果実酒

火曜(休み)は、掃除をしたり本を読んだりしながら過ごした。
お昼には草むしりをしていた大家さんとおしゃべりして、
夜は後輩を呼び出して一緒に飲んだ。
決してパワハラじゃない、と思いたい。

後輩が連れて行ってくれたお店は名の如く裏にあったのだが、素敵なお店だった。
「本日の果実酒」というのがメニューにあり、詳しくは店員までとあったので尋ねてみると
果実酒の種類は、梅、夏みかん、とうがらし、珈琲、などなどと言う。

ん、とうがらしや珈琲は果実じゃなくね?
と思いつつ、もちろん珈琲を頼む。

厨房の大将みたいな人が、カルーアミルクとはちがうよ、と忠告。
持ってきたおじさんも、苦いよ、と忠告。

どんなもんかと飲んでみたら、まあ想定の範囲内な飲み物。
珈琲と酒が混ざり合うと、あんまりおいしくなんないのはなんでだろうか。
私にとって好きと好きなのに不思議。
2010年06月23日(水)

足音

肩が重い。
ずっしりとしたこの重みにどう立ち向かえばいいのだろう。
どなたかが上から押さえつけているのではないかとすら疑える。

そういえば、さっき、帰り道に後ろから
コツンコツンとずっとついてくる足音があった。
あまり人気のない角を曲がってもコツンコツン。

ん?こりゃおかしいぞ。

意を決して、振り返ってみる。

誰もいない。

歩く。
コツンコツン。

んん?

さらに歩く。
コツンコツン。

そこで気が付いた。
鞄の中の眼鏡が動いていたのだった。

ドキドキ損。

ちなみに、私は心霊現象を信じていない。
でも、無念なことに、幽霊を見たことはある。

しかし、肩が重い。
2010年06月19日(土)

注意

代々木上原駅で青いワンピース風の制服を着た小学生
たぶん低学年と思われる女の子が4人乗り込んできて
それはそれは騒がしかった。
悪ふざけをしている風の口調が勘にさわり、
周りの乗客たちもイライラとし始める。

そして、歌いだした。

私の降りる駅まであと一駅だ。

注意をすることにした。
悪態をつかれたら嫌だなあと思いながら、注意をした。

そして、やってくる静寂。
気まずい間。

早く駅に着けーと思っていたら、
ちょっとして女の子がこっちにやってきた。

悪態だ!
と思って身構えると、次々と「ごめんなさい」と言い始めた。
驚いた。
そういう素直さは持っているのね。

外で注意をするって初めてだよー。
そんなキャラじゃないでしょ、自分は。

はぁ、ドキドキした。

今日は夜から勉強会。
作ったばかりの名刺を配るぞー。
2010年06月16日(水)

天命反転の地へ

養老天命反転地に行ってきました。
http://www.yoro-park.com/j/rev/

養老天命反転地は、先日亡くなった美術家の荒川修作と、
そのパートナーで詩人のマドリン・ギンズのプロジェクトを実現したテーマパーク。

どこにあるのかって言うと、岐阜です、岐阜。
東京から遠いです。行きにくいです。
でも、空さんが車でぶっ飛ばしてくれました。

かなり褪せているし、朽ち果ててる感が醸し出されているのだが、
たぶん、その本質はしっかり生きていて、
養老天命反転地のいかれた世界がわくわくさせてくれるし、
大人が子どもみたいな気持ちで風景に接することができる場所だと思った。
なかなかないよ、そんなところ。

未知の世界の中で、見知らぬ者同士が思わず話をしてしまうという
日頃なかなかないことが起きているのも面白い。
関西のおばちゃんがわけのわからなさに文句を言っていて
たぶん、そこが面白いのになあなどと近くで思ったりした。

そのおばちゃんとは対照的に、わくわくを楽しむ父、母、男児の一家がいて、
わけのわからなさを楽しめるその家族は素敵だった。

地下道がある、と言って探し回る。
そんな私たちに先の一家の父さんが、あったよ、と教えてくれた。

地下道の先の反転した日本地図。
おお、感動。

あとは、もう少し晴れていればなあ。
また行きたいけれど、遠いからしばらく無理だろうな。
いつか行く時まで、つぶれないで存在しているといいな。
2010年06月15日(火)

重みある身体

疲れが、単なるもしかしたら怠け心かもしれないけれど、
とりあえず疲れと称しておくべき何かが体の中に蓄積されていて、
寝ても食べても飲んでもぼんやりしても日に日に重々しくなっている。
重石のある身体は生きているという感じがするが
私はできるだけシンプルに軽く生きていたいのである。

母に家で酒は飲むのか、と問われ、
飲まない、と嘘をついた。

実家ではほとんど飲んでいないのに、飲みたい素振りも見せていないのに
私のどこからアルコールを感じ取ったのかと思えば、
母は、実家に帰った時は一人でビールを飲むのだ、と言う。
普段、アルコールを摂取しない彼女は、
決して実家ではないホームという終の住処にいる実母を見舞うと、
空っぽになった実家でビールを飲むのだ、と言う。
そこにあるのは悲しみなのか疲れなのか怒りなのか。
底知れぬ感情と折り合いをつけるために彼女はアルコールを摂取するのだろうか。

私はといえば、家で飲む、のである。

怒りも悲しみも寂しさも混乱も不安も全てをなくしたいと願って飲む。
けれども、しかしながらも、
一瞬底に沈んでいく感情たちは明日には浮かび上がってくる。

感性は理性ではおさえきれない。
感性が理性を上回る。

たぶん、いや絶対か、
私は社会に適合できない人間なのだ。
わずかばかりの理性が普通たらんと活動するばかりに
どっちつかずの状態、そして今。

際にある。
どちらかに場所を定めれば楽になるのだろうか。
それは二項対立の中にしかないものなのか。
正気と狂気、安心と不安、感性と理性、幸福と不幸。
人間はそう簡単に割り切れやしない。

三十までにどうにもならなければ死ぬ。

その決意とともに、
私は毎日死に近づいている。
その決意がなくとも、
人は毎日死に近づいていく。
2010年06月10日(木)

そらいろのねこ / コギト