放映日だったのである。
がんばっていきまっしょいは夜10時から放送。
私が那覇空港に到着したのは夜10時40分。
こーれーはイカン。一刻を争う状況ではないか。荷物をほぼ担いだ状態で駆け込んだ近距離タクシー乗り場は・・・
行列ができてやがる!
サラリーマンども、どきやがれい!
と蹴散らしたくてたまらなかったが、トイレをガマンしている人のようにそわそわしながら待つ。いらいら。せっかちですから。
が、思ったより待たずに乗車。一路ホテルに向かいます。
鍵がなかなか開けられなくて、髪の毛をむしりたくなるほどイライラしたが、なんとか入室できたのでこれまた駆け込み、荷物も置かずにテレビをつける。
しかし、ここに大きなワナが潜んでいるとは、思いも寄らなかった。



しまったー!
沖縄のテレビチャンネルがどうなってんのかわかってねー!



前回、前々回の沖縄滞在時はほぼテレビを見ていなかったのだった。
しかもホテルのカウンターでもらえるはずのテレビ欄一覧表も貰ってこなかったし。とりあえずガチャガチャとチャンネルを変え続ける。けど6チャンネルがアーミー向けチャンネル(全部英語)であること以外全然把握できねー!
ガチャガチャ変えている間に3つくらいの局が民放であることはわかってきたのだけれど、一体どれがフジテレビ系なのかわかんねー!

ここでふと気づいたのだけど、
地方局が東京と同じ時間帯に放映するとは限らないわけで、実際にどんなにチャンネルを変えてもボートを漕いでいる少女たちの姿は映っていない。
あ、これは、別の日に放映なのだな、と思ったら一気に気楽となる。
さっきまでの焦りっぷりから一転、風呂入って汗流して(無駄に動き回ったので汗だくだった)、余裕しゃくしゃくな感じで「観覧車」に行きました。


今回は「沖縄行くよ」と告げずに訪ねたので、それはもう驚かれたなんてもんじゃない。そらそうだ。ふらっと来るような距離ではないからな。
それでもママさんだけではなく前回も飲んだ女の子、まきちゃんがいたりするからこの店はいい。逆を言うといつ行っても見知った顔があるからふらっと来ることができるのだった。
ああ、沖縄なのにゴールデン街あたりっぽい気軽さ。
所要時間3時間弱の行きつけの店。
で、今回は滞在が長いもんで、こりゃーボトルを入れるしかないと早速ボトル入れました。
瑞泉のイエロー。こんなの出てたんだ知らないうちに。
なんだかラベルがおしゃれだなあと思って飲んでみたら、普通の瑞泉を遥かに凌ぐまろやかぶり。これは女性受けよさそう。カクテル飲むより数千倍いいよ。
なぜならおしゃれだから。
「おしゃれな島酒」
って書くと、矛盾を含んだ言葉のようですが。

そんなおしゃれな島酒を飲み始めると、前回来たのが6月で今回は9月だから、3ヶ月のブランクがあるのだけれど、なんだか時間は関係なかったかのように普通にさらさらりと話が進んでいく。今回初めてお会いする人も交えてぽんぽんと話が弾んでいく。
こういうのがいいんだよね。だから来てしまうんだよね。
その初めてお会いした人が強烈なキャラクターで、なぜか周恩来は神!という話を繰り広げていた。正直、周恩来のことはよくわかってなかったのだけど彼の周恩来に対する敬意だけは、伝わったような、伝わらなかったような。まあ、酔っ払ってましたから。

その日は2時くらいまで飲んだんだったか、そこでお開き。
帰り際に流れていたバービーボーイズがやたら印象的。
ホテルに帰ってもうこのまま寝てしまおうと思ってテレビをつけたら、





「みんな〜!がんばってーいきまーっしょいー」と叫ぶエツ姉、いや、鈴木杏が!






なんで夜中にドラマの最終回を流すのよ!沖縄テレビ






一気に酔いがさめた。
うなだれて、ああ、違うとこ飲み直しに行ってしまおうかという自暴自棄な考えも頭を掠めたが、うなだれているうちに就寝。
これが夢だったらよいのに。バッドドリーム。


それでも沖縄滞在は続く。


追記
沖縄テレビはフジテレビ系のチャンネルなのに日本テレビの番組とかも流してるんだな。知らなかったス。
2005年09月20日(火)

夏の北国行きで・・・ ワンモアタイム

↑この「ワンモアタイム」は山崎まさよし(なで肩)ではなく、マシュー・スイート風でお願いします。100%ファン。

すっかり仙台→一ノ関→水沢の旅は終わったかのような記述をしておりますが、
実はまだひっそり続いておりました。
というか今も東北にいるんだぜ。










嘘です。東京におります。
それはともかくとして、日曜日

寝たのが午前5時過ぎだから起きたのは昼前でした。
そのまま帰ってもいーやとも思ったけれど、北上まで出て電車運行情報を見ていたらふたつの選択肢が。

1.花巻から釜石へのローカル線旅
2.北上から横手へのローカル線旅

私は新幹線ハイテンションの女(月に一度は新幹線に乗らないと、月経並みにホルモンバランスがおかしくなる/もっとも、2ヶ月3ヶ月平気で生理がこなくなる生理不順だけどな、ガハハ)なのですが、ローカル線も愛してやみません。
むしろローカル線に乗ったほうがテンションが上がるかもしれん。
峠を越える時に鳴り響く汽笛の音に奇声上げたりしたくなる。実際上げたらとんだ迷惑ですが。トンネルという暗闇を抜けて眩しい光が視界いっぱいになる時の解放感に心ときめく。ローカル線が俺のフロア、朝まで踊っていたいぜ、てな具合だ。(ってそれじゃ夜行列車だけど)
釜石線つーと、小学校の時に歌わされた「ぴかぴかぴかぴか田んぼの雪が光ってくる〜」という「岩手軽便鉄道の一月」を思い出すのです。その岩手軽便鉄道てのが釜石線の前身だそうで。イーハトーブ。私は宮沢賢治の熱心な読者ではないので、それくらいしか覚えていないのだけど。あと宮沢賢治関連で知ってることっていったら
「花巻が産んだ二大有名人は宮沢賢治とオレ」
という伊藤政則の発言くらいか。
「世界の三大偉人〜ガンジー、キング牧師、池○○作」並みに恐れ多くもな発言だ。
釜石行って漁港を見るも一興と思ったのだが、かつて盛岡から宮古に山田線で行った事が頭を掠める。岩手って広いんだよな。海はせめてあと一泊ないとキツイわと思って断念。
つうわけで北上線に乗ることにしました。時間がちょうどよかったから。
あと行ってみたかったんだ「ほっとゆだ」。東北一週間の〆はやっぱり温泉でなくては。


北上線は二両編成の非電化鉄道。非電化路線だから無論ディーゼルカーなんですが、ディーゼルカー乗るのは初めてかも。って山田線もディーゼルカーだったわ。舌の根も乾かぬうちに。
町は田園地帯に、田園地帯は山々に、というように緩やかに変わっていく車窓の光景。もう木々は緑から赤、黄色、茶色へと変色しだしている。すっかり秋だなあ。
などと優美に風景鑑賞などは実はしていなくて、これまた一番前に座ることが出来たので、前から車窓を眺めていた。そしたら女子高生が途中で乗ってきて一番前に立ってガリガリ君を食べてくっちゃべっていた。日曜の午後なのに制服でご苦労さんです、と告げたいところだが頼むからもうちょっと私の視界を広げておくれ。女子高生のフレームの中の線路をぽけーっと眺めることになってしまうではないか。
実際そんな感じでしばらく電車に揺られる。ものすごい鷲っ鼻の人がいたよ。あんな立派な鷲鼻見たことがない。すげえ。森の住人かと思った。

山や谷を越えてぐんぐん越えて、北上線のメインポイント・錦秋湖へ。
風景あまり見ていなかったといったが、それでも素晴らしい眺めの箇所がひとつだけあるのです。それが錦秋湖だ。
なんで湖の上を渡る列車っていいのかね。浜名湖しかり。



まあ、電車の外から見たほうが絶景なんだろうけども、車窓から見てもなかなかよいのです。そしてSLだと更に素晴らしかろう。デコイチ乗りたいなー
磐越西線や北上線乗る機会があるのに、なんでSLの日にはぶつからないんだろうか。俺なんかリアル星野鉄郎なのに。

錦秋湖を越えて、ほっとゆだに辿り着いたので下車。
なんだかんだで前日の酒にやられているので、駅前でぽけーっとする。
ぽけーっとしているうちに本来の目的を忘れて、駅直結の温泉に入る。
風呂の上に鉄道信号機があるのな!
あとどれくらいで列車がきますよーという目安らしい。もっとも、2時間に一本なので次に来る列車の時間はちゃんと覚えているのだけれど。
満足満足。
いや、本当は満足じゃねーな。
本当は砂風呂に入りたかったんだった。それを思い出したのは休憩所で横になっている時だった。だめじゃん。
風呂ハシゴしようかと思ったが、すぐに睡魔が襲ってきたので寝る。

そして元来た道を戻って北上着。
新幹線への乗り継ぎ時間が10分弱だったので、走ってホームに辿り着いたのだけどはやての通過待ちをしていたので焦ることはなかったらしい。なんだよー
まあ、走って乗り換えているわりには途中弁当買ってるのですけどね。
ロマン銀河鉄道SL弁当という駅弁。SL乗れなかったのだから、まあ、これでガマン。いくらやあわびやしいたけやほたてが無造作に散りばめられていて、どこが銀河鉄道なのかサッパリわからない。むしろ見た目悪。銀河の混沌を表現したかったのだったらあいすいませんだけど。


奥羽山脈一帯にかかる夕日が真っ赤で、それがまた北上駅からよく見えて、ああ、これから東京戻るんだなーと思うとやりきれない気持ち。
といっておきながら駅弁食べたら次に気がついたのは上野だったのだけど。
ワープしているような気分に駆られるね、毎度の事ながら。
仙台も岩手も最高だ!
みんな、最高だ!
と、駒大苫小牧林キャプテンのように叫んでしまいたい。
とくに岩手は、ホントにサブカルに強い土地だなあ!と思った次第。
私の知ってる岩手出身の人が皆サブカル寄りなだけかもしれませんが。


翌日はもぬけの殻でした。
浦島太郎みたいな気持ちになるのな、毎度のことだけど。
アイ・ドント・ライク・東京マンデイ




話はだいぶ変わるのです。
私が、ここ数年真剣に探していた増井修の行方が判明いたしました。
http://blog.goo.ne.jp/osamunext
ググったらすぐ出てくるんじゃン!なんでググらなかったんだ!
本屋に立ち読みしにいったけど、見つかりませんでした。
もう言うことはない。

あと大瀧詠一対談キター!
http://www.jasrac.or.jp/sakka/index.html


「今後の活動は−特にありませんね(笑)」
「だから、私はもう既にいないものと思っていただきたい」





まあ、もう働く必要ないんだろうな。


そしてJマスシス、ソロアルバムがイギリス盤で10月3日発売てのは嬉しい限り。
つーか公式サイトではもう買えるのか。チェック怠ってた。
チェック怠っていた、といえば
イアン・マッケイ!
なんで今日(9/13)にこんなとこでライブするんだよ!

9/13 (火) 東京:東墨田八広ハウス
◎ 開場 18:00 / 開演 19:00 / 前売:\1,000
共演:Z / ※要メール予約(grok21@hotmail.com)

しかも1000円て!
もっと早く教えてくれたまえ!キミィ!
今日は行けないんだよ・・・orz
2005年09月12日(月)

尻は桃尻、ふんどしは十人十色(夏の北国行きで 後編)

ここがどこなのか、どうでもいいことさ
どうやって来たのか、忘れられるかな

いや、そこが岩手の水沢であることはどうでもいいことじゃないし
どうやって行ったのかもしっかり覚えている。
そんな仙台→岩手編

土曜日
昼前に起床。
虫の声はすでにセミではなくすいっちょんだ。秋なんです。でも暑いンです。
ベランダに出てみると、おとといや昨日、台風だ大雨だ騒いでいたことが嘘のような快晴。
そうなると東京から引きずってきたビニール傘はいよいよ邪魔なだけなんだが、友人宅に置いていくのもなんなんで、片手にしっかり握ってお暇することに。

午後から用事のある友人とは地下鉄の最寄り駅で別れて仙台駅へ向かい、そこからさらに一ノ関行きのバスに乗車。
仙台から高速バスに乗るのは、主に山形方面への移動が多かったのだけど一関行きに乗るのは初めての体験だ。つーか一関行くこと自体が初めて。ウソ。一関は大昔に家族と行った事があったような。金色のミイラがいるのが一関ではなかったっけ?天国まで延びていくんじゃないかというほどべらぼうに長い階段と坂道を登っていった記憶がある。
暑い暑い夏の日、なんでこんなところを昇らなきゃいけないんだと憤慨したような、しなかったような。
まあ、
そこがどこだったのか、どうでもいいことさ。
どうやって行ったのか忘れちゃったし。


てなわけでバスに揺られて東北道を北上。
仙台から一関って、新幹線で3駅離れているから遠いものだとばかり思っていたんだけど意外に近いんだな。そして運賃も意外に安いんだな。
以前友人が仙台から古川まで高速バス乗ったら1300円かかったと言っていたので2000円くらいなんだろうと思っていたんだけど、1500円ポッキリ。そして1時間弱。新幹線や在来線で移動するのがあほらしくなるようなお値打ち価格だ。

一ノ関駅ではれこすけさんが待っていてくださった。ありがたや。
れこすけさんは一ノ関在住、アンガールズ田中似のナイスガイで、東京で赤犬ライブがあった時に初めてお会いしたんだった。
初めて会ったときはその名の通り「レコスケくん」バッグを持ってたなー
ライブ見に行った後の呑みで急にズボンとパンツ脱いで普通に日本酒飲んでてたまげた。「何故脱ぐの?」と尋ねると「あ、気にしないで下さい」などと言っていた。
気にしないわけがないだろう。その場にいた皆があっけに取られたもんだ。
その後、れこすけさんの奥さんであるmiuさんが車で迎えに来てくださる。

ん?こんな東北での光景、いつかもあったような気がするな。
そこがどこなのか、どうでもいいことさ・・・なんてすっとぼけてもしょうがない。
ああ、酒田でのまにさん夫妻と落ち合った時のことを彷彿とさせるんだ。

miuさんに送っていただいて「世嬉の一」の蔵へ。
蔵といってもそこで日本酒を造っているわけではないらしい。なんだかよくわからん。地ビールは敷地内で造っているらしいんだが。タダ酒呑んでからレストランに行き、さらに酒を呑むことに。
しかしタバコ吸っていたら「すいません、禁煙なんです。喫煙所は入り口だけなんで」と注意されたので、入り口に一番近い席に座って話、酒、ときどき、喫煙という具合に。なんだか家の中で食事してるんだけど、喫煙する時だけ換気扇の下に行くみたいな感じだな。
しかもこの世嬉の一レストラン、地ビールもあるというので頼んでみたらことごとく売り切れ。なかには「ビールサーバの調子が悪くて」今日は出せないなんてのも。もうちょっとしっかりしてくれい。
と、文句を垂れつつ飲酒。
れこすけさんは赤犬の会場でお会いしたのと、フジロックの時に人ごみの中から「ヤツザキさーん」と呼びかけてくださって立ち話をしたくらいしかなかったので、「なぜれこすけなんだろう?」と疑問に思っていたのです。
答えは簡単。
レココレ大好きレコードコレクターだったから。
それもビートルズはもちろんのこと、ニール・ヤング、スモールフェイシズやポール・ウェラー、13thフロアエレベーターズやホークウインド、そしてはっぴいえんど好きという・・・
あれ?こんな東北の人、他にもいなかったっけ?
それが誰だったか どうでもいいこと、じゃないわ。
こんなところも酒田のまに御大とかぶるなーホントに。

なぜ岩手にやってきたのかというと、この日は水沢にあるDeeDee'sCafeというロックバーでDJイベントがあるというからなのです。
タイミングいいよなーディーディーズ行こうと思ったらDJイベントやる日だっただなんて。
れこすけさんもDJとしてイベントに参戦するのでした。
音楽話をしていた時に、ぽろっと「私はwhoが好きで」と漏らしたら「ああ、じゃあ今日はフー回しますよ!」とのこと。
そしてmiuさんに電話して
「レコード棚の前に移動して。そうそう、フーのレコードあるでしょ、何がある?持ってきて!」
と頼む様は!
ああ、なんかこんなところも酒田の御仁ぽい!レコスケ遺伝子は全国に散っているのか!
世嬉の一レストランを後にして、れこすけさん行きつけの「やきとり道場」という店に行くことにしたんだけど(この時点で午後5時)、あいにく休み。
別の店で昔のロッキンオンとか増井修の話をしながら(こないだ大阪からやってきたオバ氏と新宿で飲んだときも増井話に花が咲いたんだった)うちに6時になったので店を出て、一ノ関から水沢に移動。
電車が1時間に一本なんですよ。
miuさんは具合が悪いそうで水沢に行けなくて残念。しかしmiuさんもギタポ好きの粋な女性だったんで、是非とも飲みたかった。フジロックに参戦し続ける夫妻っていいよなー。この勢いでフジロックに参戦し続ける家族になってもらいたい。苗場でそんな姿を見たい。

水沢に移動後はホテルにチェックインしてからいったんDeeDee'sCafeへ。
ここは前に来た街。12月末に出張で訪れたんだった。あの時はホテルにダニがいるわ変形金縛りにあうわ朝急に「作業終わり次第山形に向かってくれ」と言われるわ楽勝で終わるはずの作業が長引いてファミリーレストラン(という名の定食屋)でかき鍋うどん食べるハメになったわといろんなことがあった。
その時は寄れなかった、あこがれのサザンマンでも北朝鮮でもない、あこがれのディーディーズカフェ。
それは潰れたジャスコを通り抜け、前沢牛専門店を横目に進んだところにありました。
こんなところにロックバーがあったのか!ビックラ。
壁を埋め尽くすロックや映画のポスター群!
無造作に流され続ける昭和任侠映画!
ああ、なんで私は12月出張時にここに立ち寄らなかったんだ。わけわかんねえ。過去の自分を悔いる。
壁のポスターにマッドハニーが多かったのですっかり気をとられていたら、れこすけさんとマスターがやおら服を脱ぎだした。
そして現われたのは・・・


ふんどし締めた日本男児の姿ですよ!


そう、この夜のディーディーズカフェのDJイベントは、
「DJ全員がふんどし姿で選曲をする」
というコンセプトだったのです。
水沢は「ふんどしのメッカ」、蘇民祭開催地だからね!
蘇民祭の素敵な画像・映像はここ↓
http://wadaphoto.web.infoseek.co.jp/kisai_2.htm
これこそ「入れっこ吸いっこ」の祭典!うひゃー来年は行ってみてぇ。



ふんどし姿に目をチカチカさせながら、イベントが始まるまで再びれこすけさんと呑みに行く。
「水沢にもやきとり道場がある」ってんで行ったのだけど、これがまあ、店内が煙とコゲと油で真っ茶っ茶。カウンターしかない店なんだがそのカウンターの上にはどこで採ってきたのかさっぱりわからない、ものすごく巨大なハチの巣が何個もぶら下がっているし、今はもう動いていないような時計がいくつもいくつも置いてある。冷蔵庫にはテープで切り貼りした「おかげさまで42周年」という文字が。そのテープすらもすでに変色しているからな。一体創業何年なんだろうか。
そんな一筋縄ではいかない店だから、店のおやじも強力だ。コワモテの白髪頭を刈り込んだじいさん(推定年齢70代)。全身で「頑固オーラ」を放っている。手には木で作った硬球を握って投げたりしながら阪神戦を見ている。こえーなー。これは早々と店を退散させられるんではないか。
店に入った途端、れこすけさんのことをジロっと見据えていたから「ああ、こりゃほんとにやばいかも」と思っていたら、じいさんが口を開く。

「なんだー、アンガールズが来たのかと思ったよ」(強力な岩手訛りで)

!?

アンガールズ!

こんな頑固じいさんの口から出てくるとは思わなかった!
そうか、アンガールズってのは何処に行ってもどんな世代にも通じるのだな。ジャガジャガ効果は思ったより広い。
あとこの店で驚いたのは、頼んでもいないのに焼き鳥が10本近く出てきたんだけど全部同じ味であったこと。しかも焼き鳥の種は冷蔵庫の中に新聞紙が敷いてあって、そこに無造作に置いてあったものだった。
ここの壁にも蘇民祭の写真が貼ってあった。このじいさんのふんどし姿は強力そうだもんな。


ここがどこなのか、どうでもいいことではないので
水沢に行ったら「みちのくやきとり道場」行ってみてください。
常に阪神戦流れてるから。CMの間しか注文できないから。



というわけでようやくディーディーズカフェPresentsふんどしDJ祭り「熱帯夜」
店に戻るとすでにふんどしの人たちが増殖、マルチプライズしているのだった。
ああ、ついにふんどし祭りがはじまるんだ、とあらためて実感する。
ふんどしの人たちが何人も集まって、多少はお互いのふんどしを褒め合ったりするんだけど、おおよその部分では別にふんどしであることに関係なく普通に話し合ってる光景っていいですね。
ふんどしだけど普通に「あ、この曲いいな」という選曲をしていたりして、ふんどしであることに重点が置かれているようで置かれていないようで置かれている、という絶妙さがいい。
自然体としてのふんどし。ナチュラルふんどし。
これが高円寺だの吉祥寺だのでの光景だとサブカル臭プンプンで鼻につくだけなんだけど、ここだからいいのだ。
ディーディーズカフェも水沢にあってくれてよかった。東京にあったとしてもおもしれー店だな!と思うのだろうけど、水沢にあって、でもそれが水沢にあるということを関係なくおもしろい、いや、水沢にあるからやっぱりこの店はいいんだよ、という絶妙さが素晴らしい。
こういう書き方をするとディーディーズカフェとナチュラルふんどしがイコールのようですがね。
イコールはいくらなんでも、なんで「ディーディーズカフェはナチュラルふんどし色」くらいでまとめておこう。
そして(れこすけさんの)ふんどしはえんじ色。楽天カラー。
(マスターの)ふんどしはからし色。
他の方の赤ふんも決まっていた。

「今日は来れないかも」と聞いていたショウさんが来たのにはビックリしたけどよかった!
ショウさんと会うのは今年の頭以来。アラバキの時は私がヘタレで(寒いし眠いしで後夜祭不参加)会えなかったからなー。
久々にお会いしたショウさんが
「いやあ、これだけ皆ふんどしだと、自分も締めてくればよかったと思った」
と言ったのには激しく同意。ホントだよ。
まさかお客さんもふんどし締めてくるとは思わなかったよ!しかもひとりやふたりではなく!
そりゃーふんどし締めたくなるわ。ふんどし締めてない方がマイノリティになるところなんてそうそうないぞ。
ふんどしの締め間からのぞいた尻毛に嫉妬を覚える街。それが水沢。

そして時刻は11時を回るか、という頃に藤村さん登場。
思えば、夏の間に岩手に行きたいなと思ったきっかけは藤村さんから「夏にふんどし海水浴をやるんでよかったらどうぞ」というメールをもらったからだった。そのふんどし海水浴もディーディーズカフェ主催だったのです。
残念ながらふんどし海水浴は参加できなかったが、このふんどしDJイベントに来ることができたからいいのだ。
藤村さんも当然のようにふんどし姿でした。
格闘技で鍛えた体に、ふんどし。
抹茶に牛乳。小倉あんにマーガリンと同じくらいのマッチ感。
赤犬ライブの時もステージ上に登場した藤村さんは
「ボウズ頭、鍛え抜かれた肉体 プラス ふんどし、日本刀」
という三島由紀夫、いや盾の会を彷彿とさせる格好で現れていたのだけど、この人は本当にふんどしがよく似合う。
ミスターふんどしとかを決めたら、グランプリに輝くんではないのか。
ふんどしはネズミ色。
↑あ、これが一番原曲に近い言い回しだな。桃色のふんどし締めてる人はいなかったので。

そして藤村さんのレコードコレクションがこれまたすんごくて、シングル盤の山・山・山。
入手困難なシングル盤ばかりだ。さすが名盤解放同盟好き。
「何をかけるか決めてないんで、好きなのチョイスしてくれ」と言われたので適当に選ばせてもらいました。
いやー浮浪雲の主題歌(吉田日出子が歌ってた)や本宮ひろ志大先生の歌声が聞けて満足だ。
それにしても「お酒の唄」という唄がとんでもない名曲(迷曲?)でたまげた。酒の名前が次々に歌詞に登場。これは現代版に置き換えてもいけるんではないでしょうか。アントニオ古賀の「クスリルンバ」でもいいけど。
そんなバカレコードDJを聴きながらテレビで24時間テレビ。ちょうど「元気が出るテレビ」名場面特集が流れていてよかった。
電波少年も松村時代多めで流れてて、もう言うことはない。

このあたりから夜も大分更けていたので、80年代ポップスだの歌謡曲だので盛り上がる。
お客さんのひとり(当然ふんどし)がマイクを持って次々に歌っていくのですよ。で、この人のお尻がキレイなんだよなあ。ちょうどいいボリュームなんだけど締まっていて。
まさに桃尻。橋本治。ピンクヒップガール。ガールじゃないけれど。男だったけど。
最後にはその桃尻の方、いじみさんのふんどしが解かれていたけれど、前は死守していた。
その、むやみにずっぽんぽんにならない感じがまた絶妙に!だ。
大阪でストリップに連れて行って貰った時も思ったけれど、全部丸見えはよくないな。一部は隠れていたほうがいい。モザイクでもカスリでもいいけど、隠されたそこにロマンつーかドリームを持っていたいものである。



いやー来てよかったふんどしナイト、ディーディーズカフェ。
あまりに愉快だったので、そのまま「街で唯一朝5時まで営業」の白木屋(これも酒田っぽい)に行って
朝5時まで飲んじゃった。
もう朝4時40分頃になると
酔っぱらっていたので本気で思っていたような気がする。
そんなに綺麗に思っていたか自信はないが。酔っぱらってるだけだから。
ここがどこなのか、どうでもいいことさ
どうやって来たのか、忘れられるかな、って。



いやー今回も長いな。すんません。
しかも細野晴臣のアルバムばかりきいてたらすっかり水沢の思い出を細野色に染めてしまった。
ほんとはそれじゃいかんだろー
水沢っていったら江刺
江刺といったら大瀧詠一じゃないか。
細野色につけないでくれぇぇーという声(妄想)が聞こえてくるようだ。

2005年09月08日(木)

夏の北国行きでわしも考えてみたの(モテについて)  中編その2

ロケット・フロム・ザ・クリプト解散!!!!!!!!!!!
以前、ゲットアップキッズ解散なんでだよーと書いたけれどもこっちのほうが150倍くらい衝撃。いや、解散すると思ってなかったんだ。いつまでもいるもんだと思ってたんだ。ショーーーーック。
10月31日にサンディエゴのホテルで宿泊つきのライブがあるらしいが・・・・
サンディエゴってどうやって行くのだろう。どれくらいかかるんだろう。
というわけで調べてみた。

成田→サンディエゴ間 4万8500円

ぐおー想像していたよりも遥かに安いじゃねえかよ
今月、勢いだけでNYに行ってしまおうかと考えて調べてみたら5万9000円だった時も「意外に手の出せそうな金額だどうしよう」と慌てたんだった。それよりも安いなんて・・・行こうかな・・・museum of deathもあるんだよなサンディエゴ。柳下毅一郎が書いてた。それ以外に食指が動かないのが難点だが。ていうか英語どうすんだ。

柳下毅一郎といえば、今読んでる「ラッシュ」という小説がとんでもなくおもしろい。
前回の日記にもちょろっと名前を出してみたけど。氏が翻訳していたのを図書館でたまたま見つけて借りたんだけど、これがビックリするくらいのハードゲイの世界。濃厚。ギラギラ光る汗。どろっと垂れる体液。咽せ返すようなオスの匂い。湯気さえも上がる熱気。そんな空気が読んでいるだけでビンビン伝わってくる。「タクシーで移動するバイカー」「馬に乗らないカウボーイ」「逮捕できない警察官」「どこの部隊にも属さない軍人」たちの熱い,ショッキングな夜を「入れっこ吸いっこ」「情事のはざかい」などの秀逸な表現で綴る。
「入れっこ吸いっこ」なんて、そのまんまAVのタイトルにしてもいいくらいだもんなー。柳下訳がすばらしいのか。
ハイドパークフェスの時はなにかにつけてこの「入れっこ吸いっこ」と「このちんぽなめ!」ってのを連発してました。すっかり自分内流行語。
どんな時に使ってたのかっていうと
「雨降りすぎてウゼー、このちんぽなめ!」
「(細野晴臣ライブ時に必要以上にさわやかに騒いでるバカがいたので)あいつうっとーしー、このちんぽなめが!」
という具合。まあ罵倒する言葉の強調形てことで。
電車の中とか、公共の場では小声で言おう。
しかし、この「ラッシュ」、今はもう古本でしか手に入らないのかしら?
ジョン・レチー著、白夜書房刊




というわけでまだまだ続く東北・夏の陣。


金曜日
台風はすっかり通り過ぎたのか、別のところに行ってしまったのか。
とにかく起きたら雨なんぞは降っていないのだった。窓を開けると、むあんとした空気が入ってきただけ。台風が通り過ぎようと湿度はまだまだ高い。まだまだ蒸し暑い。
仕事は午後からだったので昼までゴロゴロ過ごしてから出発。
昼食をとりながらメール送ったり受け取ったり(この頃に「ラッシュ」に出会ってたら「メール入れっこ吸いっこしてた」という表現を使っていたところだが)したのだけれどまだまだ時間が余っている。

中古レコード屋に行ってしまいました。
4枚ばかり買ってしまいました。
これから作業だっつうの。邪魔になるってんだい。(アナログはホントに邪魔になるので買ってないが)

そして、作業。
滞りなく終了。


友人に会うまでに時間があったので、藤崎でかりんとうや煎餅をバカ買いして東京に送る。正確にはバカ買いではないのです、うちの会社内で「さがえ屋のだだちゃ豆せんべい」が流行ってるんです。流行らしたのは私だ。会社内東北出張王だから。
買ってきてくれと頼まれたのでしょうがないのだ。
そして友人を待つ間にまたしても中古屋。追加で4枚。
あほか。
しかも92年〜94年あたりのものばかり買う始末。どんだけ好きなのあの時代。
買ったもののうち3枚の解説が小野島先生だった。10年前の自分に自慢してやりたいよ。「オハイオから94年最大の衝撃」と銘打たれたゴッドアンドテキサスは今何をやってるんだろう。泥臭系アメリカンインディーロックは長年低迷気味ですね。ヘヴィでジャンクで土着的なロックの復権待つ!ってそれじゃただのアメリカンハードロックか。あとノヴァモブのアルバムは、当時、欲しかったけど中学生のこづかい制度が邪魔をして買えなかったんだった。やっと手に入れた、嬉しい限りでございます。
ああ、依田レモン、否、涎モンのポップな轟音ギターロック。これも土臭いと言えば土臭いんだけど。
アメリカのインディーギターロックはどんどんスマートでキャッチーになっていくけど、もっと土臭いバンドがあって欲しい。土臭いというか、洗練されないで欲しい。地方deロック万歳!
にしてもライナーでハスカードゥのことを「ヒュースカー・ドゥ」と記載されてるのは、ミュージックマガジンの影響なのかな。
Jマスキスみたいな。ポリースみたいな。



その後友人と合流。
国分町で行ってみたい店があるというので行ったんだけど混んでいたので違う店へ。ラウンジというかカフェというかなところでソファに座りながら「特攻の拓」の話などをしてたような。てんでおしゃれじゃねー。
そしたら合コン二次会です、といった10人組の男女が流れ込んできて友人がえらく「合コンの二次会にこんなとこに来るなんてどうよ?」と繰り返していた。なんでそんなに目を光らせるのか(私の座っている位置からはその10人組がどんな顔なのかわからなかった)と思ったら、中心人物の男性(20代後半)が普通のオシャレTシャツにオシャレ眼鏡なのに
顔が岸辺シロー激似
だったのだ。
「ああいう人はモテようと努力してはいけない。底辺を這いつくばって欲しい」
と力説する友人。
「亭主改造計画」のようなダメな格好の人がおしゃれに変身するのは、その時はいいかもしれないが元に戻るのだからまったく必要ないだろう。むしろ本人がヘンに「俺いけるかも」とモテようとするのはうっとうしい、というわけである。
これは私も同意だな。きもい男は変に努力なんかしてもきもいのだから、そのままでいいんだよ。と、モリッシーのように言って差し上げたい。「生まれた時から変えられないことなんだ、自分と戦っちゃダメだ、仲良くしろよ」とピート・タウンゼンドのように言って差し上げたい。
むしろ努力したほうがきもいから。
残酷なようだが、しょうがないのである。格好を改善しただけでは変えられない何か(モテ度数)がある。というかそこまでモテたいなんて思わなければいいじゃないか。
日本中にはびこる「恋人がいる人間至上主義」は本当に罪深い。
「ただの公認入れっこ吸いっこ」なのにな。ちんぽなめ!ですよ。

だから、ヲタクはそのままでいいんだ。いや、ヲタクはちっとも問題なんかじゃないんだ。本当に問題なのはヲタクではないけど気持の悪い男なのだから。「モテたい市場」をピラミッド型に表すと底辺を占めるあたりだな。おたくは別のピラミッドに棲息しているから。
だから、電車男ってのは別のジャンルからモテのところに転向してきたようなもんなんだな。小川直也、柔道から格闘技転向!みたいな。小原道由、プロレスからガリバーに転向!のほうが気の利いてる喩えかね。


何書いてるんだかよくわからなくなってきたが、その後二軒目に移動。
月曜日に行った沖縄風バーの「ForestCountry」という店。
約束通りに行きました。ゴーヤ炒飯ンマイ。泡盛も焼酎もンマイ。カウンターで他の常連さんたちも混じって話をしていたら、急に顔がとても濃い青年がやってきて三線で一曲歌ってくれた。曲名失念。そしてその青年は、一曲歌っただけで「ちょっと他の店に行くんで」と風のように去っていった。粋な流しのいる街、一番町。って、実際は流しやってないようだが。
「ForestCountry」はいい店だなーこじんまりしているけど居心地がいい。マスターがイイ味出してるんだよな。
東一市場内の店でございます。141や三越の近くなので、一番町に寄った際には、是非是非。
仙台地下鉄の終電時間になったので友人の家に急ぐ。
で、地元の駅に着いたらまた三軒目行ってしまった。3月東北祭りの時に行った店。
日本酒飲んで〆。
そして友人宅で「かまやつ女ダメ、ゼッタイ。」な話をしているうちに就寝。



土曜日からの話はまた次回。
日記がどんどん長くなっていく。なんとかせねば。
そして何書いてるんだかどんどんわからなくなっていく。なんともならんのか。
2005年09月07日(水)

夏の北国行きで 極上酒を呑みに行くの 中編その1

水曜は東京で仕事して、木曜日。

木曜日は台風が関東を直撃するとかなんとかで、大雨につぐ大雨。
あまり気にせずにいたんだけど、会社がなぜか4時で業務終了するという。台風で交通機関動かなくなるかもだから。家から会社までなんの公共交通機関を使うこともないわたくしにとっては単に「会社早く終わるぜやったー」という決定なんで喜んで家に帰ろうとしたところ、
「この台風、関東上陸して明日には東北に向かっていくらしいよ」
と言われて、ちょっと経ってから
「あ、私の移動と同じ経路じゃないか」
ということに気づく。
先日、地震で東北新幹線が止まったばかりなのでこりゃー台風もやばいんではないか。台風と地震は全然別物だが。災害というでかいカテゴリーでくくれば一緒かもしれないが。
そんなわけで一日早めに仙台入りすることにケテーイ。
気がつけば月火木金土で仙台という結果に。水曜日帰った意味がワカンナイヨ!
東京駅は台風の影響で人がうじゃうじゃ。やだなー新幹線激混みだったらと思っていたがなんとか席確保。
なんだかしらないがこの新幹線、仙台行きなのに空いているな。

と思ったら仙台行きの「各駅停車」やまびこに乗ってました。
なんだよ!
東北新幹線も各駅停車はこだまみたいな名前つけろよ!

そして宇都宮あたりまでは大雨降りまくっていたけれど、
福島以北は雨降ってないでやんの。ばかたれ。

仙台に着いてから知ったのだけど、東京駅が人いっぱいだったのは東北新幹線ではなく東海道新幹線が止まったからだったらしい。
・・・。まあいいや。


福島以北雨ふってねーじゃねーかよと思っていたけども、仙台は結構雨が降っていてジーンズびしょ濡れ。スーツ着てこなくてよかった。ゴム草履はいててよかった。
急遽仙台泊となったのでホテルがなかなか取れなくて苦労。なんとか取れたところはツインルームでございました。ああ、ツインルームをひとりで使うのはほんとに快適だ。この快適から抜け出せそうにないわ。
そして雨ザーザーだけど、翌日は作業午後からなんで今日はいくらでも飲めるぜということに気づき11時過ぎにのそのそと外出。
台風ボーナスの夜は!
国分町で飲みですよ!
国分町は雨だろうと台風だろうと人が多いのな。なんで多いのかと思ったらキャバやホストクラブの客引きが多かっただけだったけども。さすがは東北一の繁華街。雨にも負けず風にも負けず精神、ってそれは岩手だった。失敬。

店の外に一升瓶の空き瓶がたくさんある店があったんで、のこのこと入ってみたら日本酒の種類がめちゃくちゃ多い店で大当たり〜でございました。黒龍がやたらいっぱいある。純吟いただきました。
しっかりとした味が味蕾直撃。口の中にテロテロと流れていくミルフィーユのよな味の階層だな、と思ってたら説明文には「十二単のようなハーモニー」と書いてあった。そっちのほうが表現的にイイ。美しい。
黒龍は口の中に膨らんでいくとか広がっていく、というより伸びていくようなお酒だなー。
そこが龍たる所以なのか。
あと黒龍はラベルが麗しい。フェルト使ったりいろんな金糸が織り込まれていたりで、デザインというより素材に対するこだわりが、こんなところにも表面化しているのが、一本筋が通っているようで気高い。気高い酒ですよホント。
この店、よく見たら義侠が置いてあるのですっかり釘付けになってしまい、でも義侠を二発目に呑んでしまったら他を飲む気になんねーなーどうしようかしらと思ってたら、「義侠好きなんですか?」と聞かれ、「そうなんですよ、見かけたらまず呑まなきゃと思ってしまうのですよ」と答えたところ、お店の方が
「先日、義侠の酒蔵に行ってきたんですよ!そこで社長にお土産もらって・・・」
と出していただいたのが、なんとまあ、
義侠熟成酒「若水1993」!!!!!
12年モノの古酒でした。日本酒の古酒(正確には日本酒の熟成酒と言わねばいかんらしい)を見るのは由利正宗以来だなー。
もう色が、惚れ惚れするような琥珀色なのです。うっとり。
心底うらやましく思いながら眺めていたら、飲ませてもらえました。生きててよかった。


グラスに注がれた琥珀色の液体は、溶かされた飴のようにトロトロとしているのです。
長年眠り続けた酒は溶けるのだな、と思う。甘美な重みが重力に引っ張られてグラスの底に沈んでいく様は・・・棒で練った練り飴を口にする時のような興奮を抑えきれない。ああ、早く呑んでしまいたい。眠っている間に時間に練られて、凝縮された濃さを味わいたい!
以前書いたけれど、義侠は「ケンカ強そうな酒」「口腔でのふくらみが豪快」「ヒザ蹴り一発どしんとくる」酒なんです。だから好きなんです。甘い/女々しいを一切シャットアウトする酒、それが義侠だと思っておりました。頑なに信じておりました。
この熟成酒も、もう柔道十段とかの老人猛者のような酒だとばかり思っていたので、腹に力をこめて歯を食いしばらんくらいの、まるで猪木に張り手される前のような構えで口にしたのですが





若水は、いや、義侠は私の想像を遥かに超えた酒だった。
ああ、なんという甘さ!(「Ride on time」調)
衝撃である。目の前の酒がまぶしすぎて、また価値観がひとつ更新されて、頭や目の奥がチカチカする。
しかし、舌の上に転がるのはこのうえなく甘い液体。甘い露。甘い玉。珠のように甘美。
珠玉のような、とはまさに若水のこと。
懐深いよ義侠。玉のようなあなた。男の中の男てな感じなのに、女のような側面すらもあるなんて・・・女の如く・・・ボブディランのようだな義侠は。玉門すらも・・・とは言わないでおこう。ラッシュ(ゲディ・リーではなくジョン・レチーな)っぽくなっちゃうからね。





よく日本酒を別の食べ物の味に喩えたりすることがあるけれど、そういうものの半分くらいは「無理やり喩えるなら/あえて言うなれば」であることが多いのだけど(酒は酒だぜ)、
これはもう、自信をもって断言してしまおう。
べっこう飴が酒に化けたのだ。酒と結婚したんだ。酒がべっこう飴を産んだんだ。
台風のおかげで一日早く仙台きてよかった。生きててよかった、ホントに。
結構呑んだが(〆は義侠純米酒)安いお店で素晴らしかったです。店の方の酒好きな人柄が伝わってきた。
酒膳「Zeami」という店でございます。国分町に行った際には行くとよいよ。

そんな感じで気分が乗ったのでこの日は3時過ぎまでハシゴ酒。
台風の夜って楽しいのな。最高だ。


金曜日
翌日起きたら台風どこ吹く風でびっくりした。
皆が働いている時に昼まで寝ていられる喜び。
午後から仕事。ここからはまた次回の日記に続く。



話の時系列が完全に狂うけれども、9月3日4日でハイドパークフェスに行ってきました。
一日目はセンチメンタルシティロマンス(はいからはくちキター!!!!!)や鈴木茂(バンドワゴンの曲盛りだくさん)で盛り上がり、小坂忠にポワーン。なんというかっこいい御仁なんだ。
今や、時代は小坂忠か上田正樹ですね。どんだけああいう顔が、ヒゲが好きなのか。
でも最後に「セイリング」を歌ったのは、なんか蛇足。
会場の大部分を占める50代以上の方々にはたまらなかっただろうけども。合唱が起こってたからな。
二日目はサケロックに始まり、西岡恭蔵トリビュート、次は鈴木兄弟だと言う時に降り出した大雨。
ありえないぞあの豪雨は。でも鈴木弟はかっこいいんだよ。雨音でほとんど聴こえなかったが。
あまりの雨で洪水状態だったので(荷物が流されてた)、どさくさにまぎれて前のほうに行くことができて洪栄龍を間近にみることができたのだけど
「何の為に」が名曲すぎた。そして続く佐野元春。今回のフェスで一番踊ったけど4曲で終わったのには驚いた。
もっとやってくれよー。
そしてそして最後の細野晴臣は・・・ああ、書きたいけど、あまりに素晴らしすぎて・・・ああ・・・
一言で言うと羨ましくて悔しくて、いてもたってもいられない気持ちで胸がいっぱいになった。
私もどこかに行こう。こんなとこにいる場合ではない。
詳しくは後日書きます。
2005年09月05日(月)

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