月の輪通信 日々の想い
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2008年10月16日(木) 地に放つ

朝夕の肌寒さがようやくしっくりと身に添う季節になった。
羽織ってきたカーディガンの腕をぐいとまくって、朝の空気の冷たさをわざと味わう。
アプコとともに慌しく坂道を下る朝。
いつもの場所で立ち止まり、スキップ混じりの早足で駆けていくアプコの後姿を見送る。
ひと夏で背が伸びたせいか、春に穿いていたスカートはすっかり短くなってしまい、にゅっと突き出た華奢な脚がちょっと寒そうだなと思う。
駆けていく背中に「アプコ!」と声をかけようとした瞬間、道路の小石を蹴散らしていたアプコの足がピタリと止まった。立ち止まってずり落ちたハイソックスをぎゅっと引っ張り上げ、こちらを振り向いてアプコがニッと笑う。
あ、テレパシーが通じたかな?
ちょっと可笑しくて、ちょっと嬉しくて。
バイバイと手を振ってアプコを促す。




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今年は山のどんぐりが「成り年」のようだ。
夏が暑かったせいか、どんぐりが出現する時期は例年より少し遅かったが、ここ数日で急に茶色く実ったどんぐりがあちらこちらで見かけられるようになった。
工房の前には庭帚で掃いても掃いても朝になると大小さまざまなどんぐりが落ちているし、道路脇の窪地には降り積もったどんぐりがザクザクと玉砂利のように吹き溜まっている。
いつもなら、ハイキング客や遠足の子ども達が「あ、ここにも!」と歓声を上げて拾い上げていたどんぐりも、これだけ沢山落ちていると物珍しさもなくなるのか、石蹴りの小石代わりに弾かれていく有様だ。
さわさわと風が吹くとパチンパチンとそこここで木から落ちたどんぐりが路面に弾ける音がする。
高い梢から硬い路面に向かってどんぐりが落下する勢いは思いのほか激しくて、ピシリッ、ピシリッと短く鋭い音がする。たまたまタイミングよくその下を車で通過していたりすると、走る車の天井にピシッと銃弾を浴びたかのような思いがけない大きな音がしてびっくりすることもある。
それは、「どんぐり、ころころ・・・」と歌われるようなのどかな優しい音ではなく、怒りを込めた石礫のような鋭く厳しい音だ。



先日、高三のオニイの卒業後の進路が決まった。
京都の工芸の専門学校に進み、2年間、陶芸の基礎技術を学ぶ。
「4年制の美大に進むか、専門学校に行くか。」
学力や適性、学校の特性や履修内容、卒業後の進路や家族の経済状況など、あれこれ思い悩んだ末の決断だった。
結果として、オニイは華々しく楽しげな都会のキャンパスライフではなく、片田舎の「訓練所」ばりに厳しい専門学校での学びを選んだ。
それは、もしかしたら彼自身の希望というよりは、父母が自分に期待していることを慮っての選択だったのかもしれない。なりふり構わず自分の希望を押し通すことの出来ないオニイの心優しい古風な長男気質を、いとおしい気持ちで思い量る。
職人としての土台となる基本技術をがっちり身につけることを目標とする堅実な校風が、生真面目で志高いオニイにとって有意義な修行生活のスタートとなることを願う。
また、学校が辺地にあるため、春から一人で下宿生活を始めることになる。
「親があれこれ世話を焼くのは高校卒業まで。後は自力で生きていけ」と事ある毎に言い放ってきた放任母ではあるけれど、いざ最初の子どもが親元を離れる日が来るとなると、あれこれ気になること、心配になることも多い。
朝寝坊のオニイを起こすたび、「一人暮らしになったら、どうすんの!」と要らぬ小言をついつい付け加えてしまって、「そン時は自分で起きるよ!」とうんざりされることが増えた。
子どもの巣立ちになかなか気持ちの整理がつかない、愚かな母心を自嘲するばかりだ。



梅雨時の雨、夏の日差しを受け、たっぷりと生命のエネルギーを蓄えたどんぐりは、秋の冷気が深まるにつれて茶色く色づき、ある日、風ともいえぬ僅かな風を受けて地に放たれる。
地に落ちたどんぐりは、あるものは水路に落ち、あるものは道路で車に轢かれ、あるものは幼い子どもの上着のポケットに迷い込む。そして運良く環境を得られたどんぐりはそそくさと頼りない根っこを伸ばし、土と水分を求めて成長をはじめる。

夏の間梢の葉陰で大切に育てはぐくんだどんぐりを、惜しげなく地に放つ大樹の潔さ。
転がり落ちた瞬間から懸命に自分の居場所を探し、根を張り芽を出して成長していこうとするどんぐりの力強さ。
ピシッ、ピシッと地を打つどんぐりの音を聴きながら、大きく深呼吸して歩き始める。


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