人との出会い。バリ島偏。 - 2002年02月11日(月) 巡り会わせといいますか、よく面白い人と出会います。でも根底に深く入っていけない性格らしく、それだけで終わってしまう事が多いのですが。 そんな中で旅行は昔から好きで、行きたい!!となると借金してでも行ってました。バリ島でも沢山の思い出が。 スタジオライフ時代一緒に芝居をしていた佐藤純君。 彼は芝居をやめると、インドネシアにハマッテ(ライフでインドネシアを舞台にした話がありましたが、そこで取材を兼ねて演出家倉田さんのお供として、俺と純君の3人でジャワ島へ・・それがキッカケで・・)丁度バリで働いているというので、情報を得つつ旅立ったのでありました。(純君その節はお世話になりました) とに角いろいろ面白い事に出会いましたが・・・ 「ジャラン、ジャラン」がバリでは合言葉。「散歩」と言う意味です。 サヌ―ルからアグン山そしてチャンディ・ダサそれからウブドへ。デンパサ―ルを回ってクタ。そして帰路になるわけですが。(お暇な時地図をどうぞ) ちと不思議な体験だけ話すと。 行きの飛行機(コンチネンタル航空)で機内誌を読んでいたら、そこにハワイ特集の記事があって、文章も面白かったし(裏ハワイの内容) 写真も綺麗で凄く記憶に残ってたのです。文章は「神林」氏。 この苗字も「つかこうへい」の舞台を思い出させる名でさらに覚えてたのです。 バリに着いて、5日目あたり。ウブドと言う村に宿泊。 ここウブドはバリ文化と芸術の中枢で、美術館があったり寺院でバリダンスやケチャなどが夜、あちこちで行われるのです。 で、観に行きました。着いたその日に。 ケチャの素晴らしさは、言うまでもありませんので・・。 話というのはその時、会場に着き席につくと隣に日本人らしいご夫婦がいたのです。同じ日本人だし、無視するのもイヤなので話かけたんですよ。 しかし奥様はどうやら日系人らしく、日本語がまったくダメ。 その隣にいた旦那様が答えてくださって「私達はハワイから来たのです」と日本語で答えてくれたのです。 ダンスが始まる前だったので話を進めていると 旦那様「飛行機は何でこられました?」 俺「コンチネンタル航空です」 旦那「私、そこで今月ハワイについての記事を書いてます」 俺「そうですか・・・」 旦那「機内誌読まれました?」 俺「はい、読みましたよ・・え―!まさか・・・あの、神林さんですか?」 旦那「はい、僕ですよ。読んでくれたんだ」 俺の心の叫び 「マジかよ!スゲ―!なんでバリ島で。それも隣の席に。あれを書いた人が!スゲ―。凄すぎる。バリ島で。」 不思議な事があるものです。いろいろな偶然が重なってここで出会うとは。 名刺も頂いて、ハワイ支局に勤める読売系のおエライさんでした。 「ハワイに来たらいつでも連絡して、案内するから」と言って下さいましたが、 まだハワイには行っておりませぬ。 バリ島第2弾。これまた不思議な体験。 いい忘れましたが、この時、イエ・ドロメンバ―坂爪氏と数名で行ったのです。 奥方どうしはエステということで、坂ちゃんと俺はチャリをレンタルして、ジャラン、ジャランとしけこんだのであります。 ウブドから5キロ程離れた「ゴア・ガジャ」と言う謎の古代遺跡を見学しに行く途中。(その後にも日本語を勉強したいという青年にあって、楽しく過ごしてたのですが、家に遊びにオイデよ。と言われたのですが、時間がなくあえなく断念。いい奴だったな) 村がいくつか点在してるのですが(かならず村の入り口には門がある) 「冒険だ!」という事で、その門をくぐり村の中へ。 やはりそこはウブドとは違い観光地ではないので、旅行者など滅多に来る事はなく、ドキドキだったのですが、そこはご愛嬌。 会う人、会う人に別に聞かれてもいないのに「ジャラン、ジャラン」と言って村の奥まで入っていったのです。 ある家の前の表札を見るとカタカナで「ワヤン・カウディの家」と書いてあったのです。 俺と坂ちゃんは「??これって日本語だよね」 中を覗くと、奥方が中庭から手招きしているのが見えます。 「呼んでるよ」「入っていいのかな」で、チャリを置き、いそいそと中へ。 恰幅のよいおじさんが英語で話しかけてきた。 坂ちゃんはちょっとは英語分かるので、片言話すとどうやら、日本にきた事があるらしい。それも歌劇団で。 中庭に楽器が沢山。ガムランなども置いてある。 コ―ヒ―を出され演奏まで聞かせて頂いた。 世界各国を回っているらしく、日本公演のパンフレットも見せてくれた。 (ここで村の歌劇団団長という事が分かる。おじさんの写真が載っていたのだ) 詳しく読むとどうやら世界的に有名な演奏家の集団のヘッドらしい。 パンフには坂本龍一氏の名前も) 来月がノルウェ―に行くとの事。 俺の心の声「おい!おい!スゲ―ぞこれは。自宅でそれも生演奏聞かせてもらって、コ―ヒ―までご馳走になるとは!」 お礼をして帰ろうとした時、 おじさん「写真はいいのか?」のような事を。さすが有名人のプライドか。 「では記念に」写真もとって参りました。 「冒険してよかったね」と後日談。あの時あの村に入ろうとしなければ、そんな経験出来なかったからね。出会いとは不思議なものです。 次週、もしくは明日は「尾道―それは、時をかける少女」の街。 この街でもまた偶然不思議な出会いが待っておりました・・・。 ... ♪僕パンクロックが好き―だぁ♪ - 2002年02月10日(日) 憧れの東京に上京した夏、神奈川放送(何故か中野は神奈川放送が映った)のミュ―ジックトマト(確か)という番組で、インディ―ズ特集をしていて、そこでまだメジャ―デビュ―してない「ザ・ブル―ハ―ツ」にクギヅケ! ♪ドブね―ずみ、みたいに美しくなり―たい♪と熱唱しているヒロトがいたのです。 凄い気になったところに、偶然「エジソン」で(西新宿のインディ―ズ御用達レコ―ド店)ザ・ブル―ハ―ツが目黒にあるライブハウス「鹿鳴館」でライブをやるのをGET! 東京に来たならライブハウス行かなきゃ!と思ってたオイドンは友達を誘って行きましたさぁ! ちと早く行き過ぎたら、丁度楽器を運んでいる、メンバ―に遭遇。「TV観ました。よかったスヨ!今日楽しみにしてるんで」と、とり合えず声をかける。 「おお!がんばるケンノ―」と返事が。 200人も入ればイッパイの会場は鮨詰め状態。「やっぱ、人気あるんだ」と思いつつ、東京に着ての初ライブ胸ワクワクしてたのですわ。 後のセカンドアルバムまでの曲は全部歌ってました。 タテノリでジャンプしまくり、客席も一体になって! 「おおお!なんだこれ!スゲ―!負けられね!(誰に?)」と思った私は知らない人の方に手をかけ利用して、ハイジャンプ!ハイジャンプ!ハイジャンプ! 客席の誰よりも高くジャンプしようと必死になっておりました。 しかし上には上がいるもので、後ろからダイブしてきた奴がベルトコンベア―状態で頭の上を通りすぎるとステ―ジでヒロトと熱唱。 すぐにヒロトに蹴られ、客席にダイブ。皆で奴をまたベルトコンベア―状態で後ろの方まで運んでおりました。 さながら、そこは何でもありのアトラクションコ―ナ―のようでしたさ。 終わったあとは、これマジですが、床が皆の汗でピシャピシャ1センチは溜まってました。 「こいつら、絶対売れる!」と確信した夜でした。 案の上その1年後「ザ・ブル―ハ―ツ」メジャ―デビュ―。 「夜のヒットスタジオ」であの独特な歌い方にパフォ―マンスをカマしておりました。その後の活躍は皆さんの知っての通りですが・・ もう10年前になるかな? 雲仙普賢岳噴火の年、チャリティ―みたいので「夜のヒットスタジオ」に出演していた彼ら。 番組観終わって数時間後、近所のコンビでべ―スの河本氏と遭遇。 俺も見てたけど、やたらと向こうもチラチラ見てくる。 有名人だし「こちらから声かけないと悪いかな」と思った私は、 「TV観ましたよ」と声をかけた。初ライブの時に声をかけてから5年の経過。 「ありがとう」と言った彼は、「時間ある?」と俺に。「はい」と俺。 「じゃあ!車の中で」と言われた俺は、「???」と思いつつ彼の車の助手席へ。それから2時間。井の頭通りの車の中で散々話を聞かされ(この内容はオフレコ)まあ、面白かったですけど、そんな不思議な体験をしたのでありました。 「じゃ、またどこかで5年後に」と言って別れたのですが・・会わないなぁ・・。 そして車から降りた俺は、軽く興奮しつつ、家路に向かっていると、遠くから彼女が髪を振り乱し、パジャマ姿で歩いて来るではありませんか。それも泣きながら鬼の形相で。「????!!!!!!!ヤベェ―!」 そうなのです、コンビにから「今から帰る」と電話をして既に2時間経過。 そりゃ、心配しますよね。コンビにから家まで5分もかからないんですから。 「何やってんのよ!心配したじゃない!」と泣きながら言う彼女。 俺、「すいません」と反省しつつ 「だってさ!今ブル―ハ―ツのべ―スと話しててさ!」と笑顔の俺。 深夜井の頭通りを、パジャマ姿で泣きながら歩く女と浮かれながら笑顔で歩く男。 傍から見たら「トンダカップル」に見えた事でしょう。 ... 忌野清志郎大先生にマツワルお話。 - 2002年02月08日(金) 早く稽古だけに没頭したい!日常のストレスってなんなの?僕はストレス溜まらない人間かと思いましたが(周りからはどうやらそうは思われていないらしいが・・)叫びそうになりました。直ぐに気持ちも落ち着くのですが、頭から煙が出そうになって、もう少しで壊れちゃいそうになりました。 いやあ、ホントくだらない事なのですが。 壊れれなくて良かった。ポジティブに壊れると、笑いを誘えますが、ネガティブに壊れると、人を氷つかせる程の勢いがある。 ユ―モアが欲しいね。ダウンタウンの松ちゃんのように・・忌野清志郎大先生のように・・・そうだ!昔じかに清志郎さんのマネ―ジャ―さんと知り合いになったので、もう少しで直接会えたのに残念。国立の多摩蘭坂にも行った。フリ―クの落書きが沢山してあった。僕は歌詩に出て来る「坂の途中の家を借りて住んでる♪」を探してたのですが、庭付きに平屋が並んでいて可愛かったです。そのあと「大学通り」歩いて・・・ここを忌野大先生が青春時代に歩いて、あの名曲が生まれたんだと思うと、ちとカンド―!中央線大好きっ子です。東京に来て初めて住んだのも「中野」だし、高円寺 阿佐ヶ谷 荻窪 三鷹で働いてた事もあるし、吉祥寺は昔スタジオライフがあったし、国分寺は金が無くて住む所に困っている時、友達の家に居候させてもらったし、国立は清志郎が住んでたし。(話が脱線) ナカジ―が持ってきてくれた新聞によると、環境破壊を訴えた絵本を発売するんだって。やっぱロッカ―はそうじゃなきゃ。チャリンコで東京―鹿児島間も行っちゃたりするぜベイビ―!筑紫哲也とマブダチだぜえ!だからTBSにはよく出るぜ!中日がお気にいりだったけど、星野監督が阪神いったから、どうするベイビ―?? 三浦友和と高校時代バンドやってたぜ! 清志郎の事を今日は書こう!!(今さら・・) エ―と清志郎との出会いは、あれは中学2年生。資生堂のCMソングだったな確か。この頃、化粧品の曲が大ヒット。 矢野顕子の「春咲小紅」ツイストの「燃えろいい女」その他もろもろ、その中に坂本龍一と清志郎の「いけないル―ジュマジック」があったのです!!ベストテンで教授とキスなんかしちゃって。札束ブオ―を飛んじゃって! まあそんなのはいいのですが、パンクの中にユ―モアがあったから共感できちゃったんですよね。「僕は道端で泣いてる子供♪」この詩にやられた! そこから過去のアルバムにハシッテ聞きまくりました。坂ちゃんのタイソンに負けないくらい、多分考えてる事は一緒のような・・ アマノジャクだと思うんですよね。正当でいかない。そこに何だか美学があるんだなぁ。タイマ―ズも観に行きましたさぁ!ヘルメットかぶって、「大麻を持ってる♪」って、日野にある実践女子大の文化祭で歌っておりました。大麻なんてここでも、どうでもよくて、そんな事より、きっと提示してくれてるんだと思うのだすよ。派手にやる事で、歌ってる内容が過激であればあるほど・・きっと清志郎様もムカツイテいたんですよ。いろんな事に。カッコツケじゃない所がグットなんだぜぇ――――――――!ダサかっこいいんです。衣装もヘンだし、メイクもヘン。声もヘンだし。歌詩もヘン。やる事ヘン!だけど、素敵なのです。 50歳のパパになっても健在なのは、好奇心旺盛だからなんだと思うのです。 NHK「YOU」って番組で猪木に肩車してもらって、「つきあいたい」を歌っていたのが、清志郎35歳くらいだから、まだまだオラもオトナシクなんてしてられるかい!ってえんだあ!(この伝説の猪木VS清志郎のNHK収録に、奥瀬さん観にいてたんだって!!!!!!!!!!マジ―かよ!オラ田舎でTV見ながら興奮してたのに、あの時の観客に奥瀬さんがいたとは・・スマイリ―の稽古の時聞きました) 次回はブル―ハ―ツに関する出来事・・・これはヤバイかな?気が向いたら、では!お休みです。 ... 観劇。 - 2002年02月05日(火) 寝不足です。まあ、それはいいとして。 銀行に家賃振り込んだり、タマオ公演仮チラシ折込の為の、印刷に行ったりと、バタバタしてました。 夜はスタジオライフへ。山��氏、笠原氏、石飛氏、藤原氏、河内氏、健在!! 良いお話でございました。会ってこようと思いましたが、プレミアムナイトで、ファンサ―ビスがあるとの事、時間がなく会えずじまい。また今度。 照明で世話になったGET君がロビ―で活躍。元気そうでなにより、会えたのでよかった。大阪公演にも行くみたい。 5月にもスタジオライフ公演があるらしい。山��氏いいのかい? イエ・ドロに参加。感謝。 ... 脇道にそれすぎ・・・ - 2002年02月04日(月) 台本を書こうと机に座るまではいいが、メ―ルの返信。多方面のHPのチェック。 (宣伝今からしておかないと)などで、あっ!という間に時間が過ぎてしまう。 午前1時に座っているのに、一行も書かず、だだ今午前4時30分。 こんな事でいいのか? 今日はもう寝ます。 ...
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