月の輪通信 日々の想い
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2007年06月29日(金) 復調

2,3日前、義父母宅の洗濯をしようと洗濯機をあけたら、脱水を終えた洗濯物が洗濯槽の壁に張り付いていた。
義母に「何か買ってくるものある?」と訊いたら、「漬物用のぬかとだし昆布」と、答えが返ってきた。
今朝、義父母宅のごみを出しに行ったら、義母がなにやら煮炊きしたらしい野菜のくずが出ていた。
お義母さん、少しづつ体調が戻ってきたらしい。
長い間、主婦の仕事が体に染み付いてきた義母にとっては、家族の下着を洗い、ぬかみそを混ぜ、小さなお鍋でコトコトと野菜を煮ることが、ある程度体調が回復したからこそできる、普通の生活なのだなぁ。

先月、急に体のあちこちが痛み出し、入院していた義母。
今月半ばに退院してからも、しばらくは寝たり起きたりの不安定な体調が続いた。骨折入院から間がない義父は、ぼちぼちリハビリに通いながら回復しつつあるが、まだまだ自分の身の回りのことをするだけで精一杯のようだ。
義父母宅の家事は、義兄や私が代わりばんこにつとめた。

自宅の家事と工房の仕事、義父母宅のおさんどんに、ひいばあちゃんのお世話、通院の送り迎え。それに子どもたちの学校行事やPTAの仕事が加わる。毎日毎日、砂漠の砂を救い上げるような、忙しい雑用の数々。
身近に高齢者を3人も抱えて、いつかはこんな日がくると覚悟はしていたものの、正直なところ3人が同時にお世話が必要になるとは思っていなかっただけに、精神的にも相当しんどい日々だった。

義母の体調はまだまだ不安定。
何日かびっくりするほど好調な日々が続いたかと思うと、急にガタガタと不調が現れることもあるだろう。
高齢者の体調というのは案外、幼い子どもたちのそれのようにコロコロと急変しやすく、あれよあれよという間に悪くなったり、もうだめかと思ったらたちまち奇跡の回復を遂げたりすることもあるということを、ここ数年の義父母らとの生活の経験から学んだ。
小康を得た義母の復調も、もしかしたら雲の合間から差すうたかたの陽光なのかも知れない。
それでもなお、洗濯機の中やお台所のメモや生ゴミ籠の片隅に、まだまだ家族のために家事をこなそうとする義母の意欲を見つけるのはうれしい。
まだまだ、私一人で義父母宅の家事のすべてを引き継ぐのは無理。
だからこそ、今はまだ。




2007年06月17日(日) 政治家

これもゲンが剣道へ向かう車の中で話してくれたこと。

一年生の生徒会役員の選挙が行われたらしい。
ゲンはクラスの別の役職をもらっているので立候補はしなかったが、小学校からの友人のA君が立候補しそうな雰囲気だったのだという。
ところが、クラスのなかで発言権の大きいB君が、何故だか「Aには票を入れるな」とあちこちにふれまわったせいで、A君は立候補を断念したらしい。
替わりに押し上げられたのは、どちらかというと大人しくて人前に立つのも苦手そうなC君。しどろもどろの候補者演説の末、C君が役員に当選したのだという。

「それって、イジメとかそういうんじゃないの?」
と、訊いてみたら、
「そうかも知れんけど、実質はどうなんか僕にはわからん。」
という。
A君が立候補を断念したのも、C君が立候補したのも、最終的には本人の意思。B君がどんな発言をしていようと、2人が自分の意志を通す余地はあったわけで、必ずしもB君の発言が立候補の成否を動かしたわけではない。
「で、そういうことがあったってこと、担任の先生は知ってるの?」
「いや、多分知らないと思うよ。でも、生徒会は『自治』だからね、先生に訴えたところでどうにもならないと思うよ」
ほう、大人の発言だねぇ。

中学校の生徒会選挙は、まだまだ人気投票とかお祭騒ぎとかの空気があって、チョコチョコとこういう裏工作やら策謀やらが見え隠れすることもあって、オニイもアユコも一度は苦汁を飲まされた経験がある。
「生徒会やってると、入試のときの内申点に有利らしい」という噂も子ども達の中には流れていて、3年生になって急に意外な子が立候補の手を挙げたりすることもあるようだ。
こういう幼い「選挙ごっこ」の中から、良くも悪くも子ども達は民主主義のシステムを学んでいくのだろう。

今回私が意外に感じたのは、子ども達の選挙にそういう裏工作が存在しているということではなくて、普段のほほんと一人で自分の好きなことだけに没頭しているように見えるゲンが、クラスの裏側で行われている策謀や力関係をそこそこ把握していて、彼なりの政治観を持って見守っているのだという事実。
中学生になって、ゲンはいきなりクラスの代議員の役職に手を挙げた。
学活の話し合いを取り仕切ったり、学年で行う行事の企画や運営を行ったり結構積極的に働いているらしい。
小学校ではそういう人前にたつ役とは無縁で過ごしたゲンだけにそのこと自体も私には唐突な感じを受けたのだけれど、彼は彼なりに自分の身の回りの状況を把握して、微妙な人間関係のなかにしっかりと自分の立ち位置や姿勢を確立していっているということなのだろう。
あいも変わらずメダカの水槽を眺めたりクワガタ取りのシーズン到来に胸躍らせたりする野生児ゲンが、意外な政治家として育ちつつあることがちょっと面白くもあり、頼もしくも感じた。

「ところでさ」
選挙の話題に飽きたゲンが稽古後のおにぎりを頬張りながら、母に言う。
「稽古のあとのおにぎりには、やっぱり梅干しがいいね。」
政治家ゲンの笑顔はまだまだ幼い。


2007年06月15日(金) 平等

夜剣道。
早めの夕食を取ったゲンを道場に車で送る。
暑くなってきたので、持参の水筒はペットボトル2本分。
それに帰りの栄養補給にラップで包んだ大きな梅干おにぎり。
中学生になって大人稽古にも出ることが許されるようになったゲン。
結局同じ道場から大人稽古に残るようになった中学生はゲン一人で、そうそうたる大人の剣士達に混じって、こてんぱんに揉まれて帰って来る。
「今年はいまんとこ、まだ皆勤やで。絶対休まへんねん。」
と、重い防具袋をひょいと担ぐ。ここ何ヶ月かでずいぶん体格も良くなった。
偉い高段者の先生達にもそこそこ可愛がってもらっているようだ。
ゲンはゲンなりに、オニイとはまた違った感覚で道場通いを楽しんでいるらしい。

道場に着いて、車を止めたところで、「そういえばな」とゲンが話し始めた。
何の脈絡もなく「そういえば」で新しい話題を始めるのはゲンの口癖。どうでもいい話のような振りをして、結構誰かに聞いてもらいたい大事な話をするときに使う言葉だ。
「最近な、やたらと『平等』って言いたがるヤツって、多いよな。」
どうやら今日の「聞いてもらいたい話」は愚痴らしい。
「そうかな。たとえばどんな時?」
と聞き返して、即座に「シマッタ!」と思う。
ちょうど車のエンジンを切って、ゲンがシートベルトをはずした所。込み入った愚痴話を聴くには微妙に時間が足りない。私が無意識のうちにせかすような口ぶりで聞き返したせいで、ゲンは「ま、いろいろな。」と適当に話を切り上げて、車を降りて行ってしまった。

学校で何かトラブルでもあったかな?
それとも兄弟げんか?
ゲンの稽古が終わるのを待つ間、買い物をしながら、車を走らせながら、何となくゲンの言う「平等」という言葉の意味が気になって、ふっと考え込んでしまう。。
ゲンはいったい、どんな「平等」のことを憤っているのだろう。

日常生活の中で、人が強く「平等」を主張するとき。
それは、自分自身が不利益を蒙らないように身構えるときや、他人より自分がちょっとでも得をしたい、「ええめ」をしたいと思っているときが多いような気がする。
「平等に」といいながら、その実、自分だけが損をすることがないように、自分と他人の立場を天秤に載せ抜け目なくその傾きに目を光らせて、あわよくば自分の取り分を少しでもかさ増ししようとする、そんな小狡さが見え隠れしていたりする。

このところ、私自身、「割に合わない」とか「不公平」とかそんな言葉がしょっちゅう頭の中で浮き沈みしてしまうことがたびたびあった。
だから、不意にゲンからポンと投げ渡された「平等って言いたがるヤツ」という言葉が、小さくて痛いトゲのようにいつまでも心を刺した。

「私ばっかり、しんどい思いをしてるみたい」
「あの人だって、ここまで負担してくれなくちゃ、不公平」
「平等」という言葉を盾にして、自分のもっている荷物をほかの誰かに振り分けようと愚痴る私は醜い。
私は私の、あの人はあの人の、できる範囲の最大限のことをする。
たとえ、それが等分の負担ではなくても、公平だと考えればいいじゃないか。

結局、ゲンの「平等と言いたがるヤツ」というのは、友達との些細な口げんかから出た愚痴話だったらしい。
自転車通学のゲンが徒歩通学の友達A君のかばんを荷台に載せた。
後からB君がやってきて、自分のかばんも載せてくれと言う。
ゲンが断ると、B君が「Aのかばんは載せてやるのに、自分のかばんを載せてくれないのは不公平じゃないか。そんなの、平等じゃない」と絡んできたのだという。
口げんかの苦手なゲンは、とっさに理屈で切り返すことができなくて、口惜しい想いをしたようだけれど、その分、自分自身の中で「平等」とか「不公平」とか言う言葉を何度も頭の中で転がしてあれこれ考えていたのだろう。
「おかあさん、『平等』って必ずしも正しいこととは限らないよな。
仲のいいA君のかばんを載せてやるのは、気にならないけど、嫌なヤツと思ってるBのかばんは載せたくない。それって、悪いこと?」
帰りの車の中で、ゲンは珍しく雄弁に語った。

ゲンの通う剣道の道場では、段位や年齢、剣道歴の長短によって席次が決まる。
教える側も教えられる側も暗黙の席次によって、挨拶の順序や座る場所、防具や荷物を置く場所も定まっている。
特別格に偉い先生のためには、一番上座に場所があけられていて、稽古が終わると若い門弟が駆け寄っていき、防具袋や竹刀袋の荷物を下駄箱のところまで運び、最敬礼で送り出す。
新米ペーペーのゲンの席次はいつも間違いなく一番末席。稽古後の挨拶に行くのも寸評をいただくのも一番最後。完全な縦社会だ。
そこでは「平等」という概念はないけれど、技量や年齢、経歴に基づく厳然たる格差を重んずる長幼の序が存在する。

「平等じゃないけど公平ってこともあるよね。
誰かにとっての10の重さが、他の誰かにとっては5の重さだったり、20の重さだったりってこともあるもんね。」
ゲンの話にあいづちを打ちながら、その実私自身に言って聞かせるように「平等」と「公平」の意味を思う。

















2007年06月13日(水) 髪を結う

朝、週一回のデイサービスに出かけるひいばあちゃんの髪を結う。
いつもの定位置で熱心にTVを見ているひいばあちゃんに、「髪結いさんがきましたよ。」と声をかける。
長年きゅっと結い上げていたために、すっかり薄くなってしまったひいばあちゃんの白髪を、ブラシで掻き上げ、ゴムで結い、くるりとねじって小さなお団子にし、Uピンとヘアピンを何本も差して纏め上げる。
「はい、出来上がりました。べっぴんさん」と、わずかながら聞こえるほうの耳のそばで言うと、今まで眠っておられるのかと思っていたひいばあちゃんが「はい、おおきに」と笑って答えてくださる。

このところ、怒涛の日々だった。
義父の転倒、入院。
先月末のお茶会。
義父の退院と入れ替わりに、義母の体調不良、入院。
そして、父さんの襲名展。
工房の仕事と2件分の家事、子どもたちの学校行事。
せかせかと走り回り、あっちの仕事こっちの用事をやっつけ、ブイブイ愚痴をいい、泥のように眠る毎日だった。
ようやく父さんの襲名展をおえ、ゆるゆると普通の日常が戻りつつある。
今週末には義母の退院も決まった。
まだまだ完快というわけではないので、年寄り世帯の家事や介護の負担は減るんだか増えるんだか。
じわじわと背中に重いものを感じながら、今日も惑い歩く。

毎年、5月のお茶会の前には、1年間伸ばしっぱなしの髪をばっさりと短くしてくるのがここ何年かの習慣だった。ところが今年はお茶会の準備や工房仕事に追われ、とうとう美容院に行く機会を逃した。
苦し紛れに伸びきった髪を固く結び、くるくる巻いて高く留めた。父さんが誕生祝にとこっそり作って贈ってくれた月夜の風景を刻んだ陶のバレッタで結い上げたお団子を飾る。
きゅうきゅうと固く結った髪型はぼんやり主婦の穏やかな日常には不似合いだったけれど、工房仕事に家事にと忙しく飛び回るには、とりあえず機能的で都合がいい。ひいばあちゃんに倣って、昔懐かしいUピンを買ってきて、束ねたお団子にグサグサ挿した。
気がつけばそれは、ひいばあちゃんとおんなじ髪型。
黙々と、ひたすら工房の職人仕事をしながら窯の火を支えてきた、明治の人の気概をも倣わなければとしみじみ思う。




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