思い出に変わるまで
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2006年10月29日(日) 何とか・・・

朝早くから新居に出向き掃除、整理、掃除、掃除、掃除・・・
ダンボール48ケ分の荷物を片っ端から片付け、午後からホームセンターへ。

一戸建ての特権!

釘が直接打てる!!
DIYが得意なさとしクンが早速洗濯場に棚を作ってくれて♪
隙間収納ボックスも買い、収納がグンとUPした分、部屋が広々として言い感じ♪

ただ!!
めっちゃ不便なのが・・・この地域

「高速インターネットが出来ないっ!!」

声を大にして言いたいイチバンの不満がコレ!!
ネット生活の恩恵に与ってる私たち。
何でもここらは光収容??(さとしクンが言ってたけど)なのでNTTの工事も出来ず、ケーブルテレビも無し。
ADSLが当然できると思ってたのに大きな落とし穴にひっかかってしまった。
今時こんな街があるなんて・・・。
国道の北側にはマンガ喫茶もあって駅通りもあるから高速通信は出来るんだけど、国道から南側の近代通信社会から隔離されたこの一角。

しんじられねぇ・・・。

おまけにテレビの映りが悪くて電気屋を呼んだところアンテナの部品が壊れてた・・・。
応急処置だけしてもらって、後日日を改め修理です。

集合住宅暮らしに慣れてたから思わぬトコロに思わぬ不具合。
バタバタした(汗)

でも、いいトコも沢山!!

お風呂が広い!
キッチンからお湯張りが出来る!
食洗機が標準装備されてる!!
何より部屋が広い!
庭がある!

・・・掃除が大変だけどね。

さとしクンも明日から仕事が始まるので通常生活できるように何とか環境を整え、明日に備えます。



2006年10月28日(土) 引越し・新居へ

夢のマイホーム・一戸建ての新居に引越しを完了しました。

もう・・・・

大変ってもんじゃない!!

タメを実家に預けたからまだスムーズに行ったほうだと思うけど
タメが居たら・・・
想像しただけでおそろしい・・・

それ程荷物が多かった。

さとしクンと私。
独身時代お互い一人暮らしの荷物が一つになって
タメが産まれて徐々に荷物が増え・・・。
ダンボール箱の山でした!!

引越し業者の若き兄ちゃん四人がかりで手際良く荷物の運び出しをしたけど所要時間、二時間半かかった。

約二年、住み慣れた名古屋市内のマンションは住めば都でいいとこだった。
上の階の奥さんから引っ越し祝いで観葉植物頂いちゃって・・・。
ホント恐縮です!!

さとしクンと二人で入ったマンション。
出る時はタメも含め三人で後にしたかったけど私の体調もあまり良くなくて。
一週間は出血が続くと聞いてて、少量の出血がダラダラ続いてるし、内服してる薬のおかげの子宮の収縮の痛みにも悩まされてた。
安静にとさとしクンは言うけど引越しに安静は無理っす!
自分の体に害が出ないようにしてても疲れも溜まる。

よって、荷物を新居に入れた時点でジ・エンド。
翌日に持ち越しで実家に泊りに行きました。

久しぶりに会ったタメは私たちに顔を見ると駆け足で寄ってきて抱っこをせがむ。
うんうん、いっぱい抱っこしてあげる。
ギューッと抱っこしたかったのは私の方。
タメに会いたくて会いたくて。
夜、龍ちゃんの事を思っては泣けてきて、無償にタメに会いたかった。

離れていた五日間で完全断乳は成功して乳離れしたタメ。
タメ離れできないのはママの方でしたね、実感しました。


2006年10月25日(水) 元気に産んであげたかった

手術準備室は手術室のすぐ隣
一年三ヶ月前、タメを産んだ分娩室も隣の部屋だから初めてじゃなかった。
全身麻酔を利きやすくする為の筋肉注射を肩に打ち、看護婦さんが手術室の準備に取り掛かるまで20分程一人で部屋に居た。

新生児室同じフロアにあるのでシーンとした準備室にも遠くから赤ちゃんの泣き声が聞こえてきた。
なかなか泣き止まないとても元気で大きな泣き声で・・・。
「元気に産んであげたかったな・・・」
考えるより先に出た自分の言葉を耳にした途端、涙がボロボロこぼれて止まらなかった。
お腹の痛みもつわりの気配もまだ体に残っているのに、もう赤ちゃんはお腹にいないんだ・・・。
胸が詰まって喉の奥が苦しくなって声を殺して泣いた。


間もなく手術室に誘導され、全身麻酔を吸入
1から10まで数え、二回目に1・・2・・・3位数えたところで体が重く沈む感覚が一気に来て意識が無くなった。
ただ、昨日からタメに断乳をしていた為、パンパンに張ったおっぱいが痛かったのを覚えている。


気がついたのは先生に肩を叩かれ
「もう終わりましたよ、もう心配ないですよ」
と声をかけられた時だった。
途端に下腹部に痛みが走り
「お腹・・・痛い」と搾り出すように言葉を口にした途端吐き気が来た。
朝から一切飲食を禁止され、点滴だけだったので吐くものさえないのに。
麻酔がまだ効いてて体の自由が効かない状態でベッドに寝かされ
「お腹の痛みは子宮が元にもどろうとするから痛むんです。
しばらく眠っていただければ軽くなりますから」
看護婦さんの説明を受け、間もなく薬の作用からか数時間眠った。

ドアのノックで目が覚め、昼食が運ばれてきた。
吐き気はおさまり、下腹部の痛みも随分和らいだ。
パンケーキとサラダとリンゴジュースにバナナムース。
少しずつ口に入れながら麻酔が残るぼんやりした頭で赤ちゃんを想った。

お腹に宿ったと分かった時、嬉しくて嬉しくて。
「龍ちゃん」って名前つけて会える日を楽しみにしてたんだよ。
短い間だったけど家族四人の生活を想像したり、産婦人科選びに情報収集したり、あれこれ想像しては幸せだった。
もし、また私をママに選んでくれるなら今度は大事に大事にお腹の中で守ってあげるから間違えないで私を選んでね。
さとしクンもタメもじいちゃんばあちゃん、みんな待ってるよ。
ごめんね、こんなに早く外に出しちゃって、ごめんね。
ごめんなさい。

流産とは
流産とは、赤ちゃんが母体外で生育不可能な程早期(妊娠22週未満)に出てしまうことを言う。
妊娠と診断された方のうち約15%が流産となり、そのうち11週までの早期流産が13・3%。
早期流産の50〜70%は胎児の染色体異常によるものとされている。
染色体異常の99%は胎児期早期に死亡・流産となる。
その他にも胎児因子、母体因子、男性因子、夫婦間因子によるものがあるとされているが原因不明のことが多い。


避けられない流産だとは言え、7週間だけ私は龍ちゃんのママでした。
今朝の診察で私の前の順番の診察患者さんは見ただけでお腹が大きな妊婦さん。私と同じく腕には点滴が刺されていて、先生から手術の説明を受けていた。
偶然に見てしまった彼女の母子手帳には白紙の死産届けが挟んであった。
きっと彼女は赤ちゃんの胎動も感じていただろう。
大きくなったお腹をさすって赤ちゃんに会える日を待ち望んでいただろう。
流産の程度で言えば私はまだ早期の早期。
赤ちゃんの心臓の動きすら確認できなかった時期。
まだ多少は救われてるかもしれない。
でも、母であった気持ちはみんな平等にあっただろう。

今度私の中に命が宿ったら二人分の命だと思う。
元気に産んであげられなかった子供の命も含めて。

妊娠する事。
妊娠を継続し続ける事。
正常に分娩する事。
私には普通に出来る事だと思っていた。

人間が健康に生まれて来るには沢山の要因が見事にうまく重なり、奇跡と神秘の中で産まれてくるんだ。
命の重さ
もっと大切にしなくちゃいけない。

いつまでも悲しんでいてもいけないとは分かっていながらも、せめて
今夜は失ってしまった私たちの赤ちゃんの事を想ってあげたい。
また会える日を願って・・・。



2006年10月24日(火) 大量出血

早朝5時
生理ナプキンがすごく濡れている不快感で目が覚めた。
シーツを見たら血で汚れててトイレに行ってらナプキンの許容を超えていた。
用を足してる最中ドロッと血の塊みたいのが落ちる感覚がした。
生理中の血の塊どころじゃない
多分、握りこぶし程。

赤ちゃん・・・?

便器を除いても既に奥の方へ落ちていて見えない。
てかお水が血で赤かった。

心臓がドキドキした。
流産・・・・。

さとしクンを起こし産婦人科に電話。
即入院と言われた。
徒歩で5分もかからない病院へ車で行き、点滴が始まった。
心配そうにタメを抱きながら傍らについてくれてたさとしクン。
今日の診察結果によって二日間は絶対安静になると確定になった時点でタメを実家に預ける事に決めた。

早朝だという事もあり、出勤時間まで余裕があるおかげでさとしクンはタメを実家に預けそのまま出勤。

9時近くまで点滴は続き、エコーで診察が始まった。
結果・・・

既におなかには赤ちゃんは居ない。
胎嚢がつぶれて押し出され、多分今朝出たのがそうだろう。
胎盤やその他の組織がまだ子宮内に残されてるから早急に手術を行う。

ああ・・・やっぱり・・・。
点滴中、既に確信していた。
出血が止まらない時点でほぼ諦めて覚悟もしていたけど
お腹の痛みも胸のつかえる感じのつわりもまだあるのに・・。
お腹に手をあててみても突っ張った痛みしか残らなかった。

手術の同意書サインをもらう為に仕事の合間にさとしクンにもう一度病院に来てもらい午前10時半
手術の準備が始まった。


2006年10月23日(月) 出血

病院へ行ってきた。

診察の間すごく不安だった。

昨日、おとといと新しい家の掃除に行ってた。
たまたま外泊許可の出た母も実家に帰っていて介護もした。

事の重大さに気づいたのは昨日の夕方。
いつもより多い出血があった。
晩ゴハンを食べてる時にお腹に張りや生理痛みたいな鈍痛も感じた。
寝る時には出血は鮮血になっていた。

切迫流産

するかも・・・。

ずっとお腹をさすりタメやさとしクンの手を借りて「がんばってね」って祈り続けた。

今朝には出血の量も増え、先週予約を入れてた診察の時間まで部屋でずっと横になって寝て過ごした。

先生の診断の結果

切迫流産の可能性が非常に高い。
赤ちゃんの袋(胎嚢)は育ってるけど肝心の胎児の姿が確認できない。
ひょっとすると既に死んでしまっているか、成長が止まってる可能性もある。
金曜に引越しを予定しているので水曜に再検査して、結果によって木曜日に流産の手術もするかもしれないので心積もりはしておいて欲しいと言われた。
流産してしまう可能性が非常に高い。
先生から断言されてしまうとさすがにショックだった。

お腹の子供が流れてしまう事は早期であればあるだけ母体の都合では無く、胎児自体の問題で流れてしまうんです。
そう記載された用紙を頂いたけど、この一週間安静にできなかった私の責任もある。
自業自得。
タメの断乳も完全には出来ていなかった。
授乳する事によって流産を引き起こしてしまったかも。
客観的に考えても今の私の体の状態で胎児が持つとは思えない。
絶望的だろう。
アレコレ考えたら涙が止まらなかった。
正式にはまだ7週5日だった。
胎児が育たない。
私の子宮は居心地悪かったのかな。
ごめん、ごめんね。
自分の体力を過信しすぎてお腹の子供をいたわってあげられなかった。


今は懺悔の言葉しか浮かばない。

さとしクン、ごめんね。
子供・・・守ってあげられないかもしれない。


2006年10月19日(木) 資格を取ろうとしたのに(涙)

ココ最近信念を持って取り組もうと思ってた事がある。

ホームヘルパー2級を取るぞ!!

福祉関係に勤めてたママ友akiちゃんのアドバイスもあったのも一つの理由。
でも、イチバンのきっかけになったのは
母の介護。
身体が不自由になった母のおむつ交換、体位変更、車椅子への移動。
関わる事全てが初めてだった時、正直、面くらった。
看護婦さんからレクチャー頂き、何度もトライしていく内に慣れてきてコツも掴めた。
人間知識を少し詰めると欲張りになるもので、もっとこうすればいいんじゃないか、こういった時にはどうすればいいのか。
失敗を重ねる度にもどかしさと戦い、専門的な知識も欲しくなる。

母の介護だけに限らず、いずれ子供も大きくなった時、職を求める時期が来る。
年齢が若ければ職も選べるけど、高齢になればなる程選択肢も狭くなる。
中高年になっても働ける職の選択肢のひとつとしても今資格を取るにはいい時期じゃないか。

国家資格でもないし、講座を決まった時間聞き、実務、実習を重ねればいいんだもん。
子供の手間がタメ一人の時に・・・。

週一回の通学で実家近くの市の養成講座を見つけ、タメを弟の嫁に預ける話も済んだ上で講座説明会に行った。

あえなく断念・・・。

理由は・・・妊娠中だという事。

講習、実務は難無く受講可能なんだが、一般企業や病院へ行き実際に働く実習が受けられないんだって。
産んだ後でも実習をする事は可能だけど、講座を受けて8ケ月以内に全てのカリキュラムを終了しなければ修了証書はもらえない。
お腹の子供が生まれるのは8ケ月後・・・・。

もろダメじゃん・・・(涙)

すごく、すごく、すごーくヤル気になってたのに・・・。

切迫流産の危険がある時期だし、おなかの子供を犠牲にしてまでする事じゃないしね。
本当にヤル気になれば出産後、育児が落ち着いたら出来る事。
(それまでヘルパーの講座があればいいが・・・)

がっかりしたけど、総合的に考えても・・・いや、考える間もなく(今回は)諦める事にした。



2006年10月16日(月) 切迫流産の恐れ

朝、なんとなく違和感を感じた。
生理が始まっているようなヌルッとした感じ。
トイレに行ってみると出血していた。
鮮血の出血ではなく、生理が始まるほんの少し前といった感じ。
先週もうっすらとした出血があったんだけど、今日のほうが量が多い。

一気に不安になって産婦人科に行ってきました。
徒歩で数分のタメを産んだ産婦人科。
午前中は予約診察だったけど事前に電話をいれておいたので10時に診察予約をいれてもらえた。
だけど、相変わらずの混雑ぶりで診察してもらったのは11時過ぎ。
タメを看護婦さんに預け、診察台に載りエコー診察。
いつもなら一言、二言発言する先生の沈黙がすっごく不気味だった。
何枚も撮ってるのかな?
隣の部屋ではタメが大声で泣いてるのが聞こえていたけど、不安な気持ちが先立って、機械のカチカチという音が耳に残った。
診察台から降り、エコー写真を手元に置きながら先生の説明が始まった。

エコーを見る限りしっかり妊娠はしています。
受精卵も子宮に着床していますが、ほら、袋(胎嚢)があるでしょ。
ですが、ココとココ。
先生が指差すところには×マークで印をつけて
ココ二ヶ所で出血している状態が見られる。
赤ちゃんの大きさを見ても8週の大きさにしては平均より小さめで、本当ならだ円で赤ちゃんの袋(胎嚢)なんだけど出血したからか圧迫されているからか涙型になってるでしょ?
分かりやすい言葉で言うと「切迫流産」の恐れがあるんです。
今は薬を処方して子宮の収縮を抑えます。
尿検査で胎児のホルモンを見てどこまで育ってるのか検査をして、来週また来院して結果をお知らせします。
その間に強い痛み、出血があったらすぐに来てください。
赤ちゃんが育つようにあくまでも安静にしてください。


急転直下とはこういう事だろうか?
いきなり流産の恐れ!?
体が丈夫な事だけが取り柄の私が!?
今週から就職活動をしようとしていました。
いや、マジで。
短期のバイトでもいいし、事務仕事で短期があるなら尚更イイ。
人材派遣会社に登録したほうがいいだろうか、広告の求人情報から探したほうがいいだろうか・・・。
今月から力を入れようとしてた矢先なのに。

でも子供の命に関わる事ですから・・・。
今流れてしまったら・・・とり返しがつかなくなる。
後悔する事になる。

神経質になる程ではないと自分に言い聞かせながらもさとしクンに報告。
彼も会社で調べてくれたみたいで、とりあえず落ち着くまでは就職活動を休止。
子供を優先にするようにと連絡がきた。

もらった「安静」の注意事項を明記されたプリントには外出禁止、育児は手伝ってもらう、入浴はシャワー、もしくは15分以内、洗濯、掃除は軽い程度。
長風呂もダメか・・・。
じゃもちろん授乳もダメだわな・・・。

タメ
今日から断乳かも。

大丈夫か??


2006年10月14日(土) 面白行動

タメが面白い事をし始めた。

ここ最近散歩が楽しいらしく、玄関で「靴はかせろ!」「外連れて行け!」とばかりに「うぅ!」「あぁ!」と言って来る。
毎日の散歩のおかげか今はずいぶんスムーズにあんよが出来るようになった。
階段もハイハイ状態ながらもしっかりと一段一段器用に上がる。
さすがに降りる時もハイハイ前進で行こうとするから止めていますが・・・。
色んな事に興味があるらしく、一歩歩いては石を掴み、一歩歩いてはマンホールに指を突っ込み・・・。
数十メートルの直線でもナカナカ進みません(笑)

昨日の事です。
部屋の中でしたが、しきりに頭を地面に着けたがるんです。
姿は立ったままでね。
何をしてるんだろう・・・ってしばらくじっと盗み見してたら
「あきゃっ♪」
って明らかに楽しんでいる様子。

何しろ足が短い赤ちゃんですから・・・頭を地面にこすり付けているかと思ったのは・・・股の間から顔を覗かせてたんです!!
両足の間から逆さに見た世界にハマってた様子。

どこで覚えたんだろう。
とても不思議。

どこで何を覚えるのか分かりませんね。

その様子を仕事から帰ってきてからのさとしクンも見たの。
大爆笑で手を叩いて喜んでました。
ヘンなとこでツボにハマったみたい。

ホント子供って面白い!!



2006年10月11日(水) 嬉しい便り

M奈から久しぶりにメールが来た。
内容は・・・

とうとう私も母になりますっ!!
ご懐妊の知らせだった。

うそっ!!
うわっ!
うっ・・・嬉しすぎる!!

M奈はA子と同じく高校時代からの友人。
バリバリのキャリアで小さな個人会社だけどプランニング会社の管理職。
社長のイッコ下という役職で部下も居る。
ダンナさまとは10年の付き合いで結婚。
結婚四年で子供ナシだったの。
作らないのか、出来ないのかは分からず自然と話題は避けられてた。
M奈の仕事の都合もあるし、ダンナさまは今年独立開業したばかり。
今年は赤ちゃんできればいいけど・・・なんて話してたのは去年の忘年会。

めでたくM奈もママになるんだ♪
しかもウチの第二子と同い年。
うほほぉーい♪

仕事をどうするのか・・・なんてヤボな事は聞かずに今は素直にM奈の懐妊を祝いたい。
おめでとう!M奈!

数時間後A子からもメールが来た。
M奈が自分の懐妊メールをA子に送ると共に私の懐妊も知らせたみたい。
そういえば・・・A子に報告まだしてなかった・・・・。
この前ウチに遊びに来た時はまだ分からなかった時だったし。
A子の恋の話に花を咲かせてたっけ。

唯一独身のA子も最近会社に好きな人が出来、飲み会の席でメアド交換をしてからコンスタントにメールのやり取りをしてるみたい。
前会った時にはそこまで進んでいなかったのに!?
まだ彼とまでは行かなくても毎日が幸せだ。・・・って。

益々嬉しくなっちゃった。

みんながそれぞれ幸せ報告。
A子も今までの辛い恋ばかりだったからホント幸せになってもらいたい。
M奈も元気な子供産んでもらいたい。

みんながみんな幸せになれればいいな・・・。


2006年10月07日(土) あなたならどうする?

いつもよりゆっくりと起きた朝
私は朝ごはんの準備をしながらキッチンでサンドイッチを作っていた。
よく晴れた日。
秋晴れの天気。
こんな天気の日には布団を干して夜はフカフカで心地よく寝たい。
主人に布団をベランダに干すようにお願いし、足元でまとわりつくように遊ぶ娘を目で追いながらパンの耳を切ってた。

「あっ!!」
主人の声がしたのと同時にカランと何かが落ちた音。
目を向けると布団を抱えしゃがみ込み身を隠すように硬くしている主人の姿があった。

どうやら物干し竿が布団を持ち上げた際にストッパーから外れ下の駐車場に落ちたらしい。
我が家は二階。
一階には会計事務所がある。
落ちたはずみで持ち上がった竿は駐車してあった車のボディにコツンと当たったらしい。
事務所から車の持ち主らしいオトコの人が出てきたので反射的に身を隠したってワケ。


我が家の朝の事件でした。


状況が分からなかった私。
さとしクンに聞いたら大した事ないって言うけど、ならどうして身を隠す!!
車は無傷だと二階から見ても明らかなら持ち主に謝罪すべきでは??

うちが落とした証拠が無いし、確定もできないんだから黙ってればいい。
知らん顔すればいいんだよ。

言い張られました。
きっとさとしクンは事務所から出てきたオトコの人の様子を見て謝りにくい事を感じたんだろう。
バツが悪そうにしてたし。
おまけにストッパーからどうして竿が落ちたのか??と済んでしまった事をいつまでも不思議がる。
まるで言い訳をするように・・・。

その態度に曲がった事が大嫌いな私。
カチンと来てしまいました。

危険な事をわざとではないけどしてしまった。
本当に無傷か分からないけど車に触れてしまったなら余計に謝罪すべき。
私が当事者なら危険行為をした事だけでも申しわけ無いと思うもん。

さとしクンは1時間後には歯医者へ行く予定があった。
険悪なムード漂う中サンドイッチを食べ着替える。
下の事務所のオトコの人はウチの竿を事務所の入り口付近に置いて車を移動させた。
もしも竿を持ってお宅のじゃない?って訪ねられたら・・・
真っ先に考えた。
認めて謝罪しようか、それともさとしクン本人に対応させたほうがいいのか。
小心者ですかアレコレ考えましたよ。
正直にさとしクンに話したら
「ほんまmamiの想像力って・・・すごいと言うかすばらしいと言うか・・・感心するわ」
バカにしたように言うの。
ますますカチカチカチーン!!
もう知らない!
何があっても私は関わらない!


歯医者に出かける時
「怒ってる?」
機嫌を伺うさとしクンに
「怒ってるってよりさとしクンの対応に失望というかがっかりしたと言うか・・・今更謝りに言っても遅いしね」

茶化して責任逃れを言う姿にこんな人だったのか・・・
正直失望に近い感情が沸いた。
確かめた訳じゃない。
もし車に傷がついてたら修理代の請求をされる。
それを逃れる為にゴマかしてるのかな?
そんな事まで思った。

本当に険悪な雰囲気のまま歯医者へ送り出し、数時間後帰ってきたさとしクンの手の中には落ちた竿が。
「偶然落ちてしまいました。すいません、って謝ってきた。下のおっさん、あいつヤー公だな。いやにスゴミのある声でそうか。って言われておしまい。ごめんな、今朝は 」

竿を手に持つさとしクンの姿が妙にさっぱり見えたのは気のせいでしょうか?
あと残り少ないこのマンション生活で嫌な思い出なんて残したくないもの。
午前中、2人の感覚の違いと言うか(さとしクンは半分おちょけていたのだろうか?)考え方の違いに愕然としたけど・・・
こういう時、彼を押しのけて自分が前に出て謝りに行ったほうが良かったのか、彼の行動に任せればいいのか・・・・。

あなたならどうする?


2006年10月04日(水) 飛んだ

今朝、姉から電話があった。

家庭に戻り約一ヶ月。
家庭内がうまく行ってるのか心配してたけど、どうやらそこそこうまくやってるようだ。

今回の電話は相手のオトコの事。
オトコから貸してたお金を返してもらおうと家まで行ったら
出てこなかったらしい。
携帯もつながらない。
呼びリンを鳴らしても無視。
家の中に居るのは洗濯物から確認できたらしいが完全無視されてるらしい。
今月オトコの給料から12万返してもらう予定だったらしい。

そりゃそうだろう。
だって元からうさんくさい奴だったもん。
面構えだけは良いけどカッコいい事ばかり言って行動は伴ってないし、
奴の姉、兄から話を聞いただけでも身内からも金借りて踏み倒してる。
弟の保険証で借金してた過去もある。
要は、姉が生活の面倒を見てたヒモ同然の男だったんだもん。
誠実そうな言葉だけ並べてドロンしたんだろ。

既に愛想つかしてた姉にもこの行動には怒りまくっていた。
と同時にそんなオトコに惚れてた自分の愚かさを恥じたみたい。

残ったものは男に貸した金12万+身分証明が無いと言って姉の名義で借りたサラ金の借金。
姉は自分の借金に追い討ちをかけて男の借金まで背負った。

とことんオトコを追い込んでやりたいらしいが、相手は一枚も二枚も上手。
要はサギ師って事。
派遣社員だし、仕事も間もなく変わるって聞いてたらしいからもう飛んで逃げてる可能性だって高い。

高い授業料だったけど姉にはいい薬になっただろう。
心底後悔してるし、自分がバカだったって認識してる。
本来なら帰れなかっただろう家庭にも帰れてる。
家庭に戻れた事だけが唯一の救いだろう。

午後から義兄から電話がきた。
妊娠のおめでとう電話に始まり、姉の金の事で心配した義兄が私に色々聞いてきたのだ。
義兄も従来姉が作った借金を背負ってる。
姉は姉で家を出てオトコと生活し始めてから新たに作った借金を背負ってる。
義兄は姉の新たな借金の面倒を見るつもりは無いが、心配なんだと思う。
姉の借金の詳細を確認し、あれこれ相談にのってる私にお礼とよろしくと言って電話を切った。

義兄の電話は嬉しかった。
なんだかんだ言いながらも姉の事を心配してくれている。
実生活は大変だろうけど、義兄がこうして電話してくれることで
姉の家庭は必ず再生するだろうって確信した。

それにしても・・・なんてぇオトコだ!!


2006年10月03日(火) 妊娠報告

今回の妊娠をさとしクンにどういう方法で知らせよう・・・。

近所のママ友akiちゃんや身内には妊娠検査薬の陽性反応の赤く浮き出たマークをしっかり写メで送り報告。
さとしクンにも写メ送ろうかと思ったけど、やはり口で伝えたい。
はやる気持ちを抑えて夜まで待ちました。


帰宅してスーツを脱いでる時
「ハイ、コレ」
って検査薬を渡した。
「え?コレなに?」

「妊娠検査薬」

「このマーク何?これってどういう反応?」

説明書を渡す

「この反応は陽性反応・・・陽性って・・・。てことは・・?」

顔がにやぁぁ〜って笑い始めた。

おっ!!嬉しがってるじゃん♪

「これは、これは、おめでとうございます」

ん?このセリフ・・・。
タメの時と同じやんけぇ!!

「で・・・どうする?産んでいいの?」

「当たり前やん、しっかし・・・ホンマにうちら犬並みに繁殖力あるなぁ」

変な事に感心しないでよっ(怒)


妊娠に伴い、タメを断乳させなきゃいけないのか少し悩む。
akiちゃんは授乳していた為ホルモンのバランスを崩して断乳を決行したけど
私はぜんぜん体調不良なんて無いし・・・。
おっぱいを吸わせると子宮が収縮して赤ちゃんが流れる危険があるって聞いた事あるけど、調べてみると先生によってさまざまな見解があるのよね。
寝る時は必ずおっぱいを欲しがるタメ。
どうしようっかな・・・。

それと、産む産院をどうするか。
今度引っ越す街は市内には産める施設は総合病院一軒のみ。
総合病院は待ち時間もハンパじゃなく長いし・・・。
できれば個人病院やクリニックがイチバンなんだよね。
隣街にクリニックが一軒あるけど来年三月には産科を廃止するらしいし・・・。
実家近くまで行けば5軒位はあるのよね。
でも車で30分はかかるし。

お産難民がいるってニュースでやってるけど
産院の減少ってホントだな。

今住んでる名古屋市のこの街なんて産科多すぎる位。
タメは徒歩5分のとこだったし、車で10分以内に3軒程産科があるのよね。
この落差って何??
街と田舎の差だよね?

さぁ、どうする?
どうするオレ?



2006年10月02日(月) ビッグニュース

生理が遅れてる・・・。
もしかして♪もしかして♪
28日が予定日でした。
風邪ひいてたし、熱出たし遅れる事はあってもせいぜい私の場合1、2日程度。
おかしい。
デ・・・デキてる??

先月は楽しみ満々で空振りに終わったし、今回は子作り休止宣言をもらう数日前に仕込んだ程度しか覚えが無い。

検査薬も結構な値段するからムダにしたくないしなぁ。
もう一日、もう一日って延ばしてたら4日経過してた。

今日薬局行って買ってきました。

判定は・・・・・。

クッキリ赤線を確認。
妊娠してました。

本心、嬉しかった♪
タメがお姉ちゃんになるんだもん。
でも、パートで働くつもりだったから少し躊躇した。
多分今妊娠二ヶ月。
黙って面接受けて雇用してもらってから臨月まで働かせてもらおうかな・・・なんて考えもチラホラする。

さて、どうしよっかなぁ。

余談ですが、今回の妊娠
男女産み分けを試してた時期なので多分排卵日にバッチリあってると思う。
男の子狙って9/12仕込みの子です。
さ、結果はいかに・・・
10ケ月後をお楽しみに。


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