世界お遍路 千夜一夜旅日記

2003年08月31日(日) ライデンの教会へ

今日は日曜.
ライデンで日本語教会の合同礼拝があるというので、ミエコサンと共に行った。
今日のお説教は、イザヤ書35番。で、私は、イザヤ書のほかのところを読んでいたら、目をいぬかれたところがあった.
ここに少し書きたい.
イザヤ書 33番の1
「自分は踏みにじられなかったのに、人を踏みにじり
 自分は裏切られなかったのに、人を裏切るあなたは。
 あなたは踏みにじることを終えるとき、
 あなたは踏みにじられ
 あなたは裏切りをやめるとき
 あなたは裏切られる」
これって、まさに今のイラクにおけるアメリカだ.
と、思ったことだった.

ライデンの教会は、讃美歌の演奏がパイプオルガンで良い感じでした。

このうちでは、日曜は、家族それぞれが教会にいくのがしごとだが、英語、エリトリア、オランダ語と色々な言葉の教会にいく。
それでも、一日が終わってみんながそろうと日曜の夕方だな、と思ってしまう。






 

 



2003年08月30日(土) ザーンススカンスへ

今日は、ミエコサンの大昔の職場の同僚ココチャンがアムスにダンナさんと来ることになっている.彼女は、アメリカ西海岸に住んでいるのだが、仕事でロンドンに来たついでに、休暇を取ってくるのだ.
私とミエコとは夕べ二時ころまでしゃべっていたのだが、朝9時前に空港まで迎えに行った。私も起きてお掃除.ブインブイン掃除機を回したので、みんなを起こしたが、今日はココチャンが家族に会いたいと来るので起きてもらわないと困るのだ.
掃除も終わって十時半、ミエコとココチャン、彼女のハズバンド来訪.
テクラブも子供達もはじめて、私とココチャンは、大昔(20代の頃)なんかいかあったことがあるので、イヤー懐かしいねえ状態.
ご挨拶をして、朝食兼お茶をして、昼近くにザーンスカンスという、風車の町(観光地)に出かけた.しかし、その前に、トム氏(ココチャンのダンナさん)がメガマーケットというアムステルダムの大きな電気ショップに行くというので寄り.ココチャンいわく「お宅なのよ」
ザーンスカンスは、アムステルダム郊外でみんな一度は行く観光地だが、これだけ来ている私、初めてだ。別に風車、見たくないよだったからねえ…ゴッホとコンセルトヘボーでご満足だったのでした.
広びろした田園風景の中に、大きな風車が4基まわり、あちこちに運河が走り、伝統スタイルの木のお家でまだ人が暮らしているのだ.
因みに風車が初めて、作られたのは1600年代。大麦、、米、、植物、辛子、麻、タバコなどをつくる??ために風車の力は威力を発揮したらしい.
1850年代、エンジンなど動力エネルギーが使われるようになると廃れたらしいが.…ザーン川沿いに風車が林立していた風景はどんなだったかと思う.
お昼に、でっかいパンケーキを食べて胸もお腹もいっぱいになった。
ミエコ曰く「オランダで言えば、ちっこいほうだ」らしいが…アムテルダム駅でいった分かれて帰ってきた.(夜また会う)
帰りがけ、テクラブの妹のサバのレストランによって南アフリカビールをご馳走になってきた.うまかったす。

今日はいい天気。
雨、続かず。
観光した一日でした.



2003年08月29日(金) コウジくん、帰る

雨が降った.
待望の雨である.
しかし寒い.
朝から、ちょっと大量の紙を止めるためにクリップを探しにスーパーに行くが、適当なのが見つからずに、文房具屋で聞いたら、出されたのがえらく良い感じ。買って裏返せばなんと「メイド イン ジャパン」.
買ったけど、日本円で100円の品が倍以上.苦笑いした.

ナオミチャンが、大学のお友達を招くのに朝から自分で買い物をしてきて料理作りしている。
次分で招くのは、自分で責任を、というのがこの国らしい.
夕方、コウジクンが日本に帰るので送りに行って帰ってきたら、ダイニングに6人ほどのご学友。で、私達はトルコレストランで食事をした.
コウジクン、また来る気満々で帰っていった.
夕方、雨は上がったが、完全に秋だ.



2003年08月28日(木) アムス、雨降らず

今日は、うちで9月4日から行くギリシャの研究をした。
ギリシャって、物価安し、アジアのよう、のはずが、ユーロになってからすっかりえらそうな……
ホテルにしろ、乗り物にしろ、高そうである.
まあ、もちろん、デンマークに比べれば物凄く安いし、日本に比べても安いが。
出入りをいれて10日ほどなのでたいしたところには行けない.
アテネから乗り換えでクレタに直行して、3日間滞在.
その後、船でサントリーニ島へ。
クレタにしろ、サントリーニにしろアトランチス伝説のある島だ。
で、サントリーニに2日ほどいて、アテネへ。
残り4日間はアテネを起点にしてあちこち出歩く、と予定を大体決めた。
それで、10日は終りである。さっぱりしたものである.
同じような遺跡ばかりを見ても終りになるとイヤになるし、まあこの当たりがほどよいかなと.
後は、到着日のホテルをネットで予約すればよい.
23ユーロ(3000円弱)ほどのところを、ギリシャのサイトに行って見つけたし、後はミエコにメールを書いてもらうだけ.
まあ、これで準備完了ですね.



2003年08月27日(水) 今日はうち

なんとなく薄曇りで、「明日から雨になる」というミエコさんの「預言」が当たりそうだが……どうなるのかと思っていたら、でも昼から晴れた。
やっぱり、から天気である.
ユトレヒトの手前ではカラ天気過ぎて、堤防が決壊して町が水浸しになっている写真が新聞にあった.土が乾きすぎてもろくなった結果らしい.
「我々は、国を作った」…という国らしい事件だ.オランダの7割くらいは、干拓で作られた土地だから。

夕方、ミエコと買い物.ギリシャで船に乗るので酔い止め、安い魚.肉焼き器があったのでそれを買った.

で、終り.



2003年08月26日(火) ゴッホにご挨拶

今日もいい天気だ.
オランダでは、カラ天気で困っているようだ.
で、一時は海の水を運河に入れてお百姓さんからひんしゅくを買ったらしい.

今日はミエコサンの甥っ子コウジくんとゴッホ美術館に行った.ゴッホさんにご挨拶だ.毎度おなじみながら、混んでいる.それで、毎度おなじみの絵に会う.
入り口付近にある、「ジャガイモを食う人々」そして、南フランスで描いた「収穫」「黄色い家」晩年オランダにもどってかいた「雪に覆われた大地」「光」
特に、この絵は好きだ.長いオランダの冬だろう.余り広くない部屋でわかい夫婦の夫は何かを作り、妻は裁縫をしている。その先に赤ん坊が眠るゆりかごがあり、隅っこには猫もいる…そんな平和な光景を描いている.右天上につるされた明かりが黄色い光をそんな部屋全体になげかけて、暖かく照らしている…
いつも不思議だと思うのは、かの有名なひまわり、ちっとも上手じゃないけれど、ひかれる.やっぱり思わず立ち止まる.どこを切ってもゴッホと感心する.

一時間半余りでひととおり見終わってコウジくんとの待ち合わせ場所に行く.
「おれは糸杉が見たかった」
「そういえば、ここで見たことはないけど、一度だったか見たなあ…巡回かクロラーミューラ−かも」
ゴッホ美術館というと、アムスのここしか知らない人もいるがもう一つ郊外の不便なところにでかい奴があるのだ.
私一度行ったことがある.そこで見たのかもしれない.
「帰る前に、レンブラントの夜警とフェルメールだけでも見なさいよ」
と、彼を国立美術館前に連れていって、わたしはクリエイテブツアーヘエアチケットを取りに行く.
で、途中、路上アーチストが馬頭琴で「ホーミー」をやっているのにひっかかってききいってしまい「もう一度ホーミーやって」とリクエストまでしてしまい。更には、15ユーロでCDを買ってしまった.
いや、できれば、モンゴルの草原で聞きたかったもんだわい.

夜は、帰る前のコウジくんコンセルトヘボーにご招待.
プログラムはショスタコビッチ、チャイコフススキー、ストラビンスキー。
コンセルトヘボーの素晴らしい残響効果がすごくいかされるプロだった.
ショスタコビッチを、オナマで聞くのは初めて.おお現代音楽だな、とけっこう当たり前の感想を持ってしまった.
コウジクンは、これが一番良かったらしい.

帰ってきて、ビールを飲みながらはがきを書いて、ミエコサンとおしゃべり.
長い1日でした.



2003年08月25日(月) アムステルダムはいい天気

午前中は、日記のアップをしたり、洗濯をしたり…スッキリしない天気が午後になって晴れあがった。
こんな日に家にいるのはもったいないと、ミエコさんのおいっこさん(3ヶ月前から来ている)と共に、散歩兼買物に行った。
いつもの本屋で「ストリッペンカルテ}という回数券を買って、ダム広場(アムスの中心)まで行き、ニューマルクトの中華街まで歩いた.
ホントにお日様が輝いて、風はさわやか、いい気持ちである.
例の如く、豆腐と、空芯采、冷凍のゴマ団子などを購入して戻る.
青空市をのぞいて、1ユーロの画期的に安いふどうをかって、スーパーでビールとワイン.みんな、おとものおいっこさんが持ってくれるので助かる.
ユーロが強いので、一ユーロ=130円。モノが安いという気がしない。
いやはや。
明日はギリシャ行きのチケットを取るついでに、美術館まで行ってゴッホさんにご挨拶してくるつもりである.

今日の夕飯は私が作った.
(真面目に料理するのってホントに久しぶり)
テクラブ氏や子供達は「美味しいよ}といってくれるので、つくりがいがある。



2003年08月24日(日) アムステルダムからコペンハーゲンへ

デンマークの西の端っこ,Ribeである。朝7時前に起きて、きのうかかなかった日記を書く.YHの同じ部屋のレイカさんと、スペイン人の2人の女の子はまだ爆睡中。
10時前にYHをチェックアウトして、町のヴァイキング博物館に行く.ロスキレに続いて2度目のバイキング関係の博物館である.
この博物館は、地方のそれに徹している.800c、1500cのこの町の様子はまるで、蝋人形館のように再現されていてわかりやすい。
今は小さな、首都から4時間もかかる田舎町だが、バイキングの時代の賑わいと、それに続く交易時代の繁栄はすごいものだった.まあ、15世紀くらいの家並みが「固まって凍って残る』というこの町の姿からそれは大体偲ぶことができる.
この町、世界文化遺産の価値はあると思うけどね。なっていない.
11時10分に博物館をでて、25分の電車を待つ.
ホームにいたら若い男の子が話しかけて来た。
「どこからきたの」
「にほん」
「デンマークはすきかい?」
「すきですよ、安全だし、みんな親切だし」
「でも、うちの国は小さいからね」
ガイドブックに、デンマーク人は国の話になると必ず「うちは小さいから」というとかいてあったのだが、その通りだったので笑ってしまった.
定番の会話をしてしまった.

バーミングという町で乗り換えてコペンハーゲンへ、電車は大混み、最後の夏のバケーションだった人が多いのだろう.
席を予約してあったお陰でワタシはお昼寝タイム.
デンマークの田園風景は退屈なのである.牧場に牛がごろついているだけ…その景色が延々続くのだ.
切符調べにきた車掌さん「これは、空港にはとまらないよ、コペンハーゲンからまた乗りかえるよ」と親切にも教えてくれる.「はい、知ってます」といったら、にっこりとうなずく.
いやはやご親切様.

5時半のアムステルダム行きのヒコーキに無事に乗って6時40分アムス着.
ミエコさんと無事に合流。
やれやれ。
納豆もアンパンも食べられました.
めんたいこも大丈夫でした.
これもやれやれ良かったです.



2003年08月23日(土) オーデンセからリベへ

オーデンセは、コペンから1時間半余りのアンデルセンが生まれた町である.
朝早く出て電車に乗ったけど、8時のインタシテイは大混みで席が無かった.
立っていたら、同じく前に立っていたデンマーク人夫婦の奥さんのほうが、席をゲットしたらしくて、私にもこいと誘ってくれてめでたく座った.大慶。
見れば、席の上に予約者の乗る駅と名前が電子表示されていて、つまり、コペンからのるその人達来ていないと言うことはキャンセルされたということになるわけで…というシステムが分かりましたです.
オーデンセはちっこい町。(日本人から見たら)でも、人口550万ほど、国土が九州くらいのデンマークからすればそれなりにでかい.
で、アンデルセン博物館へ。
アンデルセンという人の意外な一面を知った.
まず、身長が180センチもあって当時の平均より20センチも高かったということ.
長い顔に高すぎる顔、やさしい目が何だか間抜けぽったとか…で、生涯、歯痛に悩まされていたとか、鏡に己をうつすのがすきで、セルフポートレートをとるのも好き。
絵や、切り絵がクロート級にうまくて、しかし、彼は自分の物語のために絵を描いたことが無いという.(じゃ、彼の名作「絵のない絵本」って、悪いジョーク??と考えるのは私のひねくれた性格のせいだ)
何より、私が興味の持ったのは、彼が「旅行人」だったいうこと.
日本語で彼の紀行文集も出ているようなので日本へ帰ったら読んでみたいと思った.

この後、2時過ぎの電車でデンマークの西のはじRibeへ行く段になって、電車が車両故障で大変だった.
面白かったのは、途中の乗換駅でタクシーに乗り換えて、Ribeについたこと.
時間的に言えば、本来の到着時より10分遅れ。
40分近い遅れをタクシー送で取り返したわけだ.
こう言うの初めて.
デンマーク人の気質の現れか??

YHで、レイカちゃんという東京から着た19歳の女のこと同室となった.
「あの、英語、全然聞き取れないんです」
開口一番これ。
聞けばはじめての海外
「良かったね、物価は高いけど、日本より安全なデンマークが旅の最初で。これがトルコ、スペイン、イタリ−だったらあなた今ごろ、なんか取られているよ」
「どうして」
「だって、その荷物は取ってくださいって言っているもん」
 彼女、でかくて重いスーツケース、プロのカメラマンが持つような銀カメラケース、バック。
おまけに、部屋に入るなり、バッグを置いてトイレにかけこむ。
おばサン(私)は、懇々とバックパッカーの心得を話してしまった.
即ち、背負う.荷は少なく、貴重品はいつどんなときにでも身につけておく等など。
素直なお嬢チャンで「はい、はい、今度はそうします」
まだまだ、うるさいおばんは色々とおせっかいをしたのだがここには書かない。
彼女を見ていたら、日本人がモノを取られる一つのパターンが見えた.
パンをかって食べているけど、レストランには入れない、でも肉が食べたいというので夕食を一緒にした。「でんぷんしか取らないと、たんぱく質が不足してバカになるよ、ビタミン取らないと、お肌は荒れるし風邪引くよ」「欧米のYHはスーパーで買い物してきたらキッチンに何でもそろっているし、自分で料理できるんだよ」
おばはんは、またまたおせっかいでありました.

Ribeは、8時になると、未だに中世そのままの仕度で「夜警」が、中世そのままの町を巡回する。
それが夜の名物.観光客はその後ろについて回る.
夜警おじいさん、時々歌をうたう(火の用心?)観光案内までしてくれる.
そばを歩いていたら「どこからきたか」と聞く.
「にほん」
「にほんのどこだ」
「よこはま」
「おう、知り合いにいる、かの女はデンマーク語を話す」
「すみません…わたしは日本語だけよ」(笑)

レイカチャンと、夜の町を更にうろうろとして9時半ころ帰った.
9時半にはくらい.
北欧の美しい夏も終りが近いのだなあ..
















2003年08月22日(金) ロスキレへ

何しろ、ガイドブックは、図書館でコピーしてきた「地球の歩き方」数枚と、4年前に買った古い薄いブルーガイドしかないので(北欧はシステムが日本と似ているし安全だし、人は親切と分かっていたので、ろくに準備しなかった、行けばなんとかなると・・)テキト−にうろつく予定.
一応、世界文化遺産の大聖堂のあるロスキレへ.
ここには、前から興味のあるバイキング博物もあるのでそれも見たいし.
シェクスピアの「ハムレット』の舞台クロンボー城にしようか、迷ったのだがこれはキャンセル.

午前はコペンから30分ほどのロスキレ、午後地質学館と街中ウオーク.と決めた.
駅でチケット買うときにカウンターにいたおばサン「戻ってくるの』と聞く.
うなずくと「だったら24時間カードにしなさい」と勝手に決めて売ってくれた.
90クローネ(1800円)で、一日乗り放題はお徳である、確かに.

ロスキレ大聖堂は、要するに王家の墓地である.
デンマークは今だ王国なのだ.
でかいカテドラル(デウモケルク、とかいてある、)の中に38人もの王様やお后さんの棺おけがならんでいる。
それぞれ、大理石であったり、木の装飾スゴイ奴であったり、ビロード張りだったりで個性的.
わたしは、なかみにすごおおく興味があった.
なかでどうなっているの?
しかし考えてみれば、日本でいえば「宮内庁管轄」の古墳群に観光客を入れて
金を取っているわけで…オープンキングファミリーなのだ.
まあ、北欧の王国三国(デンマーク、ノルウエ−、スエーデン)はみんななこんな感じで開放的である.
以前、オスロで、宮殿のすぐそばまではいることが出来てびっくりしたものだった.
日本は、こういうの、見習うべきだよ。
因みに北欧の王室は、レジスタンスと自由解放のシンボルで国民から真の意味で歓迎されている。

バイキングミュージアムは、フィヨルド湾に沈んでいたバイキング先などが再現されていたり、そのときのフィルムが放送されていたり、結構大ががりな博物館であった.
何より、バイキング船の見事な作りに感心.更には、その船に石を積み入れて喫水線を深くして、その石の上で煮炊きをして航海をしたという再現コーナーにスゴイ!だった.
日本では、バイキングというとバイキング料理とか、海賊のイメージがあるけどそうじゃないんだよね.
わたしは、BBC放送製作の「バイキングロード」という番組を見て認識を改めたのだが、彼らは冒険者達で、平等主義で、女性も男性と同じ権利を持って尊重されていて…とにかくスゴイのだわよね.
ヨーロッパ文明はキリスト教の前にバイキン在りきなのだ.
彼ら、上記の船で、フランスからスペイン、トルコ、アフリカ、ロシア、更にはアイスランド、グリーンランド、北米大陸まで行っている.
北米大陸に到達しているのは、コロンブスより500年くらいバイキングが早い.
そのルートが詳細に図示されていて、私は思わず写真を撮りましたです.
ルーン文字コーナー(聖なる文字といわれるバイキングの言葉)もあって、自分の名前を書いてきた.
いや、おもろいバイキングミュージアムでござった.

午後、地質学博物館で仰天したこと、あの氷だらけのグリーンランドにも何万年か前に「木」が生えていた、それもでかい奴が。。に驚いた.
グリーンランドの水晶を今治のストーショップのkさんにお土産に購入。自分用にも一つ。まだ泥がついていて「新鮮、レア状態」だった。

それにしても、この町の物価の高いこと…
ビールの小、トルコふうのピザで63クローネ(1300円くらい)(本日の夕食)
、トルコで食べたら、200円ってとこだよな..と思ってしまうのは私がいけない…日本値段だったらまあ妥当??なんだけど。

午後になって、ぐずついていた空が晴れ上がった。
街の中心の王立公園のベンチで足もみとごろつきで気持ちの良いお日さまを楽しんだ.
この町もアムスのように居心地がいい。
というのも、誰も、日本人の私がベンチで足もみしながらひっくり返っていても気にしないから.でも、なんか聞いたら親切…
円形タワーに登って町を上から楽しんでYHへ帰った.
8時過ぎ、まだ明るくて,YHの同じ部屋の人達はだれもかえってない。
のんびりシャワーして、日記を書いて過ごした.
……………
因みにチボリ公園は、ついた昨日の夕方行きました.
というのも、何と席がビジネスでもらえて、凄く楽チンフライトだったので余力があった.
まあ、遊園地ですわ.
デズニ−ランドが真似たというテーマパークの最初だったとはいいながら、
今やメンテナンスの良い未だにそこそこ繁盛しているふるい旅館って感じかな.
夜じゃないとつまんないです、イルミネーションを見に行くようなもんだ
でした.












2003年08月21日(木) ビジネスに乗ったよ

今日は、団体が入ってエコノミーが無いとかで、何とビジネスをもらった.
やった!!ね。
でもま、わたしは、一年オープンのチケットで17万くらい払っているし、ふつう安チケットとは一線を画する.当然といえば当然だい。
でも、楽でした.
食事も、コースでサービスをしてくれるし.
良かったですわ.
予定通りにコペン着.
ユースで荷物を置いて、小雨のチボリ公園へ行った.
おかげさまで無事でありました.
コペンハーゲンは、日本よりずっと治安がいいと思う.



2003年08月20日(水) お久しぶりで・・・す

明日、駅前から成田直行のバスに乗る。
7時20分発、いやはや便利になったもんだ。
で、11時半過ぎ、まずコペンへ飛んで、チボリ公園なんぞを見て、コペンとリーベという、デンマークで一番古い町へ行って(なんの、オーデンセという、アンデルセンの生まれた町のYHが満員だったので)都合3泊したら、24日アムステルダム着。
9月に入って、ギリシャへ行く。
ギリシャとポルトガルって、ヨーロッパのアジアと聞いているのに、意外にホテルとか高い。ユーロになってからすべてヨーロッパはその傾向だわ。
2000年にいったポルトガルは安かったけどね。
とにかくエーゲ海の青を見て、スパルタ教育の面影を探してきますわい。
で、9月17日?に帰国予定。
(情けないことに、いつがとれているかよく分かっておらん)

今日は、郵便局・銀行、図書館、デパート、スーパー等々むちゃ忙しかった。
三枝子の好物の、明太子、納豆、あんパン、たくわん、羊羹、等々を買ったが直行じゃないからな・・・あんパンなんて腐ったらあしからずだわ。
ゴマ豆腐とか讃岐うどんとか少し、いれた。
毎度のことながら、荷物は少ないが、これがけっこう重たいよ。
ホントに、あんな日本食大好きの人が外国で暮らしているのが不思議というか、運命の皮肉というか。
とにかく、明日からいってきます。
アムスから、アップできたらします、です。



2003年08月15日(金) 破磐神社 奉天燈祭へ

本日もハードでした。
6時おきで、奈良八木から京都の清水寺の秘仏観音さまの拝観。
これはすばらしかった。
機会があったら、みなさん、おいでくださいませ。
で、10時半、同じく京都にてお遍路について取材を受けた。糖尿病関係の人が読む健康誌とか。
2時、新快速で姫路へ。今日も火祭りだから、神事は6時半より。
4時着、始まるまで宮司さんや奥さんとお話ししたりぼやんとしたり。
境内では、地域の方々が準備を終えたあと太鼓の練習が始まっている。
気合いが入っているぞ。
あっという間に夕方が来て、境内は、子ども、大人、浴衣掛けの人で埋まった。
神事、その後は、小学生の太鼓の披露。
盆踊り、今時、アカペラでの盆踊りは珍しい。
年季の入った声である。
大松明に火がついて、本格的に始まるのは8時半である。
宮司さん、境内を走り回ってお忙しそう。

いよいよ、今日のメーンイベント。
神火から、宮司さんが採火、たいまつに火がついて、厄年の人が持って練り歩く。
迫力あって見物である。
その後、どんどに火がついて、そこから大藁の束に火をもらい舞殿で火を持って踊り、最後はたたきあうのだ。
秀吉による鶏足寺の焼き討ちで亡くなった僧侶たちを慰める行事である。
このたたき合いはすごい迫力で言い方がよくないかもしれないが「おもしろかった」これは、楽しくて癖になりそうである。
「やりたいな」といったら、宮司さんの奥さんにそれは少し無理かな・・と笑われた。
終了、10時半。
お祭りが終わった地元の方々は満足そうな充実感があふれていた。
これで、3日続きの火祭りの旅終了です。
また、明日から数日夏休みです。
あしからず。



2003年08月14日(木) 立里荒神 春日大社 萬灯籠へ

朝10時のバスで、立里荒神へ。これが今日のメインである。
朝からすごい雨降りだが、行くぞ状態である。
かすみさんは、レイキをやっている人らしくて「わたしもそこ行きたいです」ということになって、思わぬ道ずれができた。
千手院前から、バスで40分ほど。で、ご祈祷の時間だったのでしていただき、登って拝殿へお参りした。
すごいエネルギーである。
お大師さんが月参りされたという言い伝えがあるが、なるほどと思わせられる。
1時7分のバスまで、うろうろ「荒神さん」エネルギーを、満喫した。
で、売店のおばさんから、マタタビや自然林から取った山椒の木の話を聞いて仲良しになった。
名刺までもらったよ。

かすみさんはチャリダーでもあるので、YHにチャリを取りに行くのでさよなら。
友だちになってください、といわれたけど「もう友だちだよね」と、メルアドなどを交換した。
こういうところが、YHのいいところです。

夕方、奈良あすかロードへ。
奈良のYHを満員御礼でことわられたので、決めたYHだが、きれいなYHである。
荷物をおいて、春日大社の萬灯会へ向かう。
雨で町中のろうそく祭りは中止になったようだが、夜間拝観や春日大社のお祭りは予定通りだ。
で、まずは東大寺の大仏のお顔のところが出ているので、お参りと拝観。
人が少ない。こんなに人が少ない東大寺は初めてである。
その後、東大寺の売店にいたおじさんに春日大社は足下を気付けんといかんよ、と言う言葉に送られて、闇の中を歩く。
ほんらいなら ここにろうそくがついてまたまた「幻世界」のはずだったんだけどな・・・・・・雨がにくいね。
ちなみに、ろうそくはカノンさんちの「ペガサスキャンドル」みたい。
協賛に名前があった。あれーとうれしくなった。

昼間いくと、何てことはない石灯籠に今夜は、みんなろうそくがはいっている。
それだけが、闇の中に浮かび上がる。
美しくてアヤし。夜参り、いとつきずきし・・・・
ホントに、萬灯あるのかな、というくらいに、あの立ち並ぶ灯籠にすべてろうそくが入って、燃えている。
外側から献灯者の名前と願い事が入った紙でふさがれていて、この作業だけでもすごく大変な行事なんだろうな、と思う。
9時、近鉄奈良から、八木のYHへ戻る。
食堂で、今時のYHではめずらしいミーテングというか懇話会みたいなことをしていた。
高校生から社会人まですごく楽しそうで、お風呂に入った後、これを書きながら、30分ばかり仲間にいれてもらった。
11時消灯なので、アップは明日だ。
明日も雨とか・・トホホだよ。






2003年08月13日(水) 高野山万灯会

久しぶりの日記です。
で、朝から、ドエレー失敗をしてしまった。
18切符でいざ、高野山のはずが、駅に来たらないではないか。
ちゃんと、入っていると確認した東急観光の袋にあったのは説明書きのみ。仕方ないので、すごすごと取りに帰った。
6時26分に乗るはずが、だめ。苦肉の策で、熱海まで新幹線で追いついた。
で、18切符より高い料金で・・・馬鹿みたい。
びしびしと乗り換えて、高野山着夕方5時14分。
宿は、YH。
即チェックインして、壇上伽藍へ提灯整理券をもらいにいった。
同じYHのかすみさんという女性と一緒である。
金堂の前の声明、大松明への点火。
そうして、一の橋への移動である。
後ろからくっついていく。
で、たいまつを担いでいる人に、どういう人が担ぐんですか、ときいたら山内の厄年の人だとか。
あつくないですか、時いたら、そりゃ熱いよ、そりゃ、重いよ。
愚問でした。
しかし、今日の高野山、涼しすぎる陽気である。
雨きそう、(こういう儀式の時は天が感応しやすい)と思ったら、やっぱりきたね。
練り歩いているときにちょこっとね。
一の橋からすごい人で、提灯の火が外枠について火事になる?と困るので、消した。
で、ろうそくを5本もらった。
ご先祖、友人知人、家族、自分、世界平和で5本(私流だけど)、火をつけて祈った。
あの奥の院への山道、ろうそくの火で彩られて幻想的である。
これを、写真で見て、いつか来たいと思っていたんだけど、夢、実現でした。
8時よりの奥の院での勤行、しっかり、つとめさせていただきました。

9時過ぎ、ご廟前でお参りして手を合わせたら、なんだか、頭から引っ張られそうで、びっくりした。
今日は、お祭り、お大師さんも喜んでおられるのか、すごい力だった。
帰り、あの人波はどこに行ったのか、である。
静かな参道を、かすみさんと歩いて帰った。
あのろうそくのあとかたずけが始まっていた。

いつかいつかと思っていた13日の高野山万灯会、よかった。
昨年11がつからこれで3回目の高野山、ありがたいです。
どっかで、ひらりさんが加行しておられるんだ、と歩きながら考えた。



2003年08月04日(月) 10日ほど日記、夏眠します

新潟も暑いです。
せみがちゃんと鳴いてます。
昼は、夏野菜カレーだ、とまたしてもカレーであります。
で、なつだ!ということで、10日ほどこの日記も夏休みします、です。
このところ、ネット中毒気味なので(右手首が痛い・・たぶんマウスのせい)ネット関係も夏休み、冬眠ならぬ「夏眠」となる予定。
では、ごめん。





2003年08月03日(日) 草取りday

母が「盆が来るのに屋敷うちが草だらけ」というので、まだ足ひっこひこだし、午前、午後と草取りをした。
関西では、草抜き、関東では草むしりという傾向にあるようだが、まあうちの場合は、家の周りにある小畑がでかい草に覆われてその間に、花が咲いていうという状態。草取り、モトイ、草刈りだった。
汗が滝のように流れてまあ、気持ちいい(夏遍路より快適)
北海道の子どもの村のおじじは「草も我らと同じ生命」だから、森の下草を刈らない。
徳島の今関さんは、草を親の敵のように話される。
立場の違い・・だけど、どっちも出会って話したら気が合いそうなのが不思議。
どっちも自分の立場とやり方に徹底しているから。
なんてことを考えながら草取りをしていた。
私はプランターに雑草(という名の草はないとおじじはいう)が生えてくると、なんだかいじらしい気がして抜かない。そのままにしておく。
草刈りをしていると、やっぱり、これだけでかくなったのにごめんという気分になってくる。あだな仏心、である。

日中の一番あついときはもちろんクーラー読書。
姪の部屋に転がっていた「白い犬とワルツを」という、老境小説?を読んだ。もうちょこっと残っているが、なかなかでした。

姪は、昨日の花火で、夜10時過ぎ大学のガール・ボーイの友人たち6人もつれてきて騒いでいたけど、甥はひたすらパソコンでお遊び。おタクをしていた。
おまけに、かわいい子がいるから、挨拶しといでといっても、メンドーだ・・・なんて。おじさん肌着シャツにパジャマのズボンのせめて上をTシャツにする、というのが面倒だ・・・ありゃ。
どっちが健全かねえ・・・と考えてしまった夕べであった。

草取り効果で今夜はビールがうまそうだ。
うちの窓から遠花火を見物しながらビールですね。



2003年08月02日(土) 姫路から・・・・・・

8時30分、姫路発。18切符の旅である。
7時半過ぎに、お仕事前のDさんよりお電話をいただき、おにぎりの差し入れをいただき駅まで送っていただいた。
感謝。新快速車内で早速にまだ温かいおにぎりで朝食。で、すぐに、もう一度熟睡してしまった。三宮、大阪、京都と時々目は覚めるがしっかりと覚醒したのは、近江八幡あたり??駅の横手に藁葺きのお寺があって、あっという間に通り過ぎていった。
都会の似たような景色は、眠気しか誘わないが、このあたりから緑が多くなって景色のおかげで完全に目が覚めたという感じ。
余呉のあたり、昔、帰省するときにまるでタイムポケットに入ったような景色があったモノだが、今やすっかり変わってしまっていて、残念であった。
長浜、福井、金沢、富山と乗り継ぐ。
長浜から福井の間、隣のおばさん二人、ご近所のうわさ話で盛り上がっていた。
自分らによく挨拶したり、車で偶然通りかかったときに乗せてくれたりする「子」が「かあいらしい」らしい。
金沢までは、隣のボックスのおばさん3人(二人は孫がいそう)は、ダンスが大好きで習っているらしくて「やめたら、一気にどっと老け込むで、やめたらいかん」という話で盛り上がっていた。まあ、そうだわね、と私も内心うなずいた。
富山で30分ほどの待ち時間で、鱒寿司を夕御飯としてゲット。変わったモノとして、昆布を餅に入れ込んだだけのおもちを買った。おやつ「昆布餅」、うまかったですね。

びっくりしたのは、あの昔の旅人の難所「親不知子不知」で、海中に高速道路が走っていたことだ。
そりゃ、山が迫ったところだからね、高速の位置はあそこしかないだろうが、ちょっとおいおいだった。
昔、帰省の途中でここで途中下車して、一人で荒れ荒れとした浜を歩いていたら、自殺者と間違えられて。、魚釣りのおじさんが何気についてきて、逆に怖かった。「なにしに来たんだ」「親不知、子不知の見学」と答えて、まあ、私を見たら、こいつは死にそうにない、と思われたらしくて「死にに来たんじゃないんだな」といわれて一件落着でござったモノでした。
もう一回、そうまちがえられたのは、熱塩温泉というところ。
一人で温泉旅館に泊まって、朝の散歩に出たら、旅館の人が探しに来た。あんときも笑った。(20数年前のことでした)
なんて思い出していたら早夕暮れ。
電車は昔懐かしい4人ボックスカーで、直江津に向かっている。
直江津では、少し待ち時間、い時間ほどがある。
日記をアップしようか、それとも、なんか食べようか。
鱒寿司はおみやげにしてもよい。
一応、長岡帰着9時30分の予定。
これで、本州の主なる、鉄道線路、各駅で乗り通すことになる。
とりあえず祝!(なにがあ?グッズとか、証拠写真とかないので、これは我が心メモリである)
支線と、北海道、九州が残る、な。
  ということで、直江津に向かう車中にて、6時30分記

追記 
ああ、びっくり、直江津駅、昔の面影なし。   
20歳の頃、高校時代の友人が直江津に引っ越したので来たことがあるのだが・・・・
駅立派、しかし、しかし、でかいだけで、コーヒーショップの一軒もない。
駅前のホテルに飲み屋と、レストランはあるが・・・・・私は、ドトール、ケンタとか、ミスド的・コーヒー屋が一軒くらいはあるだろ、と思っていたのだが。スタバはないだろうがねえ・・・ショック、甘かったす。
で、今クーラーのきいた直江津駅待合室にて、です。
本日終わりです。



2003年08月01日(金) うれしいお掃除

今日は、午前は鶏足寺観音堂のお参り、われ岩周遊、今治よりのKさんとさよならして、午後は、神社の本殿のお掃除をさせていただいた。
いつも、おいしいところだけ、楽しい思いをさせていただいているので、せめてものご奉仕でした。
でも、掃除後は、涼しい木陰で宮司さんご夫妻とランチタイム(含む極楽ビール)その後はおしゃべり。またしても大変楽しかった。
セミが鳴いて、空には雲なく、姫路もやっと、夏らしい、とか。
でも、さわやかなので、木陰は涼しい。
これは、盛夏というより、晩夏の気配である。

明日は北陸線経由で帰省する。


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