■あんただけにそっと■

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2011年02月10日(木) 何をしていいかわからない

変わらず朝の不安感と恐怖感が強い。
良く泣くのでモリオが心配している。
モリオがいるからなんとかいられたのに、
昨日の午後、急にモリオといることに疲れて、お義母さんに迎えに来てもらった。
そのくせ、連れて行ってもらったら動悸がしてきて、
空っぽの部屋で何をしていいかわからなくなり、
近所の友達に公園で少し会ってもらった。

今日は一人で部屋でじっとしていてみよう。
月9もたまっているし。見るか。

なかなか安定しないから土曜は病院行ってみようかな。
投薬がないから行っても意味無いんだろうか。


2011年02月07日(月) 死ななかった

1月最後の土曜日29日、モリオをぴーの実家へ迎えに行き、
また一週間うちで一緒に暮らす予定だったのだが、
どうしてもわたしの調子がおかしくて、日曜にまたぴーに預けに行ってもらった。

そうしたらそれが響いたのかなんなのか急激に落ち込んで、
薬の多量服用を始め、2日には家にあった睡眠薬やら安定剤なんかを
200錠以上一気飲み、しかも酒で。
自分でもなんでそんなことをしたのかわからない。
そして会社に居るぴーにさようならのメールをした。
慌てたぴーが家に戻ってきて、救急車を呼び、内科の病院で一泊。
どうでもいいが同時に生理も始まりわけわからんかった。

そのあとはかかりつけの精神病院へ二泊。
でも前の入院と違って閉鎖病棟だったから、
制約が多くてやることもないし本当につらかった。
ぴーちゃんが一日2回面会に来てくれるのをただただ待っていた。

5日土曜にうまくいけば退院予定が、土曜午後は退院できないと言う。
ごねにごねて、二日間の外泊を取り、正式な退院は月曜の今日することに。
昨日モリオを連れて帰ってきたので、2人で行ってきます。

私の父が、ハナレグミ永積くんと清志郎のコラボした「サヨナラCOLOR」を
ipodで見せてくれた。
清志郎は生きたかったのに、歌いたかったのに、最後まで頑張って力尽きたんだ。
この、他にはありえない声はもう、新しくは聴けないんだ。
清志郎が歌いたかった分まで、生きたかった分まで、私も無駄にしちゃいけない。

色々あっても、ダメでも、とにかく生きていこう。
命が尽きるまでは、生きていこう。
でも死にたい。
わけがわからないごちゃまぜの気持ちでいるけど、
とにかく、モリオと一緒にいれば歯止めは効く気がする。
モリオに助けてもらおう。ダメな母だが

おまけ。斉藤和義の「ドントウォーリービーハッピー
元気出る。
全然大したことじゃない!増してや死ぬよなことじゃない!命をとられるわけじゃない!!
そして斉藤和義の格好良さは異常だと思うわ。
フ、フェロモン・・・!


2011年01月31日(月) 波きた

色々と主張が激しく付き合うのにいちいち一苦労なモリオ。
今週は一週間の滞在の予定だったのだが、
平日フルに2人きり、というプレッシャーに負けた。
どうにも落ち込みが強くなって、モリオの要求あれこれにも対応出来ず、
土曜に迎えに行ったのにたった一泊で日曜に預けに行ってもらった。
だ、だめだめ・・・だめだめ母さん・・・。
また明日、モリオの外来で待ち合わせてうちに戻る。
今日中に立て直さねば・・・。

立て直さねばといえば、体重・・・。
15キロの激太りから5キロは戻ったのだが、
ちょっと食べ過ぎると待ってましたとばかりにササッと2キロ増。
そして定着。やめてよもう〜〜。
もう太ってる自分に慣れてるのが恐ろしい。
なので2月からは計るだけダイエットをしっかり実行することに。
今までも付けてはいたけど、ネット上で朝だけだったので、
用紙をプリントアウト。体重計前の壁に貼る。
月に2キロでいいからさー。初夏には戻っていたい!
あなたも一緒に是非!!

いや久々に薬多量服用。
やっちゃったー。
フワフワして気持ちがハイになり、床の吹き掃除をしまくった。
いいことじゃねえかよ。
もしかして、普通の人って、私がODしたときと同じくらい?
メール交換だけ続いていた加藤さんにも色々行った上、
メールでも連絡しないと宣言した。
もう彼は他の女に目が行ってるようだから、構わないだろう。
仕事終わりのぴーにもあれこれグダグダメールを送り、
ダイエット度外視でアイスを3個買ってくるよう指示。

あ、あと来月に1型糖尿病の人が集うカフェがあると知り、
行ってみようかと!
同じ病気の人と話がしたいのだよ!
なんか足しになるといいな。

というか、私の必要性がマジでわからない。
このままおばあちゃんところで育つのがモリオにはいいんじゃないだろうか。
わからん。なんで私はこんなはいくつばっているのかわからん。
死にたい。


2011年01月17日(月)

モリオが病気になったことでわかった、自分の幼少期からの誤解の数々。
ということを書きたいんだが、どうもまだ生傷なのかうまく書けない。

簡単に言うと「自分が病気になったせいで、親に苦労させた」というのは、
自分が病気の子供を持つ親の立場になってみると、
苦心はしてもそれは当然のことで、お前を生もうと決めた時から、
病気や障害があったとしても引き受ける事になってたんだよ、と。
病気にはならない方がもちろん楽だし、体も健康な方が安心だけど、
どんな病気になっても、お前がいないよりはずっといいんだよ、と。
子供の頃から親にすまない気持ちを抱き続けた自分にも、言ってやりたい。


2011年01月08日(土) 1月が本気を出してきた

昼なのにものすごく寒い。
14畳のLDKが全く温まらず、
ホットカーペットの温度を上げても尻が熱くなるだけ。
日が差しているので、いつもあけないカーテンを全開に。
・・・暖かい!!
直射日光の威力に感服。太陽ってすごい。のんのん様〜。
でもお向かいさんからはうちの中丸見え〜。

昨日は帰京中(沖縄に移住しそのまま嫁いだ)のノリと会う。
あーちゃんも仕事が休みで参加。
3人で昼ごはんを食べ、コーヒー屋で長居。
ノリがケンカして家出した話を聞いたり。

そういえば私もモリオ連れで6月に家出したっけな。
友達宅に遊びに行った帰り、
ぴーの職場と近かったから一緒に帰ろうと駅で待ち合わせしたら、
来たぴーがすごく迷惑そうな顔で「もっと奥で乗るから」と
私とモリオを置いてさっさとホームを歩いて行った事にキレたのだ。
今思うと家出するほどか?と思うが、そのままモリオを連れて逆のホームへ行き、
隣駅のJRびゅうに駆け込み、ビジネスホテルを取り、
ユニクロで着替えを買い、そのまま一泊。
今思えば、感情の起伏が激しい状態だったんだろうなー。
ていうか、そのアクティブ、今いずこ。

そうそう、ノリ。
あとは旦那さんが事故で死に掛けてる写メを見せてもらったり。
シャレにならない画像だったわあ。
写メ撮るノリに笑ったが。
みんな健康が一番じゃよ・・・怪我も病気もしないでおくれ。

さっき、昔いつも見ていて、なぜか最近見なくなってた
超可愛い主婦のブログを見に行ったら、ガンが発覚して闘病中だった。
去年も他の日記で見ていたシンガーの女性がガンが発覚して闘病していた。
ガンは身近なものなのだな。
私の母だって血液のガンで死んでるし、私も30代後半、健診行かないとな。


2011年01月04日(火) あけましておめでとうございます

年末29日からずっとうちに居るモリオ。
元旦から発熱して三日ほど39度台をウロチョロ。
今朝は平熱に戻っていた。
昨日も朝は下がってきてたんだけど、智恵熱?
良く熱を出す子ではあるが。

そして超甘ったれで、しょっちゅう私にへばりついて、
オンブだ抱っこだ言い、何故かオッパイに今頃執着。
断乳して一年たったじゃーん。
「おほほほっぱい」とグフグフ笑いながら服の中に手を入れてくる。
変態か!

去年は変な事ばかりあった一年だったけど、今年はどうかな。
加藤さんとも、2日に急に決心がついて、別れる事になった。
別れるというのか?とにかく、会わないことにした。
年末年始モリオと居て、なんかやっとその気になった。
やめようやめようと思いながら、なかなか決められなかった。
子育て中の身で馬鹿であった。
好きなのは勝手にすればいいが、行動に移すのは間違いだと、
わかってたのに本当に馬鹿でした。
モテない奴はこれだから困る。

元旦、三人で毎年行っている神社へ。
おみくじ、ぴー大吉、私は吉、モリオ凶を引く。
私は吉なのに「生き死には大抵死ぬ」とか容赦なかった。

んー、今年の目標は・・・普通の毎日を送れるようになりたい。
朝ごはん食べさせて、幼稚園か保育園かに送り、洗濯をして夕飯の準備。
そんなことを、毎日そこそこやれるようになりたい。
あとはモリオの血糖コントロールが課題だなー。
私が見るとどうも低血糖に偏りがち。

ダメダメですが、ことしもどうぞよろしく!


2010年12月17日(金) さみいんですけど〜

朝6時半の外気温、0.4℃。
なにそれ〜どこ地方ここ〜。
東北までいかないでも自宅のベランダで凍死できんじゃん!

昨日は、加藤さんちに遊び行くかな、と思ってたら、
入院中に仲良しになった京子ちゃんが私の家へ突然来ることになり、
家で6時間ほど延々とおしゃべりをしていた。
彼氏の写真を見せてもらったら吉田栄作みたいな顔で噴き出した。
ブハッかっこいー!

途中、私の父が大根と豚の角煮を持ってきてくれて、
京子ちゃん帰った後、慌ててご飯炊いて、それが夕飯。
うめがったぁ。

最近なぜかMD(もうMD使ってる人っていないよね)で
真心ブラザーズの失恋アルバム「真心」を良く聞いてる。
君が居ないと僕の心は死んでしまう、助けて。とか
もう君が二度と来ることの無い部屋で、ぼんやり一人きり、とか
誇張でもなんでもなくて、俺はもう死にたかった、とか
人はみんな、置いていかれると同じような苦しみを味わうんだなあ。

私が初めて付き合った男の子は、年下でまだ学生で、
付き合って半年で「いなくてもいいかも」と振られたのだが、
その後相当無様に私が食い下がったので、
お互い好きだった頃の思い出まで、思い出したくないような物になったろうな、と思っていた。
それがすごく悲しくて、後悔もしてたのだけど、いつだったか彼のブログを見つけて、
さかのぼって読んでいたら、2人で見た映画のタイトルで書いた日記が有って、
持っているCDのページに、私が聴いていて彼も買ったアルバムが有って、
心底、救われた。
ああ、最後は嫌われて終わったけど、お互い初めての恋人で、会えるのが嬉しくて、
一緒に過ごした日々までは嫌わないでくれたんだ、と。

彼が若くして結婚したとこまでは知ってるけど、
その後はブログを見なくなったし、思い出して探してももう見つからなかった。


モーリー・しい子(藻)