鈍い心

久しぶりに死にそうになりながら
などと言っているうちは死なないものですが
懸命に論文に取り組んでいます。
夜明けまでには研究史の整理をしたいところ。
下っ端(院生)なので研究史の執筆も任されているんです。
これがまた一筋縄ではいかぬものばかり。
すでに流通している研究書に立派な文献目録や
研究の流れが細かにされているというのに
私が研究史を書く必要は本当にあるのでしょうか。
と、不満をもらしましたが、完成までもう少しです。

服や靴が当たったりするところの皮膚は分厚くなりますが
それは気持ちにも同じことが言えるのではないでしょうか。
辛いことや悲しいことばかり起きてしまう心には
他の人よりも分厚い壁みたいなものができて
ちょっとやそっとのことでは何も感じないような
そんな鈍いものになってしまうのではないでしょうか。
もちろん、痛みを回避するための手段なのですから
それは悪いことではありません。
ある意味で生きる知恵とも言えましょう。
しかし、喜びや楽しみまでわからなくなってしまうような
そんな心になってしまうのかもしれません。

二十五歳の心は鈍いですよ。
2008年03月31日(月)

そらいろのねこ、として

明日が本当に期限なのです、論文。
頑張ります。

さて、唐突ではありますが
日記のデザイン(色)を変えてみました。
一緒に日記のタイトルも変えてみました。
特に何かが起きるわけではありませんが
しばらくは「そらいろのねこ」という名前で
相変わらずの雑文を書いていこうと思います。

『海辺のカフカ』は一度しか読んだことがないのですが
偶然にもあの物語世界と近いところに行くことになりそうです。
人生というのは何がどうしてどうなるのかわからないもので
全く関係ないと思っていたことが繋がることは
決してめずらしいことではありません。
趣味・選好というのは自分ではバラバラと思っていても
結局は一直線で結ばれてしまうものなのかもしれません。
自分の意志が生むゆえに。

図書館で思いついた今年学びたいこと。
・ジェンダー論。
・パフォーミングアート(演劇・舞踊)。
・視覚(まなざし)について。

楽しみです。
2008年03月30日(日)

一週間のこと

この一週間、随分と飲んだくれていました。

水曜日。
「スペイン料理食べたいねー」
という流れの下にたどり着いたのはメキシコ料理屋。
うっかりと間違えてしまったのでした。
ええ、うっかりと…。

私の中で

  アロンソ=スペイン語
  アロンソ=メキシコ人

 →スペイン=メキシコ

と、気持ち悪い式ができてしまったわけです。
(アロンソというのは留学生、念のため)
あまりの自分のバカさに笑った。

愛すべき友とお喋り。
時間の流れは否応無く我々を老いさせ
出会ってから九年目の今年に
どうあがいても大人になってしまうことに気がついた。
ここで「大人になる」とはどのようなことかと言うと、
外部世界と繋がろうとする意思があること、です。
いつまでも今のままではいられないんだね。
少し寂しくなりました。


木曜日。
アルバイトの最終日でした。
研究所という特殊な空間で事務をしていたわけですが
出会った人々はみなさん良い方ばかりで、
また、数多くの図書の存在が私の道をなんとなく
指し示してくれたのかなと思っています。

バイト後に一つ上の修士の女の子と同じ年の修士の男の子と私で
新宿にある武将コンセプトの居酒屋さんに行きました。
この三人はアルバイトでよく一緒になるメンバーで
黒一点をいじめるという構図でうまく成り立っています。
この日も就職活動に本腰を入れない男子にダメだし。
アルバイトがなくなってそれぞれの環境が変わっても
これからも会っていける存在ではないかと思っています。

金曜日。
知人の舞台を観に行きました。
美意識という点では感嘆する部分が多々ありつつも
それは決して目新しいものではなく
身体の不均一なところが気になりました。
これは好きだからこそ気になるのかもしれません。

舞台上にめぐらされた暗幕が開くと
そこには窓があって光が差し込んでくる。
その瞬間に見る側だった私は見られる側になる、
(まなざしの反転?)
かと思ってわくわくしたのですが
窓の外に人がほとんどいなかったために
期待したようにはなりませんでした。
演出家がその効果を狙っているのかもわかりませんし。

そして、土曜日。
熱心に見ていた「ちりとてちん」が終わりました。
ラストシーンに疑問が残りつつも
お母ちゃんになる、という主人公の思い、
それは前半から伏線を張られていたものであり
見事に成長した喜代美の姿がそこにはありました。
本当に良いドラマでした。
続編があったら絶対に見ます。

大学院の先生の書いた本を読んでいて
その論文の上手さに驚きつつも
なんとか乗り越えることはできないものか、
自分の論文に本気になろうと思いました。
2008年03月29日(土)

想像力

大学に行ってきました。
それは生協の印刷所に注文していた
国文学のおたよりを受け取るためです。
そんな中、研究室に妙に人がいておかしいと思ったら
院生全員でやるべき仕事があったそうな。
そんなの連絡がなければわかりません。
とはいえ、欠席したことに胸が痛みます。
ぬ、なんとアンビバレンス。

「薔薇のない花屋」の最終回でした。
野島伸司の世界観はやっぱり好きです。
物語のハラハラが次を見たい気持ちにさせて
全部見終えると最初から見直してみたくなる。
そんな不思議な魅力があると思います。

久しぶりに高野文子の「るきさん」(筑摩書房)を読んで
いつの時代にも変わらぬものがあることを実感しました。
るきさんの仕事や服装なんていかにも80年代なんだけど
生活の中で考えることは今とほとんど変わっていなくて
人間なんてそんな間単に変わるものじゃないと思いました。
ただ、ますます複雑になりつつある社会ではあります。
シンプルではいられない、というか、
シンプルを許さない、というか。

ところで、今「THX-1138」という映画がやっています。
これはジョージ・ルーカスの処女作らしいのですが、
25世紀を舞台にコンピュータで管理される人間の姿を
そこでうごめく人間の姿を描いています。
物語、映像などあらゆる面において発動されている
ルーカスの想像力には本当に惚れ惚れとします。
別にファンではないのですが。

想像力は現実を乗り越える力であり
また、現実を創造するものである。

私はそんなふうに考えていつも過ごしています。
現実を乗り越えるというところに
文学の意味があるんじゃないかと思うからです。

今は現実のものとなった二足歩行のロボットだって
最初は誰かの想像でしかなかったはずです。
想像力は形にすることで現実に新たな局面を開きます。
だから、想像力を侮ることなかれ。
そして、人文学を馬鹿にすることなかれ。
確かに、実際にモノを作り出すことはできないかもしれないけれど
想像は意味のある営みであるはずなのです。
2008年03月24日(月)

卒業について

よく言えば健全、悪く言えば儀礼的とも言えようか。
通過儀礼のようなものに参加してきました。
儀礼の消費とも思えるその空間の在り様に
なんとも言えぬ気持ち悪さを感じました。
何か大切なもの…感情みたいなものが
すっぽりと抜け落ちているような気がして
ばっさばっさと帰っていく人たちの姿に
別に関係ないのに寂しい気持ちになりました。
そういう関わり方だったんだよね。
個々人のそれをどうこう言える立場にないけど
ただ目に見えないだけかもしれないけど
私はちょっと悲しい気がしました。
キャノンボール。
私はとても好きな歌だけど
踏襲されたように流れるその状態に
それは違うだろう、と思わざるをえなかった。

人間関係のコミットメントとデタッチメントは
ただ交互に繰り返されるわけではなくて
少しずつその形を変えて繰り返されるのでしょう。
共通意志を持ったユニットとしての集団。
それが今のような気がします。
何にでも結合・分裂可能なこの集団は
おそらくは身動きの取りやすいもののはずです。
今までが結果としての集団だとすれば
現在が手段としての集団なのではないかと思います。

おお、社会学的になんか言えそうだ。。

四月から働くことになりました。
何人かの人にはメールをして
最近会った人には面と向かって言いましたが。
「好きを仕事にする」
吐き気がするほど嫌いな言葉です。
でも、それが現実になったので頑張っていこうと思います。
その道のプロフェッショナルになりたいんです。

ドライに見せようとしてものすごくウエットな私は
人から見ておそろしく面倒な生き物なのかもしれません。
2008年03月23日(日)

コンセント

真夜中に部屋の片付け。
なぜ夜中に行うのかと問われれば
思い立ってしまったから、そう答えます。
ずっと気になっていた音楽周りをきれいにする。
そして、コンセントをつなげる。
当たり前のことができていませんでした。
怠惰に反省。。

就職サイトを二つ退会したのをきっかけに
家にある企業資料を捨てることにしました。
全部に手をつけてしまうと片付けが終わらなくて
徹夜をすることになりかねないので、
まずは半分を、ぽいっ!

いろいろとすっきりしました。

時間があれば旅に出ようと思います。
まずは広島かな。

異様に長かった春休みが終わるからか、
やっと難しい本を読む気になってきて
ネグリを手始めに研究に近いものを読み始めました。

見栄を張っても仕方ないから正直に言いますが、
難しいからよくわからないんです、内容。
それでも懲りずに本を読むのは、
消化されずに残ったばらばらのものが
どうにかこうにか糧となっていつの日にか
一つの思考となればいいなあと思うからです。

同じ「わからない」でも未読と既読では
その意味は違うものになるのではないでしょうか。
今はわからなくてもいつかわかる時のために知識を溜め込んでいます。
それは冬眠に近いのかも……、いや、違うか。
2008年03月22日(土)

武者小路実篤記念館に行ってみる

昼過ぎに起床。
こんな生活は良くない、と切に思う。
今日は頭がはっきりとしている。
少し元気だ。

急遽思い立って、調布市にある
武者小路実篤記念館に行ってみました。
世田谷文学館(今、永井荷風を特集中)と悩んだ結果
「絵が面白い」という理由だけで実篤にしたのです。
『友情』と『真理先生』しか読んだことがありません。

京王線のつつじヶ丘駅からぶらぶらと歩くと
「こっちだよ」と親切な看板があります。
だから、迷わなくて済みました。
住宅街の真ん中に記念館がぽこんとあって
隣は公園になっていました。
もう少し暖かくなってから行けば、より良かったのかも。

実篤の絵が下手うまで味のあること非常にすごい。
シンプルがゆえに好き。
閲覧室に立ち寄ったら職員の方が
次々と本を薦めてくれて驚きました。
私に何を求めていたのでしょうか。
とりあえず、近いうちに全集を読んでみようと思います。

ふらりとしたはいいけれど寒い日だったので
カッフェ、カッフェに行きたい!、と思っていたのだけれど
いつものことながら立ち寄る機会を逸し
結局は図書館の休憩スペースで缶コーヒー。
なんかかなしい…。
でも、今日は良い本を借りることができて満足です。

脚がひりひりと痛みます。
2008年03月21日(金)

ニッポンの教養

やっぱり今日は雨でした。
閉館間際の図書館でネグリを借りてきました。
楽しみにしていたネグリの来日がビザの問題で
どうやら延期してしまうそうです。
今朝の朝日新聞に書かれていました。
「ネグリデングリ」と大々的に銘打った
芸大でのイベントはどうなってしまうのでしょうか。
気になっています。

先日、放送された「爆笑問題のニッポンの教養」は
話し合いの姿勢がぶっ飛んでいました。
ゲストは東京大学の本田由紀先生(教育社会学)
著書や論文を目を通す機会は今まであったんだけど
どんな人かは全く知りませんでした。
それなので、テレビで一所懸命話す姿を見て
良くも悪くもアカデミズムの中の人という印象。
かなり強烈な方でした。

爆笑問題(太田)と噛み合ってないのがわかって、
というよりも、テレビとして大丈夫なのか不安になって
NHKの番組ホームページを見てみました。
少し引用します。

 田中:すごく面白い先生だったね。何か強さともろさが同居した感じが
 あって。すごく可愛い面と、すごく怖い顔する時とあるので。人間として
 すごく面白かった。

爆笑問題のコメントに思うのは、
一所懸命に話をする姿が「面白さ」として受け止められると同時に
「良いところ」として認められているところです。
両極端な二人が正反対とも言える方向から
懸命に話し合う姿は非常に面白いなと思いました。

毎回、いろんな先生の所に爆笑問題が行く、という番組です。
もしよかったら見てみてください。
2008年03月20日(木)

原宿・下北沢

三月も残りわずかとなりました。
今年度の成績が四月になって初めてわかるスリリングさ、
いかにもうちの大学らしいと思います。
のんびりしているというか、なんというか。

自分の行く末というものを
誰にどのように伝えればよいのか。
この身に急激な変化が起きた時はいつも考えます。
変化というのは進学とか就職とかそういうこと。
いつも何人かの友人にメールしようとするけど、
押し付けがましい気がしてやめてしまいます。
結局は高校の友人に連絡するくらいになっちゃう。
近況報告って簡単なようで難しい。

下北沢でとても素敵なカフェを見つけました。
お座敷な席で飲んだメキシカンコーヒーは格別。
あと、連れて行ってもらった泡盛のお店も良い雰囲気でした。
今日はお気に入りが増えてうれしい。

明日は春分の日。
いよいよの春なのに東京は雨。
2008年03月19日(水)

ストレスの謎

胃痛と蕁麻疹に襲われる。
いかにもストレスな二つの症状なんだけど
今そこまで何に疲れ果てているというのか。
その謎さがストレスになっている。

銀行に口座開設に行ったのだけれど、
予想通り普通新口の他店代理受付は行っておらず
ロビーのおばさまに一蹴される。
なんとも不便な銀行だ。
申し込み用紙だけもらってきたから一通り読んでみる。
おおお、わかりにくい…。
しかも、オペレーションの手順のようなものが書かれていて
それは客には関係ないんじゃないかと不満に思う。
というわけで、今日は口座開設ならず。

ところで、うちに大事そうな手紙がやってきていたので
何をすべきかわからないなりに市役所に行ってきた。
税の問題だ。
こういう国の絡んだ手続きに行くと、
ただ生きるのは大変なんだと思い知らされる。

具合が悪いなりに気分の良い所に行きたいと思い
前々から行ってみたかったカフェに行ってみた。
集合住宅の中にぽこんとあるそのカフェは
ゆったりとした空間に素敵な音楽が流れていて
すごく落ち着ける場所だった。
そのカフェのベーグルのすごくおいしいこと。
また行くつもり。
2008年03月17日(月)

転換期

人生に転換期があったとすれば
一度目は高校入学、
二度目は退職、
そして、三度目は今なんだと思う。

高校進学なんて今の世の中では当たり前だけど
地元でもない公立高校の、
しかも特色あるコースに進学するということは
得意を伸ばしこそすれ、不得意を切り捨てることであり
未来を狭めるものであったことは確かだ。
それでもなお、その高校を選んだのは
自分の直感を信じていたからだ。
そして、その選択は間違っていなかったとはっきり言える。
高校では驚くほど素敵な仲間と出会うことができ、
そして、自分の好きを見つけることができたのだから。
今の自分の源泉がそこにあるのだから。

退職というのも大きなものだった。
比較的スムーズに流れていた人生に
急ブレーキをかけたのは初めてのこと。
人生で一番のわがままだったのかもしれない。
生まれて初めて我を通したことでもある。
死んだように生きるよりは、生き抜いて死にたいと思った。
きれいごとだけでは生きられないのはわかっていて
安定を捨てたことに今も漠然とした不安を感じるけれど
どうにか生きていきたいと思っている。

大学院で学ぶことは楽しい。
しかし、アウトプットに楽しみを見出せないから
研究者となることはできないだろう。
教えることは楽しいから教師になることはできるかもしれない。
研究者と教師は違う。
私には新しきを生み出す力が備わっていない。
悲しきかな、創造力の欠如。

だから、今。
新しき環境に身を投げ出す。
祈る思いで筆を取り、
その心を尽くし、
眠れないほどわくわくして明日を待つ。
こんな片思いがこの身に起きるとは思ってもいなかった。
小さな頃から夢見ていた日々が、
始まる。
2008年03月16日(日)

書くこと

吐き気とか不快感のようなものを
そのままに描くことができるようになりたい。
2008年03月14日(金)

本屋と映画

アンドレ・ブルトンの新訳が出たと新聞で知り
新宿の本屋で探して立ち読みをする。
光文社の古典新訳文庫のラインナップが良すぎて
なんでもかんでも欲しくなる。
でも、一番欲しかったのは
大澤真幸の『資本主義のパラドックス』である。
もちろん、光文社ではない。
あとは、クラフト・エヴィング商會。
でも、我慢した。
やるべきことを全部やってからにしようと思って。

映画「東京少女」を観る。
主演は夏帆で、その相手役が佐野和真。
時を越え、携帯が結ぶ、ほんのりとした淡い恋物語。
とでも言えばいいのだろうか。
役者と題材(日本文学)が私には合っていたので
まあまあ楽しめたが皆が楽しめるかどうかはわからない。
別に映画でなくても…とも思う。

姉の三十回目の誕生日。
私の人生に展開が見えた。

さて、明日は初めての五反田団。
非常に楽しみ。
2008年03月12日(水)

脱力

熱望するほど空回りをしてしまう。
全部終わって脱力。
まっすぐ帰ることがどうしてもできず
新宿の街に繰り出すことにした。

放心状態で紀伊国屋書店に行く。
本店の気分ではなかったので高島屋の方へ。
「現代と教育」vol.74(桐書房)と
『教育格差』(現代書館)を購入する。

欲しい詩集があることを思い出し
探してみたものの見つからないので本店へ。
結局、本店に行くのかと自分に思いつつ。
ここでは、最果タヒ『グッドモーニング』(思潮社)と
安川奈緒『MELOPHOBIA』(思潮社)を購入する。
谷川俊太郎の『二十億光年の孤独』(集英社文庫)は見送った。

この買い物で随分と落ち着いた。

その後は後輩の勇姿を観に下北沢へ。
二度目だったのだが今日の方がぐっと良かった。
贔屓目ということもあるかもしれないが。
2008年03月09日(日)

大隈さんに行ったこと、「春琴」を観たこと

早稲田大学に行ってきました。
いつもは東西線の早稲田駅から向かうのですが
(いつもと言っても片手で数えるほどしか行ったことない)
今日に限って列車が事故で止まっていたので
致し方なく高田馬場駅から行くことにしました。

初の試み。
道なりにまっすぐに行けば着くということは知っていた。
なんとかなるだろう。
よし!
と思ったがやはりわからない。
駅前の宝くじ売り場のおじさんに道を聞いてみた。
少し恥ずかしい。

「大隈さんならこの道をまっすぐ。30分くらいだよ」

30分!?
そんなに遠いとは知らなかった。
昨日見た地図には20分と書いてあったのに。

いずれにしても駅から遠いことは確かだ。
しかし、すでにして約束の時間に遅刻しそうな私は
今思えば頭がすっかりおかしくなっていた。
冷静な判断能力を失っていた。
駅前から早稲田正門行きのバスに乗ればいいものを
なぜだか、歩く、という暴挙に出てしまったのだ。

もちろん、遅刻した。

ゆとりある行動だったはずなのに
突然の事故で何もかもがパーになった。

私、まだまだ修行が足らないみたいです。


その後、三軒茶屋で「春琴」を観た。
劇場は大好きな世田谷パブリックシアター。
主演は深津絵里(なのかな?)で本日が千秋楽。
前売券なんてとっくに売り切れていたので
まさかの当日券に並ぶことに。
(18時当日券販売開始のところ、16時過ぎに劇場へ)
無理を承知で行ったもののとすんなりとチケットは手に入り
立ち見の苦行はあったものの舞台から近いところで
観ることができ、まあまあ満足。

村上春樹を題材にした時とはまた違う演出に驚いた。
もちろん立体的な芝居の見せ方は健在なのだが、
前回がデジタルなものを取り扱っていたのに対し、
今回は日本の伝統美が前面に出ており
マクバーニーの表現の多彩さに魅せられた。

さて、今回気になったのは
「多層的とも言える物語の枠組み」と「肉体」についてである。

物語の初めに老人が呟く。
佐助は谷崎潤一郎なのではないか。
だとすれば、語り手は誰なのか。
では、谷崎潤一郎はどこにいるのか、と。
完全な再現ではないが、だいたいこんなことを言っていたと思う。

まずここで物語の構造について疑問が生じる。
それはテクストと作者の問題と言い換えることもできよう。
作者の呪縛から解き放つことで読みを広げるテクスト論の観点からすれば
テクストの中に作者を封じ込める行為というのは「古い」ことだ。
(よかったらバルトの「作者の死」でも読んでもらえたらと思う)
だが、「春琴」はあえて谷崎をテクストに封じ込めようとする。
単なる問題提起かもしれないが、
私には封じ込めの行為であるように感じた。

このことを頭の片隅に置きながら芝居を観る。
ふと、物語内世界の層が多層であることに気づく。
ざっくりと考えてみると以下の通り。

ナレーターのおばさん
 ・
語り(小説でいうところの「私」)
 ・
佐助(老人)
 ・
佐助(若者)、春琴


語りを終えたおばさんは抽象のドアを開け光射す方向へ進む。
しかし、佐助や春琴らは暗い舞台に佇んでいる。
その瞬間に世界の裂け目が垣間見えたような気がした。
物語外の「現実」に出て行くおばさんと物語内に佇む人間。
それはもう少し視野を広げてみると
観客と芝居の関係にも同じことが言えることに気がつく。

芝居を観終えて戻る観客の「現実」は確かなものだろうか。
実は現実と虚構は無限地獄のような関係でもって結ばれていて
「リアル」なんてものは存在しないのではないだろうか。
そう考えると、当たり前が怖くなる。
私たちは「現実」を生きている、と
どうして力強く言うことができようか。
2008年03月05日(水)

おやつ

アルバイト。
おやつにひなあられが出ました。
お茶の時間があるのです。
おやつなんて最初は信じられなかったけれど
一年近くも働けば当たり前のものです。
前職では昼食すら危うかったことを考えると
驚きであるのは間違いないのです。
公的な場所ではみんなそうなんでしょうか。

履歴書を書いています。
祈るような気持ちで書いています。
子供の頃から描いていた夢を形にすべく
いよいよ頑張ってみようと思うのです。
2008年03月04日(火)

三月の過ごし方

ひなまつりですね。
我が家では特に何もありません。

さて、三月になりまして
多忙なスケジュールとはおさらばし、
久しぶりの悠々自適を満喫しています。
日中は「ホタルノヒカリ」の再放送があります。
干物女の姿が理想像ゆえ熱心に見てしまいます。
内でも外でも「素敵女子」している人などいるものか。
仕事をして、だらだらして、というのは最高です。

今日はフーコー『監獄の誕生』を読破。
やすやすと理解できるものではないけれど
世界の枠組みのようなものを再認識しました。
本書では「監視」に代表される権力の作用というのは
あらゆる場に対応するものだと思います。
そう考えると、フーコーの照射力は広いものです。

さらに『ファストフードが世界を食いつくす』を読破。
小さい頃を思い返してみれば、
マクドナルドは「行ってみたい」場所であった。
近代的(現代的?)な制度に彩られた食が珍しかったからだろう。
さて、不思議な「魅力」を持つファストフードにまつわる本である。

無知であることは恐怖である。
なせなら、何が起きてもわからないからだ。
しかし、知識を得た者が次にとる行動は難しい。
現実を無視することは心に痛く、
現実を乗り越えることも大変なのだから。

「おいしい」ものを食べるか、「健康的」なものを食べるか。
もしもこの世に「健康的」で「おいしい」ものがないとしたら、
あなたはどちらの食べ物を求めますか。
そして、どうすれば幸せな食を得ることができますか。
そんなことを考えてみました。
2008年03月03日(月)

新聞係

とりあえず、大学院の係の仕事を片付けた。
私は新聞係です。
小学生みたいだけどこれが本当の話で
先生方、学部と院の学生全員に配布する
全部で400部ほどの新聞(年二回発行)を作っているのだ。
とは言っても、形式が決まっていて
春号は卒業生の言葉を、秋号は新入生の言葉を載せるだけ。
巻頭はもちろん先生のありがたいお言葉。

誰が読んでいるのでしょうか。
あんな形だけの新聞を…。
ちなみに、現在の新聞の内容を変えるには
変更点を会議に持ち込まないといけないらしい。
これまた形ばかりの会議に。。
ここで見えるは社会の縮図。
結局、押し付けの係で手間にしかならないから
歴代の新聞係も改革を起こさずにきたのだ。
たぶん、私も起こさない。
来年の春に元気があったらやってもいいけど。
今はダメだ。

原稿は締切日から一日以内に全て揃ったので
非常にスムーズに仕事に取り掛かることができた。
何よりも驚いたのは先生が一番早く仕上げてきたこと。
やっぱり、うちの先生はすごい。

問題点が一つ。
文章が足りず、スペースが余ってしまった。。
ものすごい問題だ。
解決策は、自分で何か書くか、誰かに書かせるかだ。
院生に頼んでもいいのかな。
寝て起きたらどうにかしよっと。

昨日、久しぶりに学校に行ってきた。
図書館で論文を仕上げようと思ったからだ。
が、当てにしていた開架はお休みだった。
しかも、それを書庫受付のおじいちゃんに聞かされる。
慌てて振り返ると開架は真っ暗。
「しまったー」である。

人気のない書庫で教育を中心に
図書館の雑誌と文芸誌を漁ってきた。
せっかく来たんだからというわけですよ。
で、「文學界」(2007年12月号)を借りてきた。
これには芥川賞受賞作の「乳と卵」が載っている。
さらには芥川賞候補作の「ワンちゃん」も載っている。
非常に楽しみである。
書籍はフーコーとネグリを借りた。
こちらも重要文献にも関わらず読み通したことがないので
今からとても楽しみ。
2008年03月02日(日)

素敵な社長がいた

昨日で最後の気持ちで行ってきた説明会。
これが…当たりだった。
それはとりあえず進めるつもり。
他のは切り捨て御免です。

もう一つの論文、いやレポートみたいなものか。
これは週末を使って片付けようと思います。
できると信じて。

まあまあ気になるところを進めながら、
二ヶ月死ぬ気で勉強します。

三月です。
今年もまた春が来る。
2008年03月01日(土)

そらいろのねこ / コギト