Kenyu日記
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父の葬儀も終わり、北海道から帰ってきました。 北海道に到着した時、-8℃! しかし、懐かしい寒さでした。 父は享年85歳でした。最後は肺炎でしたが、入院2ヶ月で安らかに逝きました。 自分勝手でわがままな人でしたが、最後は母に感謝していたそうです。 逝く1週間前くらいから盛んに「ありがとう」と言うようになって別人みたいだったそうです。
意識がもうろうとして横になっているのに「今、立っているよ」などと言っていたので、幽体離脱していたのかもねなどとみんなで話していました。 神やあの世は信じない人でしたが、何かを感じて安心して逝ったようです。
前にも書きましたが、母は、父と30年連れ添っていました。 僕の実の父は、僕が6歳の時に亡くなったのですが、結婚後すぐ結核で入院してしまったので、実質2年しかいっしょに暮らしていません。 実父は享年35歳でした。 僕は、亡き父にそっくりなようです。家にかけてある亡父の写真を見て、僕の息子が、僕の若い頃の写真だと思っていたほどですから(^^)。 母は僕を見ると亡父を思い出すのでしょう。 今でも亡父を愛しているんだなあと感じます。 当時、結核の薬(抗生物質)はあったのですが、高くて買えなかったということです。お金があれば助かったというのも切ない話でした。
今後は仏壇に実夫と義父、二人をならべて供養するそうです。 長い人生の果てには、「愛」と「許し」と「感謝」とがあるのだと思います。 母も今それを感じているようでした。
父の冥福を祈って。
合掌
昨夜、義父が亡くなりました。 昨年夏に帰った時には元気だったのですが、その後体調を崩し、入院してほんの数カ月でした。 それほどはもたないという話は聴いていたので覚悟はしていましたが、突然のことでした。 母が義父と再婚したのが僕が二十歳の時でしたから、30年の関わりでした。一緒に生活したことがないので、父というより、サポートしてくれる良き理解者と言う感じでした。
思えば、僕は高校卒業して故郷を離れたので、母や妹とは18年の生活でした。昨年離婚した家内とは22年間一緒に暮らしました。 考えてみれば、大切なのは、一緒に生活した年月ではなく、愛の深さなのだとつくづく思います。 たとえほんの数年でも、真実の愛を分かち合って生きられたなら、そんな素晴らしいことはないのだと思います。
癌などに侵され、死期が迫り覚悟した時から、その人の人生は黄金に輝きだすといいます。 実際、僕たちが明日生きている保証はどこにもありません。 この一瞬を輝いて、感謝を生きられたならどんなにか素敵なことか…。 義父の死はそんなことを教えてくれているような気がします。
合掌
先日、木内鶴彦さんの講演を聴きに行きました。 そのあと、食事をしていろいろなお話を聴くことができました。 彼は、22歳のとき臨死体験をして、未来や、他の天体、霊界にまで行って来たそうです。その後全く違う人生を歩んで行くことになったと言うことです。 その時のことはあまり詳しく話さない様ですが。
彼は彗星の発見者として有名ですが、今はゴミを太陽熱をつかって炭素とその他、水素などの有効物質に変えて行くリサイクルゴミ処理機を開発したり、病気などが治ってしまう太古の水を生産したりしています。 このゴミ処理機実はかなりすごくて、国際特許を取得する予定らしいです。ゴミ問題を解決する切り札になると思います。 みんなで是非応援しましょう。
エゴを脇に置いて、無私から地球のために活動している姿はほんとうに素晴らしいと思いました。 機会があったら何かいっしょにできればいいなと思いました。
| 2007年01月05日(金) |
あけましておめでとうございます。(^^) |
あけましておめでとうございます。 今年も宜しくお願いします。 年末は部屋をふたつ塞いでいた大量の荷物を整理し、背中が痛くなるくらい頑張り、なんとかお正月を迎えることができました。感謝。
去年はほんとうに沢山のことがありました。 離婚、引越し、愛犬の死、19年勤めた学校を変わり、プレイバックシアターも完了、そして、スピリチュアル・ボイス・ヒーリングをスタートをさせました。 ほんとにすごい激動の一年でした。これでもか、というくらい次から次と変化の波が押し寄せいったいどうなってしまうのかと思いました。
しかしたくさんの人たちに支えられ、新しい年を迎えることができたことはほんとうに感謝です。 今年は、いよいよ自分の音楽とスピリチュアル・ボイス・ヒーリングを前進させ、存在理由を生きる年にして行きます。
支えてくれる、たくさんのみなさんに感謝。(^^)
PS.庭によくあらわれるロビン(コマドリの一種)です。警戒心が強くなかなか現れない鳥です。 ロビンがいるところには天使がいるということを聴いたことがあります。素敵ですね。
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