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| 2003年06月24日(火) |
遥かなるエルランゲン |
長い空の旅を終えてフランクフルトに着いたのは朝早い時間だった。
帰国便のリコンファームをしておこうと窓口に行っても、まだ開いていない状態。仕方がないので、ICに乗って200kmほど離れたニュルンベルクへ。ニュルンベルクはオペラ『ニュルンベルクのマイスタージンガー』(ワーグナー)の舞台でもあり、実際にガラスや木工、皮革などの伝統工芸職人達が住むマイスター(職人)広場がある古い街。そこからローカル線に乗り換えて、きょう宿泊するホテルがあるエルランゲンという小さな街まで向かう。
実はエルランゲンは目的地ではなかった。目的地はそこからまた40kmほど北へ上がったバンベルクというマイン川が流れる美しい街なのだけれど、ちょうどカーニバル中でバンベルクのホテルはどこも満室でとれなかったのだ。一番近いホテルがある街がエルランゲンだった。
駅に降り立つと、なんとも淋しい1階建の古い駅舎の無人駅。 ドイツには何度か来ているけれど、こんなに淋しい駅で降りたのは初めての経験。周りにはこじんまりしたアパルトマンが数棟建っているだけで人影もない。鬱蒼とした緑の樹木が天に向かってのび、その樹のなかで鳥たちが夏を謳歌している。ほんとうにこんなところにホテルがあるのだろうか?
同じ駅で降りた数人は駅近くの坂道を登って消えていく。心細くなってネットからプリントしたホテルまでの地図を広げて見るが方角が分からない。自転車で通りかかった大学生らしいブロンドの女の子に道を尋ねて、やっと方角が理解できた。
先ほど同じ駅で降りた人達が登っていた、なだらかな坂道を登る。そして小さな橋を渡った。あの少女の言うとおりに。民家はあまり見えない。ドイツ車の大きなディーラーと工場が隣接されている建物がいくつかあり、ビールを飲ませてくれるオープン・バーが1軒あった。空は快晴。降り注ぐ夏の陽光の下、重い荷物を引いて石畳の歩道を10分ほど歩くとホテルが見つかった。
チェックインして部屋へ入る。三つ星にしては広くていい部屋だ。バスルームも広く、大きな白いバスタブ、それに洗面台が2つあった。部屋には上方を半分開けた大きな白い窓。レースのカーテンが揺れて、そこから涼しい風が入ってくる。ここでも鳥の声が聞こえている。
それにしても暑い。まずはシャワーを浴びたい。
1頁目を開けると、「室生犀星文学紀行」とタイトルがあって、金沢の東の郭(くるわ)町の写真が載っています。これは昭和45年初版発行の『室生犀星集』(学習研究社)。ふと懐かしくなって開いてみました。
この本の編集委員のひとりは北杜夫、監修委員は伊藤整、井上靖、川端康成、三島由紀夫。すごい顔ぶれです。
犀星は金沢で生まれ金沢で育ちますが、「ふるさとは遠きにありて思ふもの」と自らうたったように、上京後、成功してからの晩年は金沢に帰ることはありませんでした。それでいて、ふるさと金沢を強く愛していた犀星の文章からは、加賀百万石の城下町の古い伝統と、爛熟した文化のかほりがしてきます。
犀星が金沢の次に愛した場所は軽井沢。 芥川龍之介や堀辰雄、立原道造のように軽井沢に頻繁に通います。福永武彦や津村信夫も犀星の軽井沢別邸をよく訪れたようです。犀星は軽井沢派の先駆者でした。
金沢を愛しながら、その複雑な生い立ちから故郷へ帰ることを望まず、東京と金沢の中間点にある軽井沢の寒さに北国と同じ親しみを感じて、犀星は軽井沢を第二の故郷としたのかも知れません。
紀行文につづくのは、『抒情小曲集』。わたしの好きな室生犀星の詩集です。その小曲集より一篇の詩をどうぞ。
- * -
「 犀川 」
うつくしき川は流れたり
そのほとりに我は住みぬ
春は春、なつはなつの
花つける堤に坐りて
こまやけき本のなさけと愛とを知りぬ
いまもその川のながれ
美しき微風とともに
蒼き波たたへたり
☆室生犀星は明治22(1889)年石川県金沢市生まれ。 父は加賀藩の足軽組頭を勤めた小畠弥左衛門吉種。 生後すぐに生家近くの犀川のほとりにある真言宗寺院 雨宝院に貰われ、住職・室生真乗の養嗣子となります。 白秋に心酔し24歳で上京。29歳のとき第一詩集 『愛の詩集』、つづけて『抒情小曲集』を自費出版。 以降、詩人・小説家として活躍。萩原朔太郎の好敵手。 昭和37(1962)年、73歳で肺がんにより永眠するまで 精力的に詩歌・随筆を書きつづけました。
5月だというのに蒸し暑い日が続いている。
停滞している低気圧と前線は梅雨時を思わせる。 こんな日は"ゆかた"が着たくなる。 着物は苦手だけれど、"ゆかた"は子供のころから大好きだ。
初めて作ってもらった"ゆかた"は、白地に赤とピンクの金魚模様。 小さいわたしは自分が動くと一緒に動く、袖やすその金魚を飽きずに見ていた。 ピンク地にボカシのある子供用の帯を 腰のところでリボンのように結んでもらって、 その大きなリボンを鏡に映し、ふんわり揺らして遊んだりした。
中学の頃は少し大人びて、紺地に向日葵の模様のもの。 向日葵は白抜きしたところを波紋のように五色のグラデーションで染めてあった。 この時の帯は、向日葵の五色の中の一色、黄色。
いちばん最近(と言っても5年前)仕立てたものは、 深い緑に藍色の和風の花と葉を全体に描いた鮮やかな柄で、 これは大人の女たちには、すこぶる評判がいい。 帯は鮮やかな朱。
赤い鼻緒の下駄を履いて、小さな巾着を手に、背筋をピンと伸ばす。 水打ちした道をカラコロと軽やかな音をたてて歩く。
でも、今着たいのは、そんなよそ行きの"ゆかた"じゃない。
部屋でゆったりとくつろげて、風呂上がりにもはおれる浴衣が欲しい。 白地に藍の桔梗柄で、肌ざわりがいい薄い浴衣。
そうそう、温泉旅館で着るような、あのしなやかな浴衣が今欲しい。
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