朝早く、東京に帰る娘を送る。新幹線がないので、電車・中距離バス・長距離バスでの移動。かなりの長旅だが、それもまた新鮮かもしれない。
転勤4日目。教師の世界にも「黄金の3日間」があるのかもしれない。今日はかなりのペースで仕事を進めた。年度初めということで、相変わらず来客も続く。その中で、初任の時から江刺でずっとお世話になった書店の方が来校。お会いするのは十数年ぶり。「懐かしいです〜」と思わず言葉に出てしまう。こういう時はやはり、「江刺に戻ったんだ・・・」という感じ。きっとこれから飲み会等で岩谷堂の店に入るたびに同じことを思うのだろう。
今日は19時帰宅。原稿関係の仕事もしないと・・・。
寒い朝。まだまだ氷点下が続いている。学校の職員室でもヒーターを消すと寒いくらいだ。
転勤3日目。震災の爪跡を少しずつ元に戻すために、設備関係であれこれ連絡。すぐに対応してくれるところが有難い。いくつかの文章の起案とチェック。来客対応。特に今日は業者さんが多く来校。十数年前に岩谷堂小学校時代にお世話になったスポーツ店の担当者さんとご挨拶。あの頃は二十代半ばぐらいだったが聞けば四十とのこと。自分もそれだけ年をとったということか。
新聞で人事異動を発表。同時に笹渡小の子から学校宛に手紙が届いた。離任式の日にも何通かもらっていた。担任でもないのに。一人一人の子を思い出した。
転任2日目。当たり前だが、まだまだ学校のシステムが分からず、皆さんに聞くことが多い。丁寧に対応してくださるのが有難い。学校の事情をお聞きして、あれこれ相談。転任者特有の提出文書が多いが、それは一気に終える。
ネットで二戸の酒造会社社長さんが「花見をして」という呼びかけを行っていることを知る。昨年度、町の学校保健会で研修先の一つにもなった会社だ。たまたま副校長会懇親会会場とその会社の新酒発表会があった時に会場が隣になった。圧倒的な賑やかさを羨ましく思ったものだった。 二戸は被災をほとんどしていない。その中での自粛は耐え難いものがあるだろう。しかも「自粛しないで」というのは県内で言うのも勇気がいったと思う。岩手を元気にするためには、普通の経済活動も大切。この面でも1カ月と区切りとしてもいいのではないかと思う。
東京から帰ってきている娘と一緒に出掛けるられる日。ということで、宮古へ。被災地として津波の大きな被害を受けた地である。 ボランティアではない。避難所に行くわけでもない。しかし、かつて自分たちが楽しく過ごした地がどのようになっているか、一度見ておきたかった。また、数年前から子どもたちも「行きたい」と言っていたが、なかなか実現していなかった。
実際に行った宮古はテレビで見るのとはやはり違っていた。住んでいたアパートのすぐに近くまで津波の爪跡があり、二女が通っていた保育園は柱しか残っていなかった。長女の通っていた小学校校庭は自衛隊の待機場所。かつての勤務校の学区は瓦礫だらけだった・・・・。いろいろな情報から予想はしていたものの、やはり言葉にならなかった。
それでも、この景色は目に焼き付けておくべきものだった。学区では何人もの人が復興に向けて動き出していた。立ち上がって歩き始めていた。自分も復興のために貢献しようと決意を固めた日でもあった。子どもたちも何かしら感じたことと思う。
| 2011年04月02日(土) |
年度末の疲れがとれた? |
朝起きたが、長距離移動をしていないのに、疲れ気味。テレビ、原稿読み、あれこれ連絡をしているうちにお昼に。食後に急な眠気が遅い、2時間も昼寝。きっと年度末の疲れがあったのだろう。睡眠不足に加えて1週間中に200kmドライブが5度。時間感覚もわからなくなる感じの濃密な日々だった。でも、この昼寝で疲れもとれただろう。
起きてから、本屋、ホームセンター、郵便局、ガソリンスタンドで用事。タイヤが古くなっていると指摘され、「これだけ走れば確かに・・・」と感じた。新品タイヤにすぐに交換。
夜は教育技術誌原稿にコメント。皆さん、しっかりと期日まで原稿を書いてくださることに感謝。
本日から奥州市立広瀬小学校に赴任。自宅からは計測すると15kmあまり。朝早いので20分ほどで到着。笹渡の時の同じ通勤ペースである。
初日ということで慣れないことばかりである。物探し、ファイル探し・・・等同僚に聞くことが多々。これは仕方のないところ。3日間ぐらい勤務すれば、いくらか慣れるであろう。
転勤ということで元同僚から有難い電話。前任校の校長先生からもお花。そして、災害見舞ということで有難いハガキもいただいた。今までの縁に感謝。
帰りに外勤代わりに市役所に立ち寄る。家に帰ってきて、「ああ、金曜日の夜の大移動が無くなったんだ・・・」と実感がこみあげてきた。
今日も時間が限られている。昨日はアパートを引き払っていたので、町内の旅館泊。朝食が美味しかった。
7時に学校。自分が作成して決裁が必要なものが残っている。さらに、次の方がスムーズに仕事ができるための段取りも。そして、IBCラジオ収録。予定日は16日だったのだが、震災の影響で今日まで延びた。自分がいる間に無事終了してホッとしている。
多くのICT機器を積み込み、そうじをして13時に退庁。自分にとっては宝のような3年間であった。関わった皆さんに感謝の気持ちでいっぱいである。 帰りにアパートの大家さんにもご挨拶。これで軽米ともお別れである。
長女も今日帰省。新幹線が通じていないので苦労したようだ。限られた時間で原稿に取り組む。明日から新しい1年がまた始まる。
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