サミー前田 ●心の窓に灯火を●

2010年10月30日(土) 頭脳警察の目的はここに。。。勤労感謝の日はロフトへ

最近は、頭脳警察ばかり聴いていることが多い。
8枚組のライブボックスを、すべて通して聴いた夜もあった(笑)
また新しい頭脳警察ボックスが11月にテイチクよりリリースされるというんだからファンは大変である。
つい先日、騒音寺の吉祥寺のライブでPANTA先生と偶然お会いして、少しだけ雑談をしたのだが、先生は最近、肺炎になり、タバコをやめたとのこと。お大事にしてほしい。

高校1年の時、「パンク以前の過激なロック」探しをするようになった。よくある話であるが、ピストルズ→イギーポップ、テレビジョン→ベルベッツみたいなところからそうゆう興味って始まるでしょう。
そして、日本にもいろいろと凄いバンドがいたらしい、というネタを、口コミやミニコミや古本など、ものすごく少ない情報量から探し出すしか術はないのだ(今とは雲泥の差だよな)。そんな時に裸のラリーズのライブに行って、何時間も待たされたりしたわけである。
外道は中学の時に、友人の兄貴から聴かせてもらっていたけど、頭脳警察という名前だけは噂で聴いていた程度で、いきつけのレコード店にはなかった。しかし、店主に相談したら、探してくれるという。数日後に電話がかかってきて「ファ-ストアルバム入荷しました」といわれ吃驚。えっだって発禁なんじゃないの? すぐお店にとんでいったら4枚目の『誕生』というアルバムであった。タイトルからファーストと勘違いしたらしい。しかし、サードから『悪たれ小憎』までの4枚を購入できた。当時としてはものすごい出費であったが、これは嬉しかった。中古盤でも見なかったし。さらに、ファーストやセカンドも聴かせてくれた人がいて、すっかり頭脳警察にはまってしまった。
そして、ちょうどその頃、79年11月、神奈川大学のオールナイトコンサートに、PANTA&HALも出るという。フリクション、リザード、サイズ(フールズの前身)、シナロケ、Pモデルなども出るので、中学時代の同級生の渡部君とわざわざ白楽まで観に行ったのだ。パンク/ニューウェイヴにかぶれ、頭脳警察大好きな俺の耳には、正直、PANTA&HALはピンとこなかった。80年代を目前にして新しい世界にチャレンジしているPANTAさんからすれば、とっくに解散した頭脳警察を期待している若いファンという、なんとも迷惑な話である。
当時は、友川かずきのバックでドラムを叩くトシさんの方に頭脳警察らしさを勝手に感じていたりもして、友川さんのライブはよく見に行った。
81年11月、法政大学の学館大ホールのオールナイトコンサートにて、「友川かずきとピップエレキバンド」として大編成バンドで出たトシさんは、最後ドラムセットをぶっ壊してしまった(酔っぱらっていたという噂だが)。「さすが頭脳警察!」と感動したものである(笑)。因にその後に出たのがスターリンだったと思う。この時のカセットがどこかにあったな。
それから数年して、俺も少しは音楽をまともに聴けるようになったからか、PANTA&HALの良さがわかってきたのだが、傑作として非常に評価の高い『マラッカ』より、ストレートで硬質なロックの『1980X』の方が好きなのだ。2枚組のライブ盤もいいけれど。


そんなわけで、11月23日はロフトで、再結成している「頭脳警察」のライブ、これフルメンバーでの出演だという。
ほかに出演は、関西では頭脳警察となんどか共演している「騒音寺」。昨年12月の渋谷クアトロワンマンにて、パンタさんが飛び入りしたという縁もある。
そしてパンタさんも高く評価している今や大人気のガールズR&R「キノコホテル」。
セットチェンジ中はバーステージで、これまたカルガモやシャロウズなどいいバンドが出ているので、休み無しの5時間というわけ。
最後にはあの名曲などがセッションされるという噂!
これで3000円は安い!
いつだって観れるとおもったら大間違い。
ミュージシャンはナマモノ。観れるうちに観とかないと後で後悔するぞ。
みんな来て!
来てくれたらなんか差し上げます!(ホントか?)



<<ロック革命!大進撃300分!!>>

日時:11月23日(祭)17:00開場/17:30開演 
会場:新宿ロフト 03-5272-0382

<出演>
ライブホール:頭脳警察、騒音寺、キノコホテル
バーステージ:カルガモネンド、ザ・シャロウズ、HONEYMAKER(タムvo&g. from騒音寺)

料金:前売3000円 
*前売券は、チケットぴあ(P120-702)、ローソンチケット(L71800)、イープラス、新宿ロフトで発売!

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タイムテーブル予定です。
積極的に告知してください!


B→バーステージ/L→ライブホール
17:00〜OPEN

B17:30〜18:00 HONEYMAKER

L18:00〜18:50 キノコホテル

B18:50〜19:20 シャロウズ

L19:20〜20:20 騒音寺

B20:20〜21:00 カルガモネンド

L21:00〜22:00 頭脳警察



2010年10月22日(金) フラワー・トラヴェリン・バンドの原稿

 先日発売されたレコードコレクターズ増刊号「日本のロック/フォーク・アルバム・ベスト100」に原稿を書いている。個人的には、音楽作品に向けて順位や点数をつけるのは嫌いなんだが、
過小評価の名盤たちのために少しでも力になりたいと思い参加した(今のミュージックマガジンのクロスレビューは酷いと思う)。
 フラワー・トラヴェリン・バンドの『SATORI』の原稿を書いたのだが、最初、文字量を間違えて倍以上の量で書きかけてしまった。未完成ではあるがもったいないので、ここに載せたい(笑)



 1967年、内田裕也は単身ヨーロッパに渡りサイケデリックをはじめとする新しいロックのムーブメントを目の当たりにした。GSブームの真っ最中に帰国、日本にもGSを超えた本格的なロック・バンドを作ろうと翌年に結成したのが「内田裕也とフラワーズ」だった。
 フラワーズはスチールギター(小林勝彦)をフィーチャーした女性ボーカル(麻生レミ)のサイケ・バンドという世界的にも珍しいグループだったが、その中心メンバーの二人が渡米のため脱退。
 70年にフラワーズを再編成し発展させたバンドが「フラワー・トラヴェリン・バンド」(以下FTB)ということになる。
 FTBのメンバーは、ジョー山中(ボーカル/元フォーナインエース)、石間秀樹(ギター/元ザ・ビーバーズ)、上月ジュン(ベース/元ザ・タックスマン)、和田ジョージ(ドラムス/元フラワーズ)の4人。カナダからの帰国後は、篠原信彦(オルガン/元ザ・ハプニングス・フォー)が参加している。
 70年前後はニューロックの時代。「ロックは日本語か英語か」といった論争が巻き起こり、英語派のミュ−ジシャンは「ロックのビートには日本語が乗らないから英語で歌う」というのが主な理由だとされていた。
 FTBは英語派の代表であるかのように扱われていたが、決して彼等は「乗らない」わけではなかった。「クニ河内と彼のともだち」名義で70年にリリースされたアルバム『切狂言』を聴けば明白だろう。ザ・ハプニングス・フォーのクニ河内によるちょっと狂った日本語の楽曲をジョー山中が歌い、石間秀樹がギターを弾くそのアルバムは、はっぴいえんどのデビュー・アルバムと同年に制作された日本語ロック黎明期の傑作であり、FTBの名前が付けられた海賊盤が海外で出回っていた事もあった。FTBではそのアルバムの曲をリメイクした「MAP」というシングルも71年にリリースしている。
 FTBが、「MAP」を除いて全て英語で歌っているのは、当初から世界進出を狙ったプロデューサー内田裕也のコンセプトであり、内田はFTB結成にあたりGS出身者の中でも実力、ルックスともにインパクトのあるメンバーをスカウトし、欧米のロックに対し本気の勝負をかけたものだった。
 キング・クリムズンのカバーなどを収めたファースト・アルバム『エニウェア』を70年にリリース後、全曲英語のオリジナル曲で固められたコンセプト・アルバム『SATORI』を日本で録音し、70年12月にカナダへ渡る。
 カナダで出演したロック・フェスティバルでは、EL&Pやブルース・プロジェクトなどと共に出演し、カナダの聴衆に熱狂的に受け入れられ、サード・アルバムのレコーディングも行っている。
71年4月、セカンド・アルバム『SATORI』はアトランティック・レーベルから、アメリカ、カナダ、日本と同時発売。カナダではヒットチャートを駆け巡った。イギリスでもシングルが出ていたことが確認されている。日本のロックが「ロックとして」初めて海外で成功をおさめた事件と言っていいだろう。
 このアルバム『SATORI』は、石丸忍によるアートワークに象徴される東洋思想をモチーフに(特にインド風の中ジャケはジョージ・ハリスンにも見てほしかった)したオリエンタル・ハード・ロックである。オリエンタルといっても日本人が好みそうな湿っぽさは皆無であり、レッド・ゼッペリンやブラック・サバスといった初期ブリティッシュ・ハードロックの影響も垣間見れるが、欧米人のようになりたいというような安直なものでもない。侍のようにストイックでクールなオリジナリティ。ブルーコメッツがエド・サリバン・ショウで琴を披露した時より、確実に日本のロックは進化したということを証明しているのである。
 石間は60年代から「七色の音を出すギタリスト」と呼ばれラーガ奏法を得意としていたが、よりヘヴィでブルージーなギターを奏でる。ジョーの卓越したハイトーン・ボーカルはやはりジャズ喫茶には似合わない爆音で聴きたいロック・フェス向きである。最も人気がある曲であろう「SATORIパート2」では和太鼓風のリズム隊に、シタールのような不思議なギターが絡む究極の無国籍ロックで、このアルバムを最も印象深くするものだ。
 FTBの成果は、後年の日本のハード・ロック/ヘヴィメタルの潮流には繋がらなかったが、それはFTBとは対照的な世界観を感じる。フォロワーを生まなかったことが、このアルバムをより孤高の存在にしていると言っていいだろう。
 カナダでの成功の後、72年にメンバーの体調不良もあり帰国したFTBと内田裕也は、当時の日本の音楽状況に大きく落胆したという。日本は吉田拓郎をはじめとするフォーク・ブームの真っ最中であり、共演が決まっていたローリング・ストーンズの来日公演中止など、ロックには不幸な時代が続いた。
 2008年に日本語訳が出版されたジュリアン・コープ著の「ジャップロック・サンプラー」において最も高く評価されているのはこのアルバムであり、逆輸入のような形で再評価された。情けない話であるが、これがお前の国のロックの最高峰なんだと、またしても外人から教えてもらったわけだ。
 個人的経験として、2003年に、ジョーがザ・ハプニングス・フォー&森園勝敏をバックに「SATORIパート2」や「MAP」を歌ったライブツアーは衝撃的だった。
 2010年、ジョーの復活を心底願いたい。そしてFTBのステージで歌ってほしいのだ。日本のロックのためにも。




2010年10月09日(土) ご無沙汰しております。すっかり秋ですね。

先日、ポット出版会長&俳優の飯島さんに誘われ、なぜか半生を長々喋ってきたのだ。

↓興味ある方のみこのアドレスにアクセス(笑)。コピペしてください。

http://www.pot.co.jp/danwashitsu/20101007_180438493919904.html


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