世界お遍路 千夜一夜旅日記

2006年03月31日(金) 雪ってねえ・・

またしても淡雪。
まいるね。
せっかく咲いたクロッカスが縮こまっている。
パンジーは、冬の間は、死んだふりしていたが、ここに来て、ぐんぐん伸びている。
えらいやっちゃ。
学ぶことがあるね、この花には。



2006年03月30日(木) 積雪10センチ以上!だ

信じられない、この時期にこの積雪とは!
今朝は末弟の病院に行く前久しぶりに車の雪落としをした。
一気に2ヶ月ばかりも逆戻りした感じ。

川崎の小学生投げ落とし事件はショック。
川崎市の教育公務員であったもへじ。
他人事ではない。
教頭先生って、出ていた名前の人、知っている。
担任が、周囲が気遣うほど衝撃を受けていたって書いてあったけど、そうだろう。
わたしが担任であったとしても、精神的に立ち上がれないよなあ。
かわいそうに。
それにしても何で子どもを投げ落とす?
一体どうなっているのだ・・・・
ため息しかでない。



2006年03月29日(水) 荒れる、荒れる

天気予報はホントだった。
朝から、みぞれ、大霰(あられ)。
で、すごい風。
霰のでっかさにビックリしたが、それが道にたたきつけるように天から落ちてくる。
しかし、時々、すっかと晴れるが、雲は恐ろしい色合いをしている。
ほとんど、夏のアイスランドかグリーンランド、あるいはまた、北欧の北極圏の空模様だ。
旅がしたいな・・なんて、空からやってくるあられ雪ン子を眺めながらつぶやいた。
YHのカードは忘れているうちに切れてしまったし、自分の旅日記を読んで懐かしがっているわたしって、まったく蒸発したくなるぜ。
ま、これも試練かご修行か。
初歩き遍路の時は、先が読めなくて、時々、88番が異様に遠い気がしたもんだ。
マア、いつまた曲がり角に来て、またその先に旅が待っているか知れないのだし、アブナイことを考えずにガンバロ、と誓った本日の暴風雪。
わたしが蒸発したら、明日から歩行訓練が本格的に始まる末弟のリハビリが滞るし。マアイッチョマエの大人だったら消えることはできん。
ミエコの2番目のお姉さんが見えて(花粉症用にびわ粉末を取りに)、ものすごくおいしい桜餅とヨモギ餅を下さった。
桜餅が特にうまくて二こ食べてしまった。
多分、桜餅、今年初めてかな。
スーパーの桜餅は見るけど、まずそうで買う気がしなかったし。
今の居住地は便利だけど、さらにはうまいパン屋さん、うまい洋菓子屋さんは近くにあるけど、おいしい和菓子屋さんがないのが玉にきず。
一番近いスーパーにいちおう、一軒はいっているけど、物足りないのだわ。
うまいものを手っ取り早くゲットして食べることができたのは、やはりたまプラ在住の時であった。
何しろ、徒歩5分で、たまプラ東急のデパ地下。

ところで
彼女曰く、タイヤをふつうタイヤにしたのにこの天気、困るてえ。
いやまったく。
わたしは雪ん子の居残りを気にしていたので、まだ、してません、です。

それにしても、明日もこの天気なのか??



2006年03月28日(火) 3日間の雪マーク?

明日から、3日間雪マークで雪だるまさんが立っている。
暴風雪だって。
ほんとう??
今日は穏やかなよい天気、信じられないが・・・・。

玄関先のクロッカスの花がしっかと開花した。
チュウリップは日々、伸びている。
先日、実家からもらってきた県産のオレンジ色のチュウリップ、いいにおいがする。いただき物の土佐文旦といっしょに、お大師さんにお供えしていたのだが、チュウリップのかおりと、土佐分担のかおりがミックスしてなんともいえず。
春。
なのに、ホントにあしたは暴風雪?
ウーム。

それにしても、ニッポン、ニッポン文化、ニッポン語は、季節感である。
季節の感覚ないとニッポン語は一気にむずかしいぞね。
だもんで、こと細かく春チェック。

小学校に英語導入。
まあよろしいが・・・だけどだ、
その前にニッポン語だよ。
それにしても、これで国際化なんて思ったらいかんぜよ。
近未来、ニッポンも沈むんだ、だろう。
わたしが旅して思うのは、将来的に国家存亡の危機がありそ、と思われる国はだいたい、英語の早期導入をしているわね。
小学高学年くらいだと、「早期」にならないのかも知れないが。
だって、アメリカ人、彼らはバカなこともあるけど、英語以外のことば、勉強しましょなんていうのきいたことないでしょ。

話している人数からいえば、中国語が確か一番だし、将来的には、アラビア語だってあなどれん。だって、人口増加率は彼らがダントツだ。
金曜礼拝(男だけそろって、アッラーの神さんに五体倒地をしている)の夜は、子づくりの夜とムスレムでは決まっているようで、義務をはたさないと奥さんに「勘当」されてしまうらしい。
話横道だが、とにかく、意識的、無意識的に国家的危機を感じると他国のことばをやらねばとなるものらしいのだからして、私はやはり、この国はいずれ沈むのだろうと。地球温暖化なのか、ブッシュのポチになったせいでの政治的破滅なのか、原子力発電所が地震で壊れてこの国全体が汚染されるためなのか・・それは知らない。

ネットを入れたついでの日記書き。
マア、継続は力なり、ということで。
終わったらネットはプチです。



2006年03月27日(月) 尊厳死と延命停止のちがい

難しい問題だ。
しかし、例えば、「安楽死」が容認されているオランダでも、絶対独断では決定しない。
今文書資料がないので、正確かつくわしくはかけないが、本人及びホームドクター、さらに第3者的人達で、委員会的なものをつくって検討を加えたのち本人の意志がかわっていないと再確認したのちに遂行される。
(本で読んだのだが、記憶ではそうだった)
富山、射水市民病院の例の場合、あまりに迂闊で軽々しい呼吸器はずしであったと思うのだが。
しかし現実問題として、今はダメみたいと分かって、3ヶ月は生かしてくれるもんね。父は苦しそうだった・・・わ。
母の姉なんて、もう2年近く昏睡状態で延命している。
うーーーん。
いたずらに延命してもそれで?と思うところはあるが、しかし、なにより本人の意志と家族の思いとをしっかり慎重に確認した上で、ということになるのだろうなあ・・・

わたしは、このところは会費を払っていないが、実は尊厳死協会に10年以上前にはいっている。
わたしは管つけられるんだったら、おへんろして道ばたで死にたいですね。
ないしは人気のない森の奥に掘っ建て小屋を立てて、そこで終日瞑想かなんかして、自然の一部になって快復を計るか、自然の一部として朽ちるか。
そんな展望をもっているのだが。
(今だって、事情が許せば、森の奥深くで水の音や風の音が聞こえるとこで暮らしたいと思う)
死ぬ前日まで働きたい、それが基本的思いでもあるし。
人の手足は、働くためにあるのよね。

結論
死ぬ自由は自分の手の内におきたい、わたしは。
医者にゆだねたくはない。
死ぬときは自分で決める!のだ。
インドのサドウたちは自分の死ぬ日は自分で決めて、ホントにその日に逝くというし。日本人のわたしにもできぬわけがない・・とおもうんだけどね。



2006年03月26日(日) 日本文理、おめでとう

日本文理が新潟県のチームとしては初めて選抜の1回戦を勝ったわ。
南や太平洋側のチームが外で晴れ晴れと練習しているとき、外は雪だの吹雪だので練習でなかなか思いいきり練習できない土地柄なんで、がんばったね、である。
おめでとう。

久しぶりに実家方面へ田んぼの中の道を走ったら、雪がだいぶんとけて、たんぼが見え始めていた。
いよいよ、春ですなあ。



2006年03月25日(土) 亀は万年

先日、ここに来ている中学生に新聞ははしっこから読め、はしっこに「ほおお」というニュースがあることが多い。
と教えたんだけど・・・そのときは地元紙夕刊すみには、先日書いたご飯どろぼう、東大卒の女性浪曲師デビューの話があった。
今日は、インドの動物園で、252歳のゾウガメご逝去の話し。
ふーーーん。
亀は万年と言うけど、やはり、そうなんだと考えさせられた。
252歳死去の原因は肝臓病らしい。
カメの肝臓って、どこあるんだろ??
サルの生き肝じゃないが、何だか漢方薬の原料になりそうだけどねえ。

このところ、何だか眠くてたまらない。
春眠、惰眠の季節到来か。
「暁を覚えず」ってことはないのだが、昼間眠いのだ。
今日も昼寝たっぷりとしてしまった・・・ああ、いそがしいのに・・・



2006年03月24日(金) 実名公表

例の永田議員が実名公表した。
「西澤」とかいう名前は、週刊誌やネットではとうの昔に出てきていたけどこういう形はでは初めてだ。
で、ご本人は「偽メールを提供した覚えはない」と。
この西澤という人が創刊する雑誌試験号の2号表紙になったのは永田議員で「自分のことばを持つ人は、必ず時代を動かすはず」とかって、持ち上げられていたとか。(ヤフーニュース)
いや、確かに「動かした」よね。
民主党を圧倒的に不利にした。
持ち込み者のウワサは、ネットのあちこち読んでもよくなかったようだし、そういうこと調べなかったのかねえ。うたがわなかったのかねえ。
オバカ。
持ち上げられて「飛んだ」ってわけね。
いやはや。
政治家ならば、常に自分をはめようとしているヤツがいる、利用しようとしているヤツがいるとかって、構えて、こういうトンデモ騒ぎになりそうな情報は精査して、基本的には深入りしない。
って常識でしょ。

情報提供→提供者身元やウワサを調べる→情報の真偽を内定する→裏がとれたらどういうふうに質問材料として扱うか検討→メールを国会で公開・質問した場合の影響と展開→この段階で告訴されるだろう、という腹が必要(そりゃ、相手にとっても政治生命や信用・名誉がかかっているんだし)→絶対ネタもと確か、それを補強する材料もそろっているということなら、腹をくくって質問→ここまでの自信がないなら「・・・しかじかのメールを入手したが、真偽のほどは如何」くらいで止める→否定されるだろう、当然→詫びる→証拠はないけど、やっぱりね、ありそう・・という一定の「灰色イメージ形成効果」は上がる
くらいは想定してほしいモンだわ。
シロトのわたしでもできまする。

あの、自民党の泰蔵議員っていうのも、ドアホみたいだけど、永田議員も「アホ」でくくれるねえ。

このニュースを読みながら、あらためて永田議員の顔を眺めて顔相診断。
思いついたままに列挙
1大手銀行の行員、あるいは大手企業のサラリーマンといわれても通る。
2典型的お坊ちゃん顔。
3優等生が失敗して、オドオドするときの目の色をしている。
4手の位置を見ると、なんというか、多分かなり汗をかいているだろう。
5自殺の危険があるので、家族と共に入院したというのはあながちうそじゃないないあ。政治家としての腹の座りは、まだ、ナシ、だし。
6苦労なしまじめ系なんで、まあ、今度のことを肥やしに成長できそうではなる・・が。がんばれってとこか。

実にお粗末な結末。
というか、まだ終わりそうもないけど。
「西澤」が実は自民で、それも小泉の後継者争いに一枚かんでいるお方と裏でつながっていて、武部氏をはめるために敢えて偽メールを流したなんて展開になったりしてね。
あるいはまた、単に民主つぶし。民主分裂の画策。
コメディホラーかミステリーか・・となりました、チャンチャン。

春ってかんじ。
暖かな1日だった。



2006年03月23日(木) びっくりして、かなしい

◎地元紙に
教員のお父さんが3歳の娘に性的虐待を加えていて家族が警察に通告したという仰天の記事が載っていた。
その「お父さん」は事実無根だといっているらしいが。
どうなっているのだ?
◎昨日の夕刊
佐賀だったかな、お金がなくてご飯が食べられないので、近所のうちの窓から、1膳半ほどのごはんを盗んだという記事あり。以前もおなかが空いてごはんを盗んだことあり。
これもビックリした。
敗戦直後ならこの記事、納得だが。

どちらもビックリ奇々怪々。
そして、あまりの貧しさにかなしい。
心の貧しさ、政治の貧しさ。

今日、郵便局まで手紙を出しに歩いた。
往復15分ってとこか。
いつの間にか道筋の雪がきれいに消えていた。栖吉側土手の雪もなくてなにやら、芽吹いていた。
こんどこそ、本格的に春が来たようだ。

新潟県上越市震度2。
さっき帰った子どもが「大地震来るかな」と心配していた。



2006年03月22日(水) あっという間に、夕方が来る

朝7時半に末弟の病院に「出勤」
あれこれ世話を焼いて、9時前に帰ってきて、家事を少々。
で、9時半からは塾のあれこれ、ビワの雑務などなど。
で、すぐに昼が来て、夕方が来る・・・
今日は子どもたちが来る前に新しく開いたスーパーへ行って来た。
きのこがすごく安かったので、何種類か仕入れてきた。「元気はつらつきのこスープ」をつくろうと思う。
塾も乱立だけど、この町、スーパーも乱立気味だ。
今日行って来たスーパーの向かいには、やはり、昨年秋に開いたばかりの大型スーパーがあるのだが。しにせスーパーチェーンが先月つぶれている。
これは多分、日本の地方都市、全体の特徴かもと思う。
どこも、惣菜売場が充実しているが、しかし、味が濃いのが気になる。
塩の取りすぎはまちがいなく高血圧だし。
わたしは、先日病院の機械で計ったら、下70,上117。脈拍90だったか。
お陰様で問題はないと思うけど・・・でも時間がなくてつい塩辛い惣菜を買って食べてしまったとき、後悔する、ああ成人病予備軍だわよ、と。

それにしても、暖かくなった。
自転車に乗った高齢者が多くなって、それが道のばっちゃく中(道のど真ん中)をよろりよろりと走っておられることだ。
クラクションはよほどの危険がない限り鳴らせないし、通り過ぎるときにふらりと前にでられたらどうしょうか、と気をつかう。
まあ、ゆっくり走ろうニッポンの道、なんだろうな。



2006年03月21日(火) 王ジャパン、おめでとさん

野球、優勝しました。
ご立派。
おめでとうさんです。
今日は、お彼岸。
みなさんのお力をお借りして遍路道中物故者供養の碑を建立してちょうど1年になる。あっという間の1年だった。

塾の方は、ボチと申し込みをいただいている。
(ボチボチ、まあまあといかないところが悲しい)
お申し込みはありがたい・・・しかし、今年も持ち出しが続きそうで頭が痛い。
1月から地元の生活情報誌に何度も載せては見たのですが・・・宣伝費はかなりかけた。知名度は高くなったと思うが。
地方都市で、少ない生徒を巡って、塾の数が多くて・・・。
ちなみにこの頃地理が明るくなって判明したこと。
近所に歩いて10分範囲で、大小11軒の学習塾・英語塾がある。
まあ先はあんまり明るくない。
というのが冷静な分析である。
週4日やって、1日平均10人程度の生徒さん、4日で40人程度おいで下さればと考えていたのだが。
なかなか。
この数になるまでにぽしゃりそうな感じだわ。
来年もこのままだと、ほかの方法を模索しなければならないだろう。
さらには家賃等が高いここは撤退して、とかいろいろと考えないといけなくなると思う、というのも冷静な分析だ。
冷徹にいえば塾は、教育というより「経営」なんだよね。
「経営」って私の苦手分野だ。
だって、お金の計算できないんだもんねえ。
ただ、国語力はすべての基礎。この低下が世の中まで悪くするという私の持論は変わらないので、塾がダメであっても何らかの形で私ができる方法でささやかであっても世間に貢献したいとは思っているが。
そういうことで
末弟がまた高熱を出したと母から電話は来るし、で。
朝は元気だったのに・・・全く暗いですわああ・・・(院内感染を畏れている)
でもま、、野球の世界一、おめでとう。
明日は明日の風がふく。
何とかなるでしょ。
天地の理が私に何かをさせたいと思っているのなら、それなりに道は開けると思っている。
私、やるべきことはやっている、それは確かだ。
この点では胸をはれるから、明日死んでも後悔はない。
ただうちの中が「ダラコッペ」(部屋が片づいていないの意味の長岡弁)なのがヤバイが。(笑)
事故で車が目の前に迫った一瞬「死ぬ」と思ったとき、この世に後悔を残さないのが速やかに「あちら」に行く、つまり成仏できる手っ取り早い方法だと悟った私なんで、1日ずつ後悔しないように生きようということは肝に銘じている。
4月になったらヒマをみて、ダラコッペは片付けないといけないなあ。






2006年03月20日(月) 小五の自殺

北九州で小五が先生にしかられて教室を飛び出して自殺した。
なくなった子、今頃、あちらの世界でドギマギ・・・親のいる現世に帰りたいと激しく後悔しているだろう。そんな感じがひしひしとする。
かわいそうに・・・
それにしても、担任は教室を飛び出した時点で、何故親に速かに連絡をしなかったのか。
わたしが教員をしていた10数年前でさえ、それは「常識」の世界だった。
そうすれば、ふせげた可能性がすごく高い。
残念だ。
自殺まで考え及ばなくても途中の事故等、いろいろと想像すれば電話1本かけるべきだったよねえ。
ホントに実に残念。
命は戻らない。
担任も十字架を背負った。

今日もなごり雪。
夕方は晴れて星もでているが、めまぐるしく変わる天気にむしろ春を感じる。




2006年03月19日(日) 野球、決勝

3度目の正直。
6−0
おめでとう!

きょうはまたしてもなごり雪だ。
いやはや
空にはまだ雪ン子が居残りしているようだ。



2006年03月18日(土) 地元の火災

ここ数日で、家族四人が焼け死ぬ、父・兄弟二人が亡くなるといった火災が地元で相次いだ。
4人の方は、家の周囲の残雪が多くて、家から出るに出られなかったみたいで、2階から飛び降りた幼い兄弟のみが助かって、お母さん、お姉さん、祖父母は全焼のうちの中でなくなった。
仕事から帰ったお父さんが茫然自失だったとか。全く、そうだろう。
想像すると、つらい。
火災は去年4月自分もここで出しそうになって、神仏に教えていただいて、難を逃れたという思いがあるので、他人事ではない。

火災がでやすい年、あるいは日があるとなんかで読んでことがあるがそういったことと関係しているのだろうか。

姫路の火炎瓶投げ込み事件、鹿児島やはり橋下を住居にしておいでになったご夫婦の火災・・などこのところ新聞でザッと見るだけでも続いている。

もっとも姫路の事件は、火災と言うより少年犯罪の領域だろうが。

あれはひどいよ。
やった少年たちは重いものを背負った。人生の入り口において、因果応報をやってしまった。
人にひどいことをすると自分に返ってくるってこと、もっと「畏れる」ことを子どもの時から大人は教えないといけない。親の仕事。社会の仕事。社会のできごとは大きく見ていると、因果応報は見えてくるからして、それを親はしっかと子どもに話すべきだろうよねえ。あ、でもこの頃は親がそこまでもの考えないか・・・
少年犯罪を大人の犯罪よりもきつい刑罰にすべしというアンケート結果がでたと言うが、これまた悲しいこと。
それでどうなる?
感覚的に言うと、こういう社会の意識がニートを増加させているんじゃないのか。
関係なさそうだけど、関係あると思うが。

このところ、疲れる。
春になると毎度のことだけど。
毎年カゼを引くのが春だけど、今年は引いていないのがえらいと自分をほめつつ、疲れが来るとごろごろしてしのいでいる。
やたらに仮眠をとって、元気になるとおきだしてぼそぼそ、うろうろ。
今も日付け変わった夜中。
まるで、イエネズミだねえ・・・




2006年03月17日(金) そりゃないでしょ

ビワの体験に来られた方が言われた。
「病院の担当医に70過ぎまで生きてるから、こんな病気になるんですよって言われたんですよ」
えええ・・・・
「そうですねってうなずいて帰ってきたんだけど、だんだんくやしくなってきて、もう腹が立って。じゃ70歳まで生きてはいけないのか、って思いますよ」
いやまったく。
聞けば30代のドクターらしい。
大学や研修医時代に、患者のメンタルと病気治癒について学ばなかったのかねえ。
というか、常識的に考えても口にはしないよね。
自分の親はじゃ、長生きして欲しくないのかねえ。
ただあきれましたわ。
今は、患者にさわれない若い研修医がいるって聞いたことがあるし、ビワをしながらそんな話しをしたら、その方も「そうですよ、若い医者の卵の人がわたしにさわらせて下さいって言うから、どうぞというと、あの薄い手袋をはめてさわるんですて」
えええ・・・
いやはや。
じっくりお話を聞いたのちに、ビワを・・・で2時間を費やす。
ぜんぜん「お仕事」にはなっていないのですが、さっぱりしたお顔で、身体が軽くなったとうれしそうに帰っていかれたので私もよかったと言うことで。

・・・・・・・・・・・・・

雪はたちまちのうちにとけてしまった。
天気は悪いが雪はふらなそう・・今晩も雨かな。




2006年03月16日(木) この世の不公平

小学生2年・3年としゃべっていて「え、今戦争しているとこってあるの」
あるよ、イラクなんて今でも毎日何十人も人が死んでるよ、君たちのような子どもも毎日のように死んでる。
マジィ
まじまじよ。子どもの父さんや母さんが死ぬこともある・・・(二人はシーン)
でも、長岡もさ、せんそうで人が死んだよね。
65年前だね。長岡祭りは、長岡空襲で死んだたくさんの人達のためにするんだよ。
え、どうして。
死ぬと、人の魂は天に帰っていくって言われているんだよ。だから、天に帰った人達に、死ぬとき熱かったでしょ、痛かったでしょ、みんなのこと忘れていないよ、もう戦争しないよって言うことでお祭りして、天に近いとこできれいな花火をあげてお慰めするんだよ、それが長岡祭りの始まり。
フーン、はじめてきいた。
(ガッコの先生、話してくれよ。平和教育してほしいなあ)
それから、ずっと日本は戦争しないできたけど、今は戦争のお手伝いに行き始めているし、お隣の国と仲良くしなければいけないのに、仲悪い。
戦争にならないか、心配だね。
日本の味方ってだれ?
アメリカってことになっている。
でも、アメリカは守ってやるから、2兆円近いお金を出しなさいって言っているよ。
無理だよ・・
でも、お金を出すとホントにアメリカは守ってくれんの、味方になってくれんの?
(鋭い!!)
さあ・・・分かりません。

なんて話を真剣にしました。
きょうは手紙文を書こう3回目だったのですが・・話し横道で。
こういう時の子どもって実に真剣で、わたしは子どもとこういう時間を共有できるのが幸せ、なのである。
「こういう話はむずかしいね。もっと大きくなったら、またしようね」
「センセ、オレらが大人になったら、死んでるでしょ。ガンかなんかで」
「いや、生きているぞ、体鍛えて、ホントのばあさんになってもがんばるぞ」
大笑い・・
「空から爆弾も落ちてこない、戦争がない国にいる君たちは幸せなんだよ。勉強も運動もがんばらないといけないと思う」ということで話は終わりました。
彼らはうなずいてくれました。

・・・・・・・・・・・
2日もたない天気。
明日はまた大荒れらしい。
きょうは、何だかお疲れでお腹が痛くて(すごい下痢)昼日中、寝ていた。
もったいなや、と思ったけどしかたない。長生きしないと(笑)




2006年03月15日(水) 晴れ!民主党、国語力不足

晴れました。
で、あっという間に道が乾いて、40センチはゆうにあった雪が半減しました。
このあたりは実に春。
私も郵便局に歩いていってきましたわ。
最近、歩いて10分のところもつい車に乗ってしまうことがあるので、肥満防止にもあるし、歩かねばと。
青空の下を歩くのは気持ちよかったですねえ。

民主党が六紙に例の「永田ウソメール」の件で、謝罪広告を出した。
武部幹事長次男さんも、告訴を取り下げたようだ。
しかし、大多数の庶民は、単に証拠がないだけで、もっといえば民主党がしくじっただけで、堀江容疑者との間になああんにもないなんてことはあり得ないと感じていると思う。
多分、金品のやりとりがあっただろうと・・・証拠はないけど・・・。
まあ、告訴を止めたのは、これ以上は腹の中追求をされたくないということではなかろうか、とこれまた庶民のげすの勘ぐりで。
しかし、こういうのって、大はずれっ放しってことはないのよね。
それにしても、永田議員さんは「国語力」がないよね。
メール見て、それだけで断定しないで「・・・と聞いている、ついてはこのようなメールを入手したが、真偽は如何」とやるべきだったのだ。
推定伝聞的言い回し。
たとえ武部氏が否定しても、よし。
十分効果あり。
それだけで「灰色」が彼、及び自民党執行部に塗られるわけで、そういう作戦にすべしだったんだよ。
・・・と聞いている、ウワサがある、的なニュアンスならここまでダメージを受けなくてよかったのにさ。
民主党、国語力不足だ!
それにしても民主党の脇の甘さ、永田議員に限らずあの前原代表も軽い。
それはお顔相を見ただけで感じる。
あの顔相では、民主党は選挙にも勝てないと思う。
交代した方がいいと思うけどねえ。
人相の悪さというか、酷薄さが顔にでている点では、小泉と変わらない顔だとわたしは思っている。

さあ、きょうはこれにてネット終了とします。



2006年03月14日(火) 何でこんな日にモニタが死ぬ?

雪、雪、雪である。
2月末から3月はじめの暖かさは幻であったかのようだ。
で、今朝は、末弟のリハビリ開始の日なので理学療法士の先生の挨拶をして病院から戻ったのが昼。
パソコンを入れようとしたら、モニタのスイッチがプチ。それっきり。死んでしまったようだ・・・うそおと何度も押したがだめ。
何で今日のような大雪の日に死ぬんだ!!
君も5度温度が下がったら、お葬式がふえるの「ことわざ」にしたがッたのか!
と怒ってみても、シーン。
ご苦労様でした・・・ですな。
2000年4月からよう働いてきてくんなすった。
合掌
で、じゃ、どこに買いに行くか?
私、パソコン量販店シラン。
勤務中の甥っ子に電話して、PCデポとラオックスの位置を聞いて走る。
それで、ラオックスで液晶17インチ29800円でゲット。
いっちゃん、安いのです。
今はその画面で書いている。
さすがにきれいだが・・まだ慣れぬ。
それにしても、この忙しいときにすっかり予定が狂った。
ヤレヤレ。

そうそう、末弟は骨折前に体重が91キロにもなって、私が「91キロショック、ダイエット戒厳令」と施行しようとしていたら、転んで自分の体重で足を折ったわけだが、入院以降、熱が下がらずにドクターが足以外の病気を怪しんでCT。そしたら、何と何と肺に影。どうやら水がたまっていたらしい。
デブが安静になるとこういうことが起きることがあるとはドクターの説明。
納得。
もちろん、ドクターは、デブとは言わなかったが、太った人であったが。
多体重は、やっぱり百害あって、一利ナシと了解した。
私もこれ以上デブにならないようにしないと自分を戒めた本日であった。
さあ、今日予定をこなさないといけないぞ。



2006年03月13日(月) 積雪20センチ

朝、久しぶりに車の雪落としをした。
おまけに鍵穴は凍り付いていて、こまった。
だいたい20センチほどの積雪があったようだ。
世間は再び真っ白のまん中であった。
寒い。
うちの中で育っていた菜の花を外に出したとたんの雪で、かわいそうなことをした。
姫路の破磐神社の宮司様より、「イカナゴのくぎに」イカナゴパックでいただいた。
おいしくてごはんがお代わり3杯、の三杯飯。
ありがとうございました。
姫路では、これは解禁になって日々この魚が大きくなると春が来て春が長けるってことだけれど、確かに春は来ているのだと。
積雪20センチの屋根を見ながらの「春告げ魚」のクギ煮を頂くのは格別でありました。
それにしてもなつかしい味で、姫路が恋しくなりました。

ちなみにまたまたキリ番 90990
自分でキリ番でどうする、だけどね。



2006年03月12日(日) なごり雪は降る時を知り・・・

本日、なごり雪。
昨日の「春春」がウソのよう。
ミロシェビッチ元大統領が亡くなった。
独房で一人で・・・ウーン、かわいそうだが・・・しかし、因果応報?
やっぱり天にはでっかい目玉がいて、あさはかなニンゲンたちのふるまいをしっかと見ているような。
「天よご照覧あれ」(走れメロス、メロスの言葉より)って生き方すべしなんだろうな。

中国籍から、日本に帰化したかわいいげな女性が夫殺しを画策。(そして成功・夫の両親も殺しているようだ)
この事件は「中国嫁って恐い。中国人は悪い」というイメージを増進させるね・・・大方の中国からの女性は、ちゃんと苦労しながら生きておいでになるでしょうにねえ。
悪い人は、国籍・人種関係なく悪いんだけど、でも、滋賀の次にこの事件、だもん。まずいね。
それにしても「殺されるかも知れない」と思いながら、ついにインシュリンで意識不明にされてしまう男の恐怖って、これ、ホラー小説の上をいっている。
人身売買に近いような形で、お札で顔なぶるように嫁をもらう(結婚じゃない、あくまでも前世紀嫁をもらう)、それをビジネスにしている人達がいる(アフターケアをしなさい、といいたい)。ここに幸せはないってことなんだろうが。
でも、人口比的にいうと、30代40代、女性の数が少なくて、当然あぶれる男がでるから、ビジネスが生まれるのはしかたない現象なんだろうけど・・・。じゃあ、せめて、中国人花嫁と楽しく暮らす方法や幸せになる、する具体的なあれこれを男たちにレクチャしてから来ていただく方がいいと思うんだが。魅力なかったら、殺される???ウーム・・・・
私の中国九回訪問で見る限り、中国の女たちはたくましいし、したたかで生活力に溢れている。日本に行って幸せになる、生活を築いていくという上昇志向が強い人はまさにこれ、だろう。
こういう人達と、互角にやるには、幸せつかむにはそれなりの覚悟もタフさも男としての自信も必要だろう。それは、たぶん、日本の女性と暮らす以上に必要だと思うのだが。
インスリンを打たれ意識不明の男性にはお気の毒としかいいようがない。
殺されたご両親共々、どこかでまちがってしまった・・・んでしょう・・・・合掌、です。



2006年03月11日(土) 自分にビワ

首筋がいたい。肩付け根に何だか、コリがある・・・で、自分で、自分にビワをしたら、午後になって「副作用」の眠気が来て、久しぶりにお昼寝を2時間近くしてしまった。ぐっすりねむれる・・・不眠症でお悩みの人などには、副作用ではなくて、「福音」になるんだろうが。
いや、時間をソンしたというか、失った気分。
ミエコに出発前に電話しようと思っていたのに、大失敗、寝ていて。
まあ許せ。
さあ、今日は確定申告を完成させないと。
あとがない。
ネットはこれでプチ。

それにしても、今日は暖かくてよい天気だった。
春春春。



2006年03月10日(金) しばし、お別れ・・ミエコ

ミエコが明日帰る。
で、温泉とうちでお昼ごはんの会をした。
メニューは彼女からリクエストのあったものだ。
海鮮ちらし寿司
ノッペ汁(新潟名物)
長芋の千本切り
ぶり大根
茶碗蒸し
以上リクエスト品
+もずくの酢の物 春雨の澄まし汁 デザート 日本茶とお菓子

うん、ひっさしぶりに料理をしました。手の込んだ・・・
それにしても、こんな純和風が好きな人が何の因果でオランダくんだりに住んでいるのかと思う。

弟の病院から帰って、大車輪で2時間で料理して、11時過ぎに迎えにいって、ミエコのお姉さんと3人で桂温泉へ。桂温泉は、自噴、加熱ナシのかけ流しで、近隣では随一の湯。
気持ちよかった。
ごはんのあとは、枇杷温熱療法サービス付きでした。

しばらく会えない。
またね、の一日だった。
10日なんて、あっというまだったねえ、ミエコさん。



2006年03月09日(木) お日和でございました

実によい天気だった。
チュウリップやクロッカスの芽が一気に伸びた。
昨年秋に植えたパンジーは、冬の間死んだふりしていたが、今やむっくり起きあがってこれまたつぼみを膨らませている。
えらいモンだ。
廊下や玄関先においた植木がずいぶんとやられた中にあって、そのたくましさに脱帽。
通路においたサンスベリアは根が凍って(12月、1月に屋内も零下になったようだ)腐って死んだ。
コバンの木は、葉を落としてやっと生き延びた。
次の冬は温かい3階に持ってきてあげようと思う。
実家に持っていったガーベラは、わざわざ植え替えをしたのに、屋内においてあったにもかかわらず、ご崩御。
今冬の並々ならぬ寒さが植木の惨状で分かる。

山には雪が残るが、カスミが立っている。
いい感じの季節。



2006年03月08日(水) ビワと花粉症

今日は、ビワの会社の方が「どんな具合ですか」ということで見えた。
まだ、ボチボチと知り合いの方々にしているだけですという話をした。
そのおりに、ビワ製品の効能について報告した。
岡山の友人Kさんは、すごい花粉症なのだが、ビワの種が楽にしてくれるようだ、ということを私のこの日記で読まれてほしいといって下さった。
お送りしたら、やっぱり有効だったらしくて、ずいぶんと楽になられたらしい。
ただ、ビワ効果が切れるとまた出てくるらしいが。
今日なんて、SOSメールが来てしまった。ビワが切れて、すごい症状だと・・・。
月曜にお送りしたのだが、そういうことなら、宅急便で出せばよかったと後悔。それでも、午後には到着して、速攻で飲んだらヤレヤレだったとか。
一応、会社の人の説明ではすごく楽になる、花粉症90から95%の人に効果が見られるとは聞いていたのだが、Kさんの体験でホントだわと実感した次第。
安いものではないので、使ってもらって効果がなかったということになると、申し訳ないのだが、SOSメールが来るほど、効果ありでよかったと思う。
私も桜の下で花見酒をした翌日、熱が出る鼻水、涙、くしゃみですさまじい状態になったことがある。医者に行ったら、桜花粉症だった。あの時はホントにしんどかった。だから、花粉症の人の大変さはそれなりに分かっているつもりだ。ビワの種が花粉症の苦しさを緩和してくれるのはすごいと思う。
なお、ビワの種はホントにビワの種を砕いて焙煎したもので、副作用などは一切ない。ビワに含まれる有効成分のアミグダリンが種には飛び抜けて多いのだ。

お子さんだが、アトピーの緩和にやはりビワの種、ビワの葉茶、ビワの葉の湯、ビワローションを使われて効果があった。
これも、その効果の出る速さにビックリした。
子どもだから、体が素直なんだろうと思うが早かった。
数日だもの。

かつて、インドではビワの木は薬王樹、葉っぱは無憂扇といわれて病気治療に卓効があったといわれている。(お釈迦様の薬)
中国然り。中国でもビワは、漢方薬の原料として使われている。
日本でも、光明皇后の施薬院などで使用されていたらしい。
明治期になって、愛知県の寺のお坊さん(今資料がないので、正確な名前などが出てこないが)がビワの葉に経を書いすりあわせて体にすり込むやり方で数万人の病人を直したとして知られている。
民間療法ではある。
しかし侮れない。




2006年03月07日(火) 久しぶりの地震

昼ご飯を食べていたら、揺れた。
震度3か2かというところ。
さっきネットで見たら、震度2。
震度2の地域を見ると、余震かな。(というか、まだ余震といっていいのかどうかは疑問だが)
自宅は建物の3階にあるので、おまけのこの一帯はその昔田んぼだったところでけっこう揺れた。
昨日、このところ大きな地震がないと思っていたら、きっちり自分とこが揺れましたわ。
それにしても、震度2くらいではまだまだ。
震度4,5あたりがこのところないので、、かえって心配で。
満月の14日あたり前後3日が要注意だと思う。
昨年福岡の地震は3/20日だったが・・・。

いい陽気になってきた。
昨三月は、私が引っ越してきた17日でも雪の壁だったが、今年はない。着々ととけている。
ええことだが・・・私は何だか眠くてしょうがない。これもまた春・・か。



2006年03月06日(月) 900人殺害の衝撃

香田証生さん殺害のフセイン・ファハミ被告は、仲間と共に900人あまりの人を殺したという。
衝撃だった。
900人・・・とは・・
イスラムとて、人殺しは容認していないはずなのに。
交通機関の発達で地球はせまくなったけど、人の心は多分冥王星ほどに離れてしまった・・ようだ。
ホントにショック。
今や、世界の紛争地帯で、こういった神経の持ち主がふえているように思う。
子どもの時から、平和の実感がなくて大人になる。
少年時から、兵士として、人殺しに加わる。
900人ショックはこんなところから生まれているのではないか。
多分、ニンゲンは、やはりもう滅びるべきなんだろうと思う。
冥王星ほどの距離は縮まらないような気がする、残念だが。
出直ししたほうがよろしい。
温暖化による不安=ノアの箱舟時代になっているのかも知れない。
とにかく、900人ショックで、今日の私はウツになった。





2006年03月05日(日) 元気はつらつきのこスープとおいの誕生日

甥っ子の誕生日。
「元気はつらつきのこスープ」を作って持っていった。
ご本人の希望で、メニューはしゃぶしゃぶ、ブルグのイチゴケーキ。
ブルグは弟の友だちがやっているおいしいケーキさんでうちは何かの時はブルグのケーキだ。
おいしゅうございました。
今は、お腹がいっぱいすぎて、アタマがオバカになりそう。(血がみんな胃袋に下がってきている)
やることがあるのだが、とりあえず、少し眠ってから夜中おきにしよう。

(元気はつらつきのこスープの作り方)

シイタケとキクラゲを戻しておく。
エリンギ、柿木茸、シメジ、マイタケ、エノキ、ニンジンを切る。
生姜、ガーリックを刻んで、ごま油で炒める。
そこへ豚バラ肉とタマネギを入れてこれまた炒める。
タマネギはしなしなと色が変わってきたら、切っておいたきのこ・ニンジンを炒める。
シイタケとキクラゲも、水気を切って炒める。
戻し汁は捨てずに入れて煮る。
水とお酒を適量入れる。
20分ほど煮てから、黒胡椒と、塩、醤油少々で味を調える。
(塩味を基本とするが、鶏ガラとかコンソメを好みで使うこと可。寒いときは若干クズをかくとろみがでて温まる)
最後に、黒ゴマを煎って半殺しにして(ややつぶして、栄養の吸収をよくする、味も良くなる)適量いれる。
これは少し残しておいて、盛りつけのときつかう。
お椀によそおったら、ゆでたほうれん草を彩りにのせてゴマものせる。

やさいスープ、海藻スープ、きのこスープは私の得意料理の3大メニューだ。
できるだけ多くの種類を入れて、ぜったいつかうのは、ネギ(またはタマネギ)、生姜、黒胡椒、ゴマかな。
きのこスープは時折無性に食べたくなるメニューの一つ。
味は薄味にする。
きのこの香りが生きる。
濃い味好みの人は自分で味の調整をしてもらうがよろし。
多分、きのこの菌力なんだろうけど元気になりまする。
お試しあれ。
少しお腹にすき間ができた、横になってもダイジョブそう。仮眠に入ります。(苦笑・平和すぎるニッポンやのう)








2006年03月04日(土) 温泉へ

早朝、末弟の様子を見に病院へ。
水を飲めるようになっていたのでヤレヤレ。
帰ってきてミエコのお家へ。ネットで地図を調べて、電話して聞いて。
電車やバス、誰かに乗せてもらっていくことはあっても自分で運転していくのは初めてだったのでドキドキしながら到着した。
彼女を乗せて、「アクアーレ長岡」なるクワ施設へ。
温泉とプールその他の癒し系がそろっている。
ゆっくり温泉に入って、ランチしてしゃべって。
アムスの彼女の知り合いで、わたしも知っている人達の近況を聞いた。
私やミエコと同じ年齢で、お子さんを残してガンでなくなった人あり。
ショックだった。
帰りは、土産に「ナルト」(忍者学校のマンガ)を子どもに頼まれているというので、ブックオフ。
それから、地震の爪痕をお見せするべく、地震で建物が傾いて廃業した温泉宿にいったが、雪で亀裂などが見えなくなっていた。
お天気もよくて、いい完全オフをした。
私も今年に入ってこんなにゆっくりしたのは初めてだ。
彼女は来週末には帰るので、金曜にまた温泉に行こうと約束している。









2006年03月03日(金) ひな祭り

実家へひな祭りちらしをつくってとどける。
ごはんは、黒米入りのピンク色。
具:錦糸たまご しいたけ サーモン イクラ ホタテ むきエビ 最後に刻み海苔と貝割れ菜
定番系の海鮮ちらし寿司。
ちらし寿司って、お米がおいしくて、具にお金をかければ、かなりおいしくきれいにできるので、私の中ではランクが低い料理だけど、実際、おいしくきれいにできた。私の独創は、すし飯に、ナマ生姜のチョーみじん切り適当量を混ぜたこと。
私は「生姜教」なんで。

末弟のオペ、最後の最後まで時間が決まらずに困ったけど、何とか午後3時35分にオペ室に向かった。
今日は熱も下がって、ヤレヤレで。
で、午後7時20分戻ってきた。
折れた左足に、金属が2本入った。
オペ後説明では、全体重をかけられるようになるまで1カ月・・・だって。
けっこう病院にいることになりそうだ。
困ったね。
戻ってくるまで、母ともう一人の弟と3人で待ったが、母がグチる、グチる。
何であの朝、凍っていたところに水か湯を撒いてとかしておかなかったのかと。
今さらのことをいってもねえ・・・だけど、親としてはそうなんだろう。
戻ってきた末弟の開口一番
「でっかいケーキが食いたいなあ」
「よし、リハビリがんばって歩けるようになったら、でっかいケーキでお祝いしよう、がんばれ」
と、下の弟。
「万歩計の誕生日プレンゼントの約束、忘れていないから、がんばれ」
とわたし。
母は泊まりたかったらしいのだが、ナースに「お泊まりになりませんよね?」
ベットまわりがせまいので、泊まられると、自分たちの仕事がしにくいので、帰って欲しいということ。
もちろん、完全看護なので泊まる必要はないのだが、母としては不満そうであった。
とにかく終わった。
後は、この先のリハビリ、早くくずれた生活スタイルを取り戻せるように、叱咤激励をしていくこと。だね。

今日は、雪。
昨夜は積もった。
寒かった。



2006年03月02日(木) 泡雪

泡雪(あわゆき)
泡のように柔らかく消えやすい雪。
*美しいですよね、この言葉。
淡雪の変換よりきれいな感じがする。
今日はこんな雪が降りました。
やや寒し。

今朝は、目覚ましを止めて2度寝をしたようで、あっと思っておきたら7時25分。15分で仕度して末弟の病院へ。同室の81歳のじいちゃんに「あんた今日遅かったね」といわれてしまった。やれやれ。

三枝子がアムスから帰ってきている。今日は確か彼女おかあさんのお誕生日。
おめでとうございます。
明日、会えるかな。まあ、末弟のオペ次第だけど・・・

何だか、アタマがおかしい。
今日は、「ターシャ・チューダー」の名前が思い出せなくて四苦八苦した。
(ターシャチューダーの本を買おうと思って、ネットで。結局注文しなかった、思い出せなかったので。で、はらっと午後になってでてきた)
大昔入眠剤を飲んだ翌朝、何故か、バブロ・ピカソがいえなくなってしまっていた・・・あの時と似ている。
疲れているのかねえ。



2006年03月01日(水) 報道しなさい、海外メディア

クジラ好きとしては見逃せない記事。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
28日千葉県一宮町からいすみ市にかけての九十九里浜で、イルカの仲間のカズハゴンドウ(体長約3メートル)約70頭が打ち上げられているのを地元サーファーらが見つけた。サーファーらが100人以上の仲間を集め海に戻し、寒さなどのため午後5時ごろ作業を打ち切った時点で約20頭が取り残された。
 水族館・鴨川シーワールド(同県鴨川市)によると「カズハゴンドウは大きな群れを作り、打ち上げられることもたまにあるが、これほどの規模は珍しい」と話している。
 サーファーの一人で同県いすみ市の会社員、中村文俊さん(22)は「頑張って海に戻しても、波に押し戻されてしまう」と疲れ切った表情で、防水服姿で寒さに震えながら作業をしていた。
 外房海岸では、1月23日にもカズハゴンドウ26頭が、旭市の飯岡海岸に打ち上げられたばかり。
・・・・・・・・・ヤフーニュースより・・・・・・・・・・・・
こういうの、アメリカ、ドイツ、イギリス、オランダあたりでぜひとも報道して欲しいものだ。
特に、過激な動物愛護団体が多い欧州でおねがいしたい。
気になるのは、欧州の愛護団体、鶏が鳥インフルエンザで「処分」されるニュースをどのように受け取っているのか。
あれだって、鶏の虐待だぞう。
オランダの動物救急車の隊員さん達、犬にも、猫にも鳥にも平等に接しているかしら。そうそう、猫からも鳥インフルエンザが見つかったっていうしなあ。

ちなみに、イルカはリーダーに従って群れで泳ぐ。
もしリーダーのソナーが狂っていると、みんな今回のように打ち上げられることになる。
内耳にあるというソナーが狂うのは、寄生虫、潜水艦の電波などが原因となるといわれる。
イルカの、このリーダーに従って泳ぐ習性を利用してイルカ爆弾(実験段階で中止かな、または延期?)を考えたのはアメリカ海軍だったはずだ。
紅毛青目の人達の「動物愛護」って、一皮むけばこんなもん・・・みたいな側面がある。彼らは牛豚、鳥を常食してきた歴史がある、遺伝子がある。
紅毛人が日本の捕鯨について目くじらを立てるのは、過去において、クジラオリンピック(南氷洋でのクジラ捕り競争)で敗北したからだ。さらに、黄色人への差別と、嫉妬だろう。
別に私は捕鯨賛成論者ではありませんが、彼らのやり口にヘンと感じておりまする。
日本古式捕鯨の鯨とニンゲンの戦いや、捕った鯨を残らず活用させていただく日本のかつての捕鯨は世界に誇れるものだと思っているものなのだ。
それに引き替え、アメリカ捕鯨船のマッコウクジラの捕り方とその利用は・・・雑で賢くないです・・・ま、ジョン万次郎を助けてくれたのは彼らだし、ジョン万のお陰で日本は独立を保てたようなモンだし、あんまりきついことはよういいませんが。

終日雨。
昨日の車破損のこともあり、ややうつむき加減に暮らしている。


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