世界お遍路 千夜一夜旅日記

2003年10月31日(金) 興味3つ

ヤフーでニュースを読んでいて、「ウーム、ヤミー」と格別に興味を持つと、プリントアウトする。
で、このところ、10月は以下の3つ

「世界人口 今年一月現在で63億人強 半数が25才未満」
「オランダ王子、愛のために王位継承権を放棄」
「働かない働きありも・・・北大研究チーム」

特におもしろかったのは、3つめだ。
働かない働きアリ。
カドフシアリという小型アリのコロニーそれぞれ30匹ほどに印を付けて観察した結果、全体の1から2割がじっとしているばかりだったという。
エサは、何と、ちゃんと働いてエサ集めをしていた働きアリから口移しでもらっていたとか。ホントかよ!!だ。
で、その怠けアリと仕事熱心アリをそれぞれ取りだして観察しても、怠けは怠け、熱心は熱心だった、とか。
「優秀な個体だけでは、集団の生産性は最大にならないことがわかってきている、仕事をしないアリにもなんらかの役割があるのかも知れない」
ホオオオ・・・・
実に人間界にとっても、示唆に富んだ研究で・・・
なんだか、アリになぞらえて自分の存在意義を認めてもらったような。
フムフム、哲学的なお話である。 

昨日10月30日、交通事故で死にかけ満6周年。
あの時「一度死んだ」と思っているので、まあ7回忌。
気持ちの中でも一区切りついた気がする。
ついていないのは、Mさんとのお約束「遍路途中殉難者慰霊塔建立」のこと。
これだけが気がかり。
しかし、これも、いずれ目鼻が付きそうな気がするし。
今年のギリシャの旅、パルテノンで「見るべきモノは見たり」のインスピレーションもあったことだし、来年は心機一転するぞ。
と、7周年めに入った一日目の今日、誓ったしだいであります。(と独白・公言)



2003年10月30日(木) 女が出たら・・・

昼間に用があって出たら、ヨーカ堂の前で、保育所民営化反対の署名をしていた。
何でも、いくつかの保育所を市が売却することにしたのだという。
売却というと聞こえがいいが、要するにだ話を聞けば売り飛ばす、だね。
市長選の時、わたしは日本になくて投票できなかった。
でも、中田宏候補、顔見たとき剣があって目つきがよくないと踏んでいたんだけど、やっぱりな、だ。
「中田市長は、今後も福祉の予算を削っていくようです」
「でも、そういう人を選んだのは、市民ですからね。それにしても、バカですね、男たちはどんどん、女が子ども、産みたくないよの条件をつくってますよね」
なんて話をしながら、署名と10円カンパといわれたんだけど、100円いれた。
政府にしろ、この中田にしろ、北風とマント、なんだよね。
気持ちよい南風をふかせる・・子育てに十分に金をかける、働きながらだって子どもを育てられる、といった女性が安心できる政策を打ち出すことで子供が増えるってどうして思わないんだろう、北欧はこれを徹底させることで今少子化は止まっている。当然、こういうこと常識的なこと知っているはずなんだけど、知らんぷりねえ。それとも、売り飛ばす相手との癒着?とかねえ。
日本は、介護にしろ、子育てにしろ、昨日の英語導入にしろ、それをビジネスチャンスととらえて、金儲けにするヤツらがいるというか、政治家がそれを積極的に応援しているふしがある。
介護、子育て、教育・・本来なら利潤追求論理の外におくべきものだ。

それと、何より忘れられないのは、カマラ神社の宮司さんの話「大本教なんかは、男が上に立つとかならずもめごとになる、女性が立つと大躍進する。宗教系、みんなその傾向がありますよ」
宗教系に限らず、それ以外もそうだ。21世紀は、女性の世紀なんだよ、占星術的には。「女性の声を聞かないと滅ぶよ、全く」だ。
伝統的発想をする日本の男から、もはや新しいことは何も産まれない。
これは断言しておこう。
この前の、川崎の学童の問題にしろ、この横浜の保育所の民営化のことにしろ、今まで、日本の子育て支援において先を走っていた行政がこういった政策転換をすることは全国的に見ても「ヤバイ」「ますますすみにくくなる」日本、だ。







2003年10月29日(水) ちょこっと 総合の時間を調べて、思った

学習指導要領の改訂で小学校の「総合の時間」に、平成十四年度から英語が導入されている。
「国際理解に関する学習の一環として、児童が外国語に触れたり、外国の生活や文化などに慣れ親しんだりするなど、小学校段階にふさわしい体験的な学習活動を行えるようにした」
 ということなのだが、教員をやっている友人たちに聞くと、「外国語」と表現されているにもかかわらず、「イコール英語」ととらえている学校が大半のようだ。
 そして、この小学校の英語導入をビジネスチャンスとらえて、活発にキッズイングリッシュだの、イングリッシュソングルームだのという横文字だらけの塾を開いた企業もたくさんある。
 これはおかしい。
 現実的にいえば、日本に居住する外国人の数は中国や韓国の人が圧倒的に多い。将来において、生活の場で耳に入ってくる言葉に中国語やハングルが増えることはあるあろう。しかし、英語はどうだろうか・・・。
 「ハロー」だの「ナイスミ−チュユー」「マイネーム イズ・・・」が、ガイジン相手(それもおおかた白人)に言えて、それがどうした! さして必要がないなら、そんな簡単な会話さえも忘れるのが人のアタマだ。時間の無駄である。
 本当の意味での国際理解と平和を願うのなら、まず近隣諸国の言葉や習慣に親しみ、理解を深めるべきだろう。
 英語はその後だ。
 いや、その前に外国の言葉を使って話すべきこと意見や考えを持てる子を育てる必要があるだろう。外国語が堪能でも、伝えるべき思いがないことは悲劇だ。
 なお、わたしの感覚でいえば、太平洋のはるか向こうのアメリカは「近い隣り」ではない。「縁あって隣り」って感じ、かな。
 中国、朝鮮半島の二国、ロシア、この三カ国が日本の「近隣」であろう、と考える。

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今日知った美しい言葉
「秋あがり」・・・蔵元の軒下につるされた杉玉は神酒の仕込みが終わったことを知らせているが、その杉玉の葉が緑から茶色の変わるちょうど今頃新酒がいい頃合いに熟成して「秋あがり」になるのだという。
まあ、日本酒の「ボージョレ・ヌーボー」



2003年10月28日(火) 世界の「報道の自由状況」ランキング

こんな記事を見つけた。

★世界の「報道の自由状況」ランキング★

「アジアは報道の自由が少ない」「アメリカはイラク問題では報道の自由が少ない」とする民間団体の報告が発表されました。
これは、 パリに本部を置く 国際ジャーナリスト組織 「国境なき記者団」が 今年の世界各国における 報道の自由状況についての 格付けを発表したものです。
それによりますと、 最下位166位の 北朝鮮を筆頭に、ミャンマー、ラオス、中国、 イランなど ワースト10のうち 8か国をアジア各国が 占めています。
発表は、 アジア8か国について「自由な報道が存在しないか、 日常的に当局に 抑圧されている」 とした他、「多くの記者が 投獄されている」と、 中国、ミャンー、イランを 名指しで批判しました。
一方、 上位の国は、 フィンランド、アイスランド、 ノルウェー、オランダなど 欧州の国が占め、日本は 去年の26位から44位に 大幅ダウンしました。
また、アメリカは 国内問題に限定すると 31位でしたが、イラクなど国外については 先進国としては異例の 135位まで ランクダウンしています。

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検索を入れたら、アメリカは昨年は17位だったそうな。
日本が順位をおとしたのは、記者クラブの存在。
「国境なき記者団」は、記者クラブを解散せよ、といったらしいのだが、大手新聞社は完全無視、朝日新聞だけがかろうじて小さく報道したらしい。
「人間を幸せにしない日本というシステム」でも、日本のマスコミは政府とグルとおもっていい、的な書き方をしているし、まあ44位、そんなもんでしょうなあ。

気になるのは、12月に行くエリトリアは何と162位。ビリから5番目。
さらにネットでは、独立した頃エリトリアの首都アスマラのホテルに泊まったら部屋はピカピカで人は親切、みんな輝いて見えたのに、十年過ぎてまた訪ねたら、同じホテルは埃だらけ、人は希望を失ったように見えた・・・という記事を見つけた。
いよいよ、なんだか心配というか、テクラブの国なのでハラハラというか・・・

そうそう、北朝鮮のビリは当然として、165位はキューバだそうな。

でもま、上位の国はみんな行ったけど、確かに気持ちいい国ばかりである。



2003年10月27日(月) エリトリアビザ許可書は来たものの・・

エリトリアビザ許可書が郵送されてきた。
しかし、オランダから「わたしの時発行日から有効で行くときには期限切れだった、大慌てで2回目の申請をしたけど、大丈夫?」とご注意メールがきて、ムムム・・確かにそうだ。
発行日付10月22日。でその日から60日間有効。しかし、わたしが行くのは12月21日か22日だから・・確かに切れるよねえ。
そりゃないだろ。
だが、よく見ると、欄外に横文字になれないものにはすごく読みづらいが大使直々のお手書き?で「もし、数日遅れても、延ばして(入れて)やって」と書いてあるような・・・。
何というかもう・・あとでオランダにfaxして確認するが、アバウトといえば、あまりにアバウト。
一難去ってまた一難である。

ネパール行き、同行のIさんから「忘れてないですよね」なんてメールをもらってしまった。
わすれてまへん。
チョモランマ、確かに拝みに行きまする。
しかし、どれもこれも、も一つ、現実感がない困ったわたし。
アタマに、玉置の余韻が、杉が浄化した空気が濃厚に残っているせいか。
3000年杉の力、かな。



2003年10月26日(日) オランダ紀行

オランダ紀行・・司馬遼太郎の本である。
「街道を行く」シリーズの一冊だ。
読了。
とてもおもしろかった。
文庫ですごく分厚い。
大作。
思ったのは、要するに司馬遼太郎氏が晩年に小説を書かなくなったのは、マアこれだけ「街道を行く」にエッセーとしてネタを書ききったら、小説は書けないだろうな、ということ。
というか、小説は、想像力と共に体力のいる仕事(イメージのなかで登場人物を動かさねばならない)だから、その肝心の「体力」が無くなったということなのだろうと。で、「街道を行く」にエッセーとしてこれだけ渾身で書いてしまわざるを得なかった。
「街道を行く」のシリーズをどれを読んでもあんまりはずれがない。
おもしろい。
なるほど、そりゃそうだね、司馬遼太郎が小説ネタを書いているんだから、というのが今回わかった。

いい天気、午前は買い物やら掃除・洗濯をしたが、午後はひたすら読書。
駅前であしなが育英会の子どもたちが、募金活動をしていた。
少々喜捨。
すごく小さい子もいて、複雑な気持ちになった。
自死者3万人のよる経済損失の試算がでていて確か兆のつく金額。
こういった試算ができないところに残された家族の心の傷がある・・・



2003年10月25日(土) 玉置神社お祭り日記アップ

昨年12月に登拝したときに2050年祭のお知らせ看板を見て「私、これ来るわ」という思いがふっとして、「何を馬鹿なことを考えているんだ」と、心の内に湧いた思いをうち消したことをKさんとやりとりしているうちに思い出したんだけど・・ホントに行ってしまった。
というか、ホントになってしまった。
あれは何だったんだろうか。
日記をアップしつつ、いや全くと思っていたところです。

朝起きて、2日間のアップをしてたらお昼。
なんだか、ボーとしている本日です。
1泊2日で玉置に行って帰ってきたということが非現実というか、夢のようで・・・



2003年10月24日(金) 玉置神社 例大祭

今年は、2050年祭ということで何時にもまして盛大らしい。
早朝、千メートルあまりの玉置山の頂上で3000年、4000年の年を経た杉の巨古木に囲まれた神社は、雲一つない空の下で静まり返っている。
しかし、人間たちは諸々準備で忙しい
昨夜は3時半頃から声が聞こえていた。
あたたかいみそ汁、お汁粉を参拝者に振る舞うための準備等々でいそがいしのだ。
あの古木たちはこういった人の振る舞いをずうううっと見下ろして来たのだよネエ。
Kさんと私も5時半から起きて、巫女舞に使う草かんむりつくりや手に持つ榊と古代米の飾りなどをつくる。舞リハの時間の打ち合わせなども、雅楽の方たちと。ボチボチです。

仕度を終えて、ひと回り境内社をまわり、空には雲一つなく、何しろ高度があるので寒いが、空気は古木たちが浄化してくれるせいだろう。下界とは全くちがう「味」がする。
ああ、来てよかった、と思う。
まさか、こうなるとは思わなかったが・・・
朝食を終えて8時、雅楽の方たちと「習来」(しゅらい、と読む。リハサールのことを神道ではこういうらしい)を、祭主であるコンコウ氏の「神様によくお断りしてから、して下さい」ということで本殿で。
あまりに本式でリハをやるのは「神様に失礼」ということで、衣装はつけない。
レクエストされた時間7から8分に納めるように、適宜直す。
2回目、時間きっちり。
Kさん「平和の舞」、メリハリと堂々があってとてもよい。
雅楽の難しい先生も「いい舞ですね」とほめてくれた。
Kさん、大喜び、私もホッと「あれは神さまからの言葉ですから、ね」
8時45分、したく。
コンコウ氏に「明日は化粧もするんだよね」と念を押されていたので「私の旅行バックに入っていためったに使わないおしろい」口紅を2本塗り併せてお化粧をした。
Kさんも私も、化粧ってあんまりしないので「こういうのどうも苦手だね」「でも、巫女舞にはドーラン型のものを用意したほうがいいよ、要するに舞台化粧」などという話をしながら準備完了9時半。
10時の神事の20分前にはスタンバッテ、といわれているのででたら、Kさんはカメラマンたちの記念撮影の人気者に。「よき日に、巫女さんと写真をとろう」というわけである。kさん、青空の下、巫女の衣装と草かんむりが映えてとてもきれいである。「舞もうまくいくぞう」の予感。

結局神事が始まったのは10時5分すぎ。
本殿下で、整列して「祓え」を、手水を使った参拝者共々うけて、新しくできた大鳥居から昇殿する。
★祓えとは★
まず副祭主が結界を張った中にお供えしてある榊(神のよりしろ?)の前で祝詞を奏上。別の神主が低頭した上を榊ではらう、別の神主がますにはいったお水をパッパと榊の枝でまく。要するに、浄めですね。

昨日の宵宮は私も昇殿させていただいたが、今日は下で写真を撮るためにスタン張ることにする。
(この席が地元古老たちのすぐそば、彼らは「昔はここは女は昇殿させなかった」「昔とぜんぜん神事が違う」とか、けっこう大声でいっていてこれはあんまり感じのいいものではなかった。・・・このことに関しては、またいつか書きたい)

祭主が浄めたまえ祓えたまえの祝詞奏上、開扉の儀、海のもの山のものなどさまざまなお供え(すばらしい鯛やイナダが目だった・熊野灘が近いな、と感じるお供え。お供えを見ると果物野菜、魚すべて何種類もある日本の食の豊かさ、仏教がはいる以前のタブーなど何もなかったこの国の食を感じる)した後に祭主の神さまへの祝詞奏上。そしていよいよ奉納舞である。
楽の根が響く。
参拝者の前にでさせていただいて、下から写真をとる。
Kさん、きりり堂々としていてよい。
「神サンに見ていただく、喜んでいただく」のイメージトレーニング成功、である。
時間的にも、拝礼から納めまで7分30秒ほど。
リハより少しはやかったがGood!!
私も、多いにホッとしました。
その後玉串奉献
何しろ、平日の山の上なのに、参拝者は200から300人ほどはあろうか。
終了は11時半。大幅に時間が押しているが・・・マアやれやれだ。
姫路から、dサンやKYさんとお母さん、Oさんも見えた。
KYさんは私が電話をしてそそのかしたんだけど、よかった。だってこんなにすばらしい日だったんだから。
杉の樹齢が3000年を越すということは杉の生育環境が整っていたわけで、つまりはいつも深い霧にかすんでいることの多いお社なのだ、ここは。それが、雲一つない恐いようなよい天気。

やれやれ、で荷物を車に入れて、昼ご飯。
Kさん、「ご飯がおいしい」
そうでしょう、ご苦労様でした。
この後、御輿、奉納踊り、もちまき、聖護院の大護摩、行者さんたちの護摩・・すべて終わったのは、3時を過ぎた。
私は、もちまきの時、おもちより、5円玉をたくさん拾ろわせていただいて、Kさん、姫路組、行者さんの護摩グループのみなさんにおわけした。(それくらいたくさんあった、20から25個くらい??)
みなさん、喜んで下さって、よかった。
お金が斜め上から降ってきたという感じで落ちてきて、いいことあるかな、だった。
更に姫路のkyさん「えらいな、みんなに分けて。わし、たくさんひろっても、できるやろか」といいつつ、お礼をいって下さった。
こういうのも、うれしい。ここでいわれると、玉置の神様にいわれているような気がして・・・
でる前にコンコウさんにご挨拶したら、大きな御神酒から例大祭の記念の色紙、「神様からの金1封」までいただいて失礼した。
「今日の舞は神様に通じたよ」とコンコウさんがKさんにいわれて。
Kさんにとっては、何よりのことばであった。
よかったね。
私もうれしかった。
そして、何より、お祭りに来ていた人みなさん楽しそうだった。

8時20分の最終のひかり(夜行バスとのセット券で買った)間に合わせようと急いだが、大阪にはいったとたんに高速大渋滞。
結局新大阪、8時25分すぎ。
二人して「くやしいよね」としきり。
チケットチャラにしてのぞみに乗るか、ホテルに泊まって明日早朝帰るよといって別れたのだが、聞いたらチャラにしなくてもよい、手数料を少しとられるが払い戻せるとのことだったので、やれよかった、でした。
予定が見えないときは切符をセットで買ってはいけないことという教訓になりました。
で最終1本前ののぞみ9時10分発。
うちに帰ったのが12時半すぎ。
長い一日が終わったのでした。



2003年10月23日(木) 玉置神社へ

7時半すぎ、大阪南港通りで今治から来たKさんと落ち合う。
今日明日と、彼女の玉置神社の例大祭の奉納舞のサポートをさせていただく、微力ですが・・・。
玉置は、奈良の大秘境十津川村のさらに奧玉置山のほぼ頂上。五条からさき、道は狭くてくねっているし、大変な道のり。
12時のお昼ご飯に間に合うようにはいって、といわれたが、結局1時になってしまった。
で、遅れたね、といいながら、歩いていたらKさん「キャーナスさん、こんなところで会うなんて」と、年のころ、わたしたちと同年輩の女性と抱き合っている。あれれ??!!
聞けば、ナスさんは、宇和島の奥の方の神社の方で、Kさんの舞の先生なのだとか。
まさに「奇遇!」らしい。
で、トントン拍子に今日夕方の宵宮祭の舞はこの方ナスさんが定番の舞、浦安の舞を舞うことになってしまった。
ナスさん、涙を流さんばかりに喜んでいる。
うまいことに、Kさんの衣装や扇でことが足りることになって・・・これも、ホントに奇跡に近いぞう。
ナスさんは、帰るところで、わたしたちがすこし早くても遅くても、別の参道を通っていたりしたら・・・会わなかったろう。
(あとでわかったのだが)

4時より宵宮祭。
しんしんと冷えるが厳粛な雰囲気。

ナスさん、あこがれの玉置神社で、ひょんなことから舞うことが出来た感激を胸にいっぱいつめて5時過ぎに大阪南港に向かわれた。

夜、打ち合わせ。
Kさんの舞は創作である。
彼女は「天の岩戸開き」というテーマで考えていたらしいのだが、時間等でそのうちの「鈴はらい・平和の舞」のみ。
困ったのは、雅楽の先生が「そんな定番からはずれた音が出せない」といわれたこと。Kさんは「即興」でのイメージがあったのだが・・そこを押して押して、で、幸い、その先生の息子さんが「できるよ、やろう」と応援して下さって平和の舞は「太平楽の即興系バージョン」で行こうかとなった。
何とか何とか・・やれよかった。
これが、一番困りました。

大峰奥駆けの行者さん組も来ていたので、そこのグループに顔を出しておしゃべりした。
みなさん、いい顔の人たちだった。

夜おそく、祭主であるコンコウさんが来て「びしとやってよ」
おかしかったのではナスさんのことを「あの人は何かの教祖、それとも霊能者かね」という問い。
確かにナスさん、そういう感じではある。
玉置の宮司であるサトーさんはいま闘病中なので、コンコウ氏が祭主となって明日の祭りが挙行される。

ちなみに玉置神社の気は、昨年12月、今年5月の過去2回よりうんと強くなっている。神社は「お祭り」の日にお参りすべきなんですね。
Kさん、急遽変更でちょこっと大変だが、でもきっとうまく行くよでお休みなさい。
寒い。さすがに1000メートルのお山の上だ。



2003年10月22日(水) 行くことになった 2050年祭

今朝から、友人といろいろと電話のやりとりをして、結局行くことになりました、
玉置神社の2050年祭。
で、さっき チケットをとりに。
今晩、また関西に夜行で向かう。
いやはや、これで西に夜行で行くこと1ヶ月に3回だよ。
やや、疲れましたわ。
でも、な・・・玉置の神さまに呼んでいただいたことをありがたいと思わないと・・・。
玉置神社、知らない人が多いので、以下にサイトを紹介。
すごいとこなんですよ。
あの、3000年杉を見上げるだけで、荘厳な気持ちになります。
人間は地球のゴキブリだな、もっと謙虚にいきんといかんぞね、このまま戦争や自然破壊で地球を傷つけ続けると 地震、津波、台風、洪水その他諸々、きっとしっぺ返しが来るよ、という心持ちになります。

玉置神社公式サイトhttp://www4.ocn.ne.jp/~tamaki-j/



2003年10月21日(火) 帰浜

予定通りに横浜帰着。
バスでよく寝ました。
家に帰ってシャワーと洗濯、昼寝。

カマラさんで頂いた稲穂でつくった開運お守り(何と来年用を早々に下さった)をさげて、ウフフのフで自己満足。
今の悩みは24日の玉置神社の大祭。
来ないか、といわれている・・・冗談、やっと帰るのにまた出てくるなんて、と一応断った・・。
が、去年愚さんと初めてお参りしたとき「2050年祭」の看板を見て「私、これ来るんだわ」と勝手にふっと思って「何を馬鹿なことを考えているんだ・・」と感じた記憶があって・・・・こういうことだったのね、と迷いまくっている。
あああ・・・・・どうするべえ??


この頃、時々、私の思いではなくて違う何かの力で動いているような気分になるときがある。
客観的に言えば、行かない断固としてなんだがねえ・・・ううーーん。



2003年10月20日(月) かまら神社参拝

松山YHに、今治のkさんが9時40分に迎えに来てくださった。
今日は、香川かまら神社さん参拝である。
ここの西田宮司さんも、破磐神社の宮司さんと同じく実にパワフルな方である。

観音寺で姫路からのdさんも合流して全5人での正式参拝である。
宮司さんとご家族が直会として、オーガニック古代うどんを用意してくださるとか。ありがたいことである。
伺う前に、もう一つ、高屋神社も遙拝する、ということでいったら先に来ていた香川のお二人が神社の水屋掃除をしてらして「はいはい」と5人で掃除をして、400メートルの山頂にある神社を遙拝。しかし登るとすごい眺めらしい。いつか、また・・ということで、かまらさんに向かう。
宮司さん、待っていてくださり、実にゆかしくお参りさせていただいた。
その後の直会、おいしく楽しくいただいた。
おなかいっぱい!
いい一日でした。
今は、横浜行きの夜行バス待ちで丸亀駅で書いている。

 



2003年10月19日(日) ニュースタートの人たちと歩く

朝6時半起床。
大急ぎでしたくをして、7時にYHを出た。
松山のこの道後界隈は、田舎じみていてのんびりしていていつ来ても好きだなあ。
7時半、久子さんと市駅前で合流。
砥部方面行きバスで森松下車。
で、あるく。途中丈の淵ででお水を飲んで、ちょうどニュースタートの人たちが西林寺でお参り始めたところに着いた。
きけば、メンバーとスタッフ合計で15人ほどとか。
はじめ15人いた参加メンバーは、ほぼ半分になったようだ。
50%という数は順当でもありかな。
でもまあ、50番台まで半分残ったことがすばらしい。
それと、彼らのお参りの仕方は実に本格的である。
曰く、はじめ高野山のお坊さんが先導してくださったのがよかったとか。
今ではすっかり、お経を読むのが気持ちいい状態らしい。
これ、よくわかる。

一列で歩く。
今日は、私たちのほかに、松山の不登校NPOの人が3人、大分から体験参加の親子などなど。
まあ、きょうは、らくちんコースで石手寺でだから気は楽だ。
彼らは、荷物は車が運ぶのでお参り洋品以外はほぼ空手。だから歩きは早い。
スタッフの一人に話を聞くと「やせていません、かえって太りました」とか。
そういうこともあるだろう。
浄土寺で、南海放送の取材。
畑寺で、たまちゃんが来てくれた。
参加者「わあ、たまちゃんだ」と喜んでいる。
で、そのうちの一人、Tくんはたまちゃんと記念撮影だ。
この後、ニュースタートの代表二神氏のご実家でお昼のお接待とかでやや遍路道からはずれてそちらに向かう。

私と久子さん、外で昼食。
気持ちいい青空で、やっぱろ歩きはいいわを実感。

代表のお母さん、かなりお年だがしっかりとした方だった。
石手寺着、2時すぎ。
お参りの後に、部屋に案内してもらって、足湯へ。
そこでいろいろと彼らと話した。
女の子二人と結構じっくりと話したが、彼女ら、すごく賢くてしっかりしていた。
感性もいい。
どうして、こういう子たちが・・・・という思いに駆られた。
これはやはりこの国の政治の問題?
たまちゃん、北条でみょうけんさんにお会いしてから、また来てくれた。
ありがとう
足湯とマッサージでごっきげんでした。
たまちゃんとハグハグバイバイをしてから、久子さんと、大街道の居酒屋で宴会。
楽しかった。
帰り、椿湯によって帰った。
昨日から、どうも、このパソコンの調子がよくない。これも、アップできるかどうか心配だ。









2003年10月18日(土) 姫路 破磐神社 一年参り 満願

本日は、破磐神社さん、お祭り日。
昨年11月15日から始めた月参りの満願である。
そのことを宮司さんにお話しして朱印帳をお渡しした。
お祭りは1時から神事でそのご子ども御輿が来て、境内でカラオケ大会、にぎやかだった。
いつも同行して下る姫路のdさんいわく、海沿いのお祭りはすごい、御輿をこわす、それがまつりですごい、とさんざんきかされて、次回は見たいなどとつい思ってしまった。
破磐さんの夏祭りが火のついた藁でのたたき合いですごかったし、おもしろかったし、破壊的なのはお祭り的におもろいと味をしめてしまった私である。

境内で、11月に半ばから一緒にネパールに行くIさんと打ち合わせ。
いったいどこまで、エベレストに血近づいて拝めるかね・・という話で終始した。
私とこには、図書館ができるほど地球の歩き方があるけど、彼女は95年発行のネパールの地球の歩き方を1さっつだけもっていて、ネパールトレックは昔からのあこがれで・・しかし、あきらめかけていたらしい・・・いい旅をしたいな、と思ったことだ。
2時過ぎに、鶏足寺の観音様にお参りして4時の岡山行き。マリンライナーに乗り換えて高松。
高速バスで、松山着。
バスの中で、讃岐ビールと、姫路でいただいたお弁当や枝豆、イチジクでで夕食、その後例のごとくばくすい。
讃岐ビールは、もっさりしていて切れはよくない。もう一つのテイスト。
いつものお宿YHへ。
荷物をおいて、温泉へ。温泉はえらい混みよう。
しかし、夜行の疲れがすっかりとれてほっこりした。
YH、シングルユースにしてもらってありがたし、である。






2003年10月17日(金) 夜行です

ようやっと、エリトリアビザ申請を終了。
やれやれだ。
昨日の注射もはれていないし、これまたやれやれ。
でも、今日はなんだかだるっこい気もしていたけど・・・昨夜の夜中活動のせいかな。

今日は、これから夜行電車です。
破磐神社さん1年間月参り成満。御礼。
その後、松山へ。
スローウオークの人たちと1日歩きたい。




2003年10月16日(木) 破傷風注射・北朝鮮工作船見学

午後から、ゆりかもめのテレコムセンターにある東京合同庁舎の東京検疫所で「破傷風」の予防接種1回目。
この合同庁舎、ご立派な建物。
びっくりしたのは、トイレのウオッシュレット。
ふつうさ、役所のトイレって質実剛健、痔持ちがいるうちにあるようなウオッシュレットトイレなんてないよ。
もしかして、ここで働く人は痔餅(恐い変換だ・・・正しくは痔持ち)が多いのか?
それとも、TOTOとの談合疑惑か?
だいたい、観察していると役所ってINAXが多いんだよね。
噂だと、INAXのほうがお安いとか・・・いう話。
注射をしてくれる先生は、女医さん、ご年輩だったが、上品で感じよい方だった。
昔の女子医大って感じ。
思わず、次の予約までしてしまった。(11月6日・・イエローフィバーもいっしょに)

ここは、船の科学館に歩いて5分。
で、例の引き上げられた北朝鮮工作船を見学した。
羊締丸とか南極にいった宗谷などは、有料なんだけど、工作船は無料公開。
「工作船の第二会場はこちらです!!」・・見てみて、と「さらしもの」を知らせるようにガードマンの人がハンドマイクでアナウンスしている。
見ました、船も、証拠品なるものも。
うん、一言でいえば、ボロイ・・・北朝鮮はアメリカと構えてはいけないねえ。
1年近く海に沈んでいたとは言え、ベトナムで見た35年前のアメリカの戦車や爆弾、ベトコンの手作り爆弾や武器のほうが立派でしたわ。
それで、工作船だけ無料で「日本はこれだけ脅威にさらされている」と宣伝しているって、これはやはり・・・・いろいろありますがな・・状態だと感じた。
この工作船、燃料満タンにすると、オーストラリア辺りまでいけるんですよ、としたり顔で説明するボランテアのおじさんに、ため息がでた。
「そんなに、戦意高揚しなくてもいいじゃないか」
ちなみに見学人は多かった。
はとバスのコースだよ、全く。

宗谷のロープをつかって海上保安庁のレンジャーが訓練をしていた。
和気あいあい、ほとんどスポーツだよね。
平和であった。
「羊締丸手作りアイスとかいう北海道直送アイスクリーム」が売店にあって「ハスカップ」を食べた。
おいしかった。

かえってきて疲労。夕食後、爆睡。
夜中11時過ぎに電話がなっていたけど、無視で寝ていた。(身体がうごかん)
これって、注射のせいかな。
それとも、人疲れかな。
これくらいで、疲れると社会復帰できんよ、と自戒している夜中である。



2003年10月15日(水) エリトリアビザ申請・・アフリカは遠い

12月に、エリトリアに行く予定だ。
しかし、ビザのハードルが越えられなくて、ついに外務省のアフリカ2課に電話をした。外務省の対応はすごくよかったです、ちなみに。
そうしたら、スルスルと話が進んで、うちまでヴィザ申請用紙がfaxされてきた。
全く、腹が立つぜ。
半月ほど前にわたしがエリトリア大使館に電話したときは「近隣諸国で取れますよ、オランダで取れるんじゃないですか」「まだ大使館は準備中で仕事してません」とひどく横柄な声の女に言われたのにさ、外務省を通すとこの有り様。おまけに、まだオープンしたばかりで対応が悪くて失礼しましたとかって、お詫びまで書いてあって。
はん!!
このビザ申請用紙がしかし、字はつぶれているし、ひどいもの。
おまけに、英文の渡航申請理由まで付けないといかん・・・とりあえず書いて、夕方、オランダのミエコの所までfaxで送って不足を補ってもらうことになった。
(エリトリアの滞在先とかがいるんだよな)
で、申請してから2週間もかかるのだよ。やれやれ・・・

次に黄熱病のイエローカードがいるというので、そっちに電話。
いろいろ調べると、破傷風とかもしておいた方がよい。マラリア予防薬も、あった方がよいらしい。
お金もたっぷり、テマもヒマもかかるわさ。
東京検疫所に電話したら行くところと訊かれて「エリトリア」といったら、「海外協力隊ですか」といわれた。ああ、つまりだ、日本からエリトリアに行くなんていうのは、青年協力隊ぐらいなんだよな、ということが分かった。
明日、破傷風をして、3週間後に黄熱病と破傷風を同時にする。あちこちに黄熱病はほかのモノと一緒はダメと書いてあるので、訊いたら、コレラとはダメだが、あとはいいとのこと。横浜の検疫所がすごく親切でいろいろと教えてくれた。外国は、一緒にしているので、いいですよと言うので、一緒にすることにした。だって簡単だモン。
マラリアは、クスリ・・しかし副作用が恐いらしい。
しかし、大昔、インドに行ったときは飲んでいたような・・気がするが・・・
これは、検疫所ではなくて、日本検疫衛生協会というところに行くのだ。
にているけど、違うんだ・・メンドクセー。
コレラのこともあるが、コレラは水にご注意で、何とか乗り切りたい。

こんなことしていたら一日が終わった。
アフリカは遠いなあ・・・しかしまあ、エリトリアの人は自分たちはアフリカだと思っていないとミエコはいっていたが。
わたしは、立派にアフリカだと今日一日で思いました。
(伝言)
ナオミちゃん、エリトリア行きの飛行機予約、よろしくね。
わたしのおばさんバックパッカー的ひとり旅(エリトリア行きは一人じゃないけど)の最後を飾る旅・・である。で、以降しばらく休止します、です。



2003年10月14日(火) またまた、あしながファミリー

あしながファミリー新聞をよんだ。
この夏のイベントの報告だ。
ウーンとうなってしまったのは「イラク・NY・アフガンの遺児国際子ども会議」の記事だった。
比較はナンセンスとよくわかるが、しかし、NYの子どもより、アフガン、イラクの子どもたちの迫力、というかすごさよ。
イラク・バグダットから来ていた男の子(16歳)は米軍の市場の誤爆(と彼らは言っているが?)で民間人がたくさん亡くなったときに、買い物にいっていた父を失った、兄は瀕死の重傷で足を失った。で、彼は死んだ父の懐から、財布をとった。
それは「自分が家族の責任を負う、9人の生活を自分が背負う」という意味だ、と。
彼は、日本に来たときに「空を見て静かだと思った、小鳥が鳴いている、平和だと思った、どこに行っても、安全で、検査するチェックポイントがない」ことが「めずらしい」と思ったという。
せつないことばである。
空から爆弾が降ってこない静けさ・・・彼はそれを珍しいと言った。
平和ボケした日本人、肝に銘じたいよなあ。
16歳で、父の死骸から財布をとって、家族を背負うって・・・・こういうの、涙なしにはよめまへん。
その彼、シンポジウムの席はNYの子のとなり、だ。
憎しみを越えて、こういった試みの積み重ねから未来の平和が生まれる可能性を信じたい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日友人から聞いた。
ニコタマ駅前のマック、「日能研専用カウンター」があるよ。
ウヘー・・こわあ・・・やはり、この国はいずれ滅びるわ、と素直な感想を漏らしてしまったわたしである。
この専用口、いずれ見学に行こう。



2003年10月13日(月) 「掘るまいか」を見る

「掘るまいか」はドキュメンタリー映画である。
5月に山古志村(錦鯉発祥の地)で聞いていた手堀りの「中山隧道」の記録映画だ。
スタンスとしてはプロジェクトX系だが、16年かけて村人だけで、道具はつるはしという状況でほりあげられたトンネル(その距離約1キロ)の記録。
冒頭、屋根に数メートル積もった雪をじいちゃんがくずしている。
それを見て「ほう」「オオ」という声が観客から上がった。
私にとっては見慣れた風景だが、そうか、新百合ガ丘の人には驚きなんだ、ということにわたしがびっくりした。
昭和6年から始まった工事の発端は、遭難しかけた息子を心配した母が発した「あそこにトンネル、掘ろう」の一言だったという。みんなそう思っていたんだけど、夢物語、だといえなかった・・・しかし、村の中は2分され、対立し・・・賛成派の人だけではじめた工事だった。戦争での中断をはさんで、トンネルは戦後に開通した。
あの、ハリウッド映画「フィールド オブ ドリームス」の上を行く実話だ私は思うね。
そのころ掘り手の中心だった20代、今は80代、話しぶりがまさに越後弁。
で、みんな元気でいい顔をしていた。
それがすごく印象的。
聴覚障害者のための字幕がついていたけど、越後弁、標準語圏では、はんぶんは理解しがたいだろう。まあ、健常者のためにも字幕は必要であった。
いい映画だと思う。
これから、全国展開で、上映していきたいらしいが、多くの人に見られるといいなと思う。
上映後、新米とかピーマンとかのプレゼントがあった。
もちろん、山古志村産である。
それから、山古志村産の米で造った酒も少々試飲。
これはうれしかったね。
お代わりまでもらった私、今ふわっといい気分である、体はあったかいし。さすがに酒の季節であるなあ。
新百合映画祭って、地域住民が手作りで運営している映画祭として名高いが、なかなかいい雰囲気であった。
今日は最終日、来年は、はじめからいってみたいな、とおもった。



2003年10月12日(日) オランダ人の真っ赤なホント

図書館から「取りに来ないと無効になりますよ」という電話で、おおあわてで本を取りに行った。「オランダ人の真っ赤なホント」という本、帰ってきて即、読み。読了。
大笑いした。
そうそう・・とうなずけるところ多々ありで・・・
タイトルだけ並べても、即うなずけちゃうのだ。。
★犬のウンチは天下御免
 これはその名の通り。だって、ミエコがよく二人して車に乗っているとよくいう「ほら、動物救急車が走っているよ」
そう、ボランテアで「畜生どもの救急車」まであるお国なのである。

★王位というよりそれは一つの役職
 オランダの女王様は、日本の天皇家のように閉ざされていない印象だ。
 昨日だったか、オランダ王室の次男坊が昔オランダマフィアの愛人だった(らしい)女性と結婚するために、王位継承権を放棄するときめた、という報道があった。王家の結婚は、国会の承認を受けないといけないのだが、王位継承権を放棄したら、それを受けないで、結婚してもいい。オランダ王家の次男坊は、婚約者を守るために、まあそういう選択をしたということだ。
お妃選びを隠密にしまくっていた日本じゃ、かんがえられんよね・・・
それでも、雅子様のおうちは女系で・・・男は生まれずで・・・「上手の手から水が漏れる」皮肉なもんである。

★家の中がヤン・ステーンだ
ヤン・ステーンて、私の好きなオランダの画家。
パーティだの、居酒屋だの、ほっちらかってにぎやかな絵が多い。
描かれている男や女も若干下卑ているが、生き生きしているし。
でオランダでは「とっちらかってかたずかない家を家の中がヤン・ステーンだ、という。これも、ミエコにおせてもらっていたんだけど。
衣食住、ではなくて、価値基準が住食衣的なオランダ人にあって、ヤンステーンのおうちはかなり疎ましいモノであるらしい。

★オランダ人は水まで持参する
これは、バカンスに、ということだ。
ダッチアカウントの例を出すまでもなく、オランダ人はけちで鳴り響いている。
でバカンスに出先の異国で買わないで、安いスーパーの売り出しで買って水まで持参するの意味。
これ、分かります。
だけど、根っこからのけちではない。
けっこう、義理堅いんだよね。
アイスランドのYHで、オランダ人カップルに電話をかけたいんだけど、コインがない、両替をしてほしいと、いわれて、両替するほどなかった私、彼らに「あげる」と、一回分を進呈した。
そうしたら、かれら、私に紅茶を入れようか、、クッキーは大サービス・・でも、すでにコーヒーを飲んでいた私、気にしないで、とおことわりしたけど。
「あげたコイン」が、かれらの心にかなり負担をかけたらしいのだ。

★野菜殺し
オランダ人は、野菜をつぶして喰らう人たちなのだ。
で、野菜殺し、・・・うまいことつけたもんよ、笑いました。

★夢の刑務所
この項目は、へーだった。
ケーブルテレビがあって、訪問権どころか、夫婦の権利まで認められていて。
オランダの刑務所は人気が高く監房の待機者リストまである。
よっぽど凶悪な犯罪を犯さない限り、地域奉仕の刑が宣告されるのがふつうだ。
そうでない場合は、郵便局で順番待ちをするときのように紙を一枚渡される。それで、次に監房が空くのを待つのである。
(ミエコさん、ムロサキさん これって今もそう?)

日本の刑務所って、確かまだ明治に決められた諸約束が生きているすごいアナクロかつ非人道的なとこだって聞いているが、オランダとの距離冥王星のようである。

まだたくさん、タイトルはあるのだけれど、この辺で。




2003年10月11日(土) 学童保育の廃止

ヨーカ堂から帰る途中に、なんだか大々的な署名運動のグループが・・だいたい、好奇心が強いので(要するにミーハー)なので、何だ何だと、そばに行って確かめる。
学童保育廃止反対の署名だった。
「川崎は廃止されたんですよ、だから横浜も」
「ええ、そうなんですか・・・政治家ってバカですね、女がますます子どもを産みたくなくなる条件を作っていますよね」
「そうなんですよ」
みたいな会話をして署名をしてきた。
私の造形塾に来ていた子たちも学童出身の子が多かった。
元気でユニークで、人の作品を横目で見て真似る的な子は少なかった。
川崎の学童保育反対の運でを私の所に来ていたこの親たちも展開していたよな・・あの頃。しかし、結局ダメだったんだ・・・・

昨夜は月がきれいだった、そのせいでもないだろうが、夜中1時半頃、すごい爆音で目が覚めた。
マフラーとって、走り回る小暴走族のがきどもが、外の道路にとまってエンジンふかして騒いでいるのだ。全く、どなりたいが・・恐いよな。あの、千葉の女の子の例もあるけど、キャツラ、簡単に人殺しそうだもん。
20分ほど、さわいでたな・・・110番通報してやろうかな・・と思ったらいなくなった。
しかし、私は覚めきってしまって眠れない。
で、仕方なしに例のごとく読書。
寝たのは、4時半頃?
ホントは、坂東歩きに行くように準備していたのに、目が覚めたのは、9時。
で行かなかった、行けなかった。
暑くもなく、寒くもないちょうどいい天気だったのに、惜しい。
大昔、あまりの暴走族どものうるささに耐えかねて、彼らの通り道に綱を張って転倒させて(死んだ?ケガしたんだった?)の人の気持ちがちょこっと分かった晩であった。
こんなことが分かるのは、恐い・・すさんでいるよな・・・



2003年10月10日(金) このところ考え中

もう、来年は「旅はしない」と決心しているので、総括としてなじんで迎えてもらっている「ミエコさんの家族について、及び家族を支えているオランダのシステムや社会」についてちょっと長い文を書いてみよう。
とずっと考えているのだが、糸口の糸先が、アタマから出てこない。
で、ふて寝をしたり、関係ない本を読んだり、食べたり・・・いかんなあ・・
と思う次第。
でも、アタマというのは不思議なモノで念をこめて考え続けていると、必ず答えをくれる・・あきらめずにつづけよう。
だいたい糸口がでてくると、何とか・・にはなると、思うのだが。

こんな自分のバックミュージックとしてこのところ、喜んで聞いているのは馬頭琴とホーミーのCD。
アムステルダムの国立美術館のそばで路上コンサートやっていたモンゴル人アーチストから買ったんだけど、心がほぐれる。
ああ、これを、360度地球が丸い状態のモンゴルの草原の、ゲルの前で聞いたらどんなやろね・・・と思ってしまう私。これって、病気??

今夜は十五夜さんだ。



2003年10月09日(木) 捜し物

捜し物で押入の中を大捜索。
ずっとこのところさわってなかったところを調べて、まああったんだけど、副産物がたくさんでてきた。
20年前の中国は広州駅前とか、西安の写真とか。
あの辺はもうすっかり変わってしまっているから、中国の「なつかしの写真展」辺りに出せそうだ。
あるいは、中国の若いモンに「ほれ、君の国の20年前」とかね。
あと、20代後半の私・・やせてましたわ。
まだ気分的にはほんの少し前・・・って感じだけど、写真をみると、そのやせ方に「やはり20年、過ぎているわ」と愕然。
ただ、アムスの町中をとった写真は変わらない・・・
あの街に行くと安心感を覚えるわけだ、と納得した。

笑えたのは、中国トイレ事情。
チベット奥地に行ったとき八畳ほどの部屋に穴が6つの集団トイレにであったときの驚きぶりが、それ以外の中国の驚くべきトイレの種類など、しっかと書いてある作文も見つかったのだ。
確か、夏休み中に、みんなが勤務するときにでなかったんだから、レポートを書けと校長に意地悪をいわれて、喜々として延々と中国のトイレについて書いて印刷して、ランチタイムに真っ先に校長に配ったやつだ。あちらは「私をこまらせるつもり」だったらしいけど、私は楽しんで・・・読んでくれた職員も喜んで、ごく仲良しの同僚だけが私のイヤミに気がついて、苦笑していた・・・だって、年休とって、子供が来るときじゃないときに行ったのに、嫌みな課題を言いつけるやな校長だったからね。
今振り返れば、牧歌的教員時代よなあ。
多分、今はもうこんな風に、夏休みはとれないかも知れない・・・

いい天気だった。
布団を干して、もぐり込んだら、ふかふかで気持ちよくて昼寝してしまった。
いかん・・・せっかく時差ボケがとれたのに、また眠れなくなるよ。



2003年10月08日(水) 友人の飛行機予約

友達から電話「急に田舎に帰りたいんだけど、格安チケット、今、10日前しかダメなんだって」
「はあ?ネットで探したの」
「こわれたまんま、主人が直さない」
「エーあのまんまなわけ・・お宅の旦那、自分は会社で使えるから不自由しないからってひどいね、ジコチュウヤロー」
彼女のうち、確か6月頃にPCが壊れたのである。
「そんなん、まえから分かっていたよ」
「でもだよ、奥さんが困るとか、奥さんの世界が狭まるとか、感じないわけ?」
「そうじゃないの・・・」
「やだね、今からでも遅くない、厳しく言って矯正したほうがいいよ、その旦那の困った性格。歳とると、そのジコチュウが露骨にでて大変なことになる、自分が不幸になる、あなたも不幸になる」
 とさんざん、ヒトんちの旦那の悪口を奥さん(友だち)に言ってから電話を切ってネットで調べたらホント、10日とか11日前とチケットの期限が切られている。
これは、前にはなかった現象。
彼女によると「規制が厳しくなったという話だよ」(私が以前調べて安かったチケット小町というサイトを教えたんだけど、そこに電話したらそういわれたらしい)というのは、ほんとうだった。これだと、来週に行きたい彼女には困るのだ。
で、ANAのサイト、JAS(JAL)のサイトに行って特割をみると、どっちも、正規運賃より1万ほど安くてある。特割とウエブ割をつけると、ANAが更に1000円ほど安かった。
で、友人に電話。
うちに来てうちのPCから予約しなさいよ、と。
「悪いよ」とか言っていたけど、来て予約完了。
ついでに、私、安PCサイト調べ。
修理が高いんだったら、旦那に買って貰えと、いうことで。
「店でみたんだけど、10万以上するからねえ」
「ネットサイトの方がずっとやすいよ」
「信用できるの、そんなの・・ネットで買うなんて」
「おくれているねえ、まったく。出来るよ、うちのPC、それで買った、今だに問題なくつかえている、それとPCは、家電品とちがうんだから、こういうこととこういうことがしたい、従ってこの製品、みたいな選び方しないといけないんだよ、それとアフタケア、ね」
 で、価格コムで調べて、ソーテックだのデルのサイトに行ってみたら、デスクトップで、ソーテック税込み7万台からあった。何と、5万台もあったが、ソールドアウト状態。スペックもふつうに使うなら問題ない。
ただモニタは問題ないようなので、本体だけならもっと安いと思うよ、電話して聞いてみるといい、ということで紙をプリントアウト。
また電話があって、ソーテックの電話は予約した人用とか、何とかいっている、すぐにつながらないというので、パックレて、すぐつながる予約用に行ってみて「アラ間違えたかしら、こういうことききたいんだけど、聞いてよく分かったら予約しますわ」とか何とかいって内線で繋いでもらうといいよと「生活の知恵」をつけた。

今日は「配偶者とインターネットデバイドについて」考えさせられた日であった。
十三夜らしいが、見えない。惜しい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今ふっと思ったが、人ンちの旦那の悪口を正面切って言うわたしの性格も、矯正したほうがよいのか・・・考えてみよう。



2003年10月07日(火) 扇風機をしまう

扇風機をしまった。
ストーブを出した。
座布団とテーブルクロスの「夏」を、秋・冬用にした。
やっと夏が終わった。

先日、姫路名物の「イカナゴのくぎ煮」を買ってかえったら何と賞味期限切れ。
製造元に電話して、返品した。
なんだか、「タマゴに押す製造ハンコとくぎ煮に押すモノを取り違えた」と、電話では話していたけど、よくわからんかった・・・が、今日、代わりの品が送られてきた。
くぎ煮、私は1つ買ったのだが、箱の中は×3+いろいろ状態。
こういう返品だと、いろいろお詫びが来るとは聞いていたが、ホントなんだ・・だった。
詫び状には、今度姫路に来るときは連絡してくれ、会ってお詫びしたいとあったけどね。そこまではね。辞退します。
ただ、お土産推薦品みたいなラベルが付いている商品だし、私が、例えば姫路の観光協会に電話したりしたら、製造元として打撃だろう。
もちろん、そんなことはしない、この不景気のご時世に小さいとこは大変さもん。
(小さいとこかどうか知らないが)
明日はくぎ煮で朝ご飯だね。



2003年10月06日(月) 一枚のハガキ

帰宅したら、郵便物の中に一枚のハガキがあった。
「南無大師 祈ることのみ 赦される 幸月」
四国へんろの松坂氏にメールしたら「幸月さんはお世話になった人に出しているらしい」
しかし、私は何もお世話していない。
署名と気持ちばかりのお接待には協力したけど・・・
「赦し」はあっていいと思う。
それが、宗教の本質だ、と私は思う・・人はまちがう、自分は正しいと思っている人だって、実はほかの生命を食っていきているんだから、罪はある、赦されねばならない・・・だからその気持ちを形にしただけだ・・・

帰国してから私は手間暇というか、何度も書き直したのは、幸月さんの句集から「ニューギニア回顧14句」を巡る想い、を書くことだった。
子供の頃、父の今は亡い友人から(やはり南方生還)「ニューギニアの人肉食い」の話を聞いてショックを受けたことがあった。
ホントかうそか・・と思っていたが、幸月さんの句を読むうちにそれを思い出し、ネットで検索を入れた。
上がってきた・・・人肉食いの話・・・
そんなことをことを絡めて、幸月さんは、戦友を弔いに四国にいったのではないか・・逃亡遍路ではなかったのではないか・・・ということを書いた。
「生きるも地獄 死ぬも地獄 蝉喰らう」
上記のようなことを知って読むと苦しい・・・痛切だ。
拙いが、私なりに精魂を込めて書いたと思う。

松坂さんに「幸月さんについて」の課題をもらったとき初め断ったのだ。
しかし、ニューギニアの句が気になった。
それ以外にも、あれこれ考えるところがあった。
結局、一番気になったニューギニアにしぼって書いた。

でもずっと考えていたせいか、頭から離れなくて、そこへハガキだったので、びっくりというか、ショックというか・・・でも私が書いたこと「想い」だけど、多分お弔いだったのだろうと思う。
何しろ、ニューギニア、17万人のうち生き残ったのは、1万人たらずだ。
20歳の幸月さんのその1万人の一人だったのだ・・・・自分だけ生き延びた負い目を背負っていたのではないか・・
そんなむごい悲惨な戦争の生き残りでなかったら、私は幸月さんには別の生き方があったような気がしてならない・・・
きょうは ・・・・・の多い文でした。

母が出がけに持たせてくれた「栗おこわ」と「ひじきのいためもの」どっちもうまかった。
今まで、当たり前に食べていたけど、つくづくありがたい、何時までもこういうの持たせてよ、と叶わない思いを想ったりする秋の夕暮れ。
じきに満月だ。



2003年10月05日(日) 田舎、だ パート2

日記が一日間違い、今さっき直した。

父のお世話を一日した。
いい天気だったので、午後から父を連れて、ほんの数百メートルだが散歩。
金木犀の香りがするが、「鼻が良くなくてわからん」
で、近所のものを一枝おって鼻先に近づけたら「ああ、かすかにする」
柿がなっているのを見て「柿がまだなっているうちから、こんなに寒いのはどうしたことら」と父。「そうだねえ」
実にまっとうである。
トキドキこうなる。
うちに帰ったら、「息が切れた」
これまた、大丈夫。
母および同居の家族が言うには、お客さんとか、デイケアの施設、お医者さんには、緊張するので、まっとうな受け答えをするらしい。
ホント、そのようである。
普通人の5分の1倍速くらいだが、とにかく待てば何とか・・・
1時間半に一度のトイレも、ゆっくりでいいよ、そこにいるからというと安心して座っている。
母の場合は「早く」なんだよな。
母は、昔から気が短い人なんだわ・・・それでも、往年にくらべたらかなり遅くなったが・・・なんでも、人より早い人だから・・・
切れるのが解る・・・・ような。

やっぱり 早くボケた者勝ちという気がした今日であった。




2003年10月04日(土) 田舎だ

寒い。
今年は、いつもより早く雪が来そうだ。
靴下は嫌いなんだが、半年ぶりに室内靴下をはいた。

父のパーキンソン、進行が早い。
去年の今頃に比べるとずいぶん体が堅くなっているし、痴呆も入ってきているので母が大変だ。時々切れる・・・困った。
早く、ぼけたほうが勝ちかな、と思うね。

姪も、もう大学は卒論だけとかで、帰ってきている。
市役所の第三次の面接があるのだとか。
「え、今市役所って、三次までやるの」とびっくり。
「ここまで来て、落ちたら結構悔しいかも」
 県警と一般企業が一つ内定がとれているようだし、この大氷河期に大健闘と、今布団並べて話しつつ、褒めてやっている。
ほんのこの前大学に入ったと思っていたのに早い。
あのとき、私は大学で私がほんとにしたいことを探す、といっていた彼女だが、まだそれははっきりと見えていないようだ。
それが、内面的に彼女を憂鬱にさせているようだ。
「ホント、あっという間に4年がすぎていく・・・」
メランコリックな青春の秋である。




2003年10月03日(金) 鉄道の日記念乗り放題切符

横浜市内の神奈川県立高校の男性教諭が車上荒らしの被害に遭い、生徒約160人分の成績データが入ったノートパソコンを盗まれた。
県教育委員会は「個人情報の校外持ち出しは原則禁止」としており、事情を聴いた上で処分を検討する。

というニュースが流れたが、これって・・・?だ。
というのも、資料を持ち出しの先生なんていっぱいいるからだ。
誰も好きこのんで持ち出しているんじゃない。
時間がなくて、仕方なくうちに帰って仕事するため、だ。
この先生の事情はシランが、「だったら、学校できっちり仕事が終わるような時間確保をせよ」だねえ。
学期末、通信簿や指導要録を持ってかえるのなんて「常識」だ。
時間がないんだもん。
この先生にも、おかわいそうに、というほかはない。

日暮れが早くなった。
夕方の半袖はさむい。

「鉄道の日乗り放題切符」9180円也を買った。
18切符バージョンで、普通車一日乗り放題が3枚ついている。
利用期間は10/4日から19日まで。
で、破磐さんの秋の大祭にいくのに「ムーライト」を予約したら、なんとなんと、禁煙車はもうない。仕方なく、喫煙車に残っていた1枚をゲットしたが、世の中、いかにみんな安チケットをほしがっているか、だ。
日本の新幹線、高過ぎだよね。
マクドナルドの価格は、世界の中堅どころを占めているが(一番は高いのはアイスランド)新幹線のプライスはまちがいなく世界一だ。
まあ、ガイジンさん達(と日本以外に在住の日本人)は、ジャパンレイウエイパスとやらでやすく乗れるらしいが・・・・



2003年10月02日(木) 久しぶりの友人たちと飲み会

夕方、学校時代の同僚で、格別に仲良しだった人2人と飲み会をした。
ホントに久しぶりで。春以来か??
積もる話山積み。
楽しかった。
1人は、沖縄は与那国出身。今度、与那国の「度難」(確かこういう字)で、盛り上がろうということになった。楽しみ。
それにしても、昔だったら、5時待ち合わせでもダイジョブだったのだが、学校5日制で、勤務終了が5時15分(もちろんこれじゃ終わらない)。6時半に待ち合わせても遅れる。7時になる。学校の先生って、昼休みもない仕事である。この勤務実態ってけっこう厳しいと思う。
病気になる人がふえるわけだ。



2003年10月01日(水) さすがに爆睡

夜行でいって、夜行で帰る・・さすがにきついです、はい。
で、朝8時から昼過ぎまで爆睡でした。

その後、メールだの郵便物だの整理。
陽が短くなりました。

バスの行き帰り「地球の歩き方 ベネルクス3国」を読んでびっくり。
私、オランダ、行きたいとこいろいろあるわ、状態。
しかし、本に書いてあるような危険(アムスは、危険な街みたいに書いてある・・・でも、書いたあるような置き引き、摺り、騙し等々)は、遭ったことも、感じたこともなかった。
これも、新発見。

研究、遅かりし・・・


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