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堀井On-Line
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2016年08月31日(水)
* ぬいぐるみに話かける男 ときどき見る番組、「家、ついて行ってイイですか?」だが、必ずという より偶然、見るほうが多い。そこでは人生の多様性を見ることが出来る。 先日見た中で印象に残ったのが、「ぬいぐるみ」に話しかける青年。 ネット検索で、「家、ついて行ってイイですか?」「ぬいぐるみ」と検索した ところ、本人?が直接ネット上で、「自分は変か?」の問いかけがあった。 「なりすまし」? それともTVに出た人とは関係ないかどうかは不明。 都会には、地方出の孤独な群集がいる。誰もが過去を引きずり、面白い 人生劇場を生きている。哀しく、ほろ苦く、温かく、複雑な人生が・・ ≪ 20代後半の男。 家に3歳くらいのときに買ってもらった手の平サイズの子猫のぬいぐるみが あります。名前もあります。小さい頃は肌身離さず持っていて、さすがに年齢を 重ねるにつれて肌身離さず持つことはなくなりましたが、捨てることは出来ずに 今も大事においてあります。さすがに20数年持ってるとボロボロになって背中 とか綿が丸見え状態で全身の毛も半分くらい抜けています。汚くなってるので 洗濯したいけど洗濯したら多分頭と体ちぎれる可能性あるので、もう出来ない。 そんな子猫のぬいぐるみですが、学生時代はあまり置いてある場所から出したり することもなかったんですが、社会人になってからたまに出してきて撫でたり、 話しかけたりしています。ただ、毎日じゃなくて3日に1回のこともあれば、 1週間に1回、1カ月に数回の時もあるし、忙しいときは1ヶ月全く触らない こともあります。 でも、ここ最近触ったり撫でたりしていると癒されるし、 昔と違った感じでまたものすごくかわいいと思うようになっています。 他の「ぬいぐるみ」は別に欲しくもなんともないんですが、この「ぬいぐるみ」 だけは特別というか愛着がすごくあるんです。小さいころに持ってたぬいぐるみ もこれだけです。他人から見たらただの汚いボロボロのぬいぐるみですが、僕に とっては小さいころから一緒に暮らしてきたので家族みたいな感じです。 捨てろと言われても絶対に捨てることは出来ません。 将来的に一人暮らしもしたいと思っていてその時には連れていくと思います。 ただ、客観的に見るといくら家の中でプライベートな空間とはいえ、かわいいと 思いつつ20後半にもなってぬいぐるみ撫でたりしているのはちょっとまずいん じゃ・・て考えたりもしてしまいます。いい年した男がぬいぐるみを可愛がって いるて、精神的に子供というか・・ でも、止められません。 いい年して ぬいぐるみを持っている、可愛がっている男性をどう思いますか? キモイというかドン引きて感じですか?男女問わずよろしくお願い致します。≫ ▼ よく読むと違う青年のようだが。 青年がぬいぐるみに語りかけるのを見て、 「大の男が気持ちが悪い!」とも思わず、自然に受入れることが出来たのは、 この随想日記が、ヌイグルミに近い存在と思えたため? 親元を離れ、都会の 中で暮らす孤独は、慣れるまで本当に辛く侘しい。が、青年期には親元から 自立する必要条件になる。だから、地元から上京した時は、同郷の友人より、 都会の新たな友人を見つけるチャンス。 ブログ内検索をすると、以下のように 書いていた。 「いま、ここ、わたし」は、垂直に立ち、現在と、過去と、未来に ループして、多くの時空を飛びまわることが出来る。だから止められない。 何度も経験することが、過去の文章に、「あんた誰?」と見知らぬ誰かを実感する。 ―――― 2016/04/12 閑話小題 〜最近のTVは、面白いのが多い * 最近のTVは、実に面白いのが多い。 その時どきのウェーブがあるが、最近のTVは、面白いのが多い。 『Youは何しに日本へ?』『家、ついて行ってイイですか?』『世界街歩き』 『火野正平 こころ旅』など、軽い目線で、街や村の道路で声をかけたり、 街歩きをする番組などである。チョッとした旅行をしたいが、面倒だったり、 通りすがりの人の私生活や人生を生(なま)で覗いてみたい気持ちを代行 して、ズカズカと入っていく面白さは格別。 『家、ついて行ってイイですか? 』を検索すると、以下の内容説明があった。 < 終電を逃した人に「タクシー代を出すので家について行ってイイですか?」 と声をかけ、家を見せてもらいインタビューをおこなう。 深夜、急に訪れる 片づけられていない素のお宅は、その人の人生ドラマが 散りばめられた宝箱。 そして誰しもが、一見フツーでも 、ぜんぜんフツーじゃない 人生ドラマを 持っている! そんな素敵な市井の方々の人生譚を覗いていきます。> 昨日見たキャバクラ嬢や、美容師の変態ギャルのキャラクターと実態に、 お笑い5人のスタッフが、呆然と声を失う。最近、見始めたばかりなので、 過去分を動画のYoutubeで見ると、あるある面白い人生が。 『YOUは何しに日本へ?』の検索には、 < 空港に居合わせた外国人(永住・帰化した人物なども含む)に 「YOUは何しに日本へ?(Why did you come to Japan?)」と問いかけその返答 の様子や、気になる返答をした人に密着取材を依頼し来日した目的を果たす様子 を放送する。番組内では性別・年齢問わず名前ではなく外国人はすべて"YOU" (複数ではYOUたち)と呼称するが、密着時には混同を避ける意味もあり個人名 も使われる。基本的には半日から数日間の密着であり放送も一度限りだが、 長期の旅行や研修に密着する場合、放送回をまたいだり、しばらくしてから 後日談が放送されたりするケースがある。基本的に密着時はYOUの日程に合わ せて行動するため、出先の店舗や施設ではその場で撮影交渉を行うことが ほとんど。> それぞれの分霊に、これまで生きてきた触媒が取囲んで自分を形成している 姿が浮き上がる。死ねば、その分霊ともども消滅する。その分霊は、これまで も、今後に、人類が存続する限り浮かび上がってくる。人生は、その触媒の 質量で形成されるが、そこには両親の格差で、大きく左右されるが、可能な 限り、そこからアップスケールし続けるかどうかもある。その触媒で、一番、 手軽なのが、書籍と、TV、友人、ネットなどがあるが、自然との触合いも 欠かすことが出来ない。情報化の時代、「閑」と少々のお金こそ財産になる。
・・・・・・ 2015年08月31日(月) 5282,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー⑤ ーその時、言葉は私の「神」となるー(新潮45/6月号) 〜心肺停止になって考えたこと! 中村うさぎ * 言葉は自意識の申し子 著者の自我そのままの言葉が、直接、私の心に届いているのは、魂から発した 言葉だからである。 会社断念をして、何か後ろめたさを持つようになってから、 私の書く、随想日記の文章が、「自意識の私」より、「自我の私」へ、言葉の 比重が変わったためだろう? ネット上に公開すること自体が、実は、 「自意識の私」に縛られていることになる。「自我の私」がまる見えだが。 ≪ 我々はもはや引き返せない。他者の中で己を形作る「客体としての私」が、 「私」の大半を占めている以上、我々は自意識の地獄から抜出すことができない。 そして我々は、他者の中で生きるために「言葉」を発明した。 「言葉」は「自意識」の申し子である。他者を理解したい、他者に理解されたい、 他者と繋がりたいという必死の想いが「言葉」を生んだ。 「あなたに私の気持ちを届けたい」その祈りにも似た強い想いは言霊、となって 言葉に宿り、相手の心を揺り動かす。言葉とは本釆、そういうものであったのだ と思う。だからこそ言葉は神であった(ヨハネによる福音・第一章第一節)」のだ。 他者の中で生きていく時、私は言葉以外の武器を持てない。「空気を読む」という コミュニケーションも苦手だし、心にもないお世辞や社交辞令といった口先コミュ ニケも得意じゃない。言葉がなければ、私は人の世で生きていけないだろう。 だが、それは武器であるだけに、凶器にもなり得る。人の心に届けようとして 相手の心を突き刺してしまうことも多々あるのだ。が、そんな体当たり コミュニケーションも、そこに相手に対する好意や信頼があれば、より深い 人間関係を築くことができる。お互いに血を流しながら、まっしぐらに相手の 心の奥へと突き進んでいく。それが本気の言葉であればあるほど、我々は互いの 魂に触れ合うことができるのである。そこには嘘も悪意も存在しない。 だからこそ安心して胸襟を開くことができるのだ。そして本気の言葉が届き合い、 剥き出しの魂が触れ合った瞬間、我々は互いに対する深い理解と共感に満たされ、 以前よりももっと相手のことを好きになる。この人になら何を言っても大丈夫、 どんな自分を見せても受け容れてくれると、心の底から信じられる。 それが、私のコミュニケーションだった。もちろん、これが通用する相手は 限られる。だから私は友人が少ない。しかし真の友人なんてものは少数精鋭で いいと思っている。これからも私は本気の言葉を投げ続けるだろう。 私は、そのために生きると決めたのだ。私は自分が何のため生きているのか ずっと知りたかった。特に死に損なってからは、自分は何故生きているのかと 繰り返し自問した。答はまったく見つからず、生きているのが苦痛で、 「どうしてあの時に死なせてくれなかったのだ」と医者に当違いの恨みを 抱いたりもした。ところがそんな時に、思いも寄らぬ人の計報が入って、 私は激しく動揺した。自分は生きる理由もなく生きているというのに、 死んで欲しくない人が亡くなりてしまうという、この理不尽。人の生死には 道理も必然性もないのだ、と、つくづく思った。私は何者かに連れ戻された わけでもなければ、正当な理由のもとに生かされているわけでもない。 生きる理由なんかないのだ。それが耐えられないというのなら、理由は自分で 見つけるしかないではないか。諸君、こうして私は、自分の言葉のために 生きようと決めたのだった。何故なら私は、成り行きとはいえ、何十年も 言葉を生業としてきたからだ。もはや私には言葉しか残ってないからだ。 私にしか語れない私だけの言葉を、私はこれからも探し続ける誰かに届きます ようにと祈りながら言葉を綴る。その時、言葉は私の「神」、となるのだ。 ≫ ▼ 著者の「自我の私」の言葉である。成るほど、これなら万人の 心まで 届くだろう。それと、死線から戻ってきたが故の心の苦しみは、想像を 絶するほど厳しいから、その言葉そのものが、本人にとっても「神」になる。 ・・・・・・ 2014年08月31日(日) 4917,「個人から分人へ」 ですか! * 永遠の問い、「私とは何か」 平野啓一郎「私とは何かー個人から分人へ」の久垣啓一評が解りやすい! ≪ この本の主張は、人間の単位を考え直すことだ。個人という意味で使って いるindividualは、これ以上分けられないという意味であるが、本当にそうか。 そして本当の自分なるものがあるという考え方が間違いのもとではないか、 というのがこの本の問題意識である。平野は、人間は分けることが可能な存在 であり、人間は対人関係ごとに複数の顔を持っており、一人の人間は複数の 分人のネットワークによって成り立っているという。 そして個性とは、その複数の分人の構成比率によって決定されるというのだ。 ・誰とどうつきあっているかで、分人の構成比率は変化する。その総体が個性。 ・自己の変化とは、分人の構成比率を変えるしかない。それはつきあう人間を 変えることだ。 ・自分という人間は、複数の分人の同時進行のプロジェクトと考えよう。 ・自分探しの旅とは、欠落している新しい分人を手に入れて、新たな個性を 創出しようとする行為だ。 ・私たちは、複数の分人を生きているからこそ、精神のバランスを保っている。 ・自分が気に入る分人を少しづつ増やしていくことができれば、自分に肯定的 になっていける。 ・片思いとは、お互いの分人の構成比率が、非対称な状態である。 それが許せずに自分向けの分人を大きくしようと、異常な行動にでるのが ストーカー。 ・分人主義は、人間を個々に分断させず、単位を小さくすることで、 きめ細かなつながりを発見させる思想である。 ・帰属するコミュニティが一つであることがアイデンティティであったが、 今後重要なのは複数の分人を使って複数のコミュニティに参加することだ。 むしろ矛盾する複数のコミュイティに参加することが大事なのだ。個人を複数 の分人のネットワークとしてとらえると新しい視界が開けてくる気もする。 分けるというより複数のレイヤー(層)によって重層的に個人が形成されている と考えることもできる。ヨコに分けられているのではなく、タテにつながって いるのではないか。≫ ▼「わたし」は、わ(我)の最小単位が、たし(足し)で加わって私になっている。 だから、人生を振り返ると、その時々の出会いとか、経験で、分人を増やして いる自分が存在する。創業には、その分人たる主体たる自分が、厳然と、そこに 存在している。秘境旅行で、各地に旅をしている自分も、旅行先に溶け込んで いる分人である。旅行を続けることは、旅先に溶け込んでいる分人を増やす 行為である。個性とは、過去の経験の総体の構成比率とは、言いえて妙である。 自己の変化とは、付き合う人間を入替えることだ。それも森の生活のうちである。
・・・・・ 2013年08月31日(土) 550, 51年前の小学校の写真にタイムスリップ 『長岡市の昭和』という写真集の広告の折り込みが、今月だけで二度も朝刊に 入っていた。それも、一枚目は表面トップに実家の商店ビルの写真で、二度目は、 裏側に、何故か小学校五年時のクラスの集合写真。出版社に誰か同級生でもいる のかとネットで調べてみたが??7名の小さな長岡市内の出版会社で、県内だけ でなく全国の各市の昭和の街の写真集を出している会社。団塊の世代以上を 狙ったものだが、旧長岡市内の人たちに限定2000冊としても9990円で売れる のだろうか?その方が心配になる。しかし他は、HPを見ると完売となっていた。 その小・中・高校時のアルバムが、引越しなどで紛失、同級会などで誰かが 持ち込んだのを見るしかなかった。で、51年の時空を超え、このチラシの集合 写真を何度か見ているうちに、当時のことが、次次と思い出してきた。 11〜12歳は、人間としての最終の熾烈な闘いがあって、そこで、ほぼ性格も能力 も決まるという。クラス内の力関係などで、誰かが常にターゲットにされる、 あまり気持ちの良くない年頃。そのため心の傷は深く残るもの。その最たるのが、 まあ、書くのは止めておく・・ 自分も似たようなものだったろう。 手取り早く学歴からみると、慶応一人に、立教三人、あとは大学名は不明だが、 数名、卒業しているから、街中の小学校として並みというところ。 学校の先生の子弟は新大付属小学校がある。ここで目立つのは長岡青果市場の 社長の息子で慶応と明治の教授をしたが既に故人になっている人とか、土田塗装 とか、何処かの中学校の先生とか、多種多彩。女性の方は皆目分からないが、 少し目立っていた三人が三人とも離婚?死亡数は男20人中に4人。女は分からない。 主任は非常に厳しいので有名な西沢先生。その後、多くの小学校校長を歴任し、 最後は何処か教育長をされた人で、定年時に400人が祝いに集まったという。 20年近く前に、私が経営していた新潟駅前ホテルに泊まって、古町を数軒、 飲み歩いたことがあった。せっかくなので、この数日、当時の記憶をたどって いるが、51年の時空を超えて嫌な記憶を中心だが幾らでも出てくる。 太平洋戦争と長岡空襲の影響も色濃く残っていて、口に出さなかったが、 戦争孤児とか様々な問題を各家庭が抱えていたようだ。 そうこう振り返って みると、子供の頃の記憶から、繁華街で、父親の大きな影響下で、負けん気が 強い遊び好きの生意気な子供だった。今だ続いているが・・ 当時、家庭内で 多くの問題があり、母親が倒れてしまい、住居が商業ビル3Fから、歩いて7分 ほどの駅裏に移転していた。その辺りから、やっと学業に目覚め始めてきた。 生活環境は本当に大事である。 ・・・・・・ 2012年08月31日(金 4175, 閑話小題 ー恐ろしい近未来がまっている * 恐ろしい近未来 南海トラフ地震の最悪の死者予測が32万人と政府が発表、マスコミが騒ぎ 出したが、もう一年以上も前から週刊誌で騒がれた記事と同じ内容。政府発表 となれば違ってくる。大手ゼネコンの含み笑いが聞こえてきそうだ。 これは太平洋沿岸沿いには住めないということになる。その地区の住宅地や 商業地が暴落というより、ほぼゼロになってしまったことになる。 当事者は、まだピンとこないはず。 千年前の大地震の後に二回、17年内周期 で大地震と大津波が起こっている痕跡があるという。活断層が不自然に捩れて、 何らか次の大地震が起きる可能性が大きい。決して非現実的予測ではない。 これに関東直下型地震の可能性がある。更に世界恐慌も遅かれ早かれ起こる。 いや、すでに起きている? これでは、夢も希望も持てやしない。この数年来、 大卒の正規社員就職率が63パーセントで、三分の二も就職ができてない。 これが恐慌が吹き荒れる前で、この有様。数年先は、こんなものでないはず。 40数年前の私の卒業の時とはえらく違う。金の卵で、会社は選び放題。 私の同期の男たちは、殆どが一部上場の有名企業で、ハッピーリタイアをした。 時代は大きく変わった。 * 田中真紀子が民主党党首に立候補 ? 久々に面白い話に驚いた。途中で立ち消えになるかどうか?だが、真紀子様が 民主党党首の候補の可能性が出たという。思わず失笑したが、それほど民主党は 困っているということになる。あの外相時の相応しくない姿を忘れたのか。 あの人物から誠意の何も感じられない。一国を束ねる力量があるとは思えない。 何が今さらだが立場が野党なら、最適の逸材か。 あの辛辣な口撃は溜まったガス抜きになる。国が衰えると、こうなる。 政治は、何でもありである。床屋レベルの政治談義からみると、この世界的危機 の中での、日本、米国、韓国、中国のトップ交代による政治変動は非常に興味を そそられる。なるほど2012年問題は危ない要素に満ちている。 安倍自民党総裁、田中真紀子民主党党首、それに安倍に担がれた橋元首相。 面白いがどうだろう? それと何時起こるかしれない南海トラフ地震と、関東 直下型地震。それと世界恐慌の可能性がある。20世紀前半に世界恐慌を挟んで 二つの世界大戦があった。このドサクサで一億以上の人たちが犠牲になった。 それより大きな変動が、始まってしまった。 これから壮大なシネマのような世界が展開される。
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2016年08月30日(火)
<不幸な国の幸福論 2009/12/16 加賀乙彦 (著)> * 考えない、正しく悩めない ここまで生きてきて、思うことは、多くの「人は、考えない」ということ。 だから、正しく悩めない。5年半前に、会社の清算に至ったが、その創業設計に、 破綻前提に、万一に備えを組みこんでいた。幼児期に、太平洋戦争の戦災に焼き だされた中の両親の血の滲む苦労の後姿を見て育ったこともある。夜半、隣で、 母が父に、『死にたい、何もかもが嫌になった』と話しているのが聞こえていた。 両親にとって、長年かけて築いた財産の大部分を長岡空襲で焼け出された前後に、 様々な問題が家庭内に起こっていた。両親は、子供8人を含めた10人家族分を 稼がなければならなかったため、普通の働きでは、生活出来ない。(当時は、 多くの家庭が大家族だったから、別に珍しいことではないが)。この幼児体験が あったため、準備を含めた45年の事業人生、大変だったとか、会社整理に対し、 何ら後悔がない。決めた時から、万一の場合の覚悟もしていた。 何事も、 『事前の一策は、事後の百策に勝る』で、そのため、考えて考えて考えなければ ならない。博打は恐怖を見据えて、乗越える中で勝機がやってくる。そのため、 考えない人は、直ぐに感知できていた。日本人は、島国で海に守られている閉鎖 社会。考えないで済まされることも、ある。 〜ネットによる書評から〜 ≪ 日本人特有の性質は、自分で考えることをせずに評価の基準を他者に求め それに合わせようとする。狭い人間関係の中で簡単に人間にレッテルを貼り、 本来なら複雑な要素から出来ている人間を単純に理解してしまう。それが故に 別の環境であれば何でもないことでも必要以上の敗北感やつまづきを覚える。 だが、気の持ちようでいつでも人間は幸福を手にすることが出来る。 本来幸せに形なんかない。むしろ理想の幸せの形を決めてしまった時から、 自分はアレが足りない、コレが出来ないとあら探しをしてしまい不幸が始まる。 人生万事塞翁が馬である。変えることが出来ないものを受け入れる冷静さ、 変えることが出来ることを変える勇気、そしてその2つを見極める知恵。 正しい諦めから生まれるしなやかさを手に入れれば、幸福はもうそこにある。≫ ▼ この城下町では、「同化圧力」が異常に強い。だから、地元の長岡高校の 校訓、「和して同ぜず」の和同の精神があるが、実際は、同化しないと、 「どうかなる」のが実情。地元の41年前になるが、Uターンをしてきて、 直ぐに直感したのが、この「同化圧力」の毒素で、脳がやられる恐れである。 そのため、地元の卒業校の同級会以外の会は、一切、参加しないことを決めた。 会社整理で、この御蔭で、人間関係では最小のストレスで済んでいる。 人間は感情の動物、理性で割切れといっても、そうはいかないが、感情が 元もと皆無のため、同級生の範囲で済まされる。怒りの感情は、全てここで? <考えない、なやめない、カッパエビセン> が、何故か浮かんできた。
・・・・・・ 5281,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー④ 2015年08月30日(日) ーその時、言葉は私の「神」となるー (新潮45/6月号) 〜心肺停止になって考えたこと! 中村うさぎ * 言葉は原罪から生まれた 他人からみた私を意識する「自意識」過剰が果たして罪なのか。 二つの私、「自意識の私」と「自我の私」の両者が頭の中で、常に問答をする。 老齢期では、「私の人生、果たして、これで良かっただろうか?」と。 良かったのだろうか? 人間は生きている限り、原罪を犯すもの。 老いて、その原罪を見つめて悔悟する。知識を持つことは原罪なのか? 知恵を持つことが原罪なのか。他者=世間の目を神のごとく信じるのは、 プラ・マイの両面を持つ。 最後は、自分の自意識で、どう受け止めるか? 死線を漂い、社会復帰をする中で思った心の奥底は深いもの。〜その辺りから ≪ ああ、諸君。「自我の私」として唯我独尊で生きるのと(もちろん、孤独は 感じない。もとより孤独という概念がないからね)、「自意識の私」として 他者と繋がりながら傷つけ合いながら生きるのと、どちらが幸福なのだろうか? 少なくとも心肺停止前の「自我の私」で生きていた私は、多幸感に満ち満ちて いた、他者のいないたったひとり楽園に住んでいて、寂しさも不安も感じず、 その中でぬくぬくと微笑んでいた。周りの人々から見たら、それは呆けた抜げ殻 であったようだが、本人はそんなことちっとも気にかけず、ふわふわと漂い 幸せに生ぎていた。・・心肺停止の後に生ぎ返って、目覚めた私は自意識も取り 戻していた。肉体が回復すればするほど、自意識も回復し、他者との関係に 悩まされるようになった。特に例のMXTVの降板以降は、人と会うのが嫌になって 完壁に引きこもった。社会に拒絶された気分になってひどい孤独感に苛まれ、 誰にも必要とされない自分にはもはや何の価値もないと苦しんだ。 おそらく「自我の私」であったなら、そのような苦しみは味わわなかっただろう。 「孤独」も「自分の価値」も、他者との比較や承認から生じる相対的な概念である。 他者を通して自己を確認するから、他者から拒絶されることが自分の存在まで 脅かすのだ。自己の存在の絶対性を疑いもしない「自我の私」は、仕事を失って 経済的な不安を感じることはあっても、それを己の存在意義の問題とは捉えまい。 そうやって考えると、我々の苦しみの原因は、ほぼ「自意識」に起因している ように思える。 我々は「自意識」を持つべきではなかったのか。エデンの園で 幸福に暮らしていたイヴに蛇が勧めた「知恵の実」は、やはり禁断の木の実で あったのか。「自意識」を持つことで我々は他者の目に裁かれ続け、他者に 見捨てられる不安に怯え、大きな苦しみを背負うこととなった。だから聖書は それを「原罪」と呼んだのか。「自意識」は「罪」であったのか。 犬や猫は鏡に映った自分の姿を「私」だと認識しない。鳥にいたっては、鏡の中の 自分に向かって求愛のダンスを踊るらしい。彼らには己を客体視する能力がない。 彼らにとっての「私」は、ほぼ百%「自我の私」である。彼らは幸せなのだろうか。 他者にとっての客体ではなく、「私」という主体としてのみ生きていくことは、 どんな苦しみも生じさせないのだろうか。いや、待て。「苦しみがない」ことを 「幸せ」と考えていいのだろうか? 苦しみば確かに幸福感とは程運いものでは あるが、我々は「甘美な苦しみの自意識」というものも知っているではないか。≫ ▼「起こってしまったことは変えられなくとも、受止めかたは変えられる」と いうが、これも、「自意識の私」を「自我の私」への変換ということ。 「他者を通した自己の確認」を超越して、己の原罪を見つめることが必要である。 そこまで自分を追詰めないと、内なる二つの問答が、蒟蒻問答になる。
・・・・・・ 4916,一度、死んでみましたが 2014年08月30日(土) 『一度、死んでみましたが』神足 裕司著 * 重介護5のスーパー闘病記 平々凡々の日々を当たり前のように過ごしているが、実は、これが最上で あることに気づくのは、失ってから! あと一年余りで、平均すると同年齢 の男の過半数は介護生活、5年後には寝たきりに、10年は死んでしまう。 TVや、西原の漫画に度たび出ていた神足裕司を、この数年見かけなかった。 実は三年前にくも膜下出血で倒れ、重介護度5でリハビリ生活の中、 去年12月に、不自由なベッドで書いた『一度、死んでみましたが』という スーパー闘病エッセーを出していた。コラムニスト復帰の第一弾の本を、 偶然、図書館で見つけ、借りてきた。脳の大手術で、現在も殆ど動くことが できず、寝たきり。ここで、介護、寝たきりとか、言っているが、この書を 読むと、さほど遠くない未来に似たような事態になる可能性が十分にある。 50歳半ばから還暦辺りにかけて、友人、知人が次々と、半身不随になったり、 癌で死んでいるが、どれもこれも、最期は壮絶な状態。これは、その実況 中継のような闘病エッセーで、ベッドの中の苦闘が、そのまま伝わってくる。 本の題名が『スーパー闘病エッセー! 一度、死んで見ましたが』 HONZ http://honz.jp/36901 の書評が、要点の7〜8割は押さえている。 「その時から、それまで生きてきた一生分を生きることになる」と言うが、 そう信じさせられる内容。 ーアマゾンのレビューの、息子のレビューより ≪ はじめに、家族という立場にあるものからのレビューであることをお許し いただきたい。本が手元に届いてからも、私はなかなか本を開く気に なれなかった。怖かったのだ。父の、つまりはこの本の筆者の状態はもちろん 百%ではない。ページを繰っていけば、彼がこれまで積み上げてきたものが、 私の前に立ちはだかる者としての彼が、崩れ去ってしまうのではないか、 そんな恐れを抱いていた。杞憂だった。そこにあったのは、私にはとても 紡ぎ出せない「凄み」のある言葉の数々。いや、もしかしたらこれは、 以前の筆者にも書けなかったのかもしれない。薀蓄をちりばめ、変幻自在の 修飾語を用いながら、ページを埋め尽くすのが豊穣な表現だとするならば、 この本はそれには当たらないかもしれない。むしろ、そのような表現は 全てが余白へと沈み、筆者にとっての瞬間の全てがこめられている。 少なくとも筆者の生きる「世界」において、その瞬間、それ以外の表現は あり得なかったのだろう。切り詰められた音の数。他の人が弾いたら、 ミスタッチだと思われかねないフレーズ。彼の憧れたジャズピアニストを 思い出す、なんていったら笑われるだろうか。 ・・ 病気は誰にでも訪れうることだ。「病気」とはなんなのか、「家族」 とは「友人」とは、そして「生きること」とは何か。誰しも考えたことのある テーマについて、文章を書いているその瞬間の筆者にとっての虚飾のない、 研ぎ澄まされた言葉が胸に迫ってくる。深刻なテーマに思われながら、 どこかにおかしみを含んでいるのは筆者のコラムニスト魂だろうか。 くも膜下出血、高次脳機能障害の患者・家族の方はもちろん、今立ち 止まって「これから」について考えたい方には、ぜひお勧めしたい一冊です。≫ ▼ こうなるか、癌で壮絶死をむかえるか、今の私に出来ることは、日々を 味わうしかない。どのみち、少し早いか遅いだけ。それでも奥さんが優しい 人のようだが・・ 本人は、このスーパー闘病記を、自分の愛読者に読んで もらうことが、慰めのようだ。私のエッセイ『事業人生を決心して・・』 の続編として「その後、脳溢血で倒れてと、この事態になった」と 吾が身に例えて読むと、他人事でない内容である。 ・・・・・・ 4549, 六韜三略 2013年08月30日(金) 学生時代に、守屋 洋著『六韜三略』と海音寺潮五郎著『孫子』を読んだ時 の面白さと驚きは今でも憶えている。純朴で、欲と欲の争いに立たされる前の 学生時代に読んでいたため、社会に出てから丁度良い手引き書になっていた。 この思想を通して人間をみると、その心底が透き通って見えるようで、 世俗が幼稚に思えてくる。 ー当時の感想はー 《人間は欲で動いているが、それを隠して綺麗ごとを並びたてる社会的動物。 それを前提に一切を無にして諸現象を一度、疑ってみること。そして冷静に 本質を捉えること。利害対立の場に立った場合は、よりシリアスに徹すべし》。 そう割り切ると、誠意の外面の奧に隠された心底が手に取るように見て取れた。 これに学生時代のゼミの(現象の)事例研究が叩き込まれていれば、アウト サイダーになるのは自然。人生に戦略的である必要性を、この書で実感。 人生への鳥瞰の視線でもある。 ーネットで、『六韜三略』を検索するとー 《「六韜」は文韜、武韜、竜韜、虎韜、豹韜、犬韜の六篇からなることによる。 「韜」は弓袋( 秘訣)。「略」は機略の意味。「三略」は、上略、中略、 下略の三篇からなることによる。 二つとも「太公望の兵法」であるから、 主張を統一して判断すべしというスタンス。もう一 つは内容である。 『六韜』が兵法のうち戦略・謀略を担っているのに対し、『三略』が政治思想、 軍事思想を担っている。『三略』はリーダー、『六韜』はマネージャー の書 ..》 《 劉邦の軍師となって漢の国の柱石となる張良が、若い頃、行きずりの老人 から「明朝5時、ここに来い」と命じられた。言われたとおりその場所に 行くと老人はもう来ていて、「年寄りを待たせおって。また明日だ」と言って 去った。 翌朝、今度は3時に行ってみると、また老人は待っていて 「まだまだだ」と同じように去る。 張良は意地になって「今度は絶対に 待たせない」と徹夜して老人を待った。すると老人はニコニコと笑って六冊の 書物を渡し、「よく勉強して世のためになれ」と肩を叩いた。 『六韜』は「虎」「竜」を始めとした六巻の兵法書で、「虎の巻」の語源。 『三略』は、前・中・後の三巻からなる兵法書で、『六韜三略』は 中国はもちろん日本の戦国大名の兵法書としても親しまれた。》 《 中国の兵書、六韜と三略の2書。前者は太公望呂尚、後者は黄石公の 撰述と伝え、併称して韜略の書という。 いずれも後世の偽書であるが、 宋代、『武経七書』のうちに組み入れられ、中国古兵法の教科書として広く 読まれてきた。・六韜は周の文王・武王の問いに対し、呂尚が経世済民の術、 富国強兵の策を説くもの 》 ▼ これを参考に黙し対処したら、これほど難しい相手はいない・・ この書を通すと、面白いように物事が透けてくる。心静かに、これを読み 続ければ、その中の原理原則が己を導いてくれる・・ 学生時代に、 この二書を読んでいたので、いざこざの真只中で、対峙した人の言葉を一度、 突き放し、疑い、静かに自問自答する余裕が出来ていた。問題は、その都度 「正中心一点無の心境で道理は何かを考える」しか解決は出来ない。 ・・・・・・ 4174, 閑話小題 ー電機メーカーの苦境 2012年08月30日(木) * 電機メーカーの苦境 日本の電機各社が苦境に陥っていると、マスコミを騒ぎ出している。 この原因が、あのエコポイント。電機メーカーにとって、神風になり大きな 利益を確保したが、その間に韓国などのメーカーが主力商品に力をつけ日本が 太刀打ち出来なくなっていた。数年前まで、薄型TVで勝ち組だったシャープ が死に体で倒産の危機になり、同じく恩恵を受けたソニーとパナソニック、 東芝、日立の各社が数千億の赤字というから尋常ではない。世界に名立たる 日本のブランドが、今や苦境に立っている。耳を疑うが、これが現実である。 現在、同じことが自動車で行われている。 どうしたというのだろうか。 中小企業救済法も今となれば、良かったのか悪かったのか? しかし、産業の 不振は日本に限ったことでない世界的な流れ。スマートフォンとタブレットPC、 この中に、電話、テレビ、パソコン、デジカメ、ビデオ、全ての機能が入って 同じ位の値段なら電子機器が売れなくなるのは当然。日本のメーカーが、 専用機種に目を奪われている間に、マックや韓国メーカーが、ここに集中 していたのである。日本のメーカーは決定的なミスを犯してしまった。 10年前、5年前なら考えられない事態が、目の前に起こっている。 * 地元経済は、ますます悪化 先日、3ヶ月ぶりに自宅に送付されてきた一連の書類を持って弁護事務所に 行き弁護士と30分位、世情話になった。中越地区の景気状況は、来春の 「中小企業特別救済立法」の打ち切りに向けての動きが顕著になっており、 その上に刈羽原発の休止にともない関連の5千人の従業者のうち3千人が、 この秋に整理される。更に小千谷にある大手の工場も雲行きが怪しい。 それらから景気は一段と悪化しているという。一線から退くと生の情報は 殆んど入ってこなくなる。必要がないからもあるが。この9月から12月にかけ、 リーマンショック並みの一大イベントが発生する可能性が大と見ているが、 その前兆の波か、それとも思い過しなのか? 景気は一段と悪化の道を たどっているようだ。
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2016年08月29日(月)
<不幸な国の幸福論 2009/12/16 加賀乙彦 (著)> * 幸福を阻む考え方・生き方 著者が東京発大阪行きの新幹線に乗車したところ、典型的な上流と 思ぼしき上品な奥様方3人のグループがすぐ後ろの席に場所を取った。 ご婦人たちは京都に着くまでの時間、大きな声で“会話”の話が著者の 耳に飛び込んできた話題を紹介している。 〜要約すると〜 《・「ご主人、部長になられたんですって? さすがねぇ」 ・「さすがどころか、やっとなのよ。○○さんはもう役職待遇なのに」 ・「でも同期の中では二番目に早いご出世だって聞いているわよ。羨ましいわよ。 息子さんは○×大学だし、お嬢さんもご結婚が決まったそうで」 ・「主人の母校の△△大に行かせたかったのに落ちちゃって。○×大も悪くは ないけど、義姉のところの子供たちが△△大出て外務省だから肩身が狭いのよ。 それに娘の相手がねえ。ウェブデザイナーとかいう仕事なんだけど専門学校 しか出てないの。フリーランスだから不安定だし、ご実家も借家住まいで・・」 京都駅で降りていく三人組は、それぞれブランドのバッグを持ち、ブランド らしき服やアクセサリーで着飾っていた。 夫は難関大学出身で、日本有数の 大企業で働いているらしい。 住んでいるのは東京・世田谷の高級住宅街。。 著者は「快楽の踏み車」の言葉を用いている。 カゴの中で踏み車に乗って ぐるぐる回転するハツカネズミ。そう自分で自分の欲望を果てしなく肥大化させ、 疲れ切ってしまう人間たちを重ね合わせている。 与えられた理想形「これこれの条件を満たせば幸せになっる」を疑うことの ない人は、そのレールの上は走れても、レールから一歩はずれたら、自分が どのように考えて進んでいけばいいのかわからなくなる。外的価値に拘れば、 束の間の満足と引き換えに、永遠の二十日鼠の、快楽のふみ車をまわし続ける ことになる。》 ▼ 面白い内容である。私が5年前の会社整理をした時に、外的価値に縛られ 一生を終えるハツカネズミと、ドブネズミに罵声を浴びせられた。しかし、 ネズミはネズミと分かっているから平然としていられる。新潟駅前のチンピラ に何度も暴言罵声を浴びせられてきたが、これ以下の連中と確信できるので 超然としていられる。 家内が某女子大の県内の地元OB会で、大小規模の経営者婦人たちとの会話は 大同小異で、こんなもの? オーナー会社の御婦人が中心もあり、少し違うが、 亭主の力関係が、そのまま当人に跳ね返ってくる。それを何とも思わないのが 家内の特性。幼少期の幾かの習い事のベースと、受験高校に在籍、地方の子女に 人気の女子大(短期)を卒業。実家の仕入先のメーカの茶汲みを丸の内でして、 その直後、私と見合い結婚。 割引新幹線で年に10回は東京名所巡りが趣味。 40回近い秘境・異郷の修羅場をくぐってきた経験がある。そこで、遥かに違った 人種とのやり取りの経験も多々ある。 「あなたの状況がどうして? 私には 関係ないこと!」の開き直りがある。 開き直りは私にも無いではないが、 遥かにドライときている。 元もとサラリーマン系ハツカネズミの単一思考 など何もない。5年前に「もしか、原信のレジをしなければならないの?」と、 する訳が無いのに、至って超然。この程度は、彼女にとって、幸せを阻止する 要因でない。単一の理想系すらない。生まれ、楽しみ、その時が来たら、死ぬ。 こういうのを幸福形(系)の人という。 それにつけても、私は何をしてきた? 以下の「うさぎちゃん」みたいのも、存在しているのに。
・・・・・・ 5280,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー�� 2015年08月29日(土) ーその時、言葉は私の「神」となるー 中村うさぎ 〜心肺停止になって考えたこと! (新潮45/6月号) * 二種類の私と、純粋な自我 死に際を経験すると、傍目に縛られすぎてきた自分に気づかされる。 そして、裸の己を直視し、それを言語化し、それに従うことが、自分の真実を 生きることと、著者は悟る。 死線を漂うと、虚無の彼方から、宇宙の向こう 側から、小さな世界に縛られている自分を客体化する視線を持つ。 その実体験から得た、重層の心の構造を、醒めたタッチで解体する。 ≪ 心肺停止の数日前に私は別人格になっていたらしい、という話を以前に 書いたと思う。 ・・誇大妄想的な発言を真顔でしてみたり、「魂が抜けて 言葉だけ残った空っぽの中村」になっていた。あの時の私はいったい何者だった のだろう、と今でも時々考える。あの頃の私は別人になっていたわけではなく、 自意識とかいうものを一切失い、純粋な「自我」のみになっていたのでは。 私が「私」と言う時、そこには二種類の「私」が混在しているように思う。 ・ひとつは「他者から視られている私」という「客体としての私」で、 ・もうひとつはデカルト言うところの「我思う、ゆえに我あり」的な 「主体としての私」である。 「客体としての私」は「自意識」に支配されており、 「主体としての私」は「自我」そのものだ。たとえぼ「世界を救う」などと いった壮大にして荒唐無稽な使命感を私が意識の底に抱えていたとしても、 それが他者の目にどんなに愚しく狂気じみて映るかを知っている「自意識の私」 は決して人前でそのような発言をしないし、何とか己の意識下に無理やり、 その人格を封印してしまうだろう。だが当時の私は、そのような他者の視点で 己を視るというスキルが崩壊していて、頭に浮かんだことを自意識の検閲なしに ぺらぺらと喋っていたのだった。まさに「我思う、ゆえに我あり」だ。 私が思考し、私が語るから、私は「私」の存在を実感する、という感覚。 そこに他者は介在しない。他者を通して自己確認することもない。 私という主体を中心に世界は存在し、自分の存在価値など問う必要もない。 「価値」などという相対的な概念が最初からないのだ。なんと単純明快な 世界だろう。アダムとイヴが他者の目を気にして己を恥じたり隠し立てしたり することもなく、素っ裸で歩いていた「エデンの園」そのものではないか。 「自我の私」のみで生きるということは「エデンの園」に戻るということである。 他者の評価に怯えることもなく、己の存在価値だのに悩まされることもなく、 獣のように天衣無縫に生きられる楽園の生活。が、その代わり、社会性は著しく 失われる。自意識が高度に発達した現代社会で、このような人間は生ていけない。 生きていくことを許されない。 ≫ ▼ 先日、一番上の義兄の葬式に参列した。地元の名士?の中で、精一杯、 背伸びをして生きた人だった。表面的な人付き合いに生きるのも、それは それで、一つの生き方である。それぞれにとって、中味は別として、それが 全世界である。ただ、自意識に支配されている、「客体として私」を、 「主体としての私」が、見つめ、「自意識過剰」を「自我」がコントロール する基盤が必要となる。それが教養である。「独り」を「独り」で楽しめる 素養は、家系を含めた長年の蓄積が必要となる。城下町は、それは有り余って いる筈だが、変化を嫌う体質が、「独り」の世界を小さく変質させてしまう。 ・・・・・・ 4915,閑話小題 ー宝塚歌劇団「ブスの25か条」 2014年08月29日(金) 宝塚歌劇団には「ブスの25か条」なる教訓が舞台裏に貼ってあるという。 右側の⇒は、私が真逆にした「美人の25か条」。 これはスターの内的要素の骨格である。 「ブスの25か条」 「美人の25か条」 1.笑顔がない ⇒ 常に笑顔で 2.お礼を言わない ⇒ 前回のお礼の挨拶から 3.美味しいと言わない ⇒ 美味しい、嬉しい、楽しい、幸せを口癖に 4.精気がない ⇒ 精気を満たす 5.自信がない ⇒ 自信を持てる何かを持つ 6.愚痴をこぼす ⇒ 愚痴は言わない 7.希望や信念がない ⇒ 希望と信念を持つ 8.いつも周囲が悪いと思っている ⇒ 周囲のお陰様に気づく 9.自分がブスであることを知らない ⇒ 自分の程度をわきまえる 10.声が小さくイジケている ⇒ 声が大きく溌剌としている 11.なんでもないことに傷つく ⇒ 何ごともケセラセラと楽天に 12.他人に嫉妬する ⇒ 他人の美点を凝視する 13.目が輝いていない ⇒ 何ごとにも興味をもつ 14.いつも口がへの字の形をしている ⇒ 笑顔を心がけて、口元を上げる 15.責任転嫁がうまい ⇒ 元は此方、そのまま結構の心がけ 16.他人をうらやむ ⇒ 人を賛美する 17.悲観的に物事を考える ⇒ 楽観的に、そのためには教養を 18.問題意識を持っていない ⇒ 常に問題意識を持つことを心掛ける 19.他人に尽くさない ⇒ 人の役にたつ生き方を 20.他人を信じない ⇒ 信じられるだけの知識を持つ 21.人生においても仕事においても意欲がない ⇒ 積極一貫の心かけ 22.謙虚さがなく傲慢である ⇒ 謙虚に、注意を常にもつ 23.アドバイスや忠告を受け入れない⇒アドバイス、忠告を聞き、受け入れる 24.自分が最も正しいと信じ込んでいる ⇒ 唯我独尊の人から学ぶこと 25.存在自体が周囲を暗くする ⇒ 光り輝くよう、自分を磨き続けること ▼ 老いるとは、人間としてブスになっていくプロセス? 無知で我ままなら、 誰もがブスの要素が多くなる。とすると、これは戒老録にもなる。タカラ ジェンヌが光り輝いて見えるのは、内側からの輝きを心掛けるため。物理的 貧困と精神的貧困は「貧すれば鈍す」で、『ブス』になりがちになる。 それと無知!これを常に自覚していないと、左側の要素が増えていく。 タカラジェンヌのミニスターを、まず彼女たちは演じることから始まる。 そして大スターの道をめざし、日々、努力をする。 幸せへの道しるべ!である。 ・・・・・・ 4548, 2050年の世界 ー1 2013年08月29日(木) 「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」 英『エコノミスト』編集部 (著) * 2050年までを見通すことで現在を理解できる 何気なく図書館の返却コーナーで手にとった本だが、英『エコノミスト』 誌の各ジャーナリストが20の分野で予測。これが面白いが限界も見て取れる。 この激動の時代に、40年先の予測など所詮は無理な分野もあるが、人口趨勢 など予測可能な分野もある。だから面白い。 5〜10年先を予測したければ、40年先を考えてみればよい。 ーアマゾンの内容説明ー 〈 2050年日本のGNPは韓国の半分になる。 グローバルな一流誌英エコノミスト誌が、総力をあげ、科学、政治、人口、 経済、女性、などの20の分野で2050年までの世界を予想 〉 まずは‘はじめにー「2050年までを見通すことで現在を理解できる」’の冒頭 ≪ 世界人口が10億人になったのは、18OO年ごろのことだが、それまでに 人類は20数万年の歳月を費やしている。ところが、 60億人から2011年の 70億人に違するまで要した時間はわずか10数年。このような変化に驚くほどの 速さで展開する大規模な変化は―メガチェンジーと呼ぷにふさわしいもの。 実際、わたしたちはメガチェンジに囲まれている。技術は信じられないほどの スピードで拡散しており、ネットや携帯電話の進歩は言うに及ばず、現在では コンピューターから大量の情報を入手したり、フェイスプックやツイッター などのソーシャル・ネットワークを通じて、大量情報を受信したり、発信する ことが可能である。また、世界経済は私たちの目の前で着々とアジアへ 重心を移している。このような変化はどれも、人々の生活と、企業の戦略と、 国家の政策と、地球の将来展望に深遠な影響を与える。 ー本書は2の重要な目的を持っているー ☆ 第一の目的は、人々の健康から財産まで、あらゆる側面から世界を変革 するトレンドを特定し探求することだ。本書では、身の周りの話題をひとつ ひとつ論じてみたい。この手法を採用すれば、わたしたちは、ヘリコプター から地上を見下ろすように、俯瞰図を掌握することができるだろう。 ☆ 第二の目的は、第一の目的で確認したトレンドにより、2050年の世界が どのように形作られるかを予測することだ。一見すると、これは非常識なほど 大きな野望かもしれない。 ダン・ガードナーが自著「専門家の予測はサル にも劣る」で論じた、人類の歴史には百パーセントデタラメな予言が のらべられている。1914年、英国人ジャーナリストのブレールスフォードは、 「近代国家間の国境の線引きが最終決定されたことは、政治的にはこれ以上 ないというほど確実である。私見を述べると、今後、既存の六大国間で戦争は 勃発しないだろう」と記した。第一次世界大戦が始まったのはその直後。 米国経済学者のフィッシヤーが「わたしの予想では、これから数カ月の間に株式 市場は大幅に上昇する」と予言したのも、1929年の株価大暴落が起きる1週間前。 果たして人間が未来を知ることは可能なのか? あすの天気を予想するのさえ 難かしいのに40年後の世界をどうして描き出せるのか? おそらくこの四十年の あいだに、わたしたちはブラック・スワンの詳れを絶えず目撃させられるはず だとはいえ、未来を予測してみる価値はある。奇妙だが、2050年を予測する ことは、来週や来年を予想することよりも簡単。実際、ナシム・タレブも 一世代以上先の予測を好んでいる。 長い年月で「今日において脆弱な ものが壊れて消える」からだ。》 ▼ 次回から、めぼしい部分を抜粋しながら考えてみる。40年前といえば、 文化大革命が終盤を迎えていた頃。そこで、現在の中国を予測できたか? その十数年後にソ連の崩壊、東欧の共産圏の消滅。日本のバブルと崩壊。 その10年後の9・11テロ、7年後のリーマンショック、その3年後の東北大震災。 それより、世界中の人々が形態パソコンを持ち、ネットで繋がるとは誰が予測 できただろう。40年後に存在しなくとも、どんな時代か考えるだけで面白い! ・・・・・・ 4173, 木を見る西洋人 森を見る東洋人 ー2 2012年08月29日(水) * 二つの違った未来観 ! 「木を見る西洋人 森を見る東洋人」 ニスベッド著 ー西洋と東洋の認知の違いはなくなるかー フクヤマとハンチントンの二人の政治学者の未来観こそ、西洋と東洋の違い。 20世紀に入ってから、哲学が、決して西洋が文明的に優れているのではない という構造主義の考え方が主流になってきている。しかし時代は木も森も、 そして、地球環境も同時に見ていかなければならない時代になってきている。 3・11震災がもたらした原発事故が、それを我々に突きつけた。この対立は、 避けることは出来ないが、何とか、それを抱えて未来に向うしかない。 ー まずは、その部分から ≪ 今、二つの非常に異なった未来観が、多くの領域の社会科学者たちの間で 戦わされている。ひとつは政治学者のフランシス・フクヤマが唱えた未来観で、 世界の政治経済システムが一極に収束し、それに伴って価値も一極化していく ことを予測するもの。もうひとつは今後とも多極化が続くことを予測するもの。 フクヤマは著書『歴史の終わり』で、資本主義と民主主義が勝利をおさめた今、 面白い出来事を生み出すような切迫した力はもはや存在しないと述べている。 片や政治学者のサミュエル・ハンチントンは、世の中が今度とも多極化を 続けると予測している。社会が収束に向かうというフクヤマの視点とは大きく 異なり、ハンチントンは世界が『文明の衝突』を迎えようとしていると断言。 東アジア、イスラム、西洋といった主要な文化集団における価値観や世界観の 違いは調整不可能であり、したがって対立は避けられない。 「民族の対立と文明の衝突が生じつつある中にあって、西洋文化の普遍性を 信じる西洋人たちの信念には、3つの問題点がある。その信念が誤りだという こと、道徳に反するということ、そして危険だということである」 言うまでもなく、経済や政府のかたちがどこでもみな同じならば、 人の心の中はどこへ行っても同じだろう。逆に、文明の衝突が避けられない ならば、思考の習慣は多極化を続けるだろう。 ・・ フクヤマの未来観は、多くの西洋人、特にアメリカ人の視点を代弁している。 アメリカ人は、誰もが根はアメリカ人か、そうでなければ、これからアメリカ人 になると思っている。・・今やどの国の人たちも、ジーンズとTシャツを着て、 ナイキの靴を履き、コーラを飲み、アメリカ音楽を聴いて、アメリカ映画と TVを見ている。 逆にハンチントンによれば、世界の文化が西洋の文化に同化し つつあるという考えは、近視眼的かつ自民族中心主義な発想にもとずく幻想。 社会は互いに違っており、今後の国際紛争は、過去に見られた経済的あるいは 政治的な対立よりむしろ、文化的対立を発端にしていると考えられる。・・・≫ ▼「東洋と西洋の混血が現時点の日本」と仮説を立てると、日本の混乱が見える。 和魂洋才という言葉が、それをあらわしている。情報化の進展で世界がグローバル 化された現在、決して否定出来ないこと。要は和魂を常に意識すべき。これは日本 だけでない。トルコがイスラム教国に関わらず欧州よりの国家体制を作っている。 矛盾があっても乗り越えてである。いずれにしても、あらゆる人種をかかた世界が ネットで情報が共有された現実がある。それゆえの混乱は激しくなるのは当然。
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2016年08月28日(日)
<不幸な国の幸福論 2009/12/16 加賀乙彦 (著)> 面白い本である。さして貧しくもなく、隣国からの攻撃の危険もなく、 何が不幸の国かと思うが、何か重苦しい空気が日本を覆っている。この本の 発行は9年前で、今では自殺数は3万を割ってはいるが、大きい変化はない。 日本は経済悪化が、そのまま不幸に直結する数少ない先進国という。 家内がよく口にするのが、「私の友人の何人かは、美人で、家庭が裕福なのに、 絶対タブーの言葉の<自分は不幸せ>と、平気に口にする。傍で見ていて幸せ を絵に書いたよう状況なのに。家庭なら幾つかの問題を抱えていて当然なのに、 勝手に、全体の幸・不幸を決めてしまっている!」 である。 「それは外に出ないから、一人遊びが出来ないから、基礎教養がないから、 世間とかに押しつぶされているため」と、私が答える。 これは著名な精神科の先生が書いた「幸福論」だが、同調する箇所が多い。 ー内容紹介ー 《 ー挫折と逆境こそが「幸福」の要件であるー 経済は破綻し格差は拡大する一方、将来への希望を持つことが難しい日本に あって、「幸せ」は遠のくばかりと感じている人は多い。しかし、実は日本人は 自ら不幸の種まきをし、幸福に背を向ける国民性を有しているのではないか―。 精神科医、心理学者である作家が「幸せになれない日本人」の秘密を解き明かし、 幸福になるための発想の転換法を伝授する。追い求めている間は決して手に いれることのできない「幸福」の真の意味を問う、不幸な時代に必読の書。 》 ★ 次回から、各項目ごとに取り上げるが、まずは、一番のエキスの部分〜 ≪ かなり痛んでいるとはいえ、GDPで世界第?位の経済大国であり、世界一の 長寿国(女性。男性は4位)で、他国と比較して街は清潔で、犯罪も少ない。 警察庁発表資料によると、1999年から2008年までの自殺者は、357,854人に上る (年間3万人超)。しかも、自殺未遂者はその 10倍は存在すると推定されている。 さらには、年間3万人どころか、実際には10万人が自殺しているという説もある。 というのも、病院以外の場所で医師に看取られず不慮の死を迎えると、すべて変死 扱いになるというが、日本では変死者数も90年代後半から急増していて、年間14〜 15万人で推移しているからだ。WHOは、変死者のおよそ半数が自殺と述べており、 日本以外の国では変死者の半数を自殺者統計に加えている組が多い。仮にこの 数字を日本が計上すれば、自殺率世界一のリトアニアを抜き去ってしまう。≫ ▼ 北欧も自殺率が非常に多い。これは閉ざされた世界で、暗夜が続くことに ある。日本も裏日本の秋田、山形、新潟に自殺率が多い。 気候からくる、 閉鎖社会が大きく影響をしているが、孤独に対する逞しさが無いことも原因。 汁の出そうな閉鎖社会で、如何に孤高を保つかは、長年かけた基礎教養と、 少々の挫折と逆境経験が必要。 閉鎖社会はお笑いゾンビ製造機械そのもの! ただし、ゾンビは、八割、いや九割のカタガタだが。この大断層の中でこそ、 こういう世界も、あって良いのかも? 「取り上げるだけ、見えるだけ、影響 を受けている」ということか。 家内が東京と、新潟に、それぞれ年に10日、 行くのもわかる。しかし、平気で、世間様とやらの波乗りが出来ている。 それが当り前だとすると、私が偏屈ということか。 まあ、いいか! 以下の「うさぎちゃん」と同じく、私も心肺停止のようなもの? お後が宜しいようで。
・・・・・・ 5279,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー② 2015年08月28日(金) <その時、言葉は私の「神」となるー中村うさぎ著> 〜心肺停止になって考えたこと!(新潮45/6月号) * ナルシシズムと自己愛と、自尊心 下の文章の初めの10行は、この数年の私の状況と気持ちそのもの。 状況からみて、人間の弱さを知っているためもあって、うつ病に陥らないため、 毎日の生活習慣を良好に保たなければ、自己愛も、自尊心も地に落ち、粉々に なってしまう。全身全霊で日々を過ごさないと、あのゾンビのような魂の抜け 殻になってしまう事態は、むしろ、ベストである。 なるほど、 女無頼漢作家の言葉だからこそ、説得力がある。〜その辺りから〜 ≪ 読者諸氏は私の文章を読んで「最近の中村は躍起になって自己肯定しようと しているな」と思っていることだろう。そのとおりである。私は今、崩壊した ブライドを必死になって立て直し、なんとか生き続けている。 何しろ「おまえなんかいらない。おまえになんか価値はない」と言い渡されて しまったのだから、私の自己評価は地に堕ち、生きる意味も理由も見失ったのだ。 それでも今後行き続けるためには、なんとか自分の人生の価値を再確認し、 生きる理由を見つけ出さなくてはならない。「私は生きてていいのだ」と自分 を納得させなくてはならない、そうでなければ私は死の誘惑に負けてしまう。 人はナルシシズムゆえに己を見失うものであるが、自己愛や自尊心といったもの を失っては生きていけない。この「ナルシシズム」「自己愛」「自尊心」の違い については私なりの定義がある。 ・まず「ナルシシズム」の語源は、ご存じのように、ギリシャ神話の美少年 ナルキッソスで、彼は水に映った自分の美しさに恋い焦がれて死んでしまう。 そう、これは「愛」ではなく「恋」なのだ。我と我が身に陶然と惚れ込んで、 正しく自分を見られなくなってしまう。我々が恋人に自分の幻想を投影し、 相手の本当の姿を正しく見られなくなるのとまったく同じ構造である。 ゆえに「ナルシシズム」とは「自分に恋すること」だ、と私は定義ずる。 ・では、「自己愛」とは何か。「ナルシシズム」が「自分に恋する」ことなら、 「自己愛」とは文字どおり「自分を愛する」ことであろう。となると「恋」と 「愛」、の違いが、そのまま「ナルシシズム」と「自己愛」の違いになる。 「恋」が己の幻想に目を眩まされて盲目となる状態であるのに対して、「愛」 はより客観的な視点を持つ。相手の欠点も、きちんと見えていて、そこも含めて 愛するのだ。それは寛大さや公正さを含んでいる。したがって、「愛」は「恋」 よりも利己的ではなく独占支配的でもない。この「恋」と「愛」は非常に混同 されやすい感情である。たとえば「母性愛」の言葉で表現されている感情は、 私に言わせれば必ずしも「愛」ではない。盲目的で排他的な母性愛はもはや 「愛」ではなく「恋」に限りなく近いものであり、「ナルシシズム」の延長 線上に位置するものだと感じる。このように紛らわしく似て非なる存在である 「ナルシシズム」と「自己愛」をきっちりと分けて考えると、おのずと我々に とって必要なものは何であるかが明確になってこよう。 我々はナルシシズムから極力脱却しようと試みる一方で、正当な自己愛を 失わないよう気をつけなくてはならない。自分をしっかりと見つめ、その弱さも 醜さも受け容れて愛すること…それが自己愛のあるべき形であろうと私は思う。 己の弱さや醜さを受け容れられずに目を背けたり美化したり、逆に激しく憎悪 したりするのは、すぺて「自己愛」ではなく「ナルシシズム」の仕業だ。 自分嫌いは自分好きの裏返し、と、私は以前、子ども向けの自著で書いたが、 自分を憎んだり嫌悪したりする気持ちはじつはナルシシズム過多の証なのだ。 理想の自分、幻想の自分に恋するあまり、現実の自分を受け容れられない。 このようなナルシスティックな自分嫌いは、己の価埴を貶める行為であり、 いつまでたっても正当な自己評価には至らな仏のである。 ・次は自尊心について考えてみたい。自尊心とほ、これまた文字どおり、 目分を尊重する気持ち」である。誰かに不当に賠められたりした時に傷つく のは、この「自尊心」だ。「不当に」と言った、のは、それが正当な批判で あれば、自尊心は傷つかないからである。自尊心はナルシシズムではなく、 公正なる自己愛によって裏付けられる。他人「批判されてカーッとなるのは ナルシシズムだ。自己愛は、それが正当な批判でなければ謙虚に受け容れ、 的外れだと感じれば冷静に反論する。ただ、批判ですら根も葉もない誹謗中傷 に関して、それがたいてい陰口という形をとるために反論する機会すら与え られず、自尊心が深く傷つく羽目になる。私はずっとナルシシズムによって 盲目⊂なることを恐れ、その一方で正当な愛を培おうと努力してきた。 それが成切したとはいわないが、少くともその切口の区別は常に意識していた し、拙いながらも己の弱さや醜さと対時し、受け容れようと心がけてきた。≫ ▼ 「ナルシシズム」が、異常に強い女性を身近で見かけるが、それが、 その人を。そして傍の人を、傷をつけていることに気づかない。 「ナルシシズム」は、「自己愛」「自尊心」と似ているため、混合してしまう。 その危険性に、無頓着過ぎることが、大きな悲劇を呼びよせることになる。 ・・・・・・ 4914,閑話小題 ー代々木ゼミナールの7割の校舎が閉鎖 2014年08月28日(木) * 代々木ゼミナの7割の校舎が閉鎖 「代々木ゼミは、三大予備校の1つとして浪人生を中心に多数の生徒を集め、 全国に校舎を展開してきたが、少子化に伴う受験生の減少などで、29の校舎 のうち7割以上に当たる22の校舎を閉鎖する方針を決めた」というニュースが 数日前に一斉に流れたが、 隔世の感がする。 ーネットによるとー 《 ・ピーク時には41万人の予備校生が、今では6万人。近年は大学全入時代 に入り、浪人生の数も減少している。不況が続いた中で家庭でかけられる 教育費が非常に少なくなって、浪人をすることにブレーキがかかっている。 ・大学入学者の浪人生の割合は1985年の約4割から約1割に減少。その上に、 1990年の85%が予備校依率存が、現在では30%まで下落している。 ・1980年代の半ば頃から生徒数が減少,90年代以降,その速度がさらに高まった。 1990年では14万2千人だったのが,2000年には4万9千人に,2011年の2万4千人に 至っている。ピークの1977年を基準とすると,予備校生の数はおよそ10分の1に。 ・大学進学率は1966年に16.1%だったが76年には38.6%、今では50%と大幅に 上昇、受験戦争という言葉も登場するほど大学進学は当り前になり、予備校は 急成長を遂げた。中でも代々木ゼミナール・駿台予備校・河合塾は三大予備校。 ◎河合塾は理系の国公立、◎駿台予備校は特に難関国公立大学、 ◎代々木ゼミナールは私立文系の大学受験を中心に浪人生向けの大学受験指導 をしてきたが、そこに市場の規模が大幅に縮小したことが大きな要因である。》 ▼ 今では私立大学の45%が定員割れ、浪人をする必要が無くなった。 ネット活用で自宅浪人も可能なことや、東進ゼミのような『衛星放送ゼミ』で、 地方各地でも一流講師の授業が聞けるのも大きなマイナス要因である。 私の事業で、売上が3分1に驚いた現象より劇的である。20年前に、新潟に 代ゼミが進出した直後に、新潟予備校が倒産したが、今度は、その代ゼミが 時代の潮流に直撃したことになる。校舎は転用可能のようだが、不動産業として 生き残れるか、どうかである。次にくるのは専門学校の類。崩壊過程が既に 始まっている?・・ グローバル化、情報化による「隠れた大恐慌」が 引き起こしている「中産階級総崩壊」の、一象徴である! ・・・・・・ 4547, 閑話小題 ー海外ツアー48回のフラッシュ 2013年08月28日(水) * 秘異境ツアーからのフラッシュ 突然、思いもよらない過去の記憶が飛び出すことを「フラッシュ」という。 アメリカのTVドラマ『LOST』で、陸の孤島に墜落した登場人物の素性を表現 するのに各人の「フラッシュ」を利用していたが、巧い技法と感心した。 秘異郷ツアーの中では、次次と思いもよらない経験をする。しかし、その都度、 それを解釈をしている余裕がない。それが長い年月を経て、フラッシュとして 記憶の奥底から飛び出てくる。それはツアーだけではないが。還暦を過ぎた頃 から、バイアス(固定観念)が溶けてきたこともある。家内とは40回近くともに 旅行をしてきて、旅先の記憶が共有している。BS/TVなどで毎日のように 行先の何処かが放映されていて、それを録画で夕食時に見ているが、そこで多く の記憶が蘇ってくるため、番組が行き先の追体験になる。出来る時に、出来た ことに感謝している。『秘境旅行ーフラッシュバック』をテーマに書くつもり。 * 消費税の増税の是非 消費税を上げれば、その分、国民にとって実質所得ダウンになる。 それに2%のインフレターゲットとすれば、年金生活者など低所得者に大きな 負担が被ってくる。それも生活消費財から上がるから深刻な問題である。 しかし財政事情からみたら、消費税は上げざるを得ない事態。上げるも地獄、 上げないも地獄なら上げるしかない。現在の年金の収入では、月に10万円持ち 出しだが、今月から家内の年金が数万円アップで持ち出しは少しは減るが。 当初の予定は、敷地内の貸家の家賃収入で収支ゼロの予定だったが、古屋は敬遠 されて、2年間も空家状態。で、この二年半で、大きな買物はiPadを買っただけ。 自転車も、パソコンも、自動車も限界に近づいているが、それでも充分に使える。 家の中は要らないゴミの山。実際のところ、欲しいものは殆どないから不思議。 で、消費税増税の是非の話に戻すと、株式と国債の暴落を待って、一度、根本 から精算するしかないのは、誰の目にも明らか。今の日本では改革の断行は 無理の中、外国へのポーズとしても、増税は99%は、やってくる! ・・・・・・ 4172, 木を見る西洋人 森を見る東洋人 2012年08月28日(火) * 認知科学者は間違っていた? 「木を見る西洋人 森を見る東洋人」ニスベッド著 最近になり「自分が理解していることは、言葉で説明すれば相手は理解して くれているはず!」が、私の思い込みに気づいた。人間は知りうる範囲で理解 しているだけだが、自分が理解している範囲とは違うのである。 「自分が真実と思っていることと、真実は違う」のである。真実と思っても、 思い込みのことがあまりに多い。今まで国や文化や肌の色や宗教によって世界観 が変わっても、人間がものを考えるために用いる道具は同じと誰も疑わなかった。 「ものごとを知覚したり、推論するために用いている道具は同じである。 論理的に正しい文章は、日本語も英語も中国語であれ、正しいことに 変わりはない。だが、もし、それら全てが間違っていたとしたら、認知科学の 大前提を覆ることになる。」と、いう。 緑の原野で、何を見て、何を信じてきたのだろう。 ー以下の部分は、その部分ー ≪ ヨーロッパ人の思考は「対象の動きは(それが物体であれ、動物であれ、 人間であれ)単純な規則によって理解可能である」との前提で成り立っている。 西洋人は物事をカテゴリーに分類することに強い関心をもっている。なぜなら、 分類することによって、今問題となっている対象にどの規則を適用すればよいか がわかるからである。また、問題解決に当たっては形式的な論理規則を適用する ことが有効だと信じている。これに対して、東アジア人は対象を広い文脈のなか で捉える。アジア人にとって、世界は西洋人が思うよりも複雑であり、出来事を 理解するためには常に複雑に絡み合った多くの要因に思いを馳せる必要がある。 形式論理学はほとんど問題解決の役には立たない。実際、論理にこだわりすぎる 人間は未熟だとみなされることもある。私は心理学者として、これらの主張が 革命的な意味をもっていると感じた。もし彼らが正しければ認知科学者は 間違っていたことになる。つまり「人間の認知はどこでもみな同じ、ではない」。 人文・社会科学諸分野の研究者たちは、明確にそれと言わなかったが、実は 思考の本質について非常に重要な主張を行っていた。 第一に異なる文化の人々は、世界の本質についてそれぞれの根本的 メタフィジックスな信念、彼らなりの「形而上学」を有している。 第二に、それぞれの人々に特徴的思考のプロセスには大きな違いがあること。 第三に、そうした思考プロセスは、世界の本質についての信念に合致したもの であること。言い換えれば、人は自らの世界観に合致した方法で世界を 認知するということである。 注目すべきことに、社会の構造や人間観というものは、それぞれの社会に生きる 人々がもつ信念体系や認知プロセスと非常によく合致しているように思われる。 アジア社会は、集団や周囲の他者との協調を重んじる傾向があると言われる。 こうした特質は、アジア人が文脈を重視して広い視野で世界を眺める傾向を もっていることや「出来事は極めて複雑なもので、その生起には多くの要因が 関係している」と信じていることと合致。これに対して西洋社会は、個人主義的 でお互いの独立性を重んじる傾向があるとされる。こうした西洋人が特定の事物 を周囲の文脈から切擁して観察する傾向をもっている。≫ ▼「アジア人が文脈を重視して広い視野で世界を眺める傾向をもっている ことに対して、西洋社会は、個人主義的でお互いの独立性を重んじる傾向が あるとされ、西洋人が特定の事物を周囲の文脈から切り離して観察する傾向を もっている。」ことより、「気を見る西洋人、森を見る東洋人」という本の題名 になっている。同じ森林を見ても、これだけ思考の仕方が違ってくる。 また一神教の欧米と多神教の東洋人とは、同じ現象でも受け止め方が違って当然。 それと、好き嫌いという感情で違ってくる。「世界についての考え方は根本的に ひとつである」 大前提が違うとすると、文明の相克はあって当然。 争いは永遠に続くことになる。
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2016年08月27日(土)
<「賢い子」に育てる究極のコツ 瀧 靖之 (著)> * 「子」を「自分」に置換えると? 「賢い子」を、「賢い自分」置換えると、どうなるか。 その3つの秘密道具=「秘密道具1ー図鑑」、「秘密道具2ー虫とり網」、 「秘密道具3ーピアノなどの楽器」のキーワードを、現在の私の世界の道具に すると、どうなるか。 ・まずは『図鑑』 〜図鑑の対象を難しい哲学や、とっつきにくい聖書、 古典文学、世界の聖地、秘境・異郷、大自然の絶景を図鑑にした本がある。 空間と配置と重視し、絵入や文字の大小で鳥瞰しやすくしてある。 学業が強くなかった原因を、現在から振り返ると、ノートのとり方に問題が? ノートの記録を図鑑を参考に応用すれば良かったのだ。読返す度に、書き足し ていけば良かった。 それも、後講釈でしかない。 現在ではアイコンと、 ファイルの配置のパソコン画面が、それにあたる? ウィンドウズ95が、 画面を図鑑にするアイディアで、世界を変えてしまった。 ・『虫とり網』 虫を情報として捉えると、網はネット(検索)になる。 現実社会の上を、ネットが覆ってネット社会が新たに出来てしまった現在、 これを如何に使いこなせるかどうか。この随想日記も、ネット検索が無ければ、 連日、書き続けることは不可能。 ・『ピアノなどの楽器』 〜これを幼児期に身に着けたかどうか。耳からの 情報収集が大きく人生を分ける。楽器演奏は、集中力と、継続力が無くては、 決して習得できない。そこに、それを指導する先生の存在が必要になる。 それも、幼児期の頃からというから。ということは、このテーマの「自分」 の置換えは、テーマとして成立しなくなる。「今さら・・」だが、何か一つでも、 楽器演奏をしておけば、より豊かな心を持てたはず。 学生時代からステレオを 身近に置いていた。現在は買い集めたCDの2000曲入りiPhoneを二つ。あくまで、 早朝のポタリングの走行中だけ。 「賢い子」を、<「心豊かな自分」に育てるコツ>をテーマにすべきだったか。 PCと、ネット活用は、少しは、賢い自分を育ててくれている。で、このザマ!
・・・・・・ 5278,「読書の腕前」 ー�� 2015年08月27日(木) 〜「読書の腕前」岡崎武志著 ー読書日記 〜 * 独りの楽しさと、読書 半世紀近く、早朝と午前中の読書の時間は、私にとって至福の時間である。 これに30年まえからウォーキング(7年前から自転車散策に変更)が、15年 前からネットが加わった。これと秘境ツアーの蓄積が、人生の財産である。 読書に関しては10歳までの習慣化が必要と言われるが、その割りに、 底が浅いのは、20歳辺りで、ようやく面白みを知ったため。〜その辺りから〜 ≪ 「いまの日本には楽しみがあふれているのに、楽しみ方が下手だ」 谷川俊太郎の『「ん」まであるく』というエッセイ集のなかにある言葉だ。 たしかに、余暇というと多くの人が、ゴルフへ行く、家族でディズニーランド へ出かける、ショッピングセンターへ買物に行き、ついでに食事もする、 というかたちで時を過ごす。それが悪い、と言うのではない。しかし、 あらかじめ用意された場所や装置がないと、時間がつぶせないというのでは、 「楽しみ方が下手」と言われても仕方がないだろう。このことを、もう少し、 谷川の文章に添って考えてみたい。 ー続けて、こんなふうに言う。 「文学、芸術に関する限り、私たちは楽しさよりも先ず、何かしら 〈ためになること〉を追うようだ。楽しむための文学を、たとえば中間小説、 大衆小説などと呼んで区別するところにも、自らの手で楽しむことを卑小化 する傾向が見られはしまいか。感覚の楽しみが精神の豊かさにつながって いないから、楽しさを究極の評価とし得ないのだ」と。 ここ数年のベストセラーリストを眺めていると、自己啓発本がつねに上位を 占めている傾向に気づく。多くの人がいまの自分に満足できず、なにかを変えた がっているようだ。スキルアップを図り、それを仕事に結びつけて出世したい。 本もそのため「役立つ」なら読む。そういう気持ちがリストから透けて見える。 出世を願う気持ちを否定することはできない。しかし、本一冊を読み、いきなり 自己を変革しようというのはあまりに安易だ。そして、なにか「ためになる」 ことがないと、本に手を出さない姿勢もいびつだ。それもこれも、「本を読む」 ことのほんとうの楽しさを知らないから、いつまでたっても即効性を願う本 ばかりに手を出してしまうのである。 本は栄養ドリンクではない。 「つつしむことのできぬ精神はひよわだ。楽しむことを許さない文化は未熟だ。 詩や文学を楽しめぬところに、今の私たちの現実生活の楽しみかたの低の浅さも 表れていると思う」と、谷川は言う。また楽しみはもっと孤独なものであろう、 とも。恋人と、あるいは大勢の仲間といっしょに音楽を聴いたり、映画を観たり するのは楽しい。しかし、その瞬間だって、その楽しさを腹の底から感じる のはいつだってひとりの自分なのだ。 いつも誰かといっしょでないと不安で仕方がない、ひとりでいるのはみじめ。 だからケータイやメールで他人とつながって生きている。こうして孤独、という 言葉を恐れるあまり、自分ひとりで感じることのできる力をないがしろにしたら どうなるか。「ひとりじゃいられない病」にかかってしまい、いつの間にか、 伸び切ったゴムのように魂は弛緩してしまうだろう。 『教養とはつまるところ自分ひとりでも時間をつぶせる』ということだ。 それは一朝一夕にできることではない。「働き蜂たちの最後の闘いは、膨大な 時間との孤独な闘い」 そう書いたのは中島らも(『固いおとうふ』双葉文庫)。 「教養」という、うさんくさく実体のない言葉を、なんとうまく表現している。 「自分ひとりでもうまく時間をつぶせる」人のことを「孤独な人」とは言わない。 なぜなら、その人の時間はきわめて充実しているからだ。私はつまるところ、 「孤独」を克服し、たったひとりで自分の内面を深めるのは「読書」以外にない、 と考えている。 また谷川は前掲書のなかで、自分だけが感じる「楽しさ」を ちゃんと見つめることが「成熟」だと言っている。≫ ▼ 今では、ネットサーフィンという遊び方もある。逆に、誰とでも気楽に、 「ツイッター」や「リンク」で結びつくことが可能だ。それと、自己啓発本に 偏っていたこともある。『教養とは自分ひとりでも時間をつぶせる』という点 では、充分、教養があるはずだが、それが浅いと実感するのは、10歳までの ベースがないため。その割切りをしておけば、読書の楽しみは増えるはず。 それよりも、現実社会があまりにも面白い!ということか。 ・・・・・・ 4913,世界の美しさをひとつでも多く見つけたい ー5 2014年08月27日(水) 『世界の美しさをひとつでも多く見つけたい』石井光太著 この著書を読んでいて思い出したのが、以前に取上げた、 <京大工学部の新宮教授の「幸福の4階建て論」説。 (古今東西の幸福論を読み漁った結果) 4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。 3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する。 2階:獲得した「快」を永続させる。 1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。> 『世界の美しさを一つでも・・・』の著者・石井浩太は、それが壮絶であるほど 余計なものが剥ぎ取られた人間の泣きたくなるほど、その美しさが浮上るという 説に重なる。このルポも、時代の要請なのだろう。 ーまずは、その辺りを抜粋ー ≪ なぜ過酷で壮絶だったりする現場に赴くのか。それは過酷な現場であれば あるほど、「人間の美しさ」が見やすいからです。良心、善意、優しさ、強さ といったものです。暗い場所であればあるほど、光はより明るく輝きます。 それと同じで、悲しくてつらい世界だからこそ、人の優しさやたくましさがより 鮮明に浮き上がる。 たとえば、マドウと薬草売りの関係が、ニューヨークの 高価な私立病院の個室でくり広げられるお金持ちの病人と専属看護師のそれだと したらどうでしょうか。高級病院の専属看護師は、コルカタの薬草売り同様に お金持ちの病人を必死に励まそうとしているかもしれません。しかし「高額な お給料をもらっている」「最新の医療を受けている」という事実があることで、 専属看護師の善意は見えにくくなります。コルカタの路上で人間が裸同然で うごめくように生きています。良し悪しは別にして、余計なものが一切ないから こそ、薬草売りのマドウに対する善意がはっきりと目に見えるし、それが 泣きたくなるほど温かな行為として感じられる。そして、薬草売りとしての 美しさが鮮明に浮き上がるのです。私は先ほど「人生観が変化するような感動 を見つけ出したい」というようなことを書きました。過酷な現場へ向かうのは、 そのためなのです。厳しい状況の方が人間の美しさがより輝いて見えるので あれば、必然的に向かう先もそこになります。過酷な現場を見たいから行く のではなく、より多くの人間の輝きを発見できるからこそ赴くのです。・・≫ ▼ 幸福の4階建て論に疑問が残っていたが、これを読んで、成るほど合点が いった。著者が、この論を知っていたかどうかは知らないが、克服できない 不幸も、見方を少し変えると、こうも違って見えてくる。3年前の節目も、 実際に経験をしてみて、それまでとは社会と人間が違って見えてきたのに 驚いている。死を悟った時とか、克服できない苦難や悲しみの中にこそ見える 様ざまな感動が、人生観を変える。逆に、ただ、思い込みの壁で、物事が全く 見えてない人と、過っての自分の姿が見えてくる。漆黒の闇の中こそ光は輝く! ふと気づいたが、4F説の、1階が壮年までの生、2階が老年、3階が病気、 4階が死ぬまでの葛藤?で、屋上は死、自分から解放された無限世界! (一言多いが)平屋もマンションもある・・・ ・・・・・・ 4546,閑話小題 ー小学、中学校の同級会で、どうしてるの? 2013年08月27日(火) * 小学、中学校の同級会で、どうしてる? 数ヶ月前になるが、家内が真剣な顔で、「中学の同級の女子会に初めて出席 するけど、会社を興し、ワンマンで好き放題のアナタが、話題が合わないはず なのに、何時もどうして時間を過ごしているの?」と、聞いてきた。 それに対し「殆ど毎年、出席して30数年、慣れがある。相性の悪いのは近くに 来ないし、最初の30分さえ過ぎれば『場』が出来るので、それまでの我慢。 早めに酔ってしまうのがコツだが、気を許さないで悪意の話に乗らないで、 ただ黙々と酒を飲む。話題が合わないのは当り前と割り切っている」と。 「それにしては、毎回、いそいそ行くじゃない」というので、 「小中高校の集まりは魂の故郷。合う合わないでない。魂の故郷の温もりを 味わうだけで充分良いもの」と。地元受験高校から、女子短大を卒業して、 実家の取引先である上場メーカーのオフィスで、丸の内勤め二年をした後、 結婚先は実家同様、お手伝いがいて(10年前まで)、今だTVドラマと、 現実の境目が分からない人が、40年、柏崎の世界で地道に生活している人と、 この年齢で出席してかみ合う訳がない。 で、家内が柏崎から帰ってきて、 「どうだった?」に 「・・・・・」。何があったか黙して語らず。 時間が経つと出たくなるのが同級会、それが魂の領域であるため、 が分からないようだ! で、暫くしてから「二度と行かない!」 * ビデオカメラから覗いたロス市警警官の日常 先週の金曜日に上映時間が変わっていたため見れなかった 『エンド・オブ・ウォッチ』を、昨日午前に見てくる。 (番外は、年に2〜3回はある)ロス市警のコンビの警官の勤務をリアルに 浮かび上がらせている。その手法が、車の中のビデオカメラと二人の警官が 胸に遊びで付けた?小さなビデオカメラで映し出す手法。それが臨場感があり、 ロス警官の日常勤務に観客を引きずりこむ。更にギャングにも、グループの 一人が悪ふざけでビデオカメラで撮影している設定をしてあり、その目線も 重なっている。それがリアルで、次の瞬間何が起きるか恐怖が先にたつ。 観客目線より、主役と脇役それぞれの役割目線のアングルが良い。 ロスのサウス・セントラルでは、年間10万件、5分に一度の割に事件が 起こっている全米最悪の地域。 特にメキシコ系と黒人系のギャング争いを リアルに映し出しているが、それが恐ろしい限り。その中で、二人の警官の 生々しい、ビデオレポート風の映画とすれば・・ Googleが、眼鏡フレームに ビデオカメラを付けたものを実験販売をしたが、映画も、個人目線の映像が 交差する物語が多く出てくることになる。これは、そのハシリということか。 Youtubeのようなサイトから、面白映像が溢れかえる流れが激しくなる。 次にどのような端末が出てくるか、楽しみである。 ・・・・・・ 4171, 閑話小題 ーつれづれに 2012年08月27日(月) * つれづれに このところ尖閣諸島、竹島や北方領土に、中国、韓国、ロシアが意図的に 仕掛けてきている。現在の首相がレイムダック状態で、組みやすいタイミング とみてだ。しかし日本にとって、沖縄米軍基地問題の中、その存在を考えるに 丁度良い問題。関連している各国全てが良い上に、国民の目をそこに引きつけて くれる。もう直ぐに、中東で決定的な何かが起こすための目先の意図的な小競り 合いの要素がある。 中国は権力の移行期における軋轢が起こっている上に、 景気は減速。韓国は、現大統領の側近が収賄などで次の選挙に立候補さえ出来ず、 失職後に恒例の暗殺か、自殺?か、逮捕劇が待っている。極東も不安定状況に なってきた。 アメリカの穀物が異常気象で干ばつというニュース。 深刻なら経済が一挙に際どくなる。一昨晩のBS/TVで、欧州の経済不況の現場を 特集していた。スペイン移民が住宅ローンの破綻で、家の明け渡しのトラブル とか、アルゼンチンにUターンをしている事例とか、深刻な内容。 5年、10年後の日本の状況である。 * iPad導入、一年 去年の8月25日にiPadを購入して一年になる。当初の熱は冷めたが、 使い勝手が良いこともあり、今では必需品である。居間と書斎に卓上型のiMacを 置いているが、居間のPCは家内が専ら使って、そこで私はiPadを使っている。 TVに飽きたり、コマーシャルの間、ネット・サーフィンをしたり、本のチョイ 読みが専らである。気楽に自由空間を飛びまわっている感覚が良い。 電動アシスト自転車が三年、未来型TVが二年、iPadが一年。 それぞれ大きく日常の生活を変えてくれた。 新しいツールが、 日常を大きく変えている。 馬鹿になっているだけだが! ・・・・・・ 3806, 哲学人 ー� 2011年08月27日(土) * 歴史の知識が、物事の理解の仕方に及ほす影響 ー「哲学人」ブライアン・マギー著より 【 歴史の専攻に費やした五年間(パブリック・スクールでの二年間と大学での 三年間)は、一般的な遺産をひとつと、個別的な遺産をいくつか残してくれた。 一般的な遺産として私の頭のなかには、古代ギリシャかち現在までつづく西洋の 歴史に関する概略的な知識が残った。こうした知識は習得に数年間の研究を 要するので、当然たいていの人は、いや、高学歴の人でさえもっていない。 物事の理解の仕方へのこの知識の影響は根深いらしく、私の考え方には、対象が 音楽であれ、演劇であれ、政治であれ、哲学であれ、ともかく決まって歴史的な 側面が認められる。私にはあらゆるものを、その成り立ちや今後の展開といった 観点から眺める傾向がある。また、過去の人物をより広い文脈に置く傾向もある。 そうやって、その人々が住んでいた社会の様子や、彼らが活動していた当時の 状況、その時代にはまだ起きていなかったこと、彼らが知リえなかったことなど を認識するのである。さらに私は、現実が絶えず変化しつづけることを踏まえ、 ‘現在には特別扱いすべきところなどない’とわきまえている。 いま起きていることには特別な重要性がある、そう思いこんでいる人が大勢いる ようだが、私はそうではない。過去全体がいまへとつながっているのであって、 かつてのどのいまとも同じように現在は一時的なものであり、ときに総体として の過去のなかの一瞬にすぎなくなることを私は知っている。過去、現在、未来を 問わず人は誰しも、複雑で途絶えることのない大きな歴史の流れのなかの任意の 時点に人生をはめこまれるのであり、その歴史の流れは絶えず変化し、各個人の 死後もつづいていく。その流れのなかに、ほかと比べて特権的な時点などなく、 ほかより多少なりとも絶対的な時点もない。こうした思いが私の骨の髄まで染み こみ、芸術と知的生活のどちらに対する態度にも行き渡っている。】 ▼ ついつい我々は、「自分の生きてきた時代を特権的かつ絶対的な時点」 と思い込んでしまう。それが自分が生きてきた時代という理由だけで・・ しかし過去を振り返れば、長い歴史の中の一コマでしかないは明白である。 従って、日本史や、世界史を何度でも読み返し、自分の置かれた時代を冷静に 見つめるため、地球儀と世界史の本を身近に置いておくべきである。 グーグルアースとは別に。 ・・・・・・・ 3441, 政治談議 2010年08月27日(金) * 小沢一郎が、民主党党首に立候補 日本の歴史始って以来の危機の時期に、小沢が立候補を決断をした。 この恐慌を乗り越えるには、自民党、民主党という枠を超えた大連合しかない。 その断行は待ったなし。管首相以下の三人が政権運営維持、難局に対処出来る など考えられない。面白いもので、小沢が立候補のニュースをみた直後、 月刊誌の「現代・プレミアムーノンフィクションと教養」を手に取ると、 週刊文春などの編集長などをいていた花田紀凱が小沢一郎批判をしている文に 行き当たった。田中角栄直伝の集金システムの手法は、そのまま続いている。 ここで、1993年、小沢が新生党を結成した時に立花隆が朝日新聞に痛烈な 批判の文章を取上げていた。 (字数の関係でカット09年8月27)
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2016年08月26日(金)
* 幸・不幸の実相 10年位までは、青少年向きのテーマとして、その話題は一般的に避けられて いた、幸福論、不幸論が表舞台に出てきた。世界的に政治・経済の停滞が、 起因している。 同じ人生で、これほど違うかと思うほど、孝・不幸の差がある。 よくみると、その差は親の愛情と、教養の差にあるようだ。 人生の甘味、辛さも一通り味わったつもりだが、孝・不幸は、自己責任と、 痛感する。要するに、幸・不幸は起こってしまった現実の解釈と、受容の人生 への姿勢にある。それは長年かけた心のベースから派生する。それが稀弱な人は、 目先に動転、その責任を外に求めてしまう。自分の足で、地べたを踏み込むことが、 出来ないため、同類合い哀れむ群れで屯するしかない。こういうのを蓄群というが、 群れることで、己の思考を放棄するため、 何が問題かを知ることができない。 そして「残念な人生」をおくる。その自覚さえないから、それは「残念な人生」 ではないのだろう。 という論も、羊の群れを馬鹿にする山羊? でしかないが。 ―― * オリンピックも終わって リオのオリンピックが、先日、終了した。 メダルの数からして、今回の オリンピックは、丁度良い塩梅の数。何はともあれ、テロが起きなかっただけ でも、良かった。 次は2020年の「東京オリンピック」に向けて動き出す。 目安は金メダルが25個辺りか。オリンピック委員会も、開催国に金をもたらす 追加種目を宛がうのは周知のこと。 4年後は、世界はテロや戦争で、混乱が 激しくなっているはず。 テロの効率からみて、ISに狙われて不思議でない。 私の寿命は、その辺りと設定しているので、健康状態で迎えられるかどうか。 冬季(12月〜3月)を除いて一日、3時間は運動をしているが、問題は酒量。
・・・・・・ 5277,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー① 2015年08月26日(水) ーその時、言葉は私の「神」となる (新潮45/6月号) 〜心肺停止になって考えたこと! * 人生の価値とは何か 生死の境目で、彼女(中村うさぎ)は大きく変わった? 『何を成し遂げたかでなく、如何に生きたか』というが、実は人生は、 『何を成し遂げようとして如何に生きたか』である。ただノンベンダラリ という生き方も、あるとしても。同じ人生なら、何かを目指し、問題解決を し尽くし、燃焼した生きかたを私は選ぶ。女無頼派作家が心肺停止で見えた ことは・・ 挫折、問題こそ価値の源ということ。 〜その辺りから〜 ≪ 我々はそれぞれが自分なりの方法で己を表現しながら生きている。 そもそも「生きる」こと自体が表現なのである。どう生きたかを見れば、 その人物の価値観や世界観がわかる。生きていく過程でどんな選択をしたか、 何を大切にし、何を捨てたか。その選択や行為によって形作られていく人生 こそが、その人の作品なのだ。 むろん、本人が作りたいと望んだ作品と出来上った作品は、似ても似つかぬ ものになっていることもあるだろう。さまざまな要因によって人生はその形を 変え、思いも寄らない方向に転がっていったりするからだ。 それゆえ多くの者は、人生の後半において「こんなはずじゃなかった」と 臍を噛む想いに打ちのめされる。だが、それでもその人生は、「私の作品」だ。 不可抗力的な外的要因で捻じ曲げられても、そこで我々が下した判断や選択は、 まぎれもなく我々自身のものだからだ。ままならないことも含めて、「人生」 である。そして、その「人生」は、よくも悪くも、我々自身を見事に反映して いるのだ。 私の人生は、私そのものである。 このように考えると、「いかに生きるか」という問題が我々にとってどれだけ 重要であるか気づかされる。組織内や世間の評価を得ることに血道をあげようが、 世間に背を向けて自分だけの世界を作り上げようが、それは各人の自由であるが、 その目標のためにどんなことをしたのか、己の中のどの欲望を優先したのか、 その欲望を自分自身がどこまで明確に把握していたのか、そこが問われることに なるのだと思う。 己の人生を「いかに生きるか」に、我々は責任を取らねば ならないのだ。・・(略) どんな人生であろうとその人にとってはかけがえ のないものであるし、何の業績も残さずとも本人か精一杯生きれぱ、そこに必ず 価値が生ずる。問題はその人が何も考えずにだらだらと生きたか、己や他者や いろいろなものと格闘しながら悩み苦しみ葛藤を繰り返して生きてきたか、だ。 たとえ挫折や失敗ばかりの人生であったとしても、その挫折や失敗は絶対に 無駄ではないのだ。そう、そこには必ず意味も価値もある。 「何を為し遂げたか」という結果ばかりに目を奪われて「どう生きたか」という 過程を見落とすと、この世の多くの人の人生は無価値という結論になる。 何事かを為し得る人間など、ほんのひと握りだからだ。そのような価値観で生き ていたら、「結果を出さなきゃ自分には価値がない」という強迫観念の虜となり、 己の人生を正当に評価できなくなるのではないか。若い人の悩みを聞いていると、 多くがこの強迫観念に取り葱かれていて、「何者かにならなくちゃ」 「何事かを為さなくちゃ」と焦っている。まあ、若いうちはそういう悩むのも ひとつの過程と思うが、彼ら彼女らにいずれは気づいて欲しい。 何者にもなれない人生、何事も為し遂げられない人生にだって価値はある、と。 人生は結果ではなく、そうやって答を探して長い長い旅をする、あなたのその 足取りこそが貴重なのであり、その過程の積み重ねがあなたにしか生きられない この世で唯一無二の人生を形作っていくのだ、と。≫ ▼『ご覧のとおり、そのまま、結構!』を、4年前の事業断念時に自分自身に 対して言い聞かせていた。バブル崩壊が、どれだけ大きな経済敗戦だったかを 見抜けなかったことが、ある。 盤石と信じていた事業が根こそぎ崩壊するのも、 一瞬の出来事。更に同時進行の情報革命も、大きな要素に加わる。 これに9・11テロ、リーマンショック、3・15大地震なら、仕方ない。 面白かったから、まあいい、と思えるのは、何とか避難が出来たから。 『総括として、面白かった!』という実感は、何ものにも代えがたい。 ・・・・・・ 4912,世界の美しいさを一つでも多く見つけたい ー4 2014年08月26日(火) * 現場の壮絶! 内容は 題名とは程遠く、映画や小説でさえ描写できない現実の凄みがある。 デジタル機器の進化で、生首を刎ねる写真や映像などがネットで流される。 臨検など今では無理。それにしても、このルポは、凄惨で、これが現実である。 ーその辺りからー ≪ 話を聞いてわかったのは、LRAの兵士たちのあまりに残忍な行動でした。 彼らはまず戦力を増やすために村を襲い、食糧や金品を略奪します。 そして村人の中から子供を選び出し、彼らに銃を突きつけて自分の親や兄弟を 殺害させる。「この場で親の首を切れ。そうしなければ、おまえを殺すぞ」 そう脅して無理やりやらせるのです。家族を殺した子供は、村で生きていく ことができません。兵士はそんな子供たちを連れ去り、部隊の兵士にする。 家族を殺させるのは、子供を村と決別させ、殺人マシーンにするべき通過儀礼 のようなものなのです。子供たちは部隊に入った後、全員が従順に兵士として 生きるわけでありません。途中で逃げ出したり、命令に従わなかったりする こともあります。そんな時、ゲリラ兵は見せしめのために裏切った子供たちの 鼻や耳、それに唇を切り取ったりします。人間には見えないような容貌にする ことで恐怖心を植え付けるのです。おそらくこうした事実だけ見れば、私は LRAのゲリラ兵を「鬼南のような兵士」として描き、彼らにつかまって兵に させられた子たちを「悲劇の被害者」として描いたはずです。でも、さらに 調べていくにつれ、違う側面があることもわかってきました。 LRAの子供兵の中には、誘拐されて兵士になった子以外に、自分の意思で自ら 兵士になった子もいるのです。貧しい農村で一生暮らすことが嫌になり、銃を 持って略奪をして暮らしをしたいと思っている子供、銃で人を殺して出世する ことがカッコイイと思って参加する子、もともと反社会的な人格を持っていて、 それがエスカレートして、兵士になることを望んだ子供がいるのです。・・≫ ▼ これに匹敵する残虐行為に、ドイツのナチと、カンボジアのポルポトに よる数百万単位の大量殺戮がある。北朝鮮も一歩内部に入れば、このような 弾圧が現在進行で行われている。中国文化大革命では1千万〜5千万人が虐殺 されたが、詳細は隠されている。25年前に桂林に行った時の現地添乗員が 『文化大革命時には、この辺りは死体の山だった。それが全国の各村で同じ ように・・・』と、何気なく話すのを聞き耳を疑った。当時は、日本国内では タブーで、現地であればこそ聞けた話。 島国で、海で外界から守られ、 平和ボケの日本。グローバル化は、その平和を儚くも砕いてしまう。 憲法を変えるのは当然のことだが・・ この国では無理? 〜 また偶然だが、以下の二年前の随想日記に続く! 〜 ・・・・・・・・・・・ 4170, 金正日の料理人 2012年08月26日(日) * 若きドン様の親の敵討ちは残酷! 何気なくTVをみていたら、北朝鮮の金正日の元料理人が出ていた。これが 漫画的ドラマ仕立。その男が、「金正恩に招待され北朝鮮に行ってきた内容」 で、金正恩や、そののファミリーと食事をした写真があった。 父・金正日を 裏切り逃げ帰った過去全てを水に流してくれた温情深い現在のドン様に感激 している、という筋書き。その日本人は現地に妻と二人の子供を残してきたが、 正恩の計らいで残留家族と対面した。ところが、「料理人の長男が、再会した 二週間前の夜半に苦しみだし、両手を三回突上げ絶叫し、亡くなった」という。 心臓発作だった。 『呼び出しに応じたのを確認したと同時に、長男を毒殺し、家族に会わせて、 その事実を知らしめ、今度は長女を殺す、という脅しをかけ、北朝鮮の メッセンジャーを暗に強要している』のは誰の目にも明らか。その後、妻と娘 を残して帰国し、TVに出演したのだが、その筋書きをキャスターに指摘されると、 「そうであっても、それでよいと思っている」という返事。北朝鮮に愚弄されて いる姿が、そのまま出ていたが、陰湿で残酷な仕打ちのドラマ仕立。 リアルで現在進行中のため、料理人が翻弄されている姿が痛々しい。 独裁国家のドン様を裏切り愚弄すると、このザマになるという残酷ショー。 これは北朝鮮が茶の間に直接日本愚弄のメッセージをしてきたことになる。 逆にみれば、この程度の連中でしかない。マスコミが、料理人を抹殺するか、 パンダとして利用するか、パンダ利用になるのだろう。現地の家族が本当に 存在していたのか、そう持ちかけられたのか、本人の作り上げた物語なのか、 色いろの仮説がたつ。コミック漫画の悲劇、喜劇? くさい話だけは確かだが。 ・・・・・ 4545, 閑話小題 ー夏対策 2013年08月26日(月) * 暑さ対策! 居間、寝室では扇風機で冷をとるのが基本。しかし30度を超えるとクーラー を付けるが、今年は、その頻度が多い。扇風機の場合は、補助として保冷剤の 入った首巻きを三つ冷凍庫で冷やし一時間ごとに入れ替える。これが効果がある。 更に先日、寝室用に保冷枕を購入し使い始めたが、これも良い。 冬生まれもあって夏の暑さには特に弱いが、それでも、いざとなればクーラー があるという余裕があるから出来るのだろう。 * 業種店が、新規出店? 車で二分ほどの三沢のSCの運動ジムに週五日通っているが、道路一つ隔てた 敷地に2Fの建物の鉄骨が立ち上がってきた。3〜4ヶ月前に「地元のスポーツ店 が、東バイパス出口に出店!」という新聞記事を見ていたので、着工と同時に、 これでは?、と思っていたが、先日に家内から、それが地元スポーツ店と 知らされた。地元のスポーツ店も典型的な業種店。自然消滅は時間の問題と 見ていたが、それが新規の出店とは意外! 家内が言うには、「近くに高校や 中学が多いので、運動着やスポーツ用品が学校単位の需要があるのでは?」。 家内の方が、よほど世情に詳しい。全国チェーン店が捨てた(地元しか手に 入らない)インサイダー営業が存在している、ということ? としても、 私には疑問が残るのは、私がアウトサイダーのため? それとも、幾つかの SCの重なっている郊外の一等地で、大手のスポーツチェーンに囲まれ苦戦。 その原因が業種店の限界と知らず、スポーツ店の無店地帯の東バイパス地区に 移転で起死回生を図るためなのか?としたら・・ 最悪のケース。 常識的にみれば破滅行為!しかし、街中から移転して20年?近く、ブランド物に 的を絞り、営業では学校関係に地道な営業努力の結果、二店目の出店に至った? と、考えるしかない。立地センスは最適だが、黒鳥の舞降りる中で、どうなる? 毎日のように、窓から見えているので書いたが・・ 更に最悪のケースは、 順調な数字を上げていて、移転でなく拡大としての二店目の場合。 恐ろしいのは二店目の甘い計画。 ・・・・・・ 3805, 哲学人 ー� 2011年08月26日(金) * 学生時代の恩恵 学生時代の恩恵は、現在でも大いに実感している。もしも学生時代に一度、 頭を粉々にしてなかったらと思うと・・ マギーは、ここでイギリスのエリート 学生の内面を正直に書いている。哲学と芸術の長い歴史が大学にあり、そこの プログラムを学生はこなしているのである。都市には、美術館があって歴史的 名画を身近に見ることができる上に、コンサートも子供時代から親から連れて 行ってもらっている。 教養のベースが、風土の中に染み付いているのである。 ー「哲学人」ブライアン・マギー著よりー 【 結局、大学が知性という面で私にしてくれたことの中で一番肝心なことは、 知的価値が芸術的価値とは独立して存在しているということ、そして、知的 価値に関心を持つように仕向けてくれたことである。 一年目には、理知的で 気の合う仲間の中に、他にもまして知的な価値に傾倒している人がいることを 知ってカルチャーショックをうけたことである。彼らとの交流のかなで、 そうした価値を自分なりに受け入れられるようになるに三年目まで待たなければ ならなかった。そのおかげで、知的価値は私にとって欠かせないものとなり、 私の人生と考え方に色褪せることのない彩を添えてくれた。 ちなみに、私はこのような経験をしたおかげで、一部の聡明な人々に対する 理解を深めることができたのではないかと思っている。それは、さまざまな 理由から大学教育を受けたことがなく、そのためにこういだ経験をしていない 人々についてである。そういった人々がどんなものの見方をするか私はわかる つもりだし、彼らの身になってみることもできる。 ひょっとしたら自分も 同じ立場になっていたかもしれないからだ。 正式な教育は、世界というものが 個人の見解や意識や関心や想定の単なる拡張ではないという考えを育むよう 仕向けてくれる。これは正式な教育が授けてくれる最大の恩恵である。 当然のことながら、こうした教育は他者の助けなしにできない。他者は私たち 個人をしばっている拘束をまぬがれているからである。けれども、ここから 導かれるのは、独学の者は生半可な教育を受けた程度にしかなりえないという、 残念だが逃れようのない事実である。 オックスフ・オード入学当時の私の 考え方にはっきりいって欠けていたもののうち、最も重要だったのは、その後の 経過を考えると、哲学ということになる。 人間の関心事の中で最も価値が あって大切なものとして、哲学は確かに偉大な芸術に近い水準に達しているし、 その理由も似通っているように思う。どちらも、人間が到達しうる最も高い レペルで真理を探究する活動である。どちらも物事の本質を、つまり存在の 根源的な神秘を探ろうとしている。それを果たせないとしても、人間の理解 に限界があるせいにすぎない。ショーペンハウアーが述ベているように 「芸術家が具体的に行なっていることを、哲学者は抽象的に行なっている。」 哲学者は自分の意見を概念で表現するよりほかなく、そして概念というものには どうしても一般性がつきまとうため、哲学は芸術ほどの深みには到達できない かもしれない。だがその一方で、哲学にはできても芸術にできないことがある。 アイリス・マーギックは「よきにつけ悪しきにつけ、芸術は哲学より深い ところに達する」と語ったが、哲学には芸術よりすぐれた面がいくらかはある という意味ではそのとおりであるし、全体としては芸術に及ばないという 意味でもそのとおりである。】 ▼ 芸術と哲学が教養のベースであるのは今さらだが、マギーの、このような 文章を読むと、より芸術に触れておくべきだったと実感する。 芸術作品は、 作者の魂そのもの。それぞれの時代が生み出した人物が全霊を捧げて、作品の 中に魂を入れ込んだ名作である。それに直接触れ、感動するのが一番、人間の 魂を高めることになる。そのためには時間をかけて対象と向き合うしかない。
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2016年08月25日(木)
* 通っているジムが活気づいてきた 駅東口の、ダイエーが入居していたビルの最上階にあった、ジム最大手の 「コナミスポーツジム」が7月末で撤退。大量の難民?が、歩いて15分の 私の通う「ホリディ」に移動してきた。 何か「ホリディ」とは人相が違う、 街中の衆という感が強い。 不景気もあってか、ジムの経営も大変のようだ。 但し、「ホリディ」は、最新の施設もあってか、会員数が安定している。 人気の「ヨガ」エアロが常に満席。 競合対策で?「平日・昼間会員」枠で、 二年前まで週に3回だったのが、現在は6回に増えている。 増えた枠は、 外部のヨガ専門の先生だけでなく、エアロのインストラクターが、見よう 見まねの指導を始めたが、それはそれなりに? 時に週4回参加もあるが、 週3回が私には最適。 4年半も続けた結果、腰痛からくる腰の重みが、 かなり軽くなっている。 これで、3〜4割は増えたようだ。これは大きい! ところで、スポーツジムの大手は、どうなっているかと検索すると、 最大手の「コナミ」が750億円。次が「セントラル」が半分近くの500億、 「ルネサンスが420億」、「ホリデイ」が10位で100億。それぞれの戦略を 持っている。 「ホリディ」は<初心者向け>が売り。 平成26年のフィットネス業界の数値は次のとおり。 市場規模:4,316億円 施設数 :4,375軒 会員数 :4,193,706人となっています。 この数値を元に推計すると、1施設あたりの年間売上高は約1億円。 会員数は約1,000人になる。「ホリディ」は私の推測だが1,500〜2000人、 売上は1億2〜5千万。 コナミ撤退もあって、地域NO1。 こういう装置産業は、後だしジャンケンが勝つ。 満足度90点。 まあ、日々、お幸せなことで!
・・・・・・ 5276,閑話小題 〜静かなる恐慌が表立ってきたか 2015年08月25日(火) * 株価、世界同時安が ここで、世界は静かな世界恐慌に既に入っていると、くり返し述べてきた。 リーマンショック以来、アメリカのドルの供給量が三倍。円は二年前の二倍に なったが、ドルの為替値は、変わらず。円は、三分の二になった。 こういう歪な不自然なことには自然淘汰が、起こって当然である。 その発火点が中国か、ギリシャか、日本か、北になるのかだったが。 「暴落しそうな企業は、株式市場での売買停止が可能」とは、知らなかった。 これでは、国内外の投資家は、引くのは当然である。私のHPの内部検索で、 去年春に、以下の内容が出てきた。我ながら真面目なものだ。 ≪ 2014/02/10 閑話小題 〜時どき、10年前から現在を振り返えり〜 * 時どき、10年前から現在を振り返えって見えてくるのは! 株式のチャート見るように、その時どきから、5、10年間を振り返えると 思いもよらない事件に遭遇していることが分る。では2004年2月〜2014年2月 まで、何が起きたか?を調べると想像を絶することばかり。 先の10年間は、 これらより遥かに大きな自然災害と経済震災に遭遇することになるが、 これだけは起きてから分かること。 時系列であげると! ・2004年に、中越地震とスマトラ沖地震、 ・2007年に、中越沖地震、 ・2008年には、ミャンマーでサイクロンで死者・行方不明は13万4千人以上。 5月12日- 中国で四川大地震発生。M8.0、累計で4千万人以上が被災し、 6万9千人が死亡。米国でリーマンショックが発生。 ・2008年9月15日 − リーマンショック ・2009年1月20日 - バラク・オバマがアメリカ合衆国建国以来、 初の黒人大統領とし第44代米国合衆国大統領に就任。 ・2010年には、チリとハイチで大地震。ハイチでは30万以上が死亡。 ・2011年に、東北大地震で2万人近くが亡くなり、福島第二原子炉が破壊された。 チュニジアのジャスミン革命が各国に波及し、アラブ各国で独裁政権に対する デモに発展。エジプトでムバーラク政権が崩壊、リビアでNATOが軍事介入し 半年間の内戦の末にカダフィ政権が崩壊した。(アラブの春)アルカーイダ の最高指導者とされるウサーマ・ビン・ラーディンが、パキスタン・ アボッターバードにて米国の特殊部隊との銃撃戦の末に殺害される。 ▽ 東北大地震の直後、私の事業もあっけなく消滅。 時系列でみると、 10年前に、こんな予測をしても誰も信じない。が、現実には次々に起きている。 とすると、2014/02〜2024/02年は、さらに大きな自然震災、経済災害があるはず。 それを前提に対策を立てておく必要がある。まさか地元の中越地区に二度も、 大地震があるなど思いもよらなかった。いま考えられるのは、首都直下型地震、 南海トラフ地震、富士山の噴火の可能性が高い。また静かな世界恐慌?が 表立ってくるのも自然の成りゆき。その中で、情報革命が劇的に進んでいる。 パソコンがスマフォや、タブレット型に収まるとは、当時は考えられないこと。 次の10年は、メガネ型、腕時計、ジャケットなどの身体の一部になる装着式。 危険な大震災の可能性と、反面、面白い時代になる。ブラックスワンがいるが、 大部分はホワイトスワン。 私個人としてのブラックスワンは、「死」。 5分5分、いや6分が到来? で、その日のための予習を楽しんでいる。 一応、やりたいことは、やり終えた実感は、小さい範囲としても、気が楽。 それも吹っ飛ぶのだろうが。 ≫ 〜以下は、2015年8月25日・記 ▼ 後記)中国のバブル経済の崩壊は、世界恐慌が表立ってくるのか、どうか? 見ものである。一線に立っていれば、由々しき出来事に夜も眠れない? 昨日の夕方、NHK:BSで、『中国の製造業崩壊現場』を、再放送をしていた。 人件コストアップのため、カンボジアに工場移転をしたところ、カンボジアも 人件費が高騰し、人民レベルの質の問題もあり、当てが外れたという内容。 中国経済と、その株式市場の崩壊の影響は、リーマンショックとは、 レベルが違う! 一年、二年かけて、世界の株価が、現在の半値か、 3分の1の可能性もある。目先は、一時的には平成を保つとしても・・ ・・・・・・ 4911,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー50 2014年08月25日(月) * 総括の総括 ー小さな物語のまとめー HP内検索で調べてみたら、2年半前の春先に『事業生活39年の総括』 『シングルイン、31年間の総括』と、二つ似たようなテーマで7〜10回 シリーズで書いていた。しかし、それを全く忘れて、これを書き続けた。 45年と、6年〜14年間延びた分、今回は準備期間の15年間を重点的に 書いてある。(重なりが多いが) 無事、ハッピーエンドで事業が終わって いたら、在り来りの成功物語でしかないし、この3つのシリーズは書くことは なかっただろう。この結果なればこそ物語を再編成をしなければ、45年間を 受け入れることが出来なくなるためだ。創めるまで、こんな準備をし、半狂乱? になって全てを注ぎ生きてきた。それぞれの場面には、それぞれ多面性があり、 重く、複雑な問題が、次々と生じてくる。 時には、直ぐにでも投げ出し、 逃げたくなるような、ドロドロしたものが覆いかぶさる。しかし、重みに 耐えているうちに、それは何時の間に解消していることが多い。そこに必死に 立向かっていた自分が間違いなく、いた。この物語を語らずには、死ぬに死ね ない思いがある。これは誰の人生でも同じ。 書き残すか残こさないかである。 書き残せば、遺言にない、かつ自分への弔辞にもなる。 『ご覧の通り、そのまま結構!』で、これ以上でも以下でもない自分の姿が、 そのまま現れ出ている。私生活では、読書、ウォーキングかポタリング、 事業、秘境ツアーが大きく占めている。 素晴らしい仲間に恵まれ、何とか、 ここまで辿り着いたが、結果は?? それでも、悔いは少ない。 10数年前のつくった辞世の句?『有難う 面白かった 悔いは無し』がある。 「遊び、学び、働き、ぼんやり(中空)」と分け自己満足度を総括をすると、 遊びー80点、学びー80点、働きー40点、ぼんやりー80点。平均で70点。 甘いのは分かってはいるが! バブルと、その崩壊に対する認識の甘さが、 働きの自己評価を大きく下げてしまった。それもひとつの小さな小さな物語。 手がけたホテルを一つの生命体とすると、「新しい経営陣と、前オーナーと 管理者の総入れ替えと、借金の6割カットのリストラ」になる。 新潟駅再開発で、二つのホテル棟が買収が予定されているため、何とか、 それまで持ちこたえれば採算に合う?という思惑があればこそ、新オーナーは、 決断したのだろう。問題は、経営母体の体力になる。私は、20年かけて、 衰弱をしたが。このシリーズ、今回が一つの区切り。あとは、「つれずれに」 で、書き加えていくつもりである。結局は『珍獣』止まりだったが、こんなもの! 別記)『分類』の中の「行蔵ーこんな経験をしてみた」の中に、3つの総括 シリーズが収めてある! 一番、楽しんで読んでいるのが私とすれば、 幸せなこと。癒し、というより何だろう、これ。 ムンクの『叫び』? ・・・・・ 4544, ヨガの瞑想と死者のポーズ 2013年08月25日(日) * ヨガに参加して一年半、経過したが スポーツジムのスタジオでのヨガ教室に週2回、1回につき50分間、 参加をして一年半になる。ジムの盆暮の特別休暇以外で休んだのは7〜8回位 とすると、140回は参加したことになる。毎回、50人の定員はほぼ満席で、 30分前までに行き、参加の予約チップを確保しなければならない。 で、二回は遅れて不参加の事があった。火曜と木曜日の午後で、30代半ば? の女性インストラクターは、それぞれ別。私の見立てで能力、人気も同程度? 2人ともヨガが大好き人間で、それに負けないほど、教えること自体が楽しくて 仕方がないようだ。40坪位のスタジオに50人が一同でヨガをする様は異様 の光景。正面には全面カガミがあり、見た目は100人の姿が視界に入るから、 なお迫力がある。横60センチ、縦120センチ位のフィットネスマットの上で 百種類のポーズのうち、一回につき10数種類はする。そこで言うのは、 「周りの人の視線は無視してください。 マットの上は、それぞれの全宇宙。 独りの世界の入って下さい。他人ではなく自分と向き合って下さい。」と。 スタジオはカーテンで外の光が遮られ、照明を落とした薄暗い中、チャンドラ などヨガの空気にピッタリの音楽が流れ、数分でヨガ世界に引き込まれる。 そこで、直ぐに家で取り入れたのが、瞑想と、死者のポーズである。 死者のポーズは、仰向けの瞑想と思えばよい。仰向けになって。両目を閉じ、 両腕と両足は少し大の字気味に開き、全身の力を抜いて、チャンドラの音に 気持ちを向け、戦場の死者のように横たわるイメージを持つ。 毎回、最後の5〜10分は仕上げに行うが、これが疲れを取ってくれる。 ここで感じるのが「大人数の中の、ひとり」。気持ちの集中で、殆ど他人を 気にすることがなく半睡状態になる。それは、一時間の睡眠の効果に当たる。 仏壇前の、早朝の瞑想は30分、死者のポーズは、やはり午前9時〜20分間、 行う。夜半に目が覚めた時に、大の字になって、気持ちをヨガをしていると 思えば、それをしていることになる。問題は、呼吸を小波、中波、大波が 岸辺に打ち寄せるイメージですること。何事もそうだが、続けること。 この二つだけでなく、他にもヨガのポーズがチョットした仕種の中に入る。 居間でTVを見ている合間に大の字の姿勢で、両手、両足を目一杯伸すとか、 歩いている時に背筋を伸すとか・・・
・・・・・・ 4169, 老年行動学 ー5 2012年08月25日(土) * 老生自覚 「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす 」佐藤 眞一 (著) ≪自らの老いを自覚することを「老性自覚」と呼び、老性自覚には 「内からの自覚」と「外からの自覚」あります。 △ 内からの自覚には、物が見えにくくなったり耳が遠くなったりする 「五感の能力低下」、しわや白髪が増える、歯が抜けるなどの「身体的徴候」、 もの忘れが増えたり、計算が遅くなったり、根気がなくなったりする 「精神的な減退」などがあります。 △ 一方、外からの自覚には、子どもの成長や孫の誕生、配偶者や友人の死、 定年退職、他者からの老人扱いなど、「社会的なできごとや経験」があります。 このような老性自覚は、「老い」にネガティブな意味だけでなく、ポジティブな 意味も感じていた時代には、当たり前のこととして、自然に受け入れられていた のかもしれません。しかし今は、そうではありません。第1章で述べたとおり、 現代人は老いを感じると、暦年齢を主観年齢に合わせるべく、アンチエイジング に励みます。また、身体の状態も75 歳〜80歳ぐらいまであまり下がらずにきて、 最後の数年でガックと落ちるのが今の老人です。日本人の場合、介護が必要に なるのは平均して寿命の1割、7年間か8年間程度なのです。つまり現代の日本人 には、極端にいえば老年期がなく、壮年期のあと直ぐに死と向かい合う時期が やってくるのです。このことは「死に対する準備ができない」ことを意味します。 老性自覚を自然に受け入れ、心も体も徐々に老いていった時代には、 自身が老人になることや死ぬことを、自然に受け入られたのだと思います。≫ ▼ 人は脳卒中や心臓発作などで病院に運び込まれたり、死に直面する病気に 直面し逃げ場のない状態に追い込まれた時や、自信を失ったときにガックと 老いるのである。老人は自分が失敗したことで自信を失うのではなく、周囲が、 それを繰り返し指摘することで生きる気力を失うことが多い。だから周囲は、 これに気づく必要があるが、現実は甘くはない。少くとも服装と言葉と運動量は 注意しておく必要がある。「一年後は無いかもしれない!」を常に意識しているが ・・それでも一期一会の気持が甘くなる。仏壇に祖父の遺影があるが、私より 10歳若い57歳時だが、80歳近くに見える。目先を精一杯生きるしか ないが、果たして死に際、冷静でいられるのだろうか? 充分生きたので静かに逝きたいが、所詮、無理。 ・・・・・・ 3804, iPadを買った 2011年08月25日(木) タブレットPC、来年春のiPad3が出てから買おうかどうか迷っていたが、 思いたったが吉日で、三日前に購入。去年から八月に買うと決めていたが、 この春先の騒動で、それどころではなかった。ここで気持ちも落ち着いて きたことと、「iPadバカ」というタイトルの本を読んだのがキッカケとなった。 そこで実際に手に取ると、成るほど面白い。感想として、これはモバイル携帯 が大きくなったというより、無線のタッチ式タブレットパソコン。 パソコンでゲームをしたことは皆無だが、今度はゲームなどソフトを ダウンロードして、使いこなしてみたい。タブレット(バインダー)で 持ち運びが簡単で、無線であることが、これまでと違った感覚。ベッドや車内 などで、気楽にウェブ上の新聞やニュース、ブログなどを見ることができる。 パソコンの前に座り、電源をオン、ヤフーのHPにアクセス・・ 等々を、 タッチだけで出来るので手軽にネット世界に入れる。しかも板状で、何処へ でも持っていける。 まだ使い始めて数日なので、門前から一歩を踏み込んだ ばかりだが、これは日常の必需品になる。初期投資がゼロ円、ランニング・ コストが5千円が高いか安いかは、その人によるだろうが、新聞を止めて 少し生活を切り詰めれば何とかなる?少し重いのが気がかり。あとは本を 自動的にめくり、スキャンしてくれる器械でも出現すれば良いが。 新聞・雑誌がタブレット式パソコンなどの端末の出現で淘汰されるといわれて いるが、実際に手元に使ってみて、その流れになると確信。先日、近くの ステーキチェーンでランチの写真を撮っていたら、フロアーの女性が来て、 「写真を何に使うのですか?」と、聞かれた。(HPに写真が多く掲載されて いるので、競合店の視察とも思ってもいないはず)「ブログに、気に入った ランチを時々載せているので、これも」と答ると、暫くして再びやって来て、 「店長がブログを見たいので、ブログ名を教えてもらえますか」という。 少し躊躇したが、教えたところ、厨房の辺りから、「出てきた出てきた」 と小さな声。モバイル携帯で早速、何人かで見ているようだった。 そういう時代になったのだ。 薄型タブレット、無線、ツイッターなどで、 誰でも直ぐに情報が繋がると、現実社会の上にネット社会が覆いかぶさる 時代が現実に、こういうカタチでやってきた。 面白い時代である。
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2016年08月24日(水)
<「女はギャップ」名越康文 (著)> * 女の鎧はプライド 〜テーマから離れ、女性の心根を、私の持論で論じてみる。 さてお立会い!〜 ≪「男はギャップ」という切り口で、「若い女性の心の鎧」を脱がせるには、 < 気楽に褒める、安心感を持たせ、優しくすること、身方になること。> 美人ほど、プライドを満足させる言葉や態度で表して欲しいようだ。 鎧を堅くするのは、< 下ネタと、女性蔑視と、嫌らしい視線と気持ち。> 「自分は特別な存在」と心の奥で信じて疑わない。 つくづく思うのは世の中、 不平等に出来ていること。 女性は、価値が外形で決まるから複雑になる。 男としての第一歩は、センスと美貌を褒めること。簡単そうだが、タイミング が難しい。更に、言葉以前に好意を持つこと。 これだけは簡単! そのためには、気持ちが自由であること。 世の中、「不平等で、不自由で、憎しみで満ちている。」その別名が「世間」。 特に、女子供には、強い。 それから解き離れるには、心が、自由で、平等で、 博愛を求めてなくては・・ 自由を求めれば、平等と博愛が希薄になり、 平等を求めれば、自由と博愛が犠牲になる。 博愛を求めれば、自由と、平等のバランスが崩れる。 女の鎧はプライド。このたった一つの拠りどころが、最後の砦。 特に若い時は、自尊心が異常に強い。褒め言葉は、その確認のため、 絶対に必要なこと。ところが、それが意外と少ない。だからこそ、 軽く褒めてやればよい。 まず、一人あたり3回。それがベース。 女性の気持ちをコントロール出来れば、世界を支配できるという。 それほど、複雑怪奇で、得体の知れないのが女心。女性はシンデレラ・ コンプレックスと、ファザー・コンプレックスがベースにある。 現状の世界から、外に連出してくれる相手が欲しいのである。 これは結婚した後も、心の底で燻っているが、その人は現れない。 で、最後は、諦めで、思いの他の人と妥協して、結婚と相成る。 旦那として姉たちの中で一番条件は揃っている姉の一人が、結婚10年も した頃、『今でも、王子様が白馬に乗って迎えに来てくれると思っている』 と、のたまったのを聞いて、思わず顔を凝視したことがあった。 女性にかかわらず、人間は、それぞれが、小さな殻の中で、窒息しそうな 殻の中で、必死に息をしようと蠢いている存在ということ。 ヨガに週3〜4回、 4年半に亘って参加しているが、これは、一時でも、人間の身体に押込まれた 魂を開放しようとする試みでもある。プライドは大事だが、それに囚われる のも、自分を不自由にする。<「掃溜めに鶴」の私。どうすれば開放されるの> が、おんな心の偽らざる本音だろう。 この妄想から、いつ開放されるのか?≫ ▼ 以上! ・・・・・・ 5274,クオリア再構築 ー① 2015年08月23日(日) ークオリア再構築〜島田雅彦:茂木健一郎、対談集ー 森の生活(現役)からサバンナ(御隠居)に移動して、過去を振り返ると、 分岐点の判断に対しての後悔が出てくる。現場では、取り返しのきかない ことや、逆に適切な判断などが、思いやられる。 しかし、現在の私は、 その多くの過ち、成功の結果の現れ。だからこそ面白い。鋭い対話集である。 * 取り返しのつかないことやってしまう現場 ー島田雅彦 ≪ たった一度の過ちが運命を大きく左右する。 タイムマシンで原始時代に出かけ、美しい花を一輪摘んで、現代に戻ったら、 世界は滅びていた、という話があるが、人生も同じだとしたら、身がすくむ。 過去を振り返る時、いくつもの転機があったことに思い至る。たとえば、 妻に浮気がばれた夫は、あの時、携帯電話を机の上に置いておかなかったら、 隠し通せたのに、と考える。大きな契約を逃したビジネスマンは、あの時、 話題を政治に振らなければよかった、と後悔する。事故に巻き込まれた人は、 あの時一本早い電車に乗っていれば、避けられた、と嘆く。 しかし、誰もが占い師ではないのだから、今この瞬間の行為があとで取り返し のつかない事態になると予測することはできない。運命は刻刻変わるので、 その瞬間に正しい未来予測を立てても、五秒後には変わる。まさに、一歩、 一歩が命懸けである。占い師を過信するものは痛い目に遭う、と相場は 決まっている。細木数子もそれを認めるだろう。 ともあれ、時間は無情に先に進む。 迷っている暇はない。 人も歩けば、過ちを犯す。 だが、諦めを知る人には救いもある。 人生にはオプションがあって、挫折すなわち死ではない。 凡庸な人生を振り返る者より恥多き人生を振り返る者の方の回想は甘い。 輝ける栄光の人生には同じだけ恥に満ちている。英雄も凡人も今際の際 では平等だが、凡人にはこんな思いもある。 どうせ滅びるんだから、もっと過ちを犯しておくんだった。 ワルハラの城は炎上し、ライン川は氾濫する。 きっかけはスワッピングと裏切られた妻のヒステリー。 戦争も革命もそのきっかけは感情のもつれだったり、指導者の勘違いだったり。 英雄がしゃしゃり出ようが、凡人がのらくらしようが、歴史は痛くも痒くもない。 愚か者が英雄になり、売れない画家が独裁者になり、アル中の狂信者が大統領に なり、田舎のモテない男が億万長者になるのだから、歴史は長い目で見れば、 万人に平等だ。≫ ▼「輝ける栄光の人生には同じだけ恥に満ちている」が、 「暗い凡庸の人生にも、多くの光が満ちている」。凡庸の人生も、 輝ける人生も、振り返ってみれば、遠くから見れば、砂利の一つでしかない。 とはいえ、人生は生きているうちにある。 ・・・・・・ 4909,世界の美しさをひとつでも多く見つけたい ー3 2014年08月23日(土) 『世界の美しいさを一つでも多く見つけたい』石井光太著 * 「小さな神様から、小さな物語へ」 著者は、東北震災の地で、苦しんでいる被災民それぞれの「小さな物語」 を見つけ出す。起こってしまった現実に対し、自分を納得させる物語でしか 救われないのである。 ーその辺から(P222)よりー ≪ 「私は、夫が家にいた私を心配してもどってこようとして被災したのだと 思っでいます。夫は私を助けようと命を落としたのだと考えたいのです。 消防団員からすれば、「町のために死んだ」と考えた方が死を受け入れやすい はずです。しかし、奥さんからすればそう考えるより、「自分を助けようと 死んだのだ」と思った方がどこか納得できる。「小さな物語」が落としどころ となって前を向くことができるようになるのです。 ―夫は町のために死んだのではない。自分を助けるために家に帰ろうとし 流されてしまったんだ。私は彼女がそう自分に言い聞かせながら生きていこう とする姿を見て、こみ上げる感情を抑えきれなくなった。彼女にとって、 この物語がどれだけ大切なものであるか。それは闇に閉ざされた海に灯る灯台の ようなものです。この光があるからこそ、彼女は闇の中を進んでいけるのです。≫ ▼ 数ヶ月かけ書いてきたー「事業人生を決心して45年の」の語り直しーが、 これに近い。書くべきことでないが、自らを保つため書いてきた。いや、 このブログが、毎日の「小さな物語」。「死んで3日も経てば、300年前に死んだ と同じこと」というが、書き残こせば、痕跡になる。成るほどブログは墓場。 毎朝、過去の10年以上の同月同日の文章に目を通すが、これは過去の自分自身 への墓参りでもある。 ・・・・・・ 4542, 閑話小題 ー種銭の話 ー3 2013年08月23日(金) * 種銭は、まず一億が目安 日経新聞の『私の履歴書』で、誰かは忘れたが、「事業の種銭は一億円。 そして次は三億。何はともあれ、その金額を用意すること。」と語っていた 言葉が記憶に残っている。20数年前のことだが、その間にデフレもあり現在 でも通じる金額。「富裕層=ミリオネア」が金融資産1億以上というから、 これがロットしての目安のラインとみてよい。ミリオネアが、世界では1千万。 日本で190万人が存在するというから、一世帯あたり2・46人とすると、467万人、 総人口1億2600人として、37世帯に一軒が1億円の現金を持っていることになる。 「40軒弱の世帯が一億の現金を、その70倍の2700世帯に一軒が10億の現金を 持っている」と、家内の反応をみたら、「そんなにいるはずがない!」と 取合わない。 地方の最もマイナーの経済地域にいることもあるが、大学の 友人を見ると、有り得ること・・ 33年前の私の創業時の手持ち金額が1億。手持ちの土地が1億で、合計2億。 それに1億8千の借入で、総計3億8千が、最初のホテルの投資額。これが創業 としてのロットとすると、こんなもの。 ホテルは創業は華々しいが、一度、 投資をすると20年〜30年かけ回収する地味な装置産業。結果からして、10年を 節目で売却、転身すべきであった。その辺りが私の限界である。事業年齢から みて30年経過後の老衰死。 残ったのは、家内名義の自宅と、家内名義の 幾ばくかの預金と、何とか人並みに過ごせる?二人分の厚生年金分。 子供が本気で事業を望めば、自宅を売却して何とか・・ だが、子供も家内 にも、「家のために」「自主独立のため独立」とかいう気が全くない。 それより世界恐慌の本番に向け、下手に事業などしない方が得策。ところで、 100億、いや10億の現金があったら、何をしたいか? 今さら、何もない! 50歳代までに遣り尽くした感があるので、今さらハワイかシンガポールへの 移住するのも面倒。京都か、軽井沢近辺に住みたいとも思わない。 あとは人生をスキップしながら、適当に生きていければ充分。 世界恐慌の最中、衰退する地方も面白いと思えばよい。
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2016年08月23日(火)
<「女はギャップ」名越康文 (著)> * 男の鎧とは 図書館の返却コーナーで見つけた本。 著者のいう「男って愚かで臆病で どうしようもなく勝手な生き物」、は本当。 一生、抱え込む可能性があれば、 臆病にもなって当然。 人によるが、8割は、そうだろう。 男女に関わらず、 不特定多数の男性に軽く声をかけた結果が、好かれ、モテるってこと。 「まえがき」にある、<多くの女性がこう嘆きます。 「女から見るとブサイクなアフォ女がモテたり超美人なのに彼氏がいない人 がいる。なぜ?」の疑問に、男は女を「顔がキレイだから」「洋服のセンスが よいから」「お金をもっているから」「セックスしたいから」好きになるわけ ではない。声をかけられた相手にしか、反応できないため。 男は「臆病と気遣い」を、鎧に生きてます。この鎧をはがしてくれる女性たち がモテルわけ。独身時代の女の職場で知ったことは、自信があるのだろう、 美人系の2割が、何事にも積極的で、青春を謳歌していたようだ。 (内容紹介) 「彼氏のいない性格もよい美人」と「アホでもモテるブサイク」。 この差はどうして生まれるのか? それは男の臆病と気遣いの鎧を上手にはがす 「女のギャップ」に答えがあった。人に愛されるためには、美貌もマナーも媚も 必要ありません。心が楽になる恋愛のカタチを、精神科医がレクチャーする。 ▼ この本の冒頭で、図表で、男女別の250人に対するアンケートをある。 ・男性250人に、あなたは「臆病な男」ですか?に対し、65%が「はい」と答え。 ・女性250人に「臆病は男」が、嫌いですか? に、64%が「はい」と答える。 臆病には、男からすると慎重が含まれ、女性からすれば「私を守ってくれない」 が含まれる。このミスマッチを早々、理解した女性に多くの福がくる。 「男の鎧の脱がし方」が、実際のテーマである。そのためは、笑い、質素に、 気楽に、カジュアルであること。 要するにコンビニ、ファーストフードの 店員のマニュアルどおりであれば良いことになる。 手軽で気楽に、清潔感が あって、安価で、笑顔で・・ 大衆食堂よりは、若い男には遥かに良いはず。
・・・・・・ 3802, 哲学人 ー� 2011年08月23日(火) * 驚きを忘れた人々 (P/29より) 【 あらゆる意味とあらゆる目的がこの世界のなかにあリ、価値と道徳は人間に よってつくられる、つまり、価値と道徳は社会的・歴史的に形成されるのである。 真実はミステリアスであるとの意見を『彼ら』は理解できず、それゆえ人間の 経験の意味するところは私たちの理解を超えているのかもしれなといった意見を、 まわりくどい戯れ言(その正体はやはり宗教的なもの)とみなした。 私にとってこの態度のどこがいちばんなじみにくく、理解しがたかったというと、 それは私たちが存在していることに、というより、なんらかのものが存在して いることに驚異(あらゆるものが奇跡にほかならないということ)を感じる 感覚が欠けているという点である。 結局のところ、深く考えなくても、 子どもくらいの思考力さえあれば、私たちの経験のきわめて一般的かつ基本的な 特徴すら私たちは自分では気づいて当然なのに、私がいま述べているような人々は その点を見抜けなかったらしい。ある種の常識的なものの見方がほぼ正しいという ことを自明だととらえているようだが、私にとって自明だったのは 「常識は正しくない」ということだった。あっという間に不可解さと自己矛盾の 泥沼に嵌ってしまうからである。さらに正直に言うと、「『彼ら』は常識的な 世界観を否定することをばかげているとみなしたけれども、私からすれば、 それを容認することこそばかげていた。彼らの見解は、その基盤を顧みない あいだしかもちこたえ代物だった。はなはだ浅薄であったばかりか、支えとなる ものはなく、ぽっかりと宙に浮いていたのである。『彼ら』の見解の根本を 問いただしても、そうした疑問はことごとく退屈で的はずれなものとして 退けられた。世界や経験のさまざまな基本的特徴は、人間の推理力ではとうてい 理解できそうにないという事実に注意を向けようとすると、彼らはこの事実を 逆手にとって、問題を提起することを封じこめた。彼らの望みは、理解できる 事物の領域に自分の人生を閉じこめることだった。最初に挙げたクルーブと比べ ると、わずかながら深遠で批判的でもあったが、結局、両者の態度には多くの 共通点があったのである。大人になるにつれて、世界にまつわる驚異の念にひたり、 世界が差し出す解決できそうにない問題(とくに、時間、空間、物体の知覚、 物体の本質などに関する問題)にのめりこんでいったおかげで、私はまわりの 人たちからやや孤立することになった。こうした問題を語りあえる相手が 見つからなかっただけではない。そんな問題をもち出せば変人扱いされかねない ことを思い知らされたのである。人づきあいをしなかったわけではなく、 人生のほかの局面ではとても社交的な人間だった。昔から友人はいたし、 17歳になって恋愛もした。 パーティが大好きで、熱烈な音楽愛好家にして、 芝居通でもあった。それでも、経験のきわめて形而上学的な次元に心を奪われて いることは、たとえ日々そうした問題に取リ岨んでいたとしても伏せておくべきだ と知った。そんなふうに孤独感を覚えながらも、この問題に取り組んだのは、 なんといってもこの問題が圧倒的に重要であったからだ。私たちの本質や、 私たちが暮らしている世界の本質にとって根本的であるのに、こうした問題に 何故誰も魅了されないのか理解できなかった。頭の良い人なのに、何よりも 重大な問題に暗黙のうちに禁じられているには、何とも奇妙に思われた。 】 ▼ ここで、マギーは「 私にとって自明だったのは、常識は正しくない ということだった。あっという間に不可解さと自己矛盾の泥沼に嵌ってしまう からである。さらに正直に言うと、彼らは常識的な世界観を否定することを ばかげているとみなしたけれども、私からすれば、それを容認することこそ ばかげていた。彼らの見解は、その基盤を顧みないあいだしかもちこたえ 代物だった。」と、述べている。常識は、殆ど正しくないことは、今さらだが、 あえて事を荒立てることもない。私も常識とやらは、ほぼ間違えていると、 この年齢で実感する。考えてみれば「あの人は常識人」ほど侮蔑の言葉はない。 大部分である常識人のいうことを、まともに聞いてきた人生、何だったのだろう。 ・・・・・・・ 3437, 64歳の現時点で、感じること! ー2 2010年08月23日(月) * あと5ヶ月で65歳になるが 65年の人生を振り返ると、月並みだが長いような短いような感じだが、 決して長くはない。アッという間である。家庭に恵まれていたし、時代背景にも 恵まれていた。 満足度は70、いや80点である。明日の金が無くて呆然とした ことも無かったし、人間関係で悩むことも比較的少なかった。また事業を四十年 近く、やれたことが良かった。また装置産業を選択したため、自由時間に恵まれた のが良かった。好きな秘境ツアーも、私の環境=条件内では最大限に楽しむことが できた。 好きな本も充分に読むことができた。 好きな箱物(ビル)造りも、 小規模だが増築を含めると8棟を立ち上げることができた。もっと事業を大きく できたチャンスがあったが、恐慌になった現在、それが良かったかどうか。 第二次世界大戦の終了から、米ソの対立、朝鮮戦争、ベトナム戦争、中国の 文化革命、そして、ソ連と東欧の崩壊、日本の高度成長、バブルと、崩壊、 そして失われた20年という長期停滞。ニューヨークの9・11テロと、 アフガン・イラク戦争。そして、極めつけがアメリカ発の大恐慌である。 それが今後、10〜20年と色いろなカタチで、20世紀的なものや、文化の 破壊がすすむ。65年の人生で、半分以上は成長期の時代を味わってきた。 特に20代、30歳代は、高度成長期にあたっていた。もう日本が、これだけの 右上がりに成長を謳歌する時代は二度とこない。そうこう考えると本当に良い 時代背景だった。情報化社会の到来で、劇的変化を始めた時代の入口を生きている。 その変化は想像を遥かに超えている。毎日が驚きと、感動と、おののきの日々。 それにしても知らないことが多すぎる。 ・・・・・・・ 3062,階級社会だと! −2 2009年08月23日(日) 上流階級?の人が落ちぶれた時に、階級の存在をシビアに知ることになる。 その時のハビトゥス(その人の習慣をつくりあげている文化構造)の崩壊の プロセスを身近で何人か見てきた。その崩壊は人間性の崩壊になる。 階級社会にとって必要なことは、その入れ替えの弾力性である。弾力性が 無くなれば階級社会が自滅することを経験的に知っているからである。 時間軸の長短から考えれば誰もが成上がりでしかない。イギリスは階級制度 のハッキリした国であるが、その入れ替わりには長年の経験上、当然のように 受け入れるシステムになっている。新しい価値をつくりあげれば、その価値 の創造者として認める。日本でも明治時代の伝統で、家柄より学歴を優先する 社会的システムができている。日本の最も優れた文化資産である。 (字数制限のためカット 2011年8月23日) ・・・・・・・・・ 2697, 散歩について 2008年08月23日(土) 散歩の習慣と効用については何度か書いてきた。1月から3月半ばを除けば 毎朝、豪雨でない限り歩いている。もう25年ほどになる。年々少しずつだが 歩数は減っているが、それでも毎朝一時間弱は歩く。 日本人の歩行は、 この三十年で激減しているという。30年前で7000歩が現在では 6000歩弱に、車通勤では、4000歩も歩かない。江戸時代には日本には 散歩という概念がなかった。車がないので、何処に行くのにも歩いていたから、 敢えて歩く必要も無かったようだ。それでも、現代人と比べると3倍から5倍は 歩いていたという。西欧人のように、「楽しみのための目的なしの歩き」に名前 を散歩と名をつけたのは、勝海舟であった。氷川清話には、散歩の話がところ どころ出てくる。散歩の語源は、漢方の言葉で、漢方の内服薬を飲んだあと、 その薬を早く吸収させるため歩くことを意味していた。勝海舟は、外国人が 生活の中に散歩を取り入れているのを見て、心身の健康の効用を看破した。 私にとって、散歩のない日々は考えられないほど、日常生活の一部になっている。 大雨で歩かなかった翌日など、身体から毒素(恐らく活性酸素だろう)が抜けて いくのがわかる。それと、脳の活動が活発になるのも分かる。これを続けて いると鬱病などなる訳がない。早朝に、陽光にあたりながら、鳥の声と、川の せせらぎの音を聞きながら、深呼吸をして歩いていれば、マイナス思考など 出ようがない。最近はiPodでアルファー波のタップリ入った音楽を聴く習慣も 取り入れた。哲学の小道が京都になるというが、決まった道を、他のことを意識 しないですむ道という。ソクラテスではないが、プラトンなどと問答しながら 歩いたのは、脳が活性化するためである。散歩を健康のためとか、考えるため、 というのでは長続きはしない。あくまで楽しい日課の一つとして取り入れて、 スキップするような気持ちで歩くことだ。最近80歳過ぎの少し痴呆症の入った 年配の人が散歩をしている。道に立って、来る人来る人に手を上げて親しそうに 話しかけている。 (字数制限のためカット 2012年8月23日)
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2016年08月22日(月)
<『かわいい自分には旅させよ』浅田次郎著> * オヤジのためのラスベガス 直木賞作家の浅田次郎がラスベガスに嵌り、その内実を書いた内容。 一度、行ってみたかった都市。 数年前に、グランドキャニオン、ヨセミテ、 イエローストーンなど大自然を 楽しむ『アメリカ西海岸国立公園の旅』。 大自然のほかに、ラスベガス・サンフランシスコ などのコース。 ところが出発前日、公務員ストで、急遽、中止のため断念したことがあった。 映画でラスベガスを舞台に多くの場面を見てきたが・・ ≪ ラスベガスのカジノはデカい。「無限」と表現してもいいくらいである。 たとえば今回の取材で協力して下さった「MGMグランド」一つを例にとっても、 総面積4777坪、ゲームテーブル150台、ゲームマシン3073台、だそうであるから、 「見渡す限りの鉄火場」と言ってよかろう。 この種のメガホテルが、 ブルヴァードを挟んでみっしりと建ち並んでいる。この規模はまさに「無限」。 日本人の視野でこれを小さくしてはいけない。常々思うのだが、日本人 ギャンブラーはたいはてい狭い場所に嵌まっている。毎日を旅打ちの気分で、 カジノからカジノへとさすらうのがラスベガスの醍醐味である。 ゲームの種類はあまたあるが、最もラスベガス的といえぱ、やはりマシン であろう。ルーレットやブラックジャックは世界中どこのカジノに行っても 同様に遊べるが、スロットやポーカーマシンを打ち倒すとなれば、規模のある ラスベガスでなければならない。そうした意味から、私は同行者にはたいてい マシンを勧めることにしている。レーティングさえ守っていれば、あんがい 怪我が少いのもこれだからである。 日本人的なレーティングといえば、25セント台、もしくは1ドル台であろうか。 ただし上限は一勝負3000ドルという怪物まであって、こうなると一時間で億の 金が動く。神域のごときハイリミット・エリアでは、このスーパーマシンの前に 座って淡々とゲームを続けるハイローラーの姿を拝むことができる。見ている だけで有難い。 ヨーロッパのカジノではテーブルに根を生やしている私も、ラスベガスでは ほとんどマシン・ギャンブラーである。十年前はおそるおそる1ドルマシンから デビューしたのだが、このごろではハイリミット・エリアの常連になって、 めでたく宿泊代も飲み食いもタダになり、空港までは送迎のリムジンが付く ようになった。 常宿はかつて「ベラッジォ」だったのだが、数年前に 「ヴェネッィアン」に鞍替えした。日本人ギャンブラーが比較的少く、 使い勝手もサービスもよいホテルである。≫ ▼ 賭け事に向いてない私にとって、異次元の世界の話。だからこそ面白い。 日本では、コンビニの売上高より多いと言われているパチンコ店が、郊外に ある。韓国も日本から上陸したパチンコ店も、その熱狂ぶりに、禁止された。 ラスベガスといえば、『ハスラー』など、多くの映画の舞台になっている。
・・・・・・ 5273,「読書の腕前」 ー� 2015年08月22日(土) 「読書の腕前」ー� 岡崎武志著 ー 読書日記 〜 * 本は「即効性のない」メディア 倉庫内の書棚で見つけて再読しているが、HP内の検索によると、 2008年1月31日に一回だけ、書評を書いていた。(後にコピー) 当時、熟読はしてなかったことは、読書日記が一回で終わっていた ことでわかるが、この本、改めて精読すると、なかなかの内容。 ここで、著者は「人間の土台は、『読書』がつくる」というが・・ それにしても、半世紀以上の読書を続けてきた割に、人間としての土台が、 軟弱なのは、20歳までの読書の絶対量が、あまりに少なかったためと、 自覚をしている。 〜その辺りから抜粋〜 ≪ 本というのはじわじわ効いてくる。あるいはそのときには気づかなくても、 後になって考えると、ちゃんと効果があった、とわかる。または、効き目が なくとも、いつのまに溶けて、静かに体内に吸収されてしまっている。 本とはそういうもの。だから、「本というのはもともと不便なもの」だと 北上はいう。 注目すべき発言である。ところが、現代は「不便」を嫌う。 効率や至便性を重んじて、極力「不便」を切り捨ててきた。 その点、本は、いやでも読む場所を固定し、そこに自分の肉体を釘付けにし、 いくばくかの時間を費やさなければならない。「読む」という意志も必要だ。 「不便」なことこのうえない。「そこに便利なものを求めてしまったら、 ものの中身が変質してしまうという怖さがあるでしょう」 北上は非常に重要な ことを、静かに主張している。なぜ、そんなに急ぐのか。なぜ、とりあえずの 結果や答えを求めようとするのか。仕事のことでは、大切なことかもしれない。 しかし、それは本の役目ではない。「あらすじ」だけ知って事足れりとした のでは、その本と出会うチャンスを永遠に放棄してしまったことになる。 本を読んでいる時間が惜しい? いや、ほんとうに惜しいのは、 読書の時間を失ってしまったことのほうだ。 『だれが「本」を殺すのか延長戦』で、デザイン評論家の柏木博と対談した 佐野は、こんなことを言っている。「幻想かもしれないけれど、僕は本という ものは、時間の流れを一瞬で止めることができるメディアだと思うんです」 われわれは否応なく時間によって動かされている。現代に生きる以上、 それから逃れることなどできない。画家のクレーは「人間という動物」を 「血でできた時計」と定義した。われわれはまるで、血という電池で動いて いる時計、なんだと。 読書はそんな時間の流れに逆らう行為である。 視覚と脳を通して、読めない人にとりては記号や模様にしかすぎない文字を、 速やかに解読し、心と身体になじませていく。こうした奇跡のような行為は、 文字通り、時間を忘れて没頭しなければできない。天体の運行も、この地球上 のすべての時計の針も止め、ひとところにじつとして、ただ本のなかを流れる 時間だけに身を委ねる。そんな至福の時間を放棄して、「あらすじ」だけで 答えを求めて何になるというのだろうか。 〜p18・19 ≫ ▼ 人間を、「血で出来た時計」とは、いい得て妙である。 大学に入るまでは、試験勉強に追われ?面白いと思える純粋な読書習慣は、 あまりに少なかったが、20歳・30歳代は、一日、2〜3時間、40歳代は4時間、 50・60歳代は5時間は、読書に時間を当てていたが、ノートや手帳に記録する 習慣がなかったことが悔やまれる。 50歳半ばから、この随想日記に書き残して きたが、それまで大学ノートに、せめて1〜2ページの読書録、備忘録を書いて いたら、格段に豊かな知識の相乗効果があったはず。知識の蓄積の量と質は、 直ぐに露出するから怖い。 〜つづく ―――― 2008年1月31日 「読書の腕前」ー� 面白そうなところを何箇所、書き写してみた。 なかなか含蓄のある読書論であり、何度も肯いてしまった。 ーー 川面に多くの舟が漂っている、私たちはひとりひとりが違う舟に乗って 流されている。中には錨を下ろしている舟がある。 川の流れを時の流れ、舟を人生にたとえたらいいだろうか。そして、 本を読んでいる時間は、動かぬ舟の中で、川の流れを感じるようなものだ。 川は永遠に流れていく。水がある限り、流れることをやめようとしない。 そんな悠久の流れを、ひととき止めたりを舟の中で感じる。 本を読むということは、そういうものだと思っている。 ―ー 寝床で読む、喫茶店で読む、電車で読む、バスで読む、食事中に読む、 トイレで読む、風呂で読む、眼が覚めている間中ずっと読む。 ーー 飯島耕一が 「何もつよい興味をもたないことは /不幸なことだ /ただ自らの内部を / 目を閉じてのぞきこんでいる。/ 何にも興味をもたなかったきみが / ある日/ ゴヤ のファーストネームが知りたくて/隣の部屋まで駈けていた。」 「生きるとは / ゴヤ のファーストネームを/ 知りたいと思うことだ」 ーー 読書に費やしたこれまでの膨大な時間を、もっと別の有意義なものに 置き換えられなかったのか。そんなふうに悔やんだことは一度もない。 一度もない、といま気づいたことに驚いている。 ほんとうに、一度もないのだ。そうして生きてきたのだ。 だから、明日からも同じように生きていく。 ー― 「本を読むことで得る大切な収穫の一つは、他者を知ることだと思います。」 色川武大 「読書の楽しみの一つは、私にとってこの他人を生きること、 他人になれる喜びかもしれない」 遠藤周作 「僕は本を読む労働のための忍耐力をつちかったのである」 大江健三郎 本は膨大な人間のモデルを提供してくれる。しかも、相手の忖度を気にせず、 思うまま、自由にそのモデルと触れ合うことができるのだ。 ーー 田辺聖子が読書論の中で、 「もし出世と引き換えに何をとるか、ということになったら、それは何か」と、 同年代の友人たちと、あるとき話題になった。さまざまな意見が飛び出した。 いい女房を持つ、硬骨に生きる、世間を捨てて山頭火になる・・。 しばらくして、誰かがしみじみ言ったことに、みんながうなる。 「出世せんでもええ、毎日読みたい本を読んでたのしく暮らせたらええなあ・・」 ^^^^^^ 以上だが、今のところ読書が人間にとって、一番良い習慣である。 最近はインターネットというトンデモナイ手段が出てきたが、 それでもジックリと他者と対話が出来るのは本である。この本も、直ぐに アマゾンの中古本を発注したが、まだまだ面白い箇所が多数ある。 バイ(´・ω・`)ノ ーつづく ・・・・・・ 2333, ホッファー −2 *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ! 4908,世界の美しさをひとつでも多く見つけたい ー2 2014年08月22日(金) 『世界の美しいさを一つでも多く見つけたい』石井光太著 * 小さな神様見つけ方〜� 相手の文脈で大切にしている神様を見出す! 人生は妄想によって生み出した「小さな神様」に頼って生きるしかない過酷 の旅でもある。それが過酷であるほど、しがみつくしかない。 宗教の原点が、そこにある。 ーその辺りから抜粋ー 《 ムンバイの売られたレンタルチャイルドでさえ、マフィアを心の拠り所 としている。これまでの旅で出会った人たちも同じでした。 たとえば、 ヨルダンのナイトクラブで会ったイラク人売春婦は男性客を不安に怯える自分 を支えてくれる大切な人と見なしていたし、バングラデシュの公園で暮らして いた少女は変質者の男性を一緒にいてやさしくしてくれる大人と見なしていた。 みんなそれぞれ闇の中で何かしら心の拠り所をつくり上げ、それにすがり つきながらがむしゃらに生きていたのです。人間は絶望の底につき落された時、 懸命に光を見出そうとします。それは、救いを求める人が神にすがる行為に 通じるものがあります。「貧困に生きる人々が苦しみの果てで生み出すのは 神様のようなものだ」といえるはずです。もちろん、ここでいうのはキリストや お釈迦様のような存在ではありません。教義を有する宗教における神ではない。 ただ、個入にとっての救い主という意味では、同じような存在であり、私は それを「小さな神様」と呼ぶ。マレーシアであった兄妹の彼女は、誕を垂れ流し、 会話もできないほどに精神を病んでしまっていた。そこで兄は妹を連れて祖国の スーダンを離れ、知り合いを頼ってマレーシアに辿り着いた。コタキナバルで、 兄は妹にリハビリを施していました。心の闇を吐き出すために絵を描かせ、 静かな公園へ連れて行って気晴らしをさせたりしていた。 私はそんな二人と 何度か話をしたのですが、妹が妙なことをいいだしたことがありました。 こんな話でした。「スーダンの故郷には、私のことを待ってくれているやさしい 人がいるの。兵隊さんなの。私は彼と結婚するつもり。だから、国に帰りたい」 どうやら彼女を拉致監禁した武装組織の兵士と婚約をしているということでした。 なぜ自分をつかまえてレイプをした側の男性とそんな関係になったのでしょうか。 兄はその話題について詳しく説明しようとしませんでした。ことの真相を知った のは、しばらく経った日のこと。その日、私たち三人が暮らしている安宿へ 赴きました、そこで兄から妹が語る「婚約者」について・・・ それは彼女が作り上げた妄想でした。(略)・・・そうやって生み出された 個人のごく小さな希望や幸福が「小さな神様」となる。私は他者を見つめる際に 大切なのは、相手がどんな小さな神様を抱いているかを知ることだと思います。 その人にとって希望だとか幸せだとかいったものは「小さな神様」に集約されます。 それを発見することが、その人の価値観に寄り添って物事を考えることにつながる。 ・・それでは、小さな神様を見つけるにはどうすればいいのでしょうか。 決して難しいことではありません。 一言で表せば、「自分の文脈で勝手な 価値観を押し付けるのではなく、相手の文脈で大切にしている物を探すこと」 その人が何を小さな神様と見立てるかには、きちんとした理由があります。 何かしらの文脈で小さな神様ができ上がっているのです。従って、その文脈で 考えさえすれば、ちゃんと小さな神様が何であるか、つまり何を幸せとして いるかが見えてくるはずなのです。》 ▼ いかなる惨状の中でも、必ず希望を見出して生き抜く人間の生命力、 そこには、惨状だからこそ、浮かび上がってくる小さな神がいる。 そこでは、世界がひっくり返るほどの感動、美しさが見えてくる。 それが、著者が伝えたいこと。 ところで、私の小さな神様は何だろう? ・・・・・・ 4541, 「ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある ー3 2013年08月22日( * 宗教の伝統的な実践による心の治瞭 「ひとり達人のススメ」山折哲雄著 私が学生の頃、親戚が末期ガンと知らされ、その苦しみ恐怖から逃れるため 『写経』に没頭し亡くなっていった。この本で、死の恐怖を克服する実践に 『写経』と『散歩』を上げている。『散歩』には遍路や巡礼が含まれる。 早朝の散歩で、吐く息に身体の毒を、吸う息は大自然の霊気を入れ込む イメージすれば、身体に良いはずである。 ーまず、その辺りを抜粋ー 《 三十代で、絶食によってわが身体とは何かを考えるようになった私は、 体と心の関係に強い関心を持ち始めていました。そして四十代に入ると、さらに 興昧深い出会いが待っていたのです。さまざまな経緯があり、私は母校である 東北大学の文学部に宗教学の助教授として迎えられることになり、東京から東北 に戻りました。当時の母校の医学部には、最近亡くなられた鈴木仁一先生という 心療内科の助教授がいらしゃった。心の病がからんで、どの科でも回復の望めない 患者が、心療内科の鈴木先生のもとへ送られていました。彼は患音の心の病を治療 する、今でいう心身医療の専門家でした。その鈴木先生がやっていたのが絶食療法。 もともと戦前の東北大医学部では、女性のヒステリを治す治療法として絶食療法が 行われ、基礎が出来上がっていた。その診療法で女性のヒステリーの60%近くが 治ったという結果もある。先生は、その絶食療法を中心に治療している。ただ、 絶食療法は、誰でも有効というわけでない。どういう人が効くかというと、 意志の強い人だと、いっておられる。そこで思い浮かんだのが山頭火。 山頭火のような修行ができる人間というのは意志も意地も強かったはずです。 意志の弱い、普通の人は、なかなか絶食療法ができない。 私が「死ぬきは断食で死ぬよ」と言ったら、賛成する人もいるが、 「それは思った以上に大変なことだよ」と、反対する人もけっこういます。 やはり食を断つということは並大抵の覚悟ではできないのです。 それでは 意志の弱い人には、どういう治療をほどこすのかを尋ねると、「写経」という 方法あると先生言下に言われた。それから「散歩」とも。俗世の欲望を捨てる ための修行のひとつに「とそう」というものがあります。「行脚とそう」 ともいう。これは徒歩で修行のために諸国を遷ることです。お遍路も含めて 巡礼というものは、みんなこれに入るでしょう。けれども写経や散歩はいろんな レベルのものがあって誰にでもできるので、人それぞれに応じたことを薦めます。》 ▼ もうダメと悟ったら、断食を考える。無理なら、四国のお遍路に出るか、 身体が動ける範囲で近くを歩き回る。 天候の具合で、疲れて家に居るときは、 写経を書いて過ごす。それも終わりに近づいたら、点滴などを拒否し、可能な 限り、食を絶って、自然死を待つ。そのぐらいしか出来ないが、身内に今のうちに 伝えておくこと。 死に時には死ぬ覚悟が必要!以下の、去年の文章が丁度よい 内容である。老いの準備から、死に準備の移行である。 あと一年数ヶ月で「古希」になる。 ・・・・・・ 4166, 老年行動学 ー3 2012年08月22日(水) 「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす 」佐藤 眞一(著) * 長寿の人の共通点 ーわがままに生きる 「憎まれもの世にはばかる」ではないが、歳をとると因業になる。 先がないので抑えていた我がままが表だつ。 長寿の共通点が「わがまま」。 わがままと因業は紙一重。 ー その辺りをまとめてみた。 【 日本には100歳をこえる人は4万8千人いる。50年前には153人 しかいなかったというから300倍以上。10年前で1万人をこえたという から、僅か10年で5倍である。人間の寿命の限界は、フランス女性の122歳。 100歳以上の人に対し医学や遺伝子の様々な研究が行われていて、心理学研究 では、ある程度共通した性格ががわかっている。男性の場合は、性格が几帳面で、 自分を曲げないで、日課がほぼ決まっていて、生活がきちんとした人。 女性の場合は、明るくてわがまま。ちょっと強引だが、周囲の人を幸せにして くれる‘大阪のオバチャン’みたいの人。男女とも「わがまま」の人が長寿。 「自分勝手」とは、少し違うが、我が強い人である。「わがまま」の意味は、 「自分が決めたことを、自分の思うようにできている」で、誰かが元気がない時、 その人が喜びそうなことを、積極的に動く人。それは「自律できている」こと。 自律を保つことで幸福度を高く保っている人ということになる。アメリカの 心理学者が、面白い実験をした結果がある。 ≪ 三匹の犬を一緒につなぎ、電気ショックを与える。 一匹目は、電気ショック を与えたら、鼻でパネルを押すと電気ショックを 押すと止むようにし、二匹目は、一匹目が押した時に、電気ショックが止むが、 自分では何をしない。三匹目には何もしない。これを繰り返した後に、 それぞれを仕切に分けたボックスに入れて、電気ショックを与えると、 二匹目の犬は、すぐに飛び越えられる低い仕切りでも、うずくまっただけで、 逃げようとしなかった。この犬の状態を「学習性無力感」と呼ぶ ≫ 】 ▼ 何か勤め人根性が染み付いて、退職後に誰も指示しないため無気力になる 大方が二匹目の犬に近い? 身につまされる人が多いだろう。身近な人に似た ような人がいるが、人生は誰も同じようなもの? わがままな二代目か、婿取り 娘が果たして長生き?かというと、そうでもない。それぞれ気苦労がある。 ライフワークを続けること自体が、わがままになるが、10年20年が必要。 今からでも遅くはない。
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2016年08月21日(日)
<『かわいい自分には旅させよ』浅田次郎著> * 芸術とは ここで著者は、芸術について簡潔に述べている。ツアーの行き帰りの 主要都市(ロンドン、パリ、フィレンチェ、マドリッド)にある、美術館、 博物館で、世界的名画や美術品を見て周って、感動の蓄積が多く残っている。 それが自分を大きく変えていた。大自然の絶景の感動とは別に、美がその まま表現された芸術作品に同化しているうち、美への感動が、魂そのものを 高めてくれることを実感した。 芸術とは、本来、そういうものである。 ≪ 美しいものを美しいままに表現することが芸術。 それを「言葉」でなそうというのが文学。 さらに、それを「物語」という形式で表そうというものこそ、小説です。 理屈も何もいらない。そこに理屈を持ち込もうとしたから、芸術は退行した。 これは芸術の都に住むパリジャンの罪です。 医学が肉体の病を癒すように、芸術は心の憂いを除くためのものであると、 僕は信じています。だからこそ芸術は尊い。 芸術家がそうした本来の使命を忘れて芸術なるものを衒い始めたときから、 アニアックな、アカデミズムの一部に成り下がった。たとえば神が作り給う た天然のように、誰がどう見ても理屈抜きに美しいものの存在を、僕らは 見失おうとしているのではないでしょうか。 自然は美しい。もちろん、その自然の中の人間の営みも、僕はそれらを 小説として表現するにあたり最も直截的な感情表現である「ユーモア」と 「ペーソス」を用います。それが小説家としての僕の方法だと思うから。 僕には夢があります。 バチカンで、ルーブルで、フィレンチェで、僕は奇跡を見ました。 ミケランジェロは明らかに、古代芸術家を超えた。文明の進化とともに 衰弱する芸術家の宿命の中の、これは奇跡です。 彼が一本の鑿で、一個の大理石の塊にうがち出した奇跡を、僕は一本の 筆で、一枚の紙に書き表したい。限りない感動を、かけがえのない美を。≫ ▼ 美の中で、20歳前半の一瞬咲きほこった女性の美しさもナマモノ だからこその美しさがある。ただ、あまり話さない方が良いのが多いが。 女性だけでない、動物の美しさもある。花の美しさもある。誰が、設計 したのだろうか。美はバランスというが、美そのものを感じ取る感覚が 見る側に必要になる。これは質量を多くコナスことで磨かれ、高めることが 可能である。「人間は何のために生まれてきた?」の答えとは、 「大自然と、人間がつくり出した創造物に触れ、感動するため、生まれて きた!」である。心の憂いで覆われ濁った、「今、ここ、私」の目の汚れを 取り除くため芸術がある。セッカク貰った命、もっともっと、味わなくては!
・・・・・・ 5272,「エリック・ホッファー自伝」〜⑦ 『希望より勇気を』 2015年08月21日(金) 「エリック・ホッファー自伝」中本義彦訳 * ホッファーが生きた時代背景と、弱者 ホッファーは、自分の生きた時代背景と、そこに適応出来ない人々の 精神状態が、いかなるものか?を、自身をそこに置くことで詳細に観察した。 当時は、現在の断絶の時代に酷似しているようだ。情報機器を使いこなせない 中高年たちは、情報段差に呆然とするしかない。それでも、タブレット、 スマホの普及がフォローをしてはいるが。物理的な金銭に加え、現在は 情報格差の問題が加わっている。 ≪ ホッファーが分析の対象としたのは、何よりも同時代の「気質」であり、 そこに生きる人々の「精神状態」であった。近代人は、長きにわたって拘束 された神から逃れ、ようやく自由を手に入れたものの、今度は、 「かれ自身の魂の救済を、しかも四六時中、行なわねばならなくなった」。 自らに対して、そして社会に対して、自らの価値を日々証明し、自らの存在を 理由づけなければならなくなった。 これは容易ではないし、絶え間なく変化 する社会に生きる一個の人間にとっては途轍もない重荷である。 われわれは、往々にして、自分自身に満足できず、「自己自身と異なったもの」 になりたいと熱望する。そして、「真に欲していて、それを持つことができない ものの代用品」を追求して多忙をきわめる。好ましからざる自己から自分を 引ぎ離し、文字通り「心を亡くそう」と試みる。かくて、「人生のあらゆる 部門に熱狂の噴出がある」のであり、「社会組織そのものが、一般に、心の病 に冒されやすい、すぐ燃えやすい体質になってしまった」とホッファーは洞察。 本書に鮮やかに描かれているように、この簡潔で力強い分析の源泉は、 彼自身の浮浪者としての原初的な生活の中にあった。 「金がつきたらまた仕事に戻らなければならない」生活に自殺未遂をするほど うんざりしながらも、それを克服して「旅としての人生」を生き抜いていく ホッファー、その彼は、季節労働者キャンプでのささいな出来事から、 自分も他ならぬその一員の「社会に適応しえぬ者たち」に興味を抱き始める。 そして、彼ら固有の自己嫌悪が放出する「生存競争よりもはるかに強い エネルギー」こそが、人間の運命を形作るうえで支配的な役割を果たしている のであり、「弱者が生き残るだけでなく、時として強者に勝利する」ことが、 人間の独自性であるという洞察に到達するのである。 ここで本書の歴史的な背景に少し目を転じてみると、ホッファーは 路上にあった1930年のカリフォルニアには、浮浪者がかなりたくさんいた。 F・L・アレンの『ジンス・イエズタディ』(1939年)が記している、その原因 のひとつは、テキサス州からカナダ国境から大平原地帯で起きた異常気象。 1933年から二年余りにもわたって無数の嵐が起こり、過度の放牧で荒廃した 広大な地域で大量の砂が吹き上げられた。大恐慌ですでに苦境にあった。 この「黒い大吹雪」と大洪水によって、決定的な打撃を受ける。 農業の崩壊は、町を衰退させ、住民は、「約束の地」西部へと逃れる。 そして、ホッファーと同年生まれのスタインベックが『怒りのぶどう』 (1939年)で鮮烈に描いたあの苦難を経験したのである。 「普通の安定した地位に留まることができず、社会の下水路へ押し流された人々」、 「居心地のよい家を捨てて荒野に向かった者たち」こうした人々の内面に欝屈する 「こんなはずではない」という不満と「別の人間になりたい」という変身願望を、 ホッファーは折に触れて感じていたのかもしれない。そして、自分の内面を 厳しく見つめ、自分が存在する歴史的世界を認識することによってこそ、 あの近代人の「情熱的な精神状態」を見抜くことができたのであろう。 人間の抱く"情熱"の現実を見ようとしたホッファーは、常にその両面性を 指摘した思索者でもあった。われわれは、まずもって、情熱的な精神を 「創造の新秩序の発生」として見なければならない。情熱のない人間など、 その独自性を放棄した存在に等しい。しかし、同時に、それが「退行化」 そして死をも辞さない狂信になることに絶えず警戒を怠ってはならない。 この世の悪を絶滅しようとする宗教的、民族的・イデオロギー的な熱狂の 罠に陥ってはならない。そもそも「山を動かす技術があるところでは、 山を動かす信仰は要らない」のである。 情熱を飼いならし、加工し、創造的なカへと変容させること ーそれは、 きわめて困難な作業である。「抵抗しがたい渇望」は突然襲ってくるもの。 しかし、われわれは、「希望」より「勇気」をもって、それをやり抜かねば ならないのだとホッファーは訴える。自己欺隔なくして希望はないが、勇気は 理性的で、あるがままにものを見る。希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は 長い。希望に胸を膨らませて困難なことにとりかかるのはたやすいが、それを やり遂げるには勇気がいる。闘いに勝ち、大陸を耕し、国を建設するには、 勇気が必要だ。絶望的な状況を勇気によって克服するとき、人間は最高の 存在になるのである。≫ ▼ 考えさせられる内容である。時代に合わせ、自分を変えてるリスクと勇気 こそが激動の世に求められる。それは常に不安定が伴うが、それを観察し、 楽しめる精神の強さが求められる。現在は、「情報革命による断絶の時代」。 『勇気』こそが、時代を切開くキーワード。人生を創造していく勇気!である。 ・・・・・・ 4907,ホントに大事なお金の話 −5 2014年08月21日(木) * 真のお金持ちは紙袋を持つ 元ネタは、プレジデントオンラインー2010年8月頃の記事 『なぜお金持ちは紙袋を持つのか?』 ー面白いと思った部分の要約をするとー ◎ お金持ちはなぜ紙袋を好むのか? 彼らは紙袋で移動してもOKだからだ。 運転手付きの車、タクシー移動とドアtoドアで雨にも濡れない。 だから紙袋でも平気。必要なくなれば折りたたむことも、処分することも できる紙袋が、一番使い勝手がいい。 ◎「海外ではいい時計や靴がセレブの証だ」というが、本当のお金持ちに とって、それも無意味。なぜなら予約の際すでに彼らの身分は割れている。 お金持ちは決して粗雑に扱われないルートで予約するし、定宿は決まっている。 一流ホテルとなれば、常連の顧客の顔を覚えていないわけがない。安い時計に スーパーで買ったシャツでも、彼が歓待されるのはそういうわけがある。 ◎ ブランドショップにもいない。ものを買うなら知り合いから少しでも 安いものを買うのが基本。 ◎ さらにお金持ちは「ブラックカード」や「プラチナカード」も持たない。 「ゴールド」ですら必要ない。「年会費がバカ高くてもったいない、普通の カードで十分」。必要な局面ではコネがあるので優遇されるし、不必要な 場所で自分がお金持ちであることを、ことさら触れまわるのはリスクが大きい。 ◎ また彼らは絶対に見栄を張らない。元もと、「お金持ち」であることを人に 知らせる必要がない。ランチは1円まで割り勘。でも慈善事業に多額の寄付を している。使い切れないお金を持てる人は、それに振りまわされない独自の 価値観をしっかり持っている。見栄を張ると無駄な出費も多くなります。 本当のお金持ちは絶対に見栄を張らない ▼ ここで著者がいう本当の金持ちは、上の上の人たち。百億以上の資産を 持つ人たち。上の中といえば、純資産が10億以上。上の下が1〜2億。 上の下から上の中ギリギリが、その嫌らしさが現れ出てくる。知識同様、 その辺りの「似非」が金持ちを演じたがる!金持ちのラインは10億の現金か、 純資産である。 47年前の学生時代に、一ヶ月間の大名旅行をした時、 ここでいう大金持ち?の子弟が多くいた。 身なりからして違う人種。しかし お金には、非常に敏感で細かい。何気ないオシャレでブランド品をさり気なく 着こなしていた。見栄を張るのは一部の人たちのみで、開放的でフレンドリー。 漂う空気からして、それまでの友人とは違っていた。周囲の思惑など気にしない で、紙袋などを平気で、何処にでも持って行く。その紙袋が実にセンスが良いが。 こういう存在を身近で見る初めての機会だった。 当時、その段差を、さほど 意識はしなかったが、現在、考えると、上記の通り。 時おり海外ツアーで、それらしき人を見かけるが、まずユニクロを着ている ことを隠さない。アンダーとして割切っている。元もと隠す必要がない。 ブランド品を着ること自体、自分のセンスに自信がないため、ブランドで、 それを覆い隠すしかない。 TVドラマで、セレブ世界のドロドロした社会が 出てくるが、その世界を知らない人が演出したものとしか思えない。実際は、 あんなものではない。それぞれ独自の価値観を持って振り回されない人が殆ど。 この一連の経験から見えたのは、それぞれ独自の価値観の質の格差。 その視点の質は、隠せないようだ。 ・・・・・・ 4540, 「ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある ー2 2013年08月21日(水) * TVが比較地獄をつくった 「ひとり達人のススメ」山折哲雄著 まずは、ひとりになれない人たち、B層の人たちの比較地獄の話。 自分の頭で考えることが出来ず、マスコミに流されていること自体、気づかない 人たち。ファッション、化粧、車、スマートフォンなどメーカーの比較戦略の 術中に嵌ってしまう。人間の性としてのコンプレックスこそが狙い目で刺激する。 ファッションのプロと称するオカマが、街頭で女性に声をかけ、服装のセンスを チェックするお笑いコーナーとか、健康チェック、英会話など番組が続く。 そのTVの弊害の結果、「ひとり」になれない比較、嫉妬地獄の罪人のような 群衆のひとりにされている。 ーその辺りを、抜粋するー 《 戦後の変化といえぽ、テレビ文化の波及もひとつ。家庭の娯楽の主役が ラジオからテレビへと移り変わり、映像が強大な影響力を持つようになりました。 テレビというのは視覚を重規したメディアです。そして、現代人は視覚を 重要視し、視覚に振りまわされるようになった。もちろん、人は基本的に、 朝起さてから夜寝るまで、目を開けています。たえず視覚を使い眼前にある 何ものかを見て、さまざま判断をしている。もし、ひとりが嫌いで、常に誰かと 一緒にいるとすると、どういうことが起きるのか。視覚は人間を比較に誘います。 この人は(自分より)いい服を着ている、あの人は(自分より)容姿が整っている… 視覚で判断すると、要望や才能、環境などの違いが歴然とします。そのことに 耐えられない人が多いはず。人間は平等、平等と教えられてきたにもかかわらず、 現実を見ると、何から何まで違う。だからひとりになれない人間、結局は比較 地獄に陥る。たえず他人と自分を比鮫せずにはいられない。比鮫して、自分が 劣っていても、現実はどうすることもでません。すると恨みがつのって、 「嫉妬地獄」に移行してしまいます。さらに批難や中傷、陰口の井戸端会議で、 自分より優れていると判断した人を引きずり下ろそうとする。このような、 群れの関係がしばしば陥りがちな「嫉妬地献」から身を守るためにも、 ひとりの時間は大切だと思うのです。 》 ▼ 私が地元に帰ってきて、まず決めたことは、学校関係以外の人間関係を 最小にすること。商業界とか、ライオンズとか銀行が主催する「何何会」 とかは、まさに比較地獄の世界。町内、寺の檀家衆、商店会とかには「ひとり」 になれないB層がC層を中心にした輪があって、住みやすい絆がある。 そう、NHK連続TV小説のコメディの東北の、あの街の人たち。実態は、 あれは地獄の針のむしろに座っているようなもの。都会人が思い抱いた地方の 理想郷、妄想である。地方経済は疲労困憊の結果、若者は都会に出ていくしか なくなっている。絆は、一人一人が確立されて出来るもの。その逆の弊害を TVが数十年かけて作り上げてしまった。それから逃れるためには、 ライフワークを持つしかない! それがA層とB層の境目の目安である。 それさえ持っていれば、比較とか嫉妬に陥ることが少なく済む。TVも、 シネマも、ネット、面白くなっている。これでは、比較材料の垂れ流しで 「ひとり」になれない人たちの嫉妬地獄の修羅場が、ますます拡大していく! 「和して同ぜず」なら良いが、「同じて、和せず」になる。アウトサイダーは、 「和せず同ぜず」になるが、インサイダーとして、何処かの高校の校是に 「和して同ぜず」があるが、「ひとり」が鍵になる。 ・・・・・・ 4165, 閑話小題 ー今年の熱さ対策 2012年08月21日(火) * 今年の熱さ対策 今年は当初は熱暑だった。しかし7月末辺りから暑さも収まってきたが 再び盆からぶり返してきた。ひと月前にミニサイズの扇風機二台を買ってきて、 居間と書斎に一台ずつ置き、これまでの古い扇風機と併用して使っている。 それにスーパーで売っていた「冷却ジェルパック首もとベルト」を3つを 冷凍庫で冷やし交互に使っている。これは冷たさが一時間しかもたないが、 冷却時間が三時間のため複数必要になる。 ところで今年の電力不足騒ぎ、 今のところ起きてない。問題は残暑のこれからになるが。クーラーは寝室の 就寝時間だけ入れて、居間では夕方の一時間ぐらい入れている。 夏場の電気料金が月に三万円、一日千円になる。 * 大手大橋にて 先週土曜日の早朝、何時ものようにポタリング(ミニ・サイクリング) の大手大橋で、ヒキチャリをしながら歩いていると、後ろから声をかけたれた。 車椅子に乗った隻手の男性で、恐らく交通事故で右腕を根元から切断、下半身 麻痺で自走式車椅子である。私の電動アシスト自転車に興味を持ち声をかけてきた。 電動アシスト自転車の良さを説明すると、自分の車椅子が電動切替え式で、 背後に電動モーターがついていて時速6キロという。何度か薄暗い中、かなりの スピードで走っているのを見たことがあった。人それぞれの運命と人生がある。 ところが昨日の朝、いつものコースの信濃川の土手を走行していると、 屋根つきの休憩所で、30歳前後の男女二人が、その電動車椅子を畳んでいた。 本人は不在で、まさか聞く訳もいかないで、遣りすごしたが。その前に何か (熱中症とか?)あったのだろう。ポタリングを始めて4年目になるが、 続けていると色いろある。そういえば、雀が少なくなった。去年の大雨で 河川敷の雑草地に水が使ったせいだろうか。燕も少なくなった。 多いのはカラスだけ。
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| 5636,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー最悪の想定 |
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2016年08月20日(土)
* 最悪の想定 新しい分野へ一歩踏みこむ場合、そこに不安と、苛立ちが立ちふさがる。 不安状態から、行動にうつるためにはどのようなステップを踏めばよいか。 カーネギーの『道は開ける』では、非常に簡潔な下記の3つのステップを 紹介している。 一、「起こりうる最悪の事態とは何か」と自問すること。 二、やむをえない場合には、最悪の事態を受け入れる覚悟をすること。 三、それから落ち着いて最悪状態を好転させるよう努力すること。 『道は開ける』 〜悩みを解決するための魔術的公式 P.53〜
この道理を、学生時代に読んでいたお陰で、どれくらい難関で、 助けられたことか。特に、最悪を想定し、そこから、計画を設定していく。 創業では、事業失敗からくる自己崩壊の回避である。 賭け事で、一番確率が良いのが『創業』という。それでも5〜6%の確率。 失敗の94〜95%の想定をして事前に手を打っておかなければ、踏み出せない。 事業整理を、まだ止めときでない時節に、決断を出来たのは、創業計画段階 で、最悪の想定をしていたため。そこが出発点のベースになる。その辺りを 畜群には知りようがない。長年かけた人生設計、事業設計など分かりはしない。 事業の失敗を想定して ・息子も含めて、親戚縁者は会社に入れない ・15%は家内名義の給与を与え、別通帳にしておく 当然、連帯保証に妻子はしない ・当月の20日締め、月末払い(実質的現金払い)を守る ・手形決済は、問題外 ・合法的裏金を長年かけて準備する。例として(会社が私に掛けた生命保険の 掛金7〜8割が、契約解除と同時に戻ってくる契約で、その期ごとの経費で 落ちて、その存在は、帳簿上から消える。しかし現在は禁止されている。) (妻子への無税相続の贈与)などなど。これも長年かけなければ効果は少ない。 だからこそ、畜群の視線の幼稚さが浮上がって見えてくる。まさかの最悪が 起るのは事業であり、人生である。 当然、畜群に、その後、次々と酷い最悪 が襲っているが、本人は、そのことに気づかないから始末が悪い。 『それにしても、まさか自分がネ!』は、同世代なら、全て人の問題である。
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5271,閑話小題 〜天津の大爆発 2015年08月20日(木) * 天津の大爆発 〜まずは、この事件のニュースの一部から 【 爆発現場の空気中から高濃度の有毒な神経ガスが検出されていたと伝え 爆発現場の倉庫には700トンのシアン化ナトリウムや、800トンの硝酸 アンモニウムなど、 40種類以上の危険化学物質計3千トンが保管されていた。 中央テレビによれば、専門家は「こうした物質が水と混ざったり、アルカリ化 したりして神経ガスができるほか、 爆発の過程で化学反応を起こし、有毒性の ガスが生じる」と 指摘した。 中央テレビでは「神経ガスを吸い込めば呼吸器 系統や心臓などが突然停止し、死亡に至る可能性がある」と紹介した。】 テロではないと思うが、どうだろう。数百人が爆死をしたと思われるが、 実際の死者数は表立てないだろう。 もし危険物質の存在と、ずさんな管理の 隙をテロリストに狙われたなら、ことは深刻。この事故、中国政府にとって、 株価暴落、二度の人民元の引下げ直後であり、あまりにタイミングが悪い。 ネット上の、この事件による影響についてのコメント、 ≪ 世界第四位の港、天津大爆発はタイミングが悪かった。 輸出依存型経済モデルから内需主導の経済への戦略的転換点で、 この大事件が起こり、日本企業を巻き込み、サプライチェーンが破断された。 ときあたかも、目指す内需は不動産不況の余波で盛り上がらない。 大都市では不動産価格の上昇も見られるが、全体で見れば、まだ住宅過剰在庫 を持て余している。新規住宅建設が低調なので、そこで使用される素材である 鉄やセメントなどの需要も急減している。そうなると負の連鎖で、鉄やセメント 工場の設備投資は増えない。更に、新たな経済を主導する産業セクターとして 期待されている医療、教育、観光、情報産業などへの移行も遅々として進まない。 現状を放置すれば、世界的経済減速で旧経済モデルの輸出も盛り上がらず、かと いって新経済モデルの産業も伸び悩む、経済構造変換の端境期にあるわけだ。 そこに天津大爆発の追い打ち。 既に、習政権は、人民元切り下げという 「伝家の宝刀」を抜き、力づくで、中国製品の国際競争力を高め、他国の輸出 を奪う戦略に出ていた。今回の急激な人民元切下げは終息したようだが、また、 近い将来、その第二ラウンドが起こるだろう。通貨安競争は終わってない。≫ ▼ この爆発は、世界第四位の港の保管庫で起こった事件。毒ガス、化学兵器 の保管庫?というのは明らか。あの穴の大きさからみて、ただならぬ爆発 だったことが分かる。共産党内部の権力闘争の真只中で起こった化学兵器倉庫内 の大爆発、単純な火災爆発でないと見るべきである。何か変だが、それを 隠すため、矛先が海洋への領土侵略に、より強く向かう可能性が高くなる? ・・・・・・ 4906,世界の美しさをひとつでも多く見つけたい ー1 2014年08月20日(水) 『世界の美しいさを一つでも多く見つけたい』石井光太著 * 小さな神様見つけ方 〜� 幻のプロ歌手への夢 前回取り上げたー『レンタルチャイルド』の著者、石井光太の最近の著書を 図書館から借りてきた。『世界の美しいさを一つでも多く見つけたい』である。 その中にあった‘小さな神様の発見’が良い。 まず、インドネシアのストリートチルドレンの「小さな神様」の話である。 ≪ストリートチルドレンたちは常に飢餓や伝染病の危険に瀕していますが、 決して意気消沈しているわけでない。街角で友達と追いかけっこをしたり、 肩を組んで流行の歌をうたったりしています。私はそんな姿を見て、彼らの 精神力の根本には何があるのかと不思議に思っていました。ある日、私は理由を 知ることになります。何人かの子供たちと話をしていたら、共通する逸話がある ことに気づいたのです。それは彼らの希望ともいうべき話。次のようなものです。 『この国は貧しいから、ストリートチルドレンとして育った子供は多いだろ。 だけど、歌さえうまくなればお金持ちになって楽しい暮らしができるようになる んだ。昔、この町のストリートチルドレンに毎日歌をうたって上手になった人が いた。彼は路上で歌をうたって施しを求めていたところ、音楽プロデューサーに スカウトされてプロの歌手に。瞬く間に有名になり大金持ちになった。 僕もそうなるんだ。毎日路上でうたいつづけているのは、これが僕にとって成功 する方法だからだ。僕は先ぱいのようにプロ歌手になって大金持ちになるんだ』 似たようなことを多くのストリートチルドレンが喜々として語っていました。 彼らによれば、ストリートチルドレン上がりの歌手は何人もいるそうです。 ストリートチルドレンにとってこういう歌手は目標になっている。 彼らは学校教育を受けていないため大きくなってもまともな仕事に就けることは ほとんどありません。だからこそ、プロの歌手になることを目指して毎日歌を うたいつづけている。私は何人もの子供たちからこの話を聞くにつれ、 「プロの歌手」というのが誰だか気になりました。 ある日、レコード販売店 を訪れ、その歌について尋ねてみたら、店長はきっぱりと、 『そんな歌手はいないよ。ストリートチルドレンたちの妄想だろ。路上で育った 子供は社会的な常識もなければ、麻薬で体はボロボロになってしまっている。』≫ ▼ チャップリンが似た状況から、歴史的喜劇役者になった事例がある。 しかし、そこは欧州の話。インドネシアでは不可能だろう。その中で、 小さな神様という共同幻想をつくり、信じることも必要だろう。 ムンバイのギャングに売られたり浚われた子供たちは、その中で、マフィアを 慕っている。彼らは、やさしくしてくれるからである。そして、それぞれが、 それぞれの「小さな神様」を見出している。 ところで私の小さな神様は何だろう。 ありきたりだが、私は両親。 母親が常日頃の口癖、 『私には、幼い頃に亡くなった父親の背後霊がいて、子供の頃から私を守って いてくれていた!』 幸せな人と思っていたが、68年の人生を振り返ると、 極限になると両親から受継いだ体質が自分を守っていた。 ただ末っ子のファザコン、マザコンでしかないが・・ 有難いことである! ・・・・・・ 4539, 閑話小題 ー新富裕層の出現と移住 2013年08月20日(火) 一昨夜のNHKスペシャルで、日本やアメリカなど新富裕層が節税のため税率の 低い国への移住する人々を取り上げていた。株式の利益に対しては税金ゼロ。 所得税も、日本の4割未満とか。 ーNHK・HPの番組内容の説明によるとー 《 世界中で巨額の資産をもつ新富裕層が増えている。経済のグローバル化や 金融の高度化により、短期間で富を築くことができるようになったためだ。 こうした新富裕層を自国に移住させ経済を活性化させようという国も増えている。 所得や金融取引にかかる税金を安くすることで、やり手の起業家を呼び込む。 日本人新富裕層が向かうのが、シンガポール。新富裕層の実態や各国の思惑を 取材し、世界経済に与える影響を探っていく。》とある。〜ネット検索によると 《 調査会社キャップジェミニとロイヤル・バンク・オブ・カナダが共同で 調査した。 富裕層は、居住用不動産を除く金融資産を100万ドル(約9700万円) 以上持つ人と定義した。国別では米国が前年比12%増の343万人と圧倒的な首位を キープした。米国のS&P500種 株価指数は昨年、13%上昇。米住宅市場の回復 もあり、富裕層の持つ資産がかさ上げされた。 米国では富裕層の金融資産のうち 4割弱を株式が占める。リスク資産への投資比率が高いことが伸びに寄与した。 2位は同4%増の190万人となった日本。3位のドイツ(101万人)を含め、 上位3カ国で 世界の5割強を占めている。アジアでは中国(64万人)と韓国 (16万人)がそれぞれ14%、11%伸びた。 一方で、低迷 したのが中南米。 景気の鈍化が深刻なブラジルは16万人と前年のほぼ横ばいにとどまった。 富裕層人口は世界に1090万人存在し、その保有資産も約42兆7000億米ドル (同9.7%増)と増加中。・・・ 》とあった。 ▼ NHKのレポートで、シンガポールで「フェラーリを持っているのが参加資格 のクラブ」の一人の日本人を取り上げていた。殆どが真っ赤なフェラーリで スポーツシャツも同色で10数人が集っていた。可愛いいが、そこには金の情報 が集まる。国籍をシンガポールなど税金の安い国に移すのは、財政危機の日本 では、自然の流れ。「富裕層=ミリオネア」(金融資産1億以上)の中に、 金融資産10億円を超す「超富裕層=ビリオネア」が存在、ビリオネアは日本に 2万6千人存在している。 現在のところ表立った株式や国債の暴落は無いが、 ある日、何かの切っ掛けで爆発するのは時間の問題。私が審査基準の5億?以上 の金融資産があれば、シンガポール辺りに。 ・・・・・・・・ 4164, 老年行動学 ー2 2012年08月20日(月) * 自伝的記憶 「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす 」佐藤 眞一(著) 最近、思い出す頻度が高いのは20〜25歳の頃のことが多い。当時の日記が 残っているためと思っていたが、その年頃は強い感情が満ち、自由で未来への 旅たちの時節。少しの決断が、人生を大きく左右に分けてしまい後悔も大きい。 多くの自伝的記憶は、この頃がピークになる。あの極度の緊迫感のあった日々は 過酷だが懐かしさが残る。 ー次の部分は、理解しやすいー ≪ 日常のできごとの記憶である「エピソード記憶」のうち、自分の人生に 関する「自伝的記憶」だけは、20代をピークに、10歳後半から30代前半まで の青春時代のできごとを、たくさん思い出すのです。なぜか青春時代よりも 今に近い、30代後半以降のことは、青春時代ほどには思い出しません。 この、青春時代の記憶を突出してたくさん思い出す現象を、 「レミニッセンス・バンプ」と呼びます。レミニッセンス・バンプは、老人に 限ったことではありません。中年以降の人ならば、誰にでも起こります。 では、いったいなぜ、青春時代の記憶だけが突出しているのでしょうか? その理由の一つは、「強い感情を伴うできごとは、記憶しやすく思い出しやすい」 という、記憶の特徴が挙げられます。10代後半から30代前半にかけては、進学 したり就職したり、親元を離れたり、友と出会って友情を育んだり、けんかを したり、恋愛をしたり結婚をしたりと、強い感情を伴うできごとが多くあります。 そのため、それらのできごとが、ことごとく心にしっかりと刻み込まれるのです。 また、親の監視下から離れ、なおかつ重要な仕事を任されることも、養うべき 家族もないといった、社会的責任のない青春時代は、人生でいちばん自由かつ 可能性に満ちたた時代です。親や地域の抑圧から解放され、社会からの抑圧は まだない。ほんのひととき。その、今は失ってしまった自由と可能性に満ちた 時代に、人はノスタルジアという感情を喚起され、好んで思い出すのです。≫ ▼ 自伝的記憶は、その時どきで再編成される。あらゆる可能性に満ちた青春 時代は、老いるほど懐かしいものとなる。俗世の縛りから解放され、そこはか となく楽しい気分でいられる時間がある老人は、楽しいことを思い出しやすい。 人間は楽しい気分の時は楽しいことを、悲しい気分の時は悲しいことを思い出す 傾向にあるためである。人生のピークは、青春の真っ只中にあるため、その辺 の記憶が鮮明に戻ってくる。 老年は、自分の人生という物語の記憶を校正 している。過去の日々を思い出し、「日々是好日」というより、過去の 「日々是口実」を都合良くすることになる。自伝的記憶の再構成である。 ・・・・・・・ 3799, タブレット式パソコン 2011年08月20日(土) そろそろタブレット式パソコンを、と思っていた矢先に、この一連の騒動。 ここで、少し落ち着いたので、家電メーカーのタブレットPCのコーナーに行って 驚いた。それより隣のモバイル携帯電話コーナーに驚いた。その内容は今度に して、タブレット、ここで買うと二年間は縛られてしまうので慎重になる。 売り場で感じたことは ・ソニーかアマゾンの読書用専用の機種か、 ・ドコモの多機能のものか、 ・MacのiPadか、 ・家のパソコンに無線ランをつけ、電波を飛ばして、 家庭内の第二の携帯パソコンとして割り切ったものに、大方分類される。 その中で、どれを選ぶかである。 私の知人のように、両方選ぶというのも あるが・・ 年金生活者として殆ど家にいる身として別に買わない選択もある。 電話機能付かどうかは機種によるが、モバイル携帯が大きくなっただけ。 各メーカーが数年後の主力商品を目指し機能の競争が始ったため、少しでも 後の方が良いものが出てくるはず。しかしデジタリアンとして、ここで我慢 するのも辛い。外的世界から、内的世界に気持ちの重心を移動したので焦る 必要もない。ところで最近、モバイル携帯電話やタブレット式PC用の直感的な ブログが出始めてきた。写真と、映像が直感的に表現でき、かつ見やすく面白い。 数年後には、これにデジタルTVかパソコンに連動するのだろう。 最近、目にする丸めることが可能なシート式モニターにモバイル携帯を連動 するものが出てくるはず。こと、デジタル機器に関しては、想像を遥かにこえた ものが次々と出てくることになる。手段=道具の方が、人間の進化を超えて きている現実は、プラスにもマイナスにもなる。ますます、面白、怖い時代に なっていく。とにかく、モバイル売り場へ遊びにいってみたら、今と未来の 一部が垣間見れるはず。ランニングコストは、モバイル携帯が6千円、 タブレットが7千円。その中間的大きさの商品が初期投資0円になっていた。 その境目の基準が、大きさだけだと! 今日、明日、他の家電メーカーの店頭で、 説明を聞きにいくつもりだが、今のところ、あと数ヶ月は待つ方になるのでは? ところで一年前に買いかえた多機能TV、面白過ぎてバカが増している。 今さらか・・・ ・・・・・・・ 3434, 再び、死について考えてみる ー2 2010年08月20日(金) * 死に際の恐ろしさ 家内が、近所に住む友人の通夜で聞いてきた話。肺が溶けていく病気で (肺結核)、息の出来ない苦しさと痛みの果てに、最後には「オトウサン、 助けて!」と叫んでいたという。断末魔の苦しみは、近親者に一番辛いもの。 同級生の葬式で、衰弱しきった遺体を見て驚いたばかり。死に際の苦痛は避ける ことが出来ないのだろうか。最後は独りで苦悩と苦痛の中で死を向かえると 思うと、何ともやりきれない。といって考えても考えなくとも結果は同じ。 なら考えない方がよい。年寄りは、そういう事例を多く見聞きしているから 「ぴんぴん・ころり」と死にたいと、願うのである。死を悲劇と考えるか、 生の成就と考えるかは難しい。最近、亡くなった友人の大部分は、苦痛と苦悩の 果てに亡くなっていった? 最期は、リンゲル(麻薬)の濃度を高め、苦痛を 緩和し、その果てに死を早めるしかない。そこではリンゲルによる極楽と、 肉体の苦痛の地獄が混濁する。父親も、手術後の数日間は苦痛の極みにあり、 「あんなに苦しむなら、手術などしなければ良かった!」と死ぬ数ヶ月前に 言っていた。 手術の一年後に亡くなったが、最期は病室で独りで頭を掻き 毟っている姿をみた。「死んでいいから、どんどんリンゲルを打ってくれ」と、 延命より、安楽死を望んだ。また、私の4番目の姉の旦那が亡くなった時の、 断末魔の苦しみの状況も、姉からリアルに聞いた。最期は苦痛で暴れるのを、 何人かで抑えて・・ 亡くなった。 数年に一度は、訳のわからない新聞記者 とか、検察が、断末魔の苦しみの末に、強いリンゲルとか何かで死期を早めた のを聞き込んで、逮捕や刑事告発をするケースがある。ガンだけではないが 死に際には苦しむ患者の息を止めてやるのが、医師の役割。誰が苦痛の際で 生きているより、早く解放された方が良いのは当たり前のこと。 死は誰にも平等に、思わぬ苦痛を伴いやってくる。人生は生きているうち! 美味い酒を飲んで、好きなことをして、後悔の残さないように生き、そして 最期は、のたうちまわって死ぬしかない。上手く死ぬのも芸のうち、など 言っていられない。ホテルのバスにナミナミと水を張り、睡眠薬をタップリ 飲み、美味い日本酒を一升も飲めば楽に逝けそうだが。 まだまだあるが、こういうジョークは止めておこう。
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2016年08月19日(金)
<「賢い子」に育てる究極のコツ 瀧 靖之 (著)> 〜まずは、内容紹介より 《 本書は、16万人の脳のMRI画像を解析・研究してきた瀧靖之先生による、 脳の力を最大限に伸ばす子育ての本です。 世界最先端の脳研究から、「ぐんぐん伸びる子」と「そうでない子」の差が 見えてきました。「頭のいい子」「能力の高い子」は皆、好奇心のレベルが 他の子どもより高いのです。 好奇心を伸ばすコツは、たったの3つ。 「秘密道具1ー図鑑」 「秘密道具2ー虫とり網」 「秘密道具3ーピアノなどの楽器」を子供の成長に合わせて取り入れていく ことで、その子は学ぶことや知ることがもっと大好きになり、脳はみるみる 賢く育っていきます。さらに脳の発達に合わせた習い事で、芸術的センスや 運動能力・語学力も伸びやすくなります。 》 ▼ 結論からいうと、賢い子に育てるには、「好奇心」の強い子に育てること。 そのために、まず身の周りの自然などが分かりやすく掲載されている図鑑を 与えるのは道理。 また、昆虫採取などの実体験は必要。音楽の演奏もいい。 「人生最初の習い事は?ピアノと英語なら、ピアノが勝ち!」という。 「賢い子」と「成績の良い子」はもちろん違う。本当の意味で「賢い」とは 「自ら進んで学習する能力がある」ということ。子どもの脳は、学校の勉強 だけでなく、人間関係や社会についてもさまざまなことを日々「学習」 しながら成長する。『二人の息子の部屋に、百貨図鑑を置いていた。暇だと 何時も見ていた』と家内は言う。 下の子にはピアノ与えた。 二人とも、 ゲーム好きで、少し嵌りすぎたきらいがあった。 7〜8歳の頃、近くの大学生だった従兄弟にバイオリンを勧められ、 『教えてやるから、バイオリンを買ってもらいなさい』と・・ で、父親に頼むと、即刻、『駄目!』と拒否をされた。あの時に父に、 『何があっても、止めない』ことを条件にバイオリンを始めていたら、 人生が変わっただろうにと、40歳を過ぎた頃から思い返してきた。 両親の素養も必要ということ。尤も、バイオリンは私には向いていないが。 幼児期に、真に受けて始めていたら、人生は変わっていたはず。 レコードと本の購入は、フリーで、何も言わなかった。
・・・・・・・ 5270,閑話小題 〜久々の大物が出現 2015年08月19日(水) * 久々の大物スターアスリートが出現 高校野球に、久々の大物・清宮選手がデビューをした。まだ15歳だが、 風貌は20歳後半。三年前のTVの報道で、彼の大物ぶりを報じていた。 当時のプロの目から見て、「ベーブルース並み」の潜在能力があると 報じていたが、「まさか!」と思っていた。当時の身長は、現在とほぼ同じ。 この4試合を見る限り、決して、その言葉が大げさに思えないが。 球をとらえる前さばき、全身のシナリ、バットの鋭さ、ふてぶてしさ、 風貌、どれもを見ても、イチロウ、松井秀樹レベルか、それ以上? しかし、ネット上の記事の辛口のものもある。 《 準々決勝含む4試合で16打数8安打の打率5割。2試合続けて本塁打を 放つなど、計4試合で8打点。本塁打まで打った1年生のどこが「まだまだ」 で、「パワーヒッター」じゃないのか?。「脚力を含めて絶対的なパワーが ないしフォロースルーも小さい。打つポイントが体に近く、ボールを最短距離 でとらえているので基本的にはセンターから左方向へライナーを飛ばすタイプ。 スイング自体もコンパクトで、レベルよりダウンスイングに近いため、打球も 上に上がりづらい。ホームランバッターがよく、とんでもなく高いファウル フライを打ち上げますけど、そういう飛球がいまの清宮にはありません。 松井や清原が1年生で甲子園デビューしたときと比べると体のキレ、躍動感、 スピード、パワーで物足りない印象ですね」(同) 別の球団のベテランスカウトによれば、「東海大甲府戦(15日)の本塁打 にしても、芯でとらえればあれくらいの飛距離は出て当然。それより何より 対戦する投手のレベルがヒド過ぎる。130キロちょっとで、打ちごろのボール が甘いコースに来れば打って当たり前。清宮だけがとらえているならともかく、 それ以外の早実の打者までボカスカ打ってるじゃないですか」。》 少し買被り過ぎに、この位の内容で少し冷静に見た方が、本人にも 良いのだろうが、問題は今日明日の内容になるが、やはり逸物である。 相撲でも、同年代の少年に清宮並みの大物が、何かの大会で優勝をした。 こっちは買被り? それぞれのスポーツに、こういうのが次々と現れてきた。 親がかりのマシーンをつかった天才教育の結果だろうが、清宮は、まだ12歳で、 既に183㎝のアスリートとして出来上がった身長があったところがポイント。 一風変わった、沖縄のトルネード投法のピッチャー、アフリカのハーフ、 オジサン顔の15歳の超大物など、面白いのが出てきた。時代は、変わった。
・・・・・・ 4905,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー49 2014年08月19日(火) * 総括の総括 ー① このテーマのシリーズも、目安だった50回に近づいてきた。 しかし、思いついた時々に‘つれづれに’加えていくことにした。 ホテル事業の準備段階までのことは、今まで、深く振り返ったことが 無かったので、書き出してみると面白い。しかし肝心のホテルは転売時期を 逸し、後半の15年間は、2001年の9・11テロと、2004、2007年の中越地震と、 刈羽沖地震が発生。 2008年のリーマンショックを経て、2011年の3・15の 東北大震災を向かえ、その直後の3月30日に倒産に至った。 経営的には、2001年の9・11以来、右下がりの坂を駆け降りていた。 1985年から始まったバブルは、1989年の株式の納会で最高値をつけた翌年 11月に、半値の20000円まで下げた。更に、数年かけ、最高値の5分1の8000円 以下まで下げた。「バブルの崩壊」は、あるとき一瞬に起きた現象ではない。 崩壊は、開始から数年間をかけて徐々に生じた過渡的現象で、その進行は 地域や指標の取り方で異なる。崩壊は1991年10月ごろ始まったが、その頃、 ソ連、東欧の共産圏の社会主義圏が崩壊をした。中国は実質的に社会主義を 放棄、資本主義に変わり始めていた。バブルとバブル崩壊が日本の大転換期で、 欧米に先立って、崩壊過程に入っていた。事業は改革を続けないと、「へ」 の字のように右下がりの結果、消滅をしていく。時期的に3分1が上り坂で、 3分2が下り坂になる。これは店も同じ。 開業以降、バブルを含めて10年が 利益の面からみて上り坂で、後の10年はナダラカな下りで、最期の10年は、 急激な下りになっていた。リーマンショックで地方経済は大打撃。 しかし、新潟駅前に留まっていたのが、撤退には都合が良かった。 現在も、4棟のうち3棟が、同じ名前でホテル営業が続いている。 買い手が、名前を引き継ぎたいというから、快諾をした。同じホテル名なら、 表向きオーナーが変更しただけで、事業体の生命が続いていることになる。 拒否も真剣に考えたが・・ まあ、いいだろう! と。
・・・・・・ 4538, 「ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある 2013年08月19日(月) 「ひとり達人のススメ」山折哲雄著 孤独の必要性を今さら、哲学者の書で読み直すこともないが、図書館で手に とった時に、「ひとりとは思考すること」と「考えるとは心を震わすこと」を 目次の中で見つけ借りることにした。 会社から離れ、日常生活で「ひとり」 でいる時間が圧倒的に多くなったが、さほど誰かに会いたいとか、話をしたい とかの渇望は少ない。 家内以外と私的会話を一月もしないことも度々。 これだけ、ここで色いろ主張していれば充分だが・・ 創業を20歳時に 決心した第一歩が「ひとりに成りきる」ことと、『ひとりの世界』のつくり方が、 人生のテーマ。それ以来、早朝の読書を中心にした独学が芯になった。 振り返ってみると、独学の「独」が、重要だったことになる。学のためには、 独(ひとり)になること。スポーツクラブのヨガなどで、図書館、ランチの店、 シネマで、まず自分が独り座る位置を決めておくと、その辺りが精神的な テリトリーになる。慣れてしまえば「ひとり」ほど自由で気楽なものはない。 まずはアマゾンのー内容紹介ーより 《 散るさくら 残るさくらも 散るさくら―良寛の作と言われていますが、 はっきりしません。ただ、この句をじっくり味わうと実に奥深いものが感じ られます。それは、私たち日本人の感性に訴えかける「無常観」や「死生観」 が込められているからです。2011年3月11日。そこから意識され始めたのが 「絆」でした。確かに、人は誰かと繋がって生きています。しかし「孤」 があって初めて人との繋がりを意識できるのではないでしょうか。 精神的なよりどころを見失っているかのような現代人に向けて「ひとり達人」 になることで得られる充実感をこの本は説いてくれます。「いじめ」や 「孤独死」の問題を解決するために、果ては充実した死を迎えるためにも、 いま最も求められているのが「ひとり」であることの美しさ、強さなのです。 どう生きていくか、どう死んでいくか、どう人と関わっていくか… すべての 答えが「ひとり」の中にあります。どうやったら「ひとり達人」になれるか? 》 ▼《「ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある》というが、 「覚悟が出来ているから、ひとりになれる」。アイヌ語の「ヤイコシラムスイェ」 が「考えることは心を震わすこと」という語源からきているという。感激、感動 で心が揺れることが考える、とは驚いた。秘境などの大自然に接し感動すること 自体で、既に考えていたことになる。驚きは自分の世界から外側に一歩出た ことである。それは、その外側から自分の世界の限界を知り、思考していること になる。 還暦は、独りで生まれてきた以前の無に還る折り返しをいうが、 誰もかも最初から最期まで、実は「独り」。 さて瞑想だ!
・・・・・・ 4163, 老年行動学 ー1 2012年08月19日(日) 「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす 」佐藤 眞一(著) 還暦から65歳までは自分が老人と意識したことがなかった。しかし会社から 離れ、家庭中心の生活に入ると、急に老いを目前に突きつけられた感がする。 思いもしなかった過去の記憶が突然に蘇る頻度が多くなり、それぞれの時節に袋に 閉じ込めていた遠い記憶がフラッシュバックしてくる。図書館で借りてきた本だが、 なかなか老人の本質をついていて身につまされる。改めて老人学を調べると、 面白い本がある。 要は、人生を通して学び続けてきたかどうかだろうが。 ーアマゾンの内容紹介ーより 【 =わけがわからないご老人の行動には、理由がある!= あなたはご老人を見たときに「なぜ、あんなことをするのかな?」と、 思うことがありませんか? たとえば、もう先が長くないのに、気にもかけず、 毎日楽しく暮らしている人。誰が見ても反射神経や判断力が低下しているのに 頑なに車の運転をやめない人。些細なことでキレ、頭から湯気を出して怒って いる人....。 ご老人たちの行動は、謎だらけです。しかし彼らのこのような 行動には、実はそれなりの理由があります。その理由を探り、高齢者の行動と 心の謎を、老年行動学によって解き明かしたのが本書です。】 ▼ 冒頭の「なぜ老人は都合のよいことしか覚えていないのか?」が面白い。 「どうやら老人は自分の都合の良いことや楽しいことしか覚えてないらしい。」 の問いを立て次のように答えている。 ≪ 老人に限らず、もともと人の気分は、ネガとポジの真ん中ではありません。 うつの人などはネガ寄りですが、通常は真ん中よりもポジ寄りなのです。 なぜかというと、人はみな、自分が死ぬことを知りながら生きているから。 いつか必ず死ぬとわかっていながら生き続けるには、「自分には生きている 意味がある」という自己肯定感や、「自分は生きる価値のある存在だ」という 自尊感情が必要で、それがないと人は生きていけないのです。 そのため人は、自分という存在を肯定し、自分の価値を高めてくれる情報を、 無意識のうちに集め、記憶し、脳に蓄積していきます。そして、気分をポジ 寄りに保つことによって、生き続けるのです。 この基本的なしくみは若者も 老人も同じなのですが、若者の方がネガティブな事に目が向きやすく老人は ポジティブな事の方により向きやすいのです。実際に、悲惨な写真と楽しい 写真を見せると若者は悲惨な写真を見る時間が長く、老人は楽しい写真を見る 時間が長いという実験結果があります。理由の一つとして、生きていく上で 必要な学習機能として、若いうちはネガティブに目が向くと考えられています。 人生の端緒を開いたばかりの若者にとって、長い時間を生き抜くに、他人は どのようなとき自分を攻撃し、自分はどのような状況で傷つき、どのように 苦しむのかといったネガティブなことに目が向くのではないかと考えられる。 それに対して老人は、散々ネガティブなことを経験してきていますから、 もうそのようなそのようなことを学習する必要はありません。しかも、高齢に なって残された時間が短いことを認識するようになると、気分をポジティブに 保つことが、今後の人生を生きる上で重要になります。経験上、ポジティブな ことに目を向けた方が生きやすいため、注意力や記憶力という‘限られた資源’ を、ポジティブなことに当てるようになるのです。≫ ー老いはポジ寄りに意識的に向けないとネガティブに陥る傾向にある。 なる程、この年齢になって気づいたことは、年齢に気持ちが追ていけないこと。 実際のところ、心の精神年齢の調査では50、60歳代で6歳の差があるという。 アメリカでは、男が15〜16歳、女が22〜23歳もある。私は10歳近くは若い。 というより、年齢に気持ちがついて行けない。 ・・・・・・・ 2011年08月19日(金) 3798, まずは「自分の世界の自覚」から! * 世界内と世界外 40歳の頃から20年間にわたり世界の秘境・異郷に熱中したのも、 その世界の凄みに引き付けられたことがある。それぞれの世界は、それぞれ 他から隔絶され、それぞれの時間が流れているのを実感させられる。その世界 を対比することで、いかに自分の世界が小さく、脆い現象世界に存在している ことに気づかされる。ここで世界を象に喩えているところが面白い。その皮膚 の襞が、それぞれの社会。そこの寄生虫が我われと見ると、わかりやすい。 問題は、それぞれの寄生虫は、そこが全世界と思っていること。それを知るには、 世界外に出てみないと分からない。 人間は世界内存在とハイデッガーが 述べたのは、そのことである。 ーまずは、渡辺昇一著「知的余生の方法」の≪自分の世界の自覚≫ よりー 【 ここでは人間の「世界内」と「世界外」について述べてみたい。 こんな句がある。< 虫けらは やはり自分の世と思い 阿部佳保蘭 > 毛虫は、住む木の種類が決まっているという。Aという毛虫はKという木の葉 しか食べない。その毛虫にとってはその木の傍に美しい花咲く種の木があろうが、 おいしい葉を持つσ種の木があろうが関係がない。Kという自分の木だけが 全世界だと思っている。この応用はいくらでも応用できる。 「象の皮膚の襞につく寄生虫は、自分がくっついているその襞だけが 自分の全世界で、象がどのような形をしている動物かも知らない」というような ことを言ったのは仏の哲学者ルコン・デュ・ニュイであったろうか。このように 虫の立場から見る世界とか、鳥の立場から見る世界とか、人間以外の動物の目 から見る世界の「視点の転換」を教えたのはユクスキュウルという独の動物学者。 哲学史でどう取り扱われているかは詳しくは知らないが、人間の思考法を大転換 させる業績だと思う。 木田元さんは近代西洋哲学の、特にドイツの哲学者 ハイデガーの権威である。・・・木田さんはハイデガーの『存在と時間』の訳を 読んで発奮されて東北大学の哲学科に入学され、哲学者になられた。 ハイデガーを本当に理解したいと思ったからだと言う。当時の私は中学の教科書 のほかには、佐々木邦の『珍太郎日記』とか、吉川英治の『三国志』を耽読して いたのだから、暦日年齢的には三、四歳ぐらいの違いなのに、精神年齢としては 十歳以上も違っている。そう言えば、同じ中学の五年先輩の丸谷才一氏の読書歴を 見ても、私とは確実に十五歳以上の精神年齢差がある。その木田さんは比較的 早い頃からハイデガーについての著述をなされていたが、ハイデガーを本当に 理解できるようになったのは、ずっと後年で、ハイデガーがユクスキュウルの 動物学の影響を受けているのがわかったからであるという。象の寄生虫の存在を 「象の皮膚の皺という世界内存在」ということになる。」・・・ 】 ▼ この辺は、カントの論に似ている。カントは五感の能力内でしか世界を 認識できないと初めて論じた人。寄生虫と、人間の違いは、自分が象の皺の 中にいることを実感しているかどうか。それを知るには、長年かけた教養を 積むか、その地を遥か離れなければならない。そういえば、力・愛・知の追求 の他に、それらから一歩離れた価値の追求をしてきたのは、五感の外の (世界外)存在も念頭に入れていたため。
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2016年08月18日(木)
* 終わった人、ですか! <『終わった人』内館牧子(著)> これは、アマゾンのHPで見つけた本。 リタイアをした身にとって、 『終わった人』は、ドッキとし、身にしみる。 団塊の世代が、この数年で 大量に職場から押し出され、『終わった人』になっている。 まだ終わって ない、端にいる人ほど一歩先に終わった人に、言い放ちたい言葉でもある。 還暦ならいざ知らず、古希も過ぎれば、何をいわれても馬耳東風。 まだ若いと思っているのは自分だけ。老兵は、ただ黙って去るのみ。 恵まれたサラリーマンほど、節目の切替が難しい。 〜アマゾンの内容説明より〜 ≪ 銀行の出世コースから子会社に出向させられ、定年を迎えた田代壮介。 仕事一筋だった彼は途方に暮れる。妻は旅行などに乗り気ではない。 図書館通いや体を鍛えることは、いかにも年寄りじみていて抵抗がある。 職探しをしてみると、立派な職歴が邪魔をしてうまくいかない。 妻や娘は「恋でもしたら」とけしかけるが、気になる女性がいたところで、 思い通りになるものでもない。惑い、あがき続ける田代に安息は訪れるのか? 〜アマゾンのビュアーの声より〜 《 何と云っても、タイトルが秀逸。長い人生、生物的には最期の時まで 「終わり」はないはずだが、「社会的には」確かに終わった人は年々増えて いるし、殆ど全ての人間は(自分も含め)そうなることを改めて教えられ、 身に沁みた。「散り際千金」「散る桜残る桜も散る桜」(2頁)と考える田代 壮介、49歳で子会社に出向、51歳で転籍、63歳のとき年収1,300万円で退職 (あと二年働けたが、そうすると6割近く下がる)、保有資産は現金で 約1億3,600万円(275〜6頁)の★「卒婚」(358頁)物語。 (しかし、こんなに恵まれたサラリーマンなんて、そうそういないでしょう) ★ 卒婚とは 離婚との違いとしては、夫婦の関係を断ち切るのではなく、結婚 という形を持続しながら、それぞれが自由に自分の人生を楽しむ、という前向き な選択肢。 必ずしも別居ではなく、同居しながら卒婚というスタイルも有りうる。 〜印象に残った箇所〜 「もし、私が田代さんのお部屋に泊まれば、あとは別れるか、愛人になるか、 結婚するかしかありません。男と女になれば、十年も二十年ももつ関係が、 半年や一年で終わります」 (217頁) 「あんなにきれいな人だもの、今に誰かと結婚してトシは捨てられるわよ」 (239頁) 「恋? お前も情けないものと比べるね。あんなものは十代でも二十代でも、 生きてるついでにするものだよ」 (252頁) 「「先が短いのだから、好きなように生きろ」ということなのだ。嫌いな人 とはメシを食わず、気が向かない場所には行かず、好かれようと思わず、 何を言われようと、どんなことに見舞われようと「どこ吹く風」で好きな ように生きればいい。・・ これは先が短い人間の特権であり、実に幸せな ことではないか」 (287頁) 「今後、介護やあなたの世話をする気はない。 でも、離婚という形は取りませんから」★卒婚(292頁) 「将来を嘱望された男ほど、美人の誉が高かった女ほど、 同窓会に来ないというのはよくわかる」(314頁)。 「思い出と戦っても勝てねンだよッ」 (319頁) 「思い出と戦っても勝てない。「勝負」とは「今」と戦うことだ」(333頁) 「僕が笑うと、久里も笑った。きれいだった」(366頁)。 ▼ 産業廃棄物の典型的な人物描写である。第一の人生をソツなく卒業すると、 こうなるのだろう。学生時代の友人が、いまだに、実家の関連会社の社長に、 しがみ付いている。曰く、『何もすることがない事が恐ろしい!』と。 それも良い人生かも知れない。 『日々、是、口実』よりも? 「終わった人」ならまだしも、「いらない人」になっていく私? で更に、内館は、『必要のない人』という本を書いている。 ったく!
・・・・・・ 5269,凶器としての狂気 〜ニーチェ「超」入門〜 2015年08月18日(火) 〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦著 * 凡庸な人生からの離脱 〜凶器としての狂気 創業には、準備、準備、準備、そして準備が必要である。 新たな絵図面を信じ、ただヒタスラ、日々を過ごしている姿は狂気でもある。 そして、いざ実行段階では、自身が凶器そのものである。それも軟弱な 我が身を知れば知るほど、その刃を鋭くするしかない。それが若さでもある。 「人生、小説とは違う。弱者は悪、強者は善」と、目先の問題解決に立向かう。 ある哲学入門書、『哲学を自分でつくる』瀧本往人著、の小項目、 「凶器としての狂気」を目のあたりにした時、ピンときた。この年齢まで生き、 人生を達観すれば、競争社会を生きること自体が「凶器としての狂気」の意味が 少なからず実感できる・・ 極限の境は狂わないと越えない! 〜その辺りから ≪・精神の三態、つまり駱駝から獅子、幼な子へ、という精神の変化をニーチェ は描いていた。 駱駝とはたくさんの荷物を運ぶ存在で、重ければ重いほど そこに自分の強さを感じとる。ギリシア古典の文献学的研究に勤しんだころの ニーチェは駱駝だろう。 ・しかし駱駝は荷物を運んでいる途中で突然獅子となる。それは、つまり世界 が見通せたことにより明確な探求の対象がくっきり見えたということであろう。 ニーチェの場合は、キリスト教道徳である。獅子はそのもっとも強大な対象と 正面から対峙し克服しようと試みるものの、批判することだけが可能である。 ・そこで獅子は幼な子へと変わる。幼な子は何も知らない。何のしがらみもない。 そこで新しい価値が創造される。幼な子は、「ひとつの新しいはじまり」 「ひとつの遊戯」「ひとつの自力で回転する車輪」「ひとつの第一運動」 「ひとつの聖なる肯定」である、と二ーチェは言う。 実際にニーチェは、生を絶対肯定し、「永劫回帰」といった指標を示し、 「超人」としての生き方までも描きだした。それはまだ「駱駝」や「獅子」 を経ていない人には、理解しがたいのかもしれない。 その過程を経ている人にとっても、得体がしれないかもしれない。 私自身、自分がいずれにあてはまるのか、うまく考えられない。 〜幼な子の超人とは、一体何者であろうか。二つの道筋が想像できる。 一つは、ニーチェ自身もそうであったが、過去の記憶を忘却し世間のしがらみ に束縛されないような生き方である。幼な子というよりも老人に近いイメージ。 この場合、「永劫回帰」という考え方も親近性がある。しかし、これは当初の 二ーチェが考えた超人とは少し異なってくる。つまり、自らの「強さ」を有し 新たな価値を創造するような存在ではなく、老成、老熟、高熟、つまり 「人を超えた存在」というよりも「熟した人」である。 そこでもう一つのイメージが現出する。自らを狂気にするか、もしくは、 狂気のふりをする、というものである。しかもそれは、本当は狂気に陥って いるわけではないのにもかかわらず、そのような生き方を選ぶ。 ・・(中略) 誰にも理解されないで生きることはたやすいことではない。 他者からの承認を媒介にせずに、どうにか生きようと努力すること、人間一般 ではなく、人間を超え出ようとする意欲を持ち、それを実践すること、 それがニーチェの「生きる意志」である。自立とはそういうことではないか。 いかがだろうか、「自立」とは、両親と別居し、自分で稼いで、生活をして いる、ということとは、実は程遠い。それは「自炊」や「自活」にすぎない。 自身を追いこみ、他者とのしがらみの中で、孤高に生きること、そこにしか 自立はないとすれば、あなたはそれを望んでいるのだろうか。結局、私たちは 「主」でなく「奴」としてささやかな幸せをもとに生きていれば満足なのでは ないだろうか。 超人への一歩を踏みこむことは、まだたやすい。しかし、 その渦中で生き続け、死んでゆくのは、敢然たる気概と勇気が必要。 あなたには、それがあるだろうか。 ≫ ▼ 準備15年を含めた創業45年の人生は、精神の三態、つまり駱駝から獅子、 幼な子へ、という精神の変化を経験する。だから、結果がどうであれ、 充実感が残る。別に誰に理解してもらえるかどうかは、問題外である。 問題は、孤高の世界で自立出来ているかである。だから、あれはあれで良い! 私が最も嫌うのは、何事もなく御堅い地元企業で何事もなく、定年を向かえ、 凡庸を最善と信じ、OBとなっても群れ、比較社会で満足している幸せな方々。 ・・・・・・ 4904,閑話小題 ーバンコクの奇怪な事件の背景は? 2014年08月18日(月) * レンタルチャイルド 今回のタイ・バンコクの日本人男性が所有するマンションの部屋で、 9人の乳幼児が保護された件で、タイ警察はDNA鑑定を行った結果、同一男性と 発表、それが日本人のタネかは今だ不明。 これで直ぐに思い出したのが 『レンタルチャイルド』石井光太著である。ーまずは、レビューからー 《 2002年から数年かけて著者はインドの貧民街で取材する。人づてにマフィア にインタビューまで。目をつぶされた子供にも話しかける。不潔で臭くて底なし 沼みたいな暗い話。浮浪者との会話の間に挟まれる街の描写がえげつない。 だいたい貧民街自体がゴミ溜か下水道みたいなものだし。 黄ばんだ砂埃、 どぶ川の異臭、ゴキブリと鼠が路地を這い回り、散乱したゴミや死骸に蛆が 蠢き、虫の群れが飛交い、体臭や口臭、血と垢と泥、小便の匂いが漂う。 文面からジメジメしたまとわりつくような匂いが感じられる。実際には鼻の粘膜 が痛くなるほどの激臭だろう。インドの浮浪児は数万とも数十万いるとも言われ ている。中にはイモムシみたいに這いつくばって物乞いをしている子供もいる。 憐憫を誘う為にマフィアに手足を切断され無理矢理障害児にされたのだ。 時にはレンタル品として女乞食に貸し出される。浮浪児はそのマフィアを父と 呼び、慕い、庇う。浮浪児は青年になると追い出される。自らマフィアになり、 子供を食い物にしようとする。女の子は売春させられ、子供を産み、その子供が またレンタルとして貸し出される。奪われる側から奪う側へ。どうしようもない 不幸の連鎖。彼らは教育も受けておらず身体にも障害があるので職につけない。 だから自分より弱者を見つけて奪うしかない。中には哀れみを誘うために自分で 目を潰す青年もいる。稼いだ金でドラッグや売春婦を買う。売春婦にも相手に されない時は強姦するか獣交する。騙しあい、犯しあい、弱い者は死んでいく。 生きていくために他に方法がないのだ。日本ではどんなに貧しくても努力で 這い上がれるチャンスは多いし、たいていは自分で人生を選択できる。 しかしここにいる人達は運に流されるしかない。全く選択肢がなく貧困から 抜け出せない。しかも大量にいる。どうすればこんな貧困がなくなるのか、 全然わからない。結局誰にも救えない。絶望的で本当に救いのない話だった。》 ▼ インドのベナレスの街では、色々の物乞いが観光客にまとわりつく。 そこで見たのが、マフィアなどにより人工的につくられた子供たちの地獄絵の ような姿。今回の事件の背景には、決してハッピーでない人身売買の実態が炙り 出されるか、この事件、表向き自殺でウヤムヤになる可能性も十分にある。 そこには、非情な世界が垣間見れる。欧州系の刑事モノで、内臓売買の対象の 人身売買もあった。 まず、日本人男性のタネかどうかである。それ以前に、 生きて出てくるかどうか? マフィアにより?世界の深い闇が、表立ってくる。 今回の母体の腹貸し料金が100万円。すごい世界である! 一部マスコミ 以外は、深くは追求しないうち、次々出てくる大事件で忘れ去られることになる。 ・・・・・・ 4537, 閑話小題 ー種銭の話 ー2 2013年08月18日(日) * 33年前の新潟駅前シリーズの種銭は、ニ億 私の創業の野心をみた父親が亡くなる前に、陰に陽に相続に不利にならない ように条件づくりをしていてくれた。末っ子という不利な立場でも何とか自分の 相続分を確保できたのは、99%父のお陰。亡くなる数年前に、殆どの事業資産を 兄と私と姉と母親の4分割の均等贈与をしていた。これが我家の御家騒動の元。 強引に我田引水をしようとした姉夫婦が自爆してしまったのは生前贈与のため。 こっそり父に「お前のためにしたことだ、憶えておけ」と言われた。で、軋轢の 結果、姉夫婦が『主だった従業員全て私についた、会社をそのまま引き渡すか、 渡さなければ、手持分の株式は悪質業者に売り渡す!』と迫ってきた。 耳を疑ったが、母と兄は激怒、『即刻、千葉の事業を引き払い、帰って来い』と。 大学を出て6年以上、極限状況の中で過ごしていたため、「この程度の案件 など朝飯前!」という思いがあった。そして建直しに5年近く注ぎ込んだ後に、 34歳から新潟駅前のホテル事業を始めることになった。結果として、当時の 物件の時価評価と現金で、兄、私、姉夫婦、母が、ほぼ均等の持分になった。 新潟駅前シリーズの当時の持金が1億、更地が時価1億、合計2億。 しかし最後はこれ、悪銭?身に付かずである。しかし、後悔は一切ない! 長岡の大手通シリーズも、新潟駅前シリーズも面白かった手応えが残っている。 ホテルは完成した段階で、立ち上げの面白さで気持ちの上で償却済み。 決して詭弁ではない。それが言えるほど面白い。 父の、「長い事業の中では、 何が起きるか分からない。万一の備えは充分にすべし」という教えで、手掛けた ビルは、壁面側の鉄骨を太くして、内側の柱は無しか、最小が基本。 売りに出したとき、買い手に潰しが効く(スケルトンが可能)構造になるため。 そのため、どれも売りに出すと同時に即売。 それは事業設計も同じ。 ・支払いは実質現金払い(20日閉めの月末払い) ・親戚家族は事業経営に資本も含て一切入れない(資本は私名義) ・借入は地銀最大手と、都銀と政府系銀行で9割 ・妻子の連帯保証はなし。 ・家内の銀行口座は別。 等々がセフィテーネットになり、何とか今まで 通りの生活は出来ている。 年齢を重ねるたびに、事業と、お金の恐ろしさを 感じ入っている。上手く乗りこなしている内は良いが、一つ間違うと食い殺される 獰猛な虎は、長年かけ飼い慣らすしかない。「リーマンショック以来、既に世界 は深刻な恐慌に入っている」この現実を認めるか認めないかである。 大恐慌前提で言動をしてきたので、読む人にとっては大きな違和感があるはず。 2億で30数億の投資をして、最後に残ったのが虎の革?いや、尻尾! ・・・・・・ 4162, 節目時に何をしていたか ー2 2012年08月18日(土) ・30年前=36歳。新潟のホテルの立ち上げ二年目で営業は順調で、 一息ついた時。二つ目のホテルの土地を近くに見つけ、買収交渉に入り つつあった。時代は右上がり。ホテルの1Fで学生ショップを兼業しており、 ホテル名も学生服メーカーの名前をつけていた。月〜金曜日はビジネスホテル が満室で、土日は学生服の売上を稼ぎと当初の思惑が当たり、ピークの時。 この頃、東北・上越新幹線が開通し、新しい波が東北と裏日本といわれた 日本海側にも打ち寄せてきた。 ・25年前=41歳。1987年といえば、プラザ合意から三年目。 バブルで日本中が湧き上がっていた。ホテルも280室になり、利益体質が完成 していた時期。この時、郊外型ホテルを考えていたが、結局は新潟駅前で 500室を目指すことにした。これも、バブルの影響である。こうして振り返ると、 戦後の日本経済と命運が全く同じだったことが見て取れる。 ・20年前=46歳。それまでの無理もあって病気で打ちのめされた。 日本経済もバブル崩壊で大不況に突入。それでも、バブルの予熱が日本を 覆っていた。客室数は280室から500室に舵を切る決断をしてしまった。 この時期、20の都銀が近い将来、次々に倒産や、吸収合併されていくとは、 夢にだに思ってなかった。 ・15年前=51歳。母親が亡くなった翌年。人生を俯瞰して「やり残したこと を還暦まで圧縮して生きる。30年分を9年間に押し込む」と考え、決断。 今から考えてみて、これは正解。バブル崩壊で金融機関の再編成、真っ只中。 ・10年前=56歳。「人生の良いところ還暦まで!」と、年数回の秘・異郷旅行 など無我夢中。個人のHPも立ち上げ、生活の中心をネットに移動して二年目。 意味・人生を謳歌していた時期。しかし売上は下降曲線に入っていた。 ・5年前=61歳。リストラ効果も出始めて、新潟駅前再開発事業も進み、 何とか目安がたちホッとしていた。二つのホテルが道路拡張工事で買収が 近い将来あるまでと・・ まさか翌年、リーマンショックが起こるとは、 夢にだに思ってなかった。 ・そして現在である。やはり、この10年も激動期。二つの中越地区の大地震、 そしてリーマンショック、東北大震災で、近い領来には間違いなくリーマン・ ショックによる大津波が襲ってくる。そうこう考え自分の人生を振り返えると、 日本経済の光と陰が、ほぼ重ねっていた。経済大震災と東北大震災からして、 やはり去年三月が引き時。 ▼ 5〜10年スパンの節目で振返ってみて、目先の日常にとらわれ、長期的 視野で決断できない姿が見えてくる。振り返るってみて、人生の折り返しの時節 は34歳。独立の一歩を踏み出した時である。とにもかくにも無我夢中。そして、 人生の後半に入った。11年前の9・11テロの翌月から、売上減がジワジワと 三年続き、その後に中越地震。この時は震災復興関連景気で何とか持ったが、 何とか目安がたってきた2008年9月のリーマン・ショック。この日を境に、 毎年20%半ばの売上減が続き、三年目に入っても同じ下降曲線。 10年前の売上減を加えると、売上が三分の一まで激減。そして、決断。 「年内に、大津波の本体の一波が押し寄せる」という仮説を立て現実を見ると、 末恐ろしいが。
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2016年08月17日(水)
【お金に強くなる生き方 〜佐藤 優 (著)】 * 高い学歴も、金で入手可能 ここで、「子供を幼児から投資対象にする辛らつな世界が現実に存在する」 という。こうしたのが、官僚、弁護士、医師などになって、世の中を牛耳る のだから、一般人はたまったものでない。中国の一人っ子政策で、親が自分の 将来を託すために子供教育に全てを捧げている。大学でも、付属の小学校から、 エレベーターで上がってきた人は、受験勉強で魂を磨り減らしてきた連中より、 違った強みと弱みをあい持っている。卑近の例で、幼稚園、保育園に通った人 と、通ってなかった人は、何かが(温みの有無)違っていた。〜その辺りから〜 ≪ 資本主義社会において、お金は絶対に必要です。私たちは、生きていくため に必要な食料、衣服、住宅、水道光熱費、サービスなどを商品として購入します。 自分で商品をつくってもそれが必ず売れるとは限りませんが、お金があれば どのような商品でも買うことができます。商品は、いつもお金に対して「片思い」 をしているのです。 高い学歴も、生後10カ月から月24万円の授業料がかかるプレスクール(保育園) に子供を通わせれば手に入ります。主流派の経済学者(近代経済学者)は、人間を 投資対象と見ることを躊躇しません。 慶応義塾の中室牧子准教授は以下のように指摘しています。 【 人的資本投資の収益率は、子どもの年齢が小さいうちほど高いのです。 就学前がもっとも高く、その後は低下の一途を辿っていきます。そして、 一般により多くのお金が投資される高校や大学の頃になると、人的資本投資の 収益率は、就学前と比較すると、かなり低くなります。 (中室牧子著 『「学力」の経済学』ディスカヴァー・トゥエンティワン・2015年)】 中室氏の言説にはそれなりの説得力があります。新自由主義的な弱肉強食の 競争社会では、富裕層の子供は幼児期から良質の教育を受け、集中して机に 向かう習慣と礼儀正しさが身につきます。だから小学校に入ってからも自発的 に勉強し、その流れで進学校に進み、偏差値の高い大学に入ります。 すると官僚、起業家、弁護士、医師、公認会計士など、社会のエリート層に なる可能性.が高まります。≫ ▼ オリンピックでメダルを取るのは、幼児の頃からの天才教育が背後にある。 そこまでしないと、そこは、戦えない世界。最近、日本も外国に比べて 劣らないのは、こういう幼児から教育を取り入れた成果。20歳の頃から、一日、 2〜3時間の読書を自分に課してきたが、半世紀も続けた割に、効果というと? これは、効果とかいう問題ではないが、としても。 5歳までの生活環境と両親 の教養レベルがあったということ? 尤もこれは、全ての人に言えることだが! 5年前の事業整理から5年半、めげなかったのは、多くの日常生活の「独行」の 生活習慣があったことがある。 〜で、これも偶然だが、以下につづく!
・・・・・・ 5268,人生を愛する気高さを持つ 〜ニーチェ「超」入門〜 2015年08月17日(月) 〜ニーチェ「超」入門〜 白取春彦著 * 人生を愛する気高さを持つ 人生は、何事が起きようが絶対肯定!にある。 どの道、私たちは宇宙のチリとして消滅していくのだから、せめて、 己だけは「天上天下、唯我、独尊」「絶対肯定」の覚悟で生きたいもの。 以下は、著者がニーチェの人生の全面肯定を要約した部分。 ≪ 人生を愛さないのならば、生きている価値はない。 人生はすでに始まってしまったのだから、人生そのものを愛するのが、 人生を味わいつくすベストな方法だ。自分の人生なんてと嘆く人は、 今の人生から逃げたがっている人だ。しかし、どこへ逃げようとするのか。 熱狂へか。享楽へか。陶酔へか。安逸へか。癒しへか。あるいは死へか。 しかしそれらもまた、死でさえ人生の中にあるのだから、人生から逃げる ことなどまったくもって不可能。人生はゆったり全面的に享受するしかない。 自分の身に起こったいっさいの事柄を享受し、肯定するのだ。それは人間 として気高いことなのだ。 自分の身にだけはつごうの悪いことが起こらず、 幸せと良い出会いと潤沢さだけが舞い降りてくるように、と多くの人は願う かもしれない。もしそのようなことがあるならば、人の生ではないだろう。 生そのものが成り立たないだろう。すると、人はやっぱり逃場がほしくなり、 宿命とか運命とかを信じようとする。何もわからならないでいる状態よりも、 オハナシでもいいから、ストーリーがほしくなるのだ。 自分の意思では どうにもならない事柄、なんとも理由がわからない事柄を選んで、宿命とか 運命といったカテゴリーへと納めてしまう。そういう傾向をあてこんで、 領収書が発行されない商売を開く輩。 占い師たちだ。 ところで、ニーチェは運命愛を持つことを勧めている。 すると、ニーチェは占い師たちのように運命や宿命を信じていたのだろうか。 そうではない。二ーチェは、人の身上に起こる事柄を運命と呼んだにすぎない。 そして、どんなことが起きようとも、いっさいを受けとめて肯定するようにと くり返し主張したのだ。これがニーチェの運命愛だ。あるのは人生の全面肯定。 何が起きようとも、「よしっ」という態度だ。決断がつらい結果を生んでも 「よしっ」という態度だ。自分のなすことすべてを肯定する態度だ。 ・・(略) 部分的な時間を人生と呼ぶのではない。人生はすべてを指す。 部分的になんらかの物差しをあてて測定して結果とするのはあまりにも小さ すぎはしないか。人生を全面肯定する人は、今のこの人生がもう一度そのまま くり返されても、ツァラトゥストラのように「よしっ、もう一度」という。 なぜならば、どういう決断をしようとも、まったく悔いがないからだ。 すべてを享受するのだから、反省や後悔など起こりようがないのだ。 むしろ、人生とはこういうものかとおもしろがるだけなのだ。 それは、人間としてとても気高いことではないだろうか。周囲の人々に 人生の尊さと、生きる意欲を我が身をもって教える人ではないだろうか。 それよりも、何が起きてもひるまず、たじろがず、むしろ不敵な笑みを 浮かべて取組む生き方のほうが人間としても高貴ではなかろうか。≫ ▼ 中村天風の『積極一貫』の主張が、ニーチェの引用であることが 見て取れる。 父が死期を悟り、死に逝くときに、母親に、 『再び生れ変わって、全く同じ人生を生きたい』と言ったという。 戦中、戦後の動乱の中を激しく生きたのを知っているいるから、 よくぞ、言えたものである。羨ましい限りである。激しく生きただけ、 後悔が少なくなるということか。 振返ってみて、本当に良い時代に 生を受けたことに感謝する。人間として生を得ただけでも奇跡だが! ・・・・・・ 4903,閑話小題 ー自転車乗りは危険に満ちている! 2014年08月17日(日) * ポタリングは、危険! だから面白いのだが 電動アシスト自転車を乗り始めて5年、一万数千キロは走ったことになる。 急なドシャ降利の中、赤信号になる前に強引にかけ抜けた直後、スリップをし 転倒、自転車共々、数メートルも投げ出された。心臓が固まり、息が止まり そうになったが、何とか骨折も無く、立ち上がることが出来た。 それ以来、雨と、スピードには充分に注意をするようになった。 乗り続ければ、大事故の可能性が自転車にはある。 近くに住む従兄は、 ポタリングを数年間続けたが、電信柱に衝突して、その危険なことを察知して、 一切、乗らなくなった。特に交差点での左折車の出会いがしらの接触事故には 注意をし、数回は右後ろを振り返っている。 半月ほど前に、ある交差点で右後ろを二度振り返ったとき、50歳絡みの 農家風の夫婦が話に夢中になっているのが見えたので、車道に入る直前に念の ため、一度、急ブレーキをかけたところ、旦那らしき運転手が、左を見ない まま、左折をした。 その瞬間、私に気づいて慌てて急ブレーキ、臨席の 奥さんらしき人はフロントに激しく突っ込んでいた。 常日頃から十二分に 注意してなかったら大事故! 恐ろしい限りである。毎日の1〜2回の ポタリングでは、危険を最小にするため、車の少ない土手とバイパスの沿道が 95%のコースにしている。 それでも長年の間には人身事故の可能性は大。 土手とバイパス沿道は、加害者のになる可能性がある! それにしても、乗っている開放感は格別である。 * 晩酌に、毎晩、5本以上の缶ビールでは 私の中学校の同級生が急逝をして2ヶ月が経つが、ショックが今でも大きく 残っている。故人は7〜8年前に転んで腰骨を骨折したが、何とか半身不随に ならずに、少しだが足をひいて歩いていた。去年の同級会の三次会に二人で スナックで飲んだ時に、『晩酌が楽しみで一日、缶ビールを5本は飲んでいる』 という話を聞いて、驚いた。その上、運動不足なら! 発見された時には、 末期の膵臓ガンで、苦しみ抜いた末に亡くなったという。 ツアーの旅先や周囲で、缶ビール5本以上を毎晩、晩酌をする話を、何人からも 聞いていたが・・ 私は缶ビール一本に、ノンアルコール一本を目指しているが、 どうしても、ウィスキーのオンザロックか、焼酎のお湯割りが加わる。 これでも、何か危ない領域の感がする。 ・・・・・・ 4536, 閑話小題 ー種銭の話 2013年08月17日(土) * 山種証券の創業者の種銭 自分が汗水たらし働いた金を種銭にしてこそ強い資金になる。 山種証券の創始者山崎種三の逸話がある。 《 米屋の小僧をしていて思いつく、米屋だからネズミが多くいる。 それを保健所に持っていくと、一匹あたり僅かな報奨金が貰えることを知り、 ネズミを捕まえてコツコツと小銭を貯めて、親方の許可を得てヒヨコを飼って 雑米を与え育て、卵を産ませて、売って投資資金の種銭をつくり投資を始めた。》 これからして株式投資も、その延長で手堅かったのだろう。そういえば、 父が子供達に似たような実践的な金銭哲学の教育をしていた。幼児の頃から、 年末にお年玉を子供達全員が貰う。それが楽しみで嬉しいが、正月が明けると、 父が他からも貰った、お年玉袋を全て回収、それぞれの預金通帳に入金する。 そして、それぞれを金庫の中に保管しておく。年に一回だが、その通帳の残高 を見せてもらう。それが十数年すると、それなりの金額になる。 子供の頃から自分の通帳を持たせることと、使わないで預金する生活習慣を 持たせることが父の狙いであった。目先の欲望を抑えて種銭をコツコツ積み 上げる重要さを時間をかけ教えていた。家風は一見派手だが、生活は質実剛健。 地方都市の商家なら、何処も似たようなもの。そして高校の入学時に、 10数万円の預金の通帳を渡されて、売買の手続きをするから何か値上がり しそうな株を選べという。それから、毎日、日経新聞の経済欄を真剣に見る ようになってしまった。数ヶ月かけて、ある医薬品メーカーを見つけた。 当時、鼻風邪から慢性鼻炎になっていたが、特効薬が売り出すニュースを見ため。 それを5年ほど持ったが、期待ほどの値上がりはなかったが、それでも数割の 値上になった。 ところが、その種銭が人生を変えることになった。 二十歳の時、軽井沢のアルバイト先の山荘で、学生仲間4人と話していた時 のこと。 その中で外国に行く予定が無いのが私だけ。 他の三人は、さほど 豊かそうで無かったが、それでも行けるのである。要は意志であることを、 その時に知った。当時は、まだ年間20万人しか渡航してない時代。 私も決心をすれば行ける?との思いが出た。その時、考えたのが、あの種銭。 その頃、ある友人に『大学の、あるサークルの海外旅行研究会があって、 一ヶ月の欧州旅行の企画で参加者を募集しているが、一緒に行かないか』と 誘われていたが、まさか自分がと、取り合わなかった。当時で40万、現在なら 300万〜350万。その晩の軽井沢で『そうだ、私には20万円があった!あと25〜 30万、都合をつければ私でも行ける!』と、思い立った。アルバイト期間が 終わって向かったのは、東京の寮ではなく、実家のある長岡である。 そこで列車の中で「頭の固い父に、そのまま頼めば断られる、なら母親に 相談すれば良い」と。で、母に相談すると『私が反対すると必ず逆を言うから、 夕飯時に、その話を切り出しなさい』と、賛同を得て、作戦を実行した。 父親は知ってか知らずか、この共同作戦に乗ってしまった。数日後に気づいた ようだが、後悔した様子はなかった。その欧州旅行が、人生を変えてしまった。 あの一ヶ月間の経験のカルチャーショックで半年間は、呆然自失状態。 頭が変になる一歩手前。当時は現在ほど情報も手軽に得ることが出来ない。 それも決心して一ヶ月で、予備知識はゼロ。それがわたしには良かった。 見るもの触れるもの全てが新鮮で、驚きの連続。エッフェル塔や、凱旋門、 ローマのコロセウム、スイスアルプス・・ その中で、遊び慣れた今まで 知らなかった人種との接触。何よりも小さな固定観念が粉々になったことが、 タイミングとしてベストだった。 まとまった種銭は、お金を資金に変えるという意味で、それ自身が準備に なってしまう。問題は用途のTPOSである。「夢を持つことと、長年の準備が、 人生を決める」と、両親からと、学生時代の様々な経験から骨の髄から学んだ ことである。今回の最悪の事態でも、長年かけた万一に備えていたシェルター? が、我身を救ってくれた。 ・・・・・・ 4161, 節目時に何をしていたか ー1 2012年08月17日(金) ここで人生を5年スパンに区切り、振り返ってみる。ミニ自分史である。 自分の姿が浮き上がってくるようで、面白い。何度も書くが両親と時代に恵まれ ていたことが見て取れる。歴史的にみて、終戦後40年間ほど豊かだった時期は ないという。その中で、その豊かさを充分味わった実感は、何ものにも 代え難い財産である。 ー まずは前半から ー ・60年前=6歳、長岡市立阪之上小学校一年生だった。担任は女性の茨城先生。 20歳後半のヒステリックの先生で、優しい反面、厳しい先生だった。 当時の 住まいは長岡一番の繁華街の4階建てのビルの3Fに住んでいた。家は、そこで 衣料店を経営していて、まさに小説のような異様な家庭環境にあった。 成績は普通で、とにかく毎日が面白く刺激的だった。 ・55年前=11歳、阪之上小学校6年。勉強に少し目覚め、虐めの要素も あったが級長にされた。街中もあり、生徒の質は決して悪くはなかったが、 異様な緊張した雰囲気が漂っていた。この辺で、その人の素質が決まって しまうという。 ・50年前=長岡高校二年生で、試験試験の日々。何時もギリギリの成績だった が追試は受けたことがなかった。勉強をすれど、どうしたら成績が上るかの 術が分からない辛く暗い日々。受験校のため成績で人間が区分される。 ・45年前=21歳、立教大學三年。欧州の30日間旅行で、それまでの自分が 粉々に壊れてしまった時期。人生で一番、光っていた。見るもの触るもの 全てが新鮮で、明るく光ってみえていた。時代は1967年、頂上に近づいていた。 ・40年前=金沢の‘いとはん’(衣料スーパーのチェーン)を辞めて実家に 帰ってきて、千葉の千城台ビルの計画に入っていた。父は末期ガンで 東京女子医大で手術後、退院した父親と、計画を進めていた。 父は、医者の 宣言通りに手術の一年後に亡くなった。死期が分かっている父と事業経験の 伝達を一年がかりで始めて二ヶ月目に入っていた。将来に向けた明るさと、 死に直面した父親の苦悩の狭間で、真近で人生と事業の原点を学んでいた。 翌年、石油ショックが起き、最悪の出だしになった。 ・35年前=長岡の大手通の四角にある実家の衣料量販店の店長で、4歳の頃の できた古ビルの建て替え工事の計画に没頭していた。引継いだ店も順調に推移、 商売が面白く、身体が浮いているように動いていた。 一種の躁状態で、怖い ものなし、目は血走り、何かに取り付かれているようだった。 衣料は 一シーズンごとに完結する博打的要素が強い。そのコツを掴むと、面白い。 30年前は次回にするが、振り返ると刺激的で、恵まれていた背景があった。
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2016年08月16日(火)
【お金に強くなる生き方 〜佐藤 優 (著)】 * 幸福のパラドックス ここで紹介している、イースタリンの「幸福のパラドックス」には、 考えさせられる。 〜ネット検索によると〜 ・《『貧しい人は、お金により幸福感が増すが、中流に達すると、それ以上 の金が増えても、幸福感はあまり変わらない。ある研究によれば、年収が 7万5千ドルを超えると、お金が増えても幸福感はほとんど増えない。』 という、お金の増大が必ずしも幸福と比例しないパラドックスを表した言葉。 これはリチャード・イースタリンという経済学者が考えた説である。》 ・《逆に、「幸せはお金で買える。しかもお金が多いほど多くの幸せが手に入る」 と、米ミシガン大学の2人の経済学者が結論づけ、逆説で挙げられるような、 飽和点(7万5000ドル)を示す証拠はなく、「一国の中では、平均幸福度と 平均所得との間に明らかに相関関係が見られた」という説。 彼らの研究で、国が豊かになると所得から得られる満足度は低下していくが、 (イースタリンの逆説で挙げられているような)幸福度の上昇がほぼなくなる、 と主張。「イースタリンの逆説」を否定している。》 ・《今では所得が幸福に与える影響に関するデータは世界中ほぼどこにでもある。 一部の国(たとえば南アフリカやロシア)は、他の国(日本やイギリス)に比べ 相関が強いものの、それでもどこでも成立している。 人生満足度は国ごとに すさましくちがう。トップの諸国(ほとんどが先進国)は満足度が十点満点の 8点をたたき出す。底辺の諸国(ほとんどはアフリカ諸国だが、ハイチとイラク はたった3点。金持ち諸国は明らかに幸せだが、相関は完璧でない。 これは他の、おそらくは文化的な要因も作用していることを示唆するもの。 アジア人は、所得が示唆するよりはちょっと幸福度が低いようだし、 スカンジナビア人は所得相応よりもちょっと幸せだ。たとえば香港とデンマーク は、一人当たりPPP所得は似たようなものだけれど、香港の平均人生満足度は10点 満点の5.5、デンマークは8だ。南米諸国はえらく陽気だし、旧ソ連諸国は とんでもなく惨めだ。そして一人当たり所得から見て地上で幸福度最低なのは、 ブルガリアだ。》 ▼ イースタリンの説が正しいとすれば、750万を目安に必死になって稼ぎ、 その辺りで、人生を楽しむような人生設計をすれば良いことになる。 小・中学校の同級生を振りかえると、貧富などの家庭環境と成績が正比例。 還暦、古希の会でも、それそのまま、拡大して現在まで続いていた。 20歳代は、激しい浮沈みの環境にあったため、生活の幅があった。 やはり、「興産あって恒心」で、リッチであるほど、幸せ度は高い。 2倍の1500万円が、私の実感である。 いや、今と大して変わりはしないか! 「好きなことに散財をしてきたかどうか」が、分岐だが、その点、 「面白かった、楽しかった、充実していた!」と、心底いえる。 何処かから、<お金は、あればあるほど、良いに決まってるじゃないか> <余裕があるからこそ言える言説!> という声が聞こえてきそうである。 「で、如何した?」「どうもしません!」 自問自答が趣味と誰かが言っていた。
・・・・・・ 5267,忘れていた「ホッファー」 2015年08月16日(日) 実は、この6月末に書いた、「ホッファー」は、8年前に4回シリーズで 書いてあった。書いたような気がしたので、HP内の検索で、チェックを したが何故か?引っかからなかったが、改めて読んでみて、再び取上げる 価値は充分にある。 これを再読すると、要点は理解していたようだ。 考えてしまうのは、8年前のシリーズの内容の方が上?と思えること。 としても、現在、書いた内容を補足とすると、丁度よいから不思議。 以前は、図書館で借りて読んだ後、ネット検索を中心にまとめたが、 最近のは、具体的エピソードを中心にした内容で、微妙に違っていた。 ホッファーを読んでいると、己の甘さ、軟弱さ、無知を突きつけられる。 一つの哲学を貫き通すなら、その他を、捨て去らなければならない現実を 彼の生き方から教わる。 ネパールのツアーで、元学校関係者が参加していた。 ホッパー同様、 早死にの家系で、「実家・親戚が殆んど40歳半ばまでに死ぬ家系。で、一年 一年、可能な限り国内の「家族ドライブ旅行」に出ていた。 ところが、 何故か今でも生きている。恐らく、人から教わった、一日一個、生キャベツ にドレッシングをかけて食べ続けてきた効果だろう。その結果、国内は隅々 行き尽くしたのため、還暦を過ぎた現在、毎年、海外に出ている」という。 数奇な激しい人生を送ってきた人が秘境ツアーには多いが、逆に、淡々と 何も考えずに生きてきたが、急に死の問題が現れ出て、慌てて世界の果てで、 その答えを探しに来ている人もいる。 これだけ熱を入れて、まとめていたのに、全く忘れてしまうとは、我 ながら恐れ入る。成るほど人が看破する、『あんまり頭が良くない男』に、 私自身、大いに納得する。ただ、それは、万人に当てはまることと、 自分に言い聞かせておかないと・・ こうみると、パッケージにして 書き残す効果は、頭の悪い私には、最適だ。 ・・・・・・ 2688, 「エリック・ホッファーの 人間とは何か」 2008年08月14日(木) −読書日記− ー遊びをせんと生まれけむー 亡き佐治敬三氏がサントリーの会長だった頃(1995年頃)、 口ぐせのように言っていた言葉に「美感遊創」がある。
・「美」は、羊が大きいが語源。大きく艶やかな羊の美しさを表わしている。 美に感応する心である。 ・「感」は、 感性、感動、共感。 旅に出て自分の世界の外に出会って感動したり、 絵画、音楽、映画、演劇などに感動することが人生を豊かにしてくれる。 ・「遊」は、神代の昔から人間にとって一番大事なこと。 「遊びをせんとや生まれけむ」と「梁塵秘抄」にあるように、人間は「ホモ・ルーデンス」。 遊ぶことで人間性を回復し、活力を得る。遊び心。 ・「創」は、新しい断面、局面を切り開いて、個性のある創造をすること。 一瞬の新しいものへのシュンパツ力。 以上だが、この4つが人間の心の豊かさの要素。 確かに、人生はこれを磨くプロセスであった。この中でも、「遊び」が、 人間にとって最も有用な行為になる。
「エリック・ホッファーの 人間とは何か」という著書に、 遊びについて次のように述べている。 《実用的な道具はほとんどすべて非実用的な関心の追求や暇つぶしにその起源がある。 最初に家畜化された動物ー小犬1は、もつとも役に立つ動物ではなく、もつとも遊び 好きな動物であった。猟犬が出現したのはかなり後のことである。最初に家畜化された 動物は子供たちのぺットであった。おそらく,植物栽培と灌漑も、初めは遊びとして 行なわれたのである。 車輪・帆、煉瓦なども遊びの中で発明された可能性が強い。 たとえば、南アメリカのアステカ人は車輪を使わなかったが、足の代りにローラーを つけた動物の玩具をもっていた。装飾が衣服に先行した。弓は武器となる以前は楽器 であったといわれている。人間が初めて粘土を使用したのも、土器をつくるためではなく、 土偶をつくるためであった。 こう見てくればわかるように、昔から人間のもつとも 有用な行為は、遊びであった。土器をつくり、布を織り・金属を加工し、動物を飼育 するはるか以前に、人間は絵を描き、線刻画を描き、彫刻をし、像をつくったことを 銘記すべきである。 芸術家としての人間の誕生は、労働者としての人間の誕生より もはるかに早かった。 遊びが労働に先行し、芸術が有目的な生産に先行した。 人間はしばしば必要に迫られて楽しむためのものを有目的なことに利用した。 必要に迫られて働いている間は、依然として人間は動物界の一員である。 人間は、ただ生きるだけであったら不必要なもののためにエネルギーを注ぎ、さらに 生命の危険さえもおかす場所に、特異な存在としての人間となり、最高の創造力を 発揮する、したがって、人間の人間化が起こったのは、自然の恵みで豊かで、 余暇があり、遊び戯れる性向があった状況においてであったと考えるべきである。 自然界における人類の台頭は、心細い戦場においてではなく、 エデンのような遊びの庭において起こったのである。・・ 私にいわせれば、オートメーションの時代の到来は、魔法円の完成である。人間は エデンという遊びの庭で初めて人間になった。そして今、人間は遊びの庭に帰還して、 人間の究極的使命を、すなわち人間性の完成をはかりうる機会をてにしている。 》 〜〜 遊びの重要性を上手く説明している。良く遊び、良く学び、良く働く、を バランスよく豊富にすることが人生の豊かさだが、私の場合は、そのバランスは とってきたが、「良く」に問題があった? まあ、いいだろう。遊びが4、学びが3、 働きが3というところだろうが、厳しい娑婆では、働きが4で、他が3だろう。 学びも、働きも、遊びまで持ち上げるのが理想である。そのためには好きなことを 仕事にすれば良い。 ・・・・・・ 2332, ホッファー −1 2007年08月22日(水) オノヽ∋―_φ(゚▽゚*) アメリカの社会哲学者というより、哲人・ホッファー。 彼の文章を読むと、深い魂を呼び起こす熱が伝わってくる。 彼は自分の生きかたを通して人生の何たるかを考え続けている。 知識として、やっと彼まで行き着いか!というのが感想である。 日本でいうと中村天風のような人物である。「ホッファー」で検索をして、 日本で現在一冊だけ出版してある本を見つけ、中古本だがアマゾンから 発注をした。「エリック・ホファー自伝 構想された真実」だが、 今から読むのが楽しみである。HPに彼に関する書き込みが多いのに驚いた。 これからみても彼の哲人ぶりを垣間見れる。生きていく上で真の 「学び・学習」とは何かを深く考えさせられる。 まずは、検索で調べた哲人・ホファーの人生の概略図である。 ーーー ・ホッファーは(1902年7月25日〜1983年5月20日)は、独学の社会哲学者。 ドイツ系移民の子としてニューヨーク、ブロンクスに生まれる。 ・7歳のときに母と視力を一緒に失った。 ・8年にわたる失明ののち奇15歳で跡的に視力を回復。 ・生涯孤独を貫き、学校にも行かず渡りの日雇い労働者としてただ働き、 時間ができると読書に没頭して思索を深めた。 学校はまったく出てないかわり一日10時間、いや12時間、本を読みつづけ、 綿花摘みから、鉱夫、ウェイターなど ありとあらゆる仕事を体験。 1941年から、サンフランシスコで沖仲士として働いたことから、 「沖仲士の哲学者」とも呼ばれる。 ・20歳前後で父が死に、長らく養育役を買って出てくれたマーサ・バウアーが ドイツに帰っていくと、本当の天涯孤独になった。 ・残った300ドルをもってバスでロスに行き、「スラム」に入った。 「まるで幼稚園から、いきなり貧民窟に入ったようなものだった」。 1930年、28歳までスキッド・ロウでその日暮らしを続けた。 死んでみようかと思ったがそれはならず、ロスを出てカリフォルニア 中を動きまわった。 ・1934年の冬、こういう自分がいったい社会の中の何にあたるのか、 やっと思い知った。「ミス・フィット」(不適格者)という階層に属する ということだったのだ。ミス・フィットは白人とか黒人とか、富裕者とか賃金 労働者とはべつに、ひとつの階層をつくっていた。それがアメリカという社会。 今でいうフリーターである。 ・その後、農業労働に近い仕事を転々としながら、また読書に没入していった。 あるとき砂金掘りに出掛けるときにモンテーニュを鞄の中に持って行ったのが、 ホッファーを変えた。「モンテーニュは自分のことを書いている!」と思えた。 ・自分の活動に方針をもったホッファーは軍隊に入ろうとするが、ヘルニアで 失格、その後はサンフランシスコで沖仲仕の仕事をしつづける。 ・「家系はみな短命で、五十歳以上生きた者は一人もいない。 将来のことなんか心配することないのよ、エリック。 お前の寿命は四十歳までなんだから」 養育役のマーサのこの言葉は私の奥深くに刻み込まれ、そのおかげで季節 労働者をしていたときも、あれこれ先々のことを思い悩まずにすんだ。 ーーー 老年になるまで、ミス・フィットと沖仲士を続け、決して高ぶらず底辺の 人たちから学び続けた哲人の姿に全米の人たちから激賞を受けた。 その言葉の一言一言が重い。 − つづく ・・・・・・ 2333, ホッファー −2 2007年08月23日(木) *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ! この特異な哲人ホッファーの存在が、今日のように我々に知られるに至った のは、マーガレット・アンダーソンという「コモン・グラウンド」編集長。 「たった一人、彼女が東海岸で自分の原稿を待っているのだと思えることが、 自分の思索を持続させた」と、ホッファーは書いている。
世に出た著書は、好評だったが、爆発的に売れたわけではない。 あくまでも彼は本の“著者”にすぎない状態だった。 1964年にカリフォルニア大学のバークレー校で週に一度の学生たちとの 講義も担当するようになったときも話題をよんだわけではなかった。 ホッファーのような変わった人物を講師にするのは、バークレーのやり方。 しかし、ホッファーはひとつの感慨をもつ。「人にはこのように、世界の どこかでそれを待っているところが、少なくとも一カ所はあるものなのだ」 ということを。 以下は、ある本からの抜粋である。 −− ホッファーが人気をもつきっかけは、テレビであった。 1967年、エリック・セヴァリードとの対談がCBSで放映され、大反響になった。 それから一年に一度、ホッファーはテレビ対談に登場する。 かれ自身はつねに目立たない存在を望んだが、どんな評価も名声もホッファー の生活を豊かにすることも、その精神を危機から脱出させることもなかった。 社会や世間のほうがホッファーのような“例外者”を必要とした。 こういうホッファー・フィーバーのなかで、彼はまったく変わらなかった。 沖仲仕をやめて著述に専念するようになるのは六十五歳をすぎてから。 八十一歳で死ぬ(1983)まで、本を書きつづけ主要な著作は十一冊をかぞえる。 うち六冊は日本でも邦訳が出たが、現在も入手可能なものは一冊しかない。 これほど数奇な人生があろうかと思わせるほど波乱に富んでいるが、 これ以上に面白いのが、彼がいろんなところで出会った、 数々の特異な社会的不適応者たちの語る自分の人生である。
この自伝には、そのような忘れがたい人々との忘れがたい出会いがつまってる。 その一つ一つが、まるで短篇小説以上の仕上がりになっている。こういった 出会いのすべてが彼の哲学的思索のナマの素材になっているのである。
自分自身がそのような不適応者の一人であり、その不適応者にまじって 生きつづける中で、「人間社会における不適応者の特異な役割」という、 彼の生涯を通じての思索のテーマ発見する。 「人間の独自性とは何か」ということを考えつめていくうちに、 「人間という種においては、他の生物とは対照的に弱者が生き残るだけでなく、 時として強者に勝利する」ということと思いあたる。つまり、「弱者が演じる 特異な役割こそが、人類に独自性を与えている」のである。そしてアメリカを 作った開拓者たちというのも、実は、社会的不適応者が故に、家を捨て荒野に 向かわざるをえなかった放浪者たち(弱者)だったのであり、それがアメりカ 社会の独特の特質をもたらしているという考察にも導かれていく。 ー「ぼくの血となり肉となった500冊」立花隆著よりー ーー ホファーの思想の根幹を成しているのは「思いやり」である。 不適応者に対する温かい眼差しと理解である。 不適応といえば、誰もが他人事ではない。 誰もが思い当たる自分自身へのレッテルである。 自己不一致こそ、本来もっている近代社会の中の特質である。 それぞれが情報化の中でも孤立しているから、 誰もが不適応の弱者と思い込んで自己嫌悪に落ち込んでいるのである。 組織内では、歯車の一つとして自分の自己存在の意識の希薄さに、 孤独感にさい悩まされる「自己疎外」に陥っているのである。 それぞれが孤立している中で、それぞれが自己認識を深め、その中で他人を、 弱者を思いやることこそ、アメリカ社会の特質と考えたのである。 ボランティア運動も、このような思想の中から生まれてきた。 アメリカの開拓者は、実はそれぞれの国を追われたミス・フィットの人たち 放浪者だった!という説は、なるほど説得力がある! 逆に、ミス・フィットでない適応者?とやらが、哀れに思えてくる本である。 −つづく
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2016年08月15日(月)
お金に強くなる生き方 〜④
【お金に強くなる生き方 〜佐藤 優 (著)】 * 貯蓄率からみる日本の貧困 バブル崩壊後の長年のデフレを含めた不景気で、日本国家の体力が大きく 後退した結果、貯蓄好きだった日本人の貯蓄率も激減した。他人ごとではない。 崩壊のプロセスで不動産を主とした事業も、デフレのため資産が目減りをし、 清算に至った。 3人に1人が貯蓄ゼロ、単身者の平均貯蓄額は774万円、中央値は75万円。 これからすると、単身世帯の8〜9割は貯蓄ゼロになる。ということは、病気に なっても、自己負担の1〜2割のお金さえ無いため、病院にも行けない人が 多く存在する。 そういえば、久しぶりに会った倒産した知人の歯が抜け落ち、 全身が剥れた異様な相をしていた・・ 〜その辺りから〜 ≪ 〜国家体制の違いで貯蓄率が変わる〜 少し前まで、日本人は貯蓄好きな国民とされてきました。 ところが、今や貯蓄率で見ると日本は先進国の中で最低ランクです。 2013年のOECDによる調査では、消費大国と言われる米国の2・4%を大きく 下回る0・9%になってます。ちなみに1970年代は20%台、1980年代は10%台。 バブル崩壊後の経済の低迷、非正規社員の拡大、少子高齢化などの影響が 重なっているのでしょうが、これほど短期間にお金に対する向き合い方が 変わった国というのも珍しいかも。 お金に対する考え方や向き合い方というと、ラテン系の国は貯蓄率が低い、 アングロサクソンは投資好きなどと、国民性や民族性に左右されるものと 考えられがちです。しかし、その国がどういう体制なのか、どういう国家を 目指しているかということの影響のほうが大きいのです。 なかでも一番影響を与えるのは社会保障と税金です。 米国などは政府を極力小さくして税金を少なくし、その分自由な経済活動を することに最大の価値を置いています。そういう社会では競争と自己責任が 前提で、社会保障や福祉にはそれほど頼れません。そうなると当然自分頼み、 お金頼みになります。米国人のマインドは、自立して成功しお金を稼ぐこと、 それを投資で増やすことを最も重視しています。 これとは逆に、社会保障を徹底的に充実させる代わりに税金が高いのが北欧 の国々です。たとえば、スウェーデンでは一定以上の年収の人は所得税率50%、 消費税率25%です。それでも、手厚い社会保障があるため国民が文句を言うこと はありません。教育費は、誰がどんな大学や大学院に行こうが一切かからず、 医療にかかる費用も原則無料。失業しても1年間は高額な失業保険が下ります。 高福祉社会では貧富の差が小さく、将来の不安が少ないので貯蓄性向は低く、 家族との関係やコミュニティのつながりを重視するため出生率は高くなります。 面白いのは、スウェーデンの企業でもよく労働者を解雇しますが、高額な失業 保険が下りるため、クビになった当の本人はそれほど気にしません。 その間にじっくり別の会社を探すのです。 ≫ ▼ ギリシャの経済危機の最中、アテネの歯医者が廃業して、失業している 人のインタビューで、「歯医者の治療の資金的余裕のない人が殆どで、開店 休業状態で、廃業に追い込まれた」と、語っていた。終戦後からの右上がり 経済と、バブルと、その崩壊を経験しているため、貯蓄率の推移が実感として わかる。欧米に比べ、日本経済は底が浅いのである。アベノミクスの崩壊が、 さらに日本経済にトドメを指すことになる。
・・・・・・ 5266,人生に必要な洞察と困難 〜ニーチェ「超」入門〜 2015年08月15日(土) 〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦著 * 人生に必要な洞察と困難 創造とは、脳のイメージを具体的なカタチに仕上げること。同じく創業も、 計画段階で洞察が必要となる。そして、一つずつ、目先に出てくる困難を 処理していくプロセスそのものが仕事になる。だから、困難がたち現れると、 それが、解決の塊になる。人生とは困難の解決をするプロセスをいう。 困難の中心点を問題から洞察して、心を無にして、答えを探す。 毎回、問題は違うからこそ、面白い。ことに当たっていると、問題そのものに、 解決の答えが隠れていることが分かる。それを、遊びにするのがゲーム化。 人生は、真剣に生きるほど過酷になっていく。 〜その辺りから ーp127 ≪ 人生において必要なのは知識ではなくて、洞察だろう。 確かに、知識は知恵を生む母胎になるものだ。しかし、おおかたの人は 処世の知恵で満足してしまう傾向にある。また、処世の知恵がいつもその時代 その場所で有効だとは限らない。 一方、洞察は正体を見破る力を持っている。 誰によって何がそこに隠されているのかを透視する。考えることなく、中身を あてることができる。人生の中で決断しなければならないとき、洞察が役立つ。 知識だけでは足りない。洞察がいつも正しいとは限らない。それはニーチェの 洞察の哲学が証明している。しかし、まちがった部分があろうとも、ニーチェ の洞察の仕方はわたしたちに新しい見方、新しいおもしろがり方を教える。 ふつうの生活では、自分の洞察は秘密にしていたほうがいい。他の人には とうてい理解しがたい.からだ。また、他の人はどうしてそう思うのかと根拠や 理由やデータを知りたがるものだ。洞察にそういうわかりやすいものはない。 洞察と勘は、似てはいるが、ちがう。勘は観察を土台としたもので、対象に 広く大きく網をかけるようなものだ。洞察のほうは鋭く切り込む。 すぱっと切って断面を見る。洞察は視線の一種の名人芸みたいなものだ。 洞察力が自分に備わると、何事をするにもコツを掴みやすい。 また、既存のものから離れた独特なものを生む契機に触れやすくなる。 そういう洞察力を養うには、どうしても感受性が必要だ。情感を豊かにし、 やさしい配慮の心を持っているほうがいい。さらには、耐え、くじけず、 幾度も立ち直り、絶対にあきらめない強靭な精神も必要になる。 そして、自分に対しても容赦のない視線が必要になる。 そんな洞察力を持つのは困難なように思えるだろう。 しかし、この人生においては困難なことのほうが安易なことよりも多くの 喜びを与えてくれるものだ。克服していくこと、それは難しいのだが、 そういうものほど生の充実と自己の力を実感させてくれるものはないだろう。 洞察も、二者択一のときは困難を選べと教えている。困難から逃げ続ける ならば、いつまでたっても本物の人生が始まらないからだ。老いて気力が とぼしくなって、自分の人生はなかったのではないかと疑うほどの苦痛はない。 単純で安っぽい価値観を土台にした一方的な観点から、二ーチェの人生は 悲惨だったという主旨の生涯をまとめた書物やメディアがあるようだが、 ニーチェ自身はまったくそうは感じていなかったろう。多くの困難に耐え、 それなりに克服してきた生涯でもあるからだ。彼の内なる喜びは他の人には 見えないのだ。それは山の高みにいる人を裾野からはっきり見ることが できないのと同じなのだ。 二ーチェはこう述べる。 「何度も自問した。私の人生でもっとも困難な年月に対し、私はいっそう 深く感謝すべきではないだろうか、と。必然的に起きた困難。それは苦しい ものではあるが、高い場所から眺めてみれば、また、人生の差し引き勘定から すれば、そういう困難こそ私にとって有益なものだったからだ」 いくたの 困難危険。それらがなけれほ、人間はいつまでもそれにはなれない。 単純な価値観からは不必要にさえ思える人生のしんどさこそが、わたしたち の生命力強め。より高い喜びを与えてくれるのだ。 ≫ ▼ 感受性を高めるための情感を豊かに、鋭くするために、感動・感激の 経験の質量を高める必要がある。大自然の美しさ、芸術作品、人生経験など から、長年かけた蓄積が、それを高めてくれる。困難、苦難と、その解決過程 こそ、人生にとって有益になる。幸せの最上階の4Fに、解決できないほどの 不幸を設定してあるのが、このことから理解できる。 ・・・・・・ 4901,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー48 2014年08月15日(金) * 反省なら猿でもできる! ーご覧のとおり、そのまま結構 最期は倒産というカタチの整理で終わったが、これも因果応報と諦めもつく。 結婚以来、実家からの慣わしで、家内に給料を与え、健康保険と厚生年金を かけるのは当然と考えて実行をしてきた。家内は家内で、実家の会社名義の 株式を家内名義に分与されていたのを清算。それに預金を加えると、この事態 でも何とか路頭に迷うこともなく、生活をしている。 また家内の両親も、 私の両親も、実生活は質素であったことが、そのまま私たちにも引継がれ? 結果として、破滅から逃れることが出来ている。第三者からみたら、10億の 借財を残して倒産したのに、このままの状態でいるのが疑問のはず。 世の中、甘くないのに。そこで計画倒産になる。 創業時の計画から、 長期スパンのリスクを織り込んだ創業設計が可能。 三条や燕の土地柄は、 倒産には慣れていて驚か少ない。平気で倒れ、何時の間に再起するケースを多い、 とか。 元もと、リスク分散のポートフォーリオのノウハウが染み付いている。 私の場合、家内へのリスク分散と、家族を社内に入れない原則を守っていた。 そのことが結果として、守ってくれていた。末期に近づくにつれ、必ず銀行は、 まずは連れ合いの連帯保証を求めてくる。 振り返ってみて、「もし、あの時の 判断を実行していたら破滅をしていたはず!」というケースが、幾つかあった。 逆に「何で、馬鹿の決断をしてしまったのか?」も、数限りある。その結果の 一つでもあるが。 「ご覧のとおり、そのまま結構!」と、まず自分で認めること。 そうすると、見えなかった要因が、浮び上がってくる。 ・箱物などの長期投資は、有り余る資金が無い限り、すべきでないこと。 ・やるなら早々に転売をすること。 ・時代の潮目を読み、果敢に決断すること。 ・世の中の99%は、目先の現象しか見えてない。現象の大元をを養うこと。 そのために、長期、中期、短期の目を持つこと。「10.10.10の原則」=10年、 10ヶ月、10日先の3つのスパンで考える視点を持つこと。その何れも甘いため、 この結果に終わった自分が浮き彫りなる。反省ならサルでも出来るのだが・・
・・・・・・ 4534, 今日、我が家に新しいテレビが ー2 2013年08月15日(木) 現在のスマートTVの先がけの東芝の多機能TVについて、三年前の14日に テーマとして取り上げていた。あれから居間はこれを、寝室で普通の薄型TVを 見ているため、その差が歴然と見えてくる。三年使った実感として、ドラマとか 野球をジックリ見る場合、寝室の方がTV環境に良い。しかし寝室の液晶TVには 録画機能が無いことと、W0WOWが見れないこともあり、不満が残る。 19〜24時までの地上波=5時間×6日分の中には必ず面白い内容がある。 当初は、この機能は不必要と思っていたが、使い出すと、これが一番有効。 ゴールデンの一週間分が自動録画、一週間後には当初分から自動的に消される。 その中から番組表から選んでみることが出来る価値に気づくのに、一月も かからなかった。ツールが、生活の面白さを決めてしまう一例である。 電動駆動の自転車、iPad、シネマ館、スポーツジムと同じ。この2〜4年で、 これらのシステム導入で生活パターンが全く変り、段違いに面白い日々。 まず、三年前の ー3428, 今日、我が家に新しいテレビがー2010年08月14日ー の一部をコピーする。 《 八年近く使ったテレビを、「地デジの切り替え時期」と「エコポイント」 もあって、思い切って買い替えた。 そのため今年に入って、どれを買おうか、 何時買うか、をゲーム感覚で、家電店とネットサイトで集中した。 昨年から バックライトのLed方式のTVが、家電売り場で目立っており、買うならこれと 決めていた。ところが、この春のエコポイントの終了間近か辺りから3Dテレビ が急に脚光を浴びてきた。既存のTVを売り切った後に、これである(略)》 ▼ 現在、慣れてしまうと、これが当たり前になっている。 パソコンで Youtubeをみているが、家内は居間にパソコンがあるが、それをTV映像 で見ると格段と面白いとか。TVもバカ製造の側面が大きいが、割り切れば、 これほど面白く、便利なシステムはない。パソコンとネット機能が、タブレット とスマートフォンに繰り込まれた現在、次は居間のTV。 まあ、暇人?には、 特に面白い時代になっている。居間、書斎、寝室の小さな内的世界と、 スポーツジム、信濃川一周、図書館、シネマと、週3度のランチ、平均して 月一度の飲み会と、年一度?の旅行が、外周世界。これが残された人生の世界。 このように己を冷笑してみると、これまた面白い。あとは人と比較しないこと。 好きなことをしてきた強みが、これ。 ・・・・・・ 4159, ペルシャ湾危機 2012年08月15日(水) * 既に水面下で戦争は始まっている! (第三次「油断!」イラン危機ー文芸春秋4月号ー参照) オリンピックが終わると、次は中東危機とEUのメルトダウン危機が始まる。 EUのメルトダウンは前に取り上げたので、ペルシャ湾危機について考えてみる。 「ホルムズ海峡閉鎖はアメリカにとっては軍事問題だが、日本にとって死活問題」 と、いわれる。アメリカなどは安全保障上の理由から中東原油を減らして アフリカやロシアから輸入を増やしているし、欧州は北海ブレンド原油があり、 中国も国内産原油がある。しかし日本は中東から90%、ホルムズを通過する 原油が85%もある。もしイランによる閉鎖で原油を止められたら深刻な影響 を受けるのは日本である。原油備蓄が半年分あるとしても、閉鎖をされると 原油価格が50%は軽く高騰するといわれる。現在、毎日のようにシリアの 内乱のニュースが流れているが、アサド政権が倒れると、イランにとっても 大打撃になる。反政府勢力にはイスラエルの援助があるとみられ、イランと イスラエルの代理戦争でもある。もしイランが核開発を進め、核爆弾を持てば、 サウジなどの湾岸諸国も対抗上、核抑止力として核とミサイルを購入するという。 それらを考えるとイスラエルが、このまま見逃すことは考えにくい。 イスラエルがイランの核開発を阻止するのは、イラン神権政治がイデオロギー 的にイスラエルの存在を否定しているため。最高指導者ハメニイや現大統領が 頻繁にイスラエルを崩壊させると言っているからだ。とにかくイスラエルの 領土は小さい。そこに原発を一発、打ち込めば、それだけで大打撃になる。 世界的金融危機、中東危機の、いずれにしても、際どい状況が表立ってくると 見たほうがよい。昨年11月、イラン革命防衛隊基地で大爆発がおきて、 基地は完全に消滅し、ミサイル開発責任者ら30人が暗殺された。また、 この数年来、核科学者が暗殺されている。これに対しイランも、今年一月に バンコクのイスラエル大使館爆破未遂事件があった。昨年10月にアメリカで サウジアラビア大使を暗殺しようとした事件もあった。 最近では、シリアで 国防大臣などが会議で集まったところにテロがあり、国防大臣をはじめ要人が 暗殺された。一連の暗殺事件や未遂事件を見ると、水面下では戦争突入状態が 分かる。 日本はあいも変わらない政治的混迷が続いており、中国、韓国、 ロシアなどに足元をみられ領土問題で攻勢にあっている。 国家的大危機に あるにかかわらず、いまだ微温湯的体質が、そのまま残っている。 しかし現実は、ますます混迷に向かっている。 直近の年内だけ考えても、非常に危険である。 ・・・・・・・ 3794, 哲学人 ー� 2011年08月15日(月) 『哲学人』 ブライアン・マギー著 ー読書日記 この哲学書が私の前に大きく立ちはだかっている。10年前に読んだ ブライアン・マギー著「知の歴史ービジュアル 哲学入門」は、マーカーで 真っ赤になっている。 一度読み終わった後にトイレに5年以上は置いて、 ことあるごとに読み返していた。大型本で半分は絵と図が書かれており、 重要な部分は大文字で書かれていて、難しい内容に対し、ページを開く抵抗感 を最小にしてある本である。数年前に、たまたま借りてきた本が、マギーの 「哲学人」だった。今度は、そう簡単に読み進むことが出来なかったが、 一年ほど前に読みおえたが、実際は、あまり噛み砕いてなかった。 350ページの分厚い、上下の二巻である。しかし、哲学評論家という立場で 自分の哲学遍歴方式で書かれているので、最後まで読み終えることができた。 ここで、棒線をひいた部分を中心に書き写したり、コピーしたり、デジタル化 して、私の小さなデジタル・バンクに入れるため、まず上下24章のうち、 6章の要所を挑戦したい。著者のレベルの哲学書を読み解くに、以前に彼の 「知の歴史」を何年かけて読んだため、続けそうな気がする。 ーまずは、この本の上巻表紙の背裏に書いてある抜粋の部分からー 《 眠りに落ちる瞬間がわからないのはなぜ? 少年時代の疑問に大人は答えて くれなかったが、それこそが哲学だった。「オックスフォード哲学」全盛期 の学生時代。言語の明晰化に終始し、哲学を「思考についての思考」とする 潮流は、現実世界の理解を深めたいと考えていた著者に何も与えてくれなかった。 知覚論、経験論、論理学、科学哲学… 多くの思想を吸収しながら、ついに カント哲学に出会ったとき、著者はみずからの方向性を確信する。 学外での人生を選択し、政治哲学の実践である国会議員と、哲学番組の企画 制作の仕事を両立、第一線の哲学者と交流を深めながら、 自身の疑問に答えるため哲学を探究していく。》 ▼ この本を読んでいて、自分の子供の頃とは次元の違う世界にいて、 哲学的に考えていた著者に驚愕をした。知的風土の違いは子供に、そのまま 現れ出てくる。ところで以前にも少し書いたことがあるが、私には眠る瞬間が 分かったことがある。「スゥ〜」と意識が失われる瞬間が分かったのだ。 だから、私には、どんな偉い哲学者が、それを意識出来る訳がない、と論じても、 私には、それが間違いと断言できる。プッツ〜という感覚で、管が細くなって いく先に落ちていく、という感じである。
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2016年08月14日(日)
* リオのオリンピックも中盤に オリンピックも、中盤に差し掛かった。ブログ内検索をして分かったが、 12年前のアテネ・オリンピックで16個の金メダルを取っていた。そのうち、 柔道で8個の金メダルを取っていた。今のところ、メダル獲得ラッシュとは いえ、アテネ並みでしかない。それとロシアの選手の金メダリストが、 例年に比べて異常に少ない。 日本にとってのハイライトは体操の個人総合で内村選手が、2位選手の 最後の着地の乱れで奇跡的逆転をした場面だろう。ドラマとして、これ以上の シーンは作ろうとして作れるものではない。 以前、内村選手が面白い話しをしていた。<自分の脳に、小さな自分がいて、 それが、自分に指示をしている。>と。小さな自分が、この奇跡を生みだした のだろうが、これは練習と、これまでの試合経験の中から生まれた存在?である。
ここで、オリンピックについて、何か書いてないかと検索したところ、以下の 内容が出てきた。書き残こしておく価値を、改めて思い知る。そこには、垂直に 立った(永遠)、その時の、「いま、ここ、私」が存在している。 ブラジルの財政悪化も含めて、緊縮の設備投資で、日本が目論んでいる 数分の一、いや数十分の一で済んでいる。この辺りをマスコミは徹底的に報道 すべきである。 「小投資、省エネルギーで済む」と、いう当初のアピールが、 何時の間に消えてしまった。 それぞれのドラマが生まれ出るオリンピック。 これまで、大規模のテロは起こってないが、どうなることか? 以下を読み返すと、オリンピックに、あまり興味がないみたいである。 日本の時期開催もあって、その空気に流されている自分が面白い。 目標は、心身とも元気で、2020をむかえる事だが・・
・・・・・・ 2004/08/18 1233, アテネ・オリンピック
時差の為、夜半に行われることが多かったこともあって、オリンピックは あまり興味がなかった。柔道の金メダルか、女子マラソン位か優勝に絡む 試合しかみた記憶がない。日本があまりにも弱いこともあったが。 ところが今年の日本はイヤに盛り上がっている。 不況ということもあり、国策として力を入れていたのだろう。
柔道の女子の谷選手と、野村選手の決勝も目覚まし時計で起きて見たが、これは 過去には無いこと。 この勢いでは、金を15個以上取る可能性も出てきた? 体操と柔道とレスリングと水泳など過去に強い種目に、しぼって強化したようだ。 他には、野球とマラソンかもメダルの可能性も高い。
TVで見ているかぎり、観客が少ないのが気になる。 欧州人にとってオリンピックなど、あまり興味が無いのか。 それにしても、東京オリンピック以来のメダル・ラッシュには驚いている。 歳をとったせいか、その人の人生まで重ねて見るようになってきた。 ・私の記憶は、小学生の時のメルボルンの時からである。 体操の小野選手の演技をラジオで聞いていた記憶がある。 ・次は、中学生時のローマ・オリンピックで、白黒TVで見ていた。 ・そして、東京オリンピックは、カラーTV。 ・前々回のアトランタはブラウン管のハイビジョンTV ・今回はプラズマTVである。 情報媒体の機器で、時代の変遷が見えてくる。それと、自分史も。 ―――― 2004/08/30 1245, オリンピックが終了
アテネオリンピックは、2004年8月13日から29日まで行われ、 昨夜(日本時間では今朝方)終わった。 結局、金メダルが16個。 前回の三倍、東京オリンピックと同数だから大成功だった。 復興委員会が数年前に打ち立てた戦略の結果であった。 〜印象の強い順に書くと ・金メダルを16個取ったこと ・女子マラソンで野口が優勝したこと (丁度ツアーで、ウィーンの ホテルでチェックインをした直後にゴールを見た) ・柔道が8個の金メダルを取ったこと ー野村が三試合連続金メダル、谷亮子が女子でニ連勝、 優勝最有力視されていた井上康生が一回戦で破れたことなど ・水泳では、男子の岡島が金を二個、女子ではあまり目立たなかった 選手が優勝をしたこと ・体操の団体優勝の緊迫した内容と優勝 ・優勝選手のドーピングで、銀であったハンマー投げの室伏選手の逆転優勝 ・優勝をめざしていた野球が銅に終わったこと −日本のプロ野球の威信をかけたが、この程度の実力ということが判明 したこと。 これで、一リーグ制に加速がつくだろう 以上、誰もが同じ印象であろう。 大不況の中、一服の飲料水の代わりになった。 ところで、過去に日本が強かった卓球、体操、レスリングなどを、中国と北朝鮮が 冷戦時代に戦略的に集中して強化して狙いうちをしていた。 いつの間にか彼らの得意競技になっていた。それを一部とりかえしたといってよい。 いずれにしても、日本復興委員会をつくって本気になって金メダルを狙いにいった 結果だった。まあ素晴らしいことだ!
・・・・・・ 2687, 閑話小題 2008年08月13日(水) *北京オリンピック チベット騒乱や、四川省の大地震、ウィグル地区のテロなど、大荒れの中に 北京オリンピックが開催された。北朝鮮のマスゲーム的な開会式など華やかで あったが、何か一人ひとりの個性が消しさられた内容で、中国共産党のための 開会式という印象が強すぎて、何かシコリがのこった開会式だった。 恐らく多くの金メダルを中国が取るだろう。で、それがどうした?というだけ のことだが。テロという面で、最後まで目が離せない日々が続きそうである。 日本は、今のところ成績は良くない。金メダル候補の大部分が前のオリンピック の金メダル取得者というのは如何いうこと?
*お盆か〜 お盆は、早朝に因縁ある3つの墓参りをし、夕方に実家の墓を参りをして、 坊様に顔出しをするぐらいである。もちろん休むことなく、誰も居ない事務所で 本とパソコンいじりをしている。これも普段と変わらないが。 盆・暮・ゴールデンウィークのような民族大移動の時期はジッとしているのが 習慣になっている。娑婆の隠れレジャーを同調することも無い。大多数は集団 休暇しかまとめて休みを取れないのだから。去年の13日は、スナックをワザワザ 開けてもらって兄夫婦と、姉夫婦とドンチャン騒ぎをしたが、今年は? これを書き上げ墓参りに出発である。 盆が終われば、アッという間に正月だ。 一年は本当に早い。そうそう9月か10月の旅行先を決めないと! 昨夜半に、不思議な夢をみた。何処かで小さな祠を見つけ中をみたら、 仏像があった。その後ろにダイヤが埋め込まれ、不思議な雰囲気を漂わせている。 誰か死者の霊を収めた像である。持ち帰るかどうか迷った上に持ち帰った。 この夢、タイミング的にみて何かを示唆しているのだろうか? 〜〜 ・・・・・・ 2012/08/11 閑話小題 ーロンドン・オリンピックも後半に * オリンピックも終盤に入った ロンドンオリンピックも終盤になってきた。今回のオリンピックは日本としては メダル数が多い。外国にならいメダルが取れそうな種目に集中してきた効果が、 ここで出てきたようだ。特に女子選手の活躍が目立っている。国が衰えると オリンピックやサッカーのワールドカップの成績が良くなるというが。 そういえば以前ほどオリンピックに大騒ぎをしなくなった。不景気で、浮かれて いられないということか。 そろそろ国内外の政治も動き出してきた。 8月の後半からは、中東のシリア、イランか、ユーロ圏の経済危機で焦臭い動きが で始めるだろう。今のところオリンピックへのテロは起きてないが、無事終了 して欲しいもの。テロリストも国を背負っているので躊躇するのが道理だが、 それが通らないのが彼ら。
・・・・・・ 2014/03/02 閑話小題 ー冬期の ソチ・オリンピックも終わり * ソチ・オリンピックも終わり 「オリンピック騒ぎも終わりつつある。お祭りだから、何もいうこともない!」 なら、話が始まらない。ワールドカップのサッカーと同じように、国家の威信を 背負っての闘いだから、熱くなる。期待とおりメダルを取れた人も、取れなかった 人もいた。オリンピックには魔物が棲むという言葉のとおり、思いもよらない ハプニングが起こる。極限の緊張の中で、プラスにもマイナスにも身体が違った 反応をする。フィギアの浅田麻央、引退表明をしていたのが、ここで急に妙なこと を言い出した。もう選手寿命が明らかにピークを過ぎたのは、誰の目にも明らか。 幼いのだろうが・・ この娘は、今が辞め時! 葛西選手とは違う。 ☆ 開催費用[編集] {ウィキぺディア} ソチオリンピックの開催費用は当初120億ドルと見積もられていたが、最終的 には500億ドルとなる見通しになっており、これは北京オリンピックを上回って 近代オリンピック史上最高額となる[14]。開催費用がここまで膨れ上がった原因 としては、インフラ整備コスト増大やテロ対策や工事の遅れなどが挙げられる 一方で、汚職による横領・不正流用疑惑も持ち上がっている。
・・・・・・ 2016/07/31 閑話小題 〜リオのオリンピック、盛上らず * リオのオリンピック、盛上らず 一週間をきったのにリオのオリンピックが開催なのに、全く盛上りがない。 ジオ熱と、治安の悪さと、設備関係の不安と、政情の不安定で、マスコミ関係者 も、積極的に参加したがらないという。おまけに、大統領が弾劾裁判で、欠席。 ロシアも、直前になって、ドーピング騒ぎで半数近くが不参加。実際、大丈夫 だろうか? 〜ネットで、その辺りを調べると、やはり、甘さが露出する。 【 南米初のリオデジャネイロ五輪の開幕まであと1週間を切ったが、8月5日 (日本時間6日)の開会式を前に、開催準備は最終段階だが、選手村をめぐる ごたごたが尾を引き、祝典ムードはなかなか盛り上がらない。 選手村に消防車が急行したのは29日の夕方だった。オーストラリアの入居する 棟で煙が上がり、選手が一時避難。幸いけが人はなかった。 選手村は24日に 正式オープンした。しかし、豪州がむき出しの電気配線や水漏れする水道管の 問題を批判し入村を一時見合わせ。これが騒ぎの始まりとなった。慌てた大会 組織委員会は臨時に600人の作業員を投入し、28日には緊急改修工事の終了を 宣言した。】 ▼ リオのオリンピックが決定した直後から、景気が悪化、政情が不安定化 をした結果、この有様。無事に終わって欲しいものだが、頭と尾っぽが腐り きった国での開催は、元々、無理があったということか。問題は、テロと犯罪 を、どこまで抑えきれるか?
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2016年08月13日(土)
【お金に強くなる生き方 〜佐藤 優 (著)】 * お金という幻想 この本は、お金に対して素人向き内容で物足りない!が、佐藤優ならと、 読み通した。そこで、私の「お金について」を、思いのまま書いてみる。 ☆ 私たちは、お金という幻想で、何かを縛られている。父親が、日頃から、 「お金の恐ろしさ」について語っていた。 太平洋戦争の戦災で焼出されて、 それまでの国家体制の洗脳と、それを信じた結果、現金は無価値になり、 殆どの財産を失い、時代の激変の恐ろしさを肌身で経験していた。 自分の身を守るためには、土地、資源株、骨董品に分散して、ヘッジする とか、普段の生活を質素にするなどを実践するのを身近で見て育った。 しかし、晩年、余命一年を告げられ、それらが何の意味がないことも 身近で知ることができた。しかし、バブル期に時代と踊る必要性も直感した。 「踊るときは踊り、崩壊する時は崩壊すればよいことも?」 お金は蓄積した分そのまま、力に変わること。 その為、時間をかけて一定額の預金と、投資をしておくことも。 ☆ ここで、著者は、お金に対して、「見切り」と「見極め」の必要性を説く。 5年前に事業整理で、「見極め」と「見切り」をつけたが、これは「時代」に 対する見極めと、「事業」に対する「見極め」「見切り」であった。 ☆ グローバルの時代は、国家間の垣根が低くなり、貧富の差が大きくなる。 私たちは、この中にあって、お金の本質や、世の中のカラクリを知って おかなければならない。「アベノミクス」のカラクリを知った上で、 判断しないと、その正体が現れ出た頃には、何らかの食い物にされている。 大手銀行が、コマーシャルで、投資信託を勧めているが、あれは詐欺同然。 この程度のことが、分別のありそうな?人たちが引っかかってしまう。 そこで、アベノミクスで株価を上げて、景気を煽る。所詮、こんなもの。 手を引くなら今である。体制に従うしかない「畜群」には、無理だろうが!
・・・・・・ 5264,徹底した自分主義 〜ニーチェ「超」入門〜 2015年08月13日(木) 〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦著 * 徹底した自分主義 人間の遺伝子の基本は「エゴ」である。イエスでさえ「自分を愛する ように、隣人を愛しなさい」と。他人を愛する前に、まずは自分を愛せよと。 18歳までに、家庭や学校などから洗脳された固定観念を、壊し始めるのが、 大人への第一歩。そのためには、「徹底した自分主義」に徹しないと、あれらの ように、同一化された従順の羊になってしまう。 まあ、何も考えずに、世間様 におさまって、何も気づかず一生を終えるのも一つだが。何故なら、その範囲し か知りえないのだから。その外は、知らないのだから! 〜その辺りから抜粋〜 ≪ 処世術や、倫理や道徳、これは、してはならない、人には優しく、親切に、 等々、これをさらに細分化されて実践的なものになったのが、ノウハウとか ハウツーというものだ。それだけではあきたらず、特定の現場でもっとも有効な ハウツーすら出てくる。それがマニュアルだ。生き方、商売、セックスさえまで マニュアルが用意されている。何をどうやるのか。なぜ、自分で考えて自分なり に実行しないのか。世間の目がそんなに怖いのか。あるいは罪悪心を持つのを 恐れているのか。それとも、自分で考えることすらできないのか。 たぶん、教えられた通りにやればうまくいくという迷信が蔓延したあげく、 真理のように信じられている? 教えられた通りに勉強しておけば、テストで いい点数がとれる。それをくり返してきたあげく、考え方が固ってしまっている。 だから、学校の成績のよかった人はもろい。挫折すると立ち直りにくい。 人生は固定観念を習う時間ではない。自分が生きていく時間であり、自分が 生きていく場だ。頭と行動を固定観念で染めてしまうと、自分はいなくなる。 自分の中に古い他人がたくさん詰まっているだけだ。そんな人に個性などないの も当然だ。定年を迎えた人が「第二の人生」と称して、俳句、絵画だのエッセイ だのを始める。誰もプロになれない。下手な俳句、下手な絵画、下手なエッセイ。 なぜ自分が下手なのか理由さえ知らない。その理由はシンプルだ。固定観念で 物事にあたっているからプロになれないのだ。俳句とはこういうものだ、絵画 とはこう描くものだ、という固定観念しか頭の中にないのだから仕方がない。 人が何かクリエイティブなことをして成功したいのなら、必ず概念、固定観念、 常識といったものを超越しなければならない。名人や芸術家というのはそれを 果敢にやってきた人々のことなのだ。固定観念の再現とか人の真似事がクリエイ ティブであるわけがない。誰もの固定観念にある何か、ではなく、自分の中に ある何かを表現することがクリエイティブというものだ。 多くの人が忘れがちになるが、この世に、生きていくこともクリエイティブ なことだ。つまり、多くの人は自分を生きずに世間の人々を生きている。 だから、こういうことをすれば隣近所はどう思うだろう、親戚から白い眼で見ら れないだろうかと危惧するのだ。自分の中に道徳も価値も基準もタブーもない。 そういった精神を支えるものすら、世間に依存する。これでは、自分を生きて いる、といえない。したがって、この一回限りの人生を本当に生ききりたい のなら、自分主義でいかなければならない。自分が自分のルールを決め、 自分がその責任をとるのだ。人にいわれたことをするのではなく、自分の意志と 計画で行動するのだ。そういう生き方は他人から見たら、わがままで自己中心 主義に見えるかもしれない。自由奔放で、掟破りで、アウトローに見えるかも しれない。けれど、そういうふうにしてこそ、自分というものが掴めるのだし、 自分の能力を発揮できるものなのだ。それが他人にはわからないかもしれない。 いや、わかる人はまだ少ない。誰も理解してくれないどころか、世に認められ ないかもしれない。しかし、いつか必ず、それが斬新なことだと認め称賛して くれる人が現れる。でも、立ち止まってはならない。さらに自分主義で行く。 突っ走るのだ。これこそ、新しい時代を運んでくる人間の生き方なのだ。≫ ▼ 20歳時に、「創業の人生」を生きると決めたと同時に、自動的に「自分主義」 が、確定した。その一点が、価値判断になった。当時、ある人に詰られたことが あった。「ガチガチの個人主義者!」と。純朴な当時の心の奥の決心が、それが 見える人からしたら、そのまま‘その言葉’になっていた。 今からすれば、 それはそれで良かった? それほど、創業の決心は重く暗く、圧し掛かっていた。 4年前に、それらから解放された時の、心の軽さは、想像を遥かに超えていた。 そして現在、違った意味の人生からの解放への「自分主義」に向けて歩みだした。 ・・・・・・ 4899,ホントに大事なお金の話 〜4 2014年08月13日(水) * 金の持つ力ー魅力・魔力・暴力とは 世の中の8割は?金の力で自由になる。だから魅力と魔力と暴力性を備えた 金を持つ人間に惹かれるのである。今の世界は資本主義社会であり、資本=金 が価値基準の元になっている。金とは、自由であり、力そのもの。金さえあれば、 世の中の8〜9割が自由に出来る。逆に、金を失うと、不自由この上なくなる。 そして、裸の自分と向きあう事になる。それが、逆に効用になるのは、 皮肉といえば皮肉。 ーお金の持つ力について、以下で、ずばり指摘している! ≪ お金とは何か、を考える際のキーワードは、金の持つ「力」である。 お金は、3つの力(魅力、魔力、暴力)を、兼ねそなえている。 1、お金は、価値がコンパクトに保存されていて、 必要なときに必要なものと交換できる(お金の魅力) 2、お金は、人々の欲をどんどん大きくする (お金の魔力) 3、お金は、そのカで人々を操ったり傷つけたりももできる (お金の暴力)≫ ▼ この3つの力は、人生を生きていく上で大きな働きをする。 100万なら100万の、1億なら1億の、10億なら10億の、100億 なら100億の力を発揮するし、それを動かすだけで世界も、視野も開ける。 ・小学、中学と、高校、大学の友人を見ていると、学力だけでなく、 家系からくる貧富格差が明らかに見て取れる。 ・お金の魅力については、その交換価値にある。 世界旅行に出たければ、 旅行代理店の旅行パックを選び、金を振り込めば、世界各国に気楽に行ける。 こんな便利で、都合の良いものはないが、これを稼ぐとなると、それなりの知恵 と努力が必要になる。 剥き出しの真実の塊は、そう簡単に得ることは出来ない。 ・その金には、魔力が潜んでいる。金の魅力に対し、欲が無制限に広がっていく。 それが逆に命取りにもなる。 ・お金は、その力ゆえに、人を支配した上に傷つける「暴力」性が出る。 お金で何事も解決できる という錯誤を持ってしまう。しかし、解決のための一番の力でもある。 人間の持つ自由への無限の願望の、手段そのものになる。 ・お金は、知識、情報に非常に似ている。知識、情報は、自由と力をもたらす 点である。持った分、使った分、自由を得ることが可能になる。 全てが、 終わってしまえば夢幻! それを金で買えるのか?買えるのである! だから、魅力と、魔力があり、暴力性が伴うのである。恐ろしいかな幻覚。 で、饅頭欲しい! で、いやに去年の同月同日の文章が微妙に響いてくる。
・・・・・・ 4532, 閑話小題 ーつまらん男 2013年08月13日(火) * つまらん男は私じゃないか 今さらだが、最近、人生を振り返って、つくづく自分が「つまらない男」 「嫌な奴」と自覚するようになった。色いろの経緯もあって、自己否定と、 それを打ち消そうとする自己肯定が、せめぎ合う日々。老年は誰も似たか よったり? 相手を指摘するときの人差指の下の3本は自分の方を向いている。 親指は上を指しているが、親指が天の道理で、人先指は相手の指摘、他の三本 の指が自分のこと、になる。相手の指摘は、自分に三倍も身に覚えのあること。 前回の同級会で、社長まで上り詰め、順調に定年をむかえようとしていた矢先、 不条理の返り矢に当たった実直な人物に、励まそうと思って使った枕詞で、 大失言をしてしまった。「つまらない男と思っていたが、良かったじゃないか。 この試練でアンタも半人前になれたんだから!」と。これ、自分に対する 自問自答の末に出した、その時点の自分への結論。「つまらない男」 は自分のこと。しかし発した言葉は帰らない。恐ろしいことである。 その直前に横の席に実家の老舗を倒産させてしまった人が、「倒産した 現状を考えれば考えるほど、心から感謝させられる!」と、語りかけていた。 この心の経緯が、私の自問自答の中でも多くあった。「事業が順調で、息子の 一人を継がせるのが、果たしてベストだったか。もう一人の息子に恨まれるし、 継いだ方は上手くいって当り前で、頓挫すれば恨まれるだけ。三羽の震災クラス の黒鳥の到来で、思い切った事業撤収の決断こそ、ベストではないか。 下手な未練はないし、オセロじゃないが、それまでの白コマを逆に黒コマと して考える機会にもなる。しかし、これは口外してはならないし、第三者から みれば自己詭弁でしかない。このクラスの震災と経済震災の出あいは必ず意味 がある。」と思っていたので、それが手に取るように理解できたのである。 で、その返事が偉そうに、「以前の不幸を加えると、あんたも、これで一人前! 人生の完成じゃないか。」である。 哲学で言う「承認」の言葉。 それに対し、もう一人には、あまりに無神経な言葉である。でも、その結果は 当人にとって大きな意味(価値)があるはず。そのぐらいのことは葛藤の中で 十二分に自覚はしているはずだが・・ それにしても、常日頃、自覚し始めた 「嫌な奴」「上から目線のヤワな奴」の、自己「承認」になった。老いは恐しい! 【*哲学でいう承認とは? =ホネットの研究テーマは、相互主体間関係の 倫理的な再構成(ハーバーマスと同様、個々人の関係における道徳性の再構築) にある。つまり、倫理的(道徳的)発展は、相互主体的関係を前提とし、 その中心は、承認関係に置かれている。】 ー究極状態の主体たる相手を認めなさい!これ人間関係の基礎ー ご先祖様、歪んだ私を助けて! ・・・・・・・ 4157, 老後は夫婦の壁のぼり 2012年08月13日(月) ーまずは、内容紹介よりー 「老後は夫婦の壁のぼり」ねじめ 正一著 すべての団塊世代に捧げる老後のヒント。団塊世代の作家・ねじめ正一が、 人類永遠のテーマ「夫婦、男女のすれ違い」を縦軸に、今、団塊世代が直面する 「老後の問題」を横軸に、ユーモラスに、時に真摯に縦横無尽に紡ぐエッセイ集。 ーー 図書館で、この本を手にして早速よんでみたが、身につまされる話が次々と 出てくる。人生は坂を上ったり、下ったり、マサカの坂に出会ったりするが、 老いは、そんな生易しいものでなく、ロック・クライミングの室内用壁のぼり、 のようなもの。とにかく一日一日が、下に落ちまいとニジリ登っていく壁である。 亭主が外で働き稼いでいるうちは、奥さんも一歩下がってきた。 しかし稼ぎを無くして年金暮しで収入も激減し、家でゴロゴロしていると、 それだけで腹がたつのは道理。そのため、すれ違いと溝は深まるばかり。 ここで、ー夫婦喧嘩‘健康法’ーを紹介している。NHKの健康に関するTV番組に 出演した時の、鈴木清順のー夫婦喧嘩‘健康法’ーである。 番組が始まり、 「ねじめさんの健康法は何ですか」と、著者に話を振ってきた。著者は草野球を していたので、「年間25試合の草野球が楽しい。身体を動かす喜び、仲間との 交流の嬉しさ、そして、試合が終わってから家へ40〜50分歩いて帰ること」 と上ずって話した。次に、清純さんに、その質問が移った。 ≪「うん、そうですね。夫婦喧嘩ですかね。ばあさんと喧嘩していると、 腹が立ってきてぼけないし、脳みそが活性化し、どなると大声が出て肺に良い。 毎日欠かさず喧嘩しています」 いやはや凄い。隣に座っていた私は目から 鱗が落ちた。私の草野球健康法は海の藻屑、いやスタジオのゴミになった。≫ 以上だが、それにしても大変なエネルギーだが、それなりの信頼感がないと 大声で喧嘩もしていられない。家内とも大喧嘩は日常茶飯事だが、どうも こうも、精神的にも肉体的にも健康法とはいえない。それよりも、家に入って からは、互いの壁のぼりが言いえて妙である。「神様は連れ添いに世界一相性の 悪い人を選ぶ!」という格言がある。若いときは、自分にない部分を持っている 人に惹かれるもの。それは逆に、自分と重なる部分が少ない人。それが長年かけて 鬱積として蓄積されている。それでも昼は、すれ違いで何とか耐えてきたのが、 年金暮らしで昼も夜も一緒なら叩き合いになって当然である。特に男は、縦社会 に生きてきたので、日常という横社会中心の場での生活に慣れてないため、 どうしても妻一人に気持ちがいってしまう。小さな家の中での啀み合いが、 「老後は夫婦の壁のぼり」になるのである。 もしか、これ、ロック・クライミング? 酸素切れ? ・・・・・・・・ 3792, つれづれに ー 今日は御盆 2011年08月13日(土) 今年の御盆は格別の思いである。姉、兄に続いて、私もこの三月末で会社を 倒産させてしまった。「亡き両親と兄たちに、どう報告すべきか?」という 気持ちは、何処かにある。急激な悪化は、あと数年は大丈夫という見通しも、 数ヶ月もしないうちに、少し前倒しの決断をせざるを得なかった。この事態の 中でも事業を継続発展させるのが私の務めだったはず。経営は結果責任、 言い訳は一切無用である。20年前のバブル崩壊、10年前の9・11テロ、 そしてトドメが三年前のリーマンショック、その上に更に東北大震災。 この20年と、これから10年の異変は、明治維新と第二次世界大戦に匹敵するか 上回る規模になる。問題は、それが今だ進行中であること。父親が、第二次世界 大戦の敗戦時には42歳であった。私は現在、65歳で、年齢からみて 再チャレンジ出来る年齢ではない。また情報化とグローバル化の時代背景がある。 特に、情報のネット化が数千年、いや数十万年に一度の人類にとって想像を絶する ツールで、人類のあり方そのものを根底から変え始めてきている。 情報化、デジタル化は、多くのものを無料化させる力が働く。これはプラスにも マイナスにも働く。携帯電話にパソコン機能が入り、個々人の間の情報が瞬時に やり取りが可能になった。そのため世界中の既存体制が、そのコントロール不能 になっている。この中での事業経営は、非常に難しくなってしまった。 日本も世界も、この混沌とした中にあって、大きな岐路にたたされている。 この時期、リーマンショックで疲弊した日本に千年に一度の東北大震災が襲った。 この布置は、世界規模では戦争か災害が起こる可能性がある。それが我々の前に どのような事態で現れ出るのだろうか。幸いといって良いのか、世界に先立って、 日本は20年前にバブル崩壊を経験し、国家も、会社も、個人もダウンサイズ をしてきた。その点では、体質が既に変わってしまっている。 第二次世界大戦 の半年後に、日本で生を得て、そして、それに匹敵する変動を、ここで経験して いる自分が、そして日本がある。その三分の二が右上がり、三分の一が右下がり であった。人生の丁度良い時節が、歴史的繁栄の右上がりだったことを感謝している。 日本の浮き沈みに自分の人生が、ほぼ同じように重ねっていた。 所詮は国家と 盛衰のウネリの中で、浮き沈みをするしかない人生か! 目出度し目出度し! より、この方が、よほど良い人生かもしれない。 そう思うしかないが! でも、やはり恵まれていたことになる。 ・・・・・・・ 3427, iPad 対 キンドル ー4 2010年08月13日(金) 『iPad対キンドルー日本を巻き込む電子書籍戦争の舞台裏』西田宗千佳著 * タブレット式パソコンのブレイクの意味することは 日進月歩にパソコンが形を七変化をして便利な道具として提示されてきている。 その一番ホットなのがモバイル携帯電話。代表的なのがiPhone。それが今や iPadにとって代わろうとしている。早くいえば4倍の大きさのiPhoneである。 これをキッカケに多くが参入を始めてきた。 その競争が激しくなればなるほど、 消費者は使い勝手が良くなる。その結果、マスコミと出版業者の大部分が淘汰 される。これにツイッターのようなミニ・ブログを個々人が持って、情報の 受発信を始める。 空間を越えて、それぞれがキーワードで繋がるのだから、 これまでとは全く違った社会になっていく。これからの社会の変容は誰も予測は つかないし、これまでとは違った価値観が出てくる。 考えてみればパソコンが 卓上と、ノート型パソコンしかなかった方がオカシイ、ということになる。 最近になって携帯にパソコンが付いたばかり。 これが板状の平面のパソコン になった。 とすると、次の何かが出てくるはず。ヘルメット式とか、メガネ に画面が映し出されるものとか、投射式とか、想像を遥かに超えたものが、 早晩に出てくる。(字数の関係でカット 12年08月13日))
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2016年08月12日(金)
【お金に強くなる生き方 〜佐藤 優 (著)】 * 金融資産1億以上は、2・5% 以前にも書いたが、日本の富裕層(一億以上の金融資産家)は2・5%= 358万人という。紀元前のギリシャでも、現在のアメリカでも、支配層が3%、 中間層が30%、下層階級が67%の割合は変わらないという。資本主義国の 優等生の日本では、一億円以上の金融資産がトップ層の目安になる。 年金生活に入って、今さら渇望するほど欲しいものもないし、日常の生活の 楽しみを良しとして淡々としているだけで充分。10億、100億あったところで、 使う意欲もない。 反面、日常生活でのお金の有難さは、強く感じている。 700万円位までは幸福度と比例して右上がりになるが、その辺りから、収入 増加に比例しなくなるという。 ということは、日本では公務員の平均給与が、 600〜700万辺りのため、高給取りの部類になる。 ならば、公務員になって、 大人しく生きることが一つの模範かも。アメリカでは、7割の人が「自分は幸せ」 と思っているという。何か変と思うが、これが事実である。 〜その辺から〜 <3分1の世帯が貯蓄率ゼロでありながら、全世帯の貯蓄平均値が1000万以上。 これは何を意味しているか。とんでもない金融資産を増やしている世帯がある ためである。 大多数の日本人はさほど賃金が上がった実感がなく、物価上昇 だけは感じているというのが現実。反面、ポルシェを買っていく人も多い> ▼ 都会サラリーマンの退職者に、2千万以上の預金を持つ人が多い。 それに比して、地方は、親から引継いだ商店を潰して、夫婦して国民年金で、 預金がゼロに近く、何とか生活している人が増加している。地方格差の問題で ある。とはいえ、今のところ、生活費を切詰めれば何とか生きていける。 リタイア後の生活で、お金を使わなければならない場面が圧倒的に少ない。 その上に、酒などを切詰めれば、年金内で、生活が出来ないことはない? 娑婆は良いように出来ている。持った額だけ、それがパワーになることも 現実である。「金持ち、金をつかわず」である。使う必要がないためである。
・・・・・・ 5263,ホモ・サピエンスの誕生と、生き残り 〜地球大進化46億年 ー⑤ 2015年08月12日(水) ー「NHK 地球大進化 知られざる“生命の星”の秘密」ー * ホモ・サピエンスの誕生と、生き残り 最後まで残ったネアンデルタール人と、私たちホモ・サピエンスの差が、 複雑な言語を操る能力の差であった。 これは、現代社会の人間の能力にも 当てはめることが可能である。人間にとって最も重要な能力は、これである。 とすると、現代では情報端末を使いこなし、欲しい知識を得て、知恵に変える 能力=インテリジェンスになる。それが、そのまま、能力格差につながる。 今では、ネット社会が、現実社会の上を覆ってしまい、それが現実を左右 する時代になってきた。IS(イスラム国)などは、その典型事例といえよう。 ネアンデルタール人として、死滅するか。ホモ・サピエンスの次世代の人間 として生きるか?それぞれが大きな分岐点に立たされている。〜その辺りから〜 ≪ ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの間に横たわっていた大きな溝、 それは複雑な言葉を操る能力の差。もしネアンデルタール人が現在に生きて いたらいつも会話をしている私たちの姿はとっても奇妙に見えたことでしょう。 言葉を獲得したホモ・サピエンスは、その能力を最大限に役立てました。 狩猟民族は言葉によって緊密な連携プレイを取り効率よく狩りを行っている。 そして狩りが終わった時、改めて言葉の果たす大切な役割が分かります。 その日の狩りを皆で振り返る時、言葉がさらに交わされます。 大人同士は狩りが失敗した理由を考え、新しい工夫を話し合います。 大人の会話を聞いた子供たちは狩りの技術を学んでいきます。 私たちは自らの経験を言葉で仲間や子供に伝えています。言葉を持って初めて 私たちは世代を超えてそれぞれの知識を共有できるようになったのです。 言葉を持ったホモ・サピエンスとうまく操れなかったネアンデルタール人。 二つの氏族の運命を分ける時代がやってきた。4万年前、ヨーロッパーは 200万年間続いていた氷河期の最後のピークを迎えていきました。 寒さは厳しさを増し北半球ではぶ厚い氷河が欧州の北側を覆い尽くしていた。 この過酷な世界で生きるために言葉はホモ・サピエンスにとって大きな助けとなる。 寒冷地に住む動物たちは季節の移り変わりとともに大きな群れをつくって移動。 その時、ホモ・サピエンスは言葉によって獲物が移動してくる時期や場所の 情報を交換しそれに備えて狩りの計画を練ることができたのです。 言葉が未来を予測する力になったのです。 ≫ ▼ 現在では、情報機器とネットが、日々進化して、現代人は、それに 翻弄されている。しかし、時間とともに、それらを使いこなすことになるが、 その能力格差が果てしなく大きくなり、制御不能になるのでは? と思われる。 言語能力だけでなく、洞窟画も、ネアンデルタール人には無かったという。 そこにも人間の能力の意味を知ることが出来る。より広く、深い知識を得て、 様々の世界を知り、音楽、絵画、演劇など多くの芸術に感動し、それを満たし、 新しい何かを創造することが人生であることを示している。 ・・・・・・ 4898,ホントに大事なお金の話 −3 2014年08月12日(火) 『知っておきたい ホントに大事なお金の話』佐伯 良隆 (著) * お金と「幸せ」について ー幸せは金で買えるか? 幸せは金で買えるかは古代哲学からの大問題。 ー以下で、その辺りを取り上げている。 ≪・2002年に、ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カネーマンが 『年収7万5千ドル以上になると、それ以上の所得の増加は「生活満足度」は 高めても「幸福度」は殆ど変わらない』と結論づけた。 ・2013年、ミシガン大学のスティーブンソンとウォルファーズは、各国の詳細 なデータ分析から、一人当たりGDPと「生活満足度」には明確な相関があり、 「幸福度」とも一定の関係がある、とした。 ・それでは日本人の幸福度はどうでしょう。国の豊かさを示すGDPは50年前 には4000ドルでしたが、現在は43000ドルと、10倍以上になりましたが。 一人当たりの経済活動費は飛躍的に増加し、私たちが手にする金も増えました。 それが連動するなら、日本人は10倍も幸せになったはず。 ・ある調査で、世界各国で自分の幸福度を10段階で自己評価したものを集計した 結果、2012年時点で、日本は6・5で、1960年度から50年で、ほとんど変化を してなかった。一方、北欧諸国は8・0前後と高く、他の欧米諸国の多くも 7・0〜7・5、深刻な経済危機をかかえている失業率20%のギリシャさえ6・4%。 日本は主要先進国中、最低レベルなのです。OECDの幸福度指数でも、 経済力の割りに高くない。一人当たりGDPが14位にかかわらず、 幸福度指数が34ヶ国中21位でした。・・・ ≫ ▼ バブルの崩壊以降、右下がりの経済環境の中、戦前世代、団塊世代、 団塊ジュニアは、右上がりの時代と比べてしまうのが要因の一つ。私の場合、 終戦から40年近く右上がりの時代に生きて、それまでの40年は日本の歴史的 繁栄時代に生きることが出来て、非常に良かったことは確かである。で、現在は? というと、バブル崩壊までに、その恩恵を充分に受けていたこともあり、当時の 温もりがあってか、それなりに良いし、満足をしている。 森の生活の30数年間は、7百万〜千5百万の収入だったが、年金生活の現在、 3分1から4割の収入になったが、収入なりに楽しみがあって、当時が良かった と思いは皆無。7万5千ドル(750万円)といえば、一般の家庭生活で、生活を していくに気にしないで済むレベル。御隠居生活なら400万もあれば、充分。 父親の質実剛健の教えが、年金暮らしで再度、生きてくる。預金が10億もあれば、 やはりハワイに夏場と冬場の数ヶ月は滞在しているのだろうが! 饅頭嫌いは建前で、饅頭大好きが、やはり本音である! 小さな中古マンションに引越し、半分はハワイに行くことは可能だが、 そこまでは出来ない!のは・・ この考えも、バブル期の残物? ・・・・・・ 4531, 生きる悪知恵 ー9 2013年08月12日(月) * 最近、涙もろくて困るんです・・ 「生きる悪知恵」西原 理恵子(著) A: 「男は人前で涙を見せてはいけない」と教えられて育った昭和の男です。 ところが、不惑を過ぎた頃から、どうも涙腺が弱くなってきました。 いや、近しい人のお葬式とか娘の結婚式とかで泣くのならいいんですが、 本当にちょっとしたことで泣いてしまうんです。特にヤバイのが映画。 昔だったら絶対泣かないどころか、半分バカにして笑ってたようなべタベタ な泣かせ映画で泣いてしまって、周りに気づかれないようにするのが大変。 「おっぱいバレー」や「ルーキーズ」で涙があふれてきたときには、我ながら 呆れました。一人のときならいいですが、人前ではみっともなくて困ります。 どうすれば、ちいことで泣かずに済むようになるでしょうか。(51歳・男・自営) B: 昭和の男だって、泣いていいんですよ。星飛雄馬だって父ちゃんだって、 よく泣いてたじゃないですか。「少年兵は簡単に人を殺す」って (戦場カメラマンだった)鴨ちゃんに聞いた括だけど、それは子供は生きていく うえでのいろんなことを知らないから。子供はすぐ虫を殺すけど、大人は 「かわいそうだから、やめておこう」ってなるのと一緒。大人の涙は色んな ことを経験したから出る涙な。「いろんな人生にお疲れ様」という涙。 私の周りの大人もよく泣く。もう泣きまくり。男も女も。この年になると みんなもう背負っているものが一杯になって。ちょっとしたことで「ああ……」 って溢れてくる。私もホントに、世界中いろんなとこに旅行に行っても、本を 読んでいても、子供のチョッとしたこととか、猫が寝てるのとかを見ても、過去 の何かとすり合わせようとするみたいで、自分の中でこみあげてくるものがある。 ヘミングウェイの「何を見ても何かを思いだす」じゃないけど、もう走馬燈が 回り始めてるのかも。「人前でみっともない」って、そんなことない。 もし「泣いてる父さんが嫌だ」なんて言う人が周りにいたら、そんな人とは つき合わないね。やっばり今まで我慢してきたことかたくさんあるわけで、 そろそろ体の中の我慢のツボがいっぱいなんですよ。だから溢れてるわけで、 それを無理に止めるとホントに心の病気になってしまう。だから、よく泣き、 よく笑い、よく飲んで、よく食べて、外に出て、体を動かし日にあたること。 その年で精神を壊すと大変ですから、我慢することなどしないで。 遠慮せず、泣いてください。だって、あと少ししたらもうチンコも立たなく なって病気になって死ぬだけですから。歌にもあるでしょう、「泣きなさい、 笑いなさい」って。すべて自然のままに垂れ流しでいきましょう。 結論、 自然のままに垂れ流せぱよし。 ▼ 20歳代によく布団の中で泣いたもの(但し人前では泣かなかった)。 それが30歳過ぎた頃から 泣かなくなった。泣いていられるほど置かれた 立ち位置が崖っぷちだっただけだが。 布団でも人前でも、涙を流すと何か 踏ん切りができる。さめざめ泣くことと、腹から笑うことの中に、心の深い傷 に対して人類の長年かけ作りあげた自浄作用があるようだ。自浄作用といえば、 先日、信濃川の長岡大橋をポタリングの途中、初老の男が、川に向かい背中を 反らした後、前を屈むようにしながら数度、ワォーッ」と喚いていた。 何かがあったのだろう。今度、誰もいないとき、やってみようと思ったが、 これ、気持ちがいいはず。今度、シネマで、ストーリーに感情移譲をして、 泣く練習をしてみようか。 ・・・・・・・ 4156, EUメルトダウン 2012年08月12日(日) 「EUメルトダウン 欧州発 世界がなくなる日」 浜 矩子 (著) オリンピックも終わろうとしているが、これから年末までの4ヶ月半の日々が、 緊迫した日々になる。この本の題材のとおり、「EUメルトダウン」と、 イスラエルによるイラン核施設への可能性である。ズバリ8割だろう。 この書籍は書店では目にして立ち読みをしていたが、数日前に図書館で見つけた。 去年暮れに出版された本で、その後の推移は、ほぼ当たっている。その都度EUは 何とか緊急融資を決定し、乗り切ってきた。しかし、どれもこれもギリギリの決断。 ーまずは、アマゾンの内容紹介よりー ≪ ギリシャに端を発した、欧州の財政危機問題はポルトガル、イタリア、 スペインといったいわゆるPIIGS諸国に連鎖し、遂にEUの屋台骨の一つである フランスまでにも飛び火して、金融危機が勃発しようとしている。さらに、 もう一つの屋台骨であるドイツも改革疲弊・限界支援で今後の動きが読めない。 EUは、まさにメルトダウン寸前の状態にある。ギリシャの破たんが、すぐそこまで 来ている今、ユーロは暴落し、諸外国の株価も急落している。 EU発の世界経済大崩壊 ″第二のリーマン・ショック″は日に日に現実味を 帯びてきているのである。果たして世界最大の国家″EUは生き延びられるのかー。 そして、この欧州危機は世界に伝播し、大恐慌に陥ってしまうのか―? ‘ユーロという通貨の統合の果実が毒’に変わりつつある今、世界経済は大変革の ターニング・ポイントを迎えている。欧州危機を乗越えるにはどんな方策があるか? そして、日本は今後EU諸国とどの様に関わっていくべきなのか? エコノミスト・浜矩子氏が、EUの経済危機を、EMS(欧州通貨制度)の崩壊、 マーストリヒト条約締結から現在に到るまでの歴史的事実から、EU、そして 欧州各国がとるべき政策を考察、解説する。≫ ▼ 1979年に発足した欧州通貨制度は、その縛りを各国が守ることから 始まったが、その足並みが揃わず、大きな壁に突き当たったが、最後に妙案が 出てきた。事実上のドイツ・マルク本位制に見立てて、各国が、ドイツの経済実態 に自国経済のパフォーマンスに摺り寄せることだった。インフレ率も、成長率も、 失業率も、金利も、目指すはドイツだった。要するに「ベスト・プラクティス」 を各国がすることだった。ところが1990年代に入って、安定するはずのドイツが、 東ドイツを吸収したため、西ドイツ・マルクが消滅、統一マルクになって、 価値の定まらない通貨になってしまった。西ドイツの人々は、東ドイツの人々の ために「連帯税」を取られ、その力を失っていった。そして、問題であった、 南欧の人たちの仕事に対する甘さが、そのまま、ドイツに重く圧し掛かって、 その将来に暗い影を落としてきているのが現状。ドイツ国民も、どこまで、 この重圧に耐えられるか、もし、反対政党が、離脱でも言い出し、勝利を 収めれば、メルトダウンが大爆発を起こし消滅することにもなりかねない。 その前にPIIGSの一つがデフォルトの可能性が大である。時の権力者は自分の代 での爆発は避けたいもの。それが積もり積もって、限界点に到達したか? ・・・・・・・ 3791, スポーツジムの景色 −2 2011年08月12日(金) このところジムが何か変である。4月初旬に入会したが、当時は平日の午前中 に関わらず会員で満タンで、「ここは不景気とは別世界、私の知らないうちに 社会は変わってしまった」と、思い知らされた。まずは値段の安さである。 昼間の空いている時間帯(主婦と定年後の団塊世代を狙いをつけた時間帯= 金曜ー定休、日祭日を除く10時から17時)のコースが、月に5980円である。 私は、ほぼ皆勤で10〜12時の二時間は通っている。20日で割ると一日300円。 しかし私が入会後、一月もしない5月のゴールデン・ウィーク後から、ジム内の 会員数が激減をしている。まずは三割、そして五割、最近では三分の一ほどに なってしまった。嘘のようだが本当である。僅か4ヶ月のうちである。平日昼の 時間帯からみて、景気に敏感な主婦層が多いこともあるが、東北大震災の影響が 直撃したようだ。会費が二月分前払いのため、連休明けから激減したようだ。 また場所柄、農家関係も多いこともある。考えてみれば新潟は福島の隣県。 イメージからして、農作物は中長期的にみて大打撃は避けられない。農業関係者 なら敏感なはず。連休後から友達紹介キャンペインを始めたが、新規の見学者が、 このところ少なくなった。 スポーツジムはレジャーの範疇に入る施設である。 10年前の9.11テロと、3年前の9.15−リーマンショックは、数百年に一度の 文明と政治経済の大激震。その影響が、まずは日本に直撃。 それで今回、 私の事業も倒産に至った。 その上に、1000年に一度の地震・津波の自然大災害 と福島原発事故である。 そして先週末からの世界同時株安が襲ってきている。 ジムが劇的に会員が激減していくのも当然といえば当然。 家内は10年前から 信濃川の川辺のイオン内のスポーツジムに通っている。そこで家内に、会員数が 減っているかどうか聞いたところ、「元もと少ないので、減った感じはない」 という。 とすると、ジム愛好者が居酒屋が新規開店に殺到するように、新しい ジムに様子見に来たのが一巡し、前のジムに舞い戻った要素もあるのだろうか? と考えてみたが、新しく大きい方が、より多くの種類の設備が付加されている ので、大方が元に戻るというのも考えにくい。やはり大震災の影響である。 私自身の見方が、時が時だけに、悲観的にみてしまうことも考慮してもである。 休日は、市営の公共施設のサンライフにいくが、そこで一通りジム設備が揃って いて、我慢すれば出来ないことはない。公共のジムを二つ兼ねれば、それなりの 満足感を得ることも可能である。スポーツジムからみる、景気も、そう甘いもの ではない。それにしてもジムは、ゴルフをしない者にとっては健康にとって、 非常によい。
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2016年08月11日(木)
【お金に強くなる生き方 〜佐藤 優 (著)】 * 年収600万で上位10% 佐藤優の【お金に強くなる生き方】というテーマに惹かれて図書館から 借りてきた。現実的な内容で合点がいく。年収600万で上位10%とは驚き。 正社員の収入が414万円で、非正規を含めると、中央値が300万半ばになる。 これが現実である。 〜その辺りを抜粋する〜 《 先ほどの国税局の調査で平均年収が414万円。この数字は平均で、高所得者 に引っ張られているため。実際は、これより低い。「年収300超〜400万以下」 が17・4%。 男女別に見ると、男性が「年収300超〜400万以下」が18・7%が 最も多く、次いで、「400〜500万以下」が17・1%。 女性で最も多いのが 「100万〜200万以下」で、26・1%、次いで「200〜300万以下」が21・8%になる。 おそらく、この数字が一般的な日本人の給与所得者の実感に一番近い。 つまり、年収300万台が中央値である。日本の労働者の年収上位10%には、年収 580万台の人が入ります。年収600万なら間違いなく上位10%に入る。 どうもバブルの頃のイメージが抜けきれず、平均値のマジックに惑わされるが、 年収500万位が平均的な数字のような感覚があるが、現実は、かなり違っている。 300〜400万も稼いでいれば自分を卑下する必要もないのに、何か焦って、変な 投資をして騙されるケースが多い。》 ▼ 「年金生活者」の言葉自体に問題がある。「年金補助生活者」が性格な答え。 これが浸透してないため、不平が政府に向かう。とはいえ、三人に一人が預金 ゼロというから、僅かな年金では生活できない。そこで、「生活保護制度」で 何とか生きていける。とはいえ、バブル崩壊以降は、厳しさは増している。 〜で、これも偶然だが、以下に続く! ・・・・・・ 5262,贅沢を敵にしない 〜ニーチェ「超」入門〜 2015年08月11日(火) 〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦著 * 贅沢を敵にしない ここで何度も書いているが、小・中・高・大学の同級会に毎年、出席して いるが、進学するほど当然、空気が違ってくる。その大学でも、進級するに つれ、属したグループの人の質(知識、家柄、人柄,etc)もアップしていく。 4年前から、世界が住居の長岡だけに狭まったが、この小さな世界の段差が 嫌でも見えてくる。この城下町は未だ『贅沢は敵』の精神が付いてまわる。 稼いだだけ、堂々と使えば良いだけだが。で、30年間、堂々と使ってみて、 どうだったか? いや、良かった。本当に!使った分は、あの世とやらに、 持っていける。ということで、両親にも教わっていたが、以下の論に納得! ≪ やせた土地には作物が育たない。これと同じことが人間にもいえる。 貧しい状況から豊かなものは生まれてこない。しかし、経済的に豊かな 状況からのみ何かが生産されるということではない。心が豊かであれば、 あるいは豊かな感受性を持っていれば、そこから生まれてくるものが必ずある。 豊かな知識、豊かな経験、豊かな能力、豊かな力、豊かな度量、そういった ものから必ず生まれるものがある。 しかしまた、いくら莫大な資産を持っていようとも、それを使わなければ 何かが生まれてくるということはない。当然のことながら、贅沢から生まれる ものは多い。贅沢を好む気持ちからでさえ、蕩尽からでさえ生れるものがある。 ケチ、節約、出し惜しみ、死蔵、衰弱、弱気、過度の貯蓄などから豊かなもの は生まれない。それでは、豊かなに生きられない、人生を十全に生きられない、 いきいきと生きられない、ということを意味する。 たとえば、返済に数十年もかかるローンを組んだために好きな本も買えずに 図書館から借りては返し、質の悪い衣服をまとい、質素な物を食べなければ ならない生活というのは、それ自体が豊かなことではないし、豊かなものを 生むのがとても難しくなる。実際に、そのために子供すら育てられない家庭が あるのだ。粗食だの節約だの質素だのというのは、早々に人生を見切った老人 にまかせておけばいい。わたしたちは人生を見切るという愚をおかさないため にも、豊かさを好み、贅沢を味方にしておかなければならない。 そうでないと、ただ生きるだけになるからだ。税金をはじめとした支払いの ためだけに生きることが人生といえるのだろうか。それはそもそも人生と呼べ るのか。 豊かに、多彩に、悲喜こもごも、味わい尽くすのが人生である。 あのイエスさえ、粗末な衣服をまとってはいなかった。ニーチェもまた 質素な生活はしていなかった。昼はいつもホテルのレストランでステーキと オムレツを食べていた。ニーチェは、人間はもともと贅沢を好むものと述べる。 人は豊かさを好むものだ。禁欲よりも放縦になびく。誰が好んで広い空より も狭い空をあおぎたがるだろうか。誰が好んで、多くの可能性よりもわずかな 手だてを選択するだろうか。人間の本性の顔は贅沢に向いているのだ。 たしたちは、机上の計算をするだけで金銭を得ることが当然だと思っている ような経理的な人間にだまされてはいけない。これだけの金しかないのだから この程度しかできないと彼らはいうのだ。彼らは金こそ可能性と力だと思い込ん でいる。数字の計算が重要だと思っているような彼らより、本当に生産に たずさわっている人たちは知っているはず。狭さよりも広さ、制限よりも解放、 圧迫よりも自由、計算上の明日よりも望みを含んだ今、貧弱よりも豊満、臆病 よりも大胆、反撥よりも限りない抱擁。そういったものこそ、人間をもっとも 人間らしい自由に導き、そこから新たなものを生むことを。かがんで身構えて いては何も掴めない。踏み出し、進み、手を伸ばし、欲望をあらわにし、 求めなければならない。賛沢は何かを捨てることではない。何か新しいことを 得ることだ。贅沢は人間の能力を解放することなのだ。〜p109〜111 ≫ ▼ 上記の意味すら理解できない人が、地方には多い。周辺の思惑に左右され、 「かがんで身構えて何も掴もうとしない!」 そう、ただ彷徨っているゾンビ のような人が、身近な顔色を伺っているだけ。近づかなければ良いだけだが、 それが、また・・ 21歳時に、一ヶ月で、現在の300万以上の大学の欧州一周 ツアーに参加してみて、それまでの、小さな先入観が粉々に粉砕された。 そこで知ったのが、上記のこと。可能な限り力を発揮し、その力で、最大限、 豊かさを得て、この世を楽しむことこそ人生。 だからこそ創業を目指した。 創業45年の人生、一応、豊満で、面白おかしい経験が行蔵に残っている。 贅沢は敵でなく、素敵である。どの道、直ぐに死ぬのだから!で、以下に続く! ・・・・・・ 4897,閑話小題 ーシャバシャバ 2014年08月11日(月) * 娑婆とは 「娑婆」の定義を知りたいとネットで検索したところ、次の内容があった。 ≪ 娑婆とは仏法では人が生きる世界を指し、世界四苦八苦に耐える自由の ない世界としている。しかし、俗語的に娑婆は刑務所に入っている人にとって の外の自由な世界を意味する。これは江戸時代、遊郭を娑婆に対する極楽安堵の 地と例えていたが、遊郭で働く女郎からは「娑婆(外の世界)こそ自由の世界」 になるためで、意味は逆だがどちらも人が普通に暮らす世界をさす意味では 変わっていない。俗語的意味で娑婆がよく聞かれるのはドラマの出所シーンで 「シャバの空気はうめえ」というセリフ。また、日常生活でも合宿中の生徒や 新入社員、人里離れた地で勤務する人など自由のきかない生活をしている人が 「早くシャバに戻りたい」といった形で使用する。≫ ≪「彼岸」は「此岸」に対する言葉で、ともに仏教から出た言葉。「此岸」 (こちらの岸)とは、私たちの住む世界のことで、仏教では娑婆(しゃば)世界 ともいいます。「娑婆」とは昔のインドの言葉で、堪忍土とも訳され、耐え忍ぶ 世界という意味です。≫ とあった。 ▼ 父の口癖が娑婆。日常的に世間を娑婆と言換えて使っていたため、たびたび 聞いていた言葉。商家は、日常が戦場の真只中で四苦八苦世界の側面があった。 終戦直前に、空襲の焼夷弾で街が焼かれた直後に物心がつき、一家は転業を しながら日々を過ごす娑婆世界の環境であった。若者言葉に「やばい」と 「シャバ」をかけ「シャバイ」があるとか。今の私の日々は、シャバイになる? この言葉から「ショバイ」が連想される。ショバイ日々、商売に熱中する日々。 ショバショバである。現在の私は「ショボショボ」になるのか! ・・・・・・ 4530, 閑話小題 ー他人に金を貸したことがあるか? 2013年08月11日(日) * 他人に金を貸したことがあるか? 父親の教えが、「他人との金の貸し借りをするな、特に保証人の受け判や 甘言の出資は絶対にするな!」。ある姉が事業悪化に陥り、手形の受け判を 持ってきたが、当然、断った。二ヶ月に一人、その対象を探していて、その番が 私にまわってきたようだ。 しかし、実兄が抵当に入っている自宅確保のため 3百万を貸してくれの申し出に、さすがに迷った挙句、百万を見舞金として 出すことにした。それ以外、一切、他人との貸し借りはない。私の事業悪化時も、 予備金があったので、銀行の追加借入れや、縁者などからの借入など、考える 以前の問題。20年前の最後のホテル投資以来、長期資金の追加借入はない。 ただ愚直に「予備資金に手をつけた段階で事業撤退をする」と決め、実際に 断行した。それを計画倒産というなら、その通り。「他人の不幸は蜜の味」 の輩が興味本位で物語をつくっているのだろうが、所詮は世間とかいう輩の 戯言、共同幻覚。TVのバラエティに『開運!なんでも鑑定団』があるが、 そこに持込まれる骨董に借金のカタか、温情買取があるが、ほぼ贋作。 それと知って持込んだのか、本人も贋作と知らなかったか?これだけは当人の 動機の問題になる。バレたとき、自分も騙されていたと言い張ることが出来る。 骨董など美術館で一級品を見るだけで充分。既に亡くなったが知人に、 あわよくばと「億クラスの受け判」の話を持ち込もうとしたのがいた。 「貧すれば鈍する」行為の典型が「倒産直前の悪あがき」。私の場合は父親の 教えと普段から言っていたので、断る手取り早い言い訳になったが、断り きれない場合は、言い値の一割を返済期限ゼロという条件で貸し付けるか、 与えればよい。姉の場合は、事業整理のコンサルタントの費用の一部と、 手伝いで、その不義理は解消したつもりだったが・・ その折の知人縁者の 借金一覧表が手元にあるが、よくぞ、これだけ? これらを見れば、貧する前 に事業整理に早々と手順に入るしかなかった、ということ。 中学校、高校、 大学の頃、自宅に何人かの地元の事業家が、借金の申込みに来ていた。 子供の頃から父に倒産、夜逃げの具体的内容を子守唄のように聞かされていた。 そして借金と金融機関の恐ろしさも。それから身を守るのは長年かけた事業体質 というか、生活習慣しかないことも。 二年前に、直後に聞かれたことは 「計画倒産?」である。今どき計画倒産など有得ない事を知ってか知らずか。 常日頃、万一の備えの話をしていたが、これである。でもまさか、3羽の黒鳥 (震災型変動)が、私の目前に舞い降りるとは。 今では、多くの仲間の鳴声が 聞こえている。その中の東京オリンピック、どうなのか? この時節、普段から 「親の遺言が、出資、金の貸借りはしてはならない」と、言い続けましょう。 ある日、突然、何が起きることか、実体験して、初めて分かること。裏山から 外海を毎日、眺める日々も、これまた複雑怪奇な気分。 Aのa層と、一部Aの b層は、数年前に避難完了。やられるのが、それ以外の、もう失うのもないC層を 除く9割の人々。海岸線で、日々の生活を何の疑いなく続けている。危ないのに! ・・・・・・ 4155, 閑話小題 ーオリンピックも後半に 2012年08月11日(土) * オリンピックも終盤に入った ロンドンオリンピックも終盤になってきた。今回のオリンピックは日本と してはメダル数が多い。外国にならいメダルが取れそうな種目に集中してきた 効果が、ここで出てきたようだ。特に女子選手の活躍が目立っている。 国が衰るとオリンピックやサッカーのワールドカップの成績が良くなるというが。 そういえば以前ほどオリンピックに大騒ぎをしなくなった。不景気で、 浮かれていられないということか。 そろそろ国内外の政治も動き出してきた。 9月から年末にかけ、中東のシリア、イランか、ユーロ圏の経済危機で焦臭い 動きがで始めるだろう。 今のところオリンピックへのテロは起きてないが、 無事終了して欲しいもの。テロリストも国を背負っているので躊躇するのが 道理だが、それが通らないのが彼ら。 * 地平線の距離は? 地平線という言葉は、何か私たちを惹きつける。「どの位?」というと、 20キロか、30キロと思うが、実は4キロ強。一番身近では海原と空の境目 がある。海岸線に100Mの展望台をつくったら、36キロ先とか。タンザニア のセレンゲッテーの草原で、360度の草原の地平線を見たが、これは感動もの。 私たちが数十キロ先の山や海原が見えるのは段差があるため。 * つれづれに この時節、早朝のポタリング(自転車散歩)の帰り道、子供のラジオ体操の 帰り姿と出くわす。その姿を見て、「この子供たちは60年、70年先も生きて いるのか!」という思いが出ている。つい最近までは、そんなことは無かったのに。 一線を退いたこともあるのだろう。羨ましいとか、気の毒にとかいう気持ちは 無いが、これが昔からの年寄の気持ちだったのだろう。最近、隣家が取り壊され 更地になって3ヶ月経つが、幼児二人を連れた父親が、日曜日に空き地の中で 楽しそうに佇んでいた。恐らく近く着工が決まっていて、近い将来、家族で住む のを楽しみにしている姿が良い。人生で一番、幸せな時である。 ・・・・・・・ 3790, この世界株安、リーマンショック激震の津波! 2011年08月11日(木) 先週末からニューヨークで始った世界株安、アメリカ、欧州で数日で一割 近く下げたが、昨日は日米の株式市場で、反発をして終わった。ただ今週、いや 今月一杯がどうなるかだ。あのリーマンショックから、あと一ヶ月で三年になる。 そろそろ津波の本体が到来時期になる。この世界同時株安が、それである。 この津波は今後数年間は次次と押し寄せることになる。リーマンショックから三年、 日・米・欧の政府は、その対策の投入などで破綻寸前、国債もデフォルト寸前の 事態に陥っている。その結果として世界同時株安に本格的突入とみてよい。 そして、その次に来る大津波がハイパーインフレである。これが世界を覆うのは 二年後から三年後。 これで世界は大恐慌の真っ只中に入る。三年前のリーマン ショックは、数百年に一度の経済的大変動の事象であるのは、言うまでもない。 それを何とか世界各国が緊急対策で抑え込んでいたが、対策を出し切り限界に きてしまったのが、この世界株安。ドルとユーロは瀕死の状態で、その崩壊も 世界株安と同時に崩壊の危機。 80円代前半で推移していた円も、ここで76円 代に入ってきており、年内に60円代もある。この事態は体力を使い果たした日本 にとって大打撃。そうこう考えると世界恐慌が現実の脅威として姿を現してきた。 日本の地方経済は20年前のバブル崩壊、10年前の9・11テロ、そして3年前の9・15 のリーマンショックで致命的打撃をうけた。そして、この東北大震災である。 この直撃をうけた一現象が、当方の倒産だった。ビジネスホテルは景気の変動に 敏感に左右する。だいたい30年の経験則からみて当方の売り上げ減は、 その半年後から他の事業にも現れ出てくる。直線的に右下がりになるのではなく、 波状に上下を繰り返しながら、右下がり続いてくる。 東北大震災は布置 (最悪の時に不思議と、最悪の事象が重なって起こる)である。そして元社会党 左派が、この時期に権力を握ってしまったのも布置。 今回の恐慌は、1930年代 の恐慌とは規模が遥かに大きくなるのはいうまでもない。結果からすれば、 中国が破壊と再生を繰り返し、世界のエネルギーの中心になっていく。これから 起こる大恐慌も、その布置のひとつである。世界的にみても、前半は東北大震災。 後半は、世界的経済混乱(世界的株安、ドル:ユーロ安、穀物などの高騰)、 その序曲がこれ! ・・・・・・・ 3425, iPad 対 キンドル ー2 2010年08月11日(水) 『iPad対キンドルー日本を巻き込む電子書籍戦争の舞台裏』西田宗千佳著 * ソニーは、ハードの強みを狙う 【 以下は、要約である 】 2008年、2009年に、eBookリーダー市場で売れたのはキンドルだけではない。 二番手として活況を呈したのはソニーである。アマゾンが、これまでの電子書店 のネット窓口から直接、端末のキンドルに送信するシステムを強みにしたのに 対し、ソニーは、版権を持っている出版社に目をつけ、契約することした。 契約社会のアメリカでは、著者と出版時に契約を交わす。 契約に際しては、「出版だけに限らずオールライトを取りにいくのが基本」 だから、デジタル化に関しても、許諾を出すのは出版会社だけでいい。 出版会社との交渉だけで、一気に大量の書籍のデジタル版について、販売権を 確保できる。 この原理は出版だけではなく、音楽、映画に関しても同じことが いえる。そのためアメリカでは、音楽・映画配信が、日本より格段に進んでいる。 ソニーの強みは「ハード開発」である。キンドルとの最大の違いは、通信機能を 使って、新聞や雑誌を講読できる点である。更にアマゾンと敵対関係にある大手 小売店チェーンと組んで、一番売れそうなコーナーなどで売ることも強みになる。 アマゾンのキンドルは大手流通の店頭では売られてない。 何故ならアマゾンの ネットで販売されるからである。その盲点をソニーがついたのである。キンドル がブームになり、その商品を見たくなり店頭に行っても、そこにはない。そこに あるのはブランド力のあるソニーの商品とあれば、それを手に取ることになる。 さらに他のコンテンツが利用できるとあれば、顧客は、それに惹かれるのは当然 のこと。アマゾンが「オンライン」で攻め、ソニーは「店舗」で攻める戦略。 2009年までに累計100万台以上を売ったという。去年までに、キンドルは200〜 300万台を売ったと推測されるという。そこにマックがiPadで割り込んできた。 何と一ヶ月で100万台を売ったというから、その凄さには驚かされる! それは次回になるが・・・
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2016年08月10日(水)
<人生を幸福で満たす20の方法>三宮 麻由子(著) * 絶望の日々を生き抜くために 〜【 】内は私見である。 危機の中で、生き抜く方法を以下のように挙げている。 ☆ 危機は自然体で乗り越えよう :危機は肉低的危機と、尊厳の危機がある。 :想像を絶した困難を乗越える努力の必要がある。 【挫折は、魂の危機である。その時に教養と情報が大きな糧になる】 ☆ 夢を叶える方法 :人間万事塞翁が馬 :人には添うてみよ :馬には乗ってみよ :転石苔を生ぜず 夢を持ち続ければ、縁は振ってくる それを信じた人のところに 受け入れる人のところに 【棒ほど願えば、針ほど叶う】 ☆ 絶望の中に希望を見出す :絶望の淵に立ったとき 悪魔に背中を押されて奈落の底に落ちますか、 天使の助けを借りて青空に舞い上がりますか どちらも貴方次第です。 :絶望度を測る3つのステップ ・本当に絶望しているのか ・絶望とあなたの距離を測る ・絶望から立ち直りたいと本当に望んでいるか ☆ 赦すことで前に進もう ☆ 孤独からの脱出法 :孤独のコントロールとは、一人でいるときに孤独だと感じないで済む 能力である。 【大家族の末っ子で育ったため、多人数の兄姉は、自分の世界を閉じて、 それぞれが孤立していた。それが逆に、疎外感を少なくしてきたようだ。】 ―― 最後の最後は、自分ひとり(自問自答の世界)である。それに何時、気づくか。 実際のところ、幼児の頃に光を失うことは大きなハンデだろう。それを努力で 克服した当人の言葉には血が滲む思いが入っている。
私が、危機に立ったときに、実行してきたのが、<対象に「正中心一点無」 にして、自然体に身を委ねる>ことである。 これで、何度も救われた。
・・・・・・ 5261,決断する 〜ニーチェ「超」入門〜 2015年08月10日(月) 〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦著 * 決断する ニーチェは、生きるために必要なこととして「決断」の重要性を上げる。 事業を振返ってみると、小規模ながらも節目には多くの決断に迫られた。 ・ソ連崩壊、中国の実質的に共産主義経済から、自由主義経済への移行。 ・それと時期を同じくした日本経済バブルの崩壊とデフレ経済の進行。 ・9・11テロとアフガン戦争とイラク戦争。そして、世界経済の低迷。 ・リーマンショックと、日本経済の更なる低迷。 ・何よりも、ネット・パソコンを代表とする情報端末の普及による社会変化。 など、思いもよらぬ断層が生じ、その対応に、思い切った決断が迫られてきた。 その決断こそ、生命が生延びるか、死滅するか境目になる。〜その辺りから〜 ≪ 人生のまっただ中で、若い人たちがとまどっている。この人生の中で、 何をどうすればいいかわからないからだ。迷い、怯え、自己過信などとうの 昔に失い、さらには残る自信を削られ、自分の力のなさと能力の乏しさを感じる だけの日々。そうこうしているうちに、望みの多くを達成しないままに、確実に 歳だけが増えていく。 実は、こう感じているのは若者だけではない。いい歳をしたオトナも同じ。 なぜならば、みな人生の初心者だからだ。ところが多くの人は、オトナはいわば 人生のヴェテランだと思い込んでいる。自分は人生のヴェテランだと称する 中高年も実際にいる。 けれども、十代のときに面したのと同じ問題が三十代になってもまったく 同じ形で自分に向かってくるわけではない。三十代になれば三十代の問題がつき つけられる。七十代になれば七十代の、そして衰弱や病気などの逃げがたい問題 が加わる。そういう意味で、誰もがその時点において人生の初心者なのだ。 もしそうでなければ、たとえば親の助言を聞いて同じように実行する若者ほど 人生がたやすくなる。ところが、親の助言や知恵は有効ではないことがしばしば。 すでに親が経験した時代とはまったく別の時代が今だからだ。よって、いつも 昔の解決方法が有効だというわけにはいかない。 昔の事柄にしか習熟していない 親の助言や知恵が現代で無効ならば、若い人の問題や悩みを助けるのは何だろう。 書物だろうか、現代の問題についての新しい考え方だろうか。 それらは有効であり、有効ではない。なぜならば、個々人の問題に直接的に 具体的に役立つようなものはないからだ。だからこそ、それぞれの人がそれぞれ の個人的な人生を選んでいく意味というものがあるのだが。 それはともかく、問題解決に役立つものをどこかに探すという依存的な姿勢を 脱すべきだろう。では、人生最初の問題に面したときにはどうすればいいのだろう。 確実な答えがある。問題の前でいつまでもぐずぐずしていないことだ。 すなわち、決断をする。その決断がまちがっていたらどうしようなどとは 絶対に考えない。決断を自分で引き受け、自分で取り組むのだ。 うまくいくかもしれない。ひどい目に遭うかもしれない。その中間かもしれない。 いずれにしろ、事態は変転する。 これは、超人のやり方の一つだ。 おじけついて引き下がらない。人目を気にしない。前例の真似をしない。 おずおずと取り組まず、堂々と果敢に取り組む。そして、どういうことが起き ようとも反省などしない。もちろん、後悔もしない。自分の決断が新しい時代を 生むことになったら、また自分で決断する。力の限りに取り組む。そうしていく うちに、すべてが変わる。自分すら変わる。それには少しの勇気が必要だ。 ≫ ▼ 4年数ヶ月前、まだ財務悪化が深刻になる直前に、事業継続の断念を決断した。 弁護士が『今回は、見切り千両、いや見切り万両です』と言われたが、時間が 経つにつれて、それを改めて実感している。ただ、現象は変われど、問題解決の 手順、方法は、同じである。問題の中心を、「正・中心・一点・無」の心で 凝視し、過っての手順を思い出し、これも45年の事業人生の最後の区切りとして、 味わい深く一つずつ決断していく。そのうち、現象そのものが面白くさえなる。 それが、上記そのまま。 そう、決断は、人生を根底から変えてくれる。 決断を延ばしに延ばし、野垂れ死が待っている日本。どうなるのだろう? 決断直後は、激痛が伴うが、べき時に決断をしないと、どうなるか。 できない彼らの薄ら笑いが目に浮かぶ。 もうじき、涙目になるのだろうが。 ・・・・・・ 4896,ホントに大事なお金の話 −2 2014年08月10日(日) 『知っておきたい ホントに大事なお金の話』佐伯 良隆 (著) * 医療保険と、生命保険に入る馬鹿! 少し考えてみれば分かることだが、生命保険など、もっての他。あれだけの 約定を誰も読まないし、読んでも解りようがない。そこには、あらゆる保険会社 に都合の良いことが書いてあるのは当然の話。私たちが、30、40歳で死ぬ確率は 1千人に1人でしかない。社会人になると同時に、保険屋からの軽やかな勧誘。 それが、実は家と同じ位の大きな買物であることさえ知らず、契約をしてしまう。 そんな甘い時代も終わったと保険屋はいうが・・ ーまずは、以下の部分からー ≪厚生省のデータによると、死亡率は35歳男性で1000人中0.8人、40歳では 1・28人となってます。 文字とおり万一ではないが、千が一ぐらいの低確率。 とはいえ、不幸が起きてしまうと家族に対する経済損失は大きく、人生最大の リスクになる。生命保険文化センターの試算では、40歳男性で、 妻38歳・長女10歳、長男8歳の4人家族の場合、会社員で約750万円。 自営業者で約2400万円を、民間の保険でまかなうのが望ましいと、されます。 データによると30代男性は平均2200万円、40代男性は平均2800万円で多くが 会社員であるとを考えると充分に用意できていますね。それでも、生命保険文化 センターによれば、足りてないと感じている人が6割にのぼる。月々払う保険料は、 何も起こらなければそのまま消えていきます。いわゆる「掛け捨て」という言葉 にあるように、お金を捨てている気にさえなるかもしれません。 そこで、保険料の一部が将来戻ってくる商品があります。「積み立て」「貯蓄型」 と呼ばれるタイブ。払ったお金が利息ともに戻ってくると聞けば得した気分なる。 万が一の備えと将来への貯蓄がひとつの保険で、できるので、一挙両得な気が しますね。実際、貯蓄好きの日本人気質に合ったのか、このタイプは人気のよう。 ところがこのタイプ、よくよく見ると、掛け捨て型の保険に「積み立て部分を 編込んだ商品」なのです。将来の教育費に備える学費保険も同様です。≫ ▼ 39歳までにガンになる人は、一年間に100人に1人。その死亡率は 500人に1人しかいない。統計から見ると、ガンは高齢者であり長生きをした 代償。その漠然とした不安と、こういう事実を知らない素人を言葉巧みに誘う のが保険の本質である。平均入院日数は35日で、入院の自己負担は平均20万。 これに対し、保険会社から給付される保険金は、平均一万。一生に1〜2度の イベントのため、保険に入っている。30歳の人が給付金1万を受け取るため の保険料は、月に約3千年。合計10年で36万。預金にすれば金利がついて 40数万になる。そこからも、保険のカラクリが見えてくる。支払保険の半分 は、保険屋の餌食とみればよい。私の主義として、銀行借り入れの前提条件の ホテルへの火災保険以外は、保険には入ってない。そのため、家内は不安に なって、結婚以来、家内名義の給与から、健康保険と厚生年金を差引いた分の 10万を40年間、預金をしていた。それが、3年前の窮地のタネ銭になった ことは何度か書いてきた。保険屋の餌食になっていれば、半分は?? この一連で言われた、計画倒産など元もとする必要など無い。 世の中には下衆の類が多いが、保険屋の一番おいしい人たちでもある。 ・・・・・・ 4529, 生きる悪知恵 ー8 2013年08月10日(土) 「生きる悪知恵 ー正しくないけど役に立つ60のヒント」西原 理恵子(著) * 親の面倒は金で解決と割り切ること Q: いい年して恥ずかしいのですが、親と仲良くできません。中学の頃って、 誰も口も利かなくなるじゃないですか。 大学で家を離れ、正月もほとんど 帰らないまま30年か過ぎ、もはや何を喋っていいかも分からなくなりました。 とはいえ、ある年齢以降は「たまには親孝行を」と思って食事に連れていったり もしたのですが、「ひとつも旨くなかったな」などと人の好意を無にするような ことを平気で言います。・・・ そんなことが積み重なって、親との間に微妙な 食い違いが生じるようになってしまいました。・・・ どうすれば心穏やかに親と接することができるでしょうか。 A: 親の面倒は、それこそお金で解決しなきゃいけない問題なんです。 だって、24時間も介護してたら、仕事はどうするの? 自分や奥さんや、 子どもの生活はどうするの? 医師も介護のプロもみんな言ってます。 「素人じゃできないよ」って。寝たきりでウンコを投げてくる人を、素人が面倒 見れる訳がない。共倒れになるだけ。介護はプロしかやっちゃいけない。だから、 そのためにもお金を貯めておかないけない。 親孝行もいいけど、そのへんを はき違えて優先順位を間違う人が多い。家族のことを考えたら、姥捨て山に捨て なきゃならないときがあるんです。だから、本気で介護のことを考えるなら、 早めにそういう施設を見つけておくこと。あとは金銭面でのバックアップ。 家族がやるべは金銭面のバックアップ。週イチでもいいから、 お花を持って いって「大好きだよ」とか言ってあげる。そして、お金を出してあげる。 だからもう、仲よくするとか親孝行など考えなくていいんです。無理なものは もう無理。というわけで、そもそも親と仲よくできないと悩むこと自体がムダ。 【親子仲よくなくてヨシ。】 困ったときは力ネで解決。 そのためにしっかり働きましょう。 ▼ 8人兄姉の末っ子だったこともあり、両親から孫のように扱われてきた こともあり、至って良好。そうこうあって、実家に住むことになって現在に 至っている。 母は亡くなる前の5年半の間、軽い痴呆症になっていた。 息子二人を含めた家族総がかりで何とか持ちこたえたが、傍目と現場の違いは、 あまりに大きい。金だけで解決できるほど甘くない。しかし、金で割りきった 方が良い部分が多くあることも事実。昔から、老人の蔑称に、「死にそこない」 というが、長生きはよいが、死に損なうのは問題だ。人生、そう甘くない! 特に最期は。明るくプッツンと逝きたいもの。 ・・・・・・ 4154, 中小企業の延命は、すでに限界 2012年08月10日(金) * 金融円滑化法、来春廃止(返済猶予後の倒産が増加) 昨日の朝日新聞の経済欄のトップに、「中小企業延命策、すでに限界」の 見出しで、この活用後も経営難が悪化し、倒産が増えている実情をレポートを していた。 ーまずは、その概要をまとめるとー ≪ 金融危機で資金ぐりが苦しくなった中小企業の借金返済を先延ばしの 金融円滑化法が、来年3月末で期限切れになる。一時的延命も、経営立て 直しも出来ず、倒産する企業が増えてきた。大方の会社は、その延命期間も 市場環境が悪化、借金が増え続けてしている。地銀の支店長によると、正常な 貸出先に戻れるのは全体の15%。計画通りにいかないのが85%を占める」。 金融庁によると、返済猶予をした中小企業は全国で30〜40万社の前途。 この通りだと、25〜35万社がこの秋以降、かなり厳しい事態になり、 倒産が大幅に増える。≫ 私の事業も金融法で延命したが、売上減が止まらず先行きの見通しはゼロ もあり見切りざるを得なかった。 恐らく無理をし続けていたら今は地獄。 おまけに、この秋口に欧州発世界的株式の暴落か、中東戦争が起きそうな状況で、 多くの倒産が続出することになる可能性が強い。これに再来年の消費税の増税を 考えると経済パニックは避けられない。9月以降は日本も世界も非常に厳しい 緊迫した状態になる。何らかの延命策も取られても、このままでは済まない。 実際に私自身が、その渦中にあったから、近未来が手に取るように分かる。 平成を装っているのか、この静けさは何だろう。大手家電メーカー各社が軒並み に大赤字でリストラが行われている。東北大震災から一般の消費動向が一変、 ショッピングに楽しみを見出さなくなってきているという。震災の経済に 与える影響は、これからという上に、リーマンショックと欧州発の金融危機と くれば、誰もが財布を締めて当然。 どうも話はマイナスばかりだが。 ・・・・・・・ 3789, 天才だもの 2011年08月10日(水) {「天才だもの」ーわたしたちは異常な存在をどう見てきたかー春日武彦著} 天才に関する本に何故我われは引き付けられるのだろう? それぞれの専門の 切り口が違っているところが面白い。天才と気違いは紙一重というが、気違い の部分が重なっているだけ。 天才と気違いは凡人の世界から遥か彼方から 違った視線で、逆照射している部分は同じである。何処が違うかというと、 目指した対象の創造されたものが卓越した結果を出しているかどうか。 気違い?は、そこまで完成させる執念がない。そのへんが凡人と重なっている。 凡人も一度は狂い逆照射すべきだ!そうでないと? ーまずは、序文の中からー 【 P/16 ー天才について語る時、多くは凡庸な語り口になってしまう。 ここで語られるのは、「天才」そのものよりも、私たちがどのような人物を 「天才」と見なしてきたかについて語られている、といってよい。 ・・・ さて天才の定義である。あたかも天から授かったかのような傑出した 才能に恵まれた「選ぼれし人」といったところだが、世間のイメージとしては、 天才にはいくつかの条件が求められる。早熟といった点はどうであろうか。 天才は彗星のごとく登場する、しかも少年や青年のうちに・・ 。 またランボーが不細工で貧相な中年男なら、あれほどの評価は得られなかった のではないか。画家のビュッフェも画壇への登場は若干十九歳であり、 ローティーンにして大学の数学科を総代で卒業したとか、天才以前に紳童である 天才伝説には必要なのかもしれない。・・天才は日常生活においては無能ないし 常識外れであることも、三島由紀夫は寿司屋でトロしか頼まなかったとか、 ディケンズは青い紙に青インクで原稿を書いたとか、ペン・ジョンソンは立った ままの姿で埋葬してほしいと言い残したとか、その類の逸話を求められる。 大いなる才能へ脳が機能の大部分を捧げてしまったため、ごく当たり前のことが 余力を割り当てられなくなってしまった、さもなければ形而下の出来事など関心 の外へ追いやられてしまっているのだと理解することによって、やっと我々は 彼らを怪物と見なさずに済ませられるわけである。そして天才は幸福であっては ならない。少なくとも世間一般で言うところの幸福に甘んじては困る。 いい歳をして電車の切符集めが趣味とか、五〇を過ぎても童貞で平気とか、 金銭にまったく無頓着とか、食事メニューが一年三六五日同じとか、そういった 非現実的なところがないと困る。あまりにも卑俗な欲望を刹き出しにされると、 我ら凡人たちのライバルとなりかねない。それは承服しかねるということになる。 妄想の持ち主、つまり精神を病んだ人たちは、ときに自らを天才と称す。 つまり誇大妄想である。 統合失調症では、当初は被害妄想に脳まされている うちに、狙われる自分ー>自分は狙われる価値ある存在ー>自分は天才だから 狙われる、という具合に変化を遂げるに至る。】 ▼ 軽いタッチの天才に関する随想といった内容である。別に、御堅い天才論は 別の本で読んで、これは我われが日常感じているレベルで読者と共に楽しめる 内容である。この情報化の時代に、あまりに多くの天才の才能が花開いてしまう ため、逆に天才が見逃されるのではないだろうか。時どきブログで、「私は現在、 精神を病んで、一歩学術の世界から身を引いて・・云々」のプロフィールに正直 に書いてあるのに出会うことがある。むしろ、その方が、我われを引き付ける。 特に、哲学とか論理学で行き詰まり精神に異常をきたし格闘をしている 人の文章こそ真実にみちている。以前なら絶対に目にすることのできなかった 人たちの血と汗が、直接伝わってくる。
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2016年08月09日(火)
<人生を幸福で満たす20の方法>三宮 麻由子(著) * 空虚な日々を楽しむ方法 5.海を渡って心をリセット ≪ あなたは、あなたという船の船長です。乗組員がいてもいなくても、海に 乗り出した以上、あなたは航海しなければなりません。漕ぎ手や修理係りは 来てくれるでしょう、でも舵取りはあなたの役目です。・・(略) 川では小さすぎる。隔てるものもあるが、文化を結びつける働きもする。 しかし、海は「文化を隔てる」ものである。だから、海を渡ると、実に 多くのことが見えてきて、心も経験も豊かになる気がする。海を渡ることは、 リセットの極意である。 ・・海を渡るということは、自然の境界を越える ということである。自然や文化を大きな変化を体験できるということ。 これは、一つの冒険であり、リセットの極意でもある。 ≫ ▼ 21歳の「欧州30日間の旅行」は、人生にとっての大きな分岐点(リセット) になった。アラスカ経由でデンマークのコペンハーゲンに下り立った時の、 あの空気と、宿舎への道すがらのバスからみた光り輝く緑の中にある街並み。 その時から行く先々の光景のどれもが、異界を見ているようであった。 この経験は、それからの人生の浮沈みの中で大きな支えになっていた。 その時の経験が私にとって、いかに衝撃だったかである。それから10数年は、 仕事、家庭に専念、十数年間は出ることが出来なかった。 40歳前半辺りから、 年に二回は出るようになっていた。年に二度のリセットで、何とか人生の峠を のり超えてきた。これも絶対量が蓄積すると、強力な磁力なる。
・・・・・・ 5260,永劫回帰 〜ニーチェ「超」入門〜 2015年08月09日(日) 〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦著 * 永劫回帰 〜人生の肯定 ニーチェといえば、「超人思想」の他に「永劫回帰」があるが、この本 では、大きく取り扱われてない。しかし、これを避けてニーチェは語れない。 『哲学で自分をつくる』瀧本往人著の中に、以下のような文章があった。ーp141 ≪ 二ーチェは「奴」のいない「主」を超人とした。超人は誰にも何にも依存 しない。確かにこれは人間を超えている、人間はもとより社会的な生き物で あるがゆえに、誰にも何にも依存しないということはほぼ考えられない。 考えられないことを創出したからニーチェの思考は飛びぬけているが、 同時に危険でもある。それはまた自分の生き方にも適用される。 「いやもう一度、いや何度でも、まったく同じ自分の人生を」といった、 自分の生を絶対的に肯定する。これがニーチェの言う「永劫回帰」である。 人は誰もが死に至る。しかしこの「私」とは、生まれてきた以上、永遠である。 生まれ変ったら別の人生を歩もうとか、前世は立派な人間だったはずだ、とか、 そういう考えはたわごとにすぎない。永遠にくりかえし、足し引きがなく、 まったく変わらず、そのままの人生に戻ってくる、と二ーチェは述べる。 永劫回帰は、どうみても当時ヨーロッパにおいて流行した仏教の輪廻思想との 近似性を感じるが、ただし輪廻においては全く同じ人生に戻ることはない。 世界のあらゆる事象が有機的に結びつき、死もまた新たな生と結びついている ということを輪廻は教える。また、輪廻思想では、自分が死んだあとには 別の何者かに生まれ変わるが、ニーチェは生まれ変わってもまた、全く同じ 自分が「生きる」だけなのだ。これは、一般的には好まれない考え方だろう。 人はみな、生まれ変わったら、別の自分でありたい、と思う場合が多いからだ。 つまり何かしら後悔をしており、やり直したい、別の人生を歩みたい、 あのときもし、ああしていれば、そういった後悔の修復・訂正を求めている。 しかしニーチェはそういった考えをやめよ、と強く主張しているのである。 つまり死んだらおしまい、である。永劫回帰とは、絶対的な虚無主義を基盤と しつつも、だから人生は虚しい、と考えるのではなく、人間は本来、この一度 きりの生を十分に楽しみ自己を肯定して生きるべきである、という人生観を 現している。そこにニーチェの強烈な、魂の咆哮を感じずにはおれない。 二ーチェの嫌ったソクラテスが自らの運命として毒杯をあおったように、 ニーチェは自らの「表現」に稲妻を落とすのであった。しかし、ニーチェは、 このように並なみならぬ強さ、超人的な生き方を強調するが、実際の彼は きわめて病弱だった。そんな彼が異常なまでに健康や生の強度(内的な充実性 に溢れた自己経験)にこだわった文章を遺していることこそ、実は、彼の生の 弱さを物語っているとも言える。そして同時に(だからこそ)彼がここで「超人」 に至っているのは、それでもなお、自分の生を肯定的に受けとめ、しかも それを永遠にくりかえしてもかまわない、と言い切ってしまったところである。 ここに他の哲学者にはない迫力と緊張を私たちは見ることになる。・・ ≫ ▼ 『再び、生まれ変わったても同じ人生を!』と言えるかどうかが、晩年の 私たちに 突きつけられる大問題。自分の人生が肯定できるか、否かは、 本人にとっての一大問題。しかし、肯定できたとしても、死んで三日もすれば! ならばこそ、「一度限りの人生を楽しみ、自分を肯定して生きるべき」になる。 ・・・・・・ 4895,ホントに大事なお金の話 ー1 2014年08月09日(土) 『知っておきたい ホントに大事なお金の話』佐伯 良隆 (著) お金に関する本を多く読んできたが、この本は、なかなか面白い。 実は昨日の「事業人生のを決心して45年」の語り直しーホテル事業と、 マイホームの購入ーは、この本からの引用である。「住宅ローンに潜む 危険な落し穴」については、「住宅ローン」を「ホテルローン」に置換え 可能と気づいた。それが、そのまま、三年前の結果になってしまった。 世の住宅ローンを組んだ殆どの人が、右上がりのインフレの時代なら帳尻は あったが、デフレに転換した現在、バランスシートでみる限り、契約した瞬間、 不良在庫になり、年々、価値が下がり続け、定年になって、ふと気づくと、 不良在庫のマイホームと、手元には余命のための資金すら残ってない厳しい 現実を知ることになる。他人事でない。その事業版が、私の現在?σ( ̄、 ̄=) ーまずはアマゾンの内容説明からー ≪ 預金、投資、ローン、家、保険、仕事、将来、経済、時間、幸せ、 お金の儲け方、守り方、殖やし方、 稼ぎ方、使い方、考え方……今まで 誰も教えてくれなかったお金のこと、ハーバードMBAがゼロから教えます。 ○【お金の判断、そして人生の決断には、確かな知恵が必要だ】=「残念な ことに日本では、まともな金融教育が長らく行われてきませんでした。 お金の話は品がないとして、学校や家庭では金融教育をさける傾向にあります。 それで日本人の多くは、お金についての大事な話を誰からも教わらないまま、 大人になるのです。しかしいったん社会に出ると、お金と正面から向き合わねば なりません。就職、仕事、結婚、ローン、住宅、保険、投資、貯蓄、老後、 ……さまざまな局面で、お金についての判断を迫られます。さながら、 装備のないまま社会という荒波の航海に出るようなもの…(はじめにより) ○【ハタチの自分に読ませたい】= お金の「殖やし方」「守り方」「稼ぎ方」 「使い方」「力」から、・・お金と「経済」「幸せ」「時間」…まで、教えます! ○【お金のことが、ぜんぶ自分で決断できるようになる! 】=「給料が上がらず、 この先心配……」「投資を始めたいけれど、何がいいですか」 「保険には入ったほうがいいの?」「貯金はいくらあれば足りる?」 「どうしたら、お金に苦労せずにすむのか……」 生きていくうえでの お金の悩み、不安、すべて自分で答えを出せるようになる! ○【身近な話題にこそお金の本質が隠れている】=「今すぐ100万円もらうのと、 1年後に105万円もらうのではどちらがいい?」「100万円が半々の確率で、 150万円か50万円になるのと、同じく110万円か90万円になるのではどちらが得?」 「宝くじはハイリスクマイナスリター!?」・・ 答えられそうで、答えられない 質問から、お金の本質に迫ります ・・答えられそうで、答えられない 質問から、お金の本質に迫る。 ▼<「事業人生を決心して45年」の語りなおし>の、第一歩の20才の、 いや34才の自分に、是非とも教えてやりたい内容である。当時、お金の本質 に関し多くを知らなかったし、現在も同じようなもの。シンプルに考えれば、 生命保険には入らない方が良いに決まっている。で、私は掛けなかった。 投資信託も同じこと。 次回から何回か、幾つかをピックアップをする。 今さら遅いが、これに関する無知が悲しい! ・・・・・・ 4528, 生きる悪知恵 ー7 2013年08月09日(金) 「 ー正しくないけど役に立つ60のヒント」西原 理恵子 (著) * しっかり治して、しっかり舐めろ Q: 知り合って三年、やっとものにした彼女のあそこが、くさいんです A: こういうのを「すそワキガ」というらしい。傷つけないように知らせて、 治してから、しっかり舐めろ! * さっさと当たって砕けましょう Q: 職場の22歳も年下の彼女が好きになりました A: 7〜8割は、「好意は持っていますけど、お父さんみたいな感じで、 そんな風に考えてませんでした」と思いますけど、最後の恋かも しれませんので、「さっさと当たって砕けましょう」(ただしシラフで) * 小6の娘が好きな男の子の家に入リびたりで心配です。 A: 小学校6年の娘が好きな男子の家に行くようになり夕方まで3時間は 二人きりで過ごしています。両親は共働きで留守。娘に注意すると 「何がいけないのよ」と逆ギレされ、向うの家では「うちは放任主義です」 と取り合ってくれません。12歳で肉体関係はないと思いますが、 もしものことがないか心配です。 Q: これはダメです。ヤリマン階段を上ってます。いや、別に男女間で どうこうじゃなく、親のいない家に子供がいるのは、遊びで火事になったり とか、事故があるんで危険。あと、大人がいない家に上り込むのは泥棒の すること、って私は教わりました。セックスとか心配する前に泥棒。 めちゃ罪重。何かなくなって「アンタんちの娘が盗んだ」と言われても 対応のしようがないし。人の家に勝手に上がっちゃいけません。 それは基本的な問題です。とりあえず、大人がいない家に上げさせる 向こうの親とあなたが悪い。どうしても娘がの男の子と遊びたいなら、 私だったら男の子を自分の家に呼ぶなあ。向こうが「ウチは放任主義なので」 って言うんだったら、あなたの家で一緒に晩ご飯を食べればいいし。 しかも、娘にそんな好き放題させておいて、「まさか肉体関係は」って 被害妄想だけ膨くらませてどうするの。「娘に注意すると逆ギレされる」 って、それで引きさがるあなたが悪い。ウチの田舎の高知県なんて、 もっと親が強いですよ。東京とかで見てると、子供にすぐ折れるんで ぴっくりしたもの。子供に逆ギレされて、そのまま何も言わないという こと自体が、まったくわからない。子供がキレたら倍に返しでキレるという のが私ら高知のやり方。これはもう、奥さんもキレまくってください。 張り倒してポコポコにしてでも連れて帰ってきてください。 こないだ息子が反抗期でウソついて塾サボってて、私がキレ、 「てめえみたいウソつきは親父みたいな気違いアル中になって道端でクソ もらして死んじゃうんだよ。死ねクソ野郎。」って怒鳴ったら、息子と 娘に「いくら何でも、その言い方はよくない」と叱られましたが、 激しくキレないと、相手はバカなので伝わりません。 ▼ 振りかえってみて、小学校6年生ぐらいが一番、男女とも魅力的な空気が 漂い、しっかりしたオスメスになっている。それも誰も居ない家で二人きり など、黙認する方がおかしい。息子二人なので、娘を持った父親の気持ちは 分からないが、直接、相手の父親と話合う。「うちは自由放任は、女子の 親の言い分なら分かるが、男子の親の言い分にはならない」と。 ・・・・・・ 4153, 人間には限界がある 2012年08月09日(木) 人間、それぞれの能力があるが、当然ながら限界がある。 その一つに自分で勝手に決め込んでしまう心理的限界がある。 30歳・40歳までは、その限界を壊し続け、アップスケールする成長期。 自己能力の限界の設定と、その達成。そして破壊になり、限界の挑戦の 繰り返しになる。機会を見出し、挑戦、変身していく、これが成長である。 これは仕事だけでなく、趣味の分野でも同じ。40歳代に入ってからは、 秘境・異郷旅行を趣味にし、カナダのロッキーから、アフリカのケニア、 タンザニア、南アフリカ、北アフリカ・中東、そして南米、シルクロードへと、 行き先を広げていった。 未知の世界に初めて行くときは、まず心理的限界を 乗り越えなければ。直前に大きな心の揺れが出て、計画断念まで考える。 しかし一歩、家から出れば、あとは成り行きに任せる。限界は誰にもある、 要は、その先に踏み出すかどうか。 口では軽く言えるが、いざ実行となると、 そう甘くはない。挫折は、その限界に跳ね返された時に生じるが、自分の 再構築する機会になる。 諦念とは、限界を知り、そのまま素直に受け入れる ことをいうが、実に辛い。世界的カーレーサーの言葉に、「限界は誰もいける、 問題は、それから先に、どれだけいけるかである」という名言がある。 野球の野村元監督の講演で印象に残った言葉がある。 《 自分は二流の能力しかなかった。その事実を認め、戦い勝つためには 「考えること」しかない。一流選手の中で勝ち残るために、その間にプラス の要素を加える工夫しかない。それが考えること、データー野球・・・云々》 凡人は、一に準備、二に準備、それを常に楽しみ工夫してやるしかない。 あまりに考えない人が多い。そう思ってきたが、一番考えないのは、この私。 これは全ての人に当てはまるが。実際に、10年間は考える時間が欲しいが・・ ところで、モバイル携帯端末が普及してネットで世界が繋がってしまった現在、 能力の限界も今までとは違ってきている。脳がネットで世界中に繋がった のである。面白く、かつ恐ろしいことで、ここに時代の大きな断層が出来てきた。 20年、30年前だったら、数百億もするコンピューターが、ただ同然に世界 中の人々が持てるようになり、現実世界をネット世界が覆いだしたのである。 これが断層となって既存のシステムを根底から破壊はじめてきている。 ところで人間を不幸にしている要素に、その限界を認知できないことがある。 そこに不幸の種が出来てくる。として、限界を遥かに超えたところで、 砂利の大きさと形の差異でしかない。面白可笑しく楽しむしかないか、最後は! ・・・・・・・ 3788, 閑話小題 2011年08月09日(火) * 水戸黄門が放送終了という 水戸黄門が、今年の12月で放送を終えるという。放映開始が私が社会 に出た年1969年で、42年になる。1979年には視聴率は43.7%というから、 信じられない人気だった。それも現在10パーセント前後まで落ちていた。 勧善懲悪がハッキリしていて、印籠を出す時間が分単位で分かるという。 初代が東野英治郎で現在の黄門様は5代目。最後は黄門様のお上の力を披瀝 することで、各藩の下々や家老などの悪事を暴く筋書き、40年以上も経てば 飽きられて当然。当初の頃、年に数度みた記憶があるが、最近は全くみてない。 由美かおるの入浴シーンも売りだっが、数年前に彼女も還暦を向かえ、なくなった。 当初のころ、芥川龍之介の逆視線の「桃太郎」の物語と、水戸黄門の勧善懲悪 が重なりを感じてつまらなくなった。桃太郎が勝手に鬼が島に鬼を征伐に行って、 宝物を奪略してきたという筋書き。立場変われば善悪は逆転する捻れた物語。 鬼にとって桃太郎こそ、勝手な侵略者。そういえば姉の一人が大好きで、 脳の構造までが、印籠を出すタイミングを常に計っていたようだったが・・ 地方都市の世界は家紋〜 城下町小唄は今も続いている。全ての世界も同じ? そこしか知らないものにとっては * 無言の圧力 「毎日のように、貴方の随想日記を読んでいると、無言の圧力を感じる」と、 ある人にいわれた。成る程、そうかもしれない。ここでは思いの一部分も書き きれてないが・・ 毎日続けることで、書いた言葉の背後にある無言のエネルギー を感じるのか。理路整然と筋道を書き上げることは、それなりにエネルギーを 要する。とはいえ、書き、修正を加え完成させると、それを第三者として、 それを見つめている自分がいる。それも毎日10年分の同月同日の文章もコピー し読み返していると奇妙な感覚になる。同化しているような。一文章 2時間 ×10年=20時間の集中したエネルギーもある。(テーマ探しは別) 書いた瞬間に全て忘れるためか、書いた本人が一番、エネルギーの痕跡を感じる。 書いてしまった文章は過去のエネルギーであり、時間がたってしまい再度 読んでいる時、現在の自分のエネルギーと混同する。それが読み続けることで 「無言の圧力」のように感じるのか。 それを感じさせるだけ稚拙ということ。
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2016年08月08日(月)
<人生を幸福で満たす20の方法>三宮 麻由子(著) * 空虚な日々を楽しむ方法 〜 3.手触り感のある生活 <迷ったら、天に、地に、命に触れよう。それがあなたのこころを すませ原点にかえしてくれるから。> <何故、ではなく、どうすれば、と問いなさい> ▼ カーライルという詩人が、一人の女性か. ら身の上の悩みを相談された時、 「帰って、あなたの針箱の 中を整理しなさい。そうすればあなたの悩みは やがてなくなります」と答えたというが、まさに、これ。無心で何かに集中 すると、無心の彼方から問題解決のヒントが、沸いてくる。そういえば、 朝ドラで、編集長役が、ヒントを考えるときに、「知恵の輪」に集中する 手法を使っていた。 ―― 4.幸福に働くために 働けることは幸福なことである。 果たすべきことをやる。 仕事に楽しみを見出し、感謝することである。 「働き、遊び、学び」は、人間が生きていく上で必要な要素である。 「恒産あって、恒心あり」である。 「いま、ここでしか出来ないことを、自分から見つけてすること」である。 ▼ 外海なら、一つの判断ミスで、致命傷になる。 だからこそ面白いが、 視界は、その人の能力範囲しか見えない。孝不幸など、考えていられる ほど自然現象は甘くない。万一の場合の、準備が常日頃から必要になる。 空虚な日々など、経営にあろう筈はない。 ・・・・・・ 5259,閑話小題 〜インサイドヘット(シネマ感想) 2015年08月08日(土) 〜インサイドヘット:なぜ、“カナシミ”は必要なの…?〜 * シネマ 〜インサイドヘット 感想 先週みたシネマの感想になるが、面白い切口である。心の中の感情を 擬人化した人形のアニメとしての遣り取りに興味を持ってみたが、難しい 感情問題を、軽妙に?扱っているところが良い。ヒロインのヨロコビと、 カナシミが、「思い出保管庫」の世界に迷い込んでしまうが、その辺りが、 難しい問題を含む。 自分を考えると、膨大な保管庫から、フラッシュで 多くの記憶が漏れ出て己を悩ます日々だからこそ、色いろ考えさせられる。 〜 ネットの映画ビュアーより〜 ≪ 思春期の戸惑いと成長を脳内アドベンチャーに重ねて描く世界初の フルCG長編アニメ「トイ・ストーリー」を1995年にリリースして以来、 おもちゃや車、昆虫や魚などさまざまなものに人格を与え、彼らが感情豊かに 関り合う上質のストーリーを紡いできたピクサー・アニメーション・スタジオ。 同社の20周年作品で、“感情”そのものを複数のキャラクターで表現する コンセプトを初めて知ったとき、「今度はそう来るか!」という期待と、 「ファミリー層には難解かも?」との懸念が相半ばした。 物語の外側=人間世界の主人公は11歳の少女ライリー。 ミネソタの田舎町で両親の愛を一身に受けすこやかに育ってきたが、家族で 引っ越したサンフランシスコでの暮らしに馴染めず、気持ちが不安定になる。 この辺から、ライリーの内側=脳内世界のヨロコビ、カナシミ、イカリなど 5つの感情たちがダイナミックに動き出す。彼らがいる司令部から、ある事件に よってヨロコビとカナシミが放り出され、広大な思い出保管所に迷い込む。 感情の制御がきかなくなったライリーを救うために、ヨロコビたちは司令部に 戻ろうと駆け回るが……。 ライリーの外側で起きるドラマと内側の感情たちによる冒険が、相互作用 しながら平行して進む――聞いただけでは複雑そうだが、実際に観てみると、 繊細な表現で魅力的に描かれたキャラクターたちと、心理学などを踏まえた 深みある設定、創造性に富んだ展開に94分間引き込まれっぱなし。 CG描画の面でも、うっとりするほどリアルな質感を伴うサンフランシスコ の街並み、柔らかい光の粒で描かれた感情キャラたちの揺れる髪、さりげなく 視線をいざなう仮想カメラの滑らかなポジション移動など、技術の進歩を 印象づけるビジュアルと卓越した演出センスが随所に光る。 ・・・ 鑑賞後は、頭の中が解きほぐされ、心がふわりと軽くなった。(高森郁哉)≫ ▼ ヨロコビに影のように付添うカナシミの役割を解りやすく示している。 カナシミは色いろの記憶を悲しみに書き換えてしまう強力な力を持つ反面、 ヨロコビを引きたてる力を持つ。ここでは、イカリに対して、注目されて なかったが、実はイカリこそが司令塔を動かす力を持っている。虎に例えると 解りやすい。なだめ、飼いならし、時には、その背に乗って奔りまわることも できる。 感情の擬人化した人形アニメとは、哲学的切り口でもある。 ・・・・・・ 4894,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー46 2014年08月08日(金) * ホテル事業と、マイホームの購入 ホテル事業も、個人のマイホームの投資も、長期ローン物件は大きなリスクを 抱え込むことになる。ホテル建設には、まず銀行の同意が絶対条件で、完成後 には会社所有になると同時にオーナーと錯覚をする。それが実は間違いの元。 10億投資のホテルで、2億円を自己資本としても、8億円は銀行で、実質的 オーナーで、あくまで間借り人。住宅ローンで例えると、3千万のうち自己資本 が600万、2400万をローンで組んだとして、実質、その分は銀行が所有で、 実質オーナーは、あくまで間借りということになる。そこが間違いの元。 「お金は、自身が固定されることを極めて嫌うため、買ったと同時に暴落する 性格を持っている。買ったと同時に3分2とみればよい。 そこで自己資本分 600万は、ゼロになる。夢のマイホームとは、サラリーマンが長年かけた預金 を一瞬にして蒸発させてしまう現実を、99%の凡人は、その現実に気づかない。 売り手の住宅メーカーも、利益団体であり経費がかかる。 そこに3〜5割の掛け値を上乗せをするのは当然。商談が済み、契約をした途端、 長年かけた自己資本の預金が消失してしまう。そのことを99%は理解できない。 資産=負債+純資産というバランスシートが会社も、個人にもある。 契約をした瞬間に、この純資産が消滅してしまうだけでなく、マイナスになって いる現実に気づかない。そのため、自宅は不良在庫になる。バランスシートで 考える限り、貧乏サラリーマンは、自宅を購入してはならないことになる。 だから、親が無借金の持家かどうかが大きく人生を左右する。 住宅ローンの3千万円を、ホテル事業でも同じことが言える。私の場合、 二桁上の30億。自己資本が、当初、2億、その後の利益で5〜6億円まで 増加したとして、ホテル建設費で、ゼネコンの談合システムで2〜3割は 撥ねられしまう。実質営利犯罪システムが、存在していた。更に、金利の上下 変動と、税制のカラクリで多くの税金を払うことになる。最後は、時流の変化 のリスクが待っている。そこに資産デフレとなれば、まさに倒産になる。 三年前、私の身に起こったことは、まさに、これ。金利変動、収入減少、 それと欠陥や火災問題などがある。現に、私は、会社と個人補償で丸裸。 当時の役員二人は、この住宅ローンに直面している。私を含めた三人は、 30年も長期投資物件にたずさわった経験者。それからして、この有様。 西武鉄道グループは解体、東武鉄道グループにしろ、日本の大手ホテル チェーンは、都心以外は経営状態は良くない。 弱小資本は、長期ホテル 投資などしてはならない!が、結論である。 やるなら早々の事業転売が 前提で、資産デフレの転換期の1990年代まで。 面白かったのは、 準備期間と、立ち上げ。 しかし面白かったは、感情面の話でしかない! この結果で、思いの外、喪失感が少ないのは、自分も、借り物でしかない ことを少しでも知っているため? 凡人は、何であれ、搾取される対象で しかないとは、これも自然の摂理ということ? グローバル化とは、 そういうこと。一強多弱は、どの世界でも、露骨にたち表れてくる。 ・・・・・・ 4527, 生きる悪知恵 ー6 2013年08月08日(木) 「生きる悪知恵 ー正しくないけど役に立つ60のヒント」西原 理恵子(著) * 娘が、漫画家になりたいと言い出しました Q: 高2の娘が、漫画家になりたいから、大学に行かずマンガを描くと言い 出しました。昔からお絵かきが好きな子でマンカもよく読んでいましたが、 まさかそんなことを考えているとは思わず、驚いています。特に成績がいい わけでもなく、この就職難の時代に中途半端な大学に行くより、なれるなら なってくれたほうがいいという気もします。でも、プロの漫画家になる なんて簡単なことではないでしょうし、娘の描きかけのマンガを見ましたが 才能があるかどうかわかりません。娘に才能があるかどうか、どうやって 判断すればいいのでしょう? 今は大学もマンガ学科があるようですし、 そういうところやマンガ専門学校に行かせたほうがいいのでしょうか? アドバイスいただればと思います。 A:私が美術予備校に行って勉強になったのは、自分の作品と他者の作品を 冷静に見比べることができるようになったこと。300人の絵を並べて、その中 で最下位だということがわからなかったの、最初は。「なぜ、自分が最下位で、 この人が一番?」なのか自分が見えてなかったの。 ・・すごい不細工なのに 自分のことを可愛いと思い込んでるコがいるでしょ。あれと同じ。でも、 予備校で本当に上手な人の絵を見て、大学に行ったらもっとみんな上手かった。 で、「ダメだ、こりゃ」って、自分の実力がいかにないかとわかって、 「じゃあどうするのか」って、そこからですよね。そういう意味で、専門学校 みたいに人が集まっているところに行くのも自分の位置を知るにいいかも。 ・・才能があるかどうかなんてやってみないとわからんし、親が判断すること でなく、それは世間様が判断すること。・・まあ、別に漫画家じゃなくても、 高校生にもなった娘が進路について「これをやりたい」というのに反対する ことはない。ひとつだけアドバイスするなら、「アルバイトはさせたほうが いい」ってことかなあ。お金をもらって、他人に怒ってもらえるという経験は 貴重です。私もアルバイトでいろんな経験させてもらったのが財産になってる。 いるだけで「可愛いね」って言われる時代から、いるだけで「邪魔、パパア!」 って言われる時代まで、女の人の方が描くことの引き出しが多いんですよ。 だから、やっばりいろんな場所でいろんな経験してほしいですね。 ▼ 早期退職のサラリーマンの蕎麦屋をしたいという話と同じ。遊びや趣味で やるのと、それで生活していくのは別問題。17〜8年前になるが、甥っ子が 京セラに勤めて10年、何かで社長賞を貰ったのを契機に漫画家に転身と聞いた。 当初は、そこそこ売れっ子だったと聞いていたが・・ 漫画家の名は、自分の 名前を逆読みにした「きもと○○」という。次々と若い漫画家が出てくる中で 若い人の感覚を取り入れ続けて生き抜くのは大変のはず。この娘の場合は、 専門学校に入れるのがベスト。その世界で仕事が出来るだけでも、本人に 馴染むからである。 ・・・・・・ 4152, 「B層」の害毒 2012年08月08日(水) 【ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒】ー適菜収著 より 哲学者の適菜収のー日本を蝕む「B層」の害毒ー論が面白い。B層といえば (何度か取り上げたが)、小泉元総理が「ワンフレーズ」で、「マスコミに扇動 されやすい大衆に名付けた層」をいう。2005年の郵政選挙の際に選挙戦略として 国民をIQと構造改革への姿勢からA層、B層、C層、D層に分類、B層を選挙の ターゲットとしたことに由来する。これで当時の自民党に圧倒的大勝利を収めた。 この層について、著者は以下のように分析している。 ≪ 「B層」とは何かというと、 ◎〈マスコミ報道に流されやすい『比較的』IQ(知能指数)が低い人たち〉 とあり、〈B層は絶対に反省することがありません。無制限に拡大した 権利意識と被害者意識がB層の行動を規定します。郵政選挙で騙され憤慨し、 再び民主党のマニフェスト詐欺に騙され失望し、将来にわたり「騙された!」 と喚き続ける存在がB層です。〉とある。 ◎〈今の世の中が肌に合わない人。今の世の中のどこかおかしいと感じている人。 今の世の中を深く軽蔑している人。そういう人はニーチェの言葉に耳を傾けて みるべきでしょう〉という ◎〈B層の問題とは、すなわちキリスト教の問題なのです。〉 〈B層が無知を自慢し、偉大な人物が死んでも「アタシ知らなーい」「誰それ?」 などとわざわざネットに書き込むのは、彼らがキリスト教の影響下にあるから。〉 ◎〈まともな哲学者・思想家は、例外なく民主主義を否定しています。人類の知性 は、民主主義と戦い続けてきたのです。 民主主義は、十八世紀に発生した キリスト教カルトです。〉(わが国にも「民主主義には寛容の精神がある」 「民主主義は少数意見を尊重する」などと言う人がいます。バカなんでしょうか? 民主主義に一番たりないのは寛容の精神と少数意見の尊重です。) ≫ ▼ 問題は、B層が悪いのではなく、彼らは、どの様にも操作されやすいという ことである。これまで、マスコミは、大衆として、彼らを捉えて、その操作を 駆使しトップダウンを役割にしてきた。 ところが、そのB層に超小型パソコン= モバイル携帯が普及して、これが情報のコンテンツになってしまった。B層には、 自分がB層の自覚がないため、そのレベルの判断が体勢を占めてしまう。 これが「B層の害悪」になるのである。B層はA層にコントロールされてこそ、 社会は保たれるのに、B層が主導権をとったら、そこには混乱があるだけである。 現在の民主党の混乱は、これである。A層を自認してきた自民党も、あのざまで、 C層化している自覚が全くない。この超小型パソコンが、今後もたらす影響は モンスターのように、世界を混乱に陥れることになる。タブレットPCも含めた 端末情報機器が、プラスにもマイナスにも社会を激変させている。 ・・・・・・・ 3787, 閑話小題 2011年08月08日(月) * アメリカ国債の格下げ ここでアメリカ国債が、アメリカ議会での共和・民主党の対立で危うく デフォルト(債務不履行)になりかけた。このため70年維持してきた格付けが トリプルAからダブルAに下げと発表になった。これはアメリカ国家の格付け と同じである。3年前のリーマンショックは世界経済システムの崩壊だったが、 それに対してアメリカ政府は、やれることは全てやり尽した。それが限界にきた 結果がデフォルトの危機である。 このことは、円高、ドル安は当分の間は続く ことを意味する。その結果として世界にとって、とりわけ日本にとって最悪の 事態になる。まず世界同時株安、そして世界恐慌の具体的現象化とみてよい。 それが今年の後半から来年に始ることはリーマンショック直後からいわれていた。 欧州経済も右倣いで崩壊寸前の事態で、その歪が何時爆発してもおかしくない 異常事態。 まず今週から来週にかけて世界の株価がどうなるか見ものである。 * 原発事故、これから始る影響 原発事故による放射能汚染の実態が一つずつ表面化している。 まず、この秋の新米がどうなるのか。最悪の場合、東北・関東甲信越の新米が 全滅ということもありえる。その対策として消費者は既に古米の購入に走っている。 特に子供がいる世帯は他人事ではない。汚染が、どの程度で収まるのか今のところ 誰も分からない。 それは時間と共に現われ出てくる。悲観楽観論は、この事態 では失せてしまう。放射能は水の循環の中で動植物の生態の循環の中に静かに 入り込み我々に影響してくる。昨日、チェルノブイリの事故の、その後の現地民 の汚染による影響のTV番組の再放送を見た。あそこまで酷くはないとしても、 日本人は放射能に敏感である。それが水と農作物、畜産物から体内汚染とくれば、 壊滅的打撃になる。 本州崩壊と原発事故直後に風評が聞こえてきたが、 それが現れ出てきているのか。 * 私は特別の人間! だもの 若い女性は、いや人間そのものは、心の何処かに「自分は特別な存在」 と思っている。しかし少し考えれば、それぞれが特別の存在であり、今さら いうことではない。しかし世界の広さと深さを知り、自分の卑小さ知るにつけ、 特別の存在という思いなど吹っ飛んでしまう。 最近、身近の人が正直に 「私は特別の存在なの」と面といわれて驚いてしまった。その言葉の中に、 特別選ばれしものという思いあがりを感じたが、そう心の底に、思える純真は 大事なのかもしれない。ただ見方によれば、ただ無知なだけだが・・ 今、此処にある存在の不思議からみれば、私は特別の存在と思うのも 仕方がないのか? たまため去年の同日に取りあげたテーマの通じていた。
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2016年08月07日(日)
<人生を幸福で満たす20の方法>三宮 麻由子(著) * 空虚な日々を楽しむ方法 〜ゲーム感覚でチャレンジ ≪ 2.ゲーム感覚でチャレンジ 楽しいチャレンジしてますか? 「楽しいチャレンジ」と「重荷」の差は、 「大変でも楽しい」と思えるかどうか。子供の頃から母親に、「何かをやろうと 決めたら、楽しみになるまで集中すること。始めたら絶対に諦めないこと。 それとライバルを見つけて、負けないこと」と言われてきた。母は何事も、 それでやり遂げてきた。著者は暗闇の中で、幸福を満たすに、人一倍の苦労が 必要だったろう。 それを前提で、これを読み解くと、一言一言が胸に刺さる。 ゲーム感覚は、もう一人の冷静な自分を見つめる視点を持つことが可能になる。 26歳から新規事業に向け動き始めたが、何もかもが初めてもあり、店にしろ、 ビルにしても、立上げは一通りの困難が次々と押寄せる。それを繰返すうちに、 事業とは、これらを解決するプロセスと実感できるようになる。ならば事業は、 困難解決プロジェクトとして、ゲーム化をし、楽しむことが、合理的で面白い ことに気づくことになる。この随想日記も、15年数ヶ月、ほぼ、休んだことが ないが、これもゲーム化で楽しんでいる。2〜3ヶ月に一度は、全くテーマが 浮かばず、呆然とする。問題は、ここから。 そういう時ほど、よい文章が 書けることを体験上知っているためか、どこか心に余裕がある。でなくては、 続かない。5年前の事業整理も、その一連をゲーム化をして楽しんでいる私が、 準備期間を入れた45年間の総括として割切っている私が、確かにそこに居た。 そして、それを笑っている蓄群も、である。 〜以下は、やはり偶然だが、何故か、面白い繋がりになる〜 ・・・・・・ 4893,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー45 2014年08月07日(木) * 面白かったという手応えが残った有難さ! 改めて45年を振返ると、これは人生そのものの総括であり、自分の限界の 再認識にもなる。経済雑誌『財界』を発行する財界研究所の創設者・三鬼陽之助 の弁『経営者たるものは、その行蔵を表立てないこと、秘しておくこと』がある。 経営者失格の私が、こんな行蔵を書くべきでないのが、本当だが、今さらである。 先日、ここで取上げた『意味としての心』の中で 《「意味」の『意』は「気持」。『味』は、ミ。満るのミ、記号で言う、身、 実、につながる。その時々の節目で、何が満ち、何が実として、あったか? 逆に、何が足りなかったか、の棚卸は、ある意味、内省になる。》と書いた。 生きてきた中で、その時々に空虚な心を少しでも満たそうと、エネルギーを ひたすら注ぎ込んできた。それが、そのまま自分の姿であり、その凝視が内省に なっている。 逆境時にも、ひたすら読書三昧を重ね、1日、2〜4時間の読書 を続けてきた。 最近ではネットサーフィンを含め、現在も続いている。 それでも、一番肝心なところを理解し得なかった。知らないこと、知らない知識 へのチャレンジが少なかったことになる。 「得意淡然/失意泰然」は勝海舟 のことばだが、私には、逆の「得意泰然/失意沈然」が悲しいかな、見て取れる。 最期に、この結果が当然である。逆の結果としても、私には大して変わらない? ご覧のとおりの結果を、現実に経験をしてみて、事前で考えていたことと、 大きく違う! 事前の見方をしていた自分が薄っぺらに見えている。 まず<倒産が悪い!という一連の思い込みの間違い>がある。 <倒産には、悪い倒産と、良い倒産があり、良い倒産は、むしろ勧めるべき 決断であって、ワーストでなく、ベターでもなく、ベスト>という経験から 得た実感である。もちろん、ケースによるが。激動の時代ほど、事業サイクルが 短くなる。だから、見極めをつけたら、銀行などに植付けられた<倒産は悪い> という先入観をかなぐり捨て、見切りをつけるのが「良い倒産」に繋がる。 『倒産に良いも悪いもあるものか!』が間違い。<従業員の生活を破綻させる> <取引先を連鎖倒産させる><家庭が破綻する><生活の目処が立たない>等々、 多くの問題があるが、決断しなければならない時節には、決断しなければなら ないことがある! 結果からすれば、戦争などで大家族が生き抜くなどの事情が ない限り、起業家などすべきでない! しかし、後悔が少ないのは、日本の 歴史上に過って無かった高度成長期で、良い思い味わったり、起業の面白さを 充分経験できたことがある。『面白かった!』という実感が、間違いなく残って いるのは、有難いことである。意味のミが満(ミ)ちていたため。装置産業の プラス面の「時間持ち」と、マイナスのブラックスワンとの遭遇の経験も、 振り返ってみれば、光の中での夢幻でしかない。 ・・・・・・ 5258,超人思想 〜ニーチェ「超」入門〜 2015年08月07日(金) * 超人思想 〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦著 神のかわりに超人を置いた。ニーチェは「人がもつべき最高の価値観とは、 自己の人生を肯定する価値観であった。全てが無にきす中で、自己実現を 成しとげたところで、何の意味があるかに対し、二つの解答ををしている。 一つは、充実した人生そのものにあり、そうした人生自体に生きる価値があると。 そして、もう一つは、すべては永遠の無に帰するのではなく、永劫回帰する、 というもの。時間は巨大で宇宙的な同心円を描いて進むため、以前、起こった ことすべてが、やがて再び巡ってきて、その後、同じことが繰り返されるとした。 二ーチェの思想を簡単に要約すると、超人思想になる。 〜その辺りから〜 ≪ 彼は多くの著書で超人について書き、超人の誕生について執拗に呼びかける。 たとえば、『生成の無垢』からその一部を拾ってみよう。 ・「私の要求は『人間』という類全体に超然として存立する存在者を産出すること」 ・「私の運動は超人を産出する」 ・「私は孤独のなかへおもむいて、超人を創造した。そして超人を創造し終えると、 私は超人に生成の大いなるヴェールを張りめぐらし、超人のまわりに 正午の光を輝かせた」 ・「人間は、動物と超人の間にかけ渡された一本の綱である。一つの深遠の上に かかる一本の綱である」 ・「見よ、わたしは電光の一告知者であり、雲から落下する一滴の重いしずく。 ところで、この電光は超人とよばれるのだ」 このような詩的な比喩を使ったもったいぶった文体のせいもあって当時の周囲の 人々、そして後世の多くの人が、超人は偉大だがどこか底知れぬ恐ろしさのある 人間、人間ではない英雄でありながら悪魔のような人間、あるいは万能の人間 というふうに誤解した。 ニーチェの超人は従来の概念ではとらえきれないタイプなのだ。 しかし、多くの人はそのことが理解できずに、今まで見聞きしたことのある 手持ちのイメージをなんとかあてはめようとする。そこに誤解が生まれる。 彼は『生成の無垢』で超人についてこうも記している。 ・「あせることはない!超人は私たちの次の段階なのだ!」 ・「ギリシア人たちのように、人間をおのれ以上のものにまで高める」と・・ 単に脳だけではなくて、全身体を、より高く形成すること!」 ・「人間は、超克されなければならないところの、何ものかである」(-2-8) では・超克されなければならない人間とはいったいどういう人間のことか。 それは世間に馴れきっている人間のことだ。因習や世悶の道徳をそのまま受け 取り、世の習いに受動的であり、普通人と同じような行動をするのがまさしく 見聞に馴れきっている人間だというのだ。それは社会に適応しているということ だし、一般的にはまとも庶民と見られる。・・・ ≫ ▼ ニーチェは、この世こそすべてと考えた。ショーペンハウアーの、 「この世界は部分にすぎない、それも大して重要ではない」を退けた。 「人生を精いっぱい生き、可能な限りのもの、知識を得るべきだ」と考えた。 彼の最大の課題は、神が存在せず、意味のない世界で、人はどのように情熱を 持ち続けながら生きていけるのか、ということだった。そして、神にかわって、 超人をおいた。 欧米の価値観の底流を、そこに見ることができる。 ・・・・・・ 4526, 生きる悪知恵 ー5 2013年08月07日(水) * 中ニの娘が父親と、今だ風呂に入っているのですが 「生きる悪知恵 」西原 理恵子 (著) Q : 中2の娘が父親とお風呂に入っているのですが A : ・・ここは日本のお母さんたちの合言葉は「毛が生えるまで」。 毛が生えたら自然と恥ずかしがり入らなくなります。吉田戦車のマンガに あったけど、お父さんにとっては毎日がカウントでしょ。娘が一緒にお風呂に 入ってくれなくなるまで「あと何日」っていう、その時が来るまでじっくり 味わわせてあげてくださいよ。娘が「パパ大好き」って、すごくいいいこと。 私も女子高だったんで、パパ大好き派の子いっばいいて、もう夜、パパの布団 に潜り込んで寝てたぞという子、結構多かった。 そこまでいかなくても、 腕組んで歩いたり、それはもう、パパ嫌いで、「臭いんだよ、オヤジ」 という家庭に比ぺたら天図みたい。ましてや「オヤジ死ね」って言ってる息子 がいるのに比べたら、どれだけいいか(笑)。ある意味、ぜいたくな悩みですよ、 好きなだけパパっ子にさせてあげてください。心配しなくても大丈夫。 毛が生えたら娘のほうから人らなくなりますから。 中2だから、そろそろでしょう。まさにカウントダウン。 ・・アメリカなら父娘が一緒に風呂に入ると逮捕されるとか。 ▼ 数年前に、次男とツイッターでやり取りしたことがあったが、直ぐに、 「父と息子がツイッターをするとは 前代未聞」とのツブヤキが入って、 やめたことがある。「だからこそ面白い」と今から考えれば良かったが・・ * 60歳代の父が30歳代の女性と同棲。妙にやつれてきました Q :数年前に母を亡くしてから、一人暮らしをしていた60歳代の父が30歳代 の女性と同棲。妙にやつれてきました A :「体が心配」って言うけど、腹上死したらそれはそれで最高に幸せな 死に方じゃないですか。いがみ合ったり、寝たきりになったり、見たくない ようなものばっかり見せて死ぬんですよ、普通。そんな嫌な死に方するのに 比べたら、もう万々歳。どうせいつかは死ぬんだし、これが最後の恋なんだ から、好きにさせてあげましょうよ。 何の問題もありません。 放っときゃいいんです、ハイ。 結論、腹上死したらラッキーと思え! ▼ やつれた理由を下ネタと決め付けるのも何だが、やつれるほどの 精力が残っているなら、最上の幸せ!」 ・・・・・・ 4151, 虎穴問答 2012年08月07日(火) 以前に少し取り上げた「虎穴問答」について。 金沢の「いとはん」という 衣料チェーンにいた時の話。同期10数人で勉強会をつくって、そこに石川県 知事を呼んで話を聞いたことがあった。それが社長の逆鱗にふれ、「預りの身?」 の立場上、抜き差しならない事態になった時に、書店で見つけた本にあった問答。 そして自から、その会を潰すことになった。去年の倒産劇の時も、この問答を 思い出していた。死に体の会社を一歩早く潰すか、ぎりぎりまで踏んばるべきか の決断の際に、この問答を何度も類推し、考えてみた。 ーそこでネットで「虎穴問答」を調べてみたが、その部分からー ≪ 大阪控訴院でのこと、ある日、審理の最中に王仁三郎は裁判長に向い、 「人虎孔裡に墜つ」という禅問答をいどんだことがある。これはひとりの人間が 虎の穴へ落ちこんだ場合どうしたらよいか、という問答だ。王仁三郎が、 「裁判長、あなたはどうお考えになりますか」というと、裁判長は自分は法律家 だからわからないが、どういうことかと逆に問う。そこで王仁三郎の説法が はじまった。人間より虎のほうがつよいから逃げようとすると殺される。 刃むかっても同じことだ。ジッとしていても虎が腹がへってくると殺しにくる。 どっちにしても助からない。けれどひとつだけ生きるみちがある。それは 食われてはだめだ。こちらから食わしてやるのだ。食われたらあとにはなにも 残らんが、自分のほうから食わしてやればあとに愛と誇りとが残るのだ。 王仁三郎はこの問答で大本事件を語った。裁判長はさすがにうたれるものが あったとみえ、うーんと嘆声を漏らしたという。また、粛然とした空気が法廷に 流れ、敵味方の区別なく一同思わず襟を正したそうだ。さて、この虎穴問答は もうひとつ深い意味をもっている。というのは、虎に身を与えた愛と誇りの 犠牲が、現実の事件全般の進行に一大転機をもたらしたからだ。奇跡的に死地 に生を得たもので、九分九厘だめだったものがあと一厘で逆転にむかうのである。 これこそ一厘の仕組みとかいうものだろう。≫ ▼ 戦前戦中の時代に、破竹の勢いで信者を増やしていった大本教が、軍部や 政治家から目をつけられ、大弾圧にあった。その過程の裁判での、この虎穴 問答は人生に色々な示唆を与えている。虎を、生老病死としての四苦八苦と 例えることができる。それぞれの苦に、自ら受け入れ苦しむことこそ解決の最短 の道になる、と考えることができる。 事業断念も決意も、虎を3つの断層= 9・11テロ、9・15のリーマンショック、3・11大災害の三つの震災と みなし、その重なりから、虎穴に落ち込んでしまったと想定。逃げ回るより、 先んじて喰われてしまおうという最後に思い出したのが、この問答。 その時に、当時の大本教を題材にしたー『邪宗門』高橋和巳著ーを 読んだが、これが面白い。 ・・・・・・・ 3786, ユング −17 2011年08月07日(日) * ユングについての総括 ・ 父親の死の時の不思議な体験をキッカケに奇妙な感覚が10年余りの間、 身についておたこともあり、ユングの理論には非常に興味をひかれた。 ユング本人に元もと通常以上のシックス・センスがあったため、それを、 そのまま発達すればよかった。大本教の出口なお、天理教教祖の中山みきは、 そのセンスが強力だった。また日蓮には身体全体にオーラが包み込んでいたと いう記述が残っている。 27歳時の父の死亡時での実体験が無ければ、 シックス・センスに対して信じることはなかっただろう。現に幽体離脱の ような体験をしたのだから、これは信じるしかない。ユングがフロイトと 対立・離別をしてまで、この方面の研究を続けた内容は侮れない。 ・ ユングが取上げた中で、「共時性」と「布置」に、まず興味をひかされる。 奇妙な偶然の一致の不思議さ。これは多くの人が経験しているはずだが、 それを話すと、何か軽薄と誤解されるのを恐れてか、あまり口外をしない。 子供の頃に親戚の人が、その類の話しをするのを聞いて、「いい大人が、他 愛無い話をしている」と心底で感じていた。しかし人生経験を積み重ねる うちに、親戚の人たちの言っていることは、決して他愛無い話でなかった ことを知った。幽霊の話しも、その一つになるが、これも、あり得ること。 共時性、布置とは少しズレルが・・ ・ またオカルト現象も、ユングを読んで、実際のところ驚いてしまった。 これも個人が持っている、ある能力が何かに感応した働きだろう。そうこう 考えれば、哲学の存在論に関わってくる。現在、自分が、現に此処にいる 不思議からみれば、オカルトなど、他愛にないもの。エスキモーで5キロ先 にいる白兎を見つけることが出来る人がいるとか、犬が数千キロ先の親の 鳴声に反応するとかを疑問に思うこと自体が、小さな限界の範囲内で決めて いるからである。脳には20億年の生物進化の記憶がある。 ・ 最近、特に感じるのが、それぞれが持っている経験と能力の深さと広がり である。特に、ブログなどで、それが比較的簡単に覗き見ることが可能に なったこともある。デジタル化で人間の五感を遥かにしのぐ機器が不朽を はじめると、逆に人間の持つ不思議さが一つずつ解明されることになる。 ブログ、ツイッターなどの普及はユングの世界を超える可能性がある。 ネット世界の出現こそカルト? ・・・・・・・ 3421, 日本の幸せ度 2010年08月07日(土) 昨日、ランチを食べていた店の週刊誌に「日本人の幸せ」について、 特集をしていた。といっても、ある本の内容を、そのまま要約した内容、 許可を得ているのだろうが・・・ メモを持ってなかったので、頭のメモに 書き付けてきた。如何いうわけか、全部スラスラ?と、出てきた。 日本人の幸せー9 * 流動資産一人あたり700万、一世帯で1500万、 金融・土地など資産2千万が、幸福の飽和点。 * 幸福度は、学歴に正比例する。 【中学校、高校、大学の同級・同期会を見ると、歴然としている】 * 女性より男性の方が不幸の割合が高い。 【家内と私を比較すれば分かること。男は社会の消耗品】 * 都会は、そうじて幸福である。 【これも残念ながら、本当。新潟市、長岡市は都会かどうか?】 * 幸福の80パーセントが、遺伝する。 【選択前の最終学歴の同級生の、その後をみると、正比例している】 * 経験・体験は、幸せには左右されない。【これは、難しい問題だが?】 * 世界的にみて、税金の高さは幸せに関係しない。 【高いところほど、豊かだからか?】 * 幸福度は加齢とともに下がっていく。 【そう、一番幸せだったのは、0〜9歳、20〜29、30〜39、50〜59歳の順】 * 失業の不安は、幸福度に関係してくる。 【最近、実感している】 以上だが、間違いがない。 ▽ その他に、* タバコを吸う人は不幸になる。* 月一度以上、ギャンブル する人は不幸になる。 * 気短、心配性、は不幸な人が多い。 * 社民党は不幸な人が多く、内閣支持者に幸福な人が多い。 この辺が、私の記憶である。よくぞ憶えていたものだが・・・ 幸福論が好きだからだ。ラッセルは、「幸福な人を特徴づけるのは、まずは 人生への熱意であると言う。人や物に敵意をもつようなことをせず、熱意を もって生きれば、外界への興味も湧き、人生も楽しくなる。男性も女性も ほんものの愛情をもち得る。家族、家庭での生活も楽しくなり プラスに転じる。」といっている。
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2016年08月06日(土)
<人生を幸福で満たす20の方法> 三宮 麻由子(著) * 空虚な日々を楽しむ方法 〜好奇心が世界を開かせる 好奇心が幸福を満たすための第一歩という切口は新鮮である。 老いるとは好奇心が萎んでしまうことだろう。特に知的好奇心から萎む。 教養とは知的好奇心のベースを言うのだろうが、その枯渇したのが「おばさん」。 現象を、そのまま現実として受け止める蓄群である。やはり、知的好奇心が、 萎んだ心を開放させてくれる。 ≪ 1、好奇心で心を満たそう 情報の八○パーセントを受け持つといわれる視覚を失うのは、正直なところ かなりしんどいことである。しかし、その特色を生かして音を味わい、音で できた風景を心のなかに再構築することは実に楽しい。これによって、私は scenelessからscenefulへ止と生まれ変わることができた。そして、ここまでの 道程を楽しくリードしてくれたのは、他ならぬ好奇心だったのである。 好奇心は、幸福の真空を埋めるばかりか、このように人生に新しい世界を開き、 人を生まれ変わらせる可能性を秘めた宝物だと思う。それを豊かに養い、年齢に 関係なく育てていくポイントはただひとつ。少しでも印象に残ったことがあったら、 それを迫いかけて一歩を踏み出すことである。 素朴な疑問を素直に追いかけ、何か新しいこと、面白いことはないかと目を キラキラ輝かせ、耳をピンと澄ませて受信アンテナの感度を上げていくのである。 もちろん、野次馬はいけないけれど、よい好奇心、特に知的好奇心は、必ずや 私たちにワクワクする世界を開いてくれることだろう。
きょうからできること 興味の向かなかった分野を覗いてみよう きょう発見したことをメモしてみよう 明日は何をチェックしようか、と考えてみよう ≫ ―― 【とにかく、やってみましょう!やれたらそれだけ豊な1日になるのです】 子供の頃の好奇心は、何処に行ったのだろうか。何もかもが面白く、世界は 光り輝いていた。そして、学生時代にみた世界の、あの輝き。高度経済成長期 に青春を過ごせた幸運。 好奇心は感性である。磨くほど、それは光り輝く。
・・・・・・ 5257,二度の地球規模の大爆発 〜地球大進化46億年 ー④ 2015年08月06日(木)
ー「地球大進化 第3回 知られざる“生命の星”の秘密」ー * 爬虫類から哺乳類への主役交代 地球環境により、その都度、新しい生命が生まれ出てきた。 そして、 環境の激変で、それらが絶滅。違う環境に適した生命が生まれ出てきた。 知的生命たる人間が、それ故に、自滅するのに百年はかからないというが、 何か時代の様相からみて、考えられないことがない。 〜その辺りから〜 ≪ 2億5千万年前、突然生命に襲いかかった地上最大の火山噴火、それが 当時生きていた生物の実に95%を絶滅させるしまうことになった。 さらにその後訪れた巨大恐竜の全盛時代、私たちの祖先はその影に怯えながら 暮らすことを余儀なくされていきます。しかしこの暗黒の時代を乗り越えた時、 私たちの祖先は爬虫類から哺乳類へと一気に進化し、大きな飛躍を成し遂げる ことになる。おなかの中で子供を育て哺乳で養うという哺乳類独特のLife style の誕生。それは全ての生命を絶滅の危機に追いやるような地球の途轍もない 大変動とその後の恐竜の支配がなければ生まれなかったことが分かってきた。 地球生命史上、最も劇的といわれる哺乳類誕生のドラマとは・・・ ○ 大量絶滅:地球が95%死んだとき 私たち哺乳類を語る前に、まず2億5千年前に起きた史上最大の生物絶滅事件 の実態を探る旅からスタートする。実はこの事件こそ私たちの哺乳類の誕生の ためになくてはならないものだと考えられているからです。それは恐竜が登場 するはるか昔の出来事でした。案内してくれたのは南アフリカ博物館、ミジャー スミス博士です。20年に渡ってここカルー盆地で動植物化石を調査してきた。 乾燥した大地に絶滅が起こる直前の地層がむき出しになっていた。 ここに童子の陸上を闊歩していた動物の足跡が残っているという。 この動物の体長は3m、しかし恐竜ではありません。最初の恐竜が地上に現れる のはこの足跡よりさらに2000万年も後のこと。足跡をつけたのは一体どんな 動物だったのか。実はこの時代に繁栄していたのは現在の哺乳類と非常によく 似た動物、ディクトドンと呼ばれる草食動物の化石(南アフリカ蔵)。 体長は50㎝、穴熊のように地面を掘った巣で暮らしたと考えられています。 またゴルゴノプスと呼ばれる肉食動物、体長3m。鋭いきばが特徴です。 この時代の百獣の王、いわばライオンのような存在だったと考えられている。 これらは皆、爬虫類のように卵によって繁殖したと考えられています。 しかし骨格や歯に私たちの哺乳類と共通の特徴が数多く見られるため、哺乳類型 爬虫類と呼ばれています。この仲間の中からやがて哺乳類へと進化的動物が現れる ことになります。「哺乳類型爬虫類は一般にはあまり知られていない存在です。 しかし実に多様で当時の環境に非常にうまく適応していた動物であること知ると 皆さん驚くことでしょう。しかも私たち人類の祖先にあたる動物なのです。 彼らは恐竜が現れる数千万年も前に繁栄しました。いわば地球を初めて 支配していた動物たちだったのです。」≫ ▼ 上記のプロセスを経て、哺乳類が、そして類人猿が地上に現れ、主役の 座を占め、人間へと進化?してきた。乗越えることが出来ないような、 大きな壁が、逆に進化をもたらすのは「人生」と同じ。成長後、挫折と崩壊、 そして灰の中からの再生から、その都度、新たな自分が生まれ出てくる。 ・・・・・・ 4892,定年後の4年目のリアル −2 2014年08月06日(水) 「定年後のリアル」勢古 浩爾 (著) 面白そうな要点の抜粋が、アマゾンのレビューに幾つかあった。 ≪ ・「この先わたしたちはどうすればいいのだ、・・・というように具体的な 方策を他人や本に求める根性がすでにだめである、・・・「自分のリアル」は 自分にしかわからない」(6~7頁)。 ・「わたしのこころは基本的に幼少年期からずっとおなじものである。 中年になってもこころはひとつ。・・・わたしはこれを自分年齢だと考えるが、 その中核は、多くの人にとっては少年期や思春期のときのこころのままでは ないのだろうか」(67頁) ・「社会的年齢と生理的年齢と自分年齢は絡み合い、相互に反発しあって 一致することはあまりない。そのときは一も二もなく、自分年齢を優先すれば いいと思う。いいも悪いもない。そうするしかない。基本的には自分の 「こころのリアル」に従って生きていくのが一番である」(70頁)。 ・「どんな立場もなくなるということが、これほどまで自由だとは知らなかった」 (104頁)。 ・「さみしいなあ、でもそれがどうした」と思うことである。 これは「ありのままの自分でいいんだよ」ではない。これが自分の現況である、 というだけのことである」(153頁)。 ・「つまらないことだが、三日間絶食をしてみた。結果、食は生活の句読点 であり、それが失われると一日はのっぺらぼうの時間になる。それが失われる と生活の楽しさの大半が失われる、ということに気づいた」(169頁) ・「わたしたちは自分なりのしかたで自分の生を生きるほかはない」(208頁)。 ・「さて、ここでわたしは、「定年後、残りの人生をベストに過ごすには どうしたらいいのだろう?」という問いに対しては、たった一言でもって 完璧無比に答えることができる。「あなたの好きなように生きてください」 である。 ・・・「好きに生きよう」である。 「好きでなくても、今の生活しかないのなら、それで生きよう、である」(213頁) ・「私が死んでも、・・世界にとってはまったく大したことはない。 この世はつねに生きている者たちのもの」(235頁) 食って、寝て、本(新聞・週刊誌・小説を含む)読んで、勉強(歴史、思想史、 数学、等々)して、AV観て、何か執筆でもし、たまには小料理屋で一杯やって、 あるいは散歩や旅行にでも行って・・・そういう生活に私は入りたい。≫ ▼ 私が一番、実感したことは、「どんな立場もなくなることが、これほどまで 自由だとは知らなかった」である。確かに、少し寂しいし、肩書き無しの自分に 向合うと、今まで如何に、その土台の上で好い気になっていたかを、思い知る。 しかし、それも時間が解決してくれる。ただ、突きつけられるのは収入が激減 してしまう現実。仕事上を含め付合いなどの経費は殆ど無くなるが、可処分所得 も皆無になり、ヘソクリをしてない?自分に後悔する。この辺りが、一番の 「定年後のリアル」の問題。次が、「自由の不自由」の問題。 何もかも自分で 計画をたて、判断をしなくてはならない。が、更に厄介なのが、今までの仕事の 拘束に換わって家庭内の、差別が待っている。 で、偶然だが、去年の同月同日の以下の文に続く! ・・・・・・ 4525, 生きる悪知恵 ー4 2013年08月06日(火) 「生きる悪知恵 ー正しくないけど役に立つ60のヒント」西原 理恵子 (著) 歯車の一つとしてのサラリーマンが、自分で商売をしてみたい気持ちも分から ないでない。私が、ここで度々取り上げる飼い犬、野良犬、狼、の例えがある。 飼い犬がサラリーマン、野良犬は商売人、狼は一つの判断ミスで餓え死ぬ作家・ 芸術家・政治家・創業実業家あたり。その最もひ弱な飼い犬が、「定年間近に 僅かな退職金元手で何か商売」というストーリーに無理がある。それも小さい ながらも創業など、土台無理。野良犬にも野生剥き出しで、餌をあさる逞しさが 必要だが、とっくの昔に去勢されている自分が見えない。そして出来もしない 夢に憧れている。 それが、「あっぶね〜」のである。 《 * 夫が脱サラして田舎暮らしをしたいと言い出した Q:夫が脱サラして田舎暮らしをしたいと言い出した。早期退職の退職金元手に 田舎でそば屋をやりたいと言うんです。そば打ちは趣味でやっていて、確かに おいしいことはおいしいのですが、商売の経験もなく成切すとは思えません。 A:あっぷねー。 商売は雪山と一緒なんで、うりかり一緒に登ったら夫婦で 遭難しまうで〜 だいたい「田舎でそば屋」って、水商売上がりの女が 「お花屋さんやりたい」って言うようなもんで、あまりにも夢見すぎ。 田舎ってどのへんを考えてるのかわからないが、田舎ってそんなに客来ないよ。 人いないから。こういうパターン、今すごく多いみたいだけどね。ダンナは 会社の人間関係に疲れて「田舎で暮らしたい」、奥さんは「デパートのある とこじゃないと嫌」っていうんで定年退職後にケンカになちゃうっていう。 これ、半々にすればいいと思うんだ。都会に小さなアパート借りて、奥さんは そこで暮らして、たまにダンナさんのいる田舎に会いに行くとか。だって 今までダンナが生活支えていたわけでしょ。だったら、奥さんも今から 働けばいいじゃない。老舗のそば屋で働いてノウハウを盗めば一石こ鳥(笑)。 とにかく上手くいっている人と、いってない人の話を聞けばより。そうすれば、 旦那さんも勘違いに気づくかもしれないし。でも、このダンナさんも今まで 頑張ってきたんだから、一度失敗させてあげてもいいんじゃない? やらずに 後悔するより、やって後悔したほうが絶対いいし、あんまりお金をかけずに 小さく失敗してみるといい。退職金を突っ込んで田舎に家を買うんじゃなくて、 古い民家をちっと改造したようなお店とかあるじゃない。田舎じゃなくて 埼玉ぐらいにしておくとか。それだったら、失敗しても取り返しがつくって、 失敗すると決めつけちゃってますけど、だいたい失敗しますから。》 ▼ こういう質問自体が愚問そのもの。サラリーマンに成りきった人が、 創業、それも田舎でそば屋など、何年も蕎麦屋を続けきた主人に失礼である。 彼らでさえ、大方が冷凍やインスタント麺の普及で危機の瀬戸際。趣味と職業は 全くの別問題。20年前に、近くのバイパス沿いに趣味がこうじて蕎麦屋を出した 人がいた。そこの主人が、蕎麦の奥行の深さを滔々と講じたが、好きでない私は、 ポケッとして聞くしかない。そして1〜2年後に、その店は閉店していた。 凝った店構えだったが! 本当のソバ通など少数派で、金にはならない。 早く言えば、月末の材料と電気光熱費を支払うために働いているようなもの。 それが殆ど。厨房と、店内の一つ壁とカウンターの内外では異次元の世界。 これは創業者と、二代、三代目にも言える。本能剥き出しを必要とする創業者を 狼とすれば、中途半端な二代目、三代目は野良犬、いや宅上犬。宅上犬ほど、 野良犬や、狼を笑い見下す。家を出て、ゴミ漁りや、荒地で野生生物の捕獲の 経験がないためである。 ・・・・・・ 4150, 5年前に、現在の状況を予測できたか? 2012年08月06日(月) 今から5年前といえば、2007年8月である。それから13ヶ月後に リーマンショックが生じた。当時は以前に経営していた会社のリストラ効果で、 何とか目途が立ったところで、米国の住宅ローンの債権証券が危険水域にある と新聞が書き始めていた。そして2008年9月15日にリーマンショックが 現実に起きてしまった。それから売上は激減、二年半後に倒産に至った。 あの時と現在の状況を比較すると、現在の方が格段悪い。今後5年後を考えると、 早ければ年内に、遅くとも数年内にリーマンショックなど比べようもない激震 が世界中に駆け巡る。それからして、かなり厳しい想定を現実としてしなければ ならない。私自身も年齢からみて、これまでの不摂生を考えると、今さらなので 腹を据えているが。 実際のところ5年後、どうだろう?この5年の激変より 遥かにマイナスの状況と見るのが自然。今から5年後に「現在の状況を予測 できたか」という問いに対して、やはり想定外であるという答えが帰ってくる だろう。目に前に迫っている経済大津波は分かっているが、実際に起きて みないと実感できないのが人間。想定外のことは考えられないが、万一の備え を作っておくことは可能である。家族経営をしているところは、 �身内を外に出すか、それとも自分が出るか。�身内の債務保証を無くすこと。 �売上が半減した時の想定をしておくこと。�運転資金がマイナスに転じた時の 対処の想定。(見切り千両のタイミングの想定)�予備資金の準備、などが 考えられる。私の場合、7年がかりで予備資金を準備、万一、これを一時的 にも流用した時が見切り時とし、そして実際に実行した。ところで5年前に、 現在の状況は想定外だったのだろうか? その頃、危機管理セミナーに立て 続けて参加していた。予測通りの部分と、まだ予測に至ってない部分があるが 潮流は大方、予測通り。しきりに金の購入を勧めていたが、当時より金価格は 2〜3倍。恐らくハイパーインフレが5年内で吹き荒れるが、その状況が 予測不能ということか。中国が一度、国内外で動乱が起こる可能性があるが、 いずれにしても立ち直りは早いはず。ユーロ圏、アメリカ、ロシア、中国、 日本と、いずれも激変するはず。 大変とみるか、面白いとみるかだが、 前者だろう。まず経営者は5年後の仮説をたてないと! ・・・・・・ 3785, 世界でひとつだけの幸せ ー� 2011年08月06日(土) *「世界でひとつだけの幸せ」マーティン・セリグマン著 ー この本の概要からー 【「楽観的で前向きな人は、幸せで、長生きで、成功する!!」 と、 楽観主義を身につける方法が具体的に紹介されている。 ● 心から幸せを感じるにはどうすべきか ・ パート1では、過去、現在、未来において、どのようにすればよいか (*過去は感謝、容認、忘却、 *未来は希望と楽観、 *現在は快楽と 充足感、との違いを理解し、充足感を満たす生き方をする)。 ・ パート2では、6つの美徳を紹介、それを基に24種類の強みを示し、 どのような強みを持っているかを知り生かすことを提言。 ・ パート3では、人生の大きな3つの局面である仕事、愛情、子育ての 状況において同じ強みを発揮するかという実践的な内容。 * 楽観主義の「永続性」については、「悪いことは一時的、良いことは 永続的と考える」ことや、 「普遍性」については、「悪いことは一部の 面に限られていて、よいことは普遍的だと考える」 * 今回の震災に直面しては、「これは一時的なことだから、 もうすぐ解決する」とある。 *「学習性無力感」についてや、「まったく同じショックを受けても、それを 制御できる、つまり自分が行動すればショックをくい止められるような場合は、 動物も人間も活動的になり、情動が落ち着き、健康になるという結果が得た」 *「行動することに効果があり、結果を制御できると知ることが重要である」 という「随伴性」についてがわかりやすい。 *「ただ苦悩を和らげるだけでは、苦しみ、自暴自棄になっている人を、 本当の意味で救うことはできない。 人はどん底にあっても、美徳や誠実さ、 さらには生きる目的や価値を必死になって求めている。 本当に必要なのは、『苦しみを理解して和らげることではなく、 幸せを理解し築き上げることである』」 * 人間の心はいつでも変えられる。今までの説をくつがえし、人々の願い をかなえるもの、それが著者の提唱する「ポジティブ心理学」」 1.お金持ちは幸せか? = 著者は、「アメリカ、日本、フランスなど 先進国はこの50年で購買力が倍以上になったが全般的な生活に対する満足感 は少しも変化していない」と。必要な生活できる収入と購買力が得られた後 は富が増えても幸福は増えない。幸福感を決めるのは、お金をどのくらい 大切なものと考えるか、という価値観であると。 2.強みを生かせば幸せになれる = 「弱みを克服することに人生を 費やすのは間違い。むしろ、人生最大の成功と真の満足感は強みを 伸ばした時に現れる」と。 3.過去が未来の幸福を決めるのか? =「そんなもので決まるわけ無い!」 と! これまでの心理学(ex.フロイト派)のマジョリティーは「過去が 決める」だった。実際の調査結果の一例として、11歳になる前に母親と死別 した子どもは、鬱病になる確率が若干高いが、女児に限るとそのリスクは ごく稀。むしろ「幼児期の経験が現在の不幸の原因だと思いこんだり、その ために未来に対して臆病になったりすれば人生をむだにすることになる。」 という。】 ▼「ネガティブ志向の人が、自らの短所や悩みを解消するのではなく、それぞれ に備わっている「強み」を さらに伸ばすことで今よりもっと幸せになる」は、 この本の要諦。「得手に帆を上げ」前に進む生き方を勧めている。
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2016年08月05日(金)
<人生を幸福で満たす20の方法>三宮 麻由子(著) 創業の準備期間は、常に何かに追立てられている気分だったが、充実した 日々でもあった。創業を目指したからこそ出来たことが多い。目指すことが ハッキリしていれば、様々な好奇心が旺盛になってくる。創業は、その努力の 積重ねの結果であり、決して博打ではない。これは、幸福への努力と同じ。 〜紹介内容より〜 幼くして視力を失うという絶望の中から、微かな希望を見出して日々を生き 抜き、いま幸福に満たされているエッセイストが綴る「幸福のつくり方」。 人生に虚しさを感じたとき、どのように心を幸福感で満たしたらいいのか? 生きる意味が分からなくなったとき、絶望の淵に立ったとき、どうやって希望を 見出して乗り越えるのか? 心に幸福を生む考え方とは? 珠玉の20話。 [ 目次 ] :空虚な日々を楽しむ方法:(好奇心で心を満たそう ゲーム感覚で チャレンジ 手触り感のある生活 ほか) :絶望の日々を生き抜くために:(危機は自然体で乗り越えよう 夢を叶える方法 出会いと別れの達人になろう ほか) :幸福力アップの秘訣: (人生相談の極意 いまを「旬」として生きる 幸福を生み出す魔法の言葉 ほか) 〜プロローグ〜より〜 ≪ 外的な環境がどんなものであるかにかかわらず、心が幸福で満たされれば 人生は幸福なものになる。心に不幸な感覚が満ちていれば人生は惨めで不幸な ものになる。心をそのどちらの分銅によって傾けるかは、ひとえに私たち自身が 「幸福になりたい」と願う意志と、逆境にあっても光を見出す「幸福力」の強さ にかかっているのだ。ただし、「幸福である」ことと「幸福を目的にする」こと は違う。J.S・ミルがいうように、幸福そのものを人生の目的にしてしまうと幸福 にはなれないだろう。それは本末転倒であろう。なぜなら、幸福は行動の結果、 つまりミル風にいえば副産物であって、目標として提示されるものではないから。 ではどうやって幸福になるのか。私の考えでは、「幸福のベクトル」に乗った 行動の積み重ねによって人生を幸福で満たし、不幸を追い出してしまえばよい のではないだろうか。ちょうど節分に豆まきで鬼を退散させるように、心の隙間 から入り込もうとする不幸を退散させ、幸福の光で心を照らしていくのである。 本書では、そのためにできる二〇の実践例を、幸福のレベルに応じて三つの段階 に分け、私の経験に基づいて語った。 ところで、幸福に至るには試練を直視しなければならない。私の場合、最大の 試練は光を失ったことであった。だが、これを受け入れて自己の特色として 生かす術が身につけば、試練はむしろ幸福のための糧となり、最後には幸福の源 とさえなり得ることも、私は学んだ。だからいまではこれを試練としてではなく、 生物的な特色としてニュートラルにとらえ、シェネレスという造語で呼ぶことが できるようになってきた。そしてこのような考え方ができてくると、幸福感も 高まり、おそらく幸福力も高まってくるのだと思う。 そんな意味からも、本書ではさまざまなほかの試練とともに、この最大の試練 とどう向き合ったかを、これまでより深いところから語った。願わくは、これを 「障害の受容」のストーリーとしてではなく、あなた自身が幸福を追求するうえ でのヒントとしてお読みいただければ幸いである。・・ ≫ ▼ 幼くして視力を失う試練の中で、「幸福のベクトル」に乗った行動の積み 重ねによって人生を幸福で満たし、不幸を追い出してしまうかを提示する。 老いるということは、死に向かい受容するプロセスでもある。その中で、幸福感 を維持するヒントが、ここに多く書かれている。 〜つづく
・・・・・・ 5256,蓄群本能 〜ニーチェ「超」入門〜 2015年08月05日(水) 〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦著 * 蓄群本能 誰も持っている『群蓄本能』。城下町では、その小さな世界で群蓄本能が、 互いの足の引張りあいになり、その個性を内に押しとどめるしかなくなる。 違うということが、マイナスの世界。割切るしかないとしても。〜その辺りから〜 ≪ わたしたち現代人はただなんとなく、道徳とは個人の行為に関する規範だと 思い込んでいる。あるいは、人間性が生んだ規範、社会を健全に生きるための 知恵のようなものだと思っている。 ところがニーチェは、「道徳とは、共同体 のために個々人の内部で作用する一種の畜群本能から生まれたものなのだ」 (『悦ばしき知識』116)という。 この畜群本能というのは、「共同体が個人より も価値が高いのだから、個人の利益より共同体の利益を優先すべきということと、 「一時的な利益よりも永続的な利益を優先させる」という、国家や社会の全体を 益するための考え方を因習とし継承してきたあげく生まれた。 たとえば、盗んではならないという身近な一つの道徳律を考えても、ニーチェ の説はあてはまっているように見える。実際に、空腹ゆえにパンを盗んでも、 社会に損失を与えたとして罰せられる。そして、「個人よりも全体を優先する という因習が覆う社会で人間は教育され、生活してきた」。よって、「人の心に ある道徳性とは、これらさまざまな因習の全体に向かう感情にすぎないのだ」 になる。一般的な道徳が自然な心情や宗教の神の配慮から生まれてきたのでは なく、利益の重さをどこにおくか、つまり功利がその出発点になる。 そう考えた二ーチェは、もちろん道徳の発生を理性に見るカントに反対する立場 にいるわけだ。二ーチェのこういう考え方は、現代哲学で使われている用語で いえば明らかに構築主義的だということはもうわかるだろう。 だから、ニーチェはこうもいう。 ・「道徳的、倫理的であるというのは、古くからあった掟、古くからの因習に 従順であることを意味しているのだ」・・ ・「良心の中身とは何か。幼少時代のわれわれが尊敬し、かつ恐れた人々が、 理由もなく規則的にわれわれに要求してきたものすべてが良心の中身だ。 …そういうさまざまな古い権威に対する信仰が良心の源泉なのだ。したがって、 良心は人の胸の中にある神の声などではない。その人の心の内にいる幾人かの 人間の声である」(「人間的」) つまり、良心は群れとして生きる人間がみずから生み出したものだということ。 だから、本当に個性的であることはいやがられるし、個性的ゆえに良心の痛みを 覚えやすい。しかし、そこを越えなければ、新しいものは出てこないのだ。 けれども、自分の中に巣くっている古い群れの声にしたがわない行為、考え、 発見はどれも社会からは悪だとみなされる。過去をふりかえれば、みなそう。 新しい思想、新しい知識、新しい方法は、それぞれの時代で弾圧され、 狂気だとみなされ、犯罪扱いされてきた。≫ ▼ 一匹狼的か、群れる羊の一匹として生きるか。論語も蓄群の精神マナー? 確かにマナーは必要だが、古くからある因習に従順過ぎると、世界を自分 から小さくするし、個性的人生からは遠ざかることになる。「個性、個性と いうが、所詮は砂利の一つの石ころじゃないか」ともいうが、その石ころの デザインを自分でしてきたか、してなかったか? それも同じことか? ・・・・・・ 4891,定年後の4年目のリアル −1 2014年08月05日(火) 「定年後のリアル」勢古 浩爾 (著) 朝日新聞の新刊広告に『定年後の7年目のリアル』があった。3年間、私が、 ここで書いてきた内容と同じような見出しにあった。 そこで、アマゾンで 内容紹介を見たところ、前著の『定年後のリアル』があり、『・・7年目のリアル』 の内容は続刊。 内容紹介だけだが、生々しいだけ私の内容の方がシリアスの筈・・ ーまずは、内容紹介よりー 《 ◇お金、仕事、健康、生きがい……退職したら、どんな毎日が待っている? 不況のいま、いかにして生きていくかという問題がクローズアップされている。 特に定年退職が迫った人に対してメディアは、定年後は「6,000万円の貯えが必要」 「孤独死にご用心」を語る。著者は、さまざまな定年本、定年者たちの生き方を 引き合いに出しながら、メディアが煽る「不安」など、実際にはそれほど思い わずらう必要もないことがほとんどという。いまの日本人は、過剰な情報に振り 回され、不必要なほど不安になってしまっているというのだ。たとえば貯蓄や 健康状態の「平均」がどの程度かといった話が盛んに語られ、自らを引き比べて 不全感を増している人も多いが、現実には「平均」は自分の生き方とはあまり 関係のない情報であり、気にしすぎる意味はない。またアンチエイジングや若さ を保つ方法が日々声高に喧伝されているが、本来、人は年を取ったら取ったなり の自分を認めていくのが自然であり、若さを過度に持ち上げる価値観自体がいびつ だともいえる。 ・・人は死ぬ、年を取ったら衰えるのが当たり前であり、 そうした事実を正面から受け入れて、初めて本当の人生に出会える。そのうえで 一日一日から得られる人生の喜びを享受して生きていくのが、定年後の理想的な 生き方だという。さまざまな不安の正体を解き明かし、心をほっとしてくれる。》 ▼ 私の喩えで、「森の生活からサバンナへ!」がある。 森の中でイメージを していたサバンナの生活は、そこはそこで面白く、生きがいもあり充実をしている。 森の住人には、それが理解できない。そのことを、森の住人に問いかけている 内容のようである。しかし、これは森の生活で、準備をしてきたかで大きく違う。 私の場合は、ハードランディングだったとしても、万一の備えを長年にかけして いた為、何とか着陸をした。そして、リアルな毎日が待っていた。そして 4年目に入って、そんなことより、老いそのものの方が現実として迫ってくる。 この紹介の中で「老いの一日一日から得られる人生の喜びを享受して生きていく のが、定年後の理想的な生き方だ」というが、享受するのは、喜びと楽しみだけ でなく、怒り、哀しみが伴なう。老いは確実に精神も肉体も衰えさせている。 哀しみに覆われた日を何とか過ごすのもリアルの一日になる。逆に有余る時間で、 思いのままに一日を過ごす楽しみもある。 夕暮れの残照の中での、最後の宴も良いもの! ・・・・・ 4524, 生きる悪知恵 ー3 2013年08月05日(月) 「生きる悪知恵 ー正しくないけど役に立つ60のヒント」西原 理恵子 (著) 60の人生相談が収録されていて、仕事編、家庭編、男と女編、性格編、トラブル編 とカテゴリー分けされている。その中から、印象の強い面白い順といえば、 「男と女編ーヤリたいときがヤレるとき」。 * 妻子ある男と交際を続けるべきかに →3チンポもて! 《 Q: 8年付合っている妻子持ちとの交際をやめるべきか? に対して A:オーケストラの人としゃべっていたら、「いやあ、ウチは不倫率が高くて」 と言っていたけど、音を合わせてるんだから、しょうがねえよなっていう。 だってやったほうが早いもんね。フィギアスケートのペアとか社交ダンスとか、 「アンタらヤってないほうが不自然じゃっん」みたいな。しかも、そういう クリエーターは、従来の決まりやモラルを破るのが仕事だから、「この人いいな」 と思ったら、さっさとヤっちゃう。そりぁ、たまに会ってデートずるだけの拘束 しない相手って楽に決まってるよ。女の人が自立してたりすると、よけいにね。 そのまんまの関係でダラダラしてるのが好きなんじゃない? 別にやめる必要も ないと思うし。今の相手より好きな人が見つからないというか、見つける努力を してないだけ? あなたの場合、次を見つける努力はしたほうがいいですね。 スぺアていうかバックアップはとっておいたほうがいいですから。私の周りの モノノフの女たちは「3チンポを持て」と言います。「いいですか、1チンポ ではいけません。それがなくなったらどうするんでか。必ず2本はバックアップを 持っておくように」って泳かせておいてもいい、年に1回くわえるだけでもいい。 必ずバックアップを持っておいてください。そうじゃないと、相手が「やっぱり 奥さんにバレちゃったし、となった時に、路頭に迷うじゃないですか。 30過ぎて路頭に迷うとキツイですよ。 》 ▼「3マンコ」など、中村うさぎか、西原でなければ書けない。水商売なら ともかく、普通の女性が、そのまま実行でもしたら? この章の「男と女編」 の副題ーヤリたいときがヤレるときーが良い。 「後悔、先に立たず」でなく「後悔、後に立たず」? 何事も硬い壁を壊し、 もう一歩踏み込むこと。人生を通して必至に壊してきたが、この程度。壊した分 だけ変形しただけ? あらためて周囲を見渡してみて、壊さなかったら、 これほどツマラナイ人生もない!と、実感。ところで、男の相談者だったら 「3マンコを持て」と回答はしない。そんなのはザラにいて面白みがない。 「やりマンになれ」より「3チンポを持て」は、漫画家でしか表現できない言葉。 漫画家は一つの絵の中に、捻った笑いを含めるため、自然と言葉もこうなる。 ・・・・・ 4149, 強迫性障害 2012年08月05日(日) オリンピック開会式で久しぶりにサッカーのベッカム選手の姿があったが、 彼は強迫性障害であることを最近、告白した。「何でもまっすぐに並んでいない と気が済まないし、何でもペアになってないと気が済まない」という。自宅の 冷蔵庫や、宿泊先の部屋でもすべてを「左右対象でまっすぐ」に並べ直す作業に 長時間を費やす。 ディカプリオ主演、『アビエイター』のモデルになった 大富豪のハワード・ヒューズも、この病。この映画をみたが、 「すべてのものが汚染されている」という考えにとりつかれ、人との接触を 避けるようになり、自分が買い取ったホテルで20年間も暮らして、最後は 孤独死を遂げた。 ーそこで、ネット辞書で検索してみるとー ≪ 強迫性障害とは、簡単にいうと「わかっちゃいるけどやめられない症候群」。 自分でも不合理だと思いながら何回も繰り返すので、本人には大変つらい病。 よくみられるものは、トイレに入った後何回も手を洗う、ドアのカギをかけたか どうか、ガス栓をしめたかどうか何回も確認するというもの。本来これらの行為 は安全を確保するために誰でも行うが、それが何回も何十回も確認しないと 気がすまない状態になると社会的に支障をきたすことになり、何らかの治療が 必要となります≫ とあった。 これは、心の病と、脳の病の原因があり、 それぞれの治療がおこなわれているという。心の病の場合、過去の「喪失と悲しみ が、原因になっていることが多い。病気に至るのは、喪失の悲しみを乗り越え られないため。人生は、考えてみれば喪失と悲しみがつきもの。 そんなことをいったら現在の私は、重症の強迫性障害に陥っていて当然である。 定年も転職も失業も同じ。「喪失と悲しみ」の中で、最も辛い一つは、連れ合い との死別。傷が癒えるに最低二年は要するという。 亡くなった姉が晩年、 合唱の先生をしていたが、未亡人だけのグループをつくって(歌で互いに癒しを 隠れテーマにして)いた。その姉が私に「誰も平静を装っているが、死別の傷の ためか尋常でない何かを感じる!」という。躁鬱症も、分裂症も、この強迫障害 も、誰もが多かれ少なかれ持っている。それをコントロールしようとしてできる ものでない。私も当然、それに思い当たる強迫障害に近い症状が幾つかある。 多人数の兄姉の末っ子で、両親が終戦直後で、家業の再創業期にあり、異常な 生活環境にあった影響が、心の奧底に大きく存在していた。人生を通して、 その脱皮が人生のテーマだった。それぞれが、それを抱え生涯を生きている。 私の場合、心の底から笑える性格があったのと、両親の温もりが地熱として あったのとが、症状を軽くしてくれた。分裂、躁鬱、強迫障害症の三つを 束ねるのが自己になる。 ・・・・・・ 3784, ツール・ド・フランス 2011年08月05日(金) 昨夜もツール・ド・フランスの総集編の録画が再放送されていた。 これで三度目。ーまずは、ウィキペディアより、その概要よりー 【 毎年7月に23日間の日程で行われるステージレースで距離にして3300km前後、 高低差2000m以上という起伏に富んだコースを走りぬく。フランス国内での レースが中心だがイギリス、イタリア、スペイン、ベルギー、モナコなど 周辺国が舞台になるステージもある。ステージ数は1993年以降「プロローグ」 を含め全21ステージが定着しているが、それ以前はもっと多いステージ数で 争われることもあった。平坦ステージ、山岳ステージ、タイムトライアルステージ と多彩なステージ設定がされているが、山岳の比重が大きくなることの多い ジロ・デ・イタリアやブエルタ・ア・エスパーニャに比べて平地ステージと 山岳ステージのバランスとれた構成となっている。一社ないし数社のスポンサー の名を冠した9人編成(最低6人)のチームが、20〜22チーム参加する。 出場する選手の国籍はヨーロッパだけに限らずアメリカやオーストラリア、 カザフスタン、コロンビアなど多様である。総合成績1位の選手には黄色の ジャージ「マイヨ・ジョーヌ」が与えられるほかスプリント賞、山岳賞、新人賞 といった各賞の対象者も特別なジャージを着用する。賞金総額は2009年の場合で 約320万ユーロ、うち総合優勝者に45万ユーロとなっているほか、各ステージ 優勝やスプリント賞・山岳賞などに細かく賞金が設定されている。 ●特徴として、例年、前半は平坦基調のステージが続き、スピードマンの逃げや スプリンターによる迫力あるゴールスプリントが見られる。そして中盤に一度 山岳を通過し優勝候補が絞り込まれ、その後はまた平坦ステージが続き、今度は ポイント賞争いが絞り込まれる。後半にかけてはラルプ・デュエズ、ガリビエ、 モン・ヴァントゥなどの峠を舞台にした山岳ステージで総合優勝や山岳賞を かけたオールラウンダーやクライマーたちの戦いが繰り広げられる。 2度の山岳コースはそれぞれ3日ほど繰り広げられ、それぞれピレネー山脈と アルプス山脈を使う事が多いため、ピレネーラウンド、アルプスラウンドと 呼ばれる。間の平坦基調ステージは主にこの2つの山脈の間を移動するために 設定されているが、この緩急つけたレイアウトと平坦ステージの多さ、ポイント 賞のシステム(後述)などもあり、スプリンターが一番ポイント賞を獲得 しやすいグランツールとなっている。レースが非常に大規模、かつ露出度が 高いため専門の本部が置かれおよそ500名のスタッフが運営に関わる。 また交通規制やレース中の警備、極端な不正行為の取締りはジャンダルマリ (フランス国家憲兵隊)とポリスナシオナル(フランス国家警察)の2系統の 警察が担当しており、これに動員される人数が約2万5000人。さらに ボランティアで警備などを担当する人は数十万人にのぼると推察されている。】 ★ この数年、7月になると、この自転車レースを見るのが楽しみになっている。 色いろな賞があるが、個人総合が最も価値ある賞。これを目指して3300kの 熾烈な争いになる。距離が距離だけに、多くのアクシデントが生じる。 もちろん、万一の故障に備えて、自転車を数台のせた車が伴走している。 その沿道は熱狂的ファンが詰めかけ応援をする。もちろん、TVの実況がある。 フランス的なのは、最後の区間は、パリ近くに場所を変え、凱旋レースになる。 ここでは区間賞だけで、総合賞は別になる。そのため、選手もギャラリーも お祭り気分になる。ただし、完走しなければ、総合優勝を失うため、 同じチームの選手がヒーローをアシストする。
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2016年08月04日(木)
『美人の正体』〜越智啓太著 * 恋愛論の最終章 恋愛論、美人論は、なかなか面白いが、そろそろ最後にする。 「美人が何だ、それが如何した」といえば、それまでの話。しかし、綺麗で、 優しい女性は年齢に関係なく、やはり良い。清潔感と、緊迫感に、色気が 加わった一期一会の出会いの中で、何ともいえない輝きが生じる生身の美は 人生の花でもある。 特に20歳前半の一瞬の輝きは、美の極致を垣間見ること が出来る。全国の美人を数多く見てきたが、地域ごとの個性の輝きがある。 特に金沢の加賀美人は、その趣からして美人の極致だった。世の中には、いる のである。とはいえで、そうそう絶世の美人は存在しない・・ 若い女性の美は一時的輝きでしかない。それを知ってか知らずか、 男たちは、目が眩み一生を棒にふることになる。 新潟県は美人の産である。 これは、水と、米に、関係している。 全国的にみて、近くに大きな神社が あるところに美人が多い。水、米が上質で、人の出入りが、淀みを少なくする。 越後新潟でも、弥彦神社の近くは、昔から芸者の産地?と言われてきた。 細面の色白の美人である。 ところで、森光子が最盛期の天地真理に、 「この輝きと美しさは、いつまでも続くものではないのよ」と諭したという。 「その時には、何のことか理解できなかった」と、往年になって語っていた、 のが印象的だった。 女性の美も生花と同じ一瞬の輝きでしかない。 それもこれも、幻想、幻覚の一つでしかない。大自然の美に感動させられるが、 女性の美は、そのミニ版というところ。
・・・・・・ 5255,ルサンチンマン 〜ニーチェ「超」入門〜 2015年08月04日(火) 〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦著 * ルサンチマン ニーチェといえばルサンチマンである。ユダヤ教は、男と強者のための宗教 に対し、キリスト教は、女と奴隷などの被支配者の弱者を愛する教えだった。 支配者にとって、弱者の宗教ほど、支配するため都合の良い教えはなく、 中世から近代にかけて、欧州がアフリカ、南米などを世界進出する際、 キリスト教の普及が有効に働いた。 ーその辺りを抜粋ー ≪ モラルもまた遠近法的な見方から生まれた価値解釈とニーチェは考える。 道徳、モラルというものは、誰か特定の人々が定めて広めたものだ。 古代君主道徳と奴隷道徳においては、しばしば暴力によってその地を占めた 支配者やその所属の人々だ。彼らは貴族と自称した。支配者や貴族たちは自分 たちを中心にして善悪を定めた。つまり、自分たちの気質や行為を「善」とし、 そこから遠ざかっている行為を「悪」とした。これはもちろん遠近法的な思考 から生まれたものだ。貴族のような力を持った者たち、いわゆる強者から生まれた 道徳を、ニーチェは「君主道徳」とした。ちなみに、現代では辞典に採用される ようになったこのドイツ語は「主人のモラル」とも「支配者のモラル」と訳すこと ができる。それと対立する支配される側の者たち、いわゆる弱者たちから生まれた 道徳、キリスト教道徳に代表されるようなものを「奴隷道徳」と名づけた。 こちらの原文のドイツ語は文字通りに「奴隷のモラル」と訳せる。 ところで、 こういう名称からくる印象によって現代のわたしたちは二ーチェは差別主義者 のように思えるかもしれない。しかしニーチェは、どんな道徳にしても遠近法的 な思考から生まれたものだということを述べているのだ。つまり、どちらも真の 道徳だというわけではない。それどころか、真の道徳というものなどなく、 あるのは何を自分たちの道徳にするかという遠近法的解釈だけ。 道徳はその時代の文化、その土地の文化から生まれ、それゆえ多様だからだ。 この地での悪とみなされる行為が、別の地では悪ではないことは往々にしてある。 たとえば、古代においては人間を殺して神への供え物とする風習の地があった。 これは悪習ではなく、宗教上の道徳的義務でもあったのだ。 ールサンチマンー どんな道徳も当時の遠近法的思考から生れたものだとニーチェは認識しながらも、 やはりキリスト教道徳に対しては嫌悪感を見せている。なぜならば、キリスト教 道徳は恨みから発したものだからというのだ。この恨みはルサンチマンと呼ばれる。 強烈なやっかみ、屈折した逆恨みのニュアンスを含ませるためにルサンチマンと いう語を使ったのだ。 モラルなど最初からなくて、あるのは何を自分たちの 道徳とするかという遠近法的解釈だけなのだ。 ニーチェは、キリスト教道徳の生まれた紀元の時代の人間関係にこの道徳の 発生の原因を見た。つまり、ローマ帝国が地中海を中心にヨーロッパのほぼ全域 から北アフリカまでを支配していた頃である。当時、ユダヤ教徒は支配される側の 民族の神だった。ユダヤ教徒の右派はローマ帝国に対して三回も戦争をしたが、 戦闘技術にたけたローマ兵にかなうわけもなかった。≫ ▼ ニーチェは、何も考えないキリスト教を妄信している穏やかな平民を、まず 槍玉にあげた。恨みから発したルサンチマンを「支配者のモラル」として徹底的 に否定。そして神にかえ、「超人」を置いた。キリスト教社会では、否定されて 当然である。これこそ、ニーチェの真髄である。 ・・・・・・ 4890,閑話小題 −人型ロボットの現在と未来 〜2 2014年08月04日(月) * 自分のアンドロイドを講演会場に! 自分のアンドロイドをつくる着想が非常に面白い!分身そのものである。 奇妙な感覚ではないか?そのアンドロイドの目(カメラ)から映る周辺の景色と、 人々との交流の感覚はどんなだろうか? ーその箇所のコピーからー ≪ 私は、自身をモデルにした瓜二つのアンドロイドを海外での講演にしばしば 使っています。数年前にはアンドロイドに自らを合わせようと、私は美容整形 も試みました。アンドロイドを講演会場に送り込み、聴衆から質問を受けるとき だけ、インターネットを介して遠隔操作で私が答えます。最近では、私よりも アンドロイドへの講演依頼のほうが多いくらいです。私が直接出向くと、ホテル 代やら飛行機代がかかるので高くつくんです(笑)。 人間国宝の桂米朝師匠の アンドロイドも作りました。見た目はもちろん、身振り手振りまで師匠そっくり で、落語を演じさせると非常に迫力があります。このアンドロイドによって 初めて、無形文化財が有形文化財になったと言えるでしょう(笑)。 将来は多くの人がアンドロイドを所有して、自分の分身として活用する日がくる かもしれません。 人間は、機械にあらゆる行為を代行させたいという欲求を 詩っています。たとえば、食洗機、掃除ロボットなどは家事を代行してくれます。 このような機械は今後も発展を続け、肉体労働をますます減らしてくれる。 しかし、いくら技術が進歩しても、機械には代行できない何かが残る。 それこそが人間らしさの源泉ではないか。私がアンドロイドを作るのは、 人間の人間たるゆえんに迫りたいからです。 私は抱き枕型通信ロポット 「バグビー」も作っています。携帯電話をクッションに入れ、本体を抱きしめ ながら会話をすると、相手の存在がより近くに感じられます。・・・≫ ▼ この下書きの後にTVを見ると、将来のロボットの姿を研究者が実物を 目の前にして解説していた。ゴミ箱が、ユラユラと歩いて人の傍にいく。 あるいはゴミと判定した傍による。それを見た人は、ゴミを入れたくなる ゴミ箱ロボット。あとは、手だけ付いていて散歩を一緒にしてくれるロボット も面白い。ただ合理的ではなく癒し系のところがミソ。玩具とは癒しの要素が 多いから、玩具メーカーにとって、ロボット系玩具は宝の山だろう。 メガネ型PCや、チョッキ型PCや、帽子型PCなど着装式情報端末も、ある意味、 ロボットと捉えることが出来る。これらが進化していくと、思いもよらない 端末が現れ出てくる。 ・・・・・ 4523, 生きる悪知恵 ー2 2013年08月04日(日) 「生きる悪知恵 ー正しくないけど役に立つ60のヒント」西原 理恵子(著) * 働いて金稼げ、子つくれ、いい嘘つけ、枠を外せ! 今東光の身の上相談のように歯に衣をきせない回答がよい。ー アマゾンのレビューに 【昔読んだ山本直樹のマンガに「悩み事は自分の目の前にある壁に描かれた、 ただの絵の窓。押しても引いてもびくともしない。でも、振り向いてみると その先には開け放たれた窓がある。振り向きさえすればいいのだ。回答の数々は その「振り向き方」。ちょっと思いつかない方向から答えが飛んでくるような 感覚すら覚えますが、全ての質問を冷静に分析し、かなり真面目に、しかも 的確に答えています。意外ですが、現実的に実行できる解決策ばかりです。】 というのがあった・・・ もう一つは、【相談から「問題の本質」を発見し、 「問題を設定し直し」て、それが正鵠を射ているのに感心した。 「悩んでいる人」というのは「悩み方」からして間違っていることが多い。 サイバラはその「悩み方」をいっぺん解体し再構築します。その結果、説得力 があり、かつ実行可能な解決策が提示されている。ちょっとした名人芸です。】 これも分かりやすい。学生時代の人事管理の武澤ゼミのケース・スタディによる 問題解決法と同じ。何事も、自分一人の知識と経験で考えても限界がある。 問題を把握し、考え続ければ、思いもよらない解決法があることを知っておく べきである。ー目についたものを書き写しただけでも、 これだけある ・就職できない。 →横入りしろ。 ・向いてない部署に異動になった。 →仕事のインナーマッスルを鍛えろ。 ・妻の飯がマズい。 →焼いてポン酢をかければ何でもうまし。 ・義母から「早く子供を」という圧力が。 →そのうち死ぬから放っておけ。 ・妻子ある人との関係をやめるべきか。 →バックアップ(3チンポ)の用意を。 ・元彼と結婚した友達を祝福できない。 →敵は己の中にあり。 ・空気が読めない。 →空気読めなくても許される人間になれ。 ・隣に騒音おばさんが。 →外に働きに出れば一石二鳥。 ・部下が使えません。 →使い方が悪い。人と思うな、ネジだと思え。 ・苦手な英語が社内で必須になりました。→フィリピンパブへ通って 彼女を作って楽しく覚えろ。 ・一言多い性格を直したい。 →関西に引っ越せば解決。 ・浮気を疑う妻に →携帯を見たあんたが悪い。勝手に携帯見てる 時点で夫婦終わってるだろ。 ▼「働いて金稼げ、子供作れ、いい嘘つけ、自分を顧みろ」の範囲だが、 それでも説得力がある。次回から幾つかを取り上げる。 ・・・・・・ 4148、男性不遇社会へ 2012年08月04日(土) 団塊世代が定年をむかえ、会社から家庭中心の生活に入りつつある。 しかし、そこに妻という海千山千の難敵が控えている。そして丁度良い捌け口 の対象として鬼婆化して団塊粗大ゴミに襲いかかってくる。 団塊粗大ゴミの 妻たちも、女社会では、目のつく嫌われ者として君臨しているから、陰湿な闘い の勇者として力は蓄えている。ところが、その団塊ジュニアの男も、厳しい立場 にある。対象になる女性の7割近くが結婚相手に年収400万以上を求めて いるが、それを満たすのは僅かに25%しか存在してない。そこに45%の 絶対的開きがある。そのため未婚の男女が増えている。去年の男性の自殺率 は女性の二倍。3万数千のうち、二万以上が男である。 女性は9割以上が、 「今度生まれてくるときも女が良い」という。先日も中学の同期会があったが 元気が良いのは女性だけ、男は片隅で大人しい。家内と私の関係を見ていても、 同じ流れ。色いろあって自宅は家内名義になった途端に・・連日、サンドバック 代り。外国人の目からみて、中年女性連れがデパートやレストランに多く 見かけるのに驚くという。旦那が会社で必死に働いている間に、長年かけて TVやネットで文化的教養が蓄積され、コンサートホールや、世界的名画の 展覧会などに大挙してオバサンが押し寄せる。 そこに添え物のように連れてきてもらっているのが亭主という図式。 家内を見ていて気づいたが、自分の行先に合わせて相手を選別している。 行動パターンは単独行動が基本。年に一度は、4日間乗り放題の特別割引を使い、 4日連続の日帰りの東京通いである。曰く、「ツアーと思えばよい。単独行動は 気ままでよい。問題は一人でランチがとれるかどうか。これを身に付ければ東京 は面白さが数倍になる」とか。世界中を旅行した蓄積は、そんなことは朝飯前。 要はオバサン化いや、オバアサン化したということ。とにもかくにも、男と違い、 消耗していない。「国滅びても山河あり」というが、国が衰ると女が表立ってくる。 リーマンと東北大震災で、明らかに世界も日本も激変の嵐になってしまった。 その背景には、情報化社会の本格的到来がある。激変現象の一つが、女の優位 社会の到来がある。子供の頃から、姉が4人もいて鍛えられていた素養が、 ここで活きてくるのか? ったく。 ・・・・・・ 3783, ユング ー16 2011年08月04日(木) * ユング心理学、3つの流れ ー � 発達派 ☆ 発達派ー人間の精神的成熟と対人関係 【 ユング派の第三の流れは発達派と呼ばれており、主にロンドンを中心に活躍 しているユング派の人たち。ロンドンというユング派とフロイト派の両方が 交流しながら発展している地域柄もあって、フロイト派の精神分析に近い考え方 を持っている。この派の特徴の一つに、「成人の人格の発達における幼児期の 重要性を強調」している。その人が幼児期にどのような親子関係で育ってきた かが、その人の現在の人格のあり方にとって大きな影響力を持っているという 考え方。その頃の親子関係が、対人関係と感情や衝動のコントロールに関して、 非常に重要になる。その頃、あまり親に愛されてないと感じた子供は大人に なってからも、「自分は(親に愛されてなかったから)もっと愛されたい」とか、 「自分は、いつも良い子でないと受け入れてもらえなかったから、この人にも 良い人と思われないと、見捨てられる」とか、歪んでいきやすい性格に なってしまう。 ー発達派の治療態度ー 治療場面で、治療者と患者(あるいは相談者)にわきおこる転移、逆転移を 取り扱うことを主な作業とするのも発達派の特徴である。転移とは、治療の過程で 相談者がそれまでの人生において重要だった人物(親・養育者)との関係を、 治療者との間で再現することをいう。つまり、治療過程で、患者(相談者)が、 両親や、それに類する人に感じられる人になるということである。これと逆に、 治療者が相談者に抱く特別の感情を逆転移という。この転移、逆転移を 「対人関係におけるファンタジー・幻想」といった方が分かりやすい。そこに、 集合的・普遍的な父親像、母親像も表現されるので、それが重要な分析材料になる。】 ▼ いかに、幼児への親の対し方が難しいか、その辺のところが人間の精神の 成熟の鍵が隠されている。10歳までに人間の性格、能力の殆どが決定されて しまうことは、自分と、至近の人たちを見渡せば分かる。そこまで、立ち戻って 治療をしていくのが発達派の治療態度。これを血筋と昔から日本人は言っていた。 (哲学的にいえばハビタス)。 もちろん、それぞれ例外はあるが・・ 両親との関係から、現在の自分に至ったプロセスを見つめ、その歪みを自覚 させるように導き出す。 多かれ少なかれ歪みの集合体が自分ということになる。 ・・・・・・・ 3418, 哲学者の言葉 100 2010年08月04日(水) 「最高の人生を送るための哲学者の言葉100」稲垣真美著 何気なく借りてきた本だが、軽いタッチで読みやすいが、唸るような言葉が次々と 出てくる。10項目に100の言葉が書かれ、解説してある。10項目の中から 幾つか書き出して考えてみる。 * 第一章、哲学と人間 ≪ 心をあらゆる努力で守りなさい。あの血(生命)の泉もそこから流れ出る のだから ≫(ハイデッガー)【ハイデガーの学説を、一言で解釈し、具体的 に説明するのは容易ではありませんが、古代ギリシャのアリストテレス以来、種々 に考えられてきた「存在」の問題について、人間存在とは「私が在る」ということ であり、したがって人間とは「現存在」である、と規定しました。「現存在」存在 の仕方を「世界内存在」とも呼びました。この場合、「現存在」の言葉の中には、 すでに「今」という時間が入ってきます。 すなわち「存在」とは、常に 「時間の問題」に突き当たり、一心同体なのです。そうだとすると、 「今(現在)」とは何でしょうか。 「私がこれこれのことを意図している今」「12時である今」 「光が消えている今」等で確定される「今」には「私」「私自身」、あるいは ほかの誰でもがそのまま時間ということになります。「現存在」は時間なのです。 「私」は本来的に時間であり、「私」は時間をもっているのです。 このように考えて、ハイデガーは、私たち一人一人の時間としての営みの大切さ に思いに至った。南ドイッのフライブルク市の郊外にあったハイデガーの自宅の 扉には、文字を刻み込んだ一枚の板がぶら下げられていた。その文字はハイデガー が大切な誓いの言葉とした。「旧約聖書」の箴言でした。「君の心をあらゆる 努力で守りなさい。あの血(生命)の泉もそこから流れ出るのだから」 ハイデッガーは、この言葉を「現存在」である自らに対しても、訪れてくる 客人たちにも、誓いの言葉として掲げたのです。】 (字数の関係でカット12年08月04日)
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2016年08月03日(水)
* 日本五大花火大会について 昨日、今日と、長岡花火。昨夜は、早朝の自転車コースの水道町公園に 19時半から20時半まで一時間ほどの花火見物に行ってきた。「フェニックス」 が終わるのを待って、帰ってきたが、空が曇っていたが、「フェニックス」が 上がる頃には、何とか空が晴れていた。 〜ネット検索によると〜 <二大といえば「大曲」「土浦」。三大で、「長岡」が入る。 次に、PL、諏訪湖、片貝、熊野、 袋井、豊田とある。> 〜他のネットでは、 < 1位 長岡まつり 大花火大会; 2位 全国花火競技大会(大曲の花火); 3位 土浦全国花火 競技大会; 4位 ふくろい遠洲の花火; 5位 赤川花火大会; 6位 豊田おいでんまつり花火 大会; 7位 常総きぬ川花火大会; 8位 熊野大花火大会; 9位 古河花火大会; 10位 水戸 ... > それぞれの特質があって、どれがベストかは言いがたいようだ。 長岡花火は、二年前に、『この空の花』で、映画化されて一躍、有名になった。 昭和24年の夏、山下清が日本一の花火を見るため長岡に現れた。その翌年、脳裏 に焼き付けた記憶で生まれたのが、貼絵の技法で描かれた「長岡の花火」である。 これらを鑑みると、三大花火の一つというのが、正しいのだろう。 10年前までは、ツアーなどでの自己紹介で<長岡出身です>といえば、 <『田中角栄』『田中真紀子』の出身地ですね!>だったが、 「フェニックス」以来、<「長岡花火」の長岡ですね!>と言われるようになった。
・・・・・・ ・・・・・・ 5254,下流老人 2015年08月03日(月) 去年になるが、 NHKスペシャル、ー老後破産:長寿という悪夢ー をみて衝撃を受けた。家内も厚生年金のため、人並みの生活は出来そうだ。 先日、新聞の雑誌広告で、『下流老人』という言葉が目に付いたので、 ネット検索をすると、以下のような厳しい内容が出てきた。 ≪ ・ ー下流老人とは、 1、収入がない、2、資産がない、3、社会的ネットワークがない老人をいう。 総務省の家計調査や、所得統計から貧困ラインから下流範囲を推測するが、 生命保険会社や金融機関では、老後生活の費用は最低ラインで20万円、ゆとり ある暮らしには30万円超が必要という。ほとんどの老人世帯は最低ラインで、 ゆとりある老人世帯は一握り。(これは金融商品や保険を売るため使われる。) ・2014年の我が国における65歳以上の高齢者人口は3300万人、総人口に占める 割合は25.9%と、共に過去最高を記録しているが、大づかみに言って、そのうち 600〜700万人が「下流老人」と見なされている。内閣府の調査でも(2010年)、 65歳以上の高齢者世帯の「相対的貧困率」が22.0%となっていることから、 この推計は大きく的を外してはいない。老人と若者の間の「世代間格差」 が問題となっているが、老人の間の「世代内格差」も凄まじいものがある。≫ ▼ 10年、20年スパンでみると、9割の老人が「下流老人化」するという。 老いれば、金を使う場面も少ないから、さほどの問題ではない?と、たかを 括っていられない。死ぬまでは金が要るが、死んだ瞬間から、生活費がゼロ になるので、当人にとっての持ち金は微妙な問題でもある。 それでも 総世帯の15%が「下流」というから、やはり老人の立場は弱い。本格的 な国家衰退が始まってきたが、そのシワ寄せは、まず弱者に襲いかかる。 ギリシャが問題になっているが、それより、日本が遥かに深刻である。 ひたすら直視しないで、先送りしか手立てがないだけ。その限界の年が、 今年から来年。その矛先が、まずは老人と、母子家族。何がオリンピックか! 目先を凌ぐ、末期患者のリンゲルと同じ。その責任は、選んだ国民にあり。 ・・・・・・ 4889,閑話小題 −人型ロボットの現在と未来 −1 2014年08月03日(日) * 人型ロボットの現在と未来 このところ、ロボットがマスコミに多く取り扱われだしてきた。 特に労働現場に・・ロボットにも無人戦闘飛行機、宅配ヘリ、自動運転自動車 などの、非人間型ロボットと、人間のカタチをしたものがある。人間型ロボット の研究者で、マスコミで見かけるのが、石黒浩(大阪大学大学院教授)。 ー彼のロボットのリアルな内容が、面白い!ー ≪ 将来のロポットに必要なのは、アトムのように空を飛ぶ能力や走る能力では なく、真の意味で人間と関わる能力ではないか。そう考え、私はこれまで ロポット研究に取り組んできました。たとえば、接客をロポットに任せたら どうなるか? 昨年10月末〜11月中旬まで、高島屋大飯店で、20代女性をモデル にしたアンドロイド(人間酷似型ロボット)の「ミナミ」が衣料品の販売員と して「接客」しました。ミナミがお客さんと対話しながら 「この色はいかがですか?」と商品を薦めるのです。 高島屋のスタッフは当初 「1枚も売れないはず」と悲観的でしたが、結果的にはイベント期間中、一万円 程度のカシミアのセーターを40枚も売りました。人間が一日当たり10〜20枚売る のに、ミナミは3〜10枚しか売れないので、決して有能な販売員とは書えません。 しかし、人間が接客する場合、一日20人が限界ですが、ミナミは毎日40人以上 接客して働き続けることができた。アンドロイドは疲れないからです。20年後は、 ミナミのようなアンドロイドが社会のそこら中に進出しているでしょう。 ニュースキャスターや警備員、喫茶店店員も、アンドロイドに任せて全く かまわないと思います。ーつづく ≫ ▼ 20数年前のセミナーで、「現代人の生活は一時代前の2百人の召使を使った 王侯貴族と同じ」と聞いたが、今では、数千・数万人以上だろう。居間のTV で演劇をみ、iPhoeで音楽を楽しみ、飯炊きは炊飯器、掃除は今やロボット 掃除機がしてくれる。回転寿司もベルトコンベアで客席まで運ぶのは、一種の ロボット機能。電子レンジ、洗濯機、エアコンなど白物の大部分も一種ロボット。 アトムが時空を実際に飛びまわるのに対し、グーグルアースが、パソコン内で 飛びまわる。 ところで、ソフトバンクが、6月5日に、世界初の感情認識 パーソナルロボット「Pepper」の一般販売を発表。社長の孫正義氏が記者会見で 《 この発表会が「100年後、200年後、300年後に、あの日が歴史的な日だった と言われるようになる。ロボット史上初めて、感情や心を与えることになった」》 とし、その意義を説明した。一般家庭向けに19万8000円(税別)の価格で、 来年2月から、ソフトバンクショップや、ソフトバンクのオンラインストアで 購入できるようになるとか。感情認識ロボットとは驚き! ペット型ロボットの ソニーのaiboをあった。目先の利益にならないと、販売中止になったが、 ソニーにとって戦略的に大失敗と、誰の目にも明らかだった。これだけでも、 ソニーの存在価値が充分にあった。これからはロボット玩具主導の感情認識 パーソナルロボットと、ペットが、世界に満ち溢れるのだろう。 ・・・・・ 4522, 生きる悪知恵 ー1 2013年08月03日(土) 「生きる悪知恵 ー正しくないけど役に立つ60のヒント」西原 理恵子(著) 図書館の返却コーナーで見つけた本で、面白そうなので借りてきたが、これが 面白い! 著者は、このところ売れっ子で、岩井志麻子、中村うさぎなどと 女無頼を売りにしている。しかし答えは至ってまともで、的を得て、簡単。 「被害者面するな。世間体やプライドとか言ってる暇あったら、あの手この手 を使って状況を打開しろ」で、「人生、生き延びてナンボ」が一貫している。 ーアマゾンの内容紹介ー =『ぼくんち』『毎日かあさん』で知られる人気漫画家・西原理恵子が、 波瀾万丈な人生経験をふまえて、恋愛、家族関係から仕事、おカネの問題まで、 あらゆる悩みに答える「人生相談」エッセイ。 主な項目は以下の通り。 「70社受けてもダメ。出口の見えない就活に疲れ果てました」 「苦手な上司に毎日のように飲みに誘われます」 「結婚して5年。妻がブクブク太っています」 「夫が浮気しているようです。追及すべきでしょうか」 「息子の部屋からロリコン漫画が出てきました」 「60代の父が30代の女性を同棲。妙にやつれてきました」 「頼まれるとイヤと言えない性格を何とかしたい」 「夫が痴漢で逮捕されました。無実を信じたいのですが」 「小銭を借りて返さない同僚に困っています」など。= ー「はじめに」の冒頭からして、これ(以下)であるー ≪ ・・私の故郷の高知県なんか、すごいですよ。 高知で一番大きな会社はどこかっていうと「生活保護」。 「あれだけお金払える会杜、ほかにない」って。で、生活保護をもらえる人は 貯金しない人だから、きっちり毎月全額を飲み食い、遊興費で使ってくれる。 それで高知県の経済が回っている。それはまあ半分冗談ですけど、実際ケース ワーカーさんに話を聞いたら、「確かに腹の立つヤツもおる。こいつは インチキやろ、というのもおる」と。だけど、「具合悪くて働けんゆうたら そうかもしれんし、そんなに悪ないゆうたら悪ないかもしれんし、人間なんだ から玉虫色なんです。ただ、それで生活を立て直す人たちも確実にいることを 覚えてお いてください」と言うてました。日本人って「正直であれ」とかよく 言うけど、真面目すぎるのも生きづらい。もっとウソつきでいいんじゃないかと。 私がこれまで漫画家として生きてこれたのは、正直じゃなかったから。 ウソをつくのを悪いと思うてない。一番最初のお客さんである編集者を、 いかにダマすかというところから始まりています。締め切りがギリギリで 絶対OKもらえなさそうな人には、最初にくだらないA案を見せて、あとにもう ちょっとマシなB案をもってくるとか、目くらまし的なことをやって。あと、 10万円欲しいときには、最初に「100万円くれ」って言ってみるとか。 火事場泥棒みたいなことは我ながらうまいかな、と思いますね。もうひとつ よかったのは、プライドがなかったこと。私の仕事は客を笑かしてナンボなので、 自分の表現がどうとか関係ない。もらえる仕事は何でもやってきた。 身もフタもないことを平気でできるというのは大事です。プライドでご飯は 食べられません。誰だって働けなくなる日は来るんだから、とにかく働けるうちは 働いてお金を貯めておけ、と。だから、今でも仕事はどんどん入れてる。 国とか会社をアテにしてたら酷い目に遭いますよ。》 ▼ 西原は「借金を重ねながらも夫を看取り、子供を育て、誰に頼らないで 大量の仕事をこなしながら、ここまで至った。人生・体験に基づいた 回答だから、「生き延びたもの勝ち! 横から攻めたり、一旦逃げたり、 ダメな時の解決は人任せ」 でも嫌に説得力がある。男には書けない 開き直りが面白みを増している。 ・・・・・・ 2012-08-03 ある老女の遺書ー 3 10年前に取り上げた、随想集『心に残るとっておきの話』第五集、 に載った内容。10年か20年もしないうちに、生きていれば次のステージで 待っている。人は、それぞれ来し方の人生という行蔵がある。 その行蔵に他人は入ってみることは出来ない。しかし本人には蔵があり、 それぞれの棚には多くの経験というお宝がある。外見はボンヤリしていても、 一歩藏に入ればお宝の山である。だから元気なうちに、ここで書き残すべき ことを書いている。 ところで遺書を書いた老女は80歳後半辺り。 看護婦の叱責に怒りと哀しみが蓄積されている。 老人同士の愚痴は、 その解消のためにある。しかし老人ホームでは、それも限られる。 老化は、それだけでウツになる要素が十分にある。だから元気なうち、 動けるうちに、やるべきことは、全てしておくことだ。老いるということは、 過去のしてしまった失敗と、しなかった後悔にうち震えることだ。 (字数制限のため、カット) ・・・・・ 3782, ユング ー15 2011年08月03日(水) * ユング心理学、3つの流れ ー ? 元型派 ☆ 元型派ーひたすらイメージと対話し、遊ぶ < 元型派= 古典派が自己の元型の象徴と、その変容に重点を置くのに 対して、『元型派』は変容や自己実現はフィクション・幻想であるとする。 そして常に変容を目指すという古典派の態度そのものが、かえって人間を 傷つけるとして、変容や統合を目指さないでひたすら「イメージそのものを 大切にする」という態度をとる。それはたとえば「オルフェウス」の神話の 解釈に表れている。{ギリシャ神話の音楽と詩の神オルフェウスは、蛇にかまれて 死んだ妻を地下の世界、つまり黄泉の国に行き、連れ帰る途中に、決して後ろを 振り向いてはいけない約束を破ってしまったため、妻は洞窟の奥に吸い込まれて 消えてしまった。そして、彼の使っていた竪琴だけが天に昇って琴座の星座に なってしまう。その後、オルフェウスは放浪の旅先で殺されてしまう。} この神話は古典派的視点から見れば、女性像=アニマを獲得しそこなって 男性性を確立しそこなった失敗例として扱われる。しかし、イメージそのものを 大切にする元型派は、この神話の各登場人物やアイテムが「生き生きしている ことが大切」である。 竪琴が星座になってキラキラしているのであれば、 自己実現しているのだと理解できる。患者が統合や発達の失敗、男性性や 女性性の確立の失敗などの夢を見ても、失敗例と見ない。その夢の中の イメージや登場人物・アイテムについて、じっくり 話し合い、そのイメージ と遊ぶように接していくのが元型派の特徴である。 ー元型派の治療態度とはー 元型派は、患者の夢のイメージそのものを何よりも大切にし、イメージと遊ぶ。 古典派の患者の変容や治癒だけを目指すのではなく、患者のイメージにいかに 寄り添えるかを大事にし、夢そのものを色いろな角度から味わい、深めることを 目的とする。 時には、治療者と夢に関連させて共に空想を膨らませたり、 昔みた映画やドラマの話しをしたり、突拍子もない話をする態度である。 それは、あくまで治療者の「癒し」につながる遊びである。それらの対談の中で、 その夢は単に、その人だけのものでなく、人類に普遍的なものだったり、時空を こえた昔話だったり、神話につながることに気づくことで、孤独が癒される。 このように、イメージに忠実に寄り添い、深めることで、結果的に治療や変容 が生じてくるのであり、変容を起こそうと思ってはいけないのが、元型派の 基本的態度である。 > (『ユング心理学』福島哲夫著ーP・200) ▼ 患者の夢について、色いろな角度から深く語りあううちに、患者の悩みが 特殊なものでなく普遍的なものと気づくことから孤独感が薄らいでいく。 何ごとも肯定的に受けとめることが重要になる。〔イメージそのものを大切にする 元型派は、この神話の各登場人物やアイテムが「生き生きしていることが大切」〕 とあるが、考えさせられる。そのイメージと遊ぶように接すれば生き生きして くるはず。神話は民族の元型である。その登場人物はキラキラ輝いていなければ!
・・・・・ 3417, 64歳の現時点で、感じること! 2010年08月03日(火) 最近、首相や、県知事、市長などをみていると、「何、これは!」と、 心の底から思うようになった。青年期にみた老人の捩れた言葉?が何だった のか分かりかけてきた。当時は、「自分が、何も出来ないのに他人に対し 何故に背後から刺す言葉しか吐けないのか?」と、嫌悪感を持ったもの! 特に一生を無為に過ごしてきた人ほど、強くなる。ベルクソンが 「人生の歩みを進めれば進めるほど、私はわれわれがあまりに貧しいもので あるのに気づく。偉人と呼ばれる人と、他の人々との間にはほとんど差はない。 特にいわれもなく与えられたものと、その時々の状況、あるいは人生の運と いうものを除外するなら、差は少しもない」という言葉に深く納得する。 特に情報化がリアルに表出させる。ところで、ベルクソンは「時間と自由意志」 でアリストテレス以来の時間論に対して、画期的な反対論で一気に名前を高めた。 ベルクソンはまず、人間の意識によって時間を考えなおそうとした。 普段、我われが考えている時間とは、現在の一点を中心に過去へ未来へと空間化 され、直線のように考えられ、測れるものとされている。現に私も同じである。 アリストテレスもカントも、伝統的な時間論に従っていた。アリストテレスは 「以前と以後に関しての運動の数」、カントは「時間は人間主観に備わった形式」。 ベルクソンは、時間は、本来数えることのできない、はっきりした輪郭を持たず、 外在化する傾向も持たず、数との間にいささかの類縁性ももたない、継起 (数えることの出来ない感覚や感情の持続)であると、考えた。彼は、人間の 生を純粋に持続するものととらえた上で、その純粋持続こそ時間だと考えた。 純粋持続は意識に直接与えられる時間、内側から生きられた時間であり、 時間は、音楽のメロディを聞いているようにときのように、空間や世界から 切り離されて、徹底的に主観化され、内面化されている、とする。 演劇を観ていて時間を超越している感覚である。話は少し脇道にそれたが、 人生など結局は独りでしかない。偉人とかいうのも、所詮は、その時代の尺度 の評価でしかない。 それも時代時代に評価が変わっていく。 「人間は<よく生きること>ただ、それだけで充分」と思うように なっただけ、歳をとった。
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2016年08月02日(火)
* つれづれに、長岡花火 地元の長岡祭りが、昨日から三日間にわたり開かれている。 今日と、明日は<長岡花火>。 信濃川の土手の見物席の準備も出来ている。 今夜が、花火日和かどうか、どうだろう。毎年、家内と土手までチャリでいき、 土手を歩いたり、適当に座ったりして観ている。 ―― 都知事選、予測どおりに小池が勝利を収めた。 小池勝利というより、 二人のの自滅である。問題は、今後、スタッフをどう固めるかだ。民進党の 党首が、推薦候補の落選を予測してか、次期の代表戦挙の不出馬を言明。 これでは勝てる訳がない。 自・公推薦候補も、ポチの、それも、座卓犬 そのもののイメージがマイナスに働いた。 ―― 自民党の幹事長が、自転車事故で、首を負傷、辞めることになった。 下手をすると、車椅子生活になるのか? 都知事選の最中、何か、動きに 事件? という不自然さが残る。 ―― サントリーのゴマセサミンと、ノコギリヤシと、フコイダンセサミンを飲み 始めて、三ヶ月経ったが、たしかに効果はあった。慢性の腰痛が半減した上に 気力が満ちた感覚が強くなり、肌がスベスベしてきたような。サントリーの 正価は、どれも4〜5千円。 少し高いため、半額以下の他メーカーの同類を ネットで探して、代用している。問題は、三ヶ月以上、続けられるかどうか。 これはお勧めである。
・・・・・・ 5253,二度の地球規模の大爆発 〜地球大進化46億年 ー③
2015年08月02日(日)
ー「地球大進化 第3回 知られざる“生命の星”の秘密」ー * 6500万年前の恐竜絶滅で、哺乳類が主役に 私たちは、数知れぬ地球規模の困難を乗り越え、現在に至っている。特に、 哺乳類の、そして類人猿の誕生は、進化上、あまりに大きい出来事である。 その辺りを、ネット検索をすると、番組の内容が、そのまま記述してあった。 ≪ 2年前、中国で発見された胎生の能力を持った最古の哺乳類の化石がある。 エオマイア(黎明期の母)。 恐竜が全盛を極めていた1億2千500万年前の地層 から見つかりました。現在、お腹の中で子供を育てるすべての哺乳類の祖先に あたると考えられています。恐竜の脅威と低酸素の環境という暗黒の時代の中、 哺乳類は子孫を確実に育てあげ、未来にかける戦略を強めていたと考えてられる。 季強博:「低酸素の環境ではからに閉ざされた卵による繁殖は決して有利とは いえません。そこで子孫を確実に残す為に哺乳類は繁殖の方法を替えたのです。 体の中で子供を育てる胎生の方が卵に比べ、酸素と栄養分をより多く子供に供給 することができます。私は哺乳類が繁殖の方法を胎生へと替えた背景には低酸素 時代という環境が密接に関係していたと考えています。」 胎生を行うようになった哺乳類では母親と子供が胎盤と呼ばれる新しい臓器に よって結ばれました。胎盤の中では、へその緒とつながる子供の毛細血管へと 母親の赤血球が勢いよく吹き付けられています。母から子へ、まるで母親の愛情、 そのもののように優しく吹き付けられる酸素たっぷりと含んだ赤血球。 新鮮な酸素が常に母親から与えられ、わが子の成長を支えるのです。 低酸素時代が凍死して始まった全く新しい母と子の関係。子供を愛しみ、確実に 育てる哺乳類のLifestyleが完成したのです。恐竜の時代が始めてから 1億6千万年後、再び地球を大変動が襲いました。突然現れた直径10キロの隕石 の衝突がもう一つの大量絶滅を引き起こし、恐竜の支配は終わりを告げた。 酸素濃度も回復し、地球は再び全く新しい時代を迎えることになりました。 2億5千万年前と6千5百万年前に起きた2度の大量絶滅、研究者たちはその 二つの出来事がなければ現在の複雑な生物の世界は決して生まれなかったと 考えるようになっています。暗黒の時代を力強く生き抜いた哺乳類は再び地球の 支配者として返り咲いた。恐竜から効率的な呼吸システムを受け継いだ鳥たちは それを飛行へと応用し大空を自由に舞うようになりました。そして私たち人類は、 祖先から受け継いだ酸素の効率的な利用によって思わぬ飛躍を遂げています。 大きな脳を手に入れたのです。重さでは全体重のたった2%に過ぎない人間の脳 は肺が吸い込む酸素の実に20%を消費しています。祖先が獲得した酸素の効率 的な利用がなければ私たちの人類の高度な知能は決して生まれなかったのです。 大きな脳を持った人類は、科学技術を一気に発展させました。その力は今や地球 の未来を大きく左右するにまで、膨らんでいます。人類を含む多様な生命が 息づく地球、それはかつて私たちの祖先が大量絶滅を始め数々の試練を戦い 抜きた結果、生み出されたものだったのです。・・≫ ▼ 脳という考える司令塔は、肺からの酸素の20%を消費する。有酸素運動 が、体に良いのは、脳にとって酸素が有効に働くため。早朝のウォーキングで 酸素と、太陽のエネルギーを取入れる必要性が、このことから分かる。 6億年前には地球の全てが凍りついてしまう全球凍結が襲いかかり、 この変動の後、小さな微生物だった祖先は劇的に大きくなって、多細胞生物 となり大型生物へと進化していった。4億年前に豊かなサンゴの海を襲った地殻 変動、住処を失った私たちの祖先は上陸へと挑んだ。この時、獲得したのは 私たちの手や足。2億5千万年前、シベリヤの巨大噴火から始まった大量絶滅、 その絶滅を辛うじて生き延びた後、私たちの祖先は子宮で子供を育てるという 能力を身につけた。3300万年前、南極から始まった厳しい寒冷化、木の上 という新天地に進出した祖先はエサ不足を生抜くため、優れた目を発達させた。 そしておよそ700万年前、私たち人類が生まれた。偶然だが、以下にーつづく ・・・・・・ 4888,閑話小題 ー温暖化と氷河 2014年08月02日(土) * 温暖化と水資源問題 世界の淡水の8割が氷河という。せいぜい数パーセントもあるかなしかと 思っていた。考えてみれば、北極も南極も氷で覆われており、アルプスや、 ロッキーも、ヒマラヤも氷河がある。シベリアには永久氷土がある。 としても、ナイル川やアマゾン川や、湖など水量の数倍もあるとは。 ということは、氷河は地球の水のダム。世界各地の氷河に行くと温暖化による 消失が、必ず話題に挙がる。 ーネットによるとー 《 地球全体の水資源の約97.5パーセントは海水が占め、残り2.5パーの淡水の 8割が氷山・氷河。その中で飲み水、工業用水は残り3割。その約9割は地下 に眠っている地下水。その部分を差し引くと残りは0.075パーセントになる。 しかし、人間が直接その水を採取できる湖・河川はさらに限られるので、 ここからまた目減りして、結局「0.01パーセント」。その貴重な水を巡っての 紛争が世界中で起きている。ヨルダン川(イスラエル、ヨルダン、レバノン)、 ナイル川(エジプト、スーダン、エチオピア)、チグリス・ユーフラテス川 (トルコ、シリア、イラク)、ガンジス川(インド、バングラデシュ)など。 2009年のスイス・ダボス会議では、「いずれ水はオイル(石油)よりも投資 価値が出てくる」と指摘されていたが、まさに的を射たコメントである。》 《 日本は世界有数の多雨国で,単位面積当たりの平均年間降水量は世界平均 の約2倍。しかし人口密度が高く,平均年間降水量を人口一人当たりにすると 世界平均のわずか1/5になる。一見,日本は,水資源に恵まれているように 見えるが,降水の多くは梅雨時や台風の時期に集中するうえに,多くの河川は 規模が小さく,勾配が急で,距離も短いため,雨が降っても水は短時間で海に 流出してしまう。多雨国なのに資源としての「水」には恵まれていない水資源 “小”国。さらに言えば,日本の食料の自給率は約40%で,大量の農作物を 輸入に頼っているが,仮に日本国内で栽培しようとすると大量の水が必要。 日本は,実質的に大量の水=バーチャルウォーター(仮想水)を輸入している ことになる。生活水準が向上するにつれて水の需要は増え続けるが,世界の 約2割の人たちは安全な飲み水すら利用できずにいる。》 《 世界の哺乳類の4分の1、鳥類の8分の1、両生類の3分の1、植物の 7割の種が危機に 瀕している」。・・タンザニアの「キリマンジャロ国立公園」 では1万年以上 維持されてきた万年雪が20世紀だけで8割失われ、このまま だと15年以内にすべて なくなる。》 ▼ 上記の現実は、我われ日本人にあまり知られてない。現に、私も知らな かったこと。水資源小国とは! それでも大雨や積雪などの地下水がダム 代わりなっている上に、7割が森林などの自然に恵まれている。いざとなれば、 井戸を掘ればよい! これらから考えると、やはり森林・農業保護は必要。 それにしても、総水量の0.01%とは! ・・・・・・ 4521, がんで死なない生き方 ー2 2013年08月02日(金) 「専門医が教える がんで死なない生き方」中川恵一著 ー更に、印象に残った箇所を抜粋するとー ・何より重要なのが早期発見。すい臓がんのように発見が難しく進行が早い ものもあるが、早期に発見すれば約9割が治る。例えば乳がんの場合、1cmの 腫瘍が2cmになるまで1年半かかるので、その間に見つけることが大切 (それより小さいと発見が難い)予防が可能になりピロリ菌感染者が減って いるので胃がんは減少傾向にある。元々ウイルス感染が引き金になるガンもある。 ・治療の中心は、いわゆる三大治療。手術、放射線治療、科学治療。ただし、 抗がん剤について、それだけの完治は難しい。サプリメントなどの代替医療 の効果は医学的に証明されていない。ウイルス療法など新しい手法もいろいろ 出てきてはいるが、まだ検証中という段階を出ていない。総じて、実態として は26年前から大きく進歩しているとはいえない。また、治るものはともかく、 末期のものについては必ずしも無理な治療をしないという選択肢もありうる。 ‘ガンは死期を迎える2〜3週間前くらいまで日常生活を営めるピンコロ型に 近い病気’である。 ・福島原発の事故を受けて、がんへの影響も解説している。被爆しない方が 好ましいが、一般の人たちへの影響という点で見れば生活習慣やたばこと いった要因に比べて、その一つの程度でしかない。 最近話題になっている 内部被爆について、実際は内部被爆と外部被爆の影響を明確に分離して 考えることは難しい。そして、現時点で空気や食べ物より土壌の汚染に 一番気をつけるべき。 ・野菜嫌いの人の発がん性リスクは、放射能被爆の100ミリシーベルト に相当する。また、受動喫煙も100ミリシーベルトに近い。 ・現在、日本人の2人に1人ががんになるが、男性は6割弱、女性は4割強。 がんの死亡者数は、男性が女性の1.5倍だが、20歳から55歳では、女性の 方ががんの発症者数が多い。30代のがん発症は、女性は男性の3倍。 ▼ 青壮年時期の20〜55歳は、女性の方が発症者数が多いとは知らなかった。 とすると、55歳を過ぎると、遥かに男の方が、多いことになる。この年齢に なってみて、「生老病死」の問題に直面すると、生易しい問題でないことが 分かる。皆で老いれば怖くなさそうに思うが、生老病死に関しては、それぞれ 孤立した問題。それぞれ独自で直面するしかない。著者の同僚7人の医師全員 がタバコを吸わないという、その結果を見ているからだ。そのうちの一人が、 「最近の事情が変わったようで、医学部百人の授業で聞いたら、 一人もタバコを吸っていない」という。 ・・・・・ 4147, 閑話小題 ー8年ぶりの歯医者 2012年08月02日(木) * 8年ぶりの歯医者 昨日、朝飯を食べていると口の中で小さな砂利みたいなのが引っかかった。 何だろうと見ると、奧歯の虫歯に埋めたツメモノ。8年前に、やはり取れて しまい新潟駅前の歯科で入れ直したもの。その時も被せた下が虫歯になり取れて しまった。今回の原因も、当時と同じであった。さっそく家内から聞いた歯医者 に行くと、間接的だが、「この夏休み時期に飛び込みは困ります」という。 家内に初診でも電話予約をしていくべきと言われたが、私の判断ミス。そこで 二軒目に切り替えて大型のレストラン風の歯医者に行ってみた。ここは、顧客 サービスの視点から、待合室や診療を現代的に組み替えたシステムで、一度 入って見たかったところ。ロビー兼待合室にはパソコン、マッサージ、何台もの 小型TVありで、マンガ喫茶のようである。歯科医が4人も居る。歯医者といえば、 個人医院が多く唯我独尊の前近代的スペース。誰も語らないが、行きたがらない ところが多い。そこは近代的歯科医を目指す徳真会グループで、新潟県内では 松村歯科医が数店舗を出店している。10年位前に自宅から車で5分ほどの ところに出店していたが、私の散歩コースにあった。実際に患者になった感想は、 「ここを知ったら一般歯科医には二度と入りたくなくなるだろう」が感想。 一度だけなので、感想は、その位にしておくが、直ぐにレントゲンを取られ、 それが診療台の前のモニターに映し出されて、こことこことが虫歯になっており、 15回位の治療回数になります。一回の治療の時間を長くし回数を減らすことも 可能という。8年間も歯医者にいってないため、あちこちに小さな虫歯がある。 周囲の人の話だと、年に一回歯垢を取ったり、小さな虫歯を直してもらうとか。 朝晩、マウスウォッシュでウガイを丹念にして、電波歯ブラシで磨いているので 大丈夫と、八年も行ってなければ、それも仕方がないが。 初回もあり、一時間も治療に要した。 * スポーツジムは夏枯れ 会員制度だから、ジムサイドとしての経営上の問題はないが、夏休みに入ると、 昼コースもあるが館内はガラガラ。去年も全く同じ状況で、大地震の影響と勝手 に思い込んでいたが、夏休みで主婦が家に縛られているようだ。冷房がきいて いるので快適だが、家から出るのも億劫のこともある。「とにかく休まない!」 をテーマの一つにしているが、人が多いより少ない方が良い。日が経つにつれ、 その場の空気に馴染んでいっている。 ・・・・・・ 3781, ユング ー14 2011年08月02日(火) * ユング心理学、3つの流れ ー �古典派 (『ユング心理学』福島哲夫著ーP196より) 【 ユングが亡くなって現在に至るまで、ユング心理学の考え方や 心理療法派、主に3つ流れ、古典派、原型派、発達派として続いている。 ☆ 古典派= ユングの考え方を、そのまま受け継いでいる。 彼らは「心の深層の象徴的イメージの変容に重点が置かれる。たとえば、 個人の中で男性イメージと女性イメージがどのように発展し、一つのまとまり あるものとして機能していくか、ということに 注目する態度に代表される。 そして、このような様々なイメージを一つのまとまりあるものとしていく自己 の元型の働きが夢や空想の中にどのように表現されるているかを読み取り、 その働きが活発になるように関わっていく。男性、女性イメージのほかにも、 英雄が龍と戦って勝利するイメージが、母親的なものからの精神的な自立の 象徴と考えられて肯定的に扱われる。また、それまでの古い自分が死んで、 新しい自分が生まれ変わる「死と再生」、あるいは、それが儀式化されて 成人式や結婚式、葬式の儀礼となった「通過儀礼」などの、イメージを個人が 内面で、どのように体験するかということも大事にされる。これは、内面の イメージの変容をどのように体験して、それまでの自分と、どう違った自分 になるかに大きな関心が向いている。 ー古典派の治療態度とはー ここで、グリム童話の「かえるの王様」を例にして自己表現を取り上げる。 <姫が気に入りの金の鞠を泉に落として、悲しんでいるところ、蛙が現れ、 条件をつきで鞠をとってもらう。しかし、蛙を気持ち悪く思う姫は約束を 破り、叩きつけてしまう。すると蛙は王子に変身し、二人は結婚をする> 古典派では、金の鞠を「自己」、蛙を、未知なる男性、他者。結婚を自己 実現と解釈する。彼女は他者と初めは嫌々ながら密接に関わりながら、 正面から対決することで大人になり、自己実現(結婚)をしていく。 古典派は、このような変容過程が、実際の個人に起こることを期待するのが、 立場になる。】 ▼ ひとつ夢でも、ユングの各派で解釈が色いろ違ってくる。古典派は統合と 発達を大事にする。結婚=自己実現するために、他者を叩きつけてしまう、 という部分が象徴的。叩きつけられた他者は、そこで王子=理想的相手に変身 するというのも意味深長。これでは、結婚してからの蛙はたまったものでない。 しかし、そういうものと心の奥で、割り切るしかないのか? いずれにしても、 親からの自立は、人類の永遠のテーマとなる。成人式も、結婚式も、ひとつの 通過儀礼である。そこで、二世代、三世代家族は多くの課題を持ってしまう のは当然の結果である。一生、小さな岩場の中に閉じ込められた山椒魚になる。 気がつかないのは自分だけ。 ・・・・・・ 3416, 「憎国心のすすめ」 ー2 2010年08月02日(月) ■ 知性の定義 知性を電子辞書で調べると、 「知性とは、『知覚を認識に作り上げる精神機能。感覚によって得られた 素材を、整理・統一し、認識に至る精神機能』とある。ここで日本人には知性が 足りないと繰り返しているが、その「知性とは何か」と言われるといま一つ曖昧。 そこで著者は知性について一章をさいて書いている。 ー知性について書いている印象に残った部分を書き出してみるー * 私は「知性とは何をしたらよいかわからないときに用いるものだ」という ジャン・ピアジェの明快な表現が好き。つまり「正しい答え」がないときや、 通常の対処で十分とは思えないときに必要となる。 柔軟に対処したり手探り したりする能力で、いわば知的な即興の能力である。モーッァルトやバッハの コンチェルトのように高度に磨き上げられた作品ではなく、ジャズの即興演奏を 思い浮かべるとわかりやすい。知性とは、即興で作られ、思考と行動によって 磨かれる「過程」のことである。』(『知性はいつ生まれたか』カルヴイン著) *『 新しい情況に当面したとき、盲目的にもがくというような、本能的方法 (例えば運動暴発)によらずに適応する仕方または課題を解決する方法をいう。 過去の経験を利用することが多いので、この能力(記憶)をも〈知性〉のうちに 入れるのが普通であって、これを〈再生的知性〉という。また、人の知性のうち には抽象的思考力があるが、これだけを〈知性〉と呼ぽうとするものもある。 なお、《英知》というコトバは精神の知的側面、とくに高級な思考作用をいう。 〈概念をつかう能力〉のような高級なものをさすことが多い。』 *『ー 困難な状況に直面して生来的なまたは習慣的な少数の反応しか 持ち合わせていない動物は、その反応が成功するか、環境の偶然の変化によって 条件が好転するまで、その力と衝動の持続する限り、その持ち合わせの反応を 無駄に繰返すに止まる。 (字数の関係でカット、2012年8月2日)
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2016年08月01日(月)
<『かわいい自分には旅させよ』浅田次郎著> * かわいい自分に旅させよ 〜B 40歳代に入って直ぐの頃、『年一回の海外に出ること』を決めた。 そして、半ばも過ぎた頃、それを年二回に切り替えた。20歳から20数年間、 ストレスの多い「創業」の為の転進を繰り返してきた。何事も現実に直面 すると、火事場のバカ力が生じてくる。その奇跡に近い偶然を拾い上げて、 その場を切り抜ける。しかしストレスは並大抵ではない。その沈殿がピーク になっていった頃である。その解消剤にツアーのストレスと感動が、合理的で あることに気づいた。早朝の読書習慣と、散歩、そして、海外ツアーが、 何とか、自分を支えてくれた。 半年単位、一年単位で、そのストレスを、 払い落とすしかない。そこで、「秘境・異郷ツアー」のストレスで、それを 削ぎとるしかなかった。それが、結果として、心の、いや魂の財産になった。 〜以下の部分は、「苦労でなくなった旅を、自分に与えよ」と勧める。 ≪ 「かわいい子には旅をさせよ」という格言は、今や死語であろう。 かつては苦労の代名詞であった旅行も、世の中がすっかり便利になった今日 では娯楽の王者となってしまった。もしかしたら今の若者たちは、この言葉の 意味を「かわいい子には娯楽を与えよ」と曲解しているかもしれぬ。 たしかに旅は苦労ではなくなった。ただし、経験としての価値が損われた わけではない。人間は経験によってたゆまぬ成長をとげるものであるから、 苦労を伴わずに経験を得ることのできる今日の旅は、子供よりもむしろ大人に とっても好ましいかたちになったと言える。この福音に甘んじぬ手はあるまい。 「かわいい自分には旅をさせよ」である。金だの時間だの手間だのと、旅に 出かけぬ理由を思いつくのは簡単だが、よく考えてみれぽ金は貯めるものでは なく使うものであり、時間はあるなしではなく作るものであり、手間を惜しむ は怠惰の異名に過ぎない。つまり旅に出てはならぬ合理的な理由は、実は何も ないのである。 ≫ ▼ 秘境への旅の決断と実行は、非常に抵抗が生じる。まず、家内が、激しく 抵抗する。そこで一人参加を決意すると、家内も渋々、決意するパターンの 繰り返し。で、抵抗感が強いほど、その内容は、濃厚で味わい深い物語になる。 しかし、極限を超えた経験のオンパレード、可愛い自分へのプレゼントになる。
・・・・・・ 5252,自分もないし、あの世もない 〜ニーチェ「超」入門〜 2015年08月01日(土) 〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦著 * 遠近法でみれば、自分もないし、あの世もない! 黄色の声で娑婆現象の因果律を、己の世界観で物語化して、一人、 悦に入っている我われ凡人を根こそぎ否定するのがニーチェの醍醐味。 ことあるごとに「世間人」を取り上げてきたのも、ニーチェの影響があった。 ニーチェの遠近法的認識から、我々は近くの現象に左右されていることを 知ることができる。 山奥の集落では、その集落の世界が全世界になりがち ということが解る。 遠近法を『多宇宙論』まで拡大すれば、「自分も、 あの世もない」ことが自明になる・・ ー以下の部分は、ニーチェの核心部分ー これを理解できるかどうかだ? ≪ 人間の遠近法的な認識のゆえに、いっさいが現象でしかない。けれども、 それはわたしたちにとってウソではない。まさにそれこそ現実であり、 リアルなのだ。現象というこのリアルから誰も脱出することはできない。 だからといってこの現象界の裏側に真実の世界があるのではないかと思うこと こそ妄想なのだ、とニーチェはいう。それは混沌としていて、客観的世界などで はないという。二ーチェはそのように語ることによって、真実界が天上にあると 考えたプラトンの哲学を否定しているのだ。キリスト教神学がプラトンの哲学を 取り入れたと一般的にいわれているのはこの部分。真理も真実も神も天上界に あるのだとする神学のことだ。つまり、ニーチェは遠近法の考えを発展させる ことによって、神はいないはずだという見解に達したのである。 神など人間が想像してつくりあげた単純な無神論ではない。目に見えるもの ばかりではなく「物体、線、面、原因と結果、運動と静止、形態と内容」と いった基本概念すらも実は人間のつくった仮構だと二ーチェはいう。 たとえば、わたしたちの生活でしょっちゅう考えられている原因と結果だ。 物事は起きているのだが、その一点をチョイスしてわたしたちは結果だと決め、 その結果を生んだ原因を探す。しかし本当は、原因も結果もない。因果という つごうのよい言葉に人はとらわれているだけなのだ。だから、起きている事柄 とは事実そのものではなく、それに関わる人間の概念とか心理的印象などが 混じりあって総合的に結合されたもののこと。それを二ーチェは生きいき描写 する。要するに、因果を決めたがる心理は、まだ慣れていないものに対する恐怖 のことなのだ。そして、なんとか既知のものを見つけて安心する。だから 本当は、原因を探求しているのではない。既知のものを探しているだけなのだ。 (「力への意志」551) ー以上をもっと簡単にまとめてしまえば、 人間は起きている事柄をストーリー化して考えてしまい、それを事実ととらえる ということだ。それはもちろんわたしたちのそれぞれの人生行路という話も含む ことになるし、世界の歴史も含む。二ーチェのこの鋭い指摘は、当然ながら 他の事柄にも通じていく。たとえば、家柄や血筋、それに強く関連している差別 や階層の問題、あるいはまた人間の喜びや苦しみについても、わたしたちに 新しい眼と態度を与えてくれる考えとなる。 意識というものについても、 ニーチェはそこに遠近法を見る。それをまとめると、次のようになる。 < 個々人の意識であろうとも、個々人の生き方に沿っているものではない。 わたしたちの行動はそれぞれに唯一であり、個性的なものであるのに、意識 といったものに翻訳されるやいなや、もう個性的なものではなくなるのだ。 意識に変換されたとたん、一般的になってしまう。共同体的になってしまう。 薄っぺらになり、平凡化される。精妙さを失ってしまう。みなと同じような 妄想に変化してしまう。したがって、人間の認識の力は真理のようなものを 捌む程度には達していない。(『悦ばしき知識』354)> ≫ ▼ 4年前の会社整理に対し、『計画倒産』とか、『帰り矢が当たった』とか、 色いろ揶揄されていたようだが、要するに、否定による否定の共同幻想の類。 とはいえ、当ってなくもないから面白い?・・ 上記の、『要するに、因果を 決めたがる心理は、まだ慣れていないものに対する恐怖のことなのだ。そして、 なんとか既知のものを見つけて安心する。だから本当は、原因を探求している のではない。既知のものを探しているだけなのだ。』その一番、手っ取り早い のが、無知蒙昧による計画倒産の共同幻想。その物語が透て見えるから、逆に 醍醐味になっていた。共同幻想の事例研究としてのは非常に面白い内容だが。 ・・・・・・ 4887,閑話小題 〜ベトナムのシシャモ 2014年08月01日(金) * 先日、あわや買おうとしたシシャモが・・ 近くのSC内のドラッグストア「アオキ」で、美味そうなシシャモの パッケージ、一度はカゴに入れたが、色が青白く光っているのが気になり、 元に戻した。ところが、その翌日のニュースで、「山口県内の業者がベトナム から輸入した冷凍シシャモで、 殺そ剤と人のふん便とみられる異物が混入」。 あわやである。 以前も、冷凍の中国産唐揚を買ったが、まだ食べてない段階 でニュースで知り、事なきをえた。家内は絶対に中国産を買わないが、私は、 あまり気にしない。中国・上海市の会社による期限切れ食肉使用問題が国内 にも衝撃を与える中、今度はベトナムの食品をめぐる新たな問題が発覚。 それにしても恐ろしい! * 佐世保の女子高生殺人事件 これは異常性格者の犯罪で、一般的常識では語れない事件。 「子猫を解剖し、今度は人間を解剖したくなり、準備をした上で、親友を誘い、 首を絞め殺し、首と手首を切断。下腹部を切り開いた」と・・ そのニュースで 《 医師が6月10日、県の「佐世保こども・女性・障害者支援センター」 の窓口に電話。少女が小学生の頃に給食に異物を混入させたことや、父親を殴打 してけがをさせたことを挙げ「人を殺しかねない」など相談。窓口側は医師に 対応を助言した。医師は少女が高校1年女子は伝えたが、名前は伏せた。相談 内容について窓口側は当時、県警に連絡をしていなかった(2014/07/31)》とある。 家庭環境の激変の中で、元もとあった異常性が表立ったのだろうが、猟奇・ ホラー映画、顔負けである。ネットや映画で、無制限に猟奇殺人などが 無制限に流されている結果だろうが。 * 新発田の女性遺体 ー31歳男、複数の殺人に関与の疑い 以前、全国版ニュースで流れた地裁から必死に逃げる若い男の姿が脳裏に 残っているが、その男が新発田の若い女性の殺害犯人で、他の殺人事件にも 関与している可能性がある、という。 ーまず、そのニュースから ≪ 6月、新潟地裁から一時逃走した男。新潟県内で女性を殺害した疑いなどで、 7月31日、逮捕された。さらに、この男には、ほかの複数の殺人事件にも 関与した疑いが浮上している。6月27日、新潟地方裁判所から逃走を図った 喜納尚吾容疑者(31)の姿をとらえた映像には、全力で逃げる喜納容疑者と、 後を追いかける警察官の姿があった。強姦など3つの事件で、逮捕・起訴。 31日、殺人事件にも関与していたとして逮捕された。喜納容疑者は、自分が 所有する乗用車で、徳永 希さん(当時22)を自宅と友人宅の間で連れ去り、 当日かその翌日、殺害した疑いが持たれている。2014年4月、新潟・新発田市 のやぶの中から、その遺体で発見された事件。徳永さんは2013年11月、 「友達の家に行く」と言って家を出たあと、行方不明となり、2014年4月、 自宅から5km離れたやぶの中から、白骨化した遺体となって発見された。 喜納容疑者は「身に覚えがない」と、容疑を否認。警察は、喜納容疑者が 複数の殺人事件に関与したとみている。市内では、若い女性が次々と不審死を 遂げている。2013年9月には、住宅街で乗用車4台が燃え、車内から20代の女性 の遺体が発見され、さらに、徳永さんの遺体が発見された同じ4月に、 20代の女性が遺体で発見されている。≫ ▼ ところで、2009年11月に新潟駅南で乗せた若い男の客にタクシー 運転手が金を奪われた上に殺害された事件。駅の監視カメラに映っていた 姿が似ているような? 若くて、キャシャだけで、いうのは何だが・・ ーーーー 4520, がんで死なない生き方 ー1 2013年08月01日(木) 「専門医が教える がんで死なない生き方」中川恵一著 ーどうせ死ぬなら「がん」がいいー の内容に対し、正当派の医師の見方も 必要と図書館で見つけたのが、この本。誰もがんで早死にはしたくはない。 少し注意した生活を数十年も続ければ大きく変わる。特にタバコと飲酒の習慣。 二人に一人がなる病なら、特に若いうちは定期検査と早期発見で治すしかない。 ーアマゾンの内容よりー 《「日本人が目をそむけてきた"究極の病"。本書を読めば心構えと希望が持てる」 2人に1人がかかる時代、予習と対策ができる人生のテキスト。がんはもはや 他人事ではない国民病。東大病院の中川先生が、"がんは遺伝""がん家系"と いった誤解を解き、予防法から治療、お金の問題まで徹底解説。一方、専門医 自身はどんな生活を送っているのか、予防のために何か特別なことをしているのか、 一般の私たちが気になる疑問に中川先生が答え。同僚の医師にもインタビュー。 コラムでは、原発事故以降の放射線に対処するための知識をQ&A式で掲載 》 ー概要の部分を抜粋するとー ≪ 肺がんや大腸がんにおいては、野菜や果物の摂取によって発症リスクが 低くなるという証拠はない。2人に1人がんになり,3人に1人ががんで亡くなって います。誰だって、がんになりたくないし、がんで死にたくはありません。 がんで死なないため一番‘確実な方法’はがんにらないことです。しかし、 どんな聖人君子でもがんになり得るのです。おおざっぱに言えば、がんの3分ー がタバコ、3分のーがお酒や食事や運動といった「タバコ以の生活習慣」です。 そして、残りの3分の1は「運」と言ってよいでしょう。どんなに理想的な生活を 送りても、がんを完全に防ぐことはできません。ですから、がんを防ぐ生活習慣 を心がけるとともに、‘運悪く’がんになっても、早期に発見して完治させる 必要があります。この生活習慣《一次予防》十早期発見《二次予防》の2段構えが、 がんで命を落とさないための特効薬なのです。実際、がん全体の「5年生存率」 (医学的には、治療によって、がんが消失して5年経過後に再発がない場合を 「治癒」とみなす)は5割を超えていますので、がん「不死の病」ではないし、 早期がんで発見されれば、ほとんどの臓器のがんで治癒は9割以上になる。 早期に見つけられれば、がんは怖くありません。 早期がんを発見するには、 定期的な検診が不可欠です。早期がんでは目立った症状が出ないからです。 そして、症状が表れると、進行・末期がんの場合が多く手遅れです。 だったら、どうか?と考えると、どうだろう?あまりかわらなかったのでは? 悪性なら早期でも助からなかったのでは? しかし生活習慣病なら、注意すると しないとでは大きく変わる。しかし50歳を過ぎれば、検査をして見つけても、 逝くのは少し早いか遅いかだろう。今だ男の喫煙率が4割。これほど危険なもの はない。法的に麻薬並みに禁止すべき数値。これに酒とストレスを加えると、 男の場合、半分以上は複合効果でやられている。 「酒飲んで、タバコを吸って バカ騒ぎ」 ・・・・・・ 2012-08-01 閑話小題 ーベッドから転げ落ちる 編集 * これも老いの現象か? 二日前の夜半に初めてベッドからモンドリ落ちた。床がピータイルで硬い こともあり、右手と右頭が同時に床に直撃をした。瞬間、腕が折れてしまったと 勘違いするほどで、怖々と触ってみたが折れてなかったが、痛いことこの上ない。 腕が一瞬早かったので頭には瘤は出来てなかった。直ぐに氷で冷やしたが、 何とか最小の事態で済んだ。翌日には何とかスポーツジムの定番コースを こなしてきたが、腕の痛さは残っていた。ひと月前にも居間で滑って、 やはり右手と右頭を打撲して、その腫れが落ち着いてきた矢先である。 最近、シネマやTV映画の刑事モノの映画を連続してみているが、リアルな 恐ろしい夢をみて、逃げようとしてベッドから滑り落ちたのである。 * オリンピックが始まったが ロンドン・オリンピックが始まった。以前は、それほど関心が無かったが、 今では時間があるため楽しむ余裕がある。見る方も、選手も、以前ほど結果に 対し大げさなリアクションが無くなった。オリンピックもアナザーワンに、 ということか。この大不況下に関心が半減していることは間違いない。 もう一つは、金メダル獲得という物語に、人々はさほど価値を見出さなく なっている。 情報社会の効用ということか。「ヒーロー? それがどうした、 それより私の夢の実現の方が、よほど良いに決まっている」と、各々が ミニ物語の完成を求める「個人主義」が行き渡ってきている。それが良いか 悪いのか? 競技の審判に対する抗議に、ビデオを取り入れる制度が出来た。 これに対して物議があるが、私は素晴らしい決断だと思っている。 世界中の目がテレビを通して審判のミスを繰り返し見せつけられ、後味が悪い 思いがしている現在、思い切った英断である。 大相撲も、際どい勝負の結果にはビデオ室の結果を確認する。オリンピック という世界一を決める勝負に、ビデオ確認は当然である。審判の依怙贔屓や、 経験不足による好い加減の判定があまりに多く、それを映像がリアルに世界中に 発信してしまう情報化が根底にある。プロ野球もビデオ判定を取入れ始めてきた。 ・・・・・・・ 2011-08-01 閑話小題 * 3Dシネマの凄み 「アバター」でシネマの3D映像の体験をして、その迫力に想像を絶する思い だったが、ここで、「ハリー・ポッター」と「トランスフォーマー」をみて、 更に進化した映像の異世界に入りこんでしまった。ストーリーより、その異世界 の世界を楽しもうと期待していたが、次から次への息をつかせない立体空間の ド迫力の世界に、我ながら驚いてしまった。供騙しのようなロボットのような姿 の宇宙からの飛来者が繰り広げる勧善懲悪的闘いが圧巻。 巨大なロボット風の 無機質の風体が、人間の想像を遥かにこえた映像に抵抗感を少なくするように計算。 要は、デジタルを使い、私たちが経験したことがない世界を3Dで引き込んで くれるのである。薬や音楽で脳を麻痺をさせ、普段味わえないサイケの世界に トリップさせるのと似ている。それはそれで、その世界を垣間見るのも悪くはない。 天才という人種は、トリップしたあちら側の視線で、芸術作品を通して表現した人 をいうのである。それと3Dのシネマと結びつけるのに、少し無理は無くはないが、 実際のところ、当たらずとも遠からじである。せっかく、平均滞在80年の娑婆 への宇宙旅行を与えられた人として、やはり、既成概念内の現象だけを見て、 宇宙の彼方に帰還するには勿体ない。これもデジタル化のなせる技。 実際にTVもデジタル化と大型化で変わってきた。数年前までは、面白そうな TV番組は週に数本しかなかったが、現在では一日に数本はある。その上に 録画が数百本はブルーレイデスクに入っている。なるほどTVは人をバカにする。 * ここの円高は厳しい あれよあれよと円高が進んでいる。リーマンショックの津波の一波だろうが、 東北大震災に、この円高は日本経済にとって大打撃。アメリカが国債の発行限度 の引き上げで議会が対立が起因だが、万一、アメリカが国債のデフォルトを宣言 でもしたら、世界経済は大混乱に陥ること必定。その中で、特に日本は アメリカの国債を大量に持たされているため国家破綻になる可能性がある。
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