momoparco
  昨日のタイトル
2004年05月31日(月)  

勝ち組と負け組みってなんやねん。
勝ち組は勝ち組と変換されるのに、負け組みは何で負け組みになるのだろう。
だから、タイトルは勝ち組と負け組み。
じゃなくて、勝ち組と負け組なんだけど、今頃気づいても遅い・・・。
珍しく誤字脱字はないと思ったのに、ちっちっちっ とんだ落とし穴だった。

          *

          *

          *

忘却とは忘れ去ることなり。

実際に忘れきることなどあるのだろうか。
時の流れと共に薄れていくことはあるかもしれない。
日にちぐすりとはよくいったもの。
忘れきることはなくても、Night Headの中に
いずれは紛れて行くのだろうか。

今日のDiaryが、明日になればすぐには見えなくなるように。

今日の風は強すぎる。



  人生の勝ち組と負け組み
2004年05月30日(日)  

 最近あちこちでよく見かける言葉にこれがある。酒井順子著「負け犬の遠吠え」の中にある言葉だ。これは「30代以上・未婚・子ナシ」の女性は「負けているのだ」という評価を受けることがあることを日常痛感している彼女だからこその表現だったと思われ、それに対してして先手を打って、負け組みであると自ら書いているだけのことなのだ。
 
 こういった、勝ち負けのボーダーラインがどこにあるのかさえ曖昧で、考えることすらナンセンスであるということは、著者自身が一番よくわかっておいでになるからこその表現であったはずなのだが、物を書くのは難しい。世の中はこの言葉だけが一人歩きをしてしまい、このフレーズのみに対して喧々諤々といった様子なのである。いわゆる断章主義だろう。

 しかし、「俺は人生の負け組みだから」とか「あたしなんて負け組みだもん」なんて自嘲的に使われていたりするのを見かけると、意外に多くの人は、概ねこの言葉を気に入っているようではないか。人の言った言葉だからと責任転嫁をして、自嘲することに主張があると思っているようだ。だとすると、あの言葉は人助けにはなっていて、あながち悪くもなかったのかもね。

 実際こういうことはよくあることで、一々動揺するなよといいたいが、これなんてまだ可愛いものではないかと思う。

 どのくらい前だったか、もっと凄いのを見た記憶がある。石原里沙著の「くたばれ専業主婦」の中にある、「専業主婦は家畜だ」というあのフレーズだ。あれはサラリーマンの妻(専業主婦)に対して、働く(対価を得る)こともせず、税金を納めることもなく、それなのに会社が負担をしてくれて将来は年金を受け取ることが出来るというのが納得行かないという趣旨なのだが、表現がちぃっとばかり悪かった。

 戦後の高度成長期の時代には、日本の国の発展のためにサラリーマンたちは、エコノミックアニマルとも言われるほどに勤勉であった。会社に忠誠を誓い、指示に従う代わりに将来の面倒をも見てもらう、それを妻たちは影で支え、その力も大いに認められていたからこそ妻たちの年金までをも負担する、という図式が成り立っていたのだが、支えることがさほど必要ではなくなるほど日本が裕福になれば、今度は妻たちから会社人間、仕事人間と評価されるようになった夫は、定年退職をした途端に退職金を折半にしての離婚を申し出られてしまうことも少なくはなかった。つまり、面倒なことは一切妻に押し付けて家庭を省みなかったと恨まれてしまったのである。

 話がちょっとズレた。(笑)

 彼女の書いたものの根底には、ほんの短い時代には相応しいものであったかも知れない制度が、何で現代の平和ボケの世の中で必要なのだ?というものがある。その上に胡坐をかいて、扶養控除の枠の中だけでパートをし、税金は納めず、年金も払わず、毎日グースカしている主婦は許せないというそういうことなのだ。これはある種の説得力があり、言っていることはあながち間違ってもいないようであったが、何せ家畜である。

 そうなると専業主婦が黙っているはずもなく、相当な物議をかもし出し、著者は連日マスコミに引っ張り出されてやんややんやの非難を浴びた。私は昼間のワイドショーなるものは見ないのでその辺りは知らないが、迎え撃つ彼女の第二弾は更に拍車をかけるような文面が並び、彼女を憎む主婦たちからの反論も多く記載された。残念なことにその批判の全て(といって過言ではないと思う)にはあまりにも説得力が弱くて、これじゃあしょうがないと思ったのは事実でもあった。

 「私たちだって、毎日子どものお弁当を生産しています。だとか、そもそも子どもを生んで育てています。それが非生産的だと言うのですか?」だとか、「年寄りの面倒だって見ているし、学校や地域の活動もしているし、それに主婦だって家事雑用は多くてとても大変なのです。」「私たちだって消費税を払っています」(ヲイ、論点がズレ過ぎだろう)などなど、その立場によって恩恵を授かっていると自覚するものは何もない。

 家事雑用など、一人暮らしの男だってやっているし、第一著者には離婚歴があり、子どもを引き取って自力で育て、近くには年寄りもいる。仕事をして税金を納めているし、年金もしかりという事実があるので、迎え撃つにはあまりにも弾が弱く、鼻先でせせら笑われるのがオチであった。著者を擁護する意見もまた多かった。

 まぁ、こういうことは言葉の持つ恐ろしさなのだろう。制度に不満があるのなら、表現を少しばかり変えればもう少し別な形で訴えかけることが出来たはずのものが、あまりにも突飛な決め付け方をしてしまったために、ただ話のタネで終わってしまったということの顛末である。その後名前を見ないけど、どうしているのでしょう、あの人は今。(笑)


 話はズレるが(先に書いておくの・笑)、強気な人間と勝気な人間だったら私は強気な方が好きだ。何故なら強気な人は常に戦いを自らの中に向けて挑み、自分自身に打ち勝ったからこそ得られる自信があると思う。言うことには責任がある。
 一方勝気な人というのは、戦いの矛先が自分以外の誰かにあるので常に横目で人を見て価値観を生み出す。

 人が自分にないものを持っている時、そのことに嫉妬を覚えるのは人として自然な感情ではあると思うが、相手にあって自分にはないもののギャップを埋める努力をするのは、自己との戦いであると思う。それを知る人は、自分自身に厳しく物事を追及して努力をすることの出来る人だと思うが、「あの人だけには負けたくはない」とか、「あの人に勝った」とか そんなところでしか自己評価出来ない人にはそもそも自分というものがない。戦いの相手が変われば、価値観も容易にコロコロ変わるからである。言い換えれば、自分に自信など持てるはずなどないと思う。

 問題は、自信を持つことは傲慢さに繋がりやすいことだ。あまりにも自己に厳しいと回りにも厳しくなってしまうことだ。それを弁えることが出来た人は、信頼のおける人となる。

 一方、自信のない人の危険は卑屈になりやすいということだ。これはいくら周囲が注意をしても、自覚しない限りどうすることも出来ない。

 強者の論理を振りかざす者を可哀想だと思うことがある。
 弱者の論理を振りかざす者を可哀想だと思うことはない。

 これは私が以前この場に書いたものだが、その真意はそこにある。
 ま、余談ですが。^^(爆)


 大人になるということは、どれだけ自分を他人の目で見ることが出来るかどうかにかかっている。そんな気がする今日この頃。またしても早朝のお粗末。



  朝摘みの苺
2004年05月29日(土)  

 1月に植えたワイルドストロベリーの株が大きく育ち、次から次へと苺がなっています。
何だか摘み取ってしまうのが勿体無くて、そのままにしていたら、だんだん干からびて虫が食べてしまうので^^;、今朝一番で採取。

 大きなものでも長さが2cmほどですから、お店で売られているようなものよりは俄然小さいのですが、真っ赤にふくらんだ小さな苺はつやつやでピカピカで、それはもうお店にあるものと負けず劣らずの美味しそうな苺なのでした。

 あまり美味しそうなので、思わずその場でぱくっと。(笑)
甘くてちょっと酸っぱくて、まぎれもない苺の味♪

 すごいすごい、こんなに美味しい手作り苺。
なので記念に一枚携帯でパチッ。
少ししかなくなってしまいましたが。^^;

 後で聞いたら、ワイルドストロベリーは幸運の実なので、摘まなくて良いのだとか。 
っが〜〜〜ん!
きっと幸運の実は、お腹の中でも幸運の実でしょう・・・、ということを祈って。(笑)

 おすそわけです。
はい、どうぞ♪

ちなみに器の直径は85mmデス ^^;





  語り合い
2004年05月23日(日)  

 蛍を見たことを書いたら、嬉しいことに蛍について柊さんがお部屋のDiaryに書いてくださった。

 日本には45種類もの蛍がいるそうだ。発光して光を雄雌の会話に使うのは夜行性の14種だとか。西と東では点滅の時間にも若干の違いがあるのだとか。

 私の見たのはその14種の中の一つなんだね。
 都会の夜空は漆黒の闇にはならず、深夜でも薄墨色をしているので、光の色は夏の絵葉書やうちわの絵で見る黄色ではなくて青白いものだったのだけど、ん?もしかしたらもともとそういう色なのかもしれないのか。

 その夜の天空にある三日月の方がよほど黄色くて、よけいにはかなさを感じたのかも知れない。

 光を雄雌の会話に使う・・・、なんて素敵な表現でしょうね。あの淡い光の放つ幻想は、語り合いだったのね。どうもありがとう。


 ちなみに、蛍の匂いは、蚊取り線香の匂いらしい・・・。?
ま、冗談ですが。^^

 
 みなさま、素敵な週末を♪


何かいい物語があって、それを語る相手がいる。
それだけで人生は捨てたもんじゃない。
−海の上のピアニスト− より





  
2004年05月22日(土)  

 午前中は仕事。
午後からテレビに見入る。

帰国。
ようやく両親の待つバスでの再開。

戦争とサイクル。
歴史と輪廻。

−きずな−について深く考える。
・・・でなくて、感じる。

言葉にはならない。



  換気扇の回る音
2004年05月21日(金)  

 時々血圧のことを書くので、ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、私の血圧は異常に低くて、そのせいでいつも耳鳴りがしている。

 特に右側はほとんど継続して音がしている。何も感じない時は、月に一度あるかどうか。ひどい時は、車の窓を開けたままトンネルの中を暴走している時のような音が、頭の右半分を支配して(もちろん、うるさい)、そのためにちょっとした物音を聞き漏らすことがある。

 例えば風の音、風にそよぐ木の葉の音、虫がカサカサ動く音、蛍光灯のジーっという音。
数え上げればキリがないけど、特に耳の中に聞こえる音と同じ音域の音に弱い。耳鳴りの音で消されてしまうから。だからこうして何かを書くと、”音”の感じがあまりない。

 なんだかとっても寂しいことだ。何気ない小さな音を聞き逃すのが、つまらないなぁと思ったりする。でも仕方ない。

 血圧は、薬で低くすることは出来るが、高くすることは出来ないという。
・・・ではなくて、実際には出来るのだが、上がりすぎた時に、それを下げることが出来ないからあまり薦められたものではないらしい。

「年を取ると血圧は上がるから、今に大丈夫よ」

と年配の方から言われたので、密かに期待をしたりする。

 その代わりと言っては何だけど、私の鼻はとてもよく利く。勘が鋭いというアレじゃなくて、人の数倍匂いがわかるというアレ。

 人の口臭の残り香で、今までいなかったその部屋に、誰がいたのかわかるくらい。(色気ないたとえ・笑)でもそれは、他の人にはわからない。

 絶対音感というのがあるのだから、嗅覚にも何かあると思ったりする。私の嗅覚は、絶対嗅感だと思う。(笑)勿論、一度聞いた香りは忘れない。

 シュレッダーにかけて切り刻まれた書類の、ほこりの下から感じる古いインクの匂いだとか。赤い朱肉の、インクの下に隠れている紅の匂いだとか。

 日常の素敵な音を取り逃がしているのが残念だけど、人の感じない香りが聞こえるのはこれも案外素敵なことですよ。

 で、今はタイトルの音が聞こえています。



  新月の月下独酌
2004年05月20日(木)  

深淵を覗く者は
逆に深淵から覗きこまれていることを覚悟しなければならない

−ニーチェ −


 他人(ひと)の心の暗闇を覗くことは
己の心の暗闇を覗くことだ。
他人(ひと)はこちらを見ていなくても
そこに必ず鏡がある。
鏡に映る姿が、美しく見えるか醜く見えるか・・・。
そして
逆もまた真なり。

なんちて。(笑)


*
*
*



風の強い夜、用があって出かけた。
通り道の角には公園があって、中を通り抜けると近道だが
夜の公園はあまりにも暗くて、坂をおりてまた上っていった。

帰り道。
遅い時間に気がせいて、暗い公園の中を抜けた。
広いわりに、公園には薄暗い街灯が三つしかない。
反対側の出口まで、斜めに公園の中を歩きだすと
右手の奥のベンチに、犬を連れて座る人影がある。
後ろに点灯した光が、うすぼんやりと映し出すシルエットは
たぶん知人のものだと確信した。


向きを変えて少しずつ歩みよった。
公園を囲む木々の、桜の花はとうに散り去り
足元には花びらいちまい落ちてはいない。

少しばかり進んでから声をかけると返事があった。
やはり人影は彼女のものだ。
暗闇から近づく私に警戒心を持ったらしい彼女の犬は
両耳をぴんと立ててすくっとこちらに向いていた。

月のない夜だった。
空にはうろこ雲みたいな大きな雲が一面に広がって
ところどころのすきまに、向こう側の澄んだ空が見えていた。

風の強い夜なのに動かないあの雲は、ずいぶんと高いところにあるんだろうと思った。
月のない夜なのに何であんなに空は明るいのだろうと思った。
風にそよぐ木々の葉と、夜なのに明るい雲のすきまに
彼女たちのシルエットはあまりにも黒くて
私が見ているのは本当は、幻なんじゃないかと思った。

ようやくお互いの顔が見える場所まで近づくと
彼女の犬は安心したらしい。
両足をすい〜っと伸ばしてぐにゃりと地面に寝そべった。

今思ったことを彼女に告げると
同じ事を思っていたと彼女は言った。

少しだけ言葉を交わして、私はまた歩き出した。
公園の出口のところで、手を振ろうと思ったが
もしも何もいなかったらどうしようと少しだけ逡巡した。

思いきって振り向くと
さっきと同じシルエットがあった。
黒い黒いシルエットだ。
二つのシルエットは、気のせいかこちらを見ているような気がした。



  歌います
2004年05月19日(水)  

 ある方の日記に綴られていたものなのだけど
「ある本によると女性は1日に2万語をしゃべらないと話をしたという感覚がないのだとか・・・
 それにひきかえ男性は1日に7千語でよくしゃべったと感じるそうで、
 男性は職場で たいてい7千語を消化しているようです。
 女性は職場・友人・家族との会話、それらすべてを含めても1万5千語くらいなんだそうだ。」
っていうの。

 女はお喋りだとはよく言われているけれど、女はしゃべったと満足するまでに男の3倍おしゃべりをしなくてはいけないらしい。
そうなん?
う〜ん・・・。

 で、HP。
このDiaryのこと。
HPって何だというのに、よく言われるのが、自己満足。
それからそれから、自己顕示欲。
そしてときどき自己弁護。
う〜ん・・・。

 私は初めてこの場所をUPしたとき、このDiaryというのをどうして操ってよいのか全くわからなかった。
理由は簡単で、単なる照れくさがりということだけなのだけど。
私という、全く無名の何のとりえもない人間が何かを書いたところで、それを一体誰が読むんかい、というのもあったし、それにせっかく来てくださった訪問者の方に、そんなものなどお見せしてもよいのだろうかというためらいもあった。

 だからあまり自分の素というものを見せずに来た時期が長かったのだけど、最近なんだか構えが取れすぎてしまったのか、気がつくとつらつらつらつらといいたい放題を羅列している。でも開き直ったというわけでもない。(笑)

 この辺がビミョーなところで、例えば恋愛的感情は皆無といっていいくらいに書かないし、昨日みたいに「泣いた」なんていうのを書くのだって、後で読み返すと実は消してしまいたいくらいに恥ずかしいったらありゃしない。

 じゃあ何なの?と聞かれれば、ただ書きたいことが後から後から出てきてしまうとしかいいようがない。ここに書くことで何だか落ち着くとしかいいようがない。

 それは私が10代の半ばから数年間書いていた日記を書くときの気持ちにとっても似ていて、その時の日記は大学ノートに数冊あって、毎日毎日夜になるとページをあけてその時々の心情を綴ったもの。
今読み返しても、おっとやっぱり私じゃん、と思うものもあれば、ん?本当に私?と思えるほど今より大人びたことが書いてあったりもする。

 その頃は、ノートの表紙を開くことが私にとって一番落ち着くことだったし、私以外の誰も開くことのないその場所に、私の居所はあったのだと思う。といって、私は孤独な少女ではなくて、気のおけない友達はいたし、遊び呆けることもしていたし、本も読んだし芝居も観た。誰かを好きになったり、何かに夢中になったり。それでも一人になって、私は私の外面と喧騒から隔離された時にそのノートを開くことは、一部始終を見てきたもう一人の私と向き合うことで、とても必要なことであったと思う、とても落ち着く時間だった。

 自分でもちょっと笑えてしまうのは、まるでハードロックの歌詞になりそうな、抽象的な散文がときどき綴ってあることだ。今読んでも今の私にも充分理解できる。何故なら多分、それを書いたのが今の私のモトだからだと思う。かといって、そんなものをここにお見せするほどには自己顕示欲はないのだけど。

  日記を書かなくなったのは、私が「先読み思考」の持ち主であることを自覚した時からで、それは多分19の頃だったと思う。思い返しても思い当たることがあるようなないようなという、何かのトラウマがあるわけではないが、もともともって生まれたウマシカはある。文字ばかりの羅列は、真新しいノートの3分の1ほどのところで止っていてそれがハタチを少し過ぎたころだから。 

 それに比べると、HPのDiaryはいつ誰がどこで読むのかわからない。言い換えれば誰に読まれてもいい、というものだから、「誰にも見せない私」と「誰に見られてもいい私」との違いはあるのだけど、何だかここにこうして記すのは、それはそれで気持ちが落ち着くような気持ちになってしまったのだ。

 だとすると何だろう?私は単純に心情吐露だと思っている。それってカラオケなんだろう。これも別なお友達の日記の受け売りになるのだけど
「カラオケで歌うのは本人が気持ちよい。
 プロの歌い手が歌うのは聴いているこちらが気持ちよい。
 たとえ歌っている歌手が気持ちよかろうとなかろうと。」
っていうの。

 そうなんだ。だからこうして書いている私は少しばかり落ち着いて気持ちよかったりもするのだ。もしかしたら、今日も2万語をしゃべっていないのかも知れないし。(笑)本当はもっと面白い、例えば「塀の中の生暖かい面々」とでもタイトル付けをして、ネリカン時代の話でも綴れば面白いのだろうけど、残念なことに私はネリカンにはいたこともないし、アツカンは苦手。せいぜいハコテンで飛んだことがあるくらいなのだから、面白いネタもない。何でもないことを面白く書けるほどのテクもない。
う〜ん。

 だから、これを読んでくださる皆さまが、気持ちよいかというと全くもって、ごめんなさい。それでもここまで読んでいただいたとしたら、とってもとってもありがとう。

 誰にも見せない日記ではあり得ないこと。
こんな私にお付き合いいただいて、素敵な言葉を、気持ちを通わせてくださる皆さまがいてくださること。
それがとっても嬉しいです。

 皆さま、どうもありがとう。



  白いジャケットとベンチと木の葉
2004年05月18日(火)  

 子どものころは、大人になるとオトナになれるものなのだとばかり思っていた。コドモとオトナの間には何かの境界線があって、それを踏み越えると誰もが同じようなオトナになるのだと思っていた。その線はどこにあるのかわからなかったが、成人式だとかいくつの誕生日だとかそんなところにあるのではなさそうだと思っていた。

 15〜6歳の頃は、まだオトナになれていないと思っていたし、19、20の頃もやっぱりまだオトナになれてはいないと思った。周囲のオトナをみるたびに、それをいつも感じていた。

 大きな節目の年と思えたのは23歳という年齢で、ハタチの頃の私はその年齢の人を見ると何故かみなオトナになれているような気がした。何故なのかはわからない。ただ、その辺りの年齢差は小さい子の年齢差と同じくらいに差があるような気がしていた。私も23歳になるとオトナになれているのじゃないかと思えていた。

 23歳になる頃にはそのことを意識していなかったが、ある時ふと私は23歳だと気がついた時、何だか18歳の頃と少しも変わらない自分を感じた。何もかもその頃と同じ、自分はいつだって同じ自分で、ただ外見だけが18歳の頃とは違っていただけのようなそんな感じだ。その時、もっと違う年齢になれば変わるのかと思ったが、いくつになっても私は私を引きずっていて、オトナという生き物になれていないままの気がしている。

 オトナは答えを必ず持っていて、それは1足す1は2のような、とてもスッキリとしたもので、物を考えるために絶えず頭の中には文字なんかなくて、一つ一つには解決済みという判が押されて、箱にいれられきちんと積まれて整理整頓が出来ている。取り出すときにはさっと取り出し、用が済めば蓋をしてまたきちんとしまう。そういうことがオトナになれば出来るものだと思っていた。

 第一次反抗期があって、思春期、第二次成長期があって、そしてそれからは、少しずつでもオトナの道をまっしぐらに歩いていくのだとばかり思っていたのに、いつまで経っても節目節目には成長期のようなものがあり、それは終わることがない。

 その時その時、今まで見たこともないような見知らぬ自分にめぐり合い、そのことを強く認識する。過去にいくら想像してもさっぱり読めなかった未来の自分だ。別人のような新しい自分だ。考えても考えても、自分が何者なのかわからなくなる。

 言葉を使わないで物が考えられないものかと思うのはそんな時で、頭の中に浮かぶ様々な言葉が私の許容を超えると、収拾がつかなくなってパニックを起こしそうになる。

 

 -人生はチョコレートの箱の中身 食べるまで中身は分からない-

 映画好きへの100の質問にあった、「思い出すだけで涙が出る映画は何ですか?」という質問に書いた答えだが、私はフォレストガンプの映画を思うと涙が出る。

 今日、職場の同僚に貸していたこのビデオが返ってきた。
この映画を見るたび、それが何度目であったとしても、いつも新鮮に泣けてしまう。
 
 職場でこのパッケージを見た時、どの場面を思い出してというのじゃなくて、ふいに涙が出てしまった。

 映画のシーンのほとんどは、最愛のジェニーに会いに行く途中の、バス停のベンチに座った彼の邂逅だ。
お終いのシーンは最愛の息子をスクールバスに乗せてベンチで見送る彼の後ろ姿だ。

 フォレストガンプは、IQが低く、それを彼自身もよく知っている。彼の持つ答えはとてもシンプルで揺るぎがない。彼を見ると私は自分の不純さや醜さをまざまざと見るような気がするが、それが悲しくて泣けるのじゃない。媚びることなく何もてらわず、清らかであまりにも無償の彼は、大切なものをどうやって大切にするかを知っている。


 そして今、ベンチに座る彼の後ろ姿の横で文字を打ちながら、どうしても涙が流れてしまうのだ。



  愛を入れる器
2004年05月17日(月)  

 人にはもともと持って生まれた愛情の受け皿があるのだそうだ。
一組の兄弟がいたとして、兄の方はその受け皿がそれほど大きくはなくて
だから親が少しだけ愛情を表せば、それでもうお腹がいっぱいになれるらしい。

 弟の方は、その受け皿がとても大きくて、これでもかこれでもかとこぼれんばかりにたっぷりと愛を注いでも、それでもまだお腹がいっぱいにはならすに、もっともっとと求めて止まない。 というようなこと。

 だとしたら、沢山愛しているという人は、持っている受け皿も大きくて、だから沢山愛されないと満たされない?

 ほんの少しの愛してるでも、たっぷり愛されていると思えたら、それは愛を受け入れるための入れ物がそれほど大きくはないということ?

 与えられたことのないものを、誰かに与えることは難しいといわれるけれど、それは本当にそうなのかも知れないとは思う。

 貪欲に求める者と、淡白に求める者。
こぼれるほどに与える者と、足りると感じるだけを与える者と。
相手が誰であるとかじゃなくて、入れ物の大きさに左右される愛の形があるのかも知れない。



  封印石
2004年05月15日(土)  

 週の間朝のテレビでちらっと見ただけなのだけど、雅子妃のことを報道していましたね。

皇太子殿下の会見と言った方が早いかな。
このところお体の不調で、ご公務をおやすみになり、ご静養されていらした雅子妃の容態は、あまり芳しくはないということ。

その中で皇太子殿下は、妃殿下はとても疲れているようだとおっしゃっていました。この10年間、慣れない皇室での生活に一生懸命馴染もうと努力をされていらしたが、お疲れは相当なものであるということを、「それまでのキャリアや人格を否定するような行動があったことは事実です」と述べられました。

 このような発言は、いまだかつてないということで、報道ではこれを大きく取り上げているものでした。マスコミは、いつだってこちら側の感情を誘導するような報道の仕方をするので、乗せられまいと思いつつこの件ばかりは何だかなぁ〜と思ってしまいましたが、続きを「もっと見たい」と思ひつつ、後ろ髪を引かれる思いで(誰に?)仕事に出かけたのでありました。


 雅子妃の前身は、妃となられる前は外交官として第一線で仕事をする、キャリア組の超エリート。まだお妃候補の一人としてお名前があがりはじめた頃、マスコミに追いかけられ初めの頃は、見るからにバリバリのキャリアウーマンで、マスコミなんぞ目もくれず、どちらかと言えば見下したような、群がる彼らを睥睨するような目つきですら見られていたもので、そのキツさが何とも私は好きでした。(笑)今の日本で若い女が外交官を張ればあのくらいにはなるわいなという線で。

 
 初めはもう、そのような話は全くあり得ないというご様子で、多分それは確かにそうではなかったかと思われたのですが、だんだん殿下の射程距離にたぐり寄せられ(という印象だった)いつしかにっちもさっちも行かない状態で・・・。だって、お断りすれば同じ外交官であるお父上だって、日本にはいられなくなりそうな気配ではなかったですか。

 でも、殿下の誠意や熱意が伝わったこともあるのでしょう、「何があっても僕が全力で雅子さんをお守りします」というあの心強いお言葉は、雅子さまにはたいそう心強いものであっただろうと察したものの・・・。

 「宮内庁から、雅子さんでいいというお許しが出ましたので」という皇太子殿下のお言葉の、雅子さん で いい の で って何じゃいっ!と思ったのも事実でありました。家柄、学歴、経歴、どれひとつを取っても、お妃候補として遜色のないあのような女性のことを、「で」いい と言えるのは世界中で殿下だけでありましょうが、どーしても彼女じゃなきゃ嫌だという割に、そのような物の言い方をさせる皇室のあり方といいますが、へぇ、と思っていたのも事実。先行き本当に幸せになれるのだろうかと不安の影がさしたりもして。正直、雅子さん「が」いい と言わんかいっ!すっとこどっこいなんか思ったりしたのでございますわ。

 ご結婚を決心された雅子さまの決意も並々ならず、そりゃもう必死で努力をされたのでしょう、確実な信頼関係は相思相愛となりますます・・・。
それにしても、日に日にだんだん、雅子さんの顔つきや物腰が、すっかり皇室に入られる女性のそれになり、一人の人間の第一印象というものを短期間にガラリと変えてしまった宮内庁の教育というか(調教というか)に恐れ入り、先行きの不安が残ってしまうものでもありました。

 ところが、結婚の儀や、朝見の儀を終えられてパレードに進まれた雅子妃の晴れやかな笑顔は、その不安を見事に払拭するものでもあり、そうかそうか、それなら良かった、なんていう気持ちで、涙ぐんだりしたものでありますが。


 でもやっぱり、一時の感情に流されるものではないですね。この10年ですっかり皇室の一員に納まりきられた雅子さまを拝見する度、それは皇室の教育ではなくて、ひとえに彼女の努力の賜物と断言するものの、月日は流れ、今じゃ本当にお気の毒。何だか可哀想で仕方がないのでありますね。心の中のあらゆることに封印をして、何とか皇室に染まるようにお努めされたものの、後から後からかかる重圧に、心の休まる時などひと時もなかったことは容易に察せられます。

 今、固く閉ざされた封印石の下で、眠らせていた心の粒子が、僅かなきっかけでサラサラと砂のように流れ出て止らなくなってしまったのではないでしょうか。殿下の前代未聞とされるご発言は、皇室との板ばさみに苦しみながらもお約束通り雅子妃をお守りしようとされる表れのようで、この砂が早く砂塵となって飛んでしまえることをお祈りするばかりなのでありますよ。

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 私事ではありますが、私は誰かに封印石を押し付けてはいたのじゃないかと、早朝に届いた一通のメールで考えました。




  諦観
2004年05月10日(月)  

 もう大分前にテレビで、「喧嘩の花道」という番組があって、何度か見たことがあった。
一般のカップルが番組に出て喧嘩をし、見ていた人たちの判定を受ける、というものであった。

 喧嘩を売りたい方が、一体どのような理由で喧嘩を売るのか、相手に言いたいことはどんなことなのかと局へ手紙を書いて応募する。多数の応募があったようで、そんな中から選ばれて出て来るだけあって、男女の喧嘩は、それはそれはなかなかのものなのだった。

 たいていは夫婦なので、存在としては近いしお互い一番理解し合っていたい相手なのに、歯車がどんどんズレてまるでかみ合わなくなっているから、喧嘩をしていても可愛さ余って憎さが100倍という風で、見ていて切なくて涙が出たりしたことがある。

 親しい仲にも礼儀ありというが、男と女もこんな風になると、言葉も荒く相手の一番痛い所痛い所と攻め合うので、見た感じでは大人しそうな男も女も、相手の感情に煽られてとことん感情的になり、「それほどの近い仲」でしか起りえないような喧嘩になる。

 売り言葉に買い言葉のようになった男女の喧嘩は、まるで子どものようだと言ってしまえばそれまでで、そこに行き着くまでにどうにかならなかったのかと思ったが、当人たちにすればどうにもならなかったから今があるのだ。

 もうお互いだけではどうすることも出来ずに、第三者の助けを借りるところに来ていて、しかしそれはまだ調停という場所ではなくて、そこにまだ愛はたっぷりあるのだろう。

 後になって、この番組はヤラセだという話も聞いたが、私が見た限りは、涙を流し、相手にだけは言われたくないというような口惜しさや、どんなに訴えても分かり合えない歯がゆさは、近しい男女にしかないもので、どんな映画やドラマでも真似の出来る俳優はいないと思った。

 人の心の修羅は、味わった者にしかわからないことかも知れないが、人には誰にでも同じ顔が隠れているのだと思う。ただ、巡り合った相手によって、その部分が表出しなくてもいられるかいられないかの違いなのではないだろうか。

 誰だって、あんな風にはなりたくはないと思うはずだ。あの二人だってかつてはそう思っていたに違いない。 



 今更だけど、人と人との関係は、お互いがお互いを理解し合う努力でしかない。
そのために人は言葉を投げかけて、返る言葉を待っている。

 相手にとってもそれは同じだ。何を見て何を感じてどう理解したのか、確認をしながら先へ先へと進んでいく。どちらかが与えるばかりではなくて、どちらかが与えられるばかりでもない。言葉はキャッチボールのように、お互いの間を行ったり来たりしながら、更に深い理解へと繋がっていく。それは二人で一緒シャツのボタンをかけるような、共同作業になるのだと思う。シャツはお互いを包む世界だ。

 キャッチボールは、どこか手元が外れるとボールはあらぬ方へ飛んでいく。いくら一生懸命投げかけても、予期せぬ場所から戻ってくることもある。ふと気がつけば、同じ言葉を話していたはずなのに、まるで通じていないとわかる時がくる。

 同じ場所を見ている時にはなかったズレは、初めはほんの少しだが、気がつくと時間と共に大きな大きな溝になり、言葉はただの飾りになっている。

 ボタンは、どこか一つをかけちがえるといくら先へ進んでも掛け違えたまま。ある時これに気がついたなら、どこでかけ間違えたのか確認をして、一つ一つはずしながらその場所へ戻っていかなければ、やりなおさなければ、いつまで経ってもかけちがえたままだ。

 でも、二人ではめたボタンは、はずすことも一人では出来ない。これこそが大切な共同作業なのだと思う。一度はめたものをはずすのは辛抱がいる。やりきれない思いもあれば、大きな勇気も必要だ。お互いが傷つくこともあるのだから。

 それを避けて過ぎたことだとやり過ごして、少しばかりの反省をしても、よほどの学習能力がない限り、クセはなかなか治らない。誰にだってクセはある。そのクセを流してしまえるクセもあれば、流すことが出来ないクセもまたあるのだ。

 気を取り直して、違う色のボタンや、変わったデザインのボタンをかけてみても、歪んだ空間が埋まるわけじゃない。一時的に取り直した気持ちでも、ある時ふいに、着心地の悪さを思い知る。心の中にもっと暗い闇が広がる。あの時ちゃんとしておけば・・・。

 人はなかなか変われるものじゃない。だからこそ、しっかり一つずつはめて行きたいと思うのではないだろうか。
大切な人とだからこそ、丁寧にかけて行きたいと思うのではないのだろうか。


 もう諦めて、冷えきった男と女なら、あんな喧嘩はしないだろう。
 ふと思い出した「喧嘩の花道」。



  選択
2004年05月09日(日)  

 敬愛する二人のパートナーに飼われた一匹のワンコ。
ワンコはこのパートナーたちに信頼をよせ、絶対服従。
例えば、このワンコをはさんで二人のオーナーがあちらとこちらに分かれてワンコを呼んだなら・・・ ワンコはどうすると思います?

 まず一人があちが側から呼ぶと、とりあえず呼ばれた方へ向いて尻尾ふりふり走り出そうとするわけです。そこでこちら側にいるもう一人のオーナーが呼ぶ。するとワンコは首だけ振りかえり動きが止る、体の向きが変わりつつ尻尾ふりふり、今度は反対側へ走り出す。すかさずこちらでもう一度呼ぶ、するとまたまた反対のことをして向きが変わる。この時、走り出しながらも振り返るのですね、もと呼ばれた方へ。まるで後ろ髪を引かれたような目つきをして。申し訳なさそうにして。

 こうしてあちらとこちらで呼ばれることを繰り返すたび、ワンコはもうどっち向いていいんだか、どっち行っていいんだか、真ん中で、あっちにもこっちにも腰全体までがフリフリのへべれ状態になってしまう。両方に愛されて、目なんかもう星がさんざめいちゃっているわけです。でもくたくた。
選べないんですね、どちらも。こういうところが、ワンコの可愛らしさで、人間に近いと思うのですが。

 
 ちょっと違うのですが、例えば人間の場合、二人の人を好きになることだってあるでしょう。
人は自分にないものに憧れる。一人一人もつものはそれぞれに違い、全てのものを兼ねそろえた人もいない。そんな中で、この人のことが好きだと思う、でもまたこの人にない別の魅力があの人にあったとき、あの人のことも好きになる。そんなつもりじゃなかったのに、ふと気がつくと同時進行で好きでいる。知らず知らずに二股の日々。

 さて、そうなると、その時その時どちらに行っていいのか分からない。なんとはなしに優先順位が出来ていて、今日は子どもの誕生日だと思えばそちらへ行き、今日は二人の記念日だと言えばあちらへ行く。そういう男も沢山いるし、女だっているみたい。(笑)

 真ん中でワンコ状態っていうのは、人の場合あまり恰好の良いものじゃなく、まぁどちらかといえばみっともない姿ではありますが。ふふふ。

 で、最終的にはやっぱりだんだん疲れてしまうわけですね。そろそろ一人にした方がいいと思う。どちらも捨てがたいけれど、我が身可愛さには替えられない。そんなもんでしょう、ある程度享受すれば。そうこういうことはとかく揉め事の種になり、あまり幸せなことじゃない。さて、どうしたら良いのか。

寂聴さんに言わせると、「条件の良い方を選びなさい」だって。
答えになりますか?(笑)

 私の友人に、これを10年やった男がおりましてね、彼の場合はことが発覚してしまったのですが、彼も疲れちゃっていましたわ。
ただ、彼の凄いのは、2つの家庭に月々50まんいぇんの生活費を渡して、なんの不自由もなく生活を営ませていたことにあります。なので、それぞれの女(妻?)たちも、驚愕はあったものの彼を憎みきれない。今後も彼なしではやって行かれないでしょう。

 私も片方の妻(女友達)から初めて聞いた時には驚くばかり。その後彼から電話があった時には、思わず「お疲れさま」って言っちゃいました。で、ワンコの姿が思い浮かんでしまったというわけ。
長くなるので、この話はまたいずれ。


 今日の母の日は、淡い青紫の額紫陽花を贈りました。あの色に何故かとても強く魅かれて。




  アサリ
2004年05月08日(土)  

 昨夜、潮干狩りで獲れたてのアサリを入手した。
3キロ近いアサリである。

 ペットボトルに入れて持ち帰られた「海水のうわずみ」と共に、広口の容器に入れた。
アサリは暗い場所を好むというので、キッチンの灯りを消しておいてみた。
 
 入れ物に移したてのアサリは、遠慮がちに少しだけその姿の先を見せていたが
真夜中にそっとキッチンの暗がりを覗くと、今までみたこともないような長い水管が林立して、まるで水槽に沈む玉砂利のすき間から、透明な軟体植物が生えているみたいだ。

 生まれた水にくつろいだアサリは、大きく殻を開いて美しい体を揺らす。管はいくらでも伸びて、貝が揺れてときどきコトリと音がする。

 しばらく見ていると、管は上を向いているばかりでなくて
2つだけ混じるからす貝の、濡れ羽色の殻の上に、まるで情人(いろ)にしなだれた女の腕のように体をあずけた管もある。

 動かない。眠り込んでいるようだ。少しだけ触れてみると、酔った女がふいに気がついたように、管を持ち上げ大きく水を噴き上げて、また反対側へとしなだれかかる。

 夜中の浜辺を思ってみた。大きな波が来て、小さな波が来る。濡れて光る水管は、ゆらゆらゆらめき生を刻む。
なまめく姿を波にさらし、繰り返し息をする。

 昼間は殻を固く閉ざして身をかくす貝の身の、月の光に照らされた、つまびらかな夜の姿。





  バックドラフト
2004年05月06日(木)  

 消防士の父が、現場で命を落とす場面を目の前で見た幼い少年が、やがて父や兄と同じ消防士となり、兄の属するチームに入隊する。

 兄への強い劣等感を抱きながら育った彼は、軽薄で腰の落ち着かない男に成長していたが、兄と共に向かった現場で今度は兄をも失い、気持ちが一転、責任感ある果敢な消防士へと変貌を遂げる物語・・・、のはず・・・であった。


 この映画は消防士を彼に持つ友人に誘われて、劇場公開されるやすぐに観に行ったもので、あの時私はクライマックスのシーンでハンカチを握りしめ、涙を流しながら画面を見つめていたのだ。

「まったく、先を越されたわ。
 隣で先にそんなに泣かれたら、私が泣けないじゃない」

 後から友人に怒られ、しかし

「でも、あの彼、最初はマヌケな顔して、何だかな〜って感じだったのに、最後には恰好良くなっちゃってたわよね〜」

といわれれば

「ね、ね、映画のヒーローって、みんな初めと終わりとじゃ恰好良さが違うのよね〜」

なんて激しく同意したこともしっかり記憶していた。


 なのに、昨日DVDで見たこの映画のストーリーは、父が亡くなる現場を見た少年が、兄と同じ隊に入隊することや、兄に対して劣等感を抱いていることを除けば、まるで違う筋書きなのであった。

 同じ映画?(当たり前)

 さらに私が凄いのは、ロバート・デ・ニーロやレベッカ・デモーネイが出ていることすら全く憶えていないことで、彼らが画面に出て来るなり私は我が目を疑った。

 あの時私は、ただただ後半恰好よくなったウィリアム・ボールドウィンの後を追い、この後に封切られた、シャロン・ストーンとの競演作、「ガラスの塔」も観に行ったのに、肝心なこの映画のストーリーは、記憶が全くデタラメなのだ。


 それだけでなしに、この映画を観たかどうかと聞かれれば、とうとうと最初に書いたストーリーをお話し(今となってはでっちあげ)、是非観るといいと、あの人かの人にも勧めていたのである。

 疑った方がいいのは目ばかりじゃないみたい。そんなことを思ったら、まるで額に縦筋を浮かべたチビまるこちゃんのように青くなってしまった。おかげで昨日は、再びボールドウィンの表情ばかりを追って、あまり映画の内容を憶えていなかったりするのであるよ。

 あなおそろしや・・・。



  水蜜桃
2004年05月05日(水)  

   熟した果実は

   内側に熱を秘め

   紅の裂け目がある

        皮をむき歯をたてる

        果汁はあふれ

        舌ですくう

              あとからあとから

              蜜が流れる

              禁断の果実は

              腐らない



  スリップストリーム
2004年05月04日(火)  

 私はそういうことだったのかな?と思ったりしてる。
今まで私が風を切って走っていたような気がしていたことを。

 高速道路なんかを走る時に、たいてい前のを走る車との車間距離は100mくらい開けているのだけど、たまたま早い車の真後ろにピタっとくっつけて走ると、空気の抵抗がない分、車は驚くほど早く進む。

 実際には、空気抵抗が少なくなるだけでなしに、車の後部下の部分は、流体力学的に真空に近い状態になるということもあるので、その部分にピッタリつくことでこの現象が起るのだけど。

 これは勿論、無謀な運転には違いないので、お薦めするものではないけれど、燃費だって少なくて済みます。あ、だからお薦めはしませんが。


 
 で、何でそういうことだったのかと思ったのかというと・・・。
私の目の前に、「義務」というものを満載した大きな車が走っていて、私はただその後ろにピタリと付いていただけじゃないのかなと。
 
 義務や責任は人を動かす大きな力を持っていて、その上で人はするべきことの道を見つけ、やるべきことをこなし、何もなければ考えることもないようなことをし続けているのじゃないかなと思った。

 喩えは違うけれど、少し借金があるといいっていったりするし。そういうものがあるから頑張れるとか、やれてしまうというのかな。

 食べ盛りの大学生なんかが二人ぐらいいたら、そりゃもうお金だってかかるし、でもみんな何とかやっていて、その存在がもしなかったら、同じように頑張れてしまうかというと違う気がする。張りあいがあるから張りきる?

 それはお金だけの問題ではなくて、行為、言動、そういうものも含めて、何かを背負うことでしか得られない力のようなものでこなしていく。と言って、水の流れに乗って流れているだけじゃなくて、ハンドルは私が握る。そんな感じ。

 だから、まるきり張りあいだけじゃなくて、それは重たい責任ではらんでいて、ただ存在感だけで強くなれるとかそういうのじゃなくて。

 う〜ん、上手くまとまらないな。
同じことを義務でも責任でもなく、ボランティアか何かで始めようと思ったら、行動するのにもっと大きなエネルギーがいる。むしろ何も出来ないか、しないかじゃないかと思うのだ。

 去年あたりの私の生活はそんな感じ。今、目の前からいくつかの義務やら責任やらの乗った大きな車がいなくなって、そうしたら何だか重たいのだ。道も、実はつけてもらっていたんだなと感じたりして。

 勿論、これがいつまで続く保証はないし、私はまだ大きな子どもを独立させましたっていう年でもない。ただ、何だかついこの前まで抱えていたいくつかの問題が一つずつ、ゆっくりゆっくりとではあるけれど解消されたから、そんな風に思うのだ。

 あれは、そういうことだったのかな?と。



  やすみモード
2004年05月03日(月)  

 これは意外と疲れたりする。(笑)
日頃は時間に追われて、今しなくては後では出来ないということを順番にこなしているから、一日のペースに乗って動くことで、かなり多項目な行動を起こせているのだと思う。

 それがすっかり取り払われたおやすみの日。早起きしなくてもいいし、朝からバタバタしなくてもいい。シャワーもメイクものんびり。心ゆくまでコーヒーを飲んでぼっとして・・・。

 なんだけれど、何もかもがその調子で、後でいいや〜バージョン。すると・・・時間は待ってはくれなくて、気が付くともう夕方だったり。

 そうして何もしないまま一日が終わってしまうようで、夕方になって慌てて姿勢を正そうとしても、それがまたとても疲れる。

 何だろう、やすみモードって。たまには緊張感を解いて過ごすのは大切なんだと思うのに、それが何故にか疲れる。自律神経が失調するみたい。(笑)この場合の自律神経って、交感神経と副交感神経のあれじゃなくて、自分のことを律する力の方のことなんだけど。力っていうのは、精神力みたいなものかな。

 義務から解放されると何にもしたくない。(私だけ?)だから、私が最も尊敬するのは、日々を規則正しく過ごせる専業主婦の方。専業主婦といっても、子どもがまだ小さくて、上の子の幼稚園の送り迎えがあったり、その間に下の子を公園で遊ばせたり、それぞれの合い間に家事労働をして・・・、なんていう頃はむしろ時間に追われて色々なことをやってしまうものだと思うけれど。

 もう子どもも大きくて、朝みんなが出かけたら夜遅くまで帰ってこない、終日フリータイムの主婦の場合、長い一日を私のようなやすみモードで過ごすこともなく、決まった時間に家事をして、庭いじりにジム通い。

 何だろう、そうして動けるのって凄いことだなと関心しつつ、真似できそうもなくて。結局おやすみはぼっとしてお終い。

 ちょっと情けない。(笑)



いらしてくださった皆さまへ


 ところで、url が変わりました。
今までのところ、ずっとサーバーの調子が良くなかったのと、容量が少なくてそろそろ・・・だったのとで、新しい場所へとやってまいりました。
もし、リンクやお気に入りに入れてくださっている方がいらしたら、ご面倒ですが、修正をお願いしますね。

 中身はそのまま引越しましたが、この場所はCGIが使えるので、このDiaryと表紙のMiniDiaryを作ってみました。どうでしょう?一日に何度でも書けるのでお気に入りです。

 CGIは初めてなので、動作確認はしましたが、皆さまのところからはいかがでしょうか?不具合がありましたら教えていただけると嬉しいです。

 これから掲示板の方も作ってみますね。



  感謝をこめて
2004年05月01日(土)  

 しばらくネットをお休みしていました。生活が変わり、心境が変わり、何か大きな山を越えるときでもあるようです。少しばかり本音をいえば、いつの頃からか、ネットに繋ぐと何故かとてもストレスを感じるようになっていました。もしかしたら、私はインターネットには合わないのではないか、そんな思いが募っていました。

 ここでは、お互いの目を見て会話をすることがありません。多くの人と出会うことはあっても、多分私はほとんど全ての皆さまと本当にお会いすることはないでしょうし、声を聞くこともない。

 文字だけでお互いを表すこと、意思を通じ合わせることに、見えない壁を感じるようになっていました。どのお部屋へお邪魔しても、管理人さんがみな生き生きと楽しそうで、私には何か足りないものがあると、感じはじめていました。何かが違っていて、それは何だか分からないけれど、ただ一つ言えることは、私が楽しいと感じられないということだけ。

 そのうちに、キーボードに向かっても、一文字も文字が打てなくなりました。指先で少しばかりマウスを押せば、皆さまのお部屋に向かうことも出来たのに、それも出来なくなっていました。とても排他的な世界に迷い込んだようで、刺激だけが心に残る。とても疲れていました。閉鎖しようかと考えました。閉鎖だけでなく、インターネットそのものを止めようかとも考えました。毎日毎日、頭のどこかでそのことがあって、前に進むことが出来ずに日が経ちました。ある時ふと、今日の日のことを思い出して、それが区切りになるじゃないかと思ったりもしていました。

 黙っていなくなるのなら簡単だったかも知れません。でも、気にかけてくださる皆さまのお一人お一人のことが思い出されて、これがバーチャルの世界といいつつ、やはりその存在感はとても大きなものでした。 そして今、このようにして、この場に言葉を残している私がいます。
皆さま、どうもありがとう。
今は、ただただ感謝の気持ちでいっぱい。
言葉にならない思いがあります。

 本当にどうもありがとう。
おかげさまで、4年目を迎えました。この先は、以前のようには更新も出来ないと思います。それでも、まだ皆さまとご一緒したいと思います。

 感謝の気持ち、お邪魔してお伝えしたいと思いますが、薄情なカレンダーは今日も明日も私を休ませてはくれません。GWが始まったというのに、いつもの月末月初の仕事があります。明日も出勤です。だから今日はこの場だけでお礼を申し上げます。

 お休みに入ったら、ゆっくりとお邪魔いたします。
皆さま素敵な休日を。
そして、おやすみなさい...

 from momo *



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