大学教員の日記

2011年03月20日(日)  水沢中卒業式

 地震のために一週間延びた二女の卒業式。当初は13日。参加予定だったが地震で15日に延びた。自校の卒業式と重なるので参加できなくなったが、再度延び今日になった。帰省のためのガソリン不足が心配されたが、運よく入られたので参加できた。

 今の中学3年生は前任校で担任外として6年生時に社会を教えた子たちだ。3年経つとこれだけ成長するんだなあ・・・と凛々しくなっていた姿に驚いた。

 震災を考慮した式の進行。子どもたちも話していたが本当に卒業式ができることの有難さを感じる。大人数の合唱も迫力があった。長女から始まった義務教育も13年で終える。1つの区切りである。いい小学校、いい中学校だったと先生方に御礼を言いたい。

 午後は娘のケータイ手続き。物流がストップしていて、数少ない営業している店で購入。そこでも品切れが続出。食料品だけではなく、こういう所にも影響していることを知る。

 夜、神戸の友人から電話。かつて阪神大震災を経験しているから、その時の気持ちを考えたら心配でしょうがなかったという。あれから15年である。



2011年03月19日(土)  ブログ休止

 普通の朝。普通であることが有難いし、同時に今の自分にとっては心苦しい。
 テレビでは県内被災地が復興に向けての一歩を踏み出したというニュース。各地からボランティアが炊き出しもするニュースも。同じ県内にいるものとして嬉しいが、自分も行きたくてもガソリンがない。被災地の現場で働くこともない。義援金を送る、節電するといったことしか自分にできることはない。県教職員としては忸怩たる思いである。無力感そのものだ。これは県内の多くの教職員も抱いている気持ちだと思う。

 そんな中に入ってきた県内教師や子どもたちの犠牲者情報。確かなルートからの情報だけにショックを受ける。覚悟はしていたものの、やはり具体的な数値となって出てくると衝撃的だ。職務上、子どもたちの安全を確かめてから最後に避難させたであろう。自分が10年前だったら、同じ立場だったのである。

 この情報が入ってきた段階でブログの休止を告知。今回の大震災後に即休止も考えたが、安否情報を流すことや現段階での自分の思いを伝えることも必要と思い、とりあえず続けてきた。
 しかしながら、被災県でありながらほとんど被災していないに等しい自分が、中途半端な思いをブログに書くのは正直「安全地帯からの発言でいいのか」という気持ちが強かった。

 そして、今日の無力感や衝撃的な事実が決定打。これからはブログに費やしていた時間をさらに「自分ができること」に使おう。職務以外では前向きになれないのは事実だが、いつかは自分の「出番」があるはずだ。あるいはその出番がなくても、ブログ再開にきっかけもあるだろう。その時を待とう。



2011年03月18日(金)  自分の仕事を粛々と

 大震災から一週間。日本にとって、そして岩手県にとってまさに激動の一週間だった。
 わずか数分の大地震が国民にこのような大打撃を与えるとは全く想像しなかったことである。

 もちろんその間でも自分の職務を責任をもって果たすことが、自分にとっては一番大切なことだ。大震災後の様々な変更を含んだ仕事、例年通りの仕事を粛々と行う。
 昨日の雪と寒さで、校庭はまた一面の雪。もしかしたら雪融けがないままの新年度になるかもしれない。

 水沢に帰る分のガソリンは何とかあるので、今までにないぐらいのエコ運転。帰りに情報が入り、何とかガソリンが少し追加できた。帰り道はガソリンスタンドもコンビニも200kmの中でほとんど営業しておらず。様々な店も節電。今は非常時。内陸はこれでいいのだ。沿岸が最優先だ。



2011年03月17日(木)  もろもろの変更

 朝早くガソリンスタンドで行列を作っているところを探すが(つまり、開店の可能性がありそうなところ)、今日は行列はなし。全く入る見込みはないようだ。車しか交通手段がこちらの地域は問題は深刻だ。雪が降る中を十数キロも自転車で・・・というわけにはいかない。自分に自転車はないのだが。
 そういう話を職場でしていたら、「自転車も完売みたいですよ」ということを聞いた。
 やはり今まで経験したことのない事態だから、不安な心理が働くのだろう。一部の人に過ぎないだろうが買い占めでコンビニやスーパーに食料品がない。ネット上では「こういう事態でも冷静な日本人のよさ」が言われているし、そのことは広めるべきだ。同時に先のようなことも事実。壊れた家屋での盗難も出ているという情報もある。これが現実だろう。

 さて、職場では年度末の事務仕事。特に事務局担当の会計を終わらせホッとする。夜はその会計監査。21:30帰宅。

 自分たちに係り合いのあることでの変更・中止がどんどん増えてきている。当然のことである。今日入った情報で一番大きいのは、人事異動の一部凍結である。おそらく今までなかったことだろう。

 それにしても今日も寒い。外の景色は1月のよう。最高気温も2度。被災地の皆さんの苦難を想う。



2011年03月16日(水)  今日から春休み

 卒業式を無事終えて、今日から春休み。
 当たり前のことながら、例年の春休みとは異なる。ガソリン不足は相変わらず。町内、隣市ともほぼ空っぽの状態。中には数時間かけてやって手に入れた先生も・・・。
 それでもそれらはあくまでも不便なだけなのだ。

 卒業式お礼、入学式関係、学年末会計等、例年通りのもろもろの事務仕事を行う。同時に今回の地震に関わって、次々と検討事項が浮かび上がってくる。職員室内の行事黒板も次々に赤字で変更や中止の文字が入る。教育公務員である自分であるから、今の職務をまずはしっかりとすることだ。

 マスコミの報道も、被災者情報が多くなってきた。地元新聞紙では4ページを割いて、被災者名簿を掲載。テレビでは被災者のビデオレター。スペースや時間の都合上、限られた人数かもしれないが、それでも有難い情報である。特に新聞では何人も教え子や保護者を見つけることができ、涙、涙だった。

 帰宅してからは節電、節約を心がける。ふだんからかなり行っているのだが、さらにプラス。寒くて冷たい無情の雪が降り続けるが、節約は当然のこと。外に出かけるかっこうを室内ですれば、何も不自由ではない。



2011年03月15日(火)  卒業式

 ガソリン不足は深刻。昨日、あちこち電話をしてようやく「給油ができそう」という情報を聞いて10km離れた町はずれのガソリンスタンドへ。6時前から並び7時過ぎにようやく10リットルを入れてもらう。この分だとガソリン不足で職場に通えない教員が出るのは必至だ。

 今日は卒業式。まずは無事に式ができたこと自体を幸せに思う。小学校2人、中学校2人と本校の中ではもっとも少ない学年の4人。晴れやかないい表情をしていた。式後は、昨日できなかった修了式。

 午後からは校内で卒業を祝う会。子どもたちが企画した内容で、震災のことに配慮しつつ言葉を選んでいた。4人とも成長した姿を見せてくれた。

 それにしても子どもたちはやはり希望の光だ。子どもたちも、地震の被害の話をしている。子どもたちなりに感じているし、今回経験したことを今後のためにきっと役立てるであろう。子どもがいるからこその学校なのだ。今は避難所になっている学校も、きっと元の学校になる。



2011年03月14日(月)  やはり祈るだけしかない

 まだまだ余震は続く。昨日から単身赴任生活なので、いざという時にすぐに外に出られる用意をして眠る。昨晩は3回ほど起きた。それでもずいぶん少なくなった方だ。

 学校は臨時休業日としたものの教職員は出勤日。お互いの情報交換。明日の卒業式に向けての準備を粛々と進める。今回の地震でとある会をするか否かという話が2件。確かに悩むところであろう。外部の方から見たら、「当然中止」と思われるかもしれないが、その会の趣旨+復興に向けて決意しようというのであれば別なのではないか・・・・そんなことを思う。

 悲惨な現実は受け止めなければいけない。同時に、歩けるものは明日に向かってやはり歩いていくべきなのだ。
 そう言いながらも、地元の新聞紙を見ながら、まだ涙。今後もどれだけの涙を流さなければいけないのだろうか。でも、それは生きてるが故の涙なのだ。とにかく無事を祈るしかできない。

 帰り際の話題はガソリン問題。遠距離通勤の本校の先生方にとっては大きな問題だ。単身赴任の私も同様。でも、これも単に「不便」なだけ。不幸なわけではない。

 アパートに帰ってからもあれこれ考えると落ち着かない日々。心のダメージは自分が考えているよりも大きいのかもしれない。


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