DOTFAMILYの平和な日々
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2012年07月12日(木) 葬式騒動:付記、あるいはゲーム大会

実は、葬式とは全然関係ない。昨日書いたら愚息が行ったゲーム大会のことである。ストリートファイーとはラスベガスで大会をやるほどメジャーなゲームなのかとは思ったのだが、興味が無いので詳しいことは聞かなかった。いや、聞いたのかもしれないが全く覚えていない。

月曜日の朝、起きると居間の床にラスベガスに一緒にいった愚息の友人が転がっていた。(これはよくあること。)テーブルの上にはプラスチックのカードが置いてある。

EVO CHAMPIONSHIP SERIES
WORLD 2012
FINALS

どうも大会の出場者パスであるようだ。ストリートファイターとはどこにも書いてない。

後で愚息に聞いてみたところ、ストリートファイターの大会ではなく色々なゲームの大会だったそうだ。愚息達が出場したゲームがストリートファイターだっただけのことであった。

そうだろね。ストリートファイターだけの試合をシーザーズ・パレスなんかでやるわけがないよね。出場人数はストリートファイターだけで300人以上いたそうだ。愚息は二回戦までは順調に進んだが、三回戦でプロと当たってこてんぱんにやられたそうである。もちろん愚息達は上位入賞を狙っていたわけではない。お祭り騒ぎに参加したかっただけである。その目的は充分達成したようだ。

このEVOとやらは、10年以上前にインターネットで知り合った学生が始めた大会であるらしい。最初は規模が小さかったのだが、例に漏れず段々大きくなり、ついに「世界大会」と称するまでになった。が、その時点でクレームがついた。アメリカだけでやっていて「世界大会」とは何事か!という訳だ。そりゃそうだろうね。でもアメリカって好きじゃないですか、「世界一」。(どこの国でもそうか?)もちろん、ゲーム好きが集まって遊んでいるだけだし、「世界大会」と称するからにはどこの国からの出場者でもOK。ということで日本からも参加者がやってきて優勝をかっさらっていったそうである。今年の優勝者は韓国人であったらしい。(ストリートファイターの話ね。)

アジアの若者よ、ラスベガスまで来てゲームやってないで、他にやることないのかね?

あっ、でも彼らはもしかしたらそれが仕事なのかもしれない。若者じゃなかったかもしれないし。

愚息「やっぱりプロって凄いよね。全然歯がたたなかった。」

私に言わせりゃ、プロが出場する大会に出る君たちの方が凄い!


2012年07月11日(水) 葬式騒動:しつこく、その後

7月の第一週の週末にラスベガスでストリートファイターの全米大会(世界大会かな?去年の優勝者は日本人だそうだから・・・でも世界大会なら日本でありそうな気がする)があるそうである。毎週毎週金曜日に我が家に集まってストリートファイターで遊んでいる連中も出場することにしたそうである。で、当然愚息も誘われた。愚息は金がないので断ったらしいが、「ホテルは俺達が払うからいいよ。もうお前の名前も登録しちゃったもん」と言われ、参加することにしたそうだ。愚息ってストリートファイター、そんなに遊んでたっけ?

実は、金曜日の夜になると何故か我が家に馬鹿者どもが集まってストリートファイターをやっていたのだが、愚息は余り参加していなかったような気がする。金曜日は空手の練習で帰ってくるのが遅いし・・・そこで、こいつら何故家で遊んでいるのだろう、と不思議に思っていたのだった。

でまぁ、よくわからんが、木曜日から日曜日までラスベガスへ行くことになった。もちろん愚息がである。

そこで、久しぶりに愚母と愚息の会話です・・・

愚母「君、4日間もよく仕事休めたね?」
愚息「全然問題なかったよ。ま、ラスベガスに行くとは言わなかったけど・・・」
愚母「もしかして、おじいちゃんのお葬式があって、誰も知らないと思って仏教の葬式は1日じゃ終わらないとかなんとか言ってきたんじゃないでしょうね?」
愚息「・・・よくわかったね。」

・・・やれやれ、平気で嘘をつけるのは私譲りだな。


2012年07月10日(火) 葬式騒動:その後

終わるって書いておいてまだ続けるとは・・・って怒らないでね。

アメリカの映画やテレビを見ているとよく出てくるセリフの一つに

“My way or highway”

というのがある。

私はこれが結構気に入っている。「俺のやり方が気に食わねぇんなら、どっかに行っちまいな」という感じかな?どこが気に入っているかというと、横暴ではあるが相手に選択肢を与えているところである。「俺が正しいんだから文句を言わずに俺に従え」ではないところが良い。私、選択できる状態って好きです。

義弟夫婦のやり方はこの"My way or highway”だと思った。だから私はHighwayを取ることにした。争わずに去る・・・何か問題ありますか?

あるんだよねぇ、これが。義弟夫婦のやり方はアメリカ式の“My way or highway”ではなかったのだ。この度はつくづく自分が甘かったことを思い知った。「俺が正しいんだから文句を言わずに従え」でもない。「俺が正しいのだから感謝しろ!」なのである。議論の余地は無い。

それでも、私は黙って去ります。

あ、別に離婚するとかそういうことじゃないですのでご心配なく。これまで通り、いえこれまで以上に小さくて平和な自分の世界に閉じこもるだけです。その小さな世界には、ダンナも愚息もちゃんと含まれています。あの二人は私がどんなに「いらん!」と言っても聞く耳を持ちませんし、あの二人に私の平和が乱されるとしても(もう思いっきり乱されとりますわ)、それは私が選んだことだから、仕方ありませんしね。


2012年07月09日(月) 葬式騒動:その11(最終回・・・多分)

多分「葬式騒動」最終回です。私の愚痴を読み続けて下さった方々、どうもありがとうござました。些細なことでムカッとする修行が足りない私ですので、お見苦しい愚痴をだらだらと書いてきました。自分の鬱憤を晴らすために書いた「葬式騒動」です。浄土真宗や東本願寺に対して失礼がございましたら、誠に申し訳ありませんでした。浄土真宗、及び東本願寺に対して批判したり茶化したりする気持ちは全くございません。そのように受け取られる文章がございましたら、それは私の表現がいたらないためです。また、不愉快な思いをなさった方がいらっしゃいましたら、この場を借りてお詫び申し上げます。

そうそう、それで思い出した。(どれでだ?)ダンナの二番目の弟の嫁が言った「葬儀の最中にスライドショーをやるというアメリカ式の葬式は非常に評判がいいので、来月から日本の東本願寺でも取り入れることになった」という件だが、ロスアンジェスルの東本願寺に問い合わせたところ・・・

「浄土真宗は檀家がとても多いので色々な方がいらっしゃいます。お寺もたくさんありますので、全て知っているわけではありませんが、浄土真宗全体、あるいは東本願寺でそのようなことに決まったというお話は聞いておりません」

ということであった。

嘘をついてまで自分勝手なことをしようという気持ちは、私には理解できない。でも、私には理解できない人はたくさんいるわけだし、皆が同じように考える必要もないのだから、ムカッときたとしてもそれは基本的には私の問題なのだ。大抵の場合は、グチグチ愚痴ってお終いになる。しかし今回は最後に、これだけは許せないという事件が起こった。

次男のスライドショー葬式計画を台無しにした責任者は多分ダンナと私である。だからダンナと私が憎まれたとしてもそれは仕方がないことだと思う。しかし、葬儀の日までにダンナは極悪非道だから決して口をきかないように、という御触れが親戚中に広まっていたのだ。特に義妹の親戚は、ダンナが挨拶をしても完全無視。ダンナの甥や姪も、普通ならダンナを見ると自分から寄って来て挨拶をするのに、目も合わせようとしない。すっげえテンションであった。

さて、葬式、お食事会、墓地での供養の後、身内だけが義母の家に集まった。遠くから来ている親戚もいるし、このまま解散というのも名残惜しいと考えたのだろう。義母も久しぶりに自分の姉とゆっくり話せて嬉しそうだった。

犬のエサをあげなくてはならないので、私たちは一旦家に帰った。だから義母の家に着いた時にはほとんどの人達はもう集まっていた。やはり、ダンナの上の弟夫婦はもとより、姪や甥もダンナのことを完全に無視。チラチラと横目でダンナを見ている。ダンナと私が義母の家に行った時、ダンナの甥や姪は年寄りに家の中の居心地のいい場所を譲って外で談話していた。私たちが来たことには全員が気づいた。それでも「ハイ」の一言も無い。近い親戚だけの集まりだけに、そのテンションはお寺以上であった。

これってイジメだよな。アメリカにもあるんだなぁ。

ところで、愚息は私たちとは別行動であったので、私たちよりも先に義母の家に行き、私たちが着く前に帰っていた。義母の家で従兄弟達と話していた時、愚息が仲間はずれにされるということは無かったそうだが、愚息がいつもの冗談で何かやったか言ったかした時、次男の娘から

「あなたのお父さんが意地悪だからって、あなたまでマネしなくてもいいでしょう」

と言われたそうである。

世の中には色々な考え方をする人がいる。私は自分と全く違う価値観を持っている人でも悪い人だとは思わない。ただ違いがあるだけだ。それでも人は人を憎む。私だって嫌いな人はいるし、憎ったらしいと思うこともある。でもそれは私だけの感情である。腹がたったら喧嘩をすればいい。喧嘩別れになってもいいからとことんやり合えばいい。ほとんどの場合、憎しみは誤解から生じているので喧嘩をしている内にわかりあうことができる。喧嘩する度胸がなければ、一人でうじうじしてればいい。

やってはいけないことは、自分の憎しみを他の人に広げることだ。人の憎しみを受け継ぐことだ。憎しみとは個人の感情である。それを自分以外の人に感染させてはいけない。人はそれを「同情」と呼ぶのかもしれない。私だって同情する気持ちは持っている。しかしそれは「哀しみ」に対する同情であり、「憎しみ」ではない。その人が誰かを憎んでいるとして、その理由を理解することは悪いことではない。しかし、その憎しみはその人だけのものであり、広げてはいけない。これは人としてやってはいけないことだと思う。(そういうヤツが戦争を始めるんだよ!)

自分の心の中に憎しみがある人は安らかな気持ちになれない。私は自分勝手な人間だから、憎しみが自分の中にあるのは嫌だ。それでも、他の人が私のことを憎いを思うなら、それはそれで仕方が無いことだと思う。受け入れようと思う。憎まれているからといってその人のことを憎いとは思わない。世界中の人から愛される人なんで存在しないのだ。それでも、その憎しみを人に感染させ、他の人にも自分が憎いと思っている人を憎ませるように努力をするというのは許せない。まして、助け合わなくてはいけない親戚内でのことなのである。

たとえ兄弟が憎みあい喧嘩をすることになっても、それが子供達に飛び火しないように努める。どこの国の人であっても、どの宗教を信じていようとも、どんな文化の中で育とうと、これは最低限の良識ではないだろうか。

長々と私の愚痴を聞いてくださってありがとうございました。

あ〜、すっきりした!


2012年07月08日(日) 葬式騒動:その10

参列者に配る式次第は非常に凝ったものを作ることにしていたそうである。これに関しては私は反対するつもりはない。葬儀を妨げるものではないからだ。興味深い式次第を作成して葬儀中に参列者が読みふけるということになっても、それは参列者の問題である。面白くもなんともない普通の式次第でも読みふけるヤツは読みふける。

スライドショーが大好きな次男の嫁は、写真も好きだから、義父の写真を取り入れたすばらしい式次第を作ってあげる、と妹に言ってあったので、妹は彼女に完全に任せていたそうだ。そして葬儀の二日前。さすがにそろそろ印刷した方がいいだろう、と思ったダンナの妹は次男の嫁に電話した。印刷所に持っていくくらい自分がやろうと思ったそうである。すると・・・

「私がせっかくスライドショーをやってすばらしい葬式にしてあげようと申し出たのに、感謝するどころか、葬式中スライドショーをやらないなんて、そういう信じられないことをする家族のために、どうして私がそんなものを作らなくてはならないのか」

二日前だぜ、二日前!

ダンナの妹は急いで普通の式次第を作り、印刷した。そして義母のところへ持って行った。それを見た義母が泣き出した。

葬儀の最後には喪主が参列者に挨拶をする。喪主は義母であるが、こういう場合は通常義母ではなく長男が挨拶をする。挨拶ったって参列者にありがとうございましたと言うだけのことである。ところがその挨拶をする人が長男ではなく次男の息子になっていた。

「お父さんとあんたが仲が悪いことは知ってたけど、葬式で挨拶もできないくらいお父さんのことを憎んでいるのか。情けない。」

いえ、それ違いますけど。長男(私のダンナ)は人前で話すのは嫌いだけど、最後の挨拶は自分がやらなくてはならないと思っていましたよ。仲良くはなかったけど、憎んではいませんよ。これまで毎週毎週、日系コミュニティ・センターのレジャー・クラブ(年寄り会)にも送り迎えしてたじゃないですか。お友達のお葬式に連れて行くのも長男の役目だったじゃないですか。長男は全然嫌がってませんよ。

説明の必要はあるまい。次男の息子が挨拶をすることに勝手に決めたのは次男である。「最後の挨拶をするのに最もふさわしいのは長男ではなく僕の息子」(ちなみに弔辞を読んだのも次男の息子。私の愚息はともかく、三男の娘や長女の子供達だって弔辞を読むのにふさわしい子供達である。)

私だって長男が偉いとは全然思っていない。でも、母親を泣かせてまでやりたいことか?

義母は式次第に書いてあることなんてどうでもいいからお前がやってくれ、とダンナに頼んだ。ダンナはもちろん快く引き受けたのだが、それだけは絶対に許せない、と主張するヤツがいる。葬式の最中に争いごとだけは避けたい。そこで、申し訳ないが、義母には我慢してもらうことにした。

どこまで自分を主張しなくてはならない奴等なんだ!

ちなみに、完成した式次第、義母の名前はどこにも載っていなかった。葬儀中、例え一言も話さないとしても、喪主として義母の名前を載せるもんじゃないのかな?


2012年07月07日(土) 葬式騒動:その9

さて、突然決まった初七日であるが、お寺さんは義父の供養を快く引き受けてくださった。が、平日でもあるし、私は締め切りを目の前にした仕事を抱えていた。そこで大変失礼だと思ったのだが、愚息を代理に行かせることにした。愚息は、不幸なことに短い人生の間にお葬式にはもう何度も参列している。親戚の葬式ではなく友人の葬式だ。お葬式だけでなくお通夜、初七日、四十九日などを含めて仏教の法事にも何度も参列したことがあるので、お布施を渡してお坊さんにお礼を言うのを愚息に頼めばよかったのだが、それはダンナに対して失礼だろうと思ったのでダンナにお布施を渡して・・・

「終わったらお坊さんのところにいって、お礼を言ってからお布施を渡してお供えして頂くようにお願いしてきなさい。」

と言っておいた。お布施を渡す作法については省略した。そんなこと付け焼刃で覚えても緊張して間違うかもしれない。たとえ無作法なことをやっても心を込めたお礼を言えばそれで良い。ダンナは初七日をやって頂くことに心から感謝しているのだから、気持ちは伝わるだろう。

参加者3人の地味な供養であるはずだったのだが、なんと次男夫婦と三男とその息子がやってきたそうである。(娘は旅行中だったので参列できなかった。)そりゃ人数は多い方がいい。義母も喜んだことだろう。

さて、初七日の法事が無事終了し、ダンナがお布施を渡しに行こうとしたら、例の次男が・・・

「お坊さんに直接お金を渡すなんてそんな失礼なことは絶対に許されない。お金は事務所に渡すのが決まりだ」

と物凄く叱られたそうだ。

私はお葬式を東本願寺でやっていただくと決まった時から、浄土真宗の決まりは知らない、とダンナに言ってある。それに対して次男は東本願寺の葬式のエキスパートである。ここは弟のいう通りにした方がいいのではないかとダンナは思ったそうである。それに、お寺の中で争いごとはしたくない。「だって直接渡せって言われたんだもん」なんてゴネたくない。そこで、事務所にお布施を渡してきたのである。

お布施は寄付ではない。お坊さんにあげるのでもない。お坊さんを通して阿弥陀如来(だっけ?)にお供えして頂くのだ。もちろん、自分で直接あげてもいいのだが(ご本尊の前に置いてきてもいい)、お坊さんにお願いしても失礼になるということはない。お坊さんだって、「わ〜い、お金貰っちゃった。今晩は美味しいものでも食べに行こっと」なんて思わない。宗派が違っていてもそれは同じだろう?それに、檀家ではないのだから、お寺への寄付(お礼)は別にちゃんと用意してあった。

何考えてるんだお前ら!

と思ったのではあるが、もしかしたら私が間違っているのかもしれない。浄土真宗ではお布施をお坊さんに渡すのはご法度なのかもしれない、と一抹の不安は残った。無知だから自分の主張に自信が持てない。困ったことだ。

さて、義妹は葬儀の直前に葬儀社の人から事務的な指示を受けたそうである。その中に・・・

「お布施は葬儀の後に喪主が必ず直接お坊さんにお渡し下さい。その時にお礼も言います。」

というのがあったそうである。

次男からダンナが寄付を直接お坊さんに渡そうなんでとんでもない無礼なことをやろうとした、と聞いていた妹はぶったまげたそうだ。これまで仏教の葬儀のエキスパートだから(スライドショーも含めて)自分が決めることに間違いはないという二番目の兄の言葉を信じて葬儀の計画をたてていたのである。何を信じたらいいのかわからなくなったそうだ。

そんなの決まってるじゃないか!

まず、お寺とお坊さんを信じればいい。お坊さんに聞くのをためらわれる質問は葬儀社の人に聞けばいい。知らないことこ聞くのは恥ではないのは日本でもアメリカでも同じ。

知らないくせに知ったかぶりをして偉そうに振舞うんじゃねぇよ!

ちなみに、キリスト教にも「お布施」はある。「寄付」もあるし、「お布施」は「寄付」とは違う。「お布施」はOfferingと言って、神様に対する感謝の印だ。「寄付」はDonation。教会を修理したいとか、信者の家族が病気だから助けたいとか、東日本大震災の被害者に届けたいとか、通常は特定の目的で募る。キリスト教がベースになっているアメリカ文化でもOfferingとDonationは別のものとして考えられている。当然Offeringを直接神父/牧師に渡すのは失礼な行為ではない。Offeringとは神様に捧げるものであって、神父/牧師にあげるのではないからだ。


2012年07月06日(金) 葬式騒動:その8

葬式騒動はまだまだ続きます。

昨日この話しを書くつもりだったのだが、愚痴が長くなったので今日に回した。昨日も書いた通り、葬式は義父が亡くなって約3週間後に行われることになった。

あれ?じゃ、初七日は?初七日を3週間後にするってなんか変じゃない?と思ったのは、初七日の前日だった。そもそも私は葬式の計画には参加していない(いちゃもんつけてるけど)。

繰り返しになるが、ダンナは自称仏教徒だが、仏教のお葬式には詳しくない。ダンナの妹はキリスト教、下の弟は無宗教。ダンナの上の弟の嫁は東本願寺の檀家だから仏教のお葬式に参列した回数は兄弟の誰よりも多い。そこで、本人が「自分は何をすればいいか知っている」ということだったので、彼が全てを取り仕切ることになったらしい。

というわけで、お通夜もやっていない。お通夜もやらない、初七日もやらないでは義母はどう思っているのだろう?と思って義母に聞いてみた。(えっ、余計なことするなって?)すると・・・

「お通夜もやらなかったし、初七日のことも気になっていたんだけど〇〇(次男)に聞いたら何も心配しなくていいから、僕が全部ちゃんとやるからって言うものだから・・・」

ちゃんとやるって、お通夜もやってないじゃないか!

初七日だけを別にやるなら大々的にやる必要は無く、参加できる家族だけがお寺に行ってお坊さんにお経をあげて頂くだけでいいからやった方がいいのではないかと思った。だって、初七日もやってあげないなんてって義母が泣いているんだもん。お通夜にお参りできなかった(ってやってねぇもん)お友達から、せめて初七日にはお参りさせてくれと言われていたらしいのだ。義母の姉からも「最後だからきちんと送ってあげなさい」と言われていたそうなのだ。初七日をきっちりと7日目にやらなくてはならないとは思っていなかったが、今からでも遅くない、やるなら私がお寺に電話してお願いするから他の子供達にも聞いて見てくれないか、と義母にお願いした。義母は早速次男に電話をした。すると・・・

「東本願寺では初七日も四十九日もやらない。お母さんは知らないだろうけど、東本願寺はそうなんだから、心配しなくていい。」

と言われたそうである。でも、やはり義母は今一納得できないでいる。東本願寺では初七日や四十九日はやらないのかもしれないが、お坊さんなんだから初七日くらい聞いたことがあるだろう。それが阿弥陀如来の教えに反するとしても、全ての人を救ってくださる阿弥陀如来であれば、初七日としてではなくてもお経くらいあげて貰えるのではないか。そして、義母がそれで満足できるならいいのではないか、と私は考えた。義母とダンナと私だけでもいいからお寺に行ってお経をあげてもらおう。

そこで再び恐れ多くもお寺に電話をして輪番先生(う〜ん、やっぱり「先生」もちょっと違う気がする)に直接お願いしてみた。

「あのう、明日が義父の初七日なんですが・・・」
「ああ、こちらから伺いますか、それともお寺の方にいらっしゃいますか?」

あるじゃん、初七日!


2012年07月05日(木) 葬式騒動:その7

義父は6月12日に死去した。普通ならお葬式はその1週間後辺りに行われる。これはアメリカでも同じ。キリスト教でも同じ。手続きに1週間ほどかかるからだ。そのため、初七日はお葬式と一緒に行われることが多い。しかし、義父のお葬式はほぼ3週間後である。義母はできるだけ早く行いたかったのだが、ダンナの上の弟の娘(義父の孫)の仕事の都合に合わせて6月末まで待つことにした。彼女はサンフランシスコの近くに住んでいるので、数日間里帰りをすることになる。そこで、どうせ早めに帰ってくるのなら平日にやってもいいだろうということで6月29日の金曜日にやることになった。そのようにお寺にもお願いした。ダンナの妹のダンナとダンナの下の弟と私はその日仕事を休むことにした。私はクライアントに仕事を休むというお願いを出すだけでいいが、ダンナの妹のダンナは人の上に立つ人なので、休むとなるとそれなりに事前にアレンジしなくてはならないことがある。

ところが、ダンナの上の妹がもっと早く帰ってくることも可能である事が判明した。そこで・・・

6月29日はいくらなんでも先過ぎるので1週間早めよう。

もう、勘弁してよね。私はともかく、ダンナの妹のダンナやダンナの下の弟は、仕事を休むために色々な手配をしているのだ。それをやり直せというのか、お前の娘だけのために!

ま、これに関しては皆が反対したし、ダンナの上の弟の娘も、どちらの週でも休みが取れるということだったので、それほど大きな問題にならずに葬儀の日にち変更は行われなかった。しかし万事これである。ダンナの上の弟に言わせると

「父親は僕の子どもが一番好きだったし、僕達が一番父親のめんどうを見てきた。だから僕達の家族が都合のよい日に決めるべきで、他の皆はそれに従うべだ。仕事が休めない人は葬式に来なければいいじゃないか」

義父はえこひいきをする人ではなかった。ましてや孫は近くにいても遠くにいても同じように可愛いと思う人だった。それに・・・

一番面倒をみてきたのはダンナの妹だと思うぞ!偏見を承知で言わせて貰えば、義父が一番可愛がっていたのもダンナの妹だと思う。


2012年07月04日(水) 葬式騒動:その6

いくらダンナの上の弟が反対しようと、残り3人は自分の母親が嫌がることはやりたくないと思っている。ダンナと上の弟は葬儀のことで大喧嘩をしていたのだが、これはスライドショーとは直接関係が無いし、お互いの誤解によるものであった。要するに、二人が別の話題について話していたので、食い違いが生じていたのだ。(ダンナの家族得意のコミュニケーション問題)ある晩、長い間電話で話し合って(私は先に寝たので何時間話したのかは知らない)仲直りをした。翌日その話しを聞いた私は、全てが納まったと思った。

同じ日、ダンナの上の弟が義母を食事に連れて行き、義母を家まで送り届けて帰る間際に・・・

「何も心配しないでいいよ。皆で話し合って決めたからね。スライドショーはお葬式中にやることになったからね。お友達とかお姉さん(義母の姉)たちから何を言われても気にしなくていいからね。ものすごくいいお葬式になるからね」

と言い残して返事も聞かずに帰って行ってしまったのだそうだ。

私はそこことを義母から直接聞いた。義母が泣きながら話してくれた。

「兄弟は仲がいいのが一番いい。皆がスライドショーをやるというのなら、私だけが我慢すればいいことだから、それでいい。お寺さんがいいというのなら、いいのだと思う。」

そういうの許せるか!

しかも、「お寺さん」は良いって言ってないってば!

何故そうまでして葬式中にスライドショーをやらなくてはならないのだろうか?私にはそれが理解できない。お寺さんは、葬儀の後のお食事会でやらずにどうしても葬儀でやりたいと言うのなら、葬儀の前に会場の外の受付で音を消してやれば良いということである。それならば、お寺にあるテレビを使っても構わないそうである。しかし、義弟はそれでは満足できないのだ。自分の母親が反対していても、お寺が賛成してくれなくても、葬儀の真っ最中にやらなくては我慢できないのだ。

何故?

だらだらとスライドショーについて書いてきたので、この話題はそろそろ終了して明日からは次の騒動に移ろうと思う。で、結果・・・スライドショーはお寺さんのお勧め通り、葬儀が始まる前に受付の隣にお寺のテレビを使わせて頂いてやった。音を消さずに。

信じられん!


2012年07月03日(火) 葬式騒動:その5

さて、ダンナの妹がお寺に問い合わせてみると「そういうことは感心しない」と言われたので、義妹にそう伝えたそうである。すると、

「他の人のことは知らないが、私は輪番ともEメールを交し合う仲だし、ずっと檀家なんだから何をしてもいいんだ!」

と物凄い勢いで怒られたそうである。

ここで再びカルチャーショック!

私のような無知な者が無知がゆえにとんでもないことを言い出したりやったりした場合、お坊さんは「あの人は物事を知らないのだから」と許してくださると思う。檀家ではないのだから教えてあげる機会もない。(もちろんいい歳して「知りませんでした」では許されないこともある。)だが、檀家だからこそ、教えを守らなくてはならないのではないだろうか。少なくとも守ろうと努力するべきではないだろうか。それを、もちろん限度はあるとはいえ、檀家なら何をやっても許されるというのは日本人の発想ではない。(アメリカとはいえ、お坊さんの発想でもない。)もちろん義妹は日本人ではない。だからこそカルチャーショック。

余談だが、浄土真宗では(他の宗派にはないだろうから)「輪番」って呼び捨てにするのか、普通?役職名なのだから呼び捨てにするのが正しい気もする。ちなみにダンナは「輪番先生」と呼ぶ。アメリカ人なりになんとなく呼び捨てし難いものを感じているのだと思う。正式にはなんて呼べばいいんだろう?

騒動はまだまだ続くのだが・・・実際に葬儀中にスライドショーが行われたことがあるのだろうか?そんなこと信じられないとお思いの方もいらっしゃるのではないかと思う。実は私はそう思った。義妹が自分がスライドショーをやりたいために嘘をついているのではないか、と思った。そこで私は、恐れ多くもお寺に電話をして訪ねてみた。「そういうお葬式をやったことはあります。」というお答えだった。

すげえな、浄土真宗、いや東本願寺!


2012年07月02日(月) 葬式騒動:その4

というかね、実は私がカルチャー・ショックに陥ったのは、ダンナの妹がお寺に問い合わせる前のことなのだ。

ダンナが「厳粛であるべき葬儀中にスライドショーとは何事か!」と反対していた頃・・・

前にも書いた通り、ダンナの上の弟の嫁の実家は東本願寺の檀家である。二人は結婚式も東本願寺で行ったそうである。(その頃私はまだ日本で暮らしていた。)親族は葬式も結婚式も全て東本願寺で行うことになっているそうである。(これ、建前ね。葬式はそうだけど、結婚式はほとんどの人が教会でやっている・・・アメリカ人だもん。)だから、彼女に言わせると、私のダンナは仏教の事は何も知らないくせに、偉そうに口を出すな!だそうなのである。

確かにダンナは仏教のことも日本の習慣も知らないが、どんな宗教であれ葬儀をショーにしてはいけないのではないか感じているようだ。が、「仏教徒でもないくせに仏教で育った私より仏教に詳しいとでも言うのか!知ったかぶりをするな!」と言われると反論できなくなるらしい。

さて、義妹は何故、葬儀中にスライドショーをやろうなどと言い出したのであろうか?義妹の言い分を書く前に、スライドショー作成は義妹の趣味であるということを断っておこう。彼女は自分が作るスライドショーはすばらしく、皆に喜ばれて感謝されていると常々自慢している人である。この場合の皆とは、彼女が知っている人全員、一人も漏れずに、という意味である。アメリカ人だって礼儀で「すばらしいショーでしたね」と言うことはある、というのを彼女は全然理解していない。人それぞれ、好みがあるということも理解していない。いや、知ってはいるのだが、自分が正しいので、自分がやることをやらない人はそれはその人が間違っている!という発想であるらしい。そういう人達が戦争を始める、というのはもちろん大袈裟だが。

そこで、自分の親戚の葬式でもやったそうである。もちろん葬式中に。(彼女には「感心しません」は通じない。)その時の葬式が非常に評判がよく、みんなに喜ばれて、他の人の葬式でもやったそうである。何回やったのかは知らないが、とにかくあまりに評判がいいので(『評判がいい』葬式って何だ?)日本の東本願寺でも、アメリカ式のそういう葬式を来月から取り入れることになったと言うのである。(彼女は最後まで浄土真宗という言葉は使わなかったので、ここでは東本願寺=浄土真宗ではない。ま、どちらかといえば、東本願寺=仏教かな?ちなみに、ロスアンジェルスのダウンタウンにはほとんどの宗派のお寺がある。)葬式中にショーをやるのが、これからの葬式の正しいあり方だそうである。

東本願寺の檀家の方、「それは間違っている」と反論してください!

ところで、葬式というのは普通1時間程度だと思う。お寺や葬儀場の椅子は柔らかいクッション付きのソファーではない。年寄りの葬式には年寄りが出席することが多い。正座に比べれたら楽だろうが、固い椅子のに姿勢を正しく1時間座り続けるというのは苦痛なのではないだろうか?腰が弱っている方も多いだろう。「我慢」の世代だから、文句を言う人はいない。しかし余計なことは付け加えないで欲しいというのが本音なのではないだろうか?(しかも、そういう事はお葬式の後にできるんだから。)そりゃ遺族の気持ちを一番重視するべきかもしれないが、「他の人に対する思いやり」というのは仏教でも大切な教えの一つではないかい?で、ダンナもそう考えた。「そんなことしたら葬式が長引く!」(スライドショーは約20分だそうである。)すると・・・

「それじゃ読経中にやればいいじゃないか!」

ここで、私は一気にカルチャー・ショックに陥ったのである。日本の東本願寺がアメリカ式のお葬式を取り入れるというのは個人的には反対だが、それが時代というものならば仕方ないと思う。しかし、読経中に参列者はスライドショーを楽しむ、ということは日本では絶対に起こらないと私は信じている。信じたい。ありえないよね?誰か、ありえないって言って!

アメリカではそこまでアリなのか?

注: ロスアンジェルスの東本願寺は読経中にスライドショーをやることは許可していませんし、過去のにそのようなことが行われたこともありません。私が自分で確かめました。「読経中にスライドショーをやってもいい」と言ったのは、お寺ではなく、義弟夫婦です。


2012年07月01日(日) 葬式騒動:その3

ダンナから「母親が葬式中にスライドショーなんかやりたくないと言っている」とは聞いたのだが、ダンナがやりたくないからそう言っているということもあるので、直接確かめることにした。ダンナは嘘つきではない。嘘が得意の私からすれば信じられないほど嘘をつかない。でも、どうも人の話しを自分の好きなように解釈するクセがあるので、「あの人がこう言った」というのは信用しないことにしている。(嘘つきは人の話しを簡単に信用しない。)

で、電話で問い合わせてみたところ、「やりたくない」とのことであった。私はしつこい性格なので、「どうでもいいのか、積極的にやりたくないのか」と聞いてみたら、「やりたくないと言ったのだけど誰も聞いてくれない」と涙声で言われた。(ダンナはちゃんと聞いてたわけだ。)

自分の父親の葬儀に自分の母親が嫌がることをやるのはけしからん!

と修行が足りない私はそこで怒ってしまった。で、よそ者の私が口を出すことではないけれど、母親が反対していることをどうしてやるのか?そこまでしてやるというのなら、夫を亡くして悲しんでいるお前らの母親の気持ちを自分たちが無視していることを心してやれ!と言ってしまったのですな。

キリスト教徒であるダンナの妹は念のために、「お葬式中にスライドショーをやってはいけないのですか?」とお坊さんい問い合わせた。「感心しません。」というやんわり拒否を示す答えが返ってきたそうである。ダンナの妹はアメリカ人のくせして、この返事を正しくNOと受け取った。無宗教であるダンナの下の弟は、「ようわからんけど、お母さんが嫌がることはやりたくない」。

さぁ、ここで一気に逆転。4人兄弟は3:1でスライドショーをやらないことに決定した。これで目出度し目出度しだと思うでしょ、普通は・・・甘いぜ!

さて、ここからが私がカルチャー・ショックに陥った事件が始まる。


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