月の輪通信 日々の想い
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2004年11月30日(火) 気楽な身分

ストーブの前に寝そべって鼻歌を歌いながらお絵かきをしているアプコに、期末試験2日目のオニイがぼやく。
「気楽でいいよなぁ、アプコは。毎日、好きなことをして、遊ぶのが仕事なんだから・・・」
なんだかおっさんくさい物言いだなぁ。

「それをいうならね。」
忙しく夕餉の支度をしながら、ちょっとオニイをからかってみる。
「毎日、誰かが稼いでくれたお金で学校へ行って、誰かが作ってくれたご飯を食べて、自分のための勉強をして大きくなるのが仕事の君だって、十分気楽な身分じゃないの?」
オニイ、「やられたぁ」とへらへら笑っている。
若いって事はね、自分のために、時間が使えるって事。
試験勉強をするのも、剣道の稽古に行くのも、いろんな経験をするのも、みんな自分のための時間じゃないの。
そして君達の前には、まだまだたくさんのまっさらな道がある。

ついでにもうちょっと、踏み込んで考えてみる。
毎日忙しい忙しいと走り回っている私達。
老いの道の先輩達に言わせれば、
「毎日、自分の足で行きたいところへ出かけ、自分の耳で誰かの言葉を聞くことが出来、自分の歯で食べたいものを食べる事が出来る。誰かのために忙しく走り回る事も出来るあんたこそ、いいご身分だねぇ。」
と言われるのかもしれないなぁ。
子ども達の送り迎えやPTA,工房の手伝いや家事の繰り返し。
なんだか嫌んなっちゃう事もあるけれど、それだけ走り回れるだけの体力と誰かに頼りされてるお仕事と「もうちょっとがんばろう!」と自分に気合をかける気力がまだまだ私にはいっぱいあるということ。
そして、こんなおばさんになっても、まだ私には先の見えない白紙の画用紙の持ち合わせが何枚もある。

明日からは12月。
PTAの仕事も最後の追い込み。
工房の仕事もしっかり年末体制だ。
もう一息、もう一息。


2004年11月29日(月) 息子の箸

アプコと買い物の帰り、スーパーの前の出店で食器や箸を売っていた。
ちょうどオニイの箸が薄汚れてきたので、買い換えてやろうと思い立つ。
一番小さいアプコサイズのお箸から、お菜箸用の長い箸まできれいに並べられたのを見ていると、普段オニイが使っていたお箸の長さは、はて?どのくらいだったっけと分からなくなる。
今使っているお箸はちょっと小さくなったようだからと、少し長めの箸を手にとって見ると、なんだか父さんの箸のようで納まりが悪い。
だからと言って、もっと短い箸になると、この間ゲンに買ったお箸と同じ長さになってしまう。
私自身が使っているお箸より長いのを買うのもなんだかなぁ・・・・。
いろいろ悩んだ末、ま、この辺で少し長めのお箸を選んで、買って帰った。

かえって比べてみると案の定、選んだ箸は父さんのよりは少し短め、そして私の赤い箸よりはほんの少し長めだった。背丈や腕力だけでなく、お箸の長さも息子に負けちゃう年齢になったのだなぁ。
「オニイ、ちょっと、手、見せて。」
と、自分の手のひらをオニイの手のひらに合わせてみる。
子どもの手のように短い私の指と、少年らしい節の立つ大きくなったオニイの手。
確かにオニイの方が一節分ずつ指も長い。
母より長い箸でご飯を食べるのもあたりまえなんだよなぁ。

久しぶりに、あわせたオニイの手のひらは意外にごつくて大きかった。
そういえば、この子にも小さな赤いもみじのような手の時代もあったのに・・・。
こうして男の手になっていくのだなぁ。
この手がこれから生み出していくものはなんだろう。
この手がこれから掴みとってくるものはなんだろう。
そして、この手は、どんな人とつながれるのだろう。
なんだか嬉しい、ちょっとさびしい。


2004年11月27日(土) 人生を刻む音

インターホンが壊れたらしい。
2,3日前から、誰も押していないのに2,3分おきに「ポーン・・・・ポーン」と音がする。
送話器をガチャガチャやってみたり、外のスイッチを何度も押しなおしてみたりもするが音は止まらない。
仕方がないので音量を一番小さくしてみたのだけれど、一定の間を置いて静かに「ポーン・・・ポーン」と繰り返す音は、なんとなくやけに耳に付いて離れない。
別に不快な音でもないので、家事や用事に熱中しているときには気にも留めないのだけれど、気が付くと台所の隅で「ポーン・・・ポーン」はひそかに続いている。

なんとなく四六時中、ストップウォッチをもって日々の動作を計られているようでそこはかとなく気にかかる。
「あ、三つもポーンとなる間、アタシってばボーっとしていたな」とか、「アプコの面倒な質問攻めに、まともに答えてやったのはたったの5つ分」とか、自分の時間の無駄な部分や足りない部分を知らず知らずのうちに「ポーン」で計っている自分に気付く。
「あと5つ鳴ったら、ぐうたらやめて晩御飯の支度にかかろう」とか、「もう3つ分くらいしっかり火を通して置こう」とか、目覚ましやキッチンタイマーの替りにしてたりする。
修理やさんが来てくれるまで、しょうがないから気にしないで無視して過ごそうと思うのに、ふと気が付くとまた耳が勝手に「ポーン」の音を数えている。

気になっているのは実はアタシだけではなくて、父さんやオニイも次第に「ポーン」の音が耳障りになってきているのだと言う事がわかった。
「かあさん、あの音、気にしたってしょうがないんだけど、なんか腹立ってくるよな。」とオニイが愚痴る。
「なんだか急かされてるような気がするのはなんでだろ。年末仕事も溜まってきたから、余計気が急くんだよね。」と父さん。
会話がふっと途切れたときにお互いの耳が「ポーン」の音を確認しているのに気付いて、顔を見合わせて苦笑したりする。
そっか、イライラするのはアタシだけじゃなかったのねと妙な連帯感が沸いたりする。

よく死の淵を逃れて生還した人が、「生きている時間の一瞬一瞬を無駄にしないように、その大切さを意識して生きて行きたい」というようなことを言われるのを聞く。
一日の大半を無為なおしゃべりやらぐうたらやら、とても有意義とは言いがたい時間で費やしやしてしまう凡人にとって、「一瞬一瞬を大切に生きる」と言う言葉は輝かしく重い。
けれどもどうだろう。たかが無意味なインターホンの「ポーン」の繰り返しに、自分の時間がさらさらと無駄に流れていってしまうような、勝手に誰かに自分の人生を『刻まれてる』いるかのような、言葉に出来ない苛立ちを覚えるのはなぜなんだろう。
とどまることなく流れ去っていく時間を、常に意識して生活していくと言う事は、思っている以上に精神的な苦痛をも伴う困難な営みなのかもしれない。

かちゃかちゃとお茶碗を洗っているときも、友達と長電話でおしゃべりを楽しんでいるときも、そして今、しんと静まった深夜、一人でPCに向かっているときも、勝手口の方からは「ポーン・・・ポーン」と音がする。
「今のその一瞬は、有意義だったの?無駄な一瞬だったの?」と問うているのは実は「ポーン」の音ではなく、自分自身の内の声なのだ。
そして、本当に意味があるのは、ごしごしおなべの底をこすったり、われを忘れておしゃべりに熱中している、「ポーン」を意識しないで過ごす時間なのかも知れない。

「ポーン」の音は次第に家族のいつもの生活の中に埋もれ始めている。
家族の皆に聞いてみたら、おもしろいことに「ポーン」と言う音にイライラしているのは父さんとアタシとオニイまで。
アユコはさほど気にならないというし、ゲンは「ポーン」の感覚をストップウォッチで計ってみたりして遊んでいる。アプコにいたっては、インターフォンの異常自体を言われて初めて気付いた様子。
そうか。
毎日、目覚めて食べて遊んで眠る。
いちいち自分の過ごした時間の意味を問い返す事もなくシンプルな日常を生きる子ども達にとっては、もしかしたら誰かが勝手にカウントしている人生の時間なんて、大して気にするまでもないたわいないことなのか。


2004年11月26日(金) ゴホンゴホン

小学校、マラソン大会。
いつも寝起きのいいゲンがなかなか起きてこない。
先に起きてきたアプコが「ゲンにいちゃん、起こしてくる。」と飛んでいってしばし。どよ〜んと鬱陶しい顔をしたゲンがコンコン咳をしながらのろのろと降りてきた。
「どした〜? どよ〜んとした顔してるなぁ。マラソン大会なのに元気出せよ!」
走るのが苦手な我が家の子ども達。先に起きてきたアユコもなんとな〜く「いやだなぁ」の顔をしているのがよくわかる。マラソン大会って、ヤだよね、うんうん分かる分かる。

ゲンの咳がしつこく続く。
うそ臭いほど、しつこく続く。
「おかあさん、今日のマラソンはちょっと・・・」
ほら、やっぱり。
「え〜、走らないの〜?せっかく応援にいくのに。」
「う〜ん、ちょっと・・・・」
ことさらにコンコンと咳をして、でもやっぱり「休みたい」と言う言葉はあやふやに濁す。
はは〜ん、と思う。
オニイや父さんも「さては?」という顔で、目配せを送っている。
すったもんだの末、マラソンカードには「参加」にしっかり印を押して、「頑張っていって来い」と追い立てる。

「あれはきっとズルだよね。」
子ども達が登校した後、父さんと話をしていたら、保健の先生からの電話。
「マラソンカードでは『参加』になってますけど、ずいぶん咳がひどいようです。どうしましょう。」
電話口の後ろでゲンの激しい咳の音が聞こえる。
「う〜ん、やっぱり行きましたか。微妙なトコなんですよね。確かに風邪は引いてるんですが・・・。」
と朝の顛末を説明する。保健の先生も「そういわれてみると確かにちょっとね。」とことさら大げさなゲンのコンコンに首を傾げていらっしゃる様子。
「いいです、先生。スタートぎりぎりになって、本人に決断させてください。周りからは『休んどいた方がいいね』なんていわないでくださいね、自分で『休む』と言わせてください。」
と念を押して電話を切る。
「あはは、やっぱりな。」
横で聞いていた父さんが笑っている。

スタート時間に間に合うように小学校へ駆けつけると、果たしてゲンは日当たりのいい校庭の花壇のふちに友達と二人で座っていた。足をぶらぶらさせて、なんだか楽しそうにスタートラインの級友達を指差して話をしている。
「あ、やっぱり、さぼったな。」
物陰からそっと見ていると、朝にはあんなに体をよじ曲げて咳をしていたのに、ぜんぜん咳き込む様子もなくて、穏やかなひなたぼっこを楽しんでいるみたい。
そ〜っと近づいていって、「アレレ、やっぱり走らなかったの? 咳してないじゃん。」と意地悪くゲンにささやいてみた。
ビクンと飛び上がったゲン、思い出したようにまたゴホンゴホンと咳をする。
怪しい、怪しい。

「おばちゃん、そんな事言わん方がいいで。」
隣で一緒に座っていた仲良しのUくんが、妙に大人びた口調で私に言ったので面喰った。。
う〜ん、どういう意味なのかなぁ。
「ほんとにしんどくて休んでる子に、『さぼったな』というのはよくないよ」ということなのか。
「せっかく一生懸命仮病を使っているんだから、武士の情けで見逃してやれよ」ということなのか。
「僕は喘息なんだけどね。」
と、言葉を継いだUくんの口調に真意を量りかねて、あやふやに答える。
「いやぁ、ゲンの咳はちょっと怪しいんだよ。マラソン嫌いだからね。」としなくてもいい言い訳をしてみる。
傍らでゲンは再び、大げさな咳をはじめた。

なんだかなぁ。ま、ちょっと間は抜けているけど、先生方に首を傾げさせる程度の演技力と知恵がついた分だけ成長したと言う事なんだかなぁ。
最後尾を走りながらもへらへらとわらって手を振ったオニイ、「いやだなぁ」と言いながら渋々全力を尽くすアユコ、我が家のマラソン大会はいつも苦渋に満ちている。
ゲンも数日前から「僕、マラソンは遅いんや。」と気にしていたようだったからきっととっても嫌だったんだろう。
「サボりたいなぁ、風邪ひきたいなぁ」と念じて空咳をしていたら、いつの間にか自分でも仮病なんだか、ホントの病気なんだかわかんなくなっちゃう
ことだって確かにある。
何とか「いやだなぁ」に負けないで頑張る我が子も見たいけれど、周囲の疑惑の目を押し切ってちょっとズルの気分を経験する事もきっとゲンにはいるのだろう。

先頭を切って、晴れ晴れとゴールしていくクラスメートの姿を見て、Uくんがぼそぼそとつぶやいた。
「あんなに速く走れるんだったら、ぼくだって、マラソン大会は楽しみなんだろうけどな。」
「そだね。でも、それが君の人生だ。頑張って生きていけ。大人になったらマラソンなんてしなくていいんだからね。」
と、U君にはちょっとふざけて答えたけれど、彼の気持ちはよくわかる。
マラソンをしなくてもいい年になった今だって、
「一生に一回くらい、我が子が一番でゴールテープを切るシーンをみてみたいよね。」
なんて、思ってしまう事がある。
でもね、かけっこの遅い僕も、仮病でする休みしちゃった僕も、それからいつも最後尾でみんなから遅れてゴールする僕も、み〜んな大事な「僕」なんだ。
そのことをちゃんと分かって、見ててくれてる人がいるよ。
二人ともそのこと、気付いてね。


2004年11月25日(木) 新鮮

アユコとゲンが珍しく二人そろって帰ってきた。
ちょうど習字に出かけようと車を出したところで、フロントガラスのむこうにゲンの丸っこい笑顔と大人びたアユコのひょろりとした姿が仲良く絡まりながら坂を上ってくるのが見えた。
二人は車を見つけるとニコニコ笑いながら、駆け寄ってくる。
その手には立派な葉付きの大根と丸大根が一本ずつ。
「学級園の野菜、もらってきたよー!」
ゆっさゆっさと手にした野菜を振り回してゲンが笑う。
いい顔してるなぁ。
二人の通う小学校には立派な農園があって、時々こんなふうにびっくりするほど立派なお野菜のおすそ分けを頂いてくる事がある。
自分達が育てた野菜を持ち帰ってくる子ども達の笑顔はとても得意げで、幼いながらも「収穫の喜び」というものを十分に味わわせていただいているのだなぁと、ありがたく思う。
無農薬で育った大根は今にもパチンとはちきれそうなみずみずしさで、ずっしりと重い。
アユコとゲンが頂いた野菜を袋にもいれずにむき出しで抱えて帰ってくるのは、収穫物の立派な作柄が嬉しくてたまらないからかもしれない。

頂いた野菜のみずみずしさを余すことなく味わいたくて、ひとまず大根と丸大根の葉をきれいに洗って、とんとんと刻む。ボールいっぱいの刻んだ青菜をフライパンで炒め、甘辛く煮詰めてゴマを振る。
大根は葉に近いほうを細かく千切りにして塩でもみ、葉っぱも加え重石を乗せて浅漬けにする。
どちらも私が幼い頃、同居していた祖母がよく拵えてくれたお惣菜。
台所でとんとんと青菜を刻んでいた祖母の丸い背中を思い出す。

とんとんと青菜を刻みながら、なぜだか急に祖母の「おくもじ」という言葉を思い出した。
細かく刻んだお漬物の事を祖母は時々「おくもじ」と呼んだ。
漬け物好きの父はそれを「鳥のえさみたい」と笑ったけれど、祖母はいつも刻んだお漬物を白いご飯にぱらぱらまぶして食べるようにと私達に勧めた。
パリッと新鮮な旬の野菜の滋養を残さず孫達に味わわせたいと、細かく刻んでおいてくれたのだろう。
子どもの頃にはさほどありがたいと思うことのなかった「おくもじ」の心遣いを、母となった今、鮮やかに思い出す。
子ども達の持ち帰った大根を、無駄なく美味しく食べさせてやりたいと思うとき、迷わず葉っぱをトントンと刻み始めるのはあの日の祖母の丸い背中の記憶が確かに私の中に根付いているからなのだなぁと思う。

今日、夕食に予定していたのはドライカレー。
外出先から帰って、手早く出来るお急ぎメニュー。
ありゃりゃ、なんだかちぐはぐだねと言いながら、大根葉の炒め物も鉢に移して食卓に上げてみた。
たまねぎにんじん合挽きミンチの甘口ドライカレーに、ためしに大根葉を添えてみる。
・・・意外に合うかも。
とっても邪道な味わい方だけれども・・・。


2004年11月24日(水) アプコの秘法

朝、珍しくいつもお寝坊のアプコが一番に起きてきて台所のストーブの前に座った。
「あのね、おかあさん、出来たよ!」
なんだか嬉しそうなのでよく聞いてみると、ここ2,3日続いていたおねしょ、今朝はしてなかったんだそうだ。
「そう、よかったね。」と忙しく朝食の準備に戻る。
「あのね、おねしょしない方法、秘密の方法がわかってん。」
はぁ、秘密の方法ですか。
「あのな、あのな、寝るときにな、こうやってこうやって、おしりを押さえて寝るねん。」
とアプコ、体をよじらせ、手で前と後ろをしっかり押さえて、あられもない格好をやって見せてくれた。
「うふふ、それって、ホントに効くの?」
爆笑を噛み潰して、まじめに訊いて見る。
「うん、絶対! だって、今日はおねしょ、しなかったもん!」

幼稚園から帰ってきたアプコ、体操服の洗濯物と一緒に、ナイロン袋に入ったぬれたパンツと体操ズボンを出してきた。
「ありゃりゃ、今日はお土産つきかぁ、おしっこ漏れちゃったの?」
「うん、ピアニカの練習してるときに、しゃーって出ちゃったの。だからほら、幼稚園のキティちゃんパンツ借りた。」
なんだか、アプコは借りてきた可愛いイラストつきのパンツがうれしそう。
まだまだ、お漏らししても屈託がない。
「そうか、しゃーっと出ちゃったのか。じゃ、しょうがないね。」
といっては見たけれど、ちょっと意地悪ついでに訊いてみた。
「あれれ、アプコ、今朝、おもらししない秘密の方法、見つけたんじゃなかったんだっけ?あれ、やってなかったの?」

アプコ、平然と答えました。
「だって、ピアニカやってたんだもん。両方とも、手、使ってたからできなかったよ。」
はぁ、なるほど。
・・・・じゃなくて!!


2004年11月23日(火) アユコ、神戸へ行く

休日なので、アユコ、先だってから念願の神戸行き。
加古川のおばあちゃんのお誘いで、北野の異人館街やらショッピングやら一日楽しませてもらった。
時節柄、一人で電車で行かせるのも気持ちが悪いので、こちらからはJRで中間地点の尼崎駅まで送り迎え。加古川からもわざわざ尼崎まで母が迎えに来てくれて、アユコの「おばあちゃん独り占め旅」に出かけていった。

小さい頃から比較的「無欲の人」だったアユコも、最近ようやくお年頃になったか、洋服やアクセサリー、可愛い雑貨など、女の子らしいショッピングの楽しみを覚えはじめたらしい。
ご近所のショッピングセンターの雑貨屋さんだとか、用事で出かけたときの通りすがりの文房具屋さんとか、本当にささやかなウィンドショッピングのチャンスをうきうきと楽しむようになった。
普段アユコと母が出かけるときには、もれなくアプコが付いてくるので、なかなかアユコが満足するまで街歩きを楽しむチャンスは少なく、「これ、買って」のおねだりも憚られる。
そんなアユコにとって、気前のいいおばあちゃんを独り占めにして、たっぷり都会を堪能できるチャンスは本当に嬉しいものだったに違いない。

「いいなぁ、アユコ。おばあちゃんはお母さんのお母さんなんだから、ホントだったらお母さんが一人で神戸へ行っておばあちゃんと遊んでくるのに・・・」
行きの電車の中で、何度もアユコにささやいてみる。
ホントは母だって、たまには懐かしい神戸で一日楽しく遊びたいんだい!
「えーっ、じゃ、お母さんも一緒に神戸行っちゃう?」
困った顔で何度も答えるアユコ。
ダメだよね、家族とはなれて、おばあちゃんと二人だけってのがいいんだよね。
きっとおばあちゃんだって、おばさんになって欲の深くなった娘ではなくて、買い物の楽しみや甘えんぼの喜びに目覚め始めたばかりの若い孫娘とのデートを楽しみにしてくれているに違いない。
いいよいいよ、一人で十分楽しんでおいで。

夕方、再び迎えに行った尼が崎の駅。
アユコはお土産の紙袋を大事に抱えて上気した顔で笑っていた。
ちょっと緊張していた朝とは違って、おばあちゃんのすぐ横に親しげに寄り添っているアユコ、いっぱい甘えさせてもらってきっととても楽しかったに違いない。
帰りの電車の中、「ねぇねぇ、どんなトコ行ったの?お昼、何食べた?いいもの買ってもらった?」と矢継ぎ早に質問する私に、「う〜ん。ひみつ。」とたくさん内緒ごとを作るのも、アユコは面白くてたまらないようだ。
往復一時間半のJR、2往復の送迎で一日をつぶした母としては、ちっとも面白い事はないのだけれど、アユコがキラキラといつもよりハイテンションで笑うので、これはこれでよしとする。
一日アユコに付き合って歩き回り、ずいぶん散財してくれたであろうおばあちゃんにただただ、感謝感謝。

ところで、帰宅したアユコ。
おばあちゃんに買ってもらったというチェックのブラウスを見せてくれるまえにささっと値札を取って小さくちぎって隠した。
「うちでは買ってもらったことのない値段かも・・・」
と微妙な表情。
そりゃそうでしょう、最近我が家の服飾費はぎりぎりいっぱい。一枚500円のTシャツ、1000円のジーンズが定番なんだから。
「それにしてもね、ちょっとすごいのよ。4倍ぐらいするかも・・・」
4倍?何の4倍?
・・・・やっぱりアタシもアユコに付いていけばよかったかも・・・。
お母さんだってまだまだ、お母さんん甘えんぼしたいんだよう。


2004年11月22日(月) リセット

恒例になった小学校での五年生の陶芸教室。
朝からバタバタと電動ロクロや材料の粘土などを車に積み込み、始業時間ぎりぎりに滑り込む。
三十数名を二クラス。
焼き物の種類や陶芸の歴史について短いレクチャーをして、水引きロクロでの制作を実演、そのあと手びねりによる抹茶茶碗の制作を指導する。
水引きロクロでするすると土塊が茶碗や壷に変わっていくのを見て息を呑み、冷たい粘土の感触をワイワイと楽しむ子ども達の笑顔は、毎年変わらない。
制作が始まると、父さんはテーブルを回って手伝ったり指導をしたり。にわか講師助手の私も「おばちゃ〜ん!」とあちこちから呼ばれて走り回る。
ものを作るということが、子ども達の柔らかな心にさわさわと新しい風を送り込む瞬間を見るようで楽しい。

毎年、この小学校の5年生に陶芸教室を行うようになって5,6年になる。
我が子の参観で一年ごとに成長していく子ども達の授業を見るのとは違って、毎年同じ時期の新しい5年生たちにほぼ同じ内容の講座を持たせてもらうと、クラスや学年によるカラーや子ども達の気質の変化が感じられ、なかなか面白い。
とても生真面目で教えやすいクラス。子ども達のノリがよくて、やたらハイテンションなクラス。なんとなくまとまりがなくて盛り上がりに欠けるクラス。
それは担任の先生のタイプや子ども達の質にもよるのだろうけれど、同じ年齢の子ども達にほぼ同じ内容の教材を与えても、そのクラスの持つ雰囲気や学習態度によって子ども達が習得する度合いに大きな違いが出るものだなぁと改めて実感する。
出来上がった作品の出来不出来を見ていると、個人の陶芸の技術以前にクラス全体の人の話を聞く能力、新しい事を学ぼうとする意欲、向上心のあるなしが、成功失敗の比率を大きく左右しているという事が感じられる。
教材研究や授業技術の向上のほかに、クラスの中に基本的な学習態度や学ぶ事を楽しむ雰囲気を導いていかなければならない学校の先生方の職責は重い。
大変なお仕事だなぁと思う。

それとは別に、ここ2,3年の子ども達を見ていて思うこと。
制作の途中で失敗したり、思うようにいかなくなったりしたときに、ぐしゃっとあっけなく自分の作品を壊してしまう子どもの数が増えている。
毎回子ども達に教えているのは「手びねり」という方法で拵える抹茶茶碗。あらかじめよく練り合わせた塊の土から少しづつお茶碗の形をひねり出して作り上げる方法だ。
新たに粘土を足して接いで行く方法と違って、「手びねり」だとある程度決まった大きさの作品が作りやすく、途中で粘土の中に空気の層が入ることがないので初心者にも比較的失敗が少ない。
ところが、形作りに失敗した時に、ぐしゃっとつぶしてしまうとその土は新たによく捏ね上げないとどうしても空気の層が入ってしまい、すぐに再生して使うことが出来なくなる。
「失敗したと思っても、絶対ぐちゃっとしないで救急車を呼んでね。」
と子ども達には何度も声をかけ、できるだけ手直しして最初の形を生かそうとするのだが、どうしてもクラスに一人や二人、ぐしゃっとやってしまう子が出てくる。

最初に「ぐしゃっ」の子が出たのは2年前だ。
苦心三嘆してもなかなか自分の思う形が出来ず、残り時間もあとわずかというところでイライラして「ぐしゃっ」とやってしまった。もう修正の余地もなくて、新しい粘土を渡して作り直してもらったら、ものの数分でお茶碗を作り上げ、時間内に完成させてしまった。
「きっと最初の作品は、彼の思うものではなかったのでイライラしたんでしょうね。」と当時の教頭先生が解説してくださったけれど、それまでの熱中振りといきなり「ぐしゃっ」のギャップに驚いて、なんだか解せない気持ちになった事を思い出す。
去年の5年生でも「ぐしゃっ」が数名。
どうにもこうにもうまくいかなくてというような行き詰った感じではなくて、「なんだか気に入らない」とか「いやんなっちゃった」というようなノリで、壊してしまう子も現れだした。
そして今年は、ついに一クラスでまとめて3人の「ぐしゃっ」が出た。
しかもその中には同じ子が2,3度「ぐしゃっ」を繰り返すケースも見られた。

苦心して作り上げている途中の作品を「ぐしゃっ」とやるのは、リセットに似ている。
それまでの制作過程すら恥じるように容赦なく「ぐしゃっ」とつぶして、急いで新しい土塊に戻そうとする。
「その土は空気が入っちゃったから、駄目なんだよ。」といわれて唖然とする。
しょうがないなぁと新しい粘土を貰うと、悪びれるでもなく面倒がるでもなく、さっさと新しい作品に取り掛かる。
そうして出来上がった新しい作品にすら、さほど強い思い入れや愛着を持っているようにも見られない。
そのこだわりのなさは、現代の子ども達のさらっと要領のいい生き方の志向にも似て、はぁ、こんなものかとため息をつく。

子ども達の気質の変化を、何でもかんでもゲームやネットの仕業とするのはよくないとは思うが、失敗はさっさとリセットしてしまえばまたすぐに新しいゲームが始められるという思い込みが、少なからず子ども達の思考回路に組み込まれつつある事にある種の焦りを感じる。
苦心して苦心して、やっぱりうまく纏め上げる事の出来なかった作品を「ぐしゃっ」とすればその形はなくなってしまうけれど、苦労した制作の過程は決してゼロになるわけではない。
リセットボタンを押せばゲームの画面は振り出しに戻るけれど、「ぐしゃっ」とやってしまった土は元のまっさらな土に戻るわけではない。
簡単にリセットしてゼロに出来るものと、一度ぐしゃっとやってしまうと二度と元通りにはならないものがあるということに対する気構えが希薄な子どもがじわじわと増えているのではないだろうか。

ものを作るということを通して、子ども達はたくさんの事を学ぶ。
一つのことをやり通すことの楽しみ。
苦心して一つ一つ作られたものへの愛着。
ものを作り、誰かが作ってくれたものに助けられて生きているという人間の営み。
そうした事がはっきりと子ども達の胸に刻まれるためには、
普段の生活の中で子ども達の中に、それを受け入れるだけの豊かな感情や感性の素地をしっかり構築しておかなければならないのだという事を強く感じる。


2004年11月21日(日) 彼らなりの友情

クリーングリーン作戦。
市内のあちこちのあるハイキングコースで、毎年この時期にいっせいに行われるゴミ拾いハイキング。各地区ごとに町役さんたちの先導で、ぞろぞろとゴミ袋を手に一時間あまり山道を歩き、ゴール地点で熱々のレトルトおでんを頂く。
我が家は子ども達が小さい頃からほぼ皆勤で参加している。
一番オチビのアプコは抱っこ紐の1歳児の頃から一緒に連れて行き、ベビーカーやアユコのおんぶの助けを経て、去年あたりから自力で歩いて踏破できるようになった。
毎年同じ時期に同じコースを歩くので、子ども達のそれぞれの成長振りが分かる。ついでに育ち行く子どものスピードを追うように老化していくわが身の体力の衰えも痛感したりする。

例年子ども達は全員参加で臨んできたクリーングリーン。
今年ははじめてオニイが当日ぎりぎりまで、参加を迷っていた。うっかり午後から学校の友達と遊ぶ約束を入れてしまったのだという。
今年は父さんも出張中で参加できないと聞いて、長男坊としては母と弟妹達のために参加してやらなくてはとも思うらしい。
「オニイももう中2なんだから、そろそろ自分の予定や友達を優先してもいいんだよ。『家族みんなで一緒に』ってのもそろそろ卒業かもね。」とは言ってやるのだが、心優しいオニイは家族と友情のハザマでいつまでも右往左往していたようだった。
結局、オニイは、午前中弟妹達と共にクリーングリーンに参加し、昼食を急いで食べて一人で下山、午後から自転車で友達の家に駆けつけるという強行スケジュールをとる事にした。
午前中のハイキングだけでも結構お疲れのはずなのに、タフなヤツ。
あっちにもこっちにも不義理が出来なくて忙しく立ち回る人の良さは、まるっきり父さん譲りだなぁ。

オニイの友達の一人が2学期になってほとんど登校してこない。病気なんだか家庭の事情なんだか不登校なんだか、いまいちはっきりしないのだけれど、もう一人の友達と一緒に様子を見に行くことにしたのだという。
ちょうど、彼が学校に来なくなった時期がオニイ自身の過敏性腸炎騒ぎの時期とも重なっていたので、何とか普通に学校へ行けるようになったオニイとしてはどこか放って置けない想いもあるらしい。
そのくせ「今日もKは、来なかったよ。」とたびたび言うものだから、「気になるんなら、電話でもしてみたら・・・」とけしかけてみても、結局オニイはなんだかんだと理由をつけて電話の一本すら長いこと躊躇してかけられなかったりする。
今朝も「今日Kにあったら、この間から貸しっぱなしになってるカセットテープをやっと返してもらえるよ」と言ったりするので、なんだ、Kくんに会うことにこだわるのはそのテープのためだったか・・・と、思ったりしていた。
友達が不登校になったからといって、青春ドラマのように説得に駆けつけたり、毎朝友達を迎えにいったりというような熱い友情のシーンは見られない。いまどきの少年達の友情って意外に淡白なんだなぁなんてちょっとしらけた思いでみていた。


「オニイ、その貸してるテープだけどね。
そのテープを貸してるって事で君の気持ちがK君につながっているんなら、Kくんにとってもそのテープを返さなきゃって思うことで友達や学校に気持ちがつながってるって事もあるんじゃないかなぁ。
そういうつながり方って、学校へ行けなくなってる子にとっては大事なんじゃないの?」
テープを返してもらったら、オニイとKくんのつながりの糸が切れてしまうのではないかという懸念をオニイに問うてみた。
貸したテープの回収が目的のように言われて、憤慨するかと思いきや、意外とオニイの答えは穏やかだった。
「うん、僕もそう思うねん。だから、今日また別のテープを貸してこようと思って・・・。」

やられたなと思った。
オニイがK君に会いたがるのは、貸したテープの回収のためではない。
Kくんとの糸がまだちゃんとつながっている事を確認して、更に強く結わえなおすためだったんだな。
それまで、Kくんに電話する事すらためらっていたのも、もしかしたら、学校へ来ないKくんの気持ちを想い量って、タイミングを逸していただけなのかもしれない。
熱血青春物語のようなドラマティックな展開はないけれど、彼らには彼らのささやかな友情の心遣いというのは確かにちゃんと芽吹いている。
現代の子ども達の、深く傷つけあう事を避ける淡白な友達関係のなかにも、彼らなりの心優しい思いやりはそだっていたのだなぁと心温まる思いがした。

午前中、オニイはしょっちゅう集団から外れて歩きたがるゲンを気遣い、アプコの駄々っ子を適当に聞き流しながら、弟妹をリードする長男のお役目を淡々とこなし、「じゃ、悪いけど、先、帰るわ。」と颯爽と一人で山を下っていた。
散々寄り道して後から帰宅すると、玄関にオニイの自転車はなくて、K君のうちへあわてて駆けつけていったのが分かる。
気配りの人もなかなかいそがしいねぇ。
夕方暗くなってから帰ってきたオニイの顔は、くたびれてはいるけど妙にさわやかだった。
「Kな、ちょっと見ない間に髪型が「ふかわりょう」みたいになってたわ。」と笑うオニイ。
なんで学校へ来ないのかと問うでもなく、元気出せよと励ますでもなく、ただただ普通に遊んで喋って帰ってきたらしい。
こういう淡々とした形の友情もあるのだな。
「かあさん、先に帰って悪かったね」と付け加える事が出来るようになったオニイが、今日はちょっと男に見えた。


2004年11月19日(金) 震える

また、幼い子どもの悲惨な事件のニュース。
私達の住むところから山一つ隔てた向こうの町。
車なら同じ国道を車で数十分の距離の場所。
被害にあった女の子はちょうどアプコと同じ年頃。
おまけにその子の名前はアプコの一番の仲良しさんと同じ名だ。
事件の新しい詳細が流れるたび、心が震える、胸が詰まる、いたたまれなくなる。

私にはアプコがいるから、
あのくらいの年頃の子が大人の言う事をどんなにあっさり信じてしまうかを知っている。
知らない大人と二人っきりにされたら、どんなに不安そうな顔をするかを知っている。
ちょっと転んですりむいただけでもどんなに痛がって泣くかを知っている。
毎朝、幼い子の髪を結い、「行ってらっしゃい、気をつけて」と当たり前に送り出す母親の気持ちも知っている。
子どもが怪我をしないように、寒い思いをしないように、怖い思いをしないようにと細心の注意で子ども達を見守っているのだという事も知っている。
ほんの数時間子どもが手元を離れただけで、ふっと不安になったり、物足りない想いがするかを知っている。
我が子が他人から理不尽に傷つけられたり嫌な思いをさせられたら、それがどんな些細な事でもどれほど腹が立つかを知っている。
そして、自分がおなかを痛めて生んだ子どもが、自分より先に思いがけなく逝ってしまうことの深い深い喪失感も知っている。

親がこれほど心を砕いて育て上げた子ども達を、使い捨てのおもちゃのようにいたぶって捨てる事の出来る人間が、今、この私と同じ空気を吸って生きているという事たまらなく腹立たしい。
怒りの気持ちがあまりに強くて、そしてもしも我が子だったらという恐怖の気持ちがあまりに強くて、呆然として一日を過ごす。

アプコの頬は柔らかくて、甘いにおいがする。
髪は細くてもつれやすく、さらさらと指にこぼれる。
抱き上げると意外にどっしりと重くて、まとわり付く手指や足の力が心地よい。
くだらない駄洒落で何度もケラケラ笑い、眠くなると甘えてふくれっつらをする。
走ると短いスカートの下のハム太郎パンツが丸見えで、いつまでもパタパタと幼児のような足音がする。
こんなにいとおしい大事な宝を、誰が理不尽に壊すのだ。
何の権利があって、こんな愛らしい生き物を犯すのだ。
この子らの夢に満ちた明日を、私達はどうやって鬼畜のような人間から守ってやればいいのだ。

心がざわざわと騒いで、まともに物を考えられなくなる。
ただただ、意味もなくアプコを抱き上げ、我が子らが今確かにこの手の中にいるということを何度も確認して胸をなでおろす。
犯人はまだ捕まっていない。
けれども明日もまた、子ども達はそれぞれに自転車で遊びに出かけ、どこかでそれぞれの世界を育んでいく。
いつもいつも親が付いて回って、四六時中危険や犯罪から守り続けてやることは不可能だ。
私は母として、我が子が不運な籤を引かぬように祈りながら子ども達を送り出すより仕方がないのか。
ただただ、震える。
ただただ、祈る。


2004年11月13日(土) 出さない手紙

運動会や作品展が終わって、じっくり部屋遊びが楽しめる季節になると、幼稚園の女の子達の間にお手紙のやり取りが急に流行りだす。
毎年毎年、ふしぎなぐらい同じ時期だ。
綺麗な千代紙の裏側とか、可愛いイラストの付いたレターセットの便箋とか、シールをペタペタ貼り付けた色画用紙とか、それぞれ工夫を凝らした小さなお手紙を仲良しさんにあげたり、大好きな先生に手渡したりして、お返事を待つ。
年少組の時には、いたずら描きのような絵ばかりのお手紙だったのに、年中、年長と年齢が上がるごとに、だんだん文字のお手紙になってくる。
文字の配列も不明、「てにをは」はめちゃくちゃ、鏡文字もいっぱい、そのくせハートマークや音符マークがあちこちにくっついた暗号文のようなお手紙。
さすがに貰ったほうもなかなか判読できなくて、「おかあさん、読んで!」と持ってくるのだけれど、こればっかりは母にもよく読めない。

アプコ、ひらがなは全部読めるようになった。
書くほうもぼちぼちうまくなってきた。
まだまだ、鏡文字や書き順違いも多くて読みにくいけど、幼児用のワークブックにたくさん文字を書いたり、しりとりの要領でノートに言葉を書き連ねたりするのは大好きだ。
そのくせ、つい最近までお友達への手紙にはなかなか文字を書こうとしなかった。
「だって、言いたい事は字で書かなくても、おはなしすればいいでしょ。」
確かに相手に直接手渡しする幼稚園児のお手紙には、読みにくい文字で苦労して文字を書くよりも、かわいいお絵かきお手紙で十分用は足りる。でもなぁ、それなら、わざわざお手紙にすることないじゃん。
・・・と幼児のお遊びに要らぬツッコミを入れたりする。

「おかあさん、ちょっとこれ見てよ。」
アユコが小さな紙切れを持ってきた。アプコのお気に入りのレターセットの一枚に、アプコのたどたどしい文字が並んでいる。
「いごのえきおたべたいきはえきやんでかいまほ
あなんのがすですか」(青字は鏡文字。)
アユコと二人、くすくす笑いながら苦心して判読する。
「イチゴのケーキを食べたいときはケーキ屋さんで買いましょう。さあ、何のケーキが好きですか?」
誰に宛てたお手紙なんだかしらないけれど、もしかしたらこれがアプコの初めての作文かもしれない。それにしてはどこかの英会話のテキストの例文のような作り物っぽい文章で、笑ってしまう。

ところで、せっかく苦心して書き上げたアプコのお手紙だけれど、結局翌日園に持っていくのを忘れたり、相手のお友達がお休みだったりして、出さずじまいでほったらかしになるものがとても多い。
ちゃんと相手に渡るのはほんの3割くらいではないだろうか。
うちの中で小さくたたんだ紙切れをあちこちで見かけて、「アプコ〜、これ、お手紙でしょ。持っていかないの〜?」と訊くと、「あ、それはもう要らない」とあっさりした答えが返ってくる。
鼻歌を歌いながら可愛い女の子の絵を描き、苦心しながら文字を並べ、お気に入りの封筒を選んで封をする。
相手がその文字を読もうが読むまいが、誰かのために一生懸命思いを伝える文字をつづるそのこと事自体が文字に親しみ始めたアプコにとっては快楽なのだ。
だから渡しそびれた手紙にはアプコはちっとも執着しない。
それはもうアプコにとって、「書きたい」思いの抜け殻に過ぎなかったりする。

アプコの「出さない手紙」を拾い集めて、判読してみる。
たどたどしい文章も少しづつ長くなり、あちこちに踊っていた文字の羅列が次第に上手に整列し始めている。
知らず知らずの間に、自然と上達しているんだなぁ。
書くこと自体を楽しんで続けている、遊びから学ぶ子どもの能力というのはすばらしい。

ところで。
苦心して一文字一文字書き綴り、書き終わったらもうその内容にあんまり執着しない。そして書いている最中こそが、自分にとっては一番充実している瞬間である。これって、私にとってのweb上の日記にどこか似ている。
日記を公開し始めてはや、3年近く。日々のつれづれに感じた事を独り言のようにぼそぼそと書き綴ってwebにあげる。
それは誰かに宛てた「出さない手紙」を書き溜める遊びに通じる楽しみでもある。
成長盛りのアプコにはとてもかなわないけれど、母の戯れも少しは上達しただろうか。
拾い集めて判読してみる。


2004年11月12日(金) 雨靴

昨夜から、雨。

雨降りだから早めに子ども達をださなくっちゃと気合を入れて起こす。
階下から2階の子ども部屋に向けて、オニイから順に大きな声で子どもらの名を呼ぶ。
不機嫌そうなくぐもったオニイの返事。
寝ぼけてテンションの低いアユコの返事。
一番寝起きがよくて、朝から元気なゲンの返事。
そしてアプコはたいてい返事をしない。
何度も何度もアプコの名前を呼んで、そのうち見かねたオニイだかアユコだかがしぶしぶ代返する。
「アプコー!今日は雨降りだよー!はやく起きろー!」
「雨降り」という呪文は効果テキメン。
ふにゃーとふやけた返事をして、起き出したアプコの小さな足音がする。
「雨降ってるー?」
アプコはこの間から雨降りの朝を待ちかねていたのだ。

先月、アプコに新しい長靴を買った。
ピンクと薄紫の可愛いパステルカラーの長靴。
小さい子の通園通学には長靴は必需品だが、成長に従いどんどんサイズが変わる。ないと困るが、ごくごくたまにしか使わないので、誰かのお下がりを頂いて事を足らせる事が多い。だからうちには、よちよち歩きの14.0サイズから、「長靴なんてカッコ悪〜い」と言い出す21.0あたりまでのサイズはほとんどどなたかのお古で各サイズ取り揃えておいてある。
ところがどうしたことか、今のアプコのジャストサイズ、女の子用の18.0の長靴だけが見当たらない。多分、小柄なアユコはちょうどこのくらいのサイズの時、既に長靴をはかないお年頃になっていたのだろう。
ということで、アプコにとってははじめての新しい長靴購入となったのだ。

アプコはまだまだ長靴が大好き。
新しい長靴が履きたくて何日も逆さテルテル坊主を拵えて、新しい長靴を眺めて過ごしていたのだ。
いつもならズルをして、車でビューンと送っていく登園の道を、今日はレインコートと傘の2重装備でテクテク歩く。
「おかあさ〜ん、水溜りに入っても平気だよ〜ん!」とわざわざ大きな水溜りを選んで歩くアプコ。
「あ〜ん、水溜りを歩くのはいいけどバシャバシャやって、しぶきを上げないでよ!」
隣を歩く母さんはたまらない。
ピンクの長靴、ピンクのレインコート。
「ああ、傘もピンクにすればよかったよ。」
とオネェのお古の赤い傘を廻す。
たった雨靴一足で、うっとおしい雨の朝を、こんなに晴れ晴れと楽しげに過ごせるアプコは可愛い。

カポカポと鳴る長靴の音が嬉しくて、ことさらに跳んだり跳ねたりする幼いこの子も、来春には重いランドセルを背負って、生真面目に唇を結んで登校するようになるだろうか。
その時になっても、今の楽しい気持ちをそのまんまこのピンクの長靴が思い出させてくれるといいなぁ。
母も楽しい雨の朝を一緒に過ごす事が出来て嬉しかった。
ピンクの長靴、ホントにお買い得だ。


2004年11月11日(木) 人生を問う?

今日は変な日だ。

夕食の支度をしていたら、ぼそぼそとやってきたゲンが声を潜めて訊く。
「おかあさんはお父さんのどんなところが好き?」
はぁ?なにをいきなり・・・と思ったけれど、珍しくしつこく食い下がるので、
「優しいトコ。家族思いなトコ。働き者なトコ。いい作品が作れるトコ。かっこいいトコ。それからね、お母さんのことを好きだといってくれるトコ。こんなもんでどう?」
と早口でまくし立てた。
「ふうん。」
とさほど面白くもないという顔で、訊くだけ訊いていってしまおうとするので、
「なんだいなんだい。急に変な質問をして、一生懸命答えてやったのに返事は『ふうん』だけ?
なんかちょっとコメントしていきなさいよ。だいたい、何でそんなこと急に今頃訊くの?」
「べつに・・・・。ただ、なんでかなぁと思って。」
「それだけ?・・・ははぁん、わかった、ゲン、恋をしてるな?誰か好きな女の子、いるの?」
とからかってみたら、意外や意外。
「いないこともないけど・・・。」
と妙に真剣な答えが返ってきて、意表を付かれた。
女の子なんて、すぐ泣くし昆虫は怖がるし煩いし、興味ないぜぃ!というスタンスを崩した事のなかったゲン。
ほほう、そろそろ色気づいてきたかい?

・・・・で、しばらくしたら、おずおずと近づいてきたオニイが訊いた。
「な、おかあさんの生きがいって何?」
はぁ、なにをいきなり・・・再び。
「かわいい子ども達の成長よ」と即答したら、
「ぼく、まじめに訊いてるんだけど・・・」とむっとしたようなオニイの答え。
「なによ、それ。お母さんだって大真面目に答えてるよ。子育てが生きがいではいけませんか?」
「だ、ダメって事ないけどさ・・・」
とオニイの反応も、いまいち切れが悪い。
なんだかまた、想うことがあるのだろうなぁ。
「なんなの、なんなの、青年!またなんか悩み事ですか?」
「いやぁ、べつに」
と早々に話を切り上げるところを見ると、まだまだ母には打ち明けたくないのだなぁ。

一日に2度も子どもから、人生を問われて、母も少々もの思う。
あたしってば、何のために生きてんの?
あたしの人生、これでいいの?
そんな事を思う暇なく、毎日、お洗濯を干し、キャベツを刻み、掃除機をかける。その一つ一つの意味をいちいち問う事はしないけれど、別の人生を選べばよかったとか今の生活を放り出して飛び立ってみたいとか、そういう後悔や衝動には縁がない。
41歳。ぬるい湯につかったようなゆるゆると穏やかな今の生活が私には大事。それで、いい。

子ども達が突然、突拍子もない問いを投げるのは、決まって何かに迷って道を失いそうな時か、自分自身の高ぶる気持ちを母に聞いてもらいたいときだ。そしてその時、彼らが求めている答えは母の中途半端な人生観ではなく、彼自身の迷いや衝動を導き暖めてくれる言葉なのだ。
でもその答えは母の口から簡単に投げて与える事の出来ない、彼自身の答え。自分で迷って導き出すしかしょうがない事なんだ。
だからこそ、彼らの問いには少しのユーモアを交えて、できるだけポジティブな答えを選んでやりたいといつも思う。
「おかあさんはどう思うの?」と問われた時、私が与えられるのは正しい模範解答ではなく、応用できるかどうかも怪しい例題の解き方のヒントに過ぎないのだ。

オニイ、「なんかまた、調子悪いわ。」と体調不良の予感。
きっとまた新たな悩みがあるのだろう。
ポツリポツリとにきびの出始めた少年の顔には、青春の苦い戦いの始まりの色が浮かぶ。
頑張れよ、オニイ。
頑張って、明るく迷え。


2004年11月09日(火) 茶色いご飯

TVで「食育」に関する番組を見た。
全国の小学校の給食を試食して歩いているという研究者が、学校給食を通じて見られる子ども達の食の好みの変化について述べておられた。
両親の共働きや外食産業の普及で、子ども達は食べなれたハンバーグやから揚げの味を好み、酢の物や煮物など伝統的な家庭のお惣菜メニューを敬遠しがちだという。
子どものハンバーグ好きも、酢の物嫌いも今に始まった事ではないとも思うが、都会の小学校と田舎の小さな小学校の給食風景を取材して、その食生活の違いを述べておられたのは面白かった。

都会の小学校は生徒数も多い大所帯。
取材の日のメニューはハンバーグだった。
嬉しげにパクパク食べる子ども達に混じって、子どもたちに人気のはずのハンバーグすらお箸でつついて食べようとしない子がいる。好きなメニューでも家庭と調理法が違うと食べられない子もいるのだそうだ。
子どもらの嫌いなお惣菜メニューの日は大量の残飯が出るのだという。
給食室の中は衛生上の理由で、関係者以外立ち入り不可。
大量の食材が一度にワッと調理されているのをガラス越しに撮影していた。春巻きなどの出来合いの半調理品のメニューも利用されていて、人気が高いのだそうだ。
かたや生徒数100人あまりの田舎の小学校。
近所のおじいさんが地元で取れた無農薬の野菜を軽トラックで運びこんでくる。二人の調理員さんが具材を手で混ぜてきのこご飯を作っていた。
田舎の子達は家庭でも煮物や酢の物など、昔ながらの惣菜を食べなれているので、そういうメニューでも比較的残飯も少ないという。
給食のおばさんたちはいつも必ず子どもたちと一緒に給食を食べ、子ども達の好みや食べっぷりを絶えずリサーチしているという。

取材当日のメニュー選択といい、給食室の取材の仕方の違いといい、いかにも作られた比較という感じがして、ちょっとあざとい気もしたが、子ども達の食の好みが家庭で日常食べている物の中から作られていくということには納得がいった。
子ども達は確かに食べなれた味のものを好むし、レトルトや冷凍食品など日本全国共通のお味のメニューは口当たりもよく人気がある。核家族が増え、お子様中心の食卓に、お手軽便利な出来合いメニューがのぼる事も多くなった。
でも、そのことが未来の日本人の食生活の形を大きく変えていくことにつながっていくのだということに改めて気付かされ、愕然とする。

番組に触発された訳でもないけれど、純和食のお惣菜メニュー。
アジの塩焼きに、水菜の煮びたし、豚汁に高野豆腐。
こういうメニューを子ども達はいつも「茶色いご飯」という。
ボリュームのあるファミレスメニューのように「わ、おいしそう!」と飛びつく事はないけれど、年齢を重ねるに連れて自分からお箸をすすめてよく食べるようになってきた。小さい頃から野菜嫌いで偏食の多いオニイでさえ、ずいぶん食のレパートリーが増え、茶色いご飯の時にも「お子様向け」の一皿を追加する必要がなくなってきた。
子ども達に人気のメニューとか、お手軽簡単食べやすい食材に流れるばかりでなく、どこかで我が家の食卓のルールを長年維持していくという事が大事なのだなぁと思う。

6尾の小ぶりなアジは特売にひかれて買い込んだもの。
丸ごとパック詰めされたアジをさばくのが面倒でぐずぐずしていたら、アユコが「私がやる!」と手を上げてくれた。エラとぜいごをとって、ハラワタを抜いてきれいに洗う。最初に1尾手本を見せたら、残りの5匹はきれいにさばいてくれた。
食卓に上った塩焼きを「今日はアユコがさばいてくれたよ。」とすすめると、ほかの子ども達も妙に神妙な顔をして、いつもより慎重に小骨の多い部分の身まできれいにより分けて食べてくれた。
調理する人の心意気というものは、そのまま食卓に着く人の食欲にも通じるのだという事を実感する。
近頃、お料理に目覚めて、「レトルトじゃないほうのミートスパゲッティーが食べたいよ」なんて生意気な指定をするようになったアユコの言動に触発されて、また今日も「食べる」という事に対する主婦の手綱をぎゅっと引き締められた思いがする。

今日もまた勉強させていただきました。


2004年11月08日(月) 幼い子を抱く

阿倍野近鉄で、うちの窯の展覧会、会期中。
参観の代休のゲンとアユコを連れて、出かける。
昔から、うちの窯の展覧会が近くで開かれるときには、必ず全員そろって出かけていたのだが、今年はいろいろな予定が入って、土曜日にオニイ、アプコ、月曜日にゲンとアユコの分散型で会場に入ることになった。

子ども達が幼い頃には、静かな展覧会場に場違いな子ども達を連れていくのは本当に疲労困憊の大仕事だった。ベビーカーだの抱っこ紐だのを駆使して、子どもらがぐずったり走り回ったりしないように目を光らせて、退屈しのぎに同じデパート内のおもちゃ売り場や本屋を何時間も徘徊したりして、なんとかかんとか時間をつぶす。
それでも子ども達に父さんやおじいちゃん達の仕事の一端を見ておいて貰いたいと、できるだけ展覧会場には顔を出スようにしていた。
子どもらも大きくなって、会場で大声を出したり走り回ったりする心配もなくなり、「どの作品が好き?」程度の感想も聞けるようになり、ずいぶん楽になってきたなぁと実感する。

今日は会場に義妹のTちゃんが、娘のYちゃんを連れてきてくれた。
子ども達がいとこのYちゃんに会うのはずいぶん久しぶり。身近に赤ちゃんを見ることすら少なくなったので、こわごわほっぺをつついてみたり、「抱っこしてみたらだめかなぁ」と手を出してみたり・・・。
差し出されたポケットティッシュの袋をパタンと落としてキャッと笑う様子が可愛くて、ゲンは何度も何度も根気よく袋を拾う。
「かわいいなぁ」と何度も繰り返すので、「うちももう一人、赤ちゃん要る?」と訊いたら、速攻で「要らん!」とかえってきた。アユコも「30分くらいなら、預かってもいいけど・・・」と、笑う。
なんだいなんだい。子育ての終わったおばさんみたいなコメントだねぇ。
ちょうどお客様の途切れた父さんがやってきて、「これはこれは・・・」とYちゃんを抱いたけど、「父さん、もう一人、どう?」と訊くと、やっぱり「とんでもない、勘弁して。」と、即答。
ふむふむ、4人兄弟の育児は、そんなに大変でしたか。

それはともかく、Yちゃんのような小さな赤ちゃんを連れて、展覧会場のような気の張るところへ出かけるのは大変だなぁと改めて思う。
Tちゃんも、ベビーカーにいろいろ気晴らしのおもちゃをくっつけ、マグマグやふわふわせんべいを携帯し、ぐずったり泣いたりしないように絶えず気を配りながら、それでもにこにことやさしいお母さんの顔をしている。
若いなぁ。現役ママというのはこんなにいろいろ気を使いながらも、楽しげに赤ちゃんとの外出を楽しむパワーがある。
私だって、昔は就園前のちびっ子たちを3人引き連れて電車に乗る事も平気だったけれど、子ども達がある程度育った今、ずぼらになれたおばさんの体力ではとても無理。アユコの言うとおり、30分が限界かもしれない。
ぐずり始めたYちゃんをヒョイと抱えて揺らす若いTちゃんの目には、それでも「Yちゃんのお母さん」の貫禄も出てきて、いいお母さんになってるんだなぁと微笑ましい。

帰りの電車の中でも、ベビーカーに子どもを乗せたお母さんを見かけた。
Yちゃんと遊んで、小さい赤ちゃんの面白さに目覚めたゲンがやけに熱心にその赤ちゃんを眺めている。外出からの帰りで、どうやらオネムらしい赤ちゃんは、ぐずぐず泣いてお母さんを困らせる。お母さんが小さなおもちゃやハンカチを持たせると、ブンと投げては拾わせて遊ぶ。
「Yちゃんといっしょやね。」
ゲンには赤ちゃんの一見無意味なその遊びが、面白いらしい。
「あんただって、小さいときには飽きるほどやったよ。」
と笑う。オニイもアユコもゲンもアプコも、みんなああいう時期を越えて大きくなったんだ。

何度も何度も我が子がやみくもに投げた物を拾っては渡す。
そんな一見無意味なことを毎日毎日繰り返す。
幼い子どもを育てるというのは、そういう作業の繰り返し。
子ども達が少し大きくなった今だっておんなじ。
子ども達が投げるボールの行方をハラハラしながらそっと見てる。
失敗したら、よそ向いてる振りをしながら新しいボールを拾ってやる。
そんな風にして子育ての日々は積み上げられていくのだなぁ。

小さいYちゃんを抱いたときの、暖かく柔らかな重みの感覚がいつまでも手の中に残って、なんだかとても幸せだった。


2004年11月06日(土) 母も小学生

小学校。
朝2時間の授業参観のあと、PTAのメインイベントの一つが無事行われた。
役員さんたちが長い時間をかけてこつこつと準備を重ねてきた大きな行事が、滞りなく楽しく終了して、まずは何よりである。
私も今日は、朝からあちこちのお手伝いに走り回り、最後には有志のメンバーで活動している和太鼓の演奏披露にも参加させていただいて、忙しくも楽しい一日を過ごさせていただいた。

子ども達がこの小学校にお世話になって、ずいぶんな年数になる。
PTAの大役も頂いたりして、お母さん友達や顔なじみの先生方も増えた。「やぁ」と挨拶を交わしたり、「ねぇねぇ、聞いた?」とおしゃべりしたりする人たちが、ずいぶん増えたなぁと行事のたびに思う。
外で働く訳でもなく工房や家庭内で過ごす事の多い専業主婦の私にとって、子ども達を通じてお付き合いさせていただく小学校での友人や先生方との交遊は、貴重な存在である。
「大役が当たって参った。」「また、Pの用事で出勤よ。」なんて愚痴をいったりしながらも、役員仲間のお母さんたちや顔見知りの先生方と話をしたり、「おばちゃ〜ん!」と寄ってきてくれる子ども達に手を振って応えたりすることが結構楽しくなってきている自分に気付く。
学校は毎日通学している子どもらにとってだけではなく、時折訪れるだけの母にとっても、いろんな人と出会ったり、新しい事を経験したり、たくさんの生活のヒントを与えていただいたりする学びの場なのだなぁと思う。

去年から、アユコの担任の先生の指導で始まったお母さんたちの和太鼓の稽古。
今日、全校児童の前で披露の晴れ舞台の機会を頂いた。
母という立場も忘れ、学生のクラブ活動のようなにぎやかさで行う楽しい練習。ドンドンとおなかに響く和太鼓の音。普段の生活では決して味わう事のない気持ちのよい緊張感。
「今日は太鼓の稽古があるよ!」という日には、さっさと面倒な家事をやっつけ、少々のストレスも心地よい汗と共にさっぱりと洗い流して、楽しい時間を過ごさせていただく。
来春、和太鼓のメンバーの多くは子ども達が卒業して、小学校とは縁が切れる。「子どもらが卒業しても、太鼓だけはOBで参加したいわ。」の声が上がる。
学校というところは在学する子ども達だけではなく、その母達にとっても大事なコミュニティーの一つであったりもするのだなと思う。

来春、アユコが小学校卒業、アプコが入学。
母は小学9年生になる。
有難い事に、この小学校とのお付き合いは我が家にはあと6年もある。


2004年11月04日(木) 蛙、食べる?

大阪の三越がなくなるというニュースが、少し前に流れた。
古くから、うちの窯では、東京と大阪、二つの三越で一年交代で大きな展示会を務めさせていただいてきた。
共に閉鎖になる枚方三越も、その昔、開店に当たって義父がいろいろとお手伝いして道筋をつけたというご縁の深い百貨店である。
数年後の新店舗開店見通しがあるとは言うものの、あの古めかしい造りの古風な百貨店が全く姿を消してしまうのにはさびしさを感じる。

実を言うと私と夫は「お見合い結婚」である。
十数年前、初めて二人を引き合わせていただいたのが、実はこの大阪三越だった。
ちょうど開かれていた恒例の展示会の会期に合わせて、上階の「特別食堂」に見合いの席が持たれ、お仲人や二人の両親と共に松花堂弁当をいただきながらのご対面だった。
震災後、店舗の規模は半減し、特別食堂もなくなってしまったが、「あとは若いお二人におまかせして・・・」の後で、改めてはじめましての会話を交わした小さなティールームは、今もまだおっとりと健在のようだ。
それもまた来春には、なくなってしまうのかと思うと、なんともいえないさびしい気持ちになる。

新進の作家として独自の世界を作り上げつつあったその人と教職3年目で仕事が面白くて仕方のない生意気盛りの私。年齢も10も離れて、共通の話題をほとんどない二人が面と向かって、どんな話をしたのだろう。
ちょうどサンルームになっていた明るいティールームの白いテーブルクロスの模様を指でたどったりしながら見上げた人はニコニコと穏やかに笑っていたけれど、初対面の男性と二人で何を話していいのか分からずに、あたふたと話題を探していたのを思い出す。
そのときの話題の詳細はほとんど忘れてしまったけれど、たった一つ、いまだに「あれは変だったよね。」と父さんと笑い話にしている話題がある。
「蛙、食べた事ありますか?」
私がいきなり切り出した突飛な問いに、真正直に答えを探すその人の慌てぶりが好印象で、ふっと肩の力が抜けた気がした。

私がそんな妙な質問を切り出したのには、その数年前、友達といった中国へのパック旅行の一幕があった。二組に分かれて円卓を囲んだ昼食の席にあたらしい一皿が加わったとき、同席した人たちが悲鳴とも歓声とも付かない声を上げた。
お皿いっぱいに盛り上げられた食用蛙の炒め物。
皿の中を気味悪そうに遠巻きに見るご婦人達。そんな中で、私が同席したテーブルでは「珍しいものはとにかく食べてみなくっちゃ」とリードしてくださる男性がいて、皆は恐る恐るてんこ盛りの中から「平泳ぎの足」を少しづつ取り皿にとった。初めて食べた蛙は意外にも鶏肉にも似た淡白なお味で、さっきまで気味悪がっていた同席者達も次々にお替りをして、あっという間にお皿は空になった。
一方、もう一つの円卓では、「気持ちが悪い」と料理に手をつけられない方がいて、ほかのお皿はみんなきれいに空になっているのに、最後までてんこ盛りの「平泳ぎ」のお皿には手をつけられなかった。
同席者の好みしだいで、新しい食材との出会いを心から楽しめるかどうかが、大きく違ってくるという事を痛感した出来事だった。

人生の伴侶を選ぶにあたって、新しい物と向かい合ったとき、その状況を面白がって一緒に楽しむ事ができる鷹揚さを持ち合わせた人を選びたい。
その頃の私の生意気な判断基準だった。
「特別、変わった食材を求めようとは思わないけれど、きっと僕も食べると思いますね。」と共感してくれたその人は、第一関門通過だなと感じられた。
梅田に出て、古書街をぶらぶらして、なんだか自動車を作る男性が主人公のちっともロマンティックではないアメリカ映画を見て、お茶を飲んで帰った。ちっともお見合いらしくない、普通のデートコースのような半日だった。
「夕食もとらずに帰ってくるなんて、きっと断りの電話が入るに違いないわ。」と母やお仲人さんは話していたけれど、そのときの私はちっともそれでおしまいという風には思えなかった。
結果として、その人は今、私の伴侶となった。

あれから15年余り。
私と父さんはいまだに一緒に蛙料理の一皿を食する機会には恵まれていない。けれども実生活の中では、山盛りの蛙料理のようなビックリの一皿にも似た経験を何度も何度も出会わせて頂いた。
「それもまたおもしろいね。」と一緒に笑うことの出来る人でよかった。
文字通り泥まみれで新しい仕事に取り組んでいく父さんと日々成長していく子どもらに囲まれて、我が家の歴史もまた新しいページを加えていく。
11月4日。
結婚記念日。
外出先の父さんから珍しくメールが入った。
「ありがとう」
いいえ、こちらこそ。


2004年11月01日(月) 傘の顛末

今日もはっきりしない天気。
ベランダに干したバスタオルも、なかなかすっきりと乾かない。
生乾きの洗濯物が部屋のあちこちにたまってうっとおしい。
アプコはこの間雨で流れた遠足のリベンジ。
延期のために、行き先が梅小路の機関車見物から海遊館に変更になったので、大喜びで出かけていった。

昼過ぎ、小学校の保健室から電話。
ゲンが遊びの時間に、運動場の雲梯から転落して、頬と腰に怪我をしたという。
最近、ゲンは雲梯にぶら下がって遊ぶのではなく、はしご渡りのように雲梯の上を歩けるようになったと得意げに話していた。今日も多分、それをやっていて転落したのだろう。
保健の先生は心配して電話してくださったようだが、どうやら打ち身だけで済んでいるようだし、本人も授業が終わったら歩いて帰れるといっているらしいので、迎えには行かないことにする。
怖がりで慎重派の我が家の子ども達には、遊具遊び中の事故で怪我なんてめったに起こらない。たまにこういう事故があるのはゲンと決まっている。
痛い目をしたゲンには悪いが、「やっぱりゲンだねぇ。」とニヤニヤしてしまう。
思いがけないところで、思いがけない災難を拾ってくる。
これこそ、野生児ゲンのゲンたる由縁。
帰宅したゲンは大きな腰に大きなシップを貼っていただいて、大仰に痛がってみたり、平気そうな顔をしてみたり。
「男の子だなぁ」となんとなく楽しい。

ところで昨日のオニイの傘の顛末。
休日の間、学校に放置したままになっている2本の新しい傘。
今日は雨も降っていないし、きっとまたもって帰ってこないよといっていたら、はたして、けろっと忘れて帰ってきた。
「あれだけ言ってもやっぱり懲りてないんだよねぇ。」
「多分明日も忘れると思うなぁ。」
と皮肉たっぷりに、オニイをからかう。
「ごめん、明日は絶対!」
と繰り返すオニイ。
それじゃあということで、オニイに賭けを提案する。
明日、オニイが2本の傘を忘れずに持ち帰ったら、父と母から150円ずつ、昨日の傘代としてオニイにやる。
もしも忘れたら、来月の小遣いから300円、オニイが父母に支払う。
「おう、よっしゃー!」
と承知したオニイ。

昨日の出費の救済策として賭けを提案した親心、ちゃんと汲んでおくれよ。


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