人は誰でも心に弱い自分をもっている。 人にはみせたくないような汚い自分。 その自分を受け入れることは容易ではない。 それどころか、そんな自分は自分でみたくない。 だけど人は誰しもが完璧ではいられない。 自分のことは棚にあげて他人の悪いところばかりが目につくのは人の弱さゆえだ。 弱い自分を認めて、それでも前向きに胸をはって生きれたらならこんな幸せなことはない。 弱い自分を人に話せて素直にごめんねって言える強さを持てたならきっと楽になれるはず。 だけど大方の人は汚い自分に直面したとき、そこから目をそらすか自己嫌悪でふさぎこむかのどちらかを選んでしまう。 誰もが人から自分の存在を否定されることを恐れながら生きている。 だけど人の価値はそんなに薄っぺらいものなんかじゃない。 人は生まれたときからどんな容姿だろうと、どんなに心が汚れてしまおうと、そこに存在するだけで高価で尊い存在なんだ。 どんなに他人が否定しようともその価値は変わらない。 すばらしい人生という時間を誰もが授かって今ここにいる。 それは神に愛されている証拠なんだよ。 だから自信をもっていい。 だから弱い自分がいたなら素直に認めればいい。 嫌な自分が生まれ変われるように祈ればいい。 僕にも君にも存在する価値があるから。
久々に風邪をひき熱が出た。 病気になると気弱になる。健康のありがたみを沸々と感じると同時にもうひとつ感じることがある。 普段あれだけ時間がほしいとか休みがほしいと言ってるくせに『忙しさ』への渇望だ。 ぼくにはやらなきゃいけないことが毎日あって、それをひとつひとつやっつけるような感覚で過ごしているのだけど、実はそれはとてもありがたいことなのだと気付く。 病気で動けない今のこの時だって、きっと与えられた『必要な時間』。
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