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2007年06月14日(木) Mac・Windowsの共存に、感動。

■周囲がパソコンを使い始めても、頑としてワープロを使っていたわたしが、初めてiMacを買ったのは8年前。当時の恋人はMacを仕事でフル活用している人で、一緒に秋葉原に行ってあれこれと教えてもらいながら購入した。わたしはその時、Macを買うことより、恋人とデートできることでウキウキしていたような気がする。
とにもかくにも手に入れてみると、パソコンにはまった。何より、文章を書くのが楽だった。目から鱗の便利さだった。メールというコミュニケーションツールにも驚いた。それまでわたしは、常に鞄に便せん封筒と切手のセットを入れていて、しょっちゅう手紙を書いている人だったから……。

■Windowsに乗り換えたのは、PowerBookG4がおシャカになった後。Macの恋人と別れた後でもあった。何より、Windowsでしか動かない「一太郎」に惚れ込んでしまったのだ。日本語を書くには、Wordよりずっと親切で優しかった。一太郎を使える限り、ずっとWindowsでいいと思っていたのに、音楽の仕事が増え、音楽のソフトを使えば使うほど、Windowsの重さがつらくなってきた。
そして……。
パソコン歴の半分をMacと、半分をWindowsと過ごしてきたわたしは、昨日、新しいMacを購入した。Mac Book Proの15インチ。計画通り、恐るおそるBoot campでXPをMacにインストールしてみた。驚いた……って言うか、ちょっと感動……Mac上でWindowsがさくさくと動いている。Windowsにはメモリの割り当てを少なくしたから、一太郎とプリンタドライバをいれるともういっぱいいっぱい。でも、それで十分。あとはMacがすべてやってくれる。
MacとWindowsを切り替えるには、再起動が必要だけれど、重いWindowsの長い長い起動時間に慣れているわたしには、何のストレスもない。ただただ、新しく手に入れたツールの便利さに、完璧さに、感動している。
すごいなあ、いやあ、本当にすごい。技術がくれる感動は、半端な芸術の感動なんて遙かに超えてくることがある。





2007年06月13日(水) ひっかき傷。

■人と出会ったり別れたりは、わたしの仕事の一部だ。もう20年以上一緒に、或いは断続的に一緒に、仕事をしている仲間がいる。また、たった一度のご一緒で終わる場合もある。仕事を離れると、たくさんの友達、そして、去っていった恋人たち。さらには今の恋人。……出会ったり別れたりが、まわりの人より激しい人生を歩んできたような気がする。
そして、表現の仕事をしている以上、知り合っていなくても作品で無数の人に話しかけている。こうしてネット上に文章を書いていることでも、わずかながら見知らぬ人が、文章を通じてわたしを知っていたりする。

■谷川俊太郎の「午前二時のサイレント映画」という詩に、こんな一節がある。 
  
  人はたったひとつの自分の一生を生きることしが出来なくて
  あといくつかの他人の人生をひっかいたくらいで終わる
  でもそのひっかきかたに自分の一生がかかっているのだ
  それがドタバタ喜劇にすぎなかったとしても

■そして、レイモンド・カーヴァーは「ひっかき傷」という詩を書いている。

  目がさめたら、目の上に
  血がついていた。おでこの途中から
  ひっかき傷ができている。でも、
  わたしはこのごろ一人で寝ている。
  自分に爪を立てるようなやつがいるだろうか?
  いくら眠っているときでも。
  今朝からずっと、この疑問に悩んでいる。
  窓ガラスに顔を映してみながら。

■人との出会い別れを思うたび、わたしはこの2篇を思い出す。
出会っても、別れても、どんなに頑張っても、どんなに愛しても、自分は自分で、他人にたかだかひっかき傷をつけるくらいしか出来ない。でも、カーヴァーの描くひっかき傷の、ひりひりとした痛みはどうだろう? この詩の男は、由ないひっかき傷のついた己の顔を、ずっと窓ガラスに映しているのだ。ひっかき傷のない自分ではなく、ひっかき傷のある自分を見つめ続けているのだ。

たとえ家族でも、生涯愛し続けたいと思う人でも、他者は他者。わたしはわたしで、一人だ。

その痛み、その諦観。

そして、「ひっかき傷」は、逆にわたしの微かな希望となる。そのひっかき方こそが、我が人生なのだ、喜劇であれ悲劇であれ、冗漫であれ凡庸であれ。

今も、どこかで誰かが、わたしのつけたひっかき傷の痛みで、わたしを思い出しているかもしれない。

そしてわたしは、ひりひりする痛みを抱え続けて、日々を生きている。痛みなんて何もないふりをしながら。






2007年06月08日(金) 青い実、桃の実。

■今年は旅の仕事が多い。大阪はこれで三回目。仕事場まで大阪城を抜けていくのだが、わたしは城ホールのほど近くにある小さな桃園を抜けていく道が気にいっている。4月に通ったときには桜の季節で桃はすでに散りかけ。でも、小道の両側から枝を伸ばした低木の作るアーチの下をくぐっていくのは、とても心地のよいことだった。

■そして今。同じ道を通ると、桃たちが小さな青い実をたくさんつけている。大きな青梅くらいの大きさの、すでにうっすらの毛の生えた、たっくさんのコロコロしたものが、光を浴びてきらきらと光っている。

■なんでも、時分の美しさってものがあるんだなあ。熟す前の新しさ、美しさ。熟しかけの張り、艶。熟しきった甘さ、充実感。次の世代へ繋ぐための落実……。

■次にここに仕事にくるのは、9月の予定。秋口には、この低木の園はどんな姿を見せてくれるのだろう?





2007年06月05日(火) 母に電話をする幸せ。

■我が母。
 動脈瘤の手術を受け、合併症のあれこれで生死の間を彷徨い、植物人間状態となった母が、奇跡的に目覚めて、すでに2年が経つ。その目覚めを、主治医は「奇跡」と言って憚らなかった。目覚める前に、「奇跡でも起きない限り無理だと思います」と告げたとき、主治医は「奇跡」を信じていなかったに違いない。
■母は、自分が起こした奇跡のことを何も知らず目覚めた。手術の時すでに脳梗塞を起こしていたものだから、記憶がさっぱり失われて、まっさらの状態だった。そして、父と出会いなおす。それまでも世界中でいちばん好きだった人と出会いなおし、あまりにも自分に優しい人として再び好きになり、頼り、甘えた。わたしはしばらく、母の妹、わたしの叔母にあたる「礼子ちゃん」の名前で呼ばれ続けた。のどに差し込まれたチューブからしか生きるための栄養を摂取できなかった母が、はじめて「礼子ちゃん」であるわたしの差し出すスプーンからゼリーを口にした時は、生きるために食べるということは、なんて素晴らしいことだろうと感動した。そのとき「まずいなあ、でも礼子ちゃんが言うんやったら食べるわ」という意味のことをたどたどしくも口にした時は、「この人は治る、きっとよくなる」と確信した。元気だった頃の母が、垣間見えた。
■母の記憶は、2年間ですっかり戻った。じわりじわりと戻り、躍進的に戻り、また後退しては戻り、で、今は物忘れの激しくなったおばあさんくらいですんでいる。
■脳梗塞の影響で、目が見えなくなってしまったものの、これもたまにぼんやり見えることもあるらしい。わたしが久しぶりに会いに行ったときに「あんたの顔が見れたらどんなに嬉しいか」とぽろぽろ涙をこぼしながら、全盲人のようにわたしの顔を撫でさすって確かめたりするものだから、わたしもぽろぽろ涙をこぼしたというのに、そのすぐ後一緒に食事をしている時に、「こぼしたで!」と、わたしの食べこぼしを咎めたりする。「なんや、見えてるやんか!」と突っ込むと、泣き真似をして見せて「たまーに見えるんや、たまーにやで!」と言い訳してみせたりする。「この人は大丈夫だ」と、その時、また思ったりした。
 
■昼間、今日は夜一回公演で時間があったので、電話をかけてみた。4月に帰省して以来、久しぶりにのんびり話した。
 目が見えなくても、相変わらずの病院通いでも、母は生きていることだけでうれしいみたい。なにせ、大好きな父とずっと一緒にいられて、大好きな父がずっと面倒をみてくれるのだから。
■母は、自分が起こした奇跡について、周囲から聞かされて自分でも驚いていたものだが、今は二つのことが、自分を生かしてくれたのだと思っている。
 一つは、自分が頑張って周囲の人間のために生きてきたこと。だから、たくさんの他者が、恩返しのように生かしてくれた、ということ。
 もう一つは、父が待っていてくれたこと。父がいなければ、一人で生きられない老女を神様は生かさないだろう、ということ。

■母と話していると、わたしはいつも心が穏やかになる。
 わたしが生きてるということだけで喜んでくれる人がいる、と、ほっとする。そして、相変わらず出世もせず金持ちにもならず、周囲の人間の面倒を見続けるわたしの暮らしを見て、「あんたは大丈夫。ママみたいに、いつかいっぱい恩返しされるから」と信じている。その確信に、わたしの荒れた気持ちが凪いでいく。
 生きてるだけでよくって、凪いだ気持ちでばっかりいたんじゃあ、わたしの屈折した仕事はうまくいかないから、だから、たまに電話をする。たまに電話をすると、幸せになる。

 今日の午後は幸せだった。母と電話で話す幸せ。



2007年06月04日(月) 希望もなく絶望もなくわたしは毎日少しずつ書きます。

■日々がめまぐるしく過ぎていったからこそ、毎日少しずつでも書いておけばよかったと思うときがある。
仕事が思いがけず早過ぎるほど早く終わって、飲みに行く一群に背を向けて、まだ陽のある街をゆっくり歩く。ゆっくり歩くのは久しぶりかもしれない。初夏を匂わせる風が吹いていたり、ここが旅先であったりで、気がつくと、自分の来し方を思ったりしている。
その時間時間が「現在」である時には、書くほどもないと思えたことが、「過去」になってみると、何か少し匂いたってきて、書いておけばよかったと思える類のことに姿を変えたりする。

■自分のHPを開いたのは2000年の5月だった。ワープロ愛用者がはじめてMacを使い出してすぐのことだ。iMac→iBook→PowerBookと三台をおしゃかにしてからWindwsに乗り換え、すでに自分のHPを更新する術を失い、新たに作り変える気もなく放置していた。1年ぶりくらいにのぞいてみると、ちゃんとかつての自分の文章にたどり着けて、当たり前のことに少し驚く。

わたしはこんなことを書いていた。

「また五月がやってくる。
 四月を迎えて、また花の季節がやってくると思ったように、新緑の季節がやってくる。五月の葉っぱはまだ成長の途上。人の手の大きさで言えば小学校五年生くらい。葉と葉の間からまだまだ空が垣間見える。その緑はまだ淡く薄く頼りなく葉脈だってはかなげで、陽の光は思うさま彼らをすり抜けてくる。
 五月は木漏れ日のいちばん美しい季節だ。

 自分が自らの人生でまだ何も成し遂げていないと落ち込むよりは、歳がいくつであれ、5月の葉っぱのような人でありたい。途上であるからこその、美しさ、軽やかさ、風通しのよさ。
 ざわめく心をひとり鎮めて、伸びゆくエネルギーに変えていきたい。5月の葉っぱのように。」

かつて自分の書いたことが、今の自分に優しかった。
そして、変わらない自分がいるのに、書かない間に、少しずつ何かを失い続けてきた自分に気づきもした。失ってきた経過を、書き留めてきてもよかったのではないかと思った。

38歳の自分が、45歳の自分に、そう勧めてきたのだ。

また書いてみようかと思う。

アイザック・ディネーセンの言葉に立ち返る。
「希望もなく 絶望もなく わたしは毎日少しずつ書きます」
38歳のわたしより、45歳のわたしの方が、この言葉を痛ましく味わえる。虚しい時間の経過が、ことばの意味をより際立たせるのだ。


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