momoparco
  元気です
2004年09月29日(水)  

気がつくと2週間経ちました。
時間って不思議。
だんだん気持ちが楽になります。

 まだしばらくは細かな雑用等に追われ(これがなかなかはかどらない)、宿題を抱えているような気がしますが、少しずつこなしていけばいつかきちんと整理できると思います。

 皆さまにはご心配をおかけしました。
ありがとうございました。
元気です♪

 まだしなければならないことが山ほどあって、なかなかネットを繋ぐ時間がありません。
何しろネットの中には魔物がいて、一時間のつもりがす〜ぐ2時間と経ってしまいます。(笑)
徐々に落ち着いて訪問できるようになると思います。
その時はまたよろしくお願いいたします。

 この二〜三日の雨で、すっかり秋になりましたね。
どちらかというと、初秋は寂しく苦手なのですが、今年は夏が長かったせいか爽やかです。
でも、台風が来ているらしい・・・。
大きな被害がないように、出来ればソレてくれないかなと思ひつつ。

 
 写真はたまたま写した15日の庭。
曼珠沙華が咲いていました。



  メモ
2004年09月25日(土)  

 気持ちがすっかり萎えていて、これまで沢山の方から
『後からガックリ来るから気をつけて』
と言っていただいていたのがこのことなのかなぁ〜と思ったりします。
今まで沢山の人が通ってきた『時』を過ごしているのかな、と思いながら、これじゃいけないと思う気持ち、でもやっぱり淵にいるような重たい気持ち。自分の中には何人もの人間がいて、どの私も色んなことを感じています。

 お葬式って(正確には人の死)、色んなものが見えますね。比較的親族が多いので、尚更。普段うすうす感じていた人柄というか人間性というか、そういうものを改めて認識します。かと思うと、日頃蔭に隠れてあまり表出していなかった人が、この時ばかりは強い味方になってくれたりと、人の心の奥底には色んなものがあるのだなと感じます。勿論、私の中にも色んなものがあって、悲しむ私もいれば、事務的に物事を運ぶ私もいれば、ばかやろーと思う私もいるわけで、天使(自分でいうのも・笑)から悪魔まで色々・・・。このような時には、その一つ一つが凝縮し集中して起り、感情の起伏も激しいのかも知れません。父と母の最期の会話は15日のDiaryに書いたとおりになってしまい、その日ずっと父の傍にいた私は、まだまだそれを整理できません。


 この前写真を整理していたら(整理というよりアルバムを見ていて)、アルバムに整理しきれなかった古い写真が箱の中にしまわれているのがありました。昔の写真って、サービスサイズってないんでしょうか、今の身分証明書に貼る写真のような小さなサイズのものが沢山あり、それらを一枚一枚見ていたのですが、セピア色した古ぼけた写真は、父の友人たちだと思うのですが、誰だか分からない物も沢山。

 その中にたったの一枚、軍服を着て上半身だけ写る男性の写真がありまして、母に聞いてみると、あまりにも小さくてよく分からないけれど、おじいさんじゃないかというのですね。おじいさんというのは、父の父、つまり祖父。祖父のことは、『春女の嫉妬』というエッセイに綴っていますが、写真が一枚もなかったのです。早速スキャナーで伸ばしてみると、やはりそれは祖父だという。立派な軍人姿の彼は、葬儀の時に色々あったわけですが、その後も遺された物のことでは父の兄弟たちがまた色々としたわけで、何だか複雑な気持ち。

 翌日、書類などを整理していると、今度は父の『遺言書』が出てきました。それは平成13年に書かれたもの。13年というと、父の言い分よりもっと前、まだ元気で病気の”び”の字もなく、母だって病気の前。その年の誕生日に書かれ、誰も知らなかったものでした。一体どういう気持ちで書いたものかなど、いくら考えても分かりませんが、その後今のようなことになるとは夢にも思っていなかったろうと思われます。 



 少し前のDiaryに書きましたが、たまたま私は『竜馬がゆく』を読んでいて、まさに最後の8巻目に入ろうとする時に、色々なことが起ったので、読みかけの本がまだそのまま。
それまでのこの本の中で、竜馬のことは勿論ですが、最も印象に残っていたのが、吉田東洋を暗殺した黒幕、竜馬の朋友『武市半平太』の切腹のくだり。父の死に、武市半平太を引っ張り出すのも、国士無双の役名を引っ張り出すのと同じくらい大胆なことですが、人の死にざまについて考えていた時でもありました。

 勿論、私は死にざまどころかいきざまだって考えてみたこともありませんが、とても深いところに残るものでありました。いつか綴ろうと思ったままになってしまいましたが。

 
 何だかつらつらと問わず語りの独り言です。
ちっとも意味がないです。
こんなことばかり書き残すのは、訪問してくださる方にはお目汚しで申し訳ない気もするのですが、少しだけ書き残しておこうと思って。
何かを考えているようで、実は何も考えていないのかも知れません。
メモみたいなものかも知れないです。



  秋晴れ続き
2004年09月22日(水)  

 1週間の忌引きのうち、通夜、葬儀があり、祝日があり、様々な手続きがはかどりませんね。
これほど雑多な用事があり、人が1人いなくなる大変さを思う反面、それだけの手続きでいなくなることになるのかという気もします。

 正直、この数日は、非日常的な大きなイベントがあっただけで、父はまだ病院にいるような気がする時があります。
その一瞬一瞬で、思うことが変わりますね。

 掲示板への書き込み、ありがとうございました。
お返事しようとすると、言葉が出ずに固まっていました。
お返事が遅くなって申し訳ありません。
皆さまのお気持ちに慰められておりました。

 ネットに繋げる時間が不規則になっています。
しばらくムラな状態が続きそうですが、(いつもと変わらないかも・笑)大丈夫です。


 明日はまた祝日です。
ずっと晴天が続いています。
朝夕は秋めいてきたものの、昼間は真夏のようですね。
ゆっくりゆっくり、日一日と秋が深まって行くのかな?
良い休日をお過ごしください。


*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*



追記

 19日、このDiaryを書いてから色々な方のお部屋にお邪魔しました。
お部屋へは足跡だけ、どうしても掲示板にお邪魔することは出来ずそのまま帰ってまいりました。悲しい知らせを残してしまうから。

 今日もまた久しぶりにお邪魔しました。
お友達のお部屋で、私たち親子のこと綴っていただいてあり、掲示板には仲間が集まり慰めの言葉を残していてくださったり・・・。

 気がつくとこの数日、多くの方にアクセスしていただいていたようです。
掲示板にお言葉をくださった方、メールをくださった方、お部屋で綴ってくださった方、それぞれの皆さまの暖かいお心が身に沁みて、ありがたくてもったいなくて、そして何より心が慰められる思いです。

 残された者の勝手な言い分かも知れませんが、残された者の心が慰められることは、そのまま亡くなった父の魂の慰めに繋がるのかなと、そんな気がいたしました。

 
 アクセスするたびに音楽や背景が変わるHPのように気持ちがランダムで、まだまだ掲示板にお邪魔することも出来ません。何を書いても嘘のようになってしまう気がします。気持ちが定まらないのだと思います。

 皆さまのご厚情、この場でお礼を申し上げます。
どうもありがとうございます。
今は流れる時間にまかせて、ゆっくりゆっくり歩んで行きますね。


 織音、ありがとう。
そして、チビくんの手術の日にちのこと、さっき知りました。
織音にはどうしても、元気で退院したと報告したかったんだけど、出来なくて・・・、ごめんね。
強く強く祈っています。 ^^



  国士無双
2004年09月19日(日)  

 秋晴れが続きます。
15日にDiaryを綴ってから、ずい分と日が経ったような気がしますが、まだ4日間なんですね。
月曜から昨日土曜までのこの1週間はとても長く感じられ、遥か遠い日々のような気がします。

 父の言い分は、昨年2月23日のDiaryにありますが、私の中にもそれがあり、多分生涯消えることはないと思われます。
あれ以来、後から後から見つかる病気と闘いましたが、仕方がない、やるしかない、といった形で進んできておりましたので、本音で語り合う間もなく、この先も語り合える日が来ないまま、昨日葬儀と初七日の法要を終えました。

 今となれば、たら、れば、ばかり。ああもすれば良かった、こうもすれば良かったと、浮かんでくるのはそればかり、後から後からそんなことばかり思います。しかし、何をどう考えてみても父は帰らず、時間は戻らず、後悔後を絶たず、後悔役に立たず。

 見送る側には、納得という言葉はないのでしょうし、それにも増して父本人が、どれほどの思いでいたのかと思うととめどもない思いがありますが、痛みを感じることもなく、静かに生涯を終えました。いつまでも眠っているようで、それだけが、救いだったかも知れません。


 最初の手術の時より、沢山の方に励ましをいただき、祈りをいただきましたが、残念な報告をしなくてはならなくなってしまいました。この二年近く、ご心配をいただきありがとうございました。また、前回のDiaryより日が経ってしまい、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。


 父は、車のサイドブレーキを引く前に、もう片足が車外に出ているような
非常にせっかちな性格で、もうまどろっこしくなってしまったのかも知れません。
明日も休日、役所関係もお休みで、私たちには『まぁゆっくりやれ』ということでしょうか。そんなだったら、もっとゆっくりしていれば良かったのにね。遺影の写真を選ぼうとすれば、とても父らしいいい顔で写っているのはみんな酔っぱらっておりますし(爆)すーぐ寝ちゃうので、クセは悪くないんですが。

 多くを語る人ではありませんでしたが、綺麗な手を打つ雀士でもありました。またいつの日かトイメンに座して卓を囲み、語らう日が来るのを楽しみに、そしてこちらでの屈辱を晴らすため(今度はハコにして飛ばすため)せいぜい馬鹿にされないよう、盲牌の腕でも磨いていこうかと、日々精進の構えでおります。まぁ、すごいタイトルではありますが、因縁の手ですし、私にとってはね。ははは。


 それにしても、本当に良いお天気が続きますね。
連休でもありますし、皆さまよい休日を♪
 



  命の音
2004年09月15日(水)  

 親父どのがまた手術。
一昨日の朝、退院してからあまり食欲が思わしくなく、気のせいか元気がないのが気になり、母は外出の予定があったので、懇意の病院で栄養の点滴をしてもらうために連れて行く。

 父は退院以来初めての外出だったが、家の中ではいつも通り歩いていたのに、病院のガレージから院内に入るまでの少しの徒歩で貧血を起しかけて冷や汗をかいていた。

 すぐに処置室のベッドに横になり、点滴が始まるがなかなか落ち着かない。腰がいたくて何度も寝返りを打つので点滴がはずれてやり直し。腰やら足やらさすっていたが、どうにも落ち着かず、再度点滴のやり直しの前にトイレに行くというので今度は車椅子を借りてトイレまで行き、立たせようとするとその場で失神。

 すぐに救急車が手配され、退院元の病院へ運んでくれるように頼むと、こちらの医師と向こうの受付で話が通り、看護婦さんも同乗で病院向かう。

 向こうでは、待ち構えたスタッフとそのまま外来処置室へ直行、すぐにレントゲン技師が来てレントゲンを撮ると、肺に影がある。肺炎を起していたらしい。朝は微熱もなく、血圧、血糖全て正常だったのに、肺炎は少し前からあったらしい。続いてCT室に運ばれ撮影が終わるころ父は意識が戻り、今の時間を聞いて驚く。

 とりあえず、抗生物質でたたくことになりそのまま入院。タクシーでさっきの病院へ戻り(救急車に同乗したので)、院長、看護婦さんに経緯を話して帰宅。荷物の準備をしていると、電話がかかる。

『足の血管が詰まっているので緊急手術をします。先生からお話がありますので、すぐに来てください、何分で来れますか?』

病院とここは近いので、ぶっ飛ばせば10分足らず、何か必要な物は?と問うと

『手術の同意書に押していただくので、印鑑をお願いします。他には何もいりません』

 親父の分と私の分と2つの印鑑を持って病院へ直行すると、すでに医師が待ち構えていた。
この医師は、昨年心臓の手術をした時の担当医で、顔を見るなり
『大変なことになっています!』という。

 そのまま会議室へ通され、話が始まる。
途中で母に連絡をしたが、間に合わず話は一人で聞くことに。

 両大腿に血栓が出来ています。こちらに着いた時には脈が触れていたのに、この数時間で触れなくなっています。とのこと。
放っておくと足を切断せざるを得なくなりますので、一刻も早く血栓を取り除くために緊急の手術をします。

 部分麻酔でカテーテル手術ではあるが、心臓病、肺がん、糖尿病、その全てが重病の父には全身麻酔は危険なのである。
心臓がいつ停止するかはわからないとも。
しかし、血栓はまだ数時間も経っていないし、一刻も待てないというため、いくつかの質問をして同意書にサイン。

 父には危険な手術であることを知らせるかどうか?と聞かれ、今までの手術の説明はいつも本人同席だったのに、今回は1人であったことで何か納得するものがあり、当人には不安、ダメージを与えるので、終わってからにして欲しいとお願いする。

『いや〜、足の血管が詰まっちゃって、放っておくと歩けなくなっちゃうんでねぇ〜、血管通すために手術しますね〜』

 明るく笑っていう医師に、父も苦痛から逃れたいためか、「おお、是非やってくれ」 と言わんばかりに『お願いします』

 準備が整い手術室へ向かうまで、医師と会ってからものの30分である。ようやくその時になって母が到着。たまたま一番上の叔父貴と出かけていたので、叔父貴も一緒である。

『また手術になっちゃったよ』とニコニコいう父。
回りから少し話を聞いた母は

『ま〜ったく、扇風機を足にかけるからよ』などとトンチンカンなことを言う。

『だって暑いんだもん』と父。

 こういう会話はいつものことだが、全く危機感がない。知らないのは気楽だ。
家族の待機室に入ってから、さっき医師から聞いた話をする。
母はおったまげるが、とにかく待つ。

 夕方になると、急に待機室のドアが開き、肺の手術の担当医が入ってきていきなり
『とんでもないことになってしまいましたね』などというので、一同緊張。
待機室は本来、手術が終わるまでは待てど暮らせどナーンニモ連絡がないし、あっても内線の電話で知らせてくるので、いきなり医師が入ってくるとびっくりする。

 『僕が肺の手術を終えて出てくると、隣でやってるじゃありませんか。驚きました、中へは入れなかったけど、話を聞くと、カテーテルは使えず全身麻酔に切り替わり、鎖骨下動脈から人口血管を繋いで、両大腿にもって行くことになっているようです。大きな手術なのでまだまだ時間がかかります』という。

 悪い知らせにもランクがあり、この人の第一声で感じた予感は一番最悪。しかしそれは杞憂に終わり、次の心配はもう開き直り。二時半に手術室へ行ってから4時間くらい経っていて、夕方には終わると言われていたのが、長期戦の構えになる。

 ようやく終わったのは午後8時半。それから担当医の話を聞き、父に面会。勿論麻酔から覚めてはいないが生きている。その日は結局6人が泊り込み、何度か様子を見に行くが、何しろ色んな病気があるのである。一般の人が出来る処置も、あれをすればこちらがマズイ、ということばかりで進展しない。血圧も下がったまま、いつ心臓が止るか分からないのは依然としていて、まんじりともしない。

 朝になり、ようやく血圧が落ち着いたものの、次々とあらゆる箇所に弊害が生じ、一難去ってまた一難の状態である。とりあえず家が近いので帰宅することになり、連絡は自宅待機という形で、昨日は午後に二度面会に行き、医師と話をする。

 今日もこれから行くのだが、洗濯だの掃除だのしていても何だか落ち着かない。
ネットしていていいのか?という気もするが、何かしていないと落ち着かない。(笑)

 母は
『もうすぐお彼岸が近いから、何だか心配。こういう時は危ないのよ』

などと、ワケの分からないことをいい、私に一蹴されるが(一笑か?)、びびっているのはよくわかる。

 父は全く健康、なんの病気もしたことがなかったのに、昨年春からいきなり6回目の手術だ。満身創痍の姿である。最後の手術は、先月24日である。よく持ちこたえていると思う。しかし、本人もいい加減うんざりでもあるだろう。

 人工呼吸器の奏でるストン、ストンという音とリズムがソウルチックで良く眠れるだろうと思ったりする。R&Bである。
父は一体何を思っているのか。起きたらなんと言うだろうか。
というより、二人の会話があのままでは・・・、と思うとチョット痛い。



  ピストルとカシニョール
2004年09月12日(日)  

 ↓に書いた猫の声よりもっと前、夜の8時過ぎだったか。
リビングのドアを開けたまま、座っていた。ドアは私の後ろに位置して、廊下をはさんで向こう側にトイレがある。そのトイレのドアが少し開いたままになっていて、窓からの風でドアが開いたり閉まったりする。その物音が、誰もいない家の中で何だか不気味。

 トイレのドアが少し開いているのに気がついていなかったので、誰もいない家の中で、暗い廊下に物音がする状態は怖い。

 思わずヘッピリ腰になって廊下へ出る。誰かがいるような気がするのである。何故ヘッピリ腰になったのかといえば、脳裏を過ぎったのが『一家四人殺害事件』。何故かそういう時にそういうことを思い出す。そして、恐怖に縛られてしまう。新聞で読んだことがありありと浮かんできてしまったりする。まさか私の家に賊がくるなど想像もつかないことではあるが、今の世の中は何が起こるかわからない。本当に怖い。

 こんな時、『ボーン・コレクター』の女刑事、アンジェリーナ・ジョリーや、『コピー・キャット』のホリー・ハンターのように颯爽と危険地帯に侵入していくのなんてとても無理。
だって、ピストル持ってないもん。こちとら丸腰。

 こわごわと廊下の電気をつけてはまた引っ込み、耳を澄ます。また出ていって、階段の上から下を覗いてまた引っ込む。寝室のドアを開けてはまた引っ込む。そんなことの繰り返し。

 ここは二階である。どうやって逃げたらよいのか・・・、ベランダから飛び降りるしかないのである。しかし刃物を持った相手が襲ってきたら一体どうする。などなど、頭の中がぐるぐる。

 ロシアの小学校でのテロ事件も悲惨である。書くもの気がひけるくらいで、被害者に子どもがいれば、身の置き所もない。
今や世界のあちこち、どこにいても何を気をつけても、いつ事件に巻き込まれるかわからない。通常では理解しがたい行動に及ぶ者が増えているのだ。

 ようやく、風とドアの仕業だとわかるまで手に汗握る緊張感。な〜んだとわかってしまえばなんということもない。しかし、いずれ日本人も護身用のピストルなど持つ日も近いんじゃないかと思ったりする。
(そのようなことは勿論嫌だけど)


 気をとりなおして頂き物のデジカメ。(もらっちゃった♪)で最初の一枚。
秘蔵のカシニョール♪↓





  再開しました
2004年09月08日(水)  

 まだ更新はぼちぼちですが、Openにいたしました。
久しぶりに来てみると、やはり落ち着く場所かな?と思ったりしています。

 このように画面に向かってものを書くのも、やっぱり好きみたい。(笑)
しばらくネットに繋いでいなかったので、何だか慣れないようなおかしな気分ですが、またよろしくお願いいたします。

 あ、そうそう、突然消えてすみません。(笑)



Copyright©*momo* 2001-2006 (Prison Hotel)