diary/column “mayuge の視点
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バイト採用決定&銀行口座開設

 今日、バイトの面接に行ってきた。

 現地の日本人向けに月二回発行されているタブロイド版の情報紙がフリーランスライターを募集していたので、さっそく応募したのだ。日曜夜にメールで履歴を送ったらすぐ返事がきて、今日面接。久し振りに襟付きのシャツにジャケットなんぞを着込んでYale Townの編集部事務所に出向き、担当者の方々と三十分ほどお話。あれよあれよという間に決まった。

 ギャラは「お小遣い程度」(担当者談)だが、お金をいただいて記事を書くというのは、やはりやりがいがある。いよいよマユゲもプロなわけである。さっそくバリバリ企画を考えよう(そしてまた引続き、安定した給料の仕事を探そう……)。

 午後は学校の申し込みへ。

 授業時間の組み方などをHiromiさんと綿密に相談し、学校側に連絡を入れてもらう。一日二時間でまずは二ヶ月($800)。こういったエージェントを通すと授業料はディスカウントの適用を受けられる(ちなみにここでは5%引き)ので、$760。入学金が$80なので、締めて$840也。LRS(学校の名前)は他と比べてあまり高くなく、しかも一日二時間のパートタイムコースとはいえ、やはり出費としては大きい。これは無駄にはできない。もう一度勉強できる機会を得たのだ。今までなれなかった「いい学生」になるよう努力しよう。

 授業料の支払いは現金か小切手。カナダでは、この「小切手による支払い」が何気に一般的らしい。小切手には「誰に支払ったか」「いつ支払ったか」「何のための支払いか」などが記入されるので、何かトラブルがあった場合、銀行に記録が残っていて証拠となるとのこと。この先、アパート住まいになれば家賃を小切手で支払うことになるのだし、この際、カナダの銀行で口座を開こう。

 そこでさっそくHiromiさんの紹介でCanada Trust(何故か通称TD Bank)へ。この銀行には日本語受付窓口があるので、小切手用の口座(Chequing Account)を初めて開く人もしっかり説明を受けられるそうだ。そう言えばこの銀行、ケータイを買った店のグラハム(二十九歳)も推薦していたっけ。あのときはまだ口座がなかったから、ケータイ料金の支払い方法を「毎月請求書をもらってRogers Videoの店頭などで払う」ということにしておいたけど、この場合毎回手数料$1がかかる。来月から口座引き落としにしよう。

 日本語窓口があるTD BankはGeorgia St.とHowe St.の角で、ちょうどPacific Centreのドーム型エントランスの向かい側のビル。一階に通常の窓口やATMがあり、件の窓口はエレベーターで上がった二階。口座開設の手続きは、目を見張るくらいきれいな日本人のお姉さん二人が対応してくれた。手続きにはパスポートの他にもうひとつ、IDが必要。マユゲは国際運転免許証を見せた。目下口座開設業務トレーニング中というYukikoさんの初々しい説明を受けながら、口座のプランをチョイス。

 結局、月のうち一日も欠かすことなく$2,000が口座に入っていれば、
 ・口座維持手数料($9.95/M)が無料
 ・ATMによる引出(こちらは24h)等の取引は月25回まで手数料なし
 ・小切手帳の発行も無料
 ・残高証明書発行無料(年一回)
というタイプに決定。その場で通帳とカードをもらい、暗証番号を登録。ついでにWeb Bankingの利用登録も済ます。

 一連の作業で約三十分。時計を見ながら「前回のお客様のときは一時間近くかかってしまいました」と照れて笑うYukikoさんは、シャープな顔立ち、オトナ系メークで女優のようにきれい。よく、「美人は三日で飽きる」なんて言う人がいるけど、こういう美人なら三日じゃ飽きないと思うなぁー、俺。

 しかーし。彼女の左手薬指には、しっかりとダイヤモンドリングがきらめいていた……。

 ガークッ……。

2002年01月23日(水)

学校選び

 「は?」

 相手の言っていることがさっぱり分からない。相手が喋っている言語は確かに英語なのに。中学、高校、大学で少なからず英語を「勉強」し、そのカタコト英語で世界各地の人とコミュニケーションをとってきた者にとって、これはなかなかショックである。

 日本にいるとき、CBSのTVニュースを副音声で聞いていても、言っていることが何となく分かったものだ。でもあれはあくまで「しゃべりのプロ」の発音。キャスター、アナウンサーと呼ばれる人たちはきっと、大きく口を開けて「アエイウ、エオアオ」なんて言いながら、聞く人が分かりやすいようにはっきりと発音する練習をしたに違いない。

 一般人はそうはいかない。人によってクセがいろいろなのだ。若い人と年配の人でも違う。それこそ何十、何百通りの英語がこの街を飛び交っているのだ。(むむー、どーすりゃいいんだー!)

 とはいえ聞き取れなければ話は始まらない。それにはもう「訓練」と「慣れ」しかない! というわけでリスニング力向上のため、学校に通うことにした。

 そこでまず、バンクーバーにいる日本人に語学学校を紹介している機関の相談窓口へ行ってみる。ここでは、英語で電話しているときの相づち「アーハーン?」の発音が可愛い、Hiromiさんというお姉さんが優しく対応してくれた。選定基準はリスニングとスピーキングの授業が充実しているところ(左の歯で噛んだら、次は右の歯で噛むのといっしょ、リスニングをやったらスピーキングもやらねば)。バンクーバーに百以上あるといわれる語学学校の中から、その基準でピックアップしてもらった三校で、さっそく無料体験授業(Trial Lesson)を受けることにした。

 そして今日、三つ目の学校に行ってきたのだが、行くところは決まった。LRS(Language Repair Shop)という、ちょっと変わった名前の学校である。少人数制を徹底しているところで、授業の様子、教材の準備の仕方など、よく考えられたシステムで運営している印象を受けた。スタッフの人たちも頭の回転がいい人たちとお見受けした。聞いたことに適切に答えてくれ、こちらの要望を確実に汲み上げてくれる。学校でもなければあまり足を向けることもなさそうなGas Townという立地も、メジャー過ぎなくて気に入った。

 よし。明日にでもまたHiromiちゃんのところ行って申し込んでこよ。

2002年01月22日(火)

初ウィークエンド

 金曜の夜。

 この日はJuneさんに声をかけていただいて、Emiさんと三人でYaletownのレストランへ。ダウンタウンの南側に位置するこのエリアは、もともと倉庫だったところを改装したオシャレな店が軒を連ねていて、若者たちが集う"ちょっとした"スポットになっているそうだ。東京でいうと「麻布って感じかなぁ?」ということらしい。

 元倉庫というだけあって広い店内。数多くある席もあっという間に若い人たちで埋まっていく。隣りの大きなテーブルは合コンらしき状態だ。マユゲはここで、Granville Islandの醸造所直送という、やや赤みがかったペールエール・ビールに喉を鳴らす。家で飲むビールもうまいけど、こういったお店でいただくビールはまた格別(要するにビール好きというのは、何処で飲んでもうまいのである)。料理もおいしく、話も盛り上がり、実に楽しい夜であった。

 明けて土曜日。

 今日はホームステイ先からバスに乗って地元のレクリエーション・センターに行ってみた。目的はアスレティックジムとスウィミングプール。日本で最後に行ったのはもう一週間前。せっかく三ヶ月間、週三日通ってペースをつかんだところだけに、ここでやめてしまうのももったいない。というわけで、カナダ人にまじってウンウン言いながらウェイトを上げ、バシャバシャと泳いだ。プール内には気持ちのいいジャグジも。この温度がまた適温で、まるで温泉につかっているよう。ガラス窓でできた天井から射し込む光のなかで、思わず

 「うえーぃ」

とオヤジのような声を漏らしてしまった。

 バス停近くにあった中国人のピザ屋さんでアンチョビのピザを買い込んで帰宅。しかしこれで終わりではない。この日はNFLのプレーオフ、2試合が行われるのだ。すでにソファに寝そべって観戦中のJuneさんに合流、マユゲもビールを飲みながら白熱する中継に見入ったのであった。かれこれ13年もNFLを観てきているが、よく考えるとスーパーボウル以外の試合を生中継でみたのは初めてである。

 ビール片手にピザをかじりながらアメフト中継……。う〜ん。これぞまさに北米の週末。

2002年01月19日(土)

家探し&ケータイ契約

 昨日は、ダウンタウンのなかでも安全と言われていて物件数も多いエリア「WESTEND」一帯を歩き回り、街並みなど生活環境を調べてみた。

 家探しの情報源は、
・現地日本語紙『バンクーバー新報』のクラシファイド欄
・同じく日本語紙『oops!』
・現地紙『VANCOUVER SUN』
・日加センターの情報ボード
・コンビニ屋(Robson St.にある"日本人の溜まり場"的コンビニ)2Fの情報ボード
といったところ。

 これらのスペースにはRoommateとかSharemateなんて大きく書いてあって、それぞれ場所や料金などの条件や連絡先が書かれている。これを見て興味を持った人がそれぞれ電話を掛けるわけだ。

 マユゲもさっそくこれらの情報の中から自分の条件に合うものをピックアップしようとするものの、これがまた「Female Only」の多いこと...。バンクーバーで住まいを探そうと思ったら、女性のほうが相当多くの物件から選ぶことができる。

 ま、グチっていても仕方ないので、ふるいに掛けてわずかに残った物件の中からRENT$400/Monthくらいのものをさらに拾ってみる。住む場所の第一希望「WESTEND」一帯は前日に歩いているので、所在地を示す通りの名が書いてあると、地図をもとにだいたいの様子が分かる。
これら募集の主たちは、Canadianの働く男性あり、Koreanあり、Japaneseあり。さっそく何軒か電話をかけてみるがその応対は様々。

 一番条件の良さそうだったカナダ人の部屋は「just taken」とのこと。むむー残念。「Thank you for calling, bye!」折り目正しい人という感じであった。一方ひどかったのは、何軒めかにかけた電話に出た日本人の女の子。その受け応えといったら世の中舐めきってるとでもいうか、とにかくひどかった……。それだけで彼女がここでどんな生活をしているのか想像がついてしまうようであった。

 ま、それも放っとくとして。これからはしばらくは、このような「情報ゲット→電話→日程調整して下見」という行動が続きそう……。電話をかける機会も多くなるし、ホームステイ先の電話番号を連絡先として知らない人に教えるというのも、あまり好ましい状態じゃない。ここはいっそケータイを持とうか。

 というわけでさっそく今日、ケータイを取り扱っているお店を何軒か回ってみた。カナダでは、ケータイの契約期間は通常二年間になるという。そのため一年しかカナダに滞在できないワーキングホリデーVISA保持者は、割高になるプリペイド方式のケータイを契約することが多いそうだ。

 しかし四軒目の店員、グラハム(29)によると、ROGERS AT&Tという通信会社では、一年単位でも通常の通話プランを契約できるという。「アキハバラ」での買い物経験もあるグラハムは、なかなかの好青年であると同時に優秀な販売員。マユゲが英語のヒアリングに難があると見るや、ゆっくり且つはっきりした発音をしてくれる。そして端末の機能、契約内容や支払方法など、細かいことまでしっかりと説明してくれた上に、契約プランや支払方法の変更についても、電話をするか店にくればいつでも手続きをしてくれるということであった。迷わずこの店で、マユゲにとって一年ぶりとなるケータイをゲット。

 いくつかある通話プランのうち、
1)平日昼間150時間通話(超過¢25/分)+週末かけ放題=$25
2)平日昼間100時間通話(超過¢20/分)+平日夜間・週末かけ放題=$35
で少し迷ったが結局 2)のパターンで契約。

 さてケータイもこれでよし。よーしゃ、バリバリ家探すぞ。

2002年01月18日(金)

SIN(社会保険番号)取得手続き

 昨日は、空港到着後、ホームステイでお世話になるHiroさんJuneさんご夫妻のオフィスへ直行。二人が仕事をしている間の時間を利用して、さっそくダウンタウンを歩いてみた。

 そこでまず感じたのはアジア人の多さ。移民の人だけでなく、ビジネス、留学、ワーホリなどきっと様々なのだろうが、その数はいわゆる「白人さん」を凌ぐ勢い。至る所から日本語、ハングル、中国語が聞こえてくる。

 それともうひとつ、やたらと多いのが「Starbucks Coffee」。その数、三つ四つどころではない。これにスタバ以外のコーヒーショップも加えれば、それこそ無数と言っていいほどだ。レストランやブランドショップなどで賑うRobson St.のとある交差点では、斜向かいの角どうしにスタバがあったりする。東京でこれだけ出店したら不採算店が続出しそう……。むむー、こちらの人のコーヒー消費量はハンパじゃないらしい。ま、俺コーヒー好きだからいいけど。

 そして今日もダウンタウンへ。今日はS.I.N.カードの申請をせねば。申請窓口機関HRDC(Human Resourses Development Canada)の場所を、Juneさんの会社で働くEmiさん(彼女もまたワーキングホリデー・メーカー)に教わってから出掛ける。HRDCは、Waterfront近く、Howe St.とW Cordova St.の交差点にあるSinclair Centreというビルの上階にあった。

 空港のImmigrationのオヤジにもらったApplication Formに必要事項を記入。両親の名前を書く欄があったりして一瞬面食らうが、その他は月並みな内容。ちなみにApplication Formの用紙はここにも用意されているので、もしなくしてしまっていても大丈夫。

 受付窓口でパスポートを提示してApplication Formを提出、そしてロビーで待つこと十数分。先ほどの受付の隣りのセクションから名前を呼ばれ、そこで質問に二、三答えると「within 4weeks」で記入した住所にカードを送るとのこと。実は係の人が言っていることの半分以下しか理解できなかったが、なんか事は済んだ感じ。ま、取りあえずこれでよさそうだ。

 今回、カード送付先の住所はホームステイ先のものを書かせてもらったものの、これからも何かと住所や電話番号を記入することがありそう。

 次にやるべきは住まい探しだな。

2002年01月16日(水)

カナダ入国

 いよいよ出発。

 成田1900発、AC(エアカナダ)004便。出発の二時間半前に到着したHISの空港カウンターで引換券を渡すと、すでにチェックイン済のボーディングパスを渡される。

 「窓側の席をご用意させていただいております」
  えっ?もう席決まってんの?
 「はい、本日は満席でございますので」

 非常口横が良かったのにな。ま、仕方ない。じゃ、マイルの積算だけでもお願いします……。

 確かに機内は満席。すでにスノボウェアの上着で乗り込んできている若者もいたりする。そうか、この便はバンクーバー直行便。スキー・スノボ客で埋まっているのね。しかし、奥に進むにつれ雰囲気は少々変わってくる。何やら甲高い声が飛び交っているのだ。

 「機内少少熱有、我上着載収納棚」
 「我欲我鞄伴載!」

 と言ってるのかどうかは分からないが、中国人の団体が席を行ったり来たりしながら通路を半ば埋めている。そうかそうか。バンクーバーには北米有数のチャイナタウンがあると聞く。そして彼らは旧正月前。さては日本へ買い出しにでも来ていたのだろうか。

 そんなこんなで騒がしく始まった空の旅も、夕食を詰め込まれた後は皆、就寝モード。薄暗い中で上映されるアニメ映画『アトランティス』を無理して英語音声で観賞していたためか、マユゲも自然と眠りについた……。

 目が覚めると今度は朝食を詰め込まれる。自分の意思とは関係なく出される機内食を狭い席で食べていると、どうしても「詰め込まれている」気がしてしまう。俺はブロイラーかいな。そんでもって飲み物。これがまたシステム上、飲み放題なもんだから、皆、飲むわ飲むわ。挙げ句に皆、同じ時間にトイレ渋滞。何気にこれで毎度痛い目にあったりするのだ。と、横をキャビンアテンダントさんが通る。あっ、ちょっとお姉さん、Excuse me。コーヒーおかわり。人は過ちを繰り返して生きていく……。

 やがて機体は下降を開始。地表に敷き詰められたかのような真っ白な雲の中をくぐり抜けると、窓からはカナダ西岸の様子が見えてくる。点在する岩の小島に波がぶつかり白い波が立っている。陸地も見えてきた。針葉樹林だろうか、濃い緑に覆われている。

 これが北米大陸か。いよいよ初上陸だ。

 さらに低いところにある重たい色の雲を突き破って、現地時間1050、飛行機は無事バンクーバー国際空港に到着した。

 出発したのが1月15日午後7時。到着したのは1月15日午前11時。これは前から調べて分かっていたし、当然時差とはそういうものだと頭では分かっていても、やっぱり不思議な感覚だ。なんだかちょっとだけ人生やり直した感じ。ってことはここで「得」した分、帰国するときには人生に空白の時間ができるってこと? ん? え? 何何? それってどういうこと? …………。鼻から脳みそが出そうになったので、この問題は帰国するときに考えることにした。

 到着ロビーを順路通りに進むと入国審査。しかしここで仰天。げげ。階段の下に広がる審査のフロアには、既に十ちかくの列ができており、それぞれ六、七十人ずつは並んでいるではないか。いきなりのパンチ。

 一時間かけてこれを通過。しかし同じ列の二組前、日本人家族の小さな男の子のわめきぶりにはホトホトまいった。周囲の同年代の子たちとは対照的に、泣き声を出したり、走りまわったりのわがまま放題。くぉらっ、このガキゃ。おとなしくしてろ!っつーの(怒)。

 審査官には、機内で記入しておいたCustom申告カード、パスポート、そして「ワーキングホリデー就労許可証の発給許可の手紙」(diary11/29参照)を提示。すると次にImmigration(移民局)に寄れと言われる。提示したものはすべて戻された。

 Immigrationでも列に並ぶこと四十分。ここでも前述の三点セットを提示。ワーキングホリデーVISAは、ここで初めて発給されることとなった。PCでタイピングされた用紙をパスポートのVISA欄にホッチキスで留めるという形式である。インドのときはでかいスタンプだった。ネパールはシールだった。VISAのスタイルも各国いろいろらしい。

 そしてここでHRDC(Human Resourses Development Canada)の茶封筒を渡される。なかに入っているのはSocial Insurance Number(社会保険番号)カードの申請書。窓口のおっちゃんは早口で何か捲し立てているが何を言っているのかさっぱり分からない。「要するに、いいから早いうちにHRDCに行け」という感じで、手で「行け行け」をされる。はぁ、じゃ、そうします。改めてガイドブックを読んでみると、カナダで働くにはこのS.I.N.カードというものが必要とのこと。これを持ってない人を雇うと、その雇用主が罰せられてしまうのだそうだ。そうですか。それでは今日か明日にでも。

 こうしてようやく到着ロビーへ。そういえば片道航空券で来たのに、預金残高の証明を見せろと何処でも言われなかったな。やっぱり、「聞かれる場合もある」というのは正しかった。Tourist Infomationでダウンタウンの地図をもらい、手持ちの日本円すべての両替を済ませるといよいよ空港の外へ。

 さあカナダ入国だ。まずは何から!?

 ふぅ〜。
 きりりと寒い空気のなかで、まずは一服。

2002年01月15日(火)

ドラマも見納め

 昨晩、金八先生を「見納め」。

 そう、日本を発つということは、連ドラともお別れということになるのだ。前回の旅から帰国したのが昨年九月末。ちょうど十月改編の連ドラのスタート時季であった。そしてこのクールは、仕事をしていた頃にはほとんど縁のなかった連ドラなんぞを見たりして、テレビの虫になっていたのである。『水曜日の情事』、『スタアの恋』、そして『3年B組金八先生・第6シリーズ』……。いわゆる「不倫モノ」を面白く見れるようになってしまった自分に驚き、「スター女優とリーマンの恋なんてあるわけないじゃん」と言いつつ最終回で「ひょっとして?」と罠にハマり、病んだ時代の教育現場に思いを馳せる、そんなヒマ人な三ヶ月であった。

 なかでも『金八先生』はよかった。といってもこれは2クール連続のようで、引続き卒業シーズンまで放送するようだ。その年明け一回目の放送が昨晩あったというわけ。ドラマの舞台である桜中学校と坂本家では、新年早々問題が山積。これから一段と目を離せない展開となりそうだ。しかも、たのきんトリオ出演時代からの「金八フリーク」を自認するマユゲ兄オススメの第5シリーズを、レンタルビデオで借りて全10巻ブッ通して見るなど、「前回までのあらずじ」を把握したところだけに、続きを見られないのが何とも残念である。(第5シリーズは確かに秀逸であった。マユゲの感動ドラマベスト10で『愛という名のもとに』を抜き、『白線流し』に次ぐ第二位にランクイン)

 それは仕方ないとして。今日また新聞のテレビ欄をなんとなく眺めていたところ、とある枠に目がとまった。

00[S][字]金曜エンタテイメント新春ドラマ特別企画

「スチュワーデス刑事6・ウィスラー〜沖縄〜バンクーバー、愛と殺意の白い恋人たち…大食い美人スッチーと推理するカナダスキーリゾート殺人事件!」

財前直美 水野真紀 木村佳乃 村田雄浩 西岡徳馬ほか


241966
10

 おいしげなキーワードを性懲りもなく羅列するベタなタイトル。三年前のマユゲであったら、おそらく一瞥もくれなかったであろう。しかし今回はその相変わらずのくどさに苦笑しつつも、しっかりと読んでしまった。数えてみると、琴線に触れるキーワードが少なくとも七つある。

 むむー。人間、情報感度の張り巡らしかたひとつで、見えてくるものがこうも変わってくるか。やはり常にいろいろなものに興味を持ち、ワイドな視野を保たねば。出発を前に改めて自らを諌めるマユゲであった。

 しかし何故、世のおばさま方はこんなにも「殺人事件」が好きなんだろうか……。

2002年01月11日(金)

国際運転免許証取得

 明けました。

 いよいよ2002年。出発を一週間後に控え、今日は国際運転免許証(International Driving Permit)の手続きへ。この国際運転免許証というのは有効期間が一年間とのことなので、カナダでめいっぱい使えるようにこうしてギリギリまで待っていたのだ。

 マユゲは神奈川県民なので、横浜の二俣川にある運転免許試験場へ足を運ぶ。心なしか若い人が多く見受けられる試験場周辺。建物の入口横に献血コーナーを見つけ、最後にここを訪れたときの記憶がふと甦る。そう言えばあのときここで「初めての献血」をしてヤクルト飲んだっけ。当時は十八歳か。思えばそれはもう十年も前の話。この十年間で果たして俺はどれだけ成長したんだろう? …………。わかんない。

 気を取り直して建物の中へ。現在保有している日本の運転免許証がこの九月に期限切れとなるため、まずはこちらの事前更新手続きを行う(いわゆる「カキカエ」です)。まず申請書をもらうのに列に並び、次に印紙を買うのにまた並ぶ。続いて適性検査(視力のテスト)の列へ。ひとつひとつの手続きのためにいちいち列に並びなおすというのは、いかにも「お役所的」でカッタルイもの。でも、こんなにも多くの人が毎日毎日やってきては並びまくるだけに、結局これが一番間違えのない方法なんだろう。さらに写真撮影で並んだら、三十分間の講習を受けて手続き終了。

 しかし講習後に渡された免許証を見て愕然。今まではいわゆる「ゴールド免許」だったのが、ブルーの「超フツー免許」になっているではないか。これって何かの間違い? さっそく案内所で問い合わせる。すると、これまた「お役所的」青い作業着を羽織ったお姉さんがコンピューターのキーボードを叩く。照会結果を画面で確認したお姉さん曰く、「平成10年9月に駐車違反やってますよね?」。そうか。そう言えばやってました、わたし。しかもその「唯一の汚点」の日付は、実に二十五歳の誕生日であった……。

 またまた気を取り直して本題の国際免許受付へ。ここでの手続きはいたってカンタン。パスポートと運転免許証を見せて、写真(縦横50×40mm)と2,650円分の印紙を貼った申請書を提出する。するとものの五分で名前を呼ばれ、できたてホヤホヤの国際運転免許証が渡された。モノ自体は三つ折りになった厚紙で、大きさは文庫本程度。観音状の表紙を開けると、先ほど提出した写真が貼り込まれ、その上に刻印が押されている。この写真の下に署名をすれば、本日から一年間有効になるそうだ。

 そこで帰宅してきた今、さっそく署名をしたというわけ。懸案の国際運転免許、これでよし、と。


---ちなみに---

 神奈川県在住で今後(日本の)自動車運転免許証をカキカエされる方へ。なんでも、「県民の負担を少なくするために」という主旨の法改正によって、申請者は事前に写真を用意する必要がなくなったとのことです。がしかし、これによりマユゲが用意していった小奇麗なネクタイ姿の写真の使用は敢え無く却下され、その場でユニクロ・フリース&中途半端なヒゲ面のまま、実物以上に人相の悪い写真を撮られました。マユゲの前に並んでいた「西郷さん」(申請書をチラっと見たところでは昭和50年1月生まれ)という女の子は、まるでそれを予想していたかのように、ブラックのニット&パールのネックレスで上品な上半身を演出し、やわらかなスマイルを浮かべつつ写真に収まっていたのであった……。

 むむー、さすがは女。

2002年01月07日(月)

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