2004年10月27日(水) vinsent atmicus/TOKUZO pick up

芳垣安洋が99年に結成したバンド「vincent atmicus」。
一般的にドラマーはバンドの後ろにいる。しかも芳垣さんは多くのバンドに属し、ジャンル問わずものすごくいろんなミュージシャンと共演してる。そうやって後ろから全てを見てるヒトが「コノ人とコノ人とやりたい」と言ってピックアップしたら、そのメンバーはおのずと最強のモノになりません?まさにこれは最強メンバーによる奇妙な構成の最強バンド。楽しくって、そしてあまりにも贅沢な夜になりそうです。(caféロジウラのマタハリ 美尾りりこ)



2004年08月16日(月) 佐久島

今日は佐久島に日帰りで行ってきました。
佐久島は、日間賀島、篠島と並ぶ三河湾に浮かぶ離島。
3つの島はそんなに離れていませんが、日間賀島と篠島は南知多の師崎から船で行くのに対し、佐久島は一色という漁港から高速船で行くのです。

佐久島はお祭りの最終日で、朝から弁財天という所で太鼓を叩いています。
大太鼓が一つ、そして笛を吹く人が数人と小さな太鼓2つを、かわるがわる受け持って神社で楽を奉納しているのですが、とにかく人も少なく、小さな小さなお祭りです。

佐久島には初めて行ったのですが、海が非常にきれいです。
また、海辺だけでなく、道にはフナムシがいっぱいです。足がいっぱいのフナムシは、楳図かずおのマンガに出てくる未来生物によく似ています。フナムシは割と弱気な虫でありがたい。歩くととにかく、ささささと一斉に道の端に逃げていってくれるんですから。これが強気なヤツラなら、私には行けません。歩くたびにこちらに向かってくるような虫であったなら。

お祭りを見た後、最近の佐久島名物らしき「大アサリ丼」を食べ、そのあとで焼いた大アサリ5個500円を食べました。大アサリはフツーに焼いただけの方がおいしかったです。
海水浴場は、小さな島としては随分とたくさんの観光客のように感じましたが、そういう場所としては非常に人は閑散としています。だからどこかリゾート気分。
その後、海沿いに島をぐるりと歩きました。
海沿いから道は次第に両側に畑がある道になり、そして山の中へと入っていきました。畑の間を通るアスファルト道は、雑草が生い茂ってますが、木陰になるような木はありません。照りつける日差しがあって、虫の声と鳥の声がして、あとは私たちの足音しかしません。そういう静かな静かな道です。黙々とそんな道を歩きながら、ああ、こういった道が、私にとっての夏の原風景だと思いました。子供の頃の夏の記憶は、人の声や車の音などが何もないのです。虫と鳥と、あとは自分の足音。うつむいて黙って歩く暑い道。こんな小学生のときの感覚が、夏になると何度もフラッシュバックするのです。

さて、佐久島の町並みは、篠島や日間賀に比べると、非常に閑静です。で、たまには新しい家もあるのですが、どこの家も、昔からある今では不用な物などがごちゃごちゃとそのままに打ち捨ててあります。捨ててあるのではないのかもしれませんが。ただ、日々の生活にまみれて、美観だとか合理性だとかの観点で整理できずに、なにもかもがごちゃごちゃになっています。
例えば畑の隅に少しだけ割れた瓦がきれいに並んでいます。右端からきれいに並べられた瓦は左に行くに従って割れが多くなり、最後の方はただの破片となって畑にちらばってます。捨てればいいと思うのに、いつからそのままなのか、きっとずっと先もそのままなのでしょう。そういう雑然とした感じが私は結構好きなのです。



2004年08月10日(火) 下呂の旅・つづき

花火の後から朝までたっぷりと寝て、早めに宿を出ました。そして下呂の少し南の乗政というところの枝垂栗(しだれぐり)を見に行きました。しだれぐりというのは栗の突然変異種で、木も枝も異様な形で捩れています。その風情は日本画が似合いそうな味わい深い姿です。このしだれぐりの自生地は日本で3ヶ所しかなく、以前に小野のシダレグリというのを見に行き、今回は2つ目の自生地です。




これがしだれぐりです。こういうのがものすごくたくさん生えています。
随分と勾配のきつい山の中を800mほど登った所にありました。

ついでに、やはりそれほど遠くない門和佐という所に、「門和佐の夫婦杉」というのがあるそうで、そこにも寄って来ました。門和佐という場所をずっと車で走らせたのですが、詳しい場所はわからず、困って「中村」という地区にあるお店の方に尋ねてみました。そうすると、小さくてとっても笑顔のすてきなおばあちゃんが、すたすたと前を歩いて、その木の生えている山の所まで連れてってくれたのです。木は、偶然にもその「中村」という地区を記した看板からそう遠くない所にあったのです。
「門和佐の夫婦杉」と書かれてあった筈の木の杭は、既にぼろぼろで全く判別が出来ず、そのおばあちゃんに教えてもらわなければ辿りつけない場所にありました。
畑の広がる細い山道を通り、そこから杉がいっぱい生えた山を少し登ると、その夫婦杉がありました。細い杉の木立の中、目通りは5mばかりですが凛と立つ杉は、小さな山の神のような神々しさと凛々しさを持っていました。








こーんな感じののどかな山道。名古屋では聞けないミンミンゼミの声がします。他のセミの声もいっぱいです。
私はお店で仕事をしていてそれは幸せなことだと思うのですが、お休みにこういう場所に来ると、私たちのお店に足りないものを感じてしまいます。
一つは美しい夕日。残念ながらそれほど高くはないながらもビルに囲まれている店のある場所は空が狭く、沈む夕日が見えません。
それからセミの声。そして木陰に入ると感じる涼しい風です。
夏はただただ暑いものだと思ってたけど、こういう場所に来ると、夏ってこんなに素敵な季節なのだと思い知らされます。確かに照りつける日差しは暑いけれど、草いきれと共に優しい風が吹いているのです・・・。

旅の終わりに、昭和村という所に寄って来ました。
昭和の風景を再現したテーマパークだそうです。
そこではずっと坂本九の曲がかかり、建造物や展示品など昭和30年代を基にしたものがいっぱいでした。様々な体験コーナーも充実しています。




しかし、道はすべてアスファルトで整備されたその「昭和村」よりも、門和佐のおばあちゃんの笑顔や山道、枝垂栗の自生地付近の農家の集落、そこから聞こえる鳥や虫や風の様々な音の方が、よほど「昭和」でした。



2004年08月09日(月) 下呂の旅

下呂はその昔、「下留」と書いて「しものとまり」という地名だったそうです。それが音読みで「げる」と呼ばれ、その後「下呂」という文字を充てて「げろ」という発音に変わったそうです。
・・・「しものとまり」にしておけばよかったじゃん・・・!
「げろげろげろっと啼くカエル♪」なんて歌でカムフラージュしている下呂ですが、やはり「げろ牛乳」ですとか「下呂の香り」なんてお菓子を見ると、やはり身も蓋もなさを感じてしまうのですが、いがなものか。
そんな下呂に4年ぶりぐらいに行ってきました。以前は巨樹の旅で下呂を訪れたのですが、今回は花火です。
なんせ花火といえば土日が多く、お店を始めてからというもの花火を観に行くことが出来なかったのです。しかし下呂の花火大会が8/9(月)にあると知り、ちょうどうちの2連休に重なるので行ってきました。

さてしばらくぶりの下呂で、途中までは助手席で爆睡し、途中からTAKEDAのナビのままに朦朧とした頭で運転していたため、私は下呂の地理上における位置というものをすっかり忘れていました。下呂の近くの「道の駅」で下呂土産と共に高山の名産品などが売られていることに驚いてしまったのです。
「なんでここに高山のさるぼぼが売ってんの?」と聞くと、「そりゃ下呂と高山は近いからだがね」と言います。
「なんでよー。下呂って三重じゃないの?」
そう、私は下呂に行くと聞いて、ずっとそれは三重県なのだと思い込んでいたのです。ばかばか。

それはさておき、実は下呂に入る前に中津川にある女夫岩神社に行ってきました。「めおといわ」と読むのですが、普通は「夫婦」と表記されるのが「女夫」なのは、その石がイザナギ・イザナミに関係するものだということなのでしょうか。
さて、その女夫岩。「夫」の方の写真を出します。どどーん!



ま、これで「女」の方も勿論、推してしかるべし、ですね。
いやー、私たちのすぐあとに4人家族が来ましたよ。中学生ぐらいの男の子と女の子とその両親、ですね。見た途端、多分、おかさんは「うわ、やってもた」という感じでしたね。おとさんは果敢にも説明してましたね、子供たちに。ムスメの方はまだなんだかよくわかってない感じでしたが、ムスコの方はなんだか感慨深げでしたね。しかしカタカナで書くとやらしげですね。

さて、下呂に着いて早速小さなビジネスホテルにチェックインしました。この日、下呂はどこもかもいっぱいで、ようやく取れた小さなホテルに小さな一室ですが、入って驚き。花火を見るのに最高の立地だったのです。まさに打ち上げ場所のまん前なんです。早めに行って場所取りをしなくてはと思ってたんですが、ホテルに室内から十分に見られそうです。



写真左端の「ビジネスホテル」という看板のある小さな所です。3階で、しかも目の前にはトタン屋根があり、窓から屋根に行けるのです。
花火は好きだけど人ごみは大変苦手なのです。それが唯一憂鬱だったんですが、これならノーストレスでのんびりと花火が楽しめます。

花火が始まる前に到る所にある足湯や銭湯で下呂の湯を楽しみました。中にはとても素敵なお店がありました。個人の作家によるオリジナル雑貨を販売している所で、中には小さなカフェもあります。雑貨は様々な個性の、どれも素敵なものばかりです。で、飲み物を買って、外で足湯につかりながらそれを飲むことが出来るのです。温泉のある街って本当にいいなぁ・・・。

さて、花火は下呂の河川で行われます。下呂の河川には川の側に沸く無料の温泉もあります。普段でも橋の上から裸のおっちゃんがそこでお風呂に入っています。で、この花火大会の日、川の周辺は日のあるうちからものすごく賑わっているというのに、やはり裸のおっちゃんが川の温泉に浸かっています。ってゆーか、裸のまんまで石の上でずーっと夕涼みをしています。(写真右下がその川の温泉場。裸のおっちゃんが見えるでしょうか)。
そのすぐ横ではカップルやギャルたちが足だけお湯に浸かってます。「キャーッ、おぢさん、エッチーッ!」とか言ったりしないようです。公然わいせつ罪とか関係ナシの下呂って、本当にいいよなぁ・・・。

で、ようやく夜8時。どこもかしこも人で膨れ上がっています。私達は部屋の電気を消して、ホテルの屋根の上で花火見物。
下呂の花火はレーザー光線と音楽を花火と同調させる「ミュージカル花火」とゆーやつでした。始まる前からパット・メセニーの曲がスピーカーから大音量で流れて盛り上げていました。
花火の時は曲は好きでもなんでもないヒット曲のオンパレードだったんだけど、これがねー、どかんどかんと打ち上げる花火とねー、人が踊っているようにも見えるレーザー光線でねー、どえらい泣けたんだわー。私とTAKEDA以外に誰もいない屋根の上で、ボロボロ泣いて、笑って、拍手しながら花火を楽しみました。
絶対にまたこの花火大会を見に来るぞ!と心に誓いました。






2004年06月07日(月) 是巨人/TOKUZO pick up

「ああたまらない。むちゃくちゃカッコイイヤツが聴きたい、聴かないと体がどうかなってしまう!」と吼える獣を心の中に住まわせている方へ。ゼヒ、「是巨人」のライブに行くのがいいと思います。
吉田達也、鬼怒無月、ナスノミツル。またはルインズ、ボンデージフルーツ、アルタードステイツ。この名前にピンと来る人も是非!
吉田達也が叩き出すめくるめくポリリズムの上に乗るのは、ギター鬼怒とベースのナスノによるボルテージの高い疾走感溢れるインプロ。凄い! たまらん! むちゃかっこええ! これはナンダ? これが是巨人。
セカンドアルバムひっさげての初の名古屋ライブ。心の中の獣と共に、ひたすら走れ!
(cafeロジウラのマタハリ春光乍洩 美尾りりこ)



2004年04月11日(日) 渋さ知らズオーケストラ クアトロ名古屋

渋谷2DAYS、そして広島、大阪と続いた渋さ知らズのクラブクアトロツアー、最終日は名古屋でした。

芳垣さん、内橋さん他、数名が登場して演奏が始まり、その曲に乗せた渡部さんのMCから始まります。内容は、このクアトロツアーの総括、とゆーか、珍事件。ライブ前の渡部さん赤褌消失事件〜赤褌買い物パニック、CS生放送で、慎重を期した筈の渡部さんのMCのあとにすかさず出た「不適切な発言をお詫びします」テロップ、広島でライブ中に寝てしまったキーボード奏者・・・などなど。私としては謎の「不適切」テロップがツボでした。
そんなMCのあいだあいだに、少しずつミュージシャンが登場してきて、音が段々と厚くなっていきます。その音と、そのたび起こる観客の歓声を聞きながら、私は幸せな気分が高まっていきました。
実はこれを書いている4/14現在、イラクで起こった日本人人質事件は未だ解決されていませんが、ちょうどこのライブのあった4/11が、拉致した側による「3日以内に自衛隊は撤退せよ。さもなくば人質を殺す」という声明のちょうど3日目に当たる日でした。このライブの日、もしも声明通りに遠いイラクの地でこの3人が殺されでもしていたら、とてもライブを楽しむ気にはなれないほど、ここ数日は緊迫した空気が日本を覆っていました。ところがこの日の朝、3人を解放するという声明が出たのです。私はその日、それ以降のニュースはライブが終わって家に帰るまで聞くことが出来なかったので、その後まだ難航しているとはライブのあった時点では知りませんでした。ただ、朝のニュースにようやく胸を撫で下ろし、そして渡部さんのMCを聞きながら、こうして笑いながらライブを楽しめる幸せを感じていたのです。

さて、1曲目は「ナーダム」でした。この曲は本当に音楽的幸せに満ちた曲だと思います。なんてゆーか、音の神様がそのまま形になったような曲、と言いますか。何度聴いても痺れるようなテーマ。そしてまた、この「ナーダム」は勿論、他の曲も、1曲ごとの構成がメリハリに富んでて非常に冴えてます。それぞれのソロをたっぷりととるので1曲が非常に長いのですが、それが何一つ冗長に感じられないのは、後ろの芳垣さんのドラムだったり内橋さんのギターだったり高岡さん鬼頭さんの低音管楽器隊だったりで、そしてそれらを操る不破さんの手腕なのですが、本当にこの怪しげなオーケストラのオーケストラたる醍醐味が存分に発揮されたライブだったと思うのです。
とにかく、この一曲目の「ナーダム」で既に私の涙腺はゆるんでしまいました。
2曲目が「Space in the place」だったでしょうか。他に新CD「渋星」から「Image」も演奏してました。「Image」はとっても気持ちよかったなぁ。
あと私が非常に感動したのが、室舘彩さんがボーカルをとった「At Last I Am Free」です。私は20年ほど前にロバート・ワイアットが歌うこの曲がものすごく大好きでした。そしてそこから約8年後ぐらいでしょうか、渋さ知らズの最初のCDが出た時にこの曲が収録されていたのに非常に驚いたのです。ただ正直言って、私は当時の渋さのバージョンでのこの曲はあまり好きではなかったのです。ロバート・ワイアットの歌う方に繊細さと、どこかいてもたってもいられないほどのしみじみとした寂寞感を感じてて、私はそれが好きだったのです。しかし、今回の渋さの演奏は胸が震えるものがあり、あんだかもうボロボロと泣けてしまったのです。でもまあ、難を言うとしたら、後半でアウトしていった彩さん、うーん、歌の力量としてはあと一つで・・・・。私は彩さんは、そのまままっすぐ歌ってるほうがいいと思うなあ。
それから、今回「大原」というタイトルが付いて、歌詞も付いていた大原裕さんの曲が非常に良かったです。最上川エミリーさんという人が歌っていました。この曲は、大原さん芳垣さん船戸博史さんの3人による「サイツ」というバンドの「タッタ」というアルバムに収録されているのを私はよく聴いてました。とっても明るい曲調なのですが、雲ひとつないぽっかりとした青空を見上げててふいに泣けてしまうような、そんな気分に近い曲なのです、私にとっては。もうこの曲のド頭を聞いた途端、ぐわぁー、やられたぁ〜って感じで、何がこんなに泣けるんだろうと思えるほど、私は泣けてしまったのです。不破さんは幻のトロンボーンを吹いています。私自身は大原裕さんを知ってはいません。たった1枚のCDで知っているだけです。それなのに、何故こんなに泣けるのか。音楽の力の凄さを痛感した1曲でした。

さて、クアトロというハコ。
例えば渋さは東京ではライブハウスで演奏することも多いのですが私はそれに行ったことはなく、今までは野外か、またはある程度広い会場でのライブに行っていました。それで、クアトロという狭くはなくても十分に広いとはいえないハコでのライブに不安を持っていました。しかしライブが始まって、これもまた非常にいいスペースだったと思いました。思い切り踊りたい人は前に行くけど、私はあまり他の観客を意識せずに楽しみたいので、一番後ろのカウンターの所にいました。人の熱狂に巻き込まれるのが私は苦手なのです。そんな風な住み分けが出来る構造がありがたかったです。そしてまた、それほど広いわけではないので、東洋組による舞踏も今までより間近に見ることが出来ました。東洋さんたちによる舞踏は本当に美しかったです。縦にと流れていくリズムを横に斜めにまたは捩れてと膨らませていくのに、東洋さんたちの体が作り上げるリズムは間違いなく一役買っているように思います。ペロさんのダンス、おしゃもじ隊の女の子、そして東洋さんの舞踏、それぞれが別のベクトルを持っていて、それによってまさに一つの形におさまらない宇宙を作っているように見えました。

とにかく今回の渋さ知らズは、私のそれほど多くない渋さ体験の中でも特筆するほどいいライブでした。



2004年03月23日(火) 低音環境

そういえば、うちの店がいよいよ完成したという3年ほど前、まだ何もない店を見回して、「いつかここでライブがやれたらいいなあ」とTAKEDAが言ったのです。「『低音環境』がやれたらいいな」と。とは言え、その頃はうちは狭いからライブ自体がとても無理だと半ば諦めてたんです。
それが4ヵ月後に沢田穣治さんのソロライブに始まって、いろんなライブが行われるようになりました。

で、いよいよ名古屋初の「低音環境」のライブが、うちの店で行われることになりました。パチパチパチッ!
6月8日(火)
開場 午後6時 開演 午後7時
料金は1ドリンク付きの3500円。
場所は、うちです。
cafe「ロジウラのマタハリ 春光乍洩」です。
一応、住所は、名古屋市中村区椿町9−21 真弓ビル1F
TEL 052-451-8533 でございます。
なんと言っても狭いし、チューバだしコントラバスだし・・・。で、限定30名のライブとなります。要予約ですが、お早めにね。
心地良くって、そんでカッコイイライブだろーなぁー。最初のCDしか買ってなくて、ナマで聞くのは私たちも初めてなので、とてもワクワクです。



2004年03月04日(木) 臼井さん



この絵は99年頃に臼井さんに大丸ラーメンに連れてってもらった時のことを描いた絵です。
この時はよく似てると思ったけど、今はもっと笑っている顔が多いかなあ。でも「謎の人・・・」という部分は変わってないや。

臼井さん、というのは、名古屋でフリーインプロ系のギタリストであり、PAエンジニアをやっている臼井康弘さん、のことです。
私はよく、臼井さんのことを思い、不思議な人だなあと思い、そして事あるごとに惜しみなく感謝している。ホントに、人生ってのは1本の糸には例えられなく、ものすごくたくさんの糸が絡み合って、その「人」となっていくように思います。そして、私やTAKEDAの「今」を構成している糸の一本の端っこには、臼井さんがいるのです。

臼井さんに初めて会った日の事をよく覚えています。今はないあるライブハウスに大友良英さんのライブに行き、そこのアンケート用紙に記入しました。その用紙を管理したのが臼井さんだったらしく、随分経った頃、臼井さんの名前で1枚のDMが届きました。それはKUKUという小さな店で大友さんと水谷浩章さんのDUOのお知らせでした。そのライブは同時に臼井さんと京都の花輪さんの即興のDUOもあったのです。
私とTAKEDAはそのライブに出掛けました。そこで臼井さんに声をかけられたのです。
「今日はどうしてこのライブを知ったのですか?」と。
『アンタからのDMだよ』と心の中で思いながら、そのDMを見せました。で、私達の目当ては大友さんで、その前の臼井さんのギターは、「変なギターだなぁ・・・・。早く終わって大友さんが聴きたいよ」と、正直そう思っていたのです。
その次のDMが来たのは、TOKUZOのオープンのお知らせで、その後、TOKUZOでの「藤井郷子オーケストラ」のお知らせがきました。それに初めて行った尾が、私たちにとってのTOKUZOデビューでした。初めて聴いた藤井郷子オーケストラは、ものすごく面白くて感動しました。そのことを私のHPの掲示板に書いたのです。で、その後一体どういう具合だったのか、何人かのミュージシャンがその書き込みを見てくれ、掲示板に書き込んでくれたのです。それまでステージと客席は遠いものだと思っていたのですが、自分でそう思っていた垣根を軽々と乗り越えていろんな人が声をかけてくれたのです。
そうやって知り合いになった方たちとは、その後いろんなご縁があり、またその先へと繋がっていきました。そして臼井さんという人は、時折ひょこっと現れて、その橋渡しをもしてくれるのです。

その後、TAKEDAをいろんなライブに出演の声をかけてくれたのは、殆どが臼井さんでした。藤井オケに始まり、いろんな即興のライブや横川タダヒコさん、林栄一さんも参加したHEX、韓国の佐藤行衛さんやパク・チャンスーさん、沢田穣治さん・・・。思い返すだけでもちょっと目が回りそうで身に余るような出来事です。

んで、当の臼井さんといえばどんな人かというと。私がイメージする、こういう様々な企画を立て、段取りを組み、また自らも様々なミュージシャンと共演する人というと、なんか「ガンガン」って感じかなあー。「バシバシ」って感じかなあー。でも臼井さんはガンガンでもバシバシでもない。
あ、とってもマメな人です、誰よりも。しかし、一目でインパクトのあるタイプではないようです。謎の、ゴムのような人です。「なぁんだ、ゴムかぁー」と思って、試しにちょっと口に入れてみると、なんだかかすかに味が染み出してきて、噛んでも噛んでもいつまでも味がなくならなくて、「でも一体これは何味だ?」と思うと言葉にならないような、そんな人です。藤井オケでのメンバー紹介は、曲一曲分あるほど長くて、それもいつも奇妙な味で面白いです。しかし、2人で向かい合うと、お互い喋ることに困って黙りこくってしまいます。去年はなんとエリオット・シャープと共演し、レコーディングまでしちゃったそうです。臼井さんのギターを弾いてる姿は決してハデではなく、相変わらず変なギターですが、バンドのメンバーの多い時の演奏ですと、非常にいいツボを抑えるような絶妙な音を出します。
こうやって羅列するといくらでも語れるのですが、簡潔な言葉で人に伝えることの出来ない臼井さんに、私はいつもいつも感謝しています。



2004年02月29日(日) 渋星



渋さ知らズの「渋星」は、ぞくぞくするようなCDでした。
その前の「渋旗」はとっても楽しいCDで、かけると体が踊りだしたくなっちゃったけど。
一曲目のサン・ラの曲「Image」は、曲もさることながらうねる一つ一つの音が冴え渡っててゾクっとするのです。ちょっと人を寄せ付けないほどの孤高な感じがします。決して「渋さ知らズ」という存在自体は孤高ではないハズですが、まさに「星」の如く高いところまで上がってしまったような、そんな音に聞こえます。
そして2曲目の「ナーダム」。20年近く前に林栄一バンドで聞いて感動して以来、どれほどこの曲をいろんな形で聴いたことか。なのにまた、このアルバムに収録されてるナーダムで私は泣いてしまいました。
「AKKAN」は、99年の横浜ジャズプロムナードで見た、渋さ音楽担当の風煉ダンスの芝居が目に浮かびます。
ちょっと恐いぐらいにいいアルバムです。
時折お店でかけてると、若い子たちが「渋さですか?」なんて聞いてくるのもまた嬉しいです。
名古屋方面の皆さん。4月はみんなでクアトロの渋さライブに行こうね!



2004年02月15日(日) Emergency! /TOKUZO review

芳垣作曲の醍醐味を見せる「re-boptism」を幕開けに、壮絶なまでに美しいローランド・カークの「溢れ出る涙」、すごい「Sing、Sing、Sing」、存分に泣かせるバカラックの「The Look of Love」、アンコールにはこんなに凄くてかっこよくて笑えるの、聴いたことがないという「Mack The Knife」。
様々な活動を続けるドラマー、芳垣安洋による新ユニット、「Emergency!」。このバンドにおける芳垣氏の「Jazz」の3原則は「Swing」「男気」「サイケ」だそうである。
水谷浩章のベースは「Swing」だった。その確かなリズムの上でとびきり楽しそうに音を叩き付け、遊ばせる、メリハリ効いた芳垣の姿は、まさに男気が溢れてる。そして両翼に構える、異なった温度差のギタリスト、斎藤良一と大友良英の音は「サイケ」だった。音がハレーションを起こしながらも、どこか計算づくのような研ぎすまされ方をしている。
しかしだ。かつて私の中では「Jazz」「Swing」「サイケ」という言葉は、何がしかのイメージを伴って自分の中できちんと腑に落ちたものとなっていた筈だった。ところが、この「Emergency!」のライブに触れた途端、その言葉の意味するものが、もはやわからなくなってしまった。「インフォームド・コンセンサス」だとか「リスペクトしてリコメンディッドする」という言葉同様、輪郭がぼやけ、色だけがあって形が見えない言葉と化してしまったのである。だから私は語る言葉をなくしてしまった。
ただ一つ言えるのは、Jazzにこだわる人、好きな人、演っている人には、すべからくこの場で共に聴いて欲しいと切実に感じたことである。「Emergency!」がJazzの地平線に燦然と現れた、一つの巨大な地点であると思ったからだ。
「Jazz」が生まれた時、初めてそれを聞いた人はぶったまげたかもしれない。そして今、私も「Emergency!」のライブで、多分それと同じようなぶったまげ方をしてしまった。空いた口は塞がらず、目から鱗。言葉を失ったまま、身は新たなJazzの胎動に激しく捩れてしまったのだ。


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