世界お遍路 千夜一夜旅日記

2007年12月31日(月) 1年の無事、感謝

今さっき、実家で大晦日の宴会して帰着。
甥と義妹が代行。
ゆきが一晩で20センチ強。
今年は、なんだか雪国らしくなったが。
まあ、マイナス37度なら当然でしょう。
1日、雷に吹雪に、と荒れていた。

今日は朝8時から自分のうちの掃除、それから実家で4つのトイレ掃除、末弟の部屋大掃除。
で、末弟をお風呂に入れて大忙しで1日が終わった。
あ、まだ終わっていないね。
家族で乾杯、焼き肉。なんだかんだしゃべって、紅白が始まったんでかえってきた。
私はこれからコーヒーを入れてFOXテレビです。
久しぶり。

それにしても、2007年が暮れていく。
まあ時間の流れの速いこと。

ありがとうございました。
2008年もよろしくです。



2007年12月30日(日) 新聞まとめ読み

やっぱり、パキスタンのブットさんの暗殺はもう何というか・・・。
ご冥福を祈ろう。
彼女自身が、夫の汚職なんかでいろいろと汚いものまみれていたようだけど、カリスマ的な人気であの国の状況をなんとかしてくれそうな気配はあったのにねえ。
北朝鮮と核関連の太いパイプがある国だけに、混乱ぶりがなんだか恐い気がする。

それにしてももう30日だ。
年賀終わらず。
今年は、1月1日に投函して、その消印をもらうという戦法にでようと思っている。(塾の子ども分は出したが)
掃除も昨日、あまりに汚いガラスふきだのをしたのみ。
今日は二階の大型ストーブが壊れた。
着火しても送風がうまくいかないのだ。
困る。

雪、雪といいつつ大雨だ、今日も。
そろそろ昨日より気温が下がってきている気がするし、みぞれからぼさぼさ雪となりそうだが。
来年の初めは0度が続きそうだし、少しは降りそう。
なんて事書いているヒマがあったら、今年の残務をしよう。
私は気象予報士ではないのよね。
さ、掃除だわ。
ネットは消す。



2007年12月29日(土) マサどん、三ツ星へ

明日発行するメルマガの記事になるモンはないか、とネット上をうろついていたら見つけましたわ。
「皇太子ご夫妻、お忍びで東京・銀座の3つ星レストランで会食される」っていうの。
28日夜8時半よりお忍びで銀座の3つ星フレンチ「ロオジエ」で、友人夫妻と何時間もお食事されたんだそうな。
はあ・・・さっそくいきましたね、マサどん、三ツ星へ。
それにしても、お忍びなのにどうして記事になるんだろ??

この前は、クリスマスイルミネーション見物でその後妹家族とやっぱりフレンチでしたっけ。
彼女のお父さんオワダジジサマは、公費でフランスの★付きの食べ歩きをして制覇したということを自慢そうにお話になっているそうなんで彼女が三ツ星にいくのはまあわかるけど。
11月にミシュランがでて、ソッコウですねえ。
なんてミーハー。
試しに2ちゃんねるへのぞきにいった(ホントはメルマガつくらにゃいかんのでヒマはないんだが)もうほとんど暴動かクーデターが起きそうなほどに「炎上」しておった。
昨今、彼女のグルメ歩きは半年に一回とかじゃないんだよね。
8月くらいから、ほとんど毎週一回の豪遊だモン。
ウソかホントか、恒例の「ご静養スキー」で彼らが定宿にしているホテルが3月のある時期、全館予約状態だと書いている人がいた。
つまり、来年もスキーにいくのだ、と。(今どきはだれでもネットでこういうコトがチェックできる。まあ、皇太子夫妻をねらうスパイナーがいるとすれば、こういう時をねらえばいいってコトも実はネットではわかる、やんごとなきから下々までネット社会はこわいモンだわ、と思う)
なのに、新年の一般参賀には7回のうち3回しかでないと。これまたクーデター前状態。
私は、こうなると、いずれ、因果応報が来ると思う。
「マサコ、お天道さんは見ておらっしゃるよ。悔い改めよ。」
といっていやりたい。
そうそう
天皇誕生日には、3回全出席でベランダに立ったらしい。
えらい、マサどんやればできるジャン。
とほめてやりたいが、着ていたお洋服、濃紺の別珍生地。
全世界配信の記事に、「喪服のような服」でお手振りしたと書かれたらしい。
イギリスの新聞に、彼女は天皇が死ぬのを待っているとでかでかと書かれたし、これもその関連の見方やもししれぬが、ちょこっとかわいそうな気がした。
ただ、お祝いなのに、濃紺はKYだよね。
やっぱり、クリームとか淡いオレンジとか、明るい系でしょうと思うのだが。
自業自得か。

さあ、メルマガつくらなくちゃ。
つまらないことに道草したが、皇室ウオッチャーとしては書かずにはおられずに。
すんません。
あしたは今年最後のメルマガ配信だ。
41号です。
子どもの本読みは、100夜を越えたし。
塵もつもれば山となる。

英語の特訓4日間も今日で終わった。
来ていた子、訳し方がわかった、少しおもしろくなってきた・・といって帰っていった。よかった・・・しかし今中3,この台詞、2年だったいいんだけど、なかなかね。

雨すごし。
あったかいし。
大雪ってホントだろうか。
天気図を見ていると、低気圧はほとんど台風なみに発達している。
さらに、配置的に見ると、いわゆる北に二つ玉低気圧があるのは、春先の特に太平洋側に雪をもたらす典型的な配置だ、という感じだけど。
もちろん日本海側も降るが、しかし、どちかというとぼたぼた雪で、パウダーではない。とけやすい。
やっぱり暖冬だと思う。
だいたい、マイナス7度だったかの寒気団て、一昨年の寒さに比べたら、へって感じがする。なんじゃらほいって、ね。








2007年12月28日(金) 28日かーーー

はやすぎるねえ。
今日は、支払いやら何やらで飛び回っていた。
忙しや。
4時になっても暗くならなくなった。
それはうれしい。
一陽来復ってすごいと思う。
本読みブログは仕事納めをした。
下の会社の事務所も午後から仕事納めみたいでしまっていたし。

今日も雪降らず。
元旦にかけて寒波が来そうだが。
むかし大晦日1夜で1メートル近く積もったこともあったが、昨今はそこまではないだろう・・と思うが。



2007年12月27日(木) 宮内庁がマスコミ反論ページをつくったって・・・

今さっき、受験生のお勉居を終えてヤフーを覗いたらタイトルのような見出し。
あれまあ・・・さっそく、リンク先にとんでみた。
女性誌で「ミチコ様が東宮一家を呼んで公務分担の話をした」っていうのはガセだってのがのっていた。
これ、でかでかと新聞広告に載っていたものね。
それにしても
こんなのをつくらざるをえないほど、雲の上の人たちは地面に落ちてきたのねえ。
なさけない。
これもあれも、みんな東宮ご一家、わけてもマサコサマのせいでしょう。
だれかが、徳仁さんとマサコさんがテンノウコウゴウになったら、クーデターが起きるんじゃなかろうかと書いていたけど、何となくうなずいてしまう。
私はといえば、彼らならもう税金食い虫は不要と思う。
児童施設に行って「アイちゃんのパパです」なんていうアホ、世界のどこに出しても「恥」だし、食い歩き・買いあさりだけ得意で一度も伊勢神宮に参拝していないマサコさんは問題外だし。(っていうか、彼女は邪悪・不浄すぎて、聖なる地に足を踏み入れることができないのだろう)

てな皇室ウオッチャーの話題は、この辺で置いておいて
今日はものすごくいい天気だった。
まるで「小春日和」
まあ、異常だね。
心配になる。
雪は、里に無し無し。
山に少々。
そりゃ、ない方がいいけどこういうのもねえ。




2007年12月26日(水) 出張から帰着

時間通り帰着。
金魚の世話、部屋を暖めて、シャワーを浴びてうちのお大師さんやお不動さんにお参りして、朝ご飯食べて、洗濯をして・・・で10時近い。
ホッとしたら、眠い。
ストーブの前で、昼まで朝寝爆睡。
昨夜、深夜0時10分大津発の夜行寝台。
それなりに寝たけど、疲れているようだ。
足も痛いし。
これから、末弟の入浴にいって、中3生を一人教えて、年賀状を書かねば。



2007年12月25日(火) 三坂を下る

桃李庵を、おかめさんとヒサコさんと3人で8時すこし前にでる。
山道ではなくて、国道をドンドコと頂上まで進む。
三坂の山道を下って下って、坂本屋。
朝まだ早かったので、しまっていたけど、トイレをお借りする。
こういうところが増えてありがたし。
山はまだ紅葉で美しい。
鉄砲うちのドーンドーンという音がこわい。
下りが緩やかになるころ、大学生遍路くんと合流。
おかめさんが息子と年頃が似ていいて・・とたくさんお話をされていた。
彼、話を聞いてもらってよかったと思う。(学校がおもしろくなくて休んでいるって言う話だ)
つくづくとへんろ道、と思う。
46番で3人でお参りしてヒサコさんと私はおかめさんにバス停までお送りいただいて、バスの人へ。
おかめさんは、西林寺くらいまでは行きたいといわれていた。
お天気はよいし、いけるだろう。

ヒサコさんとは松山市駅でさようなら。
彼女はお仕事があるのだ。

私はJRで今治へ。
Kさんに2時間ばかり会って一路帰路、帰路。
なんだか、あっと言う間に3日がすぎた。



2007年12月24日(月) 44番から45番、それから桃李庵へ

ヒサコさんと8時の松山市駅発久万行き。
9時8分久万着。
44番をお参りして、タクシーで45番下へ。
久しぶりの歩きでさらにはデブになったので45番の坂がきつかったわ。
トホホ、ダイエットが必要じゃ。
お参りの後、川沿いの道を歩く。
12時、まさにちょうど、古岩屋荘。
お昼。
まるで、時間を計ったよう。
12時40分、八丁坂の道へ。
その後、千本峠越えの道に入ったのがまちがい、いやはやしんどいしんどい。
以前は三坂からで下ったのでさほどと思わなかったが、今度は登りだ、メチャしんどかった。
もともとアップダウンの道できついだろうとは覚悟していたが、私が車人間になっているんでなおさらきついのだろうと反省。
ヒサコさんもえらいわ・・と言っていたので私だけではないと少し安心したが。
仰西へでたのがもう三時近い。
ここのトイレで、おかめさんから電話。
合流するとのことだが、「無理ではないか」と。
とりあえずは、桃李庵で会いましょう、と。
しかし、おかめさん、荷物はだんなさんに運んでもらって、走っておいでになった。ひゃーげんき。
3人でべちゃくちゃしゃべりつつ、着。
くまごろうさんのお迎え、ありがとう。
私はもっと上だろうと思っていたので、近くてもうけた気がした。

まずは、手打ちのおそばをいただいて、その後お風呂、夕食。
すごいごちそう・・でおいしかった。
まるでできなかったお料理、ココまでできるようになったくまごろうさん、すごし。
外は寒くてさびしいけど、あったかくて楽しい夜だった。



2007年12月23日(日) 供養の碑へ

朝7時、Sさんと87番にお参りして私は荷物をSさんにお願いして供養碑まで歩く。
約6キロ。
昨日の雨で気温は高く、湿っている。
8時45分、遍路資料館に「供養碑にお参りを」のプリントした紙100枚ほどを置いて管長さんにご挨拶。
手に持っていた菓子折と紙がなくなって軽くなる。
供養碑へ。
すでに、たまちゃんご一家お仕事を始めていて下さる。
お供えまでしてくださっている。
いつもながら、ありがとうございます。
Sさんもどこで追い越されたか、いる。
種をまき、球根を植え、踏まれないようにわりばしを建て、石をふくつもりで使い古しのタオルを持っていたのだが、すでにたまちゃんパパママがしていて下さった。恐縮。
やがて、ヒサコさんご一家(なんとご両親も一緒)も到着。
クリさんご一家も待っていたのだが、なかなかなので、とりあえずは、Sさん先達でお参りをする。
やがてクリさん到着。
いっしょに、88番までご同行。
お参りした。
なんか、いい感じである。
気持ちが通じているというか、ゆったりとしているというか、クリさんは親子で結願らしい。
おめでとうございます。
いいお参りをさせていただいた。

私はここでヒサコさんご一家と、お昼を食べて、塩江温泉へ。
暖まる湯だった。
で、ヒサコさんのだんなさんの運転で松山へ。
ご両親のおうちで休ませていただいてへんろみちの宮崎さんにもご挨拶。
ずいぶんとおやせになったが、お元気そうだった。
「遍路石を建てるので忙しい」とのこと。
夜は、ヒサコさんご夫婦とナベとタコ飯(瀬戸内や)で盛り上がりでしたわ。
いよいよ明日は歩きです。
それにしても、四国は新潟と別世界。
いまだ紅葉の世界だ。



2007年12月22日(土) 姫路から長尾へ

毎度おなじみ朝大阪着。
天気がよくない。
まあ、明日晴れてくれればいいわけだし。
雨空を見つつ、姫路へ。
これまたおなじみだ。
Dさんにお会いして拾っていただいて、破磐さんへ。
宮司さんはいつもは年末の大忙しなのだが、今日は雨にて中休みのよう。
お参りしてお神籤を引くとなんと「大吉」だ。
スゲー!!
破磐神社の神籤はよくあたる。
宮司さん曰く「ここで、2年連続で凶を引いた方が、これで腹が決まったと事業をたたまれた、それが宝石のお仕事で、悪くなる前に処分してよかったらしい」と。
おまけにお厳しい神さまなので大吉なんてなかなかでない。
手持ちの破磐さんの神籤で一番古いのは、小吉
「足を知るは幸せのもと」なんて、けっこう手厳しいことばが書いてあるものだ。(知っているつもりでしたけど・・ね)
こちらに帰る前にひいたのは「吉」
その言葉に曰く「種をまき苗を植え月日の恵みと努力により実るように新たに事を始めてよく、日夜怠らなければ、神仏の加護により、幸せが訪れる」
まさに、こちらに帰って、新たに事を始めようとしていたときで、この神籤の言葉に力をもらったものだ。
それで今回の大吉。
だんだん進化しとるがな。
破磐さんで大吉がでるなんて、来年いいことありそうな・・・って気がする。
でも、前回のお神籤は、持っていて時々、この言葉を読み返して、地道が大事、怠けるな、と思っているので、なんだか破磐の神さまに見られているよねえ。
もちろん、破磐神社のお守りは部屋に張ってあるんで、見られているも同然だけど。
お手洗いそうじをDさんとさせていただいてから宮司さんとしばしお話し。
お昼までごちそうになって、高松へ。

長尾についたのはとっぷりと暮れている時間でお参りは明日。
宿はあずまやさん。
女将さんが捨てられない性分らしく、いろいろなものが置いてある古い宿。
黒い招き猫までいて、けっこうあれはレアものかもと思ったことであった。
ここで、明日供養碑のお世話に参加してくれるSさんと久方振りに再会。

明日天気になあれ。



2007年12月21日(金) 夜行にて出張

ただいま、桂温泉より帰る。毎度おなじみの夜行にて、南西方向に出張、仕度しなくちゃ。
数日の出張なり。
日記は帰宅後にアップ。
ホントは、京都に寄ったりしたかったんだけど、時間的に無理。
というのも、受験生5人だもんで。
26日朝にかえって、すぐにその夕方から英語指導ですだ。
次の日なんて、夕方受験生が3人も来るよ。

今日は、夕方、小3生が国語、みんな左側に○になったと、わざわざお母さんと見せに来てくれた。
その日につくった自作の俳句も持って。
こういうのが一番うれしい。
ありがとう。
地道に、誠実にやっていこうと、改めて思う。。
ではいってきますだ。



2007年12月20日(木) 雪無き、ありがたきかな

雪マークが出て降るには降るがとける。
ありがたし。
もう二十日だよ。
いそがしや。
一応通常の塾スケジュールは、12月分終わった。
みんなに、月の満ち欠けカレンダーをクリスマスプレゼントにあげて冬休みだ。
でも、今年は受験生が5人もいるので、26日からまたスタートだ、個人指導。
それぞれに、宿題をがっちり出してある。
全然もうからない個人指導だが、ぐったりするほど全力投球だ。(来年はあげるよ)受かってほしいもんね。
昔に比べれば断然広き門とはいいながら、心配だ。
遙か三条の地より、小論文指導にかよいたいというありがたき電話だが、時間があいていない。
今日もつかれましたわ。
明日は末弟のお医者だ。(ていうか、時計は12時をまわったし今日だが)
末弟、先週、通所施設で階段から落ちて頭を切って3針ぬった。明日は抜糸。そして歯医者。
早起きしなくちゃだ、さてビールでを飲んでお休みだ。



2007年12月19日(水) しらたきとコンニャク

スーパーで買い物をしていたら、突然そばにいたオヤジさんから「しらたきとコンニャクってどうちがうんらね?」と聞かれてしまった。
まわりに人がいっぱいいるのに、なんでわたしに聞くんだね?
ってわたしが聞き返したいくらい。
「いや・・多分、同じだと思いますよ」
「じゃ、なんで名前が違うんらね?なんかがちががろ?」
「さあ・・・」
相手は、わたしをにらみつけるようにして不満そう・・・
なんでやねん。
「お店のかたにきかれたらどうですか。わたしも単にお客です」
「そうらねえ。」
いいつつも、不満そう。
私も、ものすごく?????を感じた。
でもって気になったし、ネットで調べてみた。
解答
同じものです。
ただし、しらたきは、コンニャクよりも細く固くつくってある、のだそうな。

脱力。
それにしても、あのオヤジはなんだったんだ??



2007年12月18日(火) ぼさぼさ雪、降ったり止んだり

マイナス28度の寒気団の力か、雪がふったり止んだりの1日であった。
4時になると暗いのが何ともイヤハヤだ。
あああ・・・・やだ!
早く「一陽来復」といきたいもんだ。
12月22日ですね。
冬至は。

終日降雪多
落葉変化白
巷間顔色寒
我待陽来復

遊び@我流漢詩(五言絶句)でござる。
漢字って、ならべるだけで意味が何となく通じてええ感じやで。



2007年12月17日(月) 神父さまの「が」の使い方

「被害者も大変な思いをされているが、加害者とその家族のためにも祈りましょう。」
これは、長崎の教会の日曜礼拝での神父さんの言葉だ、という。
このことばで、2ちゃんねるあたりで非難が見える。
まあね、「が」でつないではいかんね。
逆接の「が」をこういうふうに遣うと、後ろ強調の文、作者は「が」以下を強調している。主張はここだ、ととらえよう。
ということになる。
加害者及び加害者家族が信者だったため「が」でつないでしまったのかもしれないが、これはまずい。
後ろの言葉に「も」が入っているので、「後ろ強調の」文意は薄められるが。それでも、一連の内容が一文の流れにのること自体がまずい。
わたしも新聞よんで「え?」と思ったもん。
神父さんは、日本語が不自由?
やっぱり「亡くなられた被害者のご冥福を祈りましょう。お怪我をされた方のご快復をお祈りしましょう。」
まずは亡くなられた方々のために祈り、しっかりやったあとで
「加害者の死後の改心とご家族のためにも祈りましょう」ではないのかねえ。

それにしても、なんと保管の弾の多いことよ。
銃規制は、確かにむずかしいかもしれぬが、弾規制はできるのではないか。
弾は、警察保管。
つかうときだけとりに行く。
2年以上銃を弾を取りに来ることがなかったなら、銃所有許可を返上してもらう、とか。
暴力団の事件だけじゃなくて、高知の事件、東京だったかの子どもがまちがってさわって弟を撃ち殺した事件・・エッとまだあったはず、昨今の事件。
みんな弾をいっしょに持っているから起きたことだ。
別々保管にすれば事件は減ると思うが。
それにしても、
なんで、友だちを殺したのかなあ?
麻衣さんという女性については、もしかして、交際を申し込んでことわられたのかもしれぬ、とは思うが。
自殺したのは、わかるよ。
正気にもどれば、死ぬしかないと分かるよね。
お父さんは退職公務員。
どうして、いい年した息子を家に居候状態で置いておいたのか。
追い出せば、否応なく仕事したであろうに。

新潟上空マイナス28度の寒気団がいるのだという。
それでも、降ったり止んだ、氷雨が多い。
そう思うと、一昨年のマイナス50度近い寒気団がいかに異常だったかわかる。



2007年12月16日(日) 佐世保の銃乱射・・不気味

このところ、九州は別の国になったよう。
銃で人殺し事件が次から次だ。
初め、基地関係か暴力団関係の事件かと思ったら、親友が親友を撃ち殺す事件だった。犯人は教会で自殺。
奇行が目立っていたというが。仕事もなく(というよりしたくなかった?)疎外感が強かったのだろうが。疎外感を毒ガス抜きできなかったんだろうかねえ。
とにかく、悲惨な事件だ。
そして、不気味な事件だ。

今や、この国のあちこちに似たような人はいると思う。
(なにしろ、コウタイシヒでさえロイヤルニートの引きこもりですきなときだけでられる病だし。まん延している、こういう心の病気)
こわい事件だが、どこでも起きる可能性はありそうな・・・
うちの塾、子どもがいるときはドアのカギはあけているのだが、今後はしめておいた方がいいのだろうか、と思っている。
うちの裏に不審者がでて、警官が来ているときがあったし。

どうも、暗いくらい年の瀬だ。

昨夜は少し積もった。
屋根白し。



2007年12月15日(土) 残飯700万トン

受験生の筆記問題対策で、さまざまなグラフをネット上で閲覧、場合によっては、プリントアウトしてつかった。
わかったことがいくつか。
地球温暖化につながる温室効果ガスをCO2換算すると、そのトップは、実は、家庭用の照明動力なんですよね。これだけが年々数字をのばしている。それと暖房。
そう考えると、昨今あちこちでブームのクリスマスイルミネーションって如何なものかと思う。
発光ダイオード使用で電気の消費はとても少ないとはいえ、日本全体でいえば、かなりだと思う。
だから、国民皆1円募金じゃないけど、それぞれ一生懸命で不要な電気を消せば、温室効果ガスは絶対減るんだってこと。

それから、日本の残飯量って700万トン。2004年の国連食糧計画の食料援助は750万トン。
この数字を見たとき、申し訳ないというか、情けないと思ったというか。日本は食料の自給率40%だ。この数字はすでに独立国ではない。(60%を切ると、そういわれる)それなのに、この残飯って無いよ。
ワールドハンガーマップ(World Hunger map)というのがあって、食料が足りて十分に栄養がとれている地域は世界の1/3にも満たないという事実。
いずれ、この国も人間もは滅びるだろうと。この数字のあれこれをながめつつゼツボーだね思った。
昨今話題の日付偽装も、食料を惜しむ気持ちの延長だったらどうだろう?
ま、儲けだったわけですけどね。
どうしたら、残飯を少なくし、すてるものをなくすのか、日本はそれこそ一人一人が一生懸命に考えるべきだろうと思う。
こういう数字をいろいろなところでしっかりと出すべきだとおもうが。

さらに、地球は何人の人間を養ってくれるかというと、80億程度。(ただ、これは穀物ベースで、穀類を牛やブタに食わせて人間にまわさないともっと効率が悪くなって、5,60億っていう数字も見たことがある)
今、67億人くらい。2050年には、国連食糧計画の予想では、90億を越えるっていうグラフがある。
2050年って、すぐそこです。今の中高生が60代です。

うちの塾個人指導、大変安くて、他のところのどうも半分くらいみたい。
まあ、どこまでできるかわからなかったので(個人指導をする気はなかったので。頼まれるままにしていたら増えた)安かったのだが。(来年度はあげます、1・5倍くらいに)

でもまあ、安いんで来ていただいているおかげで私も勉強できて、おもしろい。
っていうか、目的がないと数字を調べたりグラフをさがして考察するなんて無いもんね。
数字は、きっちりと事実を晒してくれるので、ゼツボーもするが、クリアで動かせないところがおもしろいと思う。

本日は昼間に雪がちらついたが、今は雨。
なんか、季節が遅れて動いている感じが強い。




2007年12月14日(金) 警察官も、キップきられる

昨日の夕刊に、京都府警の警官がうっかりシートベルトをしないで切符を切られた、というニュースがあった。
そうか、そうか、ウフフ。
夏のころだったけど、目の前を走っていた新潟県警の巡回パトが、方向指示ランプを出さずに左折したのみたよ。
あれ??これこれ、お巡りさん!!・・・・と、唖然としたけどね。

昼に今関さんより電話。
トントンと、本が出る話が決まって、ついてはその中に実名で出てもらうんだけどよいか、とのこと。
もちろん、おめでとうございます!
でありました。
冬至が近いもう一つ元気が出ないときに、こういう景気のいい話を聞くのはうれしい。

それにしても一日があっという間にすぎる。
これから、友人のお母さんにビワをしに行って、末弟のお風呂、自分の温泉・・ということで出かけよう。
またまた一週間が終わった。



2007年12月13日(木) トキの放鳥

放鳥にそなえて、トキを100羽あまりも野外舎にうつしたとの新聞報道。
なんだか、人間、馬鹿なことをしているよね・・・
今ごろになって、1972年だった当時に、目白の田中角栄宅に、東電の原発用地の買収にからむ4億円を運んだの1面報道。
さすが地元紙。
いまさら、だよ。
それにしても、それこそ今さら、こういう報道するのは、選挙がらみだろうか。
真紀子さんのイメージダウン?
今、同じ選挙区にだれが立つか揉めているんだよね。
例の山古志村長さんだった長島氏と、米山氏というやる気満々の若手。

そうそう、それこそ隅っこに、アイコさんが宮内庁の職員美術展に出したという粘土細工みたいのがのっていたぞ。
はあ?あまりの場違い度の高さにびっくり。
地元紙も、「アイコちゃん女帝売り込み」に手をかしている?
そういえば、マサどんさまのご先祖は村上ってことになっているもんね。
しかし、もう墓は村上にはないだよ。関東方面に持っていったって地元紙は知っているのかね。
作品の芸術度は、あまりに写真が小さくてわからずだが、あの子の様子から見ると、自力でこういうものを制作できるとは思われず。当然、お付き手助け度80%だろうが。
アヤシイ記事って、結構ある。
まとめて読みたいのは、宮本常一さんの新潟での足跡をおっているルポだ。
これはまっとうな記事だけど。
切り取ってある。
今読みたいのは、宮本常一さんの本と、司馬遼太郎の子規のことを書いた本だが・・・時間がなかなかとれないのだ。

お天気はマアマア。
雪がふらないだけいい。



2007年12月12日(水) 昨日の日記を読み返し・・・

長い、長い。
あきれた。
要するに、あまりにひどい文書で、もうなおしたくて・・だったこと。
内容がうそ臭くて、あきれたってこと。
「病気を直す気皆無」だよね。
文書にある「活動の幅をひろげた」っていうのが、食べ歩き、買いあさりだっていうのが情けなさすぎる。
マサどんさまは、多分「人間、文化、宗教、国家、国民」といったことを心底考えたことがないんだと思う。外交官の娘として、あちこちを移動していたにもかかわらず。
さらに「人間としていかに生きるべきか、1度しかない人生、自分に何が出来るか、多くの人のためにどんなことができるか」なんてことも考えたこと無いんだと思う。
もしも、これらのことが少しでもできていたら、もうちっと、言動がちがうでしょ。
ま、なんの助言もしないで放置している皇太子もぜったいによくない。
彼は究極のお坊ちゃん、ほって置いても、女性は嫁にもらえばみんなミチコ様や紀子さんのようになると思っていたんじゃあるまいか。もともとあまりお利口じゃない人だし。先日は、大分で、児童施設を訪問にして「アイちゃんのパパです」と自己紹介したそうだ。父母と暮らせない子どもたちを前に「アイちゃんのパパです」はないだろ。思いやり、心遣い皆無。腹が立つ、まあ似たもの夫婦かもしれぬ。やれやれ。

香川の殺人事件は、数百万の借金が問題で、身内殺人に走った。
言ってしまえば、原因は貧しさ。
ところが、マサどんは、グルメ食べ歩き、買いあさり歩きで多分彼らの借金の数倍をつかっているよ。(税金)
マサどんの言動に一番近いのは、守屋元事務次官の奥さん幸子さんだね。
格差社会の上と下、まさに典型だ。

質素を旨とし、国民のために祈る・・・・という皇室(天皇家)の姿勢は、生活の心配が無いだけに浮世離れしいていて、純粋で。まあこんな方たちが生息していてもいいか、と考えていたが。
マサどんサマのような俗っぽい言動で格差社会のてっぺんに天皇家を位置づけるんだったら、もう天皇制はなくていいじゃあるまいか。
皇族のために使われる予算は100億円近いはずだ。
もっと別の使途がありそうだ。
たとえば、これを福祉予算につけ替えたら、概算で1065億くらいになるかな。
今は、1000億、無いんだよね、確か。
自立支援法で障害者の自己負担が増えて、入っていた施設を退所しなければならない人も出た。ちなみに新潟県で8例だったかあったという。
作業所の賃金なんて、それこそ時間給50円くらいなのに、それの捻出にも汲々とした状況が生まれているのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨夜、ビール飲みながら、図書館より借りてきた絵本を読んだ。
「ハエくん」という絵本に笑いこけた。
「ハエくん」が泳ぎに行くのです。
楽しんでいたんですが・・・突然空が曇って、何かがおちてきた・・・そして、津浪が来て・・・「ママ、でたよ!」
そうそう、ハエくんの海は便器でした。
この結末にガハッハ。
メキシコの絵本でした。
実はハエの本を探していたのですが、意外とないのです。
同じでも、ゴキブリはあるのですが。
これと、同じメキシコの作者の絵本と、2冊だけかな。

さてと、ネットを切ってお仕事だ。
今夜は11時近くまでがんばります。






2007年12月11日(火) マサコサマお誕生日文書について

以下は「2007/12/09付 西日本新聞朝刊」より引用させていただきました。
なんで、宮内庁HPよりしなかったのかというと「字句は原文のまま」にビミョーな味わいを感じてウググと笑ってしまったからです。
文書を読み終わってこれを見ると、新聞社の校正者とか整理部の人、この文、なおしたいんだろうな・・・なんて想像してしまうからであります。(実は、私も赤ペン入れたい衝動を感じた)
でもま、著作権はマサコサマにありますし。コウタイシヒとつく方の文、いくらおかしくても勝手に手を入れるのは如何なものか・・・ということなんでしょう。

★・・・以下は西日本新聞よりの引用です。引用が終わりましたら、ワタクシメの感想を述べます・・・・

雅子さまの文書全文
 皇太子妃雅子さまが9日の誕生日に際し公表した文書全文は次の通り。(字句は原文のまま)

 これまで、国民の皆様より、ご心配をいただき、温かい気持ちをお寄せいただいてきておりますことに、改めて感謝申し上げたいと存じます。まだ、十分に復帰できないことを心苦しく思いますが、この1年も、お医者様のご指導の下で快復に努め、少しずつ活動の幅を広げることができるようになりましたことをありがたく思っております。6月には長野県、10月には徳島県を公務で訪れましたが、まわりの方々に助けていただきながら、お陰様で無事に務めを果たすことができました。訪問の先々で多くの方に温かく迎えていただきましたことは何よりありがたく、私にとりまして大きな励みになりました。

 また、今年も国連大学で引き続き聴講の機会をいただいたほか、いろいろな方から、こどもを取り巻く状況や環境問題など、現在の社会が直面する様々な課題について伺うことができましたこともありがたいことでした。

 皇太子殿下は、今年6月に十二指腸ポリープの切除手術をお受けになりました。幸い医療関係者の皆様のご尽力で無事に手術を終えられて御退院になり、安堵いたしました。その後も、7月のモンゴル国への御訪問を始めとして、以前とお変わりなく、お元気に御公務をお務めになっていらっしゃることをありがたく心強く思っております。

 愛子は今年、幼稚園の年長組になり、幼稚園生活にもすっかり馴染んで本当に楽しそうに幼稚園に通っておりますことを何よりうれしく思っております。日々の送り迎えを始め、様々な行事への参加など、親子で参加することが多く、その中からたくさんの喜びを見出してきた幼稚園生活が終わりに近づこうとしていることに名残惜しさも感じますが、愛子には、あと数か月の幼稚園での日々を、先生やお友達と楽しく過ごしてくれることを願っております。そして、4月には学習院初等科に進学し、また新しい一歩を元気に踏み出してくれればと思います。これまで、皆様に愛子の成長を常に温かく見守ってきていただいておりますことに重ねて感謝申し上げたいと存じます。

 天皇皇后両陛下より、これまでお心遣いをいただきながら温かくお見守りいただいておりますことに深く感謝申し上げます。また、皇太子殿下には、お忙しい御公務をお務めになりながら、常に大きな支えになってくださっていることを、心からありがたく存じております。

 お陰様で、こうして今年も無事に誕生日を迎えられますことに感謝しつつ、国民の皆様がおだやかな年の瀬を迎えられますように心よりお祈りしております。

・・・・引用おわり・・・・・

この文は、大段落6に分かれています。

1段落、上記文は静養中の自分の状況をお書きになっています。
*ありがたくが2個使用
*2重敬語があちこち
特に「お医者様のご指導の下」というところが何ともはや・・・
*内容に関していえば、長野も徳島の時も、「お疲れ」とかであちこち公務中抜けをしていらっしゃるんだけど(新潮や朝日新聞に書かれている)、それでも「無事に果たした」といわれるんですねえ。
徳島なんて、県知事との昼食会を欠席してなんとホテルで「ひとりカレー」をしていたッて。テレビでやっていました。(びっくり)

2段落、「病気療養中にもかかわらず、ワタクシ勉強してますわよ、励んでいますわよ」ということをいいたいようですが・・・だったら、まずは自分ちのお庭をきれいにしてくれる勤労奉仕団だったかにご挨拶すべきなんじゃないのかねえ。
*またしても「ありがたい」がでてくる
*ながすぎの文3行一文って・・・わかりにくいでしょ。我が塾では、文が長すぎると、主語が変わって意味不明だったり、人に理解しにくい文になるので、一文は短めに、長くても40字(原稿用紙2行と教えている)
たとえば
「今年も国連大学で聴講の機会をいただきました。さらに、こどもを取り巻く状況、環境問題など、社会が直面する様々な課題についても、専門の方々からお話を伺うことができました。」
ありがたい、はいらんでしょ。事実報告ならこれで十分でしょ。
*ところで、国連大学の特別室には、彼女用のベッドだのパソコンだのがあって「何をしにいっていたんだろ」といういうことも2ちゃんねるあたりでささやかれていたけど。このあたりはどうなんでしょ。

3段落 皇太子さんが元気になられたってこと
ここに書いてあることは、みんな知っているよ。なんで書く必要ある???
彼の「妃」なんだから、その立場から読む人が「そうだねえ」とうなずけることを書きんしゃいといいたい。
*またしても「ありがたい」使用
*そして2重敬語
「医療関係者の皆様のご尽力で無事に手術を終えられて御退院になり」なんて、ぐたぐた。なんでも「バカ丁寧だったらいいってもんじゃないでしょ、マサコサマ」
「医療関係者のご尽力で無事に手術を終えて退院されました」でよろしんじゃ?

4段落一人娘アイコさんのこと
アイコさんって、内親王なんだよね。敬宮(としのみや)だったか、とにかく、宮号がある、なんでこういう時に使わないのかな。それが不思議だ。
「日々の送り迎えを始め、様々な行事への参加など、親子で参加することが多く、その中からたくさんの喜びを見出してきた幼稚園生活が終わりに近づこうとしていることに名残惜しさも感じますが、愛子には、あと数か月の幼稚園での日々を、先生やお友達と楽しく過ごしてくれることを願っております。」
*これもひどい長文、失礼ながら悪文ですね。
一文に参加が2こって・・・うちの塾だったら、即却下。
それで何がいいたいわけ?とお訊きしたくなる。
原文をできるだけ生かして直すならば、
「愛子の幼稚園生活もあと数ヶ月となってしまいました。親子で、日々の送り迎えやさまざまな行事への参加の中で、たくさんの喜びを見いだしてきましたので、名残惜しく感じます。残りの日々、先生やお友だちと楽しくすごしてくれることを願っております。」
かな。
*でもさ、この文の内容自体、なんだかな?文春や朝日新聞に「送り迎えだって皇太子がしている」って書かれているのに、ウソっぽい。
*ま、ここに書いてあることも、アイコさんが幼稚園終わって1年生ってみんなが知っているんだけど。もっと、母親にしか書けないことはないのか?
ほら、徳島でつくった藍染を土産にしたら、どうだったかとかさ。

5は天皇皇后両陛下への感謝。皇太子さんへの感謝。
しかし、この文もぐたぐた。何より白々しい文だわ。
だいたい、天皇さんが「(子どもを)国民の皆が待っているよ。」と声をかけたら、「私の友だちにそんなことをいう人はだれもいません!」と反発して、周囲の人を凍らせた経歴のマサコさん、ミチコ様の誕生日だったか、天皇のお誕生日だったかの晩餐会を2時間以上中座してみんなを待たせ、もどってきても詫びるでもなく「どうも」で済ませたマサコさん、それを見て紀子さんが泣き出したという事件(どちらもヒミツでもなんでもない週刊誌で報道されている)
こういう人が、いくら美辞麗句をならべても今さら説得力は皆無じゃ。
感謝、ありがたくが続いているけど空疎だなあと思う。
その前の段落にも「感謝」ってことば、あったよね。

6のシメの文にもまた「感謝」が出現。
つくづくとボキャ貧だね。
何より、悲しいのは「ありがたい」が4つも5つも「感謝」が2つも3つも。バカ丁寧な、2重3重の敬語の上にあっても。
ちっともシミジミとしない、むしろ、「慇懃無礼」ってこのことよ。という印象を拭えない。

「文は人なり」とはよくいったものだと思う。
この文の作者は、自分のことしか考えていない。
だいたいまず自分ことから書きはじめてそのつぎの段落も自分、次にやっと夫、娘出現。
そして内容は、100%受け身。
皇太子妃という「公人」が公に出す文書とは思えない。
オワダマサコさんが書いたものなら納得だけど。
あるいは、友人やなどに出す私信だったら、これでもいいかもだけど。
彼女は皇室に入って14年でしょ、こりゃないよ。
地震もあった、台風災害で人も死んだ、相変わらずいじめや虐待で子どもは不幸だ・・・こんな国民の生活に思い致すことができないのか?
マサコさんが税金でグルメ食べ歩きしているときに、おにぎり1個食べられずに死んでいる人もいるんだぞ。生活保護をうち切られて。
(アタクシ、身分が高いので関係ないってか。それとも、マリーアントワネットのように、じゃケーキを食べれば、とでもいいますか)
暖かいハート、真摯な姿勢が何も伝わってこない。
さらに、きついことをいえば、「アタマの悪い人の文」だわ。
一字が万事でいつぞやの「センスの悪さではピかイチだったバラの生け花」写真にかさなる。
帰国子女だから、という人がいるようだが、彼女は小学校から高校途中までは日本で教育を受けている。厳密な意味での帰国子女ではない。
それなのに、このぐだぐだな、ぼろぼろな文章って何?
だれにも見せないのか?
直してもらえばいいのに。
謙虚に人のことばを聞けないんだよな、きっと。
性格悪いんだよな。
自分より何倍も賢い人がいるってわかっていないのか。
ため息しかでない。
この文を読む限りでは、皇太子さんのことは愛していないけど(それは3の段落からにじみ出ている)もう「離婚」する気はないだろうね。
でも、死ぬときに後悔するだろうなあ・・私の人生はなんだったのか?
この空しさを埋めるために食べ歩きだの、買いあさりをしているんだろうが・・・埋まんないよ。
一時しのぎの刹那主義。
尼寺で修行をした方がいいと思うのだが、いかが。

長い日記になった。
我のどこにこの情熱が?
彼女が病気を治すために皇室をでて私人になって自分の金でグルメ、ブランド買いあさりするんだったら、こんなにいわない。
でも、クーラーが無くて死んだ人もいる夏に、数億のお金を使ってオランダに豪遊した彼女にあれ?へんだぞ,を感じて以来のウオッチャーだけど、ウオッチすればするほど、あきれてしまうのだ。こういう人が「公人」であっていいわけがないと思ってしまうのだ。腹が立つのだ。
それが、久方振りに長い日記を書かせたエネルギーです。
それと、国語、特に作文指導の名手(迷手?)としては、この文、もう読んでいて気持ち悪いというか、なおしたいというか・・・手がぴくぴくしてしまうのですわ。本能が騒ぐ・・・これが情熱の源泉ですだ。

ここまでのおつきあい、ありがとうございました、だ。
それでも、長い長い天皇家の歴史、いままでにもこういう類のアヤシイ妃は、それなりにたくさんいたんでしょうよ。
わたしたちは、「悪妃」の歴史の一こまに立ち会っているんですね。

ああ眠いぞ。11時前。
この一文を書くのに35分もかけてしまったよ
明日はまた、通常の長さにもどりまする。
おやすみなさい。
おっと、その前に、ビールだ、ビール。




2007年12月10日(月) 靴のうらに養父母の名前を書く

FOXテレビで、私が好きな番組の一つにBONESがある。主人公は、Drブレナンと彼女のチーム。遺体の骨や残存物から生前の仕事、病気、どういうわけで死んだか・・などなどを導き出す。で、FBIと協力して犯人を捕まえるわけ。
この天才法医学学者のブレナン博士のニックネームがBONESなわけ。つまり、骨からあらゆることを導き出すということで。
で、彼女は15歳の時(たしか)両親が失踪して、養子に出された。
で、彼女が養子がからむ事件でいう「私も書いてた、養父母の名前を靴のうらに」
つまり、養父母に対する「憎しみ」というか「恨み」というか、そういった感情を処理するために、養子はこういうコトをするのが、アメリカじゃけっこう「常識」ということなんだろう。
恵まれない子どもを養子にするというと、ハートウオーミーに日本人は思うが、どっこい。
気にいらなけりゃ養父母たちにたらい回しにされる、とか兄弟バラバラ、どこに行くかわからないなんていうのも「常識」らしい。
アメリカの医療制度ボロボロだがこういうところもボロボロだ。
ということはさておいて、わたしゃ、ブレナン博士の「殺したいほどにくいけど、殺せないないし、仕返しもできない場合に靴の裏にそいつの名を書いてふんづけ続ける」ってええやんか、と思ったわけ。
昨今、親子、知人友人の殺し多し。
感情の毒ガス抜きをする方法をしらないんだと思う。
殺したいヤツを、踏みつけにする(靴のうらに名を書いて)とか、サンドバックに名を書いてなぐり続けるとか考えれば代替法はいろいろあるよね。
やっているうちにだんだん忘れたり、あほらしくなったりして、人は山を越えるもんだ、と思うのだが。
確か、長野に「貧乏神神社」ってあって、貧乏神をなぐるんだったか、たたくんだったか。
こういう神社、もっとあってもいいよね、と思うけどいかがでしょうか。

なんてことを昨夜書こうと思っていたんですが、やはりビール片手にテレビでいつの間にかうたた寝していたら、深夜2時でした。
いや・・冬生活している私です。

明日は、コウタイシヒマサどんサマの誕生日回答文書を国語塾長として論評してみたいと思う。



2007年12月08日(土) あっというまに日没だ

昨夜もまた、桂温泉、ビール、FOXテレビという金曜お楽しみコースを堪能して日記を書かなかった。
で今日。午前は個人指導で午後からは、家事その他諸々。驚くのは、あっというまにお日さまがしずむことだ。
3時半頃からそろそろ薄暗いもんね。
雪ではなくて雨ばかり。
実家に行くと、チビ犬が散歩につれていけとせがむ。
雪がふれば、震え上がるので、今が大事と犬でもわかるようだ。
さすが雪国犬。
かしこくなった。

きょうはこれからステーキを焼いて、母からもらってきたやさいの柚子酢がけと、数の子の明太風と、べたべた野菜煮スープとビール。もちろんFOXテレビ。
今晩は、Dr.HOUSEだわ。

読み返して、このところ内容のない日記だと反省。
明日、がんばります。(多分)
アメリカ養子事情とストレスについて書きたいのだ。



2007年12月06日(木) 仁木さんちの正しい蜜柑

徳島は小松島のみその農園から、お待ちかねのおみかんが届いた。
10月にはや注文予約が来ていて(出荷量が多くない)、12月に入ったらすぐ、と書いておいたので待ち遠しかったのだ。
やっぱり、自然農法無農薬の味は正しい。
気持ち悪いほど甘からず、程良い酸味、しっかりとお日さまにあたって、仁木さんに愛情をかけられた、という味がする。
川崎の親戚や、大家さん、実家家族や義妹の実家の人たちに「昔の蜜柑の味だ、おいしい、自然の味だ」と好評なのだ。
仁木さんとは徳島の今関さん経由の知人、徳島にいた1年で親しくなった。
近くだったらたまごを買いにいったり、お菓子を買いにいったりしているだろうとおもう。
たまごもとってもおいしいのだ。
それで作るお菓子がまずかろうはずがない。
(仁木さんは、調理師さん)
とまあ、
ミカンを買わずに待っていたのでうれしいもへじでありました。
思うのだが、ミシュランの三ツ星なんてものより、こういう正しく愛をかけられた産物をどれだけ口にできるか、が人間の贅沢であるように思うが。
母が精魂込めて作った野菜もしかり、である。

今日は少し日がさした。
その差し方がアイスランドや北欧を思い出させる。
ああ、どっかいきたいねえ。



2007年12月05日(水) 本日も雪

今日も終日、降っている。
それと、寒い、かなり。
まだからだがなれていないので、厳しいよねえ。
多分、これが根雪になるだろう。
昨日の新聞によると、魚沼市だったかでインフエンザで学級閉鎖があったとか。
そうだ、インフルエンザの時期ですねえ。
予防注射はしていないので、朝、昼と、私は鼻うがいをしている。
朝は水で、昼はお茶で。
気持ちいい。
いかに鼻孔が乾燥している実感できる。

それにしても、お日さまが出ないのはやだなあ。
おまけに、どんどん、日が短くなるし。
元気が出ない・・微妙にウツっぽくなる。
せめて、早く冬至を過ぎ越して欲しい。



2007年12月04日(火) 雪、雪

朝から、ぼたぼた雪。
で終日、降ったり止んだり。
また山が白くなった。
シャベルと、車の上の雪かきブラシを出した。
大家さんが屋根付き車庫にするっていっていたけど、どうやら、今年は間に合わないようだ。

お昼ごはん食べつつ、ポトフをつくった。
母から冬野菜をたくさんもらってきたので、ね。
我が親が精魂込めて作った野菜、まあ、おいしくいただかないと。
大量につくったので夕方、大鍋でもっていった。
お返しです。はい、じょんぎ、ぎょんぎ。
はいつくり方です。
白菜、ブロッコリ、大根、蕪、人参、葱、タマネギ、エリンギ、蓮根、ゴボウ、生姜。
別に、豚肉の固まりを人数分に切って、塩コショウでニンニクオイルで焼き色つけ。あと、ウインナソーセージ1袋。
かたい野菜を、コンソメとお酒と水を入れたスープで煮込んでやわらかくなったら、葉物野菜と別にゆでたブロッコリを入れて煮込む。あとに肉とソーセージを投入、すこし煮込む。
所要時間、1時間弱。
野菜を切ったり、肉の処理とかに時間がかかった。
でも、シミジミとおいしかった。冬野菜のうまみがしっかりとでていて。
今日のようなお天気の日にピッタリ。

今さっき、2ちゃんねるを見に行ったら、朝日新聞に皇太子妃雅子さん復帰見込みについての記事が載ったらしくて大騒ぎ。
公務サボっているのに、何度もグルメランチを友人家族としているとか、御所の清掃奉仕団にもあいさつできないとか、皇室の祭祀は全然してないとか、回復に見込みは暗いとか、しょっちゅう、ドタ出、ドタキャンするので、東宮の職員は胃が痛いとか、かなり衝撃的な内容だったらしいが。
淡々と事実だけが書かれているから、だれも何もいえんという内容らしい。
まあ、要するに今まで文春とか新潮にのっていたマサコサマ問題記事をまとめたってテーストなんだろう。
ついに、そんなことを天下の朝日に書かれるようになってしまったのか、マサどん。
新聞だもんねえ。週刊誌と信用度がちがうよねえ・・・
要するに、皇室にむかないんだから、その能力もないんだから、離婚すればいいのだ。そうすれば、まちがいなく病気も治る。
そして自由に好きなことをすればいいのに・・・と思うが。一般人になったら、グルメ歩きしてもだれも問題にしない。彼女が「皇太子妃」という公人だから、たたかれるのだ。
国賓とかが来ていて、昼食会とか、なんとか接見とかがあるのに、そういうのサボって、銀座の伊東屋にお買い物にいったり、乗馬していたら、やっぱりたたかれてもしかたない。
税金ではあるが、彼女が一生遊んで暮らしてグルメや贅沢ショッピングをするくらいのお金は離婚の際にでるだろうから、彼女らしい後半生が送れると思うが。
どうしてだれもそういってあげないのだろうか。



2007年12月03日(月) 寂聴さん、今月の言葉

「明日のことを思い煩わず、済んだことを後悔せず、今この瞬間をひたすら一生懸命生きていけばいいのです。」
ホントだねえ。
賛成。とっても、むずかしいけど。
それにしても、これで今月の言葉、終わりである。
あっというまに1年終わりつつありますわ。
ガゾリン高いし、灯油も高い。
さらに、きのことかも高いんだわ・・・
保温に灯油を使うせいだろうか。




2007年12月01日(土) 謝罪、ということ

昨日は、夕方に末弟入浴、終わってから桂温泉、メルマガ出して夜11時過ぎ。
11時からは、FOXテレビの「BONS」なんで、もう日記も書かずに、テレビへまっしぐら。
私は、基本的にテレビは、金土、日しか見ない。
だから、この時間は楽しみなんだわ。
ビールと、夕方作っておいたタマネギたっぷりの「サーモンのカルパッッチョ」実家からもらってきたサツマイモの甘辛煮と秋刀魚の生姜煮をつまみにして。
テレビ前の座椅子にお昼寝布団しいて楽しむのだ。
BONSのあとは、やっぱり私の好きな「DrHOUSE」2本続けてみる。
合間のコマーシャルタイムに、朝青龍と例の亀田家のバカの謝罪会見見たけど、どっちもまったく「心なし」だわ。
「真心」とか「誠心誠意」とかいう言葉は、滅びたんだ、と思った。
申し合わせたように、野蛮な毛皮コートで不遜な態度、肝心なところはバック(親方とかジムの会長)がとってしゃべる。
あきれ果てた。
朝青龍は、ウワサではモンゴルの父親の前で「謝罪」の練習してきたというけど、それであれ、ですか。
もう帰ってこなくてもええわ、と思っておりましたけど。
やっぱり、もう少し日本で稼ぎたいんでしょうか?

亀田にはだれも期待しておらんでしょうが。
あんなん、話にならんわね。

それにしても、あれらの諸々が「謝罪」謝ることだと、若い世代が思うことが問題だ。
亡国だね。
あえて比較すれば、相撲のほうがまし、だったが。

ミエコさんからのメールで、一昨日に話題にした「ジョンギ」について、彼女の実家では、ジョンギではなくて「ジュンギ」というそうな。
字は、「順義」で広辞苑にも載っているそう。
1道義にしたがうこと。正義にしたがうこと。
2他に対するつとめ。世間に対する義理。「義理順義」として用いることが多い。
が意味だそうな。
ほうほう、賢くなったわ、ミエコさんアリがと。
官僚にはぜひとも必要な一句かもしれぬ。
でも、そういえば、「ジュンギ」というのも聞いたことある。
「ジョンギ」は、多分、ウチの母親の実家あたりの「なまり」かもしれぬ。

2日続きの晴天(今どき珍しい)で、山の雪がすっかりとけた。
今日はあんまりよい天気ではない。
まあ、これがフツーなんだけれど。

今日から12月だ。
はやい、はやすぎる。






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