ライフ・ストーリー
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| 2004年09月25日(土) |
なによりも夜景が御馳走 |
「おとなの女がふたりでねえ」
新宿の高層ビルの最上階。夜景が見渡せる窓際の席ですだちソーダを飲みながら、わたしと彼女は眼を見合わせて苦笑した。わたしの右側の眼下には星を散りばめたように美しい景色が夢のように拡がっている。
短歌の集まりに少しの時間出席したあと、友人のU女史とわたしは会場を後にして一足先に夕食を摂る場所をさがして歩いた。どうせなら夜景が奇麗な所にしようと都庁近くのこのビルの最上階のお店を選んだ。
そう、最近夜景が見えるレストランで食事をする相手は必ず女性と決まっている。もちろん、わたしたちふたりにだって一緒に食事をしてくれる男性の友人がいないわけではない。だが、なぜか男友達と食事をするとなると目的は「夜景」より、「美味しくて量が多い」とか「肩が凝らない居酒屋風」とか「多少騒いでも大丈夫」とかいうお店になってしまう。もちろんそんな店も嫌いではない。嫌いではないけれど毎回そうではちょっと寂しい。たとえば、どんなに情熱的でロマンチックな歌を作る男性の友人でもそうなのだ。
ここで女たちは口をそろえて「わかってないなあ」とつぶやく。
女性が食事の時間を愉しむためにいちばん望む条件は「雰囲気」。「有名シェフの店」とか「季節限定のヌーベルキュイジーヌ」とかは二の次、三の次でいい。ましては「量が多い」必要はない。夕食なら美しい「夜景」が見えて静かな「音楽」が流れていれば、多少料理が不味くても不味くは感じないもの。それがわたしたち女性の特徴なのに。
そして、そういう食事は「恋人」や「夫」という限定的な関係だけではなく、真の友情により割り勘にできる男性の友人とも十分に愉しめるものなのに。
かくして女たちは、今夜も女だけで夜景を見つめながら溜め息をつくのである。
「わかってないなあ」
一週間前のパーティ以来、少しずつ何かが動きだしたのか公私に関らず人に会う日がつづいている。
しばらく出不精だったせいか、外出が毎日つづくと体力・精神力ともにかなり消耗するようで、いきなり肌と髪がボロボロ(←この表現がいちばんピッタリくる)になった。午后からの空いた時間を利用して急いで美容室へ。傷んだ部分のカットとトリートメントを時間をかけてやってもらう。ふう。なんとか髪は落ち着いた様子。この期間に(ボサボサ頭のまま)お会いした方々にはお見苦しくて申し訳ありませんでした。
毎日人に会えば着ていく服のワードローブもなくなってくる。新しいシャツでも買おうかと○Iに寄ってみたがめぼしいものは見つからない。それなら手持ちの服をアレンジしてみようかとサラ・ジェシカ・パーカーがポスターで身に着けていたコサージュなど手にとってみる。大ぶりのカラフルな花には惹かれるけれど似合いそうもないので棚に戻し、サラがポスターで肩に掛けていたバッグと色ちがいのバッグだけ買って帰った。秋らしいボルドー色。
帰宅すると書籍が5冊とどいていた。この本は渡したい人がいるので先日のパーティの主催者にお願いして直送していただいたもの。渡したい人に渡せるといいのだが。
シャワーを浴びたあと一時間ほどバスタブに浸かりながら念入りに肌にオイルパック(「老いるパック」と変換するのはやめて欲しい)を施す。明日も人に会わなければならない。
こうやって自分のことにかまけていられるのは、精神的に安定しているときでもある。この安定期ができるだけ長くつづくようにと願う。
学者さんから一日おきにとどくメールには、目の前にあの美しいオペラハウスが見えるのに聴きに行く時間もない、と悔しそうに綴ってあった。
| 2004年09月19日(日) |
ローマは一日にして成らず |
3連休のなか日。学者さんは午後の便でシドニーへ発った。 これから2週間はまたひとり暮らし。すこしは慣れてきたけれど、ひとりになるとつくづく部屋が広く感じられてしまう(物理的にはそう広くはないのだが)。救いは机に積んである先週末にも何冊か増えた未読の本たち。
金曜の夜のパーティは久しぶりに楽しかった。 ワシントン在住20年の日本人ジャーナリスト氏が上梓された本の出版記念パーティだったのだが、主役である著者もさることながら、魅力的で多彩な出席者で会場は盛りあがった。
いろんな方と会話した。なかでもとりわけ印象深かったのは作家の塩野七生さんの姪の舞さんとの会話。妙齢というのがまったくふさわしい年齢の長く豊かな髪を持つ彼女は、上から(頭髪も含め)下まで黒い色で身を包んでいた。そして少し伏し眼がちに話した。
彼女はイタリアにある彼女の叔母の家をまだ一度も訪れたことがないという。「どうして?」と尋ねると、微笑して「まだ叔母とやり合えるほどの知識武装ができていませんから」と答えた。叔母である塩野七生さんは(その作風からもうかがえるように)、それはそれはツッコミが厳しいひとらしい。「ツッコミどころ満載の今のわたしではやりこめられるのは必至です。しんどいですが歴史も経済も文学も、あらゆる面を該博な知識でしっかり武装して行かないと」。
隙のない文章を書く著名な作家を叔母に持つというのは、端から見るより楽なことではなさそうだ。イタリアにある白亜の豪邸の門をいつか舞さんが胸を張ってくぐる日が来ることをひそかに祈ろう。
なにごとも「ローマは一日にして成らず」なのだ。
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読んでいてとても心が潤った 一篇の詩をどうぞ
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「樹」
人ひとり立ち上がる部屋うちの 静かなとよめきを心に映す 路のうへの 一樹(ひとき)は 定まる形を己れに与へずしとやかに 風の来るままに 俛(ふ)し また 伸び上り 日を息しながら 蒼い時から蒼い時まで 聳え立ち
静けさに静けさを掘る動きに沿うて 押し移る その色は 眺める眼(まな)うちの充(あら)ゆる風光を生かさせる。
生(いのち)を女の睫毛よりも かげ深く樹姿にと見出す 遥かなる眼差のひと時こそ 身は 立ち 額は上がる 水より宏く空を映して―――。
/北村初雄
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