月の輪通信 日々の想い
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2004年07月31日(土) 西瓜大好き

今シーズン、お初の西瓜。
先週、生協で頼んでおいたものが昨日届いた。
我が家では、ゲンが西瓜大好き。
「西瓜、頼んどいたよ」と教えてから、なんとなくわくわくと楽しみにしているのがよく判った。
たかが西瓜で単純なヤツやなぁ。
その素直さが可愛くもあるのだけれど・・・

今朝、アユコに包丁を任せ、大きな丸のままの西瓜を切ってもらう。
さすがの包丁名人のアユコにとっても大きな西瓜はちょっと手ごわい。
ヘタの部分に最初の包丁を入れると、ぴりぴりっと皮の裂ける音がして、赤い果汁がじわりとあふれる。
甘い香りが広がって、子どもたちの顔にも笑顔があふれる。
最初の一切れを、先日、入院した義父のために切り分けて、お弁当箱に詰める。
大病というわけではないので、西瓜好きの義父もきっと笑って食べてくださるだろう。

「大きな丸のままの西瓜を買う」
なんだか幸せだなぁと思う。
実家の父も大の西瓜好き。
夏の休日の夕刻には、よく家族で西瓜の買出しに行った。
大きな段ボール箱に2,3個入った西瓜をドンと箱買い。
よくもこれだけ食べるわなぁと呆れながら、父も私も弟たちも飽きもせずたくさん西瓜を食べた。
そういえばあの頃、育ち盛りの弟たちを含めて6人家族が食べる食料品の量は尋常ではなかっただろう。
今の我が家よりもさらに数倍多かったかもしれない。
休日の夕方には、よく父が車で食料品の買出しに付き合っていた。
大きな西瓜の箱をドンと車のトランクに積み込む時、父の胸には、
「家族を食わせてやってるぞ!」という実感がぐんと迫って来たに違いない。
日々膨らんでいくエンゲル係数は頭の痛い問題だけれど、それだけの食料品を平らげる若いエネルギーをはぐくんでいるという実感は親にとっては嬉しいものだと私は思う。

昔、アユコがおなかの中に居た頃、私は切迫早産で一週間入院した。
まだ一人っ子だった一歳半のオニイを父さんやおばあちゃんに預け、産婦人科の病室でただただ安静。
なんだかとっても心細くて、悲しくて、なんだかへこんでばかりの入院生活だった。
そんな日の夕刻、病室のクーラーの風に飽きて、がらがらと窓を開けた。
向かいのスーパーから三々五々出てくるサンダル履きの買い物客。
その日は特売があったのか、大きな丸っぽの西瓜をぶら下げてふらふら歩いてくる人が目立った。
「家族のために丸っぽ大きな西瓜を買う」
その頃、我が家はまだ小さな幼児を含めた3人家族。
いつもスーパーで切り身になった四半分の西瓜を買っていた。
おなかの中でがんばっている小さな赤ちゃんを含めても、まだまだ一家で丸っぽの西瓜を消化できるようになる日は遠いだろう。
それでも、いつの日か、食べ盛りの子どもらのために丸ごと一個の西瓜を買える幸せを味わえるようになりますように。
その為には、まずはお腹の中で早産の危機にさらされている我が子を、なんとしても無事に家族として迎えてやらなければ・・・。
じわりと浮かんできた涙は悲しい涙ではなく、ほのぼのと嬉しい決意の涙だった。

念願の6人家族になって、今では我が家も丸っぽの西瓜を難なく完食できるだけの人員はそろった。
唯一西瓜嫌いでまるっきり口をつけないオニイの存在は計算外だったが、それでもオニイの分までぺろりと平らげる無類の西瓜好きのゲンもいる。
ざくざくと船形にきった西瓜を黙々と食べる。
西瓜の果汁で頬もあごもびちゃびちゃにして、赤い果肉にむしゃぶりつくゲンの嬉しそうな顔は本当に可笑しい。
ホントに野生児だなぁと思う。

ところでこの野生児、決定的な弱点がある。
外食したり、大好きなものを楽しくおなかいっぱい食べたりした後、「うっ」と口を押さえてトイレへ駆け込む。
興奮のあまり、せっかくたらふく食べた大好物を消化しきれずに、トイレできれいさっぱり吐いてしまうのだ。
今夜はオニイ特製のハヤシライスをおなかいっぱい食べた後の西瓜だった。
予想はしていたことだが、果たして、3切れ目の西瓜を平らげた直後にゲンは突然姿を消した。
「あーあ、もったいない、そんなに無理してたべなくても。」
と、みんなのブーイングにあう。
あんなに楽しんで食べた西瓜が彼の消化器官にとどまったのは、わずかに数分。本当に口惜しいのはゲン自身に違いない。
悔しさに目をウルウルさせて、一人ぼそぼそと後始末をするゲン。
なんだか可愛い。
いいよいいよ、ゲン。
吐くまで食べちゃう大好物があるって、幸せなことだよ。
そんな君に食べてもらえて、西瓜冥利に尽きるよ。
残りは冷蔵庫に置いとくから、明日食べな。

丸っぽ一個の西瓜を買う幸せ。
今、確かにそれはここにある。


2004年07月30日(金) そっと見守る

けだるい昼下がり。
TVの部屋で皆ががごろごろしていると、ダイニングの食卓のほうでかすかな音がする。
フローリングの床を引っかくような小さな小さな音。
「あ、来たよ、来たよ」
「しーっ、動かないでね。」
アプコが抜き足差し足で覗きにくる。
「えーっ?どうしたん、どうしたん?」
外から帰ってきたゲンが、大きな声を出す。
「あーあ、行っちゃった。だめよ、大きな声をだしちゃぁ。」
アプコ、プンプン、怒る。

春頃から我が家のダイニングの掃きだし窓から、時折スズメが入ってくる。
はじめは、窓のサッシに落ち込んだ食べこぼしの米粒を拾いにおそるおそる首だけ突っ込んでいたのが、だんだん遠慮がちに部屋の中まで入ってくるようになった。
二つ三つ、米粒をついばむと慌てて、もと来た道をちょんちょんと跳ねて戻っていく。
しばらくすると、またおんなじ(多分)スズメが、ちょんちょんと跳ねてくる。今度はさっきより少し大胆に距離を伸ばして、えさをついばむ。
最近では部屋の真ん中にあるアプコのいすの下あたりまで、冒険してくるつわものもいる。
アプコの食べこぼしにつられて、「まだ、大丈夫かな。もうちょっと入ってみようかな。」と周りをきょろきょろしながら侵入の距離を伸ばしていくのが面白くて、ついつい「しーっ!」と声を潜めて小さな冒険者たちの動きを見守る。

途中でわっと驚かしてしまうと、スズメたちはパニックに陥り、ばたばたと飛び立って、もと来た道を忘れてしまう。
慌てて飛び立ったスズメが壁や窓にぶつかったりしてはかわいそうなので、たまに侵入者の姿を見つけても騒がずに、スズメたちが自分で窓の隙間から出て行くのをそっと見守る。
それがなんとなく我が家の子どもたちの暗黙のルールとなっている。

そういえばアプコとの登園の道のり。
時々、アプコがぎゅっと私の手を引いて歩みを止めさせることがある。
その視線の先には、道路に落ちた木の実だか何だかをついばみに降りてきた小鳥の姿。
「いま、ご飯食べてるから、ちょっと待って!」
アプコは必死の形相で言うけれど、野生の鳥たちの聴覚は敏感で、人の気配を察するとあっという間に飛び立って行ってしまう。
「びっくりさしたら、あかんやん。」
やっぱりプンプン怒るアプコは可愛い。

ポツポツとPCに向かっていたら、すぐ後ろの座敷机で宿題をしていたアユコがピッピッと私の服のすそを引っ張った。
「見てみて」というように、同じ机の反対側で熱心に遊んでいるアプコを指差す。
アプコは机の上一面にたくさんの立方体の積み木を並べ、小さな指人形たちの家をこしらえて遊んでいる。積み木の箱のふたで屋根をつけたり、食卓に見立てた積み木に人形を座らせたりして、なにやらとても熱心だ。
ぶつぶつ独り言を言ったり、人形をプイプイと歩かせたり、アプコが豊かなファンタジーの世界にどっぷりと浸かって楽しんでいるのがよくわかる。
その熱心な表情は、あまりに大真面目で笑えるのだけれど、でも、ちょっとでも誰かが声をかけたりしたら、アプコは照れ隠しにざざっと夢のおうちをつぶしてしまうかもしれない。
そんなアプコの様子を、母と同じ視線で「可愛いな。」と思えるアユコ。
アプコのファンタジーを邪魔しないように、「おかあさん、おかあさん」とそっと私に知らせてくれる、そんなアユコのお姉さんぶりもまた可愛い。

一人で見つけてきた古い板をギーコギーコとのこぎりで切ることに熱中しているゲン。
寝食を忘れて文庫本の推理小説を熱心に読みふけるオニイ。
木の葉の間から零れ落ちる朝日をうっとりと手を伸ばしてつかもうとするアユコ。
そして、少年のような素直さでただただ土を練ることの熱中する父さん。
人にはそれぞれ、声をかけずにそっと放っておいて欲しい至福の瞬間がある。
「しーっ、びっくりさせちゃだめ。」
と誰かのその「瞬間」をそっと見守るやさしい視線。
そういう穏やかな時間を愛する気持ちが、家族の中に確かに育っているということが、ほのかに嬉しい。


2004年07月26日(月) ルールなんて・・・

アプコ連日、プール三昧。
神社のところに「若宮プール」という小さなプールがあり、村の人たちの好意で夏の前半毎日、低学年の子や幼児を対象に無料で開放されている。
プール当番は、低学年の子の親たちが交代で務める。
数日に一回、きちんと水を抜いてお掃除もしてくださるので、水もきれいで気持ちがいい。
我が家の子どもたちも、小さい頃、このプールをフルに活用させていただいた。
軽自動車に海パン水着着用の子どもらと浮き輪を詰め込み、ぶんぶん飛ばしてプールへ運ぶ。後は灼熱のプールサイドで子どもらの歓声を聞き、ひたすら時間をつぶす。意地のように皆勤にこのプールへ通う夏の日課もはや10年。
母もよくがんばった。

このプールに入るのは、もううちの家ではアプコ一人になった。
幼稚園友達のKちゃんと一緒に、毎日楽しげに水遊びを楽しむ。
浮き輪でぷかぷか浮いて見たり、バタ足で派手な水しぶきを上げてみたり。
ちょうど友達との水遊びが一番楽しい年頃。
母は、Kちゃん母とプールサイドの小さな木陰を見つけてプール番。
Kちゃん母も上のお姉ちゃんたちからかなり年数を空けてKちゃんを産んだので、幼稚園児の母としてはちょっと歳食い。
ごつい体格でガハハと笑う豪快で楽しいおばちゃんだ。
今年のプール番は、Kちゃん母との楽しい井戸端会議のおまけつきになった。

ここのプールでは、30分に一度、子どもたちを全員プールサイドに上げて、10分間の休憩時間をとる。
当番のおばちゃんがピリピリピリと笛を吹くと、楽しく遊んでいる子どもたちはしぶしぶあがってきてプールサイドで甲羅干しをする。
うちの子達は小さい頃、この短い休憩時間を「ワニさんタイム」と呼んだ。
「休憩時間にはちゃんと水からあがっていないと、水の中からワニさんがやってきて食べられちゃうぞ」
そういって、水から離れがたい幼い子たちをプールサイドに上げる。
少し大きくなって、「ワニなんか居るもんか」と理解するようになっても、ピリピリ笛が鳴ると、「ワニがくるぞ!」と今度は弟妹たちを水からあげる。
「若宮プールのワニ」は、近くの山の「大男の洞窟」と共に、我が家の子どもたちの幼い日の楽しいファンタジーとして、語り継がれている。

楽しい水遊びを中断して、灼熱のプールサイドで時間をつぶす10分間の休憩時間は、ほかの子どもたちにとってもじりじりとじれったい待ち時間。
特に小学生の子どもたちはついついプールサイドまで上がらずに、プールのふちに足をかけて、足先を水に浸して、次の笛の音を待つ。
「ちゃんと水からあがりなさいよ」
当番のお母さんたちが、注意して回っても、ついついピチャピチャと水しぶきを上げてみたり、プールのふちのもう一つ下の段に腰掛けてひざまで水に浸したり・・・。微妙なルール違反を楽しむ。
当番の方も、毎日人が変わるので、少しくらいのルール違反ならお目こぼしする人も居れば、ちょっと水面に触れただけでも「こら!ちゃんとあがらないとプールに入れないよ!」と厳しく注意する人も居る。
子どもたちもその辺の事情をよく知っていて、当番のおばちゃんの顔を見ながらちびりちびりと休憩時間のルールをごまかす。
浮き輪を人のいない水面にわざと投げて取りに行く振りをして水に入ったり、友達とふざけあって水に落ちたふうを装ったり。
当番のおばちゃんが「今日は甘い」と察すると、どんどんルール違反がエスカレートしていく。
「ちゃんと、あがらなきゃだめよねぇ。」
幼稚園児や保護者同伴の幼児のほうが、生真面目にルールを守って小学生たちのふざけっこを怪訝そうに見ている。
「ほんとにねぇ、だめだねぇ。」
といいつつ、当番でもないのであえて声はかけずに放って置く。

「なんか、ああいうのはイライラするよね。」
とKちゃん母。
別に格別危険だとか、犯罪だとか言うわけでもない。
ごくごく些細なかわいらしいルール違反。
当番の人も、さほど目くじらを立てることもないかと思う人も多いようで、特に注意しないでいると、子どもたちは少しずつボーダーラインを緩めていく。
そのだらだら崩れて行く感じが、実は私もあまり好きではない。
「ああいう微妙なルール違反をする子って言うのは、大概決まっているよね。
きちんとルールを守らないと落ち着かない子っていうのは、もうこの年頃から絶対、ああいうルール違反はしないしね。」
お互い、生真面目系の子どもたちを育てているKちゃん母と妙に意気投合。
「うちの子だったら、『ゴン、ゴン、ゴン』ってゲンコツ落として『馬鹿もん!』だけどね。」
と笑う。

携帯電話片手に運転するヤツとか、自分のゴミをヒョイとポイ捨てするヤツとか、微妙なルール違反をあんまり悪気もなくやってる大人って、こんなふうなところから育っていくのかもしれないなぁ。
自分のやってることが、それほど誰かの迷惑になってる感じもしない。
「自分だけはいいじゃん。」とか、「誰も叱らないから、このぐらいはいいよね。」とか、自分で微妙にルールを緩めて涼しい顔をしている。
そういうのって、本人にとっては結構「生き易い」のかなぁと思ったりもするが、たとえば我が子がそういう種類の大人に育っていくのはちょっと嫌だなとも思う。
「決して赤信号は渡らない」というオニイは、潔癖すぎて疲れるだろうが、
小さなルール違反でもやってみるとチクリと胸が痛む、そういう生真面目さはうしなわない大人になって欲しいと私は思う。

だからといって、見知らぬよその子にゲンコツを食わせたり、「うるさいおばちゃん」ぶって注意してやろうともあまり思わない。
面と向かって叱るほどの事もない、ごくごく些細なルール違反。
そのへんの微妙な善悪の基準感覚は、何よりも家庭で、日常生活の些細な瞬間に、少しずつはぐくみ育てるものだ。
よそのおばちゃんが目くじら立てて叱ってやるほどのことでもない。

・・・・とは言いつつ、私は子どものそういう小ずるさを見るとイライラする。
Kちゃん母も同じような基準点を持っているようだ。
そのことを知っただけで、今日のところはよしとする。


2004年07月24日(土) 「これ、誰の?」

暑い。
うるさい。
片付かない。
夏休み、三重苦。

一日四回、冷茶用のお湯を沸かす。
流しで水につけてあら熱を取り、冷茶ポットやペットボトルに移して冷蔵庫で冷やす。
夏休みともなると、冷茶の需要は普段の倍以上に膨れ上がる。
事あるごとに冷蔵庫をパタパタ開けて飲み干していくほかに、どこかへ出かけるたびにもっていく水筒用のお茶の需要がバカにならない。
プールや剣道の稽古ともなると、大型の保冷ボトルにがんがんお茶を入れていくので、沸かしても沸かしてもすぐになくなる。
そのくせちょっと冷蔵庫のお茶が切れたり冷えが悪かったりすると、「えーっ、冷たいお茶ないの?」と不平たらたら。
たまには自分で沸かしてみろ。
おまけに流しのふちには、使い終わったガラスコップがずらりと行列。
自分の使ったコップぐらい、ささっとすすいで伏せておいたらどうだ。
説教しているすぐ脇から、「お茶、入れてください」と手を出すアプコ。
今さっき、飲んだばっかりじゃないの。
子どもたちはそれぞれに、部活だ、サマーinだ、友達とプールだと出たり入ったり。
それぞれの日程にあわせて送迎したり、早昼ごはんを用意したり、父さんとの日程調整をしたり・・・。
家に残る子どもたちはのべつ幕なしにおやつを食べたり、クーラーの部屋でごろごろしたり・・・。
毎日の予定がフル回転で、この暑さだ。
家に居るときぐらい、ぐだぐだしていたいのもよくわかる。
しかし子どもたちはそれぞれ大きくなった。
たった一部屋、クーラーを効かせた居間に集まり、一緒にぐだぐだされると非常にかさが高い。
ついでに食べたアイスのカップやジュースのボトルは置きっぱなし。
宿題のプリントもアプコの落書き帳もレゴの部品もカブトムシゼリーも、
脱いだ靴下も空の水筒も図書館の本も汚れたタオルケットも、
ごちゃごちゃと渾然一体となったこの魔宮のような空間はいったい何?

「さあ、片付けタイム!」
時々、号令をかける。
ぐだぐだ寝そべっている奴をたたき起こし、PCのゲームも「強制」終了。
「ほりゃ、プールの洗濯物、そのまんまの人は誰?」「アプコ!」
「ブロック散らかしてるのは誰?」「ごめん、僕!」
「牛乳飲んだコップ、置きっぱなしは誰?」「ゲン!」
「このアイスの包み紙、捨ててないのは誰?」「多分アユコ!」
ばたばたと片付けモードに入る私の剣幕に押されて、子どもたちが動き出す。
「濡れタオル、カーペットの上に置いといたのはだれよ!」
「僕じゃないよ。」
「あたしも違う。」
「アプコじゃない?」
ムカッ!
誰だっていいよ、さっさと片付けな!
・・・・そこではたと気づいた。
自分で散らかしたものはいやいや片付けているけれど、
ほかの誰かが散らかしたものは自分が片付けたら損とでも思っているな、コイツら。

確かに、「これ、片付けて」という言葉の代わりに、いちいち「これ、誰の?」と怒鳴るのが口癖になっている私にも責任はある。
「これ、誰の?」 (出した人が片付けてよ)
「僕のと違うよ。」 (だから僕には片付ける義務は無いよ)
こういう暗黙の会話が、常態となっている我が家。
「なんか違う」と気がついた。
散らかしたのが誰であろうと、そこにあるゴミは近くに居る誰かが捨ててくれればそれでいいんだ。
散らかした犯人探しをしたいのでもなければ、散らかした本人に自己責任で片付けさせたいわけでもない。
とりあえず、このブタ箱のような居間を片付けて、テーブルをきれいに拭いて、冷房効かせて、晩ご飯を食べたいだけなんだ。

「自分で散らかしたものは、自分で片付ける。」
これ、基本。
でも、「自分で散らかしたものしか、片付けない」では、大家族の日常は回らない。
結局犯人のわからないゴミは、母がブーブーいいながら片付ける羽目になる。
それって、とっても嫌なんだ。
さっさと自分の守備範囲を決めて、その枠内だけをさっさと掃除して「オレの分の仕事は終わったし・・・」と涼しい顔して、どこかへ言っちゃうヤツがいる。
そういうのってとってもヤな感じ。
でも、そういう気分が、夏休みの我が家のうだうだ生活にぎしぎしと忍び込んできている感じがする。

そのことに気がついて、ちょっと号令のかけ方を変えてみた。
「このタオル、誰が片付けてくれるの?」
「汚れたお皿、もって行ってくれるのは誰?」
「掃除機、誰がかけてくれる?」
誰が散らかしたものでもいい。
家族の共有のスペースで、みんなが気持ちよくくつろぐために、ちょっとした労力を貸してもいいというのは、誰?
そんな気持ちを込めて、誰にとも方向を定めずに号令をかける。
本来、家庭の中での些細な用事は、
「○○が散らかしたから、○○が片付ける」
「△△の仕事だから、△△がやる」ではなくて、
「気がついた人がやる」
「手が空いている人がやる」
「みんなのために僕がやる」でいいのではないか。

今のところ、生真面目なオニイだけが、母の号令の変化の意味に気がついた。
「それ、僕がやっとくわ。」
しょうがないなぁと言いながら、アプコの散らかしたゴミを拾い、ゲンのカードゲームをまとめて箱に入れる。
「それ、アプコのおもちゃだけど、アユコ、ちょっとお前が片付けてやって。」
そういう、物言いをするようになった。
いいヤツだなと思う。
近頃、オニイはちょっとした家事やこまごました用事をチョコチョコとよく手伝ってくれるようになった。
母の意図するところを、さりげなく酌んでくれるようになってきたオニイ。
常に気配りの人である父さんに似てきたのかな。
有難い。


2004年07月22日(木) はと笛 ほーほー

小学校のはと笛講座二日目。
講座の内容は昨日と同じ。受講する子どもは、昨日より少なくて12人。
おまけに、昨日からの校長先生のほかに、二人も先生方が参加してくださった。
最初の説明も、少人数だとぐっと集中して聞いてくれるし、父さんのほうも2回目となると教え方のツボやお話のポイントがつかめてきて、なかなかいい感じ。
昨日は時間内成功率が3割程度で、残りはお持ち帰りの内職仕事で何とか音が出るように修正したのだが、その作業のなかである程度コツもつかめたので、もう少し成功率が上がるような気がした。

ところで、今日の受講者の中に、私にはちょっと気にかかっている子がいた。
Pくん。
以前のアユコのメール事件で首謀者格だった男の子だ。
「近頃はPくんは、ずいぶん大人しくなったみたい。」とアユコからは聞いていたけれど、あの事件以来私は彼とちゃんと顔を合わす機会も持てぬまま、なんとなくすごしていた。
そのPくんの名前を参加者名簿の中に見つけたとき、正直なところ、私の心には微妙な引っ掛かりがあった。
事件は解決し、P君たちは親や先生たちからきつく叱られた。
たくさんの大人たちに囲まれて、「ごめんなさい」と謝る子どもたちの中で一人、P君だけが最後まで涙を見せることなく、暗い目をして大人たちを見返していたように私には思われた。
P君にとっても、あの時、我が子を守りたい一心で鬼のような形相でまくし立てたおばちゃんと再び顔を合わすのは、いくらか引っかかるところはあったに違いない。
講義が始まる前ほかの4,5人の男の子たちと一緒に教室に現れたPくん、普通に挨拶は交わしたものの、やはりちょっとやり切れないふうに、視線をはずした気がした。

早速、土を配り、作業開始。
・新しい土を大まかな玉にして、そこから鳥の形をひねり出す。
・形ができたら、胴体部分を切り糸ですっぱりとたてに切断し、中を中空にくりぬく。
・傘の骨や竹べらで作った特製の道具を使って歌口(音を出すための切り込み部分)を作る。
・何度も吹いてみながら、音が出るまで微妙な調整をする。
・音が出たら、切断していた前後の部分をドベ(泥状の粘土)で接着。表面に装飾をつける。
中でも難しいのが、歌口部分の製作と微調整。
最初の説明どおりのツボをしっかり押さえて作ることができると、ずいぶん音は出しやすくなるのだが、相手は柔らかな粘土。
言われたとおりにやっているつもりでも、微妙に距離や方向が狂ったり、作業中に形が変わってしまったりして、大人でもなかなか音を出すのが難しい。かと思うと、運がいいのか手先が器用なのか、一発で決めて早々にほーといい音が出せてしまう子もいたりして、なかなか面白い。
一人二人と音が出せるようになると、ほかの子たちもぐっと自分の作業に熱中していき、教室の中に気持ちのいい緊張感が生まれる瞬間が生まれた。

同じグループの子が一人二人と音出しに成功し始めた。
「おばちゃん」「おばちゃん」と、しきりにSOSを出す子が増えてきても、Pくんは一人黙々と自分のはと笛を削っている。
ふと彼の手元を見ると、彼のはと笛はあんまり熱心にくりぬきすぎて、厚さがどんどん薄くなり、ほとんど崩壊寸前の危うさだった。
「Pくん、ちょっと待って。そこでストップ!救急車呼ぶよ。」
私はあわてて、父さんを呼んだ。
父さんはすぐに飛んできて、P君のはと笛に新しい土を足し、もろくなったところを補強してくれた。自分でも、「まずいな」と思いつつ、SOSを出しかねて弱っていたんだな。
ほっとした表情で再び歌口の部分を熱心に削りはじめたP君。
気がつくと、彼の口から小さな鼻歌が漏れていた。

しばらくして、悪戦苦闘していたPくんのはと笛が突然、ほーっと鳴った。
「わ!鳴った!」
びっくりした様子のP君の声。
「わ、すごい!Pくん、手伝いなしで自力で鳴らせたねぇ!」
その瞬間のP君の晴れやかな笑顔。
「可愛いな」と思った。
たくさんたくさん褒めてやりたくて、何度も何度も鳴らしてもらった。

あの事件の時、暗い目をして大人たちをにらみつけていたPくんに、鬱々とした不気味なものを感じていた私。
その同じP君のなかに、こんなに晴れやかな笑顔が存在していたことに私ははじめて気がついた。
子どもというのは確かにすごい。
大人よりもはるかに豊かな内面を持っていて、本当に思いがけないタイミングでその隠された一面を惜しげもなく披露して、おろかな大人を驚かせる。
ちょうど苦心して調整していたはと笛が、何かの拍子に突然ほーっと鳴って、作っている本人がわっとびっくりしてしまうような、とても鮮やかな変化の一瞬。
面白いなぁと思う。
大人の憶測や思い込みを、バンと裏切って成長していく子どもらの膨大な変化のエネルギー。
こんな瞬間に時々思いがけなく立ち合わせてもらえるからこそ、子育てというのは本当に有難いと心から思う。

それからもう一つ。
私とP君の間になんとなくわだかまっていた過去の感情。
面と向かって蒸し返したりはしないけれど、なんとなく引っかかっていた小さな感情の棘を、はと笛のほーという素朴な音が一瞬にして溶かしてしまった。
熱心に土をこねる子どもたちの手。
何度も首をかしげ、試行錯誤の調整を重ねる作業の繰り返し。
もしかしたら、「ものをつくる」という行為そのもののなかに、感情を浄化し、心と心をつなぐ不思議な作用が秘められていたのではないだろうか。
少なくとも私にとっては、P君のはと笛の穏やかな第一声は、高らかな「開けゴマ!」であった。
もしかしたら、P君にとっても新しい扉を開く「開けゴマ!」であったかも知れない。
ぎゅっと唇を引き結び、首をかしげ、舌打ちをし、わっと驚きの声が漏れる。ものづくりに集中して一心に取り組むとき、小さな感情やわだかまりを忘れ、ふっと心のチャンネルが変わる瞬間が確かにある。
子どもたちと共に「ものづくり」を学ぶということは、そういう瞬間の驚きを誰かと共有するということだ。
これもまた有難いと思う。

今日は、時間内に12人全員のはと笛を鳴らすことができた。
数日の乾燥の後、学校に備え付けの小さなガス窯で素焼きをする。
思い思いの形、それぞれ違った音色を持つ子どもたちのはと笛。
出来上がりがとてもとても楽しみである。


2004年07月21日(水) お泊り

夏休み第一日目。
午前中小学校での陶芸の講座で、駆けずり回る。
今年の題材は、「はと笛を作ろう」
昨年の「土鈴を作ろう」より格段に難しいので、5、6年生対象で人数も少なめに抑えてもらった。
それでも、吹き口部分をうまく調整してこしらえるのはとても難しくて、結果的に時間内にポーとなったのは約3割。
残りは、工房へ持ち帰って父さんの内職作業となった。
嗚呼!

続いて、夕方から、アプコお泊り保育。
アプコの通う園では毎年、年長子どもたちが夏休みの最初に、園でお泊りを経験させてもらう。
夕方5時前に園に送り届け、夕食のカレーを食べさせてもらい、園庭でキャンプファイヤーや花火をして、保育室で雑魚寝。
翌朝には朝食をいただいて、8時にはお迎え。
ビジネスホテルの「朝食つき」並みのスケジュール。
とはいえ、家族と離れて、友達や先生たちとお泊りするのははじめてという子が大多数。

我が家の甘えん坊ももちろんお泊りは初めて。
「花火、するんだって!」「ひまわり組のお部屋で寝るんだよ。」とずいぶん前から楽しみにしていた。
新しいパジャマを買い、ベビー布団におニューのカバーをかけ、イチゴ味の子ども歯磨きを用意する。
兄弟のなかでは少し年の離れた末っ子として甘えん坊で過ごして居るアプコ。「大丈夫かなぁ・・・」と、同じようにお泊り保育を経験してきた兄弟たちが、首をかしげる。父さん母さんのほかに、アプコには心配性の乳母さんたちが3人も居る。
「いいよな、アプコはお泊りができて・・・。」
というのはオニイ。
彼が年長の時には、ちょうどO-157が発生したばかりの時期で、お泊り保育は急遽中止になり、唯一園でのお泊りを経験していない。中二にもなって、何を今頃・・・とも思うが、ほかの兄弟たちが普通に通過してきた行事をちゃんと経験できなかったという口惜しさはやはり後まで残るのか・・・。

「今頃、キャンプファイヤー、してるかな。」
「そろそろ花火の時間かな。」
たった数時間の不在なのに、オニイ、オネエはすでににぎやかなアプコの声が聞こえないのが物足りないようす。
確かにちびっ子アプコが一人抜けただけで、夕食の席はちょっと静かな大人の食卓。「お茶、入れてください!」「おしょうゆ取ってください!」と何かと人の手を借りようとする甘えん坊を、普段うるさいなぁと思いつつ、やはり小さいアプコなしでは、なんだかさびしい。
「ちゃんとおしっこしてから寝たかなぁ。」
と気にしつつ、いつもより少し広々した雑魚寝の寝床に子どもたちは
あがっていった。

・・・と、思ったら10時過ぎになって、園から電話。
「あのー、アプコちゃん、少しお熱があって・・・。」
ありゃりゃ、アプコ、お持ち帰りだ。
化粧を落とした顔のまま、車で園まで迎えに行く。
お布団も歯ブラシも早々に引き取って、かえって来た。
「ま、いいですね、カレーも食べたし、ファイヤーも花火も見せてもらったし、おいしいところは全部おさえたから、さっさと連れて帰りますワ」
というと、担任の先生と園長先生がアハハと笑っておられた。
冷却シートをおでこに張ってもらってしょぼんとしていたアプコも、車に乗り込むなり恐ろしい勢いでしゃべりはじめた。
お友達とやったゲームのこと、着ぐるみのドラえもんや先生が扮装したハリーポッターのこと、カレーがあまり辛くなかったこと。
さぞかし、楽しくて楽しくて、楽し過ぎて興奮して熱が上がってしまったものだろう。

帰宅すると、もう寝ていたはずのアユコが下りてきた。
「アプコ、おいで、一緒に寝よ。」
お泊り中途退場で、アプコがへこんでいるかもと思いやってくれたらしい。
ちっともへこんでいないアプコは嬉々として寝間へあがる。
アプコの自立の日は、まだ遠いのかもしれない。
お姉ちゃんお兄ちゃんたちに、小さい愛玩動物のようにかわいがられる甘えん坊のアプコが、まだまだ我が家には必要でもある。
寝苦しさに転々と寝返りを繰り返して、ごちゃごちゃともつれ合って雑魚寝する子どもたちのいとおしさ。
もうちょっとこのままがいいなぁと、笑ってしまった。


2004年07月20日(火) 子どもの足元の石を拾う

終業式。
40数日の夏休み突入。
家の中にごろごろと4人の子供たち。
部活に出て行く者、学校のプールへ跳んで行く者、友達との遊びの約束をしてくるもの。
家族6人分の日程を書き込んだ大判のスケジュール表に従い、
母は、子供たちをあちらへ送り出し、こちらへ連れて行く「配送」の日々。
冷蔵庫の冷茶の補給と、「また、焼そば?」といわれつつマンネリ昼ごはんの調理。
ああ、恐怖の夏休み。

夕飯時、広報の委員さんの一人から電話があった。
夏休み中の取材のことかと思って出てみると、明日から始まる「サマーin」のことで聞きたいことがあるという。
子供たちの通う小学校では、夏休みの最初の数日間、先生方が子どもたちのために選択制の「夏期講習」のようなプログラムを用意してくださる。3年生以上の子どもたちを対象に、午前中の数時間、水泳や鉄棒、お料理、工作、パソコンなど楽しい講座が20種類近く準備された。
子どもたちは用意された時間割を見て、自分の希望する講座を申し込み、講座のある日に登校してくる。
長い夏休みのしょっぱな、たとえ一時間でも子どもたちが学校へ言ってくれるのは誠に有難い。日ごろの授業では経験できない楽しい経験をさせてもらえると、お母さんたちの間では大好評である。

ところが、この講座、自由選択性なので自分ちの子どもが申し込んだ講座のスケジュールがわかりにくい。同じ内容の講座が数日に分かれて行われていることもあって、「何日のどの講座」に申し込んだのか、子ども当人が忘れてしまったり、わからなくなったりすることがあるようだ。
「うちの子、明日どの講座を申し込んでいるのかわからなくて・・・。
役員さんなら参加者のリストをお持ちかと思って・・・。」
電話の内容は、そういう問い合わせだった。
確かに先日の広報委員会で、この「サマーin」の取材スケジュールを決めたので、講座の内容や日程についてはいくらか説明もしたけれど、あくまで学校主体の行事なので、参加者リストまではこちらももらっていない。
「ごめんなさいねぇ、私にはわからないわ。
職員室の入り口に参加者の名簿が張り出してあったようにも思うけど、この時間じゃ、学校には誰も居ないわねぇ。」

「どうしたらいいんでしょ?」
困り果てる委員さん。
明日申し込んでる可能性のある講座は3種類。
「とりあえず、3つとも用意していって、学校へ行ってから調べてみればいいんじゃないの?」
「でも、それじゃ、体育の用意と絵の具道具、調理実習の準備、全部持っていくことになります。それじゃ荷物が多過ぎてかわいそう・・・」
「はぁ、そうですねぇ。」
・・・この辺で、ううっときた。
うちの子だったら、体操服に赤白帽かぶせて、右手に絵の具道具、左手に調理のエプロン持たせて、「自分で調べてこい!」と送り出してしまうところだろう。
「じゃ、用意していない講座はキャンセルするとか、お母さんがお荷物もって送ってあげるとか、それしかないですねぇ。」
「困りました」
「はぁ、困りましたねぇ。」

子育てをするとき、
「あとで子どもが苦労しないように」とか、「○○をしておいてあげないと可哀想」とかという言い方をする人がいる。
私はあれが苦手だ。
大学受験で苦労させるのは可哀想だから小さいうちに私学を受験させてあげるとか、学校に入学して授業についていけないと可哀想だから幼いうちから文字を教えておくとか。
子どもの将来の苦労をなくすために、前もって親が子どもの前の障害物を取り払って平坦な道を準備しておいてやる。
それが親としての最大の務めであるかのように語る人が居る。
ごめんなさい、私はその種の「務め」についていけない。

目の前に障害物があるなら、子どもは自分の力でそれを乗り越える方法を考えればいい。親はそのそばではらはらしながら見ていてやるだけだ。
本当に親がしてやらなければならないことは、あらかじめ石ころを取り除いたきれいな道を用意してやることではなく、「石ころ、踏んだら痛かったね、どうやったらうまく歩けるか考えてみ。」と笑って見ていてやることだ。
そしてさらに意地悪母としては、「さあ、悔しかったら超えてみろ。」と余分の小石を撒いてやるかもしれない。
それでも子どもらは何とかかんとか自分の力で障害物を越えていく。
越えていける力と知恵を育ててやることこそが、親の務めと私は考える。

「うっかりして明日の講座のスケジュールを忘れてしまった。どうしよう。」
子どもがピンチに陥ったとき、親がしてやれることは何だろう。
何とかして、誰かから我が子のスケジュールを教えてもらって、適切な準備を持たせて送り出してやる。それも大事。
でも、「あなたの不注意で困ったことになったね。どうする?」と問いかけ、「しょうがないね、3つとも持って行って、自分で何とかしなさい」と突き放してやることも、時には必要。
子どもは「大事なスケジュールはきちんと管理しなくては。」という反省と共に、同じようなトラブルに陥ったときの対処方法のヒントを一つ身に着ける。

「いじめにあった。どうしよう」
親が相手の親のところに怒鳴り込んで、相手のいじめをやめさせることも時には必要。
けれども、どうしようもなく嫌なヤツがいる。顔も見たくない。
そんなときには、どんな風に嫌な気持ちを吐き出せばいいか、どんな風に抗議すればいいか、どんな風に戦えばいいか。
その対処方法を自分で学んでいくことは、こどもにとってはもっと大事。
次に同じようなつらい目にあったとき、「ようし、なにくそ!」とこぶしを固める力になる。
子どもには、平坦な道を用意しておいてやることより、石ころにぶつかったときの避け方の知恵をたくさん学ばせておいてやることが大事なのだと思う。

「子ども自身に解決させなさいよ。」と、説教モードになりそうなのをぐっと抑えて、電話に応える。
その家その家の子育ての方針というものもあるだろう。
相手は広報の仕事をまじめにこつこつとがんばってくれた委員さんだ。
広報の仕事以外のことで、私に問い合わせの電話を下さるということは、
委員長としての私の仕事振りを評価してくださって、頼りにしてくれているのだろうと、都合よく解釈する。
「明日のことは私にはどうにもしてあげられないわ。
あさって以降の講座のスケジュールは、ちょうど私も学校へ行くからメモしてきて教えてあげるわね。」
余計なおせっかいだなと思いつつ、相手の期待に少しはこたえて、電話を切る。
なんとなく、よそんちの過保護に加担したようで、後味が悪い。
「はいはい、あんたたちも自分のスケジュールはちゃんとメモしておきなさいよ。
大事な用事を忘れても、母は家族みんなの予定は把握できないよ。」
代わりに、我が家の子どもたちに自立の精神を説いて、憂さを晴らす。
ああ、夏休み。
母は忙しいのである。


2004年07月18日(日) ガラガラヘビがやって来た?!

ゲンの同志(導師?)でもあるお向かいのMさんが、大ニュースを教えてくれた。
我が家の裏を流れている尺治川の堰堤付近で、ガラガラヘビを見たという。
犬の散歩の途中、見かけたというそのヘビは、よくいるシマヘビや青大将とは明らかに違って鎌首を持ち上げ、膨らんだ尻尾が威嚇のためにガラガラとなっていたというのである。
その堰堤は我が家からほんの数十メートルのところにあり、ゲンの虫取りポイントのすぐ近くでもある。
ほんとだったら怖いなと思いつつ、なんだかちょっと可笑しい。
さすが、Mさん。
持ち込んでくるニュースがいかにも突飛で、「ホントかな?」と思いつつ、ご本人は大真面目。まんざら「うそでしょ?」とも思えない。

里山の管理人を自認するMさん、さっそく役所やらご近所さんやらにガラガラヘビ出没情報を触れ回る。
近所の市議さんもやってきて、警告の看板を作ろうか、ロープを張って付近を立ち入り禁止にしようかと相談。
季節柄、このあたりの川にはハイカーや水遊びの家族連れがたくさんやってくる。
もとよりマムシやムカデの危険もあり、地元の人ならそれなりの装備で入り込むような水辺の草むらにも、ハイカーは短いズボンやビーチサンダルの軽装でジャブジャブと踏み込んでいく。
先週は、現場のすぐ近くで、YMCAだかボーイスカウトだかの団体が小さい子らを引き連れて川伝いに上流へ行列していた。
夏場のヘビは、草むらの地面ではなく、川沿いに覆いかぶさったような草のかげなどによくいるのだそうだ。
だから夏場の田んぼのあぜを歩く農家の人は、必ずゴム長靴をはいて、水辺の草には近寄らない。
地の人の危険情報、安全意識は、確実で適切だ。逆らわないに越したことはない。
外からやってきて、にわかアウトドアを楽しむ人たちの危機感の無さは、お話にならない。
以前から気になっていたのだけれど、アウトドアのスペシャリストに違いない○○○スカウトの人たちが山へ入るときの制服は、なぜわざわざ半袖、半ズボンなのだろう。
彼らの自然愛好の精神はどこか信用がならないと、常々感じている。

・・・で、ガラガラヘビに話は戻る。
ほんとにガラガラヘビなんだろうか。
だとしたら、誰かが飼えなくなったペットでも捨てに来たのだろうか。
今日、来た市議さんの話では、最近、市内で大きな「かみつき亀」も捕獲されたのだという。これも在来種ではないので、誰かがペットを捨てたものだろう。
つがいで放されたものでなければ、そのうち一代限りで絶えてくれればよいものだけれど、それにしても迷惑な話である。
どこからか危険動物をわざわざ買ってきて、飼えなくなったら山に捨てる。
誰かの身勝手が、地元の人間にも当の動物にとっても大迷惑。

とはいえ、話はガラガラヘビ。
「ホントだったら怖いね。」といいつつも、「うそでしょ、まさか・・・」のにおいがいつまでも抜けなくて、大真面目に心配しながらも後でくすっと笑ってしまいそうになる。
「ワシ、犬を2匹もつれとったから、どないもでけへんかったけど、あれは絶対ガラガラヘビや。
とぐろまいとる尻尾がガラガラいうとったしな。」
つばを飛ばし、熱心に語るMさんの表情は真剣で、決してうそとは思えない。
実際Mさんは地元の山のことには詳しくて、これまでにも行き倒れの人だの小さな土砂崩れの箇所だの、近所で起こる小さな事件をいくつも見つけては通報しておられる。
それだけに「またMさん話ね。」と笑ってしまいながらも、どこかで一目置かれている。こういう人の情報って、結構貴重だなと思う。
とりあえず、虫取りに夢中のゲンには、危険な場所に近寄らないようによく言っておかなければ・・・。
Mさんを虫取りの師匠と仰ぐゲンのことだ。
きっと注意して、行動するだろう。

ところで、Mさんのような地の人の話やお年寄りの話を聞いていて、よく感じること。
・主語が無い。
・昨日のことと十年前のことの区別が無い。
・自分自身が見たことと人から伝え聞いたこととの区別が無い。
だから、はいはいと相槌を打ちながらも、どこかで首を傾げたり、ふんふんと聞き流したりしてしまうことも多い。
その辺のところは、幼い子供たちの語る「大ニュース」に近いものがある。
だからこそ、「ガラガラヘビ」なんていう突飛な話題が出てくると「怖いな」と思いつつ、なんか楽しくなっちゃったりするのだけれど・・・。
地に足を着け、毎日自然を身近な物として感じている人たちの実感というのは、どこかファンタジーに満ちているようで、しかもリアルな現実でもある。
「大地の力」とでもいう様なゆるぎない現実感に、かすかに混じるユーモアのにおい。
そのことの可笑しみが、何とはなしに嬉しくて、
私はガラガラヘビ話にちょっと夢中である。
もしかして、絶対危険じゃなかったら、近所の河原でとぐろをまく、本物のガラガラヘビの「ガラガラ」と鳴る威嚇の姿を、間近にこの目で見てみたいと本気で思ってみたりする。
私もすっかり「地元のおばちゃん」になっちまったもんである。


2004年07月17日(土) つぼみほころぶ

アユコ、12歳の誕生日。
お誕生パーティーは、明後日、友達を呼んで「焼きそばパーティー」をやるというので、今日はうちで、アユコの好きなメニューの夕ご飯で祝うことにする。
「どんなご馳走しようか?」と聞いてみても、「オムライス。」
それも自分で作りたいという。
なんとまぁ、欲のないお誕生日。

一年生のころ、生卵をぽっかり割ることからはじめたアユコのお料理修行。
毎年夏休みの自由課題にはお料理を選んで、もうずいぶんとレパートリーも増えた。
朝ごはんの出し巻き卵は、フライ返しを使わずにお菜箸だけできれいな卵焼が焼けるし、付け合せのキャベツは几帳面な性格そのままに見事にそろった千切りができる。
仮に私が「しばらく実家に帰らせていただきます。」といっても、多分アユコがいれば一週間やそこらは食いつなぐことができるだろう。

アユコの大好きな「オムライス」
チキンライスも薄焼き卵も上手に作れるけれど、ご飯に卵をきれいにかけるのがとても難しくて、これまで何度も挫折したり、半べそをかいたりしてきたメニュー。
半熟の薄焼き卵の上にチキンライスを盛り、その上からお皿を伏せてフライパンごとくるりと裏返す。アユコの細腕には、鉄製の大きなフライパンは重しぎるし、逆手で持ったフライパンを「せーの!」とひっくり返すのにはチョットした気合がいる。
何度も何度も小さな火傷をこしらえて、最近になってようやく上手にフライパンが返せるようになった。
コンロの熱で蒸し暑い台所で、アユコと二人で6人前のオムライスを作る。いつの間にか二人の間に、卵を割ったり、お皿を用意したりする細かな分業が出来上がって、次々と手際よくオムライスが出来上がる。
もう、母が娘に手順を教えるのではなくて、それぞれが補い合って分業する共同作業の形になってきているのだなぁ。
「さあ、出来上がり!あっつい間にたべようよ。」
得意げに笑うアユコの表情は確かにぐっとお姉さんになった。

そういえば今年、アユコは久しぶりに浴衣を着た。
幼稚園の夏祭り以来だから、すでに5,6年ぶりか。
春に実家へ行ったときに、私が中学生くらいで着ていた紺地の浴衣と黄色い結び帯を持ち帰っていたのだが、それがちょうどジャストサイズになっていたようだ。
ふわふわのナイロンの兵児帯のアプコと違って、ワンタッチの結び帯とはいえ、大人とおんなじ半幅帯を締めると急に大人びて見えるアユコ。
赤い鼻緒の塗り下駄を履いて、浴衣のすそを気にしながらはにかむ仕草は、少女から若いお嬢さんの年齢に差し掛かりつつある初々しい表情。
かわいいなぁと思う。
娘の浴衣姿に嬉しくなってしまった父さんは、忙しい仕事の合間を縫ってアユコを祇園祭の宵宵山へつれて出かけた。
「アユコの誕生日は、京都の祇園祭の日。」
小さいときから、京都人であるおばあちゃんに何度も教えられて育ったアユコ。
父に連れられ、着慣れぬ浴衣を着て歩く祇園祭の人波は、どんな印象を残したのだろう。
妙に興奮した顔で電車から降りてくる父と娘を、車で迎えに出る。
なんかいいなぁとほっと嬉しくなる。

花開く前の青くて硬い花のつぼみ。
白い花が咲くのか、赤い花が咲くのか、
その片鱗さえも見えないけれど、
確かにその中に美しい開花の時を秘めている。
娘を育てる嬉しさは、
花を待つ喜びにも似ている。

アユコ
12歳のお誕生日、おめでとう








2004年07月16日(金) 太鼓を打つ

朝から今学期最終のPTA広報委員会。
ようやく出来上がった広報紙も本日無事に各家庭に配布された。
次号の記事内容や取材の分担もあらかた決まって、めでたく夏休みに入れそうだ。
「え!なんで?!」と、委員長のくじを引いてパニックに陥っていた春。
右も左もわからぬままに、とりあえずばたばたと東奔西走しているうちに、なんとなく一つ目の山を越えた。
夏休み中も、まだまだ細かな取材やらなにやらドタバタは続くが、とりあえずは仕上がってきた真新しい広報紙の束を前に感慨無量。

午後、アプコの園バスの迎え。
夕方の来客のために工房の茶室の段取り。
ついでに剣道のための早めの夕食の下準備をして、再び小学校へ舞い戻る。
本日2度目の登校。
久しぶりの和太鼓の稽古。
いそいそわくわくと出かける。

アユコの担任のT先生は、和太鼓の名手。
小学校には立派な5台の和太鼓があり、子ども達は授業でダイナミックな和太鼓の演奏を経験させていただいている。
ずんずんとおなかに響く大音響と、体全体を使って友達とひとつのリズムを刻む楽しさ。
身も心もわーっと軽くなるような爽快な気分に魅せられて、子供たちは和太鼓に夢中になった。
昨年、授業参観で子供たちの演奏を見たお母さんたちから、「私も和太鼓、叩いてみたい!」という熱望が集まって、T先生のご好意でお母さんたちの和太鼓教室が始まった。
月一の不定期の稽古日には、有志のお母さんたちがぱらぱらと放課後の体育館に集まってきて、ガラゴロと台車に乗せた和太鼓を運んでくる。
ご近所への騒音対策のため、窓もカーテンも閉め切った体育館に和太鼓を並べ、「きっと明日は筋肉痛よ」とストレッチから稽古が始まる。
日常では味わえない大音響。
決められたリズムを何度も何度も繰り返し刻む緊張感。
太鼓から太鼓へ、次々に移動しながらリズムを刻む流れ打ち。
日ごろの運動不足や寄る年波に逆らって、たらたらと気持ちのよい汗をかき、太鼓を打つ。
頭の中を空っぽにして、ただただ太鼓の響きに身を任せる爽快感。
本当に楽しかった。
T先生、ありがとう。

4人の子供たちを育てて、
毎日あちこちにばたばたと走り回り、
子ども会の役だのPTAだの、思いもつかないお役目を引き当てて右往左往。
大変なことばかり多いようにも思えるけれど、
おかげさまでたくさんの人と嬉しい出会いをさせていただいた。
たくさんのわくわくするような経験をさせていただいた。
ありがたいなぁと思う。

夜になって、剣道の送り迎えを終えて、バタンキュー。
今日もフル回転の一日だった。
けれども今日の疲れが、格段にさわやかな、心地よい疲労なのはなぜだろう。
存分に遊びつかれて、うとうとと健やかな眠りにつく幼児の気持ち。
懐かしい感覚が、よみがえってきた。


2004年07月05日(月) 発熱

土曜日の夕刻、気合いを入れて、大鍋いっぱいの煮込みハンバーグをこしらえていたら、ひざやふくらはぎが急にだるくなってきた。
「筋肉痛かしらん」とばたばた配膳していたら、ちらと頭痛の気配がした
「いただきます」と席についたら、あんなに空腹だったのになぜか食欲が湧かなかった。
「あかん、おかあさん、しんどいわ。」と横になったら、すでにその時体温計は37、7度。
「わ、熱あるやん!」
そこから、今日(月曜)の明け方まで、体温は38度、39度のラインを維持。
何年かぶりの鬼の撹乱。
死ぬかと思った。

多分、夏風邪か何かなのだと思う。
「自然治癒信仰派」(別名医者嫌い)の私としては、休日診療へ駆け込む根性もなかったので、ひたすら悶々と熱と戦う。
子どもらと父さんが台所でごそごそとおさんどんをしたり、洗濯物を片づけたりする気配をとぎれとぎれに感じつつ、高熱と腰痛に朦朧と漂うばかり。
熱の合間に気になるのは、翌日のPTAの広報紙の印刷所への原稿持ち込みの予定。
展示会の搬入前で目が回るほど忙しいはずの父さんの仕事のこと。
「丸一日も熱、出してる場合じゃないんだよ!」と自分に喝をいれるエネルギーすらなく、頼りなく布団の上を転々とする母に、子ども達は優しかった。

冷たい飲み物を用意してくれ、氷嚢代わりのチューペットを取り替えてくれ、
体温を測るたびすぐに誰かが確認に来る。
考えてみれば、子ども達にとっては、母が前後不覚になるほどの熱で倒れるなんてほとんど初体験。
発熱した私自身も驚いたけれど、子ども達にとっても一大事だったに違いない。
「おかーさん、だいじょうぶ?」
不安げに尋ねるアプコに「大丈夫、大丈夫」と答えることすらできず、
「母、死にそう」
と弱音を吐く頼りない母。

「ここんとこ、結構頑張っていたもんなぁ。」
PTAのこと、学校での子ども達のこと、仕事のこと。
何かというとめらめらと怒りを燃やして、こぶしを固めて、立ち向かっていくことばかり。
本来、のほほんと鼻歌でも歌いながら、お洗濯を干したりしているのが、一番心地よいおばさんにとって、いつになく過剰に燃やした闘志の残滓が、突然の発熱となって降りかかってきたものか。
丸々一日半かかって心の中におろおろと滞っていた未消化のストレスを燃やし尽くし、身も心も、それこそからからのミイラのようになって、朝を迎えた。

休日には熱を出しても、月曜の朝にはさっさと回復して、子ども達を起こし、幼稚園のお弁当も拵えて、定刻にみなを送り出す。
「さすが主婦の鏡!」といいたいところだけれど、まだまだ手足の関節はがくがくするし、足元もふわふわしておぼつかない。
いつもの距離感、いつもの感覚をすこしづつ取り戻しながら、「快復」の実感をゆっくり味わう。
「お母さん、もう大丈夫なん?」
かわるがわるに子どもらが、やってくる。
「お、今日から『大丈夫』にする。」
とりあえずホッとしたという子どもらの正直な笑顔。
かわいいなぁと、新鮮な思いで受け止める。

「一日にお茶っていっぱい要るモンやな。」
昨日一日で2回も冷茶用のお湯を沸かしてくれたという父さん。
いつも当たり前に冷蔵庫に収まっているお茶が、主婦の地味な作業の結果であるということに気づいてくれたらしい。
そういえば、起き抜けに牛乳を飲みにきたオニイも、
いつもなら流しのところへ置いていくだけのコップをささっと濯いでコップ掛けに伏せていった。
昨日お茶を飲むたびに、自分のコップが汚れたままで不便な思いをしたのだろう。
日ごろの主婦の何でもない作業の存在が、みとめられたようでちょっと可笑しい。

ふと気づいたら、台所の流しの前の出窓に、
朝日に輝く見事なクモの巣ができあがっていた。
主婦が病床についてる間に、目敏くやってきた小ぐもが立派な罠を編む。
父さんも子どもらもせっせと家事や炊事を頑張ってくれたけれど、
やはり台所には、毎日主婦がいてこそ、家庭なのだ。
そのことが少し嬉しくて、
クモの巣はらいは、夜まで執行猶予ということにした。


2004年07月01日(木) 天真爛漫(その2)

暑い暑い炎天下、開け放した窓から入ってくるのは湿った熱風。
子どもらは帰宅するなり、ばたばたと冷蔵庫ヘ直行。
冷やしたお茶をがぶがぶと飲み干す。
1日のお茶の消費量がぐんと伸びた。
1日に大きなやかんで2杯半。
ひっきりなしに拵えても、あっという間に底をつく。
夏になるなぁ。

ザリガニ、カブトムシ、クワガタムシ、アリジゴク。
相変わらずゲンの日常は、昆虫たちを中心に回っている。
ランドセルを置くなり姿が見えないと思ったら、やはり,ベランダ下のザリガニの水槽のところか、近くの山のヒミツの昆虫採集ポイントの見回りにでかけたらしい。
今日は、学校で誰かがカブトムシを見つけたと言う。
「今年は、この近所の昆虫はあっちの方へ移動しているのかもしれない」とちょっと口惜しそう。うちで繁殖させるには、オスのカブトムシかメスのノコギリクワガタがどうしても欲しいのだそうだ。
う〜ん、今シーズン中にもう一つか二つ、飼育ケースが必要になりそうだ。

昨日は、お向かいのMさんにもらったザリガニの住まいが小さすぎるとかで、知らぬ間におじいちゃんに直接交渉して大き目の水槽を拝借してきた。
こういう「思い立ったら即行動」の行動力が、ゲンの頼もしいところだなぁと感心する。
借りてきた水槽をきれいに洗い、砂利や石を敷き詰め、川から水を汲んでくる。
途中一度も「おか〜さ〜ん」と言いに来るでもなく、自分で次々判断して段取りしていく。この集中力こそが野生児ゲンの逞しさなのだろう。
「また、ゲンが『世界』に入ってるよ。」
と、へらへら笑って放っておく。

夕方、洗濯物を取りこんでいたら表でガーゴー、音がする。
ご近所のどこかで、工事でも入っているのかなと聴くでもなく聴いていたが、不規則なガーゴーはいつまでもだらだらと続いている。
「何かしらん」
と様子見がてら夕刊を取りに出たら、玄関先でゲンがノコギリを持ち出して、何やらギコギコ切っている。道理で不規則な音がしていたわけだ。
「なにしてんの?」
「いやぁ、借りてきた水槽にはふたがないねん。
そのままやとボウフラがわくから蓋を作ろうかと思って。」
ゲンが切っているのは、どこで拾ってきたのか古いそうめんの木箱の蓋。
ノコギリなんて夏休みの工作のときくらいしか使った事が無いと言うのに、どこから探してきたものか。
見ると、エンピツでひいたラインに沿って、もう半分以上切り進んでいるのだが、けっこうしっかりラインどおりにきれいに切っている。
「へぇ、結構きれいに切れてるやン。」
お世辞抜きにゲンの大工の腕前を誉める。

「切れたかぁ?」
お向かいのMさんが、水撒きの手を止めて垣根越しに声をかけてくださった。
「ワシがそっち行って、ちょっと切ったろか」
どうやら、先ほどから庭仕事の合間に、ゲンのたどたどしいノコギリの音を聞きとめて、それとなく様子を見てくださっていたらしい。
「ううん、もうちょっとで切れそうやから、いいです。」
ゲン、顔も上げずに即答。
「そうかぁ、ま、まだ日も暮れんようやから、ぼちぼち切りや。」
Mさん、にやりと笑って水撒きの仕事に戻る。

一人暮しで、近所の庭仕事やちょっとした大工仕事を請け負っておられるMさんはご近所ではちょっと変わり者で通っている。
人懐っこいゲンは妙にこのMさんと気があうらしい。
昆虫の出そうなポイントとか、工作に使う松ぼっくりの在り処を、真っ先にMさんに訊きに行く。
Mさんの方も「にいちゃんいるかぁ。」とふらっとやってきては、庭で捕まえたカブトムシやら仕事先で見つけたカメやザリガニなど、ゲンの喜びそうなお土産をぼそっと下さったりする。
今日もMさんは、前の日に自分がやったザリガニのために、ゲンがそそくさとと水槽を洗っているのを、見るとはなしに見守って下さっていたものだろう。
ギーコギーコと覚束ないノコギリの音を耳にして、もどかしく思いながらも「貸してみ,切ってやろう。」とは言わずに、長いことゲンの苦心する様を笑って見ていてくださったのだろう。

ありがたいなぁと思う。
子どもが親や先生だけでなく、まわりの大人のこういう見守りの中で成長して行けると言う事は本当にありがたい。
「社会全体で子どもを育てよう。」というと、「公共の場で騒ぐ他人の子どもをひるまず叱ろう」とか、「昔はどこにでも子どもの悪戯を叱るがんこジジイがいたものだ」とかいう話題になるけれど、そればっかりじゃないんだな。
ゲンとMさんの間には、大人と子どもという年齢に隔たりはあるけれど、どこか共通の物が好きな仲間同士のような親しさがある。
山に入って、くんくんと湿った腐葉土も匂いがすると、黒光りするカブトムシやクワガタムシの気配を感じてわくわくしてしまう。ザリガニがガシガシと鋏でえさを食いちぎっているのを見ると、スッゲーっと舌なめずりしてしまう。
そういう少年同士のような奇妙な友情がなんとも微笑ましく、ありがたい。

「おかあさん、ザリガニはするめを良く食べるんだけど、するめを入れておくと水槽の水がすぐ臭くなるんや。どうしたらええかなぁ。」
夕食の時にも、お風呂の後でも、ゲンの話題はどこまでも昆虫やザリガニを中心に回っている。
「はいはい、明日、自分でかんがえな。」
母はええ加減に答えるけれど、ゲン自身の頭の中では明日の綿密な作戦を練られているに違いない。
楽しい季節を過ごしているんだな。
少年の夏がいつまでも豊かにながれていきますように・・・。







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