DEAD OR BASEBALL!

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Vol.202 粗末で不誠実な爆弾ゲーム 追記2
2008年11月24日(月)

 ※11月23日夜追記

 サンケイスポーツによる各選手の辞退理由に関するコメントは以下の通り。

 岩瀬:『力になりたいけど(WBCの時期は)なれないんです』

 森野:『(体の)不安が大きい。五輪だったら無理してでもというのがあったが、時期の問題もあるし断った』

 浅尾:『中日の選手として1年通してやっていない』

 高橋:『調整の面で不安があるので』

 率直な印象としては、どのコメントも“行けない”のではなく“行きたくない”と翻訳できるな、ということ。森野は体調面を挙げてはいるが、故障の具合がどれほどで、治療や調整にこれだけかかるという見通しを出してはいない。落合によれば、岩瀬と森野は北京五輪から帰国後、日本代表について『もう二度と行きたくない』と球団に話しているという。

 “行きたくない”ことの説明責任ならば果たしたと言えるが、“行けない”ことの説明であるならば不十分な印象を受けざるを得ない。なんで『行きたくない』という意思をはっきり外に出さないのか、と思う。繰り返しになるが、行きたくないならそれは仕方ないし、責める理由もない。だったら、それらしい理由をつけず、はっきり行きたくないと言った方がいいのではないか。

 落合は反論会見で『選手は個人事業主だから、今回の件も選手個人が決めること』ということも言ったそうだ。それはもっともだと思うが、落合のコメントの端々からは、選手を守るためにWBCに協力したくないという意思が感じられるのも事実。『けがをしたときにどうなるんですか、と聞いたら外された。(ファンから)首くくって死ねといわれて、誰かがフォローしてやってくれるのか? 負けて被害を受けるのは選手なんだ。二度と味わいたくないと思う人間がいても不思議はないだろ。(代表に)来いといえば全部出てくると思うのは大間違いだ』とも言っている。そうであるならば、はっきりと球団として行かせたくない意思を話せばよかったのでは、と思う。 それが選手を守ることになるのではないか。


Vol.202 粗末で不誠実な爆弾ゲーム 追記1
2008年11月23日(日)

 ※11月22日夕方追記

 11月22日夕方に落合博満のコメントが出た。共同通信の速報によると、『現場もフロントもタッチしていない。あくまで選手個人の判断』とのこと。白井オーナーの発言との整合性を取るなら、『フロント・監督の意図としては故障者は出さない。岩瀬、森野、高橋、浅尾は故障ではないが、本人の意思により辞退した』ということだろう。それならば、各選手は自ら理由を明示した上で辞退すべきではないか。

 いずれにせよ、落合がこのタイミングでこのような発言をするということは、真意がどうあれ選手に批判やバッシングの矛先を全て預けたように見える。世論が「中日は非協力的」という方向に傾きつつある現状、真っ先に選手を矢面に立たせて球団の関与を否定しようとするコメントは、責任を転嫁していると見られても仕方ないだろう。『NPBやファンを納得させようとは思わない。でも代表の監督でもコーチでも、NPBでも話にくればいい。ちゃんと説明してやるよ』という傲慢なコメントと態度が、火に油を注いでもいる。

 『うちはけが人が多い。落合監督もけが人は出さないと言っている』というコメントが白井オーナーから出ている以上、中日球団フロント・首脳陣の間の統一意思として、WBCに選手を出したくないというのはあったと想像できる。少なくとも、全員辞退ということに球団幹部と監督が関与していないというのは、どう言葉を重ねても受け入れられ難いだろう。WBC代表参加について、もし実際は選手個人の意志よりも上に球団の力が働いているとしたら、それは日本球界に対する背信行為である。

 事実がどうあれ、“そういう風に見られる隙を作る”ということ、そしてそのことに無自覚であることは好ましくない問題だと思う。辞退ということそのものに対してではなく、球団の態度が不誠実に見られていることが、各種批判の要点であるように思うのだ。


Vol.202 粗末で不誠実な爆弾ゲーム
2008年11月22日(土)

 正直に言うと、もう二度とここに何かを書き残すことはないと思っていた。野球への情熱を失った訳ではないが、色々な理由があった。だが、自分自身の為にこれは書き残しておこうと思う。

 約3年前、大きな幸運があったとはいえ、日本の野球は世界一の冠を頂いた。第一回ワールドベースボールクラシック(WBC)の優勝は、日本野球に大きな歓喜と誇りをもたらした。そう思っていた。

 あの大会、最終的に完成された日本代表チームは、誇りと実力を兼ね備えた、素晴らしく魅力的なチームだった。そのことは多くの野球ファンの同意を得られると思う。大会終了後、「このチームでメジャーリーグを1年戦ってみたい」と語ったイチローの言葉は、とても印象に残っている。解散する寂しさをイチローが抑えられないチーム……あの大会の日本代表チームの価値を端的に示している言葉だったと思う。

 今年イチローが、WBCの監督人事で揺れる日本球界に痛烈なメッセージを送ったことは記憶に新しい。その中には「北京五輪のリベンジをWBCで、というのは違う。WBCはあくまでもディフェンディングチャンピオンとして臨むものであって、北京の雪辱は関係ない」という趣旨のメッセージが込められていた。

 「北京で敗れたから、リベンジの機会を星野仙一に与えては」という、厳格な勝負論の外にある安易な感情論を牽制したものと思われる。WBCを勝つ為の方法論としての監督選考……マスコミやネットの間では「イチローは星野にいい感情を抱いていないのではないか。だから消去法で監督が星野に決まりかけている状況を嫌ったのではないか」という論調も飛び交った。しかし、WBCというイチローが誇りを持つ“野球世界一決定戦”に、「他に適当な人間もいないし、仕方ないからまた星野で」という精神性を持ち込んだことが愉快である筈がない。そのことに釘を刺したという方が実際だろうと思う。

 「日本代表とは誇り高きもの」という理念が、恐らくイチローにあるのだと思う。様々なインタビュー記事やドキュメンタリーを見ると、イチローが日本代表という称号に並々ならぬ誇りを抱き、その立場に強い責任感を抱いていることが窺える。そしてそれは、大きな栄誉であることも感じ取れる。

 WBCでの日本の勝利には、日本の野球人として培ったイチローのプライドが凝縮されている。WBC後、私がイチローに感じ続けている雑感の一つである。

 私はあのWBCを見続けて、日本の野球に大きな誇らしさを感じた。初代王者の座を掴んだ場面を振り返ると、今でもとても気分が高揚する。オフィシャルDVDや特集雑誌を見返す度に、あの日々の不安と興奮と歓喜が蘇ってくる。あの第一回WBC野球日本代表の存在が、頼もしく、誇らしく、そして心強かった。

 最初は緊張感の欠如や一体感の乏しさを指摘されたチームが、最終的にはどの選手も非常にいい表情をしていた。あの選手たちのいい顔ひとつひとつを思い返すと、野球日本代表で勝つということは、想像を絶するプレッシャーがありながら、それを乗り越えた後のカタルシスはとてつもなく大きいのだろうと感じた。

 あの大会で、野球日本代表のグレードは間違いなく上がった。次回はディフェンディングチャンプとして臨む大会。選手のモチベーションも上がり、代表選手に選ばれることを誇りに思う選手も増えるに違いない。不可解な理由で代表を辞退する選手は、限りなく少なくなる筈だ……そう思っていた。

 甘かった。

 11月21日、WBC日本代表のスタッフ会議が都内で開かれた。以下はサンケイスポーツの記事の引用である。

『選出した48人の代表候補から辞退者が続出していることが明らかになった。北京五輪代表の中日・岩瀬仁紀投手(33)、森野将彦内野手(30)ら投打の主力も含まれ、原辰徳監督(50)率いる「サムライジャパン」は厳しい船出となった。

約4時間半におよぶ会議を終えた原監督は、厳しい表情だった。

 「辞退者が何人かいる。1球団においては、誰ひとりも協力できないということだった。再度要請したが『NO』だった。さみしいが、新たな選手を少し加えて12月15日に45人を発表する。前回より、かなり若返る」

 12日の会議でリストアップした48選手に出場の意思確認をしたところ、腰の治療を要する新井、今オフに右ひじ手術を受ける矢野(いずれも阪神)ら北京五輪代表組からも辞退者が出た。中日は岩瀬、高橋、浅尾、森野の候補4人全員が代表入りを拒否。岩瀬は左の抑え、森野は内外野をこなせる強打者として期待されていた。山田投手コーチは「理由を言わないで辞退した人もいた。投手陣では当てにしていた一人が辞退。構想が崩され、われわれもがく然とした」と憤激した』 


 時事通信による中日の白井文吾オーナーのコメントも引用しておく。

『うちはけが人が多い。落合監督もけが人は出さないと言っている。選手の意思もあるみたい』


 故障による辞退については、致し方ない面が大きいとは思う。満足に動けない選手を名前で選んでも、本番では活躍できないどころか貴重なベンチ枠を潰すことにもなる。故障の具合と回復までの期間がどれほどなのか、実際のところは本人と関係者しか知り得るところではない。球団側から本人のコメントを交え、辞退理由が説明された選手もいるとのことなので、それなら筋を通していると思う。

 「出ない」ということに対して、とやかく言う気はない。一番気になるのは、一部選手の辞退について、選手個々人ではなく、所属球団やその監督といった人たちが前面に立っている感があることだ。

 代表監督である原辰徳から直接名ざしがあった訳でもないに関わらず、取り繕うようなコメントを中日のオーナーが出している。そのことに、どうしてもいい印象を持てずにいる。

 記事で名前が挙がっている岩瀬や森野には、出場を躊躇する要因があるのも確かだと思われる。森野は打率5位の.321を記録したが96試合の出場に止まり、岩瀬は36セーブを稼いだが防御率2.94と安定感を欠いた。北京五輪でも苦い経験をし、特に岩瀬は準決勝の韓国戦で決勝ホームランを被弾していることも大きなダメージになっている筈だ。数年前の神懸かった投球を取り戻せていないのが現実だろう。

 野球日本代表に、セパ12球団の協力が不可欠なのは確かだ。シーズン開幕前のキャンプ・オープン戦時期にWBCが開催されるのも、現実的な悩みのタネではある。しかし、代表に選ばれているのは、「どこの球団の誰々」ではなく、あくまでも選手個人ではないだろうか。そうであるならば、辞退の説明をまずするのは、所属球団のオーナーや監督ではなく、それぞれの選手ではないだろうか。

 WBCは、「行きたい人が好きに行けばいい」という類のものではなく、野球界全体が勝つ為にはどうするのがベストなのか、真剣に取り組むべきものだと思う。意欲のない人間を代表入りさせるべきでないのは確かだが、オールプロで代表チームを組むようになった以上、候補に選ばれた選手個人にもそれを預かる各球団にも、一定の責任は発生する筈だ。

 原のコメントに滲み出ているように、中日球団だけが12球団の協力体制に異を唱えるのであれば、それ相応の説明責任は問われる。異を唱えること自体に文句はない。しかし、選手や監督の“言い分”を盾にしてオーナーが理由付けをしているようであれば、それは球団の意思と受け取れるし、何よりあまりにも不誠実な態度である気がする。それならば「選手の意向も監督の思惑も関係ない。ウチはWBCには協力しない。シーズンの方が遥かに大事」と言い切った方が、まだすっきりする。

 球団幹部は、選手の故障を理由にして辞退の説明とする。選手は自らの説明責任を放棄して球団首脳に辞退理由を語らせる。真ん中にいる監督は、時に球団幹部側の理屈を使って選手の故障という隠れ蓑を口にし、時に選手の立場に立って「故障だから仕方ないじゃないか。潰す気か」と憤る。もしそういう体質が一部の球団に根付いているのだとしたら、病理は深いなと思う。

 あらゆる立場の人間が、自らの立場における説明責任を放棄し、誰かの口でもっともらしいことを喋らせ、責任をたらい回し、或いはうやむやにしているような印象を受けるからだ。

 故障が事実で、選手を預かる立場として監督が言うならば、「こういう状態の選手だから出せない。代表の迷惑になる」と言った方がいいのではないか。「シーズンの方が大事だ。日本代表に協力したって、ウチの為にならないじゃないか」と思っているのだとしたら、はっきりそう言った方がいい。選手も代表候補に選ばれながら辞退するなら、自らの口で「こういう状態だから、代表に選ばれても満足な仕事はできない」と説明する義務はある。オーナーに“故障だから”とだけ喋らせて、それで全ての説明が済んだと思うのは、極めて不誠実な態度ではないか。

 投手コーチである山田久志の『理由を言わないで辞退した人もいた』というコメントも合わせて、選手本人や球団幹部から、日本代表チームに選ばれることを誇りや栄誉と思わず、むしろ邪魔なことであるように見る雰囲気を感じる。

 それぞれに思惑があるのは確かだろう。代表に思い入れがないのであれば、それは仕方ない。辞退を選ぶのも、それが故障などの事情だろうが単に嫌だという理由だろうが、それは正直どっちでもいい。

 問題、というより個人的に非常に残念なのは、第一回大会に参加した多くの選手が具現化した価値を積極的に下落させ、今回の関係者が盛り上げようとしている代表の機運を積極的に下火にしていることに、あまりにも無自覚な関係者がいたということだ。その中に代表候補の選手が含まれているような印象を、図らずにしても与えてしまったことだ。

 仮にシーズンを優勝しても、「あそこはWBCに協力しなかったんだから当然だ」と思われる。優勝を逃せば「WBCに背を向けたのにこの体たらくかよ」と思われる。はっきりと背を向ける、或いは説明責任を果たせば、また印象も変わるかもしれない。そうでないなら、中途半端に悪い印象だけが残り続ける。それは個人にも球団にも負の遺産になりかねない。そういうものを生み出してしまったのが、非常に残念なのだ。

 やむなく辞退するにしても背を向けるにしても、それはそれで仕方ない。そのこと自体は妥当とも価値観の相違とも言える。ただ、代表に選ばれるということは、多かれ少なかれ説明責任が発生すると思う。説明責任を放棄するのであれば、それは代表の誇りと栄誉に取り返しのつかない傷をつけることになる。関係者自身が「こんなの価値ないよ」と暗に言うのであれば、それは必ずファンに伝わる。それは失意だと思う。少なくとも匂わせてはいけない類のものだと思う。匂わせるぐらいなら、はっきりと意思表明するべきではないか。

 より高みを目指して海を渡った日本人メジャーリーガーは、揃って参加の意思を表明したという。日本球界にいる選手たちが安穏としているとは思わないが、そういう対比は必ずされてしまうと思う。どちらがアスリートとして魅力的か……そういった視線を拒む理由付けは許されなくなったと思う。

 NPBとMLB、どちらが魅力的か。新日本石油の田沢純一がアマチュアから直接MLB入りすることを希望したのをきっかけに、「ドラフトを拒否して海外のプロ球団と契約した選手は、その球団を退団して日本の球団に復帰する場合、高校生の場合3年、大学・社会人の場合2年はドラフト指名を凍結する」という、締め出し・罰則・見せしめとも言えるルールが設けられた。「日本の各球団のスカウトはアマ選手と自由に接触できないのに対し、MLBは自由に接触できる」という制度上の不備はあるにしろ、このような鎖国的なルールを作るNPBに、自身の魅力を訴える力があるかと問われれば、そうは見えないと答えざるを得ない。

 日本より海外。国内に留まるのは向上心の欠如。そういうイメージが内外に作り出されることこそ、日本野球の空洞化であるように思う。選手のメジャー流出は、日本の選手輩出力を考えれば致命的な問題にはならない。「日本じゃダメ、メジャーへ行こう」と思わせる要素は何なのか、日本に欠けているものの正体がどこにあるのか、そういったことの解決に正面から取り組まず、内向きになり過ぎていることこそが、空洞化の原因だろう。そして、そのことにきちんと向き合おうとせず、反省もないことこそが、人材がメジャーへと流出していることの根本原因だと思う。

 日本の野球に誇りはあるのか。正面からMLBと向き合う為に必要なものは何なのか。その答えのヒントは、前回のWBCにも少なからずあった筈だと思う。だからこそ、どういうスタンスでいるにしても、WBC・日本代表という言葉を中途半端に扱ってほしくない。軽く考えてほしくない。やむを得ないにしても背を向けるにしても、「辞退」という二文字だけで片付けてほしくないし、それで済むとも考えてほしくないのだ。

 第一回WBC日本代表を追った、石田雄太氏の「屈辱と歓喜と真実と」(ぴあ)という本がある。そのあとがきに、『当時の取材中もっとも印象に残ったある選手の言葉』として、こんなことが記されている。

『WBCで勝って日本の野球は世界一になったんです。日本の野球は世界一の野球だったんですよ。そういう誇りを胸に日本に帰ってきたら、世界一の野球はこんな粗末な皿に盛られていたのかとビックリして、悲しくなってしまいました。世界一の料理は世界一の皿に盛りつけられるべきでしょう。球場の環境、試合の演出、選手の意識や観客のマナー……野球そのものだけでなく、そういう周りの環境も含めて、日本の野球はすべての面で世界一でなくちゃ、おかしいじゃないですか』


 星野自ら監督人事を「火中の栗」という言葉で厄介事扱いし、まるで爆弾ゲームのようにたらい回しし合った。代表選手に選ばれることも、保守的な球団幹部や首脳陣、辞退理由すら説明しようとしない選手にとっては、爆弾ゲームのようなものなのだろうか。粗末に扱うことなのだろうか。そうだとしたら、はっきりと「こんなの爆弾だ。馬鹿らしい」と言ってほしい。もちろん本音を言えば、日本代表に選ばれること自体は誇りであり栄誉なことであってほしい。

 少なくとも、こんな泥仕合を演じる日本球界が、自身を世界に誇れる筈がない。ファンも胸を張れる筈がない。

 日本の野球は、依然として粗末な皿に盛られたまま。むしろ、より粗末な泥茶碗に盛られようとしている……これが今回の件の率直な感想である。非常に寂しい気持ちだ。



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