大学教員の日記

2011年03月25日(金)  PTA・教育振興会総会

 朝早く学校へ。道路はツルツルで校庭も駐車場も一面の雪。もっとも日中には晴れて融けたが。

 午前中は総会のための準備、入学式、学校経営計画の段取り等。先週と比べて残り日数が少ない分、だんだんと時間に追われてきた感じ。午後にPTA総会と教育振興会総会。時間をかけて入念に準備したからか、無事終了。その後も新しく出てきた事務仕事に取り組むも、タイムアウト。

 18:30、水沢に向けて帰宅。「ガソリンがようやく出回るようになった」と言われているものの、実際には相変わらず長蛇の列。特に高速道路のガソリンスタンドは、「ガソリンを入れるためだけに高速に乗った」という人もけっこういるようだ。
 自分も寄りたかったが、そうなると日を越えてしまう可能性があったので諦める。明朝早く並ぼう。



2011年03月24日(木)  資料準備

 昨晩は余震がなく、夜中に起きることなく眠ることができた。ただし、日中の余震は何度も。今日は職場に最後に一人残った時に一番大きな余震で少し焦った。被災地の人たちは余震のたびに恐い思いをしているのだろう。

 さて、今年度は町副校長会の事務局、そして町学校保健会の広報部長を務めさせていただいた。広報部長は3年連続である。どちらも今年度で任を降りるので、そのための資料やファイルを整理。
 いかに次の人に分かりやすく引き継ぐかも仕事のうち。少なくても自分がバトンを受けた状態以上にしなければいけない。午前中いっぱい時間をかける。
 午後は別業務。明日の教育振興会総会の準備もあれこれ。余裕をもって迎えられそうだ。

 今日も17時過ぎに退庁。外は雪が降りしきる。3月下旬なのにこの雪。被災地にとってはまさに無情の雪である。



2011年03月23日(水)  次年度計画

 昨晩は強い余震が何度もあった。あの大震災の夜や次の日以来の多さである。中でも1時ごろは寝ていて「これは避難だ」と思うほど強く感じた。あとで震度を確認したらそれほどでもなかったが、やはり揺れるとあの恐さが襲ってくる。

 朝、ガソリンスタンドが開いているで給油。いくらか足すことができた。これで何とか週末に水沢に帰ることができる。春休みの学校ということで期末事務が続く。今日は次年度の教育計画のチェック。学校教育の骨子であるだけに、吟味して読む。先生方には締切までにしっかりと出していただいたので、何とか年度内には終わりそうだ。

 学期中より家に帰ってからは時間があるので、今日も震災関連のニュース。支援も広がってきていることがわかる。多くの学校では卒業式も。学校での予定された卒業式ではなく、今できる卒業式だ。そこでの子どもたちのコメントには泣かされる。歴史の一大事の今、旅立つ子どもたち。力強く生きてほしいと願わざるをえない。



2011年03月22日(火)  入念に事務仕事

 期末事務も本格化。学期末ならではの決裁が次々と。自分自身が担当になっている資料作成にも入念に行う。
 ただ、今回の震災で3月末から4月までの予定はあれこれ変更になっている。その段取りや連絡調整。先週とは気持ちも少し違うことを実感。今日は珍しく定時退庁。もっともその後外回りの仕事で3カ所回る。

 6日間延びた高校の合格発表。震災を受けた子たちの合格発表のニュースにも思わず共感。卒業式のニュースを見ても思ったのだが、子どもたちにとっては、学校という存在がやはり立ち直りのベースなのだと思う。



2011年03月21日(月)  余震も減ってきた

 昨晩は余震もなく久しぶりに朝まで眠ることができた。それでも日中は眠くなり昼寝はする。今の自分にとっては必要なことかもしれない。

 テレビでの震災関係の番組を見ていると、避難生活での困難な点や復興に向けての足音の両方を映し出していた。今後もこれは続くであろう。そんな中、宮城県での教職員・児童生徒の犠牲者・行方不明者を知る。岩手もそうだが、沿岸地方の今後の学校再開については多くの困難が待っているだろう。県内教職員が団結してそれぞれの立場でできることをしていくしかないだろう。

 ガソリン不足は相変わらず。移動できる分はあるものの、今日入られるところがなければ今週は別方法での通勤を考えなければいけない。しかし、移動中150kmまで開いていたガソリンスタンドは1つだけ。喜んで入ると「整理券の方のみです」とのこと。それはそうだろうなあ。行列ができていなかったもの。諦めかけていたら、最後のガソリンスタンドに長い列。無理かもしれないけどと思いながらも2時間待って何とか少し補充できた。これで今週の通勤分はOKである。この給油で水沢を出てから6時間近くかけての帰宅だった。

 帰宅後、大船渡中での卒業手渡しの式をテレビで見る。式終了後、避難所に移動しての合唱「ふるさと」。涙が出てしょうがなかった。きっと子どもたちはこの故郷を支えていくだろう。 



2011年03月20日(日)  水沢中卒業式

 地震のために一週間延びた二女の卒業式。当初は13日。参加予定だったが地震で15日に延びた。自校の卒業式と重なるので参加できなくなったが、再度延び今日になった。帰省のためのガソリン不足が心配されたが、運よく入られたので参加できた。

 今の中学3年生は前任校で担任外として6年生時に社会を教えた子たちだ。3年経つとこれだけ成長するんだなあ・・・と凛々しくなっていた姿に驚いた。

 震災を考慮した式の進行。子どもたちも話していたが本当に卒業式ができることの有難さを感じる。大人数の合唱も迫力があった。長女から始まった義務教育も13年で終える。1つの区切りである。いい小学校、いい中学校だったと先生方に御礼を言いたい。

 午後は娘のケータイ手続き。物流がストップしていて、数少ない営業している店で購入。そこでも品切れが続出。食料品だけではなく、こういう所にも影響していることを知る。

 夜、神戸の友人から電話。かつて阪神大震災を経験しているから、その時の気持ちを考えたら心配でしょうがなかったという。あれから15年である。



2011年03月19日(土)  ブログ休止

 普通の朝。普通であることが有難いし、同時に今の自分にとっては心苦しい。
 テレビでは県内被災地が復興に向けての一歩を踏み出したというニュース。各地からボランティアが炊き出しもするニュースも。同じ県内にいるものとして嬉しいが、自分も行きたくてもガソリンがない。被災地の現場で働くこともない。義援金を送る、節電するといったことしか自分にできることはない。県教職員としては忸怩たる思いである。無力感そのものだ。これは県内の多くの教職員も抱いている気持ちだと思う。

 そんな中に入ってきた県内教師や子どもたちの犠牲者情報。確かなルートからの情報だけにショックを受ける。覚悟はしていたものの、やはり具体的な数値となって出てくると衝撃的だ。職務上、子どもたちの安全を確かめてから最後に避難させたであろう。自分が10年前だったら、同じ立場だったのである。

 この情報が入ってきた段階でブログの休止を告知。今回の大震災後に即休止も考えたが、安否情報を流すことや現段階での自分の思いを伝えることも必要と思い、とりあえず続けてきた。
 しかしながら、被災県でありながらほとんど被災していないに等しい自分が、中途半端な思いをブログに書くのは正直「安全地帯からの発言でいいのか」という気持ちが強かった。

 そして、今日の無力感や衝撃的な事実が決定打。これからはブログに費やしていた時間をさらに「自分ができること」に使おう。職務以外では前向きになれないのは事実だが、いつかは自分の「出番」があるはずだ。あるいはその出番がなくても、ブログ再開にきっかけもあるだろう。その時を待とう。


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