退院後、初の外来診察。
まず隣の歯科へ。「抜きたくない」と伝えるだけだ、と鼻息荒く乗り込んでいったら、あちらも「おやお父さんは?」と出鼻をくじかれた様子。
そう、納得しないお父さんとお話、という設定だったのだが、当のオトーサンどうにも仕事から抜けられず。
「それでまたお母さんとお話してもねえ、同じことだから」と鼻白んだかんじの歯科医二人。ごもっともでございます。
かかりつけの歯医者さんにケアしてもらいたい、ここでは抜かない、というこちらの希望を伝えると、あっさり「いいですよ」。 「隣(系列総合病院)から紹介状もらって診ただけですから」「判断するのはご両親だと思います」。
こないだの話のわからん女医ではなく、男性歯科医(たぶん立場が彼女より上)がこちらの意気込みをあっけなくスルーしてくれた。肩透かし。
やっぱりかかりつけに診てもらってよかったよ。彼に「このままで平気だよ」と笑顔で言われたことで、抜きたくないという私たちの意思も固まったし、今日ああして大学病院の歯科医に主張することができた。感謝感謝。
さて、五分で話が済んでしまった。
その後の小児科外来の予約まで一時間もある。近くの本屋で時間をつぶす。 ※夫が来られなかったので実家ばば召集。助かった。こちらも感謝感謝。
外来で来るのが初めてだったのと、小児慢性疾患の医療証が発券されたことでどえらい要領の悪さ>私たちも病院側も。
小刻みに名前を呼ばれては身長体重測定(丸裸でよん)、血糖値他測定、採血、と診察室と待合室を何度も往復。
ようやくU先生の診察、と思ったら医療証があると手続き上初めからやり直しだという。がーん。なんじゃそりゃ。無知って無力だわ。
新患受付まで戻って、ついでに入院中のお会計まで待ち時間中に済ます。正確には事務のおねえちゃんが全部段取りしてくれたんだけど。
この間、娘は実家ばばと二人で待合室。すでにだいぶくたびれて、出来上がっちゃってるんじゃないか>娘。ただでさえ、また病院の雰囲気を味わったうえにカーサン不在。だいじょぶかだいじょぶか。気が気じゃない。
そしてやっと診察。U先生も説明がそつがないようでいて、指示が実はあいまいだ。次に私はどこに行ったらいいの。必要なものはどこでもらったらいいの。
看護婦さんが全部詳しく教えてくれた。U先生ね、看護婦さんたちへの態度、ちょっとぞんざいに私は感じるよ。口の利き方って(以下略)。
娘に必要な薬やら器具やらを揃えるには、病院内外3ヶ所を巡らなければならない。めんどくせ(以下略)。一括して受け取れないものなんでしょうか。
思いのほか時間が長くかかり、帰宅ラッシュの恐れあり。今日は残念だけど、入院してた病棟に顔を出せないなあ。看護婦さんたちに、元気にやってます、と娘を見せに行きたかった。
少し気落ちしていたら、たまたまそこに小児病棟の看護婦さんが通りがかった。おおー、なんか通じたか。
「ゆかちゃん!」と嬉しそうに名前を呼んでくれて、娘も彼女の膝に乗ったままなにやらはにかんでいる様子。いつまででも看護婦さんの膝から降りようとしない。
そうだよね、会いたかったよね。カーサンも会いたかった。
次回は午前中に予約入れたから、ゆっくり病棟にごあいさつに行こう。
くたびれまくったカーサンと娘に、これまたくたびれきった実家ばばが夕ご飯を作ってくれた。う、美味しい。
すっかり頼りにしてしまって、ばばったらほんとすまないね。 ・・・次回もよろしく頼みます(鬼娘)。
元ご近所さん、Hさん。不思議な魅力を持つ女性だ。
引越す前のメゾネットアパートのご近所で、娘よりふたつ上のお嬢ちゃんMちゃんがいる。くりくりおめめのかわいこちゃん。美人母子だね。
思えば、出産してから友人になった、初めての人じゃないかしら(除ネット上)。 公園ママたちとも顔見知りにはなったけど、家の行き来をすることは無かったものねえ。
私たちが引越してから1ヶ月以上ご無沙汰してしまったのに、その後ぽつりぽつりと携帯メールのやりとりがあって、Mちゃんが通っている幼稚園に見学に連れていってもらったり、細ーくつきあいが続いている。
娘が入院したことも、たまたまもらったメールに返信してお知らせしていた。ごく短いが心のこもった励ましメールを頂き、その後退院したことをこちらからお知らせした。
イマドキの幼稚園児はなにかと忙しそうで、のびのびになっていた新居(図々しくも我が家のことだ)拝見、Mちゃんの夏休み突入を機に実現した。
会うのは何ヶ月ぶりかね。でもまるでずっと以前からの知り合いのような、気楽な雰囲気でいられる。周波数が合うっていうのはこういうことかな。
お昼ごはんの前の血糖測定と皮下注射、「させてね」と断って彼女たちの目前でした。Mちゃんはオカーサンに事前に言い含められていたのか、痛そうと顔をしかめることもなく、何してるのと質問してくることもなく、目の前に並んだご飯に手も出さず、娘のもろもろが終わるのをただ黙ってじっと待っていたくれた。カーサンどれだけ有難かったか。
またこういうときに限ってインスリンのカートリッジが空になり、カーサン初めてのカートリッジ交換であたふた。大汗かいちゃったよ。
以前ご近所さんとして交流していたときは、娘同士を遊ばせていても背を向けて別々に世界を築いていたのだが、今日は娘、Mちゃんにくっついて離れない。
入院生活で年上のおねえちゃんにいじられる快感を覚えたのか、それとも単に年齢的に通過したのか。どちらにしても、4歳児と2歳児が顔をくっつけるようにしておままごとなどしている図は、大層愛らしかったぞ。
娘の入院以前を考えると、祖母の入院以外では自分の出産でしか病院にお世話になったことがないので、私自身そっち方面(どっちだよ)に関する知識も想像力も乏しい限りだったんだけど、Hさんには「完全看護」「付き添い入院」という言葉が説明なしで通じて、しかも私の実経験とかなりシンクロして理解してもらえたようでびっくりした。←しかし長い文だ。
もしかしたら彼女にはそういった経験が過去にあるのかな、という気がした。聞かなかったけど。
自宅からちょっと遠いけど知り合いがいるから安心、と電車で通う幼稚園を選んだ彼女に、小学校はどうする心積もりなのか尋ねた。
するとやはり近所の公立小学校ではなく、Mちゃんパパが通っていた私立の小学校に入れたいと思っているという。ほほう。
Mちゃんパパのみならず、そのまた上のご母堂様も通われたのだという。 そりゃ筋金入りだわ。
今通っている幼稚園よりもさらに遠いから大変だろうけど、そんなご家族の流れといおうか伝統といおうか、そういう環境があるなんて、すごいなー、そしてちょっとうらやましいなー。
よりよい環境を娘のために、と無理するわけでなくごく自然に選択肢が決まっていくとは。そういうのもあるのね。
ちなみに小学校の名前を教えてもらったがまったく初耳。いや私もとことん無知だからなんともいえないわよ。
「全然有名じゃない」という彼女の言葉をどこまで真に受けていいものやら、しかしその名前でネット検索しても一件もヒットしなかった。
知る人ぞ知るってかんじなんだなきっと。とても彼女らしいわ。
そんな彼女に「さばさんって早稲田(大学出身)のひとっぽい」と形容された。第一印象と全然違う、とも。
念のため、わたくし早稲田大学出身ではございません。とんでもございません。その亜流とでも申しましょうか、「早稲田行きたかったぜ」という学生があふれているガッコでした。
それにしても、うーん。よくわからない。バンカラってこと?それって・・・? いいや、ほめられていると受け止めておこう。
第一印象か。もっと真面目な人かと思った、と言われたことはこれまでにも何度かある。 ・・・失礼ね。私これでも真面目なのよ(遠吠え)。
| 2004年07月20日(火) |
普通であること 連続していること |
昨日アップした分を読み返したら、まるでストレスフルな12日間のような書き方。いやいや、そんなことはないのですよ。
義母とは同じAB型のせいか(かなり薄い根拠)、とても気が合う。 彼女に対しては、実母には出来ない甘え方が出来る。 うまく距離感が取れるといおうか、とてもよい感じなのだ。
彼女と出会えたことで、夫との結婚を幸運と思えるくらいだ。
また次回会えるのを楽しみにしている。娘も私以上に楽しみにしているだろう。
ただ今年の夏は夫が多忙を極めるらしいので、休みらしい休みが取れるかどうか。大阪に帰省するのも遅くなりそうだ。
ま、辛抱切れればあちらからやってきてくれるので大丈夫・・・ってなにが大丈夫なんだ。誰の辛抱が切れるのか。わはは。
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残念ながら行くことが出来なかったオーキャンの日が過ぎて、娘と二人の平日の生活が再び始まって、また私はスガシカオを聴き始めた。
入院中も、病院への往復やらなんやら、ひとりの時間はたっぷりあって、それこそ聴き放題だったはずなんだけど、どういうわけだか聴く気になれないことが多かった。
どちらかというと、頭の中で同じ曲を何度もリピート再生しているかんじ。
耳から直接入ってくるのが少し辛かったのかもしれない。
退院直前の日、これでひとりの時間はおしまいだな、とちょっと名残惜しく思ったりもしたけど、やはりあれは特別な時間だった。
ひとりでアルデンテの辛いパスタを食べることが出来ても、ゆっくり本屋を徘徊することが出来ても、心底楽しめるわけでもなく。
娘の入院というのはある意味非常事態なわけだけど、それを「非常事態だ」と私は認めたがらない。日常の続きだ、普通のことなんだ、とことさら普通を装っていた。
通常運転としてでなければ、やってられない。
我ながらどういう心理なのかわからないんだけど、確かにそう思っていた。
連続している、切り離されていない。それがとてもポイントだった。
初めて付き添い入院した翌朝、病院からいつもの巡回サイトのつぶやきを見ては、変わらず通勤したり在宅でお仕事したりしている様子に激しくほっとした。
唯一外界とつながっている気がした。
ふと出産後の入院生活を思い出し、当時はサイト巡りも今ほど活発でなかったなあ、これがあったらもっと楽だったのに、と当時の自分を慰めてやりたくなった。
・・・変?依存症?中毒?
なんと言われても、私はいろんな形で力をもらった。今も、確実にもらっている。
| 2004年07月19日(月) |
近況など(長くなりました) |
またまた一週間ぶりです。ご無沙汰しております。
たくさんつぶやいた通り、本日オーキャン。こちらからお誘いしたのに、結局ぎりぎりまで迷って行かないことにしてしまった。 ごめんね、りつこさん。本当にありがとう。
来年はリベンジ(?)。その前に是非お会いしたいです。
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実は日曜日まで義母が滞在しておりました。なんと今回は12日間。
娘が時間によってちょっと不安定になる、カーサンもなんだか今頃になって疲れが出たのか頭痛や胃痛に見舞われたりして、すっかり義母さまさま。
大阪と東京という距離から今まであまり機会がなかったが、娘が誕生してから義母はもっと東京のお世話をやきたいのに、と思っているから甘えちゃえ、と夫。
ほんとに甘えちゃいましたよ。家事丸投げ。
ついでに娘の食事について知っておいてほしい、というカーサンの思惑も実はあった。大阪の食卓はなにしろ量が多い。娘には一応目安となるカロリー数や食べ物の種類が指示されているのでね・・・。
そして娘不安定かつカーサン余力なし夫残業という状況で、義母にほんとに助けられた。
娘の相手をしてくれる、という直接的な効果もさることながら、義母の目があるからこそ、カーサン切れずに済んだ、という監視効果も大。
娘の不安定さは、「どこにもいかない」から徐々に「おこってない」に変化していった。ものすごくカーサンの顔色に敏感だ。
ちょっと注意しただけで雲行きが怪しくなり、めそめそしたりすねたり。
12日間、カーサンとしては怒りレベルを3段階くらい下げて娘に接した。
それが必要な12日間だったと心から思う。傷口をさらにえぐるようなことは避けたかった。・・・でも危なかったよ。何度も何度も切れそうになったもの。
台所に立ち買い物をし洗濯物を干す義母を見て、育児や家事に専心するってこういうことだ、と感じた。 カーサンのそれらに対する関心が、いかに彼女に比べて低いか、改めて思い知らされた。
もともとの性質なのだろうか。努力で向上するものなのだろうか。それとも重ねた年月からか。
とにかく義母には足を向けて寝られないなあと考えながら、意気揚々とPCに向かう嫁であった。こんな嫁です。
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さて娘、ここにきて皮下注射を嫌がるようになった。
「ご飯の前にちっくん」と物分りのよい文句を唱えるわりには、いざそのときになると「今○○してるの」と他のことに専念してみせたり、自分でしたかった、と抗議したり、間接的に表現することが多くなり、「痛い」「いやだ」と今日ははっきり口にした。
いよいよきなすったか。
食事前っていうのは、実にせわしない。カーサン台所でふうふう言ってようやく作り終え、すぐ食べられるよう配膳し、それからやおら血糖測定と皮下注射だ。
その間に食卓はどんどん冷めるし、カーサンもお腹減ってるから短気に拍車がかかる。
そう、私はもともと短気なのだ。あーだこーだ時間を稼ごうとする娘に、いらいらっときてしまう。
カーサンも好きこのんで注射してるわけじゃない。しなければいけないのだ。しなかったら具合が悪くなる。食べられない。
そんなときに娘が注射後「痛かった」とちょっと泣き、義母が「もっと打つ部位を選ばなくちゃ、今のでは痛いだろう」とつぶやいた。
12日間で、このときと、「数字ばっかりではなく娘の様子を見なくちゃ」と注意されたとき、この二回だけ義母に対して嫌な気持ちを持った。
娘の病気で怖いのは、高血糖が続いて合併症を招くことと、低血糖から起こる意識障害やけいれんだ。娘の年齢では低血糖の方が可能性が高い。
食前に打ったインスリン量に見合う食事を摂らなければインスリンが効きすぎるし、いつもより多く運動したりしても糖が不足する。
自分でそれを自覚できる年齢ではない。不機嫌、冷や汗、手が冷たい、それが低血糖の初期症状だ。これを見逃さないようにしなくてはいけない。
二度の試験外泊でも、退院してからも、娘は何回か低いときがあった。カーサンがいつでも最初に気付いた。
怪しいと思ったら測る。そうしないとわからないからだ。 もちろん医師からもそう指示されている。
それを・・・という気持ちは、どうしようもなかった。 さんざん世話になっておきながら、「あなたに何がわかる」などと内心毒づくような嫁。まったく困ったちゃんだ>自分。
でも思うのだ。 きっとこれからも、義母に限らず何回も同じようなことがあるだろう。 案じた誰かが私をそっと諌めることがあるだろう。
そのたびに私はスガシカオの「八月のセレナーデ」の一節を頭の中で歌ってやり過ごす。こんな歌われ方、スガさんは不本意だろうけど。
すっかりひねくれて腹黒い。自分はそんな奴だと自覚していかなくちゃ。
| 2004年07月12日(月) |
「まだちんぱい(心配)なの」と娘が切ない目で |
間が空いてしまいました。退院して一週間、娘も私も元気です。ありがとう。
娘も義母が徹底的に優しくしてくれているせいか、精神的にも(血糖値的にも)とても安定してきた。
どちらかというとカーサンは娘をコントロールしたいという気持ちが勝ってしまって、遊んでいてもどこか説教くさい。
対して義母、娘へのアプローチはまず「どうしたいの?」から始まる。そして可能な限りそれに応える。
甘いといえば甘いのかもしれないが、「子には添うてやれ」という言葉を義母の姿から教わっている気がする。
退院後の2〜3日、娘は夕飯の終了が見えてくると、いつまででもご飯を食べず、かといって「じゃあご馳走様は?」と促すと「たべるの」と強情で、カーサンいらいらしてしまった。
食べるんならさっさと食べなさい。ほら、早く早く。
という言葉をぐっと呑み込み、それは義母の視線を感じてのことだったりするのが情けないが、辛抱強くつきあってみた。ここはどうもカーサンのツボらしく、いらいらが徐々に頭痛に変わってきてしまいそうなくらいだった。
どうして食べないんだろう。入院している間にこんなことはなかった。
と我ながら冷たい視線で食卓にへばりつく娘を見ていると、義母が言った。「食べ終わってもおかあさんどこにも行かないよ」。
娘号泣。
抱きしめながらカーサンも目頭がツーンとした。
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同様なのが寝かしつけ。
なんとかして布団の部屋から脱走しようと試みる娘に、カーサンあんまり頭にきて(頭痛がしていたのよ)「じゃあバイバイね」とことさら入院中の別れ際を思い出させるような意地悪をしてしまったりもした。
ひょっとしてこれも「おかーさんどこか行っちゃう」怖さからか、と思い至り、さっきの私の意地悪は娘の傷に塩を塗りこむようなものだったか、と今度はそっちが怖くなる。
今夜は娘が何を言っても「どこにも行かない」「ずっと一緒」と答え続け、娘は「ねんねちないよ」と呟いて目をつむった。
一週間かかってしまった。ドンくさいカーサンを許せ、娘よ。
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この一週間で、娘の口から「おかーさんバイバイって行っちゃう」「おやつの前におかーさんくるから」「おかーさんおうち帰っちゃう」という言葉を一日に何回聞いただろう。
やはり娘にとって辛かったのは治療そのものよりも、病院にひとり残されることだったんだな。
「こうやっておかーさんバイバイちるの」と入院中使っていた大きなトートバッグを肩にかける仕草を再現されたときには、ほんとにカーサンも辛かった。
一緒に泣けばいいか。それしかできないし。
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