momoparco
  最強のフラッシュムービー
2003年04月27日(日)  

 こんなのが好きだったりします。(笑)⇒ココです
お気に入りに入れておいたのに、パソコンを新しくした時に失くしてしまっていたのですが、何とか探してみました。
良かったら一度覗いてみてください。
早送り巻き戻しスローモーション何でもアリ。非常に良く出来ていると感心します。
PLAYボタン押してね。
日曜のひと時をアナタに。
たまにはスカッ!としたいですね。

って、つまらなかったらごめんなさい(笑)

 それから・・・
gaiax の掲示板が時々調子が悪くなることがあります。
お邪魔して書き込みをしても、こちらには反映されないのとIDが消えてしまうのと。
放っておくとまた直っていたりもするのですが、もしご不便をおかけしていましたら申し訳ありません。

・・・久しぶりにMoon-Diaryの方も書いてみました。(汗)





  ニ日分?
2003年04月26日(土)  

 このところあまり良い知らせがないと先月あたりに書いた記憶があるのに、また昨日とても悲しい知らせが舞い込んで来た。
中学生の頃からの親友の姉上が亡くなったというのだ。病気でも事故でもなく、人にこれを助けて貰えば助けた人が幇助罪になるというやり方で。

 私の親友は今、名古屋に住んでいて横浜の実家に姉上は離婚をした後ご両親と一緒に住んでいた。ご両親ともに高齢で、健康的とは言えず、特に母上はもう随分以前から痴呆がひどくて、寝たきりではないが一人では何も出来ない状態であった。
 
 この姉上はまだ結婚していた頃、中学生の時から続けていたテニスで全国大会に優勝してさる県の栄誉県民として表彰されたことがある。離婚をして少し前より横浜の実家に帰ってきてからはご両親の世話をしながら働いていたが、それ以前より金銭面で色々とあるようだと聞いてはいた。とても健康でスポーツマン特有の強さのあった人なのに、とても信じられない気持ちである。

 今から二月ほど前には、別の友人の義理の兄に当たる人が同じようにして亡くなっていた。彼は骨董品を扱う人でその商売はとても上手く行き、羽振りがよく家の中には8桁の金額の家具が並び、跡取りもしっかり決まり一見なんの不自由もないようだったが、実は病気を苦にしていたらしい。ある朝いつも通りに仕事に出かけ、そのまま帰らぬ人となったと聞いた。

 ふた月の間が空いてはいたが、私にとっては相次いだ話である。それぞれの友人とは長い間の交友関係の中で、家のことや家族の確執などについてもつらつらと聞いてはいたが、まるで想像をしていなかったようなことである。この人たちが特別にそのようなことを予想させるような気弱な人たちではなかったこともあるかも知れない。

 私は意味もなく、働き盛りと言われるような年齢層の人というのはそのような亡くなり方はしないと思っていた。しかしそれは大きな間違いだったようだ。つい最近も有名な俳優が日本と中国(?)で同じように亡くなった。
一体どうしてというのは到底計り知れるものではなく、それでも命を引き換えにしなくてはならなかった理由があるはずなのだ。

 どれほど健康でいても、どれほどお金持ちであってもそれはその時に意味のある事ではないのだろう。第三者から見てどうだというのは本質には何も近付いていないし、理由を知って納得したいと思うのは当人ではないのだから。

 このような知らせを受けるといつも思うのは、私にはこれと言って悩みなどないか、あったとしてもそれは取るに足らない小さなことだということだ。
こういう時に、自分を照らし合わせてそのように思うのはとても失礼なことだと思うが、やはりそう思ってしまう。

 これから先の事を考えて途方に暮れている友人のことが気がかりでもある。
心から姉上のご冥福を祈りたいと思います。


 ようやく座っているのが少し楽に感じられるようになりました。立っている時や歩く時はちょっとまだ辛いですが・・・。

 大分前から映画のメニューの中身が1つのファイルにいっぱいいっぱいになってしまっていたのでリニューアルを兼ねてファイルの整理をしていました。
そうこうしているうちにバタバタと色々なことがあり、なかなか先へすすまない内に時間が経ってしまいましたが、どうしても今日の日に『戦場のピアニスト』を載せたいと思いこの場に先にUPしました。
映画の感想はいつもいくつかまとめてUPしていたのでダイアリーに載せるのは初めてのことですがそれが下のものです。

 それではおやすみなさい。



  戦場のピアニスト
2003年04月25日(金)  

監督:ロマン・ポランスキー
主演:エイドリアン・ブロディ/2002年
原作:ウワディスワフ・シュピルマン『 The pianist 』
2002年カンヌ映画祭パルムドール賞受賞。
2003年アカデミー賞作品賞候補。

第二次世界大戦が始まり、瞬く間にワルシャワの街がドイツ軍に占領される。ナチのユダヤ人に対する迫害が始まる。ユダヤ人は財産も人権も、何もかもを没収され、強制的にゲットー(ユダヤ人居住区)へ移住させられる。人は人であることを剥奪され目を覆いたくなるような残虐な殺戮が日常として起こり、餓えに苦しみ、そこここに死体があるのを見ながら恐怖と背中合わせに黙々と日々を過ごす。

ラジオ局でピアノを弾いていたシュピルマンもその一人。彼の家は裕福な方ではなかったろうか。持てる現金は限られ残った分をどこに隠そうかと家族で話し合うシーンはまだその後に起こるあまりにも悲惨な出来事を想像していない。
そして、もしかしたら恋人になっていたかも知れない予感を漂わせたドイツ人音楽家との逢瀬もままならない状況から、いよいよゲットーに移住する。
しかし次第に人々に流れる時間は、ただ日々を耐えることのみに費やされるようになる。

戦況が悪化し、人が人として扱われなくなって行く過程は、自らもユダヤ人として第二次大戦を生き延びた体験をもつロマン・ポランスキー監督によって、ユダヤ人を無差別で機械的に大量虐殺するナチス・ドイツ兵があくまで淡々と描かれていることで、より底知れぬ恐怖を感じさせた。

一家の長男として非常に冷静であり、あまり取り乱すこともなかったシュピルマンが、自らの意思と反して家族と離れ離れになり、たった一人になってしまった時に、泣きながら廃墟と化したワルシャワの街を彷徨する場面は思いもよらなかった彼の絶望を感じて胸が痛かった。
彼は逃げる、どうにかして生き延びる。助けてくれる善意がある、善意に見せかけた悪意がある。病気になり建物も破壊され、どの場面をとっても生と死は表裏一体、ほんの少しのタイミングでいつ命が耐えてもおかしくはない中、彼は生き延びた。

ドイツ将校に見つかってしまった時、彼は餓えに苦しみようやくみつけた缶詰を開けようとそのことばかりに必死であった。ドイツ兵はシュピルマンがピアニストであることを聞き出し彼にピアノを弾かせる。それまでの思いをぶつけるようにピアノを弾くシュピルマン。彼のピアノで心を動かされたかのようなドイツ将校は彼を意図的に見逃し、更に時々食物を与えてくれたりもする。厳寒の別れの時には、それまで着ていたコートを脱いでを彼にくれる。お礼の言葉も満足にかけられないシュピルマンに、ドイツ将校は言う。

『生きるも死ぬも神のご意志だ』

この言葉が後になって、皮肉にも無情にもなる。結局、彼は生き延び、立場の逆転したドイツ将校は収容所の中で後々の人生を終える。

音楽のない映画であった。聴こえてくるのは所々のピアノの演奏以外は全て銃声と爆発音。私の記憶が確かなら、ピアノ以外のBGMが聴こえたのは、夜、ゲットーの路地に並ばされた人たちの中から収容所に向かわされる人を無差別に選ぶ時に、たったひと言『どこに行くのですか?』とドイツ兵に聞いてしまった女の人がいきなり頭を撃たれて崩れた時だけ。そしてそこから無情さが増しそれは日常的になっていった。

この映画を観た時に思い出したのが、プライベート・ライアン。あの映画でスティーブン・スピルバーグ監督は、あくまでも戦場の一人の若い兵士の立場に立ち、かけがえのない名前を持った個人として死んで行く一人一人の死を追った。ジェームス・ライアンは生き残ったが、ライアンは英雄ではないし、物語もハッピーエンドとは程遠い。と私は書いた。

今回のこの映画でもやはり『個』である。プライベートライアンが、『個』を守るという任務の為に働く兵士たちの物語であるならば、これは『個』であるシュピルマンを、そしてその目に映ったその時の世界である。

彼は戦いに関して一切何もしない。ただ逃げたいと思う。『逃げるのは簡単だが生き延びるのは難しい』と言われ、それでも彼は逃げる。『個』である彼の目に映る戦渦の状況は、全て敗れた窓や薄い壁から見聞きする世界であり、彼自身は何もしない。勿論彼は英雄ではないし、物語はハッピーエンドでもない。しかし、多くの人が実は同じようにしたかったに違いない。実際に彼のようにして生き延びた人もいるだろう。戦うことそのことが、彼にとって意味のないことなのだ。そう、誰にとっても。人は個々に命があり人生がある。一体何が善で何が悪なのか。

人は言う。『もはや神すら信じられなくなってしまった』
ほんの少しのタイミングで命を奪われる人々。一日の作業を終えて整列させられた中、ドイツ兵によって無造作に『選ばれた』人たちが地べたに這わせられる。何が起こるのかと考える間もなく這わせられた人たちはドイツ兵の歩く歩調で次々と頭を撃たれて死んでいく。

もし彼がピアニストでなかったら、ピアニストであったとしてもあのドイツ兵に出会わなかったら、出会ったとしてもそこにピアノがなかったら、ピアノがあっても弾くことを許されなかったら・・・。どの状況でもすぐに撃ち殺されていてもおかしくはなかった。
別れ際に名を聞かれて答えるシュピルマン。どうやってお礼をいっていいのか分からないといいながら、ドイツ兵の名前を聞くことをしないシュピルマン。最後に将校がくれたドイツ兵のコートに名前の縫い取りが入っているのかと思ったが、これは作られた物語ではない。

『生きるも死ぬも神のご意志だ』
この映画を観る限り、私にとって神のご意志とは『運』でしかない。そういった意味で、かつて何十年もの間外地で過ごし、平和な時代になってから発見された孤独な日本兵のことを思い出したりもした。

人が人であるために、一体何をするべきなのか。何のために戦争が起こるのか。何に祈り何を信じていけば良いのか、占領地の中で生きる恐ろしさとは、戦況が変化することによって起こる立場の逆転とは。残るのはあまりにも悲しい恨みつらみだけではないのか。そして、それはサイクルを起こす。なんという無駄で無益なことであろうか。

善悪の判断はどうであれ、もし私が彼と同じようにあの場でたった一人になってしまったら、私も何もしないだろう。運がよければ逃げ延びるかも知れないが、見つからなくても飢え死にしていたかもしれないとしても。

私は平和な時代に戦争を知らずに育ったが、かつて繰り返された『戦争』の映画を観る度に、いかに自分が幸せであるのかがわかる。平和な日々とはなんと貴重でかけがえのないものであるか。

人として生まれた限り、戦争があった事を忘れてはならない。この映画を観て、改めてそう思う。


この映画で唯一救いがあることは、シュピルマンが生きていたことだ。ラストにコンサートホールで演奏するシーンが流れたが、私が最も救われたのは彼が再びラジオ局でピアノを演奏していた時、スタジオのガラス越しに懐かしい人の顔を見つけた彼の静かな微笑みあった。多くのものを失い、悲しみに塗り込められた記憶を抱いて再開の喜びをかみしめる静かな笑みである。
喜びも悲しみも、生きていればこそ・・・だと思った。





  皆さまへ
2003年04月21日(月)  

 何かとご心配をおかけしています。

 一昨日書きましたが、坐骨神経痛とは簡単に言うと椎間板ヘルニアの兄弟分のようなもので(ちっとも簡単じゃない・笑)様々な原因で坐骨神経を圧迫されるために痛みが伴うというものなのですが、坐骨神経というのは身体の中でも最も太くて長い神経だそうで、腰から下脚のあたりまでに影響を及ぼすためにどのような姿勢でいても痛いものです。
それは運動をしたために起こる筋肉痛になるようなものではなくて、神経に触れて痛みがあるのは、例えば歯の神経に触れた時に痛いのと同じ感覚で、それを常時感じている状態です。

 ですので何だか傍目には何でもなくゴロゴロしているようにしか見えないのですが、本人はかなり辛い。(笑)
突発的な事故を別にすれば、急に何をしたからといって起こるのではなくて、生活習慣や筋力の衰えやその他諸々で知らず知らずに起こっていたことではないかと思います。疲れが溜まっていたりするのも良くないようです。

 先々週に、腰全体に鉄の板が張り付いたような痛みがあって、3日ぐらいで良くなったので、背筋を鍛えようなんていきなりストレッチなんかしたのも拍車をかけたかも知れないですが。(笑)先週の火曜日には、痛み止めの注射も2時間で切れてしまうくらい痛みがひどくて涙が自然に出てきてしまう状態で仕事をしていましたが、今は鎮痛剤を飲まないでも何とかゴロゴロぐらいはしていられるようになりました。

 まぁ、牽引やら鍼やらテーピングにコルセットとフルコースではありますが、左が痛いのでそれをかばって右の筋肉が痛くなるという状態はしばらく続きそうです。洗面をするのに腰が曲げられないので、膝で立って歯を磨くとか、猫みたいに顔を洗うとか、靴下がはけないとか、どのような体位でも腰の当たりをかばうので何だか自分では老人が妊婦サンになったらこうなんじゃないかと思っております。(見た事ないですがとっても情けないです〜♪)

 家にいてただじっとしていると気がつくと寝呆けてばかりいました。これでもかこれでもかというくらい寝ていて自分でも驚いていました。もっともっとひどい状態の方は沢山いらっしゃるので、それを思えばまぁしょうがないかなと。

 母の入院以来、何かと疲れが溜まっていたのかも知れません。
・・・、というか、父もついに観念したらしく、来月の8日に入院をして13日には手術をすることになりました。
それを聞いたのは10日ぐらい前でしたが、母によって周囲網が張り巡らされた中での決断だったようで、父には本当にいいのか確認をしましたがついに決心したようです。
それならそれで、何とか無事に元気になれるように回りでも頑張ろうと思っていた矢先に自分の体がこうなると本当にちょっと気が滅入っていました。
昼間寝ていても、夢の中で右側を母、左側を父が引っ張るので変な金縛りにあったりとか(爆)痛いから引っ張らないで〜!っと大きな声で叫んでいるのですが、声にならない目も開かない金縛りです。いやはや(笑)

 父の手術の翌日には母の検診もあるし、ゴールデンウィークの前までには何とか元気になっていたいと思っております。というかなります。

 というようなわけで、この部屋もまたまだらな更新状態になってしまうと思います。いただいた書き込みにもなかなかお返事が出来ない状態が続いて申し訳ありませんが、どうかお許しください。
気分で皆さまのところに訪問して、更新されたものを拝見させていただいたりすることはありますが、よろしくお願いいたします。

 春になったとはいえ天候不順のおり、皆さまもどうかお体に気をつけてお過ごしくださいね。
元気が一番!!!
ではでは あでゅ〜〜〜〜〜♪

momo@fighter



  坐骨神経痛
2003年04月18日(金)  

 シンケーツーっておじいさん、おばあさんのものだとばかり思っていました・・・。
上半身だけの体の重さというのを初めて感じています。(><。。)
ご心配ありがとうございます。
もう少しお休みします。
簡単ですが、ご挨拶です・・・。 m( _ _ )m

momo@rom



  Reding Only Menber
2003年04月14日(月)  

 腰を悪くしてしまいました。(泣)
何をしたというわけじゃないのに足まで痛いです。
立っても座っても、寝ていても痛いので、数日大人しくいたします。
良くなりましたらまた・・・。(涙)

管理人@ROM



  The  Omen
2003年04月12日(土)  


今のこの状況って、何だかこの映画を想い出します。
オーメンの第一作目は、悪魔の申し子。
最後まで姿を見せない『悪魔』の存在と『神』の無力と、不気味な予感を描いた映画でした。
ビン・ラーディンとフセイン親子の生死。
神の国アメリカは何をなし得るのか。
そして・・・ダミアンは?次の展開は?
まるでオカルトです。







  BOLÉRO (Bolero)
2003年04月11日(金)  

 クラシックの曲を聴くことは滅多にないことだし、私が語るのも胡散臭いけれども、今日はどうしてもこの曲が聴きたかった。ラヴェルのボレロ。CDを引っ張りだして、やっとこさ今落ち着いたところ。

 曲が始まる。小太鼓のリズムにのって、同じ旋律が延々と続く。変奏も展開もない。音色と音量の変化だけで繰り返し繰り返し同じリズムがどこまでも続くこの曲が好きである。

 始まりは、かすかに耳を傾けないと聴こえないほど音量は低く、しかしこのリズムが聴こえてくると胸が高鳴る。
聞きかじりによれば、この曲ははオーケストラにはあまり評判が良くないそうだ。延々とリズムが単調な中にソロがそれぞれ長い。簡単に言えば単調なリズムの中において、万が一失敗すればそれはもうとてつもなく目立つという異常な緊張感をもたらすからだそうである。

 でも、その緊張感が好き。ひたすら続くドラムのリズム、あくまでも続く同じ旋律。催眠作用とは違う、何故か適度な緊張感を感じながらリラックス出来る。始まりが嘘だったかのように音量が大きくなる。どんどんどんどん大きくなる。それでもリズムは同じ。旋律も同じ。黙って目を閉じて聴く。うねりに身をまかせるとドラマチックで、上品な野生を感じる。野に遊ぶ旋律、そんな感じ。私のCDではこの曲は14分24秒続く。潔くスパっと終わる。実はもっと延々と聴いていたい曲である。

 皆さんは、もういくつか前の冬季オリンピックでこの曲をバックにアイスダンスを踊ったカップルのことを憶えているでしょうか。多分、今より10年ぐらい前だから、2つ前のオリンピックのあたりじゃないかと思う。
どこの国の何という名前のカップルなのかさっぱり憶えていないのだが、その前やまたその前のオリンピックでは金メダルを獲ったとか。(定かでないけれど)

 ベテランである分、同時に出場していた他の国のカップルより年齢は上であった。うる覚えで申し訳ないが、一度は引退してプロになったけれど、その時は再びアマチュアに戻って(確か)にオリンピック出場を果たしたというような解説があったと記憶している。その時の彼らのダンスが素晴らしかった。他の選手たちに比べ新しい技も、危険度の高い技も派手な振りでもない。そういった意味ではメダルを獲得する点数には至らなかったが、それでも上位に入賞したと思う。

 単調なボレロのリズムを背景にシンプルでオーソドックスな衣装を身にまとい、落ち着いた優雅な動き、繊細なのに余裕、まるで二匹の蝶が優美に戯れるようなそんな氷上の”ダンス”。それまでの王者の貫禄を、最高のコンディションで余すところなく見せたものであった。

 普段、テレビをビデオに録画することはないが、その時ばかりは録画しておかなかったのを始まってすぐに悔やんだ。勿論あとの祭りだが、途中でビデオのセッティングをする間も惜しいほど画面に目が釘付けになってしまったのだ。多分私は、魂を抜かれたような顔をしていたことだろう。

 あれ以来、いくつかのオリンピックで、アイスダンスを見ることはあったが、私にとってあの時の2人のダンスを上回るものはまだ見られない。彼らのダンスが忘れられない。この曲を聴くと、あのダンスが想い出されて、よけいにドラマチックなのかも知れない。もう一度見たいと思う。

 とにかく、今日はボレロの日である。
昨日の仕事の上での出来事が、精神的に尾を引いた一日だったから、かな。(大したことじゃないけれど)

 目を閉じてひたすら力を抜いて・・・。



  言い訳でもない(笑)
2003年04月10日(木)  

 私のページのダイアリーは、今までの更新の度合いから見ると、週末から週の初めにかけて書く事が多いようです。
何か規則を決めているわけじゃありませんが、何となくそんな感じです。
平日は時間的な余裕がなかったり、特に週の間の水曜、木曜あたりは疲れ気味であったり、何となくそんなリズムになっているようです。

 疲れている時には、何にもしないでよそのお部屋にお邪魔することもあれば、掲示板でおちゃらけて(爆)いることもあり、かと思うと睡魔に負けて早落ちしてしまうこともあります。昨日も一昨日も沈没しました。(笑)
ですので、せっかく書き込みをいただいてもすぐにお返事出来ないことがありましたら申し訳ありませんが、お返事したいのは山々なのに、涙を飲んで寝てしまったと思ってやっていただけたら幸いです。

 それから、この日記帳はレンタルのものですが、gaiax のダイアリーのように一日にいくつも書く事が出来ません。従って、昨日はなかったのに今日はある、などと言うことがあります。
これは別に、ふぇいんとをかけているワケではありませんが(笑)そういう仕組みですので、たまに日にちにズレが入ってしまいます。ちなみに今日は11日(金曜日)です。その辺もよろしくお願いいたします。

 というわけで、今日は週末の初め金曜日の夜ですので、後ほどお返事などさせていただきます。
最後になりましたが、皆さまいつもありがとうございます。

*** まだボレロを聴いている管理人より ***



  SAKURA
2003年04月09日(水)  





 
 今年の桜もそろそろ終わり。
この近くにはあちこちに桜並木があります。つかの間、人の世界に迷い込んだ妖美な精に見とれて。



  まだ終わらない
2003年04月04日(金)  

 核だかハイテクだか知らないけど、物は進歩したかも知れないが、やっていることはちっとも進歩していない。親子二代で戦争を起こす馬鹿もいる。
縁もゆかりもない同士が無駄に命を奪い合い、命の無駄、時間の無駄、お金の無駄、その繰り返し。
頭の中は大昔から、何の進歩もしちゃいない。馬鹿につける薬はないものか。



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