kumohikaruの日記
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「ほんまち町屋館」で、直経60センチくらいの大きな火鉢の火にあたることが、出来ました。特別に炭をいれてもらって、暖をとりました。 きれいな水色にちかい青い色の陶器でできています。
近くに寄って手をのばすとじわっと暖かさが手の先から、体の方へ伝わってきます。
「ほんものの暖かさ」という感じ。
「ゆたかな気持ちになります」
炭も火鉢も用意してくださった方が、 「家のおじいさんは、炭をやいているよ」と云いました。
うん じわーと あたたかいよ。
昨年、味噌を自宅で造りました。機械は、昔共同で買ったものだそうですが 今は、他に自宅で造る人がいなくなったらしく、うちにあります。 豆をゆでたり、すり潰したり、けっこうこまかい作業です。
ある人が、「こういう時代には、味噌とか酒とかの仕事は、あわないのかもしれません。」と言っていました。
私の母は、手作りの漬物や料理のレシピを写した紙やノートを集めていました。結構ちょこちょこ作っては、父に作りすぎだとか言われていました。娘も一人いるのですが、そのメモが娘に使われる事は、ありませんでした。たまにシソジュースなどは、有線できいてくるおばさんなどは、いましたが。
昨年、料理やお菓子に詳しい女性が泊まることになり、ありあわせのものを食べさせました。大根の酢づけや、花豆の煮豆や、ハリハリづけなどです。 また、おやきを翌朝つくりました。少しずつおみやげにしました。
彼女のおうちでは、みなさんに大好評で、息子さんは、明日に残すはずの花豆を、全部食べてしまったそうです。お正月にレシピをもとに作った漬物は、大成功だったとメールが届きました。
娘のために残しておいたメモが、喜ばれたという「手前味噌」の話です。
最近思っていることは、真面目に笑顔と感謝と尊敬の心をもって生きていると、大事にしてきた人が、いいところを見て何かのときチャンスをあたえてくれるということでしょうか。
いぜん、どうしようもなく自信をなくしたことがありました。人にいうよりは、本を読んで自分なりに答えを出そうとしました。人にも、恵まれたわけですが、とてもよい本がありました。
それは、何年か前にたまたま太鼓の演奏を聴きにいったとき、近くの席だった糸川 英夫さんの「女性人生読本」という角川文庫でした。古本屋で見つけました。
「ふるまい酒を飲むな」とか、「生物は逆境のときに成長する」とか、男性でもとてもためになると思います。女性は、ほとんどの悩みが解決するかも。
この本は、バックに入れて病院の待合室とかでよく読みました。
糸川先生とは、二度と会うこともありませんでしたが、古い民家を移築した お宅での、「コカリナ」のコンサートがあったとき出かけました。先生の住んでいたことも、感慨が深いものでした。
最近、この本の内容が実感として感じられることが、多いです。
2002年01月18日(金) |
掲示板 「紺碧の空」 |
使い方が悪くてやっと元のとおり動き始めたパソコンの横に「海王丸」の 写真を飾りました。カレンダーの表紙です。「日本丸」は、一般の人の航海訓練は、出来ませんが、この「海王丸」は、できます。
また、見学は、港にいる日曜日にできる場合や、クラスごとやグループでまとまれば見学できる場合があるそうです。「日本丸」「海王丸」ともに。 風を受けた白い帆。しずけさのなかに立つ白い波。
青い海原。青い地平線。 あおい宇宙。
紺碧の空。
あまり個人的になると思い、また、充実するまでは秘密の楽しみの掲示板でいいとおもっていた掲示板「紺碧の空」 いろんな所から何か書き込んでいただけると嬉しいです。具体的な地域の話題も入るかもしれません。メッセージやいろいろ使ってください。ただし、「紺碧の空」のようにさわやかなものを。
http://6118.teacup.com/konpeki.bbs
1月10日、新聞のテレビ欄で「帆船訓練」という言葉を見つけ、同じ日に航海訓練にでる「日本丸」のことかと思いました。
「きょうの出来事」で「密着取材」でしたが、「日本丸」のことではなく、 外国の帆船で四肢障害の少年の帆船訓練の様子でした。言葉のほとんど通じない外国の人に混じり帆船の訓練に加わっていました。カメラの向こうの彼は、意識をほとんどせず、かえってユーモアやかたことの英語でそれこそ挑戦していました。
映像でもなんの違和感もなく肩を並べている人々、素直な心と心が波と一体となって揺れていました。
帆船「日本丸」「海王丸」でも、一般の人が帆船訓練に参加することが出来ます。甲板掃除ももちろんします。まだ、私は、参加したことがないのですが。また、見学も出来ます。
「海王丸」 1/17-21 大阪港10時入港14時出港 1/25-29 門司 2/2 - 7 広島 2/14-18 那覇 3/8 -4月はじめ 東京
「日本丸」 3/7 -4月はじめ 東京
詳しいことは、独立行政法人 航海訓練所のホームページへどうぞ。航海日程等わかります。
2002年01月10日(木) |
帆船 「日本丸」出港 「ごきげんよう」3回 |
親の家の玄関に、帆船「日本丸」の折り紙の額が、あります。紺碧の海に「日本丸」が、帆をひろげて航海している折り紙です。 それは、きょう1/10横浜新港埠頭8号岸壁から、14時に出港した独立行政法人 航海訓練所の帆船「日本丸」の機関長の長南さんの折上げたものです。
いろいろな折り紙を折られるのですが、世界の帆船の折り紙(オリジナル)を集めた本も出しています。
今回の日本丸は、商船高等専門学校の学生80名(うち女性13名)がのり、ホノルルへ寄港後、3月7日に戻ります。彼らは、卒業すると外航船舶の船長、機関長となる予定の学生です。 出港時は、「登裳礼」(とうしょうれい)といって、マストのてっぺんまで登り、横棒に学生全員が、配置され 「ごきげんよう」と3回叫び出ていきます。
これは、兄に聞いた情景ですが、まのあたりにしたら、かなり感動するでしょうね。
「ごきげんよう」 「ごきげんよう」 「ごきげんよう」
みなさん、元気で、「ごきげんよう。」
2002年01月08日(火) |
北向き観音、生島足島神社。 |
雪の少し残るなか北向き観音へ向かった。二年まいりや、初詣は、とても賑わう。
車で、正月はやばや初詣に出かけると一寸ずりのおまいりの車が、長々と続き時間と人々と格闘するような状態で境内にいる自分を発見したりする。 なので、8日は、そろそろ人出が落ち着いた頃だ。
でも、信濃国分寺の八日堂の縁日があるので、この日は、そこへの人出も多そう。お昼に近くなり人出が多くなった。 北向き観音と帰りに生島足島神社へも、おまいりしおみくじをひいた。
「大吉」が、でた。 いいとしになりますように。健康で無事に過ごせますように。
2002年01月03日(木) |
甘酒 「大塚酒造」のこうじだけの。 |
地元のスーパーの初売りで、甘酒のふるまいがあります。
11月末、「大塚酒造」へ、用事で行くと、作りたてあつあつの「甘酒」を一杯いただきました。
「こうじだけで他のものは、はいっていないんですよ。」 新米の地酒米と酒蔵の米こうじだけで、この甘みは、できたものだそうです。 「お天気や温度に、仕事が左右されますから、天気には、敏感なのです。」 そういわれる、大塚さんは、急いで私のお願いした甘酒を一本、製造現場から持ってきてくれた。 フルーテイな味の清酒「浅間嶽」「あさまだけ」もおいしいし、甘酒もおいしいですね。
2002年01月02日(水) |
柳町「岡崎酒造」の「亀齢」 |
毎年恒例の福袋と初売りの宝探しの買い物のために、上田市に行った。
楽しい宝探しの買い物のあと、旧北国街道沿いの映画やテレビのロケにもよ くつかわれる、古い町並みの面影が多い場所である柳町を車で通った。
昨年、兄の同じ職場の、以前、帆船「海王丸」の機関長だった神田ご夫妻に、りんご狩りの帰りに、約20年ぶりの上田ということで、歩くのをおすすめした場所でもある。 そのとき、「あれは、なんだろう」とみんなで思った建物は、おそばやさんが、古い建物を直して移転したものだった。 駅まで歩いた神田さんは、「いいところ」と案内所ですすめられて、また、そのそばやさんまで戻ったのだった。 時間のある私たちは、柳町がきになって、ゆっくりと車をすすめた。 日本酒にうるさい兄に「岡崎酒造」は、造り酒屋であり、映画「卓球温泉」のお座敷のロケがあったところだと伝えた。すると、すすんでお店に入った。
「「亀齢」は、いつも飲んでいます。」兄
「このガラス素敵ですね」私
「お座敷の何枚か揃っていたものが、一枚われて、他のものもとっておいた
ガラスをここに使ったの」お店の方 それは、細かい雪の結晶のような模様だった。
「これは、亀齢の模様ですか。」兄
「そう私がデザインしたの。」お店の方。亀甲の形に組み合わされていた。
お店の方とお話しして、縁起ものつきのめでたい酒と生しぼりのお酒など 買った。兄も私も楽しかった。
福袋と宝探しと縁起ものと日本酒で2002年は、はじまった。
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