大学教員の日記

2002年06月21日(金)  本

 「水」の総合の授業構想に着手しはじめる。とりあえずは関連文献から。ネットで本を注文。検索して翌日には届く。ちなみに研究授業は7月5日である。



2002年06月20日(木)  ネットワーク原稿執筆

 「ネットワーク」誌9月号の原稿を推敲。以前執筆しておいたものを修正したものである。8月号を除き、ずっと掲載させてもらっている。ありがたいことである。今月7月号は「発見!ヘルシー野菜炒め」である。これは、昨年度の大会に持っていったものである。何とか今年も大会に持っていくレポートを作らねば。



2002年06月19日(水)  斜め読み

 ようやく7月号の雑誌を斜め読み。一流の人はいい言葉で書いているなあ。今、本当に学校でしなければいけないことは何かがよくわかる。改めて我が学級目標「力をつける」の大切さを感じる。学級目標であるとともに、教師自身の目標でもあるのだ。

好きな読書も今日まで。また原稿を明日から再開。



2002年06月18日(火)  一時休止

 昨晩ぎりぎりで「社会科教育」の原稿を送る。それにしてもおもしろいテーマだ。「これを止めるとよくなるトップ3 教科書の扱い」。これをやるとよいというものではなく、「止めるとよい」だからだ。一流の編集者の発想法、いろいろなところに通じる。

 今朝はメールマガジンを発行。この10日で4つの原稿。ここで一段落。今日ぐらいは休んで、好きな本を読もう。校外学習も無事に終わったので。



2002年06月17日(月)  教え子の死

 今日、衝撃的な連絡が入った。
 昨年の12月に8年前に担任した子が、交通事故でなくなっていたというものだ。私が宮古にいたので、連絡が遅くなってしまったようである。

 5年生の途中で転校して、最初は学級になじめない子であった。日記に困り事をよく書いていたことを思い出す。途中で私のアメリカ研修もあり、親御さんが心配していた。それでも、無事卒業し、中学校で元気に部活をしているということだった。ソフトボールのユニフォーム姿が似合っていた。

 この学級では卒業する時に私とひとつの約束をしていた。「20才の自分への手紙を書き、それを佐藤先生がみんなが20才になった時に送る」というものだ。その20才の手紙を送るのが、この8月であった。改めてその子の「20才の自分への手紙」を読んだ。「20才の自分はどうなんだろう。20才になるまであえないけどね。それまでさようなら。20才になったらあえるから。」

 今となってはこの言葉は天にしか届かない。無念である。この手紙を読みながら、つくづく人生の不公平さを感じる。もっともっと生きてほしかった。親御さんにはのちほど、直接この手紙を届けにいくつもりだ。それが自分の使命だ。



2002年06月16日(日)  ぎりぎり

 午前中はメールマガジン編集。HP更新。午後は「社会科教育」の原稿に取り組む。原稿は明日が締め切り。ぎりぎりになってからの取り組み。明日が勝負。



2002年06月15日(土)  教え子の結婚式

 朝、連載メールマガジンの原稿を仕上げる。すぐに4学年レク。今年から土曜日が休みとなったため、各学級とも欠席者何人か。仕方のないことであろう。それにしても300人近くのイベントは大変なものと実感。

 学校の戸締りを他の先生にお願いして、すぐに教え子の結婚式に向かう。K君。私が初任の時に受け持った子供だ。あの頃は教師としては未熟そのもので、K君にもよく叱咤したものであった。(激励もしたのかな・・・)そんな彼が、直接自宅に来て「結婚式に出てくれ」と言ったのは1ヶ月前。もう、小学校の時のK君ではなく、凛々しい若者だ。

 チャペルでの式のあと、披露宴を待っていると、13年前に担任した子の保護者にばったり。「先生のように、しっかりと生活習慣を身につけてくれた先生はいなかった」と言われる。初めて1年生を担任した時の親御さんである。リップサービスもあろうが、有難いことと感じた。K君たちを卒業させた後の1年生担任。当時も未熟だった。若いだけの時代。それでもこのように評価してくださる方もいらっしゃるのだ。

 いよいよ結婚披露宴。今回も1年前のJ君と同じように、乾杯前の祝辞を頼まれている。身に余る光栄である。昨日まで、小学校時代の学級通信を眺めていた。眺めているうちに、その時におきたいろいろな出来事が思い出された。このような会に出るということは当時の思い出と今をつなぐことなのだ。

 祝辞は小学校時代のエピソード、作文紹介と具体的に話した。聴衆反応を見ると決していい反応はしていなかったが、教え子たちからは「先生、うまいなあ」と言われる。うまくはなくても、子供たちをよく知っているのはやはり担任だからだ。

 華やかな雰囲気、若者らしいパフォーマンス、泣かせる一言と宴は続く。教え子たちと談笑。「先生、先生」と話しかけてくる。有難いことだ。つくづく教師
という仕事についている幸せを感じた日であった。


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SATOMASA