片付け

レジュメが一応の形を見せたので部屋の片付けを開始。
文章を書いていると、あっちこっちに文献を散らすのは悪い癖である。
しかも、普段使いのパソコンが家族共用のものでリビングにあるから
そのせいで文献は私の部屋だけでなく家中に広がるからタチが悪い。
岩野抱鳴やら坪内逍遥やら島村抱月やらの全集たちの分厚さに
母さまも「邪魔だわー」とどうやら嫌気がさしている様子。
そんな母さまも昨日から長靴の国(大阪ではない)に旅立ったので
片づけを始めてから家の中は随分とすっきりしてきている。
私の気分もすっきりというのは本音である。

部屋の片付けがてら捨てる本再読をしている。
これは真面目にやりだすと時間がかかってしまうので
文章をさらう程度にしているけれど北村薫『スキップ』は
ついつい読み込んでしまい、最終的には捨てないことにした。
『枯木灘』は名作と言われるけれど処分決定。
学部一年の時に読んだけれど好みじゃないんだな。
あと、マルクスとデューイも読むつもり。
これは見た目がひどく痛んでいるからたぶん捨てる。

そうだ、物を捨てようと思って片付けに挑んだら
本、CD、レジュメ類、日用品しかなく
これ以上どうにもできないことに気がついた。
要するに、部屋が汚いのは物が多いからではなく、
単に整理整頓ができていないということらしい。
2008年11月16日(日)

寒い

急激な冷えがやってきている。
秋になっても暑かったのが嘘のように
東京の冷え込みは激しい。
どうしようもなくなって、コート解禁。
自分にしては早めの冬服である。
まあ、ここから服に動きがないのが持ち味だけども。
寒さに耐えたいなあ。
2008年11月11日(火)

泥沼へようこそ

論文を書いている。
いや、論文というのはおこがましいか。
文章を書いている。

つい最近になって問題意識を持ち始めた分野ゆえ
いかんせん手探り状態が続いている。
そして、文献を漁っていくのに伴って気づいたのは
結局は坪内逍遥とか岩野抱明とか島村抱月とか、
ずぶずぶの明治文学が研究の主となる予感。
文学泥沼のような気がする。
手を引くなら今のうちだとは思うのだが
もう面白味を感じてしまっているのできっと引き返せない。

修士論文はこれになるんだろうと思いつつ、
いやはや、いつ現代に戻れるだろうか。

現実的なひきこもりなので休みの日は家にいる。

現実的なひきこもりとは何かといえば、
生活の糧を得るために渋々外に出ていくが
本当は家の中にいたいということ。
「それはひきこもりじゃない!」というのは承知のうえ。

というわけで、今日は一歩たりとも外に出なかった。
こういう日もたまには必要だ。
2008年11月10日(月)

責任のこと

カップヌードルのCMを見るたびに
こんなことまで言わなくてはいけない時代なのか、と
なんとなく不安になってしまう。

―不安―
この言葉が自分の気持ちを表すのに本当に適しているかは
わからないがなんとなく気持ち悪い気がするのは確かだ。

起こりうる可能性を前もって提示しておかなければ
全ての責任を負わなければならない。
それは今は企業中心に為されていることだが
そんなものは個人にもたぶん適用されるようになるだろう。

責任を押し付け合い、被害者になりたがる時代。

そうしていれば楽だからね。
きっと気持ちよく生きていられるからね。

でも、それは能動的なようで極めて受動的な状態。

自分の意志で生きようとするには
(自分で何かを生み出そうとするには)
何らかの責任を引き受ける必要があって
そうしたことなしに生きていけないのではないだろうか。

責任のバトンリレーは怖い。
2008年11月09日(日)

まさか

本が出ました。
ISBNもきちんとついている本です。
当たり前のことではありますが単著ではないです。
ちろっと文章を書いた程度です。

まもなく、どころじゃなかったんだな。
2008年11月08日(土)

ジャンクなもの

目の前にはペプシホワイトがある。
真夜中にネットをしながら炭酸を飲むというのは
どうにもジャンクなことのように思える。

かつてサークルの一つ上の先輩は、
「ストレスが溜まったらファストフードを食べる」と言っていた。
身体に悪そうなものをあえて食べることで
ストレスを発散しているという。

その時はそんなものかとただ思っていたことも
時が過ぎてみれば、わからないでもないことになっている。
きわめて自虐的な発散ではあるが
周囲に破壊を及ぼさないだけ健全である。

と言ったものの、ペプシを飲む今の自分に
恐るべきストレスがあるわけではない。
単に学部生の頃を思い出しだだけのこと。

まもなくうっすらと発表される論文があるのだが
題材がまるでかぶった他の人の論文を見つけてしまった。
発表、先を越された!!
相手はどこぞの教授。
太刀打ちできたものではない。
きわめて残念。

2008年11月07日(金)

電話の話

日々、冷たさが増している。
いつまでも暑いと思っていたのもつかの間
あっというまに冬が近づいてきているらしい。

電車の中の携帯電話も珍しくない。
かつてはメールでさえも憚られたものだが
そんなものはもはやどこ吹く風で
電車に乗ってみれば誰もが携帯電話を睨んでいる。
そして、通話さえもが当たり前になりつつある。
驚くべきことである。

私は古い人間なのだろうか。
他者を意識できなくなることが「新しさ」なのであれば
別に今のままの自分でいいと思う。
ただ怖いのは、気づかないうちに自分もまた
「新しい」ものになってしまうかもしれないということ。
他者のみならず自分まで見失うのは恐ろしい。

しかし、携帯電話の何が問題なのかを考えてみる。
今・ここにいる人と人が話していることは許されるのに
今・ここにいる人といない人が話すことは許されないのか。
それは電磁波だけの問題ではないように思う。

思うに、どこかの誰かと電話をすることによって、
今・ここから通話者の意識が越境していることに
いまだ違和感を覚えてしまうから問題になるのだ。

携帯電話が一般的なものとなってかなり経つ。
生まれながらにして携帯電話が身近なものだった人々には
その違和感を感じることは難しいのかもしれない。
また、人生の途中で携帯電話を手に入れた人々にとっても
とうに違和感などありはしないのかもしれない。
2008年11月06日(木)

そらいろのねこ / コギト