月の輪通信 日々の想い
目次過去未来


2005年11月30日(水) 失敗の楽しさ

5年生陶芸教室2日目。
昨日作ったお茶わんの高台つけ。
その前にデモンストレーションとして父さんが水引きロクロの実演を行う。工房から重たいロクロを運び出し、教室の床に防水のシートを張って設置し、重い粘土を運び込んでの実演はなかなか骨が折れるけれど、子ども達の反応も楽しいし、何よりもプロの仕事の凄さを見せるのには恰好の教材。
父さんがロクロの前に腰を下ろし、土塊をビシャビシャと濡らしながら作業を始めると、子ども達の中からうわぁ!と歓声があがる。
父さんの手の中で自在に姿を変える粘土を見ているのは、いつ見ても楽しい。子どもばかりでなく、私も先生方も子どもと同じレベルで真剣に見入ってしまう。熟練したプロの職人の仕事というのは本当に何度見ても見飽きる事のない面白さがある。

ひととおりの実演が終わると、子ども達の体験コーナー。ジャンケンで勝った5人ばかりの子どもが代わる代わるにロクロの前に座る。
初めての濡れた土の感覚に、「気持ちいい!」と笑う子。「意外と硬いんだなぁ」「ざらざらして手が痛い」としり込みする子。周りの友だちに散々茶々を入れられながら、思うようにならない粘土と格闘する。大概はちゃんとした形にはならなくて、ぐちゃぐちゃに潰れて皆で大爆笑して終わるのだけれど、実際に土に触れていた子は、大勢に笑われてもニコニコと楽しそうな顔をしているのがいい。熟練したプロにしか出来ない難しい作業だという事が分かっているから、大勢の友だちの中で大失敗をして笑われても一緒になって自分もワハハと笑ってしまえる気楽さが気持ちいいのだ。

今年は、体験コーナーの最後に担任の先生方にもロクロの前に座っていただいた。普段教壇に立って教える立場の先生が自分達とおんなじ、初めての体験の挑戦する姿を子ども達はことのほか喜ぶ。周りから茶々を入れたり、ダメだしをしたり、わぁわぁ騒いで大いに盛り上がる。
大の大人が初めての経験にワクワクして、真剣になって、失敗をして、困り果てる姿が面白くて仕方がない。先生方のほうも、ロクロの前に座るとすぐに素の自分に返って、授業そっちのけで作業に没頭してしまわれたりする。それが子ども達には、珍しく、面白いと感じるのだろう。こんなふうに大人が周りのことも気にせず何かに集中している姿を見るという経験が今の子ども達には少ないのかも知れない。
先生方の格闘の成果が、思いがけなくきれいな形に仕上がっても、見るも無残に大失敗しても、子ども達はどちらもそれなりに嬉しそうだ。「僕らの先生」をぐっと身近に感じる楽しさがあったからだろう。

ロクロを体験してくださった3人の先生方のなかで、一番豪快に大失敗をしてくださったのは今年赴任してこられたばかりの若いO先生だった。
初めの手つきはなかなかお上手で、途中で結構上手に形を作っておられたので、以前にどこかでロクロをやってみた事がおありなのかなと思っていたら、最後の最後でフラフラとバランスを崩して出来上がりかけていたお茶わんがあっという間にぐちゃぐちゃに壊れてしまった。
その前にやった子ども達よりもダントツに派手な壊れ方だったので、子ども達は大いに盛り上がり、みんなで大笑いして楽しかった。

あれは、本当に「失敗」だったのだろうか。
先にやって失敗した子達への気遣いや、クラスの盛り上がりを考えてのうえでの「失敗」だったのではないだろうか。だとしたら、O先生の教師としての力量はたいしたものだ。
借りに本当に「失敗」だったとしても、自分の生徒達の前でも恥じずに派手に失敗し、一緒に大笑いできるおおらかさは頼もしい。変に上手を装ったり、失敗を言い訳して取り繕ったりしない素直さがいいのだ。
ロクロを離れ、バケツの水で手を洗うO先生に子ども達が寄り添って、何かしきりに声をかけている。きっと子ども達に慕われる楽しいお姉さん先生なのだろうなぁと思う。

ところで、今日の体験コーナー。
陶器屋の息子であるゲンは、最初から体験希望者に手を挙げなかった。ホントはやりたくて仕方がないはずなのに、やはり遠慮したのだろうか。それとも、昨日の手づくねが不本意な出来だったのでみんなの前でやる事に躊躇していたのかも知れない。
放課後、子ども達が帰ったあとの図工室で後片付けをしていたら、担任のT先生とゲンが手伝いに来てくれた。
きっと来るだろうと思って残しておいた粘土で、父さんがゲンのためにロクロをまわす。案の定ゲンは嬉しそうにロクロの前に座り、ぐちゃぐちゃとこねくり回しては粘土の感触を楽しみ、一人で水引きロクロの楽しさを堪能していた。
ゲンが遊んでいる分だけ片づけの時間が遅くなるので「すみませんねぇ。」とT先生にお詫びをしたら、「いえいえ、こういう場面に立ち会えて、嬉しいです。」と快く言っていただいた。ゲンの嬉しさを一緒に共有してくださるT先生のお気持ちがありがたかった。

「父さんって、結構頼もしいって感じするよなぁ。」
あとで、ゲンがそっと私にささやいた。2日間の授業でゲンにはいろいろと思うところがあったのだろう。
「あったりまえじゃん、プロだもん。」
答える私もちょっと嬉しい。


2005年11月29日(火) 壊せない

小学校での5年生の陶芸教室。
今日と明日の二日間、父さんの助手を務める。年に一度の陶芸教室もはや、7,8年目になるだろうか。今年はちょうどゲンの在籍する学年での講座になる。
講師役の父さんだけではなく、友達と一緒に父親の授業を受けるゲンのほうもなんだかそわそわと落ち着かない。
「ほんまに、お父さん来るの?お母さんもくるの?」とわかっているくせに何度も聞きにくる。
まだまだ父さん母さんが参観に顔を出しても「かっこ悪いなぁ」とは言わないゲンだけれど、「両親が先生」という微妙な立場が居心地悪く感じるのだろう。

5年生の3クラス84人が挑戦するのは手づくねによる抹茶茶わん作り。
今日明日に二日間で原型を作り、来年の1月末に一週間かけて、素焼き、施釉、本焼きを行う。
初心者にも失敗がないように、作業の工程を細かくレクチャーしてから制作に入るのだが、大人数の小学生の教室では、クラス全体が最初の説明をちゃんと理解しながら聞くことができる雰囲気が出来上がっているかどうかで、作品の出来に大きな差が出るようだ。毎年のことながら、面白いなぁと思う。
500グラムの土塊をたたくようにして丸くまとめ、その中心部分から少しずつ伸ばし広げて茶盌の形を作る。薄くなりすぎないように指先に感覚を集中させて作業を進めていくのだが、ちょっと油断をすると底の部分が薄くなりすぎたり、茶盌の口がどんどん広がって鉢やお皿になったりしてしまう。
「失敗しそうになったら、早めに救急車を呼んでね!」といっておいたら、それこそあっという間にあちこちで「救急車、お願い!」の声。
机から机を跳び回って、修正したりアドバイスをしたりして、父さんと私、2台の救急車は大忙し。何とか全員の作業を終えた。

手づくねによる茶盌つくりは、途中の過程で土に空気の層が混じることが少なく子どもたちにも比較的失敗の少ない作り方だ。仮に底が抜けそうになっても、平たいお皿の状態になっても、早めに修復すれば何とかかんとか、作品は出来上がる。反対に、途中でやりかけの作品をつぶしてしまうと、土の中に空気が入ってしまい、その土は練り直さないと使えなくなる。
去年の陶芸教室では、せっかく出来上がりかけた作品を突然自分で壊してしまう子どもが数人出た。やりかけのゲームをあっさりリセットして新しいゲームを始めるように、一時間掛けて拵えた作品を気に入らないからといってあっさりぐしゃっとつぶしてしまう、そのこだわりの無さが何となく不安な感じがしたのだった。
「気に入らないからといって、ぐしゃっとつぶしてはダメですよ。何とか助けてあげるからつぶす前に呼んでね。」と念を押しておいたおかげで、昨年ほどは「新しい土でやり直し」という子は出なかった。

その代わりに気になったのは、「壊せない子」。
丸い塊りから少し縁を広げていくと、途中で小さなお碗型になる。
その段階ではまだまだ生地も厚く、大きさも足りないので、そこから更に縁を立ち上げる作業がいるのだが、中にはそこまで出来たところで「もうこれで完成!」と言って作業をやめてしまう子がいる。
「もう少し大きくしたら?」「もっと薄くしても大丈夫だよ」と何度も言うのだが、「これでいい」と早々に切り上げてしまう。それも自分の作った形に満足してというよりは、出来上がった形にそれ以上手を加えてゆがんだり失敗したりするのを怖がっているような感じなのだ。
もともと、女の子達はこじんまりきれいに作って大きな失敗なく仕上げようとする傾向にあるようだけれど、今回は男の子の中にもそれが目だった。
確かに出来上がった形はこじんまりまとまって小奇麗なのだけれど、抹茶茶盌としての大きさもたりないし、面白みがない。門をくぐる前にピョコリと頭を下げてそのまま帰ってきてしまうような、中途半端なお行儀のよさが歯がゆく物足りなく感じてしまうのだ。

私自身は、子どもの作品としてはニッチもサッチも行かないくらい壊れる寸前の作品の方が元気があって好き。
幸か不幸か、本日の我が家の息子の作品はまさにそれ。
今までに何度もお茶わんは作ったことがあって、本当ならもっとまとまったきれいな作品が作れるはずなのに、今日はクラスメートの横槍と父母が講師というプレッシャーのせいか、出来は散々。
「なんか、うまくいかへんかったわぁ」と少々落ち込み気味のゲンだったが、それはそれで良し。今日の日のゲンの高ぶる気持ちがそのまま作品に表れていったのだろう。

「物を作る」という事は、ある意味では今あるものの形を「壊す」という事につながっている。
失敗を恐れて手を加えるのをやめれば、作品はそこにある形より先へ進む事は無い。ある程度のリスクは承知で更に手を加える勇気、もう一度壊して作り上げる決断が必要となる。
失敗する前にブレーキを掛けて、無難なところで手を打っておく。そういう器用さはもっと大きくなって、何度も失敗を経験したあとで覚えればいい事。
そんな事を思う。


2005年11月28日(月) 吊橋

個展前のプレッシャーと新作のアイディアに行き詰ると、父さんは決まって外へ出かけたがる。
年末仕事のストレスと年明け早々に開かれる作品展の制作に追われて夜なべ仕事の続くこのごろ。「そろそろ来るかな」と思っていたら案の定、もぞもぞと「お出かけモード」になってきたらしい。朝からなんとなくそわそわして落ち着かなくて、しきりに何か考え込んでいる様子だったが、子どもたちが登校していなくなると、「今日、ひま?」とデートとのお誘い。
近所のハイキングコースまで出かけていって、陶額のデザインのために紅葉の写真を撮ってきたいのだという。紅葉なら自宅の周りでもいくらでも見られそうなものなのにと苦笑しつつ、お付き合いで出かけることにする。

目的地は「ほしだ園地」の星のブランコ。7,8年前に作られた大吊橋だ。
車で行けばほんの5,6分でいけるのに、最近ではなかなか訪れることのなかった場所。この前来たときには確かおんぶ紐でアプコを背負っていたような気がする。あのころは小さい子どもの手を引いたり、おんぶ紐やベビーカーでよく山に登った。若かったんだなぁ。
今では子どもというお荷物は少し軽くなったが、かわりに加齢というお荷物が少しづつ重くなってくる。かなわんなぁ。

そういえば、子どもたち抜きで二人で山に入るのも本当にひさしぶり。もしかしたら新婚の頃以来か。
紅葉した落ち葉に散り敷く小道をざくざくと踏みしめて父さんと歩く。平日のおかげで他のハイカーも少なくて、ちょっと木立の中へはいるだけでしんとした冷たい森の気配を感じることができて気持ちがいい。
晴天の吊橋は眺めもよく、眼下に見る紅葉が美しかった。木々の梢を真上から見下ろす意外さが楽しくて、何度も橋上に立ち止まって指差す。父さんも何度も一眼レフのシャッターを押した。

ところで、いつも街中での買い物や雑踏では、あちこちに立ち止まったり寄り道したりする父さんを後ろに、ともすると私のほうが先にたってさっさか歩いていることも多い。
それがたまの山歩きとなると、いつの間にか父さんのほうが先にたって歩くことが多くなるのは何故なんだろう。
新婚の頃、二人でよく近所の山歩きを楽しんだものだが、そのときも必ず父さんは私のすぐ前に立ち、時々後ろを振り返って私の歩調を確かめながらずんずん先を歩いていったものだった。その頃の名残だろうか。
今でこそ、いっぱしの母、いっぱしの妻の顔をしてのっしのっしと胸を張って先を急ぐ私だけれど、あの頃、十歳違いの夫の背中はいつもいつも必死の思いで追いかけていく先行者の後姿だった。
そんなことを思い出すと、昔のように父さんの背中を追って歩く山道がいつになく新鮮で、うれしくなる。
年齢を重ねると、夫婦は向かい合って生きるより、二人して同じ方向を見ながら並んで生きていくのがいいと聞いた。
我が家では再び、私が父さんの背中を見ながら追って歩く、そういう老いの日を歩いていくのもいいのかもしれないと思ったりする。


2005年11月25日(金) 山分け

先週、義兄のところから、アプコのおもちゃのおさがりをいただいた。
シルバニアファミリーのおもちゃのセット。動物のお人形用のドールハウスやミニチュアサイズの家具や什器類だ。
いつもお友達のKちゃんとこのシリーズのおもちゃで遊んでいるアプコは大喜び。早速大きな箱を開いて店開きを始める。

アプコはすでに、アユコからのお下がりも含めて2軒のドールハウスを持っているが、今回もらったのはそれよりもさらに部屋数の多い豪邸とパン屋さんのお店。それに、たくさんの家具とお人形が数体。あとは家具と食器や小物。パン屋さんの店先にはつめの先ほどのサイズのクロワッサンやケーキ、レジスターやトレーやトングまでそろっている。手のひらサイズの動物のお人形は着せ替え可能なカントリー調のかわいい衣装を着ていて、ご丁寧に小さなパンツまではいている。そのかわいらしいミニチュア感はこの年齢の女の子たちにとってはたまらない魅力があるらしく、「うわぁ、かわいい!見てみて!」と大騒ぎだ。
但し、このおもちゃ、結構嵩張る。
大きなドールハウスは、分解して箱に収められるようになっているが何しろ場所をとる。小さなパーツ類は、本当に数限りなくあって部屋中に散らばるし、何かの折に掃除機で吸い込みそうになったり、素足で踏んづけたりして痛い思いをする。片付け係の親にとっては少々厄介なおもちゃだったりする。

ということで、今回もらった大量なおもちゃ、仲良しのKちゃんと半分こすることを提案してみた。
「Kちゃんちにはおうちが一軒しかないんでしょ。これをどちらか一つ、分けてあげたら、アプコがKちゃんちで遊ぶとき、一軒づつ分けて使えるよ。」というと、しばらく考えていたようだったが、意外にあっさり「いいよ」と言う。前もって根回しして置いたKちゃん母も、気持ちよくお下がりをもらってくれるというので、さっそく親子で来てもらって、お宝の分配を始めることにした。
2軒のドールハウスにそれぞれの家具や調度を振り分け、細かなパーツも大まかに2等分して、「さぁ、どっちが欲しい?」と二人に聞いたら、さぁ、それからがたいへん。 
二人とも、一人で両方はもらえないのはわかっているけど、どちらも欲しい。「こっちに決めた!」と思ってみても、あっちのあの家具にも未練がある。「あっちに決めた!」と思ってみても、あっちのおうちのほうが大きくて立派に見える。「文句なし」のジャンケンをして、ようやく決まったと思っても、やっぱり相手の持っているものが欲しくなってしまうのだ。

思えば、Kちゃんもアプコも家族の中ではぐ〜んと年の離れた末っ子姫。
兄弟のなかで同じ一つのものを分け合ったとしても、ちょっと駄々をこねたら、「もう!しょうがないなぁ」とオニイ、オネエが分け前を譲ってくれたり、お目こぼしをしてくれたりして、厳密な○等分にはならないことが常である。今日のように、あくまで対等な立場で厳正な半分こをするのは、あまり経験のないことなのかもしれない。それだけに、二人とも自分の取り分の確保にピシピシと頭を使う。
「もう一回、ジャンケンをやり直そう」と言い出したり、「あれとこれをとりかえっこしたい」と言い出したり・・・。6,7歳児の「半分こ」は、大人の思う平等とは明らかにものさしが違う。
ああでもない、こうでもないと散々説得したり、なだめたり。
帰りの時間ぎりぎりまで交渉は続いて、私もKちゃん母もすっかりくたびれはててしまった。

「Kちゃんちへ行ったときには、これ貸してね。」
「二つとも一緒に使いたいときには、これ、持って行くね。」
ようやく納得の行く分配を終えて、Kちゃん親子が帰っていく。
「Kちゃん、喜んでくれてよかったね。」
とお姉さんぶって笑うアプコ。
半分になったお宝を再び箱に収めて、アプコはそれでもうれしそうだ。
大好きなものを仲良しさんと分け合う楽しさもちゃんとわかっているらしい。
やれやれ、ご苦労様。


2005年11月23日(水) 育てたように育つ

昨日、中学校での3年生の懇談のこと。

体育の授業が終わって、男子が着替えている教室の前で、女子生徒が大勢座り込んで教室が空くのを待っている。
「ふぅ〜ん、女の子の方が着替えるのがずいぶん早いんだねぇ。」と近くにいたお母さんに話しかけたら、
「違うのよ、この子達はみんな廊下で着替えをしているらしいの。」という。
聞けば、女の子たちのためには別の場所に更衣室が用意されていて、本当はそちらで着替えることになっているのだけれど、そこまで移動するのが面倒なのか、いつのころからか女の子たちは教室の廊下で着替えているのだという。
「下着や肌が見えないように、うまく着替える方法があるとは言うんだけど、なんだか年頃の女の子たちが廊下で着替えてるってイヤなんだけどね。」と女子生徒のお母さん。
「男の子たちのほうが教室を締め切って着替えをしてるのに、なんか変な感じよねぇ。」
と相槌を打つ。
着替えの終わった女生徒たちは、教室の廊下の床にぺったりと座り込んで、ぺちゃくちゃと楽しいおしゃべりに余念がない。
「あ〜あ、制服のまんまで地べたにすわり込んじゃって、あの子達は平気なんやね、決してきれいな床でもないのに・・・。」
お母さんたちの嘆きは続く。
電車の中でお化粧をする若い女性や、電車の床とかコンビニの前とかに座り込んでる学生も目立つ昨今、どちらも現代の若者の風潮と言えばいえないこともないけれど、なんだかヤダなと思うのはおばさんになった証拠か。

3年生の懇談では、目前に迫った進路決定についてのお話。
ひとしきりハッパをかけられて、なんだか大変そうだなぁとため息をつく。どの家も「うちは全然・・・」といいながら、結構子ども達の受験にお金も手間も掛け、心を砕いているのだなぁとつくづく思う。
「とりあえず、近場の公立へ」「受験勉強は自力で頑張れ・・・」と子どもの自主性と運に任せて放任している我が家では、そうそう高望みしてはバチが当たるなぁと思ったりする。
ただ、懇談の最後に先生方から、近頃は給食当番や掃除当番などがちゃんとできる子が少なくなったというお話があった。そういう決められた役目がちゃんと果たせるかどうかは、学業の成績とは必ずしも比例しないという。
中には箒の使い方も知らないような子もいて、家庭での経験不足が推察される。「うちでは『勉強だけしてたらいい』といわれてるねん。」とあっけらかんとしている生徒もいるのだそうだ。
学校の成績表や内申書に「掃除」とか「給食当番」とかの評価欄ができたら、子ども達はきちんとするようになるのかもしれないねぇと先生方は笑っておられた。

今のところ、学業の成績のほうは伸び悩みのオニイだけれど、掃除や給食当番はサボることはないという。
それはそれで、親がいつも心に掛け、「こう育って欲しい」と思っていることに忠実に実践してくれているという事かとも思う。
やはり子どもというのは、親が育てたように育っていくもののようだ。


2005年11月22日(火) 落ち葉同盟

中学校の参観、懇談。
ウォーキングを兼ねて、テクテク歩いて出かける。
村の中の狭い路地を歩いていて、玄関先の落ち葉を熊手でそうじしているおばあさんとすれ違う。
風が吹くと、せっかくかき集めた落ち葉の山がざわざわと崩れて、頭上からはまた新しい柿の葉がはらりはらりと落ちてくる。
私もおばあさんもほとんど同じタイミングで柿の木を見上げ、そして顔を見合わせて笑う。
「まだまだ、落ちてきますね。」
「はぁ、まだまだですなぁ。」
柿の木には赤く熟した渋柿と大振りの赤い木の葉がまだまだたっぷりと残っている。かなわんなぁといいながら、まだまだ落ち葉掻きは続くのだろう。落葉の木を庭に持つと、この季節は毎日毎日落ち葉の掃除に追われる。
風が吹くたび梢を見上げて、「まだまだ残ってるなぁ。」と明日の落ち葉の数を量るのだ。

見しらぬ人と偶然一緒に感じた同じ風。
同じタイミングで木を見上げ、同じタイミングで「まだまだだなぁ。」と一緒に感じたそのうれしさ。
それは日々落ち葉掻きに追われる庭木を持つ主婦だけが共感するおんなじ気持ち。
いわば、落ち葉同盟。


2005年11月20日(日) 復活する人

朝から市内で行われる「クリーングリーン作戦」と呼ばれるゴミ拾いハイキングに家族で参加。朝から、地域の人たちとぞろぞろと山に登り、熱々のおでんの振る舞いをいただいて帰ってくる。我が家はもう10年来、毎年この行事に参加している。
ここ1,2年、仕事でいけなかった父さんも今年は一緒に参加。受験生のオニイも今年は脱落かと思われたが、意外にも「参加したい」という。久々に家族6人一緒に参加する事ができた。
一時期は小さい子どもを背中に背負ったり、ベビーカーを押したりしながら参加する事の続いたこの行事にも、やっと末っ子のアプコまでが一人前にゴミ拾いのお役に立てる年令になり、先頭集団から遅れずにガンガン歩く事が出来るようになって来た。
ようやくここまで・・・と、感慨無量。

先日、立ち話をしていたSさんが、「これだけ自然に恵まれた環境の中で子育てをさせていただいているのだから、年に一回くらいはその自然に恩返しのつもりで『クリーングリーン』には出来るだけ参加しようと思っているの。お宅は家族全員でいつも参加されて偉いわ。」
といわれた。
「恩返し」とは大仰な。生真面目なSさんらしい言い方だなぁと苦笑する。我が家の場合はただただ、運動不足解消とおでんが目当て。動機が不純で申し訳ない。

帰ってきて何気なくTVをつけたら、高橋尚子のマラソンの後半を放映していた。2年間の不遇の時期を克服し、再起を期しての優勝だという。
以前、この人がオリンピックの選考に落ちたり、二人三脚でやってきた監督と何となくべたべたした感じでメディアに露出したり、ある時期、嫌な感じの女性に見えた時期があった。
才能溢れるランナーがこんなふうに少しずつ崩れるように消えていくのを見るのは嫌だなぁと思っていたら、今日の快挙。怪我を押しての気迫の走りだったという。観衆の歓声に応える晴れ晴れとした笑顔がさわやかで、気持ちのいい勝者の顔だった。

そういえば、昨年自宅マンションのベランダからの転落事故で九死に一生を得た男優が、大怪我を克服して新作の映画に主演しているのだそうだ。私はこの人の作品をちゃんと見たことはないけれど、あちこちで新作のレビューを見る限りではなかなか好評なのだという。
以前この人に関しては、そのエキセントリックな発言や大麻疑惑など何となく後ろ暗いイメージが付きまとっていて、余り好きな俳優ではなかった。
けれども最近、映画の宣伝でラジオに出演している彼の発言を聞く機会があって、その素直で前向きな発言に以前とは随分違った印象を受けた。
人というのはこんな風に変わることが出来る生き物なのだなという事が、改めて感じられた。

一度、勢いをなくしてくすぶってしまった人がこんなふうに晴れやかに蘇ってくる場面に遭遇できるのは有難い事だ。


2005年11月19日(土) 自転車修理

アユコの通学用の自転車の調子が悪くなった。前のタイヤに空気を入れなおしても、帰りには空気が抜けているのだという。完全にぺちゃんこになるわけではないので、多分虫ゴムが傷んでいるのだろう。
オニイもアユコも自転車がパンクしたりタイヤが凹んだりすると、いつも近所の小さな自転車屋さんに持ち込んで直してもらう。パンク修理一回400円。新品の自転車をバンバン売りさばく訳でもなく、それでも快く小さな修理も引き受けてくださる頼りになる自転車やさんなので、年に数回数百円の出費は惜しくないが、わざわざ店舗まで出向いていって修理をしてもらう手間と時間が少々面倒。毎日使う通学用の自転車は、下校時間が遅くなる最近では必需品で、開店時間内に運び込む事ができなくて何日か不自由な思いをするのも困り者だ。
簡単な修理くらいなら家庭で出来るといいのになぁとかねがね思っていたので、以前にホームセンターの自転車用品売り場で簡単なパンク修理のセットを見かけて買い求めてあった。

私が高校生の頃、自転車通学の生徒の多かった母校では、生徒会室に年季物の自転車修理セットが常備されていたものだった。
歴代の生徒会役員の男の子は、役員就任と同時に先輩から簡単な自転車修理のレクチャーを受けて、放課後やってくる自転車通学生の自転車のパンクを直したり、虫ゴムを入れ替えたりするのが仕事の一つだった。
どちらかというと文化系のひょろりとしたタイプの男の子が多かった生徒会役員だったが、手指を機械油で真っ黒にしながら手際よくパンクを修理する姿はどことなく頼もしく、かっこいいなぁと思ったものだった。
私は当時電車通学をしていたのだけれど、憧れの銀縁メガネの先輩をお目当てに、友だちの自転車通学生のパンク修理に用もないのに付き添っていったという甘酸っぱい思い出もある。

「自転車修理の出来る男の子って、ちょっと素敵だと思うんだけどなぁ。」
という誘いにオニイは馬鹿馬鹿しいとへらへら笑って釣られなかった。
これまでに何度か、オニイに自転車修理に挑戦してみないかと誘っては見たのだけれど、どうも彼は面倒がってあまり手をつけようとしない。さっさと自転車やさんへ持ち込んでは、「ハイ、修理代400円」と当然のように事後請求する。アユコも空気入れぐらいのメンテナンスはするけれど本格的な修理となると億劫そうだ。
それでは・・・と白羽の矢が立ったのは、工作や機械いじりの大好きなゲン。以前に壊れて瀕死の自転車を自転車さんに見事に修理してもらって感激したゲンは、自転車の整備そのものにもちょっと興味があるようだ。
「ねぇねぇ、ゲン。こんなアルバイト、どうかなぁ。
ここに、新しいパンク修理セットと説明書がある。
オネエの自転車は多分パンクじゃなくて虫ゴムの交換だけでいいと思うんだけど、これを自転車屋さんに持っていくと400円かかる。もしこれを君がこの道具でやってくれたら一回200円っていうのはどうかしらん?
そうするとお母さんの出費は200円で済むし、君のお小遣いは200円増える。悪い話じゃないと思うんだけどなぁ。」

二つ返事で話に乗ったゲンはさっそく表にでて、アユコの自転車のタイヤを調べる。説明書にあるとおり空気栓の周りに石鹸水を塗るとぶくぶくと泡が立ち、故障の原因が虫ゴムの老朽化と分かる。
ナットを外し古い虫ゴムを取り去って、新しい虫ゴムに交換する。
初め、虫ゴムをナットのどのへんまで差し込んでいいのかが分からず、何度か失敗したが、すかさずゲンがまだてをつけていない後ろタイヤのナットを引き抜いて正しい差し込み方を調べて完成させる。
その間、約3,40分。
ちょっと手間取りはしたが、バルブの構造や修理の手順はよく分かったので、この次やるときにはもっと短時間に出来るだろう。
家族の誰もが手をつけることのなかった新しい技能を身につけて、ゲン大威張りで胸を張る。
「この次はパンク修理にも挑戦してみるわ。」
と新しい職域の開拓に余念がない。
なかなか頼もしい限り。

ゲンが修理をする間、肝心のアユコはサビ取り剤や歯ブラシ古タオルを持ち出して、ゲンと自分とアプコ、3人分の自転車のボディ磨きに精を出した。メカニック部分のメンテナンスはゲンの専門領域として確保しておいてやろうという母の意図をいち早く呑み込んでくれたらしい。
「これからは、自転車屋さんへ行く手間が省けてホントに助かるね。」と一緒にヨイショして、ますますゲンの鼻を高くしてくれる。
「ヨッ!ゲンちゃん、カッコイイ!」
それとなくおだてて、その気にさせるアユコのテクニック。
これはこれで、アユコの優れた技能ではある。


2005年11月17日(木) 銀杏

夜なべ仕事をおえて、寝酒にちょっと一杯と台所に立った父さん、酒の肴を探して、冷蔵庫やら食品庫をごそごそ開ける。結局めぼしいものが見つからなくて、「ああ、そうそう。」と、どこからか小さなジップバックにいっぱい入った銀杏の実を持ち出してきた。
ご近所の方からいただいたのだという。
アプコがいつも帰り道に、「もみじは赤、イチョウは黄色。ちょうちょみたいできれいねぇ。」と花束のようにして落ち葉を集めてくるあのイチョウの木の実だ。

「これって、どうやって食べたらいいのかな」と父さんが聞くので、去年七宝の先生から教えていただいた取って置きの銀杏の調理法を教える。
ハトロン紙のいらない封筒に食べたいだけの銀杏をコロコロと入れて軽く折って封をし、電子レンジで様子を見ながら暖める。
まもなくぽん、ぽん、と音がして、銀杏の硬い殻が割れて熱々の実が飛び出してくる。
「封筒の中の様子が見えないから、最初に銀杏の数を数えておいて、『ぽん』ていう音を数えると良いよ」と受け売りの知識を付け加えると、父さんは本当に封筒の中の銀杏の数を数えてからレンジのスイッチを押し、子どものように「ひとつ、ふたつ・・・」と銀杏のはじける音を声に出して数えている。
私は父さんのこういうところが好き。

このところ朝晩が急に寒くなった。
「冬中半そでで頑張る」と言い張っていたアプコも、家族ぐるみの説得誘惑工作に負けて、数日前から長袖Tシャツを着る様になった。
父さんの夜なべ仕事もとうに年末態勢。
お夜食や寝酒の出番も増える事だろう。
熱々の銀杏はつやつやと光って、口にするとほんのりほろ苦い。


2005年11月16日(水) 収穫

朝から父さんと郊外にできた大型ホームセンターへ出かけた。ホームセンターとはいいながら、食品スーパーから建築用の資材、ガーデニング用品、フードコートまで、広大な店舗にいろんな商品が満載で、父さんと二人、思わずワクワクとしてしまった。ことに、2階にはかなり専門的なクラフト関係の店舗があり、小型の東急ハンズの観。
ずらりと並んだカラフルなぺーパー類や、使い方も分からない金工やガラス工芸の資材などを飽きずに眺める。
父さんは陶芸の道具類や粘土をあれこれチェックして、「専門店よりやや割高だけれど、近くで来店の便がいいので便利かも」との結論。
子ども達を連れてきたら、一日中楽しく遊べそうだ。
帰りに何故か冬用の掛け布団を衝動買い。
ちょっと嬉しい。

膨大な商品の氾濫に酔っ払ったようになって、帰宅の途に着く。
久々に出かける大型店舗は確かに楽しいし、ご近所にこんな店があったら、休日の暇つぶしには事欠かないなぁとうらやましくなるけれど、きっとそれなりにアレもコレも欲しくなって、きりがないだろうなぁと思ったりもする。
ちょうどアプコの下校時間ぎりぎりだ。
家の近くまで来ると、ちょうどアプコと同じくらいの女の子達が手に手に大きなナイロン袋を持って、ワイワイがやがやと下校中。袋の中身はふさふさと青い葉っぱつきの大きな大根だった。
「ずいぶん大荷物で帰ってるねぇ、引きずりそうだよ」と笑っていたら、ちょうどうちのアプコが同じように大きな大根を重そうに抱えて歩いているのに追いついた。
既に帰路の半分くらいを大きな大根を抱えて一人で歩いていたアプコは父さんの車を見ると心底ホッとした様子で、乗り込んでくる。
「うわー、大きな大根だねぇ。重かったでしょう」
「うん。学級園の大根、好きなのもって帰っていいっていわれたから、一番大きいの、抜いてきたの。」
と息を弾ませて答えるアプコ。
なんだかとっても嬉しそうだ。

子どもらが通う小学校は、生徒数の割に敷地面積がやたらと広い学校で、校内に広い学級園や水田、山の斜面を利用したアスレティック、常設の屋外炊飯施設など、自然と親しむ事の出来る施設が充実している。
学級園での野菜の栽培も、家庭菜園の域はとうに超えてちょっとした農作業の本格バージョン。たまにもって帰ってくる収穫物も近所のスーパーで見かける野菜顔負けの立派な出来栄えのものが多い。
春には校内でいちご狩り、夏にはキュウリやトマトの大収穫、秋にはお芋掘りをして木の葉で焼き芋と、色々な体験をさせてもらって帰ってくる。多分先生方の裏方のお手伝いの賜物だろうとは思うけれど、収穫した野菜をさも一人で拵えたかのような得意げな顔で持ち帰る子どもらの嬉しさはまた格別。
良い経験をたくさんさせていただいているなぁと思う。

確かにアプコが選んできたお大根はとてつもなく大きかった。
ふさふさとした青葉を切り取ってばさばさと洗い、芯の部分を少しむしらずにとっておいて、浅い皿に水を張って芯を浮かべる。ピカピカ大根に敬意を表しての新芽の水栽培だ。
まだ土の残る実のほうはアプコが自分で洗いたいというので、流しの前に踏み台を置いて洗い桶に水をためて、洗ってもらう。
大きな葉っぱの部分を取り払っても、まだその実の重さはアプコの手に余るようで、ごろんごろんと大根を転がすたび、ピシャピシャと派手に水しぶきがあがった。
とりあえず、青葉の部分は細かく刻んで醤油味の油いために、実の頭のほうを細かく刻んで青葉のみじん切りとあわせて浅漬けにする。
調理の途中で、薄い半円形に刻んだ生の大根をアプコに渡したら、ぱりっと齧ってみて、「おかあさん、大根って甘いね。」と目を丸くして言う。
普段お刺身に添えてある大根の「けん」が大好きなアプコは、自分の収穫してきた大根を齧ってみてはじめて、「けん」と大根が頭の中でつながったらしい。
「そうか、お刺身についてる白いヤツはだいこんだったのか。」
といつまでも感心しているアプコが可愛い。
自分の知らないものの本質をはじめて身をもって理解するという事は、こういうことなんだろうなぁと思ったりする。


2005年11月10日(木)

数日前から家の周りで子猫の声がしていた。
手のひらに乗るほどの小さい斑の迷い猫で、我が家のクーラーの室外機の下で寒い夜をやり過ごす事に決めたらしい。勝手口の扉の下や和室の履き出し窓の下のブロックに座り込んで、いつまでもいつまでもふみ―ふみーと哀れっぽい声で鳴いている。
近頃うちの周りでは野良の猫の姿も余り見かけなかったから、誰かがわざわざ近所に捨てにきたか、駅前辺りの野良さんの子をハイキング客か誰かが気まぐれに抱いてあがってきて放置して行ったものだろう。

当然のことながら動物好きのアプコが一番にその愛らしい鳴き声にめろめろになった。みゃーみゃーと取って置きの猫なで声で子猫を呼ぶ。小さなパンのかけらや鰹節を手に、子猫との距離を警戒する子猫との距離をすこしづつ縮めていく。
「飼う気はないんだから、あんまり構っちゃダメよ」と言いながら、他の兄弟たちも子猫の愛らしさとアプコのあまりの喜び様に、むげに叱る事もできず遠巻きにしながら一緒に子猫の様子を見守っている。
「ありゃー、おかあさん、ダメだよ。アプコ、もう、猫、抱いちゃってる。」
アユコが呆れたような、でも嬉しそうな声で報告してくるまでに30分もかからなかった。

我が家には、既に雑種の犬が居るし、家の中にはアプコのペットの金魚も居る。私も父さんも、ペットに犬を飼ったことはあるけれど、猫を飼った経験はない。おまけに私は家の中で動物を飼うのが好きではない。
このまま、子猫が我が家に居ついて、ずっと我が家で飼う羽目になるのは困るなぁと思う。
かといってこれからの寒くなる季節。
小さい子猫をこのまま放置しておけば、凍えて死んだり、カラスや野犬の餌食になってしまう可能性もある。
通学や庭遊びのアプコの目に付く場所で、この子猫が無残な有様になったりしたらきっとアプコはいたく傷つくだろう。
飼って飼えない事もないけれど、エサだけ与えて気まぐれに可愛がって、そういう中途半端な飼い方になりそうで、それも無責任な感じがする。
「野良の子はなかなか人に懐かないから、きっと家猫にはならないよ」と言う人もあるし、名前をつけて「うちの猫」にしたとたんにふらっと居なくなってしまってもアプコの落胆を思うと忍びない。
困った事になったなぁ。

そんな母の迷いを察してか、それまで眺めるだけで子猫には触れようとしなかったアユコやオニイまで何となく気持ちを緩めてアプコの抱く子猫を撫でたりパンのかけらをあたえたりするようになって来た。
子猫のほうも次第に子ども達に懐いて、小さなツメで網戸をかりかり引っかいて窓の下でみゃあみゃあと人を呼ぶように鳴くようになって来た。そればかりか、隙あらば履き出し窓に小さな前足を掛けて暖かい室内に入ろうとするようになって来た。
「アプコ、外で猫と遊ぶのはいいけど、家の中に入れたらアカンよ。まだ、その猫はアプコの猫じゃないんだから・・・」
母の叱責を諮ってアユコがアプコに注意する。
「その『まだ』ってなによ。うちじゃぁ、猫は飼わないよ。」
と言いながら、アユコも私も父さんもオニイも何となくこの子猫がうちに居ついてしまう事を仕方なく容認して行く雰囲気になってきたようだった。

朝、雨戸を開けたら、子猫の姿がなかった。
昨日までなら、人の気配を感じるとすぐにふみーふみーと鳴き声をあげて姿を見せたはずなのに、今日はその声すら聞こえない。
夜のうちに、もっと寝心地のいいねぐらをみつけたのか。
それとも誰かに拾われていったのか。
何となく物足りない思いで一日を過ごす。
鳴き声が聞こえた気がして窓を開けたり、近所の草むらをそれとなく探してみたり。
「昨日の夕方、子猫の鼻先で雨戸を閉めて追い出しちゃったから、もう他へ行っちゃったのかなぁ」と昨日最後に子猫を見送ったアユコがしきりに気にしている。
「近くに居ると『困ったなぁ』って感じなのに、やっぱり居なくなると寂しいね。」と父さん。
「お友だち見つけて、どっか行っちゃったんじゃない?」
とアプコの反応が意外とあっさりしていたのが、せめてもだった。

今回の猫騒動。
ちょっと面白かったのは、ゲンの反応。
たしかに子猫は可愛いというし、撫でたりエサをやったりするのだけれど、兄弟の中では一番クールな対応。カブトムシやクワガタの飼育ケースをいくつも抱え込み、おじいちゃんちの犬の散歩係もつとめる動物好きのゲンが子猫をうちで飼う事については一番消極的だった。
自分ひとりで何匹もの虫を管理し、たびたび犬の散歩を頼まれて呼ばれていくゲンには、ペットを飼うという事の楽しい場面ばかりではなく、めんどくさかったり辛かったり、嫌になっちゃうことだったりが身に染みてよく分かっているのかもしれない。
「野良は野良。自由に生きている動物に気まぐれに手を貸したり、その場限りの愛撫を与えない。」
人懐っこいゲンの中にある、意外に冷静で割り切った動物観。
こういった部分は、多分に情に流されやすい父や母よりも、よほどしっかりと鍛えられている気がした。


2005年11月09日(水) 歌姫

ここ数日、TVのワイドショーでは白血病で急逝した女性の追悼の番組が続く。
アイドルから実力派のミュージカルスターへ。努力の人であったというエピソードと共に、遺影の若く美しい笑顔が何度も繰り返し映し出される。私はこの人の歌う歌をちゃんと改まって聴いた事はないけれど、葬送の日のレポートのバックに流れる「アメイジンググレイス」は透き通った張りのある美しい声で、まさに天使の歌声。随分訓練を積み重ねてこられた方なのだろうなぁと思い量る。
そしてここまで鍛え上げた歌声が、肉体の死によって永遠に封じ込められ、2度と聴く事ができなくなると言う当たり前の事実のはかなさが、なんともやり切れない現実として心に迫る。

この秋、父さんが長い間師事してきた南画家の直原玉青先生が101歳の長寿を全うされた。晩年まで精力的に絵筆を取られた巨星の逝去だった。
ただただ筆が動くのを楽しむ子どものように、年老いてもなお純粋に描くことを楽しんでおられたと言う仙人のような画業の偉大さが、父さんの語るなんでもないエピソードの中からでさえ、ひしひしと伝わってくる、そういう方だった。
私には水墨の絵の良し悪しはちっとも分からないのだけれど、小柄で飄々とした老画家の手から生まれた作品の筆の運びは、それと分からぬほど活き活きとした力に溢れ、勢いに満ちている。高齢の画家の肉体の中に秘められた静かなエネルギーの豊かさに圧倒されるような思いで拝見していた。
その方が亡くなられて、101年間の間に培われた絵の技術や豊富な知識や感情や記憶や、そして溢れるような創作のエネルギーが、丸ごと全部、命絶えた画家の肉体の中に封じ込められ、埋葬されてしまう。
かけがえのないものを失ってしまう、そんな現実の酷さに茫然とする。

仕事場で、97歳になるひいばあちゃんの仕事振りを眺める。
最近では、仕事場に入られる時間もめっきり減って、同じ土塊を何日も何日も触っておられる事が増えたが、それでもしわくちゃに大きくゆがんだその手指には、熟練の職人の地道な手つきが頑固に染み付いている。五感が鈍ってその技術があやふやになっても、人が呼吸の仕方を忘れる事がないように、土をこねロクロをまわす長年の作業の手順はしっかりとその肉体に刻みこまれて褪せることがない。
そういうひいばあちゃんの手に残る技術や、もはや改めて語られる事も少なくなった先代さんの時代の思い出の記憶、作品に対する美意識、感情・・・。そういったものは全て、ひいばあちゃんと言う小さな枯れた肉体の中にあって、いつの日かそこに封印されたまま永遠に開かれる事のない場所へ行ってしまわれるのだという事実。
そのことを心から「惜しい」と思う。
人の死を『惜しむ』と言う事は、その人に肉体にこめられた感情やら記憶やら技術やら愛情やら、そういうもの全てが永遠に封印されてしまう事のもったいなさに通じている。

それでも歌姫には、天使のような歌声のCDやテープが残り、人の記憶に歌が残る。
老画家の死後には、膨大な数の力溢れる遺作の数々が残る。
生涯裏方の職人に徹したひいばあちゃんには、自分の名前を記した作品は何一つ残らないかもしれないけれど、毎日無言で土に向かい淡々と立ち働く姿の記憶は私や子ども達の頭の中にしっかりと刻まれて消えることはないだろう。
それでは、なんでもない市井の人の特別な事もない生涯の終わりには一体何が残るのだろう。
42歳の今の私。
一体何ほどのものが培われているのだろう。


2005年11月08日(火) 落ち葉かき

今日は工房のお茶室で炉開き。
男性限定のお稽古なので、いつもは義兄や父さんが準備から後片付けまですべてを取り仕切ってやっているのだが、今日はたまたま二人とも朝から不在。
朝、「先生が来られる時間までには、必ず帰ってくるから・・・」と出かけていく父さんを送り出して、さぁ!と腕まくり。
圧力鍋でお接待用のおぜんざいの小豆を煮ておいてから、工房の庭掃除に出動する。
落葉の季節になって、工房の玄関や茶室周りは木の葉でいっぱい。熊手や竹箒を駆使し、ブロワーを導入して木の葉を集める。庭木の株元やつくばいの石組みの間に入り組んだ落ち葉は膝をついてつまみ出し、箕に集めて道向こうの谷に捨てる。
風が吹くたび、頭上の梢からははらりはらりと舞い落ちる落ち葉。
きれいに掃き清めたあとの地面には、すぐにまた木の葉が散っている。

この間、夕方の子供向けの番組で、お寺のお坊さんが小学生くらいの男の子を相手に、庭掃除の極意を教えていらした。
「お寺では、庭の掃除も大切な修行の一つです。一番大事な事は、箒を使うときには自分が箒になりきる。道具になりきって掃除をするということです。」
確かに、誰とも口を利かず、一心に舞い落ちてくる落ち葉をかき集め、集めては運ぶ作業を続けていると、心はいつか修行僧の境地になってくる。
時折巻き上がる風が、風向きによっては竹箒の後押しをしてくれたり、せっかく集めた落ち葉の山をいたずら小僧のように引っ掻き回していったり・・・。
そんな気まぐれに惑わされる事なく、ひたすらに竹箒を運ぶ。
竹箒になりきる。
なるほどなぁ。

「コンを詰めて掃除をしても、すぐにまた落ちてくるよ」
義母が笑いながらやってきて、そのくせ自分も私が掃いたばかりの地面の落ち葉を癇症に一枚一枚拾って歩く。
なんだかなぁ・・・。
掃除が済んだら、父さんたちが帰ってくるまでに、お茶花を調達し、おぜんざいのお椀やお膳を準備して、それからそれから・・・
ああ、まだまだ悟りの境地は遠い。


月の輪 |MAILHomePage

My追加