世界お遍路 千夜一夜旅日記

2006年08月31日(木) いやな事件が続く

友だちに30万円で母親殺しを依頼。それを実行するか・・・
女友だちを殺害・逃走・・・
夏の終わりに続いたいやな事件。
関わりり合った家族や友人・知人はどんな気持であろうか。
ため息しかでない。
狂っているのは気候だけではない。

今朝は、寒いほど涼しかった。
あっというまに秋がきた。
8/24日の日記アップ。



2006年08月30日(水) 今朝は涼しい

元気回復。
下痢も納まりました。
熱も下がった。
たまりまくっていることをかたずけようぞうさん。
今朝は涼しいし。
まずは、掃除だ、気分一新、運気アップ。
今日は2階の塾部屋の掃除。
金曜日は、3かいに溜まり溜まっているゴミホコリをきれいにしよう。
ハイ、善は急げ。

23日順礼日記アップ。




2006年08月29日(火) 引き続きお疲れ日和

無理して塾をやったせいだろう、今朝はやっぱり熱があった。下痢は軽めだが。
で、思いきって、午前は寝ていた。
午後になっても、熱は下がらないし、だるいしで引き続き休憩だった。
要するに冷房病でありましょう。
ふだんは、冷房での中で寝ないのに、旅の間中毎晩冷房で寝てました。
昼は昼とて熱と寒の繰り返し。
夕がたになってやっと元気になって、スーパーの食べたいものを買いだしにいった。やっと食欲がでてきたというわけで。
じきに高校生のお子さまがお勉強にきますので今日はこれにて。
明日から、気合いでがんばるぞうさん。
8/22日の日記アップ。



2006年08月28日(月) お疲れ日和

やはり、夏歩きは弱い。
1昨日の夕方に血尿が出始めた。
で、今朝それは回復。
今朝は、今度は下痢気味だ。
で、夕方になってやや発熱気味。
諸悪の根元は、歩いてのって、歩いてのっての繰り返しを1日に何回もしたのだが、そのたびに、体感気温が35度から25度という移動をしていたこと。汗をしぼるほどかいているのにきがえることもできずに、タオル1枚背中に背負って我慢したこと。
この炎熱と冷房の繰り返しに体がダメージを受けてしまったようだ。
はい、お疲れです。
でも、子どもは来ますからやりますけど、長袖とお腹にバスタオルです。
冷房を切れば、暑くて勉強にならんし。

確か、大昔に8月の炎熱遍路をしたときも、1週間目に血尿がでて1日はやくもどったのだ、と思いだした。
いやはや。暑いのは弱い、というか1日も何度も激しく温度が変わるのに負けた。
汗が氷水のように背中に張りつく気持ち悪さに負けたというところか。
零下から夏の暑さへ移動(アイスランドからアフリカとか)して、そのままなら強いんだけどねえ。
何度も何度もはつらいですわ。

今日はビールを飲まずに早寝します、です。
下痢も帰りの汽車の冷房の冷えからだろうし、きっと明日には治るでしょう。
やれやれ。
8月21日の日記アップ。



2006年08月27日(日) 坂東順礼7日目 坂東33番へ結願

5時半起床。
仕度をして六時過ぎに宿を出た。
この宿のクーラーから出てくるなにやらかび臭いにおいには参った。
それ以外は、寝具も部屋も清潔だったのだが・・・

館山の海は夏の盛りを終えたうらさびしさがあったが、それでも、散歩の人や釣りの人、マリンスポーツをする人で浜は人気が多かった。
坂東の結願寺 那古寺は那古舟形駅から歩いて10分などだが、最後はやはり歩いて到達したいので4キロ近い道のりを歩くことにする。それと、近くにある崖の観音さんをお参りしてから那古寺に行こうというころで。
浜沿いの道を歩くこと1時間あまり、崖の観音さん到達。
まさに金の中腹の空間に御堂をかけてある。
崖に観音様を浮き彫りにしてある。
この近くにはお不動様をお祭りした崖の御堂など、多分、昔は行者さんが籠もったんじゃなかろうかと思われる洞穴があって興味深いものだった。
ここから歩くこと20分、ついに那古寺到達。8時20分。
しかし、しかし・・・・御堂は、平成の大修理中とやらで、おまけににちようとあって、はいれない・・・えええええ・・・・
うろうろしていたら、ちょうど見えた親子連れさんが那古寺の本堂へ連れていって下さった。
ヤレヤレ、観音様はこちらに奉安してあるという。
御堂に上がらせていただいて、間近に(1Mもない)に拝して心ゆくまで最後の経をあげさせていただいた。
すきっとした立像で、りりしい千手観音様であった。
「おめでとうございます」
お参りの前に渡しておいた軸と納経帳を受け取りに行くと、お坊さんがいって下さった。
はい、100観音成就でした。
がんばりました、おめでとうさんと自分にいいまする。

そうそう、こちらのお堂の正面には、お大師さんもお祭りしてあって、真言宗豊山派。
最後に間近に観音様を拝ませていただいてお大師さんにお会いできて、平成の大修理もまあヨシとするか。

那古舟形駅より9時10分の電車に乗る。
機密、蘇我、東京、上野と乗り換えて帰ってきた。
帰宅15時35分。




2006年08月26日(土) 坂東順礼 6日目

本日の順拝

30番平野山 高蔵寺
31番大悲山 笠森寺
32番音羽山 清水寺

6時25分の久留里線に乗車。坂東順礼をしなかったらこんなJR線があったなんて知らなかったろう。
単線で木更津から上総亀山までいっている。この線の横田駅から歩くと今日最初の札所高蔵観音まで約6キロ。最寄り。6時45分から歩き出す。曇っているおかげで助かるが、やっぱり歩くと汗だらだらだ。8時20分過ぎに到着。
ここも小高い山上。古くて大きなお寺だが、お参りの人はこの時間いない。
ゆっきおまいりして、納経所に行こうとすると、お寺のお手伝いらしい初老の男性から西国はどうしてまわったか、と突如聞かれた。いろいろとなはして、まあ山と渓谷社の西国まわりの本がいいでしょうが、でも、旅行社の募集するツアーが一番楽だと思いますよとアドバイスした。見た感じ、個人で本を片手に回れそうもない雰囲気のおじいちゃんだったし。
納経所でも同じような年格好の人が筆を持っておられた。
この方、昔海上自衛隊勤務だったとかで、曰く、しかし今は自分は週一回修行のためにここに座らせてもらっている。。。。。。でこのこのあと、来る人にも修行してもらっているなどと言い始めて、お寺に名字と名前があるんだが知っているかとか、お寺は山門より入り、出る、知っているかとか・・いろいろというんだわ。いわゆるレクチュア。けっこう、上から下へ的ものいいで・・・
まあ彼が言うくらいのことは、お陰様で知っている・・・・じゃないとお寺まわりのガイドブックを書くなんてできないし・・・
それと、私はただ歩いて順礼する、できるだけ苦労することが「わたしの修行」と思っているんで、で、できたら9時1分のお寺下のバス停からバスに乗りたいんで・・・といったら、この寺にいてもう心は次の寺っていうのはいかんとかって・・・ええ加減にしてよね、あなたはお参りするときそうでないのか?と突っ込みそうになったが、まあそれは止めてすみません、でも、乗りたいんで、と走り去りましたです、納経所。
ウーン、人に「修行」してもらうなどといっている間は、あるいはまた、自分は週1回ここで修行しているなどといっている間はあのお方は「修行」していないだろうなと、木更津へ向かうバスで思ったことであった。
それとねえ・・・いやらしいことを承知でいえば、わたしは彼以上の知識あるよ、ハイハイって聞いていたけどね、納経所へ来る人が自分より当然物事を知らないと決めてかかるやり方の想像力の欠如。人になにかをお教えすることの難しさを考えさせられてしまった。

9時50分くらいの千葉行きの乗った。
次は五井から小湊鉄道乗車。
これまた、板東順礼だからこそ乗るのかな。
この線の上総牛久からやはり6、7キロほど歩いて笠森観音へ歩く。
それにしても、30分弱の乗車に680円とは高いわ。
上総牛久からはバスがでているのだが、午前に2本、午後に2本程度である。
房総半島の横断道路とはいうものの、けっこうふつうの田舎の道路風で、そんなにきつい交通量ではない。
横断歩道もまあまああるし。
まさに千葉に田園風景の中をばしばし歩く。
稲刈りが始まっていた。
12時笠森寺着。
ちょうど、茂原からおバスも着いたところで、そのバスから降りてきた人は、わたしに「四国を歩いているんですか」と声をかけてきた。
ええと答えたものの、どうしてそんなことを聞くんですか、といったところ、わたしのザックについていた「へんろみち保存協力会」のワッペンが目に入ったらしい。
ザックの後ろにこのワッペンと、以前美穂さんからもらった「ミニ健脚わらじ」がぶらさがっている。だから、四国が気になる人は目にはいるかも、だ。この男性は、6年がかりで四国を歩いていて、69番で終わっているんで、あと1回行けばお多分おわりになりますとのこと。
なるほど。
ところで、笠森寺。
いや、すごいつくりであった。
大岩のてっぺんに、四方懸造りという作り方でお寺を造って、お参りの人はそこへ登っていくのだ。
坂東のお寺は規模自体はけっこうすごいのだが、これは特にすごい。
しっかと拝んで、12時35分のバスで茂原へ。
これにのらないと次は14時50分だったかまでないのだ。
ゆっくりしたかったがしかたない。
このお寺の窓口の女性はとても気がきいていい感じの人だった。
坂東にめずらし。朝の高蔵寺の納経所のいやな感じ感が払拭された。

茂原から外房線乗車。
長者町下車。
32番までてくてくと歩く。
4キロ弱。お寺着3時すぎ。
これまた山のてっぺんのりっぱな寺でありました。
今度は「三門」(みかど)駅まで歩く。
こちらのほうがどうやら近いようだ。
夕方5時1分の電車で結願寺のある館山へ。
着6時40分。
駅をでてトイレにはいったら、何と血尿だった。
今日は、乗ったり降りたりを繰り返して、その度に体はつらい思いをしたけどそのせいかな・・・まあ、以前真夏遍路をしたときもそうだったなあ・・1週間歩いたら。
駅前の「地魚回転寿司」で夕食。
宿は、ネットでとった民宿「きらく館」。
クーラーのにおいがきになるが、それ以外は清潔であった。

歩行距離 約20キロ
費用
納経 2500円
交通費3840円
宿  4000円(素泊まり)・・・観光地館山にしてはお安い、と思った。
食・雑費2266円













2006年08月25日(金) 坂東順礼5日目 土浦から木更津

前日よりのお泊まりは、筑波山荘YH。
昭和の初めか大正時代築のような建物がYHになっている。
年輩のご夫婦がオーナーペアレント。なのはいいが、何しろクーラーがない。
YHには時々あるんだよね。まあ、★2つだからもしかしてそうかなとは思っていたが。幸い筑波山の標高、窓から風が吹き抜ける古い日本家屋の構造に救われて扇風機で事なきを得た。
で、ここのYHの奥さん、69歳で大の海外旅行好き。泊まり客は私一人ということで、夜のティータイムでいろいろと話していたら、次はどこに行きたいかなどの話になって楽しかった。
もっとも彼女は中高年向け高めグループツアー専門のようだったが。
(彼女が10日行くツアー費は、わたしの旅の1ヶ月分)
アジアが好きというので、私はでは今のうちにブータンに行かれたらどうかと進めたら早速にこの秋には行きそうな気配だった。
「お父さんはパチンコが好きだし、私は旅行、いくらなんだ、ときかれると半分くらいに言っておいて行くんだよね」とわはははとわらっていた。
このYHにはあいちゃんというマルチーズがいてかわいかった。
今朝は、なんと6品もの自家製野菜のお料理が出てきて、私はご飯お代わり。
野菜不足を感じていたのでうれしかった。
YHのご飯のいいところってここなんだよね。
500円で高級ホテルなんかよりずっとスローフードな質の高いご飯が出てくる。
7時45分、いろいろと教えてもらったからお礼ね、とお昼のおにぎりと自家製麦茶を持たせてくださった。ありがとう。
大御堂、筑波山神社をお参りして、8時40分歩き始めた。
暑い。すごい下りでつま先にじんじんこたえる。
今日は、清滝寺までの15キロをまずは歩く。
何しろ、不便な場所なのだ。
打った後も、最寄りのバス停もどこかもわからない。
最悪、土浦まで歩くとなると1日仕事になる。
ぽこぽこと歩くが、はやり夏の歩行は苦手だなあ・・・だってあっちくて1時間歩けないんだもんね。
10時少し前、平沢菅衛遺跡なるこの地域の古代役所の後に立派な案内書があって、お手洗いを借りて、クーラーが利いた展示室でクールダウンさせていただく。
やれやれ。
まだ、10キロは十分あるのよ・・・・
黙々と、県道、国道、県道と進む。時々、歩道がないくて、トラックばかりが通るところもあったががおおかたは歩きやすかった。
なによりうれしかったのは、途中から曇って、風に涼しさが感じられたこと。
もしかして秋風系、これ。
12時30分、清滝寺到着。
12時にはつきたかったが、でれでれ休んだ分だけ遅れた。
この間、500ミリリットルのボトル3本飲んだ。
お参りの後、境内で休ませていただいて、昼食。
いただいたおにぎりはもう極楽食だった。
納経所はおじいちゃんが二人して、ひっくり返ってテレビ見ながらのおんびりとしごとしていた。
聞いたら、国道125号線まで約5,5キロ。
そこまっでればバスがあるという。
今日は20キロと少し歩くことになるようだ。
足は左小指がやや痛い。
1時20分に出た。(藤沢下宿)
2時46分のバスで土浦へ。
3時26分の電車で木更津、ここで泊。
やっぱり冷房のある部屋はいいなあ。
ただし、このホテルより、ワタシ的には水戸のホテルのほうがいいとおもったが。
ホテルにはいるまで、駅前のビルのおそば屋さんで食べた定食がおいしかった。
サバのみそ煮、ゴボウの牛肉巻、おつけもの、若布のみそ汁、ご飯、ミニざるそば。このセットで800円。それぞれ、いい味で、特にそば屋だから当然だろうが、そばがうまかったのだ。
もうけた気分だった。

歩行距離 約21キロ
費用
納経 2400円
宿  6300円(禁煙シングル・ただしベットは大きかった)
交通費2360円
食・雑費 1873円



2006年08月24日(木) 坂東順礼 4日目 八溝山から筑波山へ

本日の順拝
第21番 八溝山日輪寺 八溝山

夕べは10時就寝。
しかし、夜中に急に目が覚めて時計を見たら11時40分。あらら・・・・11時10分からの「オーラの泉」が見たいけど、早朝出発を考えるとだめだ、とあきらめて寝たのだが、しかし、思いが強くて目が覚めたらしい。ちょこっと見ました。
で今朝は、5時起床。
水戸発6時28分の常陸大子行きに乗るのだ。。
部屋で夕べフロントでレンタルしてきたすてきな笠間焼きのコーヒーカップに、これまたフロント前で無料配布している紙ドリップの本格コーヒーを入れて、チョコデニッシュと豆乳、トマトの軽朝食。
6時に部屋を出た。
水戸プリンスなかなかいい宿であった。もしまた水戸に来ることがあったら、泊まるだろう。
8階全フロア禁煙ルームで部屋はにおいはもちろんなく清掃も行き届いている。
フロントは可もなく不可もなくだが悪印象ではないし。

またまた夕べ雨だったらしくて外の空気はひんやりしている。
夏もさすがに終わりにちかづいているようだ。
お昼のおにぎりと水を1本かって電車へ。
7時43分、常陸大子(だいご)着。水郡線という、水戸と郡山をつなぐ線だが、単線で、まさに茨城のチベットへきたって感じだ。だんだん山峰の連なりが重なってうねうね型になって、修験系の鉱物が多そうな山の形になってきた。
大子は、奥久慈温泉郷とかで結構にぎわっている町だ。
ここ方8時5分発の蛇穴(じゃけち)へ。バスの乗客は、私も入れて4人。みんな八溝山へ、観音順礼のようだ。
道はどんどんと狭くなって蛇穴着。8時45分。
8時50分歩き開始。
鳥居の登山口をくぐって、登りの車道を行くこと5分、左に「八溝山旧登山口」という道標が見えてきた。旧という表示が気になるが、まあ、私的には林道車道を登るよりも山道がいい。足下も、ヤマヒルよけに、虫よけスプレーをたっぷりと散布して、下からはいあげれないようにしてきたし。
草もはえているし、雨の後で滑るし・・それでも山道は足に優しい。わっしわっしと歩く。汗が滝。快感・・ほとんとマゾ的な。
登りが続く・・アブがぶんぶんとからみつくのはうるさい。虫よけスプレーを持って、まき散らしながら、よるな、よるなと歩く。
時々、道が崩落しそうなところもあって、雨の日、この道はやばいよなと感じたが、やがて林道へ合流。人の気配がするので振り向くと、同じバスに乗っていた男性で、私よりだいぶ早めにいった人だ。どうやら、山道歩きはかなり距離がショートカットできるようだ。
彼と歩きながらすすむが、しばらくいくとまた山道があったので、私はそちらへはいる。
こんな調子で、最後はまったくの山道。
寺着、10時20分。
ガイドブックには、2時間とかいてあったけど、早かった。それと同じバスの人たち(彼らは私のように荷物を背負っていない)をぶっちぎってダントツだった。デブになって弱足化した私だが、まだそう捨てたモノではないのか・・・と思ったのもつかぬ間、お寺の人に、1時間くらいできただろうといわれて・・ええ。。。1時間30分でした。
そうか、荷物があるのと杖を持っていないのがな・・・わしら、歩いて登るときは杖を持つ。
うーん、わかるね。
ほとんどがけっこうな登りだったし杖があれば、推進力の助けにはなる。
地元の人で、なれているお年寄りは40分ほどでくるという・・・
負けたねえ。
まあこのあたり、林業で生きてきたようだし、元々山仕事で鍛えていたお年寄りならさもありなん。
で、このお山、昔は修験のお山で、女人禁制だったらしい。で、この八溝山は、金が産出されたらしくて、山にはいると、いまでも落ちたらあがれないような採掘跡いくつあとがあちこちにあるのだとか。
穴って、つまり、金のタヌキ堀をしていたってことか。すごいね。
陸奥藤原黄金郷エリアなんだわね。
蛇穴って、これ、蛇の穴ではなくて、金堀後に蛇がすみついたとか。
ホントはすごく立派な観音さんが何体か安置されていたらしいが、冬場の無人なったときにに盗まれたりもって行かれたらしい。石仏の丁石、四国ミニ札所の石仏もあったらしいが、これまた、誰かが持っていって今はほとんどないのだとか。
「旧道なのに、道標の石仏がほとんどなかったろう」といわれて、そういえばそうであったと納得。
ひどい話だ。
もうくることもないかもしれないので、北関東第一位の標高という山頂を極めて下山。
山頂には悪趣味な展望台と、神社があった。
このあたりブナ林が涵養した湧水群で有名らしいが(名水100撰)、まあふつうの水でした。
下山したら、帰りもいっっしょになった男性が、みんな飲んでみたけど、そううまいとは思わないといっていたけど。
私は寺に出ていた龍毛水を飲んだけど、まあ賛成。
ただいま、水郡線で水戸に向かっておりまする。
(車中で書いています)
夜までに、筑波山までたどり着く予定。

歩行距離 14キロ
費用
納経   800円
交通費 5600円
食・雑費  861円(乗り物に乗る時間が長くてゆっくりご飯を食べるヒマもなかった)
宿(筑波山荘YH)4461円(朝食代含む)



2006年08月23日(水) 板東順礼3日目 益子から水戸へ

本日の順礼

24番雨引山楽法寺 雨引観音
23番佐白山観世音寺 佐白観音
22番妙福山佐竹寺 北向観音 

朝方雨が降った。
なにやら涼しくなった益子の町、早朝の人気のない町を歩いて再確認、やっぱり焼き物屋だけですわ。
夕べ宿のおじさんがいっていた、外国人のお客がよく来るんだと、益子焼きへの興味ですな。
でも、それ以外にも、なにやらうらぶれた日本の田舎の風情も味わうことができて、いいかも。
5時54分、下館行き。
6時49分、下館より3駅先の岩瀬へ。
7時10分より歩き出す。
まずは、約7キロ先の雨引き観音さんへ。今日一番のロングコースだ。駅の前にはタクシーがたくさんいて、乗るのかな、という顔をしてみているが、失礼します。
2キロほど歩くと、汗がぼとぼとと落ちてくる。
道も狭い道から県道のがんがん車が通る道になった。
ふっと見れば、サイクリングロードもあるが、だんだんと県道より遠くなるの玉にきず。
予定では、8時半頃にはついて9時前には出て、10時10分か43分の笠間行きに乗る。
で、笠間の佐白観音。が、午前の予定あります。
さて、例のごとく観音さんは山上、後半の30分2キロがしんどかったわ。このあたり、御影石の産地みたいで石屋さんだらけで、参道も徒歩者用の石畳が残っていた。
何とか予定通りに8時30分過ぎ本堂前に到着。
納経してもらっているときにバス連絡時刻を見たら、なんと下の雨引小学校前から、9時34分にバスがあるではないか。
マイルールは、行きは歩くが、帰りはバスあり、なんでよしのろっと。と軟弱です。
お陰様で電車10時10分に乗れた。
背中がびしょびしょで、寒い。
タオルを背中に入れてしのいだ。
ずっと、筑波山が見えている。
私としては、笠間、常陸太田、八溝山コースを決めていたのだが、バスが筑波直行なんで、大御堂も近いので別コースをとることもできたかもしれない。
しかし、ローカルバスは事前に把握するのが難しいんだよね。
笠間は笠間稲荷、日動美術館で知られているが、美術館は寄る暇はないが、笠間稲荷はご挨拶に行って来ようと思う。
わっし、わっしと、汗だらだらで歩く。
距離、2キロと少し。
佐白観音、11時過ぎについたモノのの、ここの住職さんお年を召していて気むずかしそう。何しろ「昼休み12時から1時」と書いてあるんだもん。うわさに聞く、昼休みは納経しませんて、ここか。
やや、おねえ言葉でお話になる、独特の雰囲気。
でも、ここで一緒になった、野からの男性二人の巡礼者とも楽しそうにお話なっていたしやや安心。
この長野からの2人、白衣を着用されて、きちんとお経を読んでらした。
いい感じ。
私の軸を見て、もうじき100観音が終わりになるんですね、と声をかけてくれた。
住職さんは、軸と納経帳を渡してくださるときに、手にささげ持って、延命十句観音経を唱えてくださった。
うわさを聞いて戦々恐々としたのだが、やれやれだ。
ありがとうございました。
またまたわっしわっしと歩いて、笠間稲荷さんを拝む。雰囲気はなんだか川崎大師ににている。
参拝後に御朱印をいただいて、駅までまたまたわっし、わっし。
途中のローソンでおにぎりをかって、駅へ戻る。12時28分、友部、水戸。水郡線という茨城のチベット方向へ向かう電車に乗る。
待ち時間におにぎりとトマトジュースでお昼。あつすぎて水分だけが欲しいが、食べねばと。
水郡線の常陸太田へ向かうも、とちゅうの上菅谷で30分待ち、しっかりと昼寝して元気回復。
太田からまた1時間弱歩き。
佐竹寺、北向き観音。なんと、なんとバス2台分の巡礼者がいるではないか。
びっくり。
しっかとお経を読んで、納経所にいったら、納経帳の山だ。
「まってくれる?」
今日はここで終わりだし、いいですよ。
四国の心ある札所あたりだと、断って先にしてくれるだけど。
ま、いいです。
そばに、バスのガイドさんがいたんで、こんなにたくさん団体さんがいたのははじめてみたわ。といったら、
でもうちは月に2回はやっているんですよ。
阪急交通社さんだ。
二人でいろいろと話して待つうちに、境内の団体さんすっかりいない。
ねえ、団体さんて、あなたがここで納経を待つ間、静かにバスの中で待っているの?
ええそうですね。
でも、今日みたいに、風が気持ちいい日は外でぶらぶらしながら待てばいいのにね。
そういえば、そうですねえ。でもみなさん、動くというか歩くの、みんな好きじゃないようですよ。
で、前に西国バスツアーに行ったとき、大門坂の下りを15分歩いただけで、もうだめといった男の人がいたとかって聞かせてくれた。
そんな、こんなの話をしていたら、時間が過ぎてバスは出ていった。私待つこと35分でした。
で、待ちすぎて、4時6分の水戸直行電車に乗れなくなったのでバスで水戸へ。
でも、お寺の納経所のおばあちゃん、待たせてごめんね、気をつけていって、とていねいにあいさつをしてくださった。
ま、いいか。
水戸着6時少し前。
何だラーメンが食べたいので、駅ビルの中華やさんへ。
スタミナラーメンが夕食。
地下のスーパーでトマトとヨーグルトを買って、ホテルへ。
今日の宿は、水戸プリンスホテル、禁煙和室。
フロントわきのネットは使い放題、部屋も使える環境だ。
お洗濯も300円で乾燥機も使えた。
ロビーに笠間焼きのすてきなコーヒーカップと紙フィルターのコーヒー。
ご自由にどうぞということで、わたしは大ぶりな淡いピンクのカップを部屋にかりていってコーヒーを飲んだ。
これもおしゃれなサービスだと思う。
宿代5000円、グッド。

明日はいよいよ八溝山だ。

本日の歩行距離21キロ
費用
納経料 2700円
宿   5000円
交通費 2850円
食・雑費2061円



2006年08月22日(火) 坂東順礼2日目 益子まで

本日の順拝
10番 中禅寺 立木観音
19番 大谷寺 大谷観音
20番 西明寺 

6時半に朝食をいただいて7時過ぎには宿を出た。
涼しすぎる中禅寺湖半、人のいないさわやかな空気の中を歩く。宿の人に、このへんはクーラーはいらないんですか、と聞いたら、ええいりませんとの返事であった。別世界やのう。
7時半前に札所に着くも、しっかりと鍵がかかっていて入れず。わきの門が開いていたので入ったら、8寺まで待てと、また出されてしまった。
それでも7時55分に入れてもらったが、受付のおばさんに板東は開くのが遅いですよね、四国なんて7時ですよといったら、ええよくそれはいわれます。
で、昼休みは納経しないってとこもあるらしくて、私らに苦情いわれてもね、とのこと。
やっぱり、板東って不熱心ねえ。ここ中禅寺でも、入り口近くにある延命水をくむのも入山料500円払うんだと書いてある。それって、あまりといえばあまりじゃないのかとかんじた。
一番に観音堂へ。立木の大きな観音様。しっかりとお参りして、上に登る。お不動さまが湖が望めるお堂に安置してある。すばらしい景色だ。
8時半には山門を出てバス停へ。
ゆばソフトを食べながら9時7分日光駅雪を待つ。
ゆばソフトは濃厚でうまかった。
JR日光駅発10時7分、宇都宮着10時45分。
ホントは、宇都宮駅から大家に観音までの8キロを歩こう、と計画していたのだが、そうすると、益子にある西明寺に5時までに入れなくなりそうなので、バスにした。
この大谷観音は、大家石の産地にある観音さまで、まさに大谷石の岩盤に掘られた巨大磨崖仏なのだ。昔興味があってバスに乗って拝見にいったことがあるので、どんなようすかはわかっている。道は宇都宮のど真ん中を抜けて、延々と国道・県道を歩く道だ。ま、今回はバスでということで。
11時45分着。
うーむ、前来たときも感じたんだけど、ここ、あんまり好きじゃないんだよね。
もったいないことをいうようだけど、なんだか陰気なのだわ。石の好きな私としては、一番好きになってもいいはずの千手観音様だけど、場所がよくないのか・・どうも・・・弘法大師の作とかってお坊さんが説明していたけど、それはもちろん史実ではないし(名もなき高野聖)、たぶんだけど、この付近の石はそれこそ縄文期から切り出されてつかわれていたわけだ。
たぶん石工たちの崇拝の対象ではなかったのかな。
それと、どうしても陰気くさいのが気になる・・・このあたり、気がよどんでいるような・・・・何かの慰霊などをしていたとかねえ。
以上私見です。

12時50分には宇都宮駅に戻って、お昼に宇都宮名物の餃子に挑戦。
お寺参りに、ニンニクはあんまりなんで、クコの実とクルミのはいっていることぶき餃子というのと、餃子おにぎりを注文。
餃子おにぎりは、餃子と練り梅とご飯を握ってのりで巻いたモノ。まずくはなかったが、それぞれ単体の方がいいような・・・寿餃子はおいしかったです。
13時44分のバス時間までまだ時間があったので、懐かしの甚五郎煎餅を土産に買い占めて宅急便で家に送った。
日光は何度も六年生の子どもたちを修学旅行に引率した「忌まわしい」場所。で、職員におみやげに買ったのがこのお煎餅かアケビというあんこの入ったお菓子。
お煎餅は思い出を別にすれば、おいしい。
二時五十分益子着。
ぼちぼち歩いて、四時前には、山のてっぺんに近い西明寺へ。
えんま堂に笑いえんまというお方たちがおられてユニークだった。

五時過ぎに唯一やっていた居酒屋兼ご飯屋さんで、定食を食べて宿へ。
益子は焼き物で有名だけど、焼き物やさんばかりでご飯やさんがない。
田舎でした。
岡田旅館素泊まりと洗濯代で四千四百円也。

歩行距離10キロ
本日の費用

納経・入山料 3200円
交通費    3820円
食・雑費   2798円
宿代     4200円(素泊まり)



2006年08月21日(月) 8月の坂東順礼1日目

順礼予定札所
第17番 出流山(いずるさん)満願寺(栃木県)・・・出流観音

ばたばたと、家を出た。6時28分の新幹線乗車。高崎着、7時11分、すぐに両毛線ホームへ。佐野まで行って、東武線に乗り、終点の葛生まで。
着、9時36分。さてと、ここから歩く。
今日のお参りは、出流山満願寺。通称、出流観音さんだ。葛生からの距離は、マップファンルートマップで11キロあまりだ。予定としては、昼過ぎ1時頃までにつけばいいと思っている。
観音様のお恵みか、朝ざっと雨が降ったようで、空も薄曇り。じりじりと照りつける暑さはない。感謝。
葛生の町は、次の週末、原人祭りがあるとかで、通りも原人ロードとかって。なに原人だ?
まあしかし、それはおいておいても、落ち着いた歴史のありそうな町だ。古い風情のある倉や家のたたずまいがあちこちに残っている。なにより、たまに古い出流山への道標がある。かつての順礼者も通った道であるらしい。
途中、鉢の木町という地名が出てきて、さらに佐野源左衛門常世の墓と出てきて、私のアタマはうーむうーむと連想ゲームの答えを出そう動き出した。エーと、北条氏の誰だったかが佐野の家に身分を隠して泊まって、そのとき客に暖を取ってもらうために鉢の木を薪にして。で、立派な馬は「いざ鎌倉」と時のために世話怠らず・・・。北条の誰だったかは、試しにいざ鎌倉と号令するや、佐野はマジに駆けつけて・・・ご褒美もらった・・そんな話じゃなかった???北条泰時だった???うーむ記憶定かならず。(年です)確かに、下野の国って話のはじめに出てきていたけど、まさにここはあの下野の国なんだね。
両毛線にも「国定」って駅は、国定忠治の墓がある。「岩宿」は岩宿遺跡、東部線田沼は、田沼意次の故郷?かな。
坂東札所への道筋にも西国とは違う歴史の気配があっておもしろし。
「仙波」という歴史のありそうな地名をすぎると、いよいよ人気のない道、ダンプがひっきりなしに通る。採石場からセメント工場に原料を運ぶダンプだ。秩父も石灰岩を掘り出していて、武甲山は山の形が変容したが、このあたりもそうみたい。観音様は石灰岩がお好きか。
確か西国の33番への道筋でもあったよな。
途中に、12時すぎたら発破をかけることがある。
危険と書いてあってあせる。なんとか、危険のないところにまで行かねば・・・1時までにつけばいいや、は12時までに何とかに変更。
せっこせっこと歩くと、アタマが痛くなる。熱中症にならないようにしなければ・・・・途中でなぜか道を間違えて、通るはずのない立木地蔵さんのお堂の前に出てしまう。お参りしていけ、と呼ばれたのかな。
でも、この道、涼しくて頭の痛いのがとれてよかった。少し遠回りをしたが、無事に出流観音まで2キロの看板のところに来た。
仁王門着12時。
おなかが空いて、へとへとだ。観音さんには申し訳ないが、お参りの前に腹ごしらえをさせていただく。
駅で買ってきたおにぎりを2個、冷たいお茶が極楽極楽。さらに、仁王門を通る自然風の気持ちいいことよ。恍惚としてしまった。かいかーーーーん。
20分ほど休んで、観音堂へ。山の奥深いところにある、水の縁の深い観音さんだ。お堂があいていたので、あがって座って、ゆっくりとお参り。
その後、この寺の発祥の地である奥の院へ。
本堂より歩いて15分。滝行の大悲の滝と岩に張り付くように奥の院がある。登ると中には鍾乳石の観音様。5万年かかって観音様の後ろ姿となった、地球とつながったお姿だ。お堂には霊気が漂う。

下の入り口のおじさんに荷物を預かってもらっていたので取りに行く。
親切なおじさんであった。
15時40分のバスの時間までまだ大部時間がある。名物のそばでも食べるかと、しかし、クーラーが利いているところがいいよ、と選んだのが「さとや」というバス停の近く。
きれいなお店であった。
でそばもうまかった。天ぷら盛り合わせも頼んだのだが、これまたうまかった。
お店は時間が2時過ぎだったせいもあって、貸し切り状態。
で私が見ていた板東の紙を見て、店の大将、板東順礼ですかという。そうだというと、自分もまわっていて100観音、後西国があるんだけど、遠くてねと、しばらくお参りの話が弾んだ。
11軒も軒を連ねるお店の中でよくこの店にはいったモノよ。
そのままバス時間まで待たせてもらって、またまた貸し切り状態バスに乗った。
この運転手さんがまた、霊感体質のようで、中学生の時にひとだまを見たとか、奥さんのお父さんが亡くなったときに挨拶に来たのがわかったとか・・・・ですごい恐がりだった。まあ、今日は私にぴったりの人と合ったわけで・・・なんだか笑いました。
東武電車を乗り換えて、東武日光より中禅寺温泉まで来て、本日終わり。
すぎもと館泊。
霧に煙った奥日光は寂しい。

歩行距離 約12キロ
●出費
交通費
高崎までの新幹線 5460円
それ以外の交通費 4350円
宿(朝食代含む) 5500円
納経・入山料   1100円
食・雑費     2203円




2006年08月20日(日) 8月の反省

今さっき、朝8時半からやっていた作文の個人指導が終わった。
時間延長1時間以上、ヤレヤレ。
一応、これで夏の作文等の特別指導や教室は完了。

あしたからは旅です。
しかし、出発前にやるべきことを箇条書きにしながら、ほとんど終わっていない。
反省、反省、大反省。
理由は、暑いんで、つい昼寝、ビールに走ってしまうことに尽きる。
8月、ホントに怠惰だったと思う。
こういう自分は好きになれませんなあ・・・
やらないと人に迷惑をかける(含む塾)ことだけは遂行したが、それ以外に今月はこれをやりたいと決めたことがなんにもできていない。
子どもたちに「地道にやろう」とかいっているのに、自分がこれではネエ・・・と大反省だ。例え子どもといえども、人にいう以上は自分もある程度できていないと、説得力に欠ける、言霊がない。
そういう意味では、今月の自分は「落第」ですね。
こういうなまけ・だめな自分を見つめつつ、明日から1日10キロ以上は暑い中でも何とか歩きたい。
体重は5月からのボチボチダイエットで3・5キロ減ったし、旅で1キロから2キロは落としたいよね。
1時的には増える(筋肉の増加)が、ある程度歩きながらむちゃ食いしていなかったら、数日過ぎると絶対痩せるので。

で、9月からは、心機一転でがんばりたいと思っている。
自分再建エンジン始動せねば。
さあ、ネットを切ってあしたの準備活動を開始。




2006年08月19日(土) あの子が笑っている・・・

オランダに出発した皇太子さんご夫婦とお嬢ちゃん。
日本をでる写真、お嬢ちゃんは病気か、と思われるほど表情のない顔であった。
(わたしは、いつもあの子の無表情を見るたびに、この子病気だと思っていた)
ところが、今日新聞で見たオランダでの記念写真、笑ってはにかみながら手までふっているではないのよ。
おお、病気じゃなかったのね。
よかった、よかった。
要するに、お母さんのマサコさんの気分と状況がすべてあのお嬢ちゃんに反映しているということ。
と考えると、あの子の未来も皇太子さんの未来も前途多難だ。
裏の噂では、マサコさんはもう日本に帰らないとか、ってあるようで・・・
まあ、まさかそれはないだろうけど、でも、お嬢ちゃんにためにはそれも一つの選択支かもね。あの笑顔を見ると。
とまあ、野次馬さんでした。
まあ、キコさん「男子出産」にはやっぱりおられないわけですねえ。

とにかく、人がちがったように明るいあのお嬢ちゃんの写真が印象的。

そうそう、今回のご一家の外遊って、1億以上、かかっているんだってねえ・・・それと、お医者さんを、それも患者さんが大勢付いているお医者さんを随行したんで、そのお医者さんにかかっている人たち、困っているとか。
そんなこと、あんなこともこともあって、天皇さんのほうが、国民感情をおもんばかって静養を中止されたとか。なんてこったいだねえ。
庶民のことばでいえば「なんて嫁?鬼嫁マサコさま??」
そもそも、これは私見だけど、鬱病の人は、長期の旅にでられるもんだろうかねえ。私の知る鬱病の人は動けなくて、好きなところどころか医者にも行けないくらいだけど。好きなとこは行けて、いやなところはウツになるって、わがまま病でないのかえ?
小和田家はヨーロッパの社交界ではプリンセスのファミリーということであちこち出入り。有名だというし、マサコさんを利用している。おかあさんは、自分はプリンセスの母なんだから、准皇后だと、内輪ではうそぶく方らし。
少しネットを検索したり、週刊誌を読むと、あることないこと、まあ皇太子一家と小和田さんちには非難ごうごう。さっさと皇室りだつしろ、なんていうのまである。
特に小和田家は、正田家、川嶋家・・という見本があるにもかかわらずの、公私混同の言動でこれまたすごい非難の嵐。

それと、状勢的に見てテロ云々がかしましいときにオランダだって、たくさんのモスレムを抱えている事実は、オランダ在住の小和田の父さんがしらん訳はないのである。娘に危険だし、何かあっては多方面に迷惑をかけるとかって延期ないしは中止をいう気はなかったのかしら。
皇室に離婚禁止のきまりはないのだから、マサコさんは、そんなに日本と皇室がプレッシャーなら裏噂のようにもう帰国しなくて、オランダにいたまま離婚してもいいのだよね。あのお嬢ちゃん笑顔を見ていると、そのほうがけっこうな選択ではないかと思える。
ただ、離婚したら、もうディズニーランドでの特別待遇はないよ。みんなとならばないとね。
このまま皇太子一家が天皇家になると、日本にも、皇室廃止論が大きく盛り上がりそうな勢いだ。
小和田家の評判が落ちれば落ちるほど相対的に川嶋家は上がるわけで、意外と、次男さんのほうを天皇に(今度の子どもは男子だ?ということも含めて、後継者がいる方が継いだほうがいいとかって、言い出す右翼がいそうだ)なんて声も出てくるかも。

暑い、暑い。
昨夜も床にころがって寝ました。
長岡は、15日を過ぎると午後から北風が吹いて、昼寝していると肌寒いくらいの日があって、秋が来るなあ・・・てかんじなのだけれど、ことしはその気配もない。
やはり、地球が狂いだしている。



2006年08月17日(木) やけどしそう・・・

昨夜は、暑くて布団で寝つけずに、枕をもって、廊下に移動。
木の床に100円ショップで買ったござをしいてやっと寝付いた。
廊下は、北から南に風が抜けるのだが、昨夜はその風もささやかで参った。
で、北の方向に扇風機をまわし、風のつもり。
でも冷房を入れるよりずっといいと思うので。
その前の日は、仕事をしていて、やっぱりござをしいて一休みのつもりで横になったら、そのまま朝だった。これまた床(木どころか、コンクリートの上に張り物をしたカッタイ床)でありました。
まあ、ワタシ的には、60過ぎて年金バックパッカーになりたいので、どんな所でも寝られる訓練を怠りなくしようと思っているし、別に布団の上でなくても熟睡できればいいのだが。
まあ、インドのネズミが走り回る駅、アテネの大理石の空港、エリトリアの田舎のきたなくてさむいベット、南京虫のいた中国奥地の寝床・・・今までちゃんと寝てきました。だから、今後もそういったところで寝られるように日々訓練。
柔らかい布団、エアコンの効いた部屋で快適な惰眠をむさぼっていたら、ニンゲンだめになる。

それにしても暑い。
車に昼になって乗ろうとすると、ハンドルでやけどしそうだ。
予報では、明日は雨なんだけど、曇になった。ヤレヤレ。ふらんのか。




2006年08月16日(水) スペインのような空

今朝は、雲一つない空。真っ青な空。スペインの空だ。
すごいモンだ。
なんだか旅心を誘われる。

昨日、実家にいったら、甥っ子がいない。
基本的にオフの日は、引きこもりニートのような生活の子なんだけど。(本人も、仕事をしていなかったら自分はニートの引きこもりになると自信を持っていっているのだわ・・・お仕事させてくれているJAさんに感謝。本人は、自分よりプロい人たちに営農指導なんていやらしいけど)
その彼が、朝おきてくると、オレは今日東京に行って来るといってでたらしい。
家族は、パソコンやコミックオタクの子なんで、コミマ(コミックマーケット、確かいつも今頃やっているはず)か秋葉原だろうと思っていたら、な、なんと「今、靖国」といったそうな。
家族、ビックリ。あきれた。アイツはなにをかんがえている?
かわっているよな・・
わたしもビックリしたが。
よりにもよって8/15日に靖国なんてどんな騒ぎにまきこまれることやら。あるいはまた、浮かばれない御霊様たちがたくさんのおいでになっているだろうし、そんな日のあそこをうろつくなんてと、心配をしたわけです。
まあ、無事に夜8時過ぎに帰ったよと電話があったので、まあ今日は父の命日だし、父が守ってくれたかなとは思ったが・・・しかし、なんなんでしょうねえ。
で、今日ネットで見れば、2ちゃんねるで、靖国オフ会があったもようで。
もしかして、それ参加まで行かなくても、見にいった??
ご本人、今日ちょこっときて、ふだん見られないモノが見られたとか脳天気なことをいっていたが。

で、朝日新聞comによると若者たちが「なんで靖国参拝はいけないのか、いいじゃないか」といっているとかで。
やはり、戦争を推進して最後まで生き延びた人たち(戦犯として処刑されたが)と、赤紙1枚で戦地に赴き亡くなった人達をいっしょにするのはよくない。
分けるべきだろう。
そうすれば、さまざまな矛盾はなくなるように思う。
そうそう、自衛隊が住民台帳活用で高校卒業する子に入隊案内のダイレクトメールとだしているらしい。「赤紙がきたようでいやだ」と反発・苦情があるとか。
然り、然り。納得。






2006年08月15日(火) 終戦じゃなくて敗戦でしょ

1時半から3時半過ぎまでお昼寝。
今さっき目覚めましたわ。
最近多いよ、長時間お昼寝。
これ、やっぱり夏だれでしょう・・・ね。
やることはたくさんあるのだが、全然手つかずで眠りこけている、困るねえ。

でもって、今日はこの国が戦争に負けた日。
小泉は、靖国へいったようです。
ホントに、国益を考えない総理大臣て、なんだあ?
他の公約は反故同然いっぱいなのに、公約守るって、あんた。
結局のところ、自分のこだわりの郵政民営化とこの靖国参拝だけ。

昨日の関東の大停電、みなさん、困ったろうなあ。
大地震がきたときの、プチ練習?となってしまったような
想像するるに、やっぱり都市は自然の災害には田舎以上に弱い、恐いと思う。
健康者はいいけど、弱者は・・・・とかんがえてしまう。

気合いだ!気合いだ!!気合いだ!!!
さあ、活動開始。



2006年08月13日(日) 来客。お墓参り

午前は、ヨエルとメルキ、ロビンが来るのでキーマカレーとサラダつくりにせいをだした。
11時過ぎにヒデコさんに連れられて教会帰りにきてくれた。
お茶を出したら3人ともお菓子を食べて、カレーはあまり売れなかった・・・時間かけておいしくつくったのに・・・
この子たちは素朴だしある意味日本の同世代より、ワタシ的にはやりやすい。
おかしかったのはロビンだ。
トイレから帰ってくると「紙とペンはないか」というので渡したら、「碧」という字を書いてこれはなんと読むのか?
へき、ぺき、みどり・・・と説明したら、緑とどうちがうのかと聞く。ちょうどそばに、青ジソがあったのでこの緑はこれ、といったら、じゃこれはどういう時に使うのかとけっこう食い下がる。
これは海の色につかったりする、といいながら、なぜトイレから帰ってきてこの字の意味を聞くのか不思議だった。
聞けばうちのトイレには、九星気学の占いカレンダーがかかっていて、その中に「三碧木星」っていうのがある。彼にあれは中国の占いのことばで、色の名前ではないの、といったら、フーン。で、占いという字はどう書くのかと聞く。
「占い」と書いて横に「売らない」とならべて、これも「うらない」だけど、こっち(占い)ね、といったら喜んだ。
で、ヨエルが佐渡の鼓童のフェステバルに行くので、ロビンも行って来たらいいのに、おもしろいと思うよ、といったら、彼「旅行は、またできるけど、高校の剣道部で練習するのは今しかできません、だから今は剣道部をやります」だって。
まじめの固まりのようなドイツ人だ。
で、ご飯のあとはお昼寝していたのだが、起きると「散歩」と称してうちの中を探検しはじめた。
あちこちあける。
いいけど・・・さすがに、うちのボロ隠しの3畳倉庫の戸をあけようとしたときは「そこはだめ、ストックルーム」といったが・・・苦笑だった。

ヨエルは、大人になった。
「(日本人の)補習校に行っていたときに、もっと日本語をきちんと勉強すればよかったと思う」といったもんだ。
わたし、ビックリ。
「ヘエ・・・今はそう思うんだ、でもあなた、とってもこの1ヶ月でじょうずになったと思うけどね」
「ぼくもそう思うけどね」
食後、メルキはまったりとFOXTVなんてみているし、ロビンは昼寝だし、わたしの話し相手をしてくれたのはヨエルでした。
子ども時は、暴れん坊で悪ガキだったんだけどねえ。
2時過ぎに図書館まで送って、わたしはうちに。

今日は墓参り。
うちの地方は、夜に提灯をつけてお参りする。
精進揚げの天ぷらとソーメンが定番の13日の夜の夕食。
うち中に電気をつけて仏壇にもお供え満載で、燈明、線香。
家の仏壇を参って、食後にお墓に行く。
8時過ぎ、帰りがけに通り過ぎてきた隣町の墓地も灯りで美しく、そしてにぎやかだった。
13日が終わって、15日が過ぎると、一気に風が変わって秋の気配が漂うのが毎度の夏の終わり。
ああ、この夏も過ぎていく。



2006年08月12日(土) 長岡市役所の仕事ぶりは

役所というと、対応が遅いとかいろいろといわれているが、このところ体験した長岡市役所の仕事ぶりはなかなかだった。
●プールの眼鏡
先日、いつものようにプールでメガネかけて泳いでいたら、指導員がとんできて、「メガネはかけないで下さい」
「なんで?初めていわれたけど、私は今までかけて入ってきた」
「もともと規則にはありますが、今まで甘くしてきました。今度厳しくすることになりました。訳はおとして割れたらアブナイからです」
「これはプラスチックレンズだし、おとしても割れない、ゴーグルのガラス製のほうがあぶない」
「でも、規則ですから、いやだったら、民間のプールにいってださい」
おこったね、わたし。なんだよ、朝令改暮
でよく日、役所のプール担当者に電話。
事の次第を話して、突然厳しくしたとかいってあげくに民間へ行けはないでしょ!
そもそも、日本人の40%は目が悪くてメガネ・ないしはコンタクト使用者だ。極度に視力が落ちている人にとっては、メガネは体の1部だし、とるとアブナイ、現代のバリアフリー、ハンデキャップのある人にも利用しやすい施設づくりからは逆行している、なんとか規則改正してほしい。
ハイ、すじみちだてて、しかし、蕩々とやりました。(やな市民?)
若い女性らしい担当者、わかりました、時間をいただけますか。
で、電話したのが確か7月25日くらい?返事が来たのが8月7日。
「水中ウオークなら、プラスチックレンズなら許可とします。メガネが落ちないようにするひもなどの工夫をして下さい。プールにこの旨の紙を張り出しましたし、指導員にも通知しました。ただ、ご不快な思いをされたことはお許し下さい」
だって。確かに「善処」してあります、で返事も早かった。
合格。
もちろん、わたしは善処へのお礼をいいました。(いい市民?)

●福祉相談課
末弟の通う施設から、9月よりデイサービス事業を廃止します、ついてはもうひとつの施設を辞めうちに来て下さい・・でなければ云々・・の電話。
ひえー!!来春にはまた制度が変わるとはしっていたけど、9月から前倒しするなよ、それも突然!!説明もなしに!!!
でわたしの口からはクレームの嵐が飛び出ましたわ。
「説明会しなさい、そんな大事なことを!利用者の思いをどう考えているのか」
ついでに翌日役所の窓口に行って、ことの次第を話した。
そうしたら、でてきた担当者(Nさんとしておこう、目の鋭い刑事にしたほうがいいような面構えの人)施設側の内輪的状況や、法律のアウトラインを手際よくはなしてくれて、ご不安やクレームの内容を今日中に施設に伝えますと約束してくれた。
で約束履行。
次の日朝には、施設の課長から電話が来て、お詫びと早々に説明会の準備に入ったという連絡。
それで、今日説明会があった。
説明会の案内に「一部から説明会をという要請があり」という1文に施設の課長(感じのいい方じゃない、といのはわたしの印象ですが)の毒?を感じてしまったが、とりあえず塾を終えてから飛び出していった。
1部とあったので、説明会、もしかして数人、あるいは私一人とか・・・と思っていたんだけど、10人以上の人が参加していた。
やっぱりみんなこう次々と制度が変わると不安なんだわ。
それがよくわかる会だった。
感じワル課長は、長期で見ればこれはいい制度になるんですとは言っていたけど、利用者はいまこの時がよくないとだめなんだわ。施設側の思惑と、利用者のこの気持のギャップが、つまりは説明会もなしに電話一本でことを解決しようとした事実につながるのだろう。
役所の担当者は、施設のやり方に不満などがあったら、更に上の窓口への相談もありますと連絡先もくれたけど、まずは対話、対話だわ。
わたしがこうやっていろいろとやることで利用者の末弟が不利益を被ることってありますかね・・役所の人に水を向けたらそれはありません、わたしはこの仕事を六年やって来ていますが、今までそれはないですと。
福祉相談課の対応も、いまのところ合格。

先日、またまた別の用で役所の四階を歩いていていて、フッと見上げたらみたことのあるような顔。通り過ぎて「あ、市長だった」
疲れのしみ出たふけ顔でした。
わたしとたいして年、ちがわないのに、苦労してんだねえ。
お疲れさんといってやりとうございました。

今日はすごい夕立。
午後からとにかく眠くて爆睡。
元気になった。
これから、どうようにいつもの行事、洗濯、掃除へかかる予定。



2006年08月11日(金) まるでエジプトの空のような・・・

雨無しの正真正銘の夏が続いている。
今日なんて、雲一つない空でついあきれかえって笑ってしまった。
エジプトみたいだもん。

午前、作文教室、粘土と作文教室。午後風邪で休んでいた高校生の個人指導。
知り合いの方が、パソコンの会計ソフトについてご相談に。
夕方は、エジプトの的空の下、末弟の入浴介助。チビ犬のお散歩。
なんてことをしていたら、1日がくれた。
こうやって、年をとって死ぬんですなあ・・・

王子製紙の敵対的北越製紙の株買い付け。
地元では評判悪し。
で、ここは発祥の地だし、地銀も売らないとかってやっているが、どうなんだろうか。この手の義理堅さって・・・株の世界ってあり???
要するに古い・・・
だから、ホリエモンのような、はたまた、村上親分のような人々がでてきて、そして出過ぎたくぎでたたかれるんだなあと思ったことであった。
さ、どう動くのかな。



2006年08月09日(水) 台風のせいで暑いのか

台風の影響で薄曇りといっていた天気予報、実はカンカンデリで暑い暑い、暑い。
長崎の原爆記念日。
今日来た子どもたちにはその話をした。
これって、大人の義務だと思うし。

今日も5時おきで、実家の今度は裏庭の草取りに行った。
お疲れ。
午後からお昼寝長時間。
北風が南に抜ける風の通り道の廊下でごろごろ。
クーラーはお勉強部屋にはつけているけど、あまりにあたると、体の代謝率が下がって肥満の原因をつくる。故に要注意。

世間を騒がせている、亀田ボクシング親子問題について、わたしも昼寝しつつ何日かまえの新聞読みつつ考えた。
まああの微妙な判定勝ちは、いいたかないが「八百○」でしょう。審判団を抱き込んだバックは、売り出してひとともうけしたい所属ジムと強力にバックアップしているTBS??
でもそれは、あの親子には関係ない。
亀田クンには、関係ない。
敷かれたレールの上を走っただけだからだ。
オレの負けやったかも、と内心でくさっている傷ついているのは彼自身だと思うし、オレのむすこは微妙だと思っているのは、父親だと思うし。むしろわたしはかわいそうだと思う。あのいつも以上の強面ぶりはむしろ、弱気のあらわれ。
デモマ、父親の必要以上に野蛮な態度はいけないよね。
もちろん、あの今どきのニッポンにはない野蛮さが受けているんだけど。

わたしが感動したのは、「あれは亀田の負けでしょ」という電話が多かったということだ。
日本人ってなんて「公平」なんだあ!
これは中国や韓国のB型的お国柄だったらこうはいかない。
絶対に自国選手が負けじゃないの、審判が不公平なんて電話かかりっこない。
あっても、チョウがつく小数だろう。
わたしは、ニッポン人たちの「公平」感に驚き、まだ捨てモンじゃないのかもと思ったりもしつつお昼寝したのであった。
これって、○○募金すると、世界一位の集まり方をするお国柄と連動しているのかも、と思う。
なお、今回の亀田イベントの結末をきっちりと予想している(勝ち方まで)ブログがあって、急激に読者をのばしているとか。
長年のボクシングfanにして、関東地方在住の会社員だということだ。
まあ、要するにこの流れは昔からあったということなんでしょう・・・最後は「使い捨て」と彼は読んでいるらしい。
この予想、亀田親子は裏切ることができるか?
がんばれよ!!
なんて暑い日の午睡のムンニャムニャでした。



2006年08月08日(火) ロビンくん

サイゼリアの500円ランチを食べてからヨエルとメルキを連れてアクアーレ長岡へ。
わたしは、温泉ゾーンへ、彼らは着衣温泉・プールゾーンへ。
1時間ばかり温泉で楽しんで上がったら、ミエコのお姉さんのヒデコさんがロビンを送ってきたと温泉受付にいた。
ロビンは、三月からヒデコさん宅にホームステイして、地元高校に通っているドイツ人だ。
ホントはわたしがいっしょに連れてくるはずだったんだけど、まだ剣道部の練習から帰ってきていなくて、先に出てきたのだ。
かえりはわたしが3人を送るということでヒデコさんは温泉饅頭を買って少し休んでお帰り。
ここの温泉饅頭はすごくうまいのだ。

わたしは仮眠室のマッサージイスでお昼寝。
3時半過ぎ、男の子3人がプールから上がってやって来た。
で、帰ろうかと。
ロビンに、車の中で「どうして日本にきたの?」と聞いてみた。
「漢字が好きだから」
「ヘエ。どうして」
「漢字には一つ一つ意味がある、わたしたちの国の言葉とちがう。そこがおもしろい」
ほおお・・・・・
確かに、漢字は表意文字だし奥は深いわねえ。
ちょうど先行する車に「鐵」という字が見えたので「あれ、なんと読むか知っている?」と聞いたら「鉄の古い字です」だって。
おお、その通り。
日本人のオバカな高校生は読めません。
ご立派。
ときどき、日本人より日本のこと知っている外国人がいるけど、ロビンもその口になりそうだなあ。
ヒデコさんが「珊瑚」って字を書けるかとかってロビンがいうっていっていたけど、はるほどだ。
おもしろし。

3人は、温泉プールはなかなかおもしろかったらしい。
よかった。
わたしは3人を送ったあとに、実家へ末弟のお風呂介助。
疲れて早寝の夜。
暑い日々。
ちょこっと夕立で地面が湿った。




2006年08月07日(月) 雨後の竹の子

昨夕、実家でビワ灸と末弟のお風呂介助をこなしたあとに、ミエコさんの実家へ。
彼女の息子のヨエルとメルキがきているのだ。
電話があったのは、7月31日だけど、なかなかあいにいけなかった。
ほぼ1年半ぶりにあった2人、でかくなっていてビックリ仰天。
雨後の竹の子だ。
ヨエルなんて、190センチもあるんだわ。
で、大人になった。(と思う)
ま、ヨエルは19歳になったっていうし、メルキは17歳?だったか。
顔を見たら帰宅のつもりだったんだけど、つい話し込んでしまった。
あしたは午後から彼らを温泉プールに連れていく予定。

毎日カンカンでり。
今朝は早起きして、5時過ぎに実家の庭の草取りにいってきた。
母ができないもんでねえ・・・いけないといったら、ジャ無理しても自分でするっていうんで、それは困ると・・・でも疲れたわ。汗びっしょり。



2006年08月06日(日) 怒り!だ

いか、朝日新聞HPより(一部省略)
特養入居者に性的暴言 東京・東大和
2006年08月06日03時03分
 東京都東大和市の特別養護老人ホーム「さくら苑(えん)」(入居定員80人)で、男性職員が認知症の女性入居者に性的な虐待発言をしていたことが、女性の家族による録音テープで明らかになった。施設側は家族に謝罪するとともに職員らを処分。東京都は、虐待が繰り返されていた可能性もあるとして近く立ち入り調査する。
被害にあった女性(90)は要介護5の寝たきりで、言葉も不自由。長女(58)によると、オムツに排泄(はいせつ)物がたまっていたり、手にアザが残っていたりすることが重なり、介護内容に不審を抱いた。数年前から施設側に訴えてきたが「思い過ごし」と相手にされなかった。認知症が進み本人に確かめることもできないため、小型のテープレコーダーをベッド近くに隠したという。
 問題の発言があったのは今年1月下旬の夜、オムツ交換の時間帯。30歳と21歳の男性職員2人の会話だった。先輩職員が女性の名前を呼んで性的な行為を求めた。「あっ、起きた」の声の後、この職員が「この前、やってくれたんだよ」「絶対、見たら訴えられるみたいな。へへへ」と過去に性的虐待をしたとも受け取れる発言をし、後輩は「いやー、やばいすよ。盗聴されてたら終わりですよ」などと答えた。笑いも交えながらのやりとりだった。
 この直前には、オムツ交換中のにおいを「毒」「サリン」などと話す2人の会話も録音されていた。女性の声はテープでは聞き取れなかった。
 長女の相談を受けたNPO法人「特養ホームを良くする市民の会」(東京都新宿区)が7月、都に通報した。都と東大和市、女性の住所がある世田谷区の3自治体は、4月に施行された高齢者虐待防止法の「性的虐待」にあたると判断し今月4日、施設を運営する社会福祉法人多摩大和園の足利正哲常務理事らに女性の安全確保と事実確認を指示。都は近く緊急の立ち入り調査をし、ほかに虐待行為がなかったかなどを確認する方針だ。
 同苑によると、30歳の職員は勤続4年目でヘルパー2級の資格をもつ。施設の事情聴取に対し「男同士の介助で気がゆるんでしまった」と発言を認めたため、玉川桜子苑長らは4日、家族に謝罪した。ただ実際に性的行為はしていないと話しているという。
 同法人は5日、緊急理事会を開き、この職員を出勤停止7日間、後輩職員を同5日間、足利、玉川両氏を減給10%(1カ月)などとする処分を決定。第三者を含む「調査委員会」を立ち上げるほか、職員全員を対象にした虐待防止研修など、再発防止策に取り組むことを決めた。
 足利氏は理事会後「利用者の人権を重視していたのに非常に残念。こういう事実は想像もできなかった」と話した。これに対し長女は「自分の親があんな仕打ちを受けたらどう感じるか、職員は自分の身に置きかえてほしい。処分は軽すぎて再発防止にはならない」と施設側の対応を批判した。


という記事を読んで、怒った!!
信じられない!!!
「長女」さんのいうとおり、処分は甘い、甘すぎる。
はっきりいって、介護不適格者だと思う。
免職にすべきだと思う。
男同士だから気が緩んだあ?
それくらいで気が緩んでこういう愚かしくて破廉恥なことをするヤツは、そもそも介護職になっちゃいけないんだよ。
この二人、またすると思う。
性的犯罪者の再発率が高いのといっしょだ。
免職でも、退職勧告でもいいから、してこの二人に真にあったお仕事につくべきだ。
復職したら、今度は、悪賢くなって、盗聴されていないか確かめてやりそうな気がする。
こういうコトする人はそうなんだよ、絶対に。
反省なんてしない。
絶対弱者にこういう破廉恥なことをするヤツは品性下劣、あと百回くらい生まれかわって魂修行してほしいわ!!
この二人が闇夜に、わたしの前歩いていたら、突き飛ばしてぼこぼこにしてやるね。(わたしも修行が足りないか、やっぱり)
・・・・・
今日は広島原爆記念日。
早坂先生のお話を思い出す。



2006年08月05日(土) ねむの木学園の子どもたちの絵

新潟の伊勢丹で、ねむの木学園の子どもたちの絵の展覧会が開かれている。
わたしは、あそこの子どもたちの絵のファン、行こう行こうと思っているうちに、なんと7日が最終日。で、午後から行くぞ、と思い立って出かけた。
すばらしかった。
胸じーん。
すごい集中力と、感受性と、純粋な表現エネルギー。
もらいました、力を。
ありがとう。



2006年08月04日(金) あちっちの日々

梅雨が明けてから、もうあっちっち的日々だ。
で意外と湿度が低いので、木影にいると爽やか。
更に夜はこれまた意外に冷たい風がふくので、冷房入らず、窓さえ開けとおけば。

今日は夕焼けがピンク色になっていた。
空気がきれいなのだろう。

今晩は、市政100周年の世界の花火ショー。
しかし、わたしは7時半から9時までお子さまと勉強でございます、です。
ハーイ、がんばります。
しかし、花火の音聞きながら、勉強なんておちつかんわねえ。
トホホ。

川崎の親戚がきたので、久しぶりになつかしやの午後でした。



2006年08月03日(木) 昨日の花火・今夜の花火

HPを大々的に改造しようと、あれこれ考え中。
で、昨夜も夕方に末弟の入浴介助に行ってきてからそれの作業をしていた。
塾は長岡祭りで休みなんで、集中的に考えゴトしたり本読んだりには都合のいい時間であるのだ。
しかし、7時半、どんどんと花火の揚がる音が聞こえてきた。
どうも落ち着かない・・・
で、3かいの部屋の窓から身を乗り出して、見てしまう。
うん、きれいだね。
まあ、ついでにビールも。
この建物を建てるとき大家さんは花火を見る、を考えに入れなかったようで、西に手頃な窓がないので身を乗り出してみるしかないのだ。
花火もさることながら、ビールがうまくて、ついつい5本も飲んでしまったわん。
(飲み過ぎシールペタ)
思うのは、花火の伝統の力かな。
信濃川を舞台にする雄大もさることながら、うつ間合い、色の組み合わせ・・・・等々、ビミョーに洗練されている。
わたしが子どものころも日本一といわれていた花火だけど、やっぱりさらにこればっかりは今だ日本一かな、と思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日は、どうせまた見たくなると、あきらめて、窓辺に陣どった。
弟家族は土手に見にいったらしいが、わたしは人混み大嫌いだし家でよし。
今日のフェニックスは昨日とはまたちがう趣向、色合いで、お見事でした。
わたしも見事だと拍手しているんだけど、屋根や屋上で見ている人たちもそうみたい。
今日のビール度は節制したんで二本。
家の3階の窓から睥睨?する限り、花火ではなくて、テレビを見ている人も多かったが。地元民は来年もあるし、とか思うし。空襲の思いがせつない人も当然いるし。
わたしは、本日夜9時、今から40年近く前に、小学校の同級生を亡くしました、白血病。思い出しました。彼の命は、三尺玉と共に天へ帰っていたようなんだ。

来年、そんなにすばらしいんだったらみたい、日本一の花火を見たい方は申し出て下さい。わたしと面識のある同性の方に限り、一泊の善根宿いたしします。
以前、ある友人をわたしが誘って山登りにいったら、その方の親族がその間に亡くなったことがあって申し訳ないと思ったことがあったので、どうしてもきてみて、とはお誘いしないというか、できませんので、わたしの場合。
ただ、土手までお連れするとか、有料席を取るとかの親切なお世話はいたしません。それは自分で。豪華な?お食事はご用意します。(笑)
まあ、こんなことを書きたくなるくらい、見事な花火でしたわ。
フェニックスの五〇〇円募金、あした市役所に行ってしてくるか。
だって、みさせていただいたもんね。



2006年08月02日(水) ヤマヒル研究

次に挑戦したいと思っている坂東札所1番の難所、八溝山にもヤマヒルがいることが判明。
おおこりゃたいへん・・・ということでヤマヒル研究をした。
なんとネットで検索したら、「ヤマビル研究会」なんていうのがあったぞ!
このHPを大いに参考にさせていただきました。
ありがとうございました。

●ヒルの種類
ヤマヒル
チスイヒル(池や田んぼ)・・血を吸う。これ、子どもの頃、やられたことがある。
コウガイヒル・・公園とか住宅地にいるが、血は吸わない。

ヤマビル・チスイビルは環形動物で、ゴカイ類、ミミズ類と同じ仲間。(そうなんだ)
コウガイビルは扁形動物、ウズムシ類と同じ仲間。

●ヤマビル
色・大きさ・歩き方 赤褐色で背面に3本の黒い縦線・1.5cm〜8cm・前後に吸盤を持ち、しゃくとり虫のように移動
*活動時期
5月から10月(特に6月〜7月)気温が25度以上で雨が降っているとき、雨上がりに特に多い。 11月〜4月は越冬(土壌、苔、落葉、石の下など)。
越冬なんてするんかい!?
*生息場所
水分の多い沢筋、吸血対象となる動物が通る歩道や獣道、作業のために人の出入りが多いスギ林など。
*繁殖
雌雄同体。1回の吸血から産卵ふ化までは約2か月。
1回の産卵卵のう数は1〜9個。1卵のうで1〜8個体産まれる。
ということは、最大9×8=54
ってすごい繁殖力だわ、確かに。
*吸血方法
前吸盤の中央に逆Y字に3歯(顎歯という)が70〜80個並んでいて。吸血する時はこの歯を使って皮膚を逆Y字型に傷つけてヒルジンを出して血液を固まらせないようにして吸血し。それと同時に痛みを感じさせないモルヒネのような物質を出すため、吸血されていても気がつかない。
 血液を固まらせないなんて、まるでナットキナーゼかお前って感じだ。
 それと、モルヒネ的マヒ物質って、ジャ、ヒルにたくさん血を吸わせたら、さまざまな痛みが緩和される??
確か、西洋の中世、瀉血にヒルをつかったってなんかで読んだことがあったけど、これって、血を吸わせること自体ではなくて、このモルヒネ用物質に期待するものがあったのかなあ。
ヒルジンだって、研究によっては、血栓症の予防に使うことができそう。

*防除方法
市販の虫除けスプレー (雨が降らなければ3〜4時間は効果あり)
でわたしはこの前七沢森林公園事務所でお借りしたヤマビルファイターは、忌避剤
。ヤマビル研究会で手にはいるようだ。でも高い125MLで1300円ほどするよ。市販虫除けスプレーをガンガン足に散布して行くしかないか。
あと、塩だね。
これ、振りかけると、食いつかれてもはがれるように落ちるみたいだし。

それにしても、ヤマヒル、かなり絶妙な仕組みをもって、地球上で生き延びてきたようだ。あなどれん。
一見下等と思えるものまでここまですごいと、地球ってすごいな、ニンゲンはヒル1匹だっておろそかにしてはいかんのだと、恐れ入ってしまう。
・・・・
夏らしい日だった。
やっと、だ。



2006年08月01日(火) 今日は長岡空襲の日

1945年のこの日に、長岡は空襲された。
戊辰戦争で河井継之助が変なプライド見せて意地はったばっかりに、政府軍に焼け野原にされ、太平洋戦争では、山本五十六の故郷なばっかりにまたまた本格空襲を受ける羽目となり、焼け野原。
ちなみに長岡の市章(シンボルマーク)は、フェニックス。まあ、確かに、2度とも焼け野原から立ち上がったわね。まあそいういう意味を込めたシンボルマークだけど、これって考えようによれば、不吉だ。
これからも未来に渡って長岡に「破局」はあって、その度に立ち上がるマーク??いや、地震がいい例か。
地震ででこぼこになった道路はかなりきれいになったが、今だ山奥の道は手つかずらしい。
仮設住宅からの撤退の時期も迫っているが、まだ見込みもつかない人もかなりいるようだ。

今日は、盆参、といって、お寺にあいさつとお参りに行く日であった。
母の代わりに弟と一緒に行った。
で、「お斎?・・おとき」と読む・・精進食・・・をいただいて帰ってきた。
なんだか、だるこっくて、長い昼寝をしてしまった。
雨がかなり降って、湿度の高い晴れのせいだろうか。
暑いというか、湿っぽくてカビはえそうというか。
いつもは今日はお風呂介助の日だけど、あしたにした。
あしたは空襲犠牲者慰霊のための花火大会。
信濃川は水位が上がったまま。あげる花火師も、観光客用の桟敷を組むのも大変のようだ。
事故がないといいが。


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