堀井On-Line



6317,読書日記 〜エスキモーの「叩き犬」 〜2

2018年06月30日(土)

   * チーム強化策のヒント
◉ 小・中・高校と進級するにつれ、何れの世界にも虐めがつきまとう。
 叩き犬、叩かれ犬のような立場は、社会経験で誰も経験すること。
日大アメフト部の元監督とコーチを犬橇のエスキモー。犬が部員で、叩き犬が
鉄砲玉の部員に例えを前回に書いた。アメフトの練習試合で、事前に相手の
フォワードを潰すのが戦略の一環だった。
◉ 日馬富士の暴行事件も、白鵬を頭にした犬橇のエスキモー・チームの八百長
 システムづくりと推測された。モンゴルル力士の八百長シンジケートづくりで、
叩き犬に選ばれたのが貴乃岩である。貴乃花親方が、それを察知して警察に
直訴してマスコミを揺るがす大スキャンダルに発展した事件。日馬富士の首切り
で幕が下りたが、白鵬が逮捕なら大相撲存続の問題になるところ。
本場所を跨いだ各部屋の稽古土俵は来るもの拒めずの世界。当時の横綱に白鵬、
鶴竜、日馬富士と、大関・照ノ富士が組んで、若手潰しは、成すがまま。
あの事件以来、白鵬の一人勝ちはなくなった。40回の優勝もいわく付きの代物。

◉ 「叩き犬」の連想で「嚙ませ犬」がある。闘犬用語で若い闘犬に自信をつけ
 させるために噛ませる犬を指す。ボクシングの若手有力選手が出だしの頃に、
盛りを過ぎた元チャンピオンと試合を組む。ところが、間違えて「嚙ませ犬」
が勝つことがある。ヘビー級は、一発当ると思惑が吹っ飛ぶ世界。
◉ お笑い番組の『笑点』の大喜利が、そうである。エスキモー役が司会で、
 6人の個性を 持ったレギュラーと、叩き犬の座布団運びが、3問の回答の
珍問答が売りのバラエティ。そこでは、受けない回答に全員のムチが入るが、
何か存在感のない、座布団運び役へのイビリが笑いを誘う。
◉ チームプレーでの失敗は、どうしても怒りの対象になる。現在、行われて
 いるサッカーの試合で究極の場面で致命的失敗がある。「日本対セネガル戦」
のハンドによる退場。『あれさえなければ…』を、一生、背負うことになる。
日本中、いや世界中の社会では、この「叩き犬」の問題は、耐えることなく
つづくことに。 他人事ではない、
「だから人生、面白い」など笑っているが… 何せ、傷口を、不意打ちに、
力任せに切り込んでくるのだから… その直後の心の対応が、何ともスッカと
する!、何事も受止め方次第。
<チャクラごとに。そりゃ、相手の魂が壊れて然るべきと思うよ。>の想念で。 

 マイノリティーへの叩き犬ですか、世の中は! 富山の拳銃強奪殺人事件。
こころの処理さえ間違わなければ…  叩き犬でないとしても、犬橇の犬、
最小の経験で済んだのが人生の最大のハッピー。何代も続いたサラリーマン系の
友人の一言。『そんなの慣れさ、結構、それが面白いんだよ!』 ですと。
 野良犬より、良いのかもしれない? 受け止め方次第ですか!

 〜野良も、以下ぐらいでないと、語る資格はないが…

・・・・・・
2015年06月30日(火)
5220,「エリック・ホッファー自伝」 〜
           「エリック・ホッファー自伝」中本義彦訳
   * すべてを読書と思索に明け暮れた「沖仲仕の哲学者」
 10年前に購入して流し読みをしたまま、本棚に眠っていた本。
流し読みなど著者に失礼と思わせる内容。いずれの場面も、臨場感があり、
ホッファーの、その時々の世界に引きこまれる。〜アマゾンの商品説明より〜
《「生きる」ことに真摯であるということは、これほどまで波乱に満ちた人生
 を送るということなのか。本書は、数奇な運命をたどりつつ独自の思想を築き
あげた哲学者エリック・ホッファーの自伝である。
7歳で失明、15歳で突然視力を回復。18歳の時に天涯孤独となり、28歳で自殺未遂。
「私は死ななかった。だがその日曜日、労働者は死に、放浪者が誕生したのである」
という彼は、10年に及ぶ放浪生活へ踏み出し、数々の出会いと別れを選びながら、
劇的な生涯を送ることになる。
トマトの収穫、ホップ摘み、砂金発掘などの季節労働。そのかたわらで、
化学、数学、鉱物学などあらゆる学問にまい進し、読書と思索を重ねていく日々。
そんなある日、彼は町のレストランで大学教授と出会い、これを機にドイツ語
翻訳や研究の手助けなどのアルバイトをはじめる。あまりに研究熱心な彼に、
教授は研究所での職を用意してくれるのだが、「本能的にまだ落ち着くべき
ときではないと感じた」彼は、ふらりと季節労働者の生活へ戻ってしまうのだ。
「慣れ親しむことは、生の刃先を鈍らせる。おそらくこの世界において永遠の
よそ者であること、他の惑星からの訪問者であることが芸術家の証なのであろう」。
自己と徹底的に対峙し、自己欺瞞と戦いつづけたエリック・ホッファー。
まず学ぶべきなのは「学問」そのものではなく、彼が貫いた学問への、
そして、人生への「姿勢」かもしれない。》
▼ いずれの言葉もシンプルで、鋭く突き刺さってくる。辿ってきた人生が、
 究極の哲学への求道者の姿そのもの。戦場の真只中で、独り、戦う、狙撃兵
のようである。労働に励んで、28歳の時、「今年の終わりに死のうが、
10年後に死のうが、いったい何がちがうというのか」という感覚に見舞われ、
自殺を図るが、未遂に終わる。そこで、「曲がりくねった終わりのない道と
しての人生を」を送ることを決意。その後、10年を、季節労働者として
カルフォルニアを徘徊する。青年期に読んでいたら、間違いなく人生が変わった
いただろう。「永遠のよそ者」「他の惑星からの訪問者」とは、言い得て妙。
人生を道として求めれば、この二つは、強弱あっても、当然ついてまわる。

・・・・・
2013年06月30日(日
4488, 閑話小題 ー今年も、はや半年
  * 今年も、はや半年
 今年も半分が過ぎてしまった。経済は円安、株高で少し微風が吹いているが
何時、破裂するのか予断が許せない。先日、読書日記の『静かなる大恐慌』で、
既に世界は恐慌に入っているというが、現在の日本には、その認識が少ない。
表面は静かだが、水面下は一日一日と深刻化している。何時、何処で、歴史的
大事件が勃発するのか。これは発生するまで、誰も知るすべがないが、間違い
なく起こるのは確か。 株式の暴落は大方が9月か10月に起こるが、年例行事
にように、何とか翌年に引き伸ばしているのが現状。「数年来、恐慌だ、戦争だ、
と騒ぎだてているが、何にもないじゃないか?」というかもしれないが、表て
立った時には、国家非常事態。とはいえ、膨大は不良債権も、国家間の決め事
なら、静かに沈殿させて先延ばしをしておけば、それはそれで罷り通る。
個人的には、これだけ平穏で落ち着けたのは希。早朝から就寝するまで、
ほぼ同じ日程を繰り返している。
  * 今年に入ってシネマ、28回
 リタイアから三年目に入って気が緩み始める現在が、ストレスからくる
ウツ症が来そうな時期。刺激的?人生を過ごしてきたので、反動は大きいはず。 
早朝から、ネットや、ポタリング、読書、スポーツジムにと、スケジュールを
組み何とか落ち込みを防いでいる。現在はストレスの無いのが一番のストレス
状態? 週に一度の映画鑑賞は、費用対効果という面でも非常に効果がある。
これまでシネマにいった回数を数えてみたが、26週で28回。行かなかった
週が二回。週二回が4回もある。これまで一度も70点以下が無いのが良い。
私の評価として、邦画の平均80点に対し、ハリウッドは90点。デジタル技術
の大画面の迫力は圧倒的である。邦画の見劣りはあるが、3〜4回に一度位が
丁度良いバランスである。卓上型手帳の週単位のページに入場券を貼り付けて
いるが、内容は殆んど憶えてない。これだけはネットの評価そのまま。もちろん、
それを確認していく。家のTVで、シアターで、「デジタルが創り出した
仮想空間の世界に浸かる日々」になる。
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2017年06月30日(金)
5950,閑話小題 〜チワワじゃね〜
   * チワワじゃね〜
 稲田防衛大臣のミスが相変わらず続いているが、国の防衛を任せるのに、
「ちわわ」のような座卓犬顔はいただけない。国家を治める柱に二つの暴力装置、
内向きには警察権力、外には軍事力が必要になる。外国の侵略から国民を衛る
ための暴力装置には当然、ハッタリも必要。チワワに比して、アメリカは
大型犬のボクサーの様相。2人が並んで歩く姿は、現在の日米の軍事力の差が、
そのまま現れ出ている。この2ショットはブラック・ジョークそのもの。
石破元防衛相ぐらいの強面でないと。その辺りが首相には分かってない。

   * 今年前半の総括は
 今日で、今年の半期を終わる。例年のように、前半は比較的平穏で、後半に
大きなニュースが集中する。去年は、折返し地点の6月23日に、英国の「EU
離脱か残留」の国民投票で、離脱が決まった。国家として、EUにしても晴天の
霹靂だった。また、年末のアメリカ大統領総選挙では、アメリカ白人主義の泡沫
のトランプが大統領になってしまった。これは、アメリカ建国と、南北戦争の
精神の根本精神の否定である。 今年になっても、相変わらずISによるテロが
続いて、イスラム対ユダヤ・キリスト教の対立の構図が世界に拡散をしてきた。
その根本は、白人対有色人種、富める勝者対貧者の対立。北朝鮮のドン一族や、
日本の象徴天皇にしろ、それを取巻く人たちと負組の格差は、歴然としている。
古代ギリシャの社会構図の<支配層3%・市民30%・奴隷67%>が、そのまま
現在でも続いているのが現実。世界からみると日本に住んでいるだけで、
市民層以上になる。世界は67%の奴隷層、いや貧困層が存在している。
その対立構造と、その間の争いが、現状。 その日本国内をみれば、やはり、
ギリシャの社会構造に酷似している。生物であれば、これは仕方がないこと?
今年最大の政治的イベントの「フランス大統領選」で、EU存続を主張した
大統領が圧勝して、事なきをえた。問題は、泡沫のトランプが、どのような
カタチで自滅していくか? の政治ショーである。発火次第で、数百万単位の
死傷者が出る「第二次朝鮮戦争」になる可能性も。で、ロシアは、北方に軍事力
を集結を? 北海道が丁度良いエサになる。 南は中国による沖縄辺りか。 
 そこで、「チワワじゃね〜」になる。

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2016年06月30日(木)
5585,お別れの作法 〜

     <「あの世」と「この世」をつなぐ お別れの作法 >矢作直樹(著)
  * 千里眼の不思議
 ネットの進化につれて、何故か、「千里眼」とか、テレパシーへの興味が
薄れてしまった。デジカメで撮った写真をネットでやりとりが、千里眼より
遥かな能力を持つことになった。しかし、面白いのは面白い! 進化と退化の
プロセスで多くの能力を持ち、かつ失われてきた。 〜その辺りを抜粋〜
≪日本で最初にシェクスピア全集の完訳をおこなった英文学者で、後に日本の
 近代スピリチュアリズム研究者の先駆けとなった浅野和三郎(1874-1937)は、
海軍機関学校の教師をしていた時、西洋医学で治らなかった三男の熱性疾患が、
女性祈祷師の予告通り治ったことから、心霊の世界に興味を持ち始め、やがて
教祖、出口ナオの「お筆先」と呼ばれる自動書記の内容を知りたいという
動機から大本教に入信しました。そして、1916年大本に接近してきた秋山真之
(日露戦争時の連合艦隊作戦担当参謀)と知遇を得、秋山は浅野に密かに、
日露戦争日本海海戦にまつわる秋山自身の千里眼体験を語ったのです。
<1905年5月下旬、鎮海湾の日本連合艦隊は、バシー海峡を通過したロシア・
バルチック艦隊がウラジオストックに入る航路として、対馬海峡なのか、
太平洋から津軽海峡を通過するのか、の判断に神経をすり減らしていました。
秋山は、連日連夜、頭を絞って疲労困憊の極致にありました。そして24日の夜、
士官室で横になって考えを巡していた秋山が、つい、うとうととしかけた瞬間、
突然眼前に、対馬海峡を二列になって北上して来るバルチック艦隊の様子が見え
ました。これは天啓だと直感して、直ぐに驚くほど緻密な「七段構えの戦法」
の計画を練り上げたのです。27日未明、まさに先の千里眼による情景と寸分
違わない隊形でバルチック艦隊がやって来ました。ここに日本の勝利が巡って
来ました。> 
覚醒状態からすぐに睡眠に入らない場合の中間的状態は、体外離脱しやすく、
思念が強いと瞬時にその場に移動出来るとされていて、秋山の場合もまさに、
これに当てはまるかと思います。こうした現象を経験すると、その方面の知識
がないばかりに怖がる方も多いと思いますが、怖いものではありません。≫
▼ 父親が亡くなった直後、魂の継承みたいな不思議な現象を何度か経験した。
 10年の間、体外離脱とか、シンクロニシティ=「意味のある偶然の一致」、
「共時性」が、あまりに多く起こっていた。それも、現在では、少なくなった。
現在では、それが、怒りの対象本人か、連れ合いの不幸の招来という「共時性」
で残っているような? その研究が、ユングによって取上げられている。
日露戦争日本海海戦に、秋山自身の千里眼体験が勝利を導いていたとは驚き。

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2014年06月30日(月)
4855,閑話小題 ー完全自動運転の車が
   * ロボットカーが現実に?
 最近、グーグルとか日産が、ロボットカーの公開を始めた。
それも、2020年までに販売?とか。初めてニュースで見たときには、
思わず目を疑った。SFの世界でも、自動運転車など聞いたことが
なかったが、今では、実際に試作車が走り始め、販売時期まで明示している。 
ネット辞書には、『ロボットカーとは、人間の運転なしで自動で走行できる
自動車。日本語では「自動運転車」』とある。それが現実に現れ出るとは・・ 
ウェアラブル・パソコンや、ロボット掃除機にしても、一時代前には考え
られなかった商品が次々と、現れ出てきている。デジタルによるユビキタス
の限りない進化のため。 面白い時代である。
  * つれづれに ースズメとエールの交換
 夕方、庭で一匹のスズメがピイピイと呼びかけてくる。これまで、ベランダ
からのペットのインコが呼びかけに、口笛で答えていたが、今度は庭のスズメ
の呼びかけに、口笛で答えている。実際はインコに興味があるようだが。
エール交換も20分経った後、ドアを開けると、一直線で飛んできて、2Mの
ところで、慌ててトンボ返り。可愛いものである。で、連日、同じ時間帯に
鳴きかけてきている。 よく観察すると、他の仲間もいるようだ。インコが、
家人を求めて鳴いているのがスズメを引き寄せるようだ。
御隠居は御隠居で、日々、面白い発見がある。
  * 考えてみたら、今年も折り返し、ですか!
 明日から、7月。今日で、今年も半分、過ぎてしまった。
例年、前半は比較的、落ち着いているが、後半に、大きな事件が起きている。
今年は、現在、行われているワールドカップが、メインで、それが今年の境目。
再び、アルゼンチンの債務不履行が、出てきている。これまで、ロシアの
クリミア半島の奪取が起きている。韓国も、多くの民度レベルが問題として
表立ってきている。北朝鮮や、経済等の問題から、あの大統領では、ますます、
脆弱になっていく。ある意味で、近未来の日本の姿である。
問題は、中国を筆頭にした後進国と、欧米の経済問題。それに加え、日本の
6年後の東京オリンピック開催の決定が、後で禍根を大きく残すはず。
大震災クラスの経済のクラッシュが、いつ何時、起きても不思議でない
綱渡りの日々が続くことになる。『前半は、経済クラッシュが無かった』が、
隠れ大ニュースかもしれない。 私は、とにかくも、半年、無事!


6316,閑話小題 〜今年も半期の終了

2018年06月29日(金)

   * 半年ですか半年
 ・あと数日で、半期を経過ですか! ハヤッで、面白いように日々が過ぎ、
この繰返しのまま死んでいくのも良しである。 このブログに毎日、一テーマ
をを書上げることと、TVで、ドラマと映画、世界の秘・異郷の大自然を見る
ことで充分満足している日々… 御幸せで有難い御隠居生活。慣れてしまえば、
この状況も住めば都。ヘドロの要素は付録と割切り、人と比較しないことを旨
とした閉じ籠り? 
 ・3ヶ月(現役当時は1〜2月)に一度飲んでいた酒友が自宅前で転倒し骨折。
で、この半年間、何十年ぶりに居酒屋とカラオケに一切行くことがなかった。
これが一番の出来事ですか。行かなければ行かないで、この年齢では当然。
別に飲み出歩きたいと思わない。これは海外旅行も同じ。
 ・不幸では、3番目の姉の連れ合いが85歳で、高校の同期生が亡くなった。 
この年齢になれば、無事経過こそがベストの出来事。健康面は腰痛以外は良好。
毎週金曜日の「シネマ通い」は、一月末以外は、皆勤。今日を含めて24回に。
SJ通いは、7年以上、週5日、皆勤に近かったが、最近、月曜か土曜日を休む
ことにした。早朝のポタリング(ミニ・チャリ)1時間に、2時間の運動は、
健康的過ぎ、これでは推定死亡年齢?を遥かに超え、「死ねない病」になる
恐れが出てきた。予定では、あと2年半だが、このままでは…


   * ワールド・サッカー、予選通過
 昨夜は、熟睡していた0時過ぎに、近所の絶叫の『ター!』の大声で眼が
覚めた。家内は隣で爆睡。そこでTVをつけると、終了10分前。アジショナル
タイムを入れた一番のサワリの20分を幸運にも観ることが出来た。
前日のドイツ敗戦を日本に当てはめる解説は誰もしてなかったが、紙一重で、
同じ道を辿る可能性があった。ドイツが終盤に放ったゴールが悉く外れ、
逆に二点入れられ敗戦。その再現かとヒヤヒヤしてみた。
 裏番組で『セネガル対コロンビア戦』の結果では、予選敗退の可能性が
あったため、微妙な采配が必要だった。次戦7月3日まで楽しみが延びた。

・・・・・・
5584,60歳までに、人生を前倒しをしていて!
2016年06月29日(水)
 70歳を過ぎた現在、「60歳までに人生を前倒しをしていて良かった!」と、
つくづくと思うことしばしば。以下にコピーしたの13年前の文章を読返すと、
1年後に中越地震、その3年後に刈羽柏崎沖地震、4年後の2008年に、リーマン
ショック、更に8年後に東北大震災が、たて続いた。その結果、私も、まさかの
事業整理に至った。 作家の曽野綾子が、「人生の良いところは、60歳まで」
といっていたが、体力も考慮すると、成るほど正しいと実感する。 
 以下の内容を書いて13年間、友人、知人、親族が次々と倒れ、亡くなった。
病に倒れて発する共通の言葉は、「まさか、自分が! これから、ノンビリ
するつもりだったのに!」である。 死に直面した時の恐ろしさと動揺は、
「人生に、やり残した無念」があると増幅する。 とすると、老後の残務整理は、
それを探し、潰していくこと。そうこう考えると、【して失敗した後悔より、
しなかった後悔の方が遥かに大きい】ことになる。  一般的に、
「してしまった後悔1に対して、しなかった後悔が3」ではないか。どうだろう?
 30年分を10年に圧縮して生きた50歳代は、充実感があって実に面白かった。
60歳代の最大のイベントが、会社整理だったが、3・11もあって、未練も後悔も、
最小になっていた。両親の晩年に同居していたこともあって、「その都度、
計画的に楽しんでおくべし」という、人生の何たるかを、後姿から学んでいた。
この教えを学んで実行していたのは大きい。10年前と、13年前に書いてある
文章を読返してみると、計画通りに、遊び、楽しむ必要性を知っていた。
その時々に、真面目?に学び、楽しみ、遊んでおけ、ということ。
 辛いことも多かったが・・ それも楽しみの内。
――――
2003/06/16
50歳の頃ー1
  −60歳までの人生
 曽野綾子の本で『人生の良いところは60歳まで』という文章があった。
丁度私が50歳の時であった。50歳で、母親を見送り(亡くなり)人生の
損益分岐点を超えたという思いがあった。あとの人生を如何生きようかという
自分への問いかけをしていた。その翌年、下の子供と家内と3人で南米の
ギアナ高地に出かけた。テーブル・マウンテンのキャンプ場で、夕陽を見ながら
息子と日本酒を飲みながらふと思った、「自分の人生の元は充分にとった」と。
 その時に考えたのは、
「曽野綾子の『人生60歳までがよいところ』なら、それ以降の人生を60歳
までに詰め込んで生きよう!『人生の純益』を60歳までにとってしまおう」と。
・海外旅行をそれまでに50回行くことー不景気で無理か?
・人の目を気にしない生き方を更に徹しよう
・好きな事を可能な限りしよう 等、生き方を変えようと。
しかし曽野綾子は60歳少し前の文章である。
その時、母の行き方を見ていたこともあり、まだ解っていないと思っていた。
本当に良いのは60歳からというのを母から教わっていたが、しかし
「60歳以降の前倒しにする決心』は良いと解釈した。 
 その翌年にネパールに行ったとき、67歳の初老の人から人生の秘訣を
教えてもらった。「私は43歳までに必ず死ぬ家系であった。それを前提にし、
そこまでに人生のすべてを燃焼し尽くした。その一つに日本を全てを家内と
娘と3人で回り尽くした。しかし死ななかった。その後は世界にチャレンジを
始めて、ほぼ全てをまわり尽して現在もこうして生きている。短命の家系の
前提がなかったら人生をここまで味わいつくせなかった!」。 深い人生の示唆
であった。「60歳までに人生の全ての前倒し」を自分の生き方に取り入れた
直後であったから、尚のこと心に響いた。あと2年半で、その60歳である。
「それでは60歳以降如何いう生き方をするのか?」。
元を取ってしまったので、逆にあとは一日一日をじっくりと味わって生きる
ことができるのではないだろうか。そして、それまで経験をしたことのない
分野を探し出しチャレンジすることである。その意味では、逆に広い世界に
飛び出せるのではないかと考えている。
 最近、景気後退ー恐慌一歩手前になってきたり、SARSやテロなどで
アフリカや中近東には以前ほど気楽に行けなくなってきた。
この時勢に優雅に海外旅行などともいっていられなくなってきた。
あの時点にやはりギアチェンジをしていて良かったと思っている。
――――
2006/05/23
1876, 10年後に後悔する事とは?
             おはよ〜!(*^ワ^*)i 
あるHPを見ていたら、次の言葉に引きつけられた。
「10年後に後悔しそうなことをリストアップして、それを潰していく
生きかたをする」である。(七田チャイルドの七田真氏と本田某氏の対談)
 私が十年前に考えたことは、   (。-`ω-)ンー
「50代の10年間で60歳以降の人生を全て押し込んで生きる」である。
20~30年間を50歳代の10年間で全て前倒しにする、と。
それがこの程度の変化でしかなかったのか?。 という自問自答は残るが。
現在になって振り返ると、先まわしをして良かったと思っている。
後悔しそうなことを潰していく生き方は消極的に思えるが、
「消極的な生き方(後回しーその大部分は中途半端)が一番後悔する」
とリストアップすれば、逆に積極的な生き方が出来る。  
 想定可能なマイナスをあらかじめ潰すのは、最善の行為と同じか、
それ以上である。後悔することは、その時は気がつかない行為か、判断ミス
が最悪だったということ。 それが想定可能かといえば、可能である。
ということは最善の準備と同じぐらい大事なことになる。
                          (‐”‐;)
ところで10年後に何を後悔するだろう?
一期一会と、何ごとも真摯に立ち向かえば後悔することはないはずだが。
いや10年前に事業で時代の先行きを、より悲観的に読んでいれば
もっとシビアな手が打てたはず。
 ー面白おかしく「10年後の最悪の後悔」をイメージをしてみた?
・酒を飲んで暴れて、家内に愛想をつかれて離婚。
 現在は年金で、何処かの街の安アパートで冷酒を飲みながら懺悔の日々・・
 それでも冷酒を飲んでいるのだから、懺悔にはならないか?-ω-`A) フゥ…
・死んで、この世にいない。誰も、もうこの男のことを憶えていない。
 二人の子供も、あの父親のことだけは思い出したくもないと墓参りもない。
(しかし、自分がいないのだから後悔しようがないか!)                 
・脳梗塞で入院しているが、気が短く、毒舌が冴え、
 同室の患者や看護婦から嫌われて自閉症気味。
・考えていたより遥かに、日本という国家の疲弊が酷い状態。
 10年前に海外に思い切って財産や生活の場を代えておけば
 よかったと、毎日の生活の追われる日々。
ありそうな10年後の姿である。より深く時代を読まなくては!
酒にも、病気にも注意しなくては!    
―――
〜2016年6月29日・記
この2年後に、リーマンショックが起きて世界経済は大混乱をした。
その煽りを受けて、3年後に事業清算に至ったが、何とか、それまでの
生活の延長上にある。大病もなく、この随想日記を書き続けている。

・・・・・・             
5219,閑話小題 〜中学校の古希会
2015年06月29日(月)
   * 中学校の古希の会
 一昨日、湯沢のニューオータニで長岡市立東中学校の『古希の会』に参加。
一次会が17時から19時半、二次会が、その直後から別会場で開かれた。
9割が、そのまま移動。 参加総勢が61名で、女性34名、男性27名の割り。
同期360名のうちの二割弱になるが、年齢からみて多い参加者である。
男は大よそ4分1が亡くなっている。 私のクラスは、52名中、10人出席。
男6名、女4名。市内在住の男は、私1人の参加。県外が4人になる。 
死亡は、男27名中7人、女性は2人。 喜寿は、恐らく今回の半分だろう。
連れ合いの看護や、当人自身の問題で欠席が多々あるという。 卒業以来、
初めて会う人が同クラスで二人で、教師と、自衛隊を勤め上げていた。
様々の人生模様があるが、出席者は比較的恵まれた人たちだろう。大病で、
ゲッソリした人が何人かいた。 自衛隊、教師、病院の薬剤師、日立、小松、
など仕事はさまざま。古希となると、元肩書きなどの意識が消えているので、
昔の時代に立ち戻りやすいようだ。多く人が「古希の実感ゼロ」という。
 司会を自から申し出たが、思いのほか緊張してしまったのに驚いた。
直前に500mlの缶ビールを飲んだこともある。その上に、一線から引いて、
何かが緩んでしまったということか。17時から19時半まで一次会。
その後、近くのスナック風の宴会場で二次会が開かれた。私は20時53分
の新幹線で帰ってきた。これだけの同期の人が集まるのは、これが最後。
喜寿は、この半分〜三分の二だろう。 翌日の二日酔いは全くなかった。
後は急勾配の坂、70歳代が控えている。特に、男にとって厳しい。
 そこで、「あと10年は生きるつもりだったが・・マサカ」の坂が?
私なら「あと5年は・・ マサカ!」になる。プラマイ3歳だから、
二年半を無事なら想定内、先は短い! とにかく古希の関所を超えた!

・・・・・・
4854,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー24
2014年06月29日(日)
   * 転進の決断と、次への構想
 そこで、新潟駅前の更地と、現在のアクロスプラザ近くの角地の更地を
有効に生かすことが急務と考えた。その角地は兄名義、新潟駅前は私名義。
背に腹は変えられないと、考えに考えた結論が、兄名義の更地を売却し、
新潟駅前に、ビジネスホテルにした遊休資産の活用である。その一角に
当時の稼ぎ頭の学生服を入れる構想。結論からいうと、鉛筆ビルの衣料
量販店の建替えは、時代の要請ではなかったことに逸早く気づいていた。
 但し転用可能のビルでもある。兄は、当初に打ち上げたファッション衣料
チェーン化に集中すべきと主張!私と意見が分かれた。
「もし、やりたいなら、出ていってやれ!」と。そこで思い出したのが、
ここに戻った時点で、「実兄との問題もあり、5年間が目安!」と公言して
いたこと。「身の引き時!30歳代前半からみて、ここで決断をしないと、
姉夫婦と同じトラブルを、実兄とすることになる。同じエネルギーなら、
新規事業に集中する方が遥かに有利」と、直感が働いていた。あのままでは、
間違いなく相打ちになった。2〜3ヶ月に一度の名古屋、岐阜、大阪、岡山
などの仕入れで、各地のビジネスホテルに泊まっていた。その仕入れ後に、
同行した同僚との現地の料理屋での一杯が楽しみになっていたが、食事代は
限られている。そこで、安いホテルを探し、その差額を加えるしかない。
その出張が宿泊客のニーズを知る立場になっていた。 産地の岐阜駅周辺
にも、客室主体のビジネスホテルがあって、そこを定宿にしていた。
立地は二等地だが、ユニットバスのある格安ホテルである。さらに現在は
無くなったが、倉敷に大学校庭をイメージした、レンガをモチーフにした
スケェアガーデンホテルがあった。そのイメージをレンガ外装に、客室主体に
したホテルと、学生服ショップを併設させれば、間違いなく大当たりする!と。
で、何度か実兄と衝突をするうち、半年後を期限にと、思い切った次の創業
の決断をする。あの兄に本当に本店が? その後、20期、全て赤字で消滅。
他人事ではない! 激変の時代、利益を出すのは本当に大変である。 
これを書いて見えてきたのは、私も、実力相当の結果に終わったこと。
それと、引き時のタイミングの見極めの難しさ、である。

・・・・・・
5949.閑話小題 〜つれづれに、明け方に
2017年06月29日(木)
   * 明方、つれづれに
・ 片方の年齢が75歳をこえた老々介護が、三割を超えたと報じていた。 
 どうも老いるに従い、社会の隅に追いやられるようである。しかし娑婆
には面白そうな、まだ経験してないことがあまりに多い。その一つがゴーグル
をつけたソニー・プレイステーションVRでのゲームの体験と、それを使った
YouTubeの動画での絶景観光。この齢でプレステでゲームに興じるのも変か?

・ 学生時代に、深夜の2〜3時に起きて酒を飲む「夜明けの酒」の経験を
思い出した。友人が誰かと体験をしたが妙な酔いかたが良かったと聞いて、
数人で飲んでみた。 深酒をしないで泥酔状態のサイケ感覚にトリップをした。
水商売の人は、客や、同僚とのアフターで経験済み? これは慢性化すると、
身体も脳にも良くないはず。学生だからできた経験。朦朧と黄色にみえる朝日
が何とも! 今度、夜の6時に寝て、0時に起きて何処かのスナックに行って、
二時間ぐらい酒を飲んでみますか? 年齢を考えると、危ないか?
 毎朝、4時に起床して、この文章を完成し、アップして、信濃川の大橋を一周
してくる方が、サイケ調ですか、今度、缶ビールでも、持っていってみようか? 
これは事故が危ない。

・ 一昨日、TVで見た映画が、「強い麻薬でトリップをしたグループの
 経験と、その結果がもたらす錯乱した狂喜の世界」を映像で垣間見る内容。
トリップ後にやってくる反動の世界の一端に、視聴者が引込まれる筋立て。
酒類、薬物を介さなくとも、映像に波長に合わせれば、トリップに近い状態に
なれる? <所詮、別世界の何かがつくり上げたバーチャル世界の住人>なら、
自ら積極的に、入り込むのも手である。 で、飲酒過剰で、この始末。

・・・・・・
4487, 怒らないって本当は恐い! ー3
2013年06月29日(土)                 
  * 怒るとは哲学することである    『怒りの作法』小川仁志 著
 考えるきっかけのひとつに「感動すること」がある。ところが、ここで
「怒るとは哲学をすること」と、いう。突然、死に直面すると、「まだ遣り
残したことが多い自分が何ゆえ死ななければならないのか?」という怒りが
沸くという。そして当然、「死とは何?」に行きつく。怒りは対象を
根こそぎ否定し、一歩踏み込むことになる。 ーその辺りからー
≪ 哲学の端緒としての疑う行為とは、「何かおかしい」という、現実に対する
 怒りなしには生じえないのです。その意味で、哲学はその出自においてすでに
怒りと密接に絡みあった営みであるということができます。哲学の父とされる
ソクラテスよりも、さらに前の時代の哲学者たちは皆、自然現象のメカニズムに
疑いを投げかけ、これは決して神の仕業などではなく、世の中を構成するもっと
理屈の通った原因によるものにほかならないと考えた。 現代社会とは異なり、
容赦ない自然の猛威に為すすべもない時代、彼らはさ苛立ったことでしょう。
 自然は何からできているのか、世界は何でできているのか、いったいこの世の
本質とは何なのかと。その精神を受け継ぎ、哲学は西洋社会で鍛上げられてきた。
世の中を説明するための原理として耐えうるように。そしてデカルトを生み、
カントを生み、へーゲルを生み、二ーチェを生み、今なお多くの哲学者たちが
西洋社会で怒りを露わにしています。それは現実に迎合したり、諦めを隠ぺい
するために「真理」を妄信したりするような行為とは正反対の、いわば現実に
対する知的抗議ともいえる営みなのです。 怒りは言葉を生み出します。
怒ることを「黙ってはいられない」などと表現することがあるように、怒りは
人に対して言葉を発するよう仕向けるのです。それはまさに哲学の営みにとって
不可欠の要素であるといえます。 ・・・当たり前のことに怒る、わからない
ことに怒る、権力に怒る、従順なだけの民に怒る、自分自身の人生に怒る。
怒るとは、生きるうえでの情熱の尺度であり、それは悩み続ける人生を引き
受ける営みにほかなりません。 まさに怒るとは哲学することである。 ≫
▼ 問題解決には、粘り強い思考が要求される。単に感情をぶつけ合うのでなく、
 エネルギーを出し合って、ベストの道筋を考え出すのに怒りを利用すればよい。
創業は、正に怒りの連続になる。目に見えないものを独り信じ、一つずつ積み
上げていく。そこに計画通りにいかない苛立ちと不安と怒りが、自分の行為の
エネルギーになる。また考えるヒントになる。哲学者の中島義道の著書の中で、
彼が怒りっぽいことを具体的に書いていたが、この本を読んで、納得。
この一連の出来事で、多くの怒りに直面してきた。その都度、目を背けないで、
怒りの本質を凝視してきたが、成るほど、そこに経験者しか知りえない道理を
見ることが出来た。手の裏を返してきた彼等。 ああ、そうだったのか!
という気づき。それもあって、「怒るとは哲学することである」という言葉は、
実体験で非常に理解できた。結局、人間は色いろな究極の場面で、品性が出て
くるもの。それも、マイナーの方が表立って噴出してくる。年齢を重ねるほど、
哲学(考えること)する必要性がある。何故、あの時、あの人は、あれだけ
怒ったのだろう? 何故、私は、あの時怒ったのだろう? あの時の感動で
何が変わったのだろう? 感情の最たるものは怒りと感動?
     


6315,読書日記 〜エスキモーの「叩き犬」

2018年06月28日(木)

            〜『善人は、なぜまわりの人を不幸にするのか』
                          曽野綾子著より 
   * 叩き犬と日大アメフト部
 これを読んで、暫しショックと驚きで茫然… その数日後、思いついたのが、
日大アメフト部の一連の事件の、鉄砲玉のラグビー選手のこと。選手間では、
精神的に圧力をかけて選手を追い込んでいく内田前監督のターゲットになる
ことを選手たちは『ハマる』と呼んでいた。プラスに考えれば、見込みがある
から対象にされるから判断は難しいところ。 しかし、エスキモーの犬は… 
 ポン督として、「チーム強化策として、その位でないと宿敵校は破れない」
というのも至極当然かもしれない。
             〜『死の準備教育』曽野綾子著より
≪ 本多勝一のカナダ・エスキモーのレポートに、面白い話がある。
 それは、犬橇のことで、エスキモーは橇の前面に犬を扇方に立ててひかっせる。
もっとも長い綱をもらい、先頭に立つのは、頭のいい優等生の犬で、これが群れ
を引っ張る。ところが、いつも、綱がたるんでしまっているのが一匹いるという。
綱がたるんでいるということは、橇を引くのに全く役立ってない。こんな犬は、
連れて行かなければいいのに、と本多氏も思うが、それが面白い。
 この犬は、たえず振り下ろすムチの目標として存在価値がある。犬たちは、
一種のパニックに陥りながら走るが、この能無し犬は、いつもムチを受けて
キャンキャン啼き声が他の犬を奮い立たせる。この犬のお尻は、あまりに多くの
ムチを受けるので、次のムチが自分の上に落ちてくるかと、絶えず振り返る。
この犬は、この世に生れてよかった、ということはないが、その姿は、私を慰め
てくれる。 この犬のような存在になって生きることも意味があるのだと、
思わせてくれる。≫

▼ これをヒントにポン督(日大アメフト監督)とコーチが考えたチーム強化策
 か如何かは分からない。 サラリーマン社会の浮沈みの中では「叩かれ犬」の
経験をしている人は多いだろう。 この逆の話もある。養殖場の魚を活気つける
ため、食肉種の魚を数匹入れるという。自然界では、その存在が有って然るべし
だから。定年後、急に元気が無くなるのは、食肉魚の存在がいなくなるため。
いや、小池で酸欠不足?。それとも、家庭内食肉魚に追回され疲れはてるため?

・・・・・・
5218,聴覚の方が、視覚情報より根源的!
2015年06月28日(日)
      『人はなぜ、同じ過ちを繰り返すのか』堤未果:佐治晴夫対談 
  * 聴覚の方が、視覚情報より根源的!
 全盲の辻井伸行が、譜面をみないで多くの曲を弾きこなすことに不思議?と
思っていたが、「皮膚の外側全部が宇宙」と聞くと成るほど、「聴覚の方が、
視覚情報より根源的!」というのも納得できる。 〜その辺りから〜
≪ 堤◎ ー目に見えるものだけを信じることはなぜ危険なのでしょう?
佐治◎ 一耳のほうが優れているともいえます。目は見たいようにものをものを
 見る特性が顕著です。 聖書にも「神の姿をかたちづ〜てはいけない」と書かれ
 ているでしょう。神の姿が見えようとすると、自分に都合の良い神をつくりだして
 しまって、極端の場合は、その神の命令によって、という思い込みから殺傷事件
 を起こしてしまう。 それも、脳のメカニズムに関係してくるらしいのですが。、
堤◎ ーどんなメカニズムでしょう? 耳との違い?.
佐治◎ ー目は三種類の色を識別する細胞からできています.「RGB」、つまり
 赤REDと緑(GREEN))と、青(BLUE)の細胞にどういう光が入るかによって
 いろいろな色を識別します。 ところが耳の聴覚器官は、二万五〇〇〇種類
 くらいの細胞が縦に並んでいる。ある音が片側からやってきた場合、われわれ
 は二つの耳で、その方向を識別できます。ところが音が片側の耳に入って、
 次にもう片側の耳に入るまでの時間差は一〇〇〇分の一秒くらいで、神経の
 伝達速度では、間に合わない。となると、音源の方向を識別できないはずです。
 そこで・片方の耳から入ってくる音は細胞の上から、もう片方は下から入って
 きて、その合致する位置から、脳が計算して方向の認識をしている。
 しかも、目から入った信号が脳に到達する時間と、耳からの信号が脳に到着
 する時間を比べると、耳からのほうが速い。つまり、耳のメカニズムのほうが
 ある意味では優れています。人類の進化の歴史を見ても視覚情報は、母親の
 胎内にいる時にはシャットアウトされている。でも、音だけは聞こえている。
 視覚情報のほうが優先されているということです。聴覚情報は、より根源的
 ということです。
堤◎ ーならば目の不自駐方の感じ方は全然違うのでしょ-か?
佐治◎ ー生まれながら全盲の人の言葉を借りると、「先生にとっての宇宙は、
 月とか太陽とか星なんでしょうけれど、ぼくにとっての宇宙は、皮膚の外側が
 ぜんぶ宇宙なんです」という。すごいですね。・・・
佐治◎ ー目が不自由で、耳は健常な人と、逆に耳が不自由で、目は健常な人
 とでは、感じている世界はまったく違うようです。  
佐治◎ ー全盲のピアニスト、辻井伸行さんによると、カルテッドでの共演など、
 通常はアイコンタクトで合わせますが、彼は、相手の呼吸を耳で読むといって
 いた。われわれには五感があるが、そのなかでいちばん深いところに入って
 いくのが音情報です。≫
▼ 動物は海中から陸上に、上がって進化?してきた。海中は視覚より聴覚の
 方が生存競争に有効に働くため、人間も、その流れを引継いでいるのだろうか。
ウツの対策に音楽療法があると、この書で述べているが、iPodで軽音楽を聴き
ながらの早朝の自転車散歩で、その実感は確かにある。 情報端末の進化は、
聴覚、視覚情報を、より手軽に修得可能にする。

・・・・・・
5583,閑話小題 〜暇とは、こんなに忙しいものか
2016年06月28日(火)
   * 暇とは、こんなに忙しいものか
 欧州サッカー選手権とプロ野球、WOWOWの映画とTVドラマと、時間が
足りないほどTVを観るのに忙しい。他動的で後ろ向きだが、面白いのは面白い。
これにスポーツジムとポタリングとパソコンと読書が加わる。更に近くの‘
ツタヤ’のビデオ・レンタルでも借り始めたら、本当にどうなるか?
 で、レンタルは、ウィンドウショッピングに止めているが面白そうなのが
多くある。 隠居になってみて、内向きの忙しさとしても、こんなに面白い
日々とは思いもしなかった。苦しみ1に対して、楽しみ3の割合に意図的に
加えていることもある。これは楽しい時間をスケジュールに組めば済む。
 例えば、早朝のペダリングだったり、TVで観る映画やドラマや、金曜日の
シネマ通いだったり、この随想日記のテーマ探しと書上げだったり・・ 
 これは75歳を健康年齢の目安に設定すると、自由に動けるのは、あと4年半! 
とすると当然、何事にも貪欲になる。 <死んで花実が咲くものか>だが、 
70歳という自覚が少ないためか。同年代の知人友人が次々と倒れるためか。
   * 2016年上半期 重大ニュース
 あと数日で、今年の上半期が終わろうとしている。世界をみると、ベルギー・
ブリュッセル国際空港のテロと、アメリカの大統領泡沫候補が共和党の代表に
選ばれたこと。国内では、枡添都知事の辞任と、熊本地震ぐらいだったが、
先週になって、『英国のEUからの離脱』という政治的激震が起こった。
 この影響は、今後、5〜10年と続くが、日が過ぎる度に、事の重大さに
世界は震撼としている。離脱自体も然ることながら、ドイツ、フランス、
イタリアなどにも離脱の動きが大きくなる。スペインのように、英国の離脱
を受けて、逆に熱が下がった、思わぬ効果もある。当初、トランプに順風と
思えたが、これまた逆のようだ。毎日の為替・株の相場から目が離せない。

・・・・・・
5948,閑話小題 モンテッソーリ教育 −1
2017年06月28日(水)
   * モンテッソーリ教育とは
 天才将棋少年の藤井君の秘密の一つが、幼児期の「モンテッソーリ教育」
にあったという。そこで調べてみると、知的障害児の感覚教育で知的水準を
上げる効果から、貧困層の健常児への独特の教育に発展し、この教育法が欧米
社会に広がったという。要するに天才教育である。
 家内には私の持ってない異様な能力がある。聞くところによると、直ぐ上の
兄が、生まれて間もなく死んでしまったため、両親が、我がまま放題に育てた。
それが、習い事にも現れて、バレー、小唄、習字など、次々と本人の気分に
従って、1〜2年で変わっていった。その辺に、変な能力? 異常な位の好奇心
の元にあるのではと、思ってきたが、それを当人が、自分で、してきたことに。
ただし、『受験勉強で、そのエネルギーの全てを使い果たして、この有様!』と
宣う。知的好奇心と、マスコミに取上げられる流行に対する直感は、異様に強い。
この教育法を読むにつれて、武澤ゼミの基本が、ここにあったと、気づくこと
になる。知識にしろ、経験にしろ、私たちは小さな世界に閉じ込めれれている。
まず、その認識をして、外にも内にも、その壁を壊さなければならない。
 その前に、その壁に入らない教育法が、これである。
  〜ネット検索によると〜
≪ 20世紀初頭にマリア・モンテッソーリによって考案された教育法。
 イタリアのローマで医師として精神病院で働いていたモンテッソーリは知的
障害児へ感覚教育法を施し知的水準を上げるという効果を見せ、1907年に設立
した貧困層の健常児を対象とした保育施設「子どもの家」において、その独特な
教育法を完成させた。以後、モンテッソーリ教育を実施する施設は「子どもの家」
と呼ばれるようになる。
 1907年、ローマに最初に誕生した「子供の家(Casa dei bambini)」は…

・・・・・・
4853,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー23
2014年06月28日(土)
   * 仮店舗と、本店ビルの建設
 設計も終わって、ゼネコンへの見積もり。長岡駅前の一等地もあって、小さな
規模きかかわらず、多くのゼネコンの見積もり依頼があった。そして最後に、
大手の大成建設と、準大手の淺沼組に絞られた。しかし、500万の金額の差で
浅沼組になった。 準大手の淺沼組社長が、山本五十六元帥の元直属の部下で、
何もあっても取れとの厳命があったと、後で聞いた。しかし、500万の差が、
実はアーケードの見積もり落ちと、後で判明し、請求してきたが、話が違う!と、
トラブルになりかけたが、最後は相手側のミスと、決着。今から考えると、
建設は、一割以内の差なら、最大手を選ぶのが順当だった。ただし、浅沼組も、
悪くはなかったが。見積もり過程で、得体の知れない建設業界の不気味さを
感じ取っていた。談合で、殆どが決められる建設業界の(マフィアのような)
シンジケートであるる。それも10数年前に社会的大問題になって大きく
変わったが、現在でも、それは厳然と残っている?はず。
 ところで、ビル完成まで、どうするか?で、駅前に、たまたま撤退した
ばかりの専門店街があった。その権利を、母の従兄弟の元市長がが持っていた
関係で、入店することにした。そして7ヶ月後、11月に新規オープンになる。
新店舗の開店も順調にいったが、直ぐに気づいたのが、売場面積を三倍にした
割に、売上げが、思いのほか伸びない。順調に伸びたのが、学生服の売上だけ。
既に、時代が車社会に入っていて、郊外店舗への流れが本格的になっていた。
 その頃、仕入先の産地も、繊維不況で大きな曲がり角に立っていた。
それと大型店の影響で、駅前立地も本格的衰退の兆候を現していた。
その頃、チェーン店を目ざすクラブのセミナーの講習に三ヶ月に一度の割に
聴講にいっていた。そこでは『早く、新業態の店舗を開発し、現業を潰すべし』
と、繰返し、聞いていた。 現に、この10年間、各地で、それを目の当りに
してきた。一息を入れたとき、全エネルギーを、店舗運営と、仕入と販売に
縛られる日々に、自分の限界を感じるようになっていた。その頃、ヨーカ堂に
出入りしている紳士ファッションメーカーが訪ねてきて、取引をしたいという。
ヨーカ堂に入れている商品の一部をブランドを変えるので、取引をさせて欲しい
という。 ところが、その商品が嘘のように売れるのである。要するに全国的
ホット商品ばかり。内心、「これは!」の声。新興の大手チェーンには、
短期的には闘えても、長期的消耗戦では、勝てないのではないか?である。
 本店の建替えも落ち着いた頃、ペガサスの教えのチェーン化に、実兄は、
やる気満々!私は、逆に自信が喪失。考えてみれば、私に会社の資産はないし、
縛られるものはない。引き時では?と。
 話は変わるが、本店を開店した後に、その成功の祝いに、30人を連れて、
ハワイ旅行に行くことになった。それが、長岡での花。山場であった。これが、
それまでの疲れ全てを取り払ってくれた。そういえば、同じことを新潟駅前
シリーズでも、やっていた。その時々を仕事の合間でレジャーも楽しんでいた!
 
・・・・・・
3746, 閑話小題
2011年06月28日(火)
   ◆ エイズ並みの、恐ろしい性病
 人間、ギリギリに立つと、本性が出てくるもの。その中で最もリアルに
出るのが「他人(ひと)のせい」にする悲しいサガ(性)。人間には、
「あなた群」というのがあって、色いろな気持ちや体験を通して培った感覚や、
体の細胞たちからの記憶が、人の中に蠢いている。過去の色いろな感情や
感覚が、塊になって、その時々の感情や感覚を仲間として同居していて出番を
待っている。その一つが「他人(あのひと)のせい」病である。さしずめ、
今回の倒産劇の「三つの震災」を倒産理由にしている我が内なる、それである。
そう書きながら、これらの八割が原因と脳の奥からの声が聞こえてくるが・・
原因や責任転嫁は動揺から生じることが多い。「他人のせい」は、メビウスの
輪で、「原因は自分にもある」ことに気づかなくしてしまう。東北大震災も、
あれは数百年に一度の天災が原因である。そこまで、想定できないのは自明。
それを政治は言明できないという恐ろしい事態である。
   ◆ 3D仕立の靴下とスポーツシャツ
 「父の日」に、次男からプレゼントが送ってきた。ネット・ショップから
だが、包装を開けてみると、靴下二足。白系と黒系の無地もので、よく見ると、
立体的な足の形をしたモノで、足の部分ごとに縫い方が違っている。
 それも、縫い目がない。足にピッタリ密着するようになっている。 
分かりやすくいえば、足袋風ハイソックで、指先、踵、そして土踏まずの箇所が、
それぞれに合わせた織り方になっている。一度、TVで、その製造マシーンを見た
ことがあった。スポーツジムで、それを履いてみたが、脚が全体が適度の締め
付けで軽快な感じがする。一度履いたら、運動に欠かせなくなる。これなら
2〜3千円を出してでも買いたくなる。ところで昨日、ジム用の着替えの
スポーツシャツをと専門店にいったところ、何と「3Dシャツ」のコーナー
があった。やはり立体的に上半身の形になっているシャツが並んでいた。
それも乾燥が早いシロモノである。それが千円というので、さっそく買ったが、
これも良い。元々あったのだろうが、ベトナムで、トレード・オフをし価格
ダウンしたのが店頭に並んだので、目に入ったが。これも、デフレの一現象。


6314,閑話小題 〜覚醒剤と、マリファナ ―2

2018年06月27日(水)

   * 麻薬の二次災害
 麻薬を吸った高揚の音楽、『上を向いて歩こう』『今日は赤ちゃん』
『夢で会いましょう』などから、その一部を感じることが出来る。
作曲家の故・中村八大は重症の薬中患者。あの感覚は異次元の快感の世界。
何曲か、それらしきα波のCDをネットで購入しiPodに入れ、時々、
聴いている。 『余命、半年』と宣言されたら、考えても良いが… 
やはり止めておくべきと、和歌山ドンファンなどの一連の報道が教えている。
 
 私の至高体験は、秘異郷ツアー先の大自然との邂逅の感動体験と、アルコール
による高揚感が多々ある。薬物中毒には、禁断症状がついてくるため始末が悪い。
「達磨さん、ちょいとこっち向け、世の中は、月雪花に酒に女だ」の禅語がある… 
美味い酒は数限り飲んできた。酒の肴と、美女を侍らせば別に薬物使用の必要も
ない筈だが… 中毒者は、金の無いため? 中間カットの薬にいくのか?
問題は止めどなく深みにはまること? 二次災害の問題が当然生じる。
 
 「CSI: 科学捜査班」というラスベガスなどを中心に最新科学を駆使した操作
技術で様々な凶悪犯罪を解明していく1話完結形クライム・サスペンスがある。
 これが面白い、10数年にわたり数百本はみただろうか。
その一つに、麻薬にやられた妻に、支配された夫との共犯事件の筋書きがあった。
表向きは普通の夫婦が、実はサイコパスで… これに近い話を知人から聞いた。
<鬱病の治療薬の長期服用から薬中が酷くなり、痴呆症に陥った姉が、夫と供に
 妻の妹のところにやってきて、「高校時代にお金が紛失したが、犯人は絶対に
アナタ。正直に言いなさいよ」 旦那も止めるふうもなく…40,50年前の話を>
身内に痴呆症の人を抱えたことのある人は、理解できるはず。 私は5年半… 
これをマダラ呆け状態で周辺に言って周るため、たまったものではない。
薬中の場合にも多々ある。私にも、幾つか憶えがある。具体的には、あまりに
酷すぎて書けない内容。そこに、世間バカが絡み込んでくるから始末が悪い。
 ならば、不幸系ほど世間様度数が高くなる…その観察を楽しめば良い。

――――
2007/07/06
LSDを一服した状態とは、どんな状態? −1

植草甚一の「カトマンズでLSDを一服」という本が面白い。
「植草甚一スクラップブック」の一冊でNO/11になるが
古今東西、植草甚一の読んだ麻薬に関する記事・文献などが話題になっている。
図書館で借りてきた本だが面白そうなので、一とおり目を通して、中古本だが、
直にアマゾンで注文をいれた。麻薬のトリップに対して興味がある。しかし麻薬
をまさか使うことは出来ないし、中毒になったら取り返しがつかない。
といってバッド・トリップやグッド・トリップの状態を、経験してみたい誘惑も。
まあ、死ぬ直前の楽しみにしておいた方がよい。ならせめて、どういう状態か、
知識として知りたくもなる。手元に何冊か、その状況を紹介した本がある。

私の枕元には、麻薬を使った状態に近づける音楽のCDがある。
買ってから10年近く、寝る前などに聴いてきたが、寝つきがよい。
酒を飲んでホンワカした気分と同じである。
私の場合、秘境旅行や、酒席などで至高体験を数知れないほど経験してきたので、
アルコールや、寝る前の音楽で、直にトリップしやすい蓄積があり、
体質的に脳内には回路が出来ている。まあ、それはいい!

以下は、この本の冒頭に出てくる心理学者ジュラール・ボルの
「麻薬への旅」の中の一節である。麻薬のトリップの状態を書いた本を何冊か
持っているが、どれも似ている。面白く解りやすいので紹介しておこう。
 ーー1967年10月から著者ボルの2年間の経験談であるーー
 
                   ーーー p・12~13
 ネパールではハシーシを政府が許可しているし、1舛涼傭覆150フラン
前後(ヨーロッパでは五十倍の値段)なので、ヒッピーの顔ぶれは変るが、
いつも400人ぐらいいるそうだ。力トマソズには彼らの連絡場所になっている
「リトル・チペタソ」というチベヅト人経営の小さなキャバレーがあるが、
ある日のことリーというアメリカのヒッピーがLSDを持ってやってきた。
そうしてカトマソズの谷間の平地に仲間たちと「ヒヅピーラソド」と名付けた
小コミュニティのテソト生活をはじめるのだが、夜の十時ごろ、
みんなしてカプセル入りのLSDを少量の水で飲んだときの経験を、
著者ポルは書きはじめる。暗い夜で、キャンプの焚火が赤い。
遠くにヒマラヤ山脈の輪郭が見える。

 みんな声を出さないでLSDが効きはじめるのをジーッと待っている。
夜の静寂さ。二十分したとき、耳のうしろの首筋が急に熱くなったかと思うと、
舌ざわりが金属的になった。まだ効果はあらわれないし、意識は平常どおりだ。
すると始まったなと思う感覚の変化。神経が局部的にピリッと硬直し、
その瞬間はロではいえない異常な現象がおそいかかった気持である。
いろいろなLSD体験記から想像していたのと同じ状態であって、自己が解体し、
まわりの知覚世界に溶けこんでいく。それがすこしたつと、こうなった。
 
 焚火を見ていると、その火のなかに、ぼくがいる。ぼくは火なんだな、
いや火の向うに存在しているようだ。というのは火や明りや影が、
ぼくの思考や意志に服従するように動いているからで、まわりの世界を、
ぼくが上からブタをしているような気持になってきたからである。それなのに、
ぼくとは違ったものなのだ。まわりのすべてと同じものになっていく。

 と同時に余計だと思う漠然としたものが、仮面をかぶったように引っこんで
しまった。そうして宇宙的になりはじめた精神的内部の知覚作用。
いろいろなものが重なり合って見える。
その重なりかたの度合が強烈な作用をもっていて、たがいに矛盾するかと思うと
無限の連想へとみちびいていく。そのときレコードをかけた者がいて、
チベットの宗教音楽が流れてきた。

 すると意識がより複雑になり、その音楽は、ぼくが作曲したものではないか、
なぜならばくの体内から生まれてきたようだし、ぼくの思考と厳格に一致して
いるからだ。単調だが美しく流れていく音楽は、ぼくなのである。
一つの音が、つぎの音になるまでにハッキリと分離して耳に入ってくる。
ぼくと周囲との溶解状態が、さっきよりずっと完全なものとなった。

 ハシーシやメスカリンが効きだしたときのように、しぜんと目ぶたがふさがる。
すると音楽が目に見えてきた。一つの音が明りで書いたようになり、キラギラと
雑色になって飛び散る。無限に大きい万華鏡のまん中にいるようだし、ある音が、
ほかの音よりも強くぼくのなかで反響し、それが後頭部や胃のあたりをシピれさせ、
打楽器の音が強烈な電気ショックのように全身を飛びあげるようにするのだった。
 
 ぼくは手を見る。それは歪んだり、大きさや色の具合が変化したりする。そばに
いる仲間の顔を見ると、小さなダイヤモソドがちりばめられていてピカピカと輝き、
とても美しい。ぼくは目を閉じる。するとまた心の奥ふかくへと落ち込んでいく。

 自己と別世界との溶解。非現実の現実的な知覚状態。
これは,「シュールモア」(超我)と呼びたい。
そのときの解放感は、口ではいえないくらい気持を昂揚させる。
道徳的な規準といったタブーのすべてが取りのぞかれてしまうのだ。
そうした宇宙をなにかのシソポルや連想や知覚の種類や合理的なイメージで
説明しようとしても、文字や言葉は単純化された嘘になるだけである。
ただあとで考えたことだが、人間というものは、いかに不条理で憐れむぺき存在か、
歴史や文化の発展のなかで「権力」に支配されて生きてきたのだ。
そこから解放されるものがLSDだということはハッキリといえるのだった。

 そのとき誰かの笑い声がした。なぜ笑ったのだろう。
それは、ぼくが四十年間というもの、無知だったことを笑っているような気がする。
三十人くらいの仲間が、誘われたように笑い声を出し、ぼくもいっしょに笑いだした。
以上は「麻薬への旅」の、ほんの一部の紹介だが、LSDの研究は、
ますます興味ぶかくなってきた。

・・・・・・
5582,閑話小題 〜まさか、離脱派が勝つとは! 〜
2016年06月27日(月)
   * 欧州サッカー選手権と、EUの離脱問題
 今回の英国のEUからの離脱問題。欧州サッカー選手権の最中の熱い時期の
タイミングが良くなかった。英の自国内も含めた、欧州同士のサッカー試合を
通した代理戦争のような試合が行われている最中の離脱成否の国民選挙である。
何とか抑えてきた抑えてきた愛国心、郷土愛が欧州連邦を崩す切欠になるのか。
 英国とユーラシア大陸の位置関係と、日本とアジア大陸の地勢上の立ち位置
から類推してみると似ている。日本に大陸から大挙して押し寄せて、街の一角
に住んだとしたら、当然、離脱をしたくなる。 中国、韓国、フィリッピン、
インド人が、近くのアパートに住んで、大声で深夜、騒いだとしたら、それは
拒否反応を示しす。現に自宅前のアパートの何世帯が、住人である。
我慢できないレベルではないが、数倍になったとしたら、考えるだろう。
それも犯罪が激増するとしたら・・ 
 離脱問題が、大した問題でないのか、想像を絶した大問題なのか、二日間、
新聞、TV、ネットの情報を通して考えてみたが、これはパンドラの箱が開いた
リーマンショック以上の大問題。プラス面に光が当てられたグローバリズム
の問題が、マイナス面に表出した一現象である。これでトランプがアメリカ
大統領に選出される可能性が出てきた。EUは、解体もありうる。それと、
スコットランドの独立もである。
 ソ連邦解体と、中国の共産主義政策の放棄と、情報社会の到来をみた上に、
EUの壮大な生成の実験と、その崩壊過程?まで目撃できるとは! 驚き。
アメリカの不良債権も、各国政府、金融機関の金庫の中に押し込まれたまま。
何かの切欠で表立った時、世界恐慌は表立つ。今週は、先週に続いて見もの!
まず株式と為替から。現役だったら、夜も寝れないだろうに。
アベノミックスは、株安、円高の潮目で、失敗が露呈してくる。娑婆は面白い。

・・・・・・
5217,神学と物理学と哲学の三位一体論
2015年06月27日(土)
              『立花隆の書棚』立花隆・蒼田純一写真    
   * 神学と物理学と哲学の三位一体論 
 書店の店頭で数ヶ月前から黒表紙の『立花隆の書棚』という分厚い本が並んで
いた。面白そうだが買うのを控えていたのを図書館で見つけ、さっそく借りた。
  その「まえがき」の内容が良い!
≪ 「やはり、若い才能というのはあるもので、昔のいい本にもう一度出会う
 のも悪くないが、若いブリリアントな才能の持ち主と出会うことは嫉妬の対象
にこそなれ、なかなか賛嘆の対象にはならなかった。しかし、七十を過ぎて、
素直に、何でも、よいものはよい、と言いたくなった」 ・・・(略)
 『20歳の君へ』の中で、キリスト教の三位一体説を取り上げ、父なる神と、
子なる神と、精霊なる神が一体であるとはどういうことか、それに対する異論から、
最初の異端、アリウス派が生まれたという話をした。
「イエス・キリスト=神」とする正統的な三位一体論に対して、歴史上、
異論を唱える教派が何度も出ては、異論とされてきたのである。現代においても、
アメリカで最も有力な教派(ユニテリアン)が同じ見解の下に集団を作っていて、
アリウス派の現代版と目されるということを指摘した。
「現代版三位一体論を考えるなら、今こそ、神学と物理学と哲学の三位一体論を
やるべきだと思う。それは、光とエネルギーと物質の三位一体論であり、これは
物理学の公式で書き表せば、E=mc2のアインシュタインの相対論と、E= hνの
プランクの量子力学から導き出せる。これがこの本を書きながらたどり着いた
一つのことである。・・ 光とエネルギーと物質は、結局は同じものであり、
われわれ自身も、われわれを作ったものも、われわれが作り出してきたものも、
すべてこの三位一体説の中にあるのである。≫
▼ そもそも光とは? エネルギーとは? 物質とは何か?を知らなければ
 ならない。結局は同じものというが、それは何か?である。 猫ビルなどの
書棚の写真を見ていると、本という媒体という物質。そこに込められた著者の
エネルギー。光は情報・知識ということか。 あるいは、人間そのものも、
肉体が物質、エネルギーが行為、光は情報・知識になる。どれもこれも磨き
続けないと、劣化を始める。 問題は行き先の設定。それぞれ違ってくるが。
・・・・・・
4852,「事業人生を決心して45年」の語り直しー22
2014年06月27日(金)
  * 本店ビルの建替えへ
 そうこうするうちに、地元百貨店の二社が大手チェーンのニチイと、ヨーカ堂の
傘下になっていた。そのニチイ傘下に入った隣地の百貨店と数軒の店舗の共同開発
ビル計画が立ち上がっていた。当地は、その四角にあり、要になるため、当然、
参加の打診があった。私が生まれ育った旧ビルも30年も経って寿命もきていた。 
私は当初、共同ビルに参加には賛成だったが、共同ビルの設計は当然、大型店に
都合よいレイアウト。即刻、参加取りやめになったが、この機会に新ビルを
建替えることになった。私には千葉・千城台ビル立上げの経験がある。
この設計過程と、ビル建設の二度目のチャレンジになった。設計会社は千葉と同じ
設計事務所と、担当を同じにした。30年前に、そこで、父が木造店舗から、
新ビルの立上げを、身近に見ていた幼児体験もあった。これに、千葉でのビルの
経験を加えての設計の立案、この建物は、その後の建物でのベストの傑作の設計。 
扇状の四つ角のビル。柱は最小に、ビル売却を前提において、テナントビルなどに
転用可能に、考え抜かれたレイアウトになっている。二階以上のフロアーと地下を
メインの1Fと分離できるテナントビルへの転用可能である。
この建替プロセスほど、人生で面白かったことはなかった。 父の魂が私に乗り
うつって建てたような建物。現在は予備校として稼動しているが、実兄が、通り
相場の3〜5割高で売却が出来た。その買った人物が、その後に取組んだホテル
創業のスタッフだった因縁があった。ニヶ月でコンビ解消をしたが・・その人も、
私から傑作作品と聞いていた 面白いものである。 10年後には、異種の
ブラックスワンの出現で・・? 話は戻るが、新規ビル建設で旧ビルを壊すことに
なったが、私の手で壊すのも大きな因縁。仮店舗への移動のため、閉店売出しで
一切を整理をした最終の夜、二階で全員で冷酒で乾杯。旧ビルへの御別れで、
飲みほした茶碗を一斉に床に叩き付けた。ところが、全ての茶碗が割れない。
長年の熱湯で強固になっていたため。茶碗にも年季が入っていることを教えられた。 
 ところで、敷地ギリギリの鉄筋ビルの解体を、どうするかに非常に興味があった。
何と各フロアの真中に5m程の穴を開け、上層から壊したコンクリートと鉄筋を
1Fに落とし、運び出す。5Fの後は、4,3,2Fと。
・・・・・・
4485, 怒らないって本当は恐い! ー2
2013年06月27日(木)
                 『怒りの作法』小川仁志 著
 * 日本人はなぜここまで怒らないのか
何故に日本人は怒らなくなったのか、その理由を幾つか取り上げている。
 ーその部分を抜粋ー
・ 三木清は『人生論ノート』の中で、「他の感情から比べ、否定的に
とらえられるのは、怒りが憎しみと混同している点にあるとしている。
三木は憎しみは負の感情しかないが、怒りはそれとは違う正のエネルギーを
秘めた感情。  したがって、まず怒りに課せられた誤解を解くことから始める
必要がある。感情とは内側から生じてくる一種のエネルギーであって、それを
うまく放出することによって、人間は人間らしくふるまえるのである。
・ なぜ怒りだけが抑圧されるかというと、そのイメージは、ほとんど常に
暴力的言動に結びついているため。怒っている人の原因を聞くと、理解が出来る。
しかし、その言動は否定することになる。互いの主観をみとめ、話し合い、
理解するのが人間たる由縁だが、暴言や暴力に頼り、他者から理解してもらう
ことを諦めてしまうため現代人は動物化しているといわれる。
・ 権力者は、怒る人間より従順な人間を好みます。自らの保身のためである。
長年かけて教育を始めとした啓蒙活動で人間の怒りを去勢し、従順な国民を作り
上げてきた。・・・ 怒りという正常な感覚の一部を奪われてしまった人間は、
他の感情ー喜と哀と楽も歪なものになっていく。笑えない子供、泣けない大人、
楽しめない人間。極端までに怒りを嫌悪する現代社会は、こうした「異常現象」
が顕著になっている。人間は、怒りそのものを抑圧されることによって、
喜怒哀楽という自然を失い、不自然な存在に歪められていく。
・「風土」論にみる日本人とは?といえば、 和辻哲郎の風土論がまっさきに
上げられる。彼は世界の気候をモンスーン型、砂漠型、牧場型の三つに分けた。
モンスーン型は、温暖湿潤なため温厚と同時に忍従的のため従順な人間になる。
これに対し砂漠型は、厳しい自然に抵抗するため攻撃的になる。また牧場型は、
自然を囲い込んで征服しようとするため、合理的に物事を考えるようになる。
日本はモンスーン型、アメリカと欧州は牧場型。砂漠型はアフリカやモンゴル。
中国はアジアに属するが服従しないという点では特殊。農村的なるものの
エートスは、共同体を重視するため近所と波風を立てないことが、求められる。
 あの人は、どう思うかということばかりが気になり、常に頭の中に、自分を
睥睨する他者の視線が紛れ込んでいる。 現在の日本の社会制度はほぼ農村
出身者によって作られたもの。たとえば、学校。あれは目立たないことを教え、
人と違う意見や行動を封じ込める場所。まさに教室という名の農村。
もう一つ、気候と関連するものに地形がある。 小さな島国の日本人は、
外部に対して、まず慌て動揺する。
・ 個人主義化が、歪んで怒れなくなったことも注目すべきである。
30年前の1982年頃は丁度個人主義が満開に達し、日本中が浮かれ出した。
思想界では、ポストモダンというバラバラの個人を前提とした考え方が隆盛を
極めていた。一緒に共通の夢「大きな物語」を追いかける時代は終わったと・・
 それ以降、個人主義が拍車をかけていった。 そして誰も怒らなくなった。
権利意識だけ高まった人を怒って面倒になるなら、自分の夢を追求した方が
ましだからです。
▼ 怒れなくなった若者、切れる老人が多くなったのは、正しい怒り方が
 出来ないからである。デフレ時代の恵まれない時代背景に、どう怒ってよいか、
ただ呆然として立ち竦み、怒りの沈殿が、個々の中で憎しみに変わろうと
している。そういえば、北朝鮮の女アナウンサーのコメントは常に怒った内容。
そして威嚇したもの。内向きの統制が目的のためもあるが、明らかに支離滅裂。
とはいえ、その対極にあるような日本も間違いなく変。
何のポチは怒りを悪と洗脳されたか。



6313,閑話小題 〜覚醒剤と、マリファナ ―1

2018年06月26日(火)

   * 薬物について…
 学生時代後半の二年ほど親しくしていた友人が軽い覚醒剤の常用者?
その特徴は、気分にムラがあり躁鬱の起伏が激しいこと。「心の起伏の
コントロールに私を当てていたのでは?」と、疑ったこともあったが、明るく
話題豊富で、純粋で面白いことこの上なかった。彼は3〜4年と○○ゼミに
参加しており、4年の進級時に私をゼミに誘い、推薦してくれた掛けがえない
恩人だった。一度、埼玉の自宅に遊びにいき、夕食を家族とともにし、一泊
したことがあった。父親譲りで、俗にいう‘ハッタリ’屋が特徴であった。
妹が、なかなかの美人。当時のアルバイト先の軽井沢山荘に同行したことも
あってか、現在、軽井沢に大半の時間、住んでいると聞いている。
親戚以外で泊まり込みは、4回目だったが、学生時代の特権の一つ。逆に、
友人を自宅に泊めたのはドライブがてらの複数人だったため10人以上はいた。
首都圏の人は、地方の家に何故か泊まりたがる。
 
 30年経営していた会社の取引先に、鬱病治療の服用で深い薬中になった人
がいた。素知らぬふりをして観察していたが、学生時代の友人との共通点は、
気が優しく、孤独に弱く、人と群れていないと不安になるタイプ。或る時、
突然、切れ、病的に怒り狂う。 世間病の合併症?が、薬効で爆発する現象
が屡々ある。気分の切替が下手。
 半世紀前の青年期の頃、親戚に覚醒剤中毒の人がいた。当時、覚醒剤は薬局
で売っており、今ほど取締は厳しくなかった。眼が座り、顔はスカッとして、
それはそれは明るく場を持ち上げていた。 数錠、口に入れガリガリと…。
10数年前に鬼籍に入ったが…前記のタイプと同じ。
 
 数年前に、「タレントが、銀座ホステスと、覚醒剤使用のセックスで快楽
云々… 死亡事件」が話題になったことがあった。和歌山の色ボケした老人が、
若い妻に覚醒剤を盛られた?殺人疑惑がマスコミを賑わせている。被害者が
常用者でなかったため、殺人疑惑が増しているが、痴呆症で若い妻との快楽に
服用していた可能性もあるため、事件の解明は難しい。痴呆症と、薬物依存の
合併症の典型の事件。脱糞とか、実情は酷いとの証言もある。 〜つづく
 
以下は、『至高体験』の検索で出てきた文章
悟りを開いた坊様のような… 修行でなく、薬物でなく、何で、
こんな状況になれる? 毎朝のチャリでの一時間の遊行で、少し近い
心的状況になってはいるが… 
――――

私が至高体験と呼んでいるものが
異様に増えてきたな…と春あたりから思っていました

以前の至高体験は向こうからのプレゼントでした
1年に、2,3回あったら、かなり調子いい方で
1年の内に1回もないという時期もあったようなペースでした

ふとしたときに、突然訪れる、至福の体験
明るすぎる輝く光だけになる体験
草の前に佇んだり、海を見ていたりとか
何でもない時に訪れる

その何でもない時、というのはよく言われる形としては、
「無」に入っている瞬間とも言えるかもしれない

私はあの豊かな瞬間を、「無」だとは思えないのですけれど…
「無」は「全」かもしれないけれど
それが、向こうからのプレゼントではなくなった
私が、意識的に至高体験の中に入って行ける

というよりも、私が入って行きたい領域の前に
至高体験がヴェールのようにかかっているようなのです

そのヴェールを上げると、あの世界が在る
そのヴェールが、自分で意識的に上げられるようになってきたらしいのです
これは一重に、トレーニングのおかげだと思っています

ひとつひとつの美しさが増す
全てが輝いて、私の内に映って入ってくる

どうやら、ヴェールが上がりっぱなしになりかけているようで
世界の美しさが、直接、ダイレクトに私に語り掛けて来て
あまりに素晴らしいのでした

この、良くて困るところは
友人が子どもを抱きしめているとかの
日常的な瞬間に号泣しそうになることです(笑)
あまりに素晴らしく、美しくて…ね

日常は、見える以上の深みを湛えている…!!

・・・・・・
5216,借金人間 製造工場
2015年06月26日(金)
       『借金人間 製造工場―“負債"の政治経済学』
                 マウリツィオ・ラッツァラート (著)
  * 借金苦は権利書と共に、サラバ!
 公立、私立大学の6割が奨学金を受けていて、平均300万。旅たち時点で、
既に借金人間である。日本の国債が1千兆円、一人当たり750万の借金を
負わされている。社会全体がローンとクレジットに覆われ、国家予算全体が
国債で半分が賄われている。国家も、社会も、個人も借金人間の塊だ。
 ーアマゾンの案内が、ミニ概要になっている。
≪ “負債"が世界を支配している!  私たちは、借金しているのではない。
 金融資本主義によって、借金させられている! 欧州で話題のベストセラー!
現在、国家の“負債"も、個人の“借金"も、世界的に急増しつづけており、
国家財政にとっても、私たちの人生にとっても、最大の脅威となっている。
 では、なぜ“負債/借金"は、それほどまでに増大しつづけるのか?
書は、今ヨーロッパで注目される社会学者・哲学者が、経済学から、ニーチェ、
ドゥルーズ/ガタリ、フーコーの哲学までも駆使しながら、“借金/負債"とは
何かを、古代ギリシャから現代までの歴史をさかのぼり考察し、現在では、
グローバル資本主義による個人・社会への支配装置として機能していることを
明らかにした、欧州で話題のベストセラーである。本書は、現在、最も世界的な
注目を集めている問題をあつかっている。とくに興味深いのは、それを表層的な
経済問題の議論を超えて、ダイナミックに歴史的に考察を深めていることである。
 哲学者にして社会学者でもある著者にとって、社会的なもののパラダイムは、
象徴的交換ではなくて、“債権者/負債者"の関係にほかならない。
「各個人を、借金を背負った経済的主体に変えること」―これが、我々が現在
生きている経済システムである。 “借金人間"こそが“経済的人間"の新たな
相貌、と著者は喝破する。“借金人間"である我々は、
・住居を得る権利を持っているのではなく、住宅ローンの権利を持っているだけ。
・教育を得る権利を持っているのではなく、学歴を得るために奨学金を組む
 権利を持っているだけ。
・現在の経済システムにとって、負債(借金)は、社会的コントロールの願っても
 ない道具である。それは“人々の未来を所有する"ことを可能にするからである。
 つまり“人々の予測不可能な行動"をあらかじめ封じ込めることができる。
・そして、“借金は返済するべきだという倫理を製造すること"の背後に、
 “罪悪感の製造"を見る。
著者は、マルクス、ニーチェ、フーコー、ドゥルーズ/ガタリなどを援用しながら
考察を深める。最も刺激的なのは、現在、われわれは、負債と永遠に手を切る
ことができないというところだろう。これは、著者のテーゼの中で最も注目すべき
指摘であるが、人類の歴史において“負債(借金)"とは、太古の社会では“有限"
なものであったが、近代化の過程で“無限"なものへと移行し、さらに金融資本
主義の誕生によって、けっして完済することのない“借金人間"が創り上げられて
いったというものである。こうして我々は、借金を背負い返済しつづける
“現代のシジフォス=☆"となったのである。    ――『ル・モンド』評
 ☆ 【シジフォスとは、ギリシャ神話で、狡猾 な コリントスの王。
  ゼウスの怒りにふれ、死後、地獄に落とされて大石を山頂まで 押し
 上げる罰を受けたが、大石はあと一息のところで必ず転げ落ちたという。】≫
▼ 消費社会において、常に2割増の過剰消費の欲望が掻き立てられる仕組みに
 なっていて、そこにローンという落し穴が組み込まれ、蟻地獄に陥っていく。
私の事業が装置産業のため、長期ローンの恐ろしさも知らず、結果は、このザマ。
ホテル4棟のオーナーではなく、最大時に23億の借金の土地屋敷の権利書を
持っていただけ。で、整理をして、初めてそのことに気づく。しかし、
「ただ権利書と相殺しただけ」も事実。だから、これで良かった!が実感で、
何も命を奪われることもない。 経験しなければ、この道理を実感できない!
・・・・・・
4484, 怒らないって本当は恐い!
2013年06月26日(水)
               『怒りの作法』小川仁志 著
 生家が大家族で商売をしていたこともあり、自分の感情を顕わにすることは
絶対タブーの中で育った。それもあって『情念の話術』ーヒトラーの魔力 ーを
学生時代に読んだ時、私の常識と全く逆の内容に驚いた。この本でナチスの大衆
誘導の手法を教えていた。「大衆は女子供のようなもの。喜怒哀楽を込めた情念
で煽って集団催眠にかける手法。右手を胸につけ右上にあげる。演説で大声を
振り上げ怒りの感情を大衆に訴え扇動する。それらの手法を日常の話術や、行動
のエネルギーの源泉にせよ。喜怒哀楽をエンジンとみたてフル回転し行動の
アクセルにせよ」というのだから・・ 当時の私にとって、これは性格を変えて
しまうほどのインパクト。私が怒りっぽくなったのは、これ。これを人知れず
ノウハウにしたら、突然狂ったと思われる。喜怒哀楽の中で一番疎んじられている
怒りこそ日本人に欠けている。(仏教の影響もある)これを、コミニケーション
の扉を開くための道具とすべしというのも納得できる。コミニケで怒りの訴える
強度が一番高い。 もし人種差別の場合、笑って抗議しても、泣いて抗議しても、
怒りほどのインパクトはない。問題は、その表現の仕方である。
これが『怒りの作法』の中で貫かれている主旨である。 怒りこそ感情の主。
逆に人間関係を一瞬に破壊してしまう薬にも毒になるしろもの。 
そこに作法が必要になる。ここで、アリストテレスの「怒りは、
しばしば道徳と勇気の武器なり」という言葉を紹介している。
《 それはまさに「正しく怒る」ことである。「怒らないこと」でなく、
 「正しく怒ること」が大事ということ。アリストテレスの「中庸」という
思想を見ると、このことがわかる。中庸とは最も望ましい状態のこと。
怒りに対する「穏和」を意味する。つまり、然るべき事柄に対し、然るべき人に、
然るべき仕方で、然るべき時に、然るべき間だけ怒る。これが賞賛すべき怒り方
であって、こうした怒り方の出来る人を穏和の人という。怒ることは、必ずしも
悪いことではない。しかし、現代人は怒ることを出来るだけ避けようとする。
もっと怒るべきなのに。(p3)》
 以前は、今に比べれば、穏和に怒ってくれる人が多かった。でも現代は違う。
怒りを抑えることが良いとされ、それが沈殿してしまう。
そして爆発し全てが破壊する。 怒らないって、本当は恐い。

・・・・・・
5946,閑話小題 〜驚異の天才将棋士
2017年06月26日(月)
  * 驚異の天才将棋士
 中学三年の将棋の藤井4段が、負けなしの28連勝で歴代トップに並らんで、
今日、29連勝に挑戦する。これが、いかに凄いかを大相撲に例えると(幕下
でない)幕内付け出しの新弟子(実際にはない)が、横綱を含めた上位力士に
28連勝をしている歴史的所業。新入プロ棋士としては
自閉症か、発達障害的の感がするが。彼の練習相手は、かなりレベルの高い
将棋ロボット? とすると、ソフトの進化につれ、数年後には、もっと凄い子
が出てくる可能性が? 小学4年の時に、羽生名人の角落ちの勝負に勝ったと
いうから、羽生は白鵬に値する。 それだけの力量があったということ。
TVの特集で、親方にあたるプロ棋士の師匠に練習試合だが、勝っていた。
 〜ネットで彼の記録を検索すると〜
【 ☆ 脚光をあびることになった数々の記録
 ・最年少棋士
藤井四段が14歳2か月でプロになるまでは、加藤一二三九段の14歳7か月が
最も早い記録でした。この記録は62年間破られることなく続いていました。
その加藤九段が藤井四段のプロ公式戦の最初の相手となったのは感慨深い
ものがあります。
 ・プロ入り初年度を全勝
プロ入りした初年度を全勝したケースは、清野静男(1949年度・9勝0敗)
以来、67年振り。(藤井四段は10勝0敗)
 ・新人連勝記録
デビューから10連勝。1995年松本佳介(現六段)、
1996年の近藤正和(現六段)。
なお、中学生棋士のデビュー後の連勝は、羽生三冠、渡辺竜王の6連勝。
 ・最多連勝記録
神谷広志八段の28連勝(1986〜1987年にかけて)。
なお、藤井四段の28連勝は対アマの2局を含んでいる。(2017年6月21日現在)
 ・他にも…
竜王戦、棋王戦の挑戦者決定トーナメント進出と史上最年少での予選通過。
第67回NHK杯戦に史上最年少での本戦出場。新しい風が吹く時、過去の記録に
光が当たる。 これは、イチロー選手がメジャーリーグで長年破られなかった
記録に光を当てたのと似た状況である。】

▼ 去年の暮れに、シネマで、29歳で逝った実在の天才棋士の村山聖の映画、
『聖の青春』をみていた。  〜映画案内によると〜
《幼少期より「ネフローゼ」という腎臓の病気を患っている村山聖は、完治
しない身体と戦いながら将棋界最高峰の「名人」を目指していた。大阪の師匠
の森のもとで七段まで上り詰めた聖だが、彼の前に同世代の天才棋士の羽生
が立ちはだかった。羽生に負かされた聖は、その側で将棋をしようと上京。
周囲に迎合しない強烈な個性は時に摩擦を生むが、将棋に没頭して結果を出して
いくその姿勢に、みなもいつしか彼を支えるようになる。そんな時、聖の身体に
癌が見つかる…》 将棋界を知るにはうってつけの映画。
 村山聖も極端な内向きだが性格が強い青年。将棋一点にエネルギーを集中
すればこそ、天才棋士になれた。電脳の匂いは、しなかったが、如何だろう。


6312,閑話小題 〜3、5、10億の宝籤に当ったような経験ってある?

2018年06月25日(月)

   * 人生で大当りした経験は?
<・人生で、3、5、10億の宝籤に当ったような経験ってある?>って言われれば、
  何回もあると答えられる。その幾つかの一つが、何度も書いてきた21歳時の
「30日間、欧州一周旅行」。その10年後に、余裕が出来て、ハワイに行くことに
 なるが、40歳から本格的ライフワークに格上げし、合計51回が籤の景品になる。
・これに準備期間15年と、30年間の実業を加えた45年の事業人生。
‘装置産業の選択そのことが大当り’であった。新潟駅前シリーズのビジネス・
ホテル事業は、これ。 20年以上は、これほど面白く、刺激に満ちた日々は、
心の財産として深く残っている。最後は、事業断念で終わったが、遣り残した
後悔は全くない。良かったのが、装置産業のため、立ち上げた後に、余裕時間
が与えられること。海外ツアーも、この17年間続いたブログ作成も、読書時間
の確保も、余裕時間があればこそ。小さな世界だが、時間だけは満ち足りていた。

◉寅:高度経済成長時代に、宝籤を当てた自慢話じゃないか。何か感覚が時代
 掛かっていて変だよ。終戦直後に生まれた時節が大当りで、その成長に合わせて
 舞上がった凧でしかないじゃないか。父親が明治38年生まれなら、然もあらんだ。。
◉熊:俺だって宝籤を大当てして、人生を楽しみたかったよ。
◉大家:人間として生まれ、この年齢まで生きてこられただけで、充分に宝籤の
 大金を得ることより、遥かに奇跡的だよ。それも、この日本に。
◉八:何か、周りを見渡すとさ、小さな既成概念に捉われて、何にも知ろうとも、
 見ようともしないんだから。ガチガチの世間バカに囲まれて、それを全世界と
 信じて疑わないんだよ。家内の愚痴になるけどね。居間のボードにね、代々
 ある、あるいは世界中で買ってきたコーヒーカップとか、グラスがあるの。
 それを使おうとしないの。地震で、時々、2〜3割が粉々になっても、使おうと
 しないの。勿体ないから時々、使うと嫌な顔をするの。あれと同じことを、
 自分たちの持っているお金や、能力に気づかないでさ。
◉大家:それを使うには、習慣の力を利用すると、何時も八つぁんが言ってるね。
 時間も、お金も、使って何ぼのものでしょう。宝籤で当たっても、その使い方
 を知らずに、5年で、スッカラピンになるというじゃないか。有効に如何に
 使うかが問題だよ。
◉神様:地球旅行に人間の身体をもらって、何しに来たの?人生を味わい、
 地球の大自然を果てしなくみて、存在する日々を味わうのが人生の役割なのに。
 ノンビリしすぎですよ。一回、こっきりなのに。せっかく、宝籤に当って、
 地球旅行に来ているのに。それさえ気づかないとはね! 
――――
5215,閑話小題 〜私の高度成長時代 〜
2015年06月25日(木)
   * 欧州旅行、一ヶ月
 大学の『海外旅行研究会』という愛好会が企画した40名参加のツアーで、
当時の参加費は30日間で、32万円。他を含めると40万円。現在換算で300万相当。
その前年に、海外旅行の規制が大幅に緩和され、非常に好評だった前年のツアー
に続いての企画。当時、親しくしていた友人から、この企画に参加しないかと、
誘われていたが、「私とは別世界」と、決め込んでいた。ところが、たまたま、
軽井沢の山荘で、アルバイト仲間との仕事が終わった後の4人のティータイムで、
近々、海外旅行の予定が無いのが私だけだった。
 その時、「自分も行こうと思えば可能のはず。そう、父親が幼稚園の頃から、
晦日にお年玉をもらったのを、積立預金してくれた10数万を、高校時代に選ばせ
買った『科研』の株式が値上がりをしていた。あれを売って残りを父親に借金を
すれば可能なはず」と、その夜半に思い立ち、バイト終了後、実家にとって帰った。
まず母親を説得、そして父親を説得した。 その一ヶ月は、馬小屋のような寮生活
とは全く違った世界に浸った。20歳の年齢で、国内旅行の経験も、海外の情報、
知識も殆どない中での欧州を十数カ国の旅行。20年間の固定観念が根こそぎ
壊され、帰国後、数ヶ月は茫然自失。その頃、父が、突然、私の寮を訪ねてきて、
生活の実態に驚き、仕送りを二倍にしてくれた。友人関係が、自ずと金持ちの
子弟に代わっていった。その友人達は、スカイラインGT、イタ車のカルマンギア
などのスポーツカーを持っていた。彼らのお気に入りが、逆に私のボロ寮の部屋。
一度も、見たこともない底辺の漫画的世界に、逆に安らぎを感じた?
 軽井沢の別荘地で見た富豪の邸宅群、そして、友人の私生活を見るにつけ、
「事業を興し勝組になる」という思いが強くなっていった。そして、学生時代
の最終の4年に、武澤ゼミに入会することになる。 事業の最後はクラッシュ?
だったが、後悔はない。 高度成長時代の右上がりは熱気が溢れていた。
この温もり、時代が変わって抜けることはない。良い時代に奇跡的生きてきた。
 逆目線でみれば、「この馬鹿が出来上がった原因は、この旅行と時代」になる。

・・・・・・
2015/09/18
閑話小題 〜宝くじで5億円当たったら何に使いますか
   * 5億円当たったら何に使いますか?
 昨日の朝のTVショーで、『宝くじで5億円当たったら何に使いますか』
の街頭インタビューがあった。 回答が多かった順というと
1位、高級マンションなど住宅購入
2位、お店などの起業
3位、世界一周 (豪華客船の旅など)
4位、健康などのエステに (健康食品、スポーツジム)
5位、整形手術 の順であった。
 その中の一人が、『当たった人をみると、多くが離婚をしている』という
答えがあったが、そうだろう。 当選をしたとして、上記の夢が実現
したところで、それが何だ?ということか。 今回の会社整理の中で、
気づいたことが、一千万、二千万分の一しか可能性がない宝くじに夢を
託している人たちの視線。要するに世間様の夢でしかないのが宝くじ。
 高級マンション以外は、5年10年スパンで計画を実行に移せば、
可能なことばかり。答える方も面白半分としても、考えさせられる内容。 
『二週間で死ぬと宣言されたら何をしますか?」の質問に似ている。
その答えは、今すぐにでも出来ることばかり。宝くじの場合の質問が軽い
ものなら、ジョークで『ホストクラブで、ドンペリをあけて大騒ぎをしたい』
とか、『全部、周りの人にあげる』とか、『宇宙旅行をしたい』とか、どうせ
御遊びの質問なら、御遊ぶの答えがよい。 それに答えている庶民?の、
あの活き活きした顔がよい。1位から4位は実現したが、だから如何した?
である。残ったのは充実感だけだが、人生で、一番、大事なことでもある。
 2位の起業希望が多いのに驚いた。だから、何もしない、できない連中が
失敗をみると、「人の不幸は蜜の味」と大喜びをする心の内は、こんなもの。
その蜜には毒がある。その毒は、自分の膿ゆえ、撥ね返って来るのが己の脳。
 で、どういう訳か、去年の同月同日の、以下の内容に続く・・
が、その前に、以前書いた、「宝くじ」に関連した文章をコピーする。
・・・・・・
2013/06/17
宝くじが当たる確率(何倍?)はどのくらい?
 宝くじには全く興味がなかった。一度、一枚だけ話の種に買ったことがある。
SCなどの店先の宝くじ売場で買っている人を見かける度、
「夢を買っているんだ!」と思っていた。 ー教えて!Goo、によるとー
【 問い=  例えば、以下のような宝くじは当選確率はどのくらい。
  1等 1億円  20名  2等 1千万円 20名
  3等 百万円 200名  4等 5万円 30000名  
  例えば、1億円当たる確立は百万人に一人とか…
【 答え=
 ○ あなたが、宝くじの1等に当る確率は、1等の当選番号が、
          「11組111111番」になるのと同じです
 ○ 一般的な宝くじは、100kgの米の中からある1粒の米粒を探し出すのと
   同じくらいの確率だそうです。
 ○ 売り上げ枚数を調べれば簡単に分かりますよ 7億6千万枚ほど売れて
   いるようですから、完全ランダムで3800万枚に1枚ほど入っているかと
 ○ 年末ジャンボの場合、1ユニットで1000万枚発売されている。
  1等は1ユニットあたり1本ですから、単純に1000万分の1となります。
 ○ 当選番号が 123456番だとした場合 最初のくらいの1番はどのくじにも
  ついているわけで,あとは1の位から万の位までの5つの数字の組合わせは 
  10×10×10×10×10で10万分の1となりますよね。ただし,これは一枚 
  買った場合で 連番で10枚買ってると 確率は その10分の1で 1万分の1。
  一等は宝くじでは この組の数が二桁あるので、その10×10の100倍 
  つまり、一枚 買って一等に当たるのは千万分の1となりますよね
 ○ ちなみに東京ドームの敷地に新聞紙を敷き詰め、天井から針を落として
  新聞の一番小さい1文字に当たる確率と同じくらいとか聞きました。
 ▼ 一等、二等で合計500万分1の確率で、当たる分けがない。買う当人に
  とっては千分一の気持ち。アメリカなどで数十億円が当たるケースがあるが、
 それが元で不幸のどん底に落ちるケースが殆どという。悪銭身につかずである。
それなら毎日、何とか5百円預金をすれば一年で18万円、10年で180万円、30年で
金利を含め1千万になり、遥かに効率が良い。 が、そうはいかないのが人間。
生を受け、今、存在していること自体が奇跡なのに、それを生き切らなくて何が
宝くじ。せめて、当たった夢をみたいのは分かるが。1億当たったところで、
したいこと、買いたい物など、何も無いのも面白くないが。
・・・・・・
2015/06/21
宝くじを当てた95%が、5年以内に
      『世界の大富豪2000人が教えてくれたこと』トニー野中(著)
  * 宝くじを当てた95%が、5年以内に当選金を失う
 日本では『悪銭、身につかづ』という諺がある。入る器の方を育て上げないと、
その殆どが溢れ流れていく。私も事業投資の当初の10年で5倍まで純資産を
増やしたが、2001年の9・11と、リーマンショックと、2011年の3・11の10年で
壊滅! 辛うじて保険代りに家内名義で積みたててきた給与の預金と、
二人厚生年金で、これまでの生活を維持している。 その辺りから 〜p40
≪ アメリカやイギリスでは、「宝くじを当てた人が、その後どうなったか?」と
いう追跡調査が、よく行なわれます。 それによると、「宝くじの一等が当たった
人の95パーセントが、5年以内に手にした当選金の全てを失っている」という。
「器のできていない人がお金を持っても身につかないこと」を、データは如実に
証明しているわけです。 いえ、当選金を失うどころか、それ以上のマイナスを
被るとがあります。たとえばアメリカでは、宝くじに当選すると、宝くじ売り場
まで乗ったタクシーの運転手まで「分け前を寄こせ」と主張してくるそうですし、
100万ドルを当てたーカ月後に毒殺されるという事件まで起こっています。
『となりの億万長者』というベストセラーで知られるトマス・J・スタンリーは、
その著書で「宝くじを買う頻度と、その人の資産レベルの間には非常に顕著な
反比例関係がある」(『なぜ、この入たちは金持ちになったのか』日本経済新聞社)
ということを証明しています。それは、「お金があるから、宝くじなんて買わない」
という理由だけではないのです。宝くじの当選確率など、計算すれば、ビジネスで
成功する確率よりはるかに低いとすぐにわかります。大富豪になるような人で
あれば、そんな確率の低いことよりも、もっと確実に稼げることに、時間とお金
を投資しようと考えるのが当然でし欲う。それでも多くの人が宝くじをほしがり、
"当たる"と評判の宝くじ売り場に朝一から並んでいるのは、
「楽して莫大な富が手に入る」という誘惑に逆らえないからです。≫
▼ 宝くじは夢を買うもので、それ自体に矛盾がある。夢は長年かけて地道に
 積み上げ実現するもの。そのプロセスにこそ価値(意味)がある。数羽の
ブラックスワンで、私の事業は終わったが、プロセスで元をとっていたので、
後悔は意外に少ない。宝くじの当選金を5年で失っても、持ったままより、
遥かに良い!とも考えられる。「失う」と思うのは傍目で、実際に使えば、
その価値を味わい尽くすことが出来る。 5年で数億など使ってみたいもの。
いや実際に使ってみた。一棟、ホテルを建てると土地代を入れると3〜10億。
そのプロセスを遊びに昇華すれば、遊びとして、それだけ使ったことになる。
遊びとしてみても、実際に面白かった。当事者の実感は、「失った」というより
「使った」である。本人が言うから間違いない! ということは、著者は浅い?
ボロボロになって涙した方が、その数倍増やしニヤニヤしているより味は濃い。
「大恋愛の成就より、失恋をした方が遥かに良い」ことを考えれば解るだろう。
『 宝くじを当てた95%が、5年以内に当選金の全て使う! 』良いでないか。

・・・・・・
5945,閑話小題 〜シネマ感想 「タップ ザ ラストショー」
2017年06月25日(日)
   * 「タップ ザ ラストショー」ー映画感想 
 期待してなかった分だけ面白かった。ラスト30分のショーが、タップダンス
に興味のない私でも、引込まれていた。このショーだけでも、観る価値十分。 
NHKのニュース枠で、水谷豊のインタビューで、「出演者の大方を、俳優に
タップダンスをさせるか、タップダンサーを俳優にするかで、ダンサーを選ぶ
ことにした」と語っていた。流石に、そのダンスには心を打つ何かがあった。
 苦労の末、やっと開演にこぎつけるが、何故か、涙が溢れ出そうになる、
筋立てはさすが。何ごともプロの世界は厳しい。 
  〜映画の紹介より〜
≪「相棒」の杉下右京役でおなじみの俳優・水谷豊の監督デビュー作。
水谷が40年前から思い描いていた天才タップダンサーが主人公の企画を、
自身の初メガホンにより映画化。
 とある理由から大きな怪我を患い一線を退いたタップダンサー・渡新二郎。
天才の名をほしいままにしていた栄光の時代から10数年を経て、渡は足を引き
ずり、酒におぼれる毎日を送っていた。そんな渡が旧知の劇場支配人・毛利
から「最後のショーを演出してほしい」という相談を持ちかけられる。最高の
舞台で劇場を閉めたいという毛利の思いに、渋々依頼を引き受けた渡のもとに、
さまざまな事情を抱えたダンサーたちが集い、タップへの思いを若きダンサー
たちに託そうと決意する渡の止まった時間が再び動き出す。監督の水谷は
主人公・渡役を演じ、岸部一徳、北乃きいらが脇を固める。≫

▼ 評価は90点。邦画としてはベストに近い。 『相棒』の主役をしている
 水谷豊だったから、少し甘いが。ハリウッドのドンパチかと、迷ったが、
数回に一度は邦画を挟む方針に従って決めた。メインのダンサーの演技はいま
イチだが、その分、タップダンスがカバーしていた。それにしても、自宅で
みる映画を含めて年に300〜400本は、見過ぎ? どのみち、夢幻なら、
映像世界で、広く味わえばよい。 もしかして重症の映画オタクですか? 
小さな肉体に閉じこまれ、短い人生の時間の中で、気楽にドロップ出来るのが
映画なら、それも良い? これだけは何もかもが面白く感じるのだから… 
 娑婆娑婆の甘塩っぱさも悪くはないとしても。
タップといえば、スペインのジプシーのフラメンコと、アルゼンチンタンゴ
のショーを思い出すが、これらtp比較するのは野暮というもの。
 あれはあれ、これはこれ。
―――
2003/09/06
遥かなるアルゼンチンタンゴ
 先日、NHKのBSTVで「遥かなるアルゼンチンタンゴ」の
2時間番組を放送していた。昨年末にアルゼンチンに行って、本場の
アルゼンチンタンゴのショーに感激した余韻が残っており丁度よいタイミン。
(感想文は後にコピー)
番組はアルゼンチンタンゴの歴史や由来、超一流のタンゴの踊りを交えた
内容の濃いものであった。アルゼンチンタンゴは踊りだけでなく、歌も庶民の
悲哀と愛を歌い続けてきた。バンドネオンといわれるアコーデオンやバイオリン
など中心としたタンゴオーケストラもある。

ー以下はその放送に流れるナレーションを纏めたものである。

 禁断の踊りの魅力に満ちた哀愁の漂う街ブエノスアイレス。
その隅々までタンゴの一部になっているようである。
パリの街の売春宿の踊りとして有名になった時、時の法王が、そのあまりの
過激さに、「タンゴ禁止令」をだした。その時パリにやってきていたカシミール・
アイーンが、法王に直訴をした。そして法王の眼のまで実際におどって見せた。
それをみた法王が感動して、禁止令を撤回したという逸話が残っている。

 この世界中を魅了している踊りの歴史は深くはない。
南米のアルゼンチンのブエノスアイレスに、世界中の踊りや歌を携えて
船乗りたちがながれてきた。そしてそこの男女が互いを誘惑しあった踊りである。
キューバのタバネロや、スペインのフラメンコが混ざり合い出来上がっていった。
執拗に互いの身体を密着しあった踊り、それをアルゼンチンタンゴと
いうようになった。
 男女が誘惑しあうタンゴの原点はいつの世にも変わることはない。
変な気取りを全て捨てて鳥のように誘惑しあう姿が美しい。
男女が身体を離して踊るのではない。
二人は密着しあって一つになる踊りである。
彼らはタンゴから人生そのものを学んだ。

 ブエノスアイレスは犯罪が少ないという。
男女の欲望はタンゴをとおして発散できるし、出会いの場が多い。
ダンス場が街のあちこちにあり、入場料はマンドリン(飲み物付き)で
200円ばかり、眼が合えば一時の恋人になる。
音楽の続く3分間はお互いに相手にゆだねる。
全く知らない人でも、ダンデーな男と艶やかな女になれる、
それがアルゼンチンタンゴである。
ー以上であるが、何よりも男女の誘惑しあう踊りがイヤラシクも何もない。
スペインのフラメンコは一人踊りか、集団で踊るかだ。
それに対して、男女二人が体を密着して誘惑しあう。
―――
2002年12月21日(土)
617,パタゴニア旅行記(タンゴ)ー4
 アルゼンチンタンゴがすばらしい!
昔はブエノスアイリスは女性が少なく、その憂さを晴らすため船員同士が
女のふりをしてエロッチクな踊りをふざけて踊ったのが由来という。

 それが波止場近くの娼婦の売り込みの踊りと変化していった。
その踊りが西欧の人達に認められていった。
従って内容はエロチックで情念丸出しのものであった。

 ブエノスアイリスで一番の1400人収容の店で、ショーが
2時間以上にわたって繰り広げられた。
全く期待をしていかなかったのが良かったのか、
初めから終わりまで拍手喝さいのすばらしいショーであった。

 お客の全員が感動に包まれ、アンコールの連続であった。
今まで見たショーで一番の感動と言ってよい。
辛口のツアーの同行者もこれだけは絶賛をしていた。
この旅を締めくくるに最高のイベントであった。
写真を見てもらえれば解るはずだ。
よいのはダンサーが一番楽しんでいる事だ。
この旅行は心に多くのものを残してくれた。


6311,閑話小題〜「知」の読書術 −2

2018年06月24日(日)

           <『「知」の読書術』佐藤優著>
   * 20世紀は今だに続いている
 朝鮮戦争は、今だに続行中であり、北による核実験、大陸弾道弾実験は、
その戦略の一環である。それは、20世紀の延長線上にあり、ソ連崩壊も含めても、
まだ短い20世紀の延長上の出来事と捉えると、この朝鮮戦争危機の一端が理解
できる。決して、北の金王朝が変でも何でもない当然の存在という考えも、
この説から垣間見ることが出来る。

≪ イギリスの歴史学者エリック・ボブズボームが提唱する「長い19世紀」と
 「短い20世紀」という考え方。
・「長い19世紀」とは、1789年のフランス革命から1914年の 
 第一次世界大戦が勃発するまでの時代、
・「短い20世紀」とは、1914年からソ連が崩壊する1991年までを指す。

ソ連崩壊はアメリカ主導のグローバリゼーションの時代に歴史が移行したかの
ように思われたが、21世紀の今日、ナショナリズムや帝国主義が再び世界を覆い
つつある。それで、前世紀の遺物が墓場から戻ってきたかのように思われるが、
その認識は間違っている。世界大戦はいまなお継続しているし、20世紀はいまだ
続いていると言って過言でない。19世紀、いや1648年の「ウェストファリア条約」
の時代にまで遡って、人類の抱えている諸問題の実態を正確に把握しなければ
ならないということ。

 前者が「啓蒙思想の時代」、すなわち理性を用いて知識を増やし、科学技術を
発展させれば理想的な世の中が実現する、という考え方だ。しかし、政治的には
民主主義と自由主義、経済的には自由経済を基盤とする資本主義が発展したが、
最終的に第一次世界大戦という、「大量殺戮・大量破壊」へと帰結した。
 ボブズボームは、ここに「時代の切れ目」を見出した。
・19世紀の市民革命と産業革命(=二重革命)の時代、
・資本の時代、帝国の時代から、破局の時代・黄金の時代・危機の時代の
三期に分かれる「短い20世紀」へ時代は変わっていく。

 ボブズボーム著 『20世紀の歴史 ー 極端な時代』は、その「短い20世紀」
を詳しく分析している。過去の歴史を検証する上で、ボブズボームのように時代を
「意味の固まり」して捉える見方はとても重要だ。…  ≫

▼ 中東、北アフリカ、アジアなどの諸問題は、欧州の世界戦略の一環の政策が
 根にある。それ以前に、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の争いまで、拡大
して考えられる。人種間、民族間、国家間、宗教間の相克の問題でもある。
極東の島国で、その問題を最小の影響で済んできたが、今ではグローバル化は、
それを許さなくなった。それも米朝の真中で、核ミサイルの絶好な標的になる。
 この著書は4年前に書かれたものだが、朝鮮戦争危機にある現在に、書かれた
ような内容。悪いことに、こともあろうにトランプ大統領が選ばれて… 北朝鮮
の懐柔など、中国、ロシアの諸事情からみて簡単な案件ではない。そういうこと!

・・・・・・
5579,突然、余命宣告を受けました ー
2016年06月24日(金)
 『あの世へ逝く力』 小林玖仁男著
   *「虎穴問答」と、余命宣言
 これまで、「虎穴問答」について何度か書いてきた。以下は4年前の内容。
『余命宣言』された本人にとって、治療余地のない、二年以内に間違いなく
死んでしまう病気が虎。いつ何時、陥った虎穴に飛びこんできて襲われる運命
の中、救われるために、自ら食われてやれば愛と誇りが残ることになる。 
 以下のスピーチは、まさに、虎穴問答の悟りと同じ。死をマイナスに捉えず、
積極的に、明るく迎えることが、虎に自ら食われてやることに、あい通じる。
≪ 所属している川口ロータリークラブの、決戦というか、人生の幕引きの
スピーチが始まりでした。会場を埋めた約八十人を前に、余命宣告を受けた
身であることを告げ、死に対する自分の向き合い方などを語り、最後に
このような話を付け加えました。
「多くのことの始まりには理由はありませんが、どう終わらせるかは
自分で考えて決めることができます。」生まれた理由は見つけられません。
しかし、終わるための納得する理由は、自分で見つけられます。自分で、
人生の終わりの意義を、明るく納得するように考えればいいんです。
 私のラストテーマ、"死を、積極的に、明るく迎える"こと。死を恐れ、
死を忌み嫌い、死を避けながら終わるのではなく、前向きに納得できる
ものとして組み立てていくのが大事だと思っています。私は、最後まで
元気を出していきたいと思います。」会場は水を打ったように静かでしたが、
私が明るく話すので、途中からは笑いも起こりました。ほとんどの方は
驚きつつも、好意的に受け止めてくれたようです。≫
 この虎穴問答、私の事業の幕引きのときも引合いに出していた。
辛い、厳しい、誰もが経験する最期の一週間の苦痛の中で、後向きにならず、
立ち向うことが出来るか否か。息が出来なくなり、最期は窒息状態でもがき、
死んでいく。ガンの壮絶な苦しみとは違った苦痛。
―――
2012/08/07
虎穴問答
 以前に少し取り上げた「虎穴問答」について。 金沢の「いとはん」という
衣料チェーンにいた時の話。同期10数人で勉強会をつくって、そこに石川県
知事を呼んで話を聞いたことがあった。それが社長の逆鱗にふれ、「預りの身?」
の立場上、抜き差しのならない事態になった時に、書店で見つけた本にあった
問答。そして自から、その会を潰すことになった。 去年の倒産劇の時も、
この問答を思い出していた。死に体の会社を一歩早く潰すか、ぎりぎりまで
頑張るべきかの決断の際に、この問答を何度も類推し、考えてみた。  
 逃げまくった末に、食べられるか、自ら、早々、食べられてやるか?
 ーネットで「虎穴問答」を調べてみたが、その部分からー
≪ 大阪控訴院でのこと、ある日、審理の最中に王仁三郎は裁判長に向い、
「人虎孔裡に墜つ」という禅問答をいどんだことがある。これはひとりの人間が
虎の穴へ落ちこんだ場合どうしたらよいか、という問答だ。 王仁三郎が、
「裁判長、あなたはどうお考えになりますか」というと、裁判長は自分は法律家
だからわからないが、どういうことかと逆に問う。そこで王仁三郎の説法が始まる。
<人間より虎のほうが強いから逃げようとすると殺される。刃むかっていっても
同じことだ。ジッとしていても虎が腹がへってくると殺しにくる。どっちに
しても助からない。けれど一つだけ生きるみちがある。それは食われてはだめだ。
こちらから食わしてやるのだ。食われたらあとにはなにも残らんが、自分のほう
から食わしてやればあとに愛と誇りとが残るのだ。
 王仁三郎はこの問答で大本事件を語ったのである。裁判長はさすがにうたれる
ものがあったとみえ、うーんと嘆声を漏らしたという。また、粛然とした空気が
法廷に流れ、敵味方の区別なく一同思わず襟を正したそうだ。さて、この虎穴
問答はもうひとつ深い意味をもっている。というのは、虎に身を与えた愛と
誇りの犠牲が、現実の事件全般の進行に一大転機をもたらしたからだ。奇跡的に
死地に生を得たもので、九分九厘だめだったものがあと一厘で逆転にむかう。
これこそ一厘の仕組みとかいうものだろう。≫
▼ 戦前・戦中の時代に、破竹の勢いで信者を増やしていった大本教が、軍部や
 政治家から目をつけられ、大弾圧にあった。その過程の裁判での、この虎穴
問答は人生に色々な示唆を与えている。虎を、生老病死などの四苦八苦と
例えることができる。それぞれの苦を、自ら受け入れることこそ解決の最短の道、
と考えることができる。事業断念も決意も、虎を3つの断層=9・11テロ、
9・15のリーマンショック、3・11大災害の三つの震災とみなし、
その重なりから、虎穴に落ち込んでしまったと想定。逃げ回るより、
先んじて喰われてしまおうと、最後に思い出したのが、この問答。
当時、大本教を題材にしたー『邪宗門』高橋和巳著ーを読んだが、これが面白い。

・・・・・・
5214,私のゴールデンタイム
2015年06月24日(水)
   * ゴールデンタイム
 30数年前から就寝を20時半、起床を4時(冬場は4時半)にした。
就寝して4〜5時間、爆睡後、起床するまでの4時間、半睡状態が続く。
その間、脳が活性化をして、様々のプラスとマイナスの思いが起こってくる。
このコントロールが難しいが、これも慣れると、思いの大波の上のサーフィン
をしているような感覚になる。で、時どき、睡魔に沈むが、これは自然に
任せておけばよい。そして起床をして、前日書き上げた随想日記の下書きの
当日分を、推敲し完成する。と同時に、翌日分のテーマと内容も書き始める。 
その時、0〜4時までの半睡状態で考えたことが、材料になることもある。
そして、ブログにアップした後に、一時間の自転車散歩に出発する。
 帰ってきて7時半にコーヒーを飲み、軽い食事後、風呂に入る。それまでの
0時〜9までが、私のゴールデンタイムになる。 9時過ぎから12時近くの読書
タイムも、ゴールデンタイムに加えてもよいが、9時から17時までは、シルバー
タイムに区分した方が生活実感に近い。すると、17時から20時のTVを見ながらの
晩酌やiPadタイムの時間帯はプラチナタイムになる。20時から0時は、そのまま
爆睡タイムか。 現在、週に三日間、スポーツジムで45分間の、「ヨガ」に
参加しているが、毎回、終了直前の5分間に、ヨガマットの上で「大の字」に
なって、全身を弛緩してマントラを聞きながら、「死者のポーズ」をとる。
その時のイメージを0〜4時に思い浮べて、瞑想の要素を入れたところ、
その時間帯のマイナス思考の割合が少なくなった。その時間帯のフラッシュ
バックや半睡を冷静に見つめる視線を持つことが出来る。老いは、どうしても
弱気になり、動揺が起こり沈みがちになるが、バウンドをつけるのは自分だけ!
生きてきた、そのまま、老いて死んでいくというが、なるほど。 娑婆!

・・・・・・
5944,閑話小題 〜道具(手段)が目的を変える時代
2017年06月24日(土)
   * 道具(手段)が目的を変える時代
 テレビ・スマートフォンの進化が時代を変えている。その一つが動画投稿の
TV放映。御隠居の日常生活に浸っている身にとって、パソコンのネットとTV
は社会の窓そのもの。井戸の外の生の社会は疎くなっても、天空(ネットとTV)
の世界は、井戸の外より現実社会が狭くなった分、深くリアルに知ることになる。
御隠居の立場は、こんなもの。 目的は達成と同時に手段になる。この道具を、
手段として割切り利用すればよい。そのうち遊びが知らぬまに目的になっていく。
夜の巷の世界は、営業という名の「遊び」で持っている。ゴルフは一線を離れ、
営業目的が無くなると、面白みが半減するという。ネット社会が、現実社会を
覆う別世界が出来て、世の中を一変させた。 これはスマートフォンなどのPCの
普及がある。強者の最大の収穫利益が上質の情報の取得だったが、この道具が
全世界の誰にも、ほぼ平等に持てるようになってしまった。端末機能の進化は、
権力者の思惑を遥かに超えて進化した。これが世界の混乱の最大要素。これが
手に負えなくなると、原理主義の狂信者たちが、人間社会を一度、根こそぎリ
セットと破壊に走る。核爆発と細菌テロである。それが北朝鮮のドン様であり、
ISのテロ。 これでは来世紀を待たず、世界は消滅する可能性がある。
 端末の進化は、決してマイナス面だけでない。4kTVの画面は人間の視覚の
数倍の能力を持つ。現場に立ったライブより、何処の場所からでも、リアル感覚
を経験できる。これを考える上に、面白いニュースがある。
《 2016年9月26日 - 投資銀行・メリルリンチのシンクタンクが、驚く発信を
行っている。そのレポートで今後の経済において現在成長がめざましいVR、ARの
分野の重要性を特に強調しているのだが、その中で「我々はすでに20〜50%の
確率でバーチャルワールドに住んでいる」という。≫
 如何だろう? 内容が、あまりに奇抜すぎるので、数日後に改めて。

・・・・・・
4849,閑話小題 ー最後は、金目でしょ!
2014年06月24日(火)
   * つい本音が出てしまう!
 時と場合によるが、やはり拙い発言である。 実際ところ、そうだが・・ 
普通の子女史が売春する値段が世界共通で、その地区の平均給与の一週間分とか。
それなりの事情で「最後は、お金でしょ!」が、この値。リーマンショック直前
の2007年暮れから6年余りで、ドルの発行量が三倍になったが、為替値が
112円。一割しかドル安になってない。常識的にみれば、三分の一の40円
以下になって然るべきなのに。その差額は? アメリカが刷った分、何もしない
で手にいれたことになる。これ某国の偽ドル札と、どこが違うのだろうか?
当時の650〜700ドル金価格が、現在は2倍。これも3倍になっておらず、
不自然。 大元が、コントロールしているため。最後は、お金だが、その価値も
当てにはならないことが、これから垣間見れる。 金の本質は所詮幻想! 
としても生活には必需品である。 歴史的に見ると、意図的に戦争を起こし、
ドサクサでハイパーインフレにし、一度、国家の借金を清算するのが常だったが、
世界大戦は無理。そこで、国債と株式の暴落で清算するしかなくなった。元々、
貧乏な中国、ロシアが、元に戻り、欧米と日本の大半が、負組みの貧乏になる
図式が近未来の姿。で「最後は、金目でしょ!」が、更なる本音になっていく。 
当地の住民のインタビューが的を得ている。 『最後は金だろうが、それを
担当大臣の口からは言われたくない!』が、よい。
本当のことは言わないことだが、本当のことは、つい口に出てしまう。
   * 都議会の女性差別?発言
 この程度の野次は、都議会、国会では当り前だが、偶然、マイクに拾われ、
大騒ぎになってしまった。当然、バッシングで政治生命が完全に絶たれるが。
少子問題を取り上げる当人が独身で、『それなら、自分から、結婚して、子づくり
をして、その範を示せ!』というのも一理はあるが、あの場では、絶対に禁句。
阿部首相が、「この難局には、更なる女性の社会進出が必要」と政策を掲げて
いる中での、身内からの、この発言はいただけない。世界的に、女性蔑視発言と、
嘘をつき逃れようとするプチ権力者の哀れな姿が蔑まれて報道される? 
当人は、これが世界的に注目をされて時の人になるとは、思ってなかった
だろうに、言葉は恐ろしい。
・・・・・
4482, 静かなる大恐慌 ー2
2013年06月24日(月)
          「静かなる大恐慌 」柴山 桂太 (著)
 グローバル化は多くの問題を世界中に撒き散らすが、情報化社会では今さら
止めることは出来ない。それは弱肉強食を推し進める。 痛みを伴なっても、
乗り越えなければならない現実がある。
 ー グローバル化についての部分を更に抜粋すると
◎「過去の行きすぎたグローバル化は、最終的には二度の戦争によって終わり
 を迎えた。それを繰り返さないために何が必要かを考えることこそ、この危機
 の時代における思想と行動の、真の指針となるべき課題です。」(219頁)
◎「グローバル化と国家主権と民主政治の組み合わせを比較し、行き過ぎた
 グローバリゼーションへのバックラッシュのなかで、いかにグローバル化路線
 を各国レベルで修正していくか、そこが問われる局面が始まろうとしている。
 それは、グローバル化の進展による国内対立の激化とそのための
 「大きな政府」の必要性になる。
◎「大きな政府」が主導する経済を「国家資本主義」という言葉で言い表せば、
 「自由資本主義」とはいえ、一皮剥けば国家資本主義的な側面をかなり
  もったものになる。それは一握りの勝者に力が集中することを意味する。
  ネットで世界が繋がった、これまでなかった情報社会でのグローバル化を
  今さら変えることも否定も出来ない。この事態は何事も事前に対策をとる
  ことが不可能である。リーマンショック後にアメリカが行った財政出動で、
  何とか世界は巨大な崩壊を避けたが、実体経済が正常化したとは
  到底思えない。 これらから、以下の問題点が見えてくる。
・グローバル化は大きな政府をつれてくる。
  (格差や失業は福祉でカバーしなければならない)
・グローバル化は単なる新自由主義者の自己救済でしかない。
・グローバル化した資本主義は戦争に行き着かざるを得ない。
・グローバル化は新興国の足かせになる。
・グローバル化は地方を疲弊させる。
▼ 今度の、グローバル化は、以前より遥かに大きな断層になっている。
 パソコン、携帯電話が地球の隅々まで行渡りネット社会が現実社会の上を
覆いかぶさった。これをコントロールするのは至難の業である。否が応でも
民が主になってしまったのである。これに対する新しい政治経済の新システムが
全く確立出来てない。その経済的側面が恐慌であり、独裁国家が次々と崩壊して
いる「アラブの春」といわれる現象である。したがって、政治経済の混乱は、
あと20年、30年は続くとみてよい。だから、現在起こって問題は数百年、
数千年に一度の大変動のウネリということになり、変化を拒否するのでは
なく、可能な限り静かに順応していくしかない。


6310,閑話小題 〜再び、基底欠損を考える

2018年06月23日(土)

   * 人皆、基底欠損
 2年前にフーテンの寅の「基底欠損」について取上げた。この数日、
<人間それぞれの「基底欠損」があるのでは>と、考えついた。私の母親が、
明らかに基底欠損の要素を、ここで書いた。 が、これは母だけでない、
殆どの人にあるのではと…。 中学校の最終年の成績下位の家庭環境が、
悪いのを当時、垣間見て唖然としたことがあった。
・10坪ほどの居酒屋の店上の6畳ほどの部屋に母親と住んでいたとか、
・戦災孤児?で寺に拾われ、作男のように扱われていたとか、
・継母と折合いが悪い無口のヒネタ男とか、
・親戚の店の2F倉庫の一角に母親と2人で住んでいる男とか、
・親父の手伝いで土日は、必ず土方仕事を終日していた等々…
当時の私も大家族下で、子供部屋もなく、居間で教科書を寝ころで読むぐらい。
急に成績が上がったキッカケが、部屋の一角に机を与えられたとか、姉の一人が、
結婚で出て行って空室を与えられたとか。
 あの環境下で、姉たちの成績が比較的良かったのは、如何していたのか?
彼女らはアンチョコという参考書を買い込み、試験の前夜、徹夜に近い勉強を
するのがノウハウで、それを代々、引継いでいた。大人数家族には、プラスも
マイナスの要素が混在していた。義務教育の分別前の中学校のクラスの上位二人
は、一人っ子と、二人兄弟で、母親は厳しい教育ママ。両親からして下位の子と
違っていた。 私の基底欠損は、8人兄姉の末っ子の立ち位置と、商家の階上で
10歳まで生活していたこと。街中の全てが同環境だから基底欠損とは言えない。
 勉学のベースの指導は誰一人もなし。あるのは試験前夜のアンチョクの集中
勉強では… 救いだったのが、父親が末っ子の私を溺愛してくれたこと。
私の家内といえば、兄が、出産直後に亡くなったため、この子は死なせては
ならないと、幼児頃から過保護に育てられた状況が、基底欠損? 基底肥大? 
『3・10・60・27の法則』の3のようで、幸せが身に付いていて、平然と、
『私は特別の存在』を確信している唯我独尊のお姫様。 若い盛りの娘は気の
迷いで一時的に誰もそうらしいが、容姿の変貌が、それを許さなくなる…
他人の基底欠損の歪みには敏感に気づき、陰口で指摘するが、丸出しの己の
変形には、まるで気づかない。で、世の中、世間が、修羅場に変容する。
 一神教は、まず絶対神を想定し、基底の岩盤を各自に与える役割をして、
基底欠損のカバーの役割を与える。日本では、それが曖昧な『世間様』という
から、「烏合の衆」の危険が満ちている。
 
次回は、島国日本そのものの基底欠損をテーマにしてみよう。面白そうだ!
とすると、トランプの政治家としての基底欠損が、直ぐに思い立ってくる。

・・・・・・
2016/06/04
フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜
 
 最近になって、『男はつらいよ』のシリーズの再放送を見なくなったが、
以前は再放送の度、何度も観ていた。もちろん48作の全部を観ている。
TVの再放送を含め平均3回を観たとして、150回は観たことになる。
特に浅丘ルリ子の、リリー役ものは、5〜6回以上は観ていた。この映画が
始まった1969年は、新社会人として、四日市、神戸、桑名と、転勤生活の中で、
家族の温みを寅さんの実家の団子屋の中に温みに求めていたようだ。 
精神分析医と、『男はつらいよ』の山田洋次監督の対談が、なかなか面白い。
  * 寅は「基底欠損」   <山田洋次:名越康文 対談>より
≪ ◉山田:寅は「人間というのはこんなにみっともないよね」という恥部も
 見せてくれる。自分が食る分のメロンがないというだけで、「どうせ俺はね、
 この家では勘定に入れてもらえない人間だからな」と言って大ゲンカしたり。
◉名越:有名なメロン騒動ですね(第15作『寅次郎相合い傘』)。『男はつらいよ』
 を全作観て、僕は寅さんの中にとめどないブラツクホールのようなものを
 感じました。寅さんを心理分析すると、99%は温かいものでできているけれど、
 残りの1%に、ダークマダーのようなものがギューッと凝縮されている。
 それは下手したら温かい99%を無にしてしまうようなすごい闇です。
「俺の気持ちをわかってくれ!」という精神的な甘えも強烈で、カッとして暴れる
 こともしょっちゅう。じゃあなぜ寅さんにこのような攻撃的なエネルギーが
 生まれるのかと考えた時、「基底欠損」という精神分析用語がハッと頭に浮か
 びました。幼い頃、親に甘えても受け入れてもらえなかった。おっぽいが十分
 に吸えなかったとか、抱っこしてもらえなかったとか、満たされるべき欲求が
 満たされなかった。そういう根本的な愛情や安心感の欠如が、大人になって
 から甘えたり、無理を言うことにつながってしまう。寅さんもそうすることで、
 親に拒絶された「欠損」を埋めようとしているんじゃないかと解釈したんです。
◉山田:とても面白いですね。「基底欠損」という言葉を初めて聞いたし、そういう
 心理学的なことは何も知りませんでした。だけど、寅みたいな人間はどこか心
 の中に空洞があるんだろう、そういう人間って、赤ん坊の時がひどく不幸
 だったと考えて、寅が産みの母に捨てられたという設定にした。≫
▼ 私の母親が、世にも珍しい<ママ父>虐めの被害者。その恨み辛みを、
 ことあるごとに聞いていた。3人の子供を残して逝った父親の後添えに、
祖母は男後家と再婚、八百屋を維持した。その義父との間に4人の子供が
できたが、義父は徹底して3人を虐めたという。祖母も、男後家の関係上、
3人には冷たくせざるを得く、一番末の母は、幼児の頃から、両親の温みを
知らないで育った。その為、自分の子供に対して、どう愛情を与えて育てて
よいのか、知る由もなく、それが、母親の「基底欠損」である。当然、その
子供も、基底欠損になる。何れも多かれ少なかれ、それを持っている。
両親の温みの実感が無いのも辛いものがあるようだ。  〜つづく

・・・・・・
2016/06/05
フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜
   * 強烈なミヤコ蝶々の母役   <山田洋次:名越康文 対談>より
 なぜか、シリーズの中で印象に強く残っているのが、寅の母親。
ミヤコ蝶々が演じていたが、これがハマリ役。寅の『基低欠損』の原因である
関西のオバアチャン。 私事になるが、終戦直前に焼出された商家再建の中で、
産まれ育った。両親は商売に熱中、私を含めた8人の兄姉たちは、親の直の愛情
を受ける機会が少なかった。その中、末っ子もあって、兄、姉たちだけでなく、
多くの従業員の愛情を一身に受けたのが大きい。両親は、気が向いた時だけ
愛情を注いでくれていた。その代わり、美人の女店員に付いてまわっていた。
 ふと思いついた言葉が、私に関しては「基底肥大」。兄、姉は、終戦の
最中の混乱で、『基低欠損』が大きくあったような。 
〜これは、何れの家庭にいえることだが。条件と原因は、ほぼ同じ働きをする。
≪山田:自覚はしていないけれど心の中に空洞を持っている人間、寂しさを抱えて
 いる人間は、そこを埋めたい埋めたいと意識の下で思っている。だから、時々、
 ヒステリカルに怒ったりしてみんなに嫌われたりするということでしょうか。
名越:寅さんは第二作で実の母親に会います。しかし京都でラブホテルを経営して
 いる母親役のミヤコ蝶々さんがこれまた強烈で、せっかく念願の親子再会を果た
 したのに、「今頃、何の用やねん。あっ、銭か、銭はあかんで」と、サラッと
 言われてしまう(笑)。
山田:撮影した後、そういう残酷な母親を演じさせた僕に、蝶々さんは
 「気にしなくてもいいんですよ」と言うんですよ。「わてはこういう汚い役は
 好きなんや。その奥に、人間のキラッとしたものが見えればそれでええんや」
 と言っていました。
名越:さすが蝶々さんですね。この第二作の中で、蝶々さんは「どの世界に、
 喜んで子供を捨てる親がいるんじゃ!」とズバッと言いす。-このセリフが心に
 残るんです。ぞしてラストシーンでは、橋の下で、寅さんが母を追いかけている。
 あの場面は本当に象徴的で、カウンセリングを山のようにやってきた人間から
 すると、「そうそう、これしかないんだよな」と思います。つまり、子供の方が
 一生懸命、親の「理想像」を作り、それをいつも追いかけているんです。≫
▼ 母親が亡くなった時、医師の依頼で、解剖をすることになった。
 兄二人が、たて続きに不幸な死に至った苦悩で極度のノイローゼに陥って、
数年間、心筋梗塞などで死線を彷徨った中で、心臓の4分1が壊死をしていた
ことがわかった。医師は、よく生き延びていたと、驚いていた。その中で、
生き残った6人に、深い『基底欠損』が、当然あった。青年期に至るまで、何度
も亡くなった兄二人が夢に出てきていた。その傷を抱え、膨大なエネルギーを
要する創業を、我ながら目指したもの。その経験があるため、第三者の批判の
軽さに心底から蔑視ができる。批判は自分の影に対する反映でしかないのが
自覚できない。影口の呟きで、自分の壁をつくっているのが、俗にいう世間人。
 〜で、また偶然だが、以下につづく!
・・・・・・
2016/06/06
フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜
 「基底欠損」を、ネット検索すると
≪ ■概要
 基底欠損とはBasicFaultの日本語訳で、「基本的信頼感の欠如」を意味する。
基本的信頼感とは人間の根源的な信頼関係であり、お母さんと赤ちゃんのような
何物にも代えがたい関係を言います。この基本的信頼感がしっかり形成されて
いますと、精神的にも情緒的にも安定した状態でいられます。
 基底欠損はこの基本的信頼感がうまく形成できていない状態で、そのせいで、
世の中や他者に対して信頼をおくことが難しい状態をいう。言い換えれば、
世の中や他者に自分の身を預けて安心することがなかなかできません。
 パーソナリティ障害では、情緒不安定パーソナリティや境界性人格障害など、
この基底欠損がみられる。≫ とあった。 
――
名越が山田洋次との対話で、「寅さんのように幼少期に愛されずに育ったため、
恋愛などで相手と関係を構築できなくなることを基底欠損という」と述べ、
山田監督に、「もし僕が寅さんに『基底欠損ですよ』って言ったら、
『てめえさしずめインテリだな!』って返されますかね」と聞いたところ、
山田は「いや、『俺は基底欠損ってんだそうだ』って、自慢するんだろうね。」
と答えていた。 名越の一映画ファン兼心理学者のマドンナ=女優評も面白い。
・吉永小百合「謙虚で清純で、優しくて気高い、でもどこまでも頑固で
 人から影響を受けない性質」
・竹下景子「かわいらしいけれどもどこか野暮ったく、知的だけれども控えめな
 『ザ・日本女性』」
・都はるみ「芸を売って生きる女の悲哀、色気、さすらう人生が匂ってくる」
マドンナ・リリー役を演じた浅丘ルリ子については、ない。
▼ さしずめ私は「基底肥大」と前回書いたが、基底欠損と、基底肥大が入り
乱れた歪な性格になる。親の愛情こそ必要なのが人間。その絶対量が、その人
の人生を決めることになる。 何故か、長女のA型の女性に引かれるのは、
優しさと、芯の強さを母親代わりに求めるためか。「この人の、基底欠損、
基底肥大は何か?」と知るだけで、その人となりを知ることができる。
 ところで、日本の基底欠損、基底肥大は何かを、今度、考えてみる。


6309,読書日記 〜「知」の読書術

2018年06月22日(金)


           <『「知」の読書術』佐藤優著>
  
   * 電子書籍専用端末は別物で持つべし
 この本の圧巻は、
第二部の「知のツール」の活用法 ー第五章 私が電子書籍を使うわけー
 電子図書関係への提言である。
≪ ・まず、本は紙で読め。流し読みや復習は電子書籍専用端末が適して
 いるので、両者の併用を勧める。
・タブレットと電子書籍専用端末は別物で、電子書籍を真剣に考えるなら、
 迷うことなく専用端末を買うことを勧める。そのメリットは、「ネット断ち」
 が可能になるため。どうしてもネットサーフィンなど、他のアプリに…

・過って読んだ本、つまり二冊目の本を買うことです。端末が、「携帯図書館」
 になるから。携帯化にはさまざまなメリットがある。これを持ち歩くと、
 何度も再読が可能になり、理解が深まり上に、知識が定着しやすい。
 著者は、『カラマーゾフの兄弟』をキンドルに入れて、時々読んで、最大の
 山場である「大審問官」について正確に話すことができるようになった。
・また自発光でないので、目が疲れない。
・電子図書は「流し読み」にも向いている。平凡社の世界大百科事典を電子辞書
 で持ち歩く。
  〜教養にカネを惜しまない。
◉ 教養とは生き残るために必要な知恵のことですが、インテリジェンス=教養
 ではありません。知性や理解力に訳されるインテリジェンスは、極論すれば
ゴキブリや猫に対しても使える概念です。 しかし人間にしか使えない知恵は、
知識に裏付けされてなければいけない。教養とは「知識に裏付けされた知恵」です。
知識に裏付けされた知恵を持つということは、考えを言語化できるということです。
 ―カスタマー・レビューより―
【・そもそも教養というものは、著者の言うところの「情報」や或いは「経験」
 に触れる積み重ねの中で自らの頭で考え、得られたものを言うのであって、
いわゆる教養書と言われるものを読んだから「教養」が得るわけではないはず。
そのときに得られた(と思い込んでいる)「教養」なるものは、単なる「受け売り」。
「教養と情報」の差異よりも、むしろ強調すべきは「教養と受け売り」の違いで
あろう。著者の言うことを真に受けるなら、その教養書を書いた人間の「教養」は
一体どこから得たのかという話になる。こういうところに著者の詐術が潜んでいる。
・また、著者が勧めるようないわゆる教養書はかなりクセの強いものが多い。
大して知識のない人間がいきなりそのような本に接すれば変に影響を受けすぎて、
自分の基礎になる考えがそれによって固まってしまう可能性がある。そして、
そもそもの話で言うなら、情報を集積してそれを自らの頭で分析・解体・統合
(=教養化)することのできない人間が、無理にお仕着せの教養などを身につける
必要はないのである。「マルクスを読んでマルクスを疑う」くらいの知的能力の
あるもののみが教養を身につける資格を有する。 マルクスを読んで「なるほど
なあ、資本主義反対!」などと納得してしまうとしたら、その知識は単なる
「受け売り」であって「教養」とは言わない。
教養とは疑う力である。自分で考える力のない人間が教養書を読んだところで、
色眼鏡で世の中を見るようになるだけだ。】

▼ 私の読書録など、受け売れでしかなかったのか。しかし、タドタドシク、
 書込み、記録し、繰返し読みかえすうちに、自然と身についている実感はある。
誰もが最初は受け売りしかないだろう。

・・・・・・
4480, 宇宙に外側はあるか
2013年06月22日(土)
   ー内容紹介ー    「宇宙に外側はあるか」松原隆彦 (著)
◎ 私たちの住んでいるこの宇宙がここに確固として存在している、
 つまり唯一絶対の存在である、ということは疑いようもなく当たり前の
 ことだと思われるでしょうか。実は、現代の物理学の知識をもって
 この宇宙を眺めてみると、そんな基本的なことさえも疑わしくなってきます。
 いま、人類の宇宙を見る目は大きく開かれつつある。宇宙の何がわかって
 いて、何がわかっていないのか? 宇宙の全体像とは?  
 宇宙の「外側」とは? 人類はどこまで宇宙のことを知ることができるのか? 
 現代宇宙論のフロンティアへと旅立つ一冊。
◎ 目 次 第 1 章 初期の宇宙はどこまで解明されているか
  第 2 章 宇宙の始まりに何が起きたのか
  第 3 章 宇宙の形はどうなっているのだろうか
  第 4 章 宇宙を満たす未知なるものと宇宙の未来
  第 5 章 宇宙に外側はあるか
▼ 宇宙論を分かりやすく解説してあって、私のように最近、興味を持ち
 始めた素人向けの本。村山斉著「宇宙は何でできているのか」と
「宇宙は本当にひとつなのか」のフォローに丁度良い内容。
村山斉の著書は、明快で分かりやすいが、それでも一歩も二歩も踏み込んだ
内容だが、この本の第1章から第4章までは、宇宙論の優しい入門のあらまし。
第5章で、マルチバースがあるかないかに触れているが、ハッキリした説明が無い。
私のような入門者にとって第1〜第4章の方が、噛み砕いてあって、分かりやすい。
 村山斉の二冊を含めた三冊が私にとっての宇宙入門書になるが、としても
何がなにやらである。 プロローグに 
≪ 現代宇宙論が明らかにしたことの中で最も大きな驚きのひとつは、
「宇宙は永遠不変のものではない」という事実。約137億年前に宇宙の始まり
があるという「ビッグバン理論」が確立したことで、このことが明らかになった。
この宇宙に「始まり」があることがわかると、根源的な疑問がたくさん湧いて
きます。≫ がある。 ーその疑問とは、
「宇宙はどうして始まったのか」
「宇宙が始まる前は何だったのか、宇宙が始まる前の宇宙は宇宙ではないのか」
「宇宙に始まりがあるなら、宇宙に終わりもあるのか」
「宇宙に終わりがあるとすると、宇宙の終わりの後には何があるのか。
 次の宇宙が始まるのか」
「そもそも、始まったり終わったりするような宇宙はどこに存在するのか。
 この宇宙よりももっと大きな、何か得体の知れないものの中にこの宇宙が
 あるのか」 等々である。マルチバース、それも10の5百乗の宇宙の存在
 の可能性には驚いた。村山斉著「宇宙は本当にひとつなのか」に詳しく
 書いてあるが、コペルニクスの地動説と同じ位の驚きを与えた根源的な問題
 である。そうこう考えると、再び、人間原理の問題の戻ってきざるを
 得なくなる。 宇宙は面白い! 宇宙お宅のブログにはビックリ。

・・・・・・
5212,3%の本当に幸せな成功者から学んだこと
2015年06月22日(月)
      『世界の大富豪2000人が教えてくれたこと』トニー野中(著)
  * 世の中全体の一割が成功者、3%が心満たされた人たち
 この本に、【いわゆる「成功者」「お金持ち」と言われる人たちは、世の中
全体の10%ほどいて、7%が「お金があっても時間がないとか、人間関係や、
健康に恵まれておらず、本当に幸せでない」と言われている。】とある。
 別に、金満や、成功者でないとしとも、5人、いや3人に2人は、けっこう
幸せと思っているようだ。 私の場合、会社整理というハードランディングに
近い着陸だったが、ショックによる鬱症対策に、早朝から就寝するまで、好きな、
楽しいと思えるスケジュールを組みこんだ。そうもしないと、自滅する可能性が
あった。いや、現在もである。 それらを、淡々とこなすことで、心身の健康
管理をしている。 このストレスの「苦」は、たやすく消せるシロモノでない。
それをカバーすには、その3〜6倍の「楽」をスケジュールに組み込むしかない。
 著者はテーマで、3%が心満たされる人と決めつけているが、私の見立てでは、
金満でない人も含めると、3割。そのうちの上位の一割の3%が、十分に心満た
されているということか。 金だけは有るにこしたことはない。
 去年の暮れに、【幸福優位7つの法則ー幸福と成功の意外な関係】エイカー著
を取上げたが、その中で、<ボジティブ比〜繁栄と衰退を分ける「ロサダライン」
を、マルシャル・ロサダが発見、2・9013という数字で表した。 これは、業績の
よいチームと、悪いチームにおける「ポジティブな意識」と「ネガティブな意識」
が、2・9013対1以上でなければ、そのチームに成功はもたらされない> 
という法則を取り上げた。大富豪になるほど、その比率が飛躍的に高くなると
著者は言いたいようだ。 世の中を見渡すと、『貧すれば鈍す』か、
その真逆である。上手くいったから、成功したから豊かということではなく、
豊かだから上手くいく。 で、どうした? どうもしません! 全て夢幻。
 ところで面白い時間帯を見つけた。 20時から4時間爆睡後の、0時から4時。
意識し、茫洋として無意識との塀上と見立て過去、現在を浮遊する。
 これ、昼間やると、ボケ!

・・・・・・
5942,閑話小題 〜「ベストエフォート」とは
2017年06月22日(木)
   * 「ベストエフォート」とは
 「ベストエフォート」とは、《日々、できる限り全力を尽くしている感覚を
持つことで、大きな結果が出なくとも、全力を出していることが大事と考える。
例えば、大事業を起こせなくとも、毎日、やれるだけのことをしているという
実感があれば、それで十分と考え、自分を支える継続的な成功体験になる。》
 このベストエフォートの言葉を知った時、この随想日記を16年、続けてきた
意味そのままを言当てられたように思えた。
『ともかく、ベストをつくして一日一文を書き上げる』と。
 6年前の節目で、挫折からの落込み対策に「少し厳しい日課」を立て、
実施してきたが、これが私にとって「ベストエフォート」のプログラム?
私の範囲では、これ以上ないプログラムだったが、数ヵ月もしない内に習性
になり、現在に至っている。鬱症状態に追詰められる前の、事前の一策である。
 面白いことに、この日程を熟す内に、何かしら面白い感覚、「内なる自己」
というか、「真なる自己」が、クッキリと浮上がってきた。その視線で他者と、
普段の自己の間に顔を出すのである。
 〜ネット検索によると、こうとも〜
《最大の結果を得られるよう努力することをいう。通常、委任契約等における
 受任者の負うべき義務を規定する場合に使われる用語で、そのような努力が
なされないときは債務不履行責任を負うものの、そのような努力がなされた
うえは、結果に対する責任を負わないことを定める際に用いられる。》
 仏教でいう『全機=十分に機能する人間』と意味が似ている。人は須らく、
ひたすら努力をして、結果は天にまかせるしかないもの。

・・・・・・
4847,閑話小題 ー75歳が死の目安が、級友と一致
2014年06月22日(日)
   * 75歳が死の目安が級友と一致して
 前回、葬式で連合いを亡くしたばかりの同級生のことを書いた。
私が「75歳を死亡年齢に目安に、歯医者以外、病院に行かないことにした」
と他の級友から聞き、曰く、「数年前に、ある病院で検査をしたところ、肝臓
に、オデキがあると言われ、肝臓ガンと覚悟を決め、親戚を集めた家族会議を
して、生前葬の案も出たが、その前に、別の病院で検査を勧められ、再検査を
したところ何もなかった。それから、一切の検査をしないことにした。
母親と父親の死亡年齢を合計し、半分にすると75歳。その年齢の目安と、
病院に行かない方針が同じことに、驚いた」と。しかし、死や、生について
の知識を持っている様子がなく、漠然とした不安が全体を覆っていた。
少しでも、その類の知識を持ったと持たないとでは雲泥の差になるが・・ 
 私の平均余命11年。そのうち介護年齢9年、寝たきり6年とすると、
決して長寿は、私らしくない。下手に治療で死にそこなうと、薬の逆効果で、
拷問のようは束縛の寝たきりか、痴呆症が出てくる。ならば出たとこ勝負。
75歳を目標、目安にした。その分、運動量を多くし、食生活を気をつけて
いるが、いざ、余命を告げられ、目先は後悔をして逝くことになっても・・ 
死に方、自分の選択も有りである。
   * つれづれに
 ー「事業人生を決心して45年」の語り直しーをテーマに、回を重ねて
書いているが、思いもよらない当時の記憶、40数年前の出来事が、昨日の
ように、次々に連動してフラッシュバックしてくる。それだけ、激しい日々
だったが、封印しておいた記憶を見つめ直すのは、当時の自分を慰め、癒すと
同時に、多くの過ちを知り、後悔も出ることになる。それは、それぞれの
行蔵から、自省をすることにもなる。私は何をしてきたのだろう? 
「面白かった!」だけでは済まない、未熟な己が、厳然と、そこにいる。
神様は、人生を自省させるため、老後という余白を人生に与えたようだ。 
 私を含めた大部分には、基礎教養の絶対量が足りてない。だから
「死ぬまで勉強」が必要になる。周辺を見わたすと、それが分かるが、
自分自身になると分からないのが人間の性。
 「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」
=「往ける者よ 往ける者よ 彼岸に 往ける者よ さとりよ 幸いあれ 」。 
「往ける者よ」を「過ぎ去りし日の自分」に置換えて、「青き者よ、
幸いあれ!と、祈り直すしかない。成るほど、私は、こんな人間だったか!
と・・  南無阿弥陀仏の念仏は、そのためある! 私もお近い ようで? 
「では、皆様、さようなら!」

・・・・・・
5577,突然、余命宣告を受けました ー
2016年06月22日(水)
   * 死ぬこと(事業整理も)は、不幸なことか
 5年前に、悪あがきの悪例を身辺で幾つも見ていたこともあり、追詰められる
前に事業断念をした。その一瞬の決断の間合いがポイントだった。 その時、
『事業整理は決して悪いことではない。適切な時期であれば、むしろ良い。』の
考えがあった。
 創業、実業を経験し、最後は清算の決断に至る、文章作法でいう「起承転結」
のフルコースになる。 思いもよらないブラック・スワンの到来でも、何とか
軟着陸に至ったが、倒産は倒産。その一年後に地元の運送業者が買取って、
同じホテル名で現在も運営をしている。弁護士の力量と、事前の備えがあって、
思いの外、スムーズにいった。一般的には、10〜40年かけた備えの体質に
一切、気づいてない。で、内なる俄か判事になって、好き勝手な裁判話になる。
しかし自らの財務体質に気づかない。「事業設計の段階で、万一のシェルター
の組みこみ」など、知る由もない。 その戯言が想像できるから面白い。 
  〜その辺りから〜      『あの世へ逝く力』 小林玖仁男著
≪ 人が死ぬと「不幸があった」と言い、「病魔には勝てなかった」とも言う。
 死をすべて「不幸」とか「敗北」にしてしまうのです。この脳への刷り込みに
よって、社会中みんなが間違った方向を向いてしまっています。
 生まれ落ちた全員が死ぬのに、その全員が、最後は負け戦?
 結末は「不幸なこと…」で「敗北」だと決めつけてしまうのは、あまりにも
乱暴でひどい話です。人間の尊厳に対して非礼な話であり、この発想パターンは
とてもおかしいと思います。
 その結果、人々は死ぬ前から必要以上に死に恐怖を持ち、死んだあとも、
必要以上に深い悲しみに包まれてしまいます。悲しまれるよりも「ありがとう」
と言われたほうがいい。
 私は今まで幸せに生きてきたし、幸せの中で満足して逝きたいから、
この「死」=「不幸」「敗北」という大間違いは正しておきたいと思うのです。
ある宗教に「抜苦代受」という考え方があります。教祖の子が二人、早くに亡く
なったのですが、霊界のこの二人が「信者の苦しみを抜き去り、代わりに二人が
受けている」という教え。簡単にいえば「お星さまになって守ってくれている」
ということ。ここでは死を「不幸」とせず「希望」に転じています。
 違う宗教の教えでは、「短命な一生では、生かすはずの能力が余っているので、
生まれ変わるときはその分が足され、豊かな才能を持った人として生まれてくる」
という教えがあります。ここでも死は「希望」です。
 死を悲劇としてとことん追いつめるのか。早い死にも肯定する理由を見つける
のか。すべては考え方の問題に過ぎません。≫
▼ 事業清算で、人生の大方の問題が解決してしまった。綺麗さっぱり、
 焼き尽くし、未練も悔いも残らないプラス面に暫くして気づくことになる。
「事業清算」=「不幸」「敗北」は、間違い。 前後一年間は、迷惑をかけた
罪と罰の時節だが、前後の一年を除けた30年、いや45年は、面白く、幸せな日々。
何の事情の知らない人たちの俄か裁判の判決に従うことはない。楽しんだ充実感
こそが私にとっての「実体」。で、批判した人が、死ぬか、不幸に陥っていく。 
これが、不条理ではなく、『条理』である。いや、『情理』か。
 で、偶然に、以下につづく。


6308,読書日記 〜『死の準備教育』 ー2

2018年06月21日(木)

             〜『善人は、なぜまわりの人を不幸にするのか』
                          曽野綾子著より 
   * 地獄へ道は善意で舗装されている 〜2
 書上げてから気づいたが、このテーマ、以前も取上げたことがあった。
複雑な悪意と善意が交わりあう世界では、知っておかなければならない基本的
知識になる。世間とは、私ー>両親ー>家族ー>御近所―>町…の方向性を持つ。
また逆の方向性の性格を持つ。それは善意という人間としての温みを持つ。 
 しかし、「良かれと思って行ったことが悲劇的な結果を招いてしまうこと。
または、悲惨な出来事が皮肉にも善意の行いが発端となっている」ことを言う。
これが「日本では誤用されている」との主張もある。その論を要約すると
実際には、「天国をめざして信心する人は多いが、そのために善行を続ける人は
少なく、結局は地獄へと進む事が多い。地獄への道には、そうした人々が心の中
から落としてしまった善意(直訳は「善き意図」)が降り積もっているのだ」
… という言葉である。つまり「善意を持っていても、実行がともなわなければ、
いずれその人は地獄へ落ちる」という意味になる。
 ところで、善意って、それを被った悪意? その自覚さえ無い無知? 
地域社会でホワイトナイト気取りに、是非、身に付けるべき絶対センス!

  〜内容紹介〜
≪ たしかにあの人は「いい人」なんだろうけど……。
 ときに悪意よりも恐ろしい、善意の人との疲れない〈つきあい方〉
<人と接するのが待ち遠しくなる!>
 1 善意は何をもたらすか
 2 「知らない」ことの不幸
 3 不完全のすすめ
 4 矛盾を抱えてこそ人生
 5 どうすれば自分を失わないでいられるか
 6 図らずも心が救われるとき
 7 傷ついた人にしかわからないことがある
 8 生きることの厳しさを教えられる親になるために

 善意の人々は、自分の好み、自分の思想、が正しいのだから、それは世間に
とってもいいことだ、と疑うこともない。たとえ正しいことでも、世間では、
その正しさが相手を苦しめることもあるなどとは夢想だにしないのである。
もちろん家族や世間を困らせるのは、いわゆる犯罪であり、悪意や憎悪である。
しかし善意もまた、時には油断がならない。 本書「まえがき」より -- ≫

▼ 日本の裁判の9割が「善意が仇となって起きる争い事」と… 。
 学生時代にロマンローランの『ベートーベンの生涯』の中で、
『良く、かつ高貴に行動する人は、それだけで不幸に耐えることが出来る』
『苦悩を通り抜け、歓喜に!』という言葉を読んで、座右の銘にしていたこと
があった。これがもしかして、地獄の道の善意ではなかったのでは?
英国、スペイン、それ以前の、キリスト教布教を建前にした、アフリカ、アジア、
アメリカ大陸の植民地化が、まさにキリスト教という弱者救済の善意の舗装工事
の押付けでしかなかった。相手の気持ちを考えずに平然と相手を傷つけていた
憶えが多々あるが、これも、相手のためという善意が見え隠れする。毎日、
数時間もかけて、これを書上げ、ネット上に公開しているが、未来の自分と、
共感して?くれる読者に対する善意があるが、これが曲者になる。
としても、露悪より、偽善の方が、まだマシ。だって…コスプレが面白いもの。

7年前の以下の文章は、この文章を書上げた後に、ネット内検索で拾ったもの。
何か、7年前の自分が、現在の文章を見て冷笑しているような? でも、
この重なりも悪くはないという、言い訳も。 
――――
2011/10/05
地獄への道は善意で舗装されている  〜1
 20数年前の経営セミナーで、創造工学の中山正和が、
「日本の裁判の中で、9割が善意でしたことが発端で裁判になっている。
『地獄の道は善意で舗装されている』のが、現実社会である。」という言葉が
印象的だった。甘い善意は、地獄の入り口と心に刻んだことを記憶している。 
特に事業においては善意は絶対禁物が人間関係の第一歩。当たり前のことだが、
それを知らない人が多い。
 善意の積み重ねは、その人の人徳を高める第一歩。しかし一つ歯車が狂うと、
「軒先を貸して、母屋を取られる」結果になる。営業を生業とするものは善意を
ノウハウとする。それが相手にとってのニーズであり、対象の懐に入る。
善意、好意を示され喜ばない人間はいない。この格言は昔から言われいる基本。 
  ー ウィキペディアによると ー
≪*「いかに悪い結果につながったとされる事例でも、それが始められた
  当時までさかのぼれば、善き意志から発していたのであった」
  (地獄への道は善意で舗装されている について) ーユリウス・カエサル
 *「天国へ行くために最も有効な方法は、地獄への道を熟知することだ」
  (地獄への道は善意で舗装されている について)ーマキャヴェリ
 *マルクスは、この格言の発祥でこそないものの、これを援用、敷衍させ、
  「地獄への道は善意で、天国への道は階級闘争と俺の濃い髭で舗装されている」
   などと語ったと言う。
 *キリストとその弟子達は、善意からキリスト教を発足させた。
  その結果、十字軍や宗教戦争、魔女狩りなどの惨劇が起こり、人々に夥しい
  地獄を体感させた。・・・ 善意という言葉は、法律用語で言えば、
  「知らないこと、認識していないこと」という意味も含有する。
  つまり、犯罪と知らずに
 窃盗を行ったり、人を殺したりしても、その原因は善意になるのである。
法律用語の善意も考慮に入れると、古来起こってきた全ての惨劇や、人間同士の
軋轢は、全ては善意が引き金になっていると言っても過言ではない。しかし、
ウィキペディアでもコミュニティの円滑化、利用者の齟齬防止の為に善意にとる
ことが推奨されているように、人間同士の意思疎通や、社会の構築とその円滑な
運営には「善意」が必要不可欠なのだ。この二律背反に、多くの哲人達が煩悶
してきたことは言うまでも無い。
 哲学者であり、レスラーとしても著名な木吉カズヤが、地獄への道である善意
をよすがとしなければ生きていけない人間、保てない社会を悲しみ、「救いは
ないね!救いはないんですか?」と絶叫したことは、あまりにも有名である。≫
― 
▼ 善意をもって事に当たるのは、それはそれで良いが、逆手に取られても、
 恨まない範囲で示すと割切ることだ。善意も捨石として、直接の見返りを求め
ないこと。「積善の家に福が集まる」は、見返りを求めないからこそ福が来る。

・・・・・・
5211,宝くじを当てた95%が、5年以内に
2015年06月21日(日)
      『世界の大富豪2000人が教えてくれたこと』トニー野中 (著)
   * 宝くじを当てた95%が、5年以内に当選金を失う
 日本では『悪銭、身につかづ』という諺がある。入る器の方を育て上げないと、
その殆どが溢れ流れていく。私も事業投資の当初の10年で5倍まで純資産を
増やしたが、2001年の9・11と、2008年のリーマンショックと、2011年の3・11の
10年で壊滅! 辛うじて保険代りに家内名義で積みたててきた給与の預金と、
二人厚生年金で、これまでの生活を維持している。 その辺りから 〜p40
≪ アメリカやイギリスでは、「宝くじを当てた人が、その後どうなったか?」と
いう追跡調査が、よく行なわれます。 それによると、「宝くじの一等が当たった
人の95パーセントが、5年以内に手にした当選金の全てを失っている」という。
「器のできていない人がお金を持っても身につかないこと」を、データは如実に
証明しているわけです。 いえ、当選金を失うどころか、それ以上のマイナスを
被ることがあります。たとえばアメリカでは、宝くじに当選すると、宝くじ売り場
まで乗ったタクシーの運転手まで「分け前を寄こせ」と主張してくるそうですし、
100万ドルを当てたーカ月後に毒殺されるという事件まで起こっています。
『となりの億万長者』というベストセラーで知られるトマス・J・スタンリーは、
その著書で「宝くじを買う頻度と、その人の資産レベルの間には非常に顕著な
反比例関係がある」(『なぜ、この入たちは金持ちになったのか』日本経済新聞社)
ということを証明しています。それは、「お金があるから、宝くじなんて買わない」
という理由だけではないのです。宝くじの当選確率など、計算すれば、ビジネスで
成功する確率よりはるかに低いとすぐにわかります。大富豪になるような人で
あれば、そんな確率の低いことよりも、もっと確実に稼げることに、時間とお金
を投資しようと考えるのが当然でし欲う。それでも多くの人が宝くじをほしがり、
"当たる"と評判の宝くじ売り場に朝一から並んでいるのは、
「楽して莫大な富が手に入る」という誘惑に逆らえないからです。≫
▼ 宝くじは夢を買うもので、それ自体に矛盾がある。夢は長年かけて地道に
 積み上げ実現するもの。そのプロセスにこそ価値(意味)がある。数羽の
ブラックスワンで、私の事業は終わったが、プロセスで元をとっていたので、
後悔は意外に少ない。宝くじの当選金を5年で失っても、持ったままより、
遥かに良い!とも考えられる。「失う」と思うのは傍目で、実際に使えば、
その価値を味わい尽くすことが出来る。 5年で数億など使ってみたいもの。
いや実際に使ってみた。一棟、ホテルを建てると土地代を入れると3〜10億。
そのプロセスを遊びに昇華すれば、遊びとして、それだけ使ったことになる。
遊びとしてみても、実際に面白かった。当事者の実感は、「失った」というより
「使った」である。本人が言うから間違いない! ということは、著者は浅い?
ボロボロになって涙した方が、その数倍増やしニヤニヤしているより味は濃い。
「大恋愛の成就より、失恋をした方が遥かに良い」ことを考えれば解るだろう。
『 宝くじを当てた95%が、5年以内に当選金の全て使う! 』良いでないか。

・・・・・・
5941,自由な脳のつくり方 −強固なマインドセット
2017年06月21日(水)     
        <「世界一自由な脳のつくり方」茂木健一郎著>
   * マインドセットとは
 「人生は、18歳までに洗脳された固定観念、常識を生涯かけて破壊して
いくプロセス」である。常識という名の牢獄に押し込まま、定年をむかえ、
それに初めて気付き、涙する。それさえ気付かずに、もやもやした不満を、
周囲に八つ当たりするのが、俗にいう「世間」。18歳までのセットが如何に
強固であるかは周知のはず。親は、可能な限りしなやかなマインドを、子供
にセットするため、家族旅行や美術館などで、世界の広さ、深さを長年かけ、
教え込み、常識にとらわれない基礎教養のベースを幼児期から構築しておく
必要がある。ということは、両親の質の掛け合わせで、ほぼセットが
決まっている。これは壁にもなり、土台にもなる。 〜その辺りから〜
≪ マインドセットは以下のように定義されています。
 経験、教育、先入観などから形成される思考様式、心理状態。
暗黙の了解事項、思い込み(パラダイム)、価値観、信念などがこれに含まれる。
マインドセットの言い方は、人の意識や心理状態は一面的なとらえ方はできず、
多面的に見てセットしたものがマインドの全体像を表しているということから
来ている。
 靴を販売する会社の営業マン2人がアフリカへ現地調査に向かい、靴を履かず
に裸足で生活する人々を目のあたりにしました。それを見た1人の営業マンは
・「誰も靴を履いていないので、売れる見込みはありません」と報告、
・もう1人の営業マンは「誰も靴を履いていないので、無限大の販売見込みが
あります」と報告しました。
 報告の方向性からも分かるようにこの2人は真逆のマインドセットの持ち主で、
当件での成果に差が生まれるといえるでしょう。この例では、行動する前から
諦めてしまう癖がついている人と、プラス思考が出来る人の間に、大きな違いが
生まれるということが学べます。
 ドゥエック教授は、マインドセットという概念を提唱した第一人者。
教授は研究で、子どもの成績や学習意欲・行動は、
・「努力しても変わらない」(硬いマインドセット)という考えの持ち主か、
・「努力次第で伸びる」(しなやかマインドセット)という考えの持ち主かに
 よって、変わることが分かったとしています。
マインドセットによってあらゆる能力に差異が現れ、ひいては人生の幸不幸に
影響するというのです。またマインドセットを変えるのは簡単ではないけれど、
それは可能であるとしています。マインドセットを変える、すなわち固定観念を
再構築することは、簡単ではありません。それこそ子供のころからついた習慣
という基礎部分を全面的に改修しようというのですから、強い意志を持って
臨まなければなりません。とはいえそれは決して難しいことではなく、
ポイントをおさえることで、効果的に改善していくことができます。≫

▼「慶応幼稚舎」などに、親が必至の思いで入園させるのは、真っ新な幼児期
 にマインドセットをするため。逆に言えば、この頃、しなやかマインドセット
をしておかなければ、大方と変わらない能力にとどまることになる。
恐ろしいのは、「知っていること以外は何も知らないこと。もっと恐ろしいのは、
そのことすら知らないこと」 その範囲で物事を捉え、思い付きで決めつける、
人間の愚かさ。他者に見えても己のそれは、見えない。この「随想日記」は、
その露呈の列記になる… 読む方からしたら、これほど、面白いことはないはず。
 キャリアとうのは、職場転換、転職で、マインドセットを切替え続けた結果、
身についていく能力。深い穴は、まずは広く掘らなければならない。
それもこれも、死んで三日も経てば、みな同じ。 そういうこと!

・・・・・・
4846,閑話小題 ー同級生の急逝の式場で
2014年06月21日(土)
   * 同級生の急逝の式場で
 一昨夜の三条での通夜が500人、本葬が100人の参列。 
通夜を含めて中学校の同級生6人?が出席した。膵臓がんが発見されて二ヶ月!
七転八倒の苦しみの中で、亡くなったという。御焼香で手を合わせると同時に、
『おれ、こんなに早く、死にたくなかった!』という、彼の声が聞こえたような?
その後の親族の挨拶でも、故人が同じようなことを言っていたというから・・ 
故人は晩酌が楽しみで、その過多が原因? 7〜8歳の孫が二人、別れの顔見と、
出棺時に、大泣きをしていたのが涙をさそっていた。去年の同級会の三次会に
故人と、二人飲んだのが最期。「俺の最後の仕事は、家族に一億を残すとと!」
と真顔で話していた。自宅に帰って一時間後に、シネマに行く予定だったが、
グッタリ!急遽、中止。
 ところで、参列した同級生の一人の奥さんが一月前の20日に亡くなって、
今日が同月命日。『絶対にカミさんより、早く死んだ方が良い!連れの死は、
こたえる。生まれてこの方、一度も炊事の経験無しが、長男と自分の炊事と、j
家事は、非常にきつい!』の言葉が、重い。まだ、同居の長男がいるだけよいが。
入院して二週間で17年前の乳ガンの腰骨への転移での急逝というが、連れは
死ぬつもりがなかったため、何処に幾らの金があるか、全く分からず、
大変だったとか。 亡くなると本人名義の貸金庫、預金は凍結され、葬式の
金さえ工面がつかない中で、何とか葬式を終えた等の話は非常に深刻。
 私が家内より先に逝くつもりだが、これだけは? 自炊経験はあるし、
スーパーの買物は好き。宅配弁当もあるので、大丈夫と思うが。
「早いもの勝ち」は、夫婦の死期にも当てはまる。老いの辛酸は、身近な
人から、聞こえてくる。 これで中学校の同級男子で、7人も亡くなった。
不明を除くと、3〜4人に1人が、御先に逝ったことになる。 
 


6307,閑話小題 〜ワールドサッカー開幕

2018年06月20日(水)

   * あらら、勝ってしまった!
 ワールドサッカーが始まったが、国内の盛上がりが少ない。これだけ期待
出来ない日本チームを見たことがない。そのために世界の一流チームと選手の
競技に集中できる。引分けにだったスペイン対ポルトガル戦は圧巻だった。
こういう期待できない時ほど奇跡的に勝ち進む可能性も無いとはいえない。
問題は、昨夜のコロンビア戦。すべて、この一戦にかかっていた。80%以上
負け予想の試合は見ない主義。21時は私の就寝時間。家内に面白そうだったら
起こしてくれ!と頼むが、面白いほど、起こさないのが… 何せ、9・11テロ
直後の臨時ニュースの時でさえ、特別番組を息子と楽々見たいと風呂上がりの
私に知らさず無視したツワモノ。
 夜半にトイレで起きて、万一?勝っていた?と、iPadをみたところ
『あらら、勝っている!』 寝る直前まで、他国同士のサッカーを興奮して
見ていたのに、日本チームの勝利に、さほど驚きも、嬉しさもないのは何故。
 私の性格が、自国の試合に対するヒイキが、何故か試合をツマラナクする。
≪ ◇サランス
 日本代表が、ワールドカップ初戦のコロンビア戦の後半28分、途中出場
したMF本田圭佑(32)の左CKを、FW大迫勇也(28)が頭で押し込み、
劇的な勝利を挙げた。
 日本は前半2分40秒過ぎ、右サイドからのクロスボールを、DF昌子源(25)
がヘッドで前線にクリア。そのボールをMF香川真司(29)が右足で1タッチで
前線に送った。そのボールに反応した大迫がDFと競り合いながら抜けだし、
左足でシュート。GKオスピナが弾いたこぼれ球を、香川が左足でシュートすると、
止めに入ったMFのC・サンチェスの右腕に当たり、レッドカードで1発退場を
誘うとともにPKを獲得。前半6分、そのPKを香川が落ち着いて右足でゴール
中央に決めた。香川はコーナー方向に滑り込み、胸をたたいてアピールした。≫
――
熊:勝っちゃったよ!
寅:サンチェスの一発退場は、大きかったね。これが全てさ。
大家:全く期待されてないため、ノビノビとしていたね。負けてもともとと…
八:何ごとも結果。これで監督交代が吉と出たし、それを決断した責任者は、
 ホッとしただろう。一番、ガックリしたのは、首になった前監督。
 しかし、それまでの指導の基盤があればこそとも言える。
熊:八つぁんの話では、間違っても勝てないようなことを言っていたじゃないか。
大家:ブラジルが、スイスと引き分けたり、ドイツがメキシコに負けたり、
 セネガルがポーランドに勝ったり、<サランクスの奇跡>の言葉が躍ってるね。
 これで盛り上がりに欠けた国内に火をつけたね。現金なモノさ。
寅:この一勝で、更に勝ち続けるか、ここまでか? 次のラウンドまで勝って
 欲しいけど、どうしても悲観的になるよ。見る方も、選手も期待しないことさ。

・・・・・・
5575, 閑話小題 〜適正寿命
2016年06月20日(月)
   * 適正寿命
 ある本の中に、『適正寿命』という文字があった。漠然と長生きできれば
よいと思っていたが、経済面、健康面、生き甲斐面の3つの条件が整った上
での、適正な人間の寿命を考えると、死にそこなわない、『適正な寿命』の
時節が考えられる。 男性の場合、健康年齢(寝たきりや介護を受けず日常
生活が可能な年齢)が70歳。死亡平均年齢が80歳からして、10年の介護が必要。 
とすると、適正寿命は、その中間の75歳辺りか。 70歳になった私の実感から
しても、その辺り? 数年前に、仮説で、私の健康年齢を75歳に設定をした。
で、そろそろ、ガンか、脳梗塞の兆候が出てきそうだが。 何せ、平日は、
平均3時間も運動をし、何とか未病で抑えているため、表立っては、いたって
元気。「死ぬべきときには、死ぬがよい」が、余命半年か、一年と確定したら
動転し、奈落の底に沈むのだろうが。          
   * 今週が注目
 この23日に、英国のEUからの脱退か居残りかの正否の国民投票がある。
最後の最後は、残留だろうが、これだけは終わってみなければ分からない。
もし脱退なら、世界の景気が更に落ち込むことになり、アメリカ大統領選や、
独国、仏国にも大きな影響を与える。今年前半の一大イベントになるか否か。
 時を同じくして欧州サッカー選手権の国別の戦いが、佳境に入っている。
今回から、機会がある度にTVで観ているが、これが面白い。他国同士でも
観客の熱狂に引き込まれる。彼らにとって、サッカーを通したリアルタイムな
代理戦争に参戦している感覚である。 リタイアをすると、自分の立場の
デバイスが小さくなるため、何事も新鮮に受止めれるようになる。


・・・・・・
5940,閑話小題 〜帰りの宇宙船内で 〜4
2017年06月20日(火)
   * 帰路の宇宙船内で独り思うこと
 考えてみたら、人生後半からのライフワークの「秘異郷ツアー」は贅沢
な趣味である。40歳代半ばのプレッシャーは御たぶんに漏れず大であった。
その解消も含めて年・2回の旅行を自らに義務付け、何があっても行くと決心、
20年以上、行き続けてきたことは、ここで何度も書いてきた。家内と2人で
年150〜200万の出費は、現役当時は苦労することなく捻り出せていた。
 振返えった実感としての価値は、値段の3倍以上である。地球上の自ら
の立ち位置を、宇宙側から逆照射して見る感覚が何とも絶妙で面白い。
 このテーマも、地球上の秘異境を宇宙に拡大したもの。何処の地でも、
人間、動物、自然環境の普遍的事象は様々。それぞれ違う時間が流れている。
その経験を重ねるたび、地球の広さと、深さと、意味そのままが見えてくる。
「観光」の言葉は軽い響きがあるが、自然自らが地球上につくり上げた「光」
を神自らの目で観るような感覚は人間としての本分になる。新たな別物の魂が
独立し、その視点で自分と、自ら存在する世界を鳥観している感覚を持った
ような。内なる別の魂が、行った先の魂と邂逅、その場で自ら燃え尽きるよう
な経験。これが「魂の出会い」というのだろう。
 宇宙彼方の星から、地球への観光旅行をした帰路の宇宙船内で、覚めた目で、
人生の観光を思い出し総括するのも、なかなかの味。生きている内が花である。
<「宇宙船に乗っていいよと言われたら、どんな席かなんて聞いている
 場合じゃない。さっさと乗るだけだ。」〜シェリル・サンドバーグ>
で、地球にやってきて、帰りの宇宙船での地球観光の総括が、これ。
キリスト教に、『煉獄』というのがあった。 〜ネットによると〜
<浄罪界ともいう。キリスト教において神により罪をゆるされ義とされたが,
その罪の償いをまだ終っていない死者の霊魂が死後至福の状態に導かれるまで,
残された償いを果すためにおかれると信じられる苦しみの状態。この状態に
ある死者のために祈ることが可能であり,またよいこととされる。ダンテの
『神曲』第2編はこの信仰に基づく。この教義はカトリック神学者間にも解釈上
の問題があり,プロテスタントでは概して煉獄の存在を否定している。>
 私の思いついた「別宇宙からの観光論」は、生死の境目で人生を、因縁ある
亡き人と語り合う、際ものの対話で、枠が私の人生の因縁ある人だけ… 
 そういえば、哲学者の池田晶子女子の哲人との対話も、『幸福の科学』の
教祖様も、歴史的人物を呼び出し? 対話をしていた。 まあ、難しいことは
考えないで、因縁ある何人かと、帰路の宇宙船内で、総括の対話そすればいい。 
それにしても、学生時代の誓い、『己の魂(良心)にとって、やましいことは
しない』で、あわやの危険を何度もさけてきた。『良かったか悪かったのか』と
思い返すことしばしばだが。最期は、プツン前の自己対話の中で終わる…
 
・・・・・・
4478, うつ病 ー高島忠夫の場合
2013年06月20日(木)
 ーカスペ! 真実の高島ファミリー「忠夫さん、死ぬまで一緒やで」
      〜寿美花代・献身愛で闘う夫の病〜 ーが感動的であった。 
一昨日のゴールデンタイムに放映されたが、二時間がアッという間であった。
「うつ病」については、何度か書いてきたが、高島一家の底なし沼のような状況
そのままがドラマになる。芸能界きってのおしどり夫婦と言われた高島と寿美。
高島は98年頃からうつ病、糖尿病、パーキンソン症候群、 さらに、3年前
には不整脈で心臓にペースメーカーを付ける15時間にも及ぶ手術を受けていた。
   ーまずはTV局のブログよりー
【“日本一有名な芸能一家”高島ファミリー。一家の主、高島忠夫がテレビ
 の表舞台から姿を消して5年… その自宅にカメラが入った。いったい何が
 あったのか。献身的に夫を支える元宝塚歌劇団のトップスターである妻、
 寿美花代の思いを通じて、いますべてが明らかになる!そして、夫婦として
 「死ぬまでにやりたかったこと」… それは忠夫の夢の実現。寿美花代は、
 ある賭けに出た。“最後になるかもしれない”家族旅行へ…。】
▼ 高島の妻で女優の寿美花代が、自らの口で明かした悲劇。
 夫妻の第1子の長男・道夫が生後5カ月で殺害されたのは、1964年
(昭和38年)8月。住み込みで働いていたお手伝いの 少女(当時17歳)が
風呂に沈めて殺害したもの。 寿美はこの時を振り返り、「夜中に、道夫が
いないと、探し回り、最後にお風呂を…フタを明けたら、道夫がいた…。
夜中2時すぎぐらいに、あちこち病院行ったが、どこも受け入れてくれなく、
やっと1軒 受けてくれた時には…」。  家政婦は殺人罪で起訴され、
懲役3〜5年の不定期刑となった。事件後に、赤ちゃんの泣き声や、
「ママー、苦しいよ」という泣声のいたずら電話が頻繁にかかってきていた。 
高島忠夫も既に82歳。寿美花代は81歳。その夫を懸命に支えてきた寿美は
「介護うつ」も経験。「介護で一番大事なのは 完璧にやろうと思わないこと」、
「忠夫は私を本当に姫のように優しくしてくれた人。いまはその恩返し」と。
番組では俳優として活躍していた頃の若き日の高島の姿や、バラエティー番組
の様子など懐かしい映像も出ていた。 この隠れた“主役”は寿美。妻の目線、
2人の息子の母親の視線で番組は進んでいく。番組では、うつ病患者の家庭の
危機状況が、多く語られて無かったが、実際は壮絶。ただ事実を語り映し出す
だけで、物語になっていた。二年前の倒産劇で気をつけたことは、脳をやられない
(うつ病に陥らない)こと。そのためには、運動と、マイナーの毒?から身を
守ることであった。ゾンビは自分の傷口の膿を擦りつけてくるから、性質が悪い。
その中で、堕ちこまないように作り上げた生活習慣こそ、最大の成果だが、
それでも時々、傷口が痛む。それにしても、寿美の開き直りは凄みがある。
少し性質の悪い連合いだったら、病院の中で亡くなっていただろうに。

・・・・・・・
5210,大脱出 〜お金、健康、格差からの・・
2015年06月20日(土)
     『大脱出――健康、お金、格差の起原 』アンガス・ディートン(著)
  * お金、健康、格差からの大脱出
 いまひとつピンとこない内容だが、切り口は新鮮で面白い! 進歩には格差の
問題が生じる。それは、金銭だけでなく、健康問題にも関係する。小・中学校の
同期をみると、進学ごとに分類される前の社会の縮図がそこに見て取れる。
この年齢になっても、その格差は少しの浮き沈みが少しあっても、大した変化は
見られない。 何をもって貧しいか、豊かかの問題があっても、貧しい人は
貧しいまま? 豊かな人は豊かのまま。 同級生の男子の三割は亡くなったが、
何故か成績が悪い人が7割がた。すべからく、人は金、健康、容姿、両親の
愛情量に格差があり、その中に沈んでしまう。
   〜アマゾンの内容紹介〜
≪ 世界はより良くなっている ――より豊かになり、より健康になり、
 平均寿命は延びている。しかしその反面、貧困という収容所から「大脱出」を
果たせずに取り残された国や人々がいる。産業革命以来の経済成長は、大きな
格差も生んだのだ。経済発展と貧しさの関係について最先端で研究を続けてきた
著者が、250年前から現在までを歴史的にたどりながら、成長と健康の関係を
丹念に分析することで、格差の背後にあるメカニズムを解き明かす。
「本書は、進歩と格差の間の終わりなきダンスについて記している。
…単純に考えると、貧困からの脱出は金銭的な問題だと思いがちだ。
だがお金と同じくらい、もっと重要なのかもしれないのが健康と、
繁栄する機会を手に入れられるだけ長生きする確率の向上だ。
…富の歴史について語る本は数多くあるし、格差の歴史について語る本も多い。
健康と富がいかに密接な関係にあり、健康の格差が富の格差をいかに鏡のように
反映しているかについて語る本もたくさん出ている。私はその両方について
一冊で語りたいと思う」(はじめに) ≫
▼ その格差も浮き沈みがあり、目まぐるしく変化する。元プレイボーイ誌の
 編集長の島地勝彦が、作家の故シバレンに受けた薫陶、『いいかシマジ、
平等や民主主義なんてものは、人生に何も生んでくれやしないんだ。上質の
脳みそに裏打ちされた、えこひいきを享受出来る人生を歩まなければダメなんだ。
えこひいきされるようじゃなくちゃ一人前とはいえない、みんなと同じように
行列に並んでいては凡庸な生き方しかできないだ』が、面白い。沈んだまま
では・・ 沈む時には沈めばよいが、何事も備え! 国の幸福度は、たいがい、
平均年齢で計ることが出来るという。その点、ロシアが酷いという。解るが!
その点、日本は平均年齢が最上部にあるが、幸福感が少ないのは何故だろう。
 島国で、海が要塞となって長い歴史の中で、揉まれてないため。
小学校から大学まで、同期会・同級会は可能な限り出ているが、格差と
健康問題は、嫌でも目に付く。上質な脳みそは、自らつくっておかないと!
 で、このザマだが。これも、格差の範疇で沈んでしまったということ?
石ころの大小、形を比較したって、所詮は砂利の話。 気にしないこと! 
・・・・・・
4845,「事業人生を決心して45年」の語り直しー19
2014年06月20日(金)
   * ペガサスクラブの加入と、システムの改革
 衣料量販店は、天候と相場を敏感に読み、時間差で勝負するのが要。
それには情報を多角から取り、後は直感に頼るしかない。その感覚を、
僅か数ヶ月で知ることになる。そのため、産地の大問屋の太いパイプが
絶対に欠かせない。 その冬のシーズンも大成功のうち終わり、事務所で
円座をして、ストーブで温めた日本酒を乾杯した時の旨さが格別。毎日が、
全てが新鮮で、知らないことだらけ。その経験そのものが面白く、次々と
知恵が湧き出ていた。
 その年の暮に、チェーン店展開を指導する『ペガサスクラブ」に入会し、
衣料チェーンの展開を錦の美旗にする。そして、大御所の渥美俊一のセミナー
に隔月ごとに聴講することになる。このカリスマ、当時の新興チェーンの
拡大に大きく影響していた。卒論に、その著書をネタ本にしたこともあり、
そのセミナーの面白さは、この上ない。おまけに、聴講者はチェーンの幹部。 
チョットした会話でも充分に元がとれた。現場でも、セミナーでも、全てが
学びの場になっていた。振返ってみて、当時の自分自身は、父親の秘蔵っ子で、
20歳代でジャスコ、いとはん勤務。そして、貸ビル建設と、その中で、
養老乃滝、ベーカリーをオープンさせていたのだから、凄いエネルギー。
姉夫婦が焦るのは肯ける。 ところで、改革で直ぐに手をつけたのが、
ジャスコ、いとはんで取り入れていたチェーンストア統一伝票システム。
これは、5枚綴りの複写で、・仕入先別、仕入伝票1[青] ・仕入伝票2[緑]
 ・仕入伝票3[灰色] ・物品受領書4[茶色]・納品書5(控)[紫]になっていて、
大口の仕入先に持ってもらい、仕入れ商品の内容を書いて、同封してもらう。
そのうち一枚が先方に、残りの4枚が、そのまま、商品管理、仕入管理、
経理の支払管理に使えるシステム。これは部門別管理にも大きは働きをする。 
また、部門別内の小項目が、そのまま、商品管理にもなる。 数値責任が
明確になれば、仕入れや、販売を担当者に大幅に権限委譲が可能になる。
そのベースをつくるに、2〜3年はかかるが、旧来の社員も何の抵抗もなく、
あっさりと導入出来たのは、システムが、シンプルで、便利であるため。
もちろん、大手のメーカー、問屋が多くが、このシステムを取り入れていた。
 次に、仕入れと販売の担当責任制度である。現場の情報を、仕入れに直結
するには、仕入れ権限を現場に与えること! 帰って一月も経たないうちに、
翌年の新入社員の採用の時期になった。 さて、何人にしようかと、考えて
いると、長年、勤務の内幕情報屋的存在の総務の女史が、「思いきって多く
入れた方が良いですよ!」と、助言?してくれた。 要は「殆どが辞意を持った
社員が、多いですよ!」ということを察知し、当初の予定の二倍の13名を、
採用する。 ところが、翌年の年次を含め、新しいシステム導入に、丁度
良い教育対象になっていた。 次は、TKCの伝票システムの導入である。
これも、思い切って判断した。そして、接客などのマニュアルの作成と、
売上日報の解りやすくしたカジュアル化。 不信感の強い既存社員からの
情報は皆無の中、それならば、欲しい情報を日報に書かせればよいと、
次々と、項目を増やしていった。こういった現場での知恵は、立ち上げの
経験から、身についていた。創業は、瀬戸際に自らを追込み、ことに
直接触れ、エネルギーと知恵を融合しカタチ創ること!


6306,読書日記 〜良い人生だっただろうか?

2018年06月19日(火)

      『老年を愉しむ10の発見: ドイツ流「穏やかに生き抜く」哲学 』
                     ヴィルヘルム シュミット (著),
    * 「いい人生だった」を言える人生を
 人生を振返り、「いい人生だった」、一日を振返り、「いい一日だった」
と言えるために、最後の4分の1の老齢期を泰然と生きるべしと、著者は言いたい
のである。それも、長年の準備が必要とする。 『いい人生だった!』の言葉を
聞いたのは、私が27歳の時だった。父が余命1年の末期ガンを察知し、その恐怖心
と格闘していた最終に近づいたとき、『ああ、良い人生だった。今度、生まれても
全く同じ人生を生きたい』と突然、話したことを思いだす。その時に、
 私の僅かな死に対する知識、
『哲学でさ、自分って死なないっていうの知ってる。死んだ瞬間、自分が消滅
するでしょ。死体は、もう自分でない。死体を見るのは他者でしょ。
だから自分は永遠に生きると考えられるでしょう。』と聞いた父がハッとし、
『こんな話を聞いたのは初めてだ。死が何か、ここで初めて知った』と正直に
吐露していた。それより、太平洋戦争を跨ぎ、2つの人生を生き抜いてきた人も、
死の前の恐怖心には… で、私も「いい人生だった」― の、この一言を口に
出来るだろか?
≪ ―内容紹介― Amazon
 ドイツ『シュピーゲル』誌で18週にわたりベストセラー1位の話題の書!
年を重ねる中で得ていく「落ち着き(Gelassenheit)」とは何か。
 私は「アンチ・エイジング」より「アート・オブ・エイジング(年をとる術)」を
身につけることが大切だと思う。これは、老化というプロセスを拒否するもの
ではなく、それとともに生きるための術である。―ヴィルヘルム・シュミット
・これから得られる「豊かな実り」とは
・自分に起こる「変化」と折り合いをつける
・「それまでの積み重ね」が花開くとき
・「心穏やかに生きる」のに欠かせないもの
 〜カスタマー・レビュウより
古代ギリシャの哲学者デモクリトスが「朗らかさ」を、
外的な財産や感覚的な満足感に依存しない最高の「内面的な財産」とみなした、
というエピソードが心に残った。
快活さ=平安に満ちた心地よさを持つための土台が「生」についてなどの
スケールの大きい思慮から得られた朗らかさだと。
彼自身、「笑う哲学者」と呼ばれていたほど明るく快活だったという。
快活こそ悟り。≫

▼ 紀元前6Cのピタゴラスの時代より、死に方に対して様々な可能性について
 語られていた。生きているうちから繰返し何度も「死の瞬間」という極限の
地点に立っているつもりで、これまでの人生を振返り、それを自ら評価し、
時に人生の新たな指標をもとめる哲学的修練。
 この数年、何度何度も、死に関する読書の中で自問自答し、夜半に独り、
考えてきた。それを考えることは、自らの人生を振返ることになる。
人生において何が大事だったのか。何を間違っているかの問題に行き当たる。
如何だろう? いい人生とは何か?からすれば、自問自答で満点のはずだが。

・・・・・・
4844,「事業人生を決心して45年」の語り直しー18
2014年06月19日(木)
   * 衣料量販店のコツ
 肩書きは取締役本店店長。通称、「店長」。母が社長で、兄が専務。
家業そのもののパパママストア。出社日から多くの判断が次々と求められたが、
衣料量販店経営など全く知らない白紙からの出発。ところが、その白紙状態が、
結果としてベストに働くことになる。心だけでなく、何事も、空即是色である。
四日市、神戸、桑名、金沢、千葉と渡り歩いてきたが、いずれも、駅前は競争
激化と、新興のチェーン店の進出で、劇的な変化の過程であった。ところが、
当時の豪雪は、現在と比べようもないほど多く、冬期間は、雪の壁が、町を
遮断する特殊の商圏でもあった。そのため、地元百貨店が二店。
金沢の百貨店と、寄合専門店ビルと、実家である衣料量販店と、その支店の
ファッション衣料店が、そして駅に隣接した一等地に大型チェーン店が、
駅前のメイン通りに並んでいた。しかし、豪雪地区のため、他県からみれば、
その波の強さは、穏やか。この本店、規模の割には、「超繁盛店」で全国で
知られていた。その中での、御家騒動は、世間話の絶好のネタ。
 本店の過去のデーターは、全てを前任者が持ち出し、その上に、前任者達の
意をくんだ残留者は無言の抵抗。一週間、二週間経つうちに店内の商品が底を
ついてくる。その中、地元の問屋の一社が、当面、全面協力をしていた。
そうこうするうち、私の知らぬ間に、秋物衣料相場が、値崩れを起こしてきた。
普通なら、導入期に一通り秋物を並べ、次の最盛期に値崩れの仕入れをして、
稼ぐ。しかし、導入期の商品が無い中の、絶妙なタイミングに、東京、大阪へと、
現金を持って初めての仕入れ。何も知らないのに知ったふりの緊張感の中での
仕入れは、今でも忘れられない。そして、何とか値崩れ品の仕入れが終わった。
そして次回は、名古屋、大阪、岐阜へ現金問屋や、メーカーへの飛込み仕入れ。
その時、思い浮かんだのが、父と中、高校時代に一緒にまわった記憶。
まずは、一回り目は情報を取り、そのシーズンの流行と、相場を把握。その後、
商品を選び出し仕入れていく。それも現金で。右上り時代の中で、誰も忘れて
いた商売の原点を、動物的直感で綱渡りの瀬戸際で、始めていた。何とか一月が
過ぎた頃、店に高崎の有力衣料問屋の部長が訪ねてきた。店頭の立話しだったが、
現在の経緯と、自分の経歴と、現状を手短に話したところ、『当社として、
全面的に協力します!』という。暫くしてから、その意味を知った。それは
『その窮状を、産地問屋として、当分の間、原価ギリギリで商品を提供します!』
であった。これが、大きかった。それに現金を持って産地を歩く、基本的原理を、
父から教わっていたことも大きい。これで、地元の問屋、メーカー、百貨店の
相場を根こそぎ叩き壊す、本来の姿に戻ったことになる。その中、その年末は、
思いもよらない暖冬で、冬物衣料の相場が大崩れをした。他の大型店は、事前
予約の冬物の在庫の山だが、当方の店の中は、予約など無しのカラ。
その中での、大阪、岐阜、岡山、に現金を持っての仕入れ。多くの筋ものが、
半値以下の大量仕入れ。それを、そのまま、小利で売りに出せば、大当たりに
なって当然。 時代の流れもあって、全てが、プラスに働いていた。
激変の中、むしろ既存の常識無視の方が、プラスに働く。

・・・・・・
5574, 突然、余命宣告を受けました ー
2016年06月19日(日)
    『あの世へ逝く力』 小林玖仁男著
   * 自殺願望の八割が、いざとなると
 苦しめるために生かしておくような延命治療なら、そうそうの安楽死を選択
したいが、現実は痛み止めの薬を強くすることで早めに死に導く。安楽死に
ついて、まだまだ議論が足りないようだ。 考えてみれば、人間は穏やかな
自殺か、安楽死の道を歩いている。 自分の死の決断こそ、最期に残された
人間の最大の自由の行使になる。  〜その辺りから〜
≪ 現在スイスでは安楽死が認められていますが、興味深いデータ報吉がある。
 自殺蓄助による安楽死を希望する場合、希望者の医療記録を徹底的に分析し、
生き続けていくのが困難だと判断された場合にのみ致死量の薬が処方される
そうです。しかしここからが驚くべきことなのですが、安楽死のための薬の
処方が可能と判断された患者でも、いざ安楽死可能と分かった時点で"自殺願望"
が弱まるというのです。その割合が何と八割もの人々の自殺願望が急速に冷める。
つまり、「苦しみながら死を待つ。この生き地獄から抜け出すことが可能と
分かれば、この理不尽に社会が理解さえ示してくれれば、我慢もできる」と
言っているのです。やはり、倫理観からも、宗教観から見ても、家族の手前も、
「苦痛だから死ぬ」というのは、どこかでなじめないのかもしれません。
だから、「この苦しみに、大いなる同情と、法的な権利さえくれればそれで
いい。我慢もできる」と。気持ちを分かってさえくれればー。そういうこと
なのではないのでしょうか。≫
▼「苦痛を最小に消え去りたいため、余命を告げられたら、早々、リンゲルの
 大量投与を」と思っていたが、「いざ安楽死が可能になると、八割が自殺
 願望から冷める」という事実。何だろう、これは? 
 〜ところで、私が生死に関する言葉で、気に入ってるのが、
<死ぬことは、生前の自分が存在しなかった状態に戻るだけ>
<遺伝子が私の身体を借りていただけ、それが無くなっても、数限りない
 遺伝子が、何処かの身体を通して生き延びる。「私」など他愛のない存在>
<充実した過去と現在を生きている(きた)なら、死など、恐れることはない>
<死んでしまえば、それまでよ。生きている内、できる内。>
<当人にとって、『死』は存在しない。死んだ瞬間、本人は存在しないのだから>
<宇宙の彼方から地球へ旅に来て、見るだけ見て、するだけして、帰っていく
 のが死である。> 
それにしても、辛いだろうに。

・・・・・・
5939,閑話小題 〜無知は、教養より金がかかる
2017年06月19日(月)
   * 無知は、教養より金がかかる
<教育にはカネがかかる。とはいっても無知にもカネはかかる。
                    〜クラウス・モーザー卿 >
☆ 何とまあ、人生をシリアスに切って捨てた言葉である。
 そう、人は無知で失った方が、知っていたが故に得たことより遥かに多い。 
なればこそ、無知を少なくし、知識など教養を長年かけ蓄積しておかないと。
私の場合、5歳までの、家系としてのベースが貧弱だったということ?
いや、それは99%の人たちに当てはまること。ならば学び続けるしかない。

   *  BE(なる)―DO(する)―HAVE(持つ)
<目標は、この3つのうち『持つ』の部分。スタイルが良くなりたい、恋人や
配偶者といい関係を持ちたい、あるいは百万ドルほしい、こういった目標は
どれも何かを『持ちたい』です。目標が決まると、次に、そのため何をなす
べきか、リストを決めまtす。問題は、スタイルが良くなる、金持ち、BEの状態
になること>
☆ 以前、<上手くいったから幸福になるのではなく、幸福であればこそ
 恐れることなく上手くやれる>という幸福論の一つの道理について触れた。
< BE(なる)の状態なればこそ、―DO(する)のプラス循環の結果、―HAVE
(持つ)になる>  6年前の大きな節目からこの方、見えたのが、マイナーの
人たちの視線。彼らは自らの傷口の膿を、他人の傷口に塗りつける自傷行為の
業の磁力が強い。マイナーのばい菌は、人に塗りつけると、他者のばい菌が、
当人の膿を更に濃厚にする。その毒のため、何人かが倒れていったような。 
自業自得、いや事業自毒。 これは私自身にも当てはまることだが。
 で、当時、直ぐに実行した手順が、2ランク上の習慣づけ。慣れてしまえば、
習慣自体は「第二の天性」となるはずだが… ただ淡々とコナシテいる。
ベストのことは、張りのある充実感と、毎日が兎に角、面白いこと。
 〈・BE=充実感のある日々 −> ・DO=生活習慣 −> ・HAVE=楽しみ〉
『こんな日々の何が楽しい?』かって。 『いいじゃないですか!これで…』
 「知らないバカ」と、「知ってるバカ」と、どちらがマシ?
「知ったかバカ」もいるが、「知ってるバカ」は、まだ、すくいがあるか?
・・・・・・
5209,閑話小題 〜何気ない会話の中で
2015年06月19日(金)
   * 何気ない会話の中で
 先日、中学校の来週の同期会の幹事の打合せの会で、顔は何となく憶えて
いるが、話を1〜2度したかしないかの男が隣席に座って酒を酌み交わす
中で、私が、『以前も話をしたかもしれないが、たしか40年以上、消防隊員
になったと憶えているが・・ 』と語りかけると、次の言葉が返ってきた。
『自分は、当時の花の中卒で、地元の津上製作所に入社。同期の殆どが、
夜間高校に4年通い、高卒の資格をとって地方公務員に転職をしていった。
自分は消防署に勤め変え42年間、勤め上げた。』と、さらりと言った。
15歳で働きながら高校資格をとって地方公務員になり勤め上げるコース。
こういう人生もある。これまでの私の恵まれた?生活環境と、あまりに
掛離れた生活環境に、言葉が出なかった。地道だが、地に足のついた
恵まれた人生である。 問題は、自分の歩んできた人生を肯定できるか
どうか。消防士といえば、火事と救急救命の現場の仕事。そこでは、
様々な露出した人生模様が垣間見れる上、生き死にの瀬戸際に立ち合う。
小さな世界の安穏とした人生を根こそぎ否定してきたが、それも人生。
彼にとって、救急搬送と、消防は、生き死の境目の現場の仕事である。
何か世間とかに捉われていたのは、逆に自分ではないか? 日々、是、
目覚め。それぞれの人生を否定も、肯定もしてはならない!ということ。
数年後?には、私なりの結末(死)が待っている。 貴方もだが・・
 『ああ〜、面白かった!』と、心底から言えるかどうか。
そういえる背景には、いえるだけのエネルギー量が必要だが。
・・・・・・
4477, アベノミクスへの疑問
2013年06月19日(水)
 日本経済の危なさは、二年前の事業断念に至るプロセスで直接、肌で感じ
取っていた。ここでバブル経済とは、とんでもない誤りを犯そうとしている。 
「10年後に一人あたりのGDPを150万増加」など、方向は逆。
それも以前に放り出した元首相二人が恥ずかしげも無くである。
何人かの経済学者がアベノミクスに批判をしているが、円安、株高の現象の
前に表立っていない。 先日、図書館で借りてきた
「文藝春秋4月号に神谷秀樹のレポートーアベノミクス「危険な熱狂」ー
があった。ネットで調べたところ、これを簡略したブログの内容があった。
★ ーブログにゃんと〜 ー神谷秀樹『アベノミクス「危険な熱狂」』
              文藝春秋4月号の一部を抜粋ー
≪◎ アベノミクスを冷静に分析し「A=アセット(資産)、B=バブル、
 E=エコノミクス」と揶揄している人々がいるが、彼らのほうが正しい
 ことは、いずれ歴史が証明する。いま喜んでいるのは、バブルに乗って
 一儲けしたい投機家ばかりだ。「持続可能な経済基盤」を構築するものには、
 人口、中産階級の収益力、イノベーション(技術革新)、エネルギー価格、
 政府の健全な財政等々があるが、中央銀行はここに述べた経済成長の大きな
 要因のうち、何一つコントロールできない。
◎ 安倍政権は「市場にお金が不足している」と考えているようだ。
 だが、これは完璧に間違った認識、市場にはお金があり余っている。
 企業はもてあますほど現金を持っており、日銀の当座にも銀行が使い
 切れない「ブタ積」が山ほどある。 
◎ 株価が上がって投機家は喜んでいるが、何も企業の競争力が回復した
 わけではない。企業の持つ外貨資産の評価額が上がっているだけの話だ。
 (中略) 外貨建ての資産が評価益を出すということは、裏返せば円建て
 資産が、国際通貨のバスケットで見れば価値が目減りしていることになる。
◎2000年代初めから民主党に政権を譲るまで、
  自民党政権時に彼らが行なった不況対策は、
 ?「円安麻薬」で輸出ドライブをかけること、
 ?「契約社員化」で賃金を切り下げ、国際競争力を維持することだった。 
  しかし、この政策は完璧に破綻。
 「インフレを起こせば賃金が上がる、雇用が増える」というのは、
  全くのイリュージョン(妄想)で、「国際的に価格競争力を失ったのは
  円高のせいだ」というのもイリュージョンだ。 競争力を失った理由は、
 同じ質の労働に対する賃金が海外に比べ高い、製品の質の面でも優位に
 立っていないことだ。
◎「バブル崩壊の対策は新たなバブルの演出で」が正しい処方箋でないのは
 「失われた二十年」で学んだ筈だったが、実際には学んでいなかったようだ。
 ABEがバブルを大きく膨らませれば膨らますほど大きな破綻を日本に
 もたらし、その時はもう復活不可能なほどの致命傷となるだろう。≫
▼ グローバル化の中では、日本一国の金融緩和でコントロールが出来よう
 はずがない。アベノミクスは、一部の輸出産業と大手の金融機関がプラス
 になるだけ。逆にマイナスのエネルギーは、弱者を直撃する。
 二ヶ月前の地元の高校の同級会の当初からのメンバー20名をみると
 (5人が死亡)、この1〜2年で私を含めて6人が倒産、廃業、自殺、経営
 責任での辞任などで(半数近く)やられたことになる。そう遠くないある日、
 中国かアメリカの投機筋から、売りを浴びせられ株価が暴落するだろう。
 参院選前にもう一度、そして、参院選挙の後の秋あたり。
・・・・・・
4103, 閑話小題 ースローヨガ
2012年6月19日(火)
   * スローヨガ
 スポーツジムで週二回ヨガに参加して三ヶ月間、殆んど休まず26回参加。
ところが一月程前からオウム教の元信者の逮捕が相次いでいる。オウムはヨガ
教室を隠れ蓑に信者を引き込んでいた。それ以来、ヨガ教室のイメージが悪く
なり何処もピンチに見舞われていたが、時間と共に愛好者も増えてきている。
私の参加しているのは50人定員で、平均40人位が参加している。
これだけの数がエアロビの教室内で一同に会して暗闇の中で、ヨガのポーズを
とっていると不思議な感覚になる。 ヨガは回数を重ねるごとに、その空気に
馴染んでくる上、終了前の10分位の間、仰向けで大の字になって意識を
身体から出すイメージを持つ時間が良い。マントラの音楽を聞きながら、
全身から力を抜いて宙游した気持ちが何時までも続いて欲しいと思ってしまう。
それを利用してマインドコントロールをしたのがオウム教。俗世の汚濁に戻り
たくなくなるのも分かる。 毎朝、自転車で信濃川の二つの大橋を一周する
のを習慣化して三年目になるが、ヨガの世界に似ている。大手大橋で弥彦山
から米山までの100キロ近い展望の中、引きチャリをしながら半眼で、深呼吸
をして「地球の中心点を擬人化したX」と対話を10分近くしている。
それが、ヨガの最後の仰向けの瞑想?と似た感覚である。 精神的・肉体的
にもベストの経験を、毎朝のポタリングと、週二回のヨガで体験している。
早朝の農作業も、似たような気持ちになるのだろう。「ヨガは肉体も精神も
宇宙の一部とみなし、同化させる業」というところからみて、当然のこと
だろう。魂が現れ出るということか。
  * 日本の初めての流行歌は?
 近代的な流行歌第一号は「宮さん宮さん」だそうだ。明治元年・一八六八年
三月に薩長土肥の官軍が錦の御旗を押し立てて、東海・東山両道から江戸に
向かって進撃する道々うたったもの。したがって日本軍歌の第一号でのある。 
現代の流行歌第一号は、大正三年、島村抱月の芸術座が帝劇で上演した『復活』
の劇中歌「カチューシャの唄」。松井須磨子が舞台でうたって大ヒット、
翌年レコードに吹き込んだ。女優松井須磨子はまた流行歌手の第一号でもある。
流行歌のスタンダード・ナンパーとして、現在も広く演奏され、うたわれている
「船頭小唄」は大正一〇年ごろからはやったが、歌の大ヒットに目をつけた
松竹が、当時新人女優の栗島すみ子で映画化し、これも大ヒットし「小唄映画」
と呼ばれる流行歌の映画化第一号となった。他にの説が多くあるが。


6305,読書日記 〜『死の準備教育』 ー1

2018年06月18日(月)

             〜『死の準備教育』曽野綾子著より       
   * 死ぬまで5分間我慢する  
 曽野綾子女史の言葉である。死について数多の書物を読んできたが、
この一言は、「強烈」である。 たった、これだけのこと誰が教えてくれた?

【私は弱いから、暗示がよく効いたのである。私はいよいよ或る種の男よりも
強くなり、ますます、女らしくなった。何にせよ、いつ死んでもいいと思うこと。
死ぬまでに5分我慢すれば死ねる、と考えることは、私の精神の安らぎに役立った。
私はその5分間に決して平成ではあり得ないだうけど。】

▼ そうか、5分か! イメージとして、先だった家族に囲まれてボンヤリ
 消えていく。こらなら、イメージコントロールが出来る。面白そうである。
しかし、死期を悟って、最期の5分に至る道は地獄道である。煉獄といういう
のが、それだろうか? 恐怖心がつくり上げた究極の心理状態で、恐れて待つ
より、早く、その5分後先の安楽を期待する方が、気持ちは遥かに楽?
 生まれてきたからには、どのみち、死ななけらばならない。
どのみち、人生、プチッで、終わるのだから。 暗い? 暗黒の中心点を
凝視するしかない、この問題は。そうしないと灼熱砂漠の真只中で慌てるよ。
――
   
   * 死の果たす役割は、平等の『死』である
 死の清算があるからこそ、面白く、味が出てくるのである。死からすれば
全てが夢幻である。人生で、何が面白いかといえば、死ぬからである。その
当り前のことを、我々は忘れてしまい、無駄に人生を過ごす。
 勿体なじゃないか、など微塵も思わない。公平でないところが、奇妙?
【もし人間が平等であるとするならば、それを果たしているのが「死」である。
 誰もが一回ずつ死ぬのである。しかし、日本の教育は死を教えなさすぎた。
…戦争体験をした私は小学校のうちから、否が応でも毎日、死について考える
癖をつけられた。だが、戦後教育では死を考えることがタブーになった。
人が何歳までも生き続けることが医学的に目指すようになり、人が死ぬかも知れ
ない状況をつくる政治は「悪政」とみなされて、批判される。
今は死を覚悟しましょうというだけで、戦争を連想させるとか、貧困を肯定する
とか、批判が出るが、それがおかしい状態である。死は人間の運命であり、人間
の生きかたなんだから。】  

▼ 中学校の古希を祝う同期会で、司会で、「古希を過ぎると、背後にいる死神が
 前から迫ってくるとか云々…」を話していると、『3・10・60・27の法則』の
27%男が、『暗い!』の一言。ハイデッガーって何?は、60+27=87%の問い?…
メメント・モリは、ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」。
 【小説】「死を忘れるな」CommentsAdd Star
< イギリスの作家ミュリエル・スパークの『死を忘れるな』。
 登場人物の平均年齢が70歳代半ば以上という高齢者小説。それぞれのところへ
「死ぬことを忘れるな」という謎の電話がかかってくるが、対応はさまざま。
慌てふためく者、警察に訴えて犯人を見つけようとする者、そして穏やかに
それを受け入れる者。生きることは常に死ぬことと背中合わせになっている訳
だが、人生の真っ只中にいると、そういうことは忘れがちである。
だから、「メメント・モリ」。>
 72歳男の心象風景は、「同年代が4分1が亡くなり、残りの半数が介護。
とすると、健常者は8分3の世界」 死は、ある日、突然やってくるのではない。
「生/老/病/死」と、じわじわと前側から近づいてくる。近づけば近づくほど、
その影は色濃く迫ってくる。

・・・・・・
5573,突然、余命宣告を受けました ー
2016年06月18日(土)
            『あの世へ逝く力』 小林玖仁男著
   * 言葉のチカラが、心を救う
 言葉の力は絶大である。【心の傷を通して、あなたの優しさが沁みてくる】
死に直面したから、人と心の優しさを感受できるのである。死に対しても、
[正・中心・一点・無]に向合っていけば、無限の慈愛を得ることが出来る。
後ろ向きになるほど、恐怖心は大きく圧し掛かってくる。あの世に逝くのにも
力が必要のようだ。しかし、全身脱力で。
≪ 恐怖感が薄らいでくると、徐々に死の覚悟らしきものが見えてきました。
 それは友人たちをはじめとする多くの人の言葉に支えられた(ている)からでも
あります。濁流に呑み込まれそうな私を引き上げてくれ、どうかすると叫び
駆け出したくなるほどの際どい精神状態を、何とか押しとどめてくれました。
・「悪魔と取引してでも生きることを考えてみて」 友人。
・「父も間質性肺炎だったが苦しいのは最後の一週間。なら他の死も同じ」友人。
・「これからは、なるべく僕がそばにいて支えるようにします。それに小林さん
 からは、まだまだ吸収したいものがたくさんあるから、横で盗みたいんです」
                           知人の息子さん。
・「神社仏閣は、当時の陰陽師が決めたパワースポット、行けば落ち着きます」
 「我慢せず泣き喚いたほうが楽になる。私が手を貸しますから」ライフコーチ。
・「夕日の没れるが如し(万事休む時である)」鹿島神宮のおみくじ「凶」の言葉。
・「小林さんがどう死を達観しようが、僕はまだ認めないですから」大学の後輩。
・「大変なことがあると自分が大きく変われますよ」占い師。
・「ふるさとに行かれたことはとても良かうたですよ」占い師。
・「小林さんは新しいステージに立った。死を覚悟したから、生を大切に
  生きられます」占い師。
・「気持ちと、運気と、医療と、努力が整えば、より長く生きられます」占い師。
・「求めなさい、そうすれば必ず与えられます」教会の牧師。

・「笑えば必ず、病気は持ちこたえられます」ライフコーチ。
・「もう、ろくでないことなんか、なぁ〜も気にせんでよかと。たっぷり
 お金を用意して世界一周クルーズでも行ったらよか。ところで、死ぬにも
 お金がかかるけたい。あんた大丈夫?」博多の知人女性。
こういう言葉の全部が私を勇気づけ、奮い立たせ、「死の覚悟づくり」を
手助けてくれました。≫
▼ 父親は余命宣告どおり、一年で亡くなった。その間、自分の心と、母親を
 観察をしていたが、最愛の人とはいえ、あくまで他人事。その刹那さの一部も
引受けることなど出来はしない。そうと思わないと、精神のバランスを保てない。
子宮の管に巻かれ息苦しい苦痛の中から産まれ、最期も一人、管にまかれ七転
八倒の中で死んでいく。生まれるも一人、死ぬも一人である。最期の一週間は、
もう生きていたくなくなるほど、苦しめばよい。そう割切るしかない。
 元気な身体と、良好な精神状態で、出来る限り生きたいが、時期がきたら、
早々、逝くのも悪くない。40、50代で亡くなった人には、少し早めに逝かれたと
思っていたが、そうでもなかった? 当人にとって、丁度良かった? 
 偶然だが、で、以下に続く!
――――
5208,「自分」という言葉自体が「自然の分身」
2015年06月18日(木)
      『人はなぜ、同じ過ちを繰り返すのか』堤未果:佐治晴夫対談
 * 世界を通して私自身のことを学ばされる
    こだまでしょうか  〜金子みすず
< 「遊ぼう」っていうと    「遊ぼう」っていう。
  「ばか」っていうと     「ばか」っていう。
  「もう遊ばない」っていうと 「遊ばない」っていう。
   そうして、あとで さみしくなって、
  「ごめんね」っていうと   「ごめんね」っていう。
  こだまでしょうか  > 
≪ 佐治:人間という生きものは何か?の答えは自分で考えていても
 何も出てこない。「自分を包括する宇宙を知ることで、人間というのが
 見えてくる。 私たちは自分の顔を自分で見ることはできません。
 相手の顔は見えるけれど、自分の顔は鏡に映しても左右反対ですし、
 小さい粒子の集合体である写真がそのまま自分の顔だともいえない。
 だからあえていえば、私の表情は、あなたの表情のなかに見るしかない、
 ということになりますね。あなたの表情を見て、私の表情を推測している。
堤:相手がいてこそ、自分のことがわかる。鏡なんですね.
佐治:そこに宇宙の研究の目的があるというわけですね。繰り返しますが、
 自分のごとを知るためには、自分を包括している宇宙のことを知ること。
 それによって自分が見えてくる。それが宇宙研究の目的です。
堤:私は昔あたまでっかちな理想に燃えていて、国連で働いていたころは、
 いろいうな悪いものを排除したり、世界を転換させなければ平和はこない
 と思いこんでいました。でもジャーナリストになり、取材していくと、
 二人の人のなかにも善と悪が同じくらいあって、一つの国のなかにも
 善と悪があることに気づかされた。広く世界を見ようとするほどに、結局
 自分自身と向きあわされる。世界を通してじつは私自身のことを学ばされる。
佐治:当然ですね。それを数学の言葉でいうと、フラクタル(どんな微小な
 部分をとっても全体に相似している)構造だということになるのでしょうね。
 全体のものは自分という部分にすべて投影されているということ。世界って
 そういうふうにできているわけです。そうでなければ世界というのは物理的に
 存在しえない。木の全体像を考えれば、全部、Y字形の枝の分岐でできているで
 しょう。その分岐の仕方によって松の木になったり桜の木になったりしている。
 木をよく見ると、全体もY字形になっているし、枝も葉っぱもY字形になっている。
 つまり、全体というのは、部分のなかに投影されているというのが、数学的に
 見た世界像です。全体を見ることによって、自分がわかるということですね。≫
▼ 心の合せ鏡を持つ必要性をいっている。世界を、宇宙を合せ鏡にして、己を
 知ることだ。逆に、己を合せ鏡にして世界を見ると、歪んだ小さな自分の分が
 見えてくる。「こだまでしょうか」の、幼児の問いかけが、そうである。
 内語で、さて「遊ぼうか」と問いかけ、そう「遊ぼうか」と。
「今日は、寝てようか」といえば、「そうだ、寝てよう」と。
「俺って馬鹿か」というと、「つくづく俺って馬鹿だ」と返ってくる。
「これで良かったのかな」といえば、「今さら、仕方がない」と、ブツブツ。

・・・・・・
4476, 閑話小題 ーオノマトペ
2013年06月18日(火)
 6月11日のNHKの情報番組「クローズアップ現代」で、「にっこり」「ドキッ」
などのオノマトペの魅力を取り上げていた。擬声、擬音語には、その背後の豊か
な情報を伝達する力があるという。 ーNHKのHPによるとー
≪ 「ぐにゃり」に「ほっこり」。「ぱみゅぱみゅ」に「じぇじぇじぇ」。
 今、私たちの身の回りでオノマトぺ=擬音語、擬態語が急速に増えている。 
  放送では、
* トップスポーツの現場から。「“べちょべちょ”」「“ぬめぬめ”」
* 新製品の開発を模索する企業でも。「“ガシガシ”」
* ロボットの人工知能の研究現場まで、“どどどどっ”
 と熱い視線を集めているのです。人を引き付ける理由は、オノマトペが
持つ音の爆弾とも言われる、“ドキッ”とする力。オノマトペは、普通の言葉
とは比べものにならない豊かな情報量を持っていることが明らかになった。
言語学者は、「普通の言語では、そぎ落されてしまったものが全部、オノマトペ
の中に引きずり込まれて凝縮する。」 大手コンビニチェーン 広報
「“もちっと”ホットケーキや、“もちもち”くるみパンが、人気があります。」
商品名に、“もちもち”と付けると、売り上げが5倍に増える。そんな都市伝説
のようなうわさが、駆け巡っているという。大手コンビニチェーンの広報では、
「“ふんわり”とか、“サクッ”としていない商品は、比較的“もちっと”。」
おいしいを感じる言葉のアンケート調査でも、“もちもち”や、“もっちり”
がどんどん急上昇する一方で、“コシのある”や“舌ざわりのよい”は、
“ひゅるひゅるっと”急降下。短く直感的に伝わるオノマトぺがランキングを
席けん。オノマトペは、“パキッと”堅いイメージのある国会でも増殖・・ ≫
▼ 小泉元首相が、一言コメントで、国民の‘考えない層’の取り込みで世論を
 巧く誘導したが、「一言実感売り手コメント」とも言える。ツイッターの発信は、
現場感覚のオノマトペのようなもの。スマートフォン、タブレットの情報端末も、
現場感覚のオノマトペを親しみやすくしている。早朝の信濃川の土手の、ある場所
で「あ〜あ、清清するな!」と独り呟いているが、これも、それか。 変わった
スナックの名前に、‘ひとり静か’‘それから’‘そこ’‘どん底’などあるが、
オノマトペのニュアンスの店名が増えてくるだろう。で、「面白スナック名」と
検索したら、「まぬけ」「あくびちゃん」「夜光虫」「団地妻」「メロメロ」
「あんたが大統領」「スナックとしま」(池袋にある)「いい娘(こ)銀行」
「居酒屋どんぶり勘定」。 そこで考えついた面白いスナック名・・
{化け猫、寄生虫、からおけ音痴、娑婆娑婆、ここそこあそこ、ノミスケべイ}。
とっておきは、「ま、いいか!」以前、新潟駅前にあった? 
「へっくしょん」「ずぼずぼ」「プッツン」も? 


6304,閑話小題 〜鼻毛を毟り取る

2018年06月17日(日)

   * 鼻孔さっぱり、ノーズクリーン
 半年に一度ぐらい、スーパー床屋に行くが、座ったと同時に「300円で鼻毛を
取りませんか? 粘着ワックスを使って一瞬で鼻毛と角質を取れます。スッキリ
しますよ」と誘われ、300円ならと受けてみた。鼻の穴に少し温めた人さし指ぐらい
のジェル状の塊を入れられた数分後に一瞬で抜かれる。少し痛いが、耐えられる
範囲。で、成るほど鼻孔が、これまでと違う軽い感覚。 抜かれたワックスを
見せてくれたが、数ミリの産毛と角質がビッシリ付いていた。勧めの言葉とおり、
‘鼻孔スッキリ、これは良いわ’の実感。
 さっそくネットで調べると流行ってるらしい。ドラッグでも売っているようで、
自分でも可能。その夜半、寒さもあってか、夜半にクシャミの連発。鼻風邪か?
と思ったが、翌日には治まっていた。人差し指が届く範囲のため、奥の産毛は
残るため、チリから肺が守れるというが、寒さは無理ということ。
――
   * 野本恭八郎
 先日、<牧野の殿様、3万石の世界>のテーマで野本互尊翁について書いた。
戦前、父親が骨董商をしていた際に、津上退助と、野本翁の二人に気にいられ、
多くの骨董品を納めていたと聞いていた。で、ふと、二番目の姉の名が、「恭子」
私が「八郎」は、恭八郎から頂いたのでは?と、思い至ったが、如何だろう。
確か、家に彼の書画があった。父親から聞いてなかったが… 名前には、
様々な親の想いが込められている。フルネームは、最短の物語というが。
  〜ネットのコトバンクによると
【 1852−1936 明治-昭和時代前期の社会教育家。 嘉永5年10月24日生まれ。
 第六十九国立銀行取締役,新潟県会議員などをつとめる。互尊即独尊を説き,
大正4年長岡に互尊文庫を創設。昭和9年には日本互尊社を設立し,全財産を寄付。
昭和11年12月4日死去。85歳。越後(新潟県)出身。旧姓は山口。号は互尊。
【格言など】独尊は互尊と知れ,互尊は独尊と覚れ(信条)

・・・・・・
5937,閑話小題 〜4k8kテレビの世界 −7
2017年06月17日(土)
   * いま話題の「2k、4k、8kTV」とは何?
 家電チェーンのチラシ広告で目につくのが大型薄型TV、とりわけ4kTV。
その上に、4k有機TVである。去年暮れ、寝室に、その4kTVを購入して、
視覚世界が一変して現在に至っている。居間中心だった生活が、寝室に移動し
てしまった。「2k、4k、8kTV」とは何か、その「k」とは何かを検索して
デジカメで画面に使われている解析度「千」の省略用語「k」と、知った。
 〜ネット検索で調べると〜
≪ 現在、我々がみているデジタル放送は、フルハイビジョンといわれる規格で、
 解像度は1920×1080ピクセルで約200万画素相当。今、次世代の規格として注目
されている4K映像は解像度3840×2160ピクセル、約800万画素相当で、フルハイ
ビジョンの4倍の画素数からなり横方向の画素数が約4000ということから4Kと
呼ばれている。実はこの4Kのさらに先をいく、スーパーハイビジョンと呼ばれる
8K映像の研究が現在進められている。8Kは、現在のフルハイビジョンの16倍に
あたる7680×4320ピクセル、約3300万画素という超高精細な映像を実現します。
フルハイビジョンのテレビは、画面の近くに寄ると液晶のドットを視認すること
ができますが、8Kの超高精細なディスプレイではどれだけ画面に近づいても
液晶のドットがわからないほど精細です。そのためそこに映し出される映像が
あまりにリアルに見えてしまい、画面に映った映像と認識できないほどです。≫
 ―
▼ 7年前に購入したTVは、ハイビジョンだったので100万画素とすると、
 寝室の新たなのものは800万画素+40%アップしたもの。とすると、居間の
TVの10倍は鮮明な画面になる。これでは手放しで感動して当然である。
同級会で、それを説明すると、「その結果、何が如何、違って見えるのか?」
と、素朴な疑問。直感的に答えたのが、「大相撲のTV観戦を例にとると、
これまでは、土俵上の力士と行司だけにピントが合っていて、土俵周りまで
関心がいかなかったのが、観客のファッションとか、所作まで鮮明に見えて、
今日は、どんな人が、どんなファッションで、どんな連れと同伴しているか
などを見るようになった。個々が浮き上がって鮮明にみえる」と答えると、
納得したようだ。スマートフォンのカメラ機能で、画素の違いは判るだろう。
8kTVの一般の普及は、7〜8年先のようだ。ところが、今度は「4k有機TV」
が出てきた。8k並みの4kTVと、有機TVの話題は次回に… 

――――
5801,閑話小題 〜4k8kテレビの世界
2017年02月01日(水)
  * 冥途の土産に
・一昨年の暮れ、寝室にWoWoWの二台目契約をしたのと同時に、ブルーレイの
録画機を設置して一年。次は6年半経過したTVを思いきって買換え、はや一ヶ月
経過。居間から寝室にシェルター内の居場所の重点移動になる。一切、家内に
秘密で、新潟駅前の家電チェーンを含めて10軒近く、見て聞いた後、買換え
の結論を出した。少しでも家内に気づかれれば、瞬時に潰されるのは自明。
決めて納入までの罵声の嵐は覚悟の上だが、全身での罵声は覚悟としても、
やはり堪えた。敵は、この機会とばかりに普段の鬱憤を怒りこめてくる。
奥の間は、外界からの雑音が皆無ということも含め、そこは異世界である。
これをベッドでみた後、廊下を隔てた仏間のパソコン前と、居間に向かう時、
何か夢の世界から現実社会に、引き戻されつつ歩んでいる感覚になる。 
・20年以上、年末のNHKの紅白歌合戦を見ることがなかったが、早速、初めから
終わりまで、一睡もすることなく見てしまった。背景がデジタル映像を主体に
した世界に変っていた。
・更に大相撲初場所も、幕下上位から、打上げまで、ほぼ見ていた。 
最近に知ったが、これが8kの試験放送。いやに生々しいはず! 映し出される
力士だけでなく、観客の姿が立体的に鮮明に映し出される。服装、表情を見て
いるだけで飽きはしない。より立体的に、力士も行事も、砂被りの観客も、見る
ことが出来る。4kと8kの違いは、より鮮明に立体的に浮かび上がる画像の差。
・店頭の中年店員が「他は800万画素だが、これは2000万画素の異世界の映像
を映し出している」というのも実感できる。4k8kTVの情報は、東京の従兄が、
葬式で地元に来た時の通夜の席で、「別次元の明るさがあり、鮮明で、臨場感が
違う」と聞いた情報。
・そこで【長岡花火 2016】とYouTubeに入力すると… 過って見たことの映像
世界が次々と出てきた。見方によれば、現場で見るより、華やかさという面では
圧倒的に?まさっている。「4k・8k映像世界とは、これ」と現出された内容。
「人間の視力、聴力をデジタル技術で遥かに超える世界が、TV映像にも出てきた」
ということ。3Ⅾが最近、話題に上がらなくなったのは、対象が立体的になった
ためという。
・グーグルが、ストリートビューを美術館内の芸術作品で始めた。まだ出だし
だが、世界の名画が、パソコン、TVで本物よりも本物らしく映し出される時代
になった。8kの次世代の画面の段階に研究は進んでいるという。あまり長生き
をしたいと思わなかったが、ここで、少し気持ちが変化をしてきている。  

――――
5833,閑話小題 〜4k8kテレビの世界 −3
2017年03月05日(日)
   * 現在も驚愕の日々が続く 〜ドローンで空撮
 昨年の秋に東京の葛飾に住む一回り年上のカメラマニアの従兄から、
「4kTVと、ビデオカメラが如何に素晴らしいか」を教えてもらい、寝室の
6年半使用のTVを少し早めに買換えた。当然、さほど余裕がない立場の身、
家内からの激しいバッシングを受けることに相成った。 従兄が語った
「私は進行ガンで老老介護の日々。生まれるのが10年早かった。ドローンに
8kカメラをつけて、名所の自然を空中から撮ってみたかった!」という悲鳴
に近い口惜しさが直に伝わっていた。そこで一月かけて、4kTVとは如何なる
ものか、家電店を10回近く見て回った。特に「ソニーの‘ブラビア’は別次元
の世界に誘う。4kだが実際は8kに近いしろもの」という殺し文句を数人の担当者
から聞くことができた。 人間の視覚を遥かに超えた4k・8kの画面は、現地
で見るより数倍に視覚能力を持つ。 TV検索によるネットサーフィンで昨日、
行きついたのが、
<ハネムーンに400日! BBCも取り上げた日本人夫婦の仰天新婚生活>の映像。
 そういえば、去年の暮れに話題になりワイドショーで取上げていた。
  〜ネット検索によると〜
【 「一生分の夫婦の話題づくりをしよう」
 そんな一言から、ある夫婦の壮大な旅路が始まった。関西国際空港から飛び
立った2人は400日をかけて地球を一周、48か国を巡った。2人は自分たちのこと
を「ハネムーントラベラー」と呼ぶ。400日間の世界一周旅行は彼らにとっての
新婚旅行だったのだ。新婚旅行で世界一周というのもユニークだが、彼らの旅
にはもうひとつ独特な試みがあった。行く先々でドローンを飛ばし、世界各地の
名所の空撮映像をSNSで公開していたのだ。これをイギリスの国営テレビ局BBCが
報じたことによって、2人はいちやく有名人になった。千貴さんがネット上に
アップした一連の動画の合計再生数はいまや1000万回を超えるという。
400日間もの旅路は夫婦に何をもたらしたのか、そして夫婦を旅にいざなった
ものは何だったのか。2016年8月に日本に戻った。新たな生活を営み始めた2人に
話を聞いた。<ドローンから撮影した絶景はこちら> 】
▼ 従兄も、これを見たのだろうが、写真マニアなら実に無念のはず。
 私が50年かけて51回、合計延べ500日間、予算が3500万円。 
この二人は、予算500万で、400日。家賃3万円のアパートに暮らし、徹底した
節約生活を送り、2年でこの大金を貯めたという。それにドローンに4kビデオ。
何とも羨ましい限り。プログラマ―のため、仕事で路頭に迷うことがないという。
2人の行先の多くが重なる… 毎日、真昼間から寝室に籠り、異世界に入り込む
のも、変といえば変だが、それでも精神は異世界で羽ばたいている。
 〜で、再び、文脈が、去年の同月同日の内容に続く。

ー―――
5834,閑話小題 〜4k8kテレビの世界 −4
2017年03月06日(月)
   * 世界の絶景をドローンで空撮
 新婚旅行で行き先の絶景をドローンで空撮をしながらYouTubeに進行形で投稿
した録画の新鮮さが、バズって世界中で大ヒットした。ごく普通の人が、2年間、
節約した金で世界各地の絶景を空撮した切口と、絶景録画が何とも素晴らしい。
 数日前に、かつて録画していた世界絶景紀行のボリビアのウユニ湖の紀行モノ
をみた。ここで現地ガイドが、サービスの一つとしてドローンで空撮をした画面
をタブレットで、見せていた… 南米の僻地でも、時代の先端をいっている。
その録画から見える絶景が美しかったのに驚いた。YouTubeで検索で、出てきた
星座群と、湖面に映しだされた輝きはTVでも感動もの。4kビデオ+ドローンの
空撮は、空中からの自撮りも、空中探索も可能になる。
  〜2人のネット記事から〜 
【 ● 彼らの旅を彩ったのが、ドローンによる空撮だ。
 いまや旅人が自身の写真や動画をとり、SNSに投稿する行為は珍しくないが、
これほど大掛かりなガジェットを使うケースはなかなか稀有。ーなぜドローン
だったのかー 夫の千貴さん曰く、それは「たまたまだった」という。
「もともと考えていたのは、2人一緒に並んだ写真をいっぱい撮ろうということ。
世界の観光地の写真は綺麗なものがネット上にいっぱいあります。でも2人の
写真は僕たちにしか撮れないから、自分たちのために残したかった。でも旅行が
近づいたある日、YouTubeですごく格好いいドローンの空撮映像を観たんです。
それで、2人の記念撮影とドローンを組み合わせたいと思いました」
いまYouTubeに「ハネムーントラベラー」と打ち込むと、千貴さんと真理子さん
が撮影した数多くの映像を視聴できる。映像の始まりは、どれも仲睦まじく並ぶ
2人の姿から。ドローンが空高く上昇するにつれて2人は小さくなり、やがて息を
のむような絶景があらわになる。千貴さんは「正直なところ、行く先々で撮影した
映像をネットに投稿していればバズるかなー、なんて気持ちもありましたけど、
BBCにとりあげられて、世界中の人に見ていただけるなんて想定外」とはにかむ。
  ● 2人が旅から得たものは?
 ドローンを持参したことで、確かに2人の旅はより実りあるものになった。
例えば、通常の視点では気付けない風景を知ることができたという。…(略)
上空から見ると、二つの川の水の色がぜんぜん違うのです。些細なことですけど、
すごく得した気分。また、ドバイの人工島を空撮した時のことも忘れられません。
パームとはヤシの木のこと。この島はヤシの木の形をしていることで知られて
いるのですが、自分の目でそれを確認することができました。上空から見ない
とわからないことって、意外とあるんだなと気付けたんです」
 また、ドローンを通じて、地元の人々と交流を深められたことも貴重な体験
だった。ドローンの映像には、さまざまな人々に囲まれる2人の笑顔が映っている。
千貴さんは「地域によってはドローンを見るのも初めてという人もいて、撮影を
していると珍しがってくれました。ドローンのコントローラーには空撮している
映像をリアルタイムで確認できるディスプレイがついているのですが、
『自分たちが住んでいる場所を初めて空から見た!』と喜んでくれたんです」と。
 そして、ドローンを使った一連の経験は、千貴さんに新たなキャリアを提示
している。BBCにとりあげられて以来、世界中から映像作家としての仕事の
オファーが舞い込むようになった。ニューカレドニア、タイ、南極、日本国内と、
最近の仕事だけでも多岐に渡る地域を股にかけている。記者が取材した当日も、
「明後日からまた海外に出発です」ととても忙しそうだった。

▼ ドローンの空撮も、4kビデオも、カメラもデジタル技術の飛躍的進化の
 結果である。ますます空撮などの面白いのが世の中に溢れることになる。
この5〜6年、週一度はシネマ館に通っているが、これも特撮などデジタルの
進化で圧倒的に面白くなっている。それを最大限に利用して楽しめるのも時代
からの贈物。ハリウッドの連続モノドラマ『CSI』に、サイバー犯罪シリーズ
があるが、近未来の世界の先取りで面白い。 長年かけ培ってきた感謝、感動の
受信能力がデジタル技術で拡幅してくれる時代! それこそ有難いことだ。
〜 で、偶然、「黄金の時間をデジタル化して伝える」という文脈として続く。

ー―――
5835,閑話小題 〜4k8kテレビの世界 −5
2017年03月07日(火)    
     < 体感!グレートネイチャー!「奇跡のビッグウェーブを追え!
           〜アメリカ ハワイ〜」(BSプレミアム)2月25日21:00
  * ビックウェーブのド迫力
 映し出される映像の圧倒的迫力に魅入って自分に、「いい歳をして、何を
しているのか?」の内なる言葉は軽く打ち砕かれる。ムササビスーツを着て、
頭の先にビデオカメラを装着してムササビのように滑空する録画や、大津波で
流される街の衝撃的映像を見るにつけ、魔物に憑かれたように冷静に見ている
自分に驚かされること屡々である。
 大空に展開されるオーロラや、アフリカのサバンナの野生動物の生死をかけて
生きる姿は、現地でないと分からない。 が、現在のデジタル技術は、それを
カバーするところがある。その一つが高さ20mのハワイの巨大サーフィン! 
色々な撮影手法で迫力ある波間の一瞬を映しだす。ハワイには、様ざまな要素
が重ねって神秘的な大波が打ち寄せる!
  〜NHKの説明では〜    
≪・ハワイ・オアフ島ノースショア。真冬になると巨大波が押し寄せる海岸線。
 20mもの波はエメラルド色の分厚い壁。重低音を響かせて白砂のビーチで
砕け散る。取材班は熟練のサーファーとともに、巨大波を追跡。目の当たりに
したのは高さ15m、5階建てのビルに匹敵する巨大な波。キラキラと輝きながら
刻々と形を変え、まるで生きたガラス彫刻のようにうごめく。 
 波の先端が丸まって円柱型のトンネルが形作られる「パイプライン」。
その内側の世界を熟練サーファーに取り付けた小型カメラで写し取る。
・なぜノースショアには大きな波が到来するのか?ハワイ諸島の空と海を縦横
無尽に探索し、たどり着いたのはホットスポット型噴火によって点々と並んだ
ハワイ4島の絶妙な位置関係。日本の嵐に端を発した波が、巨大波となって
たどり着く奇跡的なメカニズムだった。今までのグレートネイチャーとは一線
を画す、清涼感あふれるエンターテインメント大作。巨大波が放つ圧倒的な
自然美をたっぷりと体感する。≫
――
▼ サーフィンに魅入られ移住してきた父親と息子。父がパイプラインの中を
 サーフィンする一瞬を撮影する。本人の頭にはカメラがある。その迫力ある
映像の世界は見ている者にも共同体験の錯覚をもたらす。去年あたりから、
メガネ型動画プレイヤー が家電店頭に並ぶようになったが、これが次世代の
バーチャルの世界? あと10年、生きたくなってきたが… 3年間に圧縮可能?
 もっとも、今どきのハリウッド映画の世界は、バーチャルそのもの。
「達磨さん、ちょいとこっち向け、世の中は、月雪花に酒に女だ」の禅言葉が
あるが、毎週、異次元世界を見ているのに、今さら何を? 
 …で、次は「パンプローナの牛追い祭」 その次は、「リオのカーニバル」
「イグアスの滝」「グトルフォスの滝」「イスラエル巡礼の旅」。 …行って
見てないが、「メッカ巡礼」の集団礼拝が面白そう。 
  <行ったつもりの世界異境の旅>のテーマがコンセプト?


6303,映画鑑賞 ―『終わった人』

2018年06月16日(土)

   
    * 終わった人 −3
 今日のシネマ観賞は、『終わった人』。期待してなかった分、面白かった。   
評価は85点。『終わった人』が、終われなくてジタバタする63歳男の物語。
屋内犬から屋外犬、そして野良犬への生き方にギア・ダウンしていくのは、
非常にエネルギーを要する。群れを性分としてきた人たちの、定年後の私生活に
戸惑うのは当然。しかし、その時節到来は当初から知りえたライフワークの要。
当然、出世コースから外れた時に、価値観の転向を図り、重心を趣味に移行する
か、新たなビジネスに切替えるべきであった。長期戦略が持てない故に、転籍
させられた意味が理解できなかった。 次の問題は、「終わった後」の人生設計
を自らたてれるか、実践コントロールが出来るかどうか。 群れの生活から、
個(孤立)の生活に徹し楽しめるかどうか。この物語は、群れ犬から、孤独犬、
野良老犬への転換の失敗物語。面白いといえば面白い。東大出のエリートの
首輪と、紐を引きづり露頭を迷う姿に、まずは連合いに嫌悪される。
 個々の定年後の準備が、どの程度かは知らないが、サラリーマン系には、
準備が無しが多いみたい。月一に、何処かのスナックか、居酒屋に示し合せた
OB会が必ずあるという。こういう手合いの群れである。現実に溺れ、毒された
御犬様が、突然、一匹狼になって戸惑うのは…自然の理。 
深刻なのは「人生、如何に生きるべきか」の基礎知識部分不足と、小金の有無。
孤独・孤立レッスンの有無になる。群れたままも、また良し。それが彼らの
全世界のため、これはこれで。
  〜あらすじ 
≪ 定年後の人生のすごし方を考えさせられる小説である。
 主人公の田代は、大手銀行の子会社専務として63歳の定年をむかえた。
最終日のチャイムが鳴ると、花束と記念品の祝福を受けたあと、最後の日だけ
の黒塗りのハイヤーに乗りこみ、全社員に見送られながら会社を去った。
 定年退職したらのんびりすごしたい、という人もいる。しかし、田代は会社人生
に悔いが残っていた。彼は東大法学部を卒業し、日本を代表するメガバンクに入行。
39歳で最年少の支店長に抜擢され、その後も銀行で順調に出世してきたが、49歳の
ある日、子会社への出向を命ぜられた。「1〜2年で本部に戻ってやる!」と必死に
業績をあげたが、2年後、51歳のときに「転籍」を言われた。「転籍」とは、親会社
を退職して子会社の社員になることだ。これで本部にもどる可能性がゼロになった。
このまま社員30人の雑居ビルの子会社で会社人生を終わる、と考えたとき、ああ、
俺は「終わった人」なのだと、頭の中が冷たくなった。それから12年。田代は、
「俺は定年の日だけではなく、毎朝夕、黒塗りに送迎されるべき人間だった」との
思いが捨てられないまま定年の日を。経済的に余裕はあるものの、まったく心の
準備ができていない。しかも、身体はまだまだ元気で、時間だけはたっぷりある。
ここから主人公は、絵に描いたような定年退職者のコースを歩む。
まず、妻に旅行を提案して「そんなに長い旅行はつきあえない」と断られる。
(田代の妻は、43歳でヘアメイク専門学校に入り、今は活き活きとヘアサロン
ではたらいている) 歩数計をつけて公園を散歩するが、どうにも楽しめない。
かといって「ジジババが集まる場所」と勝手に思っている図書館やカルチャー
スクールに行くのはプライドが許さない。… ≫

▼ 以下の担任の先生の方が、遥かに深刻。魂の悲鳴である。親は親、子は子だよ! 
 20年ぐらい前に毎朝、土手で自転車に乗りながら、ブツブツ話す、20歳前後の変
な人がいた。後から自転車に乗りながら、聞こえよがしに、『俺は、じいちゃん、
ばあちゃんに潰された。畜生、俺の人生を返してほしい。何とかしてくれ!』と。
 このエリートコースを歩んだ主人公は、真逆で、40代後半まで順調だったが故
に深刻である。新潟駅前でビジネスホテルを30年間、経営をしていたが、二年に
一度あたり、自殺者が出る。当事者として、自殺原因が警察から知らされるが、
燃え尽き症候群の中年が… 人生は、私たちの全く知らない世界を、現に、見る
ことが出来る。現実に溺れた人たちは、悲惨である。
 
以前、こんなことを書いていた。 そこの「サイコ」ちゃん、聞いてる?

――――
2006/05/26
つれづれにー俺に人生は無かった!
 湯沢のイナモト旅館が自己破産をしたと先日の新聞に載っていた。18年前
に中学校の担任の定年祝いを兼ねた同級会を泊り込みで開いた老舗料理旅館。
40歳代前半の同級会が一番良いと聞いていたが、なるほど普段出たことのない
東京に住んでいた面々が5~6名出席をした。総勢25人、丁度総勢の半分が
出席をした。社会的にも、家庭的にも人生のピーク時で大いに盛り上がった。
その東京の在住のうち3人が、7~8年前に癌で亡くなってしまった。
 その時、担任の先生が翌日の長岡のスナックで、
「自分の人生は無かった!」と深刻な顔をして言われた。
(以前にも書いたが)一番寂しい言葉である。
「両親が現在も90歳近くて矍鑠としていて、全てを支配されていた人生。
俺の人生は無かった。本当に辛い!」と。
 60歳直後の鬱病は人生で一番キツイとは聞いていた。そういえば、
亡き義父が鬱病になりかけたのを助けたことがあったが、60歳になると歪み?
が出てくるようだ。私のように元々歪んでいる?と歪みようがないが…
 還暦になってみて、なるほど色いろの問題がシワ寄せに重なるものと思い
知ったが、欝などはほど遠い状態である。 この10年、我武者羅に生きてきた。
綱渡りで生きてきたから‘そう’いう悩みに、ただ驚いてしまった。
――
2013/08/16
閑話小題 ―悲しい酒!
何回か書いたが、先年に亡くなった中学校の担任の先生が
 定年退職時の同級会の二次会での対話。
《「堀井よ、俺の悩みを聞いてくれ! 俺には俺の人生が無かった。
  両親とも教師で、当たり前のように教員になった。現在、両親とも90歳
 近くでカクシャクとしているが、定年をむかえた今でも監視されているよう
で生涯を通して自立できなかった。何時も自問自答で『私自身の人生は無かった
のでは?』が付いてまわり現在に至った。 あるのは二人への憎しみだけ。
この苦しみは並大抵でない・・ 》
 初老性鬱症の典型事例。 赤ら顔をして、一人合点で自分の成功物語を信じて
疑わない「あの方たち」こそ、「つまらない人」。自分の姿が見えてないため。
欝になるには、それなりの多くの原因がある。 先生にとって両親は、「影」。
人生には、それぞれの現象、節目がある。それは、多面体であり、光の当て方で、
白にも黒にも、黄金にも変わりうる。中学の担任は、初老性鬱症もあって、
影両親の価値の刷り込み 牢獄の捉われに、気付いただけ。両親の過剰な愛の
牢獄から逃れるためには、自分で作り上げたライフワークを持つべきであった。
その世界は、その加熱から自身を守ってくれる。 そのことに気づく教養の蓄積
が足りなかっただけ。 それでも、気づいただけでも、良かった。 少くとも、
群て慰め合っている「あれらより」遥かにまし。 先生の両親への憎しみは、
ポンティーと、その師のフッサールがいう <考えないでしまったこと>が問題。
自分の人生の節目での選択、それも極限での選択が無かったが故の苦しみである。
避けて通っていたのである。ある意味で、万人が抱えている深刻、かつ根源的
悩みになる。それすら分からず紋付袴の紋章を競っている、それも人生だが。
 「つまらん男、それは私」と、つくづく実感している。 が、日々が、面白い!
――――
2016/08/18
終わった人 −1
         <『終わった人』内館牧子(著)>
 これは、アマゾンのHPで見つけた本。リタイアをした身にとって、
『終わった人』の内容は、身にしみる。団塊の世代が、この数年で大量に
職場から押し出され、『終わった人』になっている。 まだ終わってない、
その端にいる人ほど一歩先に終わった人に言い放ちたい言葉でもある。
還暦ならいざ知らず、古希も過ぎれば、何をいわれても馬耳東風。
まだ若いと思っているのは自分だけ。老兵は、ただ黙って去るのみ。
恵まれたサラリーマンほど、節目の切替が難しい。
  〜アマゾンの内容説明より〜
≪ 銀行の出世コースから子会社に出向させられ、定年を迎えた田代壮介。
 仕事一筋だった彼は途方に暮れる。妻は旅行などに乗り気ではない。
図書館通いや体を鍛えることは、いかにも年寄りじみていて抵抗がある。
職探しをしてみると、立派な職歴が邪魔をしてうまくいかない。
妻や娘は「恋でもしたら」とけしかけるが、気になる女性がいたところで、
思い通りになるものでもない。惑い、あがき続ける田代に安息は訪れるのか?
  〜アマゾンのビュアーの声より〜
《 何と云っても、タイトルが秀逸。長い人生、生物的には最期の時まで
「終わり」はないはずだが、「社会的には」確かに終わった人は年々増えて
いるし、殆ど全ての人間は(自分も含め)そうなることを改めて教えられ、
身に沁みた。「散り際千金」「散る桜残る桜も散る桜」(2頁)と考える田代
壮介、49歳で子会社に出向、51歳で転籍、63歳のとき年収1,300万円で退職
(あと二年働けたが、そうすると6割近く下がる)、保有資産は現金で
約1億3,600万円(275〜6頁)の「卒婚」(358頁)物語。
(しかし、こんなに恵まれたサラリーマンなんて、そうそういないでしょう)
★ 卒婚とは 離婚との違いとしては、夫婦の関係を断ち切るのではなく、結婚
という形を持続しながら、それぞれが自由に自分の人生を楽しむ、という前向き
な選択肢。 必ずしも別居ではなく、同居しながら卒婚というスタイルも有りうる。
  〜印象に残った箇所〜
「もし、私が田代さんのお部屋に泊まれば、あとは別れるか、愛人になるか、
 結婚するかしかありません。男と女になれば、十年も二十年ももつ関係が、
 半年や一年で終わります」              (217頁)
「あんなにきれいな人だもの、今に誰かと結婚してトシは捨てられるわよ」
                           (239頁)
「恋? お前も情けないものと比べるね。あんなものは十代でも二十代でも、
 生きてるついでにするものだよ」           (252頁)
「「先が短いのだから、好きなように生きろ」ということなのだ。嫌いな人
 とはメシを食わず、気が向かない場所には行かず、好かれようと思わず、
 何を言われようと、どんなことに見舞われようと「どこ吹く風」で好きな
 ように生きればいい。・・ これは先が短い人間の特権であり、実に幸せな
 ことではないか」                  (287頁)
「今後、介護やあなたの世話をする気はない。
 でも、離婚という形は取りませんから」       (292頁)
「将来を嘱望された男ほど、美人の誉が高かった女ほど、
 同窓会に来ないというのはよくわかる」       (314頁)。
「思い出と戦っても勝てねンだよッ」  (319頁)
「思い出と戦っても勝てない。「勝負」とは「今」と戦うことだ」(333頁)
「僕が笑うと、久里も笑った。きれいだった」     (366頁)。
▼ 産業廃棄物の典型的な人物描写である。第一の人生をソツなく卒業すると、
 こうなるのだろう。学生時代の友人が、いまだに、関連会社の社長に、
しがみ付いている。曰く、『何もすることがない事が恐ろしい!』と。
それも良い人生かも知れない。 『日々、是、口実』よりも? 
「終わった人」ならまだしも、「いらない人」になっていく私? 
で更に、内館は、『必要のない人』という本を書いている。 ったく!

――――
2018年06月02日
終わった人 −2
   * 終われない群像
 一昨日の朝、NHKTVに内館牧子が出演して、映画の『終わった人』について
感想を述べていた。昨日、行ったシネマで、その映画の予告を流していた。
まあ、シリアスで内容は濃い。
 〜内容は二年前に、この随想日記で取上げているが…
【東大法学部卒で大手銀行に勤め、役員レースの手前で出向に出されて定年を
迎えた男が主人公。仕事一筋で生きてきて、終わりを迎えた男のあがく姿を…】

▼ 今さらだが、私自身、27歳で事業を立ち上げ、40年近く、自由気まま?に
 生きてきた。会社清算とはいえ倒産は倒産。万一を考え、シェルターを用意
していた為、最悪の事態を避けることが出来たとしても、「終わった人」。
 で何が悪い!と、自分に尻をめくってみても、何の不具合も利点もないし、
ただ、それだけ。 一般的に「終わった人」は定年になる。 

「自由ほど、不自由はない」をドップリと味わうしかのが宮勤めの性。
じゃあ、如何すれば良かったか? それを認識するしかないのである。現実は!
  内舘は、戸惑う彼らについて、
《まず「終わった人」を認めなくては! 東大出とか、一時はエリート社員
 だったとかを、過去と認めて、再出発しなければならないのに、その逆を
求めている人達。同級会に久々に参加して、美人も不美人も、秀才、鈍才も
横一線になった姿を見て、このテーマを思いついた。》という。
 
 終われない人たちの物語だが、居酒屋、スナックには、その哀れなが一群が
スーツにグリーンか、赤いネクタイをして、過っての仲間の噂話に花を咲かせる。
要するにゾンビの一群。 世間人のなれの果ての哀しき地獄絵。自分の多くが、
重なるから、シリアスに見えるためだが。 二年前の感想文を読返してみて、
成るほどと… 最後の最後は、いや、最期の最期は、自分一人である。
 昨日書いたパタゴニアの初老の言葉、夜這いする御婆さんを取上げ、
「寂しいのよ!」の言葉が、再び過ってきた。こんなもんだよ、世間とは!
と薄ら笑っていられないだろう。

 ホームレスは、普段は寝っ転がってはいない。只管、歩いているという。
――
自問自答: これまで歩いてきた? エッ小走りで? どこに? 忘れた? 
何を? 自分さ。 自分って何さ? そうか、私の、いやアナタの自分は世間様
だもんな。それがどうした。だって、他の世界を知らないからね。それで良いの!
それが全世界だからね。 薄っぺらと自覚しているの? 知るわけないでしょう。
ゾンビは互いに対話、いや会話が出来ないの。だから生きていけるじゃないか?
知ったふりして、知らないのが仲間だもの。 成るほど、終われないはずだ!
◉ 熊、寅: おい! ワシらをおいて自問自答するなよ。出番がないじゃないか。
 大家: お前らが相手に出来る相手じゃないよ。この時ぞと、何を言いだすか? 


6302,閑話小題 〜牧野の殿様、3万石の世界

2018年06月15日(金)

  
    * 図書館開設100周年 
 この日曜日の選挙の帰りの道すがら、中央図書館に立寄ると、図書館前と、2f
で、幾つかのイベントが…。野本互尊が私財を投じた図書館(互尊文庫)の開設
100周年記念の催事。何気なく、2Fの『江戸時代の長岡』の書画が展示してある
会場に入ってみたが、当時の殿様の作品が数多く並んでいた。もう見る機会も
ないだろうと、1時間ほど見てきた… 城下町に歴史あり、なかなか趣があった。
大手通り、城下町、殿町、台町と現在も当時の町名が残っているが、その具体的な
街が拡大された鳥瞰図が生々しく当時を偲ばせていた。
 大座敷に数多い家臣が頭を下げる前に、殿様らしき人物の絵。そして、何人かの
牧野の殿様の姿絵が、遠い江戸時代を「現代」に蘇らせる。確かに長岡藩3万石
の城下町が過ってあったことが、家臣の日記的記録などで生々しく鈍よりと浮び
上っていた。 まだ何処かで、きっと戊申戦争が続いている? 
 ところで、河井継之助は今でも評判が悪いという。当然、長岡藩氏は逆賊と
して虐殺。
 ネット検索で、河井継之助が残した言葉を綴る。
 ――
◆天下になくては成らぬ人になるか、有ってはならぬ人となれ、沈香もたけ屁も
 こけ。牛羊となって人の血や肉に化してしまうか、豺狼となって人間の血や肉
 をくらいつくすかどちらかとなれ。
◆人間というものは、棺桶の中に入れられて、上から蓋をされ、釘を打たれ、
 土の中へ埋められて、それからの心でなければ何の役にも立たぬ。
◆人というものが世にあるうち、もっとも大切なのは出処進退の四字でございます。
 そのうち進むと出づるは人の助けを要さねばならないが、処ると退くは、人の
 力を かりずともよく、自分でできるもの。拙者が今大役を断ったのは退いて
 野におる、ということで自ら決すべきことでござる。天地に恥ずるところなし。
▼人間万事、いざ行動しようとすれば、この種の矛盾が群がるように前後左右に
 取り囲んでくる。大は天下のことから、小は嫁姑のことに至るまですべて矛盾
 に満ちている。この矛盾に、即決対処できる人間になるのが、俺の学問の道だ。
◆何でもよい、一つ上手であればよいものだ。 煙草延しでも、上手でだければ
 名人といわれる。これからは何か一つ覚えて居らねばならぬ。
◆一年も居馴れてしまえば、ちょうど冬の寝床のように自分の体温のぬくもりが
 江戸という寝床に伝わってしまう。 そうなれば住みやすくはあるが、物を
 考えなくなる。 寝床は冷ややかなほうがいい。
◆不遇を憤るような、その程度の未熟さでは、とうてい人物とはいえぬ。


▼ 時の伝聞の、それは生々しく現在でも聞くに堪えない話が多々ある。

 「八十里 こし抜け武士の 越す峠」 は、生々しい。
司馬遼太郎の数ある名作の中で『峠』の名作で世に知られるようになった人物。
中途半端の彼の態度が多くの藩士を死なせたのは万死に値することも事実。
家族は、居た堪れなくなって、地元から姿を消したとも聞く。 
 戊申の役、長岡空襲と、戦争に巻き込まれ、焼かれた苦い経験の傷跡が、
今でも、間違いなく残っている。まあ、縛られるは仕方がないことか?
この城下町、重い何かを直感するから、アウトサイダーでしか、私は生きられない。
 
・・・・・・
5205,個々にとっての人生は、永遠である!
2015年06月15日(月)
      『人はなぜ、同じ過ちを繰り返すのか』堤未果:佐治晴夫対談
  * 自分は自然の一部分である
<生まれる前の記憶がなく、一人称(自分)の死をみることが出来なければ、
その人にとっての人生は最初も、最後もない「永遠」ということかも知れない>
といいうことは、各自の人生は、永遠の時空の中の一点の光ということになる。
それからして、「自分とは、自然の中の一部分」が、論理的に納得される。
≪ 佐治: メリカのネイティブの考えている神はキリスト教徒とは違って、
 神道というか、わたしたちの感覚に近いです。彼らは、人が死ぬということを
「姿はなくなったけれど、鳥になったりしている。いまはたまたまこういう
 姿になっているが、魂は不滅のものだ。だから死を恐れることはない」
 という。川は先祖の血液なのだとか。どれも自分の体の一部として自然
 そのものと一体になっているんですね。
堤:「自分は自然の一部だ」と感じると、死が怖くなくなると?
佐治: と、いうことでしょうね。彼らも人が亡くなることはもちろん悲しく、
 みんなで弔いをするけれど、死は人間の姿をしていたことへの終結宣言で、
 次があるということです。・・
堤: 私は父の死を前にしたときは、なかなか受け入れられませんでした。
佐治: いままで息をしていた人が、姿はそのままだけれども息をしていない。
 モノになってしまったというのは、なかなか受け入れられないものです。
 自分で自分の顔を見ることができないように、人は自分の死を見ることが
 できない。見ることができるのは、他者の死だけです。となると、誕生前の
 記憶がないとすれば、その人にとっての人生とは、初めもなければ終わりも
 ない「永遠」だということになるのかもしれない。しかも、その人が残した
 ものは、現世の人々によって引継がれて?それが人生というものなんでしょう。
佐治: 世のなかは対極のものからできています。「生きるとはどういうことか」
 を知るためには、「死ぬ」ことがどういうことか知る必要がある。
 対極から考えていかなければわからない。死を知るには、じゅうぶん生きて
 みないとわからないと、いうことですね。先ほどもいいましたが、他者の死と
 身内の死では感じ方にものすごく落差があるので、身内の死を経験していなけ
 れば人への慰め方もわからない。悲しんでいる人には、ただ黙って寄り添う
 しかないでしょう。寄り添うことが究極の愛ですからね。何もできない自分は
 無力ではあるけれど、相手にただひたすら寄り添うことはできますよね。 ≫
▼ 死とは、「生前の状態に戻ること」を知れば、さほど深刻になることもない。
 だからこそ、生きているうち、一期一会で生きなければならない。
「自分は(自)然の一部(分)である」であるならば、自分の死、個々にとって
の人生は永遠だが、小さな入替わりでしかない。真剣に考えても考え損になる?
としても、考えなければ、そのことさえ気づかず終えてしまう。ふぅヾ(´ε`;)ゝ

・・・・・・
5935,閑話小題 〜「翔猿〈とびざる)」とは
2017年06月15日(木)
   * なんとまあ、上手い命名のこと
 新十両に(岩崎改め)翔猿〈とびざる)が昇進した。小柄で曲者の特徴を
一言で、「翔猿」とは、さすがである。一度聞いたら、二度と忘れないほどの
四股名。うまく命名できれば四股名でも人気度が違ってくる。この四股名で、
「宇良」並みの、人気力士になる可能性を予感できるのは何故だろうか。
 これに匹敵する「宇良」の四股名を考えてみた。「麗」もいいが、「宇良良」。
これは、春うららを感じさせるキャラをイメージして。この裏の受けを狙って、
「猿飛」も悪くないが、二番煎じの感がするが、話題になり、これも強烈。
遠藤が「清水川」と予定されているというが、爽やかなイメージの「春風山」
も悪くないが、強そうではない。「地雷也」「五右衛門」ぐらいでよい。 
 新潟出身の「小柳」が、「豊山」の四股名になったと同時に大負けをした。
先代と先先代のヤワなイメージで、取組相手の方が勝ちそうな感がする。
 エジプト出身に「大砂嵐」がいるが、これは上々の命名。
昔、「岩風」という小兵力士がいたが、低い姿勢でもぐり込んでシブトク
勝ちをとる戦法だった。鏡餅のような腹の「鏡里」という横綱がいた。
 四股名こそ、広告代理店に頼んで貰えばよい。
何といっても一番は、本人の精進による実績もあるが、「大鵬」。
ところで白鵬は、柏戸と大鵬の「柏」と「鵬」をイメージで、「拍鵬」
では面白くないと、「白鵬」に落ち着いた逸話がある。これも本人の
実績もあって、ベストの部類。 
いま思いつたのが、『一撃』。相手にとって嫌なイメージになる。
  いや、小さいから、一撃でやられるか?

・・・・・・
5570,突然、余命宣告を受けました ー
2016年06月15日(水)
            〜 『あの世へ逝く力』小林玖仁男著
 図書館の「返却コーナー」で、<あの世へ逝く力>というタイトルの本に
目が吸寄せられた。この数日、歌舞伎役者・海老蔵の妻の進行性乳癌が
報道されていることもある。70歳をこえた我身にとって、いつ何時、余命宣告
をされても不思議でない。 「まえがき」冒頭から、死に直面した著者の悲鳴
が、そのまま、言葉に転換されている。24年前、これに近い経験をした。
 将来が突然抉り取られたような絶望と恐怖感は思い出すのも憚れる。
以下は、まさに同じ感覚。特に、夜半の布団での恐怖は! 天国も地獄も、
まさに現世にあった。ここで、「時計の針が、未来ではなく終りを刻み始めて
確実に分かったことがあります。」と、実感そのままを述べている。そこで、
死に物狂いで天国巡りをして、地獄1つに、天国3つの割合にもっていくしか
なかった。 死が現実問題になると、火事場の馬鹿力が湧出てくる。で、ホテル
を過剰投資を楽しみすぎて、在庫オーバーの遠因をつくったオマケもついた。 
  〜その辺りから〜
≪ ある日病が発見され、突然、余命宣告を受けました。通っていた糖尿病
クリニックでのレントゲン検査で、「肺が黒い」と言われ、大学病院を紹介され、
ここで「間質性肺炎」と診断されたのです。肺壁が壊れていき、呼吸をするのが
困難になっていく病。助かる見込みのない進行性の難病。早ければ二年半ほどで
死に至ると知りました。混乱の中、私はペンを執って、心の動揺をそのまま書き
取り始めました。メモをとったり書いたりするのは得意な作業。
手を動かしていれば気が紛れる…。何よりも、そうしなければ精神のバランスを
保てなかったからです。最初に聞かされた医師の話や、それに対して自分が
どうショックを受けたかということも、思い出せる限り書きました。・・(略)
 時計の針が、未来ではなく終りを刻み始めて確実に分かったことがあります。
「漠然」と流れていた日々の時間が、突如、「凝縮」した時間へ転換したのです。
限られた時間をどう有意義に過ごすかを真剣に考え、自分の人生を満足するもの
にどう仕上げるか、そのことにのみ神経が集中していきました。これだけは
やっておきたいこと、何が何でも叶えたいこと、どうしても欲しい物、最後に
行きたい場所…。時間が無い、失敗できない、という緊張感の中で、優先課題が
はっきり見えてきます。死に方を考えるとは、生き方を考ることでもあります。≫
▼ 数年前に、近所の家内と親しかった友人が、この病気で亡くなった。
 家内が参列した葬式の主人挨拶が壮絶。 故人が呼吸困難になって、、
『オトウサン、苦しい、助けて!』と、泣き叫んでいたが、何もしてやれない
ジレンマ。 何度か、夢の世界に没頭し、呼吸困難になった経験があるが、
呼吸困難の苦しみと恐怖は並大抵でない。誰もが通らなければならない死に際
の断末魔の苦しみ。遠くない将来、私も通らなければ道、恐ろしい限りである。
 この恐怖感があればこそ、以来、40回の秘境・異郷旅行と、この5570回の
随想日記を続けた原動力になっていいた。 何せ、誰もが直ぐに死ぬのだから。
「いま、ここ、わたし」を生きなければ! 生まれてきた甲斐がない。

・・・・・・
2014年06月15日(日)
4840,閑話小題 ーワールドサッカーのジンクス
  * 3964の法則なら、今年のW杯優勝はウルグアイ!? 
 ワールドサッカーにも多々、ジンクスがある。先日、TVで“3964の法則”
を紹介していた。そこで、ワールドサッカーのジンクスをネットで調べてみた。
●《 “3964の法則”では、優勝はウルグアイ
 4年に1度のサッカーの祭典には、2回以上優勝した国の優勝
年度を足すと「3964」という数字になる都市伝説が存在する。
この「ワールドカップ 3964の法則」
サッカーワールドカップには3964のジンクスというものがある。
ワールドカップで過去に優勝した国は、過去の優勝年の年度と
現在の年度を合計すると3964のジンクスになるという有名な法則である。
アルゼンチン:1978+1986=3964   ブラジル:1970+1994=3964 
ドイツ :1974+1990=3964         :1962+2002=3964
                     :1958+2006=3964
さらに「2002年日韓共催ワールドカップ」の決勝戦が開催れた日産スタジアム
のブラジル代表の控え室に使われた部屋のホワイトボートにはそこに戦術が
かかれたとともに 3964−1962=2002と残されていてブラジルの優勝年が、
その年。2002年ワールドカップは3964の法則により自分達が勝つという事。
この控え室とホワイトボードは現在でも大切に保管されている。
さて2014年はワールドカップ開催の年だが 法則に従うと3964−2014=1950。
1950年のワールドカップは 1位ウルグアイ 2位ブラジル 3位スウェーデン 
4位スペイン。このチームのどれかが優勝となるのでは?と予想されております。》
●《 数々あると言われているワールドカップのジンクス。前回大会で、
 スペインが優勝し歴史的快挙ともいえるほどのジンクスを打ち破ってくれた。
 例えば有名どころでいうと…
・欧州以外で開催されたW杯は南米勢が優勝する
・1962年以来、欧州勢と南米勢が交互に優勝している
・圧倒的な優勝候補は優勝できない などなど。
 しかし、それでもいまだ破られていないジンクスは多数あります。それは…
・欧州勢と南米製以外でW杯の決勝に進出した国はない
・北中米・南米のW杯で欧州勢が優勝したことはない
・前年度バロンドールを排出した国は優勝できない
・コンフェデ優勝国は翌年のW杯で優勝したことはない  》
▼ 面白いが、昨日はスペイン対オランダ。一昨日は、ブラジル対
 クロアチアを観戦。今日はイタリア対イングランド戦と、日本対コート
ジボワール戦をTV観戦予定。日本は、FIFAランク46位。
コートジボワールは23位で、決して甘い相手ではない。
・・・・・
4473, 閑話小題 ースポーツジム、500回
2013年06月15日(土)
   * スポーツジム、500回
 スポーツジムに通い始めて2年2ヶ月あまり経つ。数日前に、フロントで
「今日で5百回になります」と言われ、幾かの選択制のサービス券を貰った。
上京などの小旅行以外と公休日の金曜以外は、ほぼ毎日通ってきた結果である。
噂話に余念のない‘砒素の塊のような口煩そうな御婆さんを数人見かけるが、
「平日昼の5日間コース}ということもあり、中年主婦と、スナックなど夜間
の商売とみられる人が中心。ランニングマシーンとサイクリングマシーン
50台と、エアロビ、それと円座でインストラクターのもと12名が各種
マシーンとステップ台を交互にこなすイージーラインと、30種類位の
マシーンのコーナーと、プールと、サウナと風呂、マッサージルーム、
ロビーが組み合わされている。地元では、私が通っているホリデイが最新の施設
で、一番の人気。月20日、年間240日弱位として、二年二ヶ月で500回。
若い女性のインストラクターの明るい声の中でのイージーラインや、ヨガに
参加しているだけで、気持ちが明るくなる。近くに丁度よい施設がタイミング
良く出来たもの。一回のヨガだけで千五百円の価値を実感、月に9回としても、
充分に元を取っている。月に六千円、日にすると三百円は充分価値がある。
午後に、人に干渉されることなく、一人で行って、幾つかをこなして、
気ままに帰ってこれるのが良い。私にとって理想的システムといってよい。
 スポーツジム、土日と夜に会員が集中するので、平日の昼は老人と主婦にとって、
楽々と長時間滞は在しても問題ない。アメリカから来たシステムだろう。
家内の新潟の友人は、10時にオニギリを持って出かけ、16時まで滞在する。
光熱費は節約できるし、毎日リゾート地にいるようだと。私は平均二時間が目安。
軽く会釈する人が数人だけ。
 地元にはスポーツジムは、ホリデイ、カーブス、ルネッサンス、NASなどがある。
駅前のヨーカ堂のスポーツジムは、女性用のイージーラインだけを絞ったのも
あるようだ。家内は週二日、イオン内のSJにバスで通っている。一度、生活圏
から出れるのが、良いという。砒素の嫌な視線を何度か感じ川西のジムにと、
見学に行ったことがあった。ガソリンだけでも一万はかかるので、
決心出来なかったが。

・・・・・・・
3733, 閑話小題   
2011年06月15日(水)
  * 衣替えのアイロンがけ
 この時期になると、半袖のポロやTシャツなどを箪笥から出して、アイロン
かけをする。(家内は一切無視? ったく!) 風呂敷から出して、新鮮な空気
に触れさせ、霧吹きで水分を含ませアイロンを軽くかけると、見る見るうちに
シャツが姿を変える。無機物のシャツが、あたかも生き物のように変わるから
面白い。人の手を入れると元気になるのは植物やペットなら、尚のこと。
新鮮な空気、水分、熱など自分自身に我々は入れているだろうか?。 
それだけではない、知識も入れ替えをしないと。「新婚さんいらっしゃい」
というバラエティーで、夫はアイロンがけが趣味というのがいた・・ 
それって、奥さんがするんじゃ?
  * ハイボールの語源
 日本では、ウイスキーのソーダ割りだけをこう呼ぶのが一般的。 
もともと、あらゆる酒がベースで、ソーダやトニックウォーターなどの炭酸飲料
や、水、フレッシュジュースなどアルコールの含まれていない飲料で割ったもの
をハイボールと言う。語源について諸説ある。
<1> 開拓時代のアメリカで、蒸気機関車による長距離移動のときに、途中で
  水の補給のための停車の際、棒の先にボールをつけたものを掲げて合図した。
  そのときに、ウイスキーのソーダ割りのサービスがあったことが、語源という。
<2> 同じく開拓時代のアメリカにて。当時鉄道ではアドバルーンのボール信号が
  一般的に使用され、ボールがあがっていれば go、あがっていなければ
  don't go 。 当時は、インディアンの襲撃が頻繁にあり、そこまで行って
  よいかどうかの判断もあった。
  その無事に感謝をして水で割ったウィスキーを飲んだのが語源とか、
  他に炭酸の泡が揚がっていく様から「ボール信号」という説もある。
<3> イギリスのゴルフ場のカウンターでウイスキーを飲んでいた人が、
  急に自分の打つ順が来たことを知らされ、そばにあったソーダにウイスキー
  をあけ飲んだところ非常においしかった。そこに、たまたまハイ・ボールが
  飛んできた、それが語源だという説。早くいえば、ハイボールは 
  「飲みやすいカクテルの代名詞」。サントリーが数年前から角瓶との組み合わ
  せの「角ハイボール」を大々的に宣伝を始めた。人気の背景には飲みやすさに
  加え、老舗企業の戦略もある。それにしても、イメージ広告に人は弱い。


6301,閑話小題 〜トラ金劇場 〜米朝首脳会談

2018年06月14日(木)



   * 何か変で、チグハグな
 一昨日、閑にまかせてTVで見ていたが、 何だろう? 終わりまでチグハグ
した感が免れない。トランプはトランプ。ロシアに支援をもらって大統領になった
クワセモノが何をしても、こんなもの。あと1〜2年先に政治生命があるかなしかの、
呆け老人。中国、ロシアから入知恵された北朝鮮の思うまま。どこの誰が、核放棄
をする訳がない。その逆に、アメリカが、見逃すわけがない。短期政権と判断の上、
空約束をすればよい。相手は70歳のボケ老人。
 まずは目先のアメリカの攻撃を回避すればよい。トランプは国家最優先より、
白人第一主義者。その男が「極右を政権中枢に集め、いざ戦争!」に怖気ついた
兄殺し、叔父殺しが、中国、ロシアの忠告で、目先を乗越えようとした茶番劇。
それをシビアな金融機関が気づいており、株式、為替相場は、冷ややかな反応。
 北朝鮮は、何時ものプロセスを踏むことで何とかしたが、これで済むわけがない
のは、周知のこと。韓国首都圏の人質(2560万)をとって65年。朝鮮戦争で
400万の死者、これは人口の2割になるというが… それが、いまだに続いている。
中国、ロシアからすれば、脳梗塞状態のアメリカの国力を更に削ぐ機会到来である。
逆に恐ろしい日々が、続くことに。全ての核施設、核ミサイルの位置情報の提出を
求める中で、必ず行き違いが出て、仲たがいで、戦争突入の道筋に入る可能性
が高くなったとも考えられる。夜も寝れなかったという、韓国大統領の恐怖は
如何ばかりか。東京も火の海の可能性があったが… 数百、下手をすると1000万
単位の死者の可能性があるから、それはそれは。
 ――
熊: 面白かったね。大家さんからの下知識があったからね。
寅: トランプ劇場だが、北朝鮮もしたたか。数回にわたり、交渉を重ねて
  徐々に締付けを解除するというけど… そうアメリカも甘くないさ。
大家: 交渉が出来ただけで、今回は良しとしなければ。その前に、TV電話を
  していた」というじゃないか。北からしたら、目先、大成功さ。顔を合わ
  せれば、鬼でも蛇でもないことが分かるし。
八: 表立つと、北朝鮮の疲弊とハリボテが露わになるし、北も大変だよ。
  酷い虐殺と粛清が表立ってくるしね。何が体制保障だよ。
寅: 韓国民の恐怖の辛さも解るよ。とにかく、目先、安泰のようだしね。
熊: この方が危ないってのは俺だって分かるよ。これで「少し安心していい」
  など、絶対ないね。俺だっていいこと言うだろう。
八: 誰かの受け売りだろう。新幹線内で、また無差別殺傷事件があったろう。
  あの男と、北が重ねって見えてさ。孤立してさ、自らを追い込まれ、最後は
  野宿して、情けないけど、独りで死ねない狂った男。実兄と、叔父と、旧来
  の身の周りの人達を粛清し、独り怯える姿は同じじゃないか。殺傷対象が、
  関係ない、一般の国民とね。
寅: 今度は自分が粛清されるかの疑心暗鬼が独り歩き、ますます怯えるさ。
  二回、三回と交渉を重ねるうちに、亀裂がワニの口のように大きく開いて、
  内部が動揺をきたす。とにかく、金も食料も燃料も底をついて、ササクレ
  立っているだろう。アメリカだって、ここは緩めないで、締付けを強めるさ。
大家: 一番、怖いのは、軍事クーデター。自分たちは必要なくなるだろうし。
  それと、粛清さ。とにかく末端兵士の食料が無いんだもの。そりゃ怒るさ。
八: アメリカの戦術は、締付けを解除しないで、ゆるゆるしながら、自壊を
  待つこと。そうだろ、ハリボテだからさ。風雨になれば、その正体が暴露
  されるしね。中国も、あの男を見限っているし。だから、危険度が増した
  ことになったということ。 それとトランプも異常だね。
  ロシア疑惑を大統領特権で恩赦も… とか言いだした? このままじゃ、
  無理だが、朝鮮成敗で恩赦もと見えみえの… まあ今日は、この辺りで。

・・・・・・
5204,教育には「驚き」と「なぜ」が必要
2015年06月14日(日)
    『人はなぜ、同じ過ちを繰り返すのか』 堤未果:佐治晴夫対談
「驚きを立てよ」と、検索を入れたところ、二番目に10年前の私の文章が
出てきた。最後にコピーをするが、成るほど、ネットの世界は恐ろしい。
この文章を書き上げた後に検索したが、前だったら、書かなかっただろう。
以前の内容より、今回が劣って? 書き残しておく秘儀をつくづく実感する。
 * 教育には「驚き」と「なぜ」が必要  (゚Д゚`*)エ〜[なんでぇ!?゚Д゚@)
堤:「氷が解けて水になった」というのが正解で、「氷が解けて春になった」
 がバツになったという話と似てますね。
佐治: 結果だけを重視するのではなく、そこに至るプロセスを加味して判断
 することや、まず相手を受け入れることが大事だと思いますね。
堤: だとすると先生がやってらつしやる宇宙物理学や科学の世界は、
 まさに驚きの連続じやないですか。
佐治: 科学は、「驚き」と「なぜ」です。しかし、「なぜ」と問う前に
 「驚き」がないと科学にならない。いまの親御さんたちは、「なぜ」に最初に
 答えてしまいます。たとえば、きれいな虹を見たときは「わあvきれいだねえ」
 とまず驚いてほしい。それが教育。教育というのは子どもの「なぜ」に火を
 つけることです。本当にいい先生というのは、懇切丁寧に中身の解答をその
 まま教えることではなく、子どもの心に灯をつけることだと思います。
 灯がともれば、ひとりでに燃え続けます。
堤: 先生は、いまの教育には「なぜ」と「驚き」が減っているといいました。
佐治: 教育には、まず「なぜ?」と疑問をもつことが大切です。
 たとえ人にみかんを二個ずつ、三人の人にあげるには、みかんは全部でいくつ
いるでしょう」という問題。普通は「2×3=6」という式で答を出しますが、
ある子は「3×2=6」と書いてバツになり、それが原因で登校拒否になって
しまったという例があります。そこで「どうして3×2にしたの?」と訊いたところ、
「みかんを二つずつあげるのにA君、B君、C君が待ち遠しいといけないから、
とりあえず一人に一戸ずつあげた。それを二回繰り返したから、3×2の式にした」
といいます。やさしい子でしょう。それが学校では間違いとして処理された。
プロセスというのは、考え方の道すじで、それが正しければそれはそれでいい。 
 ・・・(略)
佐治: これまで行なってきた小学校での特別授業を通して感じていることは、
 小学生の感覚はまだまだすばらしい。手遅れになっていません。これが救い。
しかし、中学生になると、とたんにおかしくなる。
堤: 十二歳くらいまでは大丈夫ですか。小学生はまだ、体を使って遊んだり
 しますが、中学に入るとそれが減っていきます。それと関係がありますか?
佐治了体が先か、脳が先かという問題になるんですが、最近の脳科学の立場から
 いえば、体が先だと考えられています。眠らなければ眠らなければと心で思う
 よりも、横になって寝る体制をつくることによって眠りに入りやくなる。
 脳は、そのようにできでいるのだそうです。体が先だということですね。≫
▼ ネット辞書で『驚き』を検索すると、< 予期しない事態の突然の出現に
 伴う強い一時的情緒。プラトン (『テアイテトス』) とアリストテレス
(『形而上学』) は,驚きから哲学が始るとした。デカルトは驚きを基本的6情念
の筆頭におき,他のあらゆる情念に先立って起り反対情念をもたないものとした
(『情念論』) 。> また、< 驚きとは、動物が予期しない事象を体験した
ときに起こる瞬間的な感情をいう。驚きには好ましいものも好ましくないものも
ある。むしろ、怒りや恐怖などの爆発的な感情変化を、分類する以前の状態が
驚きかも知れない。驚いた状態をびっくりしたという。>ともある。 以下参照!  
 以前も現在も、我ながら真面目?なものである。 驚いた!  (゚Д゚`*)エ〜
――――
2005年03月26日(土)
1453, おどろき、そして感動
 「考えるにはどうしたらよいですか?」という純朴な問いかけがある。
この問いかけに対して、いずれの哲学書にも
「おどろき」が「考える」突破口になると書いてある。何でもないことの中にも
新しい発見を見つけ驚くことがその出発点。驚きは、そのまま感動につながる。
その感動が人生を動かす。仏教の教えの中に「驚きをたてよ」という言葉がある。
この言葉は、考える、生きるという面で深い意味がある。歳を重ねると、多くの
ことを経験しすぎて驚きが少なくなる。しかし、歳をとって解ったことは
「驚きが桁違いに多くなった」ことである。知れば知るほど、その周辺に
知らない発見が増えるからだ。驚くということは、未知・無知の分野に果敢に
挑戦して新しい何かに衝撃を覚えるということだ。それと未知なるが故の不意打ち
が驚きになる。 そして、それが考えにつながっていく。無能の人は、何を見ても
聞いても驚かない。驚く素養がないのだ。 いや思い込みというバカの壁が
取り囲んでいる。破れている太鼓が音が共鳴しないのと同じである。
隣の太鼓の音にもよい太鼓は響くが破れ太鼓は実際に叩いても音が響かない。
驚きには、その皮の張りが必要である。世界を旅をすると、驚きに満ちている。
そして、その深い世界に感動をする。こんな世界があったのかと、内面が爆発
しそうなほどの感動を数知れず経験する。そして対象にのめりこんでいく。
人間は感情の動物といわれる。たしかに理性的な部分が人間たる所以だが。
人間を突き動かすエンジンのはたらきをするのが感情である。 感情は
・おどろき ・愛 ・憎しみ ・喜び ・悲しみ ・欲求の6つから
成り立っている。他の感情は、この6つの感情の組み合わせでしかない。
希望はー>喜び+欲求  ねたみー>愛+悲しみ この感情の中で「おどろき」
は一番の根本にある。未知なものに不意に直面した時に、こころは変容する。
その変容の状態そのものが「おどろき」である。おどろいて呆然と立ちすくむ
状態である。おどろきは、最も原始的な感動である。おどろきは未知なものが
現われた時、それを説明できない不思議を自分に知らす。
正も反(喜びに対して悲しみ)の感情も越えた「おどろきの対象」に対して、
説明できる必要性が出てくる。おどろきは未知に対する無知に気づき、
知的探求を刺激する。あるイベントの会場で、BOSEのコンポを聴いた時に
思わず立ちすくんでしまった。聴いたことのないような音響におどろき、何回か
足を運んで聴きなおした。こんな小さなコンポから、こんな音が聞こえてくる
のか不思議でたまらなかった。そこで係り員から説明を聞いた。パンフレットを
見て、その原理を知って、知人から情報を得て、インターネットで検索をして、
購入に至った。会場で聴いた音に対する、おどろきと感動が出発点であった。
そして、なぜ、どうして?と、その理由を探していった。昨日も早速、音楽に
対する本を二冊買ってきた。 三枝成彰の「音楽の本」と、「CDクラッシク
の名盤」である。一流なものに接して感動と驚きをシャワーのように
浴びなくてはならないのだ。以前にも書いたが、親は子供に感動とおどろきを
シャワーのように与えなくてはならない。躾と、最高のものを知らしめる
ことが家庭教育の基本である。おどろきを得るためには、3C-チェンジ、
チャレンジ、コンペティションがキーワードになる。
挑戦しろ、変化しろ、そして戦えである。
・・・・・・



6300,読書日記 〜『こんな長寿に誰がした!』 〜2

2018年06月13日(水)

             『こんな長寿に誰がした!』ひろさちや(著) 
   * 「超高齢社会」の病巣
 100歳以上の老人が増加している。しかし、寝たきりにしろ、元気なら尚のこと
周囲は大変である。私の兄・姉が私を含めて9人いた。 そのうち存命が5名。
相方の存命が3名。存命平均年齢が80歳と相成った。末っ子の私も、あと2年半で
後期高齢者の仲間入り。私の鬼門が、この辺りと想定しているが…。
 ライフワークの海外ツアーも、70歳が大きな関所。体力の限界である。
私の弱点は腰痛だが、先回のツアーで限界を実感した。
この年齢で驚いたのが、好奇心が全く衰えないこと。見聞きする何もかもが
面白くて面白くて… 。のんびり、ゆっくり、退屈など、ほど遠い日々。
これを書き続けてきた効用だろう。私たちは老いるにつれ、周囲に迷惑をかける。
それと「しょぼくれ」が、日々増していくことを自ら知る必要がある。我身を
整えるため、少しキツメな日程を組み、フル回転?の日々を過ごしているが、
このまま続けると「死ねない病」に陥る可能性がある。
 もう健康年齢の平均値に到達した。何時、寝込んでも不思議でないが、相方は? 
甲斐甲斐しく介護をするタイプでないから、明るい未来は待ってない。逆も有り
うることを微塵だに考えられない。とはいえ、残された健康年齢のうち、生き
きることしかない。
 週5日のスポーツジム通いも、週3〜4回にし、遠くない日に、止めないと、
「死ねない病」になる可能性がある。「死ねない病」の老人が「散歩好きが
悪かった!」と、後悔する話から、底知れない老いの恐ろしさが垣間見た。
死ぬことは恐ろしいが、老いて生きることは更に恐ろしい。 としても、生きて
いる限り、良いこと3.良くないこと1 のバランスの維持は可能だ。
私には、6300の書連ねたブログと、ネット写真集と、4000曲の入ったiPadがある。
それと面白可笑しい笑い経験と、感動体験の行蔵が… 
  ったく、最期は自画自賛かい!
 誰が自分を肯定してくれますか。 孤独は最高の友人。私は、過去に書連ねた
文章が、その時々の永遠に垂直に立っていた心情が…。老いるほど、過去という
友人が増えていく。それにしても、悪い実例が多い。私も含めてだが、好い加減に
生きてきたからだ。その「好い加減」が大事のこともあるから一概に言えないが。
 10年前から、歯医者を除いて、一切、行かなくなった。そこから見ると、血圧が
幾つとか、血糖値が幾つとかの雑談から、何だろう?この人達と… 未病まで
わざわざ穿りかえして。毒(薬)を飲まされてと。そうでしょう。「老いたら、
さっさと死んだら!」とも言えないか。日本だけだよ、一般の人まで一般検診
するなんて国は! チューブに繫がれて、薬づけにされ、死ぬに死ねなくなるよ。
何が「百歳、おめでとう」ですか。「90歳過ぎたら死に損ない」が、現実と、
著者が言いたかったことは! 辛いけど、これが現実。あのトランプを見れば
分かるでしょう。老害では済まされないでしょ。側近も含めて。先が無いのが、
世界政治の決定権を持つなど、もってのほか。本人たち以外に気づいているが、
当人たちは、微塵の自覚無し。60歳過ぎたら、未来を託す政治から排除するのが
自然でしょうが。他人事でなかったから言えること。あなたも、私も老害なの!

・・・・・・
5203,人間だけが、教育されなければならない動物
2015年06月13日(土)
       『人はなぜ、同じ過ちを繰り返すのか』堤未果:佐治晴夫対談
 「大地震で森からサバンナに追いやられたサルが四足か二足歩行に進化。
その結果、産道が狭くなり、未熟児の状態で出産。外敵から身を守るための
教育をしなければならなくなった。」という、論旨が面白い。
  * 人間だけが、教育されなければならない動物
≪ 佐治: あるとき、いまのアフリカあたりに、これまでなかったほどの
 大地震が起きました。いまもその痕跡が残っていて、隆起した山のあいだが
陥没して平原になっています。山に吹きつける風は上昇気流になり、雨が降って
山の森は豊かに保たれました。一方、陥没した部分には雨が降らしてカラカラの
サバンナになった。そこにいたサルさんたちは、さあ困った。いままでは木に
登って、遠くを見渡しながら、おいしいものがないか、危険な動物が来ないか
見ていられたのに、カラカラの草原になってそれができなくなってしまった。
 その結果、いつしか、遠くが見通せるように四本足から二本足になって立ち
上がりました。すると身体の背骨の上に頭がのる形になりますから、重くて
大きい脳を獲得できるようになり、人間になったのです。(註)
 ところが、二本足で立ち上がったことから骨盤の広さが70%ト狭くなった。
頭の大きい赤ちゃんを産めなくなり、自然分娩ができなくなります。
そこで人間は、未熟児のまま子どもを産まざるをえない宿命を背負う。
サルは生まれたばかりの赤ちゃんでも、自分で立ち上がって、お母さんの
おっぽいを飲めるけれど、人間の赤ちゃんはお母さんのサポートなしでは
何もできません。つまり、カントがいうように「すべての哺乳類のなかで、
教育されねば一人前になれないのが人間である」ということになります。
だから学校がある。小学生には「それが、君たちが学校で勉強しなくては
いけない理由です」としめくくりました。
<(註)アフリカで、800-1,000万年前に大地溝帯の活動が始まり、周辺に高地や
山脈を含む隆起帯が形成されたことにより、大西洋側から大陸東部に湿った空気
を運んでいた赤道西風がさえぎられると、大地溝帯の東側は徐々に乾燥して森林
が衰退し、やがて草原に変わっていった。森林に住んでいた多くの類人猿は、
この環境の変化に適応できずに絶滅したが、ヒトの祖先は樹上から地上に降りて、
直立二足歩行に移行した。すなわち、乾燥化によって木と木の間隔が広がった
ことにより、木から木への移動を行う際に地面に降りる必要が生じ、ついに
直立二足歩行を獲得した、とするものである。>
▼ 現在では、専門学校・大学を含めると8割が20歳過ぎまで親の庇護が
 必要となる。乳ばなれが出来れば目出度いが、そうはいかないのが人間様。
担任の先生が定年の年のクラス会の二次会で、この歳で、両親が90過ぎても
矍鑠として、自分を見守っている。これほど辛いものはない」とノイローゼ
気味に語っていたが・・ 趣味の世界があれば悩みが半減したのだろうが。
20歳頃に、自分の人生デザインを持てたかどうかが豊饒の人生か、そうで
ないかの大きな分れ目になる。今はネットがあり、情報は手軽に入るし、
趣味の道を深耕するのが比較的恵まれている。要は、意思するかしないか。

・・・・・・
4838,Quirt <内向型人間の時代> ー5
2014年06月13日(金)
              <内向型人間の時代> スーザン・ケイン著
   * ソフトパワー
 国にも、個人にも、内向型、外交型がある。さしずめ、江戸時代は内向型
国家の典型。そのため、鎖国の時代は、江戸文化という円熟した時代でもあった。
そこに外交型国家・米国の到来で大きは節目を迎え、近代国家へと歩み始める。
アメリカのカレッジで、白人系と東洋系の学生の差異に、そのまま見てとれる、と。
東洋系の持っている内なるパワーを「ソフトパワー」と、捉えている。  
   ーそこで、「ソフトパワー」をネットで検索するとー
《 ソフト・パワーとは、国家が軍事力や経済力などの対外的な強制力によらず、
 その国の有する文化や政治的価値観、政策の魅力などに対する支持や理解、
共感を得ることにより、国際社会からの信頼や、発言力を獲得し得る力。
対義語はハード・パワー。 ・・・ジョセフ・ナイはこのソフト・パワーによる
対外政策の重要性を説く上でブッシュ政権や、その中枢を占めたネオコンという
勢力に対し、客観的に評価または批判をし、軍事力や経済力など強制力の伴う
ハード・パワーにのみ依存するのではなく、アメリカの有するソフト・パワー
を活かすことの重要性を唱えた。  ・・ナイは、ソフト・パワーを構成する
要素を掲げている。ひとつは、その国の有する文化である。その具体的な例と
して文学や美術、高等教育などのエリートを対象とする高級文化や大衆の娯楽
などの大衆文化が挙げられる。ナイはその国が有する文化の価値観に世界共通
の普遍性があり、その国が他国と共通する利益や価値を追求する政策を
とれば、自国が望む結果を獲得することが容易となるとし、一方で偏狭な
価値観に基づく文化では、ソフト・パワーが生まれにくいとする。・・ 》
  ーこの著書のソフトパワーの説明箇所から抜粋ー
《「ソフトパワー」、教授はそれを「火ではなく水によるリーダシップ」
 と呼んだ・・ 「アジア文化では、自分が欲しいものを得るために、しばしば
微妙な方法を使います。それはつねに攻撃的とはかぎらないが、けっして
ぶれない巧みな方法です。 最終的には、それによって多くを達成します。
アグレッシップパワーは相手を打ちのめすけれど、ソフトパワーは相手を
納得させて味方にしまいます」・・ ソフトパワーの実例とはどんなものかと
尋ねると、彼は目を輝かせて、アイデアと心をパネにしている人々のことを
話しだした。たとえば、各種の雇用者団体のまとめ役をしている人々―彼らを
達成するために、力学ではなく信念によって人々を結集してきた。
また、飲酒運転根絶をめさす母親の会は、カリスマ性ではなく思いやりの
パワーで世の中を変えようとする人々の集まりー そうした人々は自分の
メッセージを伝えるのに十分なコミニケーションスキルを備えているが、
本当の強さはメッセージの内容にある。 》
▼ この図式は、都会と、地方の関係と同じ。しかしアメリカを例にとれば、
 そのソフトパワーは、ハードパワーと同じぐらいに、充実していることは、
インターネット先進国ということからも垣間見ることが出来る。現役の時代は、
 パワーソフトの占める割合が高く、御隠居は、ソフトパワーに比重が移動する。
そのソフトは、長年の蓄積が必要。そのためにはハードパワーも必要である。
私のソフトパワーの蓄積は、数十年続けてきた、一日2〜5時間の読書。
 最近は、読書からネットとパソコンに比重が移動しているが・・ 
この二年間、スポーツジムのヨガに週二回、参加しているが、これは、
ソフトパワーそのもの。

・・・・・・
5933,閑話小題 〜三種類のアラブ人
2017年06月13日(火)  
       <「人間の目利き」 曽野綾子:吉村作治>
          〜アラブから学ぶ「人生の読み手」になる方法〜
  * 三種類のアラブ人
 先週のシネマが、数年前にあったテロを扱った <パトリオット・ディ>。
キリスト教圏のアメリカ社会のイスラム教徒によるテロ事件の実録的物語だが、
アメリカの白人社会は、思いの外、深いプロテスタントの国。黒人だけでなく、
アラブ人は、最下層の人たちと蔑まされている。アラブ人が、欧米社会内で
不平を持つのは当然で、前提が違うのである。、
≪ 吉村: アラブに住む人間には大きく分けて、
 ・アラブ人と、
 ・まったくアラブ人じゃない人と、
 ・アラブの人じゃないけれどアラブに入った人の三種類がいる。
アラブじゃないけど、アラブ人になるためイスラム教を信仰し、同じ
アラブ語を使って人間は、アラブ人同士より、少し信頼度が低いが、
仲間に入れてもらえる。
 アラブの社会では同胞、同法に準じる者、異邦人の3種類しかいません。
異邦人には厳しいルールをつくって対処するのです。それは敵として見て
いるのです。かといって、敵だから殺すというのではなく、敵の中でも、
こっちよりと、全くの敵と区別をしてつきあう多角的な対応です。
しかし真の情報を流すのは同胞に準じる者までで、あとは偽情報だったり、
ブラフだったり、反対情報だったりします。すなわち、情報こそが生きる
術なんです。
・曽野:テントに立ち寄ってみたら、ベトウィンたちが甘い飲み水を
御馳走をしてくれたので、2〜3ヶ月後に、お礼に行こうとしたら、運転手が
真っ青な顔をしていやだという。あなたは外国人だからいいが、僕が二度
同じテントに行くと、女か家畜をとりに来たと思われる、って。≫

▼ 20数年前になるが、イスラエルで、ユダヤ教徒も同じように
 ユダヤ人を3分類していると聞いていた。国を持たなかった流浪の民は、
各地で迫害にあって、頼れるのは金銀宝石と思われるようになっていたが、
実は、厳しい戒律の厳守が、キリスト教社会と、そぐわなかったのである。
そしてナチによる虐殺に至る。それがイスラム原理主義の聖戦を唱えるISと
なれば、ことは簡単に収まるわけがない。キリスト教原理主義と、ユダヤ教
原理主義と、イスラム原理主義者のシーア派と、スンニ派の入り乱れた
聖戦である。とすると、日本は島国の地勢の優位性を利用するためにも、
移民の受け入れは、最小にしておくべきというのも理解できる。
この分類は、地域社会にも存在する。例えば… 江戸時代からの老舗の家系。
戦後からの成金。ユータン組。旅の人と警戒される新参者。 …等々。
 これが医師、銀行員、事業の大小とかで、石ころの大小とか、カタチで
ランク付けをされている漫画的コスプレである。で、私だけは違うと、変な
確信を全員持っている。 それも有かと思うが… まあ、ここで止めておく。
 イスラムもユダヤもキリスト教徒も、「復讐するは我にあり」と、殺戮し
あって。 で、なぜか、以下に続いていく。

・・・・・・
5568,「復讐するは我にあり」
2016年06月13日(月)
 時どき、「到底信じがたい偶然」とか、「第六感」とか、「布置」とか、
私の理解外のことに行き当る。倒産となれば、当事者にとっての大惨事。
しかし、他人の不幸は蜜の味。特にリスクを侵さない人生を過ごしたものに
とって、その人生に対しての自己正当化の丁度よい標的にになる。飽きずに
何度も取上げるが、思い込みもあるが、直接的行為をしてきた当人か、家族に
事故か大病が起こることが多い。50歳も過ぎれば何処の家庭内にも、問題が
鬱積しているとしても・・ で浮かんだのが「復讐するは我にあり」の言葉。 
映画の題材にもなった。これは元々、キリスト教の聖書から引用された言葉。 
 〜「復讐するは我にあり」を検索すると〜
《 <18 できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。
 19 愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。
  「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と
   書いてあります。
 20 「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。
   そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」
 21 悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。
          <ローマの信徒への手紙12章18節〜21節(新共同訳) 》
  〜より分かりやすく解釈すると
【この中の主は、神様のことを言っています。つまり、「誰かから悪いことを
 されても、悪で返さず善い行いで報いなさい。その代わりに私(神様)が代わり
に報復するから、あらゆる人達と平和な関係を作りなさい。】の意味。
キリスト教では、全ての人は死んだ後に裁きを受けて、天国に行くか地獄に行く
かが決まります。悪人は裁きの時に必ず地獄に行くのだから、復讐は神様に
お任せしなさいということなのです。> 
▼ 遥か以前に、相手に放った矢が、回りまわって自分を突き刺す諺に
 <返り矢に当たる>と、<因果応報}がある。三つのブラックスワン
(9・11テロ、 リーマンショック、3・11災害)の直撃だけでなく、
明治維新、太平洋戦争敗戦、そしてアメリカによる強要されたバブルと、
崩壊対する衝撃の認識度が、あまりに甘かった。そのことが、ハードラン
ディングの結果になっていた。新潟駅前に500室を集中させたこともあるが。
 神様を因果応報という自然の摂理とみれば、「復讐するは我にあり」と、
敢えて取りだてることもなし。それぞれの怒りを、ミニ物語として創作し、
時間の経過を待っていれば当面の毒消しになる。<されど、神様!>ですか。
――――
2011/07/12
ユング ー 3
 ユングといえば、「布置」と「共時性」である。 
妻とか恋人の関係がうまくいってない時、家庭内に大きな問題が重なった時に、
職場の上司や異性とトラブルを起こしたり、勤務していた会社が倒産した時に、
大病や大事故が重なったりする。 これらは、何とか原因を特定することも
出来るが(離婚と前後して交通事故にあった場合や、倒産時の関係者の事故率が
異常に高いのは、心が注意散慢になっていたとかで説明出来るかもしれないが)、
因果関係だけで説明できないことが多い。 私の倒産の場合、倒産したのが
30年前の開業前日。1981年3月31日開業、会社消滅が2011年3月30日。
全くの偶然の一致である。幾つかの事業や、幾つかののホテルの立ち上げを
始めると同時に、必ず身近に普段起きそうもない問題が起きる。
回数を重ねると慣れたもので、今度は、これか!と、冷静なもの。
他にも、色いろある・・。
 このことを「図解ーユング心理学」福島哲夫著、で、説明してある。
【  ◆ 布置と共時性について
* 一見別々に起きたことでも、その人にとっては非常に大きな意味を持って
 いる出来事の巡り合わせを、ユングは「布置(コンステレーション)」と
 呼んだ。コンステレーションとは元々は「星座」の意味である。つまり、
 広い宇宙に別々に存在している星が、ある人にはそれらが白鳥の影や竪琴の
 形に見えて、大事な意味を持っているように、個人を取り巻く事象の巡り
 合わせも、大きな意味を持つことがあるということ。 長く会っていない
 友達の名前を思いだしたとたんに、その人から電話がかかってきたようなこと
 なども、布置の一つである。その意味を深く考えなければ、それで終わって
 しまうからだ。
* 共時性(シンクロニシティー)と布置との違いは、共時性は、布置よりも
 さらに物理的に簡単には起こりにくい偶然の一致をいう。共時性の有名な事例
 で、ユングが若い女性の心理療法を行っているときに、その女性が黄金の
 コガネムシを夢で見たと語った瞬間、コガネムシが部屋の窓にぶつかってきた
 という逸話があります。ユングによれば、この女性患者は、非常に固い合理
 主義者で、自分自身の現実感に堅くしがみついていて、治療にまったく進展が
 なかったのが、この不合理な出来事によって、彼女の変容のプロセスが動き
 始めたという。ユングによれば、このような出来事は、元型の力がはたらいて
 生じるとしている。つまり、人間や、動植物までも含めた存在を支えている
 共通の基盤となるような領域における力が働いて起こった現象だというのだ 】
▼長い間、会ってなかった友人のことを考えていた丁度その時に、その本人から
 電話があったりなど因果関係で説明できないことがあまりにも多い。日本にも
 古来から「虫の知らせ」という言葉がある、とおりである。こういうのは
 科学者は、正面から取り組むことを避けてきた。しかし、ユングは幼年の頃
 から、おかしな感覚を持っていたこともあり、人間の持っている5つの
 感覚外の、シックスセンスの研究に踏み込んだのである。再びユングを
 再読を始めたためか連日、奇妙な夢の連続である。


6299,読書日記 〜『こんな長寿に誰がした!』

2018年06月12日(火)

            『こんな長寿に誰がした!』ひろさちや(著) 
    
   *‘人生100年’は本当にいいことか?

 曽野綾子の、<人生の良いとこ60歳まで>説を、50歳ごろに知り、「10年間を、
30年分に圧縮して生きた経験」を何度か、ここで書いてきた。 現在から考えて
みて、これが良かったと深く実感している。60歳を過ぎて、遣り残し感が少ない
ため、気持ちに余裕が持てる。会社清算に対しても、節目の時節到来と… 
迷いなく処理をすることになった。
 この年齢に自分が到達しようとは思ってなかったので、年々、変わりいく、
年齢の日々が、何とも新鮮である。
 「年寄りとは、自分より5歳年上をいう」という言葉がある。成るほど、私の
「5歳年上」は、77歳になるが、やはり75歳が分岐点で、止まることない老化を
実感する年齢のようだ。 私も、あと良いとこ2〜3年と実感はしている。
姉が二人、80歳に到達したが、見るからに厳しいそうだ。特に81歳が鬼門。
 100歳まで親が生きたとしたら、それも矍鑠としていたら、周りは?
   
《 ー内容紹介ー
「人生100年」は、本当にいいことか? 延命治療を選ばざるを得ない医療の現実。
「治るはず」と、現実を受け入れられない患者と家族。経験を若い世代に伝えず、
権利の主張ばかり覚えたシニア世代。 誇るべき長寿とは違う形で超高齢化を
加速するこの国のありように、宗教思想家が鉄槌を下しつつ、本当に幸福な人生
の締めくくり方を提案する。
  ーカスタマー・レビューー
【 生きることは苦しい。老人は長生きしたことが幸せか。枯れることが大事。
 知識ではなく知恵。病気のとらえ方。そして減ることのない欲。こういった
永遠の真理がつづられています。所々で、キリスト教徒と仏教の智慧と心理は、
過去はパーソナルな形で時代を超えて伝達されていたのですが、このような形
での伝達が不可能となった今、著者はこの作業を自分の使命と考えているよう。
真理を指摘するのは簡単だが、実践することが難しい。実践できないまでも、
頭の片隅に置いておく。それくらいかな、凡人にできるのは。】

▼ はからずして、ここまで生きた実感は、「ここまで生きて、21世紀の実相の
 一部を垣間見ることが出来て本当に良かった。 年々の老化現象はあるが、
この激変の時代の一年一年の時代の重みを経験出来るだけで、充分、価値がある。」
人生、100歳までは?だが、やはり75歳辺りが死に時か! あと2年半ですか。
紀州のドンファンという痴呆症老人を見るにつけ、死際の難しさを知らされた。
ここで、「死ねない病」について述べているが、最も恐ろしい病のようだ。
誰知れずに自分の死を申告し、清潔な環境の死の家に入居し、スッと死ねる施設
があれば… 自ら死ぬ権利があってしかるべきだが。健常状態で、せめて5年は!
2年半と変わらない? そう思って生活していると、毎日がエキサイティングに。
このまま医療制度が拡充されると、100歳まで死ねなというが… それこそ残酷。
程ほどに…
  
 〜で、5年前の文章に続く 成るほど!
・・・・・・
4470, 最悪の結果に隠された、お宝は?
2013年06月12日(水)
   * この結果に意味があるとすると、それは何?
 「三羽の黒鳥(9・11テロ、リーマンショック、3、11震災)の到来で、
この結果に終ったのに何か意味(価値)があるか?」が、問いかけとして残る。
これまでの人生の節目で、最悪の状況こそチャンスが隠されていた。今回も下手
に切り抜けるより、早々に止めた方がベストだった。 この一連の三羽の黒鳥の
到来前に、日本は支配国アメリカによる意図的なバブル経済の生成と、崩壊が
あった。機を同じくソ連の崩壊と、中国の共産党支配化での資本主義経済の導入
で、世界を二分していた垣根が無くなった。更に欧州の経済統合による大混乱と、
アメリカの衰退が重なり、ここにきて一挙に混迷を深めている。 さて、私に
とっての今回の一連の隠されたベストの意味=価値は何だろう?の問いかけ。
《 森の生活からキレイサッパリと決別し、サバンナの生活というより、
 死に支度をすべし! そして、森の生活で、切り捨て目を背けてきたことに
対する再考。さらに、せっかく奇跡の星に人間として生まれたのだから、もっと
世界の広さと深さを知り、経験し、味わうこと 》が、結論。
「早々に隠遁生活に入り、老いと死に準備に本気に入れ」ということ。
 昨日の随想日記に書いたが、日本人男性の健康年齢(寝たきりや介護を受けず
日常生活ができる年齢)が70歳。死亡平均が79歳からして、9年の介護が必要。
80歳を過ぎなら分かるが平均としても、「70歳から10年間も、介護など誰かの
世話になる生活が待っている」とは思いもしなかった。「好きなことが出来る
のも、そう長くない」ことになる。9年間の不自由な介護状態なら長生きも
考えもの。 還暦を過ぎた辺りから生老病死の問題が、真正面からやってくる。
60歳までに、やりたい事をやり尽くした感があるので、焦りは少ないが、
甘くない近い将来が待っているのが現実である。そこで、「一日一日を、面白
おかしく生きる」しかない。また自分の「知識の球」「経験の球」の外側を少し
でも広げることだ。もっと人生の少なさに焦るべきは、身近な人の死をみれば
分かる。そういう年齢に入った自覚をより持つべきである。前期高齢者に入った
65歳が、森の樹上の生活も早々止めて、一度、森から離れ、世界を見直す時節。
「今さら、そんな小さな己の世界を広げてみたとて、何になる」というが、そう
としても、前向きに倒れた方が良い。知ること、行動すること、愛することを、
死ぬ瞬間まで少しでも広げることである。人生には多くの意味があって面白い!

・・・・・・
5567,閑話小題 〜魂の御馳走
2016年06月12日(日)
   * 魂へ御馳走を与えてますか
 TVを観ていると、【ご馳走をするからと誘われ連れていかれた先が美術館。
そこで、『芸術作品が、魂への御馳走』と言われて吃驚した】と粋な場面が。
 そこで私の魂への御馳走は何だったか考えてみた。幾つかの一つに、51回の
『海外ツアー』がある。資金的、時間的、精神的にも長年かけて、強硬な意思を
貫ぬかなければ不可能。心が折れそうな時、というより魂が衰弱した時、秘境、
異郷での大自然との邂逅や、立寄った美術館での名画との感動が魂への御馳走
になる。哲学の始祖であるソクラテスの、「人生の目的が魂の鍛錬」ならば、
大自然や、人類の歴史に残る芸術作品との触媒の感動で、自ら魂に滋養を与え
続けなければならなかった。40〜50歳代に年2回の秘境・異郷旅行の感動こそが、
魂の御馳走であった。魂の疲れが感動の滋養を必要としため、惹きつけられた
のである。親は子供に、幼児期から一流の芸術作品や音楽をシャワーのように、
浴びせ続ける義務がある。 聞くところによると、家内は10歳代半ばまで、
あらゆる習い事に通っていたという。幼少期に、こういうのに多く接触させて
おかないと、俗にいう、「世間人」になってしまう。 彼らは、噂話という
『毒団子』の餌で、魂をやられ、ゾンビになる。 幼児時期から少年期の頃、
父親は暇が出来ると、私を連れて古美術店に行き、茶道具や、仏像、絵画に
触れさせていたのも、一流品を幼児期から触れさせるためだったようだ。 
そのお陰か、逆に、『そういう物は、自分が所有をするのではなく、美術館で、
幅広く鑑賞し、多くの作者の魂と触れるべきで、何故にわざわざ買うのか?』
と思っていた。 感動、感激、歓喜、感謝は、人間の感情の最たる部類になる。
それは、所有をしなくても可能なこと。 大自然が数億、数千万年かけて作り
上げた景観に自ら近寄り、荘厳な世界に我を忘れ、感動するのが魂への最高の
御馳走。大都会の良さは、美術館や大ホールが多くあり、一流の芸術作品や、
演劇などに多く触れる機会が多くある。地方の良さは、自然の懐が深いこと。
 どちらも、それを感じ、受止める基礎がなくてはならないが。せっかく、
地球に生を受けたのだから、魂へ滋養を与え、鍛錬しなかれば生まれた甲斐が
ないではないか。余裕がない? ならTVを通して滋養は充分に取ればよい!

・・・・・・
5202,「人生はドラマだ」の演繹論的アプローチ
2015年06月12日(金)
      〜『社会学〜フシギなくらい見えてくる!』現代位相研究所(著) 
   * ドラマトゥルギー
 哲学では、古来から人生を演劇に例えて、役割、演出、観客の目線から、
人生の意味を考えていた。それを社会学者が研究対象にしたのが以下である。
≪ 「人生はドラマだ」といわれることもあるが、まさにそのようなものとして
社会を研究した学者がいる。アメリカの社会学者アーヴィング・ゴフマンである。
ゴフマンは、人々が日常生活の中で、まるで舞台俳優のように演技し、周囲に
与える印象に気を配りながら行動しているという観点から、そのさまざまな実践
を詳細に描き出そうとした。ゴフマンのこのアプローチを「ドラマトゥルギカル
アプローチ」(演劇論的アプローチ)という。
ゴフマンの指摘によれば、私たちは常に「会社員」「親」「教師」「患者」と
いった社会から与えられた役割を状況に応じて演じ(役割演技)、自分の与える
印象を管理している(印象管理)。しかしゴフマンは、人々がただ自分の都合を
よくするために印象管理を行なっているといいたかったわけではない。
ゴフマンは、印象管理が時に舞台の維持を、つまりその場の秩序を維持するため
にも行なわれている、という点に着目した。「この状況では誰がどういう役割を
果たすべきなのか」という「状況の定義」が参加者に共有され、それぞれが役割
演技を行なうことで初めて、日常生活が成り立つと考えたのである。
 たとえば教師が生徒の前で、自分のわからないことを巧妙に隠そうとしたとする。
もちろんこれは自分の体面を守るために行なわれていることでもあるだろうが、
その一方で「学校の授業」という状況を守るためにも行なわれている。
教師は生徒に勉強を教え、生徒は教師の授業を聞く。「学校の授業」は、「教師」
「生徒」という役割に基づいた一つの舞台であり、これが壊れてしまえば、
まさに学級崩壊になってしまいかねない。
しかし、人は一方的に与えられた役割を演じるばかりではない。役割から敢えて
距離をとり、そこに役割から離れた別の自分を示そうとする場合がある。これを
「役割距離」と呼ぶ。「学校をサボる」ことを考えてみるとわかりやすいだろう。
往々にしてそういう場合、学校をサボって何かしたいことがあるというよりも、
それによって「生徒」という役割から距離をとることが第1の目的だったりする。
ゴフマンは、ドラマトゥルギーという観点を通じて、日常生活がごく些細な
不具合で破綻する壊れ物であり、役割演技と役割距離との駆け引きによって成り
立つ動的なものであるということを示そうとしたのである。「人生はドラマだ」
という言葉の通り、この観点は一見当り前のように思えるかもしれないが、
「現実が事実としてどうであるか」ではなく、「人々にとって現実はどう成り
立っているか」に視点を転換させることによって、人々のコミュニケーシヨンの
あり方を研究するために重要な役割を果たしているのである。 ≫
▼ 「世間様」の人々も、それが現実という幻想なら、それに同調するのも、
 一つの在り方であり、役割ということになる。硬く、蛇蝎のように嫌うことも
ないのである。旅行の効用の一つに、日常から「役割距離」を置いて、自分を
改めて見つめる効用がある。「印象管理」も、目新しい言葉だが、「役割演技」
に、必要なこと。その名人が、かのクレオパトラ。自分の美貌をわきまえ、
それを際立たせる「印象管理」が、抜群だったという。創業の組織つくりが、
そうである。役割を想定して人材を集め、訓練を入れ、役割を実行させる。
会社整理も、この視点からすると興味深い演劇になる。軟着陸?だからいえる?

・・・・・・
4096、私は完全な本 "日本フル自殺 'ー2を作った
2012年6月12日(火)
  * 21の文明の「種」と、現在残っている7+3の「種」
 この冒頭の文明の記述が、現時点の文明の立ち位置を知るによい。
5大文明の起源だけでは現代を捉えるに無理がある。情報化社会の到来が、
この文明の地域割り、民族割り、国家割りを、根こそぎ変え、現在は大断層
の真只中にある。中学校の教科書では5〜6千年前に五大文明が生まれ、
その延長上の文明が現在に至っているとある。学生時代にトインビーを知り、
文明の発展史の解釈に驚いたことを憶えている。 ーこの本の冒頭から
【 われわれの知っている最古の文明の出現は、現代から六千年以上さかのぼる
 ことはできない。しかし、この六千年の歳月の間に、ミノス、シュメル、
マヤ、インド、シナ、シりア、ヒッタイト、バビロニァ、アンデス、メキシコ、
ユカタン、エジプト、ヒンズー、イラン、アラビア、ヘレニック、西欧、正教
キリスト教、極東など、二十一の文明の「種」が発生し、成長し、あるものは
やがて没落し、消滅していった。二十世紀の現在なおこの地球上に生き残って
いる文明の「種」は、西欧文明、近東における正教キリスト教世界の本体、
ロシアにおける正教キりスト教世界の分枝、イスラム社会、ヒンズー社会、
シナにおける極東社会の本体、日本における極東社会の分枝、の七つの「種」
と、ポリネシア、エスキモー、遊牧民の三つの「種」の発育停止文明であると
トインビーは分類している。 過去六干年間におけるこの二十一の文明の「種」
の栄枯盛衰の歴史のドラマとその比較研究は、文明の発生、成長、挫折、解体
の原因やその一般的パターンについて、われわれになんらかの示唆を与えて
くれるものなのか。そしてまたこの歴史の教訓は、現代文明の進路選択、
日本社会の進路選択にもなんらかの寄与をしてくれるものなのであろうか。
こうしてわれわれは、特に文明の没落過程の共同研究に着手したのであった。】
▼ 中年期を終え老年期に差し掛かると、哲学、歴史に、より興味が増す。
 人生を振り返ると、そこに人類の歴史と重ねてみたくなる。シナが極東社会の
本体なら、日本は極東社会の分枝の中の己を歴史的位置から逆照射して、個々の
卑小さを確認することで、砂利同士の大きさや、変形の比較を気にしない心理
作用に効果的である。人生を実際に60数年間、生きてみて思う5千年の実感は、
  学生時代のそれとは全く違うもの。この情報化は人類のあり方を根本から
変えている。悲観的にも楽観的にもなるが・・・面白い!
 
・・・・・・
5932,閑話小題 〜人生、「あいうえお」が重要
2017年06月12日(月)
        <「人間の目利き」 曽野綾子:吉村作治>
          〜アラブから学ぶ「人生の読み手」になる方法〜
   * 人生、「あいうえお」が重要
 人生でも、事業でも振り返えみると、岐路には「想定」を遥かに超えた
ブラック・スワン(経済恐慌、歴史的テロ、自然災害…)が舞い降りて、
それが人生を変えていた。そして、最後は、当人にとっての「己の死」。
宇宙の、世界の中の微小の存在であるなら、当然のことだが、その小ささ、
狭さの認識が全くと言ってよいほどない。「想定外」という言葉こそ、己の
卑小さを露わにする。 アラブから、欧州に「アラブ難民」が大挙して流入
しているが、以下のアラブの「アッラー」の神への信心が大きく影響している。
 〜「あいうえお」の人生訓が考えさせられる〜
≪・吉村: 日本人は心配性なんです。こうなったら、そうなったら、
 どう しようと、自分の考えの幅の狭いのを知らないで想定する。
だから、その幅を出たら「想定外だ、しようがない」と思うわけ。
アラブ人からしたら、想定すること自体が、自分の運命に対して、神様に
対して失礼なんです。全てが自分の力より大きな力で動いていると思うと
想定など出来ない。想定があるから想定外があるんで、想定しなくては
想定外はない。「無知の知」みたいだけれど。
・曽野:もとは何もない民だから。食べ物も水さえない。 吉村さん、なにも
ないところで生きていけないとしたらどうします。他人の物を盗むか、殺して
奪うか。あと一つ、自分が死ぬというのがある。しかしイスラムは自殺を禁じ
ている。と言っても、イスラムでは自殺すると復活できないから、自然死です。
・吉村:人生、「あいうえお」が重要なんです。「あ」は〈愛〉。「い」は〈意志〉。
「う」は〈運命〉、「え」は〈縁〉、「お」は〈恩〉です。この「あいうえお」
を大事にしていれば、悪くない運命を過ごせます。≫

▼ 「あいうえお」も、それを生かせるかどうか。逆照射でみると、その
 意味が浮かび上がる。
・「愛」、特に両親からの愛の少ない人。
・「意志」、意志薄弱の人。
・「運命」、節目で、大きく流されていく人。
・「縁」、因縁を生かせない人。因と縁を結合できない人。
・〈恩」、恩義からほど遠い人。
 何か誰かの顔が浮かび上がっているが、自分のことでもある?
想定外の対処は、長年の準備があるかどうか。まずは、日頃からの知識と、
先立つ「お金(資金)」。そして「健康」。そして人とのつながり。とすると、
「あいうえお」に行きつく。今思いついたのが、「たちつてと」の教訓。
「た」が、飯の基盤の「田」。
「ち」が「知恵・知識」。
「つ」が、「ツテ
「と」が、「とき」。何ごとも時間が大元。 
言葉の遊びだが、一理ある?


6298,閑話小題 〜何で、サイコなの?

2018年06月11日(月)



   * 何で、あの連中がサイコなの、
 サイコを「悪口、陰口は、万引きより悪い」という説を、横スライドると分かり
やすい。万引きは「軽度の泥棒」。それが身近な知人、他人の財布に、そして家宅
侵入の泥棒に… そして強盗殺人に行きつく。
 陰口、噂好きの極端の人は、ごく身近に事例で多いので分かる。
80対20の法則からして、2割の人が8割の蔭口、内幕情報を言うが、そういう人を、
多くを誰しらずに、心の底で忌み嫌う。サイコをネット検索をすると「精神異常」
とある。上位2割に良いことの8割が、下位2割に悪いこと8割が集まるが、不幸系
は、悪口、噂話を生活のメインにしている。
亭主が愛人をつくってとか、出世コースより外れて、子供の出来が悪い…等々。
一般的には±(プラマイ)バランスが2対1だが、サイコは1対1か、それ以下が多い。
物理的にも、知的要素が下位ほどサイコになる。それは心の奥に静かに沈殿し、
他人の不幸を見ると、表立つ「変質的性格」。しかし、「サイコパス」は、
「猟奇性を秘めた異常犯罪(もしくはそれを行う者)」をいう。悪口、噂を妄信し、
行動に踏み出した重度の犯罪行為者をいう。だから心理学者は、軽度の傾向でも、
注意をすべしと… 問題は、生活環境、己の生き方から派生する。
『3:10:60:27の法則』の下位ほど、サイコの傾向が強いという説が、これ。
可能な限り、人を選び、ライフワークを貫く生き方が必要になる。
先日、見てきた『万引き家族』で、親父役の男が『俺が子供に教えられるのは、
万引きぐらいしかない!』と話す場面が、何とも哀しい。サイコ、サイコパスの
言葉を使うことも注意しないければ。いじめっ子が、弱者を見つけて、攻撃する
それからして、マイナーの転嫁である。相手を選ぶこと。ライフワークを早々、
決めて貫くこと。あの人たちと距離をおくこと。
4C主義=チャンス、チェンジ、チャレンジ、コンペティションという
チェーン店の行動理念があるが、激流に身を挺して生きる生き方が正しいとは
いえないが、底に留まる場合、サイコ化する危険も多い。 4C主義こそ、
サイコパスへの道になりかねない。 サイコの言葉を知りえるかどうか。
その知識が、何気ない会話の中の危険を知らしめることになる。少なくとも、
8割の蔭口を業とする2割の人との距離を置くのが、その一歩。無知は罪である。
老いるとは、オバサン化するとは、サイコ化。別名、ゾンビ化、ヘドロ化する
ことである。

・・・・・・
5201,老年期の意味 
2015年06月11日(木)
   * 目標なく生きる重要性
 現役から、余生の時節に移行して、それまで見えていた社会の様相が、
全く違ってみえてきている。現役時代は目的的な強い束縛の中で日々を
過ごしてきた。何もしないことは良くないことと、信じて疑ってなかった。
現役の知人に、『何もすることがないのも、良いことだよ!』といった時に、
明らかに恐れと戸惑いが現れ出ていた。ただ、ブラブラと無目的的に日々を
暮らすと、日常の中の、景色が、違ってくる。それが御隠居の特権である。
 京大教授の山極寿一の、「老後の意味」の論が面白い。
≪ 人類の進化史の中で、老年期の延長は比較的新しい特質だと思う。
 ゴリラやチンパンジーなど人類に近い類人猿に比べると、人類は多産、
長い成長期、長い老年期という特徴をもっている。多産はおそらく古い時代
に獲得した形質だ。人類の祖先が安全で食物の豊富な熱帯雨林から出て、
肉食動物の多い草原へと足を踏み出した頃、幼児死亡率の増加に対処する
ために発達させたと考えられる。成長期の延長は脳の増大と関連がある。
ゴリラの3倍の脳を完成させるため、人間の子どもたちはまず脳の成長に
エネルギーを注ぎ、体の成長を後回しにするよう進化したのである。
脳が現代人並みに大きくなるのは約60万年前だから、その頃すでに多産と
長い成長期は定着していたに違いない。
しかし、遺跡に明確な高齢者の化石が登場するのは数万年前で、ずっと
最近のことだ。これは、体が不自由になっても生きられる環境が整わなかった
からだと思う。定住し余剰の食料をもち、何より老人をいたわる社会的感性が
発達しなければ、老人が生き残ることはできなかったであろう。
家畜や農産物の生産がその環境整備に重要な役割を果たしたことは疑いない。
ではなぜ、人類は老年期を延長させたのか。高齢者の登場は人類の生産力が
高まり、人口が急速に増えていく時代だ。人類はそれまで経験しなかった
新しい環境に進出し、あつれき人口の増加に伴った新しい組織や社会関係を
作り始めた。さまざまな軋礫や葛藤が生じ、思いもかけなかった事態が数多く
出現しただろう。それを乗り切るために、老人たちの存在が必要になった。
人類が言葉を獲得したのもこの時代だ。言葉によって過去の経験が生かされる
ようになったことが、老人の存在価値を高めたのだろう。
 しかし、老人たちは知識や経験を伝えるためだけにいるのではない。
年や壮年とは違う時間を生きる姿が、社会に大きなインパクトを与えることに
こそ大きな価値がある。人類の右肩上がりの経済成長は食料生産によって
始まったが、その明確な目的意識はときとして人類を追い詰める。
目標を立て、それを達成するために時間に沿って計画を組み、個人の時間を
犠牲にして集団で歩みをそろえる。危険や困難が伴えば命を落とす者も出てくる。
目的が過剰になれば、命も時間も価値が下がる。その行き過ぎをとがめるために、
別の時間を生きる老年期の存在が必要だったに違いない。老人たちはただ
存在することで、人間を目的的な強い束縛から救ってきたのではないだろうか。
その意味が現代にこそ重要になっていると思う。≫
▼ 落語の『御隠居と与太郎』の問答が、正しく、これ。人生を消化した
 御隠居と、何もしらない与太郎の無目的の状態の二人が、目的的社会に
ついて笑い飛ばす。4年前に、それまでの自分の姿が急に面白くなり、腹の
底から笑ってしまった。それで憑物が落ちたのだろう、開き直れたようだ。
元もと、アウトサイダーを自認して、社会との関りを最小にしていたことも、
現在の日常を楽にさせてくれている。夕暮れには夕暮れ時の楽しみがある。
 〜以下のことは森のこと。後は、娑婆娑婆したり、しなかったり!

・・・・・・
4469, 余命半年 −5
2013年06月11日(火)
        「余命半年  満ち足りた人生の終わり方」大津 秀一著
  * 生物の最大寿命は生物の性成熟年齢×五
「生物の最大寿命は生物の性成熟年齢×五」説によると、人間は75歳。
その辺りが大きな目安になる。去年、知人が75歳で亡くなったが、70歳
前後から急激に衰えていった。特に男は75歳、女性は80歳辺り。成るほど
後期高齢者の区切りである。この辺の健康状態で、あと何年かが決まって
くるようだ。 ーその辺りからー
≪ 川上嘉明氏の著書『自然死を創る終末期ケア』を読んで、私は生物の生命
 過程の事を知った。生物には成長期・生殖期・後生殖期の三つの時期がある
という。そして人間は後生殖期が長いのが特徴であるとのことだ。なるほどと。
確かに昆虫など、生殖期を終えればすぐに死んでしまう種の数は多い。ほ乳類
の場合は、最大寿命と性成熟年齢が性の相関関係にあるとされ、生物の最大寿命
は生物の性成熟年齢×五であるらしい。最大寿命と言うのは、限界の寿命である。
人ならば性成熟年齢の十五歳×五の七十五歳が本来限界となるはずだ。
しかし、周囲を見回せば明らかなように、今や限界超えが当たり前。
図をみると、実際にヒトだけが逸脱して限界を超えてしまった。人類がなぜ
後生殖期が終わったのちに、これほどまでに生きられるようになったのか。 
それは「医療」の発展ゆえである。ついぞ五十年くらい前までは「人生五十年」
の世界であった。しかし、人類にとってかなりの強敵であった感染症に対して、
西洋医学が優位に立つと、寿命はぐっと延びるようになった。もちろん栄養状態
の改善も影響しているだろう。あるいは衛生環境の改善等も。体格が世代を重ねる
ごとに良くなっていることは、清潔で栄養に満ちた生活が提供されている
一つの証明でもあると考えられる。≫
▼ ちなみに類人猿のチンパンジーは50歳、ゴリラは40歳後半で、50年前
 までは、人間と変わらなかった。病気を治す術を得た分、長生きが出来るように
なった。その最大寿命の75歳に近づいてきた。70を過ぎると、摂生してきた
人と、不摂生してきた差が鮮明になる。 私も酒の飲み過ぎもあり、その辺りが
大きな関門だろう。 ところで、介護を受けたり病気で寝たきりになったりせず、
自立して健康に生活できる期間を示す「 健康寿命」を2010年に男性70・4歳
(10年の平均寿命79・5歳)、女性73・6歳(同86・3歳)と厚生省が
初めて算出し、発表した。大体10年間が、介護か寝たきりなる。 
あと3年で平均で達するので、現在、介護を受けても不思議でない。そうすると、
まだ元気な現在、好きなことが出来る時間的余裕が少ないことになる。
10年間の介護を考えると、末期ガンになってもジタバタしないで、悄然と
従うのが良いのかもしれない。そうこう考えると、老いの現実は厳しい!
介護、寝たきりまで平均3年、死まで12年? 男が平均70歳で、寝たきりか
介護? 周囲を見渡しても、そうだろうか? 自分を考えると3〜4年先に倒れ、
その2〜3年先とすると不思議でない。とすると二年前の会社整理は正解? 
ものは考えよう。

・・・・・・
5931,閑話小題 〜狂ったドン様と、耄碌した泡沫候補 
2017年06月11日(日)
  * 耄碌した泡沫大統領と、狂ったドン様
 トランプ米国大統領は、現代版の裸の王様そのもの。本人も勝利をすると
思ってもいなかったため、白人至上主義や孤立主義を掲げ、ロシアの援護射撃を
要請するなど、やりたい放題。ところが間違って当選したのだからことは重大。
耄碌した泡沫候補は政治的経験もなく、適応が困難。 出来ることは朝鮮戦争を
仕掛けることぐらい。泡沫も、老い先少ないため、後は野となれ山となれ。
危ない要素が、あまりに大である。その隙に血迷ったドン様が、核弾頭ミサイル
の開発に専念。国際社会に対し、脅しをかけているのが現状。
 北の核ミサイル潰しなら、東洋人の100,200万人の犠牲も厭わないと…? 
一番困るのは、矛先を向けられる東京とソウル市民? 大陸間核ミサイルが
完成する前の現在が最後のチャンスと、総攻撃の可能性が出てきた。叔父と
兄を殺し、目障りな側近を粛清し、得意満面な血迷ったドン様。日・米・韓と、
中国、ロシアとケッタイな役者が勢揃い。ロシアが、陰湿の手段で、朝鮮戦争
を仕掛け、その隙に、勢力拡大を目論むには最適な情勢になっている。ところで、
トランプが4年の任期を全うできる側の賭けのオッズは2倍。できない方は1・4倍。
 先週のシネマは、数年前にあったテロを扱った <パトリオット・ディ>。
犯人の二人の兄弟の目線もあって、いつの間にか引き込まれていった。
直ぐに思い立ったのが、狂ったドン様、自分が何をしているのか全く自覚がない
のだろう。とはいえ、数百万の生命がかかっているだけに、下手に手を出せない
が、そのまま放っておくわけもいかず、思案のしどころ。欧州のテロ騒ぎに
引き続き、今度は、朝鮮半島と、日本の本土にも飛び火が? 
 成るほど、韓国人の7割が移住希望というのも理解できる。
父親の金正日ドン様、『男はつらいよ』のファンで知られていた。

・・・・・・
5566,フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜
2016年06月11日(土)
    * 『男はつらいよ  寅次郎ハイビスカスの花』
 少し足らない流しのテキヤの映画を取上げること自体、少し憚るが、
人間の本質が、その足らなさから現われ出ているから、共感するのだろう。
『男はつらいよ』シリーズで最も良かったのは、リリーの三部作の完結篇。
TVの再放送で5〜6回以上は観ただろうか。 他に、印象に残ったのが、
石田あゆみマドンナの『男(赤)はつらいよ 寅次郎あじさいの恋』。29作目。
これもシリーズで屈指の名作。片岡仁左衛門、柄本明の役者陣も見事である。
  〜『ハイビスカスの花』を検索すると〜
≪『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花』は、1980年8月2日に公開された。
 男はつらいよシリーズの第25作目。リリー三部作の完結篇。マドンナは
4度目の出演となる松岡リリー役の浅丘ルリ子。観客動員数は206万3千人。
尚、2006年3月、シリーズ全作品を放映したNHK-BS2が募集した人気投票で、
視聴者から「後半24作品中のベスト1」に選出された。
  〜あらすじ〜
【博が街でリリーを見かける。リリーは寅次郎に逢いたいと博に告げる。
とらやで、寅次郎の噂をしていると、偶然寅次郎から電話があり、リリーが
逢いたがっていると伝えると、寅次郎は興味を見せない素振り。しばらくして、
寅次郎は柴又に帰ってくる。しかし間の悪いことに、とらや一行は水元公園に
ピクニックへ出掛ける所であった。慌てて、荷物を隠し体裁を取ろうとする
さくら達。その事で機嫌を損ねた寅次郎は、さくら達と大喧嘩をする。
出て行こうとする寅次郎の下へ、手紙が届く。手紙の内容は、リリーが沖縄で
病気で倒れたとの事で、寅次郎はあわてて沖縄に向かおうとする。皆で相談
しあった結果、飛行機で行く事に決まるが、寅次郎は断固拒否する。
博に説得されしぶしぶ了解するが、翌日飛行場で柱にしがみつき駄々をこねる。
そこへ通りかかったスチュワーデスに連れられ搭乗し、なんとか沖縄へ。
寅次郎と再会したリリーは涙を流し喜ぶ。次第に、彼女の病気はよくなり、
漁師町で一緒に生活を始める。しかし、その一方で地元の娘と浮かれる寅次郎。
ある日、ちょっとしたことで二人は大喧嘩。翌日リリーは沖縄を去ってしまう。
寅次郎は慌てて身支度を整え、手近な船に乗り、東京へ戻ろうとする。
島伝いに、時に行き倒れになりながらも、なんとか柴又にたどり着いた寅次郎。
そこで、偶然リリーに再会し、おおいに喜び合うのであった。さくらは、
リリーに寅次郎と結婚して欲しいと漏らし、寅次郎も「俺と所帯を持つか」と
発言するが、リリーは冗談として聞き流す。そうして、柴又駅で二人は悲しく
別れるのであった。好き合いながらも、お互いのプライドや体裁で一緒に
なれないリリーと寅次郎であった。】 ≫
▼ 考えてみれば、風に吹かれるまま、自由気ままでいられたのは、時代背景
が高度成長期にあったから。 その日暮しの安宿を泊まり歩く、ホームレスの
テキヤの寅と、フリーの売れない歌手リリーの境遇は似ている。
以前、経営していたホテルの宿泊客に、全国を股にかけた、流しのホテトル嬢
が何人かいた。 夕刻に出掛け、朝帰りのため、聞き込みの刑事に怪しまれない
よう、自分の職業の申告を最初からする。 外見からして、ごく普通の女性。
 寅と、リリーの明日をも知らない危うさから生まれるドラマが、共感を呼ぶ。
最初は、1960年代半ばの、鶴田浩二や高倉健、池部良らを主役脇役に据えた
「ヤクザ映画」のパロディとして企画された映画が、シリーズ終了後、20年
も経つのに、今でも、再放送されるのは、現在、失われつつある日本の家族の
原型が、そこにあるため。TV欄を見ながら、『また寅か、されど寅ですか〜』
〜これも偶然、寅さんの生き様、「目標なく生きる重要性」が書かれている〜
寅の生き様こそ、人間のあるべき姿かもしれない。
 「アホ違うねん、パーなんや」  で、「パーは、どっちがねん?」



6297,映画鑑賞 〜『万引き家族』

2018年06月10日(日)

    * 『万引き家族』
 カンヌ受賞作に魅かれた見てきたが。成るほど、それだけの内容。
「疑似家族物語」とも言えるが… 駄菓子屋の親父が少年に、「妹まで万引きを
させるなよ!」と諭すが、そこでハッとする。そして、わざと、万引きをして
捕まる。訳ありの幼女を住まわせて全国的誘拐事件になり、それが発覚。
 静かで穏やかな日々の中に、恐ろしいほどの緊張感が漂う。
《 〜あらすじ〜 高層マンションの谷間にポツンと取り残された今にも壊れ
そうな平屋に、治と信代の夫婦、息子の祥太、信代の妹の亜紀の4人が転がり
込んで暮らしている。彼らの目当ては、この家の持ち主である初枝の年金だ。
足りない生活費は、万引きで稼いでいた。社会という海の底を這うような家族
だが、なぜかいつも笑いが絶えず、互いに口は悪いが仲よく暮らしていた。
冬のある日、近隣の団地の廊下で震えていた幼い女の子を、見かねた治が家に
連れ帰る。体中傷だらけの彼女の境遇を思いやり、信代は娘として育てることに。
だが、ある事件をきっかけに家族はバラバラに引き裂かれ、それぞれが抱える
秘密と切なる願いが次々と明らかになっていく──。》

▼ 「離婚率が、日本で35%、アメリカ50%、ベルギー、オランダなどは7割辺り。
 家庭内離婚?を含めると、8割超が崩壊!」が家庭内の実態である。訳ありの
御婆さんの家に、年金目当てに、訳ありの人達がシェアハウスのように寄宿する。
外目で見れば、祖母と、両親と、3人の子供が家族の体裁。その疑似家族が、実際
の家族以上に寄添い暮らす。万引きで生計を補填しているため、危うさが逆に、
生々しく温かい生活感を醸し出す。
――
   * 県知事選、誰を入れる? まさか落下傘男? 
今日は県知事選。 迷うことなく原発の再開反対派の女性候補?
悪さ比べの感が強い選挙だが、副知事経験者としても、パラシュート候補の
軽さは否めない。当り前だろう、二度も大地震があったのに再稼働賛成が見え
みえの男に誰がいれますか。原発の直下に二つの活断層があるし… 
元もと知っていて強引に誘致したのでは? 前県知事の下ネタにしても、
何処か?のマワシモノがリークしたと仮説をたてると、合点がいく…。
 私の人生にそう先がないとしても、若者を考えれば、反対は当然のこと! 
前の県知事選で保守系を入れたが、今から思い返せば、間違い。再稼働など
とんでもない。 北朝鮮問題は、そう簡単に終わりませんよ。北朝鮮より、
アメリカが問題。旧式兵器の在庫処分の必要性があるし。そう簡単な問題でない。
8割の確率、いや9割の確率で… 勝負はついている。
 としても、県の経済を考えると… だが。騙されていたのは地元民。
しかし、利益を得たのも既成事実。毒喰えば皿まで… もあるが。 でも駄目!

・・・・・・
4468, 99・9%は仮説、ですか〜 −6
2013年06月10日(月)
    「99・9%は仮説 ー思いこみで判断しないための考え方」竹内薫著
  * 第5章 「大仮説ー知的設計説」はありえる世界
 宇宙・世界・人間の存在を考えるほど不思議なものはない。特に自然界には
驚くようなことばかり。極楽鳥や孔雀の美しい姿が、デザイン無くして、進化
だけで表現出来るのだろうか。地球という惑星もしかり。これらは知的設計者が
存在すると考えると一挙に解決する。進化論だけでは解決できない疑問があり過ぎ。
そこで神様を、そこに持ち出しても埋めることができない。所詮は、人間が創り
出した絶対者の主役でしかない。我々の住む宇宙以外に10の5百乗の数も
存在し、ループ状の管で繋がっている可能性があるというのだから、何があって
も不思議ではない。いや10の5百乗の宇宙の存在の方が、この大仮説より
遥かに衝撃的である。 ーその辺りを抜粋してみるー   
≪ もしかして、この宇宙は、どこかの実験室で創られたものなのかもしれない…。 
 こういった突飛な考え方を、頭ごなしに否定してはいけません。科学では、
どんな発想もアリなのです。前例がないから、常識からはずれているからと
いって否定するのは、まったく科学的な態度ではないのです。・・「大仮説」と
呼ばれる仮説があります。現在の常識から考えると、ちょっと疑わしい仮説のこと。
でも、そんな「黒い(まちがっているように思える)仮説」であっても、
頭ごなしに否定することではできません。もしかしたら近い将来、大発見で
これまでの常識がひっくりかえって、大仮説こそが「白い(正しいと思える)
仮説になっているかもしれない。現在、進化論を信じている人が、たった
37%。 いまのアメリカで物議をかもしだしている科学論争に、
「インテリジェント・デザイン説」というものがあります。直訳すると
「知的設計説」ですね。人類の起源の話です。むかしは、聖書の記述通り、
約6千年前に人類は神によって創られたという「創造者説」が一般的でした。
それに対して、すごく原始的な生物から40億年という時間をかけて少しずつ
進化していったものが人類であるとしたのが、ダーウィン(1809〜1882)。
 ひとことでいうなら、知的設計者説というのは、このダーウィンの「進化論」
に対する対立仮説なんです。これは、カリフォルニアサンディエゴ校で
1999年に作られた仮説です。宇宙のどこかに知的設計者がいて、その知的
設計者がDNAを設計して、生物を創りだしたという説なんですね。だからこれは、
形を変えた創造説といえなくない。ただし、聖書に書かれているような神様で
はなく、あくまで知的設計者という言い方をします。 さて、この説を高校や
大学で教えていいのかどうかという議論が、いまアメリカで盛んに行われている
のです。「進化論は正しい、検証された仮説なんです」というように教える
べきか、あるいは「進化論はたくさんある仮説のうちにすぎず、対立する仮説と
してはたとえば知的設計者説というものがあります」というように教えるべきか。 
そういう論争なんです。日本では、まだこの問題は論じられていませんが。 
それでブッシュ大統領が、この問題に関して、後者(知的設計者説)の
ようにしたほうがいいだろうみたいなことを公の場でいって、一気に大騒ぎに
なっているんです。 ・・13歳から17歳までのアメリカの若者に、
ダーウィンの進化論についてアンケートをとった結果があります
それによると、ダーウィンの進化論は証拠によって支持された、検証済みの
科学理論であると思っている人は37%。たくさんある仮説のうちのひとつに
すぎず、それなりに検証されているが確定的ではないと思っている人は30%。
残り33%の人は「わからない」という結果です。これから、若者のあいだ
では進化論が揺らいでいることがわかります。・・ ≫
▼ 実際に我われは三次元の世界しか知ることが出来ないが、
 4次元〜10次元の世界があるという。その次元の存在が三次元の我々の
世界を操作しているとしても、我々には認識しようもない。一神教はアッラー
の神が、それにあたると主張するだろう。最後は宗教問題に行き当たる。
宇宙や世界の存在の不思議が深まるにつれ、認識と判断は困難になっていく。

・・・・・・
4835,「出羽の守」の功罪
2014年06月10日(火)
  ー(耕論)「出羽の守」の功罪ーより 
 新鮮な海の魚貝などの港で、レポーターが、軽いのりで、
『これって、東京では、高くて・・』などを聞くと、またか〜何様じゃ御前は。 
東京は東京、産地は産地だろうに!と。高校を卒業し上京した時、注意された
のが、私の口癖、『いわゆる○○』。無意識で、『私の言葉では○○』の置換え。
小さな厚い殻から、社会や知識を置換えていた、自身の出羽の守を指摘された
のである。 朝日新聞の文化欄のー「耕論」「出羽の守」の功罪ーが面白い。
  ーまずは、その一つからー
《 あなたの周りにもいませんか。「アメリカでは」「ネットでは」を連発する
 「出羽の守(かみ)」。うんざりすることもあるけれど、聞けばもっともな
 こともある。その弊害と効用とは。
   * ペンギンに飛べと言うな   野島博之さん(予備校講師)
「出羽の守」を抜きにして、日本史は語れません。「中国では」という形で、
実に多様なものを取り入れてきた。古代なら律令と仏教、中世は禅宗、近世は
朱子学がその代表例です。日本の「出羽の守」には二つの特徴があります。
・一つは、「出羽の守」ならではの吸収力を生かして、
 ときどきの文明を高次化してきたこと。
・もう一つは、最初は「出羽の守」で始まったものの多くが、
 やがて日本化・独自化したことです。
日本のものすごい模倣力を示す好例が古代の都です。7世紀の終わり、日本は
中国の古典に学んで、宮城が都の中央に位置する藤原京という壮大な都を築いた。
ただこれは、当時の唐の都とは異なっていました。8世紀初頭の遣唐使が唐の
最新情報をもたらすと、日本は藤原京をあっさり捨て、今度は長安城にならって
宮城を都の北端におく平城京の建設開始。東京スカイツリーを3基も建てた
国家的プロジェクトの直後に、「あれ、ちょっと違うぞ」ということになって、
また3基、別の場所に建て直した感じです。 日本化・独自化という点では、
茶の湯や枯山水がわかりやすい。いずれも禅宗に起源をもち、やがて、追随
しがたい小宇宙とでもいうべき日本独特の様式を作りだしていきました。
よく知られているように、幕末以降、西洋文明の導入にも日本社会は異常な
エネルギーを発揮しています。この過程で、帝国主義的な態度や行動も身に
つけた。欧米諸国は第1次世界大戦のもたらした悲劇を背景にして、そうした
行動様式を転換していくのですが、大国意識を強めた日本は、第1次大戦の
教訓を真剣に学ぼうとはしなかった。そこには仕方のない面もありましたが、
ただこの「出羽の守」精神の決定的な欠如は、後に日本がみじめな敗北を喫する。
 現在の日本は、キャッチアップ型の社会を終え、あらゆるところで「今度は
自分で飛べ」とけしかけられています。でも、日本は飛んだことのないペンギン
のようなもの。突然変異は容易じゃない。夢をあきらめる必要はないけれど、
ペンギンはペンギンらしく、まずは自分の得意技を、とことん磨くべきです。
・・(中略) イノベーションと「模倣の果て」はほとんど同義です。
ぶれずに考えて考えて、また考える。細部にこだわって工夫して工夫して、
また工夫する。この精神が必ずブレークスルーをもたらしてくれます。 
ペンギンは空は飛べないけれど、水中なら自在に動ける鳥類ですから。
                      (聞き手・尾沢智史) 》
▼ 高校を卒業後10年あまり経った後、Uターンで地元に帰って驚いたのが、
「長岡出羽守」の世界。実は現在も驚きは同時進行。 その違和感が強く、
同窓関係と、一部の人以外、殆ど付合いがない。それぞれの地区の出羽守には、
プラス・マイナスの両面がある。 私自身は、さしずめ「堀井誠作(父の名)
出羽守八郎」。流通先進国の米国出羽守で、何時の間にか、流通で米国に追い
ついたら、こんどはネットで、アメリカに先をこされた。ネットは、デジタル
の世界。果てることのない『出羽の守』が出現してきて、その功罪は大きく
なっていく。
・・・・・・
5930,閑話小題 〜褒められることと、貶されること
2017年06月10日(土)
    * 褒められること、貶されること
 人とは貶されたことは直ぐに忘れるが、褒められることは、いつまでも
憶えているもの。若いうちは逆だったが… これは生きていく上の知恵で、
褒められたことを何度も思い返し、嫌なことは隅に追いやるためである。
だからこそ、人は生きていけるのだが。
 作家の渡辺淳一が、「女性に持てたいなら、心を込めずに褒めなさい」と
述べていたが、正に、女心のアヤをついている。何気なく、思いのままフッ
と褒めた言葉が、いつまでも心に残るもの。貶すも、褒めるのも、たった一言
で済むのならば褒めるが勝ちである。女性の多い職場に長くいて感じることは、
思いの外、美人は持てないということ。そしてナルシストのこと。視線は感じ
ても、直(じか)に、褒められる機会が少なく、褒め慣れていないのである。 
だから、下心を?持たないで、さりげなく褒められるのに弱い。逆に貶される
ことに、人は、意外と強いのである。 何故に、こうなるのだろう? 
褒められると、全人格まで肯定された錯覚に陥るからである。営業専門職は、
「褒め殺し戦術」を身に着けることが第一歩とあいなる。一番、巧妙なのが、
「教えを乞う」のである。そして、教え頂いたことに過剰反応を示すのだ。
有能な営業マンは、それ故に、相手以上に、相手の知識、ノウハウを身に
着けていき、芸術的技術となっている。 当然、女性にも向けられるが、逆に
警戒されて門前払いされるケースが多いようだ。
 20、30歳代の頃、「三度褒め」を若い美人に限って、心がけていた。
より効果があるのは、内語として繰返し思っている方が、より相手に伝わる? 
で、持てていたかといえば… そうでもないのは如何なることか。
この「三度褒め」、全ての人に実施していたら、人生、変わっていたのだろう。 

・・・・・・
5565,閑話小題 〜にほん縦断こころ旅 〜
2016年06月10日(金)
  * 世の中にはこんなに面白い人たちがいるんだ!  火野正平
 この番組で立寄る道路沿いの食堂の場面がよい。家内は、その場面になると、
台所からやってくる。食堂の御上さんの、さり気ない人柄に味わいが滲み出る。
番組は、この3月で六年目。去年の秋に通算五百日を突破したから、一年で
百日は自転車に乗っている。 私はまる7年間、一年230日間として、
1600日、一日、12キロMとして、大よそ、1万7千キロになる。ただし、
私の場合は、同じ道を一周して帰ってくる散歩かわりのポタリング。一度、
雨道でスリップをして地面に叩きつけられたことがあるが、転倒は、一度だけ。 
  〜後半からコピー
【 この番組のいいところは、手紙に書かれている風景が見えなくても、
それで終わりにすること。例えばタ焼けって、天気が悪かったら見えないけど、
それはそれ。「見えないからごめん」って。静岡に二週間いても富士山が一回
も見えなかったり、富山に行っても全然立山が顔出さなかったり。
あとは「心の目」で見てください、と。
 よく「人との触れ合いが面白い」と言われるけど、そこまで意識はない。
番組だから地元の人に声をかけているだけで。もちろんべっぴんは好きだよ。
遠くにいても、可愛いと直ぐわかる。後で番組を見直しても、こんなきれいな
人をよう見つけたなと思うことも多い。でもそれ以上に「世の中にはこんなに
面白い人たちがいるんだ」と気がついた。いい子、可愛いおばちゃん、おもろい
爺ちゃん。そういった人たちに、俺は嫌われていなかった、というのも驚いた。
自分でもあまり良いイメージはないだろうなと思っていたから。
これは発見やった。休みのときも、街でよう声かけられるもの。
 五年もやっていると、体がしんどくなることもある。前期高齢者だから。
基本的には日曜に集合して、月曜から木曜まで走って、金・土が休み。
監督もカメラマンも音声もローテーションで交替していくけど、俺だけは
出ずっぱり。だからギャラが一番高いんだと思うけどさ。また冬は放送が
なくて三カ月ぐらい休むから、春は旅に出て最初の一、二週はしんどい。
「今回は大丈夫か?」ってなるけど、三、四週とやるうちに「行けるん違うか」
ってなる。体が順応できるようになっているんだね。これまでトレーニングも、
体調管理なんてしたこともない。検査も行ったことないし。きっと管理なんか
したちストレスがかかって逆におかしなると思うね。野放しで行けるところ
まで行きたい。そうしたらこの前テレビに養老孟司さんが出ていて、78歳で
タバコは吸うし、酒も飲むし、検査も絶対に行かないって言っていた。
解剖医なのに(笑)。それを見て新しい目標が出来たなと思ったよ。最後の最後に
密かに行きたいと考えている自分の「こころの風景」はある。カウァイ島なんだ
けど、本当に涙が出てくるような風景なんだ。いつかご褒美で行かせてくれへん
かなと思っているけど、ど、うやろう。『にっぽん縦断』やから難しいかもな。】
▼ 前期高齢者の火野は、雨天の時は、結構しんどそうだ。通りすがりの人や、
 乗用車から、『いつも、見てますよ』の声が、視聴者全員の声を代弁する。
7年間の毎朝のミニサイクリングで、平日の信濃川の長岡大橋と大手大橋を、
iPodで音楽を聴きながら、鳥の声と、爽やかな空気と陽光を受け走っていると、
『早起きと、一寸した工夫で、毎日、夢のような快適な時間を過ごせるのに、
何故、誰も気づかないのだろう?』と思うこと度々。この閉ざされた時空の中
では、毎朝、毒出しをしないと、精神のバランスが保てないこともあるが。


6296,久々のパレートの法則 〜3

2018年06月09日(土)

   * 世間を『3:10:60:27の法則』で分析すると
 数日前の『3:10:60:27の法則』から、世間という妄想を分解する。
世間度数は、下位にいくほど影響度が高くなる。それは、法則それ自体が、
それを語っている。
《 ハーバード大学が調査して実証したデータ。 人生は、
・27%の人が、何も知らず、自分からは何もせずに生きている人
・60%の人が、知っているけど、行動しない人
・10%の人は、知ったことを、出来るようにした人
・そして3%の人は、無意識に出来てしまう人です。
この27%と60%を足した87%の人達がサービスを受ける側の人、
13%の成功者が提供する側の人です。もっとキツイ言い方をすれば、
87%の仕掛けられる側と13%の仕掛ける側に分かれています。》

▼ 以前に、私と家内との会話を事例に「世間話のでき方」のテーマを書いた。
ただ流されるまま生きてきた87%が、何気ない会話や、親元や学校で、知らず
に感化された分厚い固定観念。それに様々な環境が、本人を世人に育て上げる。
知識と経験を積むにしたがい、そのカラクリに気づくことになる。だから、まず
手軽な読書習慣と、読書録の作成が必要になる。それがないと、考えない世人と
して蔑視され、無意識のうちに自身を分類することになる。 会話は出来るが、
対話が出来ない層が87%。当然、13%にも存在するが、その比率は低くなる。
そこに長年かけたライフワークがあるかどうか。後にコピーするが、やはり、
5歳までの基盤構築が必要ではなかろうか。逆に基底欠損の人が多い。

【熊:おれは27%で、寅は60%、八ちぁんは10%、大家は3%かい。
 寅:いや、俺は40%さ。八は世間をシリアスに貶しているからな。
  でも歳をとるたび、人嫌いになってるからね。
大家:私が3%ですか。5〜6%辺りじゃないか。それにしても、
  この法則を世間度数に当てはめるとは流石。世間、現実に埋没するほど、
 危険なことはないことは確かだよ。 今日から、『終わった人』という
 映画が上映されるというけどね。東大出の銀行マンでも、ライフワークを
 持たないと、こうなるんだ。
八:このブログを読める層は、ライフワークの必要性を気付いているだろうが…
 仲間内のゴルフか、カラオケが、それじゃあ、節目がつくれないよ。
寅:10年前にさ、映画室が10ある映画が郊外に出来た際に、八つぁんに
 勧められて月に1〜2度通いを始めてさ。御蔭で、少しは世界は広まったよ。
八:まだまだ、私は毎週だよ、毎週。それに寝室で、連日、4時間近くは、映画
 とドラマ三昧さ。それが飽きないの。
熊:世間話の功罪、何時も聞かされているので、注意して他人様の話を聞くとさ、
 あれってヤバイよ。この御蔭で、最下層より上層の35%と思ってるんだ。
大家:そのとおり、馬鹿な中傷を言わなくなったしね。
八:バカは死ななきゃ治らないというけど! 人の粗探しより、自分の好きな
 ことをしろよ。 そう誰も自分は違うと思ってるらしいが…。  

世人:何にも考えず、何もしないで、周りの気だけをつかい、楽しそうに諂って
 生きてきたが、ちっとも面白くなかったよ。だから、他人に腹が立つんだよ!
 「上を見れば腹が立ち、横をみれば腹が立ち、下を見れば底がなし、さ」 
 誰か私の人生を慰めて欲しいけれど、今さらか! 若い時節の私が、今の私を
 嘲笑しているようだし、何か大きい穴がポッカリ空いている苦痛を誰ぞ知る!
 『基底欠損』と一言でいうが、それは、両親の質の問題だろう。それと時代。
寅:世人の生き方も良いじゃないですか。それも良しと、心の底からいえるかだ。
 ただ自分がバカだと自覚はしているがね。一番、立腹すべきは、あんた自身さ。
 泣いて、喚いて、七転八倒し、全身で感動し、感涙しなかったことは、アンタ
 自身の問題。おれ、これでも、してきたさ。だから、ここで実存しているんだよ。
熊:俺だってそうだよ。尤も何も知らない、持たないことで、逆に実存してるけど。

・・・・・・
5195,魂が擦り切れるまで哲学に徹したか
2015年06月05日(金)
   * 哲学という気晴らし  〜『人生、しょせん気晴らし』中島義道著 
 こういう文章を読むと、<この10〜20年、独学で「哲学」を学んできま
した>など、よくも言っていたと自嘲をする。どの道も、命がけでなければ
プロとはいえない。「ひきこもり」と「哲学をする」は、紙一重。
 20歳代に、スランプになると、度々、六日町にある「雲屯庵」という禅寺に
本を持ち込み座禅をしていたが、そこの若い雲水が、時々、「野狐禅など
してもしなくても同じだ」と強烈な批判をしてくれた。若い雲水は命がけで、
禅道を歩んでいるのに、少しの挫折で横たわる代わりの私の野弧禅など、
この馬鹿野郎である。しかし今から考えると、決して無駄ではなかった。
 これと同じことが、哲学の道でもいえる。 〜その辺りから(p91)
≪ 私が哲学にのめり込んだのは大森荘蔵先生に会ったからである。東大
 法学部に進むはずであった二十歳の私は、突如哲学に鞍替えしようと決意した。
その頃、大森先生の書いたものをむさぼるように読んでいた私は、大森先生に
じかに会って、いったいこんな自分でも市民から哲学者という「ならず者」へと
転落する資格があるのか賭けに出た。「駄目だ」というわずかな言葉をも、
視線をも、サインをも見逃さず、その時は哲学を潔く諦めよう。
 こうした悲壮な決意で先生に対したが、思いがけないことに、私は先生から
文句なしの適性を保証されてしまった。「来なさい」と言われ、胸も張り裂けん
ばかりに嬉しかったが、同時に奈落に突き落とされた。ああ、これで俺はもう
まともな市民としては生きていけない。哲学で行き詰ったら、後は死ぬしかない
と思い、泣きたくなるような気分だった。 それがまもなく現実になった。
法学部を捨てて先生の所属する教養学科の科学史。科学哲学分科に進学するや
否や、私は深刻なノイローゼに陥った。現実の哲学に失望したわけではない。
哲学は、そして先生はますますすばらしい存在として私に迫ってきた。だが、
だからこそ、自分に絶望した。そんなにすばらしい世界が与えられたのに、
それを充分活用できない自分の愚かさ、無能さに絶望したのである。
 蛆虫のような老婆を殺した瞬間に、自分もまた蛆虫だと悟った『罪と罰』の
ラスコーリニコフのように。俺は誤解していた、分不相応の高望みをしていた、
俺は真理のために生きることなぞできないのだ、俺はやはり蛆虫として真理を
横目で睨みながら何もわからずに死ぬほかないのだ。そう思った。そう思って、
自分の浅はかさを嘆きながら引きこもり、死ぬことを考えていた。
 ずっと後になって、奥様から「あの頃たびたび、主人は中島君自殺するかも
しれないと言っていました」と聞かされた。そんな苦しい時でも、私を哲学
へと「誘惑した」先生を瞬時も恨んでいなかった。ただ、せっかく見込んで
くれたのに、こんなテイタラクで申し訳ない。そのために死のうかと思った。
それからいかにして「治った」のかは、長い話になるので割愛する。
とにかく、私は門下の仲間たちとはよほど違って不思議なほど転び、蹟き、
滑りながら、哲学を続けている。といって、私は先生に普通の意味で
「感謝している」わけではない。私が駆け込み寺のように先生のもとに身を
寄せてから、本当に辛くきつい人生が待っていた。だが、私はこうしか生き
ようがなかったのだから仕方ない。先生との出会いも運命であり、私が哲学
を志すと「そこに」先生がいたのだ。 先生は私の恩師であろうか? 
いまさら「恩師」などと言えば、「私は中島君の師であったことなどない」
と切り返されるであろう。そうなのだ。私が先生を、一番煩わせた問題児で
あったとは確かであるが、先生は私の恩師なのではない。私は先生に哲学とは
こういうものだということを教えてもらったが、その後いまに至るまでその通り
のことをしていないのだから。だから先生は権威・権力におもねることを蛇蝎
のように嫌った。『哲学の教科書』がベストセラーになり、わずかの褒め言葉を
期待して勇んで病院に見舞いに行った時、「もう少ししたら何か言います」
と言われた。だが、何も言わずに死んでしまった。これもずっと後から聞いた
話であるが、私がウィーンから帰ってきて人より十年も遅れて駒場の助手に
なった頃、「今度帰ってきた中島という男は難しい所もあるが、どうか寛大に
見てくれ」と哲学仲間に訴えていたという。何も知らなかった。涙が出る思い
である。それほど気にかけてくれた先生は、物書き業に堕した私を許してくれ
ないであろう。魂が擦り切れるまで哲学をしていない私を軽蔑するであろう、
それが苦しいので、時折私は必死に叫んでみる。「私は先生とは違うのです、
こういう形でしが哲学ができないのです」そうしながら、「それでいいのだよ」
という先生の優しい言葉を期待する。だが、いくら耳を澄ましても何も聞こえて
こない。≫
▼ 何度も読み返えすたび、その都度、それぞれの青年期の節目の苦悩が蘇る。
 多かれ少なかれ、青年期には、各自が、似たような苦悩を抱えて苦闘するが、
いつの間に現実に同化してしまう。で、娑婆娑婆して、この有様! 色即是空

・・・・・・
2016/06/04
フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜
 
 最近になって、『男はつらいよ』のシリーズの再放送を見なくなったが、
以前は再放送の度、何度も観ていた。もちろん48作の全部を観ている。
TVの再放送を含め平均3回を観たとして、150回は観たことになる。
特に浅丘ルリ子の、リリー役ものは、5〜6回以上は観ていた。この映画が
始まった1969年は、新社会人として、四日市、神戸、桑名と、転勤生活の中で、
家族の温みを寅さんの実家の団子屋の中に温みに求めていたようだ。 
精神分析医と、『男はつらいよ』の山田洋次監督の対談が、なかなか面白い。
  * 寅は「基底欠損」   <山田洋次:名越康文 対談>より
≪ 山田:寅は「人間というのはこんなにみっともないよね」という恥部も
 見せてくれる。自分が食る分のメロンがないというだけで、「どうせ俺はね、
 この家では勘定に入れてもらえない人間だからな」と言って大ゲンカしたり。
名越:有名なメロン騒動ですね(第15作『寅次郎相合い傘』)。『男はつらいよ』
 を全作観て、僕は寅さんの中にとめどないブラツクホールのようなものを
 感じました。寅さんを心理分析すると、99%は温かいものでできているけれど、
 残りの1%に、ダークマダーのようなものがギューッと凝縮されている。
 それは下手したら温かい99%を無にしてしまうようなすごい闇です。
「俺の気持ちをわかってくれ!」という精神的な甘えも強烈で、カッとして暴れる
 こともしょっちゅう。じゃあなぜ寅さんにこのような攻撃的なエネルギーが
 生まれるのかと考えた時、「基底欠損」という精神分析用語がハッと頭に浮か
 びました。幼い頃、親に甘えても受け入れてもらえなかった。おっぽいが十分
 に吸えなかったとか、抱っこしてもらえなかったとか、満たされるべき欲求が
 満たされなかった。そういう根本的な愛情や安心感の欠如が、大人になって
 から甘えたり、無理を言うことにつながってしまう。寅さんもそうすることで、
 親に拒絶された「欠損」を埋めようとしているんじゃないかと解釈したんです。
山田:とても面白いですね。「基底欠損」という言葉を初めて聞いたし、そういう
 心理学的なことは何も知りませんでした。だけど、寅みたいな人間はどこか心
 の中に空洞があるんだろう、そういう人間って、赤ん坊の時がひどく不幸
 だったと考えて、寅が産みの母に捨てられたという設定にした。≫
▼ 私の母親が、世にも珍しい<ママ父>虐めの被害者。その恨み辛みを、
 ことあるごとに聞いていた。3人の子供を残して逝った父親の後添えに、
祖母は男後家と再婚、八百屋を維持した。その義父との間に4人の子供が
できたが、義父は徹底して3人を虐めたという。祖母も、男後家の関係上、
3人には冷たくせざるをえず、一番末の母は、幼児の頃から、両親の温みを
知らないで育った。その為、自分の子供に対して、どう愛情を与えて育てて
よいのか、知る由もなく、それが、母親の「基底欠損」である。当然、その
子供も、基底欠損になる。何れも多かれ少なかれ、それを持っている。
両親の温みの実感が無いのも辛いものがあるようだ。  〜つづく

・・・・・・
2016/06/05
フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜

   * 強烈なミヤコ蝶々の母役   <山田洋次:名越康文 対談>より
 なぜか、シリーズの中で印象に強く残っているのが、寅の母親。
ミヤコ蝶々が演じていたが、これがハマリ役。寅の『基低欠損』の原因である
関西のオバアチャン。 私事になるが、終戦直前に焼出された商家再建の中で、
産まれ育った。両親は商売に熱中、私を含めた8人の兄姉たちは、親の直の愛情
を受ける機会が少なかった。その中、末っ子もあって、兄、姉たちだけでなく、
多くの従業員の愛情を一身に受けたのが大きい。両親は、気が向いた時だけ
愛情を注いでくれていた。その代わり、美人の女店員に付いてまわっていた。
 ふと思いついた言葉が、私に関しては「基底肥大」。兄、姉は、終戦の
最中の混乱で、『基低欠損』が大きくあったような。 
〜これは、何れの家庭にいえることだが。条件と原因は、ほぼ同じ働きをする。
≪山田:自覚はしていないけれど心の中に空洞を持っている人間、寂しさを抱えて
 いる人間は、そこを埋めたい埋めたいと意識の下で思っている。だから、時々、
 ヒステリカルに怒ったりしてみんなに嫌われたりするということでしょうか。
名越:寅さんは第二作で実の母親に会います。しかし京都でラブホテルを経営して
 いる母親役のミヤコ蝶々さんがこれまた強烈で、せっかく念願の親子再会を果た
 したのに、「今頃、何の用やねん。あっ、銭か、銭はあかんで」と、サラッと
 言われてしまう(笑)。
山田:撮影した後、そういう残酷な母親を演じさせた僕に、蝶々さんは
 「気にしなくてもいいんですよ」と言うんですよ。「わてはこういう汚い役は
 好きなんや。その奥に、人間のキラッとしたものが見えればそれでええんや」
 と言っていました。
名越:さすが蝶々さんですね。この第二作の中で、蝶々さんは「どの世界に、
 喜んで子供を捨てる親がいるんじゃ!」とズバッと言いす。-このセリフが心に
 残るんです。ぞしてラストシーンでは、橋の下で、寅さんが母を追いかけている。
 あの場面は本当に象徴的で、カウンセリングを山のようにやってきた人間から
 すると、「そうそう、これしかないんだよな」と思います。つまり、子供の方が
 一生懸命、親の「理想像」を作り、それをいつも追いかけているんです。≫
▼ 母親が亡くなった時、医師の依頼で、解剖をすることになった。
 兄二人が、たて続きに不幸な死に至った苦悩で極度のノイローゼに陥って、
数年間、心筋梗塞などで死線を彷徨った中で、心臓の4分1が壊死をしていた
ことがわかった。医師は、よく生き延びていたと、驚いていた。その中で、
生き残った6人に、深い『基底欠損』が、当然あった。青年期に至るまで、何度
も亡くなった兄二人が夢に出てきていた。その傷を抱え、膨大なエネルギーを
要する創業を、我ながら目指したもの。その経験があるため、第三者の批判の
軽さに心底から蔑視ができる。批判は自分の影に対する反映でしかないのが
自覚できない。影口の呟きで、自分の壁をつくっているのが、俗にいう世間人。
 〜で、また偶然だが、以下につづく!

2016/06/06
フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜

 「基底欠損」を、ネット検索すると
≪ ■概要
 基底欠損とはBasicFaultの日本語訳で、「基本的信頼感の欠如」を意味する。
基本的信頼感とは人間の根源的な信頼関係であり、お母さんと赤ちゃんのような
何物にも代えがたい関係を言います。この基本的信頼感がしっかり形成されて
いますと、精神的にも情緒的にも安定した状態でいられます。
 基底欠損はこの基本的信頼感がうまく形成できていない状態で、そのせいで、
世の中や他者に対して信頼をおくことが難しい状態をいう。言い換えれば、
世の中や他者に自分の身を預けて安心することがなかなかできません。
 パーソナリティ障害では、情緒不安定パーソナリティや境界性人格障害など、
この基底欠損がみられる。≫ とあった。 
――
名越が山田洋次との対話で、「寅さんのように幼少期に愛されずに育ったため、
恋愛などで相手と関係を構築できなくなることを基底欠損という」と述べ、
山田監督に、「もし僕が寅さんに『基底欠損ですよ』って言ったら、
『てめえさしずめインテリだな!』って返されますかね」と聞いたところ、
山田は「いや、『俺は基底欠損ってんだそうだ』って、自慢するんだろうね。」
と答えていた。 名越の一映画ファン兼心理学者のマドンナ=女優評も面白い。
・吉永小百合「謙虚で清純で、優しくて気高い、でもどこまでも頑固で
 人から影響を受けない性質」
・竹下景子「かわいらしいけれどもどこか野暮ったく、知的だけれども控えめな
 『ザ・日本女性』」
・都はるみ「芸を売って生きる女の悲哀、色気、さすらう人生が匂ってくる」
マドンナ・リリー役を演じた浅丘ルリ子については、ない。
▼ さしずめ私は「基底肥大」と前回書いたが、基底欠損と、基底肥大が入り
乱れた歪な性格になる。親の愛情こそ必要なのが人間。その絶対量が、その人
の人生を決めることになる。 何故か、長女のA型の女性に引かれるのは、
優しさと、芯の強さを母親代わりに求めるためか。「この人の、基底欠損、
基底肥大は何か?」と知るだけで、その人となりを知ることができる。
 ところで、日本の基底欠損、基底肥大は何かを、今度、考えてみる。


6295,哲学の窓 〜「モナド」とは

2018年06月08日(金)

哲学の窓 〜「モナド」とは

   * 精神的存在の原子にあたる言葉、「モナド」
 神の存在が深く信じられていた古代、中世には精神的存在の原子にあたる言葉
を語ることは、神への冒涜として論じられなかったのか。概念上の『点』としての
『モナド』。そして『予定調和』で最善に導かれていく考えは、非常に面白い。
  〜『哲学用語図鑑』ーP120
≪ 世界を精神的存在と考えるなら、それらを分割していくことが可能になる。
ライプニッツは、この精神的存在の原子に相当する概念を、『モナド』と呼んだ。
そして、世界は、このモナドが調和しあって出来ていると考えた。彼によると、
「世界は最善になるようにあらかじめ神によってプログラミングされていると
いう考えを多元論という。
モナドは、原子論に似ているが、原子のような物質ではなく、概念上の「点」。
モナドは1つとして同じものはなく、互いに連絡し合う手段を持っていない。
「モナドは窓を持たない」 すべてが神のプログラミング通り動くとされている。
精神を分割し、更に分割し、その上に分割した最小の点がモナドである。
モナドが世界を最善になるように予定調和で最善の世界を創るもので、世界は
偶然できたものではないと… 要するに楽観的に世界を捉えているのが特徴。
 ライプニッツにとって、世界はただ「ある」のではなく、神が最善の状態に
くだしたから、そう「なった」のです。これを「充足理由律」という。
 要するに、どんな出来事にも十分な理由がなければならないという原理。≫

▼ 物理的存在の、原子は、古代哲学から取上げられていたが、精神的な
 最少単位については考えられなかった。そこでライプニッツが、初めて取上げ
注目された考え方。面白い考え方だが、人間に都合のよい神の楽観的傾向が見て
とれる。世界の知性が問われる現代。トランプ、金、習、プーチン、安倍…
何でしょうか? モナドの最小の『点』からして… モナドですか?
現代の国際政治を問うこと自体が、間違っている。 どうなるのでしょう。
「世界は最善になるようにあらかじめ神によってプログラミングされているはず」
なのに。

・・・・・・
4466, 余命半年 −4
2013年06月08日(土)
          「余命半年〜満ち足りた人生の終わり方」大津 秀一著 
 * 末期から死ぬまで   
 ー末期の現象をまとめてみると、
≪ 「末期」の一つの定義は、余命六ヶ月以内、である。しかし、その状態の
 悪化は右下がりの直線ではない。 要するに、調子がズッと良かったのが、
急に悪化するケースや、凸凹であったりする。
・緩和治療を行っている患者の場合、死の1〜2週間前まではそれなりに元気
だが、その辺りから身の置き所がないような全身倦怠感が強くなる。また点滴の
量が増えることもあり、むくみが酷くなったりする。この時期が一番、患者に
とってきつい症状。そして歩行が困難になり、トイレに行くのも困難になる。
特に、きれい好き、清潔好きの人にとって辛い。 他にも食べものや水分を
飲み込むのも難しくなる。喋り辛くなり、耳鳴りがして、口はカラカラに
渇くなど様々な苦痛症状が出てくる。だから、1〜2週間前辺りまでに、
できることは早めにしておくべき。 
・そして、余命日単位になると、患者の苦痛も限界に近づき、家族の心労も
募ってくる。この時期に家族を苦しめるのは、患者の混乱、錯乱である。
「つじつまの合わないことをいったり」「周囲の状況が全く理解できなかったり」
「幻覚がみえたり」するなど、大声を上げたり、暴れたりするなど、患者を
見守る家族の苦痛は大きい。 そうだとしても、家族は身近にいることが大事。
無くなる24時間前が、そのピークなる。それが「最後の山」という。
・余命数時間単位になると、痰がつまってゴロゴロ音がずっと続いたり、
呼吸が荒くなったりするが、患者の苦痛はない。 しかし聴覚は最後まで
保たれるので、発言には十分に注意が必要。その中で、家族も辛いだろうが、
傍に付き添うこと。最後は、お医者さんも、教えるだろうから、大声を出す
のではなく、静かに耳元で囁きかけ、手を握ってやったり、身体を擦るのが、
死出への旅立ちにふさわしい。
・最後は、まず呼吸の仕方が変化をし、下あごを突き出すような医学語で
いう下顎呼吸になり、数分から数十分で呼吸が停止する。呼吸停止後、数分で
心臓も停止。その時が、死亡時刻になる ≫
▼ 実際の臨終に立ち会ったのは、近くに住んでいた伯母と、母親である。
 父の臨終は、私が当時、立ち上げていた千葉のビル現場の打ち合わせで立ち
合えなかった。臨終の場面は人生が終わるのだから荘厳だが、厳しく生々しい。 
家族も疲労困憊する。幻覚、幻聴、錯乱などは付きものと割るきるしかない。
母親の子宮から、管につながれ、のたうち回って産まれ出て、それぞれの
一生を生き、最後は管に巻かれ苦痛の中で死んでいく。せめて、その間、
精一杯生き、悔い無い終わりを遂げたいもの。末期を具体的に想定する
ことは、高齢者の生き方を考える糧になる。で、偶然だが、以下文に続く。
・・・・・・
5563,「オカネがなくても楽しめる社会」に住みたい
2016年06月08日(水)
   * 私の住みたい社会       
 雑誌に、私の現在の生活に似た生活を理想とするレポートがあった。
リタイアをし、年金生活に入って5年余り、隠居という身になっても、修行僧?
のような真面目なスケジュールに慣れ親しんでいるためか、思いの他、不自由も
肩身の狭い思いもない。この生活習慣が、著者の「住んでみたい社会」の生活に
近いから驚いた。4時に起床、この随想日記を書き上げ、ネットにアップした
6時過ぎに(冬期間を除いた)ほぼ毎日、一時間、電動アシスト自転車でミニ・
サイクリングに出る。200M先の栖吉川の土手と、バイパスと、信濃川・土手で
コースの9割以上を占めていて、ポタリングには、これ以上ない快適なコース。
これに午後1時から2時間、近くのSC内のスポーツジムに週5日通っている。
他に週1回のシネマ通いと、月に1回の飲み会を入れれば、もう十分満足である。 
≪   ☆「私の住みたい社会」 青山文平: 
「どんな社会に住みたいか」と問われたら、私は迷わず、「オカネがなくても
楽しめる社会」と答えます。オカネがたくさんある方と、そうでない方とでは、
どっちが多いかといえば、そうでない方のほうと思えるので、社会が「オカネが
なくても楽しめる社会」になれば、誰にとっても楽しい社会になるでしょう。
 しかも、オカネがなくても味わえる楽しみというのは、けっして我慢した
楽しみではなく、けっこう奥深いのです。むしろ、オカネを使って味わう楽しみ
よりも深いかもしれません。 たとえば、もしもいま住んでいる町がすごく歩い
て快い町で、毎日散歩してもぜんぜん飽きないとします。その日々の散歩は、
年に数回行く海外旅行よりも楽しみの深度が深くて、つまりは贅沢であると
言えないでしょうか。そういう町を多く抱く社会はまちがいなく、「オカネが
なくても楽しめる社会」でしょう。
 私は散歩もよくしますが、自転車に乗るのも好きです。気に入った自転車
さえ手に入れれば、あとはほとんどオカネのかからない楽しみですが、残念
ながら、私の暮らしている地域に、自転車で走って気持ちいい景観を待つ道は
数えるほどしかありません。昔、仕事でスコットランドや北イタリアに行った
ときは溜め息が出ました。どこをクルマで走っても、全域、自転車好きなら
よだれが出そうな道ばかりなのです。 ちなみに欧州では、日本ではすっかり
下火になってロードバイクに取って代わられた、クルマで言えばジーブタイプ
のマウンテンバイクもいまだに人気です。マウンテンバイクで走って楽しい
シングルトラックなどの道が、遠征などしなくとも、毎ヨ暮らしている町の
かたわらにあるからです。自転車造びが楽しいかどうかは道しだい。
自転車はいい道を楽しむ遊びであって、マウンテンバイクの不人気はそういう
道がないことを表しているのです。 ・・(中略)
「オカネがなくても楽しめる」遊びが、逆に消費を拡大させるかもしれません。
いま求められている遊びは、そういう深い遊びのような気がします。欧州には
「キャナル.ツアー」という楽しみがあります。実は、欧州には網の目のように
運河が張り巡らされていて、その運河を使うだけで地中海から北海へ抜ける
ことが可能なのです。けっしてカネモチの遊びではなく、定年退職者の夫婦が、
キッチン・ベヅド付きの中古のボートがあれば、あと必要なのは燃料費と、
家にいてもかかる毎日の食費だけです。これまた、「カネがなくても楽しめる」
深い遊びなのです。そういう社会に私は住みたいのですが、いまの日本は、
さて、どうでしょうか。≫
▼ 一月あたり6000円のスポーツジムに、週一のシネマ館通いで月に5000円、
 月に一度の飲み会が10000円、読書の本題は近くの図書館が主で、ほぼゼロ。
毎朝のミニ・サイクリングがゼロ。パソコンとTV代が10000円で、酒と肴で
20000円で、大よそ合計5万円が、月あたりのお遊び代。これが「オカネが
なくても楽しんでいる生活」かどうか分からないが、満足をしている。
 振返ってみて、仕残してしまった悔いが少ないためか、遊ぶ金が欲しい、
何かが欲しいと思わないでいられるのが有難い。それぞれの時節に、充分
楽しんでいたのが大きい。家内の厚生年金受給が、こうなると大きい。
  〜で、以下の文章に、続いていく。
・・・・・・
5198,ライフサイクルより、ライフコースへ 〜1
2015年06月08日(月)
  * 多様に選択される人生 
 ライフスタイルの一つに、10年節や、女7年、男8年、節目節がある。
その視点、振り返ると、思い当たる節がある。ところが、現在では多様な人生が
あたり前になって、それぞれのライフコースという概念に取って代わってきた。
 『本当にわかる社会学』現代位相研究所著の中で次のような論説があった。
≪ 社会学で、ライフコースという概念がライフサイクルという概念を置換する
 形で用いられるようになった背景には、個人の人生の軌跡の多様性への認識が
あるとされている。ライフサイクルを「だれも同じように人生の道筋をたどれる
こと、ある一つのライフコース・パターンが高い頻度で再生産されること」とし、
ライフコースがライフサイクルに取って代わられるようになったのは、みなが
同じような人生を送る社会からいろいろな人生を送る社会へと発展的に進化した
ためであるとする。主として生物学および心理学で発展してきたライフサイクル
研究は,生物としての人間が一生のうちに示すある範囲内での規則的な推移を
考察し,人々の人生を横断する共通の特徴に着目してきた。他方,個人の生活を
取り巻く社会的歴史的文脈を重視する社会学的視点が生かされたライフコース
研究では,個々人の人生の多様性が強調されてきたのである。しかし,20 世紀
後半に入ってライフコースの社会学が多様性の研究に大きく舵を切り、今や
ライフサイクルは古い概念であるかのごとく扱われるようになった。ーつづく≫
 息子2人と甥っ子を加えた9人のうち、3人が独身。あまり独身が不自然でない。
ライフステージ、ライフサイクル、ライフコースの意味をネット検索をすると、
◎ ライフステージlife stage
 個人の一生の発達過程にみられる諸段階。人間の発達には生物的・生理的側面,
 心理的側面とともに社会的側面があり,これらの相互作用を重視しつつも,
 とりわけ社会的側面の発達段階に焦点が当てられる。具体的には,個人の地位・
 役割の大きな変化と段階移行に着目して段階設定がなされることが多い。
◎ ライフサイクルlife cycle
 生命体の一生にみられる規則的変化のパターンをいう。人間のライフサイクル
 においては,出生から死に至るまでの生命現象とともに,学校への入学や卒業,
 就職,結婚などの生活現象にみられる節目や変化パターンが重要な意味をもつ。
 近年では,人々の価値意識やライフスタイルの多様化とともに,ライフサイクル
 概念が前提とする平均的・標準的パターンを設定することには無理があるとの
 批判もなされるようになった。
◎ ライフコースlife course
 社会的存在としての個人の生涯にわたる加齢過程をいう。ライフコース研究
 では,個人の地位・役割のありようと時間的経過のなかでのその変遷,そして
 これに変化をもたらすような社会的・個人的出来事が関心の焦点となる。
 ライフコース研究が登場した背景には,非歴史的なライフサイクル研究の限界を
 超え,個人の生活史と社会の歴史のダイナミックな相互影響関係を捉えよう
 という研究意図があった。
ライフステージの背景の「時流」が、大きくライフステージを左右する。
私のように終戦直後から復興過程を経て、高度経済成長期と、その崩壊期を
生きた者にとって、この3つが鮮明に浮かび上がってくる。
・・・・・・
4833,「事業人生を決心して45年」の語り直しー11
2014年06月08日(日)
   * 創業? 実は、そんな格好いいものでなく、半狂乱!
 あなたが転機に立たされて何か新事業の創業の課題を与えられたとして、
何が考えられるだろう? 具体的には、何も思いつかないのが実際だろう。
そこで、幼児から、その時点までの自分が経験してきた中で、大きは時流に
対し、何か材料を探し、新たな装いをするしかない。それまで、顧客として
何を経験してきただろうか? そう、学生時代に池袋駅の居酒屋と、その後の
勤務先のスーパーの経験と、その近くの飲食店と居酒屋くらい。対象の物件の
道路を隔てた膨大の空地に、近々に5百世帯の団地が計画されている。
それなら、その小判鮫の商店が必要。とすると、テナントビルと、その一角
での手堅い商売。しかし、ノウハウは無い。ならば、それを買えば良い。
そのためには、フランチャイズに加盟すれば良い。で、問題は、その選定。
失敗は、状況から許されない。それも、父の余命が一年での、調査になった。
「第一の協力者の連添いを、真剣に探しておくべきだった!」という後悔も、
先に立たず。とにもかくにも、適切なフランチャイズの本部巡り。
 で、見つけたのが、当時、国内最大レベルの居酒屋チェーンの『養老乃滝』。
さっそく、説明会に参加したが、「駅前立地が基本。郊外型立地は皆無だが、
これからは郊外の時代、非常に面白い立地、是非とも組みたい!」と、乗り気。
考えあぐねた末に、思い切って参加することにした。その具体的内容を13年前
に書いたのを、コピペをしたが、今でも、あのパニックを鮮明に憶えている。 
人間、何事も忘れるから、勇敢になれる。知らないからこそ出来ることがある。
二ヶ月前まで、全く知らなかった家内との結婚。商業ビルの完成。そして、
二ヶ月も経験してない、チェーンの居酒屋の立ち上げ。 その直前には、
最大の後楯だった父の死の中の創業は、極限の事態に自分を置くことになる。
顔は平静だが、気持ちは半狂乱。創業とは、半狂乱というより、狂乱状態で
なければ、出来はしない。それも血だらけで。その傷口が、その人にとって
の事業。それも1〜2年もすれば、その状況を自ら受け入れ、それに見合う
ようになっている。 当時の飲食業界も、逆境の人たちが集まる、
気違い水を飲ませる異様な世界。千葉といえば、首都圏をアメリカに喩えると、
未開の荒野の西部。 江戸っ子にとっては、地方出身者の田舎者も吹き溜りの
地と、一段下に見られていた。そこは、土木作業員や、ヤクザが屯する底知れぬ
世界があった。それなら、狂うしかなかったのが、実情。その後の人生も、
狂いっぱなしだったが、致し方ない。 自分が選んだ道だから! 
だから、面白いのである。


6294,久々のパレートの法則 〜2

2018年06月07日(木)

         『世界の自己啓発 50の名著 エッセンスを読む』
                     T・バトラー=ボートン著
   * ふりかえって、実感としてのこの法則は?
 アメリカ的合理主義といえば、実利主義と、80対20の法則、そして今では、
スティーブン・コヴィーのビジネスマンのバイブルともいえる『7つの習慣』。
中学校に入り、俗にいう「ノメシ」という参考書の存在を知り、試験前に、必死に
赤線をひいて憶えたもの。この存在を知っているかどうかで成績に左右する? 
 人生という面でライフワークを持ってきたかで、それは明らかに2割の部類に
入る。 私のそれは、秘異郷ツアー。その体験の積み重ねが、魂そのものに、
何かしら重要要素があると気付いていた。 この書を読んだ20年前に、
これは、人生の80対20法則の20に入ると…。その後の10年間で、20数回、行く
ことになった。この80の下、20を分け、「20:60:20の法則」もある。
 ネット検索で見つけたのが、更に面白い『3:10:60:27の法則』。
《 ハーバード大学が調査して実証したデータ。 人生は、
・27%の人が、何も知らず、自分からは何もせずに生きている人
・60%の人が、知っているけど、行動しない人
・10%の人は、知ったことを、出来るようにした成功者
・そして3%の人は、無意識に出来てしまう大成功者です。
この27%と60%を足した87%の人達がサービスを受ける側の人、
13%の成功者が提供する側の人です。もっとキツイ言い方をすれば、
87%の仕掛けられる側と13%の仕掛ける側に分かれています。
 ―
 ここには明らかにマインドの差がありました。
・27%の『知らない何もしない』人のマインドは、人をあてにしたり、運命論者
 のように、なんとなく過ごすだけ。生活保護をあてにする人も多くいました。
・60%の『知ってるけど、やらない』人ののマインドは夢や希望を持っているけど、
 そこへの道筋をしっかり定めないでいる人。変化を恐れて今に留まる人たちです。
・10%の『知ったことを、実践して、出来るようになった』人のマインドは、
 3年〜5年くらいの未来をしっかり考えられた人たちです。
・そして3%の『無意識で出来てしまう』成功者たちのマインドは
人生の目標に使命感あって、それに向かって進んでいた人たちです。
 他にもこの割合をこのように定義している人もいます。
・27%の人達は、Take & Take(常に人から価値をもらおうとする)
・60%の人達は、Take & Give(価値を与えられたら返す)
・10%の人達は、Give & Take (人に価値を与え見返りを得る)
・3%の人達は、 Give & Give (人に価値を与え続ける)
 もしくは、
27%の人 ・・・ 三流の人
60%の人 ・・・ 二流の人
10%の人 ・・・ 一流の人
3%の人 ・・・ 超一流の人

▼ 能力分類される、中学校最終年のメンバーの顔が思う浮かぶ。
 成るほど、各自がそのままスライドした人生を過ごしてきたようだ。 
ここで、誰もが思うのは、自分は、どの辺りだったか? 
そこで出てくる言葉、<他者と比べないこと> の言葉が出てくる。
こう考えればいい。『それぞれの持味の要素で切り込めば、それぞれ違う。
あの人は、あの分野で、私は、この分野で、秀でているだけのこと。』と。
その意味では、やはり長年かけたライフワークが必要になるが… 
 それもこれも、生きている内、3日もすれば生臭い宇宙の彼方へ…
最後は、『 ぎゃーてい ぎゃーてい はらぎゃーてい 』ですか。

・・・・・・
4465, 余命半年 −3
2013年06月07日(金)              
         「余命半年  満ち足りた人生の終わり方」大津秀一著
   * モルヒネか、プチッか     
 父や、義兄などの末期ガンで悶絶しながら死んでいく姿を垣間見ると、
プチッ(安楽死)と早々に最期を向かいたいと思うのは、私だけでないだろう。
ガンが進行するにつれ、その痛みが強くなり、それにつれモルヒネも強くする
しかない。中毒の心配など、先のない末期患者には関係ない。
著者は、進行度に合わせてモルヒネを調整すれば、問題はないという。
ガン患者の7割が痛みを訴え、その半分がモルヒネでないと痛みが取れない。
一般的にモルヒネを使うと、死期を早めるが、専門医が適切に使えば苦痛を
減らせる。死因はあくまでガンの進行。傍からみれば、モルヒネが死期を早めて
いる、と思われるが、ガンの進行に合わ強くしているための誤解。
末期患者は3年、5年先まで生きるわけでない。 ここで知ったのが、
「鎮痛補助剤」。坑うつ剤、坑痙攣剤、坑不整脈薬など、本来の効果とは
別に、痛みが伝播する回路に働いて痛みを緩和する。で、プチッ=安楽死? 
これは現在の日本では禁止されている。ただし死ぬ前から、その意思表示をして
おけば、医師は、それを元にモルヒネなどの加減で、延命をしない判断も出来る。
 現在、日本人の二人に一人がガンになり、三人に一人がガンで死んでいく。
何らかのカタチで、余命を言い渡されるか、自分で悟ることになる。その時から
死ぬまでの数ヶ月間は、生存への渇望と肉体と精神の苦痛の中で、独り悶絶する。
生きることは大変だが、死ぬのも大仕事である。 父も最期の最期は、モルヒネ
を大量に投与をして亡くなっていった。「苦しみを最小にするに、それはそれで
良い」と著者もいう。ある映画の一場面に、ガンになって入院してきた男に、
古手のガン患者が、こっそり、のた打ち回る患者を数人掛りで押さえ縛りつけて
いる現場に案内、隠れ見る場面があった。義兄のガン末期の似たような場面を
聞いた。父が亡くなる数日前、病院の一室で、頭を掻き毟っている姿もみた。
三人に一人は、このような状態で亡くなっていくのが現実。元気なうち、出来る
うちにすべきことを成すべき。アル中や薬中には、モルヒネは普通の人の数分の
一しか効かない。 酒の絶対量を飲んできた私も、その報いが出る可能性が高い。
「プチッ!」とは、どうも逝けそうもない。モルヒネで恍惚状態も悪くないが。
高校の同級会のメンバーと、中学の男の同級生の四分の一が既に亡くなった。
生きている限り「他人は先、我は後」だが。

・・・・・・・
5197,歩くことが人間の特徴
2015年06月07日(日)
  養老孟司の対談の中で、「人間の身体は、走るでなく、立っているでなく、
歩くに都合の良いように出来ている」という。考えるとき、独り黙想をしながら
歩くのが良いというのも、歩いている方が自然体のためである。
              ★ 養老孟司対談より
≪ 養老:例えば、歩くのは人間の特徴です。速く走るのは苦手だけれど、長距離
 を歩くのは動物の中で一番得意なのです。そういうことは殆ど教えられません。
 人間は、単に転ばないように重心を移しながらバランスだけで歩いている。
 四つ足の動物は自分の力で体重をまともに移動させなければならないのです。
田部井:人間は走ることではなく歩くのに向いている。そう痛感しながら、
  山を登っているのです。
養老:だから、アフリカで発生して、南米まで行けたのです。あれは歩いて
  行ったに違いない。アジアを通り北米を経てアメリカ大陸の南の果てまで。
田部井:ひづめを持っている動物は走るのに適していると思いますけれど、
  人間の足は歩くためにあって、歩くから身体のいろいろなところが働く
  のだなと思います。
養老:後足に頭が乗っているのはほとんど人間だけですからね。馬とかキリン
  とか、みんな前足に頭が乗っているでしょう。だから、前足がコケると
  頭がコケる。人間の場合、手がいくらコケても頭は平気です。 だから、
  そのぶん手が余った。その手は昔から頭と関係が深いわけで、それは脳
  からすれば大革命なのです。見えている風景が全然達うでしょう。 ≫
▼ 青年期には、読書や、旅行先で、様々な感動があリ、その都度、大きく
 変わっていった。逆に、挫折も大きな変化をもたらした。20歳前後から、
一日、2〜5時間の読書時間を持ってきたが、魂を揺するほどの感動というと、
どれほどあっただろう? 秘境ツアーでも、何度も、その経験をした。
その都度、小さな硬い殻が壊れていき、何かから自由になっていた。
   〜次の言葉も、含蓄がある。
『現実は人それぞれ。あなたの行動に影響するものが、あなたの現実です。 
 知識が増えても、行動に変化する影響がなければ、それは現実にはならない。
「授業を聞いて何か知っても、それによって自分が変わらなければ勉強した
 ことにはならない」・・』 
『知ることは自分が変わること。がんを告知されて、あと半年の命と思ったら、
 同じ桜でも違って見える』
・・・・・・
5927,ネットの未来 〜ネットの住民には
2017年06月07日(水)
       <「鈴木さんにも分かるネットの未来」川上量生著> 
  * ネット住居派と、ネットツール派
 ネットとTVの未来をテーマにした面白い本である。寝室にソニーの
4K・TVを入替をして5ヶ月経過。一日、3〜4時間は、録り溜めの映画か、
ドラマか、ドキュメントを見ているが、一度、TVを入れると別世界になる。
また、廊下を隔てた仏間の机上のパソコン前に4時間は座っている。これも、
座ると同時に、現実世界から遮断され、唯我独尊の世界になる。
この2つのマシーンの未来をテーマなら、面白くない筈がない。
 〜まずは、ネット世界の住人について、まとめた〜
≪ ネットを利用している人には二種類の人種がいる。
 ネットをツールとして利用する人と、ネットに住んでいる人の二種類。
・ネットを便利なツールと思っている人をネットツール派、一般はこっち。
・リアルな現実世界ではなく、バーチャルなネットの中に自分の居場所があると
 思っている人=ネット住処派と定義。著者は、自らを「ネット原住民」とする。
当然、重なるが比重の問題。家内は明らかにツール派で、私はネット住処派。
ここで、「住処派の住人は、パターンとして特別な趣味を持っている人」で、
彼らが困っている共通のテーマが、同趣味を持つ仲間を見つけにくいこと。
マイナーの趣味を持つ人を近くで見つけよとするのは難しいが、ネットだと、
全国から探せるため、比較的仲間を見つけやすい。特に現実社会で仲間を見つけ
にくいオタクはネット仲間と相性がよく、現実社会よりもネットに仲間と帰属
意識をもつ。もう一つのパターンが、そもそも友達が少ないか、いない場合。
現実社会でイジメにあっている人、落ちこぼれている人、そういう人たちは、
現実社会では居心地が悪くて、ネットがにべ場所になります。ネット社会の方で
こそ輝ける人生を送れる、人気者になれる、憩いを感じる、そういう人がネット
住人になれるのです。≫

▼ このテーマ日記も、地元原住民にとって、特殊な切口をするネット住処派
 変人のネタ探しと、上から目線でみるには丁度よい情報源というところ?。
<井戸の蛙、井戸の外の世界は見えずとも、満天の空を見ることができる>が、
ずばり、オタク世界の本質である。
ネットの面白いところが、<内省だけならず、外の数多の「内省」>を気楽、
かつ簡単に出来ること。だから、毎日が面白く楽しい、充実した時間に様がわる。 
要は、「クールヘッド、ウォームハート」の視線で、ネットや、チャネル・
サーフィンが可能になるということ。今では、TVでYouTubeに高画質の動画が
見れるため、ポテトチップオタクも、ネットオタクの仲間入り。自然界を、
現場に立った生の視界を、人間の視力の数倍、数十倍で見ることが可能のこと。
それ故に、毎日が、TV画面で、現実世界でも、過って見たことがない世界に
出会うことになる。映像は映像でしかないとしても、これがバーチャル世界の
住処派の面白いところ。 ハヤブサの首に超高速のカメラをつけて、林の中を
滑空する映像や、南米の祭りで、街中に放たれた闘牛に住民たちが素手で立ち
向かう映像は、迫力満点。 そういうこと!

・・・・・・
5562,フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜
2016年06月07日(火)
   * 妹役、さくらの誕生   <山田洋次:名越康文 対談>より
 山田洋次の「さくら」を作り上げたエピソードが面白い。
兄、妹にも相性があって、相性の良いと、本当に可愛いらしい。
駄目な兄と、しっかり者の妹の「さくら」の関係が何ともよい。
浅草に「寅さん」の銅像があるが、今度、「さくら」の銅像が出来るという。
 その「さくら」誕生のエピソードが面白い。
≪ 名越:両親の愛情を十分に受けられなかった寅さんにとって、
 やはり異母妹のさくらの存在は大きいですね。
山田『男はつらいよ』の設定を考えていた時、さくらが生まれるヒントに
 なった話に巡り合ったんです。それは、ある女性作家の、今から四十年以上前
 の実体験でした。彼女はある日、東京から大阪に引越すため、汽車に乗ります。
 そこに、ヤクザになっていた兄がやってきて、久しぶりに兄と妹が再会する。
 そうこうしているうちに、発車のベルがジーンと鳴る。その時、急に兄貴が
「おい、気に入らねえ奴いるか?」と言ったというんです。そういう奴がいたら、
 俺が殺してやる、ということでしょうね。
名越:すごい場面ですね。
山田:この話を知ってから、いろんなことを考えました。一体、お兄さんに
 とって妹とはどんな存在だったんだろう。もしかしたらお兄さんは、
「俺はこいつを不幸にしているんじゃないか」と思えてきて、妹が急にかわい
 そうになったのかもしれない。最後の言葉の意味は、「アイラブユー」です
 からね。もしこの妹をひどい目に遭わせた人間がいたら、俺は生かしちゃ
 おかない、と。
名越:鮮烈な絆の表現です。
山田:だから、寅にはそういう妹がいるんだなと考えたんです。
名越:四十八作を観て気づいたことは他にもたくさんあります。
 たとえば、寅さんって世間にはふられてばかりだと思われているけれど、
 実はかなりモテる(笑)。シリーズの三分の二くらいモテています。
山田:寅に会えて友達になって、「私、とても幸せだった」と言うマドンナは
 たくさんいます。でも、寅は、結婚については、決定的に自信がなかったん
 じゃないでしょうか。結婚生活には、恋愛関係の先に、もう一つ大きなバリア
 があって、それを乗り越えなければ結婚はできない。男と女のドロドロした
 関係が生じることに、寅は我慢できない。そこが寅の哀れさでもある。
名越:寅さんは草食男子のような'ところもある。女性に対する不安や恐怖心を
 持ってますよね。≫
▼ 20歳で、創業人生を志したことで、パートナーの人選に慎重になっていた
 上に、4人の姉たちのドロドロ?した様々な結婚生活の実態も見知っていた。
さらに姉4人との遜色ないバランスを考えると、安易な妥協もできないジレンマ
があった。「この人と一生?」と思うと、そうそういないもの。で、「   」。
 「寅さん」は、あくまで無知故に何ものにも捉われない想像上の人物像。
こんなのがいたら、周囲の人間まで巻き込まれ炎上されてしまう。その際どい
狂気が、物語を育んでいくとしても・・ 

・・・・・・
4832,「事業人生を決心して45年」の語り直しー10
2014年06月07日(土)
   * 千葉・千城台ビル建設計画の着手
 懐かしの金沢から地元長岡に帰って、余命一年の父と千葉の千城台ビルの
建設計画に入る。当時、父親は義兄に、会社経営の大方の権限委譲をしていたが
社長のままだった。右上がりの時代に、長岡も高度成長の恩恵で活況。その中で、
華やかな地元社交界の花形の姉夫婦に、父は幻滅をしていた。まず出を制して入り
を図る生活基本がない上に、城下町の虚構世界が全てと信じているようだった。 
実家の同じ屋敷の前に自宅、その裏に姉夫婦が移り住んで8年ほど経っていた。
現在、私が住んでいる家は、50年前に父が最期の住み家と、贅をこらしたもの。
 父は、現・預金を除いた、会社の株式、本店ビルなど不動産の生前贈与をして、
死後の相続を姉夫婦に独占されない手はずをうっていた。当時で月に百万円の
散財をしていたから、現在にすれば?百万になる。 逆に、生前贈与に対して、
姉夫婦には、母、実兄、私、姉、の4分の1だけの配分に怒り心頭だったのも
みてとれた。それが、父の死後の御家騒動の根になっていた。3歳年上の実兄は、
性格が大人しいく、人を疑うこともなく、私が計画に入った時点で、対立軸が、
私対姉夫婦に移っていた。創業を目指していた私には、具体的実践課題を
与えられたことになり、その成果が試されることになった。これが大変だが、
創業の第一歩が、命懸けのコーチ役の父親が指導する小説のような日々になった。 
千葉の新興住宅地の商業地で、商業ビル建設と、その一角での商売のたちあげて、
成功させるのが、当面の課題。  まず考えたのが、この千城台のような団地の
商業ビルの転がしである。都心からの新しい電車の線路沿いに、千葉県住宅供給
公社などが開発する安い商業地を先行投資をして、ミニ商業ビルを建てて、
テナントを埋めた段階で、資産家に転売する事業を、思い立てた。まず千城台
ビルをモデルケースとして、これが第一歩と位置づけ、踏み出すことにした。 
学生時代に、創業人生を踏み出そうと決心したとき、創業と、軌道に乗せての
転売が、事業として面白そうと、イメージをしていた。これなら合致をする。 
 その計画と、ビル建設をしていた最中、父親が亡くなってしまった。
その間に父と兄夫婦の軋轢が出始めていた。しかし、千城台ビルの立ち上げと、
ビルをテナントで埋まることと、その一角の自らの商売の起業が、当面の大きな
課題になっていた。 ー以下も、偶然だが、13年前の同月同日の内容。
これを見て、奇妙な偶然に驚いている。


6293,閑話小題 〜シネマ観賞 ―『のみとり侍』

2018年06月06日(水)

   * バカ殿が、何と長岡藩主の…!
 先日 「のみとり侍」を見てきたが、何と長岡藩の江戸屋敷の侍の…
愚鈍の殿様に嫌われた情けない下級武士の話。話題の映画の割には地元と話題に
ならなかったのは、プライド高き長岡モノゆえに…。これでは長岡藩の名折れ。
春を囲った「のみとり侍」が、田沼意次の囲い女と懇意となり、田沼から、
<「のみとり侍」にされたのは、藩内不正調査をを良しとしない藩主が主人公を
陥れるため、仕組まれた陰謀>と知らされる。 田沼は賄賂政治の諸悪の根源の
イメージが定着しているが… 最近は再評価されているようだ。
【ストーリー】
越後長岡藩藩士の小林寛之進(阿部寛)は藩主の気分を害してしまい、表向きは
猫ののみとりを商売にしつつ、実態は床で女性の相手をする裏稼業「のみとり」
を命じられる。長屋で暮らす人々の助けを借りながら新たな生活を始めて、間も
なく出会ったおみね(寺島しのぶ)が、最初の「のみとり」の相手となる。
亡き妻にそっくりな彼女にときめく寛之進だったが「下手くそ!」とののしられ、
伊達男の清兵衛から女の喜ばせ方を学んで腕を磨いていく。

▼ 観客50〜60人の半分は高齢者だったが、長岡藩江戸屋敷が舞台と知った
 瞬間、館内がどよめいた。そういう私も驚いた。 現実離れした江戸時代の
風情が何とも良い。

   * YouTubeに再び ―ブラックYouTubeの楽しみ
 一昨年暮れに、寝室に大型TVを入替えた時に、嵌ったのだYouTube。ところが
今年に入ってからは、全く見ることがなかったが、先月末から再び見ている。
録画3百本の録り溜の存在は大きい。その中で最も面白そうなのを選ぶ。
その上に、連日、Wowowで面白い映画放映されるため、YouTubeなどのネット
配信の映像を見る時間がない。
 TVだったら、カットされる残酷シーンものが、YouTubeでは検閲なくみれる。 
中南米の何処かの国の祭りの余興で、闘牛を街中に放ち、街の通りで牛を揶揄う。
身体を盾にした死をかけた遊び。以前からあったが、今では撮影機能が年々と
アップしたため、迫力がアップ。傘や、布きれ一枚で、突進してくる牛をかわす。
それが滑って転んで、牛にグチャグチャにされたのが、そのまま、放映される。
当地のTV番組だろうが、ボコボコにされた場面を、次々と出し、スタジオ全員
で笑い飛ばすのもあった。 
 酷いのが、ムササビスーツを着て、断崖を飛び降りる失敗したケースだけを
編集したものや、インド象が街中で暴れて次々と、群衆を襲う生生しいのとか。
生きたまま、ライオンに食べられていく水牛とか… 
ホワイトYouTube?では、スイスアルプスの山頂から、ドローンで山々を背景に
自らを撮影したものとか、ドローンのスピードレースの映像とか、巨大波の
サーフィンとか… これらも、あと1〜2週で飽きるのだろうが。いい歳を
して何をしているかだが、面白さの感受性は年齢に関係ないこと。
 静かにクラシックも良いのだろうが、これまた実に面白い!

・・・・・・
5926,閑話小題 〜居間のTVが寿命に
2017年06月06日(火)
   * 居間のTVが寿命に
 去年暮れに7年以上使った寝室のTVを入れ替えた。4Kのアンドロイド機能の
ついたものだが、異次元の世界に迷い込んだと錯覚をするほどで、評価は100点。
 ソニーのTV画面、最高の出来というだけはある。
居間は旧来のもので、それぞれ3〜4時間は見ているが、新しいTVと旧式の画面が、
覚醒前と覚醒後の精神世界の違いは、かくありと、その都度、考えてしまう。
 まだ発売されてないが、8KTVとなると、如何なるものか。寝室の旧式TVは
7年以上使ったが、2年前にブルーレイビデオを購入したと同時に、WoWoW
の複数契約をして、映画・ドラマ、ドキュメントなど300本を限度一杯の録り
溜をしてきた。面白そうな順にみているが、自分がセレクトした内容もあって、
どれも面白い。これにYouTubeの映像を見ると、一般放送を寝室で見ること
は、ほぼない。アンドロイド機能で、Amazon、蔦屋、グーグルなどの、
レンタル映像は、ネット経由。ということは、既存の電波の経由は、あまり
見ないことになる。既存放映の受動選択が、ネット経由の能動選択に様変わり
ということになる。それにしても、半年前までは想像もできなかった、驚き
の日々である。
 〜5ヶ月前に、書いてあった内容より〜
≪ 閑話小題 〜シェルター内事情 2017/01/05
   * 居間から寝室へ重点移動
★ 一昨年の11月に寝室のTVにWoWoWの二台目契約をした上で、ブルーレイ
 を入れて13ヶ月、経過した。 居間では外界の音が入ってくるが、寝室は、
ほぼ無音状態。この間の録画数が300本を超え、限界状況の表示が出てきた。
今では録画する都度、優先的に何かを見るか、消しているが、これは、
『録りだめしても、二度と見ないのでは?』の対策がある。映画に飽きた気分
転換に、小まめに録画一覧を見て、頭部分だけを見るのもよい。
 習慣的に見ていると、これ自体が面白くなる。 また再び続きから見るのも、
連続ものを見るようで抵抗がなくなる。 面白いものは、何があれ面白い。
★ 年末年始の一週間、面白い番組が目白押しのためベッドにクギ付け状態。
 それに飽きると、廊下を挟んだ仏間の一角のパソコン前に移動するか、居間
まで出張をし、お茶を飲む生活。その寝正月も、昨日からはスポーツジム通い
が始まり、TV漬け生活も終わった。といっても、図書館と、スーパーの酒と、
ツマミの買出し、が加わるだけだが。 6年続けてきた、週一のシネマ通いは、
今年から減らす予定。ベッドで映画を連日見れば、二週に一度で充分?だが、
実際はどうなるか。『こんな生活、飽きない?』という声が聞こえてきそうだが、
そうでもないから困ったもの。雪国の冬場は「晴耕雨(雪)読」で、シェルター
に閉じ籠りを楽しむしかない。
<50歳代の還暦までの10年間に、30年分を圧縮して生きる>が、実際に、
そこまで出来たかどうかは別としても、この年齢になると、気持ちを穏やかに
させてくれる。老いの愚痴、怒りは、世間的制約で、出来なかったこと、実践
できなかった、不燃焼が起因している。で、攻撃は、弱者や、社会そのものに
向かう。次々と立ちあらわれるフラッシュに、独りごとを呟く自分がいる。≫

▼ そうこうみると、高齢者の7割が自宅引き籠り、そのままになる。人間は、
 直ぐに適応する。日々が新鮮で、かつ面白ければ、これで良いじゃないかと。
居間のTV、何か相性が良くて、いや、良すぎて、家内と時間配分をして、一日、
10時間?は見ていた。7年余りでガタがくるのは当然。で、私は、おバカに。
今更だが。 で、居間のTVは? 可能な限り持たせて、次世代の到来を待つ?
脳の奥から、『黄昏に、TVや、こんなのを書いてないで、古典などをジックリ
と読み込んだら!』の声。

・・・・・・
5561,フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜
2016年06月06日(月)
 「基底欠損」を、ネット検索すると
≪ ■概要
 基底欠損とはBasicFaultの日本語訳で、「基本的信頼感の欠如」を意味する。
基本的信頼感とは人間の根源的な信頼関係であり、お母さんと赤ちゃんのような
何物にも代えがたい関係を言います。この基本的信頼感がしっかり形成されて
いますと、精神的にも情緒的にも安定した状態でいられます。
 基底欠損はこの基本的信頼感がうまく形成できていない状態で、そのせいで、
世の中や他者に対して信頼をおくことが難しい状態をいう。言い換えれば、
世の中や他者に自分の身を預けて安心することがなかなかできません。
 パーソナリティ障害では、情緒不安定パーソナリティや境界性人格障害など、
この基底欠損がみられる。≫ とあった。 
――
名越が山田洋次との対話で、「寅さんのように幼少期に愛されずに育ったため、
恋愛などで相手と関係を構築できなくなることを基底欠損という」と述べ、
山田監督に、「もし僕が寅さんに『基底欠損ですよ』って言ったら、
『てめえさしずめインテリだな!』って返されますかね」と聞いたところ、
山田は「いや、『俺は基底欠損ってんだそうだ』って、自慢するんだろうね。」
と答えていた。 名越の一映画ファン兼心理学者のマドンナ=女優評も面白い。
・吉永小百合「謙虚で清純で、優しくて気高い、でもどこまでも頑固で
 人から影響を受けない性質」
・竹下景子「かわいらしいけれどもどこか野暮ったく、知的だけれども控えめな
 『ザ・日本女性』」
・都はるみ「芸を売って生きる女の悲哀、色気、さすらう人生が匂ってくる」
マドンナ・リリー役を演じた浅丘ルリ子については、ない。
▼ さしずめ私は「基底肥大」と前回書いたが、基底欠損と、基底肥大が入り
乱れた歪な性格になる。親の愛情こそ必要なのが人間。その絶対量が、その人
の人生を決めることになる。 何故か、長女のA型の女性に引かれるのは、
優しさと、芯の強さを母親代わりに求めるためか。「この人の、基底欠損、
基底肥大は何か?」と知るだけで、その人となりを知ることができる。
 ところで、日本の基底欠損、基底肥大は何かを、今度、考えてみる。

・・・・・・
5196,閑話小題 〜ギリシャが?
2015年06月06日(土)
   * ギリシャがユーロから離脱?
 ギリシャ危機が再燃している。TVで、現地経済の実態をレポートしていたが、
かなり深刻のようだ。厳しすぎる財政再建を批判し当選したチプラス首相は、
欧州連合(EU)の財政再建路線と衝突し、このまま対立が続けば、ギリシャは
財政破綻とユーロ離脱に追い込まれるのではないかと見られる。
  ーネット検索で、最新レポートをみつけたー
≪ なんでも賭けの対象としてしまうロンドンのブックメーカーでは、
 ギリシャがユーロに残って財政再建を果たすのか、それともユーロ離脱をする
のかの賭けが成立しなくなったという。ギリシャがユーロにとどまることに
賭ける人が殆どいないからだ。ギリシャが現在の路線を強行し、欧州諸国が
それに妥協しないかぎり、ギリシャは財政破綻になり、ユーロ離脱になる。
 2012年の危機の時には、こうした破綻シナリオは回避された。ギリシャの
当時の政府が、現在のチプラス政権よりは厳しい財政再建を受け入れる姿勢を
示したことがある。 こちらの方が重要かもしれないが、2012年の時点では
ギリシャが財政破綻・ユーロ離脱になれば、それがスペインやポルトガルなどの
国に波及する危険が大きかったからだ。もしそのようなことが起きれば、ユーロ
の仕組みそのものが維持できなくなるかもしれない。その場合には、ドイツや
フランスなど健全財政の国だけで、以前より縮小したユーロの制度を再度構築
すべきであるというような議論さえ出ていた。 では今回はどうだろうか。
今回は2012年とは状況がだいぶ違うと言う人も多い。スペインやポルトガルなど
で、財政再建がだいぶ進んできたからだ。ギリシャ国内では何が起きたのだろう。
財政再建するため、歳入を増やすことと歳出を削ることの両方をしなくては
いけない。歳入増は増税しかない。消費税などの税率を引き上げ、また税金徴収
もこれまで以上に厳しく行う。ギリシャでは節税や脱税に近い行為が横行して
いたと言われるが、こうしたところにもメスを入れざるをえない。増税も国民
には厳しいものだっただろうが、歳出削減はより国民の生活を直撃した。
年金が削られ支給開始年齢が引き上げられる。公務員が大幅に解雇され、
医療や介護や教育などの予算も大幅にカットされる。これまで当たり前のように
考えられていた公共サービスが受けられなくなるのだ。 財政再建は重要だが、
それをあまりに拙速に行おうとすれば景気が失速してしまう。景気失速は税収の
縮小にもつながりかねないので、一時的には財政再建の負荷はさらに重くなる。
ギリシャのデフォルトを回避するために、救済団(トロイカ=EU、ECB、
IMF)とギリシャ政府で、瀬戸際交渉が続いている。6月5日、12日、
16日、19日とIMFへの返済が続くため、切迫感が強まってきた。更に、
スペインの選挙で反緊縮を掲げる党が躍進したことで、南欧諸国への「政治的」
伝染が危惧される。ギリシャ政権はドイツに対して第2世界大戦時のドイツ
ナチス占領に対する賠償金として36兆円を請求する暴挙に打って出た
(不思議なことにこの金額はギリシャがこれまでEUやIMFから受けた支援額に近い
数字であり、この賠償金でこれまでの支援をチャラと目論んでいることが明白)≫
▼ ネット(録画)のレポートで、教会が市民に救いの手を差し出している姿を
 映し出していた。【4月下旬、アテネ市内カリフェア地区にある聖ニコラス教会
を訪れた。教会には、貧しい人たちに温かい食事を提供する「スープ・キッチン」
がある。午前中に訪れると、教会の裏手にあるプレハブ小屋から、いいにおいが
漂ってきた。ガス台には大鍋がいくつも並び、大型オーブンにも焼たて料理が
用意されている。この日のメインはローストチキンで、パスタやチーズ、パン
など添えられていた。イリニ・スピリダクさん(82)は、数年前に夫が亡く
なってから、月337ユーロ(約4万6000円)の年金で1人で暮らしている。
「教会のおかげでなんとか生きている。電話、暖房代、電気代も払えない。
ああ、早く死にたい」と嘆いた。 ナディアさん(45)は、病院で清掃員
として働いていたが、5年前に債務危機が深刻化した際に失業した。
建設作業員の夫も職がなく、教会から食料をもらうことで家族4人がなんとか
生活している。「チプラス政権が何かするのを待っている。子どものために
いい方向に向かってほしい。」】・・と。 いずれ、デフォルトがある!
 〜また、偶然だが、6年前にギリシャ問題について書いていた。
――――
3359, ギリシャ問題の深層
2010年06月06日(日)
 現在、欧州ではギリシャを発端にしてPIIGS(豚ども)といわれる
ラテン系を中心にした国々の金融破綻が問題になっている。アメリカ発の金融
恐慌が欧州に飛び火をし危険な状態になっている。 ギリシャがユーロ通貨圏に
入りたかった理由は、防衛面(イスラム教諸国に隣接)と(万年金融破の)
金融面があった。 02年ユーロ通貨加盟を検討していた際、
「財政赤字をGDPの3%に抑えなければならない」というハードルがあった。 
そこにゴールドマン・サックスが「とにかく財政赤字の帳尻を合わせる施策を」と、
エサを差し出した。 追い詰められたギリシャ政府はその誘いにのってしまった
(当時の政権は現政権と同じパソック、首相はシミティス。現首相パパンドレウ
は当時の外務大臣)。財政赤字を3%以下に抑える“魔法”(虚偽)と引き換えに、
GSは観光国としては大きな収入源に目をつけた。ギリシャが空港税の30年分の
収益と将来の宝くじなどの収入を差し出すなどの契約を交わした。 
ギリシャにとっては加盟さえすれば当時のギリシャの外国からの借入金利が
13〜4パーセントから、3〜4パーセントに引き下げることが可能になる。
加盟の結果、さらにお金を低金利で借りまくった結果が深刻な財政危機である。 
加盟のための粉飾決算をしていたのである。そのことを国民はなんの説明も
受けていない。 その上に、ある日突然の「財政破綻寸前宣言」である。
ゴールドマン・サックスはこのような誘いを他にも、複数国に持ちかけていた。 
ギリシャの公務員は4人に1人もいて、国民も納税意識が非常に低い。
それをドイツ、フランスから合理化を要求されると拒否反応を示して国家レべル
のゼネストに入る。4人に1人が公務員だから、どうにも抑えようがない。
ドイツからみれば、「単独であれば1〜2パーセントの金利で済むものを、
まともに働かないギリシャと同じ金利を払う必要があるのか?」と、不満が
出るのは当然のこと。 ドイツ、フランスにとって、アメリカの対抗上、
欧州連合の共通通貨のユーロの価値の創造が必要である。しかし、ギリシャ、
イタリア、スペインなどの国家の存在。「何で私たちの血の滲むような苦労を、
御前らの様な怠け者のためにしなければならないのか、まっぴらだ!」となる。 
ラテン系の南欧だけでない、東には、まだ共産主義の計画経済ボケをした東欧
諸国がある。彼らにも多額の借金がある。彼らは自由競争と今さらいわれても!
という気持ちが残っている。欧州連合が、果たして維持できるかどうかの
土壇場である。 今度の恐慌は、20世紀に残されてきた問題が一挙に噴出、
その破壊であるから、20年は最低でもかかってしまう。


6292,久々のパレートの法則

2018年06月05日(火)

         『世界の自己啓発 50の名著 エッセンスを読む』
                     T・バトラー=ボートン著
   * 80対20の法則ですか
 20年前に読んだ本だが、読返して、なかなか面白い。
その要約が、要約本にあったが、当然のことだが、私の要約より遥かに
切口が新鮮で、面白く、解りやすい。

≪ ・効果の8割は努力全体の2割から得られるという紹介する法則は、いま
 一つピンとこないが、売上のほとんどは、全品目の2割から上がる。とか、
カーペットの摩耗は、殆どが、全体の2割に集中する。
 個々の数字は少々違うかもしれないが、世の中の動きが基本的に教えよう
としているのは、基本的に不均衡ということ。
・法則が示す結果は、知らないものには、魔法のように見えるだろう。
それは「最小の法則」と言われ元もとあったことだが…
  
  ―50対50の信念 vs 80対20の法則―
普通の知識で考えれば、費やされた努力と、得られる結果は、5分5分だが、
時代の進化は、これだけでは通用しない。簡単にでき、しかも好きなことを
すべきである。そうすれば、他人よりずっと有利になり、その分野の頂点に
たてる。80対20の法則で動いている世界は、この活用をしたものが、遥かに
大きな成果が期待できる。
  
  ―時間革命―
私たちが価値あると思うもののほとんどは、費やした時間のごく一部から
得られる。大いに効率を高め、より幸福になり、より稼ごうと思ったら、
その「ごく一部」を10,20と言わす最大限に増やさなければならない。
私たちの社会は時間に対する評価が、あまりに低いと!
 「時間管理など必要でない、必要なのは時間革命だ」
コッチは、「ほとんどの人は、的外れなことを、一生懸命やりすぎている」
という。大事な時間を、非合理的に湯水のごとく使っている。
  
  ―よく知ってることなら怠けても大丈夫―
たえず何かをして奮闘しているのに、結局、何もしていないのである。
コッチは、ドイツ将校のマトリックスを紹介し、「最高の将軍とは、ミスが最小
で、もっとも先見の明があり、有能でありながら怠惰な傾向がある者」と定義。
スターになるために不可欠なのは、「怠ける能力を磨く」ことだと述べる。
困難なことや、難しいこと、尊敬されそうなありふれたことより、簡単に出来る
ことに集中すべきである。 驚くべきことに、資本主義では、個人が自分自身で
あるというだけで成功し、豊かになれるようになっている。自分の能力を最大限
に発揮すれば、ごく小さいながらでも極めて高い価値ある独自の分野を自ずと
築くことになる。この法則は、野心と、悠然と自信に満ちた態度の組合せである。
内省的な思考、習慣にとらわれない時間の使い方、そして「快楽主義的な哲学」
を必要とする。「はたらくほど成功する」と考える私たちの文化において、
徹底的に虐げられてきたと、コッチは考え、やっていることを愛するほど、
その道に上達する出来、他人に役にたてるからだ。
コッチは、ジョセフ・フォードのある言葉を紹介している。
<神は、宇宙を相手にサイコロをふられるが、そのサイコロは細工されている。
いかに宇宙が「予測された通りに不均衡か」を教えることで、80対20の法則が、
私たちが自ずと有利に賭けられるようにしてくれる。好きでもないことに
長じるより、自分にしかない才能を充分に発揮するというのが重要なことだ。
そうすれば、秀でるだけに留まらず、傑出した存在になることができる。≫


▼ 改めて45年の細やかな事業人生を振返りって、有り余った時間を面白、
 可笑しく、使い切ってきた思いが残っている。多くは、外交的で、目先の
時間に追われて、怠ける機会も少なく、周囲の目線に気遣い、一生を終える。
そのことに気づきもせずに。それも人生だが… 『今・現在、楽しいかい?』
『これまで、どうだ面白かった?』の問いに、『楽しい!』と心の底から言える?

――――
2003/06/29
『80対20の法則』ー読書日記
             リチャード・コッチ著 
  ー私の解説ー 
 数年前になるが、この本を読んだ時はショックであった。約100年前の
イタリアの経済学者パレートは、19世紀のイギリスにおける所得と資産の分布を
調査した結果、所得と資産が一部の人達に集中していることを発見し、2つの奇妙
な事実に気が付いた。「わずか20%の人達に資産総額の80%が集中していた」
という数理的事実を発見した。以前からABC分析や戦略論などがあったが、
この本は非常にわかり易い内容であった。この法則を知っているかどうかで、
数倍も人生を濃く生きる事が可能になる。7つの法則ー最優先事項ーに、
要約すると似ているところがある。人は無意識的に「如何でもよい方の80」を
選択しているように思えて仕方がない。どの要因の20%が結果の80%を決定
するのかを、つねに自分に問いかけてみる習慣をつけるかだが。 


■80対20の法則ってよく聞くものだが、この本を読むと「一人勝ちの経済」
「スピードの経済」とも絡みあい、そのバックボーンとなっている。
 この法則を知るか知らないかは大きな分岐点。

★80対20の法則は、われわれが何をすべきかを教えてくれる。
 努力の平均水準を上げるのではなく、努力を集中する。決められたコースを
走るのではなく、近道を探す。最小限度努力で人生の支配権を。多くの分野で
平均点をとるのではなく一つの分野で卓越した成績を上げる仕事でも自動車の
修理でも、自分でやらずにできるだけ専門家に任せる。よくよく考えて、仕事と
会社を選ぶ。できれば、他人に雇われるより、他人を雇った方がいい。
 一番得意とすることで一番楽しいと思うことだけをやる。あたり次第にチャンス
に追いつくのではなく、気を沈め、仕事量を減らしゴールへの最短距離に照準を
あてる油が乗り切った時期に訪れる幸運の連続を大切にし、それを元手に将来の
成功を確保。

★成功している企業は、努力で最大限の収益を上げられる市場で事業を行っている。
そして、投資収益率の絶対水準が高く、なおかつ利益率が競争相手より高くなければ、
成功している企業とはいえないこれはすべての企業にいえることだが、現在最大の
「黒字」を上げている市場分野や顧客グループにまとを絞れば、業績を目覚ましく
伸ばすことが常に可能である。最も黒字を出している分野に資源を再配分し、
他には資源と経費の全体の水準を下げなければならない。社内の不均衡を解消する
ことで、黒字を増やすことができる。最高の黒字を出している会社の部分・営業所
・部門などを見つけ、抜本的な改善策をメリット、改善の見込みがなければ、
その部分での資源投入をやめることで、それができる。

 ☆80対20の法則を生かした付加意思決定の原則

極めて重要な決定はそれほど多くはない。何かが決定を下す前に行って目の前に
二つの書類を受けがあると想像してみよう。机の上によくある掲載箱と未決箱の
ような箱の代わりに、重要な決定というラベルを張り、もう一方に重要でないと
いうラベルを張る。そして重要な決定に入るものは20のうち一つくらいである
ことを思い出しながら、頭の中で決定事項を振り分けていく。重要でないものに
ついては、あれこれ頭を悩ましてはいけない80%のデータを集め、使える時間の
20%で80%の分析を行い、残りの時間を100パーセントを使って下す。
そして、下した決定が100パーセント正しいと信じて、果敢に行動する
下した決定が間違っているかがわかったら、すぐに考えを変える。市場をという
のは休みなく動き続けているものなので、山のように積まれた分析結果をより、
市場の方がはるかに正しいのだから、実験を恐れてはいけない。間違った決定版
にしがみついてはいけない。市場の流れに逆らってはいけない。
事態が思い通りに突き進んできたら、掛け金を2倍に増やしていく。
なぜうまくいっているのかわからなくても、追い風が吹いている間に全力で従う。

★多数より常に少数の方がはるかに重要
★生産性が低い分野から生産性が高い分野に資源をうつすのが、起業家の
仕事であり自由市場の本来の役割である。しかし、起業家も市場もその役割

・・・・・・
2004/03/21
1082, 「80対20」革命 −1 (読書日記)

前著に続いて、早速この本を買ったがなかなか面白い。
この本は、ベストセラーになった「人生を変える80対20の法則」
(TBSブリタニカ、1998年)の続編である。
前著は、ABC分析やパレートの『80対20』の法則を解りやすくまとめてあり、
非常にインパクトの強い内容で、特に80に対する見直しをするキッカケになった。

この新著は更に深耕された内容といってよい。
ビジネスに特化し、「より少ない労力で富と幸せ」を獲得する方法が書いてある。
特に大きな組織から自立し、個人として成功するための方法を、具体例を多数
紹介しているのが特徴である。

もともと『80対20の法則』はパレートが発見をした法則である。
前回も書いたが、ここでおさらいをしてみる。

ーイタリアの経済学者ヴィルフレード・パレートが1897年に発見した法則で
今では社会の様々な分野で実証されている経験則である。
例えば、
「会議では20%の出席者全体の80%を決める」
「営業マンの上位20%が、利益の80%を出している」
「納税者の上位20%が税金総額の80%を負担している」
など、いろいろと当てはまるのです。

これは、自然界にも当てはまる。
例えば、働きアリの集団でも本当に一生懸命に仕事をするのは2割で、
残りの8割のアリたちは、仕事を怠けているという。
「働く2割か、怠ける8割か」が、生まれつき決まっているか、と言うと、
そうでも無い。試しに、働いている2割のアリと、怠けている8割のアリを
分けてみるとまじめに働いていた集団の8割が怠け始めるという。
反対に、怠け者のアリの集団では、2割が働き始める、というから不思議である。
人間の場合ありえないと思うが。

つまり集団をどう選んでも、やがて全員の2割が平均以上に働いて、
残り8割は怠けてしまうという結果に落ち着くのが実験結果という。

ーこれを人間に喩えると…
怠け者を全員解雇して、よく働きそうな人間ばかりを雇用し直しても、
しばらくするとやっぱり、結果は同じことになる。
どこの会社でもみられる「なんで、うちの社員は働かないんだ!」
という悩みが、無くならないことが、このことよりよくわかる。

本書にはこのパレートの法則でいうところの20%を、
自分の中に見つける方法が多く書いてある。

著者はこの本の『主人公』である“80対20人間”について、こういっている。
・「おそらく一パーセントにも満たない人々が、ほぼすべての変化をもたらしている。
 創造力豊かな個人が、これまでの物事のあり方を変えているのである。」(31P)
・「こうした80対20人間の特徴のひとつは、独自の強みを生かそうとすると
 同時に、多くの弱点をも自覚していることである。
 80対20人間はその弱点を補うため他の個人を必要とする
 −80対20人間が能力を発揮できるのは、周りに他の人たちがいるからなのだ。」
「私が「個人」と言った場合、「個人とその小チーム」の意味であるということを
 覚えておいてほしい。」 (38P)
                        つづく
・・・・・・
2004/03/22
1083, 「80対20」革命 −2(読書日記)

この本は、簡単に言えば、いま「創造的な個人を中心とした新しい経済」
が出現しつつあり、つまり、個性を発揮して新しく有益なものを作りだす
『80対20人間』こそが次の時代の担い手であり、その一人になりたい人には、
どんなビジネスが可能か、そのための方法があるかを説いている。・・・

特徴的なのは、
「何かを創造したいなら、まず自分の20佑離好僖ぅ(強み)を見つけ、
伸ばさなければならない。新しいビジネスをつくりたいなら、ビジネスについて
考えることからはじめてはならない。自分自身について考えることから始める
べきである」
個人の中にある20佑離好僖ぅ(強み)に対して忠実であるべきである。
この並外れたスパイクを自分で見つけ、強力に育て上げなくてはならない。
そして「取るに足りない多数」を外に外注に出し、エネルギーを
「きわめて重要な少数」の20佑肪蹐阿海箸世伴臘イ靴討い襦

20佑凌諭垢寮源裟は80佑凌諭垢裡看椶任呂覆ぁ何とその二乗の
16倍なのである。

・農業革命(10000〜7000BC)ー>
 産業革命(1750〜1850)ー>
 経営者革命(1900〜1950)ー>
 80対20革命(1980〜2020)
 へとニューエコノミーの時代は移行している。
・時代背景という面でみると、
 農業経済ー>市場資本主義ー>経営資本主義ー>個人主義
 へと変化している。
 
 ほとんどの企業が主要な個人を中心に回る時代がやってくるだろう。
 個人のスパイクこそが重要な資源に取って代わるのだ。
 個人主義が資本主義に取って代わるのだ。
 
  −−−−
 以上は私が主観を込めて、まとめてみたものだが、
 優秀な個人が世の中を支配する時代になってくるのか?
 下手をすると、違ったカタチの独裁の時代になるのか?
 結局は動物社会と同じところに行き着くということか?
(一番優秀な個しか生き残れないのでは?)
 
 等、考えさせられることが多い本であった。
 それもグローバルという単位であるから、企業も個人も激しい競争に
 直に巻き込まれる時代になったのだ。

・・・・・・
2004/03/23
1085, 「80対20」革命 −3(読書日記)

現在、全ての企業は新しいコンセプトの創造と、その業態つくりが
求められている。
その一点に、全てのエネルギーをむかなくてはならない境目の時代である。

ところで、その途方もない
「創造活動」はどのようにして起こるのだろうか?
この書で解りやすく書いている。

・創造活動の一つは、「既存のものを再構築する」ということである。
「日の下に新しきものなし」と旧約聖書にも書いてある。

一万年前の農業革命も、自然の中に元々あったものを再編成をして、
はるかに生産性の高いものにした。
 そして1750年以降の農業革命は、古来の生産様式を再編成をして、
規模と機械の効力を利用した。
現在のバイオテクノロジーは自然の行為を真似をして、その速度を上げ、
新たな変更を行っているに過ぎない。

・第二の特徴は、
「もっとも大きな強力な力を増大させる」というこである。

自然な力は無数にある。生物も生物でないものも。
創造に役立つものはその中の少数のものだけである。
有益なものは少数しかない。
植物の中で、滋養分が多いのは少数である。
栽培方法でも、優れているものは少数である。
生産物の中で、多産のものは少数である。

・創造の第三の興味深い点は、
「創造は、アイデアと個人がぶつかり結託するときに生じる」ということである。
創造の本質は物理的なものではなく、知的なものである。
マイクロソフトのアイデアは砂漠の砂遊びから生まれたのではなく、色々な
アイデアをいじくり回したことから生まれた。
創造に必要なものは、アイデアと個人、それも少数のアイデアと個人である。
偉大な科学的飛躍はすべて、元をたどれば個人や小チームがあれこれ考え
再構築した少数の豊かなアイデアである。

・ビジネスの創造には、第四の特徴がある。
「ビジネスの創造は、顧客にとって価値が向上するものでなくてはならない」
ということである。より多くのものをよりやすく提供することである。

創造をおこなうことが不思議でもなんでもないのは、
科学者の非凡な才能や狂気じみた発明家、霊感を得た起業家だけである。

ところで、
どの企業も事業構造の変革を求められているが、
その更なるイノベーションターゲットを何処に求めるかが課題である。
自分の使っている時間を、いま一度振り返ってみる必要があるようだ。
使っている時間の10から、20倍のものを生み出せるものは無いだろうか?
そう今まで考えたことがあっただろか。
その一点で、もがき、のたうちまわっただろうか?
ノーである。
もっとも大事なことは、このもがき苦しむことである。
厳しいが!

・・・・・・
2004/04/06
1099, 「80対20」革命 −4

「自分の20佑離好僖ぅ(強み)を見きわめる問い」が考えさせられる!
ー以下に書き写してみる。

△あなたが心底興奮するのは、どんなことに対してか?
 一番熱心になれることは、どんなことか?

△自分が有名になったと想像してみる。
 どんなことなら有名になれるか?

△自分の個性でもっとも特徴的なことは何か。
 人と一番変わっているところは何か?

△何をしているときがもっとも幸せで充実していると思うか?

△一番得意なものは何で、他の人より得意なものは何だろうか?

△どんな役割や仕事がもっとも適していると思うか?

△別の分野や活動で、自分が優れていることがないか、あらためて考えてみる。
 できるだけ現在とかけ離れた意外なものがよい。
 あまり深刻にならない方がよい。

△もし新しいベンチャーを始めて驚くほど成功するとしたら、
 どんな事業であろう?
 想像力をはたらかせて考えてみる

ー以上であるが、
現在の自分について考えてみて書いてみた。
ここでは書けないが、如何に深耕があった部分と、無かった部分が
よく見極めることができた。今回は内容を書くのは控えるが、この随想日記
に殆ど書いてあることばかりである。まあバカの壁を辛辣に見えてしまって
いるからだ。もう見せているから今更だが。
全て反省の言葉が多いのが人生と思っているが。


6291,閑話小題 〜頭にきた対処、どうしてる

2018年06月04日(月)

   * 全身全霊で土壇場で3〜4日かけて…
 7年前に立場が逆転、白目が、黒目に総替わり。だいたい1シーズン(3ヶ月)
に一度位は、直接的な嫌がらせを経験する。 客商売を長年、続けていると、
お客とのトラブルは日常茶飯事。それを面白がり楽しむ知恵が出てくる。
 しかし表向きは平然としているが、世人の底が見えすえているので怒りは
半端ではない。それを予兆して、私にとって2ランク上レベル?のスケジュール
をたて7年、実行してきた。その習慣の中から見えてくる世人は、それはそれは… 
半径5k圏の世界が面白く、愛おしくさえ…
 17年前に本格的に個人HPを立上げ、ネット世界にサテライトを開設、日常の
現実世界を覆ってしまった。スマートフォン・タブレット端末の普及で、SNS
などのソフトが世界を覆い、これまた世界の人々の日常を変えてしまった。
 が、まだまだ、世界は、私たち世代を含めた昭和二桁世代が多く占めている… 
日本にとって歴史に残るバブルを生きてきた世代も存在し、化石時代の原人から、
古代人、現代人、宇宙人?などが混同している時代である。

 サイコ襲来は3ヶ月に1度ぐらいペース。 それは不意打ちが多い。淡々と
した生活には、これが必要事項。もし、これがないとしたら、エネルギー源が
失われることになる。 折角なら楽しめば良い。50、100回、自分の首が削ぎ
落される経験も、サイコパスには必要と。怖れる前に、実践したらよい。
但し、感知されないように。
――
ポン督: 腹が立ってショウガナインダよ。何とかしないと心が爆発しそうだよ。
   あの野郎どもへの怒りを如何したら鎮められるか、誰か教えてよ。
寅: なら八つぁんの出番だね。色いろ工夫して、やってるじゃないか。
八: これが面白い?のなんの。7年前から、地元の長岡の自宅で、ジム通いと、
  月一ぐらい地元の学校の同期会の出席や、カラ友と飲みに出るぐらいだが…。
 その中で突然、見知らぬ人や、手の平を返した知人の嫌味、罵声が飛ぶ。
 要するに、自分の心の傷口の血を、 他人の傷に塗りつけるあれ。岩穴から
 出れなかった自分への鬱憤がね、誰か 標的が出来ると… それは軽度の
 サイコパスだが、その自覚は全くない。 その繰返しで出来た爛れが肥大化し
 サイコパスに転嫁する猛毒の恐ろしさを知らない。TVのワイドショー、週刊誌
 は、これらサイコバス症候群を顧客に設定し、番組を構成する。その一つが、
 尾ひれはひれのついた噂話と陰口。飲み屋の酒のツマミ。 ニャロメ!
熊: アンタが何時も言ってる世人というアイツラだ。俺よりバカというけど。
寅: バカなら、この長屋の大家、八つぁん、熊と俺と同じじゃないか。
大家: 違いは、己のバカが自覚できるか否かだよ。でも、イメージで100回も
 ソックビを落とすと、何か病気や事故の現象が出てくるというのも分るね。
八: 誰にだって、還暦、いや50歳の峠を越えると、自分だけでなく、身内に
 病などの問題を抱えている。それが、何処かに現れ出て不思議でないしね。
 これで、2週間で怒りの8割は消えるの。合理的だろう。で、次のが出てきて、
 相手がかわるの。で、その2〜3年後には、事故とか、重い病になる物語さ。
 関係ない他人の傷口に自分の膿を塗りつける人は、元もと病んでいるからね、
 自分の膿が、そのままブーメラン効果で返ってくるのさ。何も不思議じゃない。
 要するにミニ物語化してね、全身全霊で内的に抹消する手順を踏むこと。
 残ってしまうと、それこそ膿むだろう。気合のエネルギーは人一倍あるからね。   
大家: あんたのは年期が入っているから尋常ではないよ。
八: だって、相手だって気合が入っているし、ヘドロに、この位が当然さ。
 ヘドロに、このバカっていうのが、一番にバカだよ。ったく!

ポン督: アンタに言われて、やってみたが、スッキリ効果がないね。
八: そりゃ、全身全霊じゃないからさ。まだ気合が足りない。50回もイメージ
 すれば、腹の虫もおさまるよ。収まらないのは気合と憎しみが足りないためさ。
 収まったら、それで良いじゃないか。誰も傷つけないし、我が内なる抹消で済む。
 100回で、終わるケースが大部分。 200回はレッドラインの実感がするしね。
 自分も相討ちになるからね。 一度、200回を、やってみたよ。頭にきたもの!
寅: 俺なら500回は叩き落とすね。あやつ、こういうことにひ弱だもの。
 でも、これは良いよ。誰を傷つけるわけでなし。いや、もしかして?
大家: 200回のソクビ落としは、キツイよな。物語化すると、別次元の力が
 湧きでる経験は私にもあるからね。心底に沈殿する前に、吐きだすんだ。
 健康にも良いよ。 これが、本当のサイコキラーだね。
八: 毎週、ストレス解消にシネマ館に行くだろう。あのドタバタ劇の主人公
 のエネルギーを充電しにいくの。毎朝の信濃川へのポタリングも、大手大橋を
 歩きながら、地球の中心にエネルギー源マシーンをイメージして、10分、
 深呼吸をしながら自分の魂に流入するイメージを持つ。そして、後の数分、
 身体中の毒素が、押し出されるイメージもね。自分の魂は自分でコントロール
 しないとね。サイコキラーに汚されることはないさ。とにかく、ストレスを
 溜めないことさ。
ポン督: さっそくやって見るよ! 俺は病室だから、1000回だよ。100人にさ。
八: マズイこと教えたかな。それより、茫然自失で、芯が壊れているか。
神様: そっ首落としより、祈りなさい。大切な恩人じゃないですか。
八: そりゃ、このままじゃ、自分にも跳ね返ることぐらいは知っている。
 一年後に、解除するイメージで解放するのさ。気の毒?だもの。そうでも
 しないと、心底の奥底は死体の山積みだもの。年4人として30人になる。
 清水の中としても腐るしね。
寅: この辺りは、実践したものしか言えない言葉だね。
熊: サイコが一番大事な人ってのは、俺でも分かるよ。まずカカアからか〜。
ポン督: キミ、面白いね。 気持ちが半分、楽になったよ。
寅: この男だけは、教えない方が良かったのでは?
大家: それも、態勢に従った想いだろう。自爆しただけのことですよ。

・・・・・・
5924,閑話小題 〜帰りの宇宙船内で 〜4
2017年06月04日(日)
  * 母親と供に
 宇宙船内の両親の席の母の隣に座り、一方的に話した内容とは。
≪ 父親も尊敬してましたが、貴女も人間として見上げる存在でした。
 亡くなった時、医師の希望の解剖の結果、心臓の4分の1が壊死していたこと
を知り愕然としました。2人の息子を死なせ、母としての責任と後悔で重度の
ノイローゼに陥ってしまったことは知っていました。それでも、心臓が四分の一
も壊死していたとは。 中学校2年の時に、夜半、心臓発作のため、立川病院の
院長自らが駆けつけて、止まりかけた心臓のマッサージをしながら、大声で、
『堀井さん、自分で生きようとしなければ助かりません。苦しくても生きたいと、
思って自ら立ち上って下さい!』と絶叫していたのを覚えています。
言語に絶する苦しみが当時の私に伝わっていたと思ってましたが、殆ど分かって
なかったということですよね。 白髪が逆立ち、両手を上に突きあげ。私を見て、
「助けて!」と、絶叫していましたね。 その急場を乗越えた後、少しずつ病状が
良くなっていく過程で、新興宗教に助けを求めたり、宗教書や倫理書を熟読する
ことで、苦しみの種を、一つずつ取除いて立上っていく姿を身近で見ることが
出来ました。貴女の生い立ちは、生れて直ぐに父親が亡くなり、男後家の義父に
苛め抜かれたと、ことあるごとに聞いてました。実母も義父に気遣い、表向き
幼女の貴女には冷たくしていたと。 親からの直の愛情を、子供に与えられた
経験のなさが、仕事の忙しさも手伝って、目先、ガムリャラに生きるしかなく、
息子の不幸を招いたと、聞いていました。これは子供の私たちにも影響をあった
ようです。 その反動が、私に集中し、孫のような特別待遇をして貰いました。
結果的に、それが良かったか、悪かったか。貴女は、子供でも分かるような、
宗教書や倫理の本を何気なく、茶の間において、自然に読ませてくれていたのが、
間接的教育だったのですね。
 10年近くの重度のノイローゼの中で気づいたことは、「過酷の環境下での、
『無教養』が、取返しのつかない不幸の原因だった」ということですよね。
私自身も、「知識の絶対的不足」に気づいたのは、地元を離れた学生時代。
オープンハウス的な寮生活で、全国の多くの人と、私生活を共有したためです。
「面白い共同体の寮があって、実に社会勉強になる」と、何処かから聞きつけ、
放り込まれましたが、その実態について、殆ど話した事はなかったですが…
これが絵に書いたような雑多の家庭事情を持った玉石混合の25室の寮。その部屋
には、その友人も多く出入りをしており、良いにつけ悪いにつけ、赤裸々な様々
な品位を垣間見ることが出来ました。これが、面白い別次元の空間。都会の寮や、
アパートなら、こんなものでしょうが… 
 そういう貴女と33年間も同居することが出来、あまりに多くを学ぶことが
出来たことが、この地球ツアーで一番の成果だったようです。両親にならって
何が創業人生を目指してきたのが、この程度で、です。
『ご覧のとおり、そのまま結構!』とは、あなた方を省みると、決して
言えません。何はあれめぐり会えたことが、一番の感謝すべき幸運だったと、
黄昏の日々を過ごしています。≫

▼ 書いて初めて気付くことが、あまりに多い。愛情は与えることであって、
 受けているだけではダメということですね。 

・・・・・・
5559,フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜
2016年06月04日(土)

 最近になって、『男はつらいよ』のシリーズの再放送を見なくなったが、
以前は、再放送の度、何度も観ていた。もちろん48作の全部を観ている。
TVの再放送を含め平均3回を観たとして、150回は観たことになる。
特に浅丘ルリ子の、リリー役ものは、5〜6回以上は観ていた。この映画が
始まった1969年は、新社会人として、四日市、神戸、桑名と、転勤生活の中で、
家族の温みを寅さんの実家の団子屋の中に温みに求めていたようだ。 
精神分析医と、『男はつらいよ』の山田洋次監督の対談が、なかなか面白い。
  * 寅は「基底欠損」   <山田洋次:名越康文 対談>より
≪ 山田:寅は「人間というのはこんなにみっともないよね」という恥部も
 見せてくれる。自分が食る分のメロンがないというだけで、「どうせ俺はね、
 この家では勘定に入れてもらえない人間だからな」と言って大ゲンカしたり。
名越:有名なメロン騒動ですね(第15作『寅次郎相合い傘』)。『男はつらいよ』
 を全作観て、僕は寅さんの中にとめどないブラツクホールのようなものを
 感じました。寅さんを心理分析すると、99%は温かいものでできているけれど、
 残りの1%に、ダークマダーのようなものがギューッと凝縮されている。
 それは下手したら温かい99%を無にしてしまうようなすごい闇です。
「俺の気持ちをわかってくれ!」という精神的な甘えも強烈で、カッとして暴れる
 こともしょっちゅう。じゃあなぜ寅さんにこのような攻撃的なエネルギーが
 生まれるのかと考えた時、「基底欠損」という精神分析用語がハッと頭に浮か
 びました。幼い頃、親に甘えても受け入れてもらえなかった。おっぽいが十分
 に吸えなかったとか、抱っこしてもらえなかったとか、満たされるべき欲求が
 満たされなかった。そういう根本的な愛情や安心感の欠如が、大人になって
 から甘えたり、無理を言うことにつながってしまう。寅さんもそうすることで、
 親に拒絶された「欠損」を埋めようとしているんじゃないかと解釈したんです。
山田:とても面白いですね。「基底欠損」という言葉を初めて聞いたし、そういう
 心理学的なことは何も知りませんでした。だけど、寅みたいな人間はどこか心
 の中に空洞があるんだろう、そういう人間って、赤ん坊の時がひどく不幸
 だったと考えて、寅が産みの母に捨てられたという設定にした。≫
▼ 私の母親が、世にも珍しい<ママ父>虐めの被害者。その恨み辛みを、
 ことあるごとに聞いていた。 3人の子供を残して逝った父親の後添えに、
祖母は男後家と再婚、八百屋を維持した。その義父との間に4人の子供が
できたが、義父は徹底して3人を虐めたという。祖母も、男後家の関係上、
3人には冷たくせざるを得く、一番末の母は、幼児の頃から、両親の温みを
知らないで育った。その為、自分の子供に対して、どう愛情を与えて育てて
よいのか、知る由もなく、それが、母親の「基底欠損」である。当然、その
子供も、基底欠損になる。何れも多かれ少なかれ、それを持っている。
両親の温みの実感が無いのも辛いものがあるようだ。  〜つづく

・・・・・・
5194,千年ぶりの「大地動乱期」に入った日本列島
2015年06月04日(木)
   * 「南海トラフ巨大地震」について、
 2011年の東日本大震災以後、日本列島はいつ、どこで地震や噴火が起きて
もおかしくない「活動期」に再び入った。13年には小笠原諸島の西之島近くで
海底噴火があり、溶岩は島をのみ込んで陸地を広げてきた。昨年は御嶽山噴火が
あり、57人が死亡。阿蘇山の噴火もあった。御嶽山噴火から半年、その間に
噴火が次々と起こっている。これは「大地変動の時代」が始まったといことか?
 火山学者で京都大教授の鎌田浩毅が、『新潮45』の去年の11月号や、近刊
『地震と火山』で、1100年前の貞観地震から、大噴火と、「南海トラフ地震」の
可能性を取り上げている。被害は東北大地震の10倍以上と。 〜その内容とは〜
≪「南海トラフ巨大地震」は、10年ほどの誤差があるにせよ、地球科学的に
 発生時期が予測出来る唯一の巨大災害で、その予測は2030年代。
現在は2015年だから15〜20年後になる。 1100年前の地震は
869年 貞観地震(三陸沖)M8.4 大津波
878年 相模・武蔵地震(関東諸国大地震)M7.4 直下型
887年 仁和南海地震(南海トラフ沿い)震度7 巨大津波が発生。
 この貞観地震が3.11に似ていて、9年後にそれぞれ起こった。
これを単純に現在にあてはめると、2011年(3.11の年)の9年後2020年は
東京オリンピック、9年後は2029年に南海トラフという計算になる。・・
 「3・11」以降の日本列島が千年ぶりの大変動期に突入したことは、日本人の
共通認識として必要なことではないかと考えている。二〇三〇年代に起きる
可能性の高い南海トラフ巨大地震は、一〇年ほどの誤差があるにせよ、地球科学
的に発生時期が予測できるほとんど唯一の巨大災害である。こうした、言わば
「虎の子」の情報を活用し、必ずやって来る激甚災害を迎え撃たなければならない。
南海トラフ地震が首都圏を直撃した場合には、国家機能が麻痺する恐れもある。
さらに江戸時代のように、巨大地震の数ヶ月後に富士山が大噴火した場合には、
地震と火山災害が同時にもたらされることになりかねない。
事実、両者の複合災害によって幕府がしばらく疲弊したことが記録に残っている。
南海トラフ日本列島で生きのびる巨大地震が「3・11」の20兆の損害より一桁
大きいダメージを与えることは必定で、日本経済が破綻するだけでなく世界金融
危機を招くと予測する専門家も少なからずいる。今後の日本にとって喫緊の課題
は、その激甚災害をいかにして減らすかである。こうした大きな流れの状況下で、
今回の御嶽山噴火が起きたのである。地球科学者としての視点からは、大地が揺れ
火山が噴火する現象は、日本人にとって避けられない事態である。今後、災害に
対する正確な知識を事前に持ち、ネットを活用しながらリアルタイムで情報を
得つつ、刻々変化する自然現象に向けて手を打たなければならない(拙著
『地震と火山の日本を生きのびる知恵』を参照)。 加え、過度の不安に陥って
しまうのではなく、「正しく恐れる」ことも求められる。今回の噴火をきっかけ
として、我々の大地が千年ぶりの変動期に入ったことを、読者の方々の人生と
仕事のスケジュールに組み込んでいただきたいと切に願う。≫
 また、「サンデー毎日」緊急報告の下では、こう書いている。
≪ 御嶽山噴火は『大動乱時代』の幕開か?
 地球科学者たちは、3年半の東日本大震災以後、日本列島の地盤が長期的に見て、
変動期に入ったことを、各種の観測でつかんでいた。いわば、「3,11」が引き
起こした1000年ぶりの『大地動乱の時代』である。 御嶽山が活動期に入り、
富士山や箱根山などの活火山の地下にあるマグマが、いつ活動を再開しても
不思議ではない状態にある。過去の歴史を振り返ると、海域でマグニチュード9
という巨大地震が発生すると数カ月から数年以内に、近隣の火山の噴火を誘発
する事例がある。20世紀以降、全世界でM9クラスの巨大地震は6回起きたが,
その全てで、地震の数日もしくは数年後に噴火が発生。 869年に起きた
「貞観地震」と極めてよく似ている。9世紀には、地震と火山の多い特異な
変動期にあったが、それは貞観地震をきっかけに始まった。3,11以後、
日本列島は9世紀同様の『大地動乱の時代」に入ったに違いない。・・ ≫
▼ 爆発的な噴火を起こした鹿児島県の口永良部島。噴火直後に火砕流が発生、
 海岸線にまで到達した。気象庁は、噴火警戒レベルを3(入山規制)から、
5(避難)に引き上げ、町は全住民に避難指示を出した。レベル5に引き上げ
られたのは、気象庁が平成19年に噴火警戒レベルの仕組みを導入して初めて
のことだ。桜島、阿蘇山、箱根山など全国各地で火山活動が活発になっている
日本列島。日本人の特性、喫緊の問題以外は楽観的で、「正しく恐れる」こと
から目を背ける性向がある。リアルなドラマ仕立ての『日本沈没』の様相に!
5年後には、東京オリンピックもあることだし、起こった時は、起こった時と!


6290,あいつ今何してる?  特別編

2018年06月03日(日)

    <あいつ今何してる?  2018年5月23日(水) 19:00〜20:00
      特別編 名門高校の先生の記憶に刻まれた天才&奇才卒業生は今?>
   * 鬼才の今!
 家内が録画をしたのを翌日に見たが冒頭の女性のケースからして驚いた。
親の「何で?という好奇心を徹底的に伸ばす」という教育方針。 子どもの
「何で?」の質問に対して、面倒くさいと思わずにとことん付き合う親の姿勢。
それ故に、友達から嫌われるが、それを徹して乗越え、異能になった姿が良い。
 私も社会科学が大好きで、それ故に、小さな世界に馴染み過ぎた人からは、
嫌われてきた。 <折角の人生、何やってるんだ>の自問自答が、
自分だけでなく、他者にも向いていた。問題は脳の質の問題になる。
私の場合、才能、基本が出来てないため、奇人・珍人の類… 。 
 彼女は、その後も、エリートコースを着実に歩んできた… 
「上を見上げればキリがない、下を見れば底がない… だが。
事例で取上げるだけの価値が充分にある人物のようだ。
 ◇内容1 
  【生徒】2000年卒の青木瑛佳さん
1.茨城県屈指の進学校・江戸川学園取手高校…教師歴30年以上の超ベテラン
 教師が「こんな生徒出会ったことない!」
・「教師の上を行く天才」
・「常に廊下で人間観察して“あの子は成績が上がって来た"など同級生を分析」
・「質問が鋭すぎて教師が恐れていた」
・「当然のように東大に現役合格」など…天才と奇才を兼ね備えた学年No.1
  の秀才少女は一体今何をしているのか!
  【現在の仕事内容】
国立環境研究所の研究員
 環境省が行う10万人対象の国家プロジェクト「エコチル調査」に携わっている。
 エコチル調査は、化学物質等の環境要因が子どもの健康にどう影響するか、
 赤ちゃんがお母さんのお腹にいる時から13歳になるまで定期的に健康状態を
 確認し、明らかにする調査。
法政大学で心理学の講師(英語only)
子育て
  【進路】
江戸取(首席)⇒東大理2⇒東京大学大学院⇒コロンビア大学大学院⇒帰国後、
区役所等で働く⇒現在

▼ ネット検索によると、《優秀さから妬みからのイジメが半年間が続いた。
 彼女は勉強だけは絶対に負けないという強い気持ちでイジメを乗り越え難関校
全て合格し、通いやすい私立江戸川学園取手中学校に主席で入学した。この頃
から子供を研究したいと思いを抱いたという。そのキッカケについて公立中学の
ある女の子がいじめに遭い、不登校になってしまった。という話を聞き、自身も
いじめに遭っていたが不登校にならなかった違いについて理由を知りたくなって
しまったという。そのため人間関係などを観察し、その経験を職業にしたいと
考え東京大学理科二類を志望。しかし、心理学は本来は文科三類で学ぶので
真逆の進学を進んでいる。その理由を聞くと文系の友達ばかりになるのは面白く
なく、文系以外の人も観察したいと思い、理科二類に現役合格した。2年生まで
理系の人間を観察し、定員2名という文学部社会心理学課程へ進み、心理学を
本格的に研究開始した。そこで最先端の心理学を学ぶことを勧められコロンビア
大学大学院に進学した。》
 
 世の中は広いし、色いろの人生がある。「何故、何故、何故」の好奇心を追い
求める姿勢を上手く誘導して伸ばしていく親の能力を見逃すことが出来ない。
イチロウも、大谷も、ロジックを基本から鍛え上げていたようだ。
「何で、何で、何で?」と、トコトン追及する知的好奇心。これが人間の原点
ということか。これにスマートフォン、タブレットの機能の果てない進化。
「親の因果が子に報い」のプラス・バージョン。親の資質から派生しないと…
 能力、履歴とかではなくて、何故何故の問いかけの秘儀そのままを追及した、
彼女の人生の一端を垣間見れたことに驚いてしまった。 そこには、
「虐め」の存在が。その怒りこそ、エネルギーの炉になっている。虐める方も、
親の不仲が原点にあり、彼女の場合は、その方面に。親の立場から原点を再構築
しなければならない。

・・・・・・ 
5193,半隠遁五箇条
2015年06月03日(水)
               『人生、しょせん気晴らし』中島義道著
   * 半隠遁五箇条
≪ 自分のしたくないことは一切せず、世間から半分だけ降りることにしよう。
俗世間からすべて降り切ることは、山ごもりでもしない限り無理なのだから、
妥協案として「半分」だけ人生を降りることにしようと決心、五十歳を潮時に
‘半隠遁生活五箇条’なるものを宣言した。
  1.「清貧の思想」にあらず 
  2. 趣味を追求するなかれ 
  3.不快を避ける 
  4.無理しても快適を得る
  5.金に執着しない、 とした。
・『人は誰も、もうじき死んでしまい、永遠の無が訪れるのだから、何をしても
 虚しいだけである。何をしても、何を成しても、どうせみんな死んでゆく・・』
・『生きることに意味など無い。ただ偶然と偶然が重なっただけで生まれた宇宙の
 中のちっぽけな地球も、いずれ消滅して跡形もなく消滅する。それだけのこと。
 すべては移ろい変わってゆく。永遠なるものなど一切ない。
 その一瞬の永遠の中で、人は生き、必ず死んでゆく。意味などない・・』 ≫
▼ 私と同じ年齢の著者は、半隠遁だが、何度も書いているが、51歳時に、
 似たような?『還暦までに、その後の30年分を生ききってしまう』という、
 逆の選択をし、実行した』 そして、4年前から隠遁生活者。だから、後悔
 の念は少なく、ただ淡々と、今日一日、無事平穏に過ごせればと生きている。 
 現状というより、目標を書くとすると、
   <隠遁生活五箇状> 
1、不快は、あって当然と割り切るー不快の3倍の快を求める
2、辰濃和男著『ぼんやりの時間』 の、「ぼんやり」と響き合う5つの「一文字」。 
  ?、「闇」―蛍と星とダークマターをみつめ ?、「独」―独りでいること   
  ?、「閑」―逆茂木に囲まれて   ?、「怠」―怠け猿のように  
  ?、「懶」―心に余白を持つ    〜を意識して、世界に浸かる
3、その中でも、新しい知識、感動、感謝を貪欲に求め続ける
4、想定死亡年齢を75歳とする。その淵から、一日、一日をみつめ、味わう
5、具体的な死に準備を、一つ一つ実行する 
 まだまだ娑婆ッケがあるが、現実は変な壁が低くなったためか、現実が
面白くて、少年のように好奇心で一杯である。壁が高すぎたのだろう。
それと14年間、随想日記を書き続けてきた蓄積効果と、新たなネットと、
デジタル世界の恩恵もある。 表立っては隠遁だが、内側は真逆のような。
「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」というところ。これもまた、気晴らし!

・・・・・・
5923,閑話小題 〜帰りの宇宙船内で 〜3
2017年06月03日(土)
  * 武澤信一教授
 遠くの席に、武澤ゼミの武澤信一教授の姿が見えたので、
 隣席に座って、思い切って一方的に話しかけてみた。
≪ 先生が亡くなられて20年近くになります。
 武澤ゼミの一年間の思い出は、 何もかもが新鮮でした。
・八王子のゼミ・センターでの泊りがけのセミナー。
・NECのコンピュータ工場訪問。
・出光の造船工場の作業現場での組織を一望する体験。
・自由課題の「卒論」に四苦八苦した経験。
・一年に及ぶ、ケース・スタディの討論会。
 様々な企業内トラブルのケースの現象を一次とすると、その背景に、
二次、三次の構造と背景を洞察し、対策を立てる手法を、一年間かけて
学んだことは、何によりも変え難い経験になりました。仏教語で、それを
「真・仮」とも言いますよね。現象を「仮」、二次的構造を「真」と。 
ゼミを終えて部屋から出たとき、目のまえが黄色に見えていました。
人事管理は、それほど、重い仕事ということですよね。
 地頭で考えぬく訓練は、戦場の真中で出来ても、なかなか出来ること
ではありません。創業は、正に、その都度、目の前に現れた困難に対し、
その背景にある構造を直感し、手持ちの材料を組み立て変えて、新たな価値
を作り上げることでした。としても、ドン・キホーテのような、己の姿を
思い出すたびに、赤面しています。先生が亡くなられ、その後、暫く出席
していた奥様が亡くなられた現在も、年に一回、ゼミ出身のメンバーが経営
する赤坂見附のフランス料理店で、数十人が集まって、生前のまま「偲ぶ会」
に変わって今でも開かれています。
ホテルを開業後、一度、新潟の何かの学会のおりに、泊まっていただき、
古町で語りあかしたことが、今でもハッキリと憶えています。≫

▼ <ところで、この宇宙船内とは、何なんでしょうか>という先生の問い
 かけに、<何なんでしょうか〜>と、赤面する私。父親と、武澤先生が、
私の陰として、「馬鹿なお前は、ひたすら、挑戦と、変化と、己の無知との
闘いを続けるしかと、凝視しているような。で、独り、早朝に、こんな
瞑想をしている。
・・・・・・
4461, 99・9%は仮説、ですか〜 −3
2013年06月03日(月)
    「99・9%は仮説 ー思いこみで判断しないための考え方」竹内薫著
  * 第2章 自分の頭のなかの仮説に気づく
 自分の頭にあること全てが仮設(思い込み)とすると、「自分とは何か」
という根源的問いかけになる。しかし、自分の思い込みに気づかない限り、
それから一歩も外に出ることは出来ない。そして、他人のフィルターを通した
思い込みに惑わされてしまう。 現象の背後にある事実、真実について考え
ようがない。とはいえ、その事実、真実も、思い込みとすると、その立つ場が
なくなる。  ーまずは、その自分の中の仮説」についての箇所よりー
≪ 頭の柔らかい人は、常識がただの仮説にすぎないことを知っています。
 逆に、頭の固い人は、先入観や固定観念にしばられて、思いこみでものを
いいます。では、天才でないわたしたちは、どうして自分の頭にこびりついた
仮説をはがせばよいのでしょう ・・世界の見え方自体が、あなたの頭にある
仮説によって決まる。ということは、人は自分の都合の良いように解釈する。
われわれはよく事実、事実というけれど、事実はすべて、実は仮説の上になり
たっている。「裸の事実」などない。データーを集める場合も、やっぱり
その仮説―最初に決めた枠組みがあって、その枠組みの中でデーターを解釈
するわけです。ガリレオの例でいえば、名だたる教授たちは、宇宙は完璧な
世界だと思い込んでいるから、実際に望遠鏡で月のクリエータを目撃しても、
「望遠鏡はデタラメだ!」という結論に達する。いまある枠組みに都合の
良いほうに、事実の方が捻じ曲げられる。でも本人には意図的に事実を捻じ
曲げたという意識はない。自覚がないから、自分が特定の仮説に縛られている
ことに気づかない。天才でない普通の人が、どうすれば頭の中にこびりついて
いる仮説に気づくことができるか? 「タブーに挑戦し、あらゆる仮説に
触れてみよ」と、ある科学者がアドバイスをする。あえてタブーに挑戦し、
あらゆる仮説に触れることで、知的な「免疫力」をつけろ、ということ。
たとえば、われわれは自由な民主国家に住んでいますが、あえて専制国家や
共産国家の「思想」にも、触れてみよ、ということです。・・ 
「仮説の呪縛から逃れる万能薬などありません」ですが、できるだけみなさん
の仮説を見比べることにより、支配的な仮説を疑うことができるのです。≫
▼ 自分の仮説(思い込み)に自分で気づくのは非常に難しい。
 気づくようでは、思い込みではないからだ。20数年前のバブルと、崩壊と、
その後遺症が今だに続いている。「土地が限られている日本では土地価格の
崩壊は絶対にない」という土地神話、この仮説が前提にあった。
それが仮説=思い込みということに気づかなかった。だから突然、それが
崩壊すると、日本全体がひっくり返ってしまった。商家に生まれ育って、
身に沁みていたことは、「人生も、事業も舟板一枚下は地獄」ということ。
舟(=店)が沈めば、全てを失うという恐怖。だから、常に万一に備え、
万一の備えをしておくこと。その手っ取り早いのが、普段の生活を合理的
にしておくこと。それさえさえあれば、如何なる事態にも対応できる。
現在、比較的気持ちの落ち込みが少ないのも、「で、どうした!」という
のが幼心から、あったから。周囲の視線が可笑しくさえ思えるのは無知が
見えているから。それも私の仮説でしかない。
・・・・・・
5558,閑話小題 〜サプリメント効果
2016年06月03日(金)
  * サプリメント効果
・サントリーのサプリメント、『ノコギリヤシ』。5千円のものが、一万人
 無料という広告文につられてネット注文をし、飲みはじめてから一ヶ月。
効果は2〜3週間後に出るという文面どうりに、効果が出てきた。これまで、
夜半に8割かたはトイレに起きていたのが、今では三日に一度に減っている。
 それに、肌に水気が増えて滑々してきた。 他に、サントリーの別広告で、
『セサミンEX』の格安広告を見て注文し、先のものと共に飲んでいる。
・10年前には様様なサプリメントを飲んでいたが、今では、冬季の生姜湯と、
飲むヨーグルトと、水分補給用のビタミンC入り飲料だけ。 ところが、
年々、体力の衰えを感じてきたこともあって、再チャレンジすることにした。
・これを飲み始めて、身体の方が、待ってましたという感覚。還暦から10年、
明らかに足腰の衰えが顕著。これだけの即効からして、無料提供をするわけだ。
50年来の腰痛と、パソコンの前に一日4時間も座っているためか、前屈みの姿勢
になりがちだが、姿勢も少し良くなったようだ。問題は価格。そこで、格安の
ノコギリヤシのサプリメントがないかとネット検索をすると、あるある。
老いた老いたと身体の不調を愚痴るより、対策を探した方が良い。それより、
節酒が先決だが! 持病の腰痛、栄養バランスの悪さも要因だったのかも。
「老いたら子に従え」でなく、「老いたら、サプリメントバランスに従え」か。
・・・・・・
4087, 老いの見本帳ーダークサイト −7
2012年6月3日(日)
       「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日武彦 (著)
 * 中年と老年の境目          
「森林からサバンナへ」という文章を、ここで書いたが、森林=青年・中年、
サバンナが老年と捉えることができる。私の場合、60歳を大きな目安にして
50歳代を全力で駆け抜けた。そして5年の節目期間を置き65歳で会社を
整理倒産、年金生活に入った。(結果論だが)一年前が、その境目になる。 
ことがことだっただけ、ハッキリしている。
≪ 【人生の総決算】
 六十歳あたりで突如として警察に捕まるようなことをしでかしたり、妄想に
囚われとしたとなると、ある意味でそれが差し当たっての人生の総決算といった
性格を帯びているのではないかと考えたくなる。 だがそれにしては、たとえ
象徴的なものであろうと、あまりにも下らなかったり安っぽく情けなくなって
しまう。人生そんなもんだと言われれば首肯せざるを得ないにせよ、天を仰ぎ
たくなってしまう。歳を重ねていくうちに、人は体力も知力も衰えていく。
少なくとも瞬発力は失われていくだろう。しかしそれを補うかのよう、経験に
根差した判断力や理解力は豊かになり、酸いも甘いも噛み分けた人格者と
なっていくものと思いたい。 にもかかわらず、老いの訪れを待っていたか
のようにして愚かな言動に走りがちなことが少なくないのはどうしたわけか。
もともとの性格だとか生き方が、老いを迎えるに当たって問い直されるのだ
といった言説は、もっともなようでいて疑問符を付けたくなる。
暴走老人という言葉が流行り、それは老いがあるまじき暴力的で非常識で
自己中心的で、頑固老人とか我儘老人とはニュアンスを異にし、むしろ幼稚な
チンピラのような暴発性を秘めた迷惑老人なのであった。彼らの多くは老人で
あることによって敬意を払われることなどなく、精神的に孤立し、世の中に
居場所を見出せず、不本意な毎日を送っている人たちだったようである。
それなりに「まっとうな」人生を送ってきても、六十歳が「人生には、奇妙に
歩調をゆるめて、前進をためらっているのではないか、それとも方向を転じ
ようとしているのではないか、と思われるような一時期がある。このような
時期に人は不幸におちいりがちなものらしい」といった一節に重なるとしたら、
むしろ偶然としか言いようのない要素の関与のほうが当人への影響力は大きい
のではないか。 老年を迎えるということは、あらためて運命のサイコロを
振ることを強いられるということではないのか。 ≫
▼ 心当たりのある考えさせられる一節。太平洋戦争の敗戦直後に生を受け、
 45年間右上がりの経済成長の中、順調にきたが、バブル崩壊からの
「失われた20年間」で、それまでの蓄えを全て無くし、最後は、落城。
私の人生は日本国家の縮図である。リスク管理をしていたので、生活は何とか
なっているが。それにしては、あまりに境目が、はっきりしている。
肉体的衰えが、精神をも蝕むのだろう。「百里の道も九十九里をもって
半ばとせよ」というが、難しいのが老年。味わい深いが難しい!


6289,終わった人 −2

2018年06月02日(土)

  * 終われない群像
 一昨日の朝、NHKTVに内館牧子が出演して、映画の『終わった人』について
感想を述べていた。昨日、行ったシネマで、その映画の予告を流していた。
まあ、シリアスで内容は濃い。
 〜内容は二年前に、この随想日記で取上げているが…
【東大法学部卒で大手銀行に勤め、役員レースの手前で出向に出されて定年を
迎えた男が主人公。仕事一筋で生きてきて、終わりを迎えた男のあがく姿を…】
 
 今さらだが、私自身、27歳で事業を立ち上げ、40年近く、自由気まま?に
生きてきた。会社清算とはいえ倒産は倒産。万一を考え、シェルターを用意
していた為、最悪の事態を避けることが出来たとしても、「終わった人」。
 で何が悪い!と、自分に尻をめくってみても、何の不具合も利点もないし、
ただ、それだけ。 一般的に「終わった人」は定年になる。 

「自由ほど、不自由はない」をドップリと味わうしかのが宮勤めの性。
じゃあ、如何すれば良かったか? それを認識するしかないのである。現実は!
  内舘は、戸惑う彼らについて、
《まず「終わった人」を認めなくては! 東大出とか、一時はエリート社員
 だったとかを、過去と認めて、再出発しなければならないのに、その逆を
求めている人達。同級会に久々に参加して、美人も不美人も、秀才、鈍才も
横一線になった姿を見て、このテーマを思いついた。》という。
 
 終われない人たちの物語だが、居酒屋、スナックには、その哀れなが一群が
スーツにグリーンか、赤いネクタイをして、過っての仲間の噂話に花を咲かせる。
要するにゾンビの一群。 世間人のなれの果ての哀しき地獄絵。自分の多くが、
重なるから、シリアスに見えるためだが。 二年前の感想文を読返してみて、
成るほどと… 最後の最後は、いや、最期の最期は、自分一人である。
 昨日書いたパタゴニアの初老の言葉、夜這いする御婆さんを取上げ、
「寂しいのよ!」の言葉が、再び過ってきた。こんなもんだよ、世間とは!
と薄ら笑っていられないだろう。

 ホームレスは、普段は寝っ転がってはいない。只管、歩いているという。
――
自問自答: これまで歩いてきた? エッ小走りで? どこに? 忘れた? 
何を? 自分さ。 自分って何さ? そうか、私の、いやアナタの自分は世間様
だもんな。それがどうした。だって、他の世界を知らないからね。それで良いの!
それが全世界だからね。 薄っぺらと自覚しているの? 知るわけないでしょう。
ゾンビは互いに対話、いや会話が出来ないの。だから生きていけるじゃないか?
知ったふりして、知らないのが仲間だもの。 成るほど、終われないはずだ!
◉ 熊、寅: おい! ワシらをおいて自問自答するなよ。出番がないじゃないか。
 大家: お前らが相手に出来る相手じゃないよ。この時ぞと、何を言いだすか? 
――――
2016/08/18
終わった人 −1
         <『終わった人』内館牧子(著)>
 これは、アマゾンのHPで見つけた本。リタイアをした身にとって、
『終わった人』の内容は、身にしみる。団塊の世代が、この数年で大量に
職場から押し出され、『終わった人』になっている。 まだ終わってない、
その端にいる人ほど一歩先に終わった人に言い放ちたい言葉でもある。
還暦ならいざ知らず、古希も過ぎれば、何をいわれても馬耳東風。
まだ若いと思っているのは自分だけ。老兵は、ただ黙って去るのみ。
恵まれたサラリーマンほど、節目の切替が難しい。
  〜アマゾンの内容説明より〜
≪ 銀行の出世コースから子会社に出向させられ、定年を迎えた田代壮介。
 仕事一筋だった彼は途方に暮れる。妻は旅行などに乗り気ではない。
図書館通いや体を鍛えることは、いかにも年寄りじみていて抵抗がある。
職探しをしてみると、立派な職歴が邪魔をしてうまくいかない。
妻や娘は「恋でもしたら」とけしかけるが、気になる女性がいたところで、
思い通りになるものでもない。惑い、あがき続ける田代に安息は訪れるのか?
  〜アマゾンのビュアーの声より〜
《 何と云っても、タイトルが秀逸。長い人生、生物的には最期の時まで
「終わり」はないはずだが、「社会的には」確かに終わった人は年々増えて
いるし、殆ど全ての人間は(自分も含め)そうなることを改めて教えられ、
身に沁みた。「散り際千金」「散る桜残る桜も散る桜」(2頁)と考える田代
壮介、49歳で子会社に出向、51歳で転籍、63歳のとき年収1,300万円で退職
(あと二年働けたが、そうすると6割近く下がる)、保有資産は現金で
約1億3,600万円(275〜6頁)の「卒婚」(358頁)物語。
(しかし、こんなに恵まれたサラリーマンなんて、そうそういないでしょう)
★ 卒婚とは 離婚との違いとしては、夫婦の関係を断ち切るのではなく、結婚
という形を持続しながら、それぞれが自由に自分の人生を楽しむ、という前向き
な選択肢。 必ずしも別居ではなく、同居しながら卒婚というスタイルも有りうる。
  〜印象に残った箇所〜
「もし、私が田代さんのお部屋に泊まれば、あとは別れるか、愛人になるか、
 結婚するかしかありません。男と女になれば、十年も二十年ももつ関係が、
 半年や一年で終わります」      (217頁)
「あんなにきれいな人だもの、今に誰かと結婚してトシは捨てられるわよ」
                   (239頁)
「恋? お前も情けないものと比べるね。あんなものは十代でも二十代でも、
 生きてるついでにするものだよ」   (252頁)
「「先が短いのだから、好きなように生きろ」ということなのだ。嫌いな人
 とはメシを食わず、気が向かない場所には行かず、好かれようと思わず、
 何を言われようと、どんなことに見舞われようと「どこ吹く風」で好きな
 ように生きればいい。・・ これは先が短い人間の特権であり、実に幸せな
 ことではないか」          (287頁)
「今後、介護やあなたの世話をする気はない。
 でも、離婚という形は取りませんから」(292頁)
「将来を嘱望された男ほど、美人の誉が高かった女ほど、
 同窓会に来ないというのはよくわかる」(314頁)。
「思い出と戦っても勝てねンだよッ」  (319頁)
「思い出と戦っても勝てない。「勝負」とは「今」と戦うことだ」(333頁)
「僕が笑うと、久里も笑った。きれいだった」(366頁)。
▼ 産業廃棄物の典型的な人物描写である。第一の人生をソツなく卒業すると、
 こうなるのだろう。学生時代の友人が、いまだに、関連会社の社長に、
しがみ付いている。曰く、『何もすることがない事が恐ろしい!』と。
それも良い人生かも知れない。 『日々、是、口実』よりも? 
「終わった人」ならまだしも、「いらない人」になっていく私? 
で更に、内館は、『必要のない人』という本を書いている。 ったく!

・・・・・・ 
5192,ロシアの小話 ぷらす4つ
2015年06月02日(火)
   * ロシアンジョーク
 ロシア帝国やソ連の圧制の中で、したたかな市民はジョークで、憂さを
晴らしていた。だから、内容は強烈な毒が含まれている。話す方も、聞く方も
命がけ。ジョークは、その内に秘められている毒が理解できればこそ笑いになる。

・ワルシャワの精神病院をソ連の視察団が訪れ、一人の患者に入院理由を尋ねた。
「亡命しようとしたからさ」  視察団は首を捻った。
「我が国なら政治犯収容所に入れるところだが?」  医者が答えた。
「いや、こいつはソ連に亡命しようとしたんです」

・工場の財産を労働者たちがくすねるのを防ぐため、門で守衛が見張っている。
 その守衛が、手押し車に袋を乗せて通り過ぎようとするイワンに目を付けた。
「袋の中はなんだ? イワン」
「おがくずでさ。家でたき付けにするのを監督さんが許可してくれたんだ」
 しかし、守衛はイワンの言葉を信用しない。
「開けるんだ!」 袋の中味がぶちまけられるが、おがくずしか入っていない。
 次の日も同じ場面が繰り返される。
「今度はだまされないぞ。開けろ!」 イワンは袋を開ける。やはり、おがくず
 以外なにもない。三日目、四日目と、同じことが繰り返される。 七日目、
 ついに守衛は根負けしてしまった。
「なあイワン、お前が何かくすねてるってことはわかってるんだ。だけど、
 もうおれは検査しないよ。おれは見て見ぬふりをする。誰にも言わない。
 だから、こっそり教えてくれ。何をくすねてるんだ?」・・ 「手押し車」

・ 監獄で三人の囚人が話していた。
「おれはサボタージュのかどで逮捕されたんだ。工場に五分遅刻したもんで」
「おれは反対に五分早く出勤したために逮捕されちまった。スパイ容疑で」
「おれなんか、時間きっかりに職場に着いたんで逮捕されたんだぞ。
 西側の時計を持っているという容疑で」

・ 第二次世界大戦後。終戦直後で皆食べるものに困っていた時代。街中で、
 ある若い女性が一人の盲人に話し掛けられた。白い封筒に入った手紙を封筒の
 表面の宛名の住所まで届けて欲しいのだと言う。帰り道だったため、女性は
 快く引き受けた。そのまま二人は別れたのだが、暫く行って女性は、盲人男性
 が他に要るものがないかと振り向いた。すると盲人だと思っていた男が白い杖
 を小脇に抱え、健常者の様に反対方向に走って行くのが見えた。おかしいと
 思った女性は、近くにあった交番に駆け込み、事情を説明した。
 警官達は宛名の住所に突入し、そこで食用に売られている、山と積まれた
 人間の死体を発見した。封筒には便箋が一枚。そこにこう書かれていた。
  「こいつが今日最後の獲物だ」
▼ ユーモア、ジョークを楽しむには、あるレベルの教養とセンスが必要。
 その隠された捻りを一瞬で理解できないと笑いが浮かばないため、話し手も、
一発芸の要素が必要になる。そこで相手を選ぶしかないが、それが皆無?
<ところで、ロシアの小話を7年前に、取上げていたのを忘れていて、
 分類のにアップの際に気づいた。幸い、重なる内容は一つも無いので、
テーマを「ロシアンジョーク」から「ロシアの小話+4つ」に変更した。
7年前も、時間がタップリあったということか!>

・・・・・・
2008/03/18
2540, ロシアの小話、8つ
 小話といえば、ユダヤと、ロシア、そして中国などがある。
その中で、一番スリルとサスペンスがあったのは、ソ連の体制時の小話だろう。
ひつと間違えば、秘密警察に連行されシベリアに流される。
そのギリギリの中で、ひねりを入れた小話を「アネクドート」といいうが、
ロシア人は食事時などに、普段人には言えない鬱憤をぶちまけるために
作られたブラックジョークだからこそ、毒があり捻りに味がある?
その幾つかインターネットで探してみたが、ブラックージョーク収集を趣味と
している私でも、含み笑いをしてしまう。まずは、強烈なやつから順に・・

・息子が服をボロボロにして帰宅しました。
「どうしたんだ、お前」 ―父親が厳しく問い詰めました。
「隣りの子と喧嘩した」
「なんてことをやらかしたんだ。これじゃ新しい服を
買わなければならないじゃないか。」
「だからどうなの。」 ―息子が自慢気に答える。
「あの子を見てみればいいんだよ。あの子のお父さんは
 新しい子供を買うことになるだろうさ。」

・母「ぼうや、大きくなったら、何になりたい?」、
 子「お母さん、僕、外国人になりたい」

・地獄に落ちたブレジネフは数ある罰の内の一つを選べといわれる。
 レーニンは針の山でもがき、スターリンは煮えたぎる熱湯の中で苦しんでいた。
 ところがフルシチョフは何とマリリン・モンローと抱き合っているではないか。
 フルシチョフと同じ罰を所望するブレジネフに地獄の番人は答えた。
「とんでもない。あれはマリリン・モンローが受けてる罰です」

・ソ連共産党が70年かかって出来なかったことを、
 エリツィンが僅か三年でやり遂げた。それは何だろう?
    答え:国民に社会主義お良さをわからせた」

・16歳の娘を母親が教えています。
「私を見習いなさい。私は今45歳で、結婚して20年になるけど、
 ずっと一人の男性だけを愛しつづけてきたのよ。」
「ってことは、パパが知ったらスキャンダルになるわね。」

・「私の将来の夢はパパと同じように月10,000ドル稼ぐようになることなの。」
「ええ、あんたのお父さん月に10,000ドルも稼いでいるの?」
「ううん、パパも夢見ているの。」

・「ちょっと、ウェイター!先週の日曜日はあんたんところには
 出来立てのビールがあったじゃないか!」
「信じてください、これはそれと同じものです。」

・素っ裸の女性がバーに入ってきてバーテンに言います。
「ウイスキーちょうだい。え、何よ、そんな変な目で見て。
 裸の女を見たことがないの?」 バーテンが答えます、 
「いやあ、どこからお金が出てくるのかと思って...。」   
・・・・・・
4827,金持ちとは、10億以上の純資産を持つ人
2014年06月02日(月)
   * お金持ちの定義とは!
 お金の話題は、何か知らねど面白い!猛獣使いと同じで、危険な野獣を飼い
慣らしている内はよいが、一つ間違えれば喰い殺されてしまう。
金から自由になるには、自由になりたい分、確保しておく必要がある。
  ーこの随想日記内検索と、ネット上から「お金持ち」について調べるとー
< ある統計によると65歳のアメリカ人100人のうち金持ち1人、快適な暮らしを
 送る人4人、まだ働く人は5人しか居ない。あとの56人は政府か家族の援助を
 必要とし、残りの34人は亡くなったそうだ。よく「引退すれば、生活費が減る。
 だからお金はそんなに必要ない」という人がいるが、それは間違い。
 なぜなら生活費は下がるが、医療費は大幅に上がるからだ。多くの保険機関は
 高齢者を制度から締め出そうとしている。これから高齢者はお金を持って
 いれば生きられるのに、お金がないために死ぬということも起きる。>
<金を気にしないで済む生活こそ豊かさ。で、金を気にしないで済む生活は、
 幾らか。 そう考えると、人様々である。平均すると、家一軒があって、
 蓄えが一人あたり1000万で、夫婦で年間収入400万?ところで直接、両親の
 生き方をみて、合理的散在?を学んだ。定額を見定めて、平均して使うこと。
 持って彼岸にはいけないことを世間を見て得た知恵である。 
 所詮は、蓄財は不安の裏返しの行為でしかない。>  (随想日記内)
<【富裕層の定義】ここでは、船井総研の小林氏が独自の方法で算出した
 5億〜10億以上の金融資産を持つと推定できる3万4879人を「超富裕層」、
 1億〜5億未満の金融資産を持つ166万1844人を「プチ富裕層」と定義する。
 小林氏によれば、金融資産を1億円以上保有する個人は全国に169万6723人。
 医師や税理士などのほか、大企業の役員・従業員、さらには公務員でも
 それくらいの金融資産を持つ人は少なくないと。たしかに、民間の給与所得は
 1997年をピークに漸減傾向。しかし「給与の高い会社員同士の共稼ぎ家庭では、
 当人たちも気がつかないうちに1億円以上の金融資産を持っているという
 ことはよくある」(小林氏)。実はさほど珍しくないお金持ちがこの層なのだ。
 わかりやすくするために、「プチ富裕層」と呼ぶ。一方、雲の上の存在とも
 いえる本当のお金持ちは、それに比べればぐっと少なくなる。こちらは
 「超富裕層」と表現しよう。小林氏は、金融資産1億円超の約170万人のなか
 から、職業や住居の特性、そして「馬主である」「高級外車を保有している」
 などの属性を独自にポイント化し、合計してある点数以上に達した人を
 超富裕層と定義づけた。「この方々はおおむね、金融資産を5億から10億円
 以上保有していると思われます」(小林氏)>
▼ 日本のミニオンダラー(1億以上の現金)が170万人。
 一家族×2・3人で、390万人として、3%。 ビリオンダラー(10億以上)が、
3万人×2・3人=7万人として、2000世帯に一軒になる。一般的に小金持ちは、
地方で金持ちの部類だが、全国レベルでは金持ちに入らない。しかし彼らは、
自分が金持ちと誤解しているのが、田舎者ということ。 私見では、
「不動産を時価評価の四割にし、借入を差引いた金額に現金など流動資産を
プラスした総額が一億」か、「自由に使える流動資産が一億円以上」か、
のどちらかが小金持ちになるが、俗にいう『金持ち』には入らない。
この一桁上のビリオンダラー(一千万ドル以上)が、俗にいう金持ライン。
これは国内外、同じ。 バブル期の一時期に、そのライン上に入ったことが
あった?が、今では、家内が小金持ち、私は居候の小間使。「金持ち」も、
相対的な言葉。今ではラーメン屋でチャーシューにすると、家内に
「ワッ、金持ち!」と、曰われる。
<最後のオチの言葉。味付けで、書いているのであって、
  殆ど創作? 念のため!> でも、実態は、こんなものか?

・・・・・・
5922,閑話小題 〜何か、ほろ苦い話
2017年06月02日(金)
   * 地獄の沙汰も金次第
・再び、地元長岡的な「嫌がらせ」…。玄関のチャイムが鳴るので、出ると、
80歳位の茫洋とした老人が「鉄瓶などがあったら譲って下さい」と。そして、
たまたま玄関わきに置いてある「銅板」を指さし、「これなど売りませんか」と。
唖然とし、怒鳴りつけ追い返したが、怒鳴るほどでもないと後で反省?。
老人とは、これ自体が酒の肴の武勇伝になるため。 「銅板」の言葉自体が、
骨董用語。とすると、やはり石ぶつけ。「お宝鑑定団」で、知っている?
・二年前にも「庭石を何かを売りませんか」と、庭師風の60歳位の男が来訪。
ニベモなく断ったが、後になって腹が立ってきた。要するに石ぶつけ。当たれば
もうけものの魂胆。それと「参加型の嫌がらせ」と、いうところ。常識値の
一桁の値を信じさせる詐欺師そのものの、魑魅魍魎の暗黒の世界だから、面白い。
・「嫌がらせ」と言えば、こういうことも。ある二次会で「こういう飲み代、
その都度、奥さんから貰ってくるの?」だと。素朴の問いだが心臓に突き刺さる。
・「貧すれば鈍する」と思い立った相手から、詐欺ぎりぎりの搾取。母親が、
親しい友人の高価の骨董に狙いをつけ、安値で買った自慢していた。知って
いる人が、知らない人から、口八丁手八丁で買うのが、この世界は許される?。
成る程、古物商が、石ぶつけに来るわけである。<地獄の沙汰も金次第…>か。
「実は私も知らなかった」という言訳が出来るからである。
いずれの世界にも、ドブネズミが隠れ住んでいる。「ドブネズミ!」と気づく
のは、後になってから。 これが… 闇は深い。


6288,読書日記 生きることへの冒瀆とは! 〜3

2018年06月01日(金)

          『旅人よ どの街で死ぬか。〜「男の美眺」』
                   (伊集院静 2017年)から。
   * 予感、あるいは沈溺

≪ ◉ 長く旅を続けるには術が必要である。友人の勝負師とどうように、
 頓着を持たないことだ。旅人の一人の些細な感情など都会という土地では
とるに足りなぬものだ。
そんな時は高台に行き、都会を見おろせばいい。
河岸に立って川を眺めればいい。人の感情など関わりなく、
―川はただ流れている。それだけのことだ。
 ー何かを手に入れたものは何かを失う。自明の理である。
旅を続けている限り、失うものはない。しかし失わないことが旅に求める
安堵であるのなら、その旅は愚かな行為でしかない。流れる水を見て思った。
ともかく旅を続けるしかない。             127-128p
◉ ヨーロッパ大陸を飛行機で旅し、窓から大陸を見たことがある人は、初夏に
 レモンイエローの花を咲かせた菜の花畑の美しさを知っているはずだ。148-149p
◉ ポーランドのアウシュビッツ収容所を訪ねた。見ておくべき場所だから
 出かけた。私をむかえてくれた日本人の案内人は物静かで温和な人だった。
収容者たちが列車から降ろされ、歩かされた道を案内人と歩いた。折から
やわらかな初夏の風が吹いて流れ、路傍の野花を揺らしていた。かつてここが
殺戮の場所であったとき、花は咲いてもいなかったろう。収容所で目にした
ものは、予期したとおり私たちが見ておくべきもの、知っていなくてはならない
ものだった。黙示であってはならないものである。残されたものたちが立証して
いるのは、これがまぎれもなく人間がなしたものであるということだ。
〜過ちをくり返すのが人間だとしたら、人間はどうしようもない生きものである。
−そうかもしれない…。    207p     ≫

▼ ツアーの面白さ、厳しさの一つが、1〜2週間、移動空間と旅先空間を密着
 すること。 嫌でも、様々な人生を垣間見ることになる。また、重厚な人生観を
知ることになる。行先の多くが秘異郷もあるが… 10年近く前までは、まだまだ、
高度成長時代の恩恵を受けた人たちが多かった。その反面、仕事に追われてフッと
気づくと晩年に差し掛かり、人生を取り戻そうとすがる思いの人が半数だろう。
それが圧倒的大自然の只中で、自然と出てくる激情が、呟きで聞こえてくる。
『ズ〜ッと老人ホームで働いてきたの。で、ハッと気づいたら、自分が年寄りに。
現実に流されて、周辺の人だけを見てね。何にも考えないで、決断もしなくて、
これまで生きてきたの。ところが… …旅行前に色いろの問題を箪笥の中に押し
こんでね。帰ったら、それを出して整理をしないと。でもここに来て良かった。
心おきなく死ねるわ。』 
パタゴニアの、山中の道すがら、初老の女性が、何気なく話しかけてきた言葉。
話は続く。
『養老院って、人生の果てでしょ。人間の本性が丸出しになるの。特にね、
夜這いって、御婆さんの方が多いの。夜中に男の人の悲鳴が聞こえてくるの。
‘何するんだ、この野郎’ってね。 寂しかったのね。』

・・・・・・
2004年06月28日(月)
1182, 秘境・異郷ツアーレッスン −3

いま一つ面白いのは、添乗員と現地ガイドである。
旅行の3分の1は添乗員の質できまってくる。
そして、質とは我々をいかに楽しませてくれるかである。
結局、自分でその仕事を積極的に楽しんでいるかどうかである。
そして自分の仕事の役割を理解しているかどうかだ。
どんな仕事でも、それは共通している。

そこには、その人の素材としての質と会社の教育が重なって出てくる。
ツアー客の、代理店に対する評価は辛辣であり、それに耐え得なくては
存立し得ない厳しい世界である。見ていて本当に激務の仕事である。
次から次に起きてくる予期せぬトラブルを、一つずつ確実に処理をしていく。
ベテランなら解るが、20代の女性の場合見ているほうが辛くなることが多い。
トラブルを処理をしてくれるのから、ツアーは非常に楽といえば楽である。

北スペインの時の女性はまだ忘れることができない。20代半ばなのに、
30分前に閉館した博物館を日本からワザワザ来たと談じ込んで開けさせた
のには驚いてしまった。「私は不可能を可能にする女」と自分でいっていた。
そして最後まで、その姿勢を崩さなかった。
最後は泣きながら大きなトラブルを処理をしていた。
仕事の辛さという面で、究極の場面が次々と出てくる。

やはり南スペインのアンダルシアの時の女添乗員もすばらしい。
スペインが大好きという本人の気持ちが全員に伝わっていた。スペインの
カセットを持ち込んで、バスの中ではその地方地方の音楽を流してくれた。
まあ、人生の何であるかを教えてもらったようだ。厳しい中でも、その環境
を楽しむこと、それだけでなく世界を知る努力の必要性である。
                              つづく
――
ー以前書いた文章をコピーしておきます。
[90] 人生のコツ   2001/12/21

ツアーで今ひとつの楽しみは、全国より集まってくるツアー仲間である。
本当に色々な人がいるものだ。推測だがどこかの高校の校長だったのでは
ないかと思われる67歳初老の人の事が印象的であった。
「60歳までに50回の秘境を中心にした海外旅行と、人生の余白を可能な限り
埋め尽くす生き方」をその人の感化でその旅行で決心した。

その人が言うには「自分の父の家系は40歳前半までに全員死ぬ家系!
若いときよりその死期までに人生総て生ききる生き方をしてきた!家族で
日本中を車で総て回る計画を立て実行、そしてその時期がやがてやってきた。
しかしどういうわけか死ななかった。
それなら一年一年が勝負と世界中を回る計画をたて実行、いまだ死なず世界中を
ほとんど回ってしまった。」

この時これだな!と思った。そして先ほどのの決心をしたのである。
「人生は後回しでなく、前回し」人生だけでなく何事もそうであるが。
その時「貴方だけが何故生き残れたか、こころあたりは?」の私の質問に
「毎日朝食にキャベツを千切りにして、紫蘇のドレッシングをかけて食べている」との答え。
「あとは好きな事だけをやること」だそうだ。

なるほどと考えさせられた。

・・・・・・
2018/03/07
閑話小題 〜大変な人
   * 旅は根こそぎ人生観を変えた
 何度も書いてきたが、51年前の21歳の「30日間・欧州旅行」が人生を変えた。
国内さえ殆ど旅行したことがない私が、年間20万人しか渡航してなかった当時に、
ツアーに大金持ちの子女・子息たちと豪遊旅行に参加したのだから…、当時の
日常との段差が如何ばかりか。それまでの人生と、その後の人生というほどの
段差によるカルチャーショックが、そこにあった。 
 良かったのが、事前情報が皆無に近かったこと。名所名跡に出あいがしらの
感銘がより大きくなっていた。その衝撃は、その後の秘異郷旅行のライフワーク
に繫がっていた。 
 
 当時よく聞いた話が「カルチャーショックで気が変になる人が多々ある」。
今では情報化で現地の事前情報があるため少ないようだ。私も帰国後の数ヶ月は
自失茫然状態であった。それまでは、私なりの世界観、価値観を保って秩序を
守ってきたが、そのベースが根本から揺れ、それが新たな再生になっていた。
 老いる度に、私たちは小さな世界に閉じこめられ、その世界しか知らなかった
ことに気づき、慌てる。その後、数知れない衝撃を受ける度に、生き方、人生観
が根こそぎ変化していった。成るほど、「大変な人」と言われるのは至極当然。
私の限界の中の衝撃で、破壊と再生の「変化」を経験すれば、「変」が大きく
なる筈である。 とはいえ、その道のプロ、例えば、秘境の地への赴任とか、
添乗員から見たら、何をバカなことと笑われる半端なド素人でしかない
。 
 一歩、旅行に向け踏出すと、非日常の世界になる。 新幹線から成田線に
乗継いで、機内に入ると、非日常が、日常になり、これまでの普段生活の日常が
非日常に逆転する。黄色のミニ集団の一員として、こちらの正しいことは、旅先
では正しいとは限らない世界になる。世界は多様であり、それぞれが特殊であり、
また自分の世界も特殊であることに、気づかされる。それぞれの地域で、それ
ぞれの言葉を話し、様々な考え方をし、地産地消をしており、それぞれの文化
の中で生活をしている。その実体験が旅行の醍醐味になる。一回の旅行で、
ホテルや、観光先や、乗り物内で、様々な文化文明に触れ、感動や感激をする。
変わっていく旅先に順応しながら、自分も変わっていく。感動、感激の経験は自分
の感情を豊かにする。旅に出て、感動し、感激し、感涙する度に、違った自分に
変化していることに気づく。

一年前に入れた4KTVが内なる世界を変えた。『アクティブ・カウチポテト族』
と言うが、世界の秘異郷先を、実際の人間の視力より、遥かに鮮明に映し出す。
今では、YouTubeで4kの映像を見ることが可能になっている。数十年経っても、
これで追体験が可能になる。更にブログで、旅先からライブの生々しい写真と
映像と実感の言葉を見ることが出来る。 21世紀は、楽しみ方を知ってるものに
とって面白い時代だ。 これは何事でも言えることが…

・・・・・・
2017/11/02
閑話小題 〜チョットした旅の思い出
   * 世界で出会った動物の世界 
 10年ほど前のニューカレドニアのオプションの、小島の磯辺での出来事。
小さな湾の浜辺で、家内と休んでいると、同行の若いカップルが楽しそうに
遠浅の沖から戻ってきた。 彼氏が興奮気味に、『沖に行くと、小魚が一杯、
嘘のように、まとわりついてくる!』という。 そこで、家内が冗談で、
『その群れ、ここまで連れてきて!』というと、『パン屑あります?』と。
そこでビスケットを差し出すと、それを持って沖に出ていった。家内と私が
唖然として見ていると、沖から何と魚群を連れて嬉しそうに戻ってきた。
魚自体が人間という天敵と出会ったことが無いようである。
 
 南米のテーブルマウンテンでも似たような経験をした。群生していた花園に、
蝶々が群れていたが、これまた、触っても逃げない。条件反射で逃げるのが
当り前と思っていたので「ああ此処はワンダーランドなのだ!」と思い知った。
 
 ペルーのチチカカ湖でも、葦で作られた500〜1000平米の小島にいた鵜に
似た鳥が、逃げようともしないで、目の前で現地人の親子に捕獲されていた。
日本でもアホウドリが逃げないで殺されるため、この命名になっている。
 日本ではカラスは幼鳥しか襲わないが、カラコルムハイウェーで、雀を
小型のカラスが襲っているのをみた。雀はケタタマシク鳴いて、私たち人間
の間に逃げ込んできた。鳥の本能がそうさせたのだろうが。

 スペインで見たのが、鳩の群れとカラスの群れが空中で入乱れて争っていた。
異種の群れが争うのを「ドックファイト」というが、本来は、飛行格闘戦。
<航空戦で、戦闘機同士が 互いに機関銃・機関砲または短射程空対空ミサイル
の射界に相手を捉えるために機動しながら行う空中戦闘。> 自然界には、
多いのだろうが、フッと空を見上げて見えてきた戦闘に一人、興奮していた。

 TVのドキュメントやユーチュブで、ライオンと、ハイエナやバッファローの
群れの闘いを、詳細に映しだしたのが多くある。これが真剣勝負の迫力がある。

<達磨さん、ちょいとこっち向け、世の中は、月雪花に酒に女だ>
 より、遥かに面白いことが満ちている。
YouTubeに面白いキーワードを入れさえすれば。 世界は広くて面白い。

・・・・・・
2016/05/06
若者よ、外に出よ! ー 日本には限界がある
               『人生の教科書』なかにし礼著
  * 日本だけでは限界がある
 40歳前半までは、自宅に中・高の二人の息子がいた。そこで、行くところ
といえば国内の自動車旅行が中心だった。その二人が学園生活のため、上京
していったのを機会に、海外ツアー切替わっていた。その非日常の面白さに
惹かれたのが家内もである。一人では躊躇する秘境・異郷でも、家内と一緒だと
何とか行ける。また、非日常の中に家庭の日常を持ち込むのも慣れてしまえば
悪くはない。 夫婦してのホテルのレストランの朝食が何とも豊かな気持ちになる。
 学生時代の昭和42年に、大学の「海外旅行研究会」というクラブが企画した
『世界・30日の旅』の存在を知り、行ってはや、49年になる。当時の海外旅行者
は20万人。信じられない数だが、これがツアー観光の愛好者になる切欠となる。
何もかもが新鮮で、ただただ面白い経験だった。人生観が一変した経験である。
 なかにし礼の、以下の内容には大いに賛同するが、自分では書けない。
書けば上から目線が、露出する。 しかし、事実は事実である。
≪ 旅に出るならば1日でも早いほうがいい。自分の感受性が全部そこで
 晒されて、カメラにたとえるならいろんな映像を受け止めていることになる。
そのインプットは大きいものだ。そのインプットは日本にいてもできない類
のものなのだ。これは賭けてもいい。日本という国には限界がある。
刺激の限界だ。食べものだけ見ても、なんの刺激もない。それが日本の料理
だといえば、それは確かにそうだ。だが世の中の料理はそれだけではない。
「肉じゃがを作れる女性がいい」、とか言う男がいる。こういう人も旅行を
していない男と思う。世界の味を知らないからこうした面白くない発言になる。
 北アイルランドのジャイアンツ・コーズウェイにも肉じゃがはある。
それはスープという形で出てくる。肉じゃがの原型はビーフシチューだが、
これはさらにその原型だと言える。牛肉と芋が入ったこの肉じゃがの原型を、
現地の黒いビールを飲みながら食べる。これがうまい。明らかに元祖の味。
日本の肉じゃがよりも断然おいしい。だから日本は食事にしても、もっと研究
しなければいけないと思う。日本の文化は確かに素晴らしいものがあるが、
そこに踏みとどまって進化をストップしていい理由にはならない。・・(略) 
日本人のいいところはいっぱいある。創意工夫とか、細かいことに関する
こだわりとか・・ しかし、一方では何かにつけて「疑いを持つ」ことが
非常に罪悪視される環境になっている。それで画一的な価値観を植付け
られて、「肉じゃがを作れる女性がいい」などという頭になってしまう。
これではもったいない。
 だから若者よ、疑いを持つために旅をしなさい。
 そしていろんなものを自分にインプットする。
 インプットしたらさらに視野を広げて守備範囲を広げる。
 そうしないとインプットする内容も尽きてしまう。
だから何度も言うように、限りない欲望と探究心、好奇心を持ち続けないと
いけない。それは、夢という非日常の世界を見続けるためである。
寝たときにだけ夢を見るのでは寂しい。目醒めて、そこで夢を見るべきだ。≫
▼ 何度か書いたが、成田へのスカイライナーに乗って暫くすると、
「あ〜帰ってきた!」という妙な感覚になる。そこから非日常の刺激の強い
時空になるため、その蓄積が、磁石となって、旅を誘い、その非日常の世界が、
真なる時空、真実の自己であるような錯覚をもたらす。だから、別腹の
世界を自分の中に持っていて、暇な時間にトリップすることが出来る。
この現実世界に、世間の常識に対し、疑問を持ち続けることが出来る。
<目醒めて、夢をみることができる> 

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