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2001年06月29日(金) いよいよ佳境。

 明日は稽古最終日。あさってからいよいよ劇場入り。初日からたぶん泊まり込み。
 このページの更新もままならなくなってきた。
 PowerBookは劇場に持っていくものの、果たしてわたしに、自由になる夜の時間があるだろうか?

 初日まで、あと10日。もう、ただひたすらに、働きます。


2001年06月26日(火) 夢見ていたのは午睡。

 稽古場をひとりで切り盛りする羽目になって、大変な思いの昨日。「いやあ、頑張った頑張った!」と人知れず自分を誉める。
 仕事が終わって。「長らくバイクに乗せてもらったことがないよう!」とぼやいていたわたしを、若い奴が乗っけて帰ってくれる。さいたまから東京に向かう先日の高速沿いを今度はバイクで走った。久しぶりの風を切る感覚にわたしはご機嫌。「この川まで歩くと2時間かかったんだよね」とか回想しつつ。しかし、バイクで1時間以上かかる道のりを歩いて帰ろうってんだからね。まったく馬鹿なことをしたものである。

 本日は闘いの日々の前の最後の休日。
 平日家にいられたことがないので、朝から区役所やNTTをはしご。太陽が見えていたので、自転車を漕ぐのが楽しくって。遠回りをして、川沿いの公園を突っ切っていく。緑のアーチをえんえん抜け、水浴びする鴨たちの姿を楽しんで。
 で、とうとう4月に申し込んでいたADSLが開通。もう、その早さに子供のように目をまん丸にするわたくしでありました。

 しばし我が家のベランダで本を読み日光浴し、夢見ていた「午睡」ってやつを無理矢理1時間して、打ち合わせに出向き、芝居を1本観て、そろそろ日付が変わる。
 実は明日発注のコンピューター仕事が残っており、これから励む予定。後輩に任せていたら、突然のギブアップ宣言を受けてしまったのだ。まったく、もう! 


2001年06月24日(日) 深夜、さいたまから東京を目指す。徒足にて。

 今日はお休み。滅多に味わえないお休み。
 で、昨夜は仲間達と焼き肉とビールの夜。さんざん仕事の話をし、さんざん酔っぱらい、さいたま市にいるというのに、終電に乗り遅れる。わたしったら、何を思ったか「歩いて帰る!」と宣言してしまった。酔った勢いで「俺も歩く!」とつきあってくれる男性が二人。後先考えず、高速に沿って歩き出す。
 もう、ただっただ歩いた。荒川にさしかかるまでは、競歩の乗りで歩く。心優しい男どもがPowerBook入りの重い鞄を持ってくれたので、わたしは両腕を大きく振ってご機嫌に。6・ヒールのサンダルなんぞ履いていたので「その靴じゃあ・・・」と水を差されるが気にしない。
 高速沿いの道はなんの変化もない面白くない道で、歩くことそれ自体のみが楽しみ。
 途中で調布に向かう男性と別れ、二人で歩き続ける。別に恋人でもないし、お互いその気もないのだけれど、楽観的な苦行僧のように「歩く」ことを共にした。休むところがないので、道ばたに新聞紙をひいて休憩しては、歩き続けた。
 夜が明けた頃には、わたしの足には4つの大きな水ぶくれができており、足の裏の筋肉はパンパン。たかだか6時間歩き続けたくらいで情けなかったが、池袋に私鉄線で3駅というところまででギブアップした。
 家にたどり着くとすでに7時前。
 せっかくの休みの前になーんでまたこんな馬鹿なことをしてしまったのかと悔やむ気持ちと、「ォっもちよかったあ」と思う気持ちと。

 今日は仕事のことを何も考えず、過ごした。

 明日は働く。



2001年06月20日(水) 曖昧な記憶の中に映える、黄色いワンピース。

 気がつけば、4日も書いていなかった。
 予期せぬ泊まり仕事でパソコンを持っていない時や初日前の繁忙期以外で、4日書かぬというのは珍しい。
 何より、わたしは書かなければ物事を考えられない人だ。たとえすべてを文章で追っていかなくても、「今なにを書きたいか」と紙やキーボードの前に向かって、はじめて思考が始まるタチだ。「知らぬ間に書いていること」で、今の自分がわかってきたりもする。だからとりあえずこのページに何か書き付けたり、そのあともキーボードに向かってあれやこれやとつまらぬ文書ファイルをふやして夜を過ごすのだ。
 ってえことは、ここ4日間は、なあんにも考えたくなかったのかも知れぬ。仕事を終えて家にたどり着いて、ビールを1本飲んだ時点で、ただっただ、眠ってしまいたかったのかもしれぬ。
 考えるべきことや書くべきことがあると思っていても、眠ってパスしてしまいたかったのだな。そしてまた、このことろ書きたいことが重ーいことばっかりだったので、書ききれない自分に直面するのが辛かったのだな。
 これは、あの宅間ナニガシの起こした事件から、ずっと思っていたことだ。
 何をどう書いても埋めきれないものがそこにある。
 理不尽な犯罪という側面からも、精神障害者の待遇という側面からも、様々な精神の病み方病んだ人という側面からも。

 10代後半から20代前半にかけて、被害妄想に陥って他者を必要以上に恐れたり、外出拒否症になって2ヶ月ほとんど家を出なかったり(寮生活だったから、お腹が空いたらコソコソと賄いだけ食べにいっていた)、セックス過信だったりセックス不信だったり、過食症だったり拒食症だったりした時の自分を思い返してみる。その頃は抜けられずに真剣に闘ったものだが、今は自分のことながら、思い出すのさえ難しい。だから、妙に社会人として落ち着いてしまった今となっては、他者と関わる時、知らぬ間に傷つけないようにと、必要以上に気を遣う。辛かった頃の記憶は漠然と残っているから。

 ひとつ、とってもリアルに思い出せること。
 外出拒否がとけたのは、1枚のワンピースがきっかけだった。
 母が、オーダーメイドで作って、宅急便で送ってくれた黄色いサンドレス。
 母はわたしが外出拒否症に陥っていることなどつゆ知らなかったのに(電話では変わらずしゃべっていたし、私自身、母と話す分にはまったく臆するころがなかった)、送ってくれたワンピースが余りに可愛くって、着てみたら、みっともないみっともないと信じていた鏡の中の自分がちょっとばかり可愛く見えて、外に出てみたくなった。
 黄色い色が映える陽射しの眩しい日を選んでわたしは外に出た。久しぶりに。わたしは何を恐れていたのだろう、と、いきなり靴は快活な足音をたてた。

 その後。黄色いワンピースは、仕事で出会った、傷ついたアイドル志望のタレントにあげた(彼女は夢やぶれて故郷にすぐ去ってしまったが)。
 ワンピースが手元になくなってからも、黄色はわたしの大好きな色になり、4月の引っ越しでインテリアを選ぶときは、知らぬ間に黄色をいっぱい選んでいた。カーテンもソファーカバーも、ラグも、ベッドカバーも、みーんな優しく柔らかい黄色で揃っている。

 今日書けることはその程度。かつてあった自分の、曖昧な記憶。
 悔しいかな、または、嬉しいかな、人は忘れていく生き物なのだなあ。


2001年06月15日(金) 書けない日の、書けない人の、戯言。

 稽古は休みだったが、スタッフは相変わらず作業のために集合。サム・メンデスの「キャバレー」のチケットを買っていたわたしは、まわりの非難を省みず、半日であがって、劇場へ。

 直球勝負で、てらいのない演出に感動する。世界が滅亡しない限り消えることのない深い傷を描く時に、何のてらいが要るだろうか! という演出家のストレートさが、わたしを打つ。(「キャバレー」はナチスのユダヤ人迫害が二世代のカップルを引き離していく様を描く物語。)
 
 感動のあれこれを具体的に書きたいのだが、感動のあまり飲み過ぎて、どうにもこうにも。

 そして。

 朝、自分が書いた文章(すぐ下の6/14付け)に関する、心乱れるメールを受け取ったことに言及したかったのだが、それも、今夜は書けそうにない。ずっとそのことに心囚われる1日だったというのに。

 こうして、書くべきことが書きたいことが自らの中に渦巻いているのに、書けない書かないことの辛さったら。

 って、たいそうなことではなく、只わたしは酔っぱらっていて、明日の仕事が早く、それも朝から勝負を控えているから、というようなこと。

 わたしは、こんな風にいい加減に、毎日書いている。

 それでも、扉にあるアイザック・ディネーセンの言葉のように、絶望もなく希望もなく、只ひたすらに書いてはいるのです。

 じっくり書ける時を待ちなさい、と、わたしは自分自身に問う。

 今夜は人並みに眠るとして。


2001年06月14日(木) 昨今の車内。

 現在の仕事場が埼玉県にあるため、毎日電車に乗っている時間が多い。朝はだいたい新聞を読んでいるかグウグウ眠ってしまうかなのだが、帰りは深夜の車中で仲間たちとしゃべったり、ビールを飲みながらぼうっとしていたり。そういう時に、車内の人間観察するのは楽しい。まわりの人たちを一人一人見ながら、この人は今日どんな1日を送ったのかとか、どんなところに帰るのだろうかと、想像する。
 そういう時に感じるのが、このところ、変な人、得体の知れない人が、ずいぶん増えたな、ということ。
 何より、目で分かる。どんよりして焦点の定まらぬ目、忙しく動き回っては悪意のようなものをのぞかせる目、ひとところに異常な集中を見せる目。そういう人は往々にして薄汚れた服を着ていたり、「いったい何が入っているのだ!」と疑問を抱かせる不穏な荷物を持っていたりする。或いは同じ運動を繰り返していたり、独り言を言っていたり。
 人と一緒に乗っているとまだ安心できるが、一人で乗っている時は、少しでもおかしな人を見つけたら、わたしは迷わず車両を移ることにしている。余り気分のよいことではないが、こういう時代に我が身を守るには、仕方のないこと。
 そんな安心感に欠ける昨今の車内で、相変わらずわたしを楽しませてくれるのは、たくましいおばちゃんたちだ。
 この間見かけた、背の低いおばちゃん。近所で大安売りでもあったのか、パンパンにふくらんだショッピングバッグを持っている。勢いよく乗り込んできたおばちゃんは、混んだ車内を一通り点検して空席のないことが分かるや、「はいはい」と言いながらショッピングバッグに手を突っ込んでもぞもぞ何やら探したかと思うと、大きなS字の引っかけ具(あの、鴨居とかに引っかけて、ハンガーとかを吊すやつ!)を出し、つり革に引っかけてつかまったのだ。
 このおばちゃん、背が低いから通常のつり革につかまるのは大儀なのだ。で、Myつり革を持ち歩いているわけ。なんだか、たくましくって、いいじゃない! 何駅か過ぎて、空席が出きると、素早い動きでMyつり革をはずし、しっかりお尻を間隙に割り込ませた。
 こういうささいなことが、車内では楽しい。
 それぞれの人に、生活があって、それぞれの人が、せいいいっぱいその暮らしを生きているのを知るのは、嬉しい。すれ違う人、すれ違う人。貧富の差があれ、多少の幸不幸の差あれ、みな「生きてる」って感じさせてくれる場所にいたいな。


2001年06月13日(水) こころざしを高くして。

 辛くっても、疑問を持っていても、同じ現場の苦労を共にする仲間といると、往々にして救われる。ありがたい。

 別の現場でやはりとんでもない苦労を背負い込んでいる友人から、メール。
 今、24時間をお金で買えるなら、どんな借金をしてでも買いたい、と彼は書く。

 弱音を吐いている場合ではない。わずかでも、ささいでも、自分のできることを積み上げていかねば。
 志の高さだけが、未来の自分を支えてくれるのだと信じたい。


2001年06月12日(火) 然るべき胃の痛み。

 疲労と眠気から、家にたどり着いた30分後にはベッドに倒れ込んでいた。読みかけの本を読む内、1時前には眠りに入っていたのだが、携帯がけたたましく鳴り、目覚める。普段なら嬉しい、好もしい人からの久しぶりの電話。しかし、今日は辛かった。ぼうっとして何を話したかさえ覚えていず、電話を切った時には、完全に目が冴え、胃が微かな傷みを訴え始めていた。

 困ったあげく、こうして起きだし、キーボードをたたいて、次の眠気がやってくるのを待っている。

 胃の痛みがやってくるのは、ちょっと予想していたことだった。

 仕事がうまくいっていない。自分の、ということではなく、カンパニー全体がちょっとゴールを見失っている感じ。人々がいたずらに疲れていったり、萎縮していったりするのをみるのが辛い。
 スピーディーで力任せの現場でてきぱきと働いている自分を、「勢いや強引な力だけでは作れないものがあるのに」と、寂しげに傍観している自分がいるのを感じる。
 もちろん、まだ見えぬゴールを仲間達と肩を並べて目指しているつもりだ。しかし、もう少し違う道をたどって目指したいものだと感じる瞬間が、少しずつ増えている。

 わたし自身が疲れているからか?

 こういう時、わたしの胃は必ず痛む。

 ただ、まだ見えぬ観客や、愛すべきたくさんのキャストのために、頑張らなければいけない。それは分かっている。分かっているから、自問しながら、精一杯働いている。



2001年06月10日(日) 世界の不公平を受け入れること。

 我が仕事に、土曜も日曜もない。本日もクタクタになって帰る。心身の火照りがまだ冷めない。
 精神が昂ぶったままだからか、TVで命を奪われた8人のプロフィールを見ていて、またおいおい泣いてしまった。直接のきっかけは、手先が器用で、折り紙博士と呼ばれていたお嬢さん。
 小さい頃、わたしも折り紙博士と呼ばれていた。母が色んな折り紙を知っていて、折り方を覚え始めたら、我が天性の几帳面さといい加減さが、たくさんのオリジナル折り紙を産みだした。幼稚園ではたくさんの友達に自慢の折り紙を教え、卒業アルバムの最終ページには、青い絵の具を塗って押した手形を先生が残してくれた。そして、「この手で折り紙を折りました」と先生は書き添えてくれた。
 父や母の誕生日には、折り紙の花を集めた花束をプレゼントした。長じてからは、子供が病院で泣いていたりすると、18番の「蟹」や「百合の花」や、「羽ばたく鶴」や「手裏剣」を作ってあげた。お医者さんや注射を怖がる子供が、わたしの折り紙で泣きやんでくれることが、ままあった。折り紙というキーワードだけで、わたしの人生の時間のある部分が彩られている。
 亡くなってしまった「折り紙博士」仲間のお嬢さん。そのほかの可愛らしい子供たち。なんて辛いことだろう。

 金の苦労を知る。人や自然の脅威を知る。絶望を知る、裏切りを知る。泣いて叫んで、痛い思いをして、乗り越えて。はい上がってはまた辛さを知る。
 しんどいことばっかりなのに、空の青さや水の冷たさや波の音や母の温もりや星の輝きや夕陽の赤さや歌声のきらめきや恋人のまなざしや他人の笑みや踊り出す足の軽やかさや、ありとあらゆることで喜びを見いだせる、「生」の時間。公平に分け与えられるべきなのに、いつも不公平。世の中は不公平なことでいっぱい。人間がそうしてしまっていること、自然がそうさせること。とにかくどうしたって、世の中は不公平なもの。
 少なくとも自分が、こうして生きていることを喜びながら、ひとりの大人として、自分ができることを考えよう。それが、社会の現実を人につきつけることなのか、それとも、悪を糾弾することなのか、人生の喜びを謳うことなのか、人に笑いをもたらすことなのか。なんでもかまわない、生きていることを喜んで、誰かに恩返ししていきたいと考える。ひとりの表現者として。

 世の、どうしようもないことを、自分の生の神秘とともに、この心と体に受け入れること。


2001年06月09日(土) 悲惨な事件から一夜明けて。

 朝の電車で熟睡していたら、たっくさん席が空いているのに、男の人が隣に座ってきた。「いやな感じ」と思いつつ眠気に負けてそのまま寝続ける。電車の揺れに隣の男と一緒に目を覚まして、ようやくスタッフ仲間だと気づく。「お早う」と声をかけあい、彼はわたしが持っていた朝刊を読み、話題は昨日の小学生殺傷事件へ。
 彼には、昨日不幸にあった児童と同い年の娘がいる。何かと話題にのぼる、彼には目の中にいれても痛くない娘たち。
 新聞を眉根に皺を寄せて読む彼を見ていると、自分の父を思い出す。無口で人付き合いが悪く、気難しい人だが、わたしをどれだけか愛してくれた。受験勉強で徹夜を続けた日々、美味しいコーヒーを毎晩いれてくれたことを、夜中の台所で、ふくらんでいくコーヒー豆の白い泡を見ながら、ふと思い出したりする。わたしはなーんの親孝行もせずこれまで過ごしてきたが、こうしてとりあえずは人の役にたって元気に働いていることが、多少は孝行と呼べるかもしれない、と思ったり。
 話はもどって、その同僚の彼は、わたしの父とはまったく違うタイプの父親。賑やかで、スケベで、いかにも関西人。(仕事はデキルが、それはまた別の話)
 楽屋で、娘と風呂に入ってちんちんを握られて反応してしまい困った話(失礼!)など聞いていると、楽しくってしかたない。
 ああ、すべての子供たちが痛い目に遭わないように! と願う一方、若年層の犯罪は増えるばかり。そしてまた、人を傷つける者も、かつては当然、誰かの大事な子供であったわけだ。
 生きているということは楽しいけれど、同時に悲しいことをどんどん我が身に刻みつけていくことでもある。

 さて。今日もよく働いた。自戒や反省はあっても、とりあえず一杯に働いた。そして、また明日に続いていく。


2001年06月08日(金) ナゼコンナコトガ……?

仕事は問題山積みで、仲間達もわたし自身もどろどろに疲れてはいるけれど、愚痴をこぼす暇もない。もちろん、休憩時間にはこの忙しさを逆手にとったギャグが飛び交うのだが、基本的にみんなこの仕事を愛し、正しいプライドを持っているので、ただひたすらに舞台の初日を目指して動いている。それぞれのパートが、頭と体をフル回転して頑張っている。
 一人で出来る頑張りなんてたかが知れているけれど、こうして一丸となって回りがみんな目の色を変えていると、自分も限界を超えてやっちゃったりするものです。

 こうして書いている横で、TVニュースでは、大阪の小学校で起きた殺人事件を伝えている。痛ましくって、悼ましくって、何も言葉がない。
 
 書き次ごうと思ったが、何も書く気力がなくなってしまった。涙が出る。わたしが泣いたって仕方ないのに、涙が出る。どうしようもない。



2001年06月07日(木) あの人にカツ丼を届けたい。

 うぐぐぐぐぐっ。明日もいつもより早起きだ。次の休みは、もしかしたら24日を待たねばならぬかもしれぬ。いやはや、どうしてこうまで働くのか。
 NTTから、3月後半に申し込んだADSLの工事の順番がようやくまわってきたと連絡あり。でも、家にいられないのだから仕方がない。働く女の一人暮らしは、そりゃあ色々不便きわまりない。いや、そうでもないな。平気で1ヶ月休みなしで働き詰めるような仕事を選んでいるからか。
 まあ、いくらこぼしても、初日を開けるまでは、これがいつものペース。

 ひとくちのお酒を味わって(ひとくちで終わらない場合もあるが)、部屋の明かりを間接照明にして、ほんのわずかな時間、ソファーに体をあずけて本を読む。あるいは只ぼんやりする。・・・なんだかちょっと淋しいよね。
 同い年の男性スタッフは、2時間の帰途を経て家にたどり着き、ぐったりだらしなく休んでいると、奥さんに「子供が真似するでしょ!」と叱られ、眠り込んだ娘の頭を自分の腕に乗せ腕枕してやると、彼女たち、やおら目を覚まし、「お母さんのがいいーーー!」と彼に猫キックをくらわして拒否されたと言う。うーん、それもなかなか辛いな。でも、やっぱり、幸せそう。
 20代前半の男の子は、六畳一間の部屋に同棲中の女の子が待っていて、忙しすぎるこの日々、「もう出てってくれよ」と本当に思う時があると言う。そう言いつつ、ずっと一緒に暮らしている。まあ、それも分かるな。
 
 振り返ってみれば、忙しい時ほど、恋する気持ちって盛り上がってたな。
 吉本ばななの「満月」では、伊豆に出張中の女の子が、日付の代わる頃ようやくゴハンにありつけて、それがまた滅法美味しいカツ丼で、「あいつに食べさせたい」と発作的に思いつき、東京までタクシーを飛ばして届けにいく。
 若い頃。わたしもそういう衝動的な行動を繰り返してきた。そういう時独特のウキウキ感は、80歳のおばあちゃんになっても、生き生きと思い返せると思う。
 つまりは、恋をしていないってことは、つまらないってことなのよね。
 まあ、そんなものは、いつか突然やってくるものと相場は決まっているので、仕方ない。のんびり一人を楽しみましょう。とりあえず、今を楽しんで生きることだものね。
 



2001年06月06日(水) たまにはへらへらと夢見して。

 明日は稽古休み。しかし、わたしたちは稽古場の引っ越し作業で、いつもより出勤が早い。スタッフに休みはない。いつものことだ。
 それにしても贅沢な集団で、本番1ヶ月前だと言うのに、劇場に入って稽古するのだ。俳優がより本番に近い状態で表現を模索できるように。演出家が正しく作品をジャッジすることができるように。
 この御時世にこんなことが出来るのは、お金が有り余っているからでは勿論ない。金はないけどやっていること。諸処に経済的なきしみが生じるのは分かっていて、贅沢をする。この芸術至上主義。わたしは賛成でも反対でもない。ただただこの恵まれた環境をよりよい作品に結びつけたいと願って働くばかり。
 
 たまった疲れで、今日はへばりぎみ。最近夢も見ない。よき眠りを享受できているのかどうか。ただ知らぬ間に眠りに落ち、けたたましい音での強制起床を繰り返すばかり。
 川上弘美「椰子・椰子」は、彼女の夢日記に端を発するもの。荒唐無稽ながら、人生を自分のリズムで暮らしている人でしか見ることのできないタイプの夢の数々に、わたしは羨望を隠せない。川上さんは。生活の中で何かを強制されていたり、他者を必要以上に気遣わねばならなかったり、人生を時間で区切って暮らしている人ではない。きっとそうだと思う。(もしそうだとしても、そんなことより強力な「自分様」を持っているのだな)

 冷蔵庫のビールのストックは大瓶のみ。大瓶は多いよなあ、と思いつつも、シュパッと線を抜き、ぐいぐい飲みながら書き始めると、もう眠い。
 たまには、へらへらと、ちゃらんぽらんな夢見て眠りたい。



2001年06月05日(火) 職業人としての、正しきプライド。

 雨が降り始めた。肌にまとわりつく空気は、はや梅雨の感触。

 昨日はとってもよいお天気だった。1時間半ほど入り時間が遅かったので、開店早々のデパートに駆け込んで、稽古場で履く靴を新調した。穴が開いてしまったのに、ずっと買えないまま過ごしていたのだ。
 買い物をしても、まだ時間の余裕があったので、渋谷駅の外れで、たった15分ほどの日向ぼっこを楽しむ。カーディガンを脱ぎ、ノースリーブのワンピースになって、ひたすらぼんやりする。
 余りに陽射しが気持ちよいので、突然、毎日陽の下で働ける職業に鞍替えしたくなる。目を閉じて、陽の下で花の手入れをしていたり、馬の体を磨いていたり、羊を追っていたりする自分を想像する。別に雨が降ってもいいのだ。そこが仕事場なら。雨に濡れて働き、休憩中かたつむりの気長な行動を眺めて過ごすのも悪くないじゃないか。
 しばしの想像を終えて、電車に乗り込む。仕事場についたら、やっぱり今の仕事に夢中。ああ、たくさんの人生を生きられたらどんなによいか!

 稽古後、2日続けて、翻訳家の先生と、新訳台本の訂正作業。現場で湧いた疑問をぶつけ、また、台詞として耳で聞くと分かりにくいものなどを、顔と顔をつきあわして、ひとつひとつ直していく。そんな作業の中では、誤訳の発見もある。しかし、この先生、とにかく気持ちのでっかい人で、いやいや、つまらぬこだわりのない人で、「ああ、なんでこんな風にしたのかなあ、マチガイですよねえ」なんて言いながら笑ってらっしゃる。また、なかなかいい訳語が出てこない時に、わたしが「例えば、こんなのはどうでしょうねえ」と提案すると、「ああ、いいですねえ、それにしましょう」なんて、あっさりと受け入れてくれる。それでいて、妥協はない。とにかく原文に忠実に、自分の創作を交えないで、うまい日本語を探してくれる。
 本当にすごい人というのは、つまらないプライドがまったくないものだ。そして、正しき職業人としてのプライドが、奥深いところで静かに燃えている。
 こういう時、わたしはとっても幸せだ。ことばと共に生きてきた人と、子供のようにこどばで遊んでいる感じ。高級で、自由な遊び。
 
 いつかは独立して自分で新しいものを創っていくのだ、と常々思っているが、こういう素敵な人と出会うと、いつまでも、大きな傘の下で仕事をしたくなってくる。大きなプロジェクトだからこそ、出会える人たちがいるのだ。
 ああ、やっぱり時間がもっと欲しい。人生を2倍3倍に生きたいものだ。
 


2001年06月03日(日) 本を読みたい。物語が欲しい。

 本。読んでないなあ。日曜の朝のお楽しみ、新聞の書評欄を車中で読みながら、そう思った。
 1週間ほど前からP・オースターの「ムーンパレス」を再読し始めたが、何しろ、ベッドに入って5分読むと眠くなってしまう。困ったものだ。朝の電車はまるまる眠ってしまうし、帰りは仲間たちとおしゃべりしているから読書って感じじゃない。少なくとも30分はベッドの読書をしないと眠れないわたしが、5分でぐっすり、なんだものなあ。

 と思っていたら、仕事が1時間早く終わって、11時までやっている新宿の本屋に駆け込めた! 残念ながら手持ちが2000円しかなかったので、文庫を2冊購入しただけで帰ったが、久しぶりの本屋にわくわく。川上弘美と、保坂和志を購入。

 さて。話は戻って、「ムーンパレス」。オースターファンのわたしは94年に柴田訳が発売された当日購入して、確かまる1日かけて一気読みした。そして、「こんな青春小説読んだことない!」と読後しばらく「ムーンパレス」のことばかっり考えていた。それから2度ほど再読。今もまた、数ページずつ読みながらドキドキしている。
 始めて読んだ時、主人公と同じく屈折した青春を、モラトリアム期を、わたしは生きていた。同じく恋のときめきを生活の糧としていた。そして今、わたしは郷愁をもって主人公を追う。
 良書は読み返されるべきだ。
 かつて2本の仕事をご一緒した演出家が、なんとこの「ムーンパレス」を劇化せんと稽古中だと言う。なんとまあ大胆なことを! と思いつつも、わたしは楽しみにしている。
 記憶の結晶、記憶の残骸としての、美しくも痛ましいダンボール箱の山を、果たして見せてくれるかしら?

 仕事が本番に入って、わずかながら自分の時間が持てるようになるには、7月の中旬を待たねばならない。夏の陽射しを傍らに飾った涼やかな日陰で、日がな1日読書することを夢見て、今宵も眠ろう。
 



2001年06月02日(土) 結婚というものの、抗しがたい魅力。

仕事場で雑談していると、わたしはもうけっこうな歳なものだから、何かと結婚の話題になる。
 仕事があるから結婚して家におさまってしまうのはもったいない、と言われたり、未婚の母でもいいから一度は出産してみれば? と言われたり、20代で一生分の恋愛しちゃったから駄目なんじゃないかと言われたり(悲しいかな否定できない)、もうみんな好き勝手言ってくれる。
 確かに、仕事を続けようとすると、結婚出産で休みを取るのは痛い。いや、休みどころか、決して器用ではなく何にでも全身全霊がモットーのわたしは、かけ持ちなんてできないだろう。
 いやいや、問題はそんなところにあるのじゃないな。つまりは、結婚したいと思うような男性と恋をしていないということですよ。
 恋人と呼ぶ男性は、たとえば女房持ちだったり、たとえば経験上いっしょに暮らさない方がお互いのためと思えるタイプであったり。うーん、問題は深刻だな。
 そしてまた。
 病気をしたりした時、一人で闘うことはいかにも辛い。どんなに辛くても、甘える人はいないし、どうにもわたしは甘えることが嫌いで、親以外に甘えることをしない。で、自分が働かなければ食っていけないので、必死になって病気を治す。だから、元気でないと、自分の価値を見いだせない。
 そうして一人で苦しんでいる時、調子がよくなるまで休んでいいよと言ってくれる人、この身を案じてくれる人がいれば、どんなによいかと思う。

 まわりの人は、「理想が高すぎるんだろう」とか「シングルライフがあってるんだろう」とか、どうもわたしのことを思っているようだ。昼間仕事をしてる姿からは、夜中ひとりで「さみしいよー!」と嘆いていたり、「仕事なんかとっととやめて誰かに食べさせてもらっておっとり暮らせたらどんなにいいか!」などと想像しているわたしは、思い描けないようだ。もちろん、わたしのお馬鹿な恋愛歴や、酒に酔ってハチャメチャになる姿を知っている近しい友人たちは別だが。

 たまたまこのページを見つけて、感想メールをくれたカナダ在住の若い女性(と言っても、一児の母)のHPを時々訪れる。
 国際結婚をしてカナダの美しい街に暮らす彼女は、別に自分の願望志望に縋りつくことなく、自分に訪れる運命をとても上手に受け入れて、そして得た幸福をとっても真面目にけなげに守っているように見える。一人の人間である限りいろんな欲や自我のうごめきはあるだろうが、彼女の書く文章からは、そういうことを、自分が受け入れた生活を愛することで乗り切っていこうとする女性らしさが見える。そして、そして、彼女の息子のなんとも愛らしいこと! 他人のわたしが見ても、うっとりしてしまうほど。
 わたしは自分のことを「幸せ者」だと思っているが、彼女の文章を読んでいると、別種の幸せの存在を感じて、単純に、「いいなあ」と思う。

 未体験のことはなんでも魅力的に見えるものだし、隣の芝生は青く見えるのは当たり前なのだが、うーん、結婚というもの、なかなか抗しがたい魅力を持っておるなあ。




2001年06月01日(金) 他人(ひと)はわたしの鏡。わたしは他人の鏡。

 仕事場は、るつぼみたいな場所だと、ふと思う。
 明日の電車賃さえままならないような売れない俳優から、「いったいどれくらい稼いでるの?」と、我々には想像できないほどのギャラを1ステージで得てしまう大スターまで、同じ場所で暮らしていく。同じ平面に立って仕事をする。時には、稼ぎの多少に関わらず、役が逆転してしまうことだってある。
 今は聾唖の女優だっているし、なぜここまでお嬢さんで生きてこられたのかと疑ってしまうアイドルもいる。
 家庭を持っている人。家庭が壊れかけている人。家庭を持ちたいと思う人。
 そうなるべく演劇に関わっている才能ある人から、やめちゃった方が幸せだろうにと誰もが思ってしまう、才能のない人。そして、努力する人。努力しない人。年齢に関わらず、大人な人、子供な人。
 そりゃあ様々な人が一緒にひとつのことを目指していて、もちろん、人が集まる限りどんな場所でも同じなのだろうが、演劇という総合芸術の形態は、普通の社会より鮮明に、それらの図式を暴いてしまう。
 人間を描き、虚構としての世界を描く場所だから。
 シェイクスピアが言うように、まさに演劇は人生の鏡であるから。
 
 自分の揺れる現在を抱えながら、すべての人に目を配っていくというのは、至難の業で、もちろん完璧にそんな仕事を為せるわけがない。
 せめて、他人を簡単に否定しないようにしたいと思う。常々思う。今、この場所で輝けない人でも、生きている輝きは確かにあるわけで、ただこの場に向いていないだけかもしれない、と思う。
 人を嫌ったり否定するのは簡単だ。真剣に向かいあって、駄目なら駄目できっちりと批判し叱責し、その上で、存在を愛していなければ、と思う。
 そういうことが、なかなかできない。特に、努力しない人、怠慢な人、言い訳をする人などは現場では愛しにくく、イライラしたあと、ふと思い直したりする。
 
 わたしはチビなので、若い頃から痴漢の被害によくあった。例えば、いい年をしたおじさんにやられたりすると、「うーん、でも、この人だって、自分の娘は愛しているだろうし、娘にとってはいい父親なのかもしれない」と思って心底怒れないし、若い男の子にやられると、「たまってるんだなあ、とか、吐け口がないんだなあ」とか思って、やっぱり怒れない。たとえば、そういうこと。

 これは、思いやりとかそういうものではない。わたしはそういう思考回路の女だというだけのこと。他人に接すると、自分の知らないその人のことを想像するように出来ている。
 だから、こうして人に囲まれて、たくさんの人に言葉や行為を為す仕事をしていると、1日の終わりにいろいろいろいろ考えてしまうことになるのだ。

 一生懸命働いて、気も遣うだけ遣って、日付けが変わってから、明日はもっとよりよく、なんて考えている。
 惑わない歳に近くなっても、まだまだそんなこんなの自分に、時々あきれかえるが、人に見せぬだけで、誰だってそうなのかもしれぬ。また、誰だってそうだったら、幸せだなあと思う。様々な暴力に満ちあふれた現在を生きていると。


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