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ヘソの緒がビロ〜ン!!!


2004年08月31日(火)
ウチの息子くんを沐浴させる時に一番気にかかる事。
それはヘソの緒のガーゼである。
ヘソの緒を消毒してガーゼでとめられているんだけど、
沐浴の時ははずして、終わったらまたつけなければならない。
でもこのガーゼがなかなかはずれない。
ヘソから出た汁?とかで、くっついちゃったりして
いつもカピカピして取れにくいことこのうえないのである。

そして今日、事件はおこった。

息子くんを裸にしてヘソのガーゼを慎重にはずそうとするが
やっぱり今日もはずれにくい。
母上と相談して、お湯の中でふやかして取ろうと言う事に。
息子くんをお湯に入れて身体を洗ったりしながらガーゼの様子を伺う。
もうそろそろいいかな〜と、ゆ〜くりガーゼをはずしにかかると
なんとそこで息子くんが急に動き出した!
慌ててガーゼから手を離そうとしたその時、
息子くんのおヘソがガーゼにくっついてビロ〜〜ンと出て来たのだ。
Σ( ̄□ ̄;)!

んが「母上!!りっくんの内臓が飛び出てきたよお!!!」

母上「なんですって!?」

んが「貝の具のような、ビロ〜ンとしたものが出てきた!!」(半べそ)

母上「ええっっ!!!」

大パニックに陥った私は、その出て来たブツをもう一度お腹に戻して
ガーゼをとめた。

んが「どーしよう!!!」(大泣)

母上「大丈夫だと思うけど、心配なら病院へ電話してみたら?」

母上が冷静に息子くんのおヘソを消毒している間、私は病院へ電話をした。

んが「あのっあのっ。ヘソがあぁぁああ!!」

助産婦さん「落ちついてください。どうしました?」

んが「ヘソがビロ〜〜〜ンって!」

助産婦さん「え?ヘソがどうかしましたか?」

んが「貝の具みたいなのが、ヘソのトコロからビロ〜ンって・・・。」

私の意味不明な説明を一生懸命聞いて下さって

助産婦さん「赤ちゃんが痛がったりグズったりしなくて
       出血も多くなければ大丈夫だと思いますよ。
       でももし、お母さんが心配なようであればお連れ下さい。」

と言ってくれた。

グズってはいない。
出血もちょっとだけで、ひどくはない。
でも心配・・・。

そこで、育児の先輩の姉貴たまなと、看護婦さんをしてる従姉妹に電話。
2人とも心配ないだろうとの見解。

心配だけど・・・
3日に母乳外来があるから、その時に見てもらおうと
涙をぬぐいながら思った、んがなのであった。


台風だ


2004年08月30日(月)
今日は昼から母乳外来の予約を入れていたが、ものごっつい台風がやってきたため断念した。
早速病院へ電話をして、来月の3日に変更してもらった。

退院してから毎日のスケジュール(乳をあげた時間とか寝た時間とかトイレの回数とか)をつけていこうと思う。
昨日から始めたので、これから息子くんの体調管理に心掛けよう。
ベイベーの体温は高いとは聞いてたけどほんまでし・・・。
毎回37度超え。
私だったらとっくにバテてる体温である。
息子くんスゲー!  ←親ばか


ほっかほか〜


2004年08月29日(日)
母乳にミルクを足して、なんとか息子くんのお腹を満たしている。
病院では放送で呼ばれて授乳に行くというシステムだったので、その時にしかオムツも替えなかった。
ウチに帰ってからは
「息子くんの秘密・・・実はこんなにもしていた!!」
ってな見出しがババーンと出そうなくらい、おしっこ&うんちをいっぱいした。
まだ臭くもなく、話に聞いてた通り「ごはんが炊けたかほり〜ほかほか〜」だった。
息子くんはゲップも下手(ほんまは私がさせるのが下手!?)なんで、おならもいっぱい出る。

「う〜〜〜〜〜ん!!」
って言いながら、両足を持ち上げてブリブリッとするのだが、そのお尻のプリティーなこと!!
お尻に顔を埋めたいくらいである。
気張る時に真っ赤になる顔も、見逃せない。
一瞬でも目を離したくない〜。


退院だ!


2004年08月28日(土)
今日で1週間。
何時に退院してもイイそうなんだけど、ベイベーはまだ治療中だ。
今日の検査結果次第で一緒に退院出来るそうなんだけど、結果が出るのは昼過ぎだから、それまで待つ事にした。
もし一緒に退院出来なくても、病院なんだから安心して任せて帰れる。
そう思ったら気持ちが落ち着いた。

昼過ぎまで帰り支度でバタバタしてると、助産婦さんが
「赤ちゃん一緒に帰れるよ。」と教えてくれた。
ヽ(≧▽≦)ノ
覚悟してたとは言え、やっぱり離れたくなかったから物凄く嬉しい。
喜びながら母上とオットに電話をする。
公衆電話だから、本当は叫び出したい気持ちを抑えつつ、平静を装って話す。
「不安だらけだった事」も「一緒に居られる事」が上回り、何も考えなくなった。

あなたと一緒に居られる。
それが私の1番の喜びになる。

夕方、母上と父上が迎えにやってきた。
ベイベーを着替えさせ、抱っこして顔を見ると、目をシバシバさせた。
さあ、一緒にオウチに帰ろう。


ぬか喜び


2004年08月27日(金)
昨日、ちょっと治療を終えて出て来たベイベーが、今日また治療に入った。
前回よりは慌ててない。
そうか。もうちょっと頑張らなきゃあかんのか。
そんな気持ち。
明日は退院予定日だけど、ベイベーと一緒には退院出来ないかもしれないな。

退院後の説明を受けたり、母乳マッサージを受けたりして1日を終える。
マッサージではピューピュー出るのに、なんでベイベーはちょっとしか飲めてないんだろう・・・。
ああ、2人とももっと頑張らなきゃな。
ベイベーは治療。
私は授乳。


不安だらけ


2004年08月26日(木)
昨日は1日どんよりとした気持ちで過ごした。
ブルーになってる私を心配してか、看護師さん、助産婦さんが入れ代わり立ち代わり顔を出して話をしていく。

黄疸という病気。
新生児黄疸というのは、どの赤ちゃんでも持っているそう。
それが症状として表れるかどうかの違いなんだと。
症状が出ても、早期の治療で良くなるものらしい。

私のベイベーだけが特別じゃない。
今は赤ちゃんが少ないから、私のベイベーしか治療に入ってないけど、多い時は2〜3人入ってる事もあるんだと言われた。

そうゆう説明を聞いたからかどうかはわかんないけど、
昨日よりは落ちついた。
今のうちにちゃんと見てもらって、治療してもらって
健康になって退院してもらいたいから・・・。
退院した後に症状が出るより、入院中の今で良かった。
そう思うようにした。
目にカバーをかけているベイベーを見ると、相変わらずウルウルと涙は滲んでくるけど、
「何も出来なくてごめんね。」
と話しかけながら、許可が出た授乳をする。
胸は張るのにお乳の出は悪い。
みんなの半分くらい・・・。
毎回ミルクを足して、ベイベーのお腹を満たす。
大丈夫なのか、これから。
いろんな不安を抱えたまんま、入院の日々が過ぎて行く。


号泣


2004年08月25日(水)
朝、授乳が終わって、さあシャワーを浴びに行くぞと思ってたら、
看護師さんに呼ばれて、
ベイベーが黄疸の治療に入りましたと言われた。



何言ってんの?
さっき私のお乳吸ってたじゃん。

ポカンとしてる私を看護師さんはナースステーションの隣りの部屋へ連れて行った。
そこには目にカバーをかけられて裸のまんま、光線治療を受けているベイベーが居た。
すっかり気が動転して、号泣。
看護師さんが何か説明をしてくれているが、言葉が頭に入らない。
泣きはらし、茫然自失で部屋に戻った。
健康に産んであげれなかった私のせいじゃないかと自分を責めたりした。
どうしたら良いのかわからなくて、オットや母上に電話をしたが
やはり涙が溢れて言葉が続かない。

治療の間は母乳も中断になる。
一晩中、胸がカチカチに張って痛む。
心も身体もピンと張り詰めた痛みが私を襲う。


寒いすね


2004年08月24日(火)
なんだか寒い。
異常気象?
まだ毛布しまってなくて、良かったなり・・・。

手首の痛み。
更にひどくなるなぁ。


夢じゃない


2004年08月23日(月)
昨夜は何時間おきとかで起こされ、ベイベーに授乳に行く。
部屋のTVではオリンピックの女子マラソンをやっていたが
途中、診察に来た助産婦さんがそれを楽しみにやってきてた。(笑)
まあナースステーションではTV見れないしねえ・・・。
助産婦さんの応援もあって、野口さんが無事に金メダルをとった。

授乳には新生児室の隣の授乳室へ行ってた。
何度も手を洗って、ドーナツクッションをお尻に敷き(笑)
ベイベーに乳を吸ってもらう。
だけどあまり上手くいかない。
最初はこんなもんだよと励まされながら、3時間おきに授乳。
ボーッとした頭で過ごす。
ただベイベーの顔を見るたびに

「夢じゃないんだ」

と心がジンジンとする。


運命の日(長文)


2004年08月22日(日)
午前5時40分くらい。
病院へ着いた。
時間が時間なだけに夜間専用の入口から入場。
言われた通りにナースステーションへ顔を出すと、
電話の看護師さんが歯をガシガシ磨いていた。

んが「あのぅ〜。」

看護師さん「あ!やっと来ちゃったね。んがさん?」

んが「はい。」

看護師さん「なっかなか来ちゃあないから、心配しちょったんよ。
      さあ、じゃあ診察してみようかね?」

看護師さんじゃなくって助産婦さんだったか。

早速その助産婦さんに内診され、子宮口が柔らかくなって少し開いてるとの事で、私は陣痛室に寝かされ、母上は入院する部屋に荷物を置きに行った。

7時過ぎ。
朝ご飯を持ってきてくれたが、食欲がない。
しかし母上の「体力勝負だから食べときなさい!」
との言葉に、少しお腹に入れる。

9時過ぎ。
相変わらず痛みの波はあるが、まだ間隔が定まらず。
横のイスに座ってる母上はウトウトしてる。

10時過ぎ。
母上が近くのフジに買い物へ行ってくるとの事。
病院で持ち歩くバッグを頼む。

そう言えば今日は高校野球の決勝。
愛媛の済美はどうなるかな〜。
そうだ。母上に見てきてもらおうっと。

昨夜寝てなかったので、急に睡魔が襲ってきた。
昼過ぎから記憶が断続的になる。

母上が戻ってきた。
高校野球の結果を聞くと済美は残念ながら負けたらしい。

夕方から痛みが想像以上になってきた。
仰向けになって身をよじって痛みをのがす。
(横を向いたり楽な姿勢を探したが、結局はこの姿勢が1番マシだった。)
それまで自分で痛みの間隔をはかっていたけど、
この時から母上に時間をみてもらう。
あまりの痛みで時計を見る余裕もなくなったのだ。

夜8時。
もう何度目かわかんない、陣痛の痛みに苦しんでた時
急にパシャッと何かが溢れ出た。
破水したのだ。
助産婦さんに言うと、子宮口の開きを確認してくれた。
「もうちょっと頑張ったら分娩室に行きましょう。」と言われた。
(/`Д´)/< 今すぐ行きたい!

9時過ぎ。
やっとでし。
やっと分娩室に案内される。
分娩台にのぼる。
ん?
なんでしか?そりは?
足に大きなカバーをかけられる。
そしてその足をベルトで固定される。
( ̄- ̄。)・・・もう逃げられないって事?

ええい!産んでこの痛みに決着をつけてやるう!
ベイベーも頑張ってるんだから私も頑張る。

助産婦さんに呼ばれてセンセイが登場。
「ふーーーーーーーーーーーん!!!」
みんなで一緒にいきむ。
途中で息がもれると、いきめなくなるので最後まで息をためて
踏ん張り続けるように言われる。

「むーーーーーーーーーーーーーーーん!!!」
ダメだ。
体力無しの私はいきみが長く続けられない。
センセイも助産婦さんも「んがさん、もっと頑張らないと!」と声をかけてくる。
実はこの時
「この足枷さえなければ、ダッシュで逃げれるのに・・・。」
と、チョッピリ考えてしまったのは内緒。(* ̄∇ ̄*) エヘヘ

TVとかドラマで見る出産シーンでは、周囲の人が
「ほら!もう少しよ。頭が見えてきたわ。」
とか、実況中継したりしてたけど実際は
「もっと頑張れ。」「口で息をしちゃあダメよ。」「姿勢をもっとこうして!」
などなど、ダメ出しのオンパレード。
最後にゃあセンセイが私の上に乗るように、
お腹を力一杯押し出す始末。
押されてるベイベーはお腹の中で大丈夫なのか?

何かが挟まってるような気がするんだけど
一体、私のアソコは今どーなってるんだろうか。
ベイベーはまだ出てくる気配はないのだろうか。
もう切っちゃった?切っちゃった?
と、疑問や不安が頭の中を駆け巡っていたまさにその時、
股に挟まってた感覚がスコーンと無くなり、
助産婦さんの「はい。産まれましたよ〜。」の声。

え?
最初は「おぎゃー!!」じゃないの?
ベイベーは大丈夫なの?

ふと左下を見ると真っ赤なベイベー、まさに赤ちゃんを
看護師さん達がせっせと拭いたりチューブで何か吸ったりしていた。
少ししたら「ぅんぎゃーーーーーーっ!!」と元気な声が聞こえてきた。
私のベイベー。
そう思ったらウルウルしてきた。
胸元をはだけてベイベーを抱き締める。
産まれてすぐに肌と肌を密着させる、これをカンガルー抱っこって言うらしい。
パイを咥えさせると、ちゅっちゅくちゅーと吸ってくれた。
しばらく分娩室にベイベーと2人きり。
母上を呼んで、こっそり携帯で写真を撮った。

22時8分。
3350g。

ほんとうに産まれてくれたんだ。
そして、これからこの子と歩いていくのだ。


とほほのほ・・


2004年08月21日(土)
たまなが帰ってしまって何だか気が抜けた。
居るうちに頑張るぞー!!
と、思ってはいたものの、こればっかりはベイベー次第。
また散歩の日々が続くのかなぁ・・・

ぼんやりと過ごした1日。

んがっ!
なんだかお腹がシクシクしだした。
夜中になっても眠れない。
「う〜ん。う〜〜〜〜ん!!」
何度も寝返りをうち、何度もトイレに走る。
(膀胱が圧迫されているため、1時間に5回くらいトイレに行く)

午前2時半。
痛みの波(らしきもの)がくるので、間隔をメモってみる。

午前3時。
母上が気づき、「病院へ行く?」と聞かれたが
「・・・間隔が、まだ20分おきくらいやねん。」
と辞退。

午前3時半。
ちょっと痛みが増してきて、心細くなる。
母上に「病院へ電話して聞いてみたら?」と言われたが
「これくらいで行ったら笑われるから・・・。」
と辞退。

午前4時。
もーあかん!
生理の痛みを上回ってきた!!
電話電話!!!

んが「あー、えっと、痛みがひどくなってきたんでしけど〜。」

看護師さん「どれくらいの間隔ですかぁ?」

んが「うー、15分くらいでし。」

看護師さん「そうですかぁ。う〜ん。あれだったら来てみますか?
      まだのようなら帰ってもらうかもしれないけど。」

Σ( ̄ロ ̄lll)帰ってもらう!?
帰らされてたまるもんかと言う気持ちがフツフツと沸き、
電話をきってから、間隔が短くなるかをもう少し様子をみてみた。

午前5時。
間隔はまだ定まらず。
でも、あう〜。
これ以上我慢したら、物凄い痛みの中で車移動しなけりゃあかんくなる。
そう思ったので母上に頼んで父上を起こしてもらい、
速攻でウチを出た。


予定日を過ぎて・・・。


2004年08月20日(金)
ベイべーを心待ちにする反面、無事に産まれてくれるか不安になってきた。
センセイからは予定日から一週間過ぎたら入院して下さいと言い渡されたし、出産の手伝いに来てくれたたまなは今晩帰っちゃうし・・・。
まさに「んがピーンチ!!」と言う感じ。

何回もお腹が痛くなったりするんだけど本格的な陣痛には突入せず、また落ち着く。
これはまさか微弱陣痛っていうのじゃないよね?
症状としては腰痛もヒドくなって、骨盤がグィ〜ンって開く感じだす。
~(>_<。)~あう〜!

・・・また夜が寝られないかも。


もーすぐ もーすぐ


2004年08月12日(木)
昨日は一週間に一度の検診日。
前夜、お腹(子宮)の痛みでほとんど眠れなかったので、前兆?とは思っていたがセンセイからカウントダウンを言い渡された。
と言ってもだいたい予定日通りなんだけどね。
体重も800g増えてて、やっぱりと言う感じ。
あれだけモグモグしてりゃあ太るはずだわ・・・。
( ̄∇ ̄;A
果物を食べる量も限度を超えていたような毎日だったからな〜。
でも以前に比べて、「出産へ向けての体力作りだ!」とか「産後の母乳の為だ!」な〜んて都合のイイように考えてるんで、イマイチ危機感は無いんがなのでし・・・。


片付け下手


2004年08月07日(土)
今日、ベビーベッドを組み立てた。
片付けが下手なO型なので服やベイべーの小物等でごった返してた部屋が、なんとか持ち直した。
あまりに時間がかかり、荷物やダンボールを持ってウロウロした為、お腹が張りまくってベイべーと一緒にしばらく苦しんだ。
( ̄∇ ̄;A
こんな時にA型のオットが手伝ってくれれば、多分時間の半分は短縮出来たと思われる。
・・・と甘えてばかりじゃあかんのやけど。

あ、そだそだ。
ゴロウのキャリーケースを手に入れました。
今まで使ってたスーパーのカゴ2段重ねよりも少し大きくて快適そうだじょ!(笑)


呼び名


2004年08月06日(金)
オットと電話でしこたま話して切った後、必ず母上に叱られる。
通話時間が長いため!
ではなくて、私がオットを呼ぶ時の呼び名が気に入らないようだ。
「イイ年をして・・・!」
といつも言われるが、今更どう呼べばいいというのだ。
そりゃあベイべーが産まれれば
「父ちゃん」「パパ」「父」「ダディ」
など、いろいろ呼び方もあろうというもの。
しかしそれまでは今までの呼び方しかあるまい。
我慢してくれぃ!

そう言えば、オットは私にいろんな呼び名(マメとか)をつけて楽しんでたぞ。
母上!ほんまに怒る相手を間違ってるのではないか?


検診っす


2004年08月05日(木)
昨日は検診日だった。
どれくらい大きくなってるんだろう・・・
と、ワクワクしながら行ったのだが、前回とあまり違わなくて2950gぐらいだった。
私の体重も200gしか増えてなかったし、まあこんなもんなのかな〜?
NST検査(ベイべーの心音とか心拍を調べる、例の検査)では、お腹の張りが少なく、まだまだかなぁとゆう結果。
センセイに
「予定日通りでしか?」
と聞いたら、
「もういつ産まれるかわからないから、油断しちゃあダメ!」
と注意されてしまった。

あ!帰りに携帯の機種変をしたよん。
(電池のもちが最悪のため)


へ、へそが


2004年08月03日(火)
なんだか最近歩き辛い。
朝晩のウォーキングは苦にならないんだけど、いつものようにサッサと歩けない。
日に日に身体の自由がきかなくなってもどかしいかぎりなのだ。

昨夜、私がベロンと生デカ腹を出した時、母上と同時に発した言葉は
「あ!(出)へそが下向いてる…。」
って事は、もしかしてベイベーが下におりつつあるのかも?

そんなこんなで、まだまだだとはわかってはいても、ちょっとお腹が痛くなったり気分がすぐれなかったりすると、
「じ、陣痛!?」
と焦ってしまう自分が居るのでし・・・。
(≧ω≦)!

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