大学教員の日記

2011年03月18日(金)  自分の仕事を粛々と

 大震災から一週間。日本にとって、そして岩手県にとってまさに激動の一週間だった。
 わずか数分の大地震が国民にこのような大打撃を与えるとは全く想像しなかったことである。

 もちろんその間でも自分の職務を責任をもって果たすことが、自分にとっては一番大切なことだ。大震災後の様々な変更を含んだ仕事、例年通りの仕事を粛々と行う。
 昨日の雪と寒さで、校庭はまた一面の雪。もしかしたら雪融けがないままの新年度になるかもしれない。

 水沢に帰る分のガソリンは何とかあるので、今までにないぐらいのエコ運転。帰りに情報が入り、何とかガソリンが少し追加できた。帰り道はガソリンスタンドもコンビニも200kmの中でほとんど営業しておらず。様々な店も節電。今は非常時。内陸はこれでいいのだ。沿岸が最優先だ。



2011年03月17日(木)  もろもろの変更

 朝早くガソリンスタンドで行列を作っているところを探すが(つまり、開店の可能性がありそうなところ)、今日は行列はなし。全く入る見込みはないようだ。車しか交通手段がこちらの地域は問題は深刻だ。雪が降る中を十数キロも自転車で・・・というわけにはいかない。自分に自転車はないのだが。
 そういう話を職場でしていたら、「自転車も完売みたいですよ」ということを聞いた。
 やはり今まで経験したことのない事態だから、不安な心理が働くのだろう。一部の人に過ぎないだろうが買い占めでコンビニやスーパーに食料品がない。ネット上では「こういう事態でも冷静な日本人のよさ」が言われているし、そのことは広めるべきだ。同時に先のようなことも事実。壊れた家屋での盗難も出ているという情報もある。これが現実だろう。

 さて、職場では年度末の事務仕事。特に事務局担当の会計を終わらせホッとする。夜はその会計監査。21:30帰宅。

 自分たちに係り合いのあることでの変更・中止がどんどん増えてきている。当然のことである。今日入った情報で一番大きいのは、人事異動の一部凍結である。おそらく今までなかったことだろう。

 それにしても今日も寒い。外の景色は1月のよう。最高気温も2度。被災地の皆さんの苦難を想う。



2011年03月16日(水)  今日から春休み

 卒業式を無事終えて、今日から春休み。
 当たり前のことながら、例年の春休みとは異なる。ガソリン不足は相変わらず。町内、隣市ともほぼ空っぽの状態。中には数時間かけてやって手に入れた先生も・・・。
 それでもそれらはあくまでも不便なだけなのだ。

 卒業式お礼、入学式関係、学年末会計等、例年通りのもろもろの事務仕事を行う。同時に今回の地震に関わって、次々と検討事項が浮かび上がってくる。職員室内の行事黒板も次々に赤字で変更や中止の文字が入る。教育公務員である自分であるから、今の職務をまずはしっかりとすることだ。

 マスコミの報道も、被災者情報が多くなってきた。地元新聞紙では4ページを割いて、被災者名簿を掲載。テレビでは被災者のビデオレター。スペースや時間の都合上、限られた人数かもしれないが、それでも有難い情報である。特に新聞では何人も教え子や保護者を見つけることができ、涙、涙だった。

 帰宅してからは節電、節約を心がける。ふだんからかなり行っているのだが、さらにプラス。寒くて冷たい無情の雪が降り続けるが、節約は当然のこと。外に出かけるかっこうを室内ですれば、何も不自由ではない。



2011年03月15日(火)  卒業式

 ガソリン不足は深刻。昨日、あちこち電話をしてようやく「給油ができそう」という情報を聞いて10km離れた町はずれのガソリンスタンドへ。6時前から並び7時過ぎにようやく10リットルを入れてもらう。この分だとガソリン不足で職場に通えない教員が出るのは必至だ。

 今日は卒業式。まずは無事に式ができたこと自体を幸せに思う。小学校2人、中学校2人と本校の中ではもっとも少ない学年の4人。晴れやかないい表情をしていた。式後は、昨日できなかった修了式。

 午後からは校内で卒業を祝う会。子どもたちが企画した内容で、震災のことに配慮しつつ言葉を選んでいた。4人とも成長した姿を見せてくれた。

 それにしても子どもたちはやはり希望の光だ。子どもたちも、地震の被害の話をしている。子どもたちなりに感じているし、今回経験したことを今後のためにきっと役立てるであろう。子どもがいるからこその学校なのだ。今は避難所になっている学校も、きっと元の学校になる。



2011年03月14日(月)  やはり祈るだけしかない

 まだまだ余震は続く。昨日から単身赴任生活なので、いざという時にすぐに外に出られる用意をして眠る。昨晩は3回ほど起きた。それでもずいぶん少なくなった方だ。

 学校は臨時休業日としたものの教職員は出勤日。お互いの情報交換。明日の卒業式に向けての準備を粛々と進める。今回の地震でとある会をするか否かという話が2件。確かに悩むところであろう。外部の方から見たら、「当然中止」と思われるかもしれないが、その会の趣旨+復興に向けて決意しようというのであれば別なのではないか・・・・そんなことを思う。

 悲惨な現実は受け止めなければいけない。同時に、歩けるものは明日に向かってやはり歩いていくべきなのだ。
 そう言いながらも、地元の新聞紙を見ながら、まだ涙。今後もどれだけの涙を流さなければいけないのだろうか。でも、それは生きてるが故の涙なのだ。とにかく無事を祈るしかできない。

 帰り際の話題はガソリン問題。遠距離通勤の本校の先生方にとっては大きな問題だ。単身赴任の私も同様。でも、これも単に「不便」なだけ。不幸なわけではない。

 アパートに帰ってからもあれこれ考えると落ち着かない日々。心のダメージは自分が考えているよりも大きいのかもしれない。



2011年03月13日(日)  「生きているだけでよかった」

 電気が通じるようになってライフラインも復旧。
 朝から一気に様々な情報が入るようになった。特に注視したのがテレビだ。きっと被災地以外の全国各地には一昨日からこのような映像が流れていたのであろう。

 宮古市を襲う津波。かつて自分が勤務したところだ。あの市役所が高いところまで水浸し。自動車がどんどん流される。高浜も似た様子だったに違いない。家内が勤務した重茂は分断されたのではないか。娘が入っていた藤原保育園は海のすぐそば。ちゃんと避難しただろうか・・・。大好きな宮古の惨状を目の当たりにしてショックを受ける。

 それだけではない。陸前高田市と大船渡市が津波に襲われる映像はもっとショックだった。まさに壊滅状態。今後どれだけの犠牲者が出てくるのか・・・。昨日に続き、同僚だった先生方のことを思う。インタビューに答えた人が「家もすべて流されたけど、生きているだけでよかった」と涙ながらに話していた。今の時代にこの地獄絵。

 現実に戻り、校長や中学校の副校長と明日からの学校体制の連絡。軽米に向けて早々と出発。内陸自体は被災状況はたいしたことはないのだが、たまに開いているコンビニに寄ると食料品はほとんどなし。ガソリンスタンドも長蛇の列。鉄道には地震の時に止まった電車。あちこちに地震の跡は残る。

 職場に行き、明日のための準備。休校となった。諸連絡と卒業式の日の段取り。それ以降に地震の影響があるものを確認し、17時過ぎにアパートへ。軽米も今日通電して生活するのに不便はない。

 ネットでは、地震の中でもすばらしい日本というエピソードが流れている。本来であれば、自分が積極的に話したい話題だ。
 今回もご家族もあるのにお店を開いた方々、整然と並ぶお客さん、全国各地から助けに来る救援隊、眠らずに惨状を伝えるラジオ放送・・・。
 しかし、今回は自分はまだまだ語らないつもりだ。関係者の安否がまだまだはっきりしない今は、まだ大地震が終わっていない。とにかく無事を祈りたい。



2011年03月12日(土)  自分は不便なだけ

 大地震のあった日に限って寒い夜。何度も何度も震度4〜5の強い余震があり、そのたびに跳び起きて外に出る。停電中の外は美しい星空。その美しい自然と全く正反対の自然の恐さ。寒さと睡眠不足で5時ごろに起きてしまう。

 まだパソコンにバッテリーがあるのでネットにつなぐ。MLの皆さんからの温かい声に励まされる。ラジオにスイッチを入れると、地元ラジオ局がずっと特別放送をしている。不眠不休でがんばるアナウンサーに励まされる思いである。

 やがて日が昇ってくる。恐怖心も少し和らぐ。家内は卒業式の日だったが、当然延期。二女も卒業式前の登校日だったが、何も連絡がなかったので一応登校時刻に一緒に中学校に行ってみる。先生方が玄関前に立って、生徒や保護者に必死に連絡をしていた。「地震があってもすべきことをしているんだ」とこれまた元気をいただく。

 自分自身も公務でいつ軽米に行くのかわからないので、できることをどんどんしていく。近くのスーパーが開くという情報がラジオから入ったので、さっそく行って並ぶ。1時間近く待って買い出し。停電の中で電卓で計算して会計。こういう時こそ開くスーパーの心意気に頭が下がった。買い物客も整然と並び、「5世帯ずつ」というルールにも従って混乱はなかった。かつて関東大震災で外国人が驚いた日本人のモラルの高さを90年近くのちの時代に今、自分が体験するとは思わなかった。

 自分が困るのがガソリンだ。勤務地まで15リットルは必要だ。これまた探したら長蛇の列があったので、ピンと来た。さっそく並んで1時間ほどで給油してもらう。疲れるだろうに手動式で一生懸命に給油してもらった。2千円分でも有難かった。この作業を何時間も続けるのだからまさに頭が下がる。

 家に戻ってからラジオで津波の惨事を聞く。停電なので、どれだけの惨事かが映像でわからない。結局、被災地が一番情報が届かない。MLやブログを読むと、とにかく「信じられない映像」のことだ。

 ラジオでは、学校情報や知人の安否を問い合わせる情報も入っていた。とにかく関係者の無事を祈るしかない。いつでも避難できる服装で横になり、目を閉じる時間が続く。ローソクの火を見ながら、体をとにかく休めていた。「自分は不便だが、それだけだからな・・・」と感じる。

 ふと思ってローソクの灯りで県内の教職員の職員録を見る。壊滅といわれている陸前高田、大槌の先生方を調べてかつての同僚や知人が多くいることを知る。一人一人の先生の笑顔を思い浮かべる。何とか生きていてほしい・・・。


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