DEAD OR BASEBALL!

oz【MAIL

Vol.191 ドラフトという責任
2004年11月20日(土)

 今年のドラフト会議が終わってから4日が経つ。その模様はビデオで見たのだが、パンチョ伊東氏が司会を務めていた頃のような盛り上がりには遠く及ばない、おとなしいドラフトだったように思う。

 有力選手の進路は自由獲得枠で事前に粗方決まり、ドラフト前のかなり早い段階で各球団の指名動向がスポーツ紙等で報じられる。逆指名制度が導入されてからは毎年のようにこんな状況が続いているが、これでは各球団の駆け引きも当日前には決着済みというところなのだろう。

 逆指名制度や自由獲得枠制度に賛成する有力球団の言い分には、「選手に職業選択の自由がない」ということもあった。その是非は置いておくにしても、観ている方からすれば単純にドラフトの面白味が削がれた制度であったことは、実感として間違いないと思う。

 現行のドラフト制度には、様々な批判が外野から飛んでいる。アメリカのベースボール事情に精通しているマーティー・キーナート氏もその一人で、日本のプロ野球を改革することについてドラフトの完全ウェーバー制導入を主張していた。

 私もドラフトについては、キーナート氏や多くの評論家、そして選手会が主張するように完全ウェーバー制であることが望ましいと思っている。少なくとも現行の制度よりはマシだろう、と。だからこそ、そのキーナート氏がGMに就任した楽天のドラフトには注目していた。

 結論から言うと、裏金騒動の渦中で野球人生の分岐路に立った明大の一場靖弘を自由枠で獲得したことに対して、心底がっかりした。

 完全ウェーバー制を主張する評論家が、球団内部のGMという立場に就いた途端、掌を返したように散々批判していた制度の恩恵にむしゃぶりつく。新興球団という事情の下、即戦力級の選手を一人でも多く獲得したいという、焦りにも似た気持ちは痛いほどによく分かる。だが、単純に、じゃああんたがそれまで主張していたことは何だったのよ、という気持ちの方がはるかに大きい。

 キーナート氏は一場獲得の会見で、現行のドラフト制度には強い反対の意思を示した上で、『制度がある以上、一場君は採りたかった。制度と編成は別問題』と話したという。あれだけのことを言ってきた以上、別問題という一言で済ませられることではない。端的に言えば、評論家としての道義上の問題。厚顔無恥というもの以外に言葉が思い浮かばない。

 頭に浮かぶのは、26年前の「空白の一日」事件である。江川卓が野球協約の隙間を縫い、ドラフト前日に巨人と電撃契約を交わしたあの事件。

 あの頃の資料を読み返すと、マスコミやファンの論調は、悪質な巨人の手口はもちろん、江川本人をも非難するものに溢れていたように思う。まだドラフト会議に透明性が残っていた時代故、と考えてもいいと思う。が、それだけにその裏を行き、ドラフトという法を犯したにも等しい巨人と、何より江川本人に対してのバッシングは、一過性のものではなくかなり長い期間続いた。

 今回の一場に対して、マスコミやファンの目は、あの時の江川に対するものほど苛烈だったようには思えない。それどころか、「一場君だけが貰っている訳でもあるまいし」という、「彼だけつるし上げられてかわいそうね」「運がないわね」という同情的な意見すら少なくない。

 言うならば、現行のドラフト制度にまつわる裏金疑惑は既に衆目の一致とするところで、今回の騒動はそれを確認するだけの意味でしかなかったような気がする。

 一場をもっと責めろ、というつもりは毛頭ないが、彼をとりまく環境は実に甘かった気がして仕方ないのだ。

 2年前のドラフト前、大学生右腕ではトップクラスの評価を受け、横浜が自由枠で獲得することが内定していたという立教大の多田野数人は、自身がかつてとあるビデオに出演していたということが発覚し、獲得が取り消され、結果的には日本球界を追われることになった。

 多田野は現在アメリカに渡り、レッドソックス傘下のマイナーでプレーしている。今年は念願のメジャー昇格を果たし、先発のマウンドも経験した。人生何がどう転ぶかわかったものじゃないが、あの時、多田野に対する内外の目線はとてつもなく冷ややかなものだった、という事実は動かしようがない。

 はっきり言えば、今回の楽天の一場獲得、実に甘い気がする。

 野球界の有望な財産がこういう形でバッシングを受けるのなら、それはもちろん制度面での問題が大きい。金銭を渡していた球団の体質は、悪質という他ない。だが、制度の問題がどうあれ、そして過去の選手も裏金を貰っていたという話が「それは言わない約束でしょ」ということであれ、一場がやったことはすんなりと許されるべきではない。

 一場は22歳。物事の分別ぐらいはついていないとおかしい年齢だ。それは間違っても「彼だけが、かわいそう」という類の話ではない。

 各球団が、一場楽天入団という決着で丸く収めたかったというのは想像できる。一場の件について「もうこれでいいでしょ」という空気を作れば、過去の裏金疑惑や今回の騒動に関係する関係者について、これ以上突っ突かれずに済むという算段があることは、ほぼ間違いないと思う。

 だが、その各球団の“思惑”に、マスコミやファンまでが同調してしまうのは、正直怖い気がする。言い方はきついが、私は今回の騒動、はっきりとした形で傷を残さなければ、問題は何一つ解決されないまま放置されてしまうと思うからだ。

 一場クラスの実力を持っていれば、裏金という禁忌が発覚しても、“その程度”で済んでしまうという事実。これを固着化させることは、ドラフトを改悪してきた勢力にとっては、かえって願ったり叶ったりであると思う。だが、自由獲得枠候補という、いわば“選ばれし者”が、それ故に付随するルールを犯した以上、それ相応の罰は必要ではないだろうか。

 一場を生贄にする気か、と言われたら否定はしない。だが今回、一場は騒動発覚後に明大野球部を退部したとはいえ、結果的には最高の評価を受けてプロ入りを果たした。それが果たして妥当な判断だったとは、私にはどうしても思えない。キーナート氏のような論客がGMを務めているならば、それは尚更のことである。

 今回の件は結局、アマ選手と球団、双方の倫理観の問題ではある。だが、こういう騒動が起きたからこそ、本来は球界の最高責任者であるコミッショナーがしっかりとした方向性を示さなければならない。しかし、「ストライキがあれば辞める」と言っていた根来コミッショナーは、結局ストライキ後も辞めることなく、まだいるのかいないのか分からない状況が続いている。

 ドラフト制度は本来、各球団の戦力均衡化と契約金高騰を防ぐ目的で導入された。それが有名無実化していることは、この10年近くずっと言われ続けてきている。

 ドラフトのくじ引きで選手の人生が決まるのはおかしい、という声もある。だが、プロで野球をやる環境が得られる以上、それは瑣末な問題ではないかという気もする。

 ただ、獲得する球団には、それ相応の責任がある。戦力だから獲得するというのは勿論だが、プロは甘いだけの世界ではなく、結果を当然とした自己責任がどこまでも厳しく追求される。そういう世界に誘うというのは、選手の人生を預かろうとする一種の責任であると思う。

 言うならば選手は全て個人事業主であり、契約というのは双方の責任が具現化したものである筈だ。プロの世界に飛び込む責任。そこでしっかりと必要な後押しをするという責任。

 “取り敢えず”的な感覚で指名した下位指名選手の早期解雇問題もある。あらゆる面でドラフトという責任がウヤムヤにされている印象が拭えない。それに拍車をかけた、今回の裏金騒動。制度面の問題で根深いのは、ドラフトという責任を放棄しているような球界内部のメンタリティ全体の問題でもあると思う。

 キーナート氏にも、裏金を渡していた球団にも、コミッショナーにも、そして一場本人にもがっかりした。誰もかしこも、自分がやってきたことの責任をとっていない。果たそうともしていない。それが今回の件の、率直な感想である。



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