2005年04月28日(木)  GWはなにをする


明日からいよいよGWに突入。
わたしは仕事半分、遊び半分になりそうだ。
29日からはじまるイタリア映画祭のチケットを5枚買ってあるので、2日間はこの映画祭でつぶれることになる。昨日改めてプログラムを見ていたら、観たい映画がまた2本ばかりでてきたので、チケットを追加して買ってしまいそうだ。

先日から、うちの居候猫の食欲がないのでちょっと心配している。
ただのわがままかもしれないが、お外で遊んで帰ってくるしね。
じっと動かないわけじゃないが、ちょっと下し気味の便が気になる。
虫は、ひと月前に薬を飲ませたので駆除できたとおもうのだけど。
もう一回ぐらいやった方がいいのかもしれないとおもいつつ、どっちにしろワクチンなんかも打たなきゃいけないので、早めに病院に連れていってあげなければ・・とおもい、以前使っていたキャリーバッグを取り出そうと押入れをのぞいたらどこにあるのかわからない。猫トイレは見つかったのだけど、バッグはどこにしまったのやら。前飼っていた猫がいなくなったときに、当分使わないからと、押入れの奥の奥にしまい込んだのだとおもうけど、押入れの奥の奥って、突然変な物が出てきそうでこわいので夜見られないのよね。乾いたネズミとか干しトカゲとかでてきたらどうしよう。

もしかしたら捨てたのかもしれないとおもいつつ、この際だから新しいのを買おうとネットであれこれ物色していたら、手頃な値段でそれなりにかわいいのを見つけた。注文しようかとおもったが、そんな悠長なことしてていいんだろうか? 猫が本当に病気だったら、キャリーバッグが届くのを待ってるばやいじゃないんじゃないだろうか。と真剣に考えて、急なときに備えて今日横浜に出るついでに買って来ることにした。



それとも、このまま箱詰めにして病院に送っちゃおうか?


2005年04月23日(土)  感想が書けない映画(でも結局書いている)


花粉がそろそろ終わりに近づいたらしい。今日は、朝ひとくしゃみふたくしゃみして昼過ぎからは快調。鼻水が止まってきたぞ(うきき)。でも今夜出かけるときはいちおう用心のため薬を持っていこう。

昨夜BBCを見ていたら、スペインで同性同士の結婚を認める法案が下院通過したニュースが流れた。普通だったらあまり気にならないニュースかもしれないけど(今頃?っておもう人もいるんじゃないか)、わたしは友人とふたりで「わぉ!」と声をあげてしまった。
スペインという国はとてもカトリックな国で保守的。映画ひとつみてもわかるけれど、ひじょうに宗教色の強いものが多い。そんな中で、同性同士の婚姻を認める法案が、あのスペインで、通過したということは、なんかすごいことだとおもうよ。


感想の書けない映画というのがある。
先週末観た『海を飛ぶ夢』と『十字路の夜』がまさにそれで、家に帰って、さて一言とおもいブログのエディター画面を開き、書きはじめたが言葉が浮かばず。いやどうしたもんか。すごく良い映画だったのに。

海を飛ぶ夢』はハビエル・バルデム主演の、いわゆる尊厳死を題材にした映画なのだけど、なんとも観ていて胸につまるシーンが多いというか、涙でぼろぼろになるというわけじゃないんだが(というか、意外にも涙はあまり出てこない)、深いところで感じる映画、俳優がどうのこうのと批評するまえに自分が主人公の男ラモンといっしょに大空を飛びたくなったよ。こんな映画のことを文字にするなんてこと、できるわけがない。

そういえば、この監督アレハンドロ・アメナバールは、『オープン・ユア・アイズ』から『アザーズ』、そして本作と、一貫して「死」というものが深く関わっている作品が多い。同じく尊厳死を題材にした映画に『みなさん、さようなら』があるけど、この映画はこれほど深刻に悩んでなかったような気がする。これもカナダとスペインという国の違いなのだろう。そういう意味では、法廷で断固として尊厳死を認めないこの『海を飛ぶ夢』は、スペインという国を強く感じた映画だった。「尊厳死=自殺」とみなす、キリスト教の根強い国。青酸カリを飲むと、ああいう風に死ぬんだね。


2本目の『十字路の夜』は、フィルム・ノワール好きな人間にとっては幻の作品で、監督ジャン・ルノワール、原作ジョルジュ・シムノンと、これだけでよだれが出そうな映画。にもかかわらず、DVDはおろかビデオも出ていないので、ほとんど観る機会はないといっていい。昨年、日仏でジョルジュ・シムノン映画の特集上映があったときに上映されたのをきっかけにじわじわとシネフィルの間で噂が広がり、今回の再上映に至ったわけだ。

わたしとしては、この映画に対する期待度があまりにも高かったせいか、この作品がどうのこうの言うまえに、観終わったあと拍子抜けした感も・・。お腹がすごくすいていて、それでもある特定の物しか食べられなくて、やっと食い物にありつけたとおもったらすぐ平らげてしまって、味なんかわかりゃしない。といった感じ? すごい例えだけど。

映画自体はひじょうに古いもので(1932年の作品)、プリントの画質も悪く、全体的にぼやけた感じで、まるで影絵みたい。上映前の日仏のスタッフの話によると、フィルムの2巻目だか3巻目だかがなくなっているという噂があったり、ルノワール自身も、そんなこと知らねえだとか言ったみたいで、まぎれもない「完璧なる不完全な映画」。そういう“放り出された”感がまた、この映画の魅力になっているのだろうが、ひとこと文句を言わせてもらえれば、メグレ警視役のピエール・ルノワール(ジャン・ルノワールの実の兄)がメグレというキャラに合わなかったような気もするよ。柔和すぎるんだな、顔が。パン屋のおじさんみたい。
そしてやっぱり日仏の画面は暗いとおもう。特に白黒の映画を上映するとわかるんだけど、白がホコリっぽいだもの。


と、ここまで書いて気がついたんだけど、
結局こういうことを「感想」として書けばよかったのよね。


ぼくも感想書きたくない。


2005年04月16日(土)  桜の花をねぎらう


あら、一週間たっちゃいましたね。
うちの方ではもう桜の季節も終わり。桜の花びらたちは今頃みんな地面に寄り集まって、今年の花の付け方ははどうだったとか、もう年だからイマイチだったとか、今年はあっちの新人がきれいな華つけてたぞとか話したりしてるんでしょうか。
今年もきれいな花をありがとう。


今は相当なブログ流行りだけど、わたし、このエンピツで書くのも結構好きなんです。脇にうざったいのがなくていいのよ。プラグインとかリンクとかなくてインターフェイスさっぱりしてるし。

4月号のユリイカで「ブログ作法」なる特集が載っていたので買ってみた。
読めるものは読んで、読めないものは斜め読みしてみたが、特にこれという内容のものはなかった。というか、たぶん、わたしのようにHPをそこそこやっていて、さらにブログにも手をつけている人間にとってはそれほど目新しいことは書いてないんじゃないかな。
すでに知っていることもあったし、ブログの利点とか難点とか、ブログを使っている人はすでに認識している内容なので、読んでいると、自分が思っていたことを再確認しているような気になった。ああ、こんなこと思ってたのはわたしだけじゃなかったんだ・・みたいな(笑)

それでも、ひとつふたつ面白い記事があって、ひとつは「ブロガーがネットを発見する」という記事で、これを書いた方は、遠い昔にHP作りに夢中になっていたいわばネット中毒の人間だったが、今はもうその熱も醒め、そういう世界から遠ざかってしまっている。そういう醒めた視点から今のブログ流行りについて、ブログにハマる自分をバーチャル的に書いてあって、読み物としてすごく面白かった。

またミクシィに代表されるような「ソーシャル・ネットワーキング・システム」に関する記事もあったが、わたしは今のところこういった類のコミュニティには参加してないので実感としてわいてこない。今後やるかどうかわからないが(たぶん、わたしの性格からして無理だとは思う)、この雑誌を読んでいてふと思った。やはり、情報というものは、書籍にしてしまうとそれが発刊された時点でもう遅れネタとなってしまうこと。1ヶ月2ヶ月、もしかしたら半年ぐらいのレベルでネット上で流れているものは早いし、形やスタイルもどんどん変わってくる。だからどうというわけじゃないが、書物というもののスタンスが変わってくるような気もしたり。情報収集としての「雑誌」はこれからなくなっていくような気もしたり。


2005年04月09日(土)  エロ牧師との対決


数日前からちょっと話題になっているこの事件
ここには、こういうことはあまり書かないのですが、今回はちょっと気になったのでひとことだけ。

はじめに、わたしはいわゆる宗教嫌いではない。むしろ好きな方で、聖書の一節や、いわゆる、あの日めくりなどでよく見る“今日のこころ”みたいな仏の言葉なんか読んでなるほどとおもうことも多々ある。宗教映画も見るの好きだし、三大宗教(キリスト教・ユダヤ教・イスラム教)の本だって、昔だけど読んだことある。
それに、最近の、モラルの欠けた一部の日本人の姿を見るにつけ、わたしたちには宗教が必要なのではないかとさえおもっている。善悪の判断がつけにくい混沌としたこの世の中で、なにか物事を判断する基準として「教え」というものがあればよかろう。それに沿って生きていれば、弱い心も強くなるだろうし、人に対する思いやりだってできてくる。奉仕(ボランティア)することの意味がわかれば、ただ流行っているからと、気まぐれ心で動いたりしないはずだ。

それでも、こういう事件が起こるたびにおもう。
「神の教え」なり「仏の教え」なりを、彼ら信者はどう解釈しているのだろう。
もちろん皆が皆そうだとはいわないが、彼らにとって教えとは、「守る」ことであって「悟る」ものではなさそうだ。

そんなこと思ったのは、気になる一信者のこんな言葉があったから。

「主管牧師には従順であれ、と言われるけれど、こんな行為にまで従順でなければならないのですか。教えてください」

いいわけないですよね。
法外な金を強要したり、他人に暴力をふるうことが良くないことであるのは、宗教にすがっていない人間の目から見ても明らかで、一般常識として「悪行」でしょう。誰もが知っているこんなことで、「従順でいなければならないのか?」などと、うだうだ悩む方がおかしい。信者たちの悪口は言いたくありませんが、彼らはいったい何を学んでいるのでしょうか。

もちろん、はじめは、なにか悩み事や問題を抱えていて、宗教に心のよりどころを求めるというのはあるでしょう。というか、宗教にすがるほとんどの理由がそれだとおもいます。でもそれは宗教をはじめたばかりの、いわゆる初心者といわれるレベルで、1年2年、その宗教の教えの速度や信者自身の個性によって進歩の仕方は違うとおもいますが、5、6年もすれば、一人の人間の中にひとつの確固たる信念ができるものとおもっているのは、わたしが理想主義だからでしょうか。

この事件に関していえば、悪の元凶はもちろん強欲なエロ牧師です。
しかし、彼に騙されてしまう方、おかしいと思いながらも従っている信者も悪い。金を要求されたその時点で気がつくべきだし、暴行されたその時点でここはおかしいと悟らなければ嘘です。こういった普通の感覚でいう悪いことの概念が、宗教にすがったとたん、なくなってしまうのがいつも不思議でなりません。
もちろん、そのような行動力を持たない人たちが宗教にすがるのだと言ってしまえばそれまでですが。でも必ずしもそういう人たちばかりではないでしょう。

思うに、こういう組織内で起こった出来事というのは、DV(家庭内暴力)と似ているような気がします。DVの多いアメリカのドキュメンタリーなんかを見ていると、DVの対処法はひとつ。逃げること。暴力をふるう人間はある種ストーカーと同じで、許容してしまったらまた同じことを繰り返す。それに、牧師などの立場や、団体組織の上に立つ者というのは、みんな俺のことを信じてくれる従ってくれる“何でもできる”という万能感を持ってしまう人がいても不思議ではない。世の中にはそういった、大きな勘ちがいをしている輩はたくさんいるのですからね。

要するにわたしは何が言いたいのかといえば、ほんとにもう、いたたまれなくなるのですよ。幼児虐待だとか、小児性愛だとか、婦女暴行だとか、動物虐待などのニュースを聞くと。物を言えない弱いものに対して暴力をふるう行為が、まっとうな人間のすることだとはおもえないからです。
だから被害にあった信者たちも、その牧師に向かって一言、「なんじゃあうりゃぁ!(菅原文太風に)」と言うことができたなら、あんな辛い目にあわずにすんだのになあと、過ぎてしまったことではあるけれどおもったりします。もっと、自分の価値判断に自信をもって、人に頼らず、心強くして生きていって欲しいなあと。神の教えというものは、そういうものに役立つものであって欲しいと。


2005年04月04日(月)  映画はみたいが内容がね


今日、電車の中で隣に座ったおばさんが、シモーヌ・シニョレにそっくりだったのでびっくりした。わたしのすぐ隣に座ったので、わざわざ横向いてまじまじと顔を見るのも失礼なので、電車が停まるたび、窓越しに駅名を見るふりしておばさんの顔を見たりしてたけど、要するに、はれぼったい目をして両目の感覚が空いていればシモーヌ・シニョレになるんだということがわかった。

最近観たい映画がすごく少ないような気がする。
毎週土曜に封切られる映画群も、これぞというのは1本、あって2本。
前はいつも4、5本あって、ぜんぶ観るのに追いつけなかったのに。
先週末だって、『フレンチなしあわせのみつけ方』と『コーヒー&シガレッツ』を観てそれで終わりだ。あとは何もない。
ブリジット・ジョーンズの続編もぜんぜんそそられないし、アメリカのアクション映画もなんだか、つまらなさそう。
というか、最近、微妙に、ホラー映画が多くなってきてないかなあ。
ウィルス系というか、感染系というか。ゾンビもね。
いちおう「サスペンス」と謳っていても、予告編見る限りではホラーじゃんこれ、というのが多い。
また邦画も炸裂系が多くてやんなってしまう。予告編見ただけでうんざり。映画のなかではわめいてばかり。きちんと台詞を言え台詞を。て、どうせ観ないんだけどね。

今週は、『コーラス』と、アンナ・トムソンが出てくる『Bridget<ブリジット>』は観たいと思っている。
『バッド・エデュケーション』は予告編からなんだか濃密度高いので、すでに核心に触れたような気がしている。本編があれ以上のものだったら消化しきれるだろうか。とりあえず巷の反応をみたい。
『コーラス』は、天使の歌声が聴けるとの評判の映画だけど、だいぶ前に、タワレコでサントラの試聴盤を聞いてたらこりゃやばいと思った。
パイプカットしたおじさんたちの、どっかがうずきそうな声だぜ、こりゃ。
美声とは聞こえがいいが、性犯罪を誘発しそうな歌声で、ちょっと前にこの映画に出演した少年が来日したそうだけど、きっと彼の周りにはおじさんがいっぱい群がったんだろうなと思うとドキドキしちゃう。とりあえず、この映画を観に来るおじさんたちに注目だな。

また、わたしの花粉も中盤を迎え、ある意味絶好調。
朝とりあえず薬を1錠飲んで、効いてくるのを待つ間はティッシュから離れられない。ノラたちも、たまにくしゃみしているヤツを見かけるが動物にもアレルギー体質というのがあるんだろうか。

どうやらこいつも花粉らしい(?) ※注:心臓の弱い方は見ないでください!


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