momoparco
  いい女考 3
2005年09月17日(土)  

 知的でセクシーというのは、男女を問わず素敵だと思うのだが、特に女の場合、その表しかたによって大いに魅力が増減したりすると思う。女であることをぷんぷんと匂わせているような女は、どれほど知的に見えても魅力に欠ける。なんのことはない、安藤優子さんのことを書きたかったのだが、私は彼女の大ファンである。

 安藤さんといえば、例のあの局のアナウンサー(ニュースキャスターと言うのかしら?今は)。もうずっと以前に何かの何かで(まったくもって思い出せない)アメリカに取材に行ったときに、たまたま大きな事件の何かをテレビ局のスタジオの裏で聞いていて、即座に同時通訳のように日本に情報を送り、大いに実力を買われて今があると。いつだったか、書店でいつもの”思わず連れ帰る式”本の買い方で、彼女の書いた「あの娘は英語がしゃべれない」というのを読んだ。彼女が高校生の時に、一年間アメリカ留学(ホームステイ)をした時のことを想い出しながら綴られたものだが、初めて飛行機に乗ったとき、少しは自信のあった英語が全く通じず、聞こえてきたスチュワーデスの会話が「あの娘は・・・」で、のっけから大いにショックを受けたそうなのである。

 それから色んな努力のひとをやって、同時通訳的すっぱ抜きにまで至り現在があるとういう凄さも感じるわけだが、これもまったくもって想い出せない他の何かで読んだのは、あの方は局のとってもお偉い方と愛人関係にあるのだとか。かたや独身で相手は家庭持ち。業界では暗黙の了解というか、オフレコというか、見てみないフリというか、要するに、実力によって無理が通れば道理引っ込む式で収まってしまっているというのがまた凄いではないか。

 小柳ルミコが結婚した時、テレビでおすぎだったかピーコだったかが
「昼間っから二人で何をやっているのか想像がついちゃう夫婦って面白くないわねー」
と言っているのを聞いて、大きく頷いたのだが、そういう点で彼女には、それがない。ないのに関わらず、想像をそそられる。

 想像力をそそるのと、想像がついてしまうのとは、同じ想像の果てにあるものが、現実とは多いに違っていたとしても、まったく意味合いが違ってくる。想像はあくまでも想像なのだが、ついてしまうというのはつまらない。もう興味ももてない、持ちたくもないという響きは魅力のかけらもないではないか。人間、生きている以上は、恋や愛は水や空気と同じで、それをこれでもかこれでもかと見せつけられるとげんなりする。そうしたことは、秘すれば花、知らぬがほっとけの世界なのだ、個人的に。

 先日、選挙開票速報のテレビで、安藤さんと桜井良子さんの稀に見るツーショットなどながめならが、聡明な女はなんとセクシーなんだろうとつらつらと思ったしだいである。



  さりげなく
2005年09月15日(木)  

 昨日は、残暑も厳しく湿度もたっぷり、不快指数が非常に高い一日だった。
そのような中、母を連れて再び病院へ。
結局、抗がん剤の治療は、来月から受けることになる。決まってしまえば進んでいくしかないのだが、人間納得をして進むか否かは、後々の気持ちに大きく作用するので、時間をかけて考えるのは無駄なことではなかったとは思う。
 
 夜になっても湿度が落ちず、気分転換に香を焚く。一番のお気に入りは、銀座香十の白檀香。色にたとえると、透き通った裏葉柳。静謐な香りが馥郁と、澱みを浄化してくれた。


 同じ出来事でも、心のあり方で受け入れ方が大きく違う。
あとはまた、淡々と進んでいくのみ・・・とありたい。



  また曼珠沙華が咲いている
2005年09月10日(土)  

 水曜日に母を連れてガンセンターへ行った。昨年末にガンの転移が認められ、年頭に入院をして二ヶ所の放射線治療、都合二ヶ月の入院をしてから、ほんのわずかの日々の間に、今度は血液検査による腫瘍マーカーの数値が僅かにあがっていることが分ったのは7月。医師からは抗がん剤による化学療法を薦められるが、母はにわかには納得できず(というより拒否の気持ちが強い、拒否は治療に対してではなくて、再発に対して)月をおいて再検査ということになり、更にもう一度。相変わらず数値は高いが、相変わらず母は納得せずもう一度検査をしたのが水曜である。

 結局、心にあるものとはうらはらに、体にあるものはあるわけで、望んでいたような結果は出るはずもないのだが、ここへきていよいよ再発ということを受け入れざるを得ない母は、この治療を受ける気持ちになる。今度の治療は、3日の入院で点滴を受け、白血球が下がるのを調整するために一週間後に注射に通う。更に三週間後に三日入院して点滴、その一週間後に注射に通院。それを6回繰り返す。つまり6ヶ月の間に入院と通院を6回繰り返すことになる。

 結論を先に書けば、気が重い。何をするにも連れて行かなければならないし、世話をやかなければならない。そういうことを書くと冷たいようだが、何度となく繰り返すしつこい病気とのやり取りに、まだ始まっていないうちから、それまでの疲れがどっと顔を出してくるのである。

 折りしも父の命日が近い。昨年の今頃、父のことで心身ともに走り回っていたのが嘘のようだ。父は一年半の間に6回の手術を受けた。そのうち二度は白内障の手術だから、入院こそしないもののあらゆる面で負担があった。

 ガンに関していえば、一つ見つかり一つを切除、放射線は26日毎日通い、それから後にも更に転移してまた手術。短い期間の間に治療と手術を繰り返し、そして最後に死んでいった。

 あの時、医師は手術を勧めながらも、術前の説明では
「今の日本ではまだ切るというのが一般的だ。何度も切り刻んで、結局救えなかった患者さんも多くいる」といった。

 最後の手術の後、家族にすればなんだかまだもう少し置いておいた方が良いのではないかと思われる中退院をして、その三日後には、肺炎を起し、そのまま血栓が出来て足を切断ということになり、即手術、集中治療室から出ることもなく、意識を取りもどすこともなく、三日後に亡くなった。

 霊安室には、関わった全ての医師と看護師が集まり焼香をした。その後、先の医師が「退院が早すぎました」とある意味謝罪をこめたような言葉を述べた。入院、手術となってから、若手の医師の苦悩に満ちた顔を見ていた私は、何かを感じ取らずにはいられなかったが、それが現実となったわけである。

 あの時の気持ち・・・。そもそもそれ以前の一番最初の心臓の手術をあれだけ嫌がっていた父の気持ちを考えると、私の中にはどうしても後悔が浮かび、一年経った今、やはりそれはそのままある。そのような経過を一つ一つ思い浮かべてみても、今度の母の状態を一体どう解釈すれば良いのかわからない。

 一般的に、そうすれば良くなる、あるいはそうしないと良くなることはない、と知れば、どんな治療も受ける方向へ仕向けるのが家族の役目と言えるのかも知れない。しかし、どうしても、やってもやってもダメだったという後ろ向きの気持ちが残ってしまうのである。

 放射線を二ヶ所、ふた月の入院をしてからの母のダメージも強かった。照射はピンポイントだが、放射線は湾曲して体内に突き当たるわけではないので、常に内臓の一部を通過する。一箇所につき、26回それを繰り返すと、通過した内臓の一部はどうしてもダメージを受け、一度目は腸、二度目は胃がやられて回復するまでには気の遠い時間がかかったし、ようやくここへ来て何とか元気を取りもどした矢先である。

 母は老人だ。元気を取りもどしたといっても、以前と全く同じではない。加えて老人特有のわがままもある。何かに手を貸すと、それが当たり前となり、出来ないことと、出来るのにやりたくないことが混同される。結果的に、あれもこれも出来ないということになってゆく。私はそれを避けるために、冷たく接することがある。私はあなたではないし、あなたにはなれないという一線を引くことである。しかし、反面、元の担当医の言った
「あとはもう、好きなようにやらせてあげなさい」という言葉も聞こえてくる。

 この先どうなってしまうのかと考えると、気が重いとしかいいようがない。疲れがどっと出る。仕事もある。世話をやかなくてはならないのは、母のことだけではない。自分をどうやって奮い立たせて良いのか分らない。私自身が病気になった時は、病気に対しての憎悪や怒りがそのままパワーとなって、闘うことが出来たのだが、今になるとそんなエネルギーが湧いてこない。

 つくづく後ろ向きであるとは思う。何とか頑張らなくてはと思う。その頑張りをどこから引き出そうかと思案にくれる。何かにすがりたいとか頼りたいとか、そういう心細さも多いにある。泣きたいような心境もある。しかし、泣いてどうなることではないととっくに知っている。本来人間は孤独な生き物である。何かではなくて、自分の中に、どこから何を引き出せば、この半年の間を過ごしていけるのかと思うと、誰か私を怒らせてくれないか、などと不埒な事を思ったりする。まだ出てもいないお化けにビクビクしている。まったくだめな自分である。

 書きなぐりである。明日は父の一周忌だ。そして命日が近づく。心がこれほど弱くてどうするのだと思う。父の墓前で、この状態を、心情を、一体なんといって報告すれば良いのだろと思うと、さっぱりわからないでいる。



  痴人の愛  谷崎潤一郎
2005年09月09日(金)  

 「出ていけ!」
たった一言、自分の耳ががんとする程怒鳴ったきり、私も二の句が継げなければナオミも何とも返辞をしません。二人はあたかも白刃を抜いて立ち向かった者がピタリと青眼に構えたように、相手の隙を狙っていました。その瞬間、私は実にナオミの顔を美しいと感じました。女の顔は男の憎しみがかかればかかる程美しくなるのを知りました。カルメンを殺したドン・ホセは、憎めば憎むほど一層彼女が美しくなるので殺したのだと、その心境が私にハッキリ分りました。ナオミがじいッと視線を据えて、顔面の筋肉は微動だもさせずに、血の気の失せた唇をしっかり結んで立っている邪悪の化身のような姿。−−−−ああ、これこそ淫婦の面魂を露わした形相でした。


*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*


 ナオミが何人もの男友達とも関係を持っていたと知ると、嫉妬と憎悪で彼女を追い出してしまおうとする場面である。
 話はカフエで女給仕をしている15歳のナオミを見初めた28歳の真面目なサラリーマンが、貧しい家の出の彼女を自分の好みの女性に育てあげるために引き取るところから始まる。ナオミは譲治の家の給仕をしながら、嬉々として英会話やピアノの稽古に通い、譲治はナオミがハイカラな女性に育つためにならナオミのわがままや贅沢も許す。

 やがて彼女の成長とともに、どこかへ嫁にやるのが惜しくなり、二人は夫婦になる。初めのうちは、二人とも楽しくて仕方がない生活だったが、いつしかナオミの贅沢は慢性的なものとなり、譲治は経済的に窮するようになる。反してナオミがダンス教室に通う頃には、彼女の回りには男友達が群がり、彼女は男を翻弄する女に育っていた。


 譲治はナオミを追い出してはみたものの、固い決意などすぐにへしゃげ、ナオミに対する未練でいっぱいになると、今度はどうにかして戻ってもらいたいと、一分一秒の長さを嘆く。短い時間にくるくると気持ちが変わるその苦しさを読んでいたら、女の作家が書いた同じような場面の同じような心情を読むときより、自分が同化してしまうことに驚いた。

 たぶん、私は女の書いた女の気持ちには、どこか冷静なのだと思う。実際、女は女同士であることで、とっくに共犯であり同罪だ。だから共犯者のそれはどこか醒めて見ているのだろうと思うのだ。しかしそれを男性の視点から書かれると、むしろ赤裸々な傷みを感じて大いに戸惑ってしまったのである。

 譲治は、同じようにナオミに翻弄された年若い男に諭されながら、どうしても彼女を諦めることが出来ない。彼はそれを自分で滑稽に思うのだが、どうすることもできない。そうなってしまうのは、一見ナオミの魔性の力のようでありながら、その隙間にちらちらと見え隠れするのは、彼の持つ煩悩の強さで、それが蟻地獄のように自らを絡め取り、もがけばもがくほど身動き出来なくしてしまうのだ。

 未練とは、与えたものへの未回収な見返りである。それを捨て去らない限り、切るなどということは出来ないわけで、二人はまるでナオミの思う壺のように元の鞘に納まり、譲治36歳、ナオミ23歳、依然として夫婦でいるのである。


 譲治は純情である。純情ということについて考えると、かねがね男のほうが女よりそうだとは思っていたが・・・なぜかというと、飛躍の極論だが、どんなことを言っても男は女から生まれてきたものだからだと思ったりする。思慕という気持ちは、なにかこう、はかなくて、しかし薄っすらとであっても消えることはなくて、それが母親に対する男の情のようなものとレイアーを重ねるように浮かんでしまうのだ。いつまでも、過ぎし日がいとおしいと思うのはいつも男だ。女は違う。女は目の前が大切で、女の純情はそのためだけにあるのだから。
私は、ナオミはまんざら悪い女ではないと思ったりするのである。



  痴人の愛  谷崎潤一郎 ...序
2005年09月04日(日)  

 大自然の中、小川のせせらぎ。浅瀬に迷い込んだ若魚が、飛沫をあげて活き活きと跳ね回るような言の葉の群れ。このピチピチとした瑞々しい文章は一体なんだろう。何かを読んでいるという気がしない。細やかな描写は怜悧な刃物で丹精こめて彫られたように、鋭く、そしてきめ細やかで美しい。奇跡を見るように引きこまれ、私はナオミになり譲治になる。ナオミはこれから、淫蕩な女に育ってゆくらしい。



  
2005年09月01日(木)  

 はたちくらいから7〜8年前まで、ずっと髪は長かった。身長が高くはないので、バランスからいえば一番長くても背中の真ん中あたりまでだが。髪が背中にあるだけで、夏はとても暑かった。ひとくくりにしても暑い。上に持ち上げて止めると、その重みで首が疲れた。髪は重たいものだと思った。

 思いきってショートボブにしてからは、少しだけアレンジを変えてみるほかは、ほとんど変わらないスタイルでいる。ひと月に2cm近く伸びるので、長い時には気にならなかったが、同じヘアスタイルをキープしようとするには、三週間に一度のカットが必須である。

 いきつけの美容院は、手がとても早い。長い時には高速道路を走りパーマやカットをしていたが、三週間に一度となるとそれほどの時間がない。しばらく通いやすい場所のお店をあちこち歩いて、お気に入りのお店を探した。

 和服を着る機会があって、近くの比較的年配の美容師さんばかりのお店で夜会巻きをお願いしたら、思いのほか良い仕上がりになり、その時からカットもそちらでお願いしている。何より手が早い。若い、あるいは若くはないのにビジュアル系のスタッフのいるお店は、何もかもの手が遅い。カットもブロウも、細かく小分けして少しずつ行うので、時間がかかり過ぎるし髪が傷みそうだが、その割には仕上がりを気に入ったことがない。

 今のお店は、二十代のスタッフはいないし、お客さまも若いひとはいない。しかし、こちらの容姿や、髪のクセや生え方や好み、何もかもを把握して、手際よくたちどころに整えてしまう。新しいテクニックも常に勉強されていて、私がそちらでお願いするようになってから、気がつくと職場のスタッフが4人も同じお店に行くようになった。

 今のところパーマもヘアダイも不要なので、ものの30分くらいで終わってしまう。長時間髪をいじられるのが好きではないので、それも嬉しい。そろそろ切りたいと思っている。11日には父の一周忌がある。ヘアカットの時間をどこに入れようかと、今考えている。



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