サミー前田 ●心の窓に灯火を●

2010年01月30日(土) 遠藤賢司の「実況録音大全第二巻1977−1986」が遂に発売された

 1月22日に発売された9CD+1DVDのLPサイズの大箱『遠藤賢司 実況録音大全第二巻1977−1986』。

 アルバム「東京ワッショイ」「宇宙防衛軍」「オムライス」時代のライブやデモテープを集めた膨大な未発表音源集。前作の箱「第一巻1968-1976」と同じく、3年近くかけて俺が選曲および制作したものである。はっきり言って今回は苦労した。誰かほめてくれ・・・って気持ち。
 
 購入された方。まずは、豪華なバンドをバックにした音源を集めたDISC1、そして、エンケン自ら脚本演出した呉の防衛学校でのシュールなライブ映像を収めたDVDからチェックして欲しい。「東京ワッショイ」がたくさん入っているが、それぞれの聴き比べもまた楽しい。
 作品のリリースがなかったので、エンケンさんがどのような活動をしていたのかあまりしられていない1984-1986年の音源を聴くと、佐野史郎のバンド「タイムスリップ」がすばらしいサポートをしており、宅録ではアンビエントな方向に向かっていたことがわかる。
 ブックレットには当時の雑誌記事の転載や写真が満載。
 「第一巻」は即売り切れてプレミアがついてしまったので今回も注意。急げ若者!



2010年01月21日(木) 浅川マキの死、自分の影の一部が消えてしまったような気がする

この人のことをいつか書かなければと思っていたのだが、それが追悼になるとは・・・。なかなか気持ちがまとまらない。
 浅川マキ。俺は80年代後半の何年か、マキさんと少しだけ交流があった。

 関東近郊のマニアックな情報誌「シティロード」(現在廃刊)でバイトしている時、新譜で聴いた『こぼれる黄金の砂』が好きだった。マキさんが編集部の音楽担当の市川さんと懇意にしていたこともあり、88年初頭、山口冨士夫さんのバンド=ティアドロップスのライブの案内を送ったことがある。開演直前に会場の入口にてマキさんを見つけた俺は、直接の面識はなかったが挨拶をした。マキさんは「山内テツも誘ったんだけどね」と言った。そしてこっそり帰っていった。
 数日後、マキさんから大きな封書が俺宛に届き、丁寧なお礼の手紙とライブの招待券が入っていた。そこには、「冨士夫もいい意味で大人になっていないなと思って嬉しくなってしまった」とも書いてあった。非常に喜びつつも恐縮していた矢先、マキさんから俺に電話があり、長々と話をした。電話の内容はほとんど忘れたが、いきなり「あなたの顔が可愛かったから電話したのよ〜」と冗談を飛ばされて、ちょっとびっくりしたことを覚えている。その封書と手紙は今も大切に保管してある。
 
 それ以来、俺はマキさんのライブに通うようになる。大晦日だったか、吉田拓郎をゲストに迎えた池袋の映画館「文芸座」でのオールナイトコンサートは特に印象的だった。
 89年初頭、ある大きなイベントに出演してもらおうと思い、連絡をとった。電話での説明では概要が伝わりずらかったのか、深夜、マキさんの住む六本木のマンションに行くことになった。お酒を少々呑みつつ雑談をしていたが、アナログとCDで発売された新作『NOTHING AT ALL TO LOSE』、そのCD盤を聴いてどう思うか尋ねられた。まだCDのマスタリング技術に関して、ミュージシャン達はそれほど神経を使っていなかった時代だったが、マキさんは「かなり苦労してここまでCDの音を作ったの」と言っていた。そして、なぜかT-REXのライブビデオを延々と観ながら俺に言う「この時代(73年とか?)の聴衆と、現代(89年)のお客さんの音楽の聴き方は全然違うでしょう」。
 その頃、近藤等則さんが「笑っていいとも」のテレフォンショッキングに出ることになり、事前の打合せで「浅川マキじゃなきゃだめ」と指名したらしく、フジテレビから交渉の電話が何度もあったがマキさんは最後まで折れず、当日番組を視たら、近藤さんが指名した人は、番組レギュラーのクマさんになっていた・・・などという笑い話も聞かせてくれた。
 結局イベントには出てもらえなかったが、俺にとっては一生忘れられない一日となった。その後もライブには通い、たまに長い電話もいただいたりした。

 定期ライブがピットインに移った頃から、なんとなく足が遠のいてしまったので、そろそろ見にいかなきゃと思いつつも、2009年末も見逃してしまった。元気だという話も耳にしていたので、まさかの訃報である。マキさんには、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
 多分、マキさんの死について世間の扱いは、団塊の世代がどうしたというような、一時期活躍した歌手みたいな報道なんだろう(チェックしていないが)。人間同士のロマンを大切にしていた人だった。最後まで「アンダーグラウンド」に拘り、自身の音楽を貫いていた唯一無二の存在。もう誰にもこの穴はうめられないんである。「時代に合わせて呼吸するつもりはない」っていうマキさんの名言を思いだす。

 




2010年01月16日(土) ロックンロールは生き方でなくて音楽なのだ、と今だから言いたい

1月9日から10日にかけて開催された「ロックンロールお年玉2010」にご来場いただいた方、出演してくれた方々、本当に有り難う。感謝します。
 今年で3年め、今回が一番多くお客さんが来てくれた。そしてステージから客席中央に延びた花道、大好評だった。なんで今までやらなかったのだろう。
 「日本一花道が似合うバンド騒音寺です」とボーカルのなべさんは言ってたけど、それホント。トリは若手代表ということでザ50回転ズがつとめ、アンコールでは、フラカンの圭介、竹安、なべさん、そのほか入り乱れ、即興のブルースと「雨上がりの夜空に」のセッションで大団円。
 さすがにこれで3000円は安い!といろんな人に言われた。自分のMCはぐだぐだですみません。

 主催者でありながら心底楽しいイベントだった。でも一人で仕切るには規模がでかく大変な時間と労力を要するので、次回からはボランティアスタッフを募ろうと、いつも思うのだが、結局忘れてしまう。
 おおいみんなあ(エンケン風)、来年も頼みます。そう第4回目は2011年1月8日に予定しているのだ(笑)



2010年01月01日(金) 謹賀新年

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
 たまには元旦から挨拶します。

 2009年もいろいろあったが、とにかくたくさんのミュージシャンが亡くなった年だった。いったいこれはどうゆうことなんだろうか?と想いをめぐらせる。歴史的にも重要な人々がこの世を去ってしまった。毎年恒例だったNHK-BSのGS番組も今年はなし。
 この世に残されたあなたと俺ががんばらなければいけないのである。

 といいながらも、年末から、インフルエンザこそならなかったが長い期間、風邪をこじらせてしまい、自宅で寝ている時間も多かった。布団に入りながら、ジェファーソン・エアプレインの66-68年のアルバム5枚のリマスター箱を聴いていたのだが、改めて、ポップ、ブルース、フォークロック、アバンギャルド、などいろいろつまっているところがイイ。サイケ時代のサンフランシスコを象徴しているバンド、ルイズルイス加部や山口冨士夫がこのグループに影響を受けているというのも解る。昔、俺が買った日本盤LPの『シュールリアリスティック・ピロウ』はジャケが見開きで、日本語解説が印刷してあったと記憶している。
 

 2010年、まずは1月9日の<ロックンロールお年玉2010>、クラブチッタでおあいしましょう。
 エンケン&カレーライスは、これを逃すと次回はいつ観ることが出来るのか?。エンケンさんと竹安の壮絶ツインギターと、マエカワ&もっくんの超絶リズム隊。このバンドのすごさが正当に評価されるならば、武道館で6000円くらい取ってやってもいいんじゃないか? できればこれで全国ツアーと一枚アルバム作って欲しいと願ってやまない。スライ・ストーンや、マイクラヴ&ビーチボーイズの営業来日公演に10000円払って観にいくなら、この日に3000円払った方が、絶対世の中のためにも、自分自身のためにもいいことだと思うよ。いや、金の話はどうでもいいんですが。すみません、変な例え話でした。



 
 
 




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