DEAD OR BASEBALL!

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Vol.195 技とパワーの幻想
2005年01月29日(土)

 移籍話が頓挫しかけていた井口資仁が、一度は破談したと思われたホワイトソックスと2年契約で合意。ポスティングの行方すら不透明だった中村紀洋も、去年のキャンプに参加したドジャースからの入札があったことが明らかになった。

 驚いたのは、デニー友利のレッドソックス入り確実という報道。入団会見は30日に行われるとのことだが、正直に言えば「そう言えばデニーも……」という感想。デニーがメジャー移籍を目指しているという報道は目にしていたが、ネームバリュー的にすっかり失念していた。

 昨年の松井稼頭央に対するかなり厳しい評価にも見えるが、メジャーで活躍する日本人選手の中でも、投手に対しての評価よりも野手に対する評価はシビアな印象を受ける。契約面での詳しい話はわからないのだが、これはメジャー球団の野手獲得のベクトルによる話らしい。

 日本からメジャーに渡ろうとした野手を見ると、いずれもオールスター級の選手か、またはそれに準ずるレベルの選手だ。実績に乏しいと言われていた新庄剛志も、阪神からFA宣言した時は球団から5年12億円という条件で慰留されたと伝えられている。少なくとも、契約面では億単位の額が保証されている選手が海を渡ってきた。

 しかしメジャー球団にとっては、いくら実績があろうが海のものとも山のものともわからない日本人選手に数億単位で金を積むよりも、身体能力に優れた素質豊かな若い選手を数百万の値段で中米から連れてきた方がいい、と聞く。

 ドミニカやプエルトリコ、パナマといった中米諸国から、ベースボールでアメリカンドリームを夢見る選手を、安い金額でスカウトしてきてマイナーリーグの競争にぶち込むという手法。「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」と言えば聞こえは悪いが、絶大なハングリー精神と凄まじくバネのきいた柔軟な身体能力を持つ彼らは、サミー・ソーサやマリアーノ・リベラに代表されるように、いまやメジャーリーグを形成する上でなくてはならない選手輩出源に成長している。

 彼らもかつては、「その他大勢の素質ある若者」という括りで表現された選手だった筈だ。松井稼の移籍でショートのポジションを奪われセカンドにコンバートされたホセ・レイエスは、結果的に松井稼がエラーの多さで昨季途中からセカンドにコンバートされたことが追い風にはなったものの、今期からは再びショートのポジションでレギュラーを争うという。

 メジャーリーグ中継や日米野球では何度も言われることだが、走るにしても投げるにしても、基本的な身体能力という面では、確かに日本人選手は彼らに遅れをとっている。

 サバンナのヒョウを連想させるような機敏な瞬発力であったり、三遊間の最も深い位置から片膝をつけたままのノーステップスローで一塁にノーバウンドを投げる肩の強さであったり、そのように瞬間的に力を爆発させる動きで、日本人選手と欧米・中南米の選手では現実的な差がある。陸上短距離の例を見ても、100mのファイナルで世界の頂点を争う日本人選手は出てきていない。

 完成度はあっても、日本の規定上、日本人選手がメジャーとの移籍交渉の席に着くのは、どう贔屓目に見ても30歳の大台に手が届くか、というところだ。そういう選手に億単位の金を払って、松井稼のような成績が続くのでは目も当てられない。それならば市場として魅力があるのは中米……という理屈は道理であると言える。少なくとも私が球団経営に携わっていれば、優先順位ははっきりしているところだ。

 松井稼が昨シーズン中、度重なるエラーに業を煮やしたメッツファンからかなり批判の槍玉にあげられたのは事実だが、その裏には、遊撃手として比較した時の松井稼とレイエスのダイナミズムの差も、確かに影響していると思う。

 あのレイエスをセカンドに押しやるならそんなレベルでは困る――松井稼に対するメッツファンの本音をかなりオブラートにくるんで言うならば、恐らくそんなところではないだろうか。巧拙の差は、レイエスの守備をじっくり見たことがある訳ではないので私が言えることではないが、動きの鋭さや質の違いは、素人目にも分かるほどにかなりはっきりしているように感じた。

 ここで断っておきたいのは、「質の違い」というのは決して優劣の差ではないということだ。より攻撃的なレイエスの守備と、攻撃的である中にも日本の内野手特有のボールとケンカしない柔らかさがある松井稼の守備に、スタイルとしての優劣は恐らくない。

 ただ、エッジの効いたジャックナイフのような動きと、与一の弓を一閃するかのような送球を持つレイエスの守備は、見た目にわかりやすい、説得力のある鋭さがある。その鋭さを凌駕する実力を発揮できなかったのが、松井稼がメッツファンからブーイングを浴びせられた理由だと、個人的には考えている。

 レイエスと同じ守備を日本人選手に求めるのは、恐らくかなり無謀なことである。トレーニングの発達で、日本人選手の肉体的能力というのは、10年前と比較してもかなり向上している筈だが、生物学的に構造が違うとしか思えない彼らの肉体的能力と真っ向から張り合わなければならないとなった時、それはかなり分が悪いというのも事実だろう。

 昔から日本人選手が外国人選手と戦う時、日本人選手はその拠り所を“技”に求めてきた。身体能力で欧米諸国に敵わないというのは、コンプレックスでもひがみでもなく、歴然たる差をもった事実だったからだ。

 東京オリンピックで“東洋の魔女”と呼ばれた日本女子バレーチームが金メダルを獲得し、その後も世界の最前線に立ち続けてきた背景には、日本バレーの象徴となった回転レシーブを始めとした独創的な技の開発があった。今ではスタンダードになったA〜Dの各種クイック攻撃、移動攻撃といった千変万化の技を駆使して、世界のパワーに対抗してきたのだ。

 日本の野球も、確かにそれと同じ道程を歩んできたように見える。パワーでゴリ押しするアメリカンベースボールに追い付き追い越すべく、バッテリーの配球やバント、走塁と言った小技で突破口を開く野球。そのイメージは、メジャーリーグが格段に身近になった今、幻想であると言うしかできない事実が既に白日の下に晒されている。

 野村克也氏がテレビ朝日でプロ野球解説を行っていた頃、氏がストライクゾーンを6分割した「野村スコープ」を用いて、配球の奥深さをお茶の間に届けたのは衝撃だった。今では9分割に進化し、一般のファンにもかなりポピュラーになったが、これら情報戦やスカウティングは「ドジャース戦法」と言われる程にメジャーではポピュラーなものだ。

 長谷川滋利曰く、メジャーでは日本の倍はデータがあるという。日本の方がデータ重視、野村ID野球が云々と言われていても、データや資料は日本とは比べ物にならないくらいに充実してるとのこと。長谷川も試合前に必ずスコアラーのビデオを1時間は見て、野手でもチームで相手チームのビデオを1時間〜2時間見てから試合に臨むという。

 長谷川がエンゼルスに移籍したとき、一番最初に驚いたのは、意外に細かいことをやるな、ということだったという。メジャーの試合では、キャッチャーが何度もベンチの方を見る光景をよく目にするが、あれは牽制のサインと野手を動かすサインを1球ごとにベンチがキャッチャーに出しているからだ、とのこと。

 メジャーに移籍する為に周到な準備をしていた長谷川でさえ、当初はその細かさに驚いたという。「投げた、打った、走った」という、言うならば偉大なる草野球とは根本的に違うという事実。

 日本のバレーボールが長いトンネルに入った背景には、日本がパワーを技で補おうと編み出した様々なテクニックを、パワーに勝る諸国が瞬く間に吸収していったからだ。技で追い付かれたら、最後は純粋に地力の差が勝敗になる。

 日本バレーが新たな技の上積みができなかった、というよりも、あらゆるスポーツが程度の差こそあれ身体能力を競うものである以上、日本人選手はその差を埋める切り札を常に持ち続けていないといけない、ということだろう。そして、その事実は恐らく動かし難い。

 日本最高のホームランバッターだった松井秀喜は、昨季31本塁打を放ち、メジャー2年目にして日本のホームランキングとしてのパワーを存分に発揮した。物理的なパワーは勿論だが、メジャー1年目の16本塁打から倍増させた適応能力に驚いた、というのが正直なところだ。

 1年目に苦しんだムービングボールに対して、松井秀はまず、本塁打を捨てて逆方向にきっちり打ち返すことを心がけたそうだ。軽打して対応するのではなく、きっちり強い打球を返すアジャストメントを心がけ、その修練がレフト方向への長打が目立った昨季の数字に繋がったのは間違いないだろう。

 朝日新聞の報道によると、井口はホワイトソックスと正式契約した会見の席で、日本で自身1シーズン最多本塁打の30本塁打については「打てると思わない」と言い、目標に50盗塁を挙げたという。打撃についてはさらに「もっと本塁打を捨てて、打率や出塁率にこだわってもいいかも」とのこと。

 2年連続で打率.333以上を記録した堅実さに、01年と03年には40盗塁以上を記録したスピード。それを前面に押し出したことは、現実を見据えた上での信念なのかもしれない。

 だが、右中間方向への強烈な滞空時間を持った独特の本塁打に魅了されたファンとして、井口のその決意は寂しくも映る。自由契約での移籍という現実離れした移籍を遂げた途端、その思考が“現実シフト”してしまうということに、若干の気持ち悪さが残ったのも実感としてある。

 松井秀は確かに一時、本塁打を捨てていたように見えたフシがある。だが事実として2年目に本塁打を倍増させたのは、それも必要な期間と捉えた上で、実際には本塁打を捨てない為に本塁打を捨てていたように思えて仕方ないのだ。

 だからこそ、右方向へは日本人で最も強烈な本塁打を打てる右打者の1人が、舞台が変わった途端にそのこだわりをあっさり捨てたように見えたのは、少し気になった。球団は「2番・セカンド」で期待しているようだが、2番打者という枠に捉えられ過ぎると、井口が活躍できるのか、果たして不安になってくる。

 中村がドジャースに入団するとなった時、自身を支えてきた本塁打、そしてフルスイングへの想いを、中村は会見でどのように語るのだろうか。デニーもここまでパワーピッチングで活躍してきた投手。レッドソックスが獲得するとなれば、そのパワーピッチングがメジャーで通用しないと思って獲得する道理はない筈だ。

 ともかく、世界のパワーに対抗する為に技で勝負する、という旧来的な日本的スポーツ観は、21世紀の今、もはや過去の遺物となりつつある。持って生まれた差が如何ともし難い、という事実は理解している。しかし、敢えてその輪の中で勝負するというのが、メジャーに戦いの場を移すということだ。

 井口はかつて青学大時代に通算24本塁打を放ち、東都大学リーグの新記録を樹立した正真正銘のスラッガー。その破壊力は、プロ入り後も存分に発揮され、劇的に印象的な右方向へのアーチを何本もかけた。そのこだわりが、夢の実現と共に「現実」の名の下に消え失せてしまうのであれば、それはあまりにも刹那的すぎる。

 日本のスポーツが世界と向き合う時の指針は、明らかに変わりつつある。その現実を受け止められず、いまだ東京五輪時のような幻想にすがるのであれば、日本はスポーツの面でも“島国”の域を出られないだろう。その答えの一つが来年の井口のプレーに現れるのではないか、と密かに注目している。


Vol.194 空洞化の真実
2005年01月09日(日)

 阪神・藪恵壹のアスレチックス入りがほぼ決定的になったという。藪は36歳の年齢の割には肉体的に若いという声も多く、昨年に入って球速が140km台後半まで戻ってきた。前評判は高くないが、通用する素地は少なくないと思う。

 ここ数年は多彩な球種を操る技巧派のイメージが強くなった感があったが、東京経済大時代は捕手が捕球することすら困難なスライダーに150km級のストレートを売り物にしていた本格派投手。

 朝日生命から阪神に逆指名で入団した94年は新人王を獲得するも、弱体チームのエースとして大成を阻まれた暗黒時代の悲哀を経験している藪。こういう投手が、一般的に選手生活の下り坂に入るという年代に球速を若い頃並みに戻し、メジャーに渡るという事実。ある意味で私は、藪という投手を異能の投手だと思う。

 その一方、海を渡ることを目標にオフシーズンを送っていた選手が、条件等の面でとんぼ帰りするケースが今年は目立った。井口資仁、中村紀洋、仁志敏久、稲葉篤紀が報道されている顔触れで、このうち井口は自由契約で退団しての移籍、中村はポスティングシステムでの移籍、残る2人はFA権を行使しての移籍を目指していたとされている。

 野茂英雄がメジャーへの道を切り開いて以降、日本人選手のメジャー移籍は、一方で歓迎され、一方で日本球界の空洞化や移籍のトラブルといった面で顔をしかめられている。

 ポスティングシステムで今オフ中のメジャー移籍を球団に直訴した阪神の井川慶の問題は、今オフのメジャー移籍という話題の中で最も大きな波紋を広げつつある。球団の公式サイトに寄せられたこの問題に対する意見は、ほとんどが井川のメジャー移籍に反対するものだという。

 実働4年の選手が球団にメジャー移籍を直訴することが、果たしてファンの目にどう映るのか。そのことを示す問題としては、単純に興味深い話ではある。

 その選手が在籍している球団のファン、それ以外のチームのファン、単純にこの問題に関心のあるファン、それぞれで意見は異なるだろうが、このような話題が紛糾することは、メジャー移籍がかなり恒常化してきた現在の日本球界からしてみればいいタイミングであると思う。と言うのは、そろそろメジャー移籍という大きな問題にある程度の道筋を示しておかないと、今後メジャー移籍を巡るトラブルや紛糾が、果てしなく続いていくことになると思うからだ。

 私個人の意見を言うならば、メジャーに行きたい選手は、どうぞ好きに行けばいいと思う。別に投げやりな気持ちで言っている訳ではなく、選手が一番いいパフォーマンスを発揮できる環境にいけばいい、という単純な理屈である。

 無条件で好きにすればいい、とは思わない。日米双方でより細やかなルール作りは必要だと思うし、ポスティングシステム自体がかなり不透明な制度である以上、ポスティングでの移籍自体にはあまりいい印象を抱いてはいないという思いもある。

 FA権行使で移籍できれば一番いいのだが、FA権取得年数という問題もある。日本でのFA権取得年数は最短で9年。高校卒の選手が1年目から活躍したとしても、最短でFA権取得時の年齢は27〜28歳。大学卒の選手となると、FA権を取得するにはどんなに活躍しても30歳の大台に乗ってしまう。

 一流選手の選手寿命が日本より長い感のあるメジャーならともかく、日本では選手として最も脂の乗っている時期にFA権を取得する見込みがかなり薄いという現実。井川が強硬に今シーズン中のポスティング移籍を直訴しているのは、つまるところそういった選手としての危機感によるものだと思う。あと5年も待っていたら、自分の貴重なパフォーマンスを自分の望む環境で発揮できない、ということではないだろうか。

 井川のポスティング要望や、井口の自由契約による移籍交渉が、単なるワガママだという声も少なからずある。だが、事はそう単純なことではないと思う。

 ルールがある以上、それに則るべきだという意見に異論はない。言いたいことがあるなら、選手としてやるべきことをやった上で筋道を立てて申し立てをするのが、一流選手としての流儀である。批判の槍玉に上げられている井川の場合、昨年の成績が優勝して20勝した一昨年に比べてかなり物足りないという事実も、ファンの心証を悪くしていると思う。

 とは言え、井川や井口がメジャーに行きたいと思うならば、そのチャンスを与えることに吝かではない。個人的に、FA権の取得年数は5年程度でもいいと思う。その代わり、選手としてのその責任は全て自分で消化し尽くしてほしいと思うし、その覚悟がなければ海を渡るべきではないと思う。

 FA権は、選手に与えられたれっきとした権利である。だが、権利である以上、義務が存在する。私はFA権は、球団、そしてプロ野球界に貢献したという証であり、俗っぽい言い方をすればそのご褒美だと思っている。今回、主に阪神ファンが井川のポスティング希望に圧倒的な拒否反応を示したのは、FAという権利に相応しい自由を得る為の貢献をまだしていないじゃないか、たかだか実働4年で一人前の顔をするな、という反発なのではないだろうか。

 ポスティングシステムの曖昧さがここにある。イチローが海を渡って以来、ポスティングを希望する選手は雨後の竹の子のように毎年出てきている。そのことはつまり、FA権という権利を得るまで貢献しなくても、ある程度の実績さえあればすぐにでも海を渡る資格ができるという考え方が、球界全体に広がったということだと思う。

 有力選手がこぞってメジャーに流出することが、日本球界の空洞化に直結するという声がある。空洞化の問題は、そんな簡単なことではない。力のある選手は、いくらでも海を渡ればいいと思う。問題は、日本球界がメジャー移籍の為の、いわゆる「腰掛け」という位置付けであるということを、多くの選手が思い込むことだ。

 そういう選手は、日本球界にしっかりした足跡を残して貢献するという意識が、そもそもないのではないかと思う。

 選手が力を伸ばすには、素質や努力はもちろんだが、高いレベルで常に試合のできる環境というのが不可欠である筈だ。プロ野球界とは、言うまでもなく国内最高峰の野球が展開されるフィールドである。その場が日本にあるということを、選手達は当たり前過ぎて見失っているような気がする。そういう場があるということは、本来感謝すべきことである筈だ。

 井川は、確かに素質豊かな、日本球界を代表する左腕である。だが、日本にプロ野球がなければ、井川はこれだけの投手になっていたのか。

 井川が実働4年でメジャーに行きたいと頑なになっていることには、さして悪い感情は抱いていない。だが、いかにも日本野球を腰掛けとしか思っていないような一連の言動には、どうしても納得できない部分がある。そんなにメジャーで野球をやりたいと言い続けるならば、なぜ高校卒業の段階で海を渡ろうとしなかったんだよ、と。

 マック鈴木が滝川二高を中退し、また大家友和は横浜の二軍選手から海を渡り、揃ってメジャーのスターターにまで上り詰めた事実は、野茂英雄という事実と同等、もしかしたらそれ以上に大きい事実なのではないかと思っている。これだけメジャーという目標が現実的に近くなった現状、彼らのようにゼロの立場から海を渡り、そしてメジャーに立ったという事実には、もっと光が当たってもいいと思う。

 アメリカのマイナーリーグは、その競争の激しさと同時に、長距離のバス移動や食事・待遇の粗末さなど、選手にとってかなり過酷な環境だと聞く。日本では最低待遇の選手でも高級車に乗っている選手がいて、食うに困らないだけの給料は保証されている。入団時の契約金も、数千万円単位だ。

 邪推になるが、「ハンバーガーリーグ」と呼ばれるような環境に身を置く苦労はしたくないが、メジャーには行きたい。その為の「腰掛け」という意識が、日本人選手に広まっているような気がしてならない。その程度のありがたみしか感じていないから、日本球界に何の思い入れも感謝もないような発言が、井川を始めとする選手の口から出ているような気がする。

 朝の連続テレビ小説「わかば」で、宮崎から生まれ故郷の神戸に出たいというヒロインが、それを反対する母親に「ここ(宮崎)じゃ自分のやりたいことができない。ここじゃダメなんよ」と訴えるシーンがあった。宮崎はヒロインの一家にとって、阪神大震災の災禍から逃れて移り住んだ土地。それを聞いた母親は、「もう一度言うてみい、このガンタレが」とヒロインを張り飛ばす。住む家を追われた私達にこんなに良くしてくれた宮崎と、家に住まわせて良くしてくれた兄の家族に向かって、ここじゃダメとは何たる言い草か、と。

 例えとしては適切ではないかもしれないが、井川の言動を聞いて何とも言えない寂しさを覚えたのは、このシーンを思い出したからだった。井川のメジャーに行きたいという気持ちはわからないでもない。だが、井川に「ここ(日本球界)じゃダメなんよ」と言われたような気がして、それがたまらなく哀しかった。

 日本球界の空洞化という問題があるならば、それは選手の意識の空洞化という問題だと思う。素質豊かな選手なら、国内にゴロゴロしている。だが、彼らの意識までが「日本球界=腰掛け」という図式に固まるのならば、それはこの国に住む一介の野球好きとして哀しむべきことだと思う。

 その為にも、後腐れのない、選手もファンも禍根を残さないようなきちんとしたルール作りは、絶対に必要なのだと思う。選手の権利はもちろん大切だが、選手もファンも、その明確な物差しをお互いに持っていない、否、見失いかけているような気がする。

 選手は気持ちよくプレーできればいいし、ファンも気持ちよく選手を応援できればいい。そんな当たり前のことを、もう一度見直すことができれば、こういった問題はここまで大きな波紋を生まない筈だと思う。



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