世界お遍路 千夜一夜旅日記

2004年07月31日(土) 千灯祭

午前、台風の雨も風もかなり合ったが高速バスは無事に出た。
姫路着1時前。
いつもながら、フレンドリーに迎えてくださる姫路のお友達さんたちに感謝。
一緒にお昼を楽しくいただいて、夕方から破磐さんへ。
あいにくの雨で、昨年のように境内に竹に入った浮きろうそくは並べられなかったが、拝殿の階段に130本あまりのろうそく、神様が喜んでおられるのがよくわかった。
神事の後、子供相撲が始まった。
いつものごとし。 
元気だ。
宮司さんによれば、この祭りは復活して19年目のお祭りだという。
19年前のこの日、宮司さんが一人でおまいりされていたら、子供を両手にいたおじいさんのお参りがあって「昔は、夜店が出たりしてにぎやかだったのに」といわれたという。で、宮司さん、待っていてくださいね、きっと復活しましから・・・ということで。
15日ある奉天灯祭も叱りだが、宮司さんのご努力には、もう頭が下がるばかり。
雨は残念だったが、拝殿でしっかりとおまいりさせていただいて、ゆっくりできてよかった。

大阪からの夜行で長岡へ。




2004年07月30日(金) シニアパワー 徳島語り場

今日はけっこうな風があった。
台風風とはいえ、気持ちよい。
それにしても、毎日往復4キロ歩くことの心地よさ、健康そのもの。
足のサンダルのでているところだけが、ネパール人のように焼けているわ。

こちらに来てからよくお昼を食べに行くのは「シニアパワーNPO 徳島語り場」というところ。定食500円。主婦たちがボランティア(多分もちろん有償)でやっているお店だ。
ご飯となるとワカメのみそ汁、日替わりのおかず一皿、小皿もうひと皿。
おかずを作りなれている人がつくっている感じでおいしい。(愛がはいっている、のかな)
1時間から2時間で売り切れる。

足摺は以布利の旅路のおじちゃんとおばちゃんのお子さんは4人だけど、みんなよくおできになる。いいお子さんたちだ。
おばちゃんいわく「食べものにだけは気をつけた」
自分が作った野菜、おじちゃんが獲ってきた魚、自家製のお茶。
自分の子供にしたように遍路さんに食事を作ってくれるから、旅路はリピーターの宿になるんだよな。

この頃、子供から大人までおかしいのは「食」の問題はないだろうか、と思う。
前々から感じていたことだ、これは。
子供は、親がきちんと正しい食物を与えていたら、それなりに育つと思うのだが。
熊野市で会った主婦たちの「にしご茶屋」もしかり。
毎日の食をていねいに整えていったら、日本はけっこう平和になるんじゃにのかな。
それにしても、今確実に元気なのは「おばちゃん」だわ。



2004年07月29日(木) 中島らもが死んだ・・・合掌

中島らもが死んだ。
飲んで階段から落ちて・・とは彼らしいのかな。
まだお仕事、いくらでもできたろうし、いよいよ「彼らしい味」が出たのだろうに・・・惜しいというか、この世はままならぬ。合掌。

へんろいしさんから「新宮やまびこぐるーぷ」の活動を書いた新聞をいただいた。
(ありがとうございました)
本宮から玉置へ南奥駆けを歩いたときに、ここを開けて下すっているかのグループに感謝したものだが、すごい活動ぶりだ・・・。頭が下がる。あそこで、100日行をしていた行者さんと同じくらいにすごいと思う。彼の、山彦グループの活動がないと100日行、できなかったわけだから。

カメラマン今日も立ち上がれず。でも、大分食べられるようになったとか。
ホントに弱いのだなあ・・・私には今のところ、想像もつかない世界だ。
まあ、せめて明日もドアノブに朝食の袋を差し入れるかね。

土曜からちょこっと田舎に帰ろうとチケットをとったら、何とすでに禁煙席がない。やはり夏休みだわ。
夏休み、のはずだけど、だけど、子供をあんまり見かけない。
これはどういうこっちゃ。
暑いから、みんなうちにいるのかな。
イヤハヤだわ、これだから日本、変なになるのよね。
おかしいのは、台風の動きだけじゃない。





2004年07月28日(水) 豪華メロンご飯

午後からは冷たいものは飲まない。常温の水のみ。なぜか・・そりゃ、ビールをうまく飲むためだもん。
で、本夕は、つまみは、徳島名産枝豆、それから川エビのからあげ。朝つくっておいた醤油漬けゆで卵と、カボチャの煮物。その後、ご飯と行きたいところだが、いただきモンの夕張メロンを半分ご飯代わり、キャー豪華!!おなかいっぱいになりましたわ・・・ああ幸せ。

「旅行人」が、季刊になって届いた。
見ると、むらむらとフリーになって、旅に出たくなる。
旅虫がうずく・・・これはほとんどビョウキだ。
あわてて本を閉じた。
旅行人、定期購読したのだが・・これでは体に毒だわ。

今日は、シンとした事務所で、一人黙々と仕事した。
で、印刷会社の方がみえて、1次校正をさておいて、足摺だの、松山の話だのの話に興じてしまった。
「四国のモンよりよう知ってますねえ」
はい、ありがとう。
で、またしんしん・・・なんだか、男二人、私が追い出したような・・・社長くんはほとんど本社、カメラマンは今だ倒れ伏したまま。
カメラマン、今朝もおにぎり届けたけど、でて来れないのだわ。
電話をしたら、大分胃の重さが軽くなったといっていたが・・・。



2004年07月27日(火) 実業と虚業

ニュースを見ていたら、サッカーチームの水が運ばれたとか。
よその国の水(ミネラルウオーター)を飲んで、お腹壊すからとか。
やわいねえ・・・これが日本人若者の実像か。
カメラマン、今日も立てず。
朝、ご飯を行きがけに届けたけど、でてこないから、ドアのノブにかけてきた。
朝、ホントにダメなお方だから。それにしてもねえ・・・まあ、頑強なはずのサッカー選手でさえ、だからカメラマンの虚弱は仕方ないのだろうねえ。

今夜は、ビールのあとになんか食べたくなって、今関さんからいただいてきた英子さん特製の丸パンを一つチンして食べた。
ものすごく美味しかった。
香りがもう違うんだな・・・
これまた、酔った勢いで書くけど、今「実業」にすごく興味がある。
熊野取材で「古道茶屋 にしご」という主婦たちがご飯やおかずを出しているお店に行った。
ポテトサラダ100円、エビフライ120円、ひじき100円・・みたいなものが並んでいた。
買いに来るのは、一人暮らしのお年寄りが多いらしい。
日曜が休みだという張り紙がでていたのだが、「こまるわ」と声をかける方が、私がいる間に何人も来た。
こういうこと、私もやりたいな、と思った。
おばさんパワーでできないだろうか。
お大師さんのパシリ、ライターという虚業、そろそろお役ご免かなと思うこの頃だ。もうけっこううんざりしている。(と、酔った勢い・・がはっは・・ビールがうまいわ)お大師さん、ごめん。もっとはっきりいうと、・・・・・・なんだよね。・・・の部分、お大師さんのせいじゃないな、これは。それだけは確かだわ。



2004年07月26日(月) 入道雲

近所のお稲荷さんでテントを張った16年遍路のMさん、6時45分に来た。
朝食をうちで食べて出たら、ということで。
昨日今日とみそ汁は高知・窪川以来久しぶりだと、喜んでくれた。
すごく多弁で元気。
彼によれば、自分と熊さんと宮崎節子さんが一番の古株だったのだが、宮崎さんは「奇跡が起きて」見事老人ホームに入れた。
「もう遍路はしません、とテレビで見たときはいっていたけど、なんだか涙が出たよ。遍路しているときより、ずっと老けてふつうの年寄りになっていたなあ」
奇跡と彼はいったが、宮崎さんの入っている場所が善通寺だと聞くとはやり「奇跡」かな、と思う。お大師さんがよんでくださった・・・・じっさいは、まんだらさんのお世話らしいけど・・・
「熊さんは、一つとこに長いよ、熊さんがいたところには次の遍路は入れないよ」
「どうして」
「軒並み、托鉢しているから、なんだか白い目で見られるよ」
熊さんは若いからまだ大丈夫と思うが自分は、そろそろ・・何とかしたいが、ということだ。
ウン、何とかしようよ。
お昼のおにぎりとチーズ、小笠原の塩、ミネラルウオーターを凍らせたものなどをお接待。8時少し前に出発した。
昨日新しいタオルやTシャツなどもお接待したのだが、その白が強い日差しにまばゆい。みんなさっそく身ににつけてくれてありがとう。
彼が「軌道」からの離脱を試みることを祈りたい。

カメラマンは、今日もダメであった。
昼休みに、コンビニで食料を仕入れて、見舞いにいった。
土曜より顔色はよかった。
胃潰瘍になりかけというが、私は夏風邪のこじれと見たが・・・クーラーのかけすぎではないか、と思うのだが・・・自己管理がも一つできないところがあるから。

ゆうがた、すごくでかい入道雲を見た。
あんなに、空いっぱいにのさばった入道さんを見たのは何年ぶりであろうか。
お見事。
次回は、クラゲかクジラか・・辺りに生まれ変わりたいと願っているが、雲でもいいなあ。



2004年07月25日(日) 16年のお遍路

知人のMさん、16年巡り続けているいる方から昨日電話があった。鶴林寺にいるとのこと。
じゃ、うちによってね、ということで、午後から見えた。
お風呂と、お昼寝、夕食をお接待した。
男性なのでお泊めできないことをお詫びした。
私は(及び、今治のKさんなど、彼の知り合いの大半)彼に前々から「もうお止めなさい」といい続けている。
風呂上がりの彼に、今回は逆打ち、「どうして、逆になってしまったのよ、やっぱり止めないの」
「イヤ、止めたい」
即答だった。
「ジャ、ホントに次に今治にいったら止めたら」
この春も、農家で働き続けていて、止める助走に入ったなとおもていたのにまた始めたんだわ・・・この会話、もう何度もした・・・
要するに、住民票など書類上の問題を彼の勇気の問題が大半(だと思うが)でクリアできない、それと心の問題(本人は業をしきりと口にする)、生活の問題・・・・。
「多分、定住する方が、回り続けるより大変、でも遍路道で野垂れ死にしてもいいという気持ちになっていないんだから、じゃ、今が止めどきだと思う、みんながそういうということは、それは天からの声だよ」
とかなり、きついことをいっても本人はうなずくばかりだ。
巡り続けていて、止めることの大変さを彼に見る。

彼からの情報・・この頃、野宿禁止の看板が増えたという。
グループで回る野宿遍路さん(3人から6人)がいくつかあって、彼らの目だちかたとか後始末の悪さが原因だとか。
「野宿は目立っちゃいけないんだ」とかれは言うが、その通りだと思う。

彼の「止めたい」という思い、何とかならんものだろうか・・・

・・・・・・・・・・・・・・・
菅さん、ゴール。
立派なものだ。
Mさんも大根峠の辺りですれちがって「ご苦労様です」と声をかけられたという。
いい歩きッぷりだったらしい。
やるジャン、菅さん
それにしても、追っかけというか、あって話せなかったのが残念。
ホントに残念、無念。
カメラマンくんの虚弱を哀しむ私だ。
彼は元気になったであろうか・・・月曜もお休みだったりしてね。
土曜は玄関まで「ふつう呼吸」ででておいでになったけど・・・。



2004年07月24日(土) たまちゃんにあって、映画見て

久しぶりに、7時過ぎまで寝坊した。
起きたら、今関さんの奥さん、英子さんは、すでに「森林ガイド」のボランティアでお出かけになっていた。
私は朝の散歩がてら、近くの四国不動霊場36番の明王院にお参りにった。
たまちゃんのおうちの近くにも同じ名前のお寺があって、仲良しみたいだけど・・・
お不動さんは、よくお願い事を聞いて下さるし、しっかりと朝まいりをしてきた。
で、今関さんと美味しい朝食、それと今関さんの琵琶湖旅のお話を聞いた。
11時にたまちゃんのおうちにいって、おしゃべりをして、1時過ぎに土柱を見に行って・・・この阿波町名物、私、見たことがなかった。
しかし、実物、写真負けかな。
「フーン、そうか、写真で見ていた方がよかった」という感じ。
ただ、これは、もともと、吉野川に注ぐ支流の扇状地の砂礫岩層が、削れたようだし、想像力を巡らせて見ると、吉野川のすごさ、「暴れ川」だったんだな、ということがよくわかる。
たまちゃん、肩がこりこりで、整体といっていたけど、やはりこの暑さはこたえるよね。
お大事に。

2時から「村の写真集」という、西祖谷村など、あの奥徳島を舞台にした映画を見た。
美しかった。
ストーリーは若干「くさかった」が、景色と協力の村の方々の存在感がよかった。
なんてことをして、夕方徳島着。
今関さんは、またおいで・・といってくださった。

23日カメラマンお疲れで,管さんの追っかけができなかったので、まったくどないなってんの、自己管理しなさい、とむかついていたのだが、心穏やかになった私であった。
菅さんは、昨日朝、23番入り。追っかけできたら、コメントがとれたのにとつくづく残念である・・・

まあ、心配なので、帰り、そごうで、お寿司やらおかずを買ってカメラマンを見舞ってかえってきた。昨日より少し元気になっていた。

そうそう、私、昨夜、今関さんちで、右手をあしながバチにさされた。
今、ややじんじんと痺れている。



2004年07月23日(金) 山川町へ

夕方、お仕事帰りたまちゃんのお父さんのお車に乗せていただいて、山川町の今関さんのおうちに行った。
吉野川にうつる夕暮れのオレンジが美しかった。

今関さんからは「こないの? 」と何度か電話をいただいていて、自家製ビールたらふくいただきに行ったいうわけ。
いや、うまかったす。こくがあるんだわ、いつか飲んだバルトの地ビールみたいなのだ。
自家製夏みかん酎、自家製ワインから作ったブランデー・・すべてうもうござんした。
今関さんは、池田町の美味しい酒の話をされたけど、私は断言した。
「今関家の発酵中の酒(どぶろく)がいちばんうまい」

今関さんちのすごさは、つまみ系も本物というか、自家製または本物志向の方々からの届いたものだということだ。漬け物、アワビ、酢の物、炒め物・・・すべてうまかった。
で、話題という肴も古今東西過去現代。
ホント、12時すぎまで話していたけど、楽しかった。
うまい酒を飲んで、うまいつまみ、極楽ナイト。
リフレッシュ、完璧。
ありがとうございました(ペコリ)



2004年07月22日(木) いくら何でもねえ・・・

今日は書いてしまおう・・ビールの勢いで・・・
我が同僚カメラマン氏、腺病質、腕もも手も折れるほど細い。
指なんて、白魚ですもん。
で、身体ももちろん、白魚・・・・
ビックリしたのは、昨日今日と仕事の追い込みで、遅くまで仕事をやるのはいいのだが、何と出勤がお日様が南中してしまった12時1時・・・ほう。
昨日は何時まで、と聞けば、12時くらい(夜中)・・・で午後様出勤か。しかし、12時くらいまで仕事して次の日また朝にでるって、企業戦士の常識?いいとは思わない、しかし、教師だってやっているよ。
で、仕事しながら、ハアハアハア、まるで過呼吸症候群のように、あるいは犬のように。で、どうしたの?といえば、「死にそうなんですよ。疲れているんです」
はあ。
体が比較的強い私には、ここまでの弱さはわからない。
無言・・・
それで、ビックリしたのは、何と床に段ボールを敷いて寝てしまっていることだ。机にうつぶせるくらいならまだいいのだが。
何だああ、野宿か、キミ。と不審尋問しそうだった。
今日も死にそう・・を連発するので「ここで死なないでね、外に行って、熱射病で死んだことにしてね、不審死で私まで調べられるのやだから」「でも、死ぬ前に救急車よぼか、それのほうがいいね、ホントに電話しようか」
「いや、大丈夫です」(段ボール布団にうつぶせたまま)
前の号を作るときも、遅刻ではあったが、まあ10時から11時くらいには来ていたし、段ボールハウスはしなかったよね。緊張感があったんだろうね。
しかし今は・・・
でも、私ははっきり言おう、あそこまでだらしないのは嫌いだ。
しんじらんない、のだ。
私が弱くないせいで、きついのだろうか、と思うが。
どうなんだろうか。
もちろん、ここに書いたのは氷山の一角でありますよ、はい。



2004年07月21日(水) 南方熊楠

NHKで、南方をやっていた。
前から興味もあったし、熊野の、野中の一方杉を守ってくれたのが熊楠だという話だったので視聴。
エコロギー(エコロジー)の考え方を最初に導入したのが彼・・・彼の言葉の中に今も新鮮な言葉がたくさんあった。
昔、神坂次郎さんの「しばられた巨人 南方熊楠」を読んだけど、もう一度読み返したいと思う。

熊野近露の里道は舗装だ。
ここを舗装したのは、1999年熊野体験博の時に県がした。
住民は反対したというのに・・・住人たちは、土道を守ってきたというのに。
県の馬鹿な行為のせいで、ここだけ(8キロほどかな)は実は「世界遺産」からはずれているらしい。

といったことと同じ愚行が明治にもあったということをテレビで知った。
これって、官憲(男たち)の永遠の愚かさなんだろうな。
フィリピン軍の撤退は快挙だ。
あれは、アロヨさんが女性だからできたことかも知れない。



2004年07月20日(火) カッパドキア

ビールを飲みながらボヤとしていたら、NHKで「カッパドキア」をやっていた。
なつかしや・・・・あの奇怪な岩の中にある住居、夜になるとそこから漏れる明かりがたまらなく懐かしい感じだった。
 高台に登ると、乾燥でブドウの木のぶどうが干しぶどうになっていて、すごい夕日を見ながらそれをつまんで食べたっけ。
 あの頃は自由だったな・・なんて思うとなんだかつらくなったね。
 ギオレメ村、またいつか再訪したい、と思う。

それにしても暑い・・・・フェーン現象とはいえ40度なんて、インドかタイか、アフリカか、だ。
地球の悲鳴だろうか。
  



2004年07月19日(月) 熊野

今日は仕事でした。
昨夜もしたけど、締め切りが近いし、けっこうあせってしている今日この頃。

で、帰ってきたら、NHKでは、熊野特集、なつかしかった。
お話聞いた高木副住職さんが「お滝」に入っていらした。
ビールがうまいこの頃。

あちこちで、洪水の爪痕が生々しい。
川が運んできた土は邪魔者にされているけど、昔は、ああやって肥えた土を川が運んできて田んぼや畑が肥えたんだよな。
お年寄りが亡くなるっているのは、福井も新潟も高齢化率が高いところとは言え、哀れだと思う。合掌



2004年07月18日(日) 黒潮温泉 竜馬の湯

朝ご飯を食べて、ボチボチと歩き。
タケダさんの念願の「黒潮温泉 竜馬の湯」へ。
10時からというので、開館と当時に入って1時間半。ランチを黒潮ホテルで食べて、高知市内の日曜市へ行った。
私は、市で土佐山村の山さんごの原石をゲットしてご機嫌であった。
温泉もつるつる系で気持ちよかった。
一皮むけましたわ(笑)
暑い、暑いで、最後は100円のグルリン号に乗って遊んで、4時のバスで帰ってきた。
で、昨日も朝から9時まで仕事をして出たのだが、今日も7時から11時までしてきて、今さっき帰ってきた。
丈夫な我が身体、神仏に感謝。

この夏は、石鎚登山、大洲の鵜飼い・・等々(予定)、いけるとこにはどんどん行くの根性で臨んでいる。
もちろん、破磐神社さんのお祭りにも行きたいし。
宇和島の牛鬼祭りにも興味があるのだが、これは来週で無理みたい・・残念。
高知にいるときに、山川町の今関さんから電話。
こちらも近々行きたいな。



2004年07月17日(土) 絵金祭りへ

前から行きたかった、高知県赤岡町の絵金祭りへ。
徳島発9時45分高知行きバス、12時20分くらいについて、松山からのタケダさんと合流した。
彼女も、お母さんが絵金祭りに来たことがあるとかで・・恐いってさ、で行く気になった。
絵金は、金蔵といい、文化文政から明治までを生きた天才絵師。高知城下の髪結いの息子だったが、その才を狩野派門下で伸ばし、土佐藩のお抱え絵師となった。しかし、若くしての出世をねたまれてはめられ、ところ払い。つまり藩を追放されて、その後の足取りは推測だが、大阪の芝居小屋で絵を描き、時に役者のまねごとをし・・・で、許されるまでの10年を過ごしていたらしい。
その後、伯母が嫁いで住む赤岡町に住んで絵を描いた。
当時、赤岡は宿場町として栄えて町衆に勢いがあった。
で、絵金に描かせた歌舞伎絵を夏祭りに飾って楽しむようになった。
また、彼の絵は神社への奉納絵や絵馬ちょうちんにもなってもてはやされた。
奉納というからには、さぞ神聖な絵と思われるだろうが、とんでもぎっちょん。血みどろの絵が多い。幕末期の歌舞伎は、殊更に血みどろを好んだ鶴屋南北系のお話が多いから、その傾向は仕方ないのだろうが。
当時のままの絵金の絵を、当時のままにろうそくの明かりで鑑賞するというのが絵金祭りだ。
いやいや、お見事な絵でござった。
私が気に行ったのは、良弁杉由来のワシに子供(のちの良弁)がさらわれる絵や葛の葉子別れ、佐倉宋五郎の子別れ・・などなど。
勢いと、スピード、緊迫感、どれをとっても特急の絵だった。
もちろん、歌舞伎のお話が少しはわからないとおもしろさは半減だろうが。
念願かなってようございんした。
それにしても、これらの絵を愛した町衆の勢いを思うと、江戸の終わりは来るべくして来たのだと思ったことだった。

暑かった。
9時半了の絵金祭りから帰って、宿のかとりさんで、ビール大ジョッキのおいしかったことよ。
その後は積もる話で夜が更けた。



2004年07月15日(木) ビールダイエット

今日は、何と10時帰宅だ。
お仕事です、はい。
土日にお出かけしたいので。

シャワーのあとはビール、350mlを2本さ。
デブになるだろう?
いえいえ、昨日ビールダイエットなる嬉しい記事を読みましたのさ。
要旨をいえば、ビールでお腹をふくらませて、ご飯やおかずを少なくしてやせる言うものだ。
で、私の本日のビールのつまみは海苔とポテトサラダ、トマトで、ご飯はもうめんどいので(確かにビールでお腹がふくらんだ)納豆ご飯に梅床胡瓜。
つまみにカロリーがでないものがポイント見たです。
「報道ステーション」なんか見ながらビールって、ほとんどオヤジだよね。
ま、いいか。

新潟の大洪水、今のところ、我が家はダイジョブみたいです。
ご心配下すっているみなさん、ありがとうございました。
私が6年だったか中学生だったのとき、やはりあのような水害があったと記憶している。そんな規模の、まあ50年に一度くらいの規模なんだな。と思います。
亡くなった方々に合掌です・・・・・





2004年07月13日(火) 大雨

心配メールなどをいただいたので、郷里に電話したら「つながりにくくなっております」で、電話がつながらない。
ホオオオ・・・・と、弟の携帯に電話。
うちは、まあ、山際だけど、土砂崩れとか水害の心配、はあんまりないとこだ。
きけば、母親の実家とか、義妹の実家辺りがやられて大変みたい。
まあ、記録的に降ったみたいだし・・・・ホンの数日前は、梅雨じゃないみたいといっていたのに・・・。
米の不出来が心配になるわ。

今は、すごく忙しいし、今月末には少し帰ってこようかと思うのだが・・・
いろいろあるけど、とにかく遠いな。



2004年07月12日(月) 散歩がお好き?

昨日の温泉行きも、仕事への行き帰りも、実に沢山の散歩人を見かける。
犬を連れている人もいるが、腕を大きく振って、歩幅を大きく踏み出してウオークキングブックから抜け出てきたような人もいる。
横浜じゃ、こんなに熱心に歩く人とは見なかった。
徳島県人はよほど自分の健康に危機感を感じている人が多いのか?
どっちかというと、コロリ系の体型人が多い。
(人のことはいえぬが)
昨日は、小型コニシキの様な女性が暗闇の中、蛍光タスキで必死に歩いているのを見てあきらめていないんだ、偉い、と応援したくなったわ。

今日は梅雨明けのせいだろうか、梅雨明けの夕焼け空がきれいだった。
赤、というよりピンク色が空いっぱいに広がって・・・




2004年07月11日(日) やっと ネット回線復旧

昨日は終日仕事・・・しかし考える時間が多くて思ったより進まず・・・・・。
困ったね・・・
カメラマンクンも来て仕事する・・といっていたのだが・・腰が痛い・・・目が開かない・・ダメですの電話。息絶え絶えの電話・・はあああ。
いつも、おばはんの私に体力において決定的に負ける彼。
大丈夫なんだろうか・・・

久しぶりに今朝は寝坊・・・
というのも、昨夜、NHK教育のタイトルはしらんが、在日のティエン・ウオルソン(田月仙)とオペラ歌手の、日、朝、韓にまたがったドキュメントを見ていたから。
見応えがあった。

それで、今さっき、懸案であったネットの復旧ということで、ネット会社に電話。
あちらがいろいろといじくって安定した。
ヤレヤレだ。
これで、いろいろと便利になる。
ネット中毒はよくないが、やはりないと調べもの等で不便を感じることがある。

夕方は、氏神さまに久しぶりにお参りして、その近くにある温泉に行ってこようかな。

:::::::::::::::::::::::::::

駅前まで買い物にいったり(来週会う友人の誕生日プレゼント)うちの中をかたずけた利していたら、アッと言う間に7時近い。
おお・・ということで、温泉へ。
遅いので、氏神さまは近くで「遙拝」
で、八万温泉乙女の湯・・・2キロ歩いた、30分、行きはよいよい、帰りは・・であった。
しかし、気持ちよかった。
次回は、4時半くらいにでて、5時着。
1時間遊んで、6時に帰って、ビールと行こう。
300円、ただ、石けんとか持参しないといけなくて、持っていかなかった私、手ぶらセット150円で、石けんとシャップーを買った。次回は持っていこう。
で、冷たい飲み物100円。しめて550円のリフレッシュ代であった。

帰ってきて、ソーメン、焼きサバ、サヤインゲンとトマトのサラダ、梅床つけのキウリ。で、もちろん極楽ビール・・ああ、今日もも生きていてよかった。(^_^)




2004年07月09日(金) 選挙

投票用紙がこないので、選管に電話したら、基準日が3月25日で、そのときは横浜だったし、投票はそちら、といわれてしまった。
単純に3ヶ月住んだとこじゃないんだね。
いろいろと勉強になった。
横浜、徳島でいろいろと文書の手続きをすればこちらで投票をできるらしいが、もう間に合わない。
棄権か・・・・しかなたいな・・・・
しかし、悔しいぞ。
同僚のカメラマン君に、選挙のこと聞いたら「そんなもん、いきませんよ」
ほとんど、行ったことがないらしい。
ちょこっとこれについて話したが、口ぶりに、荒涼としたミーイズムを感じて、不愉快だった。というか、ここまでの「無関心層」というの、今まで私の周りにいなかった。
「市民」じゃないよね。
彼は、時々夢というより妄想めいたことを語るけど、それと、この自分の手の届く範囲しか興味を持たないし関わらないのって、たぶん関係ある。
何にしても「方法論」がないし、一言でいえば、お年の30代より遙かに幼い、ということなんだけど。
それにしても、あまりに価値観の違うお方と仕事するっていうのも、孤独を感じるなあ・・・・

今日も暑かった。
明日も仕事だ・・・トホホ










2004年07月08日(木) オウムのこと、曽我さんのこと

このところ、活字よりテレビを見て世の動静を知ることが多い。
で、いまさら、どうしてオウム。
あの事件は、証拠こそそろわなくて、立件はできなかったけど、オウムっていう評価は定まっていたよ。
まあ、警察のプライドと、オウムへの牽制・・・きっと、オウムの入会者が増加しているんだと思う。
世の中は、数々のオウム事件の頃より、さらに悪くなっているから絶対に入会者は増えるよね。

で、曽我さん
素直に喜んでやりたい、よかったと思う。
が、この時期だ・・・自民党の票固めに利用されているのがみえみえでねえ。

何てことを考えつつ、テレビっ子だ。じゃない、テレビおばはんだ。

今日も暑かった。
夕方、西に見えた雲と入り陽の光が美しかった。
こういう光と影を見られるだけで、ほっとする。

破磐神社の宮司さんが、私が公民館で話しているところに「たまゆら」が写っている写真を送ってくださった。
かすかだが・・・確かに。
宮司さんは、デジカメだったらもっとしっかり写った・・といわれるが・・・あなたも、使われていますねえ・・・といわれるが、しかし、宮司さんが撮ってくだすったからじゃないのかな。なんて・・思う私だ。
でも、今いろいろと大変だから、こんな形で励まされるとうれしいし、元気になる。
ありがとうございました。
いろいろな人に支えられているけど(夜にも、励まし電話のくださった方がある、感謝)、宮司さん(=破磐の神サマ)に、ホント、助けてもらっているなあ、ありがたいなあ、とつくづく思う。
6月、父が「後2日」と医師にいわれたときの不思議の流れが、神さん、確かにおるよ
と実に実に感じさせるモノであった。
宮司さんが、直感で、達筆で書いてくださっている文がとても暗示的なことがよくある。
あ、ちなみに「たまゆら」とは、国語辞典的意味では「かすか」・・・・おおむかし、「たまゆら」というドラマのタイトルがありましたわ。これがわかる人は、かなりのご年輩だ。
しかし、宮司さんがいわれるのには、神さんのおしるし・・・神さんがよろこんで天地が感応したときに現れる、と。宮司さんがお持ちの神事などの写真にもうつっているモノがたくさんある。




2004年07月07日(水) 七夕

暑い一日だった。
この暑さ、病院の中の、管理された部屋にいるといっても、父にとってはどうなんだろうと感じながら仕事していた。

夕方、ずっと調子の悪いPCのADSL接続について、カメラマン君が見に来てくれた。
いろいろとやってくれたが、要するに、電話局から遠いのでだめらしい。
全く・・・さすがゲロゲロハウス、蛙の合唱の地でありまする。
(ちなみにこれは、旅先で使うモバイルで書いている。携帯の機種を変え、契約も変えで・・・)

夜、星がきれいだった。
我が部屋の真っ正面には、蠍座がおった。
私の星座である。
徳島は、水がうまいけど、空も広い。
このごろのお気に入りは「雲」だ。
帰り道、雲を楽しみながら帰るのがいい感じだ。
空が大きいからできることだ。



2004年07月03日(土) 剣山へ

昨夕、「剣山、行ってみようか」と、同僚のカメラマン君に提案。
「そうですね、天気よさそうだし、俺も行ったことありません」
ということで、7時発で行った。
3時間近くかかったが、原生林の気は、今まさに勢いを持ってさわやかだった。
まさに徳島の奥の奥。
深山の中。
「海の徳島」とは違った顔を見た。
剣山は、1955m、石鎚に次ぐ高さだ。名前にも関わらず、山頂はミヤコ笹の草原だった。

四国の山峰の重なりがすごくて、ねえ・・・この山は「失われたアーク」が埋まっている、弘法大師の遍路道はそれを守る結界だ、という珍説(ご本人は大まじめな方)があるが、思わず思い出した。
山頂の宮からくだったご神水をくんできた。おいしい水だった。
それにしても暑い日だ。
先週のあの雨は何だったのだろうか。








2004年07月01日(木) はや7月

一気に7月化した気がする。
蛙の合唱は終わった。
不思議だ・・おたまじゃくしはまだ泳いでいるのに・・・
オタマジャクシにも精神年齢(?)の低いヤツがいて、カエルになれない??のか。

このごろ思うこと。
私、ひょこりひょうたん島に乗っているみたいだってこと。
熊野新宮で「浮島の森」という不思議の森を見て来た。
動く島なんだよね。
今は、コンクリートで固められた池に閉じこめられてしまったから、動けなくなってしまったけど。
この島がまた、寒帯から熱帯までいろいろな植生が見られてこれまた不思議。
私は浮島的ひょっこりひょうたん島を目指そう。


 < 過去  INDEX  未来 >


moheji.s [MAIL]

My追加