おひさまの日記
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2002年08月31日(土) お祭り

9月の2、3日に地元のお祭りがある。
4年前に今のマンションに越して来たけど、一戸建てのように近所付き合いもそんなになく、
軽く挨拶したり、時々もらいものをおすそわけする程度だった。

少し前、保育園でウチの上の階に住んでいるママが、お祭りの話をしてきた。
子供の山車が出て、途中で踊りもあるそうだ。
アンナちゃんもどう?と誘ってくれた。
正直、私はずっと地元の集まりだのなんだのかんだのが面倒くさかった。
近所とも頻繁に行き来するのは苦手だった。
なるべく避けて、無難な付き合いをしてきた。
でも、そろそろアンナも、親だけでなく、色々な人や子供同士の中に入れた方がいいかなぁ、って感じた。
で、山車を引かせてみることにした。

夜は近所のお寺の境内で踊りの練習があり、アンナを連れて行ってみた。
アンナは地元の若い衆に踊りを習い、その間、私はママ達とおしゃべりをする。
ん?なんだか結構楽しいぞ。
アンナも今まで見たことがないくらい嬉しそうな顔で練習してる。
練習が終わると、アイスをもらって満足そうな子供達がしばらく境内で遊び、
帰り道では、手をつないだり、棒を振り回したりしながら、はしゃぐ。

特にマンションの住民みたいなよそ者からすると、地元はうっとうしいものかもしれない。
けれど、お祭りに参加してみると決めてから、その流れで動いてみると、
今までうっとうしいと思っていた近所の付き合いや、地元とのつながりが、
なんだかいいものじゃないかと思えてきた。
(ま、過剰なのは困るけどね〜)

今日は山車を引く時のために、なんて言うんだろ、名前は分からないけど、
よくお祭りの時にみんなが来てる服、アレを買った、下にダボシャツ着るヤツ。
アンナに着せてみると…かっ、可愛い!
今から当日が楽しみ♪
え〜、そんな服なんか用意するの高いし〜、なんてボヤいてた私が嘘みたいだ。

今年のお祭りがきっかけで、私はなんだか大切なことに気付けたみたい。
都会のような干渉のない生活に憧れ、目指していた私が、別の世界の素敵なコトを垣間見た。
なにより嬉しかったのは、アンナの笑顔だった。
子供の笑顔がこんなにこんなにも嬉しいなんて思えたのは初めてかもしれない。
私ひとりではしてあげられないことを、他の人や子供達から、彼女は受け取ってるみたいだ。

なんか、あったかい。


2002年08月28日(水) ラッキィィィィィィ!

今日、スーパーで買い物をした。
計5、145円。
5千円札1枚と小銭で145円ぴったりを出した。
すると、レジの兄ちゃんが「10、145円お預かりしまーす」と言った。
「ヘ?」一瞬よくわからなかったが、釣り銭で5千円札一枚をくれた。
こ、これはっ!?そう、これは、これは、5千円のもうけ!?

頭の中で、天使と悪魔が格闘したが、いともたやすく悪魔が勝つ。
「さっきのは1万円札じゃなくて5千円札ですよ」と、
喉まで出かかった言葉をごっくんと飲み込み、私は足早にその場を去った。
あああ、感じのいい新人っぽい兄ちゃん、ごめんね、でも、でも、ありがとう!
私はこれをラッキーと呼びたい。
だって、この5千円が、実は今月相当火の車だった我が家を救うのだから。

清く正しく美しく生きられない自分が愛おしいと思ったりして。
へへへ。


2002年08月27日(火) わかっててやってる自分も許したい

今日、左耳にもうひとつピアスホールを開けた。
ピアッサーで自分でやったんだけど、ちょっと痛かった〜。
今はもう鈍痛も引いて、フツー。

ふと思う。
私がピアスホールを開ける時って、ちょっと心がヒリヒリする時みたい。
特に、ある特定の痛み(詳細秘密・笑)がある時に。
なんだろう、こう肉体的な痛みで心の痛みを緩和すると言うか。
ピアッサーでバチンとやった時、痛いんだけど、なんか気持ちイイわ!みたいな感覚がある(Mぢゃないよ)。

どうして気持ちイイのか?
それはこういうことになる。

「ピアスホールを開ける時は痛い」というのは常識であり、
人から見て「痛いことをしたのね」つまり「痛かったのね」とわかることだ。
実際は、人のピアスホールを見てそこまで考える人はいないんだけど、
自分が痛いということを示すことは、無意識の部分からの、
痛いことをしました、痛いんです、実は心も痛いんです、という無言のメッセージになる。
つまり、痛いのよー、だから見てちょうだい、気付いてちょうだい、というオタケビなのだ。
表向きは「助けてちょうだい、こっち見てちょうだい」って言えないので、
人はそうやって自虐行為をすることで、無言のメッセージを発信する。
言えないことを発信できたのだから、痛いんだけど気持ちイイのだ。
あああ、言えたよ、みたいな。

私は自虐行為だとわかりつつ、あ〜、ピアス開けたいな〜、と思うと開けてしまうのだ。
だって、気持ちイイから〜、スッキリするから〜。
わかってやってる分、なんだか滑稽なんだけど(笑)
自分を助けてあげながら、オシャレにもなれる?からいいや、ってことにしている。
「ここにピアス開けたいなぁ」と普段思いながら躊躇していて、
こういう心の状態の時にバチンと開ける、それが私のパターンみたい。
それに、ピアス自体が大好きなことは付け加えておこう。

勿論、初めて高校生で開けた時は「ピアスしたい!」という純粋な動機から。

潜在意識は色々なメッセージを発信してる。
自分で気付いてること、気付いていないこと、いっぱい発信してる。
病気や事故にも「こっち見てちょうだい」「助けて」というメッセージが含まることがある。
自分に起こること、自分が感じること、ちょっと自分を離れた所で冷静に見てみると、
本当の自分がどうしたいのか、何を求めているのか、知るきっかけになるかもしれない。
と、キレイにまとめてみたりする。

私のある特定の出来事による心のヒリヒリとピアスホールって、本当に見事なくらいつながってて、
他のことでキツくなっても決してピアスホールを開けようとは思わないところも面白い。
その件についてだけなのだ。
っつーか、こうして客観的に見て分析して面白がってるんだから、全然ダイジョブなんだけどね〜。
職業病なのでしょうかっ!?(笑)


2002年08月22日(木) だらしない一日

今日は何も予定がなかったので、アンナを保育園に送り、家の中のことを済ませた後、ずっとだらだらしていた。
ソファーに横になり、時には居眠りし、なーんにもしかなった。
なんだかすごく幸せだった。

以前は、何もしないでいることがとてもイヤだった。
自分がすごくいけない人間のように思えた、とても不安になった。
何かをしていないと落ち着かず、焦燥感に襲われる。
常に何かをしていないといけないような気持ちになり、
仕事、遊び、日々の雑事、あらゆることで自分のスケジュール埋めた。
とにかく、ひとり、ただボケーッとしていることが苦しかった。

でも、やっと、何もしない時間に、本当にゆっくりすることができるようになったと、改めて今日気付いた。
ミカエルさんのセッションを受けた時、
「何もしないでいる時間って本当に豊かなんですよね」
と、おっしゃっていただいて、今日はそういう時間を意識して味わうようにした。

そして、以前、自分が何もしないでいる時に感じた不安や焦燥感、悲しみにも似た感情に想いを馳せた。
今思うと、それは「恐れ」以外の何ものでもなかった。
以前、何かに取り付かれたように動いていないと不安だったのは、
自分がそこで何もしないでいることを罪悪に感じたからだと思う。
潜在的な自分の存在への罪悪感かもしれない。
自分は何かが欠けた存在であり、それを埋めるために必死に動き回り、何かをしていないと価値がないような、
そんな強迫観念がつきまとっていたのだと、今はわかる。

その時はそんなことで自分が動き回っていたとは思いもしなかった。
なんて私は充実してるんだろう、そう感じて、満足していた。
私が動き回って忙しくして得ていたものは、時に、魂の満足のための行為ではなかった。
あの頃の自分、それは、正当な行為に見せかけた恐れから逃れるための手段に溺れていた。

勿論、そんながむしゃらなプロセスで得たものだっていっぱいあるし、
がむしゃらにやってるのが楽しくてどうしようもない時だってある。
それはそれでいい。
相反するものは表裏一体、バランスだって大切だから。
要は、それぞれの本質の見極めと言うか、何と言うか・・・

「恐れ」が根底にある時、結局そこから生まれるのは増長した「恐れ」であると、ふと、今日思った。
私はたくさんのものに怯えていた。
多くの恐れに基づいて生きていた。
きっと、今もそうかもしれない。

でも、今日、それを見つめることができた。
自分が何かを恐れていると知るだけで、今までの自分の謎が解け始める。
そして、なぜ自分の人生の中の何かが狂い始めたのかが見え始める。
今日、ふとしたことで目にした中島先生の言葉が、私にそれをはっきりと教えてくれたのだ。
光を見た気がした。

だらしない一日は、私に大切なギフトを与えてくれた。

少し涼しかった今日、ソファーで横になる私にくっついて眠る猫の体温が愛おしかった。
生きている限り、人生に行き詰まることは必ずある。
けれど、それは、そこから先に進むために、何かを見せようとしているメッセージなのだと実感する。
ゆっくりでもいい、歩こう、自分の人生を。


2002年08月21日(水) 日常の中の風景

包丁にワカメが乾いてひっついてた。
はがそうとしてひっぱったら、びよーん、って伸びた。
割れたゴム風船みたい、と、ふと思ったら、なんだか、うふふ、って、おかしくなった。

そんなこと考えられるなんて、気持ちにゆとりができてきたのかな?なんて思った。
セカセカしてて、イライラしてたら、ワカメが伸びたってどうだっていいもんねぇ。


2002年08月17日(土) 寝る前の考え事

明日は…

布団を干そう。
ビデオを返そう。
住宅ローンの組み替えの説明会に行こう。
アンナと外で遊んであげよう。
あの人にメールを送ろう。

自分が捕われている考えから抜け出すために、自分をうんと解放しよう。
広い世界を見よう。
色々なものを感じよう。

そんな日曜日にしよう。

そして、時々、思い出そう。
私の大切なコト。


2002年08月16日(金) リセット

最近、私の周りで離婚話が持ち上がる夫婦が多い。

先日、4年ぶりに会った友達も、離婚を考えていた。
自分から離婚を考えているコ達は異口同音に言う。
「これと言ったはっきりした理由はない」と。
「親や友達に、どうして?と聞かれるのが一番困る」と。

私も離婚を経験しているので、なんだかそれがすごくよくわかる。
特に、親に「どうしてだ?」と詰め寄られるのがとにかく苦痛だった。
だって、ただ純粋に「もうやっていけない」だけなのだから。
でも、親はそれでは納得しなかった。
理由を一生懸命見つけて説明しても「そんなことはどこの家でもある、我慢しろ」の一点張り。
そういう問題じゃないのだ。
本当に小さいことの積み重ねで、ある限界を超えた瞬間「もうダメ」ってなる。
その限界を超えるまでは大丈夫なのだ。
それまでは、頑張って結婚生活を続けよう、なんとか修復しよう、そう思っているのだけど、
超えた瞬間、すべてが一瞬で壊れる。
そんな感じだった。
理由を言えと言われれば、いくつでも見つけられる。
あんなこと、こんなこと、決定的な理由だってある。
けれど、ただ純粋に「もうやっていけない」なのだ。
そうなった時、同じ空気を吸うことも苦痛になる。

離婚がいいことだとは思わない。
でも、悪いことだとも思わない。
人生のプロセスの中で、たまたまそういう出来事があるだけなのだ。
自分らしく生きるために、そういう選択をすることがあってもいいと思うのだ。

事実、私は離婚したことによって、より自分らしく生きることを学んだ。
子供もいなかったので、その分苦労も少なかったんだろうけど。
そして、何より、それを体験することにより、離婚がすっごく大きな出来事なのではなく、
色々ある人生や世の中の出来事のひとつなのだと思えたことだ。
だから「ディズニーランド行ったけど、メッチャ混んでてひどい目にあったよ」
と言うのと同じように「私、バツイチでさ、その時は色々大変だったよ」と、淡々と言えるようになった。
そして、離婚を考えている人、離婚した人に対して、腫れ物に触るような接し方をしなくなった。

離婚だけではない。
人生には色々なリセットのチャンスがある。
自分をリセットする。
一度すべてを白紙に戻す。
裸から始める。
勿論、そこに苦労や痛みはあるだろう。
けれど、その中に身を置くとき、人は本当に強くなれる。

離婚話が出ても、修復できる夫婦と、できない夫婦があると思う。
友達の場合、後者のようだ。
これからの彼女を応援したいなぁ、って思った。
遠くで見てるだけだけど、自分らしく生きてほしいなぁ、って思った。

私は何度人生をリセットし、そしてリスタートしたことだろう。
大きなリセット、小さなリセット、それは生活のあらゆるところにあった。
そして、これからも。

変化は怖い。
けれど、変化に抵抗することは変化することよりも苦しいものだ。
いつも自分に正直でいたい。


2002年08月04日(日) 着メロ

今日、ケータイの着メロをダウンロードした。
「妖怪人間ベム」のテーマ曲。

私が登録しているのはハーフノートっていうジャズサイトで、
ジャズを始め、ジャズアレンジされた色々な曲が配信されている。
最初はベタなスタンダードばかりダウンロードしてたけど、そのうち飽きてくる。
しかも、そのサイトは更新がマメで、どんどん新しい曲が入ってくる。
嬉しいのはアニメソングも多いこと。
ルパンは勿論、宮崎シリーズもあったり。

でもって「妖怪人間ベム」も発見した。
これがまたシブ〜〜くてカッチョイイアレンジだ。
ウッドベース効いてるぅ、って感じのイントロにうっとり。

電話が来ると「妖怪人間ベム」が鳴る。
いいぞ、いいぞ、いい感じ〜、早く人間になりたい〜!
しばらく鳴らしておいてみた。
そろそろ出ないとマズい、でも、でも、もっと聴きたい。
♪闇〜に隠れて生きる〜、の最初のフレーズまで、長いのだ。
が、仕方なくイントロだけ聴いて出る。

余談だけど、
かなり好きで、ここしばらくスタンダードな着メロにしているのは、シャカタクの「ナイト・バーズ」。
これも電話に出たくなくなる着メロだな。


2002年08月03日(土) 天使

私はさほどサイキックではない。
天使の姿など見えない。
その声も聞こえない。
でも、過去に一度だけ、あれは天使だったのだと確信できる人物に出会ったことがある。
もう数年も前の話しだ。

とても辛いことがあった。
私は泣きながら車を運転していた。
「助けてください!
 助けてください!
 私を救ってください!」
声に出して叫んでいた。
かつてないくらいに打ちのめされていた。

しばらく走ると、少し先に自転車に乗ったおばあちゃんが見えた。
腰も曲がっているらしく、背中を丸め、ゆっくりゆっくり自転車をこいでいた。
そのおばあちゃんを車で追い越した。
と、その時、彼女が乗っていた自転車のカゴにキレイな花がいっぱい入っているのに気付いた。
可愛いピンクの桃の花と、元気な黄色の菜の花だった。
それが目に入った瞬間、無意識のうちに、私はブレーキを踏んで窓を開け、おばあちゃんに話しかけていた。
「おばあちゃん、キレイな花だねぇ」
「あ?これがぁ?キレイだろ?(←なまってる)」
「うん、すごくキレイ」
「んじゃあ、おめぇ、降りで来いよー、これさやっがら」
「え?いいの?」
私は車を降りて、おばあちゃんのそばに行った。
彼女は、しわしわの手で、桃の花と菜の花を自転車のカゴから無造作にとって、いっぱい私にくれた。
「おらぁ、行商してんだー。野菜とか、花とかなー」
と言いながら、さらにたくさんの花を差し出した。
「ありがとう、嬉しい」
私は両手いっぱいの花の匂いを吸い込んだ。
「おばあちゃん、野菜とか売ってるなら、私ひとり暮らしだし買いたいな。
 どうすれば会えるの?」
彼女は、自転車にまたがり、ぎこちなくこぎ出しながら言った。
「あー?会いたい時はいづでも会えっがら」
そして、ゆっくりと去って行った。
私そこに立ち尽くしながら、小さくなっていくおばあちゃんを見送った。
彼女は、やがて山道の奥の方に消えていった。
あまりに突然の、そして、瞬間の出来事で、まるでキツネにつままれたような気分だった。

そして、ふと気付くと、私はとてもハッピーな気持ちになっていた。
この世界が愛でいっぱいで、微笑まずにはいられないような、そんな気分だった。
あたたかくて、ワクワクして、さっきまで悲しみと失意に暮れていた私はもういなかった。
「この短い瞬間に一体何があった?」
私にはさっぱりわからなかった。
ちょっとなぐさめられた、辛い気分から目がそれた、そんなものではないのだ。
両手いっぱいの花を抱え、まさに私は至福の中にいた。
苦しんでいる環境も問題もそのままそこにありながら、私はまるでさっきとは別人だった。
心の中に不思議な勇気と希望がむくむくと湧いてきて、悲しみはみじんもなくなっていた。
不思議で仕方なかった。

次の瞬間、私の中に「天使」という言葉がひらめいた。
そう、天使、天使か・・・天使。
あのおばあちゃんは天使だったのか。
それなら納得がいく。
一瞬にして私の悲しみや苦しみを癒し、そこに幸せの種を捲いていった。
私の周りの出来事は何も変わらないけれど、その中に身を置く私が一瞬にして変化した。
そうか、そうだったのか、天使だったのか。
そして「会いたい時はいづでも会えっがら」という言葉が、私を妙に嬉しくさせた。
そうか、いつでも会えるのか、こんな形で。

私は今でもそのおばあちゃんが天使だったと信じている。
美しい羽を持ち、ドレープがいっぱいの衣をまとってはいなかったが、確かにあれは天使だった
そう思わざるを得ないほど、あのおばあちゃんとの短い時間に、私は奇跡の体験をしたのだ。

天使は、時に、人の姿をして現れると聞いたことがある。

大成功の頂点にバブルがはじけて倒産した青年実業家が、
自暴自棄になってブラジルへの片道チケットだけ買って逃避行した時、
海辺で老年のビーチボーイが声をかけてきた。
「何をそんなに沈んだ顔してるんだい?
 もっと楽に生きなよ、ボーイ。
 なんならここで一緒にビーチボーイになったっていいいんだ」
その言葉で、彼はハッと我に返り、何かをふっきり、何かを得たそうだ。
そして、日本に戻ってまた事業を立ち上げ、大成功をおさめた。
そのきっかけになったビーチボーイにお礼が言いたくて、彼は翌年、ブラジルのその海辺に行った。
しかし、その人物に該当するようなビーチボーイはいなかった。
地元のあらゆる人に聞いて回ったが、見つからなかった。
その辺りで、英語を話すビーチボーイはひとりもいないことを、ポルトガル後が話せない彼は、通訳を通して知った。
彼が出会った老年のビーチボーイは流暢な英語を話したのだった。
彼が理解し話せる英語を使って話しかけてきたその老年のビーチボーイは、実は存在しないことがわかったのだ。
そして、その青年実業家は、彼は天使に違いない、と、後日友人に語ったそうだ。

それは、私がおばあちゃんと出会った少し後、たまたまスイッチを入れたラジオから流れてきた話だ。
まるで、私が直感で感じた「おばあちゃんは天使だ」を、裏付けるみたいに。

その青年実業家と私の共通点は、
大したことは言われていないのに、瞬間的に救われ、自分の中に何かを見い出したということだ。

それ以来、私は、そんな体験はしていない。
けれど、それから、ふと目に留まって開いた本の中の一行から、
たまたま電話をくれた友達の言葉の中から、
たまたま、スイッチを入れたラジオのDJの言葉の中から、
そして、ひらめきや直感の中から、天使のメッセージを受け取っていることに気付いている。

本当にどうしようもなくなった時、私達は、自分以外の大きな存在にいつも助けられているのだと感じる。
そして、彼等は、本当にどうしようもなくなった時にしか現れないのかもしれない。
いつもは、私達の選択や意志に任せて見守ってくれている。
それこそが真実の愛なのだろうなぁ、と、思ったりする。

なぜだろう、急に「おばあちゃん天使」を思い出した。
そう言えば、ずっと昔、いつか自分のHPを持ったら、この話を絶対に公開しよう、
そう思っていたような気がする。
今、その時、というわけか?

ねえ、私の天使さん?


2002年08月01日(木) 浄化の雨

カーテンの隙間から一瞬光が差し込み、その直後、ものすごい雷鳴が轟く。
鉄筋のマンションが揺れるくらい凄まじい振動が来る。
激しい雨も降り出した。
ものすごい風で、もはや雨はまっすぐには地面に落ちられず、空中でとぐろを巻く。
雷鳴と雨の音が絶えまなく窓の外でし続ける。

なんだかよくわからないけれど、私はとても気持ちよかった。
まるで浄化の雨だった。
私の意識の中にある手放すべきものを洗い流してくれているように感じた。

今、私は体調を崩し、メンタル面でも不安定な部分が顔を出している。
ここまで走り続けてきた自分を振り返る時が来ていると感じる。
私自身がどうありたいのかを、自分と向かい合ってゆっくりと感じ、
新しいスタイルに移行していく時が来ているのだと感じる。
そんな自分をただ見つめている自分がいて、なんだかとても心地よいのだ。
体はキツく、気持ちもしんどいのだが。
何かが来る、そんな信頼だけが私をにんまりさせる。
何が来るのかはわからない、でも、何かは来る。

こんな時だからこそ、感じるままに動く。
したいことをして、したくないことはきっぱりやめる。
自分の衝動に感覚を研ぎ澄ませる。
すると、自分がどうありたかったのかが見えてくる。
何がもはや今の自分にとって苦痛で、そして、何を望んでいるのかが。

また、自分の意図するところとは全く別で訪れる出来事にも目を向ける。
何を伝えようとしているんだろう?って。
自分に本当の意味で訪れようとしているもののアウトラインが見えてくる。

また新しい私になった時、私から離れていくものもあれば、
こちらから手放すものもあるだろうし、新しくやってくるものもあるだろう。
そのすべてを、ただただ、自然の流れに任せて、自分の感じるに任せて、していきたい。
次はどんな私になるだろう?

こうして書いているうちに、雨もだんだんおさまってきた。
雷も遠ざかっていく。
私の中の何かが変わった気がした。
「カチ」と音がして、何かが動き出した気がした。


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