股・戯れ言


BBS

贅沢しー・ゴーズ〜東海出張一日目

東北5日間の出張兼レジャーから帰って参りました。
呑んだ!食った!楽しかった!
が、今日書くのは2月の終わりにあった東海地方出張話でございます。
タイムラグが多い日記で申し訳ない。

というわけで東海出張。
以前の日記に

>来週は東海ツアーですよ俺。
>一泊二日で東海四箇所を巡る旅です。
>その4箇所が「四日市・小牧・岡崎・沼津」で1日のうちに2箇所を回らなきゃ
>いかんのだ。さあどういう組み合わせで回るべきなのか。
>これまた無謀なことを・・・どうなってんのだ一体。
>四日市・沼津と小牧・岡崎ってのはなしだからなぁ。
>でも、小牧岡崎間できっとあんまきが買えると思うと胸が弾むのです。うれ
>しくてたまらん。名鉄バソザイ!

と書きましたが、実際のところは2カ所しか回りませんでした。
なぜならば
・出張期間は2日間厳守
・作業は12:00〜13:00限定
だったからなのです。
つまり、どうあがいても2カ所しか回れないということ。というわけで先輩さんと半分ずつ出張に行くことになりました。
私がチョイスしたのは四日市・小牧の2カ所。
三重県にどうしても行きたかったんだ。これでワッキーに地名しりとりされても三重県の地名を言えるようになったな。もう地名しりとりやってないけど。

そんなわけで朝早くから一路名古屋へ。
しばらくぶりの出張だったので、浮かれ気分で選んだ朝食は新潟のどっかの駅弁である「小鰭寿司」。朝からどんだけ贅沢なんだ。
しかし実際は酢が効きすぎでしんどい朝食であった。
寝ている間に名古屋到着。ここから近鉄に乗り換えて目的地まで向かうのだが、近鉄の急行に乗るにはまだ早い。
そういえば、ケーブルが一本足りないかもしれないなぁ、とぼんやり思っていたので、駅前のビッグカメラへ。生活倉庫がビッグカメラに変わって、なんだよ変わってるんじゃねーよ需要ゼロだよバカ、とばかり思っていたんだがこの時ばかりは「ああ、ビッグカメラになってよかったな」と思った。
が、その思いはすぐさま消えた。
私が欲しかったケーブルはただのメス9ピン-メス9ピンのリバースケーブル(別にオス/メスでもいいんだが)だったんだが、探すのも面倒なので近くの店員に「どこにありますか?」と尋ねたら、そっから右往左往の大騒ぎ。
他の店員を呼んで、その店員が他の店員を呼んで、という具合になんだか大げさなことになってしまった。探すだけで15分以上。
なんとか見つかって事なきを得たが、最初から自分で探せばよかったわ。
なんて後悔してる場合ではなく、近鉄に間に合わないではないか。
急いで近鉄乗り場まで走るが、いかんせん太閤口から近鉄までは遠いのよ。
名駅内でカーチェイスばりに(車乗ってないけど)走り、なんとか辿り着いた。早く乗らねばー、と思ったところで切符を買わなきゃとまごまごしているうちに
乗ろうとしていた急行が走りすぎていく・・・!

やっちまったー!

久々に乗り過ごしである。しかも目の前で。
残されたおんなのむなしさといったら!

さてどうするか、と思ったらすぐ後に特急が出るという。正直特急に乗るまでもない距離なのだが、こうなったら特急で追いつくしかないわと思い、急いで特急券を買い求めいざライドンタイム。
そんなわけで口実つきだが、特急に乗ることに成功。しかし物凄く近い距離なので15分くらいで降りることとなる。もったいなかったかな、さすがに。まあ、私は新横浜に行くのに東京駅から新幹線に乗ってしまう女ではありますが。

しかし降りてみて更に失敗。
私の目的地の駅は急行/各駅しか止まらないのだが、特急停車の駅で各駅停車が待っているとばかり思っていたのだ。それが、乗り継ぎナシ。
すなわち、名古屋から特急の後に出た急行に乗れば一本で行けたということ。
特急代、ムダだったのかよ。
乗ってしまったものはしょうがない。気を取り直して、急行で目的駅まで。その駅に到着したら今度は乗り換えである。ローカルな私鉄に乗らねばならんのだ。なんだかとても関口宏の息子っぽいなぁ俺、などと思いつつ乗り換え。
幼稚園児がたくさん乗っておりました。
途中自転車を引いた人が電車に乗ってきてビックリした。そういうのもアリなんだなぁ、ローカル私鉄は。

到着した駅にタクシーを呼んで作業をする。
タクシーを待つ間に先輩から電話がかかってきた。
今回の作業は、
「機器にとある針金をとりつけること」
というマヌケ極まりない作業だったのだが、先輩の行った場所はもうすでに針金がつけられていたらしい。「俺、やることないやー」という声が聞こえてくる。うはー私もこんな遠くまで来たのにやることナッシングなんてことになるんだろうか、と心配しつつ現地入り。
私の行ったところは見事に針金ついてませんでした。一応やることがあってよかった。

その後、元来た道のりを戻って名古屋へ。
こんなふざけた仕事ではあるんだが、次の日も作業場所まで行かないと針金がついているかわからないので、帰ることはできないのである。
というわけで名古屋でホテルに入って別の仕事をしなければならないのだが、さすが好景気の名古屋。
ホテルがどこも満室なのである。
好景気とはきいていたが、この「名古屋無宿状態」にブチ当たるまで実感はなかったのだった。小牧まで行って泊まればいいじゃないかとも思ったんだが、小牧は小牧で満室という思ってもみない事態。
これはどうするべきか・・・いや、正確には満室ではないのだ。とっても高いホテルは空室があるにはある。けどもホントに高い。出張費は限度がある。
どうするべきか。

かなり悩んだ末に、もうこうなったら泊まってしまえ、飛び込んじゃいなよ!(同窓会風)と思って飛び込んでしまいました。
ヒルトン名古屋に。
作業員風情が泊まろうとは、ヒルトン姉妹も想像しなかったであろう。しかもそんなショボい作業のために!君はショボイ作業のために泊まれるか!(杉良風)
というわけで早速泊まってみたら、山形出張以来のツイン部屋。ヒルトンも満室に近い状態だったらしい。思い切って泊まってみてよかったわ、高いけど。
かなり高い階の部屋だったので景色もよいったらありゃしない。
そんなわけでしばらく仕事して電話して、いい塩梅の時間になったので大須へ出かける。
また靴買ってしまった!古靴!そんなに靴が好きか、俺。

で肝心のメシ。
出張時のメシはいろいろ大変だ。まあ、ひとりでフラリと入るのにももう慣れたわけだが、それにしてもどこに入って良いかわからん。
歩いているうちに外に「田酒」「三千盛」などの名前が書いてある看板の出ている店を見つけて、ああ!田酒!と思い、フラフラと入店。
これが当たりでした。なめろうやししゃもと一緒に呑む田酒や輝乃吟(辛口でスッキリ、むしろさわやかな酒だったな)は本当にうまかった。名古屋メシもあったことはあったが、それ以外のメニューがおいしい店でしたわ。
店の人と日本酒の話や名古屋の酒事情(名古屋は酒文化が根付かない場所らしい)、そこからなぜかドカベンの話になりマンガの話に発展し最後は音楽話となったのだった。名古屋のレコ屋を教えて頂いた。
ちなみに焼酎ブームの次に来るのはなんと「梅酒ブーム」だそうだ。
そうなのか、梅酒は想像してなかったわ。ビールブーム?とか勝手に思っておりました。

翌日の小牧編に続く


余談だが、サマソニのメンツはすごいことになってんな。
ティーネイジファンクラブ!!!!!!!!!!!!
トレント・レズナーもぎゃー!ヤッター!と思うが、俺は10代ファンクラブをちょうど見たいなぁと思ってたので嬉しい限りです。
あとクリス・ロビンソンは2年連続来日じゃないのよ。ていうかリッチ・ロビンソン!ミュージックライフの切り抜きとかいまだに持ってるハズ。
そしてT駄くん待望のLA’Sも来るとは思わなかったわ。
イアン・ブラウンもこっちだしな。
・・・行くかー。
2005年03月19日(土)

ストップ・滅入りing・センス

ゲット・アップ・キッズ解散
残念だな、勿体ないな。カヴァー曲のセンスがものすごく好きだったのに。
エモコアなのにニューオーダーにキュアー。そして当然のようにリプレイスメンツ、ピクシーズ。清い、彼らはとても清かった。
とりわけ彼らのリグレットは!
私も数少ないDJ体験の中でかけさせていただきましたわ。秀逸。ホントにいいバンドだった。
そんなわけでここ2日間ゲットアップキッズの「サムシング・トゥ・ホーム・アバウト」ばかり鬼のように聴いていたのだが、昨晩見たある番組がきっかけでその後はフェイス・トゥ・フェイスの秀逸カバーソング集「スタンダード&プラクティシズ」を聴いているところだ。

そのきっかけとなったのは「スーパーテレビ情報最前線」
途中まで、「ヨン様からのホワイトデープレゼント」というフレコミの映画「スキャンダル」を見ていたんだが、我が家の韓流どもから「この映画はヨンのケツ出すぎ。ウザイ」と非難が入ったので、適当に変えたところでぶち当たったのがコレ。その夜の特集は
「本当の自分を見つけられない女たち」
でございました。
ザッツ・メンヘルテイメント!
と、是非ともポール・ウェラーに声高に歌ってもらいたい。
メンヘルにもネットで書き散らすとか、虚言とか、被害妄想とかストーキングとかいろいろありますが、この特集で取り上げられていたのは「タトゥー/ピアッシングをする女たち」でございました。
そういや最近タトゥーを入れてる女の人って多いですね。フジロックなんかに行くと「君たちは普段、一体何をやっているのだ」と問いたくなるくらい刺青入りの人が多いからな。まあ、女性の刺青よりも、見える部分にも平気で刺青しまくってる若い男子のほうが不思議だ。ニートなんかよりはるかに不思議なので誰か生態を調べて欲しい。
彼らの収入源はどこなのかホントにわからん。どこで働いているのかもわからんし。働かないで親の金で刺青入れまくってたらニートよりタチが悪かろう。
それはさておき。
大阪のパニック障害の女の子(20歳)が、自宅から出ることができないので「これを彫ったら外に出る勇気が持てる」と言ってタトゥーを入れていたのですよ。
何かの行動のきっかけとしてのタトゥー、まあ、それ自体はいいだろう。きれいにまとまりすぎてる気もするけど。

しかしそこからは目を見張りましたよ。
彼女が選んだタトゥーの模様は、いや、模様じゃなくて文字は
「NAMIE AMURO」
だったのですよ。

今日びアムロて。

いや、アムロを否定しているわけではない。むしろアムロは昔に比べて今はとてもいいとすら思う。歌も旨くなったし何よりきれいになったしな。しかし何故「今日びアムロ」。ハタチの熱病にしてはアムロは時期がずれているのではないか。私が心配することではないが。
言うまでもなく、そのアムロはタトゥーなので消えないのである。
ピート・タウンゼンドに言われるまでもなく「一生仲良くやってけよ」ということである、腕のアムロと。
いつか絶対後悔すると思うのだが、どうなのでしょう。
母親も「それで病気がよくなるなら」とタトゥーを許していたが、まさか安室奈美恵と彫られるとは思わなかっただろう。
どうせ彫るならコンパスと墨汁で彫ればよかったのに、安室なら。

で、笑ったのが、安室の名前を彫ったらその子、外に出るようになってやんの。
そしてショッピングモールみたいなところでダンスしてんの。スマップ中居のような具合で。
「夢はダンサー」だって。なんだよこれは。
フィクションであることを切に祈る。あのタトゥーもきっと消えるんだよね?
ホントに彫ってないよね?

で、なんでフェイス・トゥ・フェイス秀逸カバー集を聞き出したのかというと、チョイスというものは大変大事なものだなぁと思ったから。
この子がアムロではなく違う言葉を選んでいたならば・・・でもダンサーで他の人物名が浮かばねぇな。サムとかカバちゃんとかマイケルしか浮かばない。そっちのほうが汚点になるわけだが。
タトゥーに限らず、カバー曲でも選ぶセンスというのは残るものとして大事だと思う。
フェイス・トゥ・フェイスはその点、素晴らしいセンスなのだ。前述のゲット・アップ・キッズ然り。「スタンダード・アンド・プラクティシズ」で選んでいるアーティストといったら!
ラモーンズ、フガジは彼らのパンク/コアスタイルからすると納得だと思うが、スミス!イネクセス!ポーグス!サイケデリック・ファーズ!あたりは唸りぱなしです。素晴らしすぎ。ジャーブレイカーにピクシーズにシュガーもさすがである。サイケデリック・ファーズなんかこのアルバム聴いて「いいバンドだな」と思ったほど。
さすがは名曲「ビッグ・チョイス」を歌っている人たちなだけある。
センスは本当に本当に大事なのだ。
私も仕事用ファイルにいろんなバンドのシールをべたべた貼ったりしているが、将来「これは貼らなきゃよかった」と後悔しないようなシールを選びたい所存である。
ブロックパーティ、恥ずかしいバンドにはならんでくれよ。2枚貼ってしまってるから。


ところで、明日から東北巡礼の旅なのです。
今回はすごいよ。北上→秋田→酒田→山形→仙台ですから。
ああ、こんなに東北回るのにまたもやノー青森だ。
いつになったら辿り着くのだ。
2005年03月15日(火)

ファンレターは恥ずかーDo!

時たま、無謀にもアメリカのインディーレーベルに直にメールオーダーすることがあります。
アマゾンで買えばいいじゃん、とも自分でも思うのだがそのサイトだけで売ってるCDとかTシャツというものがあったりするのでこればっかりはしょうがない。
まあ、単なるメールオーダーですから、クレジットでパッパと注文すれば一週間もすれば日本の我が家まで送られてくるわけです。
その際に、ごくたまにですが、親切なインディーズのレーベルの方などは「注文はこれでよろしかったか?送ったけど届いたか?」という旨のメールを送ってきてくださることがある。(機械的注文内容を送ってくるメールとは別にだ)アマゾンでも中古屋から買うとそんなメールが届くことはよくあることで、「無事届きました、ありがとうございました」というようなメールを返すわけだが、当然、アメリカのレーベルの方にも同じようなメールを返すわけです。
このメール作成ってのが、私の生活の中で唯一の「英語を使わなければならない機会」となる。半年に一回あるかないかくらいの頻度だが、これを書く時にいつもとてつもなく苦労をするわけです。
形式的に「ありがとうございました」というメールを返せばいいだけの話なんだが、アメリカのインディーロックにどうしても思い入れがでかすぎる(そしてアメリカインディーはレーベル至上主義)私は「気の利いたメールを返したい」と思ってしまうのである。
どんな見栄だよ。
と、自分で自分が呆れてしまうことしきりだ。別に普通のお礼メールでいいじゃねえか、と思うのだが、「ものすごくファンなのですよ」的な一言を気の利いた感じに添えたいと切望し、でもその「気の利いた表現がわかんねえ」と壁にぶち当たり、簡素な中学生英語的表現だとマヌケだなと気後れし、結局普通のお礼メールを返すことで落ち着くのである。
そしていつも後悔する。そしてすぐに忘れて半年後くらいに同じ苦労にブチ当たるのだった。

先日もメールオーダーをしたのですが、送られてきた品物というのがアーティスト直々に発送されたものでした。
しかもそのアーティストの方は、私が「私の座右の銘はこの人の歌詞のココなんだ」と思い続けてる(かれこれ9,10年か)方で、その喜びと驚きはハンパありませんでした。ああ、あのお方が俺住所を書いてくれている、「koto-ku」と書いてくれてるよ(郵便なんだから当たり前だが)、江東区はシャブ中が多い区ではないよ・・・この封筒は捨てられん、と浮かれ続けましたわ。
で、あまりにも嬉しいので感謝メールを出したいのだが、これまた気の利いたことを書きたいと思っている自分がいる。
ていうか、むしろファンレターを書きたいと思っている自分がいる。
ファンレター。こいつは「気の利いたお礼メール」より更に一段階上じゃないか。気の利いたことを連続的に書かなけりゃならないじゃないか。


で き る の か ?


あと、ぶっちゃけ、今までの人生でファンレターを出したことがないんだ俺は。ハガキ職人はやってたことあるけど。
世間一般ではファンレター>ハガキ職人なのだが、なぜかファンレターのほうが恥ずかしかったのです。今思えば伊藤政則にハガキ読まれていたことのほうが遙かに恥ずかしい過去なんだけれども。(しかもそれを偶然高校の同級生に聞かれてて死にたくなった)
ファンレターは一度だけ書いたことはあった。
スティーブ・ウィリアムスとゲイリー・オブライトに。
ああ、ありえない。俺、ホント、ありえない。
そしてこの時も「こんなの気の利いた手紙じゃねぇ」という理由で投函は断念したんだった。ああ、甘酸っぱい気持ちがよみがえってきたわ。
ファンレター界(どこにあるのか知らないが)ではとびきり奥手な俺。
でもまあ、せっかくの機会なのでファンレター処女は喪失してみようと思います。出してみる、ポストに入れてみるだからこの際はファンレター童貞を切るといったほうが適切か。
よく考えたら「処女なのに経験豊富を演出」みたいだもんな、気の利いたことを書こうとするのは。そんな桜井亜美の小説のようなことは極力避けたい。(ヴァージンエクササイズという小説を後学のために立ち読みしたんだが酷かった)

あともうひとつの心配としては、こないだ「FBI心理捜査官」を読み返した私が悪いんだがジョン・ヒンクリーという人のよな「ストーカーサイコパスなファンレターを書いてしまうんではないのか」という心配である。自分でも何故それが心配になるのかわからないが。何も考えずに「きみ、処女なんだろ?」とか書けるようなタマならばこんなこと心配しないんだろうけど。
まあ、それは大げさな話として、「英語手紙のルール」というのがいまいちわからないので、失礼に当たるような手紙/メールを書いてしまうんじゃないのかと思うのです。

ああ、でもホントどうやってファンレター書けばいいんだろう。
どうやって「君が恋しい」と留守電に言えばいいんだろう、ってフレーズはリプレイスメンツか。いや、留守電に吹き込むわけでもなく恋しいっていうほど萌えでもないんだけどさ。そもそもリプレイスメンツ、関係ないことこの上なしなんだが。
「俺は何度も間違いを起こしてきた、これからも繰り返すだろう」とはかの、私に直発送して下さったミュージシャンが歌ってました。それを英和辞典片手に訳してたのはおぼこな高校生時代のことだ。いまや時も流れ、英和辞典なんかどこ行ったかわかんねという状態だったのだが、本日は久々に「歌詞を訳す」という行為をやってみましたわ。
一曲で終了。
すぐに競馬に出かける始末。
課題曲はシュガーの「ヘルプレス」だったので比較的カンタンだったのだが、
「もう何度も何度も、君って頼りないなと思わされるわ/おまえ、全然ダメだわ」「今のおまえはダメ以下だわ」と訳していくうちに、ボブ・モウルド兄貴に説教されているような気分になりました。
英語の歌詞はいつもいろいろな真実を教えてくれるのだな。
そういう感謝を英語で書きたいんだけども、俺、英語に関してはホントにヘルプレス状態だからなぁ。なんとか抜けだしたい所存。
英語と日本語ってニュアンスが違うから、とても難しいなと思います。
そういや俺の日本語会話はほぼ「ニュアンス」「ベタなギャグ的言い回し(いわゆるもじりとか)」「勢い」だけで成り立ってるな。この日記の毎回のタイトルに特に顕著ですが。
英語にはそういうごまかしやギャグ的言い回しがきかないからな。
あ、ボブ・モウルド兄貴の「Boblog」というネーミングセンスは立派なオヤジギャグだとは思ってますけどね。さすが日本のプロレス好きなだけある。とくに好きなのは全日だったしな。三沢ファンか。
2005年03月13日(日)

ガイデッド・バイ・デカヴォイシズ

好むと好まざるに関わらず、神に与えられた「資質」があるとすれば私の場合それは
「声がでかい」
ということに尽きるであろう。
プラス太い。低い。響く。3Hである。
Hとはいっても決してHな声というのは含まれない。
プラスだみ声ときた。声のヘレンケラーと言っても過言ではない。
先日、別部署でお仕事をしていた際に電話が鳴ったのでとったのだが、相手の方が一発で私だとわかってました。こんなとこにいるはずもないのに(まさよし風)何故わかったのか?と尋ねたところ
「声が太くてでかいから」
と言われてなんとなく敗北感。なんとなく非クリスタル。
そして、昨日の晩、会社内線で電話をしていたら周りから
「ものすごく盛り上がってたね!」と指摘されること数多。
どちらかというとデリケートな話をしていたから小声のつもりだったのに。

声に関しては、大は小を兼ねない。
これは私が突き止めた人生の絶対真理である。

そして声の大きさが自分デフォルトとなると、小声でしか話せない(その人のデフォルトなんだろう)人間に関してイライラすることがよくある。
なぜかというと、自分の声の大きさ基準なので、耳が小さい声を感知できないようになってしまうからである。実際私はデスクの向こう側から小声で話しかけられてもその声が聞き取れない。「はぁ?」「え?」と聞き返すのだが、これは非常に感じが悪い。3回くらい聞き返すから。
なのでたまに聞き取れなくても「そうですねーアハハ」とか適当に返すのだが、
そうすると「俺の話聞いてた?」などと聞き返されてさらに感じが悪くなるばかりである。
最近は「つんぼなんでねぇ、すいませんねぇ」と言うようにしております。大体ドン引きされるけど。(でもつんぼって差別用語じゃなくて耳が遠いって意味だってあるじゃないか)

自分の声がもっと素晴らしかったら、などと考えることもしばしばだが、本来の声とは違う声を出すという発想は決してない。
女子の方々の中には「高音妙ちきりんウィスパーボイス」とか「ロリ声」を出すことに苦心している方がいるが、あれは明らかに地声じゃないということがバレバレなのでやめたほうがいいんではないか。
というか高音ウィスパーボイスって声の中では「美人」に分類されるのでしょうか。私が思う声美人は、いわゆるラジオドラマでも通用するような凛とした声である。すなわち聴き取りやすいことが必須条件となる。(これには話し方の技術も携わってくるので、純粋声美人とはまた違うかも)それに対して高音ウィスパーボイスのような声はよく聴き取れないのだから、すなわち不快感を伴うわけで、決して実用的ではない。むしろ不愉快な声に近いはずである。(まあ「個性的」といってしまえばそれまでだが)
いや、生まれた時から「囁く」以上の能力を持たない声(ナンシー関は賀来千賀子がこれだって書いてたな)は囁く以上の能力が必要ない生活環境ならば問題なしだが、人間、生活するうえで「叫ぶ」時だってあるし「語る」時だってある。
「論ずる」時だって「嘆く」時だって「謳う」時だって「歌う」時だって「吠える」時だってあるわけだ。それらすべてを「囁く」声で表現できるわけでもなかろう。
あー何が言いたいのか、もっと具体的に言ってしまおう。人工「高音妙ちきりんウィスパーボイス」や人工「ロリ声」は言葉の伝達手段として使われているのではないからイライラするんだよな。
その声の使途は「オトコによく見てもらうため」だから。
稚拙でイノセントで無垢で甘えん坊でフシギでちょっとHなオンナノコ。いや、「オンナノコ」と女の子をカタカナにするあたりだけの強調といってもイイだろうこの際。
そういう演出は実際どれくらい男性に有効なのか。
私には判りかねる。私に判ることは、そういう女子っちゅーのはオトコがいない現場などでは無意識のうちに高音ウィスパーボイスが地声に戻ったりするということだけである。タチが悪い。どうせなら一貫してくれ。
先日もそんな「高音作り声」女子を見ました。話しているうちにだんだん地声に戻ってきててイタかった。

ちなみに男性は比較的「作り声」というものに苦心してないように思われるが実際はどうなんだろう。ベッカムのような「口を開かなきゃいいのに」と言いたくなる高音ボイスの人って結構多いからな。
でも無理に作っている人だってきっといるのだろう。細川俊之の地声が実は高音だったらいやだけど。

話が逸れた。
昨晩、地元駅を降りたところで父親(井筒監督激似)に「マサー、マサァァー!!」と大声で呼びかけられた時に「ああ、俺の声のでかさは遺伝なんだ」と思った、ということが書きたかったのだった。
ちなみに声が野太かったりしゃがれたりするのもこの人の遺伝子である。
うちの父はダミ声ですから。うちで飼っていたインコは、父が言葉を教えていたんだが「ジジ」という言葉しか覚えられませんでした。濁声で濁音の言葉教えてたから。しかも鳥なのに濁った声で発音してたから。小鳥のさえずりの対極。
鳥に言葉を教える時は高音の澄んだ声が必要なのです。
2005年03月10日(木)

(明日は午前休しないように)そろそろ寝なくちゃ

歌詞を載せたりするのは(ダイナソーJr.とセバドーを除いて)好きではないんだが、某友人のために載せよう。

なんだかどうでもよくなって午前中サボってしまった
みえすいた言い訳をしたらよけい滅入ってきた
昨日の夜彼女が食べてたポテトチップスの袋
テレビを見ながら飲んでたビールもそのままテーブルに・・・
さえない日々だとは思う
いろんな事考えちゃいるけど
「電話くらいよこせ」と家族は言う
話せることは別に何もないけど
「つまらない」とよく彼女は言う
もうすぐ正午 そろそろ行かなくちゃ

ドアを開けると冷たい空気がぎゅっと耳をつかんだ
ノブに手をかけたままぼくは息をすいこんでみる
すれちがった痩せこけた犬が僕の方を見てニヤッと笑った
白い息がわざとらしいくらいいちいち絡みつく
週末になればもうすこし
いろんなことマシになるのかな
「愛しているの?」と彼女は言う
いつもうまく返事は出来ない
「シケた顔をするな」と友達は言う
ため息はもういい そろそろ行かなくちゃ

「大人になれよ」と誰もが言う
僕にしか見えない夢はもういい
「ごめん」と口癖のように僕は言う
言い訳はいい そろそろ行かなくちゃ


俺のよな20代後半サラリーマン(正確にはわたくしはOLですが)にはいろいろとこたえる曲です。スガシカオ先生は偉大だ。
ちなみに私の場合の「みえすいた言い訳」は

1位 生理痛(上司に「おまえは月に3回くらい生理がくるんだな!」と言われる)
2位 偏頭痛/具合が悪い(たいていの場合酒飲みすぎ)
3位 言い訳しようがなくて「寝坊した」と正直に告白(そして振休消化なんだからと開き直る)

です。最後の言い訳じゃないし。
あと、週末は楽になるのかというと週末作業ばかりなのでむしろ地獄。
しかしスガシカオは数少ない「信頼できる」歌手ですよホント。(あと俺的に信頼できる歌手はスパゴーの八熊)なんつーか、童貞臭がどこかに残ってる感じがいい。童貞パワー全開開き直りは苦手なもんだよな。シカオ先生の場合は童貞モラトリアム(椎名アッポウぽくて嫌な語呂だが)とでも言っておこうか。
名前がカタカナじゃなかったらもっと信頼できるんだけどな。須賀鹿夫。あ、今漢字にして初めて気付いたが本名じゃないのかコレ。

某友人は急いでスガシカオを買いに行くべき!「4FLUSHER」に収録されております。

調べたらスガシカオ、本名だったわ。
菅 戈止男
おお、なんて名前なんだ!ますます偉大だ。
ちなみに私は子供が産んだら「鳳月(ひろこ)」か「檀(まゆみ)」にしたいと思っておるところです。前者はこないだテレビに出てた70歳くらいのオバハンの名前。後者は古事記読んでたら出てた。なんかヤンキーぽいが。
つうか子供産む予定すらないが。(予定すらないのに結婚式の時は「マーキームーン」流したいとか考えがち)
2005年03月08日(火)

過激恋愛依存症アトラクション

久々に純粋・読書読み日記(この日記のカテゴリは旅ではなくて、実は「読書読み日記」なのですよ)をしたいと思います。
私は前評判が悪いものに関しては徹底して読まず嫌い・見ず嫌い・聞かず嫌いをしていたのですが、そういう度量の狭さイクナイ!と思いまして、
「読む前からイヤな予感がしてたが、読んでみたらさらにイヤな気分になるんだろうと思われる本を読むキャンペーン」を行うことにしました。
悪循環なキャンペーンだな。しかし、読んでみたら案外おもしろかったということもあるかもしれないので、これはいわば未知の世界への冒険なのである。

ルール
1.「話題になった/話題になっている」作家の本を選ぶ
2.古本屋で200円以下で購入する
3.どんなにつらくても最期まで読む


そんなわけで第一回目にチョイスされたのは「桜井亜美」。
前評判によると
「援助交際、近親相姦、集団レイプ、オヤジ狩り、引きこもり、エイズなどさまざまな状況に置かれている人間の恋愛がよりリアルに描かれている。」
「現代の若者の日常を切り取った様な生々しい世界と美しい言葉で綴られる恋愛。」
わたくしも一応、現代人なので心して挑みましたよ。
「イノセントワールド」が一番有名らしいが、古本屋で見つけたのは「トゥモロウズ・ソング」というやつだったのでそれを読んでみました。表紙写真が蜷川実花。ぬかりねぇな、という印象。

で、読みました。
安い。
この一言に集約される。
まず本の薄さと字の大きさに驚いたんだけど、それ以上に中身のなさに驚愕でした。
なんつっても主人公が「高校に行ってなくて、ヴィヴィアンの服が大好きで、クスリをやりまくって、サイケトランスが大好きで、テレパシーがあって、高層マンションに住んでいる」17歳の女の子で、相手の男の名前は「シド」(!)(17歳ホスト)ですから。
んでこいつらセックスばかりしてて、マンション工事現場を「あたしたちの記念日ィー」とかなんとかいって爆破(!!)しちゃったりする。そいでエイズ検査薬をふたりで同時に試したらエイズに感染していることが判明。
主人公の双子の姉は拒食症の引きこもりなのに、クラブで踊ってたりして、しかもそいつの彼氏は盲目のDJ(!!!)で同棲してんの。で、姉は死にかけて部屋には植物がイッパイ。姉の心の優しさで植物がスクスク育ってるとかなんとか。姉の心を閉ざした人物は中学の教師なんだが、とんでもない美貌でこいつが姉を妊娠させ、殺しかけたらしい。
んで、自分のテレパシーを使ってその復讐をしようとする。
テレパシー軍団(率いるのは盲目DJ)が協力してくれる。
美貌教師もテレパシーを持っていた(!!!!!)
んで、闘って、最終的には双子の姉が美貌教師をやっつけてシドが迎えに来てチャンチャン。エイズについては言及ナッシング。



野島伸司原作なのかと思いました。過激に次ぐ過激。
どこらへんが生々しい世界なんだろうか。というか、これは「生々しい想像」なんではないのか。テレビや新潮45なんかで「少女たちの乱れた実態」とかいう特集がよくやっていますが、そういうところで手垢まみれの知識人の方々が振りかざす「いわゆる無秩序」ばかりだなーこりゃ。
「援助交際」に重きをおくというあたりが顕著だな。
実際に援交やってたとしても、高校生内ではどうってことない「日常」で「アタシ、援交やってるから非日常のヒロイン!」なんて思ってる子はいないわけだ。
時がたって本人が「あれはよくなかった」と思わなければ非日常ではない。(まあ、これは援交に限ったことではなく、不倫でも離婚でもやってる本人が過剰に非日常/ドラマチックだと思ってたりするのも一緒だ。日常であれば問題はない)
過激=ドラマチック、ロマンチックという価値観がもうすでに「ありえない」んだよな。
「ありえない」のならば、ありえない話書いてみましたーね、ありえないでしょ?くらいの心持ちが欲しい。「ありえない」をエンターテイメントとして見せてくれているならば「ね?ありえないでしょ?」という心持ちがなくても結構だ。
この作家の場合、「ありえない」をエンターテイメントではなく、「うっとり」に着地させようとしている魂胆がミエミエで鬱陶しい。ロマンチック過激派。文字通り吐き気がするほどロマンチックですよ。

で、さらに問題なのがほんとに「うっとり」しちゃう10代の少女がいたりすることだ。
私が10代の時は野島ドラマ最盛期だったので、「未成年」やら「高校教師」やらを見ては次の日学校で話題にするということが日常茶飯事であったが、決して「うっとり」していた子はまわりにはいなかったな。「今週、またすごいことになってた」「どこまで過激化してくんだろう」「こんなの実際にないのにな!」(うちの学校は女子校だったもんで)という着眼点で話をしていた。具体的に言えば「反町、胸ペンダントに銃弾が当たって死ななかったのはないだろー」というようなことだ。
そういう「うっとり見破り装置」的なコミュニケーションが周りにない人がいるということは驚きである。コミュニケーションじゃなくても、自分の中に主観的な自分と客観的な自分を配してるだけで十分だし、そうじゃなくてもナンシー関を読むなどの方法はいくらでもあるだろうに。
で、最後におくづけ見て驚いたが、桜井亜美って同じような本を20冊くらい発表してんのな。
高校の時の先生が「ハーレクイン小説ってのは、人物設定をインプットするだけで自動的にストーリーができあがるようなコンピューターを使って書かれているのですよ!」というものすごい偏見を語っていたことがあったが、それを思い出した。ライト版ハーレクインと呼んで差し上げたい。

桜井亜美の本と並行して恋愛依存症についての本を読んでいたんだが、桜井亜美で「うっとり」してしまう人はきっと恋愛依存症なんだと思うようにした。
「感覚的な出会いを好む」「デートを重ねることによって相手を見極めずにすぐにセックスしたがる」「男性の愛してるという言葉に弱い」「四六時中一緒にいないと不安になる」「相手の現実を見ようとしない」「別れる時はストックを作ってから別れる」「恋愛にのめりこむあまり私生活がおざなりになる」などなど。
そして彼女たちはきっとオナニーをしない。
今、日本に蔓延っている「すぐにセックスできること/彼氏彼女がいる至上主義」は本当に罪深い。いろいろな価値観があっていいだろうよ。

もっとも問題なのは、こういう安易なものを私が100円で手に入れたってことか。
安い。そりゃ蔓延るよ。
100円ですら払いすぎ。図書館で借りて読んでみて下さい。


話はかわるがフジロック追加決定。
ベックもフーファイもありがたいが、そんなことよりもCKBとエディ・リーダーですよ!キャー、フェアグラウンド・アトラクション大好きなのれす。こういうロマンチック(と私自身はあまり思ってないんだが)は歓迎だ。まさにパーフェクト。
2005年03月07日(月)

ブルートレイン、車上の愛(後編)

(まずは「ブルートレイン、車上の愛」前編、中編をお読みください。続きです)

ディスカバリー・ウェストのキャンペーンが盛況なのかそうではないのかはわかりかねる。新幹線内のチャイムだって鬼束ちひろの「いい日旅立ち」に変えられているくらいだから(いや、あれは山陽新幹線区間内始発の新幹線だけに限定されてるんだろうか?)力の入れ具合も相当なものなんだろうということはわかるのだが。
なんにせよ、私にとってはこれが初の西日本横断の旅である。通過するだけで滞在はしないんだけど。
西日本はトンネルが多いという話は聞いていたが、それは新幹線に限った話なんだろうと思っていた。実際のところは、在来線も結構トンネルを潜る。いや、よく考えれば東日本の在来線だってトンネルを潜る回数は多いのだけれど。
この旅の間、トンネルを潜れば潜るほど「夜汽車のブルース」が頭をよぎった。あーなんかいいこと無いか、そう、なんかおもしろいこと無いか、、、いや、今、コレに乗ってることが一番おもしろいことだよエンケン!と言いたい。
とりわけ徳山だか新岩国だか(名前失念)で新幹線乗り換え客がどっと降りた後の「はやぶさ」は貸切具合が増して愉快でならなかった。
食堂車に出てみる。今は食堂ではなく、ラウンジとして使用されているのだがそこの客のまばらぶりといったら!ああ楽しい。ああ愉快でたまらん。
温泉にせよ食堂車にせよ飲み屋にせよ、私は「貸切状態」が好きで好きでしょうがないのである。貸切状態の快楽は夜中の会社でも味わうことができる、もっとも身近なんだけどもっとも「ラッキーじゃないと遭遇できない」快楽だと思う。
しかしこんだけ貸切状態だとステーキでも食いたくなるぜコンチクショー。
朝であるから、腹が減ってきたのである。車掌のアナウンスが入る。
「下関駅で5分ほど停車いたしますので、そちらで駅弁当をご購入ください」
ああ、もうすぐ下関なのか。
どんどん本州の一番端っこに近づいているのか。ホントに遠くにきたんだな私は。沼津も茨木も遠い昔のように思えてならない。まだ半日くらいしか経過してないけど。
下関に来たのだから是非ともふぐ関係の駅弁を食いたいところだ。朝からふぐ寿司とはステーキばりに豪勢だな。値段だって結構張るだろうに。いや、ここではつつましい駅弁を食べといて、九州に入ってからうまいもんを食いまくったほうがいいんではないか。

などと考えていたのは杞憂で終わった。
下関駅に着いた途端、電車を飛び出した車掌や駅員たちが走り回って慌てだす。

・・・売店がお休みのホームに停車してしまったらしい。

駅員の人たち、皆「あれ?」とか言ってやんの。
「あれ?」じゃないだろうよ。
てか休むなよ。
かといって反対側のホームにある売店もとても営業を行っているようには見えない。地方ローカル線駅の悲劇。シンカンセン・キルズ・ローカル駅スター。勇気ある老人は猛ダッシュで隣のホームまで弁当を買いに行ったようだが、限りなく何もないホームから眺める朝の下関の風景に侘び寂を感じてしまって、とてもダッシュなどをする気にはならなかった。
昔はこの駅から上京する若者も多かったことだろう。
人の移動が早くなり、あらゆる意味で「去る」ことだけが多くなっていく。駅だけが残される。やがて老いていく。忘れられていく。必要とされなくなる。「会いにくる」ことがなくなる。終わる。そんな風に時間が過ぎていく。
この駅を毎日決まった時間に訪れ続けた夜行列車「あさかぜ」はかなり老朽化した列車なのだろう。乗る人もだいぶ少なくなっていたはずである。
それももう3月になったら訪れることはない。
とても哀しい。
が、私だってこの駅をこの線で訪れることはもう二度とないのかもしれないのだからそんなこと言えた義理ではない。
でもいつか来ようと思った。出張にせよなんにせよ。
本州の終わりはちょっぴりさみしい。

そんな感傷に浸っている間もなく、海底トンネルを越えた列車は九州に辿り着くのである。
小倉。おぐらではナイ。
九州で小倉ですから、気分はすぐに切り替わって俺脳内は「シャウト・トゥ・ザ・トップ」でいっぱいになるのである。字面からのみの連想だけど。
軽快なリズムが頭に充満するくらいだから、小倉駅は下関とは打って変わってホームに人が結構いるのである。それなりの栄えぶりなのである。
なんでかしらないが南国の陽気な空気を感じる。これがめんたいの本場なのかとか思う。どこかに鮎川誠のようなオッサンがたくさん居るような気がする。
そんなことを思っているうちに時刻は11時30分過ぎ。
なんと、2時間35分の遅れということである。
3時間遅れていたはずだからどこかで巻き返したのだろうけど、それにしても2時間35分の遅れとは!とりあえず2時すぎには熊本に着いてくれるらしい。それだけでもありがたいと思うようにしよう。
食堂車で見かけた老夫婦は「ナイスミドルパス」(65歳以上は格安の周遊券)を使っている様で時間はあまり気にかけていないようだった。羨ましい。
時間に追われない生活をしたいものである。あ、俺が時間に追われるのは時間ギリギリまでダラダラするからだった。

畑や工業地帯の多い地域を通り抜けて、列車はだんだん街に近づいていく。
博多である。
長かったー!新幹線ならば6時間、飛行機ならば1時間半くらいで辿り着くのに18時間である。本来ならばもう熊本に辿り着いている頃だろうに。
腹も減ってきた。イライラが募る。あとどれくらいでたどり着くのだろう・・・と考えている私の視界に飛び込んできたのは、博多駅のホームで奇声を上げるガイキチの方でした。カーテンをそっと開けてホームを見ていたんだが、カーテンの向こうに人がいることに驚いたらしく、アピールするように騒ぎ立ててくる。こわい。窓を手で叩かんばかりの勢いだ。ああ、こっちは博多駅着いた記念にホームを写真で撮りたいのに!
写真を撮ろうとするとそこに写ろうとしてくるので、車両を変えてなんとか撮影をした。ホントは「博多」という表札が撮りたかったのに、かろうじて撮れたのは「めんたい」と書いてあるキヨスクだけであった。とほほ。

博多を過ぎると、実は鳥栖、久留米、大牟田、熊本という停車順らしいのでそんなに遠くはないのであった。長い長い旅もフィナーレは近い。
しかも鳥栖では東京から長い間連れ添ってきた「さくら」(長崎行き寝台特急)とはお別れとなる。長崎までの道のりはこの後も長いんであろう。そんな長崎行きの寝台特急も今(2005年3月現在)はもう走っていない。いつか乗るからね〜と思いながら鳥栖で別れていったんだが。
切ないなあ。
話は戻るが、鳥栖に着く前に車掌さんがまた回ってきて、「駅弁、どこでも買えなかったんで、鳥栖で買えるようにしましたから」と言われた。
オイオイ、鳥栖でメシ買っても熊本まですぐだろうよ。と即座に思ったが、せっかくなので鳥栖で弁当を買うことにした。
が、鳥栖ってなにが名物なのかわからにゃい。困った。
字面だけで勝手に鳥モノがうまいのだろうと判断し、どこでも手に入りそうな鳥そぼろ弁当で手を打ってしまった。
しかし、同じように寝台を降りて弁当を買う人を見るとなぜか皆うどんのようなものを買って車内で食べているではないか。テイクアウトうどん・・・?なんでそんなにうどんに群がるの?そもそも鳥栖駅の弁当売り場も「駅弁」とは書いてなくて「うどん」って書いてあるし。
その後オオツボさん(佐賀県出身)に教えてもらったんだが、鳥栖駅のうどんはそれはそれは有名なモノなんだそうだ。
知らなかった・・・やっぱりリサーチは大事ですね。

さてホントに最後のグランドフィナーレである。
晴れた空、山の向こうに見える海は有明海・・・20時間かけてここまで良くたどり着いたなぁ、と思うと涙が自然に溢れてくる。よく頑張った、俺。
ここ最近で一番何かを成し遂げた気がした。途中で諦め(=新幹線乗り換え)なくてよかった・・・

などと思うことはなく、もちろん涙なども流してなくて、鳥そぼろ弁当をこぼしたり食べたりしているうちにあっけなく熊本に到着してしまった。
時刻は14時50分。
出発したのが18時9分であるから、20時間40分の旅であった。
たぶん今後、私が南米にでも行かない限りこんなに長い移動をすることはないんじゃないだろうか。
そして熊本駅下車後は、駅直結のJR九州直営ホテルに宿泊だったのでらくちんでした。ちゃんと作業前に風呂も入れたし。

熊本行くまでがいろいろなことがありすぎたので、熊本で起こったことはそんなにたいしたことなかったな。ただ、翌日客先に直行せざるを得なくなったため、熊本でスーツ買うハメになってしまったけど。

帰りは言うまでもなく飛行機でした。早かったです。
眼前に広がる九州と四国が美しかった。


またいつか、寝台列車に乗りたい。
それまではもう、どの路線も潰れないで俺を待っていて欲しい。
必ず経費で乗るからな!
今度乗る時はちゃんとコルトレーン持ってくから!



ああ、うまくまとめたかったのにタモリ倶楽部の空耳アウォード見ながら書いたからくだらなくなってしまった。後に書き直すかもしれん。
2005年03月04日(金)

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