大学教員の日記

2011年03月23日(水)  次年度計画

 昨晩は強い余震が何度もあった。あの大震災の夜や次の日以来の多さである。中でも1時ごろは寝ていて「これは避難だ」と思うほど強く感じた。あとで震度を確認したらそれほどでもなかったが、やはり揺れるとあの恐さが襲ってくる。

 朝、ガソリンスタンドが開いているで給油。いくらか足すことができた。これで何とか週末に水沢に帰ることができる。春休みの学校ということで期末事務が続く。今日は次年度の教育計画のチェック。学校教育の骨子であるだけに、吟味して読む。先生方には締切までにしっかりと出していただいたので、何とか年度内には終わりそうだ。

 学期中より家に帰ってからは時間があるので、今日も震災関連のニュース。支援も広がってきていることがわかる。多くの学校では卒業式も。学校での予定された卒業式ではなく、今できる卒業式だ。そこでの子どもたちのコメントには泣かされる。歴史の一大事の今、旅立つ子どもたち。力強く生きてほしいと願わざるをえない。



2011年03月22日(火)  入念に事務仕事

 期末事務も本格化。学期末ならではの決裁が次々と。自分自身が担当になっている資料作成にも入念に行う。
 ただ、今回の震災で3月末から4月までの予定はあれこれ変更になっている。その段取りや連絡調整。先週とは気持ちも少し違うことを実感。今日は珍しく定時退庁。もっともその後外回りの仕事で3カ所回る。

 6日間延びた高校の合格発表。震災を受けた子たちの合格発表のニュースにも思わず共感。卒業式のニュースを見ても思ったのだが、子どもたちにとっては、学校という存在がやはり立ち直りのベースなのだと思う。



2011年03月21日(月)  余震も減ってきた

 昨晩は余震もなく久しぶりに朝まで眠ることができた。それでも日中は眠くなり昼寝はする。今の自分にとっては必要なことかもしれない。

 テレビでの震災関係の番組を見ていると、避難生活での困難な点や復興に向けての足音の両方を映し出していた。今後もこれは続くであろう。そんな中、宮城県での教職員・児童生徒の犠牲者・行方不明者を知る。岩手もそうだが、沿岸地方の今後の学校再開については多くの困難が待っているだろう。県内教職員が団結してそれぞれの立場でできることをしていくしかないだろう。

 ガソリン不足は相変わらず。移動できる分はあるものの、今日入られるところがなければ今週は別方法での通勤を考えなければいけない。しかし、移動中150kmまで開いていたガソリンスタンドは1つだけ。喜んで入ると「整理券の方のみです」とのこと。それはそうだろうなあ。行列ができていなかったもの。諦めかけていたら、最後のガソリンスタンドに長い列。無理かもしれないけどと思いながらも2時間待って何とか少し補充できた。これで今週の通勤分はOKである。この給油で水沢を出てから6時間近くかけての帰宅だった。

 帰宅後、大船渡中での卒業手渡しの式をテレビで見る。式終了後、避難所に移動しての合唱「ふるさと」。涙が出てしょうがなかった。きっと子どもたちはこの故郷を支えていくだろう。 



2011年03月20日(日)  水沢中卒業式

 地震のために一週間延びた二女の卒業式。当初は13日。参加予定だったが地震で15日に延びた。自校の卒業式と重なるので参加できなくなったが、再度延び今日になった。帰省のためのガソリン不足が心配されたが、運よく入られたので参加できた。

 今の中学3年生は前任校で担任外として6年生時に社会を教えた子たちだ。3年経つとこれだけ成長するんだなあ・・・と凛々しくなっていた姿に驚いた。

 震災を考慮した式の進行。子どもたちも話していたが本当に卒業式ができることの有難さを感じる。大人数の合唱も迫力があった。長女から始まった義務教育も13年で終える。1つの区切りである。いい小学校、いい中学校だったと先生方に御礼を言いたい。

 午後は娘のケータイ手続き。物流がストップしていて、数少ない営業している店で購入。そこでも品切れが続出。食料品だけではなく、こういう所にも影響していることを知る。

 夜、神戸の友人から電話。かつて阪神大震災を経験しているから、その時の気持ちを考えたら心配でしょうがなかったという。あれから15年である。



2011年03月19日(土)  ブログ休止

 普通の朝。普通であることが有難いし、同時に今の自分にとっては心苦しい。
 テレビでは県内被災地が復興に向けての一歩を踏み出したというニュース。各地からボランティアが炊き出しもするニュースも。同じ県内にいるものとして嬉しいが、自分も行きたくてもガソリンがない。被災地の現場で働くこともない。義援金を送る、節電するといったことしか自分にできることはない。県教職員としては忸怩たる思いである。無力感そのものだ。これは県内の多くの教職員も抱いている気持ちだと思う。

 そんな中に入ってきた県内教師や子どもたちの犠牲者情報。確かなルートからの情報だけにショックを受ける。覚悟はしていたものの、やはり具体的な数値となって出てくると衝撃的だ。職務上、子どもたちの安全を確かめてから最後に避難させたであろう。自分が10年前だったら、同じ立場だったのである。

 この情報が入ってきた段階でブログの休止を告知。今回の大震災後に即休止も考えたが、安否情報を流すことや現段階での自分の思いを伝えることも必要と思い、とりあえず続けてきた。
 しかしながら、被災県でありながらほとんど被災していないに等しい自分が、中途半端な思いをブログに書くのは正直「安全地帯からの発言でいいのか」という気持ちが強かった。

 そして、今日の無力感や衝撃的な事実が決定打。これからはブログに費やしていた時間をさらに「自分ができること」に使おう。職務以外では前向きになれないのは事実だが、いつかは自分の「出番」があるはずだ。あるいはその出番がなくても、ブログ再開にきっかけもあるだろう。その時を待とう。



2011年03月18日(金)  自分の仕事を粛々と

 大震災から一週間。日本にとって、そして岩手県にとってまさに激動の一週間だった。
 わずか数分の大地震が国民にこのような大打撃を与えるとは全く想像しなかったことである。

 もちろんその間でも自分の職務を責任をもって果たすことが、自分にとっては一番大切なことだ。大震災後の様々な変更を含んだ仕事、例年通りの仕事を粛々と行う。
 昨日の雪と寒さで、校庭はまた一面の雪。もしかしたら雪融けがないままの新年度になるかもしれない。

 水沢に帰る分のガソリンは何とかあるので、今までにないぐらいのエコ運転。帰りに情報が入り、何とかガソリンが少し追加できた。帰り道はガソリンスタンドもコンビニも200kmの中でほとんど営業しておらず。様々な店も節電。今は非常時。内陸はこれでいいのだ。沿岸が最優先だ。



2011年03月17日(木)  もろもろの変更

 朝早くガソリンスタンドで行列を作っているところを探すが(つまり、開店の可能性がありそうなところ)、今日は行列はなし。全く入る見込みはないようだ。車しか交通手段がこちらの地域は問題は深刻だ。雪が降る中を十数キロも自転車で・・・というわけにはいかない。自分に自転車はないのだが。
 そういう話を職場でしていたら、「自転車も完売みたいですよ」ということを聞いた。
 やはり今まで経験したことのない事態だから、不安な心理が働くのだろう。一部の人に過ぎないだろうが買い占めでコンビニやスーパーに食料品がない。ネット上では「こういう事態でも冷静な日本人のよさ」が言われているし、そのことは広めるべきだ。同時に先のようなことも事実。壊れた家屋での盗難も出ているという情報もある。これが現実だろう。

 さて、職場では年度末の事務仕事。特に事務局担当の会計を終わらせホッとする。夜はその会計監査。21:30帰宅。

 自分たちに係り合いのあることでの変更・中止がどんどん増えてきている。当然のことである。今日入った情報で一番大きいのは、人事異動の一部凍結である。おそらく今までなかったことだろう。

 それにしても今日も寒い。外の景色は1月のよう。最高気温も2度。被災地の皆さんの苦難を想う。


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